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美味しい本格的なステーキを食べたくて、色々レストランや肉屋を回りましたが、美味しいところはどこも高いのが難点です。<肉屋>で探しましたが、近江牛や神戸牛のA4クラスになると安いところでもロースのサーロインで100g@1600円はします。ロースのステーキ切り落としを@1300円前後で売っている肉屋もありますが、肉の厚みが7-8mmしかなく、単なる焼肉と同じで、ステーキらしい味を楽しめませんでした。<レストラン>になると150gのステーキで6000-8000円はします。先日神戸三宮のステーキ専門に行くと何とインバウンド価格で30,000-40,000円になっており、とても手が出ずにやむなくステーキではなく焼肉にしましたが、それでも一人10,000円になってしまいました。また、ロイヤルホストでカンザス牛厚切りステーキ150gを食べると結構美味しいですが、3,700円くらいです。このようなバカげた価格に苦々しい想いでおりましたが、先日友人から偶然、安くて美味しい肉屋が神戸にあると紹介され、疑心暗鬼で訪問して買ったところ、税別価格で和牛上のロースサーロインが100g1,150円、ヘレが1,970円、カレー用が450円とかなり安く、非常に美味しかったので、その後、2か月のうちに3回も買うようになりました。前置きが長くなりましたが、それほどステーキ肉で安くて美味しいところがないということを言いたかったのです。見つけた肉屋は「山垣畜産」と言い、昭和レトロ風の肉屋さんで、神戸市北区の自営牧場に1000頭の和牛を育てて直販しています。直営店舗は神戸市北区の本店、西宮アクタ東店、伊丹ファーママーケット店の3店舗で、冷凍肉のネット通販もしているので、詳しくはネットで調べて下さい。和牛以外にコロッケ10個730円、ミンチカツ7個740円もあり、これも非常に美味しくて評判です。私は特定の商品や企業の宣伝のためにブログを投稿しているわけではありませんが、皆さんに役立つ情報なら正確性、客観性を重視して共有したいと考えています。気を付けていただきたいのは、ステーキ肉を買う場合、100g単位の価格表示になっていますが、肉屋なのでスライスしたバラ肉ではなく、牛肉のブロックを注文を受けてから切ってくれます。ステーキ肉の場合、美味しく食べるには厚さ1.5cmが最適ですので、厚味を指定して切ってもらうため、例えば300gと注文しても380gになったり、分量の誤差が20-30%出ることです。焼くのはガスコンロで厚さ5mm以上の鉄板か、無ければ厚味のあるすき焼鍋か重たいフライパンで強火にして表面を1分ほど焦がして裏返しでさらに30秒-1分焼くのがベストです。専門書には焼いてからアルミホイルで肉を包んで1-2分包むのがお薦めとも書かれていましたが、面倒くさいので、そのまま食べています。以前、電気コンロで焼肉をしていましたが、高熱にならないので特に肉は全く美味しさがちがいます。ましてや電化厨房で調理するのは最低です。ともかく、ステーキを電気で焼くのは絶対やめましょう。なお、厚切りのロースステーキはカルビの焼肉より100倍くらい美味しいです。厚さ1.5cm(焼くと1cm強になります)指定でブロックを切ってもらったので、5/16に買った時はロースが363g、ヘレが182gになりました。コロッケです。写真を撮らなかったのでHPから画像を借用しましたが、現物はこの写真通りです。店頭では生と冷凍の2種類が販売されています。ミンチカツです。写真を撮らなかったのでHPから画像を借用しましたが、現物はこの写真通りです。店頭では生と冷凍の2種類が販売されています。山垣畜産でロース/ヘレをステーキにして食べるようになって、最初は南部鉄の丸いスキ焼鍋で焼いていました。しかし、食材を沢山載せられないのと周辺が深くて食材が取りにくいので、この鉄板をアマゾンで買いました。33cmX28cmX厚さ0.6cmで6,930円でした。余りサイズが大きいとガスコンロの火が万遍に回らないのでちょうどよかったです。ガスコンロとの大きさの関係はこんな感じです。鉄板の厚みは6mmとは言え、熱伝導や熱持ちもよく、扱いやすい重さとのバランスを考えると6mmで充分かと思います。形状が四角いと沢山食材が焼けて助かります。よく食べる大人3人くらいまではこれで十分です。強火にして塩と黒コショウで味付けし、1分くらいで一気に焦げるまで焼きます。上下面だけ焼いて、横の切口面は赤みが残っていても焼かないほうが、ミディアムレアのようになり美味しく食べられます。最高に美味しかったです。肉の旨味が上下面の香ばしい焦げ目に閉じ込められている感じです。濃厚ソースでも焼肉タレのどちらでも合うと思います。鉄板で焼くと、手作りのハンバーグやタマネギ、キャベツも美味しいように感じます。ぜひお試しください。何度も言いますが、電気コンロ/プレートでは徐々に焦がしているだけで食材を一気に焼いていないことを痛感しました。だからこそ、徐々に焼き上げるホットケーキ、お好み焼き、焼きそばなどには向いているんでしょうね。使い分けが肝心と気づきました。HPによるとネット通販でも販売しています。税込み送料込みで600g 10,000円なので、店頭価格に比べ送料1200円として1,100円くらい手数料が掛かっている計算です。冷凍肉は焼く前に必ず常温で戻して肉の中を柔らかくしてくださいね。HPによるとネット通販でも販売しています。税込み送料込みで360g 10,000円なので、店頭価格に比べ送料1200円として1,100円くらい手数料が掛かっている計算です。冷凍肉は焼く前に必ず常温で戻して肉の中を柔らかくしてくださいね。GOOD LUCK!
