村上春樹著、『約束された場所で』、寡聞にして村上春樹がオウム真理教についての本を上梓しているとは知らなかった。
しかもインタビュー集である、ノーベル文学賞をほぼ目の前にしているほどの大作家がインタビュー集?
本人達には抹消してしまいたい過去かもしれないのに、こころを開かせて語らせている、みごとなインタビューである。
村上がインタビューの対象にしたのは、元オウム信者。
一連の犯罪にはかかわっていない、一般の?信者である。
僕はこの情報が欲しかった。
麻原彰晃という、見るからに奇天烈な教祖のもとにあれだけの若者が(サリン事件の時で15000人)、しかも高学歴者が集まってきたのか。
こころの隙間を狙われたのだとしたら、オウムと他の宗教との間にどれほどの違いがあったのか。
それを知りたいと思っていたし、そのためには信者の証言を待たねばならない。
オウム事件については、江川詔子や有田芳生の著書で、というよりあの頃の連日の報道で何が起こったのかについてはかなりの部分知っている。
しかし、"どうして?"に関しては、それぞれの思い込みの中でしか語られていないような気がした。
事件が起きたとき、犯人が高学歴の若者だったことがわかると、まず自分の子どもたちをこんなものから守らなければならないと思った。
地下鉄サリン事件が起きた1995年、僕の子供は4歳と1歳。
この子達の将来に備え、教えなければならないもの、親が絶対伝えねばならぬものが目の前に現れた思いがした。
村上春樹のインタビューに応じた元オウム信者は、一連のオウム犯罪には加担していない。
犯罪に手を染めたのは、主にオウムの中でステージの高い、熱心な信者だった。
熱心でなかったわけではないが、オウムの修行に賛同しても、教祖に対する忠誠はまだ厚くなかったために難を逃れた。
彼らは修行をして自分を高めることが楽しく、楽しみは個々の物で、特に強制されている感じはない。
マインドコントロールと世間では思っていたが、案外自由意志で行っていたようだ。
彼らはサリン事件が起きたときも、オウムの仕業だとは全く思っていなかった。
何で自分達が世間の目の敵にされるのか不思議に思っていた。
出家して、サティアンと呼ばれる集落の共同生活も、決して苦しいと思っていたわけでなく、むしろ楽しんでいた。
自分を磨いてステージを上げる"夢"の中にいた。
ただ、一般社会に馴染み難い"個"を持っていたという共通項はあるかもしれない。
でもみんな、普通の人間に見える。
普通と言うのは、オウムでなくても、他の宗教の道を選ぶことも不自然でなく、むしろ教義の理論が構築された宗派なら、もっと自分を高められたのではないかと思う。
インタビューの中から僕が気になった、入信のきっかけ動機の部分を抜粋してみる。
「"自宅で簡単にできる瞑想"みたいな本を読みまして、それをやったら霊的におかしな状態になっちゃったんです。チャクラを浄化するというのを無理にやりますと、そのぶん気の動きが弱まっちゃうんです。ものも食べられなくて、大学の講義に出ても気分が悪くて、とても勉強どころじゃありません。そこでオウムの世田谷道場へ行ったんです。そこで「こうこう、こういう状態なんです」と説明したら、その場で対策をぱっぱと教えてくれました。そしてその教えてもらった呼吸法を簡単にやっただけで、嘘みたいに回復していきました。
そのあと教祖と直接面談できるシークレット・ヨーガというのがありまして、それに出て、体の悪いのをどうすればいいか直接(麻原彰晃に)尋ねてみたんです。そしたら「君は出家だよ」と言われました。なんか、ぱっと資質を見抜いたみたいで、それでむりやり学校をやめて出家したわけです。」〔狩野浩之 33歳 入信時22歳〕
「僕は結構前から宗教ウォッチングみたいなことをつづけていたんです。キリスト教にも深くかかわっていましたし、創価学会とも関係がありました。1987年、オウムが出てきた頃、案内のパンフレットを送ってくれるように僕は教団に手紙を書いたんです。パンフレットはどっさりと送られてきました。びっくりするほど豪華なパンフレットでしたね。
僕も「来ませんか」と誘われまして、そこでオウムが出ていた『朝まで生テレビ!』の録画をみせてもらいまして、ものすごく感動したんです。上祐の弁舌もほんとに鮮やかでしたね。何事によらず受けた質問に対しては、実にきれいにさっと答えを返しています。すごいなあと思いました。すごい人だし、すごい団体だと思いました。」〔波村秋生 38歳 入信時27歳〕
「入信した時、僕にはとくに大きな個人的な問題というのはなかったんです。ただどんなにいい状態にあったとしても、なんか体の中に大きな風穴が開いているかというか、こころがすうすうするんです。いつもなんか満たされていない。ごく普通に外から見れば、問題なんて何もありません。出家した時にもまわりのみんなに言われました。いったい何が問題なんだ。何もないじゃないかって。」〔寺畑多聞 42歳 入信時33歳〕
「生きていく上で、とくに何か不満を持っていたわけでもありませんし、困難を感じていたわけでもありません。ただ自分がこの現実社会の中で、こうやって生きていくことに対して、何か「足りていない」というように常に感じていました。芸術には関心がありましたし、絵には打ち込んでいたんですが、でもこんなふうにただ絵を描いて、それでまあいくばくかの収入を得て、ただ人生をいきていくだけなのかと考えると、なんだかすごく醒めた気持ちになってしまうんです。そんな中、大学に通っているときに本屋でオウムの本をみつけ、読んでみて内容に共感し、もしかしたらこうして絵を描いているよりは、宗教的な実践に向かったほうが、自分の中のリアリティーのようなものに近づけるんじゃないか、そう考えるようになりました。」〔増谷始 29歳 入信時18歳〕
