《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

2011年04月20日
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カテゴリ: 幸せ読書日記

本書は、三浦綾子の80冊に及ぶ著書から抄出された言葉を集めたものである。

死と隣り合った病気と、それを支えた恋人と夫の愛が、今の彼女を形作っている。

人生の深い箴言を、心の栄養としたい。

〔 〕内は僕の蛇足。

言葉の花束・愛といのちの770章

ふつう私たちは、重い病を患うとか、人間関係がこじれるとか、経済的な危機に出会うことなどを試練と呼ぶ。すなわち苦難をもって試練と解することが多い。が、試練は必ずしも苦難と共に来るとは限らない。家業が思わざる繁栄に遭う時もまた、私たちは大きな試みに遭っているのだ。人々にちやほやされる、ぜいたくに流れる、女を囲う等々、一見、自分にとって快い状態がつづく。こんな時、人は心驕り、増長していくのである。   〈イエス・キリストの生涯〉

〔思いのほか人生が好転する時がある。しかし、後になって思うと、そういう時が一番危ない。勝手な思い込み、驕りが、落とし穴に誘い込む。うまくいっている時ほど注意が必要なのだ。ではそんな時、どうすればいいか。いい時も悪い時も、"感謝"の心を絶えず持ちつづけることだと思う〕

考えてみると、わたしたち人間は、確かに何者かに征服されている。何者かの奴隷になっている。自分が何の奴隷になっているかを知るためには、自分が何に捕らわれているかを思えばよい。朝から晩まで女のことを考えている人は、女に征服されている人だ。金のことを年中考えている人は、金の奴隷だ。出世をねがって上司の機嫌ばかり伺っているのは、出世の奴隷だ。   〈北国日記〉

〔人は何かに囚われている。正しいと思っていることでも、囚われた考え方から発していることもある。むしろほとんどの場合がそうだ。国の数だけ正義があるという。仏教においても、"正義"の価値は高くない。金、地位、女、欲望が人生を汚していく。これらを捨てた時、誠実な、真の自分に巡り会えると思う〕

私の十三年の病気は、たしかに精神的にも肉体的にも、そして経済的にも苦しいものであった。だが、今過去を顧みて、あの十三年の病気の月日は、やはり必要な、なくてはならぬ時であったと、つくづく知らされることがある。病気のみならず、あの時、なぜわたしはこんな不幸な目にあうのかと思う、いわば、人生の曲がり角に幾度か立たされてきたものである。ふしぎなことに、後で考えると、それはみな、人生の魂の生活のためには、必要な曲がり角であったと思わせられている。   〈光あるうちに〉

〔死に直面するような病気や怪我、心の迷いなどを経験すると、明らかに価値観が変わる。その時は不運であっても、あとで考えると、人生を目覚めさせてくれる幸運であったりする。自分のまわりに起こることは、すべて良いことだと信じれば、人間は成長することができる〕

今日私は六十九歳となりました。しかし、六十歳代の日々が、二十歳代の日々よりも、幸せが薄いとは思いません。六十歳代には六十歳代の恵みが、豊かにあることを覚えて感謝します。朝日も美しいけれど、夕日もまたうつくしいのです。   〈祈りの風景〉

〔振りかえってみると、たしかに青春時代はまぶしく輝いていた。実感は薄かったかもしれないけど、毎日が刺激的で楽しかった時代だ。肉体も若く、さまざまなチャレンジにこころ踊っていた。しかし、僕も五十を越え、一時は、人生の終焉に向かうだけと虚しさを覚えたりしたが、今は軒昂である。この歳になってようやくわかったことがいっぱいある。ようやく見つけた幸せがある〕

いつかもわたしは書きました。

「孤独が恐ろしかったら結婚するな」

というチェホフの言葉を。チェホフはつまり、独身生活よりも結婚生活のほうが、孤独であるといっているのです。何と結婚生活とは大変なことでしょう。結婚以前には知らなかった孤独に、じっと耐えねばならぬ時、その時が、誰の結婚生活にも必ずあるのです。   〈小さな郵便車〉

