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約40年ほど前に帆船模型に凝っていて、サンフェリッペやヴィクトリーなど、戦艦は合計4隻製作したほか、船型のスマートさに惹かれてカティサークを製作しました。サイズは全長105cm、全幅55cm、全高65cmです。イタリアか北欧か、メーカー名は忘れましたが、チークやローズウッドなど素材は素晴らしい反面、殆どカットされていないうえ、解説書が貧相で、上級者向けとか書いてはありましたが、随分試行錯誤の連続で苦労しました。戦艦に比べて船倉や砲門など船体の製作は比較的楽なのですが、高速船だけに3本マストのロープワークが非常に複雑で、途中で分からないため、神戸商船大学に行って教えてもらったほどです。約8か月間集中して約500時間掛かりました。その間、6畳の部屋は部品準備、部品加工、塗装乾燥、仮組、本組の工程ごとに仕掛品があふれ、どこまで作っても終わらない製作過程はまさに模型の王様と呼ばれるにふさわしい優雅なものでした。しかし、振り返ってみると、製作中だけでなく、完成後もゆったりとガラスケースに入れて保管しておかないと、帆のマストを引っ掛けようものなら、ロープが外れて全体が一気に緩んで垂れ下がってしまい、修復に多大の時間を要します。絵画や彫刻を飾っておられるような広い部屋がないと見て楽しむこともできないので、時間とともに王様の空間が必要なことも分かりました。この模型は製作後、別荘のリビングにずっと陳列していましたが、別荘を処分し、72歳になったのでどなたか愛好家の方に引き継いでいただければ、嬉しいです。最近1か月掛けて、陳列中に生じた損傷個所を修復するとともに、長年のホコリを筆、刷毛、エアスプレー、カメラレンズクリーナー、ウェットティッシュなどを駆使して、丁寧に除去した次第です。別荘からの持ち帰り中に結構マストやロープを損傷していたので、一つ一つ修復しました。修復が完了した現在の状態です。完全ではありませんが、完成時の姿が蘇り、ほっとしています。撮影写真を整理してさらにアップしますので、よろしくお願いいたします。なお、帆船のもう1隻の戦艦ヒーローに関しては別稿をご覧ください。https://plaza.rakuten.co.jp/smorimoto0296/diary/202402210000/現在、このブログはお陰さまで閲覧数が40,000件を超えていますので、クルマ、バイク、鉄道模型、プラモデル、旅行、ガーデニングなどお手すきの時に別稿もご笑覧下さい。https://plaza.rakuten.co.jp/smorimoto0296/diaryall/
2024.10.19
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「その1」でドレミコレクションミュージアムの概要、レプリカ機体の全体像、パプアニューギニアから里帰りした不時着実機の状態をご理解いただけたと思います。引続き、この「その2」では実際に操縦席に座ってコックピットドリルを受ける気分で、戦闘機を操縦する大変さを実感してみましょう。細部の写真も満載です。実機では操縦席の下にある機体側面からステップを引き出して乗り込むのですが、当時は主翼の上に足を上げるだけでも大変だったと思います。今回は見学者用に武社長様が用意された昇降デッキを使って搭乗しました。この昇降デッキがあると機体の中のシートに足を入れて、落下傘をお尻に敷いて座るという一連の動作が横で補助いただきながら容易にできましたが、実機では滑りやすい傾斜面のため足元も不安定で大変だったと思います。因みに私が40年ほど前にアメリカの博物館を色々回ってB17の実機搭乗をした時には、操縦室には懸垂逆上がりで入らないと行けないのですが、かなり高くて自分では登れず、下からガイドさんにお尻を持ち上げてもらって漸く乗り込めました。南方戦線用の夏用搭乗服を着こんで操縦席に座ると、もう心は1942年のニューギニア前線基地にタイムスリップ。さすが、機内で4-5時間座っているわけですから、スペース的には比較的ゆったりしていて、クルマで言うと風防を閉めた状態でもフォードGT40レプリカより楽でした。かなり真剣になっています。お土産にいただいた解説書です。コックピットの配置を見ているだけでは、何となく操縦できそうですが・・・実際シートに座ってみると、まず足は左右の方向舵ペダルに置いて、目の前に計器盤と操縦桿が飛び込んで来ますが、上を見上げると照準器があるほか、まだまだ一部に過ぎません。右側には丸い燃料切り替えコックのほか、手前で写真には写っていませんが、各種スイッチ類など操作系がずらり並んでいます。