日記はこれから書かれるところです。

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2005.12.10
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さて、迂回戦略。コントロバーシャルな概念を決め付けで語らないために、しばらくゲリラ的に迂回路を行く。今日のゲリラ的迂回戦略(あるいは、散歩途戦略)は、ナショナリズム、ロマンティシズム、言語、国家、個人、アイデンティティ、伝統、共同体、天皇制等に関わる。

※コントロバーシャル(controversial)…論争上の;異論の多い;つまり、これと言った通説が未だ構成されていない状態


■日本が攻められた場合?

日本が攻められた場合を想定してみる。この想定が頭の悪さを露呈する突飛さを持つことは否めないが、俺の今日の問題関心は、こうした想定(問題設定)の是非にあるわけではなく、こうした問題関心を持つための条件を考えたいということに他ならない(つまり、こういう関心を持つ人間の心性はどのようなものなのかを考えるわけだ)。これに関して言えば、ロマンティシズムとナショナリズムの結合が多くの識者から指摘されており、俺がそれをわかりにくく噛み砕いても仕方がないのだが、それでも「結局ロマン主義って何よ?」みたいな問いは、それはそれで俺の言葉で語ってもいいんじゃないの的な蛮勇を冷や汗かきながら振り絞ろうってことです。はい。

早速少し脇に逸れて、回り道=散歩途へと入り込もう。紛争には相応の理由があるはずなのに、そこの考察をショートしてアクロバティックにそうした想定を前提とした思考へと向かう心性というのは、他者というものが強く恐怖の対象になっているからだろうと考えられる。パラノイアだ。他者への架橋の困難さの前に、思わず引きこもってしまう心性の表れである。そして、パラノイアの一般的な傾向と似ているのだが、その自ら重ねた疑心暗鬼の「鬼」に押し潰されそうになると、逆に「ウルトラ」な表れとして、積極的に他者に関わろうとするようになる。敵愾心と共に。だから、本当は、まず、心を寄せる相手(別に異性でも同性でもいいよ)にどのように接するべきかという対人アプローチ法を彼らに教えてあげるべきなのだ。近親憎悪ってのは、他者に文句が言えない奴が、甘えられる相手にその鬱憤をぶちまけているという構造以外のなにものでもあるまい。

※たぶん、ナショナリストはもてないはずだ。彼らは逆にそれを「健全」なんて呼ぶんだろうが。そうした僻みの捻れはニーチェ的「奴隷の倫理」じゃなかろうか。

てなわけで、攻め込まれたときの想定。極論をぶつ(極論というのは、ある問題設定に対して効果的に歩みよるための方法論なので、その極論自体の是非は措いてくれるとありがたい)。攻め込まれることは何が怖いことなのだろうか?これだ。非武装平和論ってのがある。アホなテレビ番組なんかを眺めてると、じゃ攻め込まれたときどうするの?みたいな感情に訴えかけてくる詭弁が跋扈するんだけれども、そうならないように日頃から努める。くらいしか答えがない。隣人関係悪化させて、殴りこまれて殺されるってのの想定に似てる気がする。そして、そもそも、そのアナロジーが間違っている気がする。

※アナロジー(analogy)…類推。未知の状況を既知の状況から類推して考える方法くらいかな。

上の隣人関係の極度の状態では、俺は殺される。そうした想定に対して、日頃から身体を鍛えるとか、銃刀を備えておくってのは、論理力が枯渇していないと出てこない答えじゃなかろうか。身体を鍛えておけば、確かに殺されないかもしれないけれど、俺の親は殺されるかもしれないし、犬くらいはやられちゃうんじゃないだろうか。それに対して、攻め返すのかね。なんか、こういう想定に立つ人たちってのは、人間関係において不幸なんだろうなと憐れんでしまう。


■日本が攻め込まれることの何が怖いことなのか?

俺の散歩のように、いろんな脇道に入りすぎて、論が真っ直ぐ行かないな。
気を取り直して。日本が攻め込まれることの何が怖いことなのか?これだ。上のアナロジーが違うんじゃないかと書いた理由は、上の例と違って、日本が攻め込まれても俺はたぶん死なないってことだ、言い過ぎなら、身体鍛えて戦うよりもずっと死ぬ確率が減るってことだ。お前の親が殺されるかもしれないって?戦ってもそこは変わるまい。だから、また極論ぶつが、いっそのこと降伏ってのはどうよ?(繰り返すけど、極論よ。そうなる必然性について俺はちっとも納得してないからね。)

ほとんどの場合、この降伏ってのが嫌なんじゃないかと思うのだけれど、それはチッポケなプライドに支えられてるのかもしれない。しかし、もう一回頭下げるくらいいいじゃない。殴り合って、痛い思いしてから頭下げた前回よりもマシじゃないかね?(極論ですよ笑。)今回の相手は違うって?おいおい、前回もそういうこと言ってたじゃんか。鬼畜米英って。今回は勝てるかもしれないって?まあ、たぶんそれが本音なのかもな。ちっちゃいねぇ。戦争ごっこはきっぱり諦めて、ワールドカップ一本に絞った方が良いと思うけどなぁ。

さて、真面目に。
これだけの欠陥を持っている武装積極論を支持する人間の心性というのは、日本人のアイデンティティという虚構に拘っているからこそ出てくるものだ。何と言うか、所属企業の名前を誇っちゃうサラリーマンというか、ピンで立てない人間の悲哀を感じなくもないが、ロマン主義もファシズムも大衆の誕生を待って出来上がった歴史的概念であることを考えれば、大衆の悲哀がこうした武装積極論を作ってるのはしょうがないのかもしれないとも思う。政治的意見のみならず、いろんな生活場面において、尊重されない個というのは、大きなアイデンティティの一部にひっそり収まっていたいと考えるものなのかもしれない。

しかし、そこを揶揄して終わってしまっては、これだけいっぱいキータイプするために消費しようと決意して用意したタンパク質が泣くというものだ。国民的アイデンティティ=ナショナリズムという、特殊近代的な「人工物」について、もう少し真面目に接してみることにしようか。


つづく





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Last updated  2005.12.11 02:21:59
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