〔多くの賢人が、結婚にまつわる幻想に警鐘を鳴らしている。結婚という苦渋を嘗めることで、人生の一面を学ぶ。結婚は、けっしてばら色ではない。心が通じていたと思っていた恋人が、結婚を機に、糸がぷつりと切れてしまう。あとは夫婦としての役割があてがわれるだけ。そして、失ったものの大きさに愕然とする〕

人と人のつき合いを見よ。裏切られる人間は常に真実なほうである。つまり真実な人間は、人を裏切らない。裏切られるだけなのだ。

恋愛も真実こめての恋愛ならば、もし、それが破れれば、傷もまた大きくかつ深い。一つの恋が失われても、痛くも痒くもないとすれば、それはもはや、恋とは呼べない。そんな恋ならしないほうがましだ。   〈太陽はいつも雲の上に〉

〔恋をする時は、運命に引き込まれるようにのめりこんでいく。恋を始める時に、覚悟を決めたりはしない。しかし、経過と共に、それは覚悟が必要な行動であったと気づく。恋は相手のあるもので、相手の人生に責任を負うものだからだ。成就しても破綻しても、相手の人生を大きく変えてしまう内容なのだ。時には、命にかえてもという、真剣な覚悟を自分に課するべきである〕

私たちが本当に愛する人に巡り会うのは、たいていは人生の初めではない。自分が大人になり、自分の生き方が定まった時、その生き方にふさわしい相手が、ちゃんと現れてくるものだ。   〈あさっての風〉

〔どんなに修飾しても、恋愛は所詮、性欲である。男と女であるから、恋愛感情が生まれる。感情があるなしを別にして、それは雌雄を持つすべての生きものの使命である。生命体の根源に、人間だけが理屈をつける。人間だけが、ドラマを仕立てる。だけど、はっきり言っておこう。人間だけが持つ恋愛が、人生で一番素晴らしいものだ。そして人間として成長するにつれ、恋愛の価値も高まっていく〕

愛し尊敬している度合いがはっきりするのは、相手が病気になった時とか、相手が悲しみに遭った時とかではありません。病気の時には親切に看病するのは当然ですし、悲しみに遭った時には、慰め励ますのは、当たり前です。こんな時には、自分の愛や尊敬を計ることは出来ません。その度合いを計り得るのは、文句を言われた時です。注意を受けた時です。たとえ、少々誤解があったとしても、本当に愛し、尊敬していれば、

(あなたほどの人がおっしゃって下さるのだから......)

と素直に聞けるはずなのです。   〈藍色の便箋〉

〔僕の悪いところ、思い違いをしているところがあったら言ってください。あなたに嫌な思いをさせて、それに気づかずにいるなどということは、自分で耐えられない。たぶんそんな時は、僕は自分を見失っている時だ。本来の自分を取り戻すためにも、遠慮なく、あなたの口から言ってほしい。始まった頃の、純粋な愛を、限りなく永遠に続けたいというのが、僕の望みだから〕

若い男女が恋愛するのはいうまでもなく自然である。だが、恋愛イコール肉体関係ではないはずだ。もし男性が本当に女性を愛するならば、中絶しなければならないような妊娠を、愛する女性にさせるわけがないではないか。まさか女性たちは、簡単に肉体関係をもとめてくる男性に、真実の愛があると信じているほど愚かではあるまい。男性は、心から愛する女性には、そう簡単に肉体を求め得るものではないと、私は幾人もの男性から聞いている。世には二、三度しか会わないのに、馴れ馴れしく肩に手をかけたり、腰に手をまわしたりする男性がいる。それは愛しているからではなく、玩具のようにもてあそんでいるだけなのだ。   〈心ある家〉

〔まだセックスを知らなかった頃の、純真な恋愛感情に、この歳になって憧れる。すべてを知った上で、プラトニックラブが出来れば、自分でも誇らしく思えるのではないか。好きな女性が生まれて、その人を思っているうちに、性欲に駆られている自分を発見すると情けなくなる。女性の性欲については知り得ないが、男は性欲を克服して、初めて本当の愛に到達すると思っている〕






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最終更新日  2012年03月30日 20時36分34秒
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