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別稿「買わなかった2台の名車」のトヨタ2000GTやアルピーヌA110ほど、長期に亘って悩む続け、Reborn Modelまで追いかけました訳ではありませんが、それでも結構「欲しい、買いたい」と悩んだ名車も数多くあります。今回は「買わなかった名車」の続編を書いてみます。1. フェラーリ ディノ240gtディーノ・・・沢山のフェラーリファンを悩ました名車ではないでしょうか。エンツオ・フェラーリが夭折した息子の名前を冠したとか、ピリンファリーナに在籍していた天才フィオラバンティ―の最初の作品だとか、興味をそそる逸話に事欠きません。日本でもヒゲの作家 故保富康午さんの遺族から寄贈され、長くフェラーリ博物館に展示してあったディーノ240gtを閉館に際して松田芳穂オーナーからレーサーの太田哲也さんが譲ってもらった逸話があります。太田さんはその後、1998年のFISCOでの全日本GT選手権レースで重篤の火傷を負い、レストアが中断していましたが、10年の歳月を経て完成したことが話題になりました。非常にインパクトのある美しいデザインです。ずっと気になっていましたが、昔、湘南海岸の材木座にあったベルリネッタ・モータースで偶然観た個体の仕上がりの綺麗さに感動して、故 宇津喜代表と交渉し、試走させてもらいました。ところが、途中でドアが閉まらなくなったり、ワイパーが動かないなど、トラブルが続発し、思わず「サーキットの狼」の池沢早人師さんのクルマ遍歴書に出ていた「トラブル続きでドライブに行っても無事に帰れないことが何度かあって、泣く泣く手放した。」という一節が浮かんで来て、急遽断念しました。その後もキャッスルインターナショナルの鞍代表に旧車イベントでの展示車を含め何台か見せてもらいました。写真左の完璧にレストアされたシルバーの246GTにもかなり心を動かされましたが、テスタのような現行車に比べるとかなり華奢で非力に感じたため購入に踏み切れず、代わりに同じフィオラバンティのデザインでより現代的な308GTBを買うことになったのです。初めて買ったフェラーリは308GTBQVでしたが、あのレオナルド・フィオラバンティがぴ人ファリーナに在籍して最初の作品がディーノで、本人も「自分の作品の中では一番好き」と言っています。ただ、実際にオーナーとして乗ったのは、この写真の308GTBのFRPボディで、しかも彼の持論である「エッジの効いたキャラクターラインが最も美しく映るのはシルバー系」と言う通り、ロッソコルサは選択していませn。この308GTBの実車は日本人が本人から直接譲り受けて、日本にあるようです。2016年のフィオラバンティ来日に合わせて開催された名古屋でのイベントでも展示されていました。2. ランボルギーニ・ミウラ2024/3/13に惜しくも鬼才マルチェロ・ガンディーニは亡くなりましたが、彼のデザインしたクルマの中ではカウンタックやストラトスのような直線でエッジの効いたデザインよりも、ふくよかで女性的な曲線を織り込んだミウラが好きでした。ミウラで最初の衝撃を受けたのは、ナタリードロン(アランドロンの元妻)主演の1968年のフランス映画「個人授業」でした。この映画の中でナタリーのレーシングドライバーであるご主人が乗っていたのがミウラSVであまりのカッコよさにしびれてしまいました。映画のポスターでは黄色く見えますが、オレンジ色でインパクトがありました。今も、そのオレンジ色のミウラSVのミニカーを手許に置いて楽しんでいますが、20年ほど前に購入を真剣に検討する機会がありました。それは512BBのエンジンOHをお願いしていた川崎のきくちエンジニアリングで、菊地代表から作業中の別エンジンに関して「何のエンジンか、分かりますか?」と聞かれて、横置きV12だったので即座にミウラと答えました。それを契機にクラッチの重さに耐えかねて次のオーナーを探しているという商談が飛び込んできて、OH後に乗せてもらいましたが、急な話で資金面で苦しかったことに加え、ステアリングが膝に当たる窮屈さと耳元のエンジン音、WEBERトリプルの吸気音の凄まじさに躊躇し、結局購入を断念しました。そのまま512BBを乗っていて大変な出費を強いられましたが、仮に512BBを引き取ってもらってミウラに乗換えていたら、それも地獄だったと思います。512BBはまだ各種イベントに自走で参加していますが、ミウラはその後も公道を走っているのを見たことがありませんので(笑)。3. ACシェルビーコブラ427 レプリカオリジナルはとても手が出ないので、元々レプリカ前提で憧れていましたが、2000年にとしまえんで開催されたCGデーに展示されていたスーパーフォマンス社のレプリカが気に入って、Back Draft社など他社モデルとも比較しながら、購入を検討しました。実際乗ってみると、1t未満のボディを7LのV8で引っ張るわけですから想像通り、暴力的加速で迫力満点でしたが、アメ車特有の直進ONLYのトラクションで、荒れた路面では飛び跳ねていて、路面の轍にハンドルを取られるのは気になりました。また、ほとんど雨天を想定していない仕様であるため、トノカバーを付けて我慢するのが現実的と思える点が決断のブレーキになりました。4. シェルビーマスタングGT350R レプリカこれもオリジナルはとても手が出ないので、元々レプリカ前提で憧れていましたが、約25年前に神奈川県足柄のマルホランドオートがレプリカをアメリカから4-5台輸入したことを知って、訪問したところ、すでに完売していましたが、鯵坂代表から「いずれ戻ってくる個体もあるからその時は連絡する。」と言われました。それから約3年後、突然連絡があり、販売車を試乗することができました。レプリカとは言え、かなり忠実な作りで想像以上にスパルタンでした。5点シートベルトを付けて10Kmほど走りましたが、回転を上げるとサイドマフラーからドロドロというアメ車特有のエクゾーストサウンドが響き渡り、ものすごい迫力でした。ただ、サスペンションは固いばかりでロードホールディングは最悪、スピードを出すと簡易舗装路を跳ねまわるので怖いほどでした。価格は350万円とかなり譲歩いただきましたが、余りにスパルタンで日常的には走れないことが分かり、結局1週間後にお断りの返事をしました。昔の数少ない資料や写真を探して、今後も更新しますので、よろしくお願いいたします。
2024.05.27
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美味しい本格的なステーキを食べたくて、色々レストランや肉屋を回りましたが、美味しいところはどこも高いのが難点です。<肉屋>で探しましたが、近江牛や神戸牛のA4クラスになると安いところでもロースのサーロインで100g@1600円はします。ロースのステーキ切り落としを@1300円前後で売っている肉屋もありますが、肉の厚みが7-8mmしかなく、単なる焼肉と同じで、ステーキらしい味を楽しめませんでした。<レストラン>になると150gのステーキで6000-8000円はします。先日神戸三宮のステーキ専門に行くと何とインバウンド価格で30,000-40,000円になっており、とても手が出ずにやむなくステーキではなく焼肉にしましたが、それでも一人10,000円になってしまいました。また、ロイヤルホストでカンザス牛厚切りステーキ150gを食べると結構美味しいですが、3,700円くらいです。このようなバカげた価格に苦々しい想いでおりましたが、先日友人から偶然、安くて美味しい肉屋が神戸にあると紹介され、疑心暗鬼で訪問して買ったところ、税別価格で和牛上のロースサーロインが100g1,150円、ヘレが1,970円、カレー用が450円とかなり安く、非常に美味しかったので、その後、2か月のうちに3回も買うようになりました。前置きが長くなりましたが、それほどステーキ肉で安くて美味しいところがないということを言いたかったのです。見つけた肉屋は「山垣畜産」と言い、昭和レトロ風の肉屋さんで、神戸市北区の自営牧場に1000頭の和牛を育てて直販しています。直営店舗は神戸市北区の本店、西宮アクタ東店、伊丹ファーママーケット店の3店舗で、冷凍肉のネット通販もしているので、詳しくはネットで調べて下さい。和牛以外にコロッケ10個730円、ミンチカツ7個740円もあり、これも非常に美味しくて評判です。私は特定の商品や企業の宣伝のためにブログを投稿しているわけではありませんが、皆さんに役立つ情報なら正確性、客観性を重視して共有したいと考えています。気を付けていただきたいのは、ステーキ肉を買う場合、100g単位の価格表示になっていますが、肉屋なのでスライスしたバラ肉ではなく、牛肉のブロックを注文を受けてから切ってくれます。ステーキ肉の場合、美味しく食べるには厚さ1.5cmが最適ですので、厚味を指定して切ってもらうため、例えば300gと注文しても380gになったり、分量の誤差が20-30%出ることです。焼くのはガスコンロで厚さ5mm以上の鉄板か、無ければ厚味のあるすき焼鍋か重たいフライパンで強火にして表面を1分ほど焦がして裏返しでさらに30秒-1分焼くのがベストです。専門書には焼いてからアルミホイルで肉を包んで1-2分包むのがお薦めとも書かれていましたが、面倒くさいので、そのまま食べています。以前、電気コンロで焼肉をしていましたが、高熱にならないので特に肉は全く美味しさがちがいます。ましてや電化厨房で調理するのは最低です。ともかく、ステーキを電気で焼くのは絶対やめましょう。なお、厚切りのロースステーキはカルビの焼肉より100倍くらい美味しいです。厚さ1.5cm(焼くと1cm強になります)指定でブロックを切ってもらったので、5/16に買った時はロースが363g、ヘレが182gになりました。コロッケです。写真を撮らなかったのでHPから画像を借用しましたが、現物はこの写真通りです。店頭では生と冷凍の2種類が販売されています。ミンチカツです。写真を撮らなかったのでHPから画像を借用しましたが、現物はこの写真通りです。店頭では生と冷凍の2種類が販売されています。山垣畜産でロース/ヘレをステーキにして食べるようになって、最初は南部鉄の丸いスキ焼鍋で焼いていました。しかし、食材を沢山載せられないのと周辺が深くて食材が取りにくいので、この鉄板をアマゾンで買いました。33cmX28cmX厚さ0.6cmで6,930円でした。余りサイズが大きいとガスコンロの火が万遍に回らないのでちょうどよかったです。ガスコンロとの大きさの関係はこんな感じです。鉄板の厚みは6mmとは言え、熱伝導や熱持ちもよく、扱いやすい重さとのバランスを考えると6mmで充分かと思います。形状が四角いと沢山食材が焼けて助かります。よく食べる大人3人くらいまではこれで十分です。強火にして塩と黒コショウで味付けし、1分くらいで一気に焦げるまで焼きます。上下面だけ焼いて、横の切口面は赤みが残っていても焼かないほうが、ミディアムレアのようになり美味しく食べられます。最高に美味しかったです。肉の旨味が上下面の香ばしい焦げ目に閉じ込められている感じです。濃厚ソースでも焼肉タレのどちらでも合うと思います。鉄板で焼くと、手作りのハンバーグやタマネギ、キャベツも美味しいように感じます。ぜひお試しください。何度も言いますが、電気コンロ/プレートでは徐々に焦がしているだけで食材を一気に焼いていないことを痛感しました。だからこそ、徐々に焼き上げるホットケーキ、お好み焼き、焼きそばなどには向いているんでしょうね。使い分けが肝心と気づきました。HPによるとネット通販でも販売しています。税込み送料込みで600g 10,000円なので、店頭価格に比べ送料1200円として1,100円くらい手数料が掛かっている計算です。冷凍肉は焼く前に必ず常温で戻して肉の中を柔らかくしてくださいね。HPによるとネット通販でも販売しています。税込み送料込みで360g 10,000円なので、店頭価格に比べ送料1200円として1,100円くらい手数料が掛かっている計算です。冷凍肉は焼く前に必ず常温で戻して肉の中を柔らかくしてくださいね。GOOD LUCK!
2024.05.19
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人生をどのように豊かに過ごすか。これは自分の知っている範囲のことで何をしようかと考えるのではなく、むしろ自分でも意外と思えるような未知の分野で考えるほうがいいかも知れません。色々な方々と接するうちにそう考えるようになりました。そんなわけで、その第一弾。歌舞伎に挑戦してみました。最近はスーパー歌舞伎のような入りやすい演目が増えているうえ、沢山の歌舞伎俳優が一般のドラマなどに出演されて歌舞伎も随分身近になっています。今回、観劇したのは、京都南座の「歌舞伎鑑賞教室」で、歌舞伎の基本知識や楽しみ方を学ぶプログラムです。前半で解説、後半で短編の「京人形」という演目の鑑賞という二部構成です。公演は9日間で毎日11時と14時開演の1時間半です。座席は予約時に指定できますので、早めにネットで調べて予約しましょう。電話でも相談可能です。一部の解説には元OSKの男役スターであった桜花昇ぼる(おうか のぼる)さんが加わり、男のみで演じる歌舞伎と女のみで演じる歌劇とを対比させながら、歌劇での男役と歌舞伎での女形の各々の表現方法を学んだり、歌舞伎の見得(みえ)やツケ(拍子木音)、太鼓や専用具による効果音の解説や観客の壇上体験などがありました。歌舞伎の歴史を振り返ると、400年ほど前の慶長3年に出雲の国の阿国が始めた「かぶき踊り」が起源でその時は女性が男装をして踊ったそうです。では、なぜ今は男性だけで演じるようになったのか?皆さん、不思議に思いませんか。実は江戸幕府によって、風紀が乱れると「女歌舞伎」が禁止され、その後の美少年による「若衆歌舞伎」も禁止されて。結局現行の「野郎歌舞伎」に転化したようです。なるほど・・。解説を聞いて上で、二部の京人形という演目を観ましたが、あらすじも冊子に紹介されているので、舞や浄瑠璃の演奏、効果音、ツケ、見得、大向こうの声なども見極めながら、じっくり鑑賞することができました。あとは相撲観戦と同じで、実際に足を運んで時代の雰囲気を楽しみながら知識を深めていくと面白さが増してくるように感じました。皆さんも一度、だまされたと思って鑑賞されることをお勧めします。非日常体験としては手頃です。南座は阪急試乗河原町駅から、四条大橋を渡って西に歩いて15分ほどです。インバウンドの観客も多かったです。イヤホンを付けて壇上体験をする方もいて、結構楽しんでいました。ネットで予約、コンビニでチケットを引取りました。京人形の演目は、東照宮の眠り猫を彫った左甚五郎が、色町の大夫に惚れて、原寸大の人形を彫って自宅の置いていたところ、魂が乗り移って、最初は男性のような振舞いだったのが、大夫の手鏡を持つと女性らしくしなやかに色気を出して動き出すという物語です。立ち(男役)と女形の違いを観れます。女性が多かったですが、男性3人連れも。インバウンドの団体客は後方の席でした。花道の横には桟敷席があります。椅子席とは違う雰囲気でよさそうでした。公演中は撮影、録音禁止ですが、ちゃんと撮影タイムを設けてポーズを取ってくれるのが今風です。側面の座席でも不自由はないと感じました。予約順で正面席も取れます。男が演じる歌舞伎と女が演じる歌劇の対比はとても興味深かったです。堅苦しい授業の雰囲気でないのがいいです。女形と立ち(男役)の表現方法の違いを絡みの寸劇で分かりやすく教えてくれました。一部と二部の間に20分の休憩があり、売店で歌舞伎グッズや菓子類のお土産を買うことができます。折角の機会ですので、生八つ橋の一口単品を買いました。公演中は飲食はできないので、休憩中に早速、食べたところ、雰囲気も手伝ってか、中々美味しかったです。ロビーには歌舞伎関連品の展示もあります。Next your turn!次はあなたの出番です!
2024.05.12
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バラは奥が深くて、世話をすればするだけ綺麗に咲くように感じます。近所にも非常にバラの栽培がお上手な方がおられて、色々ご教示いただきましが、マメに世話をしだすと切りがないので、要点を絞って余り手間を掛けない範囲で楽しんでいます。品種のこともよく分かっていませんし、ツルのはわせ方もまだまだです。私なりの手抜きながらも外せない要点です。1.土質の改善 黒土と牛糞、腐葉土を混ぜた土を年2回、鋤入れしています。2.元肥と追肥 窒素、リン酸、カリ、マグネシウムの有機質肥料と油粕を年2回与えています。 また、5月の開花を狙って、4月初めにハイポネックスを希釈して根元に十分散布しています。 つぼみが出てくれば、肥料を与えないようにします。3.薬剤の散布 特に黒点病、ウドンコ病に注意し、症状の出た葉はドンドン早めに摘んでいます。 年2回、6月と8月ころにベニカXやオルトランを希釈して噴霧器で散布しています。4.剪定 開花が終われば、放置せずにすぐに花の二節くらい下で剪定するようにしています。 茶色づいてきた古い枝も切り取って、新しい枝が出るようにします。大きな目安としては、冬に落葉させない、葉が黄色くなれば注意信号として追肥や水やりを十分するようにしています。毎年、5月の開花を夢見て、手抜きとは言え、それなりの準備が肝心です。黒土3: 牛ふん3: 腐葉土1の割合で混ぜています。単に上から蒔くだけでなく、しっかり鋤入れして散水します。多少の根切れは気にしていません。有機質肥料は住友化学の定番品のみで特別なものは使っていません。「ばら」の名が付いただけで値段が高くなるように感じますので、チッソ、リン酸、カリ、マグネシウムが含まれている肥料であれば、何でもいいと思います。消毒は負圧ポンプがお薦め。左は4L肩掛け用、右が2Lハンディ用でモノタロウで買いました。各1,000円強、500円強と格安で、植木専門店は何でも高すぎるように思います。4L肩掛け用は6月や8月などの定期一斉散布に使い、2Lハンディ用はうどんこ病などの兆候が見えた時に随時、部分的に噴霧して重宝しています。写真右の赤いボトル品や下の写真の青い「バラ」用ボトル品は成分が同じ住友化学のベニカXなので、小箱販売のベニカX乳液を水で薄めて噴霧器で散布するほうがはるかに経済的です。したがって、予備でボトルも手許には残していますが、殆ど使っていません。黒点病とうどん粉病対策が主なので、ベニカXを主に希釈して噴霧しています。アブラムシなどの害虫駆除は見つけた時だけオルトランを希釈して散布しています。噴霧は1回吹いて乾いてきたところでもう一度吹くと薬剤が濃く定着していいように思います。あとは雨が降ると流れてしますので、4-5日ごとに計3-4回噴霧すると充分と感じます。いつもは6月と8月に消毒していましたが、2024年は暑くなるのが早く、一部の葉に黒星が出てきたので5/22に1回目の噴霧をしました。開花は人間の出産と同じで大きな負担。花弁がしおれてきたら放置せずにすぐに花弁のかなり下からカットするようにしています。追肥とともに来年に余力を残してあげます。花ガラだけでなく、青い葉であっても周辺部分を思い切って剪定しています。少しでも茶色くなってきた古い枝も早めに剪定しています。そして、今年も満開になりました。ドライフラワーは咲き切らないうちにカットして少しでも早く水分を抜くのがコツです。シリカゲルで1週間かける方法もありますが、面倒です。ドライヤーで変色していないか、花弁が広がっていないかを注意深く観察しながら、やさしく徐々に加熱して2-3時間くらいで乾燥させるとうまくいきます。ケースは両面黒の厚紙をモノタロウで買って自作しました。手土産代わりに持参すると、小さくてもかなり喜んでもらえます。現在、透明のクリアラッカーを塗布してガラス細工のようにできないか、試行錯誤中です。今後、投稿を充実させていきますので、よろしくお願いいたします。
2024.05.09
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正統派のクラシックポルシェ愛好家の邸宅にお邪魔しました。お住まいには5台の車庫がありますが、全てコレクション用に充てて、日常の足は別の駐車場を使っておられるという生粋のポルシェパラノイアです。何度も雑誌に取り上げられた有名人なので、ご存知の方も多いでしょう。少年時代から御父上の親友だったポルシェクラブ会長から大きな影響を受け、元々は997カレラに乗っておられましたが、疾走する73カレラRSの後ろ姿に娘さんから檄を飛ばされ、何と今はミツワから国内販売された73カレラRS 13台のうちの第1号車と第2号車をお持ちです。さらにクラシックポルシェを保有することは歴史を引き継ぐことだという確固たる信念の下、67年911S、58年の365スピードスター、52年の365プリAと歴史的価値の高いコレクションを揃えておられます。厳しいお仕事に長年従事されてきたにも関わらず、気さくでとても親しみやすい方ですが、ポルシェのスポーツカーとしてのエレガンスと日常の使用に耐える上質感を大切にされ、その点に関しての妥協はありません。ミントコンディションの73カレラRSの国内販売第1号車(右)と第2号車(左)です。当時、ミツワによって正規輸入された73カレラRSは13台で、全てツーリングモデル(M472)でした。73カレラRSはこの角度も美しく、うっとりします。見つめているうちに私も昔乗っていた73カレラRSライトウェイトバージョンを思い出して、おセンチになってしまいました。このすっきりした外観だけでオーラを発散しています。パテにまみれた安物レプリカが氾濫していますが、一目見ただけで分かります。ドア前部のチリがこんなに狭い個体を見たのも久しぶりです。あの小林彰太郎編集長の試乗レポートが懐かしいカーグラに掲載された実車そのものです。ヘッドライトレンズは上縁が透明なオリジナルレアパーツで、レンズ持病の黄ばみも全くありません。「タイヤ圧」と日本語表示の純正オリジナルラベル。初めて見ました。懐かしの8トラックプレーヤー付ラジオ。純正本体の稼働状況もさることながら、テープが伸びていない8トラックのカセットを探すだけでも大変そう。73カレラRSの国内販売第2号車は珍しい純正色アーバジン(紫)ですが、オファーを受けた時はオリジナルの2.7Lエンジンからスイスの有名なチューナーによる3.4Lのコンプリートエンジンに換装され、2.7Lエンジンは同色のアーバジンにリペイントされた同じオーナーのナロー911Eに搭載されていました。しかし、紆余曲折の末、現在は元の鞘に収まっています。この復元は相手があることなので、オーナーの情熱と努力、執念の賜物であり、ほんとに敬服します。ただ、ロールケージなど、それ以外の改造箇所はこの個体の歴史を引き継ぐ意味でそのまま保有されている点にオーナーのこだわりを感じます。居心地がよさそうなオリジナルの2.7エンジン。よくぞ、帰って来たね!こちらも日本語の「タイヤ圧」表示ラベルが残っています。67年の911Sバハマイエローと58年の356スピードスターです。73カレラRSを探しても簡単に手に入るはずもなく、オーナーは当初69年の911タルガに乗っていたそうですが、それが結果的にクラシックポルシェの事始めになりました。余談になりますが、「69年の911タルガ」と言えば、あの生沢徹がヨーロッパ転戦中に現地で購入して乗っていて、帰国後、売却したのを10年ほど前に買い戻してドイツのポルシェAGでレストアした伝説のモデルですね。私が乗り継いだポルシェは3台とも白でしたが、こうしてみると、純正色のバハマイエローやスピードスターブルーも飽きの来ない味わいがあります。67年の911Sバハマイエローも雑誌の表紙を飾ったミントコンディションのコレクションです。58年のスピードスターブルーに彩られた356スピードスター。有名な前オーナーが火災で焼失させてしまい、自分の気に入った仕様で復元した個体をそのままの姿で乗っておられます。まさに歴史を引き継いでいるクラシックポルシェです。別稿で紹介した「六甲展望台サンデーミート」にも気楽に参加されるオーナーです。カルフォルニアを思わせる素晴らしいスピードスターと気さくなオーナーの人柄がよくお似合いです。オーナーと愛車が紹介された雑誌ENGINEです。あの鈴木編集長だったころでしょうか。ENGINEに掲載された当時の52年356プリAとまだお若い頃のオーナー。中央が折れたV字型のフロントウィンドウが特徴的ですが、現在、修理入院中でお邪魔した時はお目に掛かれませんでした。オーナーが国際相場を知るために常にウォッチされている、European CollectiblesやClassic Driverなどのサイトも教えていただきました。大変、丁寧に歓待いただき、どうも有難うございました。厚かましくも、またお伺いいたします。
2024.05.07
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イタリア語堪能、生粋のイタリア通でいらっしゃる、これぞマニアの隠れ家にお邪魔しました。普段は専門性の高い仕事でご多忙にも関わらず、クルマ、バイク、自転車、ボート、ミニカー、鉄道模型、専門書籍など、幅広い趣味を存分に楽しんでおられるアクティブな方で、ここまで徹底すれば清々しい印象。「趣味はリタイアしてから」という方が一般に多いでしょうが、お話ししていて、気力、体力、集中力、行動力がみなぎっている現役時代こそ、無理に詰め込んでも楽しむべきかと考えてしまいました。特にモノを集めるだけでなく、国際的にイベント等で交流を深め、コトを深く味わっておられる姿を拝見するとそう痛感しました。皆さんはどう思われますか。これからもお付き合いできることが楽しみです。「男のオモチャ箱」と言いたくなるガレージの素晴らしい景色。Vespa以外の車名が分かる方は相当のマニアです。ここに居たら、中々出れそうにないです。356の左にあるのは、「ジャブル」という1949年頃のクラシックレーシングカーのようです。ナンバープレートが付いていることに違和感を感じるクルマはそうないですね。アメリカではありません。日本の光景とはとても思えない夢心地のガレージ。左の2台はアルファロメオ ジュリエッタSVとサーブ92のようです。ベンツやベントレーでないのが渋い。旧車で知らないことが多くて、間違っていたら、ゴメンなさい。愛車のフェラーリF166MMスパイダー。エンツオ・フェラーリの伝記やフェラーリ社の歴史本に必ず登場する1948年製の名車で、1949年にスパ24時間レースで優勝、1950年のミッレミリアでも優勝しているようです。フェラーリ博物館以外では世界に2台しかなく、もう1台はあのラルフローレンがオーナーだそうです。レベル感が違いすぎて、私にはどうも実感が湧きません。それに、この写真はANAの羽田格納庫を使ったイベントでのスナップだそうですが、よくANAが部外者の入場、使用を許諾したとはとても信じられません。服装もクラシコ・イタリアで統一されて、何事もすごい!イタリアのクラシックカーのドロミテラリーでの走行シーン。総合2位に入賞されたと聞いて驚きましたが、表彰式の動画を拝見していて、壇上に呼ばれるとイタリア語で流暢に会話されているので、二度ビックリ。お客様参加が多い中、本気で参加されているのですから、ただ感心、感動。ミッレミリアの正会員でもあり、日本人は2名だけだそうです。クラシックカーには全く無知な私ですが、お聞きしたところによると、「OM665」というミッレミリア入賞車で、サンタクララの有名ショップでのフルレストアが終わり、この2024年6月上旬には日本に納車予定とのことです。見せていただいた走行動画からの画像です。1929年のミッレミリア出場時の写真です。なお、ミッレミリアは1927年から始まりました。オークションの写真ですが、ゼッケン「2」なのでこの個体のようです。ポルシェ356。私は詳しくないので、A1300、A1300スーパー、A1600、A1600スーパーの区別も付きませんが、三角窓が付いていて、完璧な外観のすっかり感とドアの開閉音からしてただモノでないオーラがありました。壁に貼られたプレート類も見慣れないこだわりモノばかりです。あのハイドロニューマチックで賛否両論のシトロエンDSです。私などは見ているだけで酔いそうです。あのコーチビルダー、ザガードが製作したドライブシミュレーターです。日本に2台しかないそうで、様々の車種を選択してドライブ体験ができます。見事なアルミフレームと想像力を掻き立てる省略ボディ、深みのあるペイント仕上がりにうっとりしました。ホンダが優勝するまではマン島の常勝マシンだったモンディアル。バイクマニアとしては、これだけでも1日語り合いたい気分です。鈍く光るアルミの地肌が何とも美しい1台。モンディアルはご存じない方が多いかも知れませんが、マン島レーサーがホンダのコレクションホールにも敬意をこめて展示されている伝統あるメーカーです。映画「男と女」でジャンルイ・トワイティニアンがアネーク・エメからの電報を見て、深夜にモナコからドーヴィルに帰る途中、マスタングに給油したガソリンスタンドのオマージュをイタリアの職人のオジサンに作ってもらったそうです。何気なく置かれた看板、ネオン、錆びたガソリン携行缶、オイル缶なども全て現地の当時モノだそうで、手間と時間とお金を掛けた熱意にただ感心。天井からぶら下がっているビンテージ自転車も現役で、この5月のEROICA(イタリア語で英雄)JAPAN伊豆半島ツアーに参加されるそうです。映画「男と女」の中で、このシーンの前の真夜中にSHELLのSSで給油しています。そのあと、ヘッドライトに浮かぶパリへの案内板が映し出されて、この走行シーンになります。アパートに居なくてドーヴイルの海岸で見つけた時のあのパッシング!これだけでフランシス・レイのボサノバが浮かんできませんか。それにしても、過去と現在を巧みに織り交ぜながら、計算され尽くしたアングルで子気味よくストーリー展開させるクロードルルーシュって天才ですね。この時、彼はわずか29歳。ビンテージバイクによるEROICA 伊豆半島ツアーの2023年写真。毎年恒例の国際的なイベントです。皆さん、ご存知でしたか?人生にはこんな楽しみ方もあるのかと感じた次第です。鉄道模型仲間と「専用の作業机が欲しいね。」と喋っていましたが、ここにありました!何と、ROLEX社の時計職人用作業机と同じ仕様の机を特注したそうです。中央で突起した机に、楽そうなひじ掛けと便利な引き出し、照明付きの拡大鏡・・思わず生唾を飲み込みました。書斎もこの通り。フローリングの奥には年代モノのスロットレーシングのコースが敷かれています。また、写真を撮るのを忘れましたが、他の部屋にはOゲージやGゲージ(1/22.5の最大ゲージ)の線路が敷かれて機関車がソファーの周りを走り回っていました。ただ圧倒されるコレクションの数々。ひとつずつ、内容と入手の経緯を説明してくださるので、記憶力の良さにも驚きました。ガレージに何の気なしに置かれた模型はイタリア製のFIAT工場モデルで内部も作り込まれています。世界有数のスクラッチモデルビルダーの作品です。0.2mmくらいの真鍮線で作られたと思われる完璧なワイヤーホイールを見ているだけでも美の世界に惹き込まれそうです。一番右側のモデルはこれでもスロットレーシンガーだそうです。壊れそうでまだ走らせたことはないとか。ガレージに保管された愛艇に合わせて特注された模型です。ワイヤーワークの250GTOはフェラーリ美術館の松田芳穂オーナーからだそうです。素敵な回廊型の本棚には洋書の蔵書がぎっしり。同じ鉄道模型マニアとして、初めて見たときは眼が点になりました。実際に現地で乗った思い出を胸にイタリア製の車両、ストラクチャーの模型で揃えられました。ドイツ製のメルクリンでもかなりリッチな印象ですが、さらにそれを越えるとは。実車の写真や行先案内板など、何気ない演出グッズも半端ではありません。テラコッタのレンガ、タイル色や糸巻き杉が雰囲気を醸し出しています。道路を走るパトカーは路面に埋めた電線で制御されて走ります。動的なアクセントが入るとジオラマはさらにリアル感が増します。さらに紹介されるまま、ビデオで世界最大の鉄道模型レイアウトであるミニチュア・ワンダーランド・ハンブルグを鑑賞し、そのすごさに感動しました。大宮の鉄道博物館などのジオラマの比ではありません。ぜひ、ユーチューブで下の写真のようなMiniatur Wunderland Hamburgを覗いてみては!以上、色々なコレクションを拝見して、頭の中がパニックになりました。中々お目に掛かれない貴重なお宝の数々を拝見できて、どうも有難うございました。
2024.05.06