左手を置いているのはエンジンのスロットルレバーです。スロットルレバーは赤いレバーですが、その下にはアルミ削りだしの目盛りガイドがあり、赤い球のプロペラピッチレバーやその下にはエンジンのチョークレバーがあります。写真には写っていませんが、この後ろに前輪の昇降レバー、胴体下のラジエター冷却気シャッター(オーバークール防止)レバー、フラップ操作レバーなども並んでいます。なお、飛燕 甲2型以降になると、目盛りガイドなども簡素化され、ただの鉄棒を曲げたガイドに仕様変更されたそうです。これらの計器を見ながら、各種レバーを操作するのを完全に身体に覚えさせて、離陸、着陸、空中戦開始などの場面ごとの一連操作が目を閉じていてもできるように訓練するわけです。飛んでいる機内では相当揺れて計器をじっとのぞき込んだり、視線を外してレバーを探したりはできないでしょうし、敵機を発見したり、いきなり機銃掃射されれば、気が動転して何をしていいか、分からなくなると思います。例えば、主翼の増量タンクを落とさずに空戦に入ったり、落としても燃料コックを胴体タンクに切り替え忘れて失速したりというパニック状態に陥るのでしょう。ミッドウェーの大敗後、大戦末期になるとベテランパイロットが枯渇し、訓練不足の学徒出陣兵などは離着陸以外の空戦など到底無理で撃ち落されるだけなので、悲しいですが、特攻で突っ込んでいく選択しかなかったと思われます。照準器で敵機に狙いを定めて、まさにロックオン。操縦桿の先端カバーを向こう側に開いて握りしめると安全装置が解除されるので、親指で射撃ボタンを押さえて、250発の弾丸を無駄遣いしないよう3点射撃を行います。しかし、静止する的を撃つのではなく、三次元空間の中で必死で逃げ惑う敵機を激しく揺れる搭乗機から射撃するわけですから、とても命中するとは思えません。垂井光義大尉は敵機を38機も撃墜されたそうですが、よほどの技量と経験の持ち主だったのは間違いありません。操縦席に座ると、飛行機の性能もさることながら、パイロットの技量が相当の比重を占めることが実感できました。南方戦線の冬用戦闘服です。北方戦線用では暖房用のヒート線が備わっていたそうです。私が相乗時に着ていた南方戦線用の夏用操縦上着です。こういう軍服は今も営業を続行されている上野アメ横の中田商店の世界です。格納庫から引き出された飛燕の雄姿です。確かに先端の機影は同型液冷倒立エンジンを搭載したメッサ―シュミットBf109を彷彿させます。胴体下に配置されたラジエターのエアインレットもよく似ています。思ったより機体が細身なのに驚きます。見えにくいですが、主翼の中央に細い棒が突き出ていますが、前輪を出している目視確認標識です。前輪を格納するとこの棒も下がって見えなくなります。武社長様の要望でレプリカ機の機首には12.7mm機銃が2丁、主翼には甲2型以降の20mm機関銃2丁が装備されています。実機甲1型の177号機は主翼も12.7mm機銃です。軍服姿の山本様がよく似合います。日の丸が小さく見えますが、これが正規です。よく比較される日本航空協会が米軍から1952年に無償譲渡されたテスト実機は元々無塗装状態で、1965年頃に厳密な考証なしに誤った塗装を施され、1986年から知覧特攻記念館に展示されていたようです。現在は日本航空協会が無塗装状態に戻して非公開保存されています。空が抜けるとまさに離陸態勢に入ったように見えます。武社長様と協力者の山本様。互いの信頼感が伝わってきました。整備はエンジンカバーを開いて、エンジンを下に降ろす要領で行われました。確かに倒立しているほうが、ヘッドカバーも開けやすくて整備性が向上するのかも知れません。このあたりの絞り加工箇所も忠実に再現。エアインテークの絞り加工もゆがみなく見事な仕上がりです。主翼と尾翼の昇降舵はジュラルミンのフレームに亜麻製の羽布(はふ)が張られています。これは機体の軽量化もさることながら、昇降舵が操縦席からワイヤーによる足ペダル操作だったため、操作性をよくするためにジュラルミンではなく、さらに軽い羽布が使われていたようです。零戦なども同じ構造です。因みにジュラルミンがドイツで発明される前の第一次大戦複葉機は鉄のフレームにすべて羽布が張られた構造でした。格納庫の事務所側の壁面です。各種展示品のほか、先般の記念式典での椅子も残されています。格納庫の壁面でデッキです。川崎重工にゆかりの深い元ワークスライダーの「ミスターヒロ」こと、和田将宏さんのコーナーが設置され、閉店されたK-Factoryにあったトロフィーなど記念品の数々が展示されています。和田さんはあの清原明彦さんの先輩に当たられます。ドレミコレクション保有のZ900RSなど希少車も展示され、武社長様の熱い想いが伝わってきました。ミュージアム・ショップとして、飛燕をあしらったTシャツも各種製作され、ちょうど補充生産品が出来上がってきて全サイズ揃ったと、武社長や奥様も非常に喜んでおられました。最後に当日のお土産にいただいた品々です。また、再訪して、武社長から離陸のコックピットドリルを受けたいと思います。皆さんもどうぞ、HPで予約を取って訪れてみて下さい。その価値は120%あります。
