堕パンダの日記

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2006/03/31
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テーマ: たわごと(27619)
カテゴリ: 伝えたいこと
前々から考えてたんですけど

世の中には二つの

「対立するモノ」 がありますよね。

例えば、 光と闇

高い低い

正義と悪

生と死



世の中にはそういう二つの、

対立したモノ がたくさんあるわけです。






そして、その両極的な存在が

「世界を作り出している」

と私は考えているんですよ。




















何を言い出したんだこいつは。






そう思われるかもしれませんが






また変なことを言い出したな



話が終わるまでお茶でもすすってて下さい。




それでね。

逆に言えば、

この両極的なもののうち、

片方が無くなったら





世界は崩壊する。

私はそう考えるわけです。








何こいつ危ない人?





と思われた方。


ええ、








危ない人です私は。







しかしね。

こういう考え方もあるんだと

聞き流してみるのも一興かと思います。

すごく当たり前な話です。











すべて私の頭の中の考えですけど、


この対立したモノって、

切っても切れない関係 ですよね。

たとえば 「光と闇」

このうち片方が無くなるということは無い。


絶対にこの二つが存在する。


逆に言えば、片方が消滅したら

片方も消滅する。

そういうことです。



もっと説明しますと、

がありましたと。


しかしそこには影の部分

つまりは もありましたと。


しかしなんらかの形で 光がなくなってしまった。

世界は真っ暗闇 です。

でもね。

これがずっと続くとどうなるのかというと

闇という概念も消えると。

そういうことになるわけです。


光が消えただけで闇はずっとあるじゃないか。

そうなんですけど、

光という概念そのものが消えた と。

そう考えてください。


つまり「これは闇だ。」

と理解できるのは

光のおかげ なのであり、

光があるから闇も認識できる


だから、光という概念が消えたのだとしたら

同時に闇という概念も消滅する。


そこにはただ、暗いだけ。

それがあたりまえの世の中になります。




例えば 「高低」。

このうち、

片方が消滅すれば

世界は崩壊します


まあ、ぶっちゃけそんなことはないんですけど。

マンガ的な話ですよ。


例えば 高いという概念が消滅 したと。

するとどうなるのかというと。


とりあえず。


みんな同じ背の高さになります。


高いという概念が消滅したのだとしたら

ビルとかも人間と同じ高さになります。

つまり低いという概念も同時に消滅する。



最終的には

世界にある、ありとあらゆるものが

原子レベルに分解される

と私は考えます。



まあ私の想像なので

何言ってんだこいつは。

と思われたでしょうが







早い話。




坂がありましたと。

下から見れば上り坂

上から見れば下り坂



「上り坂、下り坂」


二つの対立したモノも

結局同じ 「坂」 なわけです



ここで 上り坂が消滅 した。

となると

そこには 平坦な道しか残りません。

結局上り坂を消したいのならば

下り坂も消すしかない。



つまりこういうことです。




対立するモノは常に二つ。

絶対に切れることは無い。


























結局お前は何が言いたいんだ




というと、


やっぱり 生と死 にかかわることです。




↓この記事を読んでおもったんですが、


いずれ寿命が1000歳以上に

まあ、 1000歳はありえん としても

絶対にこれからも

平均寿命は延び続けていくでしょう。


平均寿命100歳 なんて、

すぐなっちゃう気がします。


しかしね。

本当に寿命を延ばしてもいいのだろうかと



別に死んでもいいのではないか。

いや、

むしろ死ぬべきだと。

本当にそう思うわけです。



お前一人でシネ

とか言われそうですけど

本当にいいたいんですよ。





あなた、

そんなに生きて何がしたいの?







寿命をのばそう、

生きたい。


たしかにわかります。





でもね、

死ぬからこそ

生きるのが楽しくなる んですよ。


逆に言えば、


死ななければ生きてると言えない。






前に「対立したモノ」を述べたのはこれにあるわけですが

生と死。

これも切っても切れない関係です。



生きていると定義できるのは

死ぬからです。



逆にいえば、

死ぬから生きている。



それをね、

寿命1000歳とかにしちゃって

かぎりなく 「死」を薄いモノ にしてしまったら、

どうなるのか。


























人は、

生きているといえなくなります。




























つい思っちゃう人いませんか?















私なんて死んじゃえばいいんだ。


そうじゃなくても、


あー疲れた。死にたい。





お前コロス。




あんなやつシネばいいのに。






正直

私もつい思ったり

言ってしまうことがあります。


でもなんでこんな重い言葉を


軽い気持ちで言えるのかというと、


それは 「死が薄い存在」 だからです。




日本ではあまり死ぬことがありません。

あくまで他国と比べるとですけど、

日本は安全である。

といえると思います。





平均寿命も80歳くらいになって

生と死でいえば


生が厚く、

死が薄い存在
になっている。











死に直面する人は少ないと思います。


そうでなくても

「私だけは助かる」

「交通事故多いけど、私は事故しない。」

「地震がおきたとしても、私はなんとか生き延びれるだろう。」



「自分だけは助かる」


こう思う人が大勢いると思います。

私もそうです。




これらはなぜかというと

すべて



死が薄い存在 になっているからだと思います。










生と死はおもしろいもので、


「生が大きくなれば

死は小さく、




死が大きくなれば


生はさらに大きくなる。」



という性質をもってます。








「生が大きくなれば

死は小さく、」




これは今の現状や

これから先

寿命が延びていくことを考えれば

わかってもらえるとおもいます。




でも考えてほしいのは

寿命が1000歳になったとして


もっというと

がなくなってしまったのだとしたら、


















私達は生きていると


いえるのでしょうか?






























「死が大きくなると

生はさらに大きくなる」










生きるっていうのは、

死ぬからこそおもしろい。




映画やマンガ、小説、

そのほかすべてのエンターテイメント的なものは


主人公が死に繋がる場面 が少なくありません。



例えば、 戦いの シーン。

そこで がでれば、

私達は多少なりとも を感じずにはいられません。



生というのは

死によって引き立つ。



だから物語は

を取り扱うものが多いのです。



死によって、

主人公の生を強調 したいから。


だから戦いの場面が物語には多い。
















例えば、


あなたが明日死ぬ といわれたら、


どうしますか?














・・・・・









・・・・・











・・・・・



残りの人生を謳歌するために

様々なことをするでしょう。







ですがそれは不幸なことなのでしょうか。


日にちがかかることをしたいのに

出来ない。

それは不幸かもしれませんが

たぶん気づけるでしょう。




一日一日がどんなに大切だったのかを。




それに気づいて後悔ではなく、

その一日を楽しくすごすことができれば

それで人生終わってもいいと私は考えます。





つまりすべてをまとめると



寿命はこれ以上延びなくてもいい。

私個人の意見ですけどね。


これ以上死を薄くしてしまったら







私達は生きているといえなくなる。



本当にそう思ったので

書いてみました。



わけわからないこと長々かいてすみません。





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最終更新日  2006/03/31 06:49:45 PM
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