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皆さん、商品詐欺サイトがあることはご存知ですか。銀行やアマゾン、KDD/ソフトバンクなどからの連絡を装った口座情報、クレジット情報の詐取が横行しているので、商品詐欺サイトにも用心しているつもりでしたが、今回引っ掛かってしまいました。皆さんもぜひ被害に合わないよう、ご一読下さい。商品を買いたいと思ったら、皆さんはアマゾンやヤフーショッピング、楽天などの通販サイトやヤフーオークション、フリマのようなオークションサイトで探されると思います。ところが、高額な商品で安い出モノはないか、例えば亡くなった父の遺品を何も知らない息子が処分するとか、あるいは中々見つからないレアな商品をあちこち探し回るということになるとネットで検索していくうちに怖い商品詐欺サイトに遭遇するのです。例えば、鉄道模型の有名ブランド天賞堂のHOゲージ蒸気機関車 C62で安い出モノがないかネットで検索すると、初めは天賞堂やIMON、ジョーシンなどの専門店、量販店の通販サイトやヤフーショッピング、楽天などの通販モール、そしてヤフーオークションやフリマなどのオークションサイトが出てきますが、そのうち、次のようなサイトが出てきます。画面の上2件が商品詐欺サイトです。検索で出てきたこのようなサイトに実際アクセスしてみると・・・名前を聞いたことがないような通販モールやオークションモールに格安商品が出品されています。商品詐欺サイト例①写真は他のサイトの写真を盗用している場合が多く、商品が手許にないのに堂々と「在庫あり」とか、「何日以内に発送」とか、書いてあります。この例ではオークションサイトを装っており、ヤフオクなどでの実際の写真や商品説明を盗用して、あたかも個人からの出品であるようにしています。商品詐欺サイト例②これも写真はヤフオクから盗用して、自社在庫商品の処分を装っているようです。商品詐欺サイト例③これも写真はヤフオクから盗用しているようです。ただ、専門知識が乏しいせいか、肝心の「カンタム搭載機」である旨のタイトルや説明がありません。また、カンタム搭載機に必須の動作確認結果も記載されていません。やさしそうな漫画を添付して悪質です。商品詐欺サイト例④詐欺者に相場感がないのか、あるいは強引にサイト来訪者を誘惑する目的かは分かりませんが、極端に安い価格でも出品されています。商品の掲載写真や説明が一般的に少ないのも特徴です。商品詐欺サイト例⑤検索した商品とは別のカテゴリーの出品商品の写真を出して、巧妙にショッピングモールを装っている場合もあります。先出のサイト事例①や③も同じで、サイトへの来訪者を他の商品にも誘導しようとしています。商品詐欺サイト例⑥検索した商品と同一カテゴリーの商品をほかにも沢山出品し、サイトへの訪問者をより高額で引っ掛けようとしているサイトが多いです。掲載価格が同一になっている雑なサイトもあります。商品詐欺サイト例⑦被害届け出が出たのか、警察などによりアクセスをブロックされている詐欺サイトもあります。こういう詐欺者がサイトをそのまま残している間抜けなケースは稀で、被害が発覚すれば詐欺者は通常直ちにサイトを閉鎖して痕跡を全くなくしてしまう例が多いです。私が騙されたサイトは今アクセスしても、すでに閉鎖され「現在、機能していません」のエラーメッセージが出ます。詐欺者とコンタクトする術を失い、被害者としては振り込んだ口座情報以外に何もない状態になります。商品詐欺サイト例⑧サイトを閉鎖して逃げた後の例です。ただ、私が引っ掛かったレア商品を販売する詐欺サイトは当時このひとつしかなかったのに、今はほかに4サイトに増えていて同一詐欺者が色々網を広げて待っていると推測されます。商品詐欺サイトの会社概要記載例①特定商品取引法で会社概要の表示が義務付けられているので、一応、会社名、個人氏名など表示していますが、架空の場合がほとんどで、固定電話番号や携帯番号が記載されている場合でも。実際に電話すると「現在使われていません」とか、出た本人が「違います」と答えます。したがって、まず疑わしいと感じたら、電話番号の記載の有無を確認して、無ければ中止、記載があっても取引に入る前に実際に電話してチェックすることが必須です。商品詐欺サイトの会社概要記載例②株式会社と銘打っていますが、連絡先が固定電話ではなく、個人の携帯になっています。怪しい!商品詐欺サイトの会社概要記載例③連絡先のメールアドレスが個人のフリーアドレスになっています。怪しい!商品詐欺サイトの決済条件記載例クレジットカード、銀行振り込み、コンビニ決済など、各種決済方法が案内されていても、実際に注文を確定させて決済しようとすると銀行振り込みしかできない事例が殆どです。警察に伺ったところ、クレジットカードは信販会社と代理店契約を締結する必要があるのと、現金化があとになってしますので、詐欺者は通常、クレジットカードの決済を受けないとのことです。もし、クレジットカードの決済ができるようになっている場合は、あなたのカード情報を詐取する目的ですので、被害が膨らむリスクがあります。また、銀行口座は詐欺者が闇で買った口座で入金があれば、すぐ引き出して、長期には使わず、口座をドンドン変えていくそうです。警察や銀行が被害者からの連絡で口座を振り込め詐欺口座に登録すれば、他の方が振り込んでも入金されません。詐欺者は犯罪口座に登録される前に引き出します。なお、「コンビニ決済」として、コンビニでプリペイドの電子マネーを買ってそれで決済するように指示される場合もありますが、これは不正入金を資金洗浄するための方策で絶対応じてはいけません。商品詐欺サイトのクレジット個人情報詐取画面例注文確定後に決済に進んで、クレジット決済が可能なようになっていると下記の画面で個人情報が詐取されてしまいます。商品到着を待っている間にカードを不正使用されても、信販会社は本人からの詐取の通知を受けるまでの使用額に関しては救済してくれない可能性があります。商品詐欺サイトからの振込口座指定例私がだまされて振り込んだ銀行口座の詐欺者からの指定例です。この口座は後日、商品が届かないので私が銀行に電話したところ、すでに他の被害者からの通報で振り込め詐欺使用口座に指定され、残金は数十円しか残っていないとのことでした。口座開設者は実在人物で、口座開設時の本人確認はされていますが、その後、出国時に口座を詐欺者に闇で売却したようです。商品詐欺サイトからの商品欠品連絡と代品ないし返金希望の案内例振り込み後、4-5日経過してから、詐欺者より商品欠品の連絡と代品ないし返金の希望をLINEで通知してほしいとのメールが来ました。この時点で私は初めて詐欺だったことに気づき、銀行に電話したわけです。銀行と警察からは「このような案内には絶対返信せずに無視してください。詐欺者は連絡先を次々変えてあなたが返信すると代品があるからとさらに追加の振込みを要請したり、Paypayサイトに誘導し、言われるままに数字を打ち込むと引き出されたりと二次被害に遭います。」とのことでした。私の例では二次被害を避けて無視していると、反復してLINEへの連絡を勧誘するメールが来ます。何という大胆で厚かましい詐欺者でしょうか。以上、最後までご覧いただき、どうも有難うございました。皆さん、くれぐれも馬鹿な私のように被害に合わないよう、注意してください。なお、有名人の推薦を装った投資詐欺や結婚相手を紹介するロマンス詐欺も手口は同じです。投資詐欺サイト例①ホリエモンの写真を盗用して係争事件に発展している詐欺サイトです。投資詐欺サイト例②前澤友作さんの写真を盗用して係争事件に発展している詐欺サイトです。投資詐欺サイト例③断定はできませんが、私が中身を見た限り、詐欺サイトの可能性が極めて高いです。ロマンス詐欺サイト事例断定はできませんが、私が中身を見た限り、結婚相手を紹介するロマンス詐欺サイトの可能性が極めて高いです。ほかに「ご高齢で再婚相手が見つからずにお困りの方に朗報」とか、「引き込もりで結婚しない息子さんの相談に乗ります」とか、「子女のご結婚でお困りの親同士のお見合いをご紹介します」など、NPO団体とか社会奉仕の相談コーナーを装おうサイトもあります。なお、ドコモやAUなど通信キャリアを装ったスマホに対する商品・サービス詐欺も増えていますので、十分ご注意下さい。銀行、証券会社、保険会社は「スマホに通知や案内を流すことはない。」と言明しているので詐欺メールを判別しやすいですが、通信キャリアからのメールは毎月の利用料金やOSの更新案内がスマホに配信されているので、これに紛れた詐欺メールはうっかり引っ掛かりやすいです。通信キャリアを装ったスマホ配信詐欺メール事例下の写真画面に連続しています。キャンペーンサイトに誘導して個人情報やクレジット情報を詐取します。「沖縄セルラー電話」という架空名義になっています。こちらの画面は毎月配信されている正規のメールです。詐欺メールと比較してください。こちらはHPの法人URL、会社名ともにきっちり入っています。以上、嫌な世の中になりました。できれば、身内、知人の方などにも共有いただき、全員で被害を防ぎましょう。
2024.05.02
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VAN Jacketは私より少し年上の団塊の世代の方々が青春時代に影響を受けられたと思いますが、私たちの1950年代生まれの若者にも依然、強い影響を持ち続け、次第にJUNのようなヨーロッピアンテイストやパンクファッションに移行していくのでした。創始者の石津謙介さん(2005年5月ご逝去)やご長男の石津祥介さん(2023年11月ご逝去)とは40代になって、仕事の関係でカジュアルファッションブランド On Friday を立ち上げる時に監修者として大変ご支援いただき、青山の事務所や行き付けのレストラン、素敵なお庭のあるご自宅にお邪魔したほか、人事採用関係でVANOBのエージェントの方々と交流させていただいたことがあり、人生の中で大きな影響を受けました。石津謙介さんと深い交流を持ち、影響を受けて現在各方面で活躍されている方々はOB、OG、ファッション業界のほか、枚挙に暇がありません。ユニクロ、ビームス、ユナイテッドアローズなどもVANを源流にしています。皆さんもそれぞれの時期に色々な形で影響を受けられたと思います。関連する写真で思い思いに当時を偲んでいただければ嬉しいです。余りにも有名な雑誌ポパイのVAN特集号。これは1978年にVANが放漫経営で倒産後、翌年に開催された「石津謙介を励ます会」に呼応して企画されたもので、その後、第二次アイビーブームのきっかけになります。石津謙介さんのお人柄や文化として定着したVANの社会的影響力の大きさを示していると思います。当時アイビーを支えたのは、メンクラ、平凡パンチ、ポパイの3誌で、あとで花房孝典さんが率いるホットドックエキスプレスが数々のVAN特集を組んで加わり、第二次、第三次ブームを巻き起こしました。VANは60年代のファッションを越えた社会現象だったように思います。アイビーの指南書として増刷が繰返されたあまりにも有名な名著です。1965年に石津祥介さん、くろすとしゆきさんがアメリカ東部のアイビーリーグ8大学(ブラウン、コーネル、コロンビア、ダートマス、ハーバート、プリンストン、ペンシルバニア、イェール)に現地取材した労作ですが、最初は増刷もされずに絶版になり、数十年後にアメリカで売れて、日本に還流し、復刻版が出版されたという事実はあまり知られていません。英訳本がアマゾンで売られ、Wikiも英語版があるくらいです。子供時代にはズボンとシャツと運動靴しかなかったところに、綿パン、チノパン、バミューダ、トレーナー、パーカー、スイングトップ、デッキシューズ、バッフルコート、ローファー、バスケットシューズなど、見慣れないファッションが聞きなれない言葉とともに登場した訳ですから、当時の若者に相当のインパクトがあったのも頷けます。「スニーカー」という名称でVANが従来の運動靴の3倍の価格で発売しようとして、運動靴メーカーは絶対売れないと反対したらしいですが、すぐに完売したそうです。その意味でアイビーはロックンロールと同じでした。VANの紙袋を抱えて、アイビールックで闊歩する「みゆき族」の登場風景です。当初「不良の着る服」として石津謙介さんが警視庁に呼び出しを受けたほどでした。先日、TVでテリー伊藤さんが「自分もみゆき族だった」と懐かしそうに語っていました。今や公私立の高校の制服の多くがブレザーとタターンチェックやストライプのスカートになっているんですから、石津さんの目論見は見事に定着開花したと言えるでしょう。VANとともに忘れられないのが平凡パンチ。大橋歩さん(メンズクラブの挿絵を書いたご縁で採用)のデザイン表紙もインパクトがありました。クルマとファッションと音楽と女の子、男性の興味をそそる禁断の果実が一杯詰まったパンドラの箱が開け放されたのです。私も中学生ながら近所の本屋で立ち読みしていて、よくお店のお姉さんに注意されました。高校生になってからプレイボーイ誌と一緒に買う時も、わざわざ値段表示のある裏向けにしてレジで渡すのに、必ず表を向けて袋に入れる意地悪なお姉さんでした。ガレージの壁にも平凡パンチの表紙を額装して偲んでいます。これを見て、ニヤッとする方も多いと思います。当時から木箱入りの大工工具セットは売っていましたが、このアメリカ文化直輸入の懸賞広告賞品に人気が沸騰するとはVANのマーケティング担当者も予想していなかったでしょう。岡山出身の石津謙介さんは大阪で高級紳士服の製造販売に成功し、ほどなく東京の青山に進出します。国道246(青山通り)と外苑西通りの交差点角に本社ビルがあり、ほどなく若者文化のメッカになりました。社員以外も出入り自由で、マイク真木、ミッキーカーチス、学生時代のワイルドワンズ加瀬邦彦、鳥塚しげきなどのほか、三宅一生、コシノジュンコなどファッションリーダーも通い、その後のコムデギャルソン、メンズビギ、ニコル、ヨウジヤマモトなどのDCブランドの発信地になります。すごいと思います。写真はアイビーの教祖を意識したポーズで強面ですが、日常では「仕事の遊び化」を唱え、個人の自由な創造性を重んじる社風を強調されていたようです。今なら「人的資本経営」の先駆と称えられるでしょう。石津さんは経営者としては不向きだったかも知れませんが、想像力豊かなカリスママーケッターだったと思います。一時アップルを追われたスティーブ・ジョブスに似ていませんか?今、日本の中で一番欠けている人材です。晩年にお付き合いさせていただいた石津謙介さんは非常に魅力的で博学な方でしたが、できれば30-40代の頃にお会いしたかったです。倒産の話に及んだ時に、「人生で一番悲しかったことは自分と一番似ていた三男の啓介を白血病で亡くしたことで、経営にやる気をなくした。」とポツリ、仰っていました。当時行ったことはありませんが、元々本社講堂/展示場であったVAN劇場は99席しかなくて、入場料が99円で演劇、音楽公演、ダンス、能楽のほかボクシング試合まで行ったそうです。新人だった三宅一生やコシノジュンコのファッションショーも行われました。ともかく、軽いノリで自由な社風が醸成され、新しい文化の発信地になったのです。日高新冠(ニイカップ)に75,000坪の牧場VAN STATEを開設したり、アメリカ視察ツアーで幌馬車を買って帰った話など、エピソードには事欠きません。利益は社員に還元するという理念で給与水準が高かっただけでなく、あらゆる社内クラブ創設を認めるなど、創造性を高める支出を惜しみませんでした。振り返ってみれば、アイビーを普及させるという旗印の下、拡大路線を取ったのでしょうが、元々会社として大きくすべきではなかったように思います。雑誌メンズクラブの若者向け指南書として、ポパイとホットドックエクスプレスが主流になりました。次男の祐介さん(現在、航空機、神社などの写真家で活躍中)が入社して、VANスポーツ部を創設すると、スポーツファンを取り込むマーケティングに注力していきます。素晴らしいポスターの名作が続々生まれました。当時のサントリーや資生堂とも相通ずるワクワク感に満ちていました。先日、資生堂の1500人の早期退職が話題になりました。いつから日本はこのような元気をなくしてしまったんでしょうか?VANGUARDSはVANのアメリカンフットボール部で運動部出身の社員が増えて、かなりの好成績を残すまでになりました。右側のポスターが欲しくて、当時近鉄百貨店上六店にあったVAN売り場の担当に頼み込んだのを覚えています。ガレージに今も掲げているポスターです。このワッペンが欲しくて、VANショップに通ったものです。VANアイテムの日本有数のコレクターとしては、あのオモチャの北原照久さんが有名です。南青山の事務所前で愛車ハコスカGTRにサインいただきました。ご本人も嬉しそうでした。石津さんが母校明治大学で自動車部を創設されたのはあまり知られていません。壁面に飾っているのは木彫りのVANマークで、ご長男の石津祥介さんに「こんな色のマーク、ありましたっけ?」と聞いたら、「当時は思い付きを何でも形にしたんです。」と笑いながら私にプレゼントしてくれました。実は石津祥介さんは高校卒業までVAN創業の地、大阪心斎橋の北炭屋町に住んでいた関係で、大阪府立高津高校の先輩後輩でした。もっと一杯あったのですが、断捨離で好きな人にお譲りしてしまい、ご紹介できないのが残念です。紙袋欲しさに靴下を買いに行ったことを覚えています。トグルボタンの付いたあの毛布のようなダッフルコートやバックワッペンの擦り切れたスイングトップのブルゾンなどは全部処分してしまいましたが、このスタジャンだけは今も手許に残しています。当時のIVYリーダーが集まった記念写真ですが、名前分かりますか?マイク真木や生沢徹も写っています。石津さん、祥介さんや啓介さんとも再会できて、愉快にお過ごしですか。VANは永遠です。沢山の人々の心の中で生き続けています。あとで行きますので、また楽しいお話をしましょうネ。
2024.04.30
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ご存知の方も多いと思いますが、六甲山の芦有ドライブウェイの展望台駐車場で毎日曜の朝8時ころからクルママニアが集まって交流しています。六甲展望台は2013年に放映されたあのTVドラマ「半沢直樹」で一躍有名になったロケ地でもあります。今までもこのサンデーミート5回ほど行ったことがあるのですが、知り合いも徐々に増えてきたので、ピスタに乗って参加しました。GW中で快晴だったせいもあり、7:45ころに到着しましたが、2台しか駐車スペースは空いていませんでした。いつも通り、ポルシェ、特に空冷の930系が多いですが、フェラーリ、ロータス、マセラーリ、ランボルギーニに加え、渋い外車、旧車など、マニアックなクルマが集まっていました。8時過ぎでこの盛況ぶり。Early bird catches worm!フェラーリは488スパイダーや612スカリエッティ、ポルトフィーノ、カリフォルニアも含め、7台でした。こういうクルマ談義がたまりません。横で聞いていても随分楽しそう。ポルシェの大王 夙川のセレブ先生と愛車1958年製 356スピードスター。有名人で雑誌ENGINEでも紹介されているので、ご存知の方も多いはず。73カレラRSなど、色々コレクションをお持ちで、後日お伺いした内容は別稿の「本当のセレブに招待される3」をご覧下さい。73カレラRSまでは私も乗っていたのでお話に付いていけますが、356や今ご執心の550Aスパイダー(ジェームスディーンが事故死した)など、ビンテージポルシェ個体の話になるとほぅと頷くのが精いっぱいです。よくお似合いです。人生100年時代、大いに楽しみましょう。アストンとは違った意味でエレガントなスタイルです。それにしても、550Aスパイダーとジェームスディーンの何とカッコいいこと!しびれます。こちらも当日断然目立っていた、ミントコンディションのアストンマーチンDB5で、しかもハイパーフォーマンスモデルの生産台数65台のVantage です。DB5は初代ボンドカーで1964年のシリーズ第3作「ゴールドフィンガー」や第4作「サンダーボール作戦」の映画でご覧になった方も多いでしょう。最近では1995年の17作目の「ゴールデン・アイ」にも再登場しています。007のジェームスボンドになり切りたい方にはまさに打ってつけの1台ですが、1億円近くするのでは・・・。因みに2020年に25台限定で復刻生産されたDB5ゴールドフィンガーコンティニュエーションモデルは1台275万ポンド(5.4億円)でした。さすがアストンマーチン、写り込んだ水平の景色に全く破綻がありません。DOHCストレート6エンジン。キャブがSUではなく、WEBER TWIN(恐らく40パイ)の3連装になっているのがハイパーフォーマンスモデルDB5 Vantageの証です。垂涎のワイヤホイール。掃除が大変そうですが、自分でするような方は買わない・・。センターにあるボンドカー仕様のスピナーは当然、このままでは車検が通らないので、別保管のノーマルキャップに都度交換するそうです。この運転席に座らせていただき、しばしうっとりしました。スミスのメーターにタンのコノリーレザー。シフトノブが小さいのでビックリ。ボンドカーではノブの蓋を開けて、前方機関銃、リア防弾板、煙幕、助手席放出、回転式ナンバープレートの操作をしていたのでかなり大きい印象でした。2匹の愛犬トイプードルの名前はジェームスとボンドとのことです。セレブオーナーからは遊びに来て下さいと嬉しいご招待をいただき、取り敢えず、ガレージのお写真を先に送っていただきました。ブリティッシュ・エレガンスの神髄! パルテノン神殿のグリルのせいか、神々しい雰囲気が漂います。→後日お邪魔しましたので、訪問記は追ってアップします。手前がコーニッシュⅡ(生産1986-1989年)のドロップヘッドクーペ(オープンモデルです)、中央がDB5 Vantage(1964年)、向こうがシルバークラウドⅡ(生産1959-1962年)でエンジンスワップ、エアーサスで現代的にレストモットされているそうです。ため息しか出ません。究極の2台のあとの登場で少々気の毒ですが、私の好きな84(?)年式カレラ3.2。フロントフードのUS仕様ストライプにかなり憧れました。78年のSCSのあとで元々買うつもりでいたモデルです。本来、73のRSと同じダックテールが付いている筈ですが、オーナーのお話によると購入時にFRPの社外品が付いていたので、ウィングなしのスチールフードに交換したとのことでした。これまた、当日光っていたシルビア。このシャープなキャラクターラインを残しながら、よくレストアされたと感心します。ボンネットのチリを合わせるだけでも相当大変だったはず。エンジンルームも真鍮メッキのステーや締め付けトルク表示のボルトなど、当時モノの細かい点まで行き届いた配慮がなされ、オーナーの愛情が伝わってきました。以上、色々収穫があり、また行きたいです。お二人のセレブオーナー訪問記はご了承を得て後日アップさせていただきます。
2024.04.29
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HO用のカプラーと言えば、ベーカーカプラーが固定連結用のドローアを除けば、長年普及し、天賞堂の客車やエンドウの貨車などの古いモデルにはかなり装備されています。連結しやすく、走行中に外れにくいので、今もそのまま使っている方もおられると思います。ただ、ベーカーカプラーは見た目や走行中のカプラー同士の干渉音があるほか、外しにくいという難点もあります。私は色々試行錯誤した結果、KDカプラーを原則的に使っています。KDカプラーは極小のスプリングでナックルが可動し、カプラー本体の首部分の左右に付いたヒゲ状の極細スプリングでカプラーを中心位置に保持する構造になっています。紙袋に入ったKDカプラーを購入するとカプラーボックスとともにナックルの極小スプリングも予備として付属しますが、今まで外れたことはありません。KDカプラーは色々種類がありますが、#148が最も優れていると思います。この道40年のれーるぎゃらりー六甲の床次社長に教えてもらったのがきっかけですが、長年使ってみて皆さんにもぜひお薦めします。高価なのが唯一の欠点ですが、連結しやすく走行中に外れにくい、外しやすい、金属製のため耐久性があるというメリットがあります。カプラーのトラブルはストレスが掛かるので、メリットがコストを上回っていると確信します。ベーカーカプラー用の2mm径のネジ穴にそのままKDカプラーを交換に取り付けて問題ありません。ただ、待避線をスペースの関係で550Rの4番ポイントを組み合わせて設けている方も多いと思います。その場合、首の短い#148同士で連結すると、車体の間隔は狭くてリアル感が高いのですが、写真のように車体が浮き上がり脱線してしまいます。そのため、片側だけを首の長い#146に付けると問題なく通過できます。本来は本線と同じく待避線も6番ポイント720Rで統一したかったのですが、かなりのスペースが必要になって、逆に待避線の本数が少くなり、長さも短くなるのは非常に大きなデメリットでした。皆さんも車両の入れ替え頻度が多くなると走らせるのが面倒になって走らせなくなりませんか?#148短と#146長で連結すると車体の間隔が若干開いてしますのですが、どうしても我慢できないという方はKDカプラーの取付位置を少し車体の内側に寄せてタップ穴を切りなおして調整することもできます。私は編成全体を見て、間隔が余程広がっている連結箇所は個別に調整するようにしていますが、実際調整したことは稀です。KDカプラーには天賞堂の「KDタイプカプラー」もありますが、ナックル部分の厚みが薄いので、走行中に外れてしますことがあります。そのため、私は全てKDカプラー#148に交換しています。天賞堂のKDタイプカプラー分かりにくいですが、左がKDカプラー、右が天賞堂のKDタイプカプラーでナックル部分が薄い。KDカプラ―以外には安価なプラ製の「KATOカプラー」もあります。Nゲージの密連カプラーのように、カプラー本体とナックル部分が分かれていて上下にはめ込んで組み立てる構造です。ナックルの開閉がスプリングではなく、プラの弾性に頼っているので、プラ製車両の編成ですと7-8両連結しても問題ありませんが、真鍮製車両は重いので長編成になるとナックルの口が開いてきて走行中に自然開放してしまうことがあります。また、KATOカプラーは1種類のみで、KDカプラーのように首の長短で2種類ある訳ではないので待避線で脱線するようなら、カプラーの取付位置で調整するほかありません、したがって、私はこのKATOカプラーはKATOのプラ製客車や貨車には使っていますが、真鍮製車両には付けないようにしています。赤ボールペン先のバリを必ず削って下さい。KATOのあさかぜカニ21には専用カプラー「1-516C3」が写真のように別売されていますが、私の場合、交換しても4番ポイントR550の待避線を通過できなかったので、結局KDカプラーの首の長い#146を改造して取り付けました。通過できなかったのはKATOのEF65以外に天賞堂のEF66やDD51にも牽引させている関係で機関車側のカプラー首振り幅が少ないせいかと思います。ともかく、先頭客車は格別の注意が必要です。プラ製のカプラーですが、連結がしっかりしている点では、KTMの「エースカプラー」が優れています。写真のように相互に嚙合わせて連結する構造です。真鍮製車両の長編成でもびくともしません。ただ、はずしにくいのが難点です。室内照明のチラツキや脱線などで1両だけを中抜きで編成から外す時は大変です。両車を左右に引き離そうとするのではなく、くの字型に両車の車体を上下で折り曲げるようにすると外れますが、結局周辺の車両が一緒に脱線してしまいます。エースカプラーはKDカプラーと同じく首の長さで長短2種類あるので、KTMやエンドウの車両で退避線やクロスポイントを通過しにくい時は片側を長い方の「エースカプラーⅡ」に交換してください。私の場合は、待避線が4番ポイントR550なので、全て片側をエースカプラーⅡに交換しています。エンドウの成田エクスプレスのように先頭車を中間連結する場合は両方ともエースカプラーⅡに交換しています。プラ製車体のカプラーとしては、TOMIXの「密連TNカプラーHO-CO2」が非常に優れていると思います。連結しやすく、走行中外れにくく、車両の連結間隔も狭く、しかも中間の1両だけを外す時も外しやすいです。4番ポイントR550の待避線も通過します。首振り角度が非常に大きく、かつ伸びないので車両間隔があまり広がらないのが優れた特徴です。あと、古いエンドウの車両には鋳造製のナックル固定型のカプラーが付いている場合もあり、上からはめるようにして連結させる必要はありますが、遡行中に外れることはなく、耐久性があって外しやすいメリットがあります。真鍮製のエンドウ高崎センター旧型客車の場合は完成車両に付いている標準カプラーでは4番ポイントの待避線は通過できないので、片側を首の長いカプラーに交換しました。右側がエンドウの完成品付属カプラー、左側が交換した首の長いカプラーです。片側交換後、4番R550ポイントの組合わせ待避線を無事通過するようになりました。ほかにIMONカプラーも評判がいいようですが、私は使っていません。今後も追加情報があれば、更新していきますので、よろしくお願いいたします。
2024.04.27
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高校生の時に発売されたDT1はまさに衝撃的でした。当時のバイクは神社仏閣とは言いませんが、少なからずトライアンフの影響を受けたスクランブラー止まりで本格的なオフロードバイクがなかったのと、あのように細身でスマートなスタイルは天から舞い降りてきたような新鮮さがありました。親にねだり倒して、50年程前に白のDT1を買ってもらい、2サイクル独特の比較的野太いエキゾーストサウンドを聞きながら、高野山や六甲などで遊んでいました。しかし、体格の大きい私には若干パワー不足が感じられ、4年ほど乗って黒に黄色ラインのRT1前期型に乗換えました。ただ、皆さんご存知の通り、始動性が悪く、ケッチンを食らってビッコで歩く始末です。クルマに関心が移りつつあったこともあり、結局殆ど乗らなくなって処分した苦い思い出があります。それでも、38歳ころから昔乗っていた、あるいは憧れていたバイクを集めてレストアするようになると、あきらめの悪い性格が災いして、あのスタイルと排気音が忘れられません。とりあえず、DT1を30年程前に大磯の部品交換会で入手し、レストアしました。しかし、体重も増えているので昔と同じくパワー不足を感じ、結局は現在所有のRT1前期型のレストア車(後期型の黒赤塗装仕様)を昔篠山にあった故中西社長の「ミドルウエスト」から、25年程前に購入したのでした。自分でも笑えてきますが、青春時代と全く同じことを繰り返しているようです。そのうち、やはりケッチンが我慢できず、後期型のデコンプ付エンジン(RT1-08889)に載せ換えたうえ、純正オリジナルシート(ノンレストア、25年前に新品取得)に交換、その他メーター、マフラーなど新品を収集して順次交換しました。さらに純正タンク等の外装ほぼ新品一式を10年ほど掛けて集め、浜松第一塗装で白にリペイントし、交換。メンテナンス性を向上させるため、旧車専門ショップで12V仕様に変換、バッテリーレス化しました。(ジェネレーター交換、万一6V仕様に戻す純正部品は保管)デコンプ付エンジンはフルOHしています。圧縮が完璧にあるので(6.3)、旧車専門ショップのオーナーのようにデコンプなしで始動できる方もいらっしゃいますが、一般の方はデコンプを使ったほうが無難です。それでも、TS400に比べるとケッチンは強く、一応リアのダンデムステップは外してあります。慣れない方は踏み台を用意して、左足を乗せながら右足でキックすると楽に掛ります。このDT1のポスターに衝撃を受けた若者は一体何人いたでしょうか。東京オリンピックのポスターや前田美波里の資生堂パンケーキポスターとともに60年代を代表する文化遺産だと私は思います。「穴の開くまで見た」というのは、当時の高校生だった私のためにある言葉かと思います。学校から帰ってベットに寝そべりながらこのポスターを見ていたことを昨日のことのように思い出します。これが源流になってイージーライダーやヒッピー文化に熱くなりました。もちろん、ハーレーもダイナワイドをチョッパーに改造して乗っていました。ピーター・フォンダのキャプテンアメリカになったつもりで・・。脱線してすみません。DT1のポスターで昔の思い出が弾けてしまいました。本題に戻ります。バイクをレストアするということは当時の自分にフラッシュバックすることかも知れません。これだけのエネルギーが投入されるのは半端な動機ではありえません。デコンプの開放レバーが左グリップの下に付いています。新品シートです。ケッチン大魔王のRT1前期型は黒タンクに黄色のストライプでした。確か、赤色のストライプが出てきたのはデコンプ装備になった後期型からだったと記憶しています。輸出モデルがDT1-Eの名称だったことをご存知ですか。初めから一人乗りのシングルシートです。アメリカではモトクロッサーやオフロードでの大人、子供の遊び用に改造、酷使されて、原型を留めたまともな個体は残っておらず旧車ブームでも日本への里帰り車両は殆どないはずです。日本でのオンロードや整備林道走行とは全く違う使われ方でした。大磯の部品交換会で入手し、レストアして乗っていたDT1です。パワー不足を感じていたら、どうしても欲しいという方が現れてお譲りしました。今も大切に乗られているようで嬉しいです。
2024.04.24
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W1SAは高校生の時から近所のオジサンがW1を乗っていていつも腹に響く快音を響かせながら疾走する姿をうらやましく見ていました。メッキタンクもなかなかいいのですが、当時の私にはやや渋い旧車の感じがして欲しいとまでは思いませんでした。ただ、1972年ころ、大学生になってクルマに乗るようになってからW1SAを見かけるようになって注目し、その後、W3がZ1登場後に発売されたのも知っていましたが、結局クルマにシフトしたため、思い出に留まっていました。しかし、38歳ころから昔乗っていた、あるいは憧れていたバイクを集めてレストアするようになってからはK1、K0、DT1に続き、早い段階の44歳で雑誌広告を見て日野のウエマツから比較的程度のいいW1SAを購入しました。今から30年ほど前ですから、ウエマツも先代の社長が河原を占拠して廃品回収業と中古バイクの販売をされていた状態で現在の派手な事業活動からは想像もできません。買ってから、W1クレージーズの会長様にコンタクトしてご自宅にお邪魔し、タンクキャップ、ブレーキやレバー、ウィンカー関係の純正部品とマフラーやゴム類のリプロ部品を分けていただき、本格的にレストアを始めました。いつもの調子で、オリジナルの新車状態に戻したくて、シートやタンク、ヘッドライトケース、メーター、リアランプ、チェーンカバーなどの新品をヤフーオークションやショップ、部品交換会を回って約10年掛けて集めては部品の交換を続けました。また、シートに関しては、ツーリングでの乗る心地を優先して、W3の新品も手に入れて適宜交換しながら楽しんでおりました。しかし、マフラーだけは中々手に入らず、半ばあきらめていましたが、2年前に山形のバイク店が廃業に当たって在庫を出品処分されているのを見つけ、即座に16万円で落札することができました。奇跡に近い出来事でした。代わりに交換で出品した状態のよいW1クレージーズのリプロマフラーに入札が殺到し、8万円で売れたくらいでしたから。現在、ほぼ新品状態になって大変満足しております。72歳になって650くらいの手軽なバイクが乗りやすく感じるようになりました。XS-1Bとともに最後まで手許に残るバイクと思います。この写真はW1クレージーズのリプロ大根マフラーを付けていた状態です。ヘッドライトケースとリアショックはオリジナル新品を別途保管し、好みでメッキパーツを付けています。当時はまとめて「ダブワン」と呼んでいて、あまり「W1SA」とは呼んでいなかったようです。このカタログには「650-W1SPECIALと書いてありますが、カワサキは総じてモデルの寿命が長くてシリーズ化されるためか、マッハⅢに代表されるように製品名を途中でよく変更しました。オリジナル塗装です。ウエマツから買った時は、日焼けしたオレンジ色にレストア塗装されたタンクが付いていました。ゴムホースの金属カバーは別途保管しています。タンクは綺麗ですが、為念でフィルターを付けています。交換した純正新品マフラーです。まさに奇跡と言うほか、ありません。トライアンフのようにやや後端が絞りこんでいく美しい造形です。最初見た時はW3用かと当初疑いましたが、W1SAの品番ラベルが付いた出荷時包装で、装着してみると非常に粒のはっきりしたあの元気な音色がして安心しました。W1クレージーズの自主製作リプロマフラーも鉄板やメッキが高品質で素晴らしいですが、純正よりサウンドは大きいです。W3の新品シートを付けた状態です。基本的にツーリングに行く時だけ交換しています。確かにマフラーは後端が絞られています。時々最近の雑誌ではW3とW1SAの違いとして、W1SAは大根マフラー(実はW1クレージーのレプリカを装着している個体が多いための誤解か)で、W3は後端絞りと書いてありますが、間違いですね。昔の話なので、段々何か正確か、知る人も減ってきて曖昧になってきました。昔からカワサキの国内版カタログは六甲山とか、芦屋浜とか近場で撮影して制作費を安く上げていました。現代の眼では無造作なスナップみたいでカタログ写真らしくないのが当時の雰囲気を思い出させます。
2024.04.24
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トライアンフを彷彿させるスマートなスタイルと野太いエクゾーストサウンドが気に入って遠目に憧れていましたが、偶然20年程前に横浜のトライアンフ専門店の幸福商会がトライアンフの下取り車をヤフーオークションで出品しているのを見つけ、すぐに実車を見に行って即決で手に入れました。マフラーがかなり痛んでいたほかは元々程度はよかったですが、入手後に主にヤフーオークションでオリジナル塗装のタンクやサイドカバー、新品メーター、新品シートを探し続けて順次交換し、今に至っています。マフラーは純正の大根マフラーを長い間探したのですが、程度のいいモノあ見つからず、仕方なく台湾製のリプロ品に交換しています。キャブもケイヒンに交換されていたので、純正キャブを入手し、一旦交換しましたが、吹き上がりのレスポンスはケイヒンのほうがいいので、元に戻しています。シートは中々新品が見つからなかったので、一旦元のシートのスポンジを交換しましたが、新品入手後は予備パーツとして保管しています。当時のヤマハはDT1ととも美しいデザインでは他社を全く圧倒していました。本家のトライアンフも脱帽でしょう。出藍の誉れとはこのことでしょうが、何となく今の中国製品を思わないこともありません。始動性が悪く気難しい面があるトライアンフですが、日本車に与えた影響ははかり知れません。恐らく、その後のバイクのスタンダードになったオリジナリティは本当に素晴らしいとただ敬服します。このカタログが一番好きでした。X1-Bはこのカタログのように、フォークのゴムブーツが無くなったのと、タンクのストライプ下側に細いラインが加わっているのが大きな違いです。タペットカバーも再メッキ。フロントフェンダー、リアフェンダー、チェーンカバー、フォークカバーは再メッキしました。今はメッキ業者を探すのもひと苦労です。エンブレムもスルメのように反りかえっていたので純正新品に交換。バックミラーもYAMAHAマーク入りの新品に交換。エキゾーストパイプは純正が二重構造になっており、重厚なエキゾーストサウンドに貢献しているので、一旦一重構造のリプロ品に交換しましたが、再メッキして純正に戻しました。レプリカマフラーは純正より鉄板が薄いので、全体的にオリジナルより幾分軽い音がします。シートのベースがX-1の持病として非常に腐りやすいので、錆びている場合は中のウレタンスポンジが劣化して悲惨な状態になっていると思って下さい。参考にレストアした際の写真を添付します。入れ替えるスポンジは少し大きめにカットしておかないとシートカバーを張り替えた時にシワが出ますのでご注意下さい。YAMAHAのウレタンは欠陥商品だったと思います。同じころの他社の旧車と比較しても劣化がひどすぎて、シートに座っただけで黄色の粉がバッテリーの上に貯まるくらいです。片側スタンドでよく停車していた個体は雨水が貯まって左側のシートベースの腐りがかなりひどいのが通常です。
2024.04.21