2024.06.20
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皆さん、太平洋戦争で活躍した陸軍飛燕3式1型戦闘機(キ61-1甲)の精巧なレプリカが、2024年のGWから一般公開されているのをご存知でしょうか。岡山のZ1などのバイクパーツを製作販売するドレミコレクションの武浩様が2017年に何とヤフーオークションでオーストラリアのコレクターから1,500万円で落札し、その後、オリジナル機体を基に、日本立体というこれまたマニアックな会社の全面協力を得て、構想策定後の2022年からレプリカの製作を開始、搭乗していた操縦士の親族や川崎重工の生産に従事した元社員など、ゆかりの方々を招待した記念式典を経て、漸く一般公開が始められたものです。私はカワサキのZ1やマッハⅢのレストアでドレミコレクションには大変お世話になってきたご縁があるうえ、この壮大なプロジェクトを企画実行、貫徹された武浩社長にお会いしてその熱意と努力に直接触れたい想いで、今回岡山県浅口市金光町にあるドレミコレクションミュージアムに行ってきました。折角なので、税別13,000円のお土産付搭乗券を買いましたが、その価値は120%ありました。以下、詳細をご報告しますので、実機やプラモデル製作にご興味や関心のある方はぜひ、ご覧いただき、現地を訪れられることをお勧めします。私も再訪するつもりです。なお、写真は他機種の模型製作にも参考になることが非常に多いので、多めに添付しております。その1とその2に分割アップしますので、お手数ですがよろしくお願いいたします。近畿など東方面からは山陽自動車道玉島ICで降りて国道5号線を西進、「須恵」という看板のある脇道に入ってすぐですが、手前に同名称の交差点があるなど、道に迷いやすいです。道案内の動画もありますので、そちらもご覧いただくことをぜひお薦めします。DOREMICOLLECTION MUSEUM 大阪方面からお車でお越しの場合の道案内 (youtube.com)DOREMICOLLECTION MUSEUM 広島方面からお車でお越しの場合の道案内 (youtube.com)一旦、道を間違うと目標物がなく、Uターンもしにくい昔の農道を彷徨うことになり、私などは近くの親切な農家の方に軽トラで先導いただきました。まるで「ポツンと一軒家」ですね(笑)10時からの開場を迎え、格納庫の扉を開ける武社長(左)と協力者であるSora かさい(うずらの飛行場跡で紫電改と九七式爆撃機のレプリカを展示)の山本様です。この南方戦線用夏服に身を固めた凝りようには脱帽しかありません。冒頭の挨拶から気合が入る武社長さまです。平日は本業のバイクパーツ生産販売会社のドレミコレクションを経営され、土日はこの一般公開対応ですから休みなしで本当に頭が下がります。好きでないとやれないことです。しかも、奥さまや娘さんも来られて協力されるなど、ご家族の理解とバックアップを受けられていることに感心しました。この当たりは、戦艦武蔵などトレジャラーハンティングを天文学的な潤沢資金で堪能する元マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏のような活動とは一線を画するようにお見受けしました。主翼の捻じりや機体の絞りなど、エンジンレスのレプリカとは言え、実機を忠実に再現された姿は見事です。補助タンクだけで片側200L、機体に250Lで燃料は最大650L搭載可能、航続距離は1,100kmなので、一見燃費は悪そうにみえますが、離陸時にかなり消費しますので、割り引く必要があります。カワサキ重工がライセンス生産したドイツのメッサ―シュミット用のダイムラーベンツV12気筒エンジンDB601は三国同盟に基づいてイタリアにも供与され、ドイツとしては相当自信があったのでしょう。主輪、従輪もしっかり再現され、大人2名で移動可能です。タイヤは600X115のオリジナルサイズに近いセスナ用を流用しているそうです。プロペラは実機から型取りしたFRP製で、ピッチこそ変化しませんが、内臓電気モーターによりゆっくり回転します。