日記はこれから書かれるところです。

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2006.02.10
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ナイーヴな成果主義概念。ナイーヴな成果主義理解。ロウアーミドルは、ナイーヴに成果主義的思想を好む。

じっくりとした思考を停止させ、「賭け」に出たい。もう、自分の人生を運に任せたい。自分でじっくり考えるのはシンドイ。

ナイーヴな成果主義を好む人間は、ナイーヴに政治家を選び、ナイーヴに占いを求める。大変な社会を誘導し、大変な社会に失望し、大変な指導者を選出する。

問題意識はここにある。ちょっと旧いが「成果主義」の問題構造を語る。


■経営書における成果主義の概念

成果主義ってのは、能力主義との対概念だ。

素朴な成果主義は、能力とは関係なく、成果だけで給料を決め、役職を決める。

素朴な能力主義は、成果とは関係なく、能力だけで給料を決め、役職を決める。

どちらがいいか?

対概念においてはいつでもそうだが、実はどちらも同じことを言っているに過ぎない。

同じ土俵に乗っているということは、議論の大前提としての「破れ目」があり、そこにこそ本当の問題が隠蔽されている。


というわけで、成果主義=能力主義という二項対立を脱構築していこう。


■成果主義者?

「信長の野望」ってゲームがあった。

これをやって育ったやつらが昨今の企業家ブームを支えてるんじゃないかと疑ってる。

まあ、ともかく、成果主義者と言ったって、本当にそうか考えてみりゃわかる。「信長の野望」を素朴な成果主義でやったかどうかだ。

恐らく、成果(勲功)よりも、能力(パラメータ)で、重宝する武将を決めたのではないか。(もちろん、能力を基準に活躍機会を与えるわけだから、結果的に、そいつらに勲功も溜まっただろうが。)

まあ、素朴な成果主義でものを考える人間なんてあまりいないわけだ。

そして、もし本気で成果主義を採ろうと思えば、公平な機会が絶対条件になるわけで、それはそれで実際問題不可能に近い。


■能力主義者?

素朴な能力主義を採るにしても問題がある。

ふつう能力ってやつは見ただけじゃわかんないわけだ。

そこで、能力を測るために、成果を観るってことになる。これは成果主義と変わらない。

素朴な能力主義も、成果主義が主張される前提と変わらない前提から出てきており、概念としての素朴な能力主義が実際は不可能である(パラメータついてないし)以上、これはもはや成果主義と選ぶところがない。


■隠蔽されている問題

能力主義=成果主義という枠組みでの問題設定は、「時間」と「環境」の要素を捨象して語られる。

良い環境で働けばハイ・パフォーマーになれる人間が、その(悪い)環境ゆえに落伍者になることがあるし、また、修行期間をおけば、驚くべき成長を遂げて活躍できる人間が、早くから成果を求められ(能力を示せと言われ)て周りに助けられずに落伍者になることがあるってことである。

つまり、かつてあったはずの何かが無くなって、はじめて成果主義や能力主義という用語が世に出てきたわけだ。


■なんで「成果主義」が流行ったか?

さて、良い環境で、皆がそれぞれ普通に働いても、ちゃんとシステム立っていて、会社として業績が出ているのであれば、そもそも「成果主義」なんて必要なかったはずだ。誰もが普通に働き、誰もが給料が上がっていたはずだ。

流行った時期を見ればわかる簡単な話なのだが、会社が「仕組みとして」機能しなくなったのが、「成果主義」の「導入」のきっかけだった。そして、給料のベースアップが起こらなくなった後、(会社社会的弱者である)若者が感化されたのが「流行」のきっかけだった。

これは実は、現代における国家の問題と同じ構造をもっている。


■なんで最近「セキュリティ」が言われるのか?

「地域自警団」とか流行ってるのをみて、俺は怖くなる。

あれを見て安心する愚かな主婦たちは、もっと危険な世の中を呼び寄せているのに気付いてないのだろう。ああ、こわ。

セキュリティ国家というのは、国家の役割として「セキュリティ」がクローズアップされている状態のことを言う。つまり、あなたを「危険な外国人犯罪者」や「危険な猟奇犯」から守りますよ、というメッセージと共に現れる。警察国家というやつだ。多少の人権は制約しても、「中上流階級」の安全は守りますという思想である。

歴史的逆行。

さて、これが、根源的に、問題への解決不能なアプローチであることは、数学が得意でなくても、ちょっと考えればわかる。

このアプローチは、市民社会を「分断」し、共同体内部に「危険な他者」を想定することによってのみ可能だ。そして言うまでもなく、その「分断」は格差を生み、また新たな「危険」を生み出す「温床」を作ってくれるわけだ。


さて、なんで「セキュリティ」が言われるようになったかを語ろう。

簡単な話で、それまでの支持を得ていた「福祉国家」が成立しなくなってしまったからだ。

「福祉」を謳うことで支持を得てきた国家権力が、財政的にその方法を維持することができなくなり、より安価な施策の「セキュリティ強化」を訴え始めただけなわけだ。

そして、そのような動きは耳目を集めるから、マスコミも取り上げ、集団洗脳的自体が加速していっている。


■企業の失敗と国家の失敗

しかしどうだろう。企業と国家。驚くほど構造が似てないか。

お前の経営のミスで、給料のベースアップができなくなった。それを成果主義っていう、社員の責任に摺りかえるのか?

お前の政治のミスで、負債がたまった。それを民営化っていう、民間の責任に摺りかえるのか?

