先月初め、曽野綾子のアンソロジーを書いていて、曽野を書いたら三浦綾子も書こうと思っていた。
同じクリスチャン作家の曽野綾子と三浦綾子でW綾子などと呼ばれていた時期もあった。
実を言うと、僕は曽野綾子と三浦綾子が同一人物であると誤解していた。
曽野綾子が三浦朱門と結婚して、三浦綾子になったんだと思っていた。
あたかも荒井由実が松任谷正隆と結婚して松任谷由実になったように。
後に三浦綾子の人物像を知って、汗顔したと同時に、その前半生に衝撃を受けた。
今回もアンソロジーを使って紹介しようと思ったが、まず衝撃を受けた闘病時代を語ろうと思う。
三浦綾子ゆかりの人達で構成した、『三浦綾子に出会う本』の中で、月刊誌『百万人の福音』で編集に携わっていた熊田和子による『生きること生かされること・三浦綾子の歩んだ道』という章に、その頃のことが詳しく載っているので、抜粋になるが紹介したい。
生きること生かされること
三浦綾子の歩んだ道
綾子は生きるのをやめようかと思った。
自分が行き続けることで周りの人間が傷つき迷惑がかかるのであれば、いっそこのまま世の中から消えてしまいたい━━深夜のオホーツク海を見ながら、そう思った。
思っただけではない。綾子の足はひたひたと寄せる波に、冷たく洗われていた。
一九四九(昭和二四)年、堀田綾子二十七歳の初夏である。
三年前、西中一郎と婚約し、結納がかわされるというその日に、綾子は貧血を起こして倒れた。
それが、綾子の十三年に及ぶ療養生活の始まりとなった。
「この結婚は何ものかにのろわれている。決して祝福されない結婚である」
そう一人心の中で思いめぐらす彼女に、ほどなくして下った診断は〈軽い肺浸潤〉だった。
軽いという形容詞を被せながらも医師は、「すぐに入院しなければ死にますよ」とつけ加えている。
当時、肺浸潤あるいは肋膜炎という診断の裏には、ほとんどと言ってよいほど、不治の病とされていた肺結核━━肺病が潜んでいた。
「人に迷惑をかけるよりは死んだほうがいいのではないか。どうせ自分は誰の役にも立たずに、いずれは死んでいくのだ。それなら、今死んでも同じこと......」
婚約解消を告げた夜、いつしかオホーツクの海岸にたたずんでいたのである。
何のためにこの自分が生まれてきたのか、何を目的に生きなければならないのか。それがわからなければ生きていけない人間と、そんなこととは一切かかわりなく生きていける人間がいる。綾子は、何か目的を持たなければいけない部類の人間だった。
そんな綾子のことを気にかけ、心を痛めていたのが、幼なじみの前川正であった。
前川正も綾子と同じ旭川市に育ち、綾子が小学校二年のとき、一年間だけ隣家に住んでいた。
そして綾子が二十六歳になったとき、同じ結核患者として再会したのである。
クリスチャンの家庭に育った正は、綾子の自堕落な療養生活に、おだやかながらもはっきりと意見を述べた。ほかの友人たちとは違って、心から綾子のことを心配していた。
しかし、かたくなな彼女はなかなか心を開こうとはしなかった。
「正さん、わたし、クリスチャンって大嫌いなのよ。なによ君子ぶって。あなたにお説教される筋合いはないわ」
けんか腰に言うことばにも、正はいやな顔もせずに、ニコニコ笑いながら本を薦めたり話をしたりして帰っていく。
そんな正は一見、綾子より元気そうに見えたが、自分の命がそれほど長くないのを少しずつ感じ取っていた。だからこそよけい綾子に、生きることを真面目に考え、真剣に生きてほしいと思ったのだ。
自殺未遂のことを聞かされた彼は、自分の命を注ぎだしてでも、綾子に生きる望みを持ってほしかった。
ある日、正は綾子を旭川郊外にある春光台の丘に誘った。そして、相変わらずふてくされたような投げやりな態度の綾子に、
「いったい、あなたは生きていたいのか、生きていたくないのか」と、いつになくふるえる声で言った。
「そんなこと、どっちだっていいじゃない」
「どっちだってよくはありません。お願いだから、もっとまじめに生きてください。自分をもっと大切にする生き方を見出してください」
涙ながらに訴える彼を横目に、またお説教かとうんざりしながら、綾子はタバコに火をつけた。
と、何を思ったか、正はそばにあった小石を拾って、自分の足をゴツンゴツンと打ち始めたのである。
「綾ちゃん、僕は今まで、綾ちゃんが元気で生き続けてくれるようにと、どんなに激しく祈ったかわかりませんよ。綾ちゃんが生きるためなら、自分の命もいらないと思ったほどでした。けれども信仰のうすい僕にはあなたを救う力のないことをおもいしらされたのです。だから不甲斐ない自分を罰するために、こうして自分を打ちつけてやるのです」
正が自らの足を打ちつける姿を見て、その背後に綾子は一筋の光を見た。その不思議な光はもしかしたら彼の信じるキリストの光なのだろうか......。今まで反発しか感じていなかった彼の信じるキリストを、彼女は自分なりに知ってみたいと、この時初めて思ったのだ。
生きることを真剣に求め始めた綾子にとって、しだいに正しはかけがえのない存在に変わっていった。
そのような中でも二人は入退院や検査をくり返していた。