空気抵抗の少ない液令エンジン特有の先細い機体です。ご存知の方も多いと思いますが、この液冷、水冷ではなく油冷エンジンはオイル漏れや機械式の燃料噴射装置のトラブル、整備スキル不足による稼働率低下が問題になり、その後、星形空冷エンジンに換装した改良型5式戦闘機キー100が登場したのは有名です。パプアニューギニアのジャングルに不時着した実機117号機のエンジンです。メッサ―シュミット同様、倒立状態で搭載されていて、上がドライサンプのオイルパン、下がヘッドカバーになります。スーパーチャージャー経由とは言え、マフラーなしで直接エキゾーストマニホールドから12気筒の排気が噴出されるので、ものすごいエンジン音だったと思います。この実機117号機をジャングルから回収したのは、ヤフオクの出品者の前に所有していた物故者とのことです。この177号機に搭乗していたのは、第14飛行団第68戦隊小隊長の垂井光義大尉という一般招集軍人です。この不時着後も戦線復帰し、都合3度の不時着を経験しながら38機を撃墜したエースパイロットですが、最後は不時着後、徒歩で転身中に敵機の機銃掃射を浴びて戦死されたとのことです。記念式典には垂井大尉の叔父も参列されて涙ながらにこのレプリカ機に搭乗されたそうです。車椅子で介護されていたのが、突然立ち上がられたそうで、いかに戦争の傷跡が深いかを思い知らされるエピソードです。風化していく戦争経験を忘れないため、このようなレプリカを製作保存する意義を再認識します。エンジンの不調で胴体着陸したので、プロぺラも激しく曲がっています。エキゾーストマニホールドのすぐ上に並んでいるのが機械式燃料噴射装置に射出管です。エンジン始動のためのクランクと思われます。パイロットが搭乗すると、機体の右側に整備兵が寄り添って燃料コックを開けるタイミングでクランクを回して始動する手順が踏まれました。別にエンジン始動用の回転軸を装備した専用トラックもあったそうです。それに対し、米軍のサンダーボルトやグラマンはセルモーターが装備されていて、ボタンひとつで始動させていたそうですから、工業力の差は大きいです。操縦席側から前方を見た構造です。錆びた鉄製ボルトを見ると、まだ全てマイナスネジです。欧米はすでにプラスネジだったようで、日本の軍用機では雷電で初めて使われたそうです。ただ、製作技術が普及していなかったようで、戦後になっても昭和30年ころまでは市販の木ネジやビス、模型・オモチャ・電熱器・ミシンなどのネジはまだマイナスが主流だったように記憶します。機体側面は空気抵抗を減らす枕頭鋲が整然と打たれています。枕頭鋲が日本の軍用機に初めて用いられたのは零戦のひとつ前の96式艦上戦闘機だったそうです。山本様から非常に丁寧に説明いただいたので、興味が深まりました。やはり、現物と解説パネルを展示しておくだけでは色々なことが伝わりません。機内のオリジナル塗装が残っていて、紺色だったようです。機体内部の鋲は枕頭鋲ではなく、普通の鍋頭の鋲が打たれていて、それも整然としていません。山本様のご説明によると初期の甲1型では機体外板の鋲打ちは熟練工が全て行っていたが、その生産初期でも機内の鋲打ちは女子挺身隊などの動員女学生が行っていたとのことで、戦況の激化を感じます。一般公開に先立つ記念式典では、生産に関わった川崎重工の元職員や元動員女学生も参加され、複製された飛燕を前に戦争の悲惨さを噛みしめられたようです。操縦席後方の軽め穴を開けた補強板は力が掛かる箇所でもあり、恐らく熟練工が鋲打ちしたのでしょう。エンジン不調による不時着で垂井大尉は戦線に復帰されたとのことですが、防弾版の頭部付近に後方からの大きな弾痕があり、負傷されなかったんでしょうか。横からの弾痕も生々しく残っています。1/48のTAMIYAのプラモデルと比較して、ご覧ください。尾翼と尾輪に関して、協力者の山本様から説明を受けています。甲1型では尾輪はサスペンション付の格納タイプでしたが、甲2型以降は全て省略された簡易固定式に仕様変更されました。写真では判別しにくいですが、垂直尾翼には垂井大尉の所属した68戦隊の雷マークと胴体には小隊長機を示す白い帯が微かに残っています。ジュラルミンをこのように絞り加工する作業は熟練工しかできなかったはずです。レプリカ機はアルミ外板なので、ジュラルミンより加工しやすいとは言え、製作を担当した日本立体社でも相当苦労したようです。日本立体社は霞ケ浦の予科練平和記念館に展示されている零戦二一型を手始めにSoraかさい(鶉野飛行場跡 うずらの)に展示されている紫電改や九七式艦上攻撃機の複製も手掛けており、武社長によれば、かなり技術力は向上しているとのことでした。