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あらためて私の好きな詩を、ためつすがめつ眺めてみよう、なぜ好きか、なぜ良いか、なぜ私のたからものなのか、それをできるかぎり検証してみよう、大事なコレクションのよってきたるところを、情熱をこめてるる語ろう、そしてそれが若い人たちにとって、詩の魅力にふれるきっかけにもなってくれれば、という願いで書かれています。 (中略) 「生まれて」、「恋唄」、「生きるじたばた」、「峠」、「別れ」 の5章立てで構成されていますが、それが 茨木のり子さん の 人生の「時間」 のめぐり方です。
自然に浮かびあがってきたものを、どう並べようかと思ったら、偶然に「誕生から死」までになってしまったもので最初からのプランではありません。 (「はじめに」)
かなしみ 谷川俊太郎 つづけて引用されるのが 石川啄木 のこの歌です。
あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立つたら
僕は余計に悲しくなってしまった
不来方のお城のあとの草に臥てで、こんな解説が挟まれています。
空に吸われし
十五のこころ(「一握の砂」)
ほんとうは色なんかついていない茫々とした宇宙の空間、それなのに真青にみえる果てしない空というもの ― 寝ころびながら見ていると、自分が母親のおなかのなかから生まれてきたというより 「あの青い空の波の音が聞えるあたり」 を通って、やってきたんだ!この地球の上に。そんな実感が強く来たらしい。 お気づきかと思いますが、 「そんな実感が強く来たらしい」 と解説されているのは 「かなしみ」 を10代で書いた 谷川俊太郎 です。
空の青さをみつめていると こんな感じで、 15歳 くらいの読者は一気に詩の世界に引き込まれていくはずなのですがどうなのでしょうね。 ジュニア新書 ということもあって、高校生にもよくすすめましたが、今読みなおしても、まあ、うまいものだと思います。
私に帰るところがあるような気がする
(「六十二のソネット」所収「空の青さ」部分)
賭け 黒田三郎 いや、ほんと、懐かしいですね。久しぶりに 黒田三郎 を読みました。彼の詩は男の子と女の子、どっちに受けたのでしょうね。で、もう一つが 「峠」 の章に引用されていた 河上肇 です。
五百万円の持参金付きの女房を貰ったとて
貧乏人の僕がどうなるものか
ピアノを買ってお酒を飲んで
カーテンの陰で接吻して
それだけのことではないか
新しいシルクハットのようにそいつを手に持って
持てあます
それだけのことではないか
ああ
そのとき
この世がしんとしずかになったのだった
その白いビルディングの二階で
僕は見たのである
馬鹿さ加減が
丁度僕と同じ位で
貧乏でお天気屋で
強情で
胸のボタンにはヤコブセンのバラ
ふたつの眼には不信心な悲しみ
ブドウの種を吐き出すように
毒舌を吐き散らす
唇の両側に深いえくぼ
僕は見たのである
ひとりの少女を
一世一代の勝負をするために
僕はそこで何を賭ければよかったのか
ポケットをひっくりかえし
持参金付きの縁談や
詩人の月桂冠や未払の勘定書
ちぎれたボタン
ありとあらゆるものを
つまみ出して
さて
財布をさかさにふったって
賭けるものがなにもないのである
僕は
僕の破滅を賭けた
僕の破滅を
この世がしんとしずまりかえっているなかで
僕は初心な賭博者のように
閉じていた眼をひらいたのである
(詩集『ひとりの女に』)
旧い友人が新たに大臣になつたといふ知らせを読みながら この詩を読んで、今の若い人が 「河上肇って?」 と思って、彼の本に手を出したりすることは、もう二度とないのでしょうか。
私は牢の中で
便器に腰かけて
麦飯を食ふ。
別にひとを羨むでもなく
また自分をかなしむでもなしに。
勿論こゝからは
一日も早く出たいが、
しかし私の生涯は
外にゐる旧友の誰のとも
取り替へたいとは思はない。
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