そして、綾子はついに結核性の脊椎カリエスに冒されてしまう。首から下をギプスベッドに固定されて、両腕を出して静かに動かす以外は身動きひとつとれない体になっていた。
綾子は再び自分の存在の意味を考えていた。長い年月、何もできずに病み臥せっている自分は廃品同様なのではなかろうか。
こんな自分などいないほうがよいのでは......。そんな綾子を励ましたのは、やはり前川正であった。
「生きるというのは権利ではなく、義務ですよ。字のとおり正しい務めなのですよ」
そのことばによって、とにかく生きてみよう、死ぬより苦しいかもしれないが生きなくてはと、自分に言い聞かせる彼女だった。
寝ているだけの自分であっても、決して廃品ではない。神に愛され、必要とされている人間なのだ。そう気づいた綾子は、自分でも不思議なくらいに心が喜びで満たされていった。
そして、ついにキリストを信じて生きる決心をし、一九五二年七月、病床で札幌北一条協会の小野村林蔵牧師より洗礼を受けた。
一九五四年十月にギプスベッドのまま旭川の自宅に帰っていた綾子を、正が最後に見舞ったのは、十一月六日のことだった。
彼は、切除した骨の一本を綾子に渡し、次はクリスマスに来るからと握手をかわして帰っていった。
しかし、クリスマスが来ても年が明けても正しは現れなかった。そして、最後の力を振り絞るようにして書いた綾子への手紙を遺して、帰らぬ人となった。三十五歳の短い命だった。
ギプスベッドに縛られている綾子には、最愛の人を亡くしたというのに悲しみに身もだえして泣くことさえも許されなかった。あふれる涙が顔を伝って流れ、冷たく耳をぬらした。
しかし、綾子は正が遺言のように残していった「どんなことがあっても生きていくように」とのことばを握りしめて生きなければならなかった。いや、死んだ彼の分まで、彼の意思を受け継いで生きられるだけ生きようと決意した。
そんな綾子の前に三浦光世が現れたのは、一年後の一九五五年六月である。ある人物が光世の名前を女性と早合点して、同じ旭川に住むキリスト者同士として綾子を見舞うことを依頼したのがきっかけだった。
誰の目から見ても光世はなくなった前川正によく似ていた。そればかりでなく、静かな話し方も表情も、誠実なキリスト者であることも、趣味まで似ていた。
光世も生まれながらに体が弱く、リンパ腺結核を患ったり、腎臓結核で片腎を摘出したり、さらには膀胱結核に冒されたりと、死と隣り合わせに生きてきた経歴の持ち主だった。病む者の心の痛みがわかる人間だった。
肺結核を発病してから九年、脊椎カリエスを併発してから三年。ギプスベッドに固定されて寝返りも打てない綾子の「寝ているだけの病気です」と淡々と語る姿に光世は心を打たれた。
初めての出会いから二ヵ月あまりたった八月下旬、光世は三度目の訪問をしている。
訪れるたびに光世は綾子のために回復を祈ってくれていたが、その日、彼はこう祈った。
「神さま、私の命を堀田さんにあげてもいいですから、どうぞ治してあげてください」
これほどの祈りを綾子は聞いたことがなかった。真実のこもった祈りに、綾子は思わず彼に手をさしのべた。強く力を入れたら骨がくだけてしまうのではないかと思われるほどに弱々しい手を、光世はしっかり握りしめた。
この日を境に、二人の心の中でお互いの存在が日増しに、確実に大きくなっていった。
しかし、ほどなく綾子の病状は再び悪化し、面会謝絶となる。
光世のひたむきな祈りは、やがてある決断に迫られるときがきた。
身動きもできず、いつ治るとも見通しのつかない病人とともに生きていくということか。
「もし、それが神のご意思であれば、どうかその愛を与えてください」
光世は固い意志をもって綾子に手紙を書いた。綾子は喜びおののきながらも、自分が彼にふさわしい相手ではないことをよく知っていた。
しかし、「治ったら結婚しましょう。治らなければぼくも一生独身で通します」という光世のことばに、それが一時的な同情でなく、信仰に裏づけられた深い愛から出たものだと知った。
そして、光世を愛しながらも、まだ心の中に生き続けている前川正のことを持ち出すと、彼は深くうなずきながら答えた。
「あなたが正さんのことを忘れないということが大事なのです。あの人のことを忘れてはなりません。私たちは前川さんによって結ばれたのです。綾子さん、前川さんに喜んでもらえるような二人になりましょうね」
心の支えを得た綾子はしだいに健康を取り戻し、ベッドの上に座ることができるようになり、さらにはすこしずつ歩くことができるまでに回復していった。
治るまで何年でも待つといったことばどおり、光世は病床に臥していた綾子を誠実に待ち続け、二人はいよいよ結婚することになった。出会いから五年めの春である。
二年後の一九六一年、二人は郊外に小さな家を建てて移り住む。
ここで綾子は、建築費の返済のために小さな雑貨店を始めた。
翌年元日、朝日新聞の一千万円懸賞小説公募の広告を目にした。
この懸賞小説に応募した「氷点」が第一席に選ばれ、直ちにテレビドラマ化、映画化となり、ブームを巻き起こし、綾子の人生は一変した。
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