主翼は胴体着陸で特に先端が激しく損傷していますが、国識別用の黄色塗装が微かに残っています。また、前輪タイヤはブリヂストン製で驚くほど劣化していません。前輪の主軸が格納されている状態になっています。さすがに主翼内部はジュラルミンの鈍い輝きすら残っています。主翼にあった12.7mm機銃のレプリカです。弾倉は飛燕では250発で零戦の20mm機関砲の100発より多いですが、それでも射撃は小刻みの3点撃ちが原則だったそうです。コンバットのサンダース軍曹がショート・カートリッジのトミーガンを連射せずに撃っていたのと同じ撃ち方ですね。なお、レプリカ機には武社長の好みで主に甲2型以降に搭載された20mm機銃(陸軍では海軍のように機関砲と呼ばず、機銃で統一)のレプリカが装備されています。当日は天気が崩れるとの予報だったので心配しましたが、無事晴れ間が続いて、格納庫の外に引き出されました。やはり、外に出すと臨場感が増します。この続きの「その2」では、操縦席に実際に座って武社長様から詳しくコックピットドリルを受けたり、機体細部を確認しますので、引続きご覧下さい。
2024.06.18
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随分色々と軍用機のプラモデルを組みましたが、昔は人に見ていただくのは模型店に展示してもらったり、タミヤのコンテストに出品することくらいしか方法がありませんでしたので、製作過程を写真に撮るというようなこともあまりしていませんでした。それとパソコンのHDDがクラッシュしてデータが破壊されたりしたこともあり、今回ドイツ軍戦闘機の細部作りこみとしては比較的体系的にデジタル写真が残っている1/48フォックウルフFw190D-9を題材に掲載させていただきます。精緻度としては中学3年生の時に製作したハセガワの1/32ユンカース スツーカJU87Gが優ると思うのですが、知り合いにプレゼントしてしまい、写真ネガも残っていません。ただ、フォッケウルフのほうはハーケンクロイツなどもデカールではなく塗装したので、マスキングとエアブラシのペイント技巧追求度でははるかに優ります。また、別稿のB17のように実機を観察したのは、ミュンヘンの「ドイツ博物館」でメッサ―シュミット、ユンカースを観た程度で戦車を主目的にしていたため、じっくり観察、撮影しなかったのが今となっては残念ですが、もはや今となっては集中力と根気が続きませんのでちょうどよかったかも知れません(笑)。以下、大体の製作過程に沿って、手許の写真を掲載させていただきます。何かの参考になれば嬉しいです。最後までご覧いただき、どうもお疲れさまでした。写真を整理していて、二度とやりたくない作業と思いました(笑)。マスキングをはがす時の快感は確かに忘れませんが。
2024.03.19
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随分色々と軍用機のプラモデルを組みましたが、昔は人に見ていただくのは模型店に展示してもらったり、タミヤのコンテストに出品することくらいしか方法がありませんでしたので、製作過程を写真に撮るというようなこともあまりしていませんでした。それとパソコンのHDDがクラッシュしてデータが破壊されたりしたこともあり、今回米軍戦闘機の細部作りこみとしては比較的体系的にデジタル写真が残っているコルセアを題材に掲載させていただきます。B17のように実機を観察してまでの凝り方ではありませんが、参考書籍や写真集は買い集めて参考にしておりました。以下、大体の製作過程に沿って、手許の写真を掲載させていただきます。何かの参考になれば嬉しいです。完成機の雄姿は別稿の「プラモデルを極める 軍用機」をご笑覧ください。
2024.03.19
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B17フライングフォートレスにほれ込んで、プラモデルを作るうちに実機をぜひ見たくなり、ちょうどディズニーエンタープライズのカリフォルニア アナハイム本社に勤務している時に以下の施設を回って取材しました。1.カリフォルニア州 マーチフィールド航空博物館2.ハワイ州 真珠湾航空博物館3.オハイオ州 国立アメリカ空軍博物館4.ワシントン州 航空機博物館5.ルイジアナ州 国立第二次大戦博物館6.マサチューセッツ州 コリングス財団今、振り返れば、プラモデル製作に限らず、単に見ているだけでも楽しいですね。実機を保存するだけでなく、実際に飛行させるところまでお金と手間を掛けるアメリカの博物館関係者やマニアたちには本当に圧倒され、感心したり、呆れたりでした。