2024.05.19
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人生をどのように豊かに過ごすか。これは自分の知っている範囲のことで何をしようかと考えるのではなく、むしろ自分でも意外と思えるような未知の分野で考えるほうがいいかも知れません。色々な方々と接するうちにそう考えるようになりました。そんなわけで、その第一弾。歌舞伎に挑戦してみました。最近はスーパー歌舞伎のような入りやすい演目が増えているうえ、沢山の歌舞伎俳優が一般のドラマなどに出演されて歌舞伎も随分身近になっています。今回、観劇したのは、京都南座の「歌舞伎鑑賞教室」で、歌舞伎の基本知識や楽しみ方を学ぶプログラムです。前半で解説、後半で短編の「京人形」という演目の鑑賞という二部構成です。公演は9日間で毎日11時と14時開演の1時間半です。座席は予約時に指定できますので、早めにネットで調べて予約しましょう。電話でも相談可能です。一部の解説には元OSKの男役スターであった桜花昇ぼる(おうか のぼる)さんが加わり、男のみで演じる歌舞伎と女のみで演じる歌劇とを対比させながら、歌劇での男役と歌舞伎での女形の各々の表現方法を学んだり、歌舞伎の見得(みえ)やツケ(拍子木音)、太鼓や専用具による効果音の解説や観客の壇上体験などがありました。歌舞伎の歴史を振り返ると、400年ほど前の慶長3年に出雲の国の阿国が始めた「かぶき踊り」が起源でその時は女性が男装をして踊ったそうです。では、なぜ今は男性だけで演じるようになったのか?皆さん、不思議に思いませんか。実は江戸幕府によって、風紀が乱れると「女歌舞伎」が禁止され、その後の美少年による「若衆歌舞伎」も禁止されて。結局現行の「野郎歌舞伎」に転化したようです。なるほど・・。解説を聞いて上で、二部の京人形という演目を観ましたが、あらすじも冊子に紹介されているので、舞や浄瑠璃の演奏、効果音、ツケ、見得、大向こうの声なども見極めながら、じっくり鑑賞することができました。あとは相撲観戦と同じで、実際に足を運んで時代の雰囲気を楽しみながら知識を深めていくと面白さが増してくるように感じました。皆さんも一度、だまされたと思って鑑賞されることをお勧めします。非日常体験としては手頃です。南座は阪急試乗河原町駅から、四条大橋を渡って西に歩いて15分ほどです。インバウンドの観客も多かったです。イヤホンを付けて壇上体験をする方もいて、結構楽しんでいました。ネットで予約、コンビニでチケットを引取りました。京人形の演目は、東照宮の眠り猫を彫った左甚五郎が、色町の大夫に惚れて、原寸大の人形を彫って自宅の置いていたところ、魂が乗り移って、最初は男性のような振舞いだったのが、大夫の手鏡を持つと女性らしくしなやかに色気を出して動き出すという物語です。立ち(男役)と女形の違いを観れます。女性が多かったですが、男性3人連れも。インバウンドの団体客は後方の席でした。花道の横には桟敷席があります。椅子席とは違う雰囲気でよさそうでした。公演中は撮影、録音禁止ですが、ちゃんと撮影タイムを設けてポーズを取ってくれるのが今風です。側面の座席でも不自由はないと感じました。予約順で正面席も取れます。男が演じる歌舞伎と女が演じる歌劇の対比はとても興味深かったです。堅苦しい授業の雰囲気でないのがいいです。女形と立ち(男役)の表現方法の違いを絡みの寸劇で分かりやすく教えてくれました。一部と二部の間に20分の休憩があり、売店で歌舞伎グッズや菓子類のお土産を買うことができます。折角の機会ですので、生八つ橋の一口単品を買いました。公演中は飲食はできないので、休憩中に早速、食べたところ、雰囲気も手伝ってか、中々美味しかったです。ロビーには歌舞伎関連品の展示もあります。Next your turn!次はあなたの出番です!