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SL350を入手してから10年後くらい、今から15年ほど前になりますが、30年間京都の農家の納屋で眠っていた国内モデルのCL350を業者経由で入手し、フルレストアしました。友人が野武士のようなCL300に乗っていて、私も同じスクランブラーでスタイルはより現代的でスマートなグランプリブルーのCL250に憧れていました。そのため、このCL350を見つけた時は、体重の重い私には350がむしろピッタリですが、カラーはグランプリオレンジではなく、250のブルーにしたいと思いました。入手した段階からホコリはすごく錆はありましたが、息子さんが乗らなくなってそのままお蔵入りしていたため、オフロード車にありがちな腐りや欠品、タンク、フレーム、フェンダーなどの曲がりはなく、再メッキと再塗装、エンジンのOHがレストア作業のメインでした。再塗装は当初自分でウレタン塗料を調合して吹き付けましたが、気に入らず、結局いつもお世話になっていた浜松第一塗装にお願いしました。CL250のオリジナル塗装がに残ったヘッドランプケースとフォークカバーをまず、ヤフオクで入手し、そのパーツと当時カタログを基にリペイントしてもらいましたが、素晴らしい仕上がりで満足しています。SL350とは違って着座位置も低く、よりツーリング志向なので、内股のバイブレーションを感じながら楽しく走らせています。レストア完成後にCL、CBモデルの持病と言えるジェネレータートラブルに見舞われましたが、長年ホンダ一筋のガレージ21吹田店から程度のいい再生品をお譲りいただき、無事本調子を取り戻しました。当時のカタログを穴があくまで何度も見ていたものです。当時からこちらの250CC用グランプリブルーのほうが人気がありました。なぜか、工事の測量シーンの写真があります。まさか業務用に販売を考えていたわけでは・・・。当時、父兄、高等学校上げて盛り上がっていたバイク反対運動に配慮したのでしょうか。
2024.04.21
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皆さん、「遺品整理」と聞いて何か、ギクッとしませんか?私は父、母、兄、義父の4回に亘って遺品整理をしましたが、ともかく現金以外は手間が掛かってどうしても整理が億劫になり、先延ばしになりがちです。しかし、ご自分の終活にも直結することですから、早くすっきりさせたいものです。公認会計士としての私の経験が少しでもご参考になれば、嬉しいです。1.整理の順序を理解する相続は巷間言われるように、現金、預金、貴金属、有価証券、最後に不動産の順で楽です。不動産は空地ならまだいいですが、建屋、家財道具があれば、さらに面倒です。個人的には不動産評価額1000万円と現金700万円は同じ価値で、それでも手間と手取りを考えると現金のほうが得と思います。従って、「不幸にして」不動産を相続された場合には面倒なモノを後回しにせずに、面倒なモノから先々の見通しをまず付けておくことが重要です。2.不動産の売却見通しを先に立てる不動産の売却は半年以上、掛かることを念頭に置いて、不動産の動きが活発な春から夏を目標に不動産業者などからの情報収集に着手しましょう。相続税で精算されたわけではなく、所有しているだけでも固定資産税が掛かりますし、売る時は仲介手数料、不動産譲渡税、臨時所得税などが掛かるので、手取りは思ったほど多くありません。空き地であれば、最優先に着手すべきです。被相続人のお父さまやお母さまなどが住んでおられた空き家に関しては家財道具の整理が先ですが、親戚や兄弟から「法事の三回忌、七回忌が終わるまでは・・」とか、無責任な雑音に流されてズルズル伸ばすのは止めたほうがいいでしょう。そもそも法事は故人宅ではなく、お墓の近くの葬儀会館などでするほうが、仕上げの会食も含め、全く楽です。売るに当たって相場が気になるのは人情ですが、その地域の状況を知っておくのが先決です。若い街の場合は少ないと思いますが、高齢化が進んでいたり、交通が不便、病院・学校・保育所・コンビニが少ないとか、若い世代が買いたくなる要素がどれくらいあるかが大きな要素になります。また、生まれ育った感傷から、できれば現状のまま居抜きで売りたいと考える方もいらっしゃるでしょう。家具や食器などの整理が不要になる可能性があります。しかし、地元の不動産業者ともよく相談して、更地にしてしまう方がはるかに売りやすかったり、土地が広い場合には分割して開発分譲したほうが売れる場合が多い(分割譲渡禁止の地域協定があっても拘束力は殆どないことが多い)ので、売り値は近隣売買事例などの一般的な相場よりもむしろ売る側のあなたの条件に左右される方が大きいことを忘れないで下さい。3.不動産の売る時期、方法を詰める本来ですと、相続に係る遺産分割協議の中で不動産の売却時期や方法が相続人の間で決まるといいのですが、むしろそのようなことは稀かも知れません。長男などの血縁とか、被相続人の介護に当たられていた生前の関係とか、居住地の遠近などで相続資産の分割が成り行きで決まってしまい、不動産を相続することになった方が結局ババを掴まされて損をするようなケースが多いのではないでしょうか。実家の不動産や家財を相続しても、兄弟が貴金属などの遺品を勝手に持ち出したり、遺産分割協議結果と関係なしに「形見分け」と称して家財の相続人以外の方が家財の一部を取りに来られたりして嫌な思いをされるケースも多々あろうかと思います。「生前、亡くなったお母さんは真珠のネックレスを私に上げると仰っていました」とか。鍵は相続人のあなたが一人で保有されることをお勧めします。その時に他の方から色々言われる不愉快さはあとで起こる揉め事に比べると楽なことです。鬼になってはっきり言いましょう。不動産が複数の相続人で共有になった場合は、遺産分割協議後の処分に関しても信託銀行など、第三者を立てたほうがいいかも知れません。処分が遅れるだけでなく、相続人同士で話し合って近在の相続人が主導して処分時期、方法を決め、家財の整理をしたのに、あとになって「任した」と言っていた相続人が文句を言い出すことがよくあるからです。貴金属や骨とう品など、換金の目途が付くと急に乗り出してきて、トンビにアブラゲさらわれたという笑い話さえあります。ともかく、不動産を売る時期、方法を詰めると家財道具の整理も進むように思います。4.家財道具の整理めぼしいモノだけピックアップして、あとは遺品整理業者や廃品回収業者に任せる方もいらっしゃいますが、やはり故人との思い出を整理しながら供養するという点ではできるだけご自分で整理されるのが心残りが無くなっていいように思います。私の経験では家財整理中に亡き母のベットの下からびっしり敷き詰められた現金500万円が出てきたり、所在不明だった貴金属、誰も知らなかった名工の骨董作品を見つけたりとお宝発見の役得もあります。5.家財道具の価値の目安ご自分が思い出深いとか、使いたいというような主観的価値と市場で売れるかとは全く別の話です。ライフスタイルが激変しているので、仕方ありません。亡き父、母も祖父や祖母の遺品は何も持っていませんでしたので、順番と割り切るほかないかも知れません。私たちの終活でも、自分が手許に置いておきたいというモノとご子息が残しておいてほしいというモノは殆ど一致しないという覚悟を持つことが大切かと思います。遺品整理を4回経験した実感です。<売れないモノ、捨て値で処分すべきモノ>家具、寝具、座布団、食器、家電、パソコン、結婚式の引出物、和人形、観光土産品、毛皮、着物、スーツ、コート、帽子、靴(新品ブランドスニーカーは売れます)、トランク(海外旅行スーツケースは売れます)、皮革カバン(ランドセルは売れます)、光学カメラ(ライカは売れます)、額、記念金貨(1964東京五輪などは現行通貨扱い、明治金貨は売れます)、切手、外貨コイン、レコード(ジャズのLPは売れます)、映画・演劇・クルマなどのVHS/ベータビデオテープ、カセット全集、衣料(ブランド新品や革ジャンは売れます)、敷物、使用感のある中古品全般です。・主婦が購入決定権を持っている家庭用品は基本的に高く売れません。・かさばるモノは送料が高くつくので趣味性やブランド力の高いモノを除き、捨て値でしか売れません。・CD/DVD/ブルーレイの昭和歌謡全集とか、NHKの大河ドラマ集、映画などはヤフーオークション等で無理なく売れます。・着物、洋服、コート、食器、帽子、カバンなどは高級ブランド品でも新品でない限り、売れません。形見分け会と称して親戚の女性に集まってもらい、全部お持ち帰りいただくのが、お薦めです。手間がかからず、昔話に花が咲き、捨てる罪悪感がなく、あなたの評判も良くなります。父、母などはモノ不足の世代だったせいか、包装紙、化粧紙、ひも、かご、化粧缶などが大量に整理保管されていましたが、捨てるほかありませんでした。残念ながら、問答無用です。<骨董品>数業者に鑑定してもらって比較。本物と鑑定された場合、手間を惜しまなければヤフーオークションで最高鑑定額より高く売れる可能性が高いです。掛け軸も業者は全く売れないように言いますが、売れます。ただ、カビや日焼け、スレ、折れ目などクレームでトラぶるリスクはありますので、鑑定時の業者のコメントを書き留めておき、オークション出品時の商品説明に入れるようにするのが無難です。<貴金属>24K純金はグラム単位で業者で換金するのがベスト。相場も明瞭。1回200万円以上の売却になれば業者から税務署に申告されるので、確定申告が必要です。できるだけ、200万未満に分けて処分しましょう。時計は箱と保証書付でROLEX、宝飾時計など以外は業者に持ち込んでも価格が付きません。指輪、アクセサリーはデザイン流行もあり、業者に持ち込んでもあまり期待しないほうがよいです。<処分しずらいが、結局捨てるモノ>アルバム、日記、手紙など、故人の筆跡や姿が残っているモノは捨てることができず、形見として一旦残しますが、結局5-10年で捨てることになります。きっちり整理されたアルバムは悲しいですが、欲しい写真だけ外して持ち帰る、スマホで撮影する程度にしておきましょう。日記、手紙などは自宅に持ち帰って読んでください。折角、整理に来たのに、読んでいるうちに夜になった(笑)ということのないように!<オモチャ>オークションなどで手間を掛ければ、お小遣いにはなります。古いオモチャやミニカーは状態がよく箱があればなおさらです。積み木、ゲーム版、ファミコン、リカちゃん、ドールハウス、ディズニー、ハローキティ関係も売れます。モデルガンは規制が緩かった昔のモデルは状態が多少悪くても売れます。<結局、持ち帰れるモノ>洗剤、石鹸、タオル、殺虫剤、ティッシュ等ペーパー類、事務用品、電気コード、乾電池などの消耗品。筆記用具は書けなくて捨てる場合も多いです。以上、分別整理後にまとめて廃品業者などに持ち帰ってもらう場合はトラック4t、4.5tなどで5-10万円くらいは掛かります。家庭ごみとして「燃えないゴミ」として小分けしながら出せばただですが、手間の割に全体の処分費用はあまり安くならないと思います。比較的広い(70-80坪以上)土地や変形した土地は更地にした方が買う側がはるかにイメージしやすいので早く売れる傾向があります。取り壊し期限を決めるので家財道具の整理が早く進むメリットもあります。業者に出すにしても、段ボールに入れてある程度区分けしておくと、あとが楽です。途中で気が変わって残したくなったり、関係者が「あれが欲しい」「あれがあったはず」とか言って来たりするので、梱包と山積みは整理が終わった最後にします。私の場合はまず家の中を早くすっきりさせたい一心から、写真左の指定ゴミ袋のように遺品で要らないモノは自宅に持ち帰って家庭の「燃えないゴミ」として順次出しました。貯めておいて、費用は掛かりますが、業者に全部まとめて持っていってもらう手もあります。骨董品は3業者くらいに鑑定してもらい、オークション相場と比較して安くなければ、一番高額査定の業者に引き取ってもらいました。各業者とも喜んで1品でも引取に来てくれます。1業者に全部まとめてというのが一番まずい処分方法ですが、無料鑑定とか言われて来てもらうと、「まあいいや」と安価でも売り飛ばしてその場で整理したくなります。着物、オーディオ家電なども同じです。ちょっと頑張って手間を掛ければ、5-10万円は違います。堂本印象「紅梅鳥の図」真作での具体例です。鑑定額は骨董商Aが45,000円、Bが70,000円、Cが30,000円でしたが、骨董商から指摘を受けた「シミやカビがある」旨も明記してヤフーオークションに出品したところ、2か月経って120,000円で売れました。骨董屋の評価額にも得意品目でバラツキがあることを認識しましょう。Bが何でも高いわけではありません。「まあいいや」の処分などと思わないで、手間を惜しまず、言わば「お金儲け」と思って頑張ったほうがいいと思います。作者不詳の水墨画の例です。骨董商の鑑定評価額は付きませんでしたが、役員就任祝いに頂いた作品だったので、入手経緯も書いてヤフーのオークションに出品したところ、1カ月ほどで40,000円で落札されました。処分が難しい工芸品の例です。亡き父が新居を立てる際に輪島まで行って100万円で買ってきた五段重です。買った老舗は今もあり、「同じモノを今発注すると納期1年200万円」と言われましたが、中古品のため、引き取ってくれず、骨董商3社に聞いても、「今は核家族化でこのような需要がない」と鑑定価格が出ませんでした。人間国宝の名品であれば美術品扱いになりますが、職人の手によるものはいくら輪島の金箔蒔絵品と言っても生活雑貨扱いになります。しかし、ヤフーのオークションに20万円で出品して半年経過し、正月前のシーズンに16万円まで値下げすると東京世田谷のセレブの奥様が娘に教えられたと落札されました。欲しい人がニッチな層だけに出会うまでが大変なのです。万年筆の事例です。これも骨董業者3社には扱っていないと鑑定を断られましたが、新品ケース付きの限定モデルだったようで、ヤフーのオークションに出品したところ、12万円で落札代理業者が落札しました。中国人のコレクターからの注文だったようです。時間と手間を掛ければ、高級品は売れるということでしょうか。デュポンのガスライターの事例です。ケースがなく、ガス、石とも手許にないので着火確認もできない状態でした。喫煙者減の社会環境では売れないのではと思っていましたが、オークションを下見すると熱心なコレクターがいて比較的高く売れそうなことが分かりました。正確な品名(S.T.Dupont デュポン シルバーマイクロ ダイヤモンドカット ライン2S ギャッツビー ガスライター)を調べ、アルコールと布ペーパーで磨いて出品したところ、3週間ほどで40,000円で売れました。自分の思い込みだけで判断してはいけないことを学びました。光学一眼レフカメラはマニアに売れそうに思いますが、望遠レンズや三脚、携帯ケースも含め、1点1,000円でも殆ど売れません。値が付くのはライカやNIKONのF2、F3など極少数の古典的名機だけです。反対に望遠レンズは小型、大型ともすぐに3000円-10,000円くらいで売れます。これも売りにくい代表品です。亡き母が三越で50万円で買ったアイリッシュドレスデンでバブル期には80万円でしたが、ブームが去って日本法人も撤退しました。こういうのは、ニッチですが根強いファンがいるのでオークションに向いています。出品3か月後に20万円で売れました。焦らないことです。ディズニー関連品はオリエンタルランドのお土産品雑貨は別にして、美術品、工芸品レベルになると高額で売れます。このピーターパンフィギアセットは13万円ですぐ売れました。LPレコードはジャズ盤のみ売れます。ロック、クラシック、歌謡曲は売れません。SPレコードは別にコレクターがいるようで、ヤフーオークションに出品2週間後に全部まとめて4,000円で売れました。カセットテープはビデオテープと違い、まだレコーダーで聴いていらっしゃる一般高齢者の方が結構おられ、歌謡曲や民謡、ダンス曲など全集モノは売れます。この女性ポップス大全集はレコードジャケットの写真が付属していたせいか、ヤフーオークションに出品したら、数日で4,000円で落札されました。CD/DVDの全集モノは古くても必ず売れます。ビデオテープは揃っていても売れません。パソコン、プリンターは動作トラブルや個人情報のリスクがあり、高くも売れませんが、未使用の純正プリンターインクのみ例外的に売れます。家電中古品は新品でも海外製品が安いので、一般的に売れませんが、小型の温風石油ストーブや電熱器は秋、冬に例外的に売れます。小型のガスストーブも市価が高いので売れます。
2024.04.20
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296GTを購入するに際して、通常のCORNESショールーム周辺の一般路、高速での試乗以外に岡山国際サーキットや湾岸イベント用地のクローズドコースでかなり思い切った走行をしてきたので経過をご報告しておきます。まず、岡山国際サーキットですが、2本のストレートと中低速コーナーで構成された全長3700mほどのコースです。オーダー済か商談中の顧客を対象にした完全予約制の試乗会ではGTB3台とGTBアセットフィオラノ1台が走行用に準備され、プロのレーシングドライバーが同乗してGTBで4周ドライブし、その後、アセットフィオラノでサーキットタクシーに乗せてもらいました。ピスタに乗って行ったので、試乗は特別にクオリファイモードのRACEポジションでさせていただき、バックストレッチの700mでは凄まじいフル加速で240km/hまで出ました。突き当りの25Rではブレーキングしてもノーズダイブのような姿勢変化は殆どなく、終始、鬼のグリップ走行でロールすることもなくスムースに回れました。ユーチューブで180km/hで25Rに突っ込んでいくツーリングカーレースの走行を事前に観ていましたが、スピードと安定感の違いに296GTBの実力を確認できました。中低速コーナーでもトラクションコントロールがピスタよりさらにリファインされて全く動じない滑らかさを感じました。レーシングドライバーがアセットフィオラノで走行した際はCT-OFF(ABS以外のTraction電子制御OFF)でのパドルとステアリング操作を横向いて観察していましたが、25R、30Rの連続での強烈な横Gに段々気分が悪くなってきて、最後は前を見て凡その周回タイムを計っていたところ、1分40秒前後でした。帰宅して調べるとスーパー耐久クラスのベストラップに近かったです。ヤレヤレ。ピットに戻ってタイヤのトレッドを確認しましたが、当日のアセットフィオラノにはオプションのミシュランパイロットスポーツCUP 2RK2が装着されており、驚くほど、摩耗していませんでした。ピスタに標準装備されたパイロットスポーツCUP 2K2も2RK2と同じくFISCO 12周でもあまり摩耗しない(後出写真参照)ので、やはりトラクションコントロールが深化して益々タイヤの負担が軽減しているように感じています。そのため、今回購入した296GTBアセットフィオラノには標準のミシュランパイロットスポーツCUP 4SK1を装着していますが、サーキット走行で比べながら様子をみようと思います。ミシュランのパイロットスポーツCUP2シリーズは458から愛用していますが、しっとり感があってコーナリングのグリップ力はもちろん、街乗りでも乗り心地がよく、大雨でもない限り、RACEモードで120km/h走行しても不安はありません。新品でも溝の深さが5.5mm前後の浅溝パターン(通常7-8mm)ですが、耐摩耗性の高さを反映しているようです。ともかく、296GTBもピスタ同様に自分でもっと走り込んで、コーナリング能力の高さに信頼感を持つことが必要と感じました。購入した296GTBに装着している標準のCUP4SK1タイヤです。まだ、1100kmです。ピスタに装着している標準のCUP2K2タイヤです。FISCO12周を含む、5,400km走行ですが、ショルダーの崩れもなく、摩耗は少ないと思います。岡山国際サーキットの試乗会から半年後くらいに、今度は湾岸イベント用地のクローズドコースでの試乗会に招待いただきました。200mほどの短いストレートとシケインのS字コーナーからなるコースでしたが、その時は初めてアセットフィオラノをレーシングドライバー同乗でまず2回走行し、その後、運転を代わって同乗させていただく形でした。ここでも初めからクオリファイモードのRACEポジションでドライブさせてもらいましたが、アセットフィオラノのポテンシャルの高さには全く仰天しました。天井知らずの直線的トルクによる暴力的な加速とS字コーナーでの踏み込んでも全くロールもスキッドもしない操安性はノーマルの296GTBより数段上でピスタを超えそうな未体験ゾーンでした。重心の低さも強く印象に残りました。レーシングドライバーはクオリファイモードのCT-OFFでのドライブでしたが、私から「容赦せずに走ってほしい」とねだられて、かなり頑張ってくれました。少しドリフト状態にはなったものの、基本はグリップ走行の感じで3点式シートベルトでは上体がはみ出そうになり、今後は凄まじい横Gに慣れる必要を感じました。私の場合は27年間乗ったポルシェのトラウマが強く、コーナリング速度を上げていくとアンダーステアからオーバーステアに急激に変化してスピンしそうになるという恐怖感がなかなか抜けません。乗っている私は怯えているのに、クルマはケロッとしてるんです(笑)。タイヤもスキール音の悲鳴が出ませんし、安心すればいいのですが、鳴きが無ければ無いで、昔のポテンザみたいに限界を超えると突然グリップを失うのではと的外れの心配をしてしまいます。走行後にレーシングドライバーと話したところ、「トラクションコントロールが全体的により滑らかになったので、サスをこれだけ固められたのだろうが、特にeデフの電子制御による左右ドライブシャフトへの瞬時のトルク配分がより完璧になっている」とのことでした。これを<翻訳>しますと、例えば左コーナーでアンダーステアが強くなってリアが流れそうになれば、右の後輪に荷重を掛けて踏ん張らせるということで、もし、ポルシェならこういう場合、素人ではとても怖くて踏めないアクセルを踏んだのと同じ効果を電子制御デフが与えてくれてリアのグリップが回復するということになります。(BLOGでこんなに投稿するとは思ってもみなかったので、当日の写真が無くて申し訳ありません。)この強烈な走行体験が最後の引き金になって、翌週くらいにアセットフィオラノを正式オーダーするに至りました。何と僅か7カ月で納車いただくとは知らずに。
2024.04.19
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458を2台乗継いで8万km走りましたのが、なぜ458スペチアーレを買わなかったのでしょうか。458スペチアーレと488ピスタはどこが違うのでしょうか。両車の相場がドンドン高騰する中でよく聞かれることなので、今までの経験に基づいて私なりに説明したいと思います。また、最近の出来事として、458スペチアーレの自走不能の事故車をCORNESが横浜ボディショップで本気で復元レストアし、ハイエンドモデルの個体を重視する新しい価値観を提案して来ました。修復歴無しの認定中古車が7000万円強で売られている中で、顧客のフェラリストによる入札方式で6500万円前後で落札されたようです。決して安くありませんし、その個体は2013年製で生産後20年以上経過したクラシックフェラーリでもないのに、クラシケの本社認定証明が付与されているとのことで、その点も極めて異例なので背景を探ってみたいと思います。まず、458スペチアーレを買わなかった理由です。1台目の458を乗っていた時にスペチアーレの新車を買った知り合いの方に30分ほど、六甲山を走らせてもらったことがあります。第一印象は軽くて回頭性がさらに良くなったことです。サスが固められ、エキゾーストノートもより大きくなって、車内はタイヤのロードノイズも加わってレーシーなサウンドで充満し、会話がしにくいほどでした。458の特性をより伸長させた感じで開発コンセプトの方向性を修正したり、パーフォーマンスの弱点を改善したということではありませんでした。458に乗って一番感じていた課題はトルク不足です。よくご存じの方は理解していただけると思いますが、トルクがないとスピードが出ません。カタログデータを見れば、その傾向がよく出ています。スペチアーレは458に比べて90kg軽量化され、最高出力は458の578psから605psに向上していますが、それはレブリミットの9,000rpmの値ですから、トルクの向上は断念し、圧縮比の12.5→14.1、コンロッドのチタン化、フライホイールの軽量化など元々の高回転型エンジンの特性をさらに極めたのでしょう。しかし、肝心のトルクが540Nmで458と変わりないのです。トルクを上げるためには、回転数を上げるか、排気量を増やすか、ターボを付けるかの3択しかありません。そのため、0→100kmは458の3.4秒に対し、3.0秒。0→200kmは458の10.8秒に対し、9.1秒と軽量化の成果が如実に出ていますが、ピスタの7.6秒、296GTBの7.3秒には遠く及びません。大人しい味付けのGTカーであるローマでさえ、何と458と同じ10.8秒。458や458スペチアーレは「最後のNA」と賛美され、F355から高圧縮比、高回転のエンジンを正常進化させてきました。しかしながら、最近の800回転!(アイドリングです)くらいからターボが効いて軽やかに吹き上がるツインターボの実力を忘れてはなりません。全域で効いているのでターボメーターなんて付いてません。もちろん、エキゾーストノートはツインターボ車と連続して乗り比べると458はしびれるなあと感じますが、ピスタやF8もよくチューニングされていて、サウンドが貧相とか細いという感じはしません。やはり野太く、ドスの効いた音色であり、まぎれもなくフェラーリ・パーフォーマンスモデルの一族なのです。NAへのこだわりというより、14.1という高圧縮比(ピスタ9.6、296GTB9.45)によるF1のクォン、クォーンというようなカン高いエキゾーストサウンドがどうしても好きという方は別ですが・・。458スペチアーレで高速を飛ばしたことはありませんし、自動車評論家の大半のちょい乗り試乗でも高速は殆どないと思いますが、恐らく180kmくらいから240kmくらいの中間加速ではツインターボ車のように中々速度が上がらず、オヤッ?と意外に驚くはずです。カタログの最高速度だけ比べても殆ど意味がありません。実際FISCOで1500mのメインストレッチを走らせると、第1(TGR)コーナーまでにNAの458やポルシェGT3RSは270-280km/hしか出ませんが、ツインターボのピスタ、ポルシェGT2RS、アストンDB11AMR、マクラーレン720Sは310-320Km/hまで出ます。やはり、最終コーナーの80km/h前後からADVANブリッジの230km/h前後までの中間加速はトルク差が如実に出ます。TGRコーナーから100Rや100Rからダンロップコーナーなどで追い抜く場面でもトルクによる加速が上回っていないとインからは中々抜けません。以上が458スペチアーレを買わなかった理由です。CORNESに希望オプション仕様のピスタを探してもらうようお願いした時は、すでに458が488より人気がありリセールバリューが高かったので、車検が来た458の1台目を乗り続けずに、走行距離の少ない2台目に乗換えて待てば、一番売買代金、維持費の資金負担が少ないと判断し、実際その通りになりました。458スペチアーレはカーセンサーなどを見ると、特にスパイダーが1億円のプライスになっています。街のショップが投資買いされたオーナーからの委託希望で頼まれて出品していると思われますが、スペチアーレの後継車と言われるピスタの相場を踏まえると、CORNESの7,000-8,000万円の出品価格が妥当なレベルと思います。レース・サーキット志向の458スペチアーレでスパイダーがベルリネッタより1,000万円以上も高額になるのはアメリカ市場でもなければ、可笑しいと思われませんか。同乗の彼女が一般路での乗り心地の悪さに悲鳴を上げるでしょう。その後の相場鎮静化 5/17お蔭さまで現在、ブログの閲覧数は全体で10,000件を突破し、本稿はその中でもかなり沢山の方々にご覧いただいています。458スペチアーレは458とともに新しい電子制御の時代を切り開いた歴史に残る名車ですが、トルク不足と電子制御の未成熟性は紛れもない事実なので、その後、市場に売り物が増えて、相場が相応の7000-7500万円に落ち着いてきたのは嬉しいことです。投資目的で買う方がいらっしゃるのは仕方ないですが、やはりクルマなので乗ってどれだけの価値があるかという一般の評価で相場が決まらないと異常だと思います。次に何かと話題の458スペチアーレ復元車の話に入ります。2月に実車が東京、名古屋、大阪のショールームで展示されていたのでご覧になった方もおられると思います。横浜ボディショップは元々サービスセンターでしたが、加修やレストアの経験を蓄積して、今回ボディセンターとして特化しました。このような動きはすでにアストンマーチンのディーラーである八光が先行し、ボディテクニカルセンターをメーカー本社と緊密に連携して充実させています。元の事故車は外目には大破というようなひどい状態でもなく、自走できなかったのが不思議なくらいです。しかし、外観がこの程度で済んでいるということはクロスメンバーやサイドメンバーがショックを吸収して歪んでいるということです。さらに内部でセンサーやECU、ラジエター、オイルクーラー、サス、ブレーキ、エアフロ―など電子制御機器がぎっしり詰まった現代車はそれらの損傷も含めると途方もない修理費用が掛かり、保険上の扱いは修理費用が3,290万円の当初車両価格から減価償却された価格の半額以上になる「全損」扱いになるんでしょう。右側のヒットで前後ともフレームが複雑に歪んでいるので、エンジンが搭載されたボルトオンのリアフレームは即交換、溶接されたフロントフレームは一旦切断して交換部分の溶接、前後のカーボンバンパーは即交換などなど、純正カーベンチに車体を搭載して三次元でミリ単位の復元が施されたようです。ファクトリーマニュアルの先頭パートはベンチデータがぎっしり記載されていて、ミリ単位で指定された3次元の位置にフレームを調整するのは至難の業でしょう。全体に歪んだフレームを引っ張りながら溶接できる状態にまで持っていくのが大変そう。CORNESも2か月掛かったと説明していました。こちらを引っ張れば、既に合わせていたあちらが歪み・・・とか、3次元の位置合わせは究極のイタチゴッコだったでしょう。ユーチューブでよく観る、アメリカのショップが手慣れた調子で作業している光景ですが、問題は精度をどこまで出しているかですね。正直なところ、「これでまっすぐ走るの?」です。「サーキット走行を楽しんで下さい」とCORNESは公言しているので、相当の自信があるようです。アルミの溶接は一発勝負。融点が低いので歪み、ワレ、酸化が進みやすく熟練度が勝負。過去からの溶接データが蓄積されていて、溶接部位の仕上がり状態はフェラーリ本社からもチェックが入るとのこと。CORNESの説明では溶接は30か所に及んだそうです。超高速での直進安定性がアライメント調整で試されます。リアフレームはボルトオンで新品交換。向こうが運転席側、手前が最後尾側です。前後バンパーはカーボンで即交換になります。20インチ鍛造ホイールF9J、R11JやミシュランパイロットスポーツF245/35、R305/30も4輪全て新品交換のようです。右側のドアトリムやフルハーネスも新品交換されたそうです。スイッチ類はワイヤレスにもなっているし、作業の大変さは想像に難くないです。CORNESとしても経験豊かなメカニック、エンジニア、マネジメントの総力を挙げての態勢で臨んだようです。復元プレートを付けるくらいですから、CORNESとしてもリセールバリューの維持向上にかなり注力されると思いますので、オーナーとしても将来処分しなければならない場合にも「修復歴ありの中古車」扱いとは次元の異なる安心感が持てそうです。フェラーリのクラシックレーシングカーを収集されているセレブの方とお話ししましたが、そもそも修復歴があるのは当たり前でかろうじてオリジナルフレームの一部を残している点が、「オリジナル」とされる所以だそうです。ペブルビーチコンクールなどではビス、ナットなども含めオリジナルパーツが多くないと入賞できないものの、売買交渉の上では、エンジンはリプロパーツ使用もやむを得ず、リペイント、再メッキは100%OKとのこと。ヨーロッパの金持ちはミッレミリアなどのイベントにはレプリカをもう1台作ってそちらで参加することが多いが、レプリカとは言え、仕上がりがオリジナルと変わりないので、オーナーが変わっていくうちに「オリジナル」扱いになることも多いとか。残存台数も諸説に分かれる場合が結構あるそうです。ともかく、修復歴の有無をやたら問題にする日本の既存中古車市場とは別のマーケットを育てていく必要がありそうです。なお、クラシケの認定に関しては、私の理解では20年以上前のビンテージフェラーり、クラシックフェラーリに限られていたと記憶していますので、なぜ2013年製の個体に対して付与されたのか、CORNESに今回の例外措置の経過をお聞きして、また更新します。横浜ボディショップと中古車事業部に照会しましたが、担当が違うのでよく分からないとのことでした。
2024.04.18
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HONDA SL350K0モデルは今から60年程前にまず輸出専用モデルとして発売され、国内販売店やユーザの強い要望があって、のちにウィンカーを付けてタイヤをブロックパターンからリブパターンのナローサイズにするなどの変更を加えて国内販売された当時としては何ともバタ臭く、非常に垢抜けしたカッコいいバイクでした。私も欲しかったのですが、学生の分際ではK1を買ってほしいと頼んでいたところだったので我慢するしかありませんでした。それから20年ほど経って、ディズニーのアナハイム本社に勤務した時に街を歩いていると何とあの憧れていたSL350が走っているではありませんか!キャンディーブルーでしたが、すぐに呼び止めて話を聞くとUCLAの学生でお金がないので、これをドミトリーの先輩から譲ってもらったが本当はスピードの出るロードバイクが欲しいとのことだったので、すぐに名刺を渡して後日交渉し譲ってもらいました。帰国に合わせて日本にコンテナ船便に混載してもらい、自宅でレストアを始めました。ただ、当時でも希少車種でしたので、ヤフオクやイーベイを通じてキャンディレッドの新品タンク、サイドカバー、フロントフェンダー、メーターなどを5年掛かりで集めながらの作業になりました。レストア完成後は継続車検を取って、時たま乗って昔を偲んでいます。当時のカタログでも輸出仕様のほうが断然カッコよかったです。これが国内版カタログ。国内向けモデル自体が太いキャラメルパターンのタイヤから細いリブパターンに変更されていることもあるでしょうが、折角のSL350の魅力が伝わらないない内容です。メインスタンドを付けなかっただけでもホンダとしては国内規制に対して頑張ったのかも知れませんが。ホンダの名誉のために言うと、当時、父兄と高等学校上げてのバイク排斥運動が盛り上がっていて、純真無垢な若者を刺激してはいけないという配慮があったと想像します。それでもこうやって、60年後の高校生の記憶に刻まれているわけですから、当時のインパクトの大きさが分かります。日本に里帰りした直後の姿です。シートのアンコも抜かれ、マフラーに穴が開きかけていましたが、雨の少ないカリフォルニアが幸いしてレストアベースとしては満点でした。エンジンのOHを終えて載せた状態です。
2024.04.16
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皆さん、突然次のような画面が出てきたら、対応サポート料金と個人情報の詐欺です。電源をOFFにして完全にシャットダウンしたことを確認のうえ、再起動すれば正常に復帰します。EscapeボタンやControl+Alt+Deleteボタンを押しても画面は一切動かなくなるので、通常の左下に出るスタート画面から再起動やシャットダウンをさせることもできません。電源長押しでOFFにしてください。好奇心を誘うようなニュース、商品のサイトがゲートになっている場合が多く、不用意にクリックすると何度でも出てきます。見慣れないサイトに余計なクリックはしないことです。マイクロソフトまがいの表示された「Windowsサポート」電話番号に電話すれば、個人情報を搾取されたうえ、外人と思われるオペレーターが出てきてマイクロソフトの社員と名乗りますがウソです。画面ロックの解除と再発防止のサポート料金として、1年間で2万円、3年間で5万円、永久で8万円というようなサポート料金を請求され、コンビニでプリペイド電子マネーを買って払うように指示されます。くれぐれもご注意を!