在郷軍人会の存在は軽視できませんが、ともかく日本の博物館は展示だけで集客努力が全く足りないと痛感しました。1.機首周辺ノーズアートだけの専門書があるくらいです。離陸の瞬間。完璧にレストアされた雄姿とものすごい爆音を聞いていると、まるで自分が英国のキンボルト陸軍基地からブレーメン爆撃を目指すB17を見送っているような錯覚に陥りました。イベント情報を集めて開催日に行くのが大変でした。しかし、実機を目の当たりにすると本当に感動的で、いつも帰りの飛行機を気にしながらギリギリまで観ていました。模型作りもいいですが、こんな感じで操縦できたら、最高でしょうね。前面防御の弱かったD型の弱点を補強したG型ですが、まるで12.7mm(M2.5口径)機銃のガンタレットの針ネズミです。この武装でも最も危険なパープルハートコーナー(編隊の端位置)で飛行していたら、次々に襲い掛かるメッサ―シュミットやフォッケウルフは随分怖かったはずです。爆撃手の座席もかなり怖そうです。高射砲の弾幕の中で激しく揺れながら、下を向いて冷静に照準を合わせるのは至難の業だったでしょう。12.7mmのベルト給弾式弾倉が大きく太いことには今さらながら驚きます。ただ、日本軍は一式陸攻や連山などに20mm機関砲を搭載していたようで、もっと重いと操作性にも支障が出たのでないかと想像します。2.操縦席よく日本機の防弾が粗末で搭乗員の消耗が激しかったと言われますが、B17のシートもご覧の通り。日本機のように軽め穴こそありませんが、軽量化を重視するのはいずこも同じで、これでは7.7mmの銃弾でも簡単に貫通すると思います。3.エンジン空冷星形9気筒1200馬力のR-1820-65エンジン。二式大艇の火星エンジンは1840馬力とのことですが、ウィキによると、ジャワ島やコレヒドール島で捕獲したB17を調査した日本軍はオイル漏れが少なく野外放置していても特に整備なしに1発で始動する高性能に驚いたそうです。油冷でもないのに冷却フィンが余りないのが不思議です。排気タービンでエンジンに強制給気するターボチャージャー4.上部・下部銃座アンテナを含めた通信機器関係はFAA連邦航空局の規制で最新式に変更されているようです。余計なお世話でしょうが、自機の垂直尾翼が被弾することはなかったのでしょうか。近接編隊で飛行していれば、なおさら流れ弾で僚機が被弾することもままあったと想像します。あまり、軍記に書かれていませんが。出ました、E型から装備されたボールタレット!ここには絶対搭乗したくないですね。真偽は不明ですが、ウィキによると搭乗員中、もっとも小柄なメンバーにアサインされたそうです。乗降は離陸直後か着陸直前に銃身を真下にさげたポジションで機内からするものと思っていました。しかし、コメントいただいた方からのご教示で機外からでも左側のハッチを開けて乗りこめたそうです。ウィキにはその写真が掲載されていますので、ぜひご覧下さい。下のお皿のようなシートにお尻を置いて、向こうの小さな枕に頭を当て、足は銃身の上の位置に踏んばって、まるで寝転んで股の間から覗くように狙いを定めたそうです。下のほうにタレットが回転すると地上/海上が見えて空中ブランコの世界、恐怖で射撃どころではなかったのではないでしょうか。5.側面銃座ブローニング機関銃の全体像が見えますが、この機体はB29のような銃座とキャノピーを付けて与圧式に改造されているようです。見学した時に質問したのですが、よくぞ聞いてくれたと中南部なまりの早口でまくしたてられて聞き取れませんでした。いずれにせよ、オリジナルの吹きさらし状態では、無我夢中の銃撃中は別にして、ヘビーゾーン仕様のB3ボンバージャケットを着ていてもさぞかし寒かったと思います。ご存知の方はコメントでご教示ください。6.前部・後部銃座このチン・ターレットだけ銃口が外向きにカットされている理由をご存知の方はコメントでご教示ください。7.爆弾槽3600kgも爆弾を搭載できるので、やたら広かったのを覚えています。防御力強化で重量が増えても爆弾搭載量は減らさずに航続距離を犠牲にしたようです。8.車輪当時はビートストッパーはなかったようです。現代版の金属メッシュホースを使っていないところにこだわりを感じます。これでもFAA連邦航空局の飛行許可検査を通るんですね。日本で凱旋飛行した零戦52型5357号機も栄21型エンジンのキャブやイグニッションコイル、計器の一部、無線機を換えたくらいでした。9. B3ボンバージャケットヘビーゾーン(気温-20度~-10度)向けの極寒仕様であったB3ボンバージャケットの復刻版としては、やはりAero Bomberが一番当時の雰囲気を伝えているように感じます。