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鮎川信夫 の 「近代詩から現代詩へ」(思潮社) という解説集を案内しましたが、その 「八木重吉」の項 で取り上げたのは 「明日」 という詩でした。「明日」 八木重吉まづ明日も眼を醒まさう
誰れがさきにめをさましても
ほかの者を皆起すのだ
眼がハッキリさめて気持ちもたしかになったら
いままで寝てゐたところはとり乱してゐるから
この三畳の間へ親子四人あつまらう
富子お前は陽二を抱いてそこにおすわり
桃ちゃんは私のお膝へおててをついて
いつものようにお顔をつつぷすがいいよ
そこで私は聖書をとり
馬太伝六章の主の祈りをよみますから
みんないつしよに祈る心にならう
この朝のつとめを
どうぞたのしい真剣なつとめとして続かせたい
さあお前は朝飯のしたくにとりかかり
私は二人を子守してゐるから
お互いに心をうち込んでその務を果たさう
・・・・・・・
内村鑑三 に私淑し、キリスト教徒として敬虔な信仰生活を送ったといわれる 八木重吉 は、わずか 二十九才 の若さで病没しているが、生存中に書かれた詩は意外に多く、七百篇を越えるといわれている。折りにふれての感懐が、日記でもつけるように次々と短詩のかたちでメモされていったという印象をうける。 で、詩が紹介され、こんな解説がサラッと記されています。
誰かに読ませるためというよりも、自分自身の悟りのために書かれた詩である。
「明日」 という詩には、作者の実生活の意識がかなりはっきりあらわれていて同情をひく。神を信じ、愛を信じ、生きることに希望を見出してゆく詩人の一途の心が、ごく自然な形で表現されている。 この、短い評言を読みながら、 八木重吉の詩 はどの詩を読んでもさびしい、 そう読んで間違いなかったんだという安心感のようなものに浸りながら、 あまりにも信じすぎている人間の無垢の心が、それに応えることのできない現実の貧しさを洗いだして、そこにさむざむとしたスキマをつくっている。 という結語に唸るのでした。
しかし、 八木重吉 の 詩の底に流れる寂寥感 はどこからくるのであろうか。天気のいい昼間に、涙をにじませている作者の姿は、いかにも痛ましい。あまりにも信じすぎている人間の無垢の心が、それに応えることのできない現実の貧しさを洗いだして、そこにさむざむとしたスキマをつくっている。
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