2024.04.16
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この度、コーンズ大阪ショールームで初の試みとして、モーニングカフェを開催されるということでご招待いただき、4/14(日)に行ってきました。開催時間は9:00-11:00でいつもの営業時間より早くオープン。最寄の南御堂の駐車場を特別に確保され、マーケティングの皆さんが出迎えていただきました。会場のショールームに入ると、大阪では最高級ホテルの誉れ高いセントレジスホテルのケータリングサービスでコーヒーにサンドイッチとサラダBOX、デザートの行き届いた御もてなし。ちょうど、ピスタやSF90などの認定中古車も並んでいて、さすがCORNES!という雰囲気でした。いつも大変お世話になっている営業責任者の前川様に加え、セールスマネジャーの布施様にも同席いただき、普段の商談や新車発表会、試乗会のようなイベントとは違い、落ち着いて色々とクルマ談義ができて非常に楽しかったです。ちょうど、このブログもお二人に初めてご紹介し、早速ご覧いただいて、凝り性の私に半ば呆れながらもじっくりお付き合い下さいました。感謝。歓談の中で、F355の弱点であるタペット音を無くすためのメカチューニング手順や430から始まった電子制御デフの左右ドライブシャフトへのトルク配分機能など、ディーラーメカニックのご経験に基づく貴重な解説もいただき、私としては何より勉強になりました。早速458やピスタのブログにも追記しましたので、皆様もご覧下さい。また、最近の高級外車ディーラーの動向としてベンツやBMWでは自社の専用テスターでなく、汎用テスターを車体に接続すると車載ECUがトラブルを起こすようになっているとお聞きして、時流に即した当然の流れと受け留めました。このブログでも7年間のメンテナンスプログラムのテーマでご紹介していますが、ディーラーと顧客の関係は今後、益々緊密になると思います。このような流れと同様に、CORNESオーナー限定アプリであるCONECOで認定中古車情報がカーセンサーやグーネットでの公開前に2週間先行して共有されるそうで、今後はピスタなど人気モデルや人気オプション車はその段階で売れてしまいそうですね。私の2台目458も公開前にCORNES顧客に売れましたが、そういうことがシステム化で加速されるわけです。南御堂の駐車場を特別に確保され、CORNESの方が常駐されているので、安心して駐車できました。モーニングカフェと言うより、ランチボックスに近い豪華な食事で満腹になりました。いつも大変お世話になっているCORNES大阪の最強コンビ、セールスマネジャーの布施様(左)と、営業責任者の前川様(右)には、マニアックなクルマ談義に終始お付き合いいただきました。キャバリーノ・ランパンテのみごとなカフェロゴに感激!9時からの開場前に入ってしまい、まだ準備中でお邪魔しました。専用アプリに愛車やこのブログの紹介もできればと考えています。ピスタは走行距離が伸びてはいけないし、女房からは「お爺さんがサーキットを走ってはダメ」と言われ、悩んでいます。CORNESの皆様、どうも有難うございました。
2024.04.16
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タウシュベツ橋梁はJRのポスターにもなったので、ご存知の方も多いと思います。旧国鉄士幌線の糠平駅と幌加駅間に掛けられたコンクリート造りのアーチ橋ですが、1937年に建設されてから1955年に糠平ダムが完成すると士幌線が人造の糠平湖を大きく迂回する形で路線変更になったため、結局18年間しか使われませんでした。私が1972年に初めてクルマで訪れた時は軽トラックが廃線になったこの橋梁の上を往来し、釣り人が橋に座って釣りをしていました。冬季は糠平湖の水位上昇で水没するとは聞いていましたが、殆ど注目されることのない単なる廃線跡という感じでした。その後、2017年から毎年訪れていますが、元々コンクリートの外皮の中に石を詰め込んだような簡便な構造であったうえに水没時の凍結の繰り返しで劣化が激しく、恐らく数年のうちにアーチの一部が完全に崩落して連なった姿は観れなくなると思います。地元の方々も保存のための補強計画を検討したことがありますが、数億円の工費が掛かるため、このまま放置して崩れ行く成り行きに任せるようです。雄大な景色の中に取り残されたようなアーチ橋の姿はまるで古代遺跡を思わせるだけに誠に寂しい限りです。写真を経年順に掲載しますので、崩落が進む状況を見ていただくとともに、時期や水量で橋の姿が変幻万化するのをじっくりご覧下さい。なお、現在立ち入りが制限されており、近くで観る場合は糠平温泉郷に朝6時ころに集合の2時間ほどのツアーに参加されるのがお薦めです。1937年(昭和12年)ころに建設中のタウシュベツ橋梁です。セメント以外の原材料は現地調達でした。竣工直後のタウシュベツ橋梁です。当時は原生林が迫っていましたが、1955年(昭和30年)の糠平ダム人造湖建設に際して伐採されて現在の景色になったようです。2017年7月まだツアーの存在を知らなかったので、対岸の展望台から遠景を観るだけでした。2018年8月初めてツアーに参加し、施錠されたゲートを通って、旧士幌線跡を通りながら橋梁に行きました。30年ぶりに変わり果てた姿を近くで見て、軽トラが走っていた昔を俄かに思い出せませんでした。この時もアーチの一部が崩れていますが、まだアーチ橋の柱の下に崩れたコンクリートや石が堆積しているところまで至っていませんでした。2019年8月 練平湖の水位が余り下がっておらず、アーチ橋が綺麗に水面に映っています。宮崎駿のアニメ作品に出て来そうな何とも幻想的な眺めです。橋の向こうから仙人が歩いてきてもおかしくありません。崩落部分も前年から殆ど変化がないようでした。それにしても古代の遺跡にしか見えません。橋の上面はどんどん浸食が進み、詰石が減って鉄筋がむき出しになりつつありました。2020年8月この年は春先まで糠平湖の水位が高かったのか、流木が旧士幌線跡の奥まで押し寄せていました。この年から橋梁に近づき過ぎないよう、ロープが全周囲に張られるようになりました。橋桁部分にクラックが入っています。橋の上端の鉄筋もかなり露出して見えるようになりました。崩落が進み、橋梁の柱の下に残骸が堆積しているのが観られるようになりました。腐った鉄筋が橋から柳にように垂れているのがはっきり分かります。近くで観ると、コンクリートの外側だけが残っているかのように見え始めました。2020年10月2020年の2か月後に再訪するとすっかり紅葉して寒いくらいでした。ここはツアーの集合場所がある糠平公園ですが、昔ここに下の写真のような大雪グランドホテルという大きなホテルがあり、2003年に倒産後も惨めな姿を13年間晒していたようですが結局公費で解体、整備され、現在に至っています。この旧士幌線跡に沿って林を抜けると橋梁が現れます。夏の姿とは全く異なる風情です。夏の農業用水需要が終わって、糠平ダムが貯水時期に入ります。こんな手すりのような鉄筋はなかったのになあと年々進む露出に驚かされました。2021年9月この年は数位が高く、ツアーには参加せずに対岸の展望台から遠景を観るに留めました。崩落が冬に進まないことを祈りながら・・・。2022年9月訪れたのが例年より遅く9月下旬でしたので、秋というか冬の足音を感じる気配がありました。寂寥感が胸に迫ってきます。2023年8月この綺麗なアーチの影がなくなると思うと切ないです。橋梁の上流側に広がる雄大な自然です。このような風景は北海道しか味わえません。何度も訪れる理由です。岸辺と接続する橋梁部分が崩落してなくなっていて驚きました。下に崩落破片が堆積しているのが見えます。もはやよじ登って渡るのも困難になってきています。もちろん、立ち入り禁止ですが。お付き合い願っている糠平郵便局の局長さんから分けていただいた記念切手シートです。このような形でタウシュベツ橋梁のことがより広く伝わり、沢山の方々のこころの中に残るといいですね。以上のように毎年確実に劣化が進んでいます。訪れるたびに私は古代遺跡の中に一人取り残されたような錯覚に陥ります。このまま崩れるのがいいのか、それが自然の輪廻かも知れませんが。
2024.04.15
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「転写マークやインレタがくっつかない!」とイライラされたことはないでしょうか。ないと答えた方はラッキーというより鉄道模型を十分に楽しんでおられないかも知れません。折角、買われても付属品を全く付けずにそのまま走らせるだけだったり、しまいこんでしまうようでは苦労もない代わりに楽しさも半減です。今まで沢山の転写マークやインレタを貼付してきて、試行錯誤の繰り返しで色々な経験を積んできましたので、皆さんの参考にしていただければ嬉しいです。まず、大まかな貼付作業の難易度をまとめますと次のような傾向です。1.文字の大きさ: <難> 小さい ↔ 大きい <易>2.貼付面の状態: <難> 樹脂無塗装、光沢塗装 ↔ 艶消し塗装 <易>3.製品生産時期(経年変化):<難> 古い ↔ 新しい <易>4.室内温度: <難> 低い ↔ 高い <易> 5.メーカー: <難>TOMIX 、KATO 、 エンドウの順 基本的なお薦め作業手順です。1.貼りたい部分のみカッターナイフで切断2.メンディングテープを上に貼る3.貼りたい車両に載せて、ボールペンで上下左右にこする4.静かに端から剥がしていき、定着しない文字記号があれば、メンディングテープを戻してボールペンでさらに入念にこする。このような手順を踏んでも、全然転写マークやインレタが車体に定着しない、あるいは文字や記号の一部が欠けてしまうということは結構あります。ここでは私が今まで経験した中で最も難しく、メーカーのお客様相談室に激しくクレームを申し入れても効果的な解決策を得られず、結局自分で試行錯誤を繰り返して、何とか貼ることができた事例をご紹介します。「ここまでやるか!」と呆れられる方もいらっしゃるでしょう。これはTOMIXのプラ(殆ど無塗装の樹脂地)製車体に車体番号のメタル転写マークを付ける最悪のケースでの対応手順でしたので、皆さんが直面される状況に応じて適宜取捨選択してご対応いただければと思います。まずは比較の意味で今まで最もカンタンだった事例をご紹介します。それは貨車の所属標記です。レボリューションファクトリー製のインレタで、エンドウの真鍮製有蓋貨車とKATOのプラ製無蓋貨車に計15両、30面に昨年秋に貼りましたが、台紙の上からボールペンで直接上下左右にこすっただけにも関わらず、一度も失敗せずに綺麗に貼れました。大きい文字、半艶消し塗装面、比較的柔らかいシート素材(KATOのように硬くない)のインレタが綺麗に貼れた要因だと思います。次に最悪だった事例です。それはTOMIXの「峠のシェルパ」EF63二次形プレステージモデルです。実車通り重連運用にしようとしましたが、在庫が揃わず、まず右側の1両だけ手に入れました。車番のメタル転写シートを上記の基本手順や下記のTOMIXの取説にもしたがって貼ろうとしましたが、両エンド用のベース板にEF6318の6文字のうち2-3字しか定着せず、ヒートガンでシートを加熱しても、うまくいきませんでした。なお、アンテナは双頭形カプラーの付いた2エンド側だけでなく、1エンド側も転写シートを貼るまでは取付けないで下さい。2エンドでは取付の邪魔になりますし、1エンド側もシートを加熱する場合に熱で細いアンテナが変形してしまう可能性があるためです。TOMIXの取説です。かなり貼りにくいのはメーカーも自認しているようです。そりゃ、そうでしょ!TOMIXお客様センターに電話して状況を説明したところ、応対女性は同じ問合わせが多いのか、マニュアルに沿って上記の基本手順を案内するだけで埒が明きません。男性担当者に代わってもらい、TOMIX側でも手許のEF63の修理用予備転写シートを使って試してもらいましたが、私と同様に定着しませんでした。結局、「シートの経年変化などの影響も考えられる」と新品の転写シートを郵送してくれました。郵送されてきた新品シートを使い、さらに試行錯誤を重ねて何とか1両目で貼るコツを習得したので、2両目のEF63では初めからその手順で貼りました。その手順は以下の通りです。基本手順通り、取り付けたい車番を切り取ります。基本手順通り、次にマスキングテープを貼り重ねます。エンド側の2枚に関しては、メタル転写シートをまずこのベースに定着させたうえで、車体に取り付けるのが無難です。TOMIXの取説にはベースを使わずに車体に直接転写シートを貼付する方法も紹介されていますが、試したところ、とてもくっつきません。裏面の接着面保護シートを外します。この状態では上から①メンディングテープ、②メタルインレタの保護シート、③メタルシートの3層になっています。温風の射出口の小さいミニヒートガンないし、小型ヘアドライヤーで、メタル転写マークの表面と接着面の両面を加熱します。なぜなら、定着しない原因はメタルの接着面の弱さより、むしろメタル文字と表面保護シートが固着しているためと考えられるからです。モノタロウで買ったミニヒートガンです。別稿の「持っててよかったツールとサプライ」を参照下さい。HCで売っている通常のヒートガンでは吹き出し口、熱量、風量とも大きすぎて適しません。ヘアドライヤーで代用する場合もまず遠くから患部に手を当てて温度を確認しながら、注意して加熱してください。加熱し過ぎるとスルメのように縮んでしまい、転写シートが没になります。位置によく注意して、メンディングテープのメタルシートをベースの上に貼り付けます。ベースに貼り付けた状態で、また軽く加熱します。次に基本手順通り、ボールペンでメタル部分を上下左右にこすります。ボールペンを使うのは先端のボールが回ってシートを傷けないから、さらにこすった箇所にインクが出て判別しやすいからです。ドライバーの先端などでこするとメンディングテープが破れてしまう可能性があります。インクで真っ黒になるまで万遍にメタルをこすります。こすり終わってからも、さらにフックの外側でメタルを押さえるようにして圧着します。圧着させながらも軽く加熱します。メンディングテープとメタルの保護シートをはがしていきます。この際、保護シートとメタルがしっかり接着しているためにメタルがベースにくっつかない場合が多いです。ここが最も難関です。くっつかない場合は一旦メンディングテープを戻して、もう一度フックで圧着したり、若干加熱します。ここまでして、やっとメタルがベースに定着しました。メタルがずれて水平垂直になっていない場合はフックの先でメタルをこじるようにして修正します。動かない場合は若干加熱します。メタルの定着したベースを車体エンドにゴム系接着剤で取り付けます。なお、接着剤は爪楊枝の先にまず付けてベースの裏面に引き伸ばすようにします。SLのナンバープレートと同じようにベースの裏側にゴム系接着剤を付けます。軽井沢方向の2エンド側の取付完了状態です。横川方向の1エンド側の取付完了状態です。次に車体側面への取付に入ります。まず、樹脂成型時の金型を外しやすくするオイルが薄く付いているので、研磨布(布ペーパー)で拭き取るとともに表面に非常に微細な凹凸を付けます。ちょうど半艶消し塗装と同じような状態にする訳です。なお、エンド側は車体側面に比べて付着オイルが少ないようですが、ベースを取り付ける時に必要に応じて同じ下処理をして下さい。車体側面はエンドのベースより、面積も大きいのでフックの外側でこすりながら圧着します。ヒートガンで軽く加熱します。加熱し過ぎて車体が変形しないように細心の注意をしてください。メンディングテープとメタルの表面保護シートを一緒に剥がしますが、メタルが車体に定着せず、保護シーと一緒に剥がれる場合が多いので、その場合はフックでメタルを車体に押し付けて定着させます。何とか、メタルが全て車体に定着しました。メタルがずれて歪んでいる場合はフックの先端でメタルをこじるように修正します。動かない場合は軽く加熱します。マーカープレートもゴム系接着剤を固定します。はみ出た接着剤は少し乾いてから爪楊枝の先で向こうに押すようにして切り取ります。代替方法のご紹介です。1両目のEF63に転写シートを貼付する際に余りにくっつかないので、TOMIX付属の真鍮板ベースの代わりに薄手のケント紙を塗装し、EF6319転写シートを試験的に貼付したことがあります。転写シートの付きがベースより良くて綺麗に定着しました。最悪の代替手段として頭に入れておいてください。別の代替方法のご紹介です。最近トレジャータウン社より下記の「機関車ナンバー金属インレタ」が発売されました。まだ付けたことはありませんが、これも最悪の代替手段として覚えておいてください。以上、長々と最後までお読みいただき、お疲れさまでした。メーカーには製品開発設計時にユーザー側の作業性も十分考慮して素材の選定をしてもらいたいものです。このEF63では本来、車体番号は転写シートではなく、天賞堂やKATOのような成型パーツをはめ込む形にすべきではないかと私は思います。下のKATO NゲージD51全流では取付は3-4分で失敗なく、終わります。TOMIX EF61重連 走る姿を見ていると、転写シートの苦労も吹っ飛びます。転写マークを付けずに置いていた方もぜひ、チャレンジしてください!最初からベテランの人はいません。
2024.04.12
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先日、アストンマーチンのご縁で本当のセレブと言えるご夫婦に招待いただき、素晴らしい豪邸で豪華な会食、歓談を楽しんできました。物腰の穏やかな品格あるご夫婦で本業の傍らで殺処分ゼロを目指す動物愛護団体を主宰され、獣医師、行政、ボランティアなどが協働して猫の無料不妊手術や多頭飼育救済、犬猫の団体譲渡事業支援などの活動を行っておられます。幸せとお金の関係は単純じゃない。幸せは心の中にある、人はパンのみにて生きるにあらず、窮すれば鈍する、衣食足って礼節を知る・・この歳になって、どれも正しいと思います。色々な方々との交流を通じて幅広く勉強させていただき、自分の人生の幅を広げられればと思います。なお、今回お邪魔したオーナー様ご夫婦は別に自慢されるようなこともなく、水平目線でお付き合いいただける知的で爽やかな方であることを付け加えておきます。成熟社会では、そうでなければ、こうはならないということかも知れません。1100坪の広大な敷地は谷を降りた小川に及び、本宅とゲストハウスが並んで配置されています。こちらは造りもさることながら、手入れの素晴らしさに感動したプールです。皆さん、ご想像の通り、少しでも放置すると落ち葉と苔まみれになります。素晴らしい眺望を楽しみながら、プールや入浴を楽しめるようになっています。何となく、マリーナベイサンズ に来ているような。このお風呂、最高でしょうね。誰かから見られるような環境ではありませんが、一応左右と後方側にカーテンが降ろせるようになっています。柵は敷地の境界ではなく、あくまで愛犬用の柵で、敷地は柵を越えて谷を流れる川までとのこと。谷のほうにはミニハイキングコースが色々設定されていました。トホホ・・・ゲストハウスは1階にホールやサロン、オープンキッチンがあり、2階に書斎、寝室、浴室、サウナを完備しています。今回、招待客で会食をしたホールです。ホストのオーナーはご夫婦で色々気遣いされていました。感謝。皆さんの淡々としたお話の内容は色々なクラシックカーの愛車談義のほか、19億円のプライベートジェットを羽田に駐機やヘリコプターで移動、大型クルーザーを日本とモナコに係留とか、スケールが大きすぎて夢を見ているような気分でした。ゆったりした歓談を楽しめたサロンスペース。ゆったり感が最高です。ゲストハウス前はさくらの広場になっています。空間って大切ですね。さくらの広場で談笑。ポルシェ、フェラーリ、マセラティ、フィアットなど、1940-1960年代の超高級クラシックカーのオナー談義に花が咲き、スマホ写真や動画を拝見しながらお聞きしているだけで圧倒されました。また、海外クルマイベントへの参加に関連して、「マイレージで最近、ファーストクラスが取りにくくなった」とか、「ビジネスクラスを正規料金でまず買って、アップグレードでマイレージを使うといい」とか、「ニューヨークから東京に正規料金で帰ったら、一人300万円強掛かった」とか、普通では聞けない新鮮な話題でした。淡路牛のA5シャトーブリアンをご馳走になりました。ミディアムレアのステーキは厚味もあり、ヤマワサビなどとも合って非常に美味しかったです。フィンガーフードも色々な味覚が楽しめてかなり凝っていました。有名な芦屋のレストランから料理教室も主宰するフランス仕込みの女性マスター、スタッフによる本格的なケータリングサービスがありました。今回ご招待を受けたのはクルマ仲間に、このマセラティ―の1953年製のクラシックレーシングカー「OSACA MT4 1450 FRUA スパイダー」のレストア、車検完了と有名なカリフォルニアのペブルビーチ・コンクールデレガンスで入賞したお披露目が目的でした。当時ビル・デイビットのドライブで活躍したままの姿に見事に復元され、神々しい雰囲気を漂わせていました。ビル・デイビットが乗っていた当時の写真です。レストアはイタリアのコーチビルダーとして有名なビエトロ・フルアが行いました。エンジンフード先端のイタリア、アメリカ国旗はハンドペイントで、ネジ1本も含め、全て当時のパーツが使われています。レストアの過程はこのように製本化して残されています。この個体はマセラティ好きでクラシックカーイベントにも盛んに参加している、あの堺正章さんが赤色で所有していましたが、レストアに当たりオリジナルのブルーに戻されました。1400CCとは思えない凝ったエンジン。これを1953年に作ったマセラティ兄弟の情熱が伝わってきます。キャブはWEBERで現在、国内で見る最小口径は40パイですが、それ以下かも知れません。横からの流麗なスタイルも素晴らしい。ゼッケンも当時の「9」で復元。詳しい社歴やレストアの状況はこのQRコードのサイトでご覧いただけます。ともかく、滝に打たれて修行してきたような一日でした。どうもありがとうございました。
2024.04.07
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鉄道模型ファンの皆さん、「弘法筆を選ばず」と言いますが、それはウソです。そうでなくても緻密な作業でストレスが貯まるもの。私の今までの試行錯誤の経験からお薦めできるツールとサプライをご紹介します。1.ビスキャッチドライバー車体の奥まったところのビスを締めるのに、中々ビス穴にはまらず、下に落としたり、モーターのマグネットにくっついたりでイライラしたことはありませんか。そんな時にこのキャッチドライバーはいかがでしょう。粘度の高いグリスでビスをドライバーの先に仮止めする手もありますが。2.フック部品を押さえたり、接着剤の乾くまで固定したり、中々くっつかないメタル転写マークやインレタを押さえたり、ナンバープレートにゴム系接着剤を塗る時にドライバーやカッターナイフの先で代用されている方も多いと思います。そんな時にこんなフックはいかがでしょうか。フックの先だけでなく、腹や曲がりの外側部分も使えるので助かっています。N小屋の内装シートを貼っているところ。フックの腹で押さえます。「ナンバープレートくらい自分で付けないとね・・・」とは言うものの、道具と慣れは必要です。3.使い切り瞬間接着剤瞬間接着剤は便利なようで扱いが厄介です。使おうと思ったらカチカチに硬化していたり、強くチューブを押さえると一気に出過ぎて、接着部分が白くなって大慌てという経験はありませんか。こんな小口のチューブを使って重宝しています。まず、付けすぎないのが接着のコツです。余っても、赤い栓をしておくと思いのほか再利用可能で、1回で無理に使い切る(捨てる)必要はありません。モノタロウで買いました。4.拡大鏡いろいろ精密作業には拡大鏡が不可欠ですが、場面に応じて色々揃えておくと助かります。写真のハズキルーペのようなメガネタイプを愛用されている方は多いでしょうが、私のような老人は虫眼鏡でさらに拡大することもあります。また、機関車内部のような暗い箇所を照らして作業する際は片手でLEDライトを持つより、電池照明付きのスタンド型ルーペの下で作業するほうが両手が使えて便利です。5.腰のあるピンセットピンセットは微妙な強さで挟んだ方がいい場合もありますが、逆にしなってしまうので強く握り過ぎてカプラーやドローア―のスプリングなどを飛ばしてしまい、机の下を探し回ったようなことはありませんか。腰が太くて全くしならないピンセットは意外に使う場面が多く、ぜひ揃えておきたいツールです。モノタロウで買いました。手前のタミヤのピンセットと太さの違いにご注目!普通のピンセットよりはるかにグリップ力が強いので、ラジオペンチの小型版のように真鍮線やリン青銅線などを曲げたりする際も便利に使えます。これを新たに見つけましたが、腰がさらに強いタイプで、極小や薄いパーツもしっかり掴めて先を曲げたりするのも容易です。細い糸も結べます。HOZANというメーカー品でモノタロウで1,700円もしましたが、それだけの価値はあります。ステンレス製で元々はどうも手術などの医療用のようです。3本持っておくと便利で、バネやビスを飛ばして机の下を探しまわることも少なくなると思います。6.先端変形ニッパーニッパーの先端部分の刃の裏側が大きくえぐれている変形ニッパーです。プラやABSパーツをランナーから外す際に残りバリが殆ど出ないので切断後にいちいちヤスリで削る手間が省けて作業効率が上がります。7.爪楊枝愛用されている方も非常に多いと思います。色々な使い方ができて綿棒とともに万能ですね。外れにくいKATOの客車やスカートの長い2階建て車体、あるいは鬼のように外れないTOMIXの機関車車体を外す時にクサビとして重宝しています。はみ出したゴム系接着剤やホワイトボンドを除去する場合、ドライバーやカッターナイフでは塗装を傷つけてしまう可能性があるので、爪楊枝に勝るツールはありません。接着剤が乾くまで局部的に押さえたり、角の部分を押し込んだりする時も活躍します。ナンバープレートくらい自分で付けないとね・・・とは言うものの、道具と慣れは必要です。はみ出たゴム系接着剤は爪で引っ搔いても伸びて中々取れにくいですが、カッターナイフは禁物。新品の爪楊枝の先ではみ出た接着剤を押すようにすると車体の塗装を傷つけずに取れます。ウレタンスポンジを切り抜く時の位置決めに。抜いても穴は残りません。なお、切り抜きのコツは別稿の「車両ケースを極める」で解説していますので、ご覧下さい。8.ハンダいろいろハンダが流れない、ハンダを付けようとしたら隣のハンダ付したところが外れた、余分なハンダを削っていたらハンダ付が外れた・・などなど、悩みは尽きません。30W前後の温度調整機能付ハンダコテや100Wクラスの強力ハンダコテ、塩化亜鉛溶液、ヤニ入りハンダ、キサゲ、ハンダ吸取りテープなど、悩み多きあなたの味方になってくれるでしょう。コテ先にまず軽くハンダを付けておく(ハンダメッキする)ことがコツ。ハンダ吸取りテープは銅メッシュで、100Wクラスのコテとともに油分なハンダ部分に当てるとあ~ら不思議、毛細現象でハンダが吸取られる優れモノです。9.アルコール液と介護用綿棒KATOやTOMIXなどのレールクリーナーやクリーニング棒は値段が高すぎます。消耗品ですので普通のアルコール液と介護用綿棒(ケア綿棒)で十分代用できます。価格は半額以下でドラッグスストアやアマゾン、モノタロウなどで手軽に調達できます。アルコールは「れーるぎゃらりー六甲」のこの道40年のご主人床次様に教えてもらいました。なお、アルコールはレールクリーニングのほか、タミヤカラー等で施したウェザリングの除去やエンドウの車体表面に融着した緩衝材の除去など、シンナーでは侵される車体のクリーニングにも使えます。また、TOMIXのプラ車体のように金型脱着用のオイルが薄く残っていて、そのままで塗料が乗りにくい場合、オイルを除去するプライマー代わりにも使えて用途が広いです。綿棒は汚れて黒くなれば、そこだけむしり取ります。写真の綿棒は使用中で大分小さくなっていますが、一度に両方のレールをクリーニングできて助かります。取っ手が長いのでトンネルや架線アングル、切通しの線路など、狭いところでも拭きやすくて楽です。ドラッグストアで安売りしています。全長25cm、綿の直径2cmです。取っ手が長いので、トンネル内のレールクリーニングも楽にできます。写真はNゲージNゲージなら両方のレールを一度にクリーニングできます。両側が切通しになっていうような狭い線路でも便利です。HOですと、一度に2本のレールは無理ですが、綿棒の先が大きいので、アルコールを付けてもよく持ちます。10.電子小型計量器機関車などのウエイト増量のほか、一般的な封筒の計量や台所での調理計量にも活用できます。1Kgまで計量でき精度も悪くありませんが、中国製なので一応商品の評価欄で確認してからアマゾンやモノタロウで買いましょう。蒸機機関車は大体500-600g、プラ製客車は100-150g、真鍮製客車は150-180gで室内照明やN小屋内装シートを装備すれば50g-70g増になるという牽引の目安も認識できます。11.通電促進グリス元々は屋外に晒されることが多いバイクのライトやメーター、バッテリーなどの接点通電促進のために開発されましたが、鉄道模型でも蒸機のドローアや客車カプラーのセンターピン、ピポット車軸、車体と床板の集電端子(特にKATOとエンドウ)、天賞堂カンタム搭載機の機炭連結端子などの通電促進に大いに効果があります。バイクショップ以外でもモノタロウなどで買えます。付けすぎるとが逆に漏電の恐れがあるので、爪楊枝の先に付けて塗布してください。粘度が高いので、精密ドライバーの先に付けてM1.4などの微細ビスキャッチャーに使うこともあります。車体と床板の接点も古いモデルほど繊細なリン青銅線などで錆や接触不良をおこしがちなので、塗布しておくと安心です。12.潤滑グリス色々試しましたが、よく推奨されるシリコンスプレーは粘度が弱いため、回転箇所ではすぐに落ちてしてしまいます。主台枠の上で激しく回転する動輪車軸やギアボックスの潤滑、客車のピポット台車からの異音(特にエンドウ)対策などに最もお薦めできるのがエンドウの「セラミックグリース」です。「必要は発明の母」とはよく言ったもので、エンドウに「新品の完成品でも異音がする」と文句を言ったら逆に強く薦められました。半信半疑で試したところ、キーキー、キュルキュル鳴っていた異音がなくなりました。「これこそ、マッチポンプ!」と苦笑してしまいますが、メーカーとしての努力は認めます。なお、潤滑剤は慎重に選ぶ必要があり、ミシンオイルや鉱物系の潤滑油・グリスはプラ製ギアの成分を侵してギア割れなどのトラブルやギアボックスの経年固着によるトラブルを誘発します。40-50年前はミシンオイルしかなかったので、自転車や真鍮製蒸機モデル(電関)など何にでもジャンジャン付けておりましたが(笑)。13.小型ヒートガン以前はホームセンターで売っているような強力ドライヤー並みのヒートガンを使っていましたが、鉄道模型には風量、熱量とも大きすぎるようです。例えば鬼のように付きにくいTOMIXやKATOの転写マーク(メタルが最悪😢)、インレタを温めようとすると保護したメンディングテープもろともスルメのように滲んだりして台無しになることもありました。この写真の小型ヒートガンは全長25cmほどでコンパクト、作業机の上でも邪魔にならず、風量、熱量も適度に弱いので扱いやすいです。強弱の切替えスイッチも付いており、塗装や接着剤の乾燥、コードの収縮チューブ固定などにも重宝しています。モノタロウで買いました。14.レール・車輪の集電向上剤「れーるぎゃらりー六甲」のこの道40年のご主人床次様からサプラス社の「LOCO」という製品を勧められて半信半疑で使ったところ、確かに効果がありました。M車の集電車輪の踏み面やレールに爪楊枝や綿棒で塗布すると、カーボンの付着が抑制され、ギクシャク走行の緩和やレールをクリーニングする間隔が伸びて作業が軽減されます。また、室内照明のチラつく客車の車輪にも塗布すると効果があります。塗布した状態で走行させるとレール面にも徐々に行き渡るので間接的な効果があるように感じます。原理的には車輪とレールの間のスパークによって黒い斑点のように付着する汚れを落とし、表面に不揮発性の極薄被膜を形成して付着を防止する機能があるとのことです。確かにこの集電向上剤を付けずに、単にアルコールでレールを拭いただけでは当初は非常に好調ですが、延べ3時間ほど走行させると再度クリーニングしないと集電不良によるギクシャクや不始動、スロー不調の症状が出てきます。だまされたと思って一度お試しいただく価値はあります。15.歯ブラシこれも「れーるぎゃらりー六甲」のこの道4年のご主人床次様から教えていただきました。SLや電気機関車のフランジは結構カーボンが付着しますが、綿棒にアルコールを付けたくらいでは擦っても落ちにくいので固めの歯ブラシを使うと頑固な汚れもかなり落ちます。それでも落ちない時はハンダ用のマイクロステンレス製「キサゲ刷毛」を使いますが、ほとんど稀なので真鍮工作の多い方でない限り、常備するほどではないと思います。マイクロステンレスのキサゲハケです。16.Nゲージ分解ハンドブックツールではありませんが、Nゲージの分解をするうえで、まず全体の構造とばらし方を俯瞰するためにイカロス出版の「Nゲージ再生 ビンテージメンテナンス」は作業机に常備しておくべきハンドブックとしてお薦めします。Nゲージがこの世に出てすでに30年。この本はモーターとコンデンサの回路、台車周りのギヤとウエイトとして機能するダイキャスト・モナカ構造の外皮という代表的な構成や完成品の手入れについて、要領よく写真付きで解説されています。メーカー面でもKATO、TOMIX、マイクロエース、エンドウ、学研、しなのマイクロ、中村精密などほぼ全てを網羅した形で全26種をカバーした労作です。構造を理解しないまま試行錯誤で分解を始めるとプラの爪を破損したり、逆に外れずに断念するリスクがあるので、急がばまわれ。ぜひご一読下さい。文字は小さめで老人にはきつい面がありますが、コンパクトさも重要であり、狭い作業スペースでは軽視できません。ビンテージモデルは精密度の妥協だけでなく、スケール面でも大き目だったことを再認識します。最新の超軽量、片軸動力のNゲージモデルからは信じられないくらい金属パーツが多く、HOゲージの構造を踏襲していることが分かります。個人的には電気機関車の分解が最も難度が高いと思います。それだけ、この本が役立ちます。17.作業専用机ツールではありませんが、別稿の「本当のセレブに招待される2」に記載のようにクルマ、バイク、自転車、鉄道模型、ミニカーなどのマニアの隠れ家にお邪魔したところ、何とROLEX社の時計職人用専用机と同一仕様の机を特注されていました。自分で今の作業台を改造されたりする時の参考にご笑覧ください。今のところ、以上になりますが、今後も更新を続けますので、よろしくお願いいたします。
2024.04.03
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ハワイ Hawaii・・、何とも甘味でロマンチックな響きがある反面、今さらハワイかよと思われる方もいらっしゃると思います。実は私も一時そう感じていました。JALPAKでの家族旅行2回、学生時代のアメリカ横断旅行、新婚旅行、ビジネスマンとしての語学留学やアメリカ出張など、10回以上訪れ、これを最後にとコロナ前に初めてお正月を過ごしました。「常夏のハワイ」などと昔のイメージが消えず、暖かいかと思っていたら非常に寒く、震えながらディナーショーを観ていました。ヒルトンやJALのサービスの悪さも重なって、後味の悪い旅行でした。71歳ですので海外旅行とは言ってもあと何回も10日間くらい足を延ばすような機会は限られます。女房と相談し、「最後のハワイ」として今度は真夏にセレブのように豪華に過ごそうということになりました。もちろん、本当のセレブの方々は20億円オーバーのプライベートジェットに乗って、カハラやダイヤモンドヘッドの別荘で・・ということになるんでしょうが。それでも旅行に際して、ハワイの話をするとDEEP HAWAIIに精通した方々が思いのほか、沢山いらっしゃって色々教えていただき、現地での出会い!も含め、本当に感謝しています。結局昨年8月に夢が実現できましたが、円安もあって二人で400万円近く使いました。さすがに遊んだという完全燃焼の気分になりました。Lulu likerの皆さんには豪華旅行の次はコンドミニアムとABCマートなどで日常のハワイを満喫することをお薦めいただいているので、ヨーロッパ旅行はイタリアくらいにしておき、代わりにハワイにもう一度行きたいと考えています。お薦め情報がございましたら、コメント欄でご教示いただけると嬉しいです。どうかよろしくお願いいたします。なお、こんな形でブログをするとは思っていなかったので、写真が僅かしかありませんが、どうぞハワイの風と香りを浴びてください。Mahalo!ルルライカ―の方に強くお薦めいただいた通り、ホテルはやっぱり、ロイヤルハワイアンとハレクアニで決まりです。円安とハイシーズン、ダイヤモンドヘッド・オーシャンビューとは言え、素泊まりで1泊20万円はさすがです。プロのLulu likerから頂いた写真を追加します。ロイヤルハワイアンのマイタイバーです。この落ち着いた何とも言えない雰囲気。戸外の風景とのコントラストが最高です。ルルライカ―の方に教えていただいたロイヤルハワイアンのマイタイバーはハレクアニのハウス・ウィズアウトキーより緩やかな時間の流れを感じさせる雰囲気で癒されます。その方のお薦めはコナビールのロングボートです。確かにハワイの味を感じます。コナコーヒーと同じですね。ここは残念ながら自宅のベランダ。マイタイバーと思って全部飲んでしまいました。プロのLulu likerから頂いた写真を追加します。プロのLulu likerから頂いた写真を追加します。こちらは先述のハウス・ウィズアウトキー。ハレクアニですから、けっして悪いはずがありません。ハレクアニのロビー。華美でないのが素敵。ハワイでフランス料理のフルコースか?と日本からムール・レストランを予約する時に少し迷いましたが、一晩くらいあってもいいのが分かりました。素晴らしい。濃縮した、いい時間でした。プロのLulu likerから頂いた写真を追加します。プロのLulu likerから頂いた写真を追加します。このフラは本当にうまかった。波間に漂っているような・・・。日本でもフラの愛好家が老いのも頷けます。定番ですみません。甘いもの好きなので、エッグスン・シングスは外せないかと。ベテランガイドさんのサービス精神には仰天しましたが、横で見ているだけでもハラハラしました。ナベサダのレコードジャケットにもなりました。風と波の音だけ。何日もたたずんでいたい。別に観光地ではなく、普通の臨海公園です。葛西や須磨のような・・・。大違い(笑)昔「私は貝になりたい」という映画がありましたが、「私はカメになりたい」。ビショップ博物館へは往復シティバスを利用しましたが、ダウンタウンや市民の皆さんと会話できて「普段のハワイ」をちょぴり感じ取れました。残っている宝物の少なさが何となくハワイ王朝のもの悲しい歴史を感じさせます。外に出た時の太陽の明るさとのギャップが何とも言えないです。ギャングのTボーン、ニューヨークのピータールーガーを思い出しました。A5和牛もいいですが、牛にかぶりついているような香ばしさが異次元の魅力です。チーフズ・ルアウのショーとハレクアニのフラディナーは高くてもそれだけの価値はあります。20-30年前はヒルトンでも素晴らしいディナーショーが観れたのですが、今は見る影もない。見慣れたポリネシアンセンターのショーとは格が違いました。動画を掲載できないのが残念ですが、高いだけにこのタヒチアンショーやファイアダンスも圧巻でした。ここまで来れば、色々言わずにやはり最上のシートを予約したいですね。次回はハワイ通の方に教えていただいたノースショアのタートルベイリゾートのオーシャンバンガローで過ごしてみたいです。「日常のハワイ」と言いながら、真逆の世界かも知れません(笑)Mahalo!