4か国語の救難メッセージタグの文字のたどたどしさも忠実に再現しています。もちろん、リアルマッコイもよくできていますが、レザーの均一な染め具合や縫製の丁寧さが当時のアメリカの軍用品大量生産の品質管理レベルを超えているように感じます。10. 参考書籍実機情報収集のために参考にしている書籍です。11. 参考ゲームかなり凝っていて、制作に当たっての本気度に感動したゲームを紹介してきます。本格的過ぎてゲームを始める前のセッティングが大変だったのを覚えています。恐らく、アップグレード最新版がリリースされていると思いますので、ご存知の方はコメント欄で教えて下さい。現在、写真と資料を整理中ですので、今後も更新します。
2024.03.10
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B17 フライングフォートレスにはまっているマニアの方も相当多いと思います。映画「メンフィスベル」「戦う翼」「頭上の敵機」「人生最良の日」などの影響もあり、素晴らしいスタイルと目覚ましい戦歴はB29やB24などとは一線を画するモノがあります。ここではHK MODEL 1/32、ハセガワ レベル 1/48、MONOGRAM 1/48の3モデルを中心に作例をご紹介します.別稿の「軍用機B17 実機現地取材」編と併せて参考にしていただければ嬉しいです。https://plaza.rakuten.co.jp/smorimoto0296/diary/202403100002/モデルの精緻化にはマスキングでは自作できない円形や複雑なデカール、人形、エッチングパーツ、真鍮パーツなどが欠かせません。写真のパーツはほぼ全て酒田市の専門店パンツアーレーアからヤフオク経由で入手しました。1/32、1/48、1/72でロスデュアルド、クイックブースト、キッツワールド、マスターモデル、ヤフーモデル、レジェント、アイリス、プリントスケールと全メーカー品を網羅しているのが素晴らしいです。マニアックすぎます(笑)。なければ、川崎市のワークス飛行機雲でも探します。1.機首周辺2.操縦席3.機内4.上部銃座5.下部銃座5.側面銃座現在、製作中で今後更新していきます。ほかの鉄道模型やクルマなどのブログネタでも忙しく、少々お待ち下さい。なお、プログ閲覧数が40,000件を超え、別稿も参考にしていただければ嬉しいです。「米軍戦闘機細部作りこみ」https://plaza.rakuten.co.jp/smorimoto0296/diary/202403190000/「プラモデルを極める―軍用機編」https://plaza.rakuten.co.jp/smorimoto0296/diary/202403100000/「B17アメリカ実機現地取材https://plaza.rakuten.co.jp/smorimoto0296/diary/202403100002/
2024.03.10
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小学生から始めたプラモデル作りですが、やはり最初は第二次大戦の軍用機からでメーカーもマルサン、レベル、ハセガワ、タミヤと進んで行きました。日本、アメリカ、ドイツの軍用機が多く、かなり製作しましたが、5回の引越しでご近所や会社の同僚など好きな方にプレゼントしたり、模型店に展示してもらううち行方不明になった作品もあります。特に引越しの時など、気が大きくなってピアノの調律師や大工さんなど別にモデラ―でもないのに熱心に見ていた方々に上げてしまったのが惜しまれます。また、昔、目黒駅前にあったMr.クラフトという大型専門店ではレジン製ミニカーを作るモデラ―のバイトをしていましたが、そこに預けたプラモデル完成品が突然の倒産閉店で霧散してしまったのも心残りです。逆に今、全部残っていたら断捨離どころの話ではなくなっていたと思いますが(笑)。ともかく、手許にあるモデルや写真で作品の一部をご紹介させていただきます。1. モスキートB Mk4現在、残っている数少ないモデルで書斎の壁に吊り下げてあります。英国機はスピットファイア、ランカスターも1/32で製作しました。今見ると、このモスキートは機首の7.7mm機銃4門と主翼の20mm機関砲8門を真鍮パーツに換えたいところです。2. F4U コルセア米国戦闘機は海軍が多かったようで、このコルセアのほか、グラマン、アベンチャー、ドーントレスも好きでした。よく覚えているのはグラマンF6Fヘルキャットです。お茶の間で組んでいたところ、亡き母が戦争の話を全くしたことがなかったのに急に血相を変えて手で振り払われ、壊われてしまったのを鮮明に覚えています。