2002年07月15日
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テーマ: 京都。(6330)
カテゴリ: カテゴリ未分類
思わぬ寄り道をしてしまったが、tetywestが亀山公園へ来たのは、角倉了以に会うためではなく他に目的があったのだ。了以の銅像からさらに20m程下った所でようやくそれを見つけた。

周恩来詩碑

それは、周恩来の詩碑だ。周恩来(1898~1976)は大正6年(1917年)9月に来日し、1年7ヵ月にわたり早稲田や京都大学などで授業を聴講している。縦1m、横2m程の石に刻まれた詩碑には、次のような文章が書かれている。

雨中嵐山

雨中二次遊嵐山
両岸蒼松夾着幾株桜
到尽処突見一山高
流出泉水緑如許
浣石照人
瀟瀟雨霧濛濛
一線陽光穿曇出
忽見(女交)妍
人間的万象真理
愈求愈模糊
模糊中偶尓亮着一点光明
真愈覚(女交)妍

tetywestがこの詩碑の存在を知っていたのは、中国の友人が教えてくれたからだ。周恩来は歴代の中国の政治家の中で一番人気のある人物なのだそうだ。3年前、中国の友人が京都へ行くと言うのでその目的を訊いたところ、周恩来の詩碑を見るためだと言う。そのときtetywestは、「わざわざ、詩碑を見るためだけに京都へ行くほど周恩来に対する熱い想いがあるのか」と感心するやら呆れるやらで、友人の気持ちは理解できなかった。今度京都へ来た機会に、実際にその詩碑を自分の目で見てみることによって、友人の気持ちが少しは理解できるかも知れないと思っていた。

詩の前半は嵐山の風景描写だ。松に桜、亀山、保津川が描かれている。雨の中、霧も立ち込めている風景に中に、雲間から突然差し込んだ一筋の太陽。この辺から周恩来の来日の感想が始まる。これからの中国をどうしようかと思案の中、なかなか答えの見つからなかった自分ではあったが、日本に来て美しい光明を見出した。

tetywestの拙い意訳ではまた中国の友人からチェックが入りそうだが、戦前に日本に学んだ中国人は多い。蒋介石、魯迅、孫文も一時期日本に亡命していたことがある。彼等が帰国後偉大な指導者になってそれぞれの分野で中国の近代化に貢献したことは、日本人の一人としてtetywestは素直に嬉しい。周恩来の詩碑を見たいと京都に出かけた友人も、この詩碑を読んで「自分もこうありたい」と密かに心に誓ったのかもしれない。帰国後の彼の活躍を垣間見るにつけ、きっとそうに違いないと思うtetywestだった。

詩碑を見て、もう少し下ると保津川の川岸に出た。なんとそこは川下りの下船場だった。これなら、食事の前に行っておけば良かったのだが、それでは角倉了以の銅像は見れなかっただろうから、まあ良しとしよう。

もう一度ゆっくりと渡月橋を眺めながら歩いていく。この橋は近くで見るよりも遠くから見たほうが絶対に美しい。特に木を格子状に組み合わせた形の橋桁がいかにも京都っぽい。tetywestの京都のイメージはこの橋をバックに佇む舞妓さん。そして山の中にはなぜか清水寺の舞台が見える。もう少し遠景に大文字。自分でも情けないのだが、これでは外国人向けの「KYOTO」の絵柄そのままだ。

渡月橋の橋の袂で「油とり紙」をお土産に買って、嵐山に別れを告げた。






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最終更新日  2002年07月19日 13時06分18秒
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