2024.04.03
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仁川から夙川に引っ越してきて、この10数年に亘り殆ど毎年4/1前後の満開期を狙って夙川のさくら並木を楽しんでいます。夙川沿いのさくら並木は谷崎純一郎の頃から有名で、さくら夙川というJRの駅があるくらいですから、インバウンドの観光客も花見に訪れています。ただ、毎年の写真をこうして比べると、さくらの老齢化が進み、つぼみの間隔が空いて連続していない木やつぼみの付いていない枝が多い木、あるいは幹が黒っぽくゴツゴツしている木が特に5年ほど前から目立つようになってきました。西宮市や地元の有志の方々もさくら並木の保存に注力いただいているようですが、他の地方での桜並木保存運動の内容を拝見すると、施肥としての御礼肥と寒肥や後継木の育成など、継続的なケアをしていかないと60-70年とも言われている桜の寿命の中で50年を過ぎると老木の域に入り、急激に勢いがなくなると言われています。その実態を時系列で振り返ってみましょう。2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年2018年つぼみのない、あるいは少ない枝が目立ち始めてきました。2019年2020年つぼみのない、あるいは少ない枝が一層多くなってきました。2021年2022年2023年2023年は特につぼみのない、あるいは少ない枝が多かったようです。2022年の写真と比べても花が貧相です。2019年と比べるともっと貧相に見えます。2024年4/7の満開快晴日に花見に行ってきました。残念ながら、昨年以上につぼみのない、あるいは少ない枝が多かったようです。両岸のさくらが覆うように夙川の川面の上で繋がらなくなり、空がよく見えるようになって川岸に咲いているだけの感じになりました。ここもかつては見事なしだれ桜で川面に花が写っていたのですが・・。上のほうの枝に全くつぼみの出ていない老木が目立ちます。数年前から慌てて若木を植樹しているようですが、焼け石に水のように映ります。「阪急沿線」ファンとしては何とかしたいです。今後、この桜並木がどんな花を付けてくれるか、心配ですが地域で大切に守っていくことの必要性を強く感じます。
2024.04.01
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学生のころからロックが好きで、プレスリーやビートルズ、ローリングストーンズなどのロックンロールに続いて、レッドツエッペリン、クイーン、キッスなどのハードロックや、キングクリムソン、ピンクフロイドなどのプログレッシブロックにはまっていました。しかし、30-40代になって仕事が忙しくなってストレスが多くなってくると、何かロックがしんどく響くようになり、エリッククラプトンのオーシャンブルーバードを聞いたのをきっかけにブルースに傾斜するようになりました。最初はこの名盤はドラッグ中毒におぼれたクラプトンの悲喜こもごもの人生経験を反映したものと理解していました。ただ、よくよく名盤が生まれた周辺を辿っていくと、そのルーツとしてオールマン・ブラザーズ・バンドのフィルモア・イーストライブに行き当たったのでした。天才的なデュエイン・オールマンに対して、何度もエリッククラプトンが共演を申し込んでいたのも頷けます。ストーミー・マンデイを初めて聴いた時は雷に打たれたような衝撃を受けました。ちょっと人生に疲れた中年にこれ以上、心に刺さる名曲はないのではないでしょうか。ブルースロックというジャンルがあるのを知ったのもこの時です。このジャンルで色んな演奏を聞くうちに心に残ったのが、ロリーギャラガーのブルースです。ゆったりとしたリズムの中で根知濃いギターソロが何とも言えません。そして、さらにブルースの源流を求めていくと、これだと感じる名盤に出会いました。余りにも有名な定番中の定番で申し訳ありませんが、BBキングのライブ・アット・ザリーガルです。1964年にブルースの王者が最も脂ののった時期にシカゴのリーガル劇場で行ったライブ録音盤です。シカゴだからこそと思える素晴らしい曲展開がたまりません。色々聞きたい名盤は沢山あるでしょうが、出会うまでが大変です。私は現在71歳ですが、人生を深く味わって来られたミドル、シニアの方々にお薦めしたい4曲です。因みにジャズではウィントンケリーとレッドガーランドが好きです。
2024.04.01
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16歳から23歳までDT1、TS400、マッハⅢ、CB750K1に乗っていましたが、クルマに転向、その後38歳ころから青春時代のノスタルジーを感じて当時乗っていた、あるいは乗りたいと憧れていたバイクをレストアして楽しむようになりました。一時はCB750K0砂型、CB750K1、GT750B、XS-1B、XS650SP、W1SA、マッハⅢ、CL350、SL350、RT1、TS250Ⅱ、TS400Ⅰ、350TRビックホーン、ハーレーDWGチョッパーの15台を同時に所有していましたが、現在は体力、気力の衰えもありmバイクは上記のうち8台に減らしています。このZ1は30年程前にウエマツで買った3000番台モンタナ州のワンオーナー車です。元々W1SAを探していて何度もウエマツを訪問するうちに、たまたま入荷直後の姿を見て先代社長と直接交渉の上、買うことができました。30年程前でも無改造で3000番台の個体は希少でした。以来、ずっと個人保有し、車検を継続していますが、マイル表示のメーターは意味もそのままで16000マイルは実走行表示です。
2024.03.31
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K1は21歳で新車を乗っていましたが、クルマに乗るようになって手放してしまいました。その後、40歳ころからもう一度バイクに乗りたくなり、初めて買った旧車がK1だったわけです。ただ、細かいところまで覚えていて、オリジナルと異なるところが気になり、結局好きになれずにK0の砂型を買ってすぐに買ったショップに引き取ってもらいました。その後、探し続けていましたが、なかなか見つからず、旧車イベントで展示してあったK1をじっと見ていると、西日本旧車会の会長であるオーナーからお声がけいただき、色々お話しをさせていただきました。そのうち、「ツーリングが多いので楽なK3に乗りたいから貴方に譲る」と言ってくれて、気の変わらないうちにと翌週には福山まで取りに行き、横浜までノートラブルで帰ってきました。フレームが1115602でエンジン番号はCB750E-1116044で、国内向けです。元々綺麗でしたが、譲ってもらった2002年ころはK1の新品パーツがメーカーやヤフオクで提供されており、HM300マフラー、タンク、メーター、シートなど、新品を入手して交換してあります。新品に交換してあります。HM300の新品に交換してあります。K0砂型と・・HM300にK0無番用バッフルを入れているので、猛々しいエグゾーストサウンドを楽しめます。車検も問題なく通っています。オリジナル塗装の新品に交換しています。純正新品に交換してあります。K1になって初めてカラーバリエーションが記載されるようになりました。しかし、写真右下のようにキャンディグリーン、キャンディゴールド、ポリネシアンブルーメタリックの3色のみで、現在最も人気が高いキャンディレッドは記載されていません。
2024.03.31
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1989年に北斗星に続き、豪華寝台列車としてデビューしたトワイライトエクスプレスも北海道新幹線の開通と車両の老朽化には勝てず、消え去ってはや9年を過ぎようとしています。しかし、その優美な旅の感動をもたらした特急寝台列車はぐーくグリーンの貴公子として永遠に多くの方々の記憶に留まることと思います。今回はそのトワイライトエクスプレスを鉄道模型で再現し、雄姿を偲びたいと思います。残念ながら乗車経験がないため、参考本やDVDを集めて雰囲気に浸っています。このブルーレイは走行シーンが色んな時期と場所で撮影され、編成の変遷やJR北海道、東日本の所有区分、各客車の車内外からの解説なども充実しており、モデラ―にとっては数あるビデオの中でお薦めと思います。ヤフオクでお譲りいただいた走行編成のスリット写真です。2013年10月に京都府山崎周辺を快走する姿です。HOのトワイライトエクスプレスTOMIX10両編成にN小屋の内装キットを組み込むのは1日1両が限度で2週間近く掛かりました。サンライズエクスプレスと北斗星に関しては、作業の大変さに着手をためらっていましたが、漸く、乗車を機会にサンライズエクスプレスのディーテルアップに着手し、現在進行中です。本稿では内装完成後の写真を収載していますが、製作過程は別稿の「サンライズを極める」をご覧下さい。NゲージのほうはN小屋内装パーツによるディーテルアップはこれからです。牽引機勢ぞろいです。EF81、DD51、ED76EF81はエンドウ、DD51は天賞堂カンタム、ED76はTOMIXプレステージです。10両編成の牽引はもちろんEF81、前位、後位のパンタグラフを上げて糸魚川からの直流区間を北上中・・。10両編成の牽引はED76の青森からのスポットリリーフで青函トンネルを抜けて北海道に・・・。10両編成の牽引はアンカーのDD51重連にバトンタッチ、五稜郭から札幌を目指して驀進中・・・。実際に急行ニセコとすれ違うことはなかったですが。Nゲージのほうは懐かしいあさかぜKATO7両編成、北斗星TOMIX7両編成とともに・・・。各客車別にN小屋内装パーツによるディーテルアップをご覧下さい。カニ24電源車カニ24電源車 内部に並んでいるトランスの冷却スリットも再現されています。オハネフ25です。オハネフ25です。オハネフ25です。ガイドブックによるオハネフ25の車内風景です。オハネ25です。オハネ25です。オハネ25の通路側です。オハネ25です。下の実車写真と比べると、ソファの背もたれカバーの形状なども再現されています。ガイドブックによるオハネ25の車内風景です。オハ25です。オハ25です。オハ25です。ガイドブックによるオハ25車内のサロン風景です。ガイドブックによるオハ25車内のサロン風景です。食堂車スシ24です。夢があります。食堂車スシ24です。ガイドブックによる食堂車スシ24車内風景です。スロネ25です。スロネ25です。スロネ25の通路側です。スロネ25の通路側です。ガイドブックによるスロネ25の車内風景です。やはり一人部屋でも豪華です。最後尾のスロネフ25です。スロネフ25です。スロネフ25の中間個室です。ガイドブックによるスロネフ25の1号車1番の車内風景です。ガイドブックによるスロネフ25の中間個室の車内風景です。Nゲージのディーテルアップなど、今後も更新していきますので、よろしくお願いいたします。
2024.03.31
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念願のフェラーリを手にされたラッキーなオーナーの皆さん、任意保険は大丈夫でしょうか?308GTBQVから488ピスタと296GTBアセットフィオラノまでフェラーリを10台乗ってきた中で、色々勉強してきましたので、私の経験が少しでも皆さまのお役に立てばうれしいです。なお、私の個人情報だけでなく、保険会社、代理店の秘密情報もありますので、具体的な保険証書や見積書を公開することはできませんが、ファクトとして受け留めていただいて結構です。まず、「対人、対物」は無制限ですよね。事故の相手や修理業者から必ずカモにされます。これこそ、最高の保険です。お忙しい日常の中で時間的精神的に多大な負担を強いられるので、ここは保険料の問題ではないことをご承知おきください。金額制限を付けても無制限でも思ったほど、保険料は違いません。次に車両保険の車両価格です。普通に行けば、購入時の車両価格に対して付保することになり、オプションの価格は含まれません。つまり、本体価格4,000万円にオプション1,000万円を付けても、付保の基準になるのは通常4,000万円です。購入時にオプションを削る方も多いですが、フェラーリの場合、オプションが多いほど納車時期が早くなる傾向があるのはご存知でしょうか。また、万人受けする魅力的なオプション仕様であれば、購入時に無理をしても付けておけば、後付けするよりはるかに安いですし、リセールバリューに大きく影響します。ピスタの例で行きますと、例えば、写真のリアモールをカーボンにするオプションは当時260万円ほどでしたが、後付けすると塗装、取付工賃込みで480万円掛かった実績を知っています。目立つリアモールがFRPのままですと、フルカーボンでないということでリセールでの人気が大きく落ちて、引合い件数や売れ足に影響し、最終的な価格にも響きます。260万円の差どころではありません。そうなってくると、オプション部分も付保しておかないと、全損も意識して付保しようとする方には補償が不足するようでは困ってしまいます。「全損なんてないよ。」という声が聞こえてきそうですが、フェラーリの修理費がどれくらいかかるか、ご存知ですか。ちょっとした擦り傷程度は別にして、前や後ろをへこましたとなれば、カーボンやアルミの外板ボディなので、鈑金は効かず即交換になりますので、200-500万円コースでしょう。センサーやコントロールユニット、盗難防止装置がぎっしり入った前後バンパーやホイールハウスがへこんだ上に自走できない状態になれば、1000万円は軽く超えて修理費用が付保の基準となった車両価格の50%を超えると「全損」扱いになります。そのようなケースなら、修理して売ろうとしても「修復歴あり」でリセールバリューは極端に下がるので、二重苦になります。けっして、他人事ではないんです。そういうことなら、修理せずに廃車にして保険金を貰って買い替えたいところですが、ここでリセールバリューの高いフェラーリならではの問題が出てきます。中古車価格が高く、保険金をもらってもかなり不足するのです。これは新車購入後、年数が経過すればするほど深刻になります。なぜなら、保険の対象になる車両価格は経過年数に応じて減価償却が進んでドンドン低くなるのに対し、フェラーリの場合は年式やオーナー数ではなく、車種の人気と走行距離、オプション仕様に大きく左右されるからです。保険料が安くなったと喜んでいる場合ではありません!それどころか、元々の購入時の車両価格より高いプレミアムが付いている車種も少なくありません。ピスタの場合ですと、元々の車両販売価格は4300万円前後だったと記憶しますが、今やカーセンサーなどを見ると7500万円前後の相場になっています。このようなギャップは昔はなかったのですが、さすがに保険会社のほうも最近では購入時の車両価格から相場を少しでも意識した付保をできるように新価特約を付けるようになりました。ただ、新価特約によりどこまで保険対象価格を追加できるかは保険会社によって異なり、代理店を通じての個別交渉になります。国内保険会社で新価特約により相場の85%前後まで付保を認めた例や購入後3-4年経過していても新車時の車両価格まで認めた例があります。新価特約を付ければ保険料は当然上がりますが、全損時の買替資金不足はそれだけ小さくなるわけです。なお、この新価特約は盗難の場合には適用されません。新価特約なしの車両価格が基準になるので、ご留意ください。以上のことを考えたうえで、ご自分の利用状況に応じて車両価格をいくらにするかをご検討下さい。殆ど乗らない方や街中で流すだけで事故をしても接触事故程度と言い切れる方は修理費用も高額にはならないでしょうし、相手の保険を使える場合も想定されます。ご存知の通り、サーキットをレースであってもなくても走行中の事故には適用されません。私の場合はワインディングを飛ばして自損事故で大破するようなことも想定できるので、車両価格を真剣に検討しました。最後に免責金額です。国内大手保険会社は軒並み20万円で統一しており、中々交渉で引き上げることは難しいです。しかし、保険料が高額なだけに事故を起こしても修理費用が軽微であれば、保険を使わずに修理するオーナーが殆どと思います。事故によって保険を使って求償すると、翌年から等級が3段階下がって事故有係数が3年間適用され保険料が増額してしまうからで、フェラーリでは元々保険料が高いので、非常に大きな問題です。元の等級と保険料レベルに戻るには3年間保険求償歴なしで過ごして4年目まで待つ必要があります。ですから、そのような契約者側の対応実態から考えれば、全損も意識して車両価格を高くして付保しようとすれば、免責金額を上げて保険料を下げられないかという考えが出てくるわけです。外資系保険会社では免責金額を20万円から100万円まで引き上げることができた例があり、免責金額の引き上げで年間保険料が10万円以上安くなることもあります。以上のように、任意保険は過去の踏襲による更新継続では十分な補償が得られない可能性がフェラーリには生じていることを忘れないでご検討いただければと思います。もちろん、35歳以上不担保条件にする、運転者を本人配偶者限定にするという工夫や、安全運転でゴールド免許を目指したり、抜かれたら抜き返すというような血気にはやった運転はしないというフェラリスタのプライドを持つことが前提として私たちに期待されていることを忘れないようにしましょう。GOOD LUCK!今後も新情報により、更新を続けていきますので、よろしくお願いいたします。
2024.03.30
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フェラーリ・・・唯一無二の魅力にカーマニアの方なら誰もが憧れるクルマです。いつかは手に入れたいと車種を決めて考えておられる方もいらっしゃるでしょう。私は今まで308GTBQVに始まって現在の488ピスタ、296GTBアセットフィオラノに至るまで計10台のフェラーリを乗ってきましたが、308、512BB、F355の3台はいわゆる並行輸入車でした。308と512BBは正確にはCORNESが正規輸入を始めていなかったのでディーラー車でなかったというほうが正確かも知れません。マフラー、ホイール、サスペンションなどの社外品を付けた改造車は一度も乗ったことがありません。今に至るまで随分色々なことを勉強してきたので、その経験が皆さまのお役に立てばうれしいです。CORNESが正規輸入を始めたのは512BBの後半からで、私の買った512BBは1977年式米国仕様の輸入車でした。F355は1997年式の並行輸入車でしたが、バブル景気で法外なプライスが付いたまま2年間未登録になっていてバブル崩壊で投げ売りされた出モノを買ったものです。このころは程度優先でお買い得であればディーラー車にこだわる必要はないと思っていました。512BBのOH、メンテなどはCORNESの元メカニックが経営するショップでやってくれましたし、細かいレストアパーツはCORNESで直接分けていただくこともできたからです。また、F355を買った頃から、CORNESも並行輸入車のメンテを受け付けてくれるようになり、新車だったこともあって、全てお願いすることができました。この話を聞けば、フェラーリは高いので、並行輸入車を買ってディーラーのOBメカニックがいるショップでメンテしてもらえば維持費も安く付いていいと考える方もおられると思います。古いビンテージフェラーリを買うならそれもいいかも知れません。もちろん、当時の本来の性能を再現するほどのレストア、メンテをするにはどこに頼むであれ、相当の出費を覚悟する必要はあります。512BBは40数台乗ってきた中で、レストア、メンテ費用が購入価格を上回った唯一のクルマです。別稿でも詳しく書いていますが、金遣いの荒い美魔女をパパ活したと思って下さい。個人的見解ですが、購入後も1000万円ほどの余裕資金をお持ちでない方が手を出していいビンテージフェラーリの限界はF355までと思っています。そういうF355でも、先日、熱心なオーナーに「ぜひ乗って下さい」と言われて乗りましたが、弱点のタペット音が耳元でかなり鳴っていて、吸気のタイミングが完全に合っていないのかトルクが出ていませんでした。まあ、フルパワーでも370NmでRomaの760Nmの半分以下ですから無理もないと言えばないですが・・・。また、左リアのダンバーが抜けているようで、右コーナーでアンダーが強く出ていました。エアコンも効いていないので弱点のECU基板劣化でパーツが出ればいいですが、モジュール交換が必要と思います。オーナーはあまり詳しくないようで、「いいでしょ?」と私に聞かれて正直返答に窮しました。いくら名車だったとは言え、狼の皮を被った羊に乗っているのが実態であり、動けばいいというのではなく、フェラーリと言える狼に戻すには大変だと内心同情してしまいました。また、不人気車を掘り出しモノだと思い込んだり、フェラーリという名前が付いていれば我慢しきれずに買ってしまう方がおられますが、リセールバリューが高くなければ、いくら1000万円を出しても普通の低年式中古車と考えたほうがいいです。人気車であろうと不人気車であろうと掛かる維持費やパーツ代、レストア費用は同じです。ここも見落としがちな重要なポイントです。すでにお持ちの方を思うと心苦しく具体的車名を書くのがつらいですが、F355以降に限っても456、488、612、360モデナ、FF、カリフォルニアなどには眼もくれず、もう一声じっと我慢して貯金するのが正解です。リセール価格の高い車種を買えば、次のグレードの人気車種への買替えに進める「フェラーリ独自の上昇気流」に乗ることができます。逆に安い不人気車に手を出すと、売ろうとしても安くしか売れず、結局長く乗ってしまって維持費等の出費が増えて、次の人気車への乗り換えができずに失速してしまいます。本題に戻りますが、2011年に劇的な変化が起こります。それはフェラーリが458を手始めに電子制御を本格導入したこと、それとディーラーが新車購入から7年間のメンテナンスプログラムを始めたことです。それまでも430でデフの電子制御が始まっていましたが、458になってエンジン、デュアルクラッチ、デフ、サスペンションに至るまで電子制御されるようになり、専用テスターがなければ十分なメンテが困難になったのです。その一方でフェラーリ本社も品質管理レベルが段違いに向上し、品質保証に自信を持ったのだと思います。各個体はシャーシ番号とディーラーでオーナーが登録管理され、本社もディーラーでの修理履歴データをオンラインで把握できるようになり、各パーツはシャーシ番号なしには調達できなくなりました。さらに偶然気づいたのですが、最近になってeurosparesやMaranello Classic Partsなどの部品サプライヤーの検索画面からパーツのイラストが全く見れなくなりました(後出画面写真参照)。アセンブリーで発注する場合を除き、個々の必要パーツを部品名だけで識別することは非常に困難です。また、CORNESの責任者からお聞きしたところによると、最近ベンツやBMWはメーカーの専用テスター以外の汎用テスターを車体に接続すると車載のECUが故障するような排他的機能が追加されたそうで他の高級車メーカーにも波及しそうなの情勢です。フェラーリはメカニカルチューニングができる最後の車種であるF355くらいまでは純正の専用テスター「SD-2」や「SD-3」を外販していましたが、その後の新機種の提供は止めているようです。専門ショップで愛車のメンテを受けている方はぜひ、専用テスターの保有機種を聞いてみてください。以上のように、部品供給と専用の故障診断テスターの提供の両面からフェラーリの締め付けは強くなっているので、ディーラー以外の街のスペシャルショップや外車修理工場でのメンテは益々困難になっていると思います。確かに入庫車種を見ると、テスタ、512TR、F348、F355、F450などが多く、最近の電子制御車種は見かけなくなっています。7年メンテナンスプログラムは従来の3年間の新車保証に加え、定期的な点検・整備費用をパッケージで提供するシステムで毎年の定期点検と、所定の時期に達したときのエアコンフィルター、エンジンオイル&フィルター、ブレーキオイル、ドライブベルト、エアエレメントの交換を無償とするものです。走行距離に関係なく、例えサーキット走行していても、ディーラーのイベントがあるくらいですから、問題ありません。但し、マフラー、ホイール、サスペンション、フロントリフターなどの社外品を付けた改造車は適用を受けられません。そう言えば、社外マフラーが全盛だったのはF355まででした。メンテナンスプログラムの7年間が終了しても、支払い額の追加によって8年目から12年目まで、このサービスを延長することができる「メインパワー」というシステムがあり、さらに13年目から15年目まで延長できる「メインパワー15」というプログラムもあります。これは新車保証の実質的延長にもなります。このプログラムの効果は絶大で、私のピスタの場合ですと先日2回目の車検を受けましたが、添付のように法定点検と諸費用のみの125,000円で済みました。アウディTTクーペの車検費用より安かったです。部品サプライヤーの検索画面ですが、昨年ころまでは左側にパーツのイラストイメージが掲載され、パーツ番号と容易に紐づけできるようになっていました。画面には「COMING SOON」とありますが、更新はありません。要はディーラー車であれば、所定のメンテナンスをきっちり受けている(受けられる)ので、最初は高いと思っても結局は売却まで考えると安く上がるということなんです。購入価格で考えるのではなく、買ってから将来売却するまでの売買差額で考えるのが正解です。リセールバリューの高いフェラーリだからこそ、言えることかも知れませんが、ともかく目先の安さに踊らされては後で大きな後悔をします。どうか、ご注意下さい。GOOD LUCK!