「本(兄に薦められたオウムの本『生死を越える』)の中に書かれていたのは、私たちが真の幸福を得るためには解脱をしなければならないということでした。解脱というのは最終的なものになれば、永遠に幸福が続くものです。たとえば私は生活の中で幸福を感じても、それがいつまでも永続するわけではないという事実に対して、小さな頃からいつも無常のようなものを感じていました。だからもし幸福が永遠に続くのであれば、それはどんなに素晴らしいことだろうと思ったのです。それも私だけじゃなくて、すべての人にそういうことが可能になったとしたら、それはいいだろうな、と。」〔神田美由紀 25歳 入信時16歳〕
「オウムの本を読んでいちばん心地よかったのは、「この世界は悪い世界である」とはっきり書かれていたことです。僕はそれを読んですごく嬉しかった。こんなひどい不平等な社会は滅んでしまったほうがいいと僕もずっと思っていましたし、きちんとそう言ってくれているわけですしね。ただし僕が「世の中なんてあっさり滅んでしまえばいいんだ」と考えているのに対して、麻原彰晃はそうじゃなくて、「修行して解脱すれば、この悪い世界を変えることができるんだ」と言っているのです。これを読んで僕は燃えあがるような気持ちを持ちました。この人の弟子になって、この人のために尽くしてみたいと思ったんです。そのためなら現世的な夢も欲も希望もみんな捨ててもかまわないと思いました」〔細井真一 33歳 入信時23歳〕
「僕は学生時代にいろんな新興宗教から勧誘を受けました。いろんな教会だとか道場にも足を運びました。でもあの当時、世の中の行く末について本当に切実に考えて、真剣に宗教観を打ち立て、その宗教観に基づいた生き方を熱心に模索し、また厳しく実践するという点では、オウムを超える宗教はひとつもありませんでした。まず自分の身体を変革し、その変革の延長の上に世の中をかえていかなくてはならないという宗教観には、非常にリアリティーを感じました。」〔高橋英利 31歳 入信時27歳〕
みんな真面目で純粋で、良き若者に見える。
オウムに限らず、機軸のまだ不安定な子羊をねらった商売が世の中に溢れているのもわかる。
彼らの漠然とした不安と弱さが、宗教と言う磁力に吸い寄せられる。
仮にそれが、海外に自分探しをした場合、高遠菜穂子になったかもしれないし、社会的ステータスを求めれば、勝間和代になったかもしれない。
自分の危うさの穴埋めに選んだものの入り口で、おおきな結果の違いが生まれる。
オウム事件は特殊であったかもしれないが、構成された背景はまったく普通の人々の不安定なこころだった。
実は僕も不安定な若者時代、怪しい宗教団体の入り口に招かれたことがある。
二十歳を越えた頃だと思うが、新宿を一人で歩いていると若い女性に声を掛けられ足を止めた。
足を止めたのだから僕のタイプの女性だった(具体的には小柄で清楚でにこやかで・・・)。
どういう導入だったのか忘れたが、なんかのセールスなのだろうと思いつつも、とにかく話が進み、流れの中でどんな本を読んでいるのかを訊かれた。
僕がポケットから出したのは、西田幾多郎『善の研究』、これが日本語なのかと思えるほど難解な哲学書だった。
正直に言うと、君にはわかるまい的な優越感をもって見せていた(やな奴)。
それをみて彼女は眼を丸くして驚き、驚いたと言うことは西田幾多郎を知っていたってこと?、あなたのような方を探していました風なことを言われた。
若かりし日の僕は悪い気はしない。
是非あなたに見てもらいたいものがあると、とあるビルに誘い込まれてしまった。
そこには大勢の若者がいた。
出迎えた人もみなにこやかで感じのいい連中だった。
そしてテレビが多数並んでおり、ビデオが見られる仕組みになったいた。
見せられたのはキリスト教系の宗教ビデオだった。
ここにきて、やっとやばいことになったと気がついた。
彼女を探すと見つからない。
どうやら勧誘専門の役割だったらしい。
周りはにこやかではあるが、屈強の男に囲まれていた。
部屋のすみのあちこちで、なにやらサインをさせられている様子が見える。
段取りどおり僕もそこへ連れて行かれ、住所とか書かされて、ビデオ視聴料を2千円ぐらいだったか取られた。
へんてこなビデオを見ただけで2千円はぼったくりだが、その時はそれですむのかと少し安心した。
この日はこれで解放されたが、この後手紙が何通か送られてきた。
はじめ会った彼女の手で、やさしく勧誘をしてきた。
彼女の雰囲気そのままのきれいな字だった。
すこし揺れた。
結局僕は誘いに乗らなかったが、留めた理由の第一は金がないことだった。
行けばまた金を失うことが見えていたから。
でも、ビデオの内容は興味を抱くものだった。
オウムが利用した終末思想のものだった。
若者が不安にかられ引き寄せられてしまうのも頷ける。
地に足が着いていないのは自分なのに、地面の方がぐらぐら動いている錯覚があるのだ、あの頃は。
あのビルに集められた若者の多くはあのままあの宗教に引きずり込まれ、有り金すべてを巻き上げられたと思う。
とにかくキリスト教に置いては、富は罪悪と言うことになっているから。
あれから30年以上経て、知識も広がり、足の裏には大地の感触を持っているが、そう思っていてもまた誘惑の魔手が忍び寄ればわからない。
人生一生隙は埋まらない。
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