三重県名張市に住んでいた女学生時代にB29大阪空襲の護衛機だったグラマンに伊勢湾に戻る途中でよく機銃掃射され、道端に逃げ隠れてパイロットの顔まで覚えていると興奮していました。いずれにせよ、このコルセアは精密度やリアル感ではベストと感じています。なお、陸軍機になりますが、B17にもかなり没入しました。そちらは別稿で米国実機取材と併せて作り込みの投稿をしていますので、ご笑覧ください。3.フォッケウルフFw190Dドイツ軍機はメッサーシュミットやユンカースなども沢山作りましたが、フォッケウルフの軽快なスタイルが好きでした。これは中学2年生ころの作品で精緻度やリアル感はまあまあですが、当時はピンセットも使わずに土日で仕上げていましたから指の器用さや集中力では今もかないません。4.フォッケウルフ Fw190D-9別稿の独軍戦闘機作り込みテーマで題材にしたモデルです。30歳のころですから、凝り性も極まってきました。写真と資料を整理中なので、また更新追加します。このブログもお蔭さまで閲覧数が40,000件を超えました。他のプラモデルや鉄道模型、帆船模型、クルマ、バイク、旅行、ガーデニングなど、他の投稿テーマも、お手すきの時にご笑覧下さい。https://plaza.rakuten.co.jp/smorimoto0296/diaryall/
2024.03.10
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小学2年生のころでしたか、日曜朝にマルサンが提供するプラモデル教室のような番組があり、当時NHKの「お笑い三人組」で人気絶頂だった三遊亭小金馬が司会をしていました。当然のように私のプラモデル趣味はマルサンから始まり、ともかくゼロ戦、隼、紫電改、雷電、銀河、震電、飛燕など、日本の軍用機をかなり製作しました。その後、艦船模型も若干作りましたが、やはりタミヤとの出会いは大きかったです。子供心にマニアックな構造でバリも少なく金型の精度に目を見張りました。そこでメッサ―シュミットやホッケウルフ、ユンカースなどドイツの軍用機を手始めにしましたが、次第に戦車が好きになって、タイガー、パンサー、Ⅳ号、同駆逐戦車など、網羅的に組み上げていきました。その中で特に気に入ったのがタイガー戦車であり、特に初期型、中期型のオットーカリウス中尉機に憧れて1/32を中心に、リモコンの1/16フルオペレーションモデルも計3両作って小編隊を再現しました。ただ、オペレーションプラモデルの難点は完成させてから、戸外の庭などで動かすと泥や雨水などで接着部分が外れたり、キャタピラが切れたりと故障を多発し、あまり遊べないのがつらいところでした。他にストックが多くなりすぎて、組み立てずにヤフオクで売ってしまった、1/16フルオペのキングタイガーのポルシェ砲塔モデルがありました。
2024.02.26
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約40年ほど前に帆船模型に凝っていて、サンフェリッペやヴィクトリーなど、戦艦は合計4隻製作したものの、前が寸詰まった船型があまり好きになれず、スマートなこのイギリスフェーム級の戦艦Heroを選んで最後4隻目に製作しました。イタリアか北欧か、メーカー名は忘れましたが、チークやローズウッドなど素材は素晴らしい反面、殆どカットされていないうえ、解説書が貧相で、上級者向けとか書いてはありましたが、随分試行錯誤の連続で苦労しました。2年間で約700時間掛かりました。その間、6畳の部屋は部品準備、部品加工、塗装乾燥、仮組、本組の工程ごとに仕掛品があふれ、どこまで作っても終わらない製作過程はまさに模型の王様と呼ばれるにふさわしい優雅なものでした。しかし、振り返ってみると、製作中だけでなく、完成後もゆったりとガラスケースに入れて保管しておかないと、帆のマストを引っ掛けようものなら、ロープが外れて全体が一気に緩んで垂れ下がってしまい、修復に多大の時間を要します。絵画や彫刻を飾っておられるような広い部屋がないと見て楽しむこともできないので、時間とともに王様の空間が必要なことも分かりました。現在、この模型は芦屋の裕福な65歳前後の方に引き取っていただき、断捨離ができたと正直ほっとしている次第です。帆船模型に興味を持たれた方はこの本が役に立つと思います。恐らく絶版になっているでしょうが、要点を押さえた名著です。
2024.02.21
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