2024.03.30
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最近はプラ車体のモデルも玩具っぽさが無くなってきましたが、依然レジン成型の関係で単色のみのパーツになるため、室内照明を付けると興ざめすることが多いです。特に窓が大きい車両は放置できません。そこで比較的簡単にプラ車体のリアル感を増す工作をしたいと思います。なお、別稿でも触れておりますので、併せてご覧下さい。・真鍮製ブラス客車、電車:別稿「HO真鍮製ブラス客車・電車の車内作り込み」・室内照明:別稿「HO/N 難物KATOの室内照明を極める」・N小屋内装キット組込み:別稿「忘れ得ぬトワイライトエクスプレスを極める」 別稿「最後の寝台特急サンライズを極める」TOMIX 115系ですが、TOMIXは大体このパターンの構造が多いと思います。言わば無機質のレジン状態です。室内の塗装に当たっては、ネットで実車の配色を調べるのが一番手っ取り早いと思います。最近は誰がこんなに撮っているのかと思うほど、素材が豊富です。HOモデルの大きさでもNゲージほどではないにしても、はっきりした配色のほうが見栄えがいいように思います。レジンに金型抜きのオイルが薄く付いているため、塗装の乗りがよくありません(アルコールで拭き取れますが手間)が、窓ガラス越しに見えるだけなのであまり塗り方に神経質になる必要はありません。そこで近郊型としてはポピュラーな床がライトグレーでブルーとアイボリーグリーンの配色を選び、タミヤカラー(床:XF12明灰白色、シート:XF14明灰緑色、X-4ブルー)で塗装しました。床とシートの座面は特に目立つので丁寧に塗りましょう。分解する時は車体、床板、屋根の前後方向を間違えないよう、私の場合はシールを貼っています。写真では青い○シールです。何も考えずに作業に集中できるので楽です。近郊型でしたので、出入り口付近が伽藍洞にならないよう、吊り輪を付けることにしました。比較のためにパンケーキ社のペーパー製とすずめ模型の3Dプリンター製の2種類を買いました。実車では吊り輪は出入り口付近で3連になっています。上がすずめ模型製、下がパンケーキ製です。すずめ模型の3Dプリンター製はサポート材を最小限にうまく抑えてあるので、カンタンに取り付け可能な状態になります。他方、パンケーキ製はすずめ模型製より安価ですが、市電、私鉄などを意識した小さめの作りで、レーザーカットの切れがまあまあのため、取り外しにやや手間が掛かります。すすめ模型の吊り輪を接着剤(私はボンドGクリアを使用)で取り付けます。3ドアの車体なので、3連の吊り輪を出入り口左右に接着、1両で計12個使います。車体の窓から吊り輪の状態を確認します。パンケーキ社の吊り輪は写真のようにゲタを履かせて高さを調整のうえ、車体に接着することになりました。両社の吊り輪を付けた状態です。左がパンケーキ製、右がすずめ模型製です。取付が終わったら、室内照明を取付け、点灯を確認してから屋根を取り付けます。屋根の脱着が多少面倒ですが、KATOよりも集電端子の接触不良トラブルがないので、個人的にはTOMIXのほうが好きです。115系の完成です。ロングシートで窓が大きいE231-500(TOMIX例)では室内照明だけですと、水族館の水槽のようになってしまうので、室内の塗装に加え、吊り輪(すずめ模型製)と人形(EVEMODEL製 7両編成で計200体)を載せました。人形は1編成7-8両として100-300体ほど使うので、色々なメーカー品を試行錯誤のうえ、コスパを考えてEVEMODELの1/87を使っています。アマゾンで買えます。次にKATOの旧型客車スハ43を題材にした作り込み事例です。まず、例によってネットで実車の車内を確認します。KATOの場合は床板とシートが別パーツで色分けされていることが多いので、窓越しに見て目立つ座席のひじ掛けと背もたれ部分をタミヤカラーでグレー(事例ではXF-12を使用)に着色します。その後、EVEMODELの人形を配置しました。塗り終えたところで車体を被せて、窓越しの見え方を確かめます。室内照明を点灯した完成状態です。N小屋パーツを使った作りこみは、下記の写真のような別稿の「最後の寝台特急サンライズを極める」、「忘れ得ぬトワイライトエクスプレスを極める」をご覧下さい。今後も更新していきますので、よろしくお願いいたします。
2024.03.26
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あさかぜ、トワイライトエクスプレス、北斗星が2015年に一斉に廃止されてから、あとはカシオペアが臨時貸切り列車でたまに走るくらいになり、今や実車に乗れる定期運行列車はサンライズエクスプレス(瀬戸・出雲)だけになりました。寝台特急、急行列車が大好きなマニアとしては非常に寂しい限りで、新幹線を見ると時々腹が立つくらいです。ただ、そういう新幹線も車内販売が無くなって食堂車があった昔のころの旅の味わいなどどこへやら、ひたすらスマホを観ながら短時間で移動するだけの世知がない世の中になりました。それだけにサンライズエクスプレスへの想いは断ちがたく、東京出張の帰りにはぜひと思いながらも予約が中々取れず、結局今回出張の予定を無理やり早く確定してやっとお出かけネットでソロを予約することができた次第です。サンライズエクスプレスは14両編成で下り側の瀬戸7両と上り側の出雲7両が連結された状態で東京駅を出発、途中岡山で切り離されて、各々高松と出雲市に向かいます。定員1名の個室には以下の4通りがありますが、シングルデラックスとシングルツインは乗車1カ月前の発売とほぼ同時に売り切れるので、10:00の5分前から待機して予約入力しないと取れません。私の経験ではネットで取るよりも切符の引取可能駅の窓口に8:00頃に行って整理券をもらい、9:50頃に再訪して駅員に予約を入れてもらうほうが、確実に取れます。当たり前ですが、JRの社内端末のほうがアクセス権が優先しているようです。外部ネットから予約しても切符はあとで駅に引き取りに行かないといけないので、予約と同時に引き取れるなら、手っ取り早いという利点もあります。1.シングルデラックス A寝台 寝台料金13,980円 ベット+向いの机2.シングルツイン B寝台 寝台料金 9,600円 上下2段ベット 2人まで使用可能3.シングル B寝台 寝台料金 7,700円 ソロ+天井高+頭上机4.ソロ B寝台 寝台料金 6,600円3/13-3/14の出張日程が決まった2024/2/22にお出かけネットで予約しましたが、すでにシングルとソロしか残っていませんでした。慌てていて、ソロとシングルのどちらがグレードが高いかも分からないままソロを選択。トホホ・・模型でも葉巻型の太さが目立ちますが、実車もマッチョのイメージです。模型では案内板にも照明があればと思いました。HO KTM銀箱の北斗星には照明を後付けしました。こちらは号車は違いますが、HO模型です。3号車を降りて後方に移動しながら撮影。発車間際で急いでいるのでブレてます。乗車したソロは3号車(瀬戸)と10号車(出雲)にあります。3号車の通路風景。乗車した3号車「ソロ」の室内。手前を頭にして寝たほうが進行方向なので楽です。別に寝台料金1,100円差で「シングル」がありますが、違いは「ソロ」は床下にモーターがある関係で天井が若干低く、頭上にテーブルがないことくらいです。別にモーター音がうるさいとは思いませんでした。基本的にグレードの高い「シングルデラックス」と「シングルツイン」が殆ど乗車1カ月前の発売と当時に売り切れてしまうので、その後、予約で残っているのは「ソロ」と「シングル」が多いです。3/13は学生の卒業旅行などで全席満席でした。デフレ社会と言われますが格差は進んで、何だかバブルの頃の「殿様あさかぜ」を思い出しました。HOのあさかぜはKTM銀箱とKATOの2編成ありますが、KTMは殿様仕様にしています。ベットの幅は手前が若干広くなっているので、身の回りの動きがスムースにできます。3号車から2号車に向かう通路です。扉の手前左右にトイレがあります。14両編成のうち、10両は2階建てになっており、写真はサンライズ瀬戸2号車の2階通路です。2号車は9号車のサンライズ出雲と同じグレード構成で、具体的には2階に「シングル」9室、1階に「シングル」11室、「シングルツイン」3室があります。住宅メーカーとの共同開発で、木調の落ち着いた雰囲気です。人気があるのも頷けます。2号車の2階通路に上がったところです。全て「シングル」個室が並んでいます。こちらは2号車の階段手前にある「シングルツイン」室内です。定員は1名からで2人1部屋でも利用でき、寝台料金は9,600円です。このように自分が予約した以外の個室を撮影したい場合は早めにホームに並んで、自分の個室より先に他の個室を回って乗客が入る前に撮影する必要があります。姫路駅に3/14 5:25に到着。車内放送がないので、乗り越しに注意しましょう!サンライズの下りは京都や大阪に止まりませんので、姫路まで乗り越して戻る乗客が圧倒的に多いです。下車後、サンライズは姫路駅を発車しました。瀬戸と出雲のランデブーは次の停車駅岡山まで。そこからは前7両の瀬戸と後ろ7両の出雲に分かれて各々高松駅と出雲市駅に向かいます。岡山駅での連結切り離しを見る時は前7両のサンライズ瀬戸が先に発車しますので乗り遅れないように!姫路から5:40発の京都方面行快速に乗って戻ります。このように始発から2本目の快速にも関わらず、サンライズからの乗り換え客で結構混んでいます。西宮への戻りも姫路までの乗車券が使えて、自動改札では途中下車扱いになりました。ネット予約の切符を事前に受け取った時の駅員の説明では、「乗車券は一方通行ですから戻る場合は別に切符を買って下さい」との仰せでしたので、何だか得した気分。帰宅して乗車気分も冷めないうちに早速HOとNゲージの手持車両を引っ張り出して走行開始!HOは待避線から出発。品川の東京総合車両センターのイメージです。こちらはNゲージ。待避線で出発待ちです。7両でサンライズ出雲の案内板を付けていますから出雲車両基地のイメージです。走行後、前から買っておいたHOのN小屋の内装パーツセットをいよいよ開封して取付作業開始です。以前、トワイライトエクスプレスの10両編成に取り付けた際に1日1両しか作業が進まなかったトラウマがあり、なかなかサンライズエクスプレスに着手できませんでした。やはり、リアル体験は模型製作の後押しになることを痛感しました。3号車ソロ モハネ285まず、乗車した3号車ソロ個室のモハネ285から始めます。腰の強いピンセットと小型のカッターナイフが中心的なツールです。N小屋の内装セットは数が多いのでまず全部を確認して、一通り解説を読んでから始めたほうが無難です。N小屋の解説はもっと写真を増やして充実させるべきと感じますが、ある程度試行錯誤でシールの貼り間違いが出るのは仕方がない面もあります。したがって1両ずつ材料の使用状況を確認しながら、完結させていくのがよいと思います。大量生産方式で一気呵成に同型客車全てを同時並行で進めると、要領がつかめないうちに貼り間違い、貼り漏れをしたりする懸念があります。内装シールを車体本体に貼る前に、補助シールを主シールに貼り重ねる工程もあります。乗車した1階のソロ部分の個室が片側だけほぼ形になりました。乗車した時は車内から見たイメージですが、内装を作りこむ時は車外からのぞき込むイメージになるので、見える範囲の視点を変える必要があります。また、室内照明を点灯した時に内装シールですき間をふさぐと暗くなる可能性もあるので、その点はあとで実地に調整していきます。2階のソロ個室が出来上がりました。各個室に配布されていた水色の寝間着がN小屋セットにないので、追加で自作して枕元に配置しました。一旦車体を被せてみて、窓から車内のどこが見えるかを確認し、追加に工作すべき箇所が残っていないかをチェックします。今回の場合、ミニラウンジの床が見えるので、TOMIXの素地ベージュを実際のライトグレーに塗装します。既に貼った壁紙とグレー色が合っています。ドアからも床が見えるので、同じくグレー色で塗装します。TOMIXの玩具っぽい艶はABS樹脂の型抜きのオイルが残留しているためと思われ、そのままでは塗料の乗りが悪いので、アルコールなどで予め除去します。ミニラウンジの床塗装も終わり、これで3号車の作り込みは完了しました。室内照明を取り付けて点灯を確認します。車体を被せて3号車の完成です。1階のソロ個室がやや暗いですが、全体の仕上がりを見てさらに改善の必要があるか、検討します。後日4/22になって、N小屋の解説書には記載されていませんが、後出の6号車と2号車のサハネ285と同様にハンガーを1階、2階の各シングル部屋の壁に貼付しました。かなり、目立ちますので、皆さんも貼付された方がよいと思います。付属シートにカットされたハンガーの数はこの3号車に貼っても足ります。4号車シングル・シングルツイン サロハネ285次に手間のかかりそうな4号車のシングル、シングルツインからなるサロハネ285の取付に入ります。2階建てで車体のスカートが深いので、外しにくいようであれば、爪楊枝を挟んで車体を広げると楽です。最初のモハネ285と同様に車体、床板、屋根にカラータグを付けて、組付ける時に迷いのないようにしておきます。内装パーツはかなり複雑になってきて取り付けるに際して車体を何度もクルクル回しながら作業するので、余計な取り違えのないようにしましょう。モハネ285と同様に室内のガラス部分は先にメッキ色のシールを壁シールに貼付します。貼りやすい通路側の壁シートから貼付していきます。木目シートはN小屋の解説と違い、壁シートを車体に貼付してから貼る方が綺麗に貼れます。木目シールも先に貼ってから余計な長さの部分を細工ばさみでカットします。切れ味は作業効率に大きく影響しますので、道具はいいモノを選んで揃えておきましょう。2階への階段は何と細かいシールを1段、1段貼ります。貼る代わりに塗装することも考えましたが、幅の狭い階段の塗分けははみだしやすいので、ともかくシールで色分けをクリアにすることにしました。3つの階段にシールを貼り終えたところです。階段に貼ったシールの不揃い部分を塗装で隠します。ベットシーツを貼っていきます。1階はシングルツインで奥のシーツは貼りにくいので、腰の強いピンセットが重宝します。2階シングルデラックスのシートカバーを貼ります。小さい壁シートはピンセットや鍵形フック、爪楊枝などでよく角を押さえて貼付します。ベット側の内装が一応できあがりました。モハネ285と同じく、各個室に配布されていた水色の寝間着がN小屋セットにないので、追加で自作して枕元に配置しています。通路側の内装も一応できあがりました。ここで車体を被せて窓から車内をのぞいて、追加の加工をする必要箇所がないかをチェックします。追加加工箇所がなければ、室内照明を装着して点灯と1階シングルツイン部屋への照明の届き具合を確認します。これで4号車サロハネ285の完成です。1階への照明も十分届いています。5号車ノビノビ座席 モハネ285一気呵成に3両目の内装作業を進めます。次は寝台料金の掛からない5号車のノビノビ座席からなるモハネ285の取付です。個室が無く、上半身部分に仕切りが付いて寝転がれる形になっていて、2階構造です。2階の床に大きく開口部があるのは室内照明が下に届くようにするためと思われます。床のカーペットを模したシートを貼っていきます。2階部分のシートは開口部のために輪のような形状になっているので、ピンセットで周辺を押さえて定着させます。モハネ285は窓が縦長で大きいので内部がよく見えますので、2階の開口部断面が素地のベージュ色のままですと、変に目立ってしまいます。そこで、同色の塗装をすることにしました。ブルーとグレーの2色の塗料を混ぜて調合しますが、写真のようにトレイの上に2色を離して垂らし、真ん中の部分で混ぜて調色するのがコツです。いきなり混ぜてしまうと色が合いません。調合した塗料を開口部の断面に塗っていきます。開口部の断面を塗り終わったら、2階のパーティションにシートを貼っていきます。N小屋の解説書は非常に簡単にしか記載されていませんが、多種の細かいシートを貼っていく必要がありますが、小片のため、シートのレーザーカットが甘いです。したがってカッターナイフでシートの1辺に切り込みを入れてピンセットで剥しやすくします。2階部分は説明書通り、小片のシートをパーティション部分に貼りましたが、かなり単調な作業が続きます。今回は試みとして1階部分のパーティションはシートを貼るのではなく木調に塗装しました。作業は圧倒的に楽です。無理に全面をシートで貼ろうとすると大変な作業になるので、各自の判断で塗装に代えるのもありかと思います。次に通路側の階段に先出の4号車シングルのサロハネ285と同様に小さな長方形シートを貼ることになっていますが、ここも作業を効率的に行うため、木調に塗装することにしました。木調塗装用の塗料です。N小屋のシールは小片の貼リムラがあってもプラ下地のベージュと比べて目立たないよう、実車に比べてオークグレーの色調が強いように感じます。手っ取り早く塗装するとなると実車に近いナチュラルブラウン色を自由に使えるメリットがあります。ABS樹脂の車体には型抜きのオイルが薄く付いているので、塗料が多少乗りにくいです。本来はオイルをアルコール液やティッシュで除去するのですが、階段は細かいので塗料を乾燥させながら少しずつ塗り重ねています。階段の仮塗装の間に車体を被せてみて外からの見え方を確認します。その結果、2階の開口部がかなり目立つことが分かりました。そのため、窓から見える下半身部分の床シートを急遽貼ることにしました。2階の下半身部分に床シートを追加で貼った状態です。室内照明を搭載して点灯状況を確認します。車体を被せて、最終の窓からの内部の見え方を確認します。2階部分の開口部が半分になったので、目立たなくなり、1階の照明も心配したほどには暗くなりませんでした。これで5号車のノビノビ座席からなるモハネ285の完成です。6号車シングルツイン、シングル サハネ285続けて4両目の内装パーツ取り付けに入ります。シングルの構成なので3号車のモハネ285とほぼ同じかと考えていましたが、ミニサロンに代えてサハネではシングルツインが車両の両端に配されていて変則的な工作が必要になります。加えて、N小屋の解説がカンタン過ぎて迷ってしまうことが多く、かつシートのレーザーカットが甘くて小片パーツをシートから外しにくいため、結構ストレスが貯まりました。ただ、塗装作業はありません。少しでも皆さんの参考になるよう、写真と解説を多めにしますので、ご一読ください。まず、いつもの通り、車体を床板から外したら、前後非対称の車体の方向性を考えなくても済むように識別シール(ここでは緑色〇両端のシングルツインに挟まれて階段がありますが、これは窓から見えませんので内装加工は不要です。内装のどこが外から見えるかを常に意識して作業しましょう。2階部分の壁紙は写真のようにTOMIXの樹脂フレーム高より長いので、フレーム高に合わせて切断のうえ貼っていきます。N小屋の解説では木目シートを壁紙に貼ってから貼るようになっていますが、2階部分は壁紙とフレームの高さをまず揃えてから、木目シートを貼るほうが調整が楽なので後付けしました。次に1階の壁紙は手が入りにくいので、先に木目シートを壁紙シートに貼っておきます。壁紙シートには「1階」、「2階」、「平屋」と区分表示があるだけで、シングルツインに係る「平屋部分」の貼り方が解説不足で非常に分かりにくいです。写真のメッキシートはシングルツイン室用ですが、上下に長すぎるように感じられると思います。しかし、実はシングルツインはTOMIXの樹脂フレームでも2段ベットの床板が室内照明の関係で省略されており、窓の位置関係で隠れて2階に見えるので構いません。1階の壁紙シートも解説にはありませんが、上下の長さを2-3mmほど切断しておく必要があります。写真のように室内照明が1階にも行き渡るよう、1階の壁が途中から内側に湾曲して天井部分が開いているためです。1階と2階の壁紙を貼り終えたところでハンガーシートを貼付します。小片シートはレーザーカットが甘いため、ピンセットでは非常に剝がしにくいので、カッターナイフでめくるようにします。ベットシーツとシングル特有の茶色のデスクを貼付します。シングルツインの室内は車体の上下に分かれた窓が大きいのでよく見えます。ハンガーや木目腰板など手を抜かずに作り込みましょう。車体を仮に被せて、窓から車内がどのように見えるか、追加で内装工作をしなければならない箇所はないかを入念にチェックします。車体を外した状態でも常に窓と内装との位置関係を確認誌ながら作業を進めて下さい。他の車両と同様、ベットの上に配給された寝間着がないので、色紙で小片を作って追加貼付しました。内装の貼付が終われば室内照明を取り付けて、点灯確認を行います。特に1階部分に照明が行きわたっているかに注意しましょう。これで完成です。高松出雲側ですが、シングルツインの室内もよく見えますが、2階部分の床板が成型されていないのは車体に隠れて殆ど気になりません。ここもTOMIXが室内照明の行き渡りを優先したと思われます。完成車体の東京側です。2号車シングルツイン、シングル サハネ285続けて6号車と同じ、2号車の内装パーツ取り付けに入ります。作業の順番を考えて、同じ車体を連続にしたほうが、手慣れた手順で効率が上がります。作業のしやすい2階から1階の順に壁紙シートを貼付していきます。ハンガー、パジャマを除いて取付が終わった状態です。シングルツインは前述のように2段ベットが省略されていますが、窓枠に隠れて見えません。ハンガーは腰の強いピンセットを使うとやりにくい1階部分でも作業がスムースに進みます。ハンガーは外から見ても目立ちますので、しっかり付けておきます。車体を仮組みして、外から見た作業のやり残しがないかを上下左右からチェックします。室内照明を取り付けて、点灯チェック。これで完成です。シングルツインの部屋もばっちり仕上がっています。こちらもOKです。やはり同じ車種の2両目になると試行錯誤がありません。1号車シングルツイン、シングル クハネ285構成としては先の6号車、2号車と同じ、先頭1号車の内装パーツ取り付けに入ります。先頭ということもあって。車体が外しにくいので、爪楊枝でスカートを広げて取り外します。壁紙は2階から貼付しますが、例によってシートの高さが高すぎて、樹脂フレームを越えて照明の邪魔になりますので、5mmほどカットして低くします。2階の壁紙を貼り終えた状態です。高さを低くしたことによるシートの貼り残しの形状にご注目下さい。次に1階の壁紙を貼付します。やはり、腰の強いピンセットを使うと作業が非常に上がります。大まかに窓から見えそうな内装部分をチェックしたところ、ドアから通路がよく見えるので、床に余った茶のシートをカットして貼付しました。内装の貼付を終わったところで、いつものように車体を仮に被せて、窓から見える箇所で内装作業が必要なところが残っていないかを確認します。室内照明を取り付けて前照灯、テール灯を含めて、正常点灯を確認します。なお、室内照明は先頭車1号車、7号車は片側を短くカットして取り付けます。先頭側の完成状態です。向きを変えて反対側の完成状態です。7号車シングルツイン、シングル クハネ285いよいよ最後の内装作業です。構成としては先の1号車、6号車、2号車と同じです。慣れてきたせいか、ここまで壁紙を貼るのに2時間掛かりませんでした。作業を効率的に行うには、シートのレーザーカットが甘いので、形状が細かく入り組んでいるシートはカッターナイフで事前に軽くなぞっておいたほうがいいことが分かってきました。その典型がベットのシーツです。3つのパーツが連なっていますが、事前に切り込みを入れて離れないよう、慎重に剥がすと貼付の作業が倍以上はかどります。ハンガーや寝間着も含め、作業が終わりました。いつものように車体を仮に被せて窓から覗いて、やり残しの内装作業がないことを確認してから、室内照明を取り付けて点灯テストを行います。長さをカットするのは1号車と同じです。先頭の1号車と7号車は前照灯やテール灯がちらつかないよう、接点グリスを塗布しておきます。特に古いモデルの場合はリン青銅線など、車体と床板を繋ぐ接点が細いので、お薦めです。詳しくは別稿の「持っててよかった!ツール・サプライ」をご覧下さい。車体を被せて、照明、灯火類の点灯を確認します。結構、ハンガーや鏡が目立ちます。これで7両とも完成です。内装の作り込みプロセスを最後までご覧いただき、どうも有難うございました。やはり、N小屋のシートを貼る場合は、各シートをまず点検し、同じパターンの車両は連続して作業すると勝手が分かるのと慣れてくるので、早くできるようになります。トワイライトエクスプレスの時は10両編成で、食堂車、サロンカー、展望車など車両のバリエーションも複雑で1両1日のペースでしか、作業できませんでしたが、今回のサンライズは7両で正味4日半の作業を約20日間にわたって行いました。完成後、走行させたのが次の写真です。やあ、素晴らしい姿で大変、満足しています。やはり寝台特急、急行は内装を作り込むと全く見た目が違い、走行させていても楽しいです。ダブルリバースで両面、両方向から編成を見れるので嬉しいです。また、実車を乗ってみたくなりました。このサンライズの作業成果を踏まえて、北斗星のN小屋も取り付けたいと思います。また、投稿しますので、よろしくお願いいたします。
2024.03.23
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私の師匠と仰ぐYさまとは、ヤフーオークションでエンドウの成田エキスプレスをお譲りいただいたご縁がきっかけで、以来、拙宅に息子様とお越しいただくなど交流を続けてきましたが、この度、その工房を訪問させていただきました。工房は東京郊外の緑豊かな落ち着いた住宅地域にあり、HPで「鉄道模型製作販売記」というブログが公開されていて、国鉄蒸機から珍しい地方の電車、気動車まで多種多様なHOブラスモデルが収録されています。また、ヤフーオークションでは「lunaloveisthis」の出品者名でHO真鍮モデルを出品されていますので、一度ぜひご覧下さい。お邪魔したご自宅の工房は塗装と組立のブースに分かれた本格的な作業スペースになっており、部品類や車両の収納スペースも十分確保されています。塗装ブースの下には3台のコンプレッサーが設置され、室外への換気パイプも備わっています。よく見ていると電気スタンドも拡大鏡とともに精密作業の必須アイテムであることを再認識します。ハンダ工作で悪戦苦闘しているので、Yさまには色々ご教示いただきましたが、特に驚いたのは道具の豊富さです。ハンダコテも100W、60W、30Wなどいろいろな容量と円錐形、刀形、L字形などの各種コテ形状を揃えられ、特に車体の床板取付L字アームを取り付ける際のL字形コテなどは初めて見ました。また、塩化亜鉛溶液やキサゲは持っておりましたが、知らないハンダ吸取りテープを薦めていただき、帰宅後早速モノタロウで買って試したところ、カンタンに余分なハンダが吸取られるのでその効果は眼からウロコでした。ハンダの吸取りテープとは要するに金属メッシュですが、幅1.5mmと2.5mmを買いました。新たに買った100Wのコテを使って、ハンダの流れと吸取りメッシュテープの効果を確認。今まで、30Wと60Wの2本を使っていましたが、60Wでは真鍮板同士を留めるには容量不足でした。確かに100Wですとハンダがさっと流れます。また、HO真鍮工作の実例として、写真の珊瑚模型のC59キットや旭川市電モデルなど師匠がディーテルアップして組み上げた作品を拝見しました。精緻化と走行性能の関係や空気作用管の工作方法、ハンダの流し方、キャブ下、発電機周辺のパイピング、窓枠などの真鍮線の太さの選び方、水平・垂直の保ち方、各工作面の三次元での直角の保ち方、キサゲとパテの使い分けなどをご教示いただきました。「これだけ色々な真鍮パーツが隣接していると、ハンダ―付け中に隣のハンダが外れたり、直線位置がずれたりしませんか?」とお聞きしたところ、100Wのコテで一気にハンダを流すのと、熱くてもしっかり手で押さえるのが肝心とのことでした。指紋が無くなるまで・・(笑)空気作用管は私もエコーモデルの組立済キットをC59に取り付けたばかりだったので、砂撒管元栓との接合や継手の六角ユニオン、キャブへの引き込みなどの細部を比較しながら、改めてプロの超絶技巧に感心しておりました。訪問時のご教示を受けて、この道具類で今後はハンダ工作に励むことにしました。Practice makes perfect!なお、塗装はプラモデルで随分鍛えたつもりですが、真鍮は全く別世界でキサゲ加工やプライマー、サーフェイサーなどの下地処理が肝なので、追々ご教示いただこうと思います。
2024.03.22
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NゲージとHOの両方を楽しんでいるからか、Nゲージは存在感を高めるために長編成で室内照明を全車装着しています。あとで増結した場合の継続供給や品質の安定性から社外品は使用せず、割高でも純正品を使うようにしています。どのメーカーの室内照明が装着しやすく、チラツキが少ないなど、個人によって見解は分かれるかも知れませんが、私の経験をまとめたいと思います。まず、結論から申しますと、KATOの室内照明が取付が最も面倒で、接点不良のための不点灯やチラツキが多いと感じます。また、照明の色調も特にNゲージでは白色と蛍光灯色の区別が小さな「カラーフィルター」(オレンジ色のプリズム片)に頼っているため、違いが余りない印象です。ただ、そうは言っても所有車両でKATO製も多いため、弱点克服のために今まで工夫してきたことをまとめてみました。何かのご参考になれば嬉しいです。1.HO室内照明HOでは現行製品で代表的な7-505などのように車両の天井中央にLEDのプリント基板を取付け、左右に透明の照明板を差し込む形式が多いと思います。まず最初の要点はLED基板に取り付ける通電シューのU字部分をラジオペンチなどで軽くかしめて、床板に挟む下側のL字形集電板の先端との接点で接触不良が起こらないようにすることです。U字部分に通電グリスを塗布するとさらに確実です。なお、集電シューをきつくかしめ過ぎると下側のシューが入らずに逃げてしまい、不灯になるので注意してください。床板に挟む下側のL字形集電板の先端を実際にLED基板に取り付ける通電シューのU字部分に差し込んで下に落ちない程度がかしめる場合の目安です。接点グリスは元々バイク用ですが、モノタロウなどで買えます。下のカーボングリスはピポット車軸の円滑化と通電促進の両方に効果があります。次の要点は透明の照明板は車体の突起にはめ込むようになっていますが、両脇のプラ部分が折れやすく取付が不安定になりがちです。これを解消するため、両脇のプラ部分にある車体取付用の突起を削り落としたうえ、LED基板にしっかりはめ込み、両面テープで天井に固定するようにしています。LED基板を天井に直接留めるのではなく、両側の透明照明板に抱えさせた状態で照明板を固定する訳です。透明の照明板の両脇は本来、天井側に突起をはめ込んだ時にしなる構造になっているのですが、折れやすく固定の頼りになりません。したがって、両脇に付いている突起を上の写真のように削り落として天井には両面テープで固定します。左右の照明板を中央のLED基板に差し込んだうえ、両面テープで天井に固定した状態です。これでかなり接触不良による室内照明の不灯やチラツキは解消されると思います。20系客車8両編成 室内照明例 写真では分かりにくいですが、重連にも関わらず、客車8両全部で綺麗に照明が点灯しています。チラついたり、点灯しない車両が出て、足並みを揃えさせるのにかなり苦労しました。2. Nゲージ室内照明11-200番台などのように、LED基板をプラの基盤ホルダーに差し込み、床板の端にはめ込む形式が殆どと思います。LED基板の集電端子を少し内側に曲げて通電促進グリスを塗布しておくと、床板側のL字型の集電シューとの接触不良がかなり回避できます。基板フォルダーの付いた集電ユニットを床板のプラホルダーにはめ込む際に集電端子が外側に逃げてしまうことが多いです。接点グリスは元々バイク用ですが、モノタロウなどで買えます。下のカーボングリスはピポット車軸の円滑化と通電促進の両方に効果があります。白色と蛍光灯色の変化を小さなカラーフィルターに頼っており、車種によって照度の違いが大きいので、色調と照度の調整は半紙、色紙、カラーセロハン、料理用のアルミ箔を貼って行うようにしています。この利点は、LED基板と透明のお照明板の間で光が漏れて端まで照明が届かないトラブルを緩和できることです。電球色にするのはカラー用紙でLED基板と照明板の間を巻くように固定します。照度が低くて照明が車体の端で暗くなる時は、漏れないようアルミ箔で巻いて固定しています。透明の照明板の天井側の面にアルミ箔を貼る場合もあります。白色の場合はホワイトペーパーで巻くように固定します。SLばんえつ物語 室内照明例 白色ですが、明るすぎないようにしています。イチゴの促成栽培のビニルハウスのようにピカピカにしている方がいらっしゃいますが、興ざめです。車内の乗客は眩しくて乗っていられないのでは。なお、照度を落とすとLEDと反対側の端まで照明が行き渡らないこともあり、微妙な調整が必要です。この編成の場合、最後尾の客車は光源側と反対側の照度が違いすぎるので、さらに調整しようと考えています。最後は個車調整になります。旧型客車スハ43等 室内照明例 インテリアのグリーンを反射して照明が多少緑がかっています。さよなら20系客車 室内照明例 これも白色ですが、寝台列車ですから明るすぎないようにしています。つばめ・はと スハ44など 室内照明例 暗めの電球色でレトロ感を出しています。和式客車ふれあい スロ81系 室内照明例 白色ですが、車内全体に均一に照明が届くよう、苦労しました。これが限界です。キハ85系ワイドビュー飛騨5両編成 明るめの電球色で旅情のある高級感がうまく演出できました。113系湘南電車4両編成 照度を落とした電球色で日常性を演出しました。ななつ星 室内照明例 蛍光色を強くして落ち着いた高級感を強調しました。急行ニセコ C622 10両編成 軽量客車ですが実車同様、近代化改造よる蛍光灯変更後の照明としました。スーパービュー踊り子 室内照明例 イルミネーションを楽しみたかったので、天井にアルミ箔を貼って照明を反射させて車両による光色の違いも強調しています。現在までに以上のような工夫をして室内照明に支障がないようにしています。皆さんも一度お試しいただければと思います。
2024.03.19
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随分色々と軍用機のプラモデルを組みましたが、昔は人に見ていただくのは模型店に展示してもらったり、タミヤのコンテストに出品することくらいしか方法がありませんでしたので、製作過程を写真に撮るというようなこともあまりしていませんでした。それとパソコンのHDDがクラッシュしてデータが破壊されたりしたこともあり、今回ドイツ軍戦闘機の細部作りこみとしては比較的体系的にデジタル写真が残っている1/48フォックウルフFw190D-9を題材に掲載させていただきます。精緻度としては中学3年生の時に製作したハセガワの1/32ユンカース スツーカJU87Gが優ると思うのですが、知り合いにプレゼントしてしまい、写真ネガも残っていません。ただ、フォッケウルフのほうはハーケンクロイツなどもデカールではなく塗装したので、マスキングとエアブラシのペイント技巧追求度でははるかに優ります。また、別稿のB17のように実機を観察したのは、ミュンヘンの「ドイツ博物館」でメッサ―シュミット、ユンカースを観た程度で戦車を主目的にしていたため、じっくり観察、撮影しなかったのが今となっては残念ですが、もはや今となっては集中力と根気が続きませんのでちょうどよかったかも知れません(笑)。以下、大体の製作過程に沿って、手許の写真を掲載させていただきます。何かの参考になれば嬉しいです。最後までご覧いただき、どうもお疲れさまでした。写真を整理していて、二度とやりたくない作業と思いました(笑)。マスキングをはがす時の快感は確かに忘れませんが。
2024.03.19
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随分色々と軍用機のプラモデルを組みましたが、昔は人に見ていただくのは模型店に展示してもらったり、タミヤのコンテストに出品することくらいしか方法がありませんでしたので、製作過程を写真に撮るというようなこともあまりしていませんでした。それとパソコンのHDDがクラッシュしてデータが破壊されたりしたこともあり、今回米軍戦闘機の細部作りこみとしては比較的体系的にデジタル写真が残っているコルセアを題材に掲載させていただきます。B17のように実機を観察してまでの凝り方ではありませんが、参考書籍や写真集は買い集めて参考にしておりました。以下、大体の製作過程に沿って、手許の写真を掲載させていただきます。何かの参考になれば嬉しいです。完成機の雄姿は別稿の「プラモデルを極める 軍用機」をご笑覧ください。
2024.03.19