自己責任なんていう言葉が流行ったのも、見事に時期を一緒にしている。


■言葉の魔術

しかし、この問題状況を把握もできずに、うまく騙される、かわいいやつらもいるわけだ。

「成果主義」に飛びつき、「民営化」に飛びつく。

まるで、その語がすべてを解決してくれるのではないかと期待する。


■「信長の野望」的社会はいいのか?

俺は「頑張ってる人が、報われる社会」などという妄言を断固拒否する。

頑張らないでもすむような企業や、頑張らないでも安心できるような国家であるべきはずなのに、そうした妄言は、責任を弱者に一気に転嫁する。

企業経営においてだって、現場に無理がいかない仕組みをつくるのが「経営」の仕事であって、それを失敗したから、お前等頑張れというのはおかしいだろ。

同様に、安心して働き、安心して子どもを育てられる経済共同体であるべきなのに、政治の再分配機能がうまくいかなくなったからといって、自己責任を連呼し出すのはおかしいだろ。

成果と能力が求められる「信長の野望」的社会になっているわけだ。

お前の失敗なだけなのに。


■権利と義務、再説

頭の悪い奴ほど、権利は義務の対価だと言いたがる。

以前も書いたが、非常に封建社会的理解をしているわけだ。「信長の野望」的社会だ。

恐らく、そのような言を吐く人間は、世の中に、身体の不自由な人たちがいるということをわからないのだろう。知的にハンディキャップを持っている人たちがいることをわかってないのだろう。

彼らが何かを権利として主張するのに、君は俺ほど義務を果たしてないからダメ、とか言うのだろう。

経済は経世在民。そして、俺は政治の最も大切な機能を、所得の再配分だと考えている。

経済でも政治でもいい。うまくできていれば、「自己責任」なんて問題は生じないし、権利を義務の対価にしようなんてする愚か者もいなくなるはずだ。

権利の歴史というのは、そうした平等を求め続ける歴史であるはずだ。俺はこの歴史に参加する。

ハンディキャップトは死んでもいいと考えられるやつらと断固戦う。





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Last updated  2006.02.11 03:00:54
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反論  
通りすがり さん
私は「権利は義務の対価」だと主張します。

体の不自由な人は、ハンディによって健常者と同等の権利を十分に行使できないからこそ、その分、義務の遂行も免除されてしかるべきと考えております。論理性に拘らない表現をするなら「各々ができる範囲でやれることをやればよい」となります。

このロジックは、何かしらのハンディがあるというだけで無条件に一切の義務から解放されるわけではないことからも容易に導出できます。

例えば、容姿が不自由なことも人生においては十分なハンディとなり得ますが(これを根拠なく否定することは該当者への差別となります)、この場合、特定の義務を果たす上での支障とはならないため、義務を果たさずに一方的に権利のみを主張することは非難されると思われます。

では私は「封建的」で「頭の悪い奴」なのでしょうか。

極めて稚拙かつ不愉快な論法であり承服しかねます。

足踏堂亭主様がご自身の差別意識から目を背けるために私のような主張をする者を差別主義者と決め付けて非難しているようにしか見えません。自分を精神面で相対的上位に位置づけようとする姑息な思考の典型例です。

ちなみに「君は俺ほど義務を果たしてないからダメ」云々は何かの実例として示されたものではなく、あくまで推測、つまり【足踏堂亭主様の内面から出た発想】であることをお忘れなきよう。人間誰もがそのような醜い思考をするなどと思われては迷惑です。

繰り返します。【その醜い発想】は、現時点では【足踏堂亭主様ご自身の内面にのみ存在】するものであり、他者は一切無関係です。あくまで足踏堂亭主様がそのような考え方をする人間であることを証明したに過ぎません。

そのような自分が嫌いなら、無関係な他者を誹謗するのではなく、どうぞご自身の心の中で決着をつけてください。戦うのは勝手ですが言い掛かりはやめてください。

以上。 (2006.08.19 16:14:39)

Re:反論(02/10)  
亭主 さん
通りすがりさん、ご来訪およびコメントありがとうございます。なんというか、微笑ましく読ませて頂きました(笑)。

まあ、通りすがりの方に言い掛かりをつけるべくもない存在者たる私の小さなブログに対してそれだけのタンパク質消費をされたということは、もしかすると、通りすがりさん、この点になんらかの負い目をお持ちなのかもしれませんね。

まあ、ともかく、現在私もなかなか忙しく、また、ちょっと旅から帰ってきたばかりで、詳しくお答えするのはまた記事にして、ここでは一言だけ。

「自分の直感的意見ではなく、もう少し権利史を勉強してください。」

私のは、通りすがりさんのとは違い、「憶測(ドグマ)」ではありません。私の「意見」ではなく、立憲主義における当然の理解です。

また、私の【内面から出た発想】といわれるものも、抽象化されてはいますが現実から出ています。たとえば、立岩信也さんなどが多くを証拠だてられています(適当なのが見つかりませんが、 http://plaza.rakuten.co.jp/sokutou/diary/200512010001/ 等参照)

立憲主義については、マガジン9条に載っていた小林節教授のインタビュー記事ご参照ください(たまたまおもしろかったので)。
http://www.magazine9.jp/interv/kobayashi/index.html

まあ、もうすこし、ご自身で思考実験を続けられたいならば、
(1)義務は誰に対するものか
(2)その義務と権利が対価として存在するならば、その質量を判定する主体は誰か
(3)もし、権利が義務の対価であるなら、権利はそもそもなんのために存在するのか

このあたりをよくよく考えられることをお勧めします。権利というのは、近代以降の国民国家とは切り離して考えられないものです。

まあ、私が最近更新できていないのを慮って、すこし挑発的に書いて頂いたのかな、とも好意的にも受け取っています。そうであれば、ありがとう。 (2006.08.20 20:56:29)

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