2024.05.12
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VAN Jacketは私より少し年上の団塊の世代の方々が青春時代に影響を受けられたと思いますが、私たちの1950年代生まれの若者にも依然、強い影響を持ち続け、次第にJUNのようなヨーロッピアンテイストやパンクファッションに移行していくのでした。創始者の石津謙介さん(2005年5月ご逝去)やご長男の石津祥介さん(2023年11月ご逝去)とは40代になって、仕事の関係でカジュアルファッションブランド On Friday を立ち上げる時に監修者として大変ご支援いただき、青山の事務所や行き付けのレストラン、素敵なお庭のあるご自宅にお邪魔したほか、人事採用関係でVANOBのエージェントの方々と交流させていただいたことがあり、人生の中で大きな影響を受けました。石津謙介さんと深い交流を持ち、影響を受けて現在各方面で活躍されている方々はOB、OG、ファッション業界のほか、枚挙に暇がありません。ユニクロ、ビームス、ユナイテッドアローズなどもVANを源流にしています。皆さんもそれぞれの時期に色々な形で影響を受けられたと思います。関連する写真で思い思いに当時を偲んでいただければ嬉しいです。余りにも有名な雑誌ポパイのVAN特集号。これは1978年にVANが放漫経営で倒産後、翌年に開催された「石津謙介を励ます会」に呼応して企画されたもので、その後、第二次アイビーブームのきっかけになります。石津謙介さんのお人柄や文化として定着したVANの社会的影響力の大きさを示していると思います。当時アイビーを支えたのは、メンクラ、平凡パンチ、ポパイの3誌で、あとで花房孝典さんが率いるホットドックエキスプレスが数々のVAN特集を組んで加わり、第二次、第三次ブームを巻き起こしました。VANは60年代のファッションを越えた社会現象だったように思います。アイビーの指南書として増刷が繰返されたあまりにも有名な名著です。1965年に石津祥介さん、くろすとしゆきさんがアメリカ東部のアイビーリーグ8大学(ブラウン、コーネル、コロンビア、ダートマス、ハーバート、プリンストン、ペンシルバニア、イェール)に現地取材した労作ですが、最初は増刷もされずに絶版になり、数十年後にアメリカで売れて、日本に還流し、復刻版が出版されたという事実はあまり知られていません。英訳本がアマゾンで売られ、Wikiも英語版があるくらいです。子供時代にはズボンとシャツと運動靴しかなかったところに、綿パン、チノパン、バミューダ、トレーナー、パーカー、スイングトップ、デッキシューズ、バッフルコート、ローファー、バスケットシューズなど、見慣れないファッションが聞きなれない言葉とともに登場した訳ですから、当時の若者に相当のインパクトがあったのも頷けます。「スニーカー」という名称でVANが従来の運動靴の3倍の価格で発売しようとして、運動靴メーカーは絶対売れないと反対したらしいですが、すぐに完売したそうです。その意味でアイビーはロックンロールと同じでした。VANの紙袋を抱えて、アイビールックで闊歩する「みゆき族」の登場風景です。当初「不良の着る服」として石津謙介さんが警視庁に呼び出しを受けたほどでした。先日、TVでテリー伊藤さんが「自分もみゆき族だった」と懐かしそうに語っていました。今や公私立の高校の制服の多くがブレザーとタターンチェックやストライプのスカートになっているんですから、石津さんの目論見は見事に定着開花したと言えるでしょう。VANとともに忘れられないのが平凡パンチ。大橋歩さん(メンズクラブの挿絵を書いたご縁で採用)のデザイン表紙もインパクトがありました。クルマとファッションと音楽と女の子、男性の興味をそそる禁断の果実が一杯詰まったパンドラの箱が開け放されたのです。私も中学生ながら近所の本屋で立ち読みしていて、よくお店のお姉さんに注意されました。高校生になってからプレイボーイ誌と一緒に買う時も、わざわざ値段表示のある裏向けにしてレジで渡すのに、必ず表を向けて袋に入れる意地悪なお姉さんでした。ガレージの壁にも平凡パンチの表紙を額装して偲んでいます。これを見て、ニヤッとする方も多いと思います。当時から木箱入りの大工工具セットは売っていましたが、このアメリカ文化直輸入の懸賞広告賞品に人気が沸騰するとはVANのマーケティング担当者も予想していなかったでしょう。岡山出身の石津謙介さんは大阪で高級紳士服の製造販売に成功し、ほどなく東京の青山に進出します。