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HOの車両価格もどんどん高価になり、手放す時のことを考えると元箱や付属品はきっちり保管しておくのが賢明ですが、走らせて楽しむ時には元箱にいちいち入れたり出したりでは面倒で、走らせるのが嫌になっては本末転倒です。またヤフオクや専門ショップで中古品を買ったり、大昔に買ったモデルを再生して楽しむ時には元箱がないことが多いとは言え、そのまま無造作に保管すると傷つけたり、何がどこにあるのか分からなくなることさえあります。こうしたことから、私は模型だけでなく収納するケースにもこだわって楽しむようにしています。まずは市販のケースを活用するのが手っ取り早いですが、ある程度の強度があるものを選ばないと、重たい車両を入れると型崩れして車両を落としたり、互いに擦れ合って傷つくなどのトラブルもあります。今まで試した市販品の感想を写真とともにご紹介します。次に自作する場合も紹介しますが、結構ケースだけでなく、ウレタンクッションの調達や切断、切り抜き加工もネックになってきますので、この点も写真とともに触れたいと思います。安価でウレタンクッションも固めで予め切れ目が入っており、若干外れやすいものの、車両に合わせて整形できるのが利点です。ただ、外箱は華奢でウレタンの中を取り外すと全体的に強度は低く、重い機関車の保管には適しません。長編成の電車や客車をまとめて入れるには収納数の制約がありますが、手軽で安価なのでコスパは高いと思います。キャラウェイの車両ケースは定評があり、コスパが非常に高いと思います。出し入れが楽ですし、ケースもある程度しっかりしている割に軽いので、長編成の車両保管に適しているだけでなく、運転会や貸しレイアウトでの走行などで車両を持ち出す場合にも重宝します。アマゾンで手軽に買えますが、段々価格が上昇しているのが気になります。付属のウレタンが固めなので、車両間や上下面のカバーなど薄くても車両を保護し、破れたりしません。IMONのハードケースです。大人の鑑賞に堪える高級品であり種類も豊富で、長年の使用や積み重ねての保管でもびくともしません。各仕切りが箱として作成されているのが特徴で強度アップに貢献しています。機関車も一緒に収納できるのが有難いです。車両によっては前後にクッションを両面テープで固定して使っています。ラベルはメーカーロゴや実車写真を使って自作しています。エンドウから市販されている銀箱です。緩衝材もエンドウのスチロール製に統一しました。エンドウモデルは車体塗装面と緩衝材の融着トラブルがあるので、厚手のビニールで車両を保護したうえで収納しましょう。YAMA模型から市販されている化粧箱です。丁寧に作られていて木箱のように頑丈です。重いのでどちらかというと携帯用ではなく保管に向いています。重ねて積んでもビクともしません。最近、CASCOから「天賞堂製品対応のSL用収納箱セット」が発売されています。これは天賞堂の真鍮製ブラスモデルを入れていた銀箱と同サイズで3層になっているウレタンクッションのうち、2層目のウレタンフォームには予め切れ目が入っていて、手持のモデルに合わせて整形できるようになっています。外箱はまずまずの仕上がりですが、1層目と3層目のウレタンクッションが柔らかすぎる(硬いクッションのほぼ半額)のと2層目の切れ目の入ったウレタンフォームが高級感に乏しいのが難点です。メーカーに問い合わせたところ、1000個完売で終了するそうです。天賞堂からは従来の完成品収納用の銀箱に合わせて、固めのウレタンクッションで予め定型で3か所を切り抜いた形で販売されています。CASCOに比べ、やはり高級感が全く違い、大人の鑑賞に堪えます。私の場合のリニューアル例を示すと、手許の天賞堂真鍮製ブラスモデルC59が入っていた銀箱は外側にスレや破れがあり、中の黄色のクッションは劣化して変色、破れもあったので、適当に黒のクッションを切って補修しておりました。古くからの天賞堂ブラスファンの方は殆どこのような状態かと思います。そこで、今回CASCOから市販されている外箱に天賞堂の販売ウレタンクッションを入れて、くたびれたC59の収納ケースを入れ替えました。C59の製品名ラベルとTenshodoロゴは既往品ケースからコピーして貼っています。これで見違えるようになりました。別のリニューアル例として、天賞堂のブラスモデルC622に関しては銀箱の外ケースは比較的綺麗で、中のウレタンクッションのみ劣化、変色したために適当な緩衝材で補修していました。そこで、中のウレタンクッションを天賞堂販売の新品に入れ替えました。自分で一から車両ケースを自作したこともあります。段ボールを素材に、市販(モノタロウなど)の化粧紙を貼り、内部はニトリなどのHCで台所用品や事務用品の収納仕切りを買って加工しました。難しいのは次の3点です。1. 上蓋の箱と下の底箱をきっちり蓋が閉まるように寸法を正確に完成させる。2. 化粧紙はスプレー糊を平滑に塗布して空気が残らないよう貼付する。3. 化粧紙の折り曲げ部分の始末を綺麗にできるよう、ある程度現物合わせ部分を残して調整切断する。黒の厚紙はモノタロウなどで買えます。羽二重折の仕切りを作る時は山側の折り曲げ部分の寸法を余分に取って高さを揃えながら貼り付けていきます。無造作に作ると仕切りの高さが揃わず、綺麗に仕上がりません。仕切りは1両分ずつ箱を作って並べるほうが寸法が綺麗に揃って楽かもわかりません。IMONの市販収納ケースは車両を入れる1箱、1箱が内部に並んでいる構造になっています。向こうの2箱が自作です。真ん中のケースはKTMの上蓋のみ使って下の底箱と仕切りを自作しました。手前は比較参考で、仕切りが箱構造になっているIMONの市販ケースです。天賞堂の銀箱に関しては、クラウンモデルと同一仕様で化粧箱とウレタンクッションを特注しました。カンタム搭載SLの現行の青い横長ケースと同一サイズですが、機炭連結状態でドローワー端子脱着トラブルを避けてすっきり収納でき、しかも見た目は従来の真鍮製ブラスモデルの銀箱と同じ仕様です。具体的には1.寸法:天賞堂のカンタム搭載SLモデルの青色化粧箱と全く同一 =真鍮製ブラスモデルの銀箱の横幅275mmを316mmに延長 上蓋寸法181mmX316mmX65mm、底箱寸法176mmX311mmX60mm2.化粧紙 天賞堂と全く同一のエンボス銀色紙3.ウレタンクッション 天賞堂と同一の固めの高級品 3層構造で、上下は15mm厚、真ん中は35mm厚で切り抜き無の仕様仕様の細かい詰めと最低発注量の調整が大変でしたが、非常に品格のある化粧箱ができ、満足しています。現行カンタム搭載モデル用の青色ケースと同サイズです。真ん中のウレタンクッションは切り抜きまで特注すると刃型製作費が非常に高価になるため、手許の各モデルに合わせてカッターナイフ等で切り抜くことにしました。まず、実際のモデルを置いて、要所に爪楊枝を突き立てます。慣れないうちや目の悪い方は赤のボールペンで爪楊枝を繋ぐ切断線を書いて、切断線の外側をカットするようにします。切断後、ボールペンのインクがウレタンに残ったら、アルコールかウェットティッシュで拭き取ります。新しい長い刃に入れ替えたカッターナイフで垂直、水平に注意しながら、金属定規に沿ってウレタンに切り込んで行きます。カッターの刃は新品を使わないと切り口が綺麗に切れませんので、惜しまず使いましょう。下に刃が貫通するまで数回繰り返し切ります。次第にカッターナイフは手前に引く動きから前後に動かす動きに変えるとスムースに切断できます。ウレタンの切れ込みの角は次の写真のようにカッターナイフの刃を垂直に立てて綺麗に切り離します。ウレタンを貫通してからはカッターナイフを前後に動かしながら切るようにすると確実です。切り抜きが終わったところです。左下は付属品入れ、右下はテンダーを切り離して単独で収納するスペースです。前後のカプラー部分はあとで細いカッターで途中の深さまで切り取ります。カプラー部分を切り取った後の状態です。細かい切りくずは最後に除去します。カッターナイフで一応綺麗に切り抜けますが、より完璧を望むなら、ウレタンクッション/発泡スチロール/グラスウールなどの専用カッターがモノタロウなどで買えます。さずが専用カッターだけあって綺麗にスパスパ切れます。切り口もご覧のとおり。単に切るだけでなく、例えばカッターナイフで綺麗な断面に切れなかったときの凸凹を削って平滑にすることもできます。機関車とテンダーを連結状態で収納する際は、厚手のビニールに半紙を挟み、病人を担架からベットに移す要領でビニールの端を両手(写真ではカメラを持つために右手だけで持っています)でウレタンの中に入れるようにするとモデルの損傷を完全に防げます。機関車とテンダーを右手、左手で別々に持って入れるより、はるかに楽で安全です。何も包まずに直接ウレタンに入れると連結解放テコや前照灯、手すりなどが引っ掛かって外れてしまう可能性があります。特注ケースにクラウンモデルのD52を機炭連結状態ですっきり入れることができました。取説のほか、下の左側に付属品も余裕で収納でき、右側にはテンダーを離して単独で収納することも可能です。写真では切り取ったウレタンを埋めてあります。大人の鑑賞に堪える品格があり、とても満足しています。最低発注数の関係で余ったケースをヤフオクでお譲りしていましたが、お蔭さまで11名の方に29箱をお譲りでき完売いたしました。どうも有難うございます。
2024.03.16
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北海道の苫前(とままえ)の三毛別(さんけべつ)六線沢で大正4年(1915年)に起こった史上最悪の羆(ヒグマ)による7人の惨殺事件をご存知の方は多いかも知れません。苫前郷土資料館に事件の展示があるほか、「復元現地」も現在の苫前町三渓に整備され、次第に観光地化されてきたので訪れた方もあるでしょう。ただ、最近では綿密な資料や現地調査もせずに、安易に他のネット記事を無断転用したような記事や表面的な観光地訪問記も増えていますので、私なりに突き止めた真相をまとめてみたいと思います。事件は大正4年12月9日、北海道天塩(てしお)山地の苫前村六線沢で34歳の太田(内縁 阿部)マユという開拓民の女性と6歳の男子(養子予定)が小屋でヒグマに襲われたことから始まりました。女性は惨殺されて山林まで引き去られ、熊の習性から獲物として一旦雪中に埋められたうえ、最後には頭蓋骨と手足を残して「完膚なまでに」食殺されたと当時の新聞は報じています。襲撃したヒグマはさらに翌日夜に何と二人の通夜の席上に乱入し、集まっていた6人を襲いました。そして続けて300mほど離れた隣家に集団で避難中の男性1人と女性、子供の計10人を襲ったのです。この現場には斎藤タケという妊婦の女性も居て、隠れていた俵の影からヒグマに引きずり出されて「腹破れんでくれ」「のど喰ってくれ」と胎児の命乞いをしたのですが、上半身を食殺され、胎児は体外に出されていたそうです。警察や軍隊など200名余りの討伐隊が結成されましたが、何度か追い詰めたにも関わらず、ヒグマを手負いにしながら撃ちそこなってしまい、結局は事件6日目の12月14日に一人で熊撃ちをしていた山本兵吉というマタギが漸く至近距離から撃ち殺しました。この巨大羆は11月から六線沢に出没して入植小屋にあった干しトウモロコシを獲ったり、事件の数日前には旭川や天塩で女性3人を食殺した同一個体ではないかと言われています。事件は添付写真解説のように映画化されたほか、ドキュメンタリー小説や漫画でも描かれました。しかし、実際の事件現場が現在のどこなのか、現状はどうなっているのかはよく分かりません。この疑問がずっと頭に残っていて、何度も現地調査を繰り返すうち、漸くその全容を解明することができました。添付写真の最後に一応地図を添付しましたが、現在の復元現地に至る道道1049号線と地図に示した当時の農道は大きく異なっており、三毛別川も改修が行われて蛇行が少なくなっています。復元現地周辺は現在も居住者無人地帯で道路も砂利道であり、写真の国有林林道は立入り禁止です。実際の事件現場を探すには1049号線から外れて草木、クマザサの中を踏み進む必要があり、全て自己責任にてお願いいたします。熊の被害に遭われても一切責任は負いかねますので、悪しからずご了承下さい。これらの著作は旭川営林局技官の木村盛武氏が昭和39年(1964年)に執筆された「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」や事件関係者本人などへの取材をベースに書かれていて、いずれも真摯な力作です。木村様の著書は初版が1994年、吉村様の著書は1982年で、いずれも重版を重ねています。漫画も1998年初版と古く、漫画は漫画でリアル感があって、一読の価値があります。留萌からサロベツ原野に向けて北上する国道239号線沿いに苫前町庁舎があり、その前にヒグマの看板が立っています。苫前町庁舎の国道を隔てた反対側に東へ入っていくと苫前郷土資料館があります。ご高齢の親切なオバサンが案内におられましたが、最後にお会いしたのが2019年で現在もいらっしゃるかは分かりません。三毛別羆事件の発生経過など、基本情報を収集できます。惨劇が繰り広げられた入植者の小屋を再現する展示があります。成人男性と男の子がいるので、12月10日に明景家を襲ったシーンと思われます。何度か訪問していると、入場者からの指摘で照明が暗くされたことに気づきました。現在の苫前町は海岸沿いにありますが、本州からの入植者による苫前地区の開拓は海岸線から三毛別川を辿って山間部の原野を南東に進む形で進められました。昭和26年の入植農家の風景ですが、事件のあった大正4年ころと比べると小屋も一部板壁になって、徐々に住環境は改善されているように見えます。本州からの集団入植は明治43年頃から始まりましたが、収穫量にも格差が出始めていて、写真の農家は広い窓が付いた板壁のしっかりした作りで比較的成功者のように見えます。いずれにせよ、事件が起こった三毛別六線沢地区の15軒の入植農家は事件翌年春には1軒を除いて全家離村し、昭和21年に大阪から入植した6軒の入植者も昭和45年を最後に全員離農し、現在は無人地帯になっています。三毛別羆事件で射殺された羆の写真は残されていませんが、当時の新聞には体長2.7m、体重380kgとあります。三渓地区ではその後も大きなヒグマが射殺されており、こちらは昭和32年の実際の写真です。昭和55年(1980年)に三国連太郎の主演により「熊嵐(クマアラシ)」という題名でTV映画化されており、そのビデオは郷土歴史館で観ることができます。1時間前後だったと思います。また、1990年にはこの事件をオマージュにして、家族を羆に殺された娘がマタギになって復讐するという別のストーリで真田広之主演の「リメインズ 美しき勇者たち」という映画が制作されています。復元現場は苫前町から道道1049号線を通って小一時間かかり、かなり山の奥地になります。三毛別三渓地区を過ぎて三毛別六線沢地区に入り、終点に復元現地があります。その先は国有林林道になっており、立ち入り禁止です。道道1049号線は「ベアロード」と名付けられ、何とも場違いな可愛いいクマのキャラクターの書かれた看板があります。三渓地区に入ると途中には三毛別事件で羆が最終的に射殺された現場があり、「射止橋(ウチドメバシ)」という地名が忘れていた不気味さを思い起こさせます。射止橋は元々、木橋で三毛別川のもっと下流側(右側)の旧農道にあったそうで、現在のコンクリート橋は三代目です。実際のヒグマの射殺現場は右前方に山際が見える山林の中腹標高150m当たりの滝の沢というところです。以前は歩道が多少整備されて木製の記念碑も建てられていたそうですが、現在はクマザサが一面に茂っており、危険なので探索は断念しました。さらに道道1049号線が砂利道に変わる復元現場の手前あたりに、三渓神社があって慰霊碑が建立されています。道を挟んだ向かい側の少し戻ったところに三渓小学校(現在、廃校。当時の三毛別分教場)があり、事件後、六線沢の農民は全員避難していました。事件による死亡者がこの慰霊碑では斉藤タケが身ごもっていた胎児を含め7名になっていますが、頭部を噛まれて重傷を負い、2年8か月後に後遺症で亡くなった明景梅吉は含まれていません。ネット記事などで死亡者が6名ー8名とばらつきがあるのはこのためです。また、12月9日に太田家の小屋で食殺された内縁の妻、阿部マユは太田姓になって死後入籍したようです。一緒に死亡した養子予定だった蓮見幹雄は太田姓にはなっていません。観光客向けに国有林を切り開いて整備された三毛別羆事件の「復元現場」ですが、実際の惨殺現場ではありません。事件に巻き込まれた開拓農家15軒があった三毛別六線沢地区は復元現場の奥にも広がっています。当時の新聞報道が正しければ、身長183cm、体重94kgの私より、身長で1.5倍、体重で4倍になるので、復元現場のヒグマ像は実際より大きすぎると思われます。ただ、襲い掛かるのを見れば、これくらいの凄まじい恐怖を巻き起こす印象だったでしょう。羆が襲ったのは、開拓小屋の外に干されていたトウモロコシを狙ったのがきっかけと言われています。復元現場に建てられた入植小屋の内部。壁はワラを巻いただけでヒグマはカンタンに侵入できます。中で焚火を焚いていたとはいえ、このような簡素な小屋で激寒の冬を過ごしたとは信じられません。ヒグマは火を全く恐れなかったようです。復現現場を越えてさらに奥に進みます。ここからの国有林林道は立ち入り禁止です。もし、進む場合はあくまで自己責任になります。この先に斉藤石五郎家、金子富蔵家の小屋跡があります。ヒグマの足跡です。クマザサやハスが倒されているところは熊が食べた跡なので、見た場合は引き返した方がいいと思います。12月9日に2人が食殺された太田三郎家跡です。三毛別川の支流である御料川のほとりにあります。12月10日に5人が惨殺された明景安太郎家の跡です。右下に三毛別川が流れています。水がいかに大切だったかは小屋の立地で分かります。私が探索時に使っている刃渡り30cmのナタと熊鈴です。ナタは常時手に持って、熊に対する防御だけでなく、クマザサやハスを切り裂きながら歩く時に非常に役立ちます。切り株などでケガをしないよう、手袋と底の厚い靴も必要です。熊スプレーは5m以内に近づいて噴射しないと効果がありませんが、安全バンドやピンを外す余裕や噴射時間が約7秒前後であること、風上に立って噴射しないと万一自分が噴射を被ると目が開けていられなくなることなども考えておく必要があり、私はいざという時に使えそうにないので、所持しておりません。この地図は当時の農道と三毛別川です。事件のあった翌年春には図の上のほうにある辻橋蔵家を除き、開拓農家は全員離村しました。その後、昭和21年になって大阪から難波開拓団の6軒が入植しましたが、昭和45年には全て離農しました。現在、この三毛別六線沢地区は居住者無人地域になっており、一部ある畑は三毛別三渓地区からの通い作です。現在の道道1049号線は昭和38年に国有林開発計画に基づく縦貫道路として、農道よりさらに右側(東側)を通るルートで整備されており、三毛別川も当時のようには蛇行しておらず、現在はかなり改修されています。むやみな立入りを控えていただくために、上記地図には敢えて現在の道道1049号線と三毛別川は書いておりません。現場探索は完全な自己責任でお願いします。
2024.03.11
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B17フライングフォートレスにほれ込んで、プラモデルを作るうちに実機をぜひ見たくなり、ちょうどディズニーエンタープライズのカリフォルニア アナハイム本社に勤務している時に以下の施設を回って取材しました。1.カリフォルニア州 マーチフィールド航空博物館2.ハワイ州 真珠湾航空博物館3.オハイオ州 国立アメリカ空軍博物館4.ワシントン州 航空機博物館5.ルイジアナ州 国立第二次大戦博物館6.マサチューセッツ州 コリングス財団今、振り返れば、プラモデル製作に限らず、単に見ているだけでも楽しいですね。実機を保存するだけでなく、実際に飛行させるところまでお金と手間を掛けるアメリカの博物館関係者やマニアたちには本当に圧倒され、感心したり、呆れたりでした。在郷軍人会の存在は軽視できませんが、ともかく日本の博物館は展示だけで集客努力が全く足りないと痛感しました。1.機首周辺ノーズアートだけの専門書があるくらいです。離陸の瞬間。完璧にレストアされた雄姿とものすごい爆音を聞いていると、まるで自分が英国のキンボルト陸軍基地からブレーメン爆撃を目指すB17を見送っているような錯覚に陥りました。イベント情報を集めて開催日に行くのが大変でした。模型作りもいいですが、こんな感じで操縦できたら、最高でしょうね。前面防御の弱かったD型の弱点を補強したG型ですが、まるで12.7mm(M2.5口径)機銃のガンタレットの針ネズミです。この武装でも最も危険なパープルハートコーナー(編隊の端位置)で飛行していたら、次々に襲い掛かるメッサ―シュミットやフォッケウルフは随分怖かったはずです。爆撃手の座席もかなり怖そうです。高射砲の弾幕の中で激しく揺れながら、下を向いて冷静に照準を合わせるのは至難の業だったでしょう。12.7mmのベルト給弾式弾倉が大きく太いことには今さらながら驚きます。ただ、日本軍は一式陸攻や連山などに20mm機関砲を搭載していたようで、もっと重いと操作性にも支障が出たのでないかと想像します。2.操縦席3.エンジン空冷星形9気筒1200馬力のR-1820-65エンジン。二式大艇の火星エンジンは1840馬力とのことですが、ウィキによると、ジャワ島やコレヒドール島で捕獲したB17を調査した日本軍はオイル漏れが少なく野外放置していても特に整備なしに1発で始動する高性能に驚いたそうです。油冷でもないのに冷却フィンが余りないのが不思議です。排気タービンでエンジンに強制給気するターボチャージャー4.上部・下部銃座アンテナを含めた通信機器関係はFAA連邦航空局の規制で最新式に変更されているようです。余計なお世話でしょうが、自機の垂直尾翼が被弾することはなかったのでしょうか。出ましたE型から装備されたボールタレット!ここには絶対搭乗したくない。真偽は不明ですが、ウィキによると搭乗員中、もっとも小柄なメンバーにアサインされたそうです。乗降は離陸直後か着陸直前に銃身を真下にさげたポジションで機内からするものと思っていました。しかし、コメントいただいた方からのご教示で機外からでも左側のハッチを開けて乗りこめたそうです。ウィキにはその写真が掲載されていますので、ぜひご覧下さい。下のお皿のようなシートにお尻を置いて、向こうの小さな枕に頭を当て、足は銃身の上の位置に踏んばって、まるで寝転んで股の間から覗くように狙いを定めたそうです。下のほうにタレットが回転すると地上/海上が見えて空中ブランコの世界、恐怖で射撃どころではなかったのではないでしょうか。5.側面銃座ブローニング機関銃の全体像が見えますが、この機体はB29のような銃座とキャノピーを付けて与圧式に改造されているようです。見学した時に質問したのですが、よくぞ聞いてくれたと中南部なまりの早口でまくしたてられて聞き取れませんでした。いずれにせよ、オリジナルの吹きさらし状態では、無我夢中の銃撃中は別にして、ヘビーゾーン仕様のB3ボンバージャケットを着ていてもさぞかし寒かったと思います。ご存知の方はコメントでご教示ください。6.前部・後部銃座このチン・ターレットだけ銃口が外向きにカットされている理由をご存知の方はコメントでご教示ください。7.爆弾槽3600kgも爆弾を搭載できるので、やたら広かったのを覚えています。防御力強化で重量が増えても爆弾搭載量は減らさずに航続距離を犠牲にしたようです。8.車輪当時はビートストッパーはなかったようです。現代版の金属メッシュホースを使っていないところにこだわりを感じます。これでもFAA連邦航空局の飛行許可検査を通るんですね。日本で凱旋飛行した零戦52型5357号機も栄21型エンジンのキャブやイグニッションコイル、計器の一部、無線機を換えたくらいでした。9. B3ボンバージャケットヘビーゾーン(気温-20度~-10度)向けの極寒仕様であったB3ボンバージャケットの復刻版としては、やはりAero Bomberが一番当時の雰囲気を伝えているように感じます。4か国語の救難メッセージタグの文字のたどたどしさも忠実に再現しています。もちろん、リアルマッコイもよくできていますが、レザーの均一な染め具合や縫製の丁寧さが当時のアメリカの軍用品大量生産の品質管理レベルを超えているように感じます。10. 参考書籍実機情報収集のために参考にしている書籍です。11. 参考ゲームかなり凝っていて、制作に当たっての本気度に感動したゲームを紹介してきます。本格的過ぎてゲームを始める前のセッティングが大変だったのを覚えています。恐らく、アップグレード最新版がリリースされていると思いますので、ご存知の方はコメント欄で教えて下さい。現在、写真と資料を整理中ですので、今後も更新します。
2024.03.10
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B17 フライングフォートレスにはまっているマニアの方も相当多いと思います。映画「メンフィスベル」「戦う翼」「頭上の敵機」「人生最良の日」などの影響もあり、素晴らしいスタイルと目覚ましい戦歴はB29やB24などとは一線を画するモノがあります。ここではHK MODEL 1/32、ハセガワ レベル 1/48、MONOGRAM 1/48の3モデルを中心に作例をご紹介しますので、別稿の実機取材編と併せて参考にしていただければ嬉しいです。モデルの精緻化にはマスキングでは自作できない円形や複雑なデカール、人形、エッチングパーツ、真鍮パーツなどが欠かせません。写真のパーツはほぼ全て酒田市の専門店パンツアーレーアからヤフオク経由で入手しました。1/32、1/48、1/72でロスデュアルド、クイックブースト、キッツワールド、マスターモデル、ヤフーモデル、レジェント、アイリス、プリントスケールと全メーカー品を網羅しているのが素晴らしいです。マニアックすぎます(笑)。なければ、川崎市のワークス飛行機雲でも探します。1.機首周辺2.操縦席3.機内4.上部銃座5.下部銃座5.側面銃座現在、製作中で今後更新していきます。ほかの鉄道模型やクルマなどのブログネタでも忙しく、少々お待ち下さい。
2024.03.10
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小学生から始めたプラモデル作りですが、やはり最初は第二次大戦の軍用機からでメーカーもマルサン、レベル、ハセガワ、タミヤと進んで行きました。日本、アメリカ、ドイツの軍用機が多く、かなり製作しましたが、5回の引越しでご近所や会社の同僚など好きな方にプレゼントしたり、模型店に展示してもらううち行方不明になった作品もあります。特に引越しの時など、気が大きくなってピアノの調律師や大工さんなど別にモデラ―でもないのに熱心に見ていた方々に上げてしまったのが惜しまれます。また、昔、目黒駅前にあったMr.クラフトという大型専門店ではレジン製ミニカーを作るモデラ―のバイトをしていましたが、そこに預けたプラモデル完成品が突然の倒産閉店で霧散してしまったのも心残りです。逆に今、全部残っていたら断捨離どころの話ではなくなっていたと思いますが(笑)。ともかく、手許にあるモデルや写真で作品の一部をご紹介させていただきます。1. モスキートB Mk4現在、残っている数少ないモデルで書斎の壁に吊り下げてあります。英国機はスピットファイア、ランカスターも1/32で製作しました。今見ると、このモスキートは機首の7.7mm機銃4門と主翼の20mm機関砲8門を真鍮パーツに換えたいところです。2. F4U コルセア米国戦闘機は海軍が多かったようで、このコルセアのほか、グラマン、アベンチャー、ドーントレスも好きでした。よく覚えているのはグラマンF6Fヘルキャットです。お茶の間で組んでいたところ、亡き母が戦争の話を全くしたことがなかったのに急に血相を変えて手で振り払われ、壊われてしまったのを鮮明に覚えています。三重県名張市に住んでいた女学生時代にB29大阪空襲の護衛機だったグラマンに伊勢湾に戻る途中でよく機銃掃射され、道端に逃げ隠れてパイロットの顔まで覚えていると興奮していました。いずれにせよ、このコルセアは精密度やリアル感ではベストと感じています。なお、陸軍機になりますが、B17にもかなり没入しました。そちらは別稿で米国実機取材と併せて作り込みの投稿をしていますので、ご笑覧ください。3.フォッケウルフFw190Dドイツ軍機はメッサーシュミットやユンカースなども沢山作りましたが、フォッケウルフの軽快なスタイルが好きでした。これは中学2年生ころの作品で精緻度やリアル感はまあまあですが、当時はピンセットも使わずに土日で仕上げていましたから指の器用さや集中力では今もかないません。4.フォッケウルフ Fw190D-9別稿の独軍戦闘機作り込みテーマで題材にしたモデルです。30歳のころですから、凝り性も極まってきました。写真と資料を整理中なので、また更新追加します。
2024.03.10
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北海道の大自然により深く触れるだけでなく、地元で力強く生き抜いていらっしゃる方々と会話する機会にもなるので、JRのトロッコ列車や廃線跡などを活用したトロッコに乗って楽しまれることをお薦めします。さあ、出発進行!まずはJRのトロッコ列車から・・運行日や本数が限られているので出発駅に戻ってくるプランをお考えになる時は、観光案内所か切符売り場で戻りの予定時刻までにどこまで行って帰って来れるか、教えてもらうようにしましょう。■釧路湿原ノロッコ列車釧路湿原の中を走行し、ガイド案内もあります。途中で鹿や天然記念物のオジロワシを見かけることもあり、風雨でカヌーが運行できない代わりに楽しむ手段としても利用できます。釧路駅から塘路駅までを折り返し運転しています。塘路駅から釧路駅の帰路は最後尾の客車に運転席が付いていて、後押しする機関車を制御できるようになっています。■富良野ノロッコトレイン富良野と美瑛を結ぶ季節列車で、ハーブ園に臨時停車するようになっています。車内が開放的なだけでなく、ローカル線特有の大きな揺れがトロッコ気分を高揚させてくれます。■トロッコ王国美深廃線となった旧美幸線の一部を活用して復活させたエンジントロッコ路線で年間1万人以上の乗客があり、国土交通大臣賞まで受賞した地域振興のモデルとも言えます。今まで4回行きましたが、旧美幸線をそのまま走っているような錯覚に浸れます。詳しくはこちらをご覧下さい。https://www.torokkobihuka.com/宗谷本線の美深駅から終点の仁宇布駅までの旧美幸線の一部を使って地元の方々で運営されています。立派な堂々とした車庫や受付事務所も全て新たに建てられたものです。トロッコはエンジン駆動で運転免許が必要ですが、操作は至ってカンタン。ペダル式のブレーキにバイク同様のスロットルを回すと速度を調整できます。行き届いた車庫内のトロッコ保管整備スペース。旧美深線の枕木なども定期的に保守されており、カーブ、鉄橋、踏切ありの本格派です。本線は単線なので、折り返し地点がループになっていて、スタッフが待機。定時で4-5台ずつまとめて出発するトロッコが往路から全車到着するのを待ってポイント操作で復路に進みます。すべてが本格的なんです。脱帽!廃止された美深線は日本一の国鉄赤字路線として有名でした。しかし、上記新聞記事のように町長が先頭に立った廃止反対運動が根強く、廃線後も地域の活性化に繋げようという地元の強い意志が現在のトロッコ王国を生んでいます。元々、美幸線(びこう)と命名されたように現在の終点仁宇布駅からオホーツク海に面した北見枝幸駅まで延伸される予定で、道床や橋梁の工事も一部着工されていました。写真の道床もその名残です。最新のHPを拝見すると、今は仮設テントではなく、別棟の食堂も建てられたようです。お薦めの美味しい豚丼。訪れるたびに食べています。■三笠トロッコ鉄道廃線となった幌内線の一部を利用してクロフォード鉄道記念公園と三笠鉄道記念館を結ぶ路線3.8kmで運営されています。展望トロッコと運転体験トロッコの2種類があり、豊富な車両を揃えてかなり本気で組織だった法人運営がなされています。頑張れ!詳しくはこちらをご覧下さい。https://www.mt-railway.jp/沿線の景観の素晴らしさは爽快感に満ちて、トロッコ王国美深とまさに双璧です。三笠鉄道記念館に直接接続していますので、記念館の屋外展示車両の横を通り、鉄道マニアにはたまらない独特の雰囲気が味わえます。三笠クロフォード鉄道記念公園(旧幌内太駅)で、園内に三笠トロッコ鉄道の乗車受付コーナーや鉄道グッズショップがあります。■丸瀬布自然公園いこいの森オホーツク海にほど近い遠軽町にある森林公園で、園内には北海道遺産の旧森林鉄道の蒸気機関車「雨宮21号」が走り、キャンプ場も整備されているので、鉄道ファンだけでなく家族で楽しめます。https://engaru.jp/tourism/page.php?id=431雨宮21号はこの中にいますが、日曜運行のため対面はかないませんでした。■ひがし大雪高原鉄道旧士幌線の糠平駅周辺の路盤に新たに線路を敷設して足漕ぎトロッコを運営されていて、地元の方々も支援されていましたが、現在、残念ながら休業しているようです。何とか復活させてほしいものです。詳しくはこちらをご覧下さい。https://kamishihoro.info/sg_detail.php?id=561987年(昭和62年)に士幌線が廃止される直前の糠平駅です。士幌線が廃線になって数年後の糠平駅跡です。まだ駅舎が残っていました。上の廃線数年後の写真とは反対側から撮った現在の姿です。保存されている車掌車は向きが反対に置かれています。線路はすべて敷設しなおしたもので、カーブも短い直線(緩曲線)を繋いでありご苦労が偲ばれます。糠平駅跡には上士幌町鉄道資料館があり、旧士幌線の資料、写真、美品が数多く展示されていて、当時を偲ぶことができます。急坂路線だったため、登りの難所に加え、貨車の下り暴走事故もあったようです。■森のトロッコ エコレール札幌市の個人の方が地元に住み込みながら旧士幌線の廃線跡に心血を注いで復活させた本格的な木製軌道です。木のぬくもりのある足漕ぎトロッコと鉄張りレールが大きな特徴です。上士幌町から廃線跡地の貸与を受けて敷設されたコースは約500mで、整備保守も行き届いており、転車台操作と運転体験を通じて旧士幌線を彷彿させる鉄道の旅を手軽に楽しめます。ハイシーズンには奥様も運営を援助され、最近ではトイレの設置や延伸計画も精力的に進めておられます。詳しくはこちらをご覧下さい。https://kamishihoro.info/sg_detail.php?id=9当時の士幌線は単線でした。線路が撤去された同じ廃線跡に新たに木製の鉄張りレールが敷設されています。場所は大雪山道路の三ノ沢駐車場横にあって、予約なしで利用可能です。駐車場に停められたワゴンの屋根看板が目印です。ぜひ、気軽に立ち寄ってみて下さい。■狩勝(かりかち)高原エコトロッコ鉄道旧狩勝線の新内(にいない)駅構内で800mのレールがみごとに敷設され、電車、機関車を模して綺麗に製作された軌道自転車(エコトロッコ)でポイントや転車台、信号、踏切のある本格的な運転体験が楽しめます。鉄道マニアの方が奥様とともに新得町に移住して健気に運営保守されています。詳しくはこちらをご覧下さい。http://ecotorocco.jp/横にはNPO法人の旧狩勝線を楽しむ会が維持している蒸気機関車9600とブルートレインの客車が保存されている。以前は宿泊もできたようですが、現在は期間限定でイベントを開催しています。https://www.karikachi.org/オーナー作成の地図です。位置関係がよく分かります。当時の根室本線 新内駅の風景です。狩勝峠を登ってきて新得方面に向かう列車です。同じ方向で撮った最近の風景です。受付管理事務所です。この日は休業日でした。オーナーがエンジニアだけに信号機も電子制御の本格派です。実車の雰囲気をうまく取り込んだ素晴らしい仕上がりのトロッコです。かなり凝った転車台。キハ82系のほか、EF65のトロッコもあり、保存されたブルートレイン客車ともよくマッチ。これら足漕ぎトロッコ群のほかに電動のナロータイプ電車も製作されていて、以前元気に活躍していましたが車輪故障のため現在修理中です。再会の機会をお楽しみに。隣接して。周辺の乗馬をゆっくり楽しめるカフェもあります。ジャックさんというヤンジーが経営されていて、自家製のプリンも美味しいです。色んなサイトで紹介されています。https://www.tokachi-brand.jp/shop/tougenoterrace/https://twitter.com/wvsjack0212写真や資料を整理し、関係者の方々に教えていただきながら、今後追加更新していきますので、お楽しみに。
2024.03.06
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晴れの写真ばかりで投稿すると勘違いする方が増えるので、雨の北海道、今にも泣きだしそうな北海道の写真も入れておきます。「遠路はるばる来たのになんだ、この天気は・・」と怒らずに、これも北海道と楽しみましょう。大自然は人間を接待しているわけではないので、私たちがお邪魔している感覚で接したいものです。まず、晴れてほしいNo1スポットから・・・ここはバイカーの聖地。上から3枚目の日には、一人旅のバイカーが居て、寝袋を出しながら「明日晴れるのを待って出発します」と健気な一言。次に岬も基本的に風が強く天気が悪いことが多いです。積丹ブルーに出会えたら、感謝。しかし、喜ぶのはまだ早い。岬までは環境保護で時期によって立ち入り制限があり、岬まで行ければ大感謝。納沙布岬、ここもバイカーには人気のスポット。根室からも風蓮湖からも結構の距離があるので、やっとたどり着いてこの天気ではさすがに気の毒。ラーメン屋の気のいいオバサンと話すと元気が出ますよ。襟裳岬。森進一さんの仰る通り、風が強くて何もないのは確かですが、3回行って3回とも晴れでした。釧路港。霧の街で有名なので、晴天への期待値は元々低いと思いますが、市内も含めガスに見え隠れする景色がまた味わい深いと感じる街でもあります。と言って、負け惜しみ・・・港町ブルース、最後の締めくくり。は・・・稚内港。なぜか、最果て感があまりしない街。そう言えば、5回行って、一度も雨なし。釧路の「霧」と言えば、布施明さんの・・・駐車場のオジサンには要注意!「摩周湖、見えてるんですか?」→「は~い」クルマを停めて展望台に上がって行ったら、1枚目の写真の有様。「さっき、見えてるって言ったじゃないの。全然見えなかった」→「少し前まで見えてたのになぁ」次に見晴らしの良さで有名な・・次は山に・・・大雪山に6回行って、一番天気が悪かったのは4枚の写真のうち、1枚目の曇り空。なぜか雨に降られたことはありません。ただ、大自然は恐るべし。10月中旬でも冬の訪れが早く、正直怖ったです。夏タイヤだったこともあり早々と退散。また、写真を整理して追加します。雨空での写真はあまり撮らないので探すのが大変(笑)。
2024.03.06
