アトリエ5号星地区

アトリエ5号星地区

2012.01.16
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ヤァヤァヤァ
毎日、東奔西走、南船北馬♪
ホ~ンマに忙しいシルフちゃんやねん。(*´ω`*)。oO。アクセクアクセク。
Blog更新が遅れがちでゴメンなぁ。

先日、レンタルで借りてきたDVD「生き残るための3つの取引」もまだ見てへん。またもや見れずに返すんか!?。/(-_-)\ オーマイゴッドじゃ

さてさて、あさって、しあさって。本日はアニメのお話ネ。

いまや世界を席捲しつつあるとまでいわれるジャパニメーション。ジブリ作品は言うに及ばず、ドラゴン・ボール、ポケモン、イチャモン、バッタモン♪
~(>_<。)\ (- .-) パッコ~~~ン バカモン♪

レベルの高い作品は数多く、なおかつマイナーな自主制作を含めるとそれこそ膨大な映像データが、その地下世界を魑魅魍魎、跳梁跋扈、ギッタンバッコン、百鬼夜行、焼き芋焼こう、と日夜増殖し続けておるみたいじゃな♪

先日、梅田の大阪シネマガイドっちゅうお店で雑談してた時も「日本最初のアニメは…?」っていう話が出て、カラー作品では確かに東映動画の『白蛇伝』(1958年)が有名なんやが、モノクロやったら何やろ? (^_^;)
確かに田川水泡の『のらくろ』とかずっと古くからあるけど、元祖やないしなぁ…。意外と知られてへんことに、ふと気がついてんな。

店内にたまたまおったアニメファンの子が「題名は忘れたけど、蛙が主人公やったような…」
っちゅう意見も飛び出たりして早速、ネットを覗いたんやが…。

いやはや、ビックリ仰天、寒天、ゴボ天、トコロテン、下川凹天♪
下川凹天っちゅうのがそうやってん♪

日本初のアニメ映画の公開は、1917年(大正6年)1月、下川っちゅうオッサンが手がけた短篇『芋川椋三玄関番之巻』が浅草・キネマ倶楽部で公開されたのが、国産アニメーションの第1号らしいわ。(もっともネガもスチールも何も残ってへんから、現在、見ることは出来ん)

世界最初のアニメ映画といわれるアメリカのジェームス・スチュアート・ブラックトン『愉快な百面相』が1906年公開で、翌年にフランスのエミール・コールが『ファンタスマゴリー』を公開しておって日本は世界で3番目。実に立派、ラッパ、クッパ、デッパでごじゃります♪

もっともこの下川凹天以外に、国内では同じ1917年に幸内純一『塙凹内名刀(なまくら刀)』、北山清太郎『猿蟹合戦』も相次いで公開されていて、日本史上初のアニメはこの3名を指すらしい。

3人とも絵描きや漫画家が本職で、それぞれ独学で研究して創っとったようや。

昔は印刷された背景をもとに、それぞれキャラクターを1枚、1枚、絵の具で塗りつぶしていったっちゅうから大変な労力やわな。おかげでこの下川さんは作画の時の透写台の強い光で目をヤラれ、それでアニメを断念したそうな。労災認定第一号にしてあげたいようなご尽やった。

いっぽうの幸内純一さんも下川さんと同じ漫画家出身で政治漫画や風刺漫画を得意としてたらしい。資金不足で会社は潰れたが、自ら会社を興してまでして、日本初のトーキー作品「ちょん切れ蛇」を1930年に発表しておる。蛙が主人公のシニカルなアニメっちゅうことやから、このことをゆうとったんかな。

日本最初の漫画とも言われる鳥獣戯画も擬人的なカエルが描かれてるから、何かの因縁かも知れんな。

この幸内のお弟子さんが、かの有名な大藤信郎で、カラーセロファンを使った影絵アニメで当時のカンヌ映画祭短編部門で第二位を受賞しておる。日本で最も権威のあるアニメの賞を「大藤賞」と言うが、彼の名が由来らしい。そいでもってこの賞の最初の受賞者は手塚治虫やったそうな。

最後に北山清太郎は、切り抜いたキャラクターを背景の上に置いて撮影する、今日のセルアニメの原型のような手法で作品を発表したそうな。描いたキャラの描線をハサミで丁寧に切り取ってから合成するので、当時はアニメは「動画」ではなく「線画」と呼ばれておったらしい。

やがて昭和に入り、政岡憲三率いる「政岡映画製作所」が京都に出来て、いよいよ日本のアニメ業界がセルアニメの時代に突入するんやな。

代表作の『くもとちゅうりっぷ』は平和を願う情緒的な作品で、当時の軍部からクレームがつき上映中止になったらしいが、この作品が描いた精神~良心的なテーマを世界に発信したことは、今日の日本アニメの精神的ルーツとも言うべき記念碑的作品やったといえるな。

皮肉なことに、政岡の下でアニメを学んだ瀬尾光世が、昭和18年、海軍の依頼を受けて制作した日本初の長編漫画映画『桃太郎の海鷲』引き続き、戦意高揚アニメ『桃太郎 海の神兵』(白黒74分/昭和20年4月公開)している。

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制作費27万円は、現在やと4億円ぐらいに相当する巨費やそうで、100名近い人員を投じて制作されたっちゅうからスゴイな。(この映画は松竹からビデオ化もされてるので今日でも見ることが出来る。)

それでも敗戦直前の当時の日本では、観客などパラパラで興行は大失敗やったそうな。
手塚治虫は大阪の松竹座で、封切り初日に勤労動員を休んで見たらしい。

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戦意高揚の名目の制作でも、アニメータが必死に知恵を絞って、平和への願いを作品中に暗示させたシーン(瀬尾は戦時中、軍部が回収した「ファンタジア」を見ていて子供らに夢を与えたかったらしい)が数々あり、手塚を大いに感激させたらしい。

後にテレビアニメ『ジャングル大帝』で、動物たちに言葉を教える「アイウエオの歌」が、この作品をオマージュしたものらしいちゅうのんは有名。

最後に余談やが、2007年7月(つい最近じゃ)に大阪の骨董市で堺市の映像文化史家の松本夏樹が映写機と共に紙製の箱に入ったフィルムを購入した際、『塙凹内名刀之巻(なまくら刀)』と北山清太郎の『浦島太郎』(1918年公開)のフィルムを発見。

直ちにデジタル復元作業が試みられ、現在、東京国立近代美術館フィルムセンター展示室の常設で映像を見ることができるらしい。ようやく最古のアニメが日本でも見れるようになったっちゅうことやな。

もっともYouTubeでも公開されているらしいが…。

http://www.youtube.com/watch?v=nlC0_gh0FpE&feature=related

ヽ(^▽^@)ノ ほにゃバイバイ♪





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Last updated  2012.01.16 22:59:24
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