国道246(青山通り)と外苑西通りの交差点角に本社ビルがあり、ほどなく若者文化のメッカになりました。社員以外も出入り自由で、マイク真木、ミッキーカーチス、学生時代のワイルドワンズ加瀬邦彦、鳥塚しげきなどのほか、三宅一生、コシノジュンコなどファッションリーダーも通い、その後のコムデギャルソン、メンズビギ、ニコル、ヨウジヤマモトなどのDCブランドの発信地になります。すごいと思います。写真はアイビーの教祖を意識したポーズで強面ですが、日常では「仕事の遊び化」を唱え、個人の自由な創造性を重んじる社風を強調されていたようです。今なら「人的資本経営」の先駆と称えられるでしょう。石津さんは経営者としては不向きだったかも知れませんが、想像力豊かなカリスママーケッターだったと思います。一時アップルを追われたスティーブ・ジョブスに似ていませんか?今、日本の中で一番欠けている人材です。晩年にお付き合いさせていただいた石津謙介さんは非常に魅力的で博学な方でしたが、できれば30-40代の頃にお会いしたかったです。倒産の話に及んだ時に、「人生で一番悲しかったことは自分と一番似ていた三男の啓介を白血病で亡くしたことで、経営にやる気をなくした。」とポツリ、仰っていました。当時行ったことはありませんが、元々本社講堂/展示場であったVAN劇場は99席しかなくて、入場料が99円で演劇、音楽公演、ダンス、能楽のほかボクシング試合まで行ったそうです。新人だった三宅一生やコシノジュンコのファッションショーも行われました。ともかく、軽いノリで自由な社風が醸成され、新しい文化の発信地になったのです。日高新冠(ニイカップ)に75,000坪の牧場VAN STATEを開設したり、アメリカ視察ツアーで幌馬車を買って帰った話など、エピソードには事欠きません。利益は社員に還元するという理念で給与水準が高かっただけでなく、あらゆる社内クラブ創設を認めるなど、創造性を高める支出を惜しみませんでした。振り返ってみれば、アイビーを普及させるという旗印の下、拡大路線を取ったのでしょうが、元々会社として大きくすべきではなかったように思います。雑誌メンズクラブの若者向け指南書として、ポパイとホットドックエクスプレスが主流になりました。次男の祐介さん(現在、航空機、神社などの写真家で活躍中)が入社して、VANスポーツ部を創設すると、スポーツファンを取り込むマーケティングに注力していきます。素晴らしいポスターの名作が続々生まれました。当時のサントリーや資生堂とも相通ずるワクワク感に満ちていました。先日、資生堂の1500人の早期退職が話題になりました。いつから日本はこのような元気をなくしてしまったんでしょうか?VANGUARDSはVANのアメリカンフットボール部で運動部出身の社員が増えて、かなりの好成績を残すまでになりました。右側のポスターが欲しくて、当時近鉄百貨店上六店にあったVAN売り場の担当に頼み込んだのを覚えています。ガレージに今も掲げているポスターです。このワッペンが欲しくて、VANショップに通ったものです。VANアイテムの日本有数のコレクターとしては、あのオモチャの北原照久さんが有名です。南青山の事務所前で愛車ハコスカGTRにサインいただきました。ご本人も嬉しそうでした。石津さんが母校明治大学で自動車部を創設されたのはあまり知られていません。壁面に飾っているのは木彫りのVANマークで、ご長男の石津祥介さんに「こんな色のマーク、ありましたっけ?」と聞いたら、「当時は思い付きを何でも形にしたんです。」と笑いながら私にプレゼントしてくれました。実は石津祥介さんは高校卒業までVAN創業の地、大阪心斎橋の北炭屋町に住んでいた関係で、大阪府立高津高校の先輩後輩でした。もっと一杯あったのですが、断捨離で好きな人にお譲りしてしまい、ご紹介できないのが残念です。紙袋欲しさに靴下を買いに行ったことを覚えています。トグルボタンの付いたあの毛布のようなダッフルコートやバックワッペンの擦り切れたスイングトップのブルゾンなどは全部処分してしまいましたが、このスタジャンだけは今も手許に残しています。当時のIVYリーダーが集まった記念写真ですが、名前分かりますか?マイク真木や生沢徹も写っています。石津さん、祥介さんや啓介さんとも再会できて、愉快にお過ごしですか。VANは永遠です。沢山の人々の心の中で生き続けています。あとで行きますので、また楽しいお話をしましょうネ。
2024.04.30
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