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北海道編が好評のようで沢山閲覧いただいているので、今まで日本列島を走りまわった中で印象に残っている痛快ロードをまとめてみたいと思います。写真や資料の整理があるので、五月雨式に更新追加していきますので、よろしくお願いいたします。まずは南の九州から順に始めて北上しましょう。■日南フェニックスロード宮崎県の日向灘沿いを都井岬から日南市を経由して宮崎まで続いていますが、特に青島以北の宮崎市寄りではヤシの並木になっていて南国ムードがたまらないです。■阿蘇パノラマライン北海道以外で惚れ惚れする雄大な景色を楽しめるのは阿蘇山くらいではないでしょうか。阿蘇カルデラの中岳火口までは西側、北側、南側から3ルートでアプローチでき、それぞれが草原あり、ワインディングありで異なる赴きが堪能できます。■えびのスカイライン宮崎と鹿児島にまたがるえびの高原を通る山岳道路で霧島連山を走り抜ける爽快さが印象的。■湯布院日田往還道路別府と湯布院を結ぶ県道11号線で風光明媚なワインディングが続きます。■桜島展望道路錦江湾を横目で見ながら桜島御岳を正面に見据えて走る登山ロードで噴火口に向かって一直線の道路が最高に気持ちいい。終点からはフェリーで鹿児島市内に入れます。■やまなみハイウェイくじゅう連山を駆け抜ける痛快ロードです。久住山が正面にそびえるストレートもいいし、豊かな森を抜けて湯布院に至る終盤下りのコースはしっとり癒されて九州No1ではないかと感じます。■大山環状道路大山環状道路という1本道があるわけでなく、走りやすいスカイラインとハードで怪しげな森林道路が幾重にも繋がって、大山の色々な表情を堪能できます。ガス欠注意。■しまなみ海道言わずと知れた定番コースで遠くから眺めると圧倒的なスケール感がありますが、橋を渡っている最中は橋桁が高くて海面が見下ろせるわけではないので、自転車で走るような爽快感はありません。何度か途中でクルマから降りて、雄大な景色を楽しみたい。■鷹羽山スカイライン瀬戸内海や工場群を見渡せる観光道路で、鷹羽山公園への20kmほどの登り道として現在は無料化されています。峠道ならではのアップダウンや豊かなカーブが続き、走りは走りでそれなりに楽しいですが、展望台から水島コンビナートの夜景や瀬戸内海の絶景を満喫する目的でゆったりドライブする価値があります。■祖谷渓谷県道32号線大歩危、小歩危で有名な深い谷間を走る山岳コースです。昔、平家の落人がよくここまで逃げ延びたかと驚くほどの深い谷と急な斜面の山間に部落が見えます。急坂にクルマを停めることが多いのでドアの開閉に気を付けて下さい。■伊吹山ドライブウェイ名神高速 関ケ原ICから約2kmの有料道路起点から標高1260mの山頂駐車場まで標高差1000mを一気に駆け上がるダイナミックなワインディングコース。山頂からの琵琶湖を眺める眺望も最高です。ただ、11月下旬から4月下旬まで積雪凍結による閉鎖期間が長いのと、秋の紅葉シーズンなどは観光客が多いので、事前に計画を立てて走り込みに行きたいです。年に2-3回は行く。走る醍醐味を味わえる関西ではベストコースのひとつです。■伊勢志摩パールロード正確には伊勢パールロードと伊勢志摩スカイラインに分かれますが、リアス式の入り組んだ海岸線を走るワインディングコースと朝熊山の頂上近くまで駆け上がる山岳道路の両面を楽しめます。新名神から接続する伊勢道路は覆面パトが多いのでご注意。一度、サービスエリアに入って、また追いかけてくるなど、芸が細かい(笑)。■三方五湖レインボーライン伊勢志摩と同じくリアス式海岸の美しい景観を楽しめますが、山頂公園がある観光道路で家族連れのクルマも多いので、走るには早朝を狙いたい。■京都周山街道昔、若狭で獲れた鯖などの魚介類を京都まで運んだ鯖街道と言われた歴史ある街道で道幅も広くないので優雅な里山ドライブを楽しみたいです。ワインディングロードを抜ける途中で歴史的建造物として保存されている茅葺き屋根の集落もあり、長い山路が終わって小浜の日本海が見えるとほっとします。■大台ケ原ドライブウェイ山深い和歌山の標高1400-1600mのワインディングロードで、深い森林地帯を切り進む雰囲気がなんとも言えません。途中、山際が切れて視界が広がり大峰山脈のパノラマが楽しめます。ただ、雨が多くて有名な地域なので天気予報を余り当てにせず、朝早めに行って早めに帰るのが賢明。■信貴生駒スカイライン手軽に楽しめる尾根伝いのワインディングロードですが、道幅が基本的に狭いので対向バイクのセンターラインオーバーに注意したい。調子に乗ると思わぬ冷や汗をかくことがあります。■青山高原道路風力発電の風車が林立する、風変わりな景観を楽しめる高原道路ですが、三重県のど真ん中にあって、アクセスが悪いので時間にゆとりを持って訪れたい。県道512号線を東に進んで行くと、やがて狭く険しい舗装林道になるのでスポーツカーはUターンしたほうがよいでしょう。■高野龍神スカイライン関西最高のハイスピードワインディングコースで、ヘアピン、高速コーナー、逆バンク、アップダウンなど多彩なコースが含まれる40数kmのロングドライブは走りごたえが十分。年に4-5回は行く。終点の龍神温泉での日帰り入浴も楽しみ。中間地点にある「ごまさん(護摩山)スカイタワー」の駐車場で休憩して、集中力が落ちないようにしたい。鹿やタヌキの飛び出し、落石、枝折れも稀にあり、事故を起こすとJAFが来てくれるまで2時間以上、大病院まで3時間は掛かります。クルマかバイクに跳ねられて死んでいた鹿。掲載するか、迷いましたが、彼らの領域に割り込んでドライブを楽しんでいることを自戒し、皆さまにもご理解を深めていただくために敢えて掲載しました。この鹿は道路管理事務所に電話して引き上げていただきました。合掌。■鈴鹿スカイライン滋賀県と三重県を鈴鹿山脈を越えて結ぶ山岳道路で、関西では龍神スカイラインに次ぐベストコース。滋賀県側が緩やかな登りの高速コーナーであるのに対し、三重県側は傾斜の激しいワインディングコースで、全く違った走りを楽しめる点が特に素晴らしく、さらに上り下りでは大きく走行感が異なるので、ぜひ往復することをお薦めします。11月に入ると里山は紅葉シーズンなのに、コース最高地点の標高800mの武平峠トンネルでは積雪のこともあるので注意。時間の余裕を持って鈴鹿サーキット走行前後に立ち寄るのもよく、走り切ったあとは湯の山温泉の日帰り入浴が楽しみ。■御嶽スカイラインあまり知られていませんが、信仰登山で有名な標高3067mの御嶽山7合目まで一気に駆け上がれるコーナリング天国です。御岳湖湖畔から中高速コーナーが始まり、王滝村を通過して標高が上がり始めると路面が整備された道幅の広いコーナーが増えてさらにダイナミックな走行が楽しめます。最後にスキー場が見えるとタイトコーナーの連続になります。走りごたえは十分で、疲れたら途中の滝や修験道などで、ひと休み。■八ヶ岳高原ライン牧歌的な風景が広がる八ヶ岳南麓を走る爽やかな高原コースで、起伏が少なく見通しの効く中高速コーナー中心なので、走りやすいです。時折、サルも見かけ、野辺山や清里ものどかな雰囲気に浸れます。■白山ホワイトロード(旧白山スーパー林道)中部日本で間違いなく、No1の極上山岳ロード。岐阜県と石川県を跨いで標高600-1450mを通過する総延長約30kmのコースで山肌を縫うようにタイトコーナーの連続を走ります。アップダウンもあるので緊張感があり、雄大な景色はクルマを停めて眺めるほかありませんが、バイク通行禁止のため、対向に余り気を使わなくてもよいのが何より嬉しい。豪雪地帯のため、通行期間が6月から11月初めとかなり限定されますが、絶対お勧めします。■飛騨せせらぎ街道高山から郡山に向かう標高差700mの山岳道路ですが、全体にゆっくり山を渓流に沿って下っていく感じで、まさに「せせらぎの道」がピッタリ。紅葉の名所でもあるので秋の観光シーズンに行くなら早朝を狙いたいです。■南アルプスエコーライン(しらびそ峠)日本秘境百選にも選ばれている飯田から南信濃に至る遠山郷の下栗の里が出発点。しらびそ高原までの標高800-1000mの林道です。道幅は狭いですが路面状況はそれほど悪くないので、458でも走破できました。しらびそ高原のロッジで「これで来られたんですか!」とかなり驚かれましたが。■志賀草津道路長野と群馬を繋ぐ山岳コースで、途中には日本国道最高地点2,172mもあり、中部日本で3本の指に入ると断言できます。活火山の白根山の活動で枝道は通行制限がありますが、全体的には爽快に走れる中高速コースでTVCFに何度も登場する素晴らしい景色を楽しめます。■ビーナスライン茅野から美ヶ原、白樺湖、霧ヶ峰に至る20kmの標高1400-2000mを通る観光道路で、中低速のコーナーが連続するので多彩なコーナリングが味わえます。運がよければ、美ヶ原高原で雲海を楽しめるかも。■富士山スカイライン富士山の南麓を走る山岳道路で、富士宮市から森林の中のクルージングを楽しめる周遊区間とタイトコーナーが連続する急坂の登山区間から構成され、登山区間は標高1460mの富士宮2合目から終点の標高2380mの新5合目まで13kmを駆け上がるので、痛快感は半端ないです。■西伊豆スカイライン修善寺近くの戸田峠と船原峠を結び、多彩なワインディングとアップダウンに富んだコースです。箱根ターンパイクや芦ノ湖スカイラインに比べて通行量は少なく、影は薄いですが、換言すればそれだけ穴場でもあります。急カーブと起伏が重なり、前の道筋が見えにくいことがあるので、一度下見を兼ねて軽く流してから、本格的に走るのがいいかも知れません。■伊豆スカイライン伊豆半島の東側を熱海峠と天城高原を結んで南北に走る定番中の定番コース。説明の必要はないでしょう。熱海峠から亀石峠までを中心に30年近くに亘って延べ100回以上は往復しました。見通しがいいので、走りやすいのが最大の魅力です。■箱根ターンパイク泣く子も黙る本州No1の中高速コースで、有力雑誌の試乗コースにも盛んに出てきます。私は小田原料金所から入って4kmの御所の入パーキングを起点として、終点の大観までで愛車の走行タイムを定点計測していますが、トルクがないクルマはスピードが出ませんし、登り、下りとも操安性の優劣が如実に試される素晴らしいコースです。フェアレディZ432やハコスカGTR、73RS、Z1、CB750K0などの旧車、バイクを含め、延べ200回以上は走りました。愛車の歴代記録としては、しばらくの間、RUF BTR3.4が最速タイムを誇っていましたが、下りであの非力なNSXが軽さと操安性で記録を更新し、ポルシェ得意の登りでも4秒差まで迫りました。当時の国産車出力280馬力規制がなければ、破っていたかも知れません。このトルク不足とレジェンドのような乗用車チックなメーターパネル、リアのオーバーハングが好きになれず、NSXは納車後11か月で売ってしまいましたが。なお、今までで登りで5分を切ったのはピスタだけですが、296GTBアセットフィオラノならばさらに5秒は短縮されることになると予感します。■芦ノ湖スカイライン箱根ターンパイクとセットで走る定番コースで、これも説明の必要はないでしょう。アップダウンとワインディングの組み合わせで、ターンパイクとは全く異なるFun to driveを味わえます。山伏峠のレストハウスの手前で走行中の助手席窓から鳥が飛び込んできたり、遊覧ヘリコプターと競争したり、某有名雑誌社の試乗ポルシェ大破場面に遭遇したりと色々思い出の多いコースです。■箱根スカイライン私は厚木小田原道路を経てターンパイクに入り、芦ノ湖スカイラインから箱根スカイラインの終点で長尾峠を通って御殿場に出ていますので、短いコースですが必ず通ります。急なワイディングカーブが連続するので、スピードは出ませんが緊張感はあります。注意すべきは冬季に北向きの日陰になるコーナーの凍結が溶けにくいので、調子に乗って北上していくと突然、コーナー進入時に横滑りでガードレールに激突する危険があることです。私もRUF BTR3.4でやっちゃいました。修理代550万円。■磐梯吾妻スカイライン圧倒的な自然のスケール感に包まれながら、火山活動で露出した山肌の中をハイスピードで走ると不思議な心地よさを感じます。標高が上がるまでは豊かな森林地帯なので、途中からの景色の変化にも驚かされます。東北では八幡平アスピーテラインに次ぐベストコースと思います。■八幡平アスピーテラインアスピーテとはなだらかな盾状火山のことらしいですが、自然の起伏に逆らわず、のびやかなアップダウンの中を大小のカーブが連続するので、運転していて非常に楽しいコースです。間違いなく、東北No1と思います。標高的には山岳道路ですが、走っているとそのような感じはせず、高原サーキットのような印象です。■鳥海ブルーライン山形と秋田にまたがる鳥海山の山裾を縫うように走る緩やかなワインディングが素晴らしいです。コーナーの合間に見える日本海のブルーが印象的。それにしても、山形県は一般道路の路面状態がよくないです。■八甲田・十和田ゴールドライン青森市から八甲田を抜けて十和田湖に至るコースで、奥入瀬渓谷の森閑の中をクルマでゆったり走る気分は最高です。八甲田の豊かな森とともに自然の奥深さを実感させてくれるので、また来たくなる道です。■津軽岩木スカイラインつづら折りの69個の連続カーブで有名な岩木山8合目までの登山道路です。空撮写真では見事なS字カーブが綺麗に連なっていますが、実際はあまり路面状態のよくないカーブの連続という印象で、バイクの方が面白いかも知れません。全日本痛快ロードもいよいよ最後になりました・・・・■龍泊ライン秋田から豊かな田園風景を抜けると荒々しい海岸線に景色が一変し、まさに東北という感じがする多彩なコースです。竜飛岬に行き着くと石川さゆりの津軽海峡冬景色を再生して聞ける記念碑があり、極上の最果て感が味わえます。帰路を焦って青函トンネル記念館の体験坑道に入るのを忘れ、今でも心残りです。以上、日本全国痛快ロード巡りの長いお付き合い、どうもお疲れさまでした。
2024.03.02
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空気作用管は蒸気機関車の落成時から装着されていたのではなく、戦後に各機関区の改造で取り付けられており、集煙装置や重油タンク、増炭枠と同じで仕様が統一されているわけではありません。また、空気作用管は実物が直径2cm前後なのでHOでは0.25-0.35mm程度の繊細な配線になり、しかも途中の継手六角ユニオンやドームの砂撒管元栓との接続を再現しなければならないので、高級モデルの完成品でも昔は付いていないのが一般的でした。ただ、モデルの精密化が進む最近の傾向として、黒色のボディの中でひときわ目立つ存在として欠かせないパーツになりつつあります。そこで、40-50年ほど前の大古SL群のレストアでもディーテルアップの一環で取付けています。結論的にはエコーモデルの組み立て済キットを塗装後の状態に取り付けるのがベストと思いますが、そこに至るまでの紆余曲折にも触れますので参考にしてください。作用管に使う銅線ないし燐青銅(リンセイドウ)線の直径は0.25-0.35mm程度がスケール的に適当で、時々目立たせようと0.8-0.9mmくらいの銅線で自作されている方を見かけますが、完全なオーバースケールで、全体のバランスを崩してしまいます。それでなくても実機の空気作用管はくすんだ茶色なので、綺麗な銅色にすること自体がオーバーデコレーションになっていることを忘れないようにしたいです。C622の梅小路機関区保存機と急行ニセコ現役時代の写真を比較で添付しますが、空気管は実際にははるかに地味な存在で、しかも両者は大きく仕様が異なり、梅小路保存機では一番下に5本目の空気作用管が増設されてキャブからの引き回しでは他の空気管を跨ぐ形で配置され、継手の位置も違ってニセコ時代の六角ユニオンそのものが廃止されていることが分かります。C622の梅小路機関区保存機 空気作用管は5本に追加され、継手の六角ユニオンは廃止されています。C622の急行ニセコ現役時代 空気作用管は4本で、継手の六角ユニオンもはっきり確認できます。空気作用管の引き回しを正確に把握するには、当時写真を見ても判別しにくいので、私は鈴木信雄様のイラスト(サイトあり)で確認するようにしています。空気管の取付けに私が最初に使ったのは「れーるぎゃらりー六甲」のご主人床次様の薦めに従って0.35mmの銅線でした。銅線は燐青銅線に比べ柔らかくて加工しやすい利点がありますが、4-5本並行する空気管の直線部分では柔らかいので形をすっきり整えにくい難点があります。空気管の取付方法としては塗装前の真鍮地肌の段階でキャブからの引き出し部分やランボード、砂撒管元栓との接合部分にドリルで穴を開けてハンダづけする訳ですが、六角形ユニオン部分や継手、ロスト製空気管台座の加工も含め、熱変形やハンダ外れで整形が非常に難しく、結局少し試しただけで早々と断念しました。次の写真は私の師匠と仰ぐ工房プロY様の珊瑚模型C59のディーテルアップ作品です。スクラッチで仕上げた空気作用管の見事さにただ感心します。継手ユニオンと砂撒管元栓と空気作用管の接合部分にご注目下さい。素人はここまでできません。ハンダが流れず、コテを押し付けているうちに隣のハンダが外れて・・(😢)。 別稿で師匠訪問記をアップしていますので、そちらもご覧下さい。次は私のKTM D52の習作です(冷汗・・)。塗装済みの段階である程度ハンダで束ねて台座に固定した銅線をゴム系ボンドで貼付する方法を試しましたが、下記写真のようにすっきりした直線にならず、工作の難しい継手や六角形ユニオン部分は形が整わないので結局取り外して再現を省略する結果になりました。今見るとお恥ずかしい限りで、もっとうまく作れないかと悶々としていたところ、見つけたのが「エコーモデルの組み立て済空気作用管」だったわけです。このKTM D52の空気管は結局全部除去してエコーモデルで作り直しました。(後出事例③参照)エコーモデルのHPを見ると全部で31タイプあるようですが、実際に在庫リストに記載があるのは4-5タイプの場合が多いようですので、在庫のある機種から付けて、欠品していれば電話で再生産をお願いして待つのが得策です。@7,000-8,000円もするのでビックリされる方も多いでしょうが、上記の苦労や失敗を考えるとぜひお薦めします。余談になりますが、欠品になっていたC623の件でエコーモデルに電話したところ、「最近空気作用管の注文が急増した」と喜んでおられました。私は「いいモノはいい」と申し上げるだけで、別に特定のショップや製品の提灯記事を書いて小遣い稼ぎするようなアフィリエイト広告ブローガーではありませんが、心ある代表の阿部敏幸様が経営されるショップが繁盛されることは非常に嬉しいことです。製造業者も見つけにくいような儲からない小物パーツを良心的価格で提供されているので、皆さまもぜひ応援、ご愛用いただければと思います。取付方法は解説書によれば、塗装前に穴を開けてハンダ付する方法が最良のように書かれていますが、私の経験では塗装済の状態でゴム系接着剤で固定するのが作業の容易さと仕上がりの良さからベストと思います。組立済みのハンダがバラバラに外れて失敗すれば、高価なだけにかなりへこんでしまいますしね。ただ、車体塗装済の状態に空気管を接着する方法を採る場合でも、綺麗に付けようとするとそれなりのコツと慣れが必要です。まず、取付前に空気管台座を半艶消黒ラッカーで塗装します。組立製品の台座周辺部分にハンダが毛細現象で流れており、少し変色が見られますが、取り付けてしまうとさほど気になりません。気になる場合は取付後でも銅色ラッカーで塗装できます。①天賞堂C59取付事例いよいよ、天賞堂C59への取付けです。まずキャブ側の引き出し部分に仮置きして既存の他のパイピングを避けてうまく端が揃った状態で取り付けられるよう予め確認して、空気管の右端を切断します。この段階では固定せずに外し、次に砂撒管元栓に向かう空気管をボイラーの曲線に合わせて曲げながら元栓部分の下側を通し、非正規側に向かう空気管はドームの前側の曲線に合わせて徐々に曲げます。砂撒管元栓に向かう空気管(通常は2本)を通して曲げ加工する作業は、この写真のように空気管を全て固定していない仮置きの状態で行います。これが最大のコツです。どこも固定してはいけません。次に砂撒管元栓部分の曲げ加工という最難の関門があります。2本の空気管は前進用と後退用です。ドームに砂撒管が3個あるタイプでは前進用空気管は正規側、非正規側とも前側2本の元栓に、後退用は正規側、非正規側とも一番後ろの1本の元栓に実機では接続されていますので、厳密に再現する場合は各元栓にL字型の短い銅線を付けて空気管と接続する加工が必要になります。うまく行けばそれがベストですが、よほどの加工技術がないと空気管の歪みや不揃いが目立つ格好になってしまうため、私は見た目の印象優先で1本の空気管を砂撒管の間でU字型に鋭いピンセットとラジオペンチで曲げてあたかも元栓と繋がっているように表現するにとどめました。将来、余力があれば短いL字型空気管を銅線(または燐青銅線の切れ端)で別に作って取り付けたいと考えています。作例では2本の空気作用管の1本だけをドームの前を通して非正規側に取り付けました。正規側の空気作用管は砂撒き管の元栓に添える方でU字型に曲げています。なお、取付段階ではみ出たゴム系接着剤はあとでカッターナイフの先などで綺麗に除去できます。非正規側の空気作用管を砂撒き管にU字型に曲げて取り付けているところです。ピンセットとラジオペンチでリン青銅線の先をつまんで曲げます。空気作用管の取付けて試走中のC59です。向こうに見えるのは天賞堂のカンタムC62ニセコ重連ですが、空気作用管を比べても遜色ありません。②天賞堂C59取付事例₋追加上記①の取付後に、さらにドーム前の空気作用管を本来の2本に増やしました。ドームの前に回り込む空気作用管が1本だけで、砂撒管の元栓左右3か所のうち、2か所にしか空気作用管が接続されていないのは、やはりブログで報告した以上、気になっていました。さらに完全を目指します。まず、非正規側の砂撒管元栓付近の空気作用管の形状を完全に整えます。次に追加する空気作用管の先をU字形に曲げたうえで、非正規側の砂撒管の下を通します。通した空気作用管をドームの前方を回り込むように曲げていきます。空気作用管を正規側まで曲げたところで、ホワイトボンドで固定。ピンセットで押さえて、ボンドが乾くのを待ちます。撮影のため、右手のピンセットを一時的に離しましたが、ずっと2本で押さえていました。乾いたら余分なボンドを爪楊枝の先で全て除去します。そして正規側に回しこんだ空気作用管の先を曲げて切断し、砂撒管の元栓に接続しているように形を整えます。非正規側の完成状態です。これで、左右3本の砂撒管元栓に2本の空気作用管が接続したようになりました。ヤレヤレ😥、肩の荷が下りました。完成後の爽快感が病みつきになります。③KTM D52標準形取付事例より完璧を目指し、最初から空気作用管2本を非正規側まで曲げて、砂撒管元栓での接続部分を後付けしました。元々付けていた前出の自作空気作用管は全て撤去し、半艶消しで再塗装しました。空気作用管の取付を始める前に、まず実機の空気作用管と砂撒管元栓との接合状況を確認します。C622梅小路保存機の正規側です。C622梅小路保存機の非正規側です。C571 山口号の非正規側です。いよいよ作業開始!まず砂撒管元栓に繋ぐ2本の空気作用管を腰のあるピンセットでつまんで曲げます。仮置き状態で位置決めし、空気作用管のキャブ引き出し側を切断、空気作用管を砂撒管、手すりなどの下に通します。そして空気作用管2本をドームの前を曲げながら通します。非正規側の砂撒管の下を通し、爪楊枝の頭を使ってこじるように曲げていきます。曲げた空気作用管をゴム系接着剤で固定します。最初の固定点です。非正規側の空気作用管の先端を砂撒管に引っ掛けて固定し、正規側の空気作用管をゴム系接着剤で固定します。次に非正規側の空気作用管の先端を砂撒管元栓に繋ぐ長さで曲げて切断します。空気作用管の先端の形を整えて、ホワイトボンドで砂撒管元栓と接着します。リン青銅線の切れ端を使い、正規側の砂撒管元栓に繋ぐL字型の空気作用管を3本作ってホワイトボンドで接着します。この作業には腰のあるピンセットが非常に役立ちますのでお薦めします。いわば、ラジオペンチの超小型版です。TAMIYAの通常のピンセットと比べて太さにご注目下さい。非正規側の一番手前の砂撒管元栓にもL字形の空気作用管を接着します。乾いたら、新しい爪楊枝の先で、はみ出たゴム系接着剤やホワイトボンドを除去します。ピンセットやカッターナイフを使うとボイラーやドームの塗装を傷つけるので注意してください。砂撒管元栓と空気作用管の接続部分を半艶消しで塗装します。タミヤカラーX-18セミグロスブラックがお薦めです。正規側の完成状態です。非正規側の完成状態です。完成状態を比較します。一番手前が今回仕上げた事例③のKTM D52標準形です。真ん中は天賞堂のカンタムクラウンモデルのD52です。非常に驚きましたが、空気作用管こそ、スクラッチで作られていますが、砂撒管元栓との接合部分はなんと省略されています!時代の流れで職人不足がこの事態を招いたと考えると悲しい気がしますが、反面今回の作業の精緻度に自信を深めた次第です。一番向こうは天賞堂C59で事例①の通り空気作用管1本をドームの前で曲げて一旦完成させ、のちに事例②でもう1本の空気作用管を追加した習作です。いずれにせよ、空気作用管を銅色に輝かせて取り付けるのであれば、砂撒管元栓との接合部分も再現したほうが見た目がかなり違うことを実感しました。慣れもあるでしょうが、今回のKTM D52への空気作用管取付作業は4時間ほどで完了しましたので、皆様もぜひチャレンジしてみてください。
2024.02.29
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北海道を最近10年間で7回行って走り回った末に心に残っている痛快ロードです。定番あり、穴場あり、探すのも楽しみですから、所在地は詳しく書きません。いつも天気がいいわけじゃない。土砂降りで何も見えなくても大自然に感謝。まず最初は、定番中の定番 サロベツ原野。冬は日本海からの強風で雪が横殴りに降る絶景地。防雪トンネルで納得。牧草ロールが存分に見れる。一巻き300kg、近くで見る価値あり。これまた定番 美瑛ジェットコースター道路 外せない。道が直線だけに地球の起伏を体感する。観光客が多いので、9時前か15時以降に走りたい。これまた定番 斜里町「天に続く道」 外せない。登りより下りがインパクトあり。斜里町はスピード違反取締りのメッカ。バイクで1日に2回捕まったことがある。ご注意!定番続きですが、これも外せない 標津ミルキーロード 「しべつ」と読める人は北海道ライカ―!大雪山道路 季節と天気の違いで風景が激変し、何度走っても飽きない。地元高校生が自転車で登っていたのにはただびっくり。三国峠カフェの武田様ご夫婦、三股山荘の田中様ご一家、上士幌エコレールの野口様によろしく。宗谷丘陵 道に迷いやすいが、穴場多し。エゾ鹿の群れと並走したこともある。鹿は縄張り意識が強いので、入ってくるエイリアンを排除しようとする。遠別開拓農道 進入路が分かりにくく、時間を掛けられるリピーター向き。彼方に利尻富士が見える。開陽台周辺広域農道 目標物が全くないので、ナビでもいい道、いい撮影スポットを探すのが大変。リピーター向き、普通の方はまず、開陽台に晴れ間到着が目標。サロマ湖原生花園進入路 南湖岸の展望台に上って浮かれてしまい、見落としがちな絶景短路ビジターセンターから直進でカムイワッカの滝へ。遊覧船で見上げるのもいいが、滝を上から見下ろすのもいい。キタキツネ、エゾ鹿と頻繁に出会える地道で自然と触れ合える知床の常連向きコースだが、通行制限が厳しく期間・時間帯限定なので注意。知床道路 峠は霧の名所、羅臼岳がこれだけ綺麗に見えたのは6回行って2回だけ。太平洋シーサードライン ガス欠に注意。北海道ではメーター半分で給油が鉄則。襟裳岬まで一気に飽きるまで走る。猿払村エスサカ線 進入路分かりにくいが価値あり。寝転がって空を見るのがお薦め。生きててよかった!宗谷村「白い道」ホタテの貝殻を敷き詰めた農道。長い道や貝殻を撒いたすぐの「真っ白い道」はなかなか探しにくい。十勝平野の農道 自分でも二度と行けない。半日のんびり走り回ろう。以下、北海道で会った「仲間たち」、向こうは迷惑がってますが・・・・。絶対、エサをやらないでネ。彼らだって、腹ペコ、必死で生きてます!
2024.02.26
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北海道の開拓に関わった多くの人々の足跡をたどる旅。センチメンタルジャニー・・・切なく悲しい思いもありますが、元の大自然に戻ろうとしている大きな摂理も感じます。1.万字炭鉱を支えた国鉄万字線旧国鉄万字線の終点 万字炭山駅です。駅前からガードレールの横を炭鉱住宅方面に歩いていた学校帰りの女学生。今、どこで何をしているだろうか。木も生い茂り、山の稜線が分かりにくいので、同じ道かと疑ってしまうことが何度かあった。この場所も木が生い茂って山の稜線が水平部分しか見えないので探しにくかった。廃線最終列車が到着してから40年近く経った。採掘した石炭を貯めておき、貨車に積み込む貯炭施設(ホッパー)。今では土砂に埋まりつつあるが、ここに線路が敷かれていて万字線の本当の終点であった。終点の手前に炭山駅が設けられ、人間をついでに運んでいたとも言える。万字炭山駅の近く、道道の右側には万字小学校があった。当時は奥に炭住が並んでいたが、廃坑後に道が途中から右カーブに付け替えられており、左手前の労働組合事務所の空き地でやっと当時写真と同一場所であることが分かった。探すのに30分かかった。万字小学校の昭和19年卒業生が廃校後に集まって校歌を歌った様子が目に浮かぶ。初めて見た時、涙なしには読めなかった。この校舎も今は無い。万字小学校の近くには今も炭住が残っている。住んでいるお年寄りに聞くと、「ここからは離れない」と遠くを見る視線で返答された。裏手の山との位置関係から、恐らく上の現存写真と同じ炭住と思われる。現在駐車場になっているところにも炭住があと2棟並んでいた。万字炭山駅のひとつ手前に万字駅があった。現在駅舎は簡易郵便局になっている。駅舎を通って裏から階段を降りるとホームになっていた。階段には防雪屋根が付いていたが、今はない。この状態でも地元の方が草刈をなさったようで、前年に訪れた時は草が生い茂り、とても踏み込めなかった。万字駅のホーム跡。立ち木も成長して、自然に戻ろうとしている。前年訪れた時はハスの葉と雑草に隠れて分からなかった。前年訪れた時の状態。万字駅構内で左側がホーム、駅舎になり、本線、引込み線も入れて4本の線路が敷かれていた。立ち木が徐々に迫ってきて、開拓前の自然に戻ろうとしている。前年訪れた時の写真は、この昔の写真のちょうど機関車の位置に立って、右側方向を見た感じ。駅舎からの階段もはっきり見える。万字駅と終点の万字炭山駅を結ぶ旧道沿いに沢山の商店が並んで万字銀座と呼ばれていた。当時の写真は見当たらないが、余りの変わりように想像のしようがない。現状だけお伝えする。万字銀座沿いには金融機関もあったようだ。この道をさらにまっすぐ東に進むと、本来万字炭山駅の前(先出の写真参照)に出るが、土砂崩れで通行止めになっていた。2.シューパロ湖の湖底に消えた大夕張炭鉱 鹿島地区稀な渇水期で姿を現した旧国道452号線。国道の先が湖底に沈んでいる。曲がった速度制限標識がわずかに人の気配を感じさせる。こみ上げてくる圧倒的な寂寥感。30分ほど立ち尽くしていた。一番高くて向こうにあるのが、現国道452線。そこからは渇水期でなければ、湖面しか見えない。2番目の錆びた鉄橋が旧大夕張鉄道路線。私が立っている一番手前の地点「あかしばし」が旧国道452線。次の写真のように大夕張鉄道線と旧国道452号線は通常期には水没している。通常期の現国道452線からの眺め。2枚前の写真にあるトラス橋上部が顔を出している程度で、他の人工物は多くの人々の思い出ととともにシューパロ湖に水没している。同じ現国道452号線からの眺めであるが、満水時は全てが飲み込まれている。湖底に街があったとは俄かに信じられない。大夕張駅 駅舎大夕張駅駅前通り 山の形でかろうじて跡地が分かった。探すのに1時間近く徘徊。大夕張駅駅前通り 上から約30年ごとの風景の推移。MOBILのガソリンスタンド看板が悲しい。大夕張駅前通り。駅舎に向かって右(北)に行く。ここも探し当てるのに苦労した地点。当時の面影は全くない。3.帯広から大雪山を目指した士幌線跡。音更川の橋梁を走る蒸気機関車9600の煙の濃さが急勾配を偲ばせる。洞爺丸台風による大雪山の倒木を搬出していた貯木場に駅があった。終点のひとつ手前の幌加駅。今も続く小学校の廃校。昔話ではない・・・2018年に大雪山道路を走っていたら、手を振ってくれたので翌朝訪れた糠平小学校の先生と生徒たち翌年再訪したら、糠平小学校は上士幌小学校に統合されて廃校になっていた。生徒たちにも会えなかった。校舎は校章が付いたまま、廃校後も残されている。どこの廃校も同じ現象だ。すぐには取り壊さず、人々の記憶が薄れるのにつれて10数年、20年後に解体されている。廃校後も小学校の看板はそのままにしてある。地元の人々の思いが伝わる。4.羽幌炭鉱良質石炭採掘を期待された近代化炭鉱の羽幌炭鉱も政府の石炭政策の変更により、莫大な埋蔵量を残したまま、結局閉山に追い込まれた。他の炭鉱によく見られる平屋の炭住ではなく、高層化されたアパートになっているのが近代化炭鉱の証だが、今となっては短命に終わった羽幌炭鉱の象徴とも言える。アパートの室内を訪れると、ちょっと前まで住んでいた人々の声が聞こえるようだった。当時の週刊誌や漫画が残された部屋もあったが、せつなすぎて撮るのを止めた。アパートの近くには羽幌炭鉱の増産計画に対応して僅か閉山4年前に新設された太陽小学校の校舎も残っていた。ここは閉山後に休暇村に転用され、映画「幸せの黄色いハンカチ」のロケにも使われたが、現在は全くの廃墟になっている。廃校後に保養施設に転用されたが、それもかなわなかった。残された羆のはく製だけが妙にリアル感があった。校舎右側にあった円形屋根の体育館は積雪で倒壊した。何度も訪れる間にも風化が進む。炭鉱から少し離れたところに、羽幌町立の曙小学校の校舎も残っていた。羽幌炭鉱の急な閉山決定で、曙小学校の閉校も急だったようだ。平成2年3月16日が卒業式と閉校式だったことが分かる。早めの式典日程が人々の急な転出を想像させる。全校集会が繰返し開催されていたのも頷ける。ついさっきまでいたような・・・全てをそのまま残して神隠しにあったような羽幌曙小学校の生徒たち。片付けると自分たちがここで生きてきた思い出が消え去ってしまうと思ったのだろうか。残された校歌の「鉱脈 鉱脈」の文字と神棚がせつなさを誘う。 5.夕張炭鉱と夕張市 南北に伸びた鉱脈で全盛を誇った北炭夕張炭鉱。夕張炭鉱とともにあった夕張市にかって沢山住んでいた人々はどこに消えてしまったのか。規模が大きかっただけに凋落のギャップが非常に大きい。閉山後も観覧車やジェットコースターのある遊園地「アドベンチャーファミリー」や映画の祭典「ゆうばりキネマ祭」で街の再興を図ったが、それも潰えた。ともかく人影を見ない不思議な街角が圧倒的な寂寥感で迫って来る。神輿の歓声が聞こえてくる。ここも山の稜線がないと、昔の写真の場所が一体どこなのか全く分からなかった。本町通りの山手側に歓楽街があり、夜のネオンが眩しかった。夜のとばりで分かりにくいが同一地点である。夕張本町交差点。ここが銀座で言えば4丁目に当たるが、当時の賑わいを感じさせるものは何もない。細々と営業している洋品店や散髪店で聞いてみたが、意外なことに元の住民はほとんどいなくなったようで「昔のことはよく分からない。」と言われた。1960年ごろの絵葉書に観る夕張本町通り。次の写真にある丸丹おかむら百貨店は左のガラス張りのビルで、撮影方向は反対になる。向こうのアーケード当たりが前の写真の夕張本町交差点で、右下がりの山の稜線だけが微かに同じ場所だったことをうかがわせる。昔、「丸丹おかむら」百貨店があり、開店前に人々が並ぶほどの盛況だった。現在あるホテルシューパロも夕張線廃線で風前の灯か。偶然、私の取引先にここで結婚式を挙げた北銀出身の部長がおられたが、奥様が夕張本町商店街のご出身にも関わらず、写真を見せても昔のことになると口が重かった。その姿を見ていると、父が太平洋戦争での従軍のことを全く話さなかったのを思い出した。ジープの車列が年代を感じさせる。昔の写真は正月風景のようだが、このあふれる人波と現在の静寂のギャップには驚かざるを得ない。一旦、ゆうばりキネマ祭などで街の再生を願った残影も見られる。夕張線(正式には石勝線夕張支線)は2019年4月に廃線となった。「立入禁止」の看板は私には昔の夕張へは立入禁止と言われているように感じられた。
2024.02.26
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小学2年生のころでしたか、日曜朝にマルサンが提供するプラモデル教室のような番組があり、当時NHKの「お笑い三人組」で人気絶頂だった三遊亭小金馬が司会をしていました。当然のように私のプラモデル趣味はマルサンから始まり、ともかくゼロ戦、隼、紫電改、雷電、銀河、震電、飛燕など、日本の軍用機をかなり製作しました。その後、艦船模型も若干作りましたが、やはりタミヤとの出会いは大きかったです。子供心にマニアックな構造でバリも少なく金型の精度に目を見張りました。そこでメッサ―シュミットやホッケウルフ、ユンカースなどドイツの軍用機を手始めにしましたが、次第に戦車が好きになって、タイガー、パンサー、Ⅳ号、同駆逐戦車など、網羅的に組み上げていきました。その中で特に気に入ったのがタイガー戦車であり、特に初期型、中期型のオットーカリウス中尉機に憧れて1/32を中心に、リモコンの1/16フルオペレーションモデルも計3両作って小編隊を再現しました。ただ、オペレーションプラモデルの難点は完成させてから、戸外の庭などで動かすと泥や雨水などで接着部分が外れたり、キャタピラが切れたりと故障を多発し、あまり遊べないのがつらいところでした。他にストックが多くなりすぎて、組み立てずにヤフオクで売ってしまった、1/16フルオペのキングタイガーのポルシェ砲塔モデルがありました。
2024.02.26
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