日記はこれから書かれるところです。

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2007.10.24
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チャールズ・ブコウスキーはわたくしの愛してやまない作家である。

わたくしの人生に影響を与えた作家ということであれば、ポール・オースターに遠く及ばない、というか、あらゆる他のすべての作家に及ばない。

ブコウスキーはわたくしの人生にまったく影響をあたえない。そして、おそらく誰の人生にもまったく影響をあたえない。

そこがブコウスキーのすごさだ。

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ブコウスキーの作品は、あまりに裸で、個的にあまりに必然で、あまりにも救いの余地がない。

それに対し、オースターの作品は、個的にあまりに偶然で、あまりにも物語的で宗教的で母体的だ。そして、ほとんどの作家がこちらの側にしか存在できない。

言葉が暴力的だからこそ、その暴力装置に愛を見出すことが、現代作家の唯一可能な方途だともいえる。

ブコウスキーだけがそれを拒否した。

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悟りにも似た諦念。

かつて、ブコウスキーをそう評した。

しかし、いまやそれが大きな誤りだったことにわたくしは気付いている。

諦めにも似た悟り。

おそらく、こちらの方が少しだけ正しい。

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ブコウスキーが存在することで、わたくしははじめて、ひとつの事実を知る。

人は物語を、本当に、拒否することができる。

そして、弱いわたくしは、そのことによって、物語に対する立ち位置をはじめて定めることができる。

物語を拒否することが可能になって、人ははじめて、物語を自分のものとすることができる。

その判断の中央にある身体は何ものからも切り離された河原の石ころ。

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われわれ切り離された個人は、じつはそのことを認められずに、物語的に、そして茶番的に、何か大きなものに回帰していきやすい。

ブコウスキーは、そのことを逆照射する。

愛は権力に与えられた名である。すべての宗教が愛のようなことを説くのは、それが権力だからに他ならない。

すべての小説が愛に関係してしまうのは、そのことに無自覚だからに他ならない。

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権力に愛を与える。もしかすると、われわれに唯一残された方策なのかもしれない。

しかし、それに内在するものの倫理として、われわれは、その拒否の契機を、今一度確かめなければならない。

ブコウスキーはわたくしの人生にまったく影響をあたえない。

そこに悟りがある。そして、救いは無い。

ありがたい話じゃないか。





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Last updated  2007.10.24 18:08:37
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