日記はこれから書かれるところです。

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2017.03.21
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恩師の告別式に参列した。

いまはまだ気持ちを上手に表現できない。

友人が弔辞を読んだ。
彼は恩師の一番弟子と言ってよいと思う。
彼らしい口調で、深い敬愛の情が語られ、多くの涙を誘った。
彼は終始落涙していた。

弔辞を書きながら涙が止まらないと読んだ彼が、恐らく、自身の胸痛をこらえながら、私を思い出し、連絡をくれたことを思うと、有難い気持ちでいっぱいになる。

ある見方をすれば部外者である私に、恩師と最後のお別れをする機会をつくってくれた。

ほんの1年か2年だったが、恩師の元で、彼と私とで過ごした時間は濃密だったと思う。

私の直接の(と言うのだろうか)恩師は、海外にいて参列することがかなわなかった。
私の直接の恩師も、故人を敬愛していたことを思うと、私ごときが参列できたことを申し訳なく思ってしまう。

普段接する機会のあった彼らとは恐らく違って、私には恩師の満面の笑みしか思い出せない。(いや、彼らもあの満面の笑みしか思い出せないのではないかとも思ってしまう。)



私は村に残らなかった。

恩師は村の中心にいた。

村を出て1度だけ、恩師と友人と3人で食事をした。
大方村に残ると思われていた私のことを恩師は気に留めていてくださっていたようで、当時の私の仕事内容に耳を傾けてくださった。
本当にあたたかい人だった。



直接の恩師とは毎年お会いしている。

友人とはたまに思い出したように飲む。

中を繋いでくれる存在(妹分)がある。



恩師のお仕事を振り返ると、私の今の年齢くらいから、大変お忙しくなっていたことがわかる。

直接の恩師もそうだった。

友人も、この時代にあって、立派な社会的地位を手に入れている。



告別式には当然のことながら錚々たる面々が揃っていた。

同時に、記憶とは大きく変わっていた。



「ニューシネマパラダイス」だった。

私はアルフレードの葬儀に参列するトトだった。

考えてみれば当たり前だ。



ニューシネマパラダイスは、不思議な映画だ。





この記事を書いている私に一通の依頼が舞い込んできた。

こういう偶然に恵まれてきた人生だ。

天に召された恩師が、お前もそろそろそういう役を引き受けろと言われてるのだと勘違いしたくもなるようなタイミングだ。



人に恵まれている人生だと思う。



恩師とはずいぶんお会いしていなかった。

それなのに、恩師のいない人生は、何か違う。



恩師は、自由にやったらいい、一生懸命やったらいいと、あの満面の笑みで、この私の人生も応援してくれているように思う。

もう遠に私のことなど忘れてしまっていただろうけれど、私はそう思う。

私ごときが告別式に参列していいのかと少し自問した。

先生は私のことを覚えてはおられないだろうと思った。

でも、私には、あの満面の笑みが、私を応援してくださっているように思えてならない。



アルフレードは、たしか、トトに、俺や村のことは忘れろと言った。



友人にとっての恩師は掛け替えのないものだっただろう。
その思い出は神聖すぎて私には近寄れない。

でも(と言わせてほしい)

私にとって、恩師は、アルフレードだった。

これはまた、私にとって、間違いのないことなのだ。



私にはまだ「ニューシネマパラダイス」を論じることはできない。





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Last updated  2017.03.21 16:15:44
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