《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2011年11月11日
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カテゴリ: 世の中の話

最近急に話題となり、民主党が分裂するかもしれない問題であるのに、世間ではさっぱり分からないものに「TPP参加問題」がある。

本日、野田総理がこの問題の結論を出すそうである。

その前に僕なりの考えを、思い浮かぶままに述べてみる。

推進・反対両方の言い分に理があるような気もするが、直感的に、僕はなんとなく反対である。

昨年、菅前首相の「第三の開国」発言の時は、あまり重さを感じていなかった。

発言のご本人に重みがなかったためかも知れない。

「開国」というが、150年前「日米修好通商条約」により徳川幕府が開国をしたことで、その後を引き継いだ明治政府は、その不平等条約に苦しむことになった。

何が不平等かと言うと、自主関税権がなかったのである。

関税の自主権を取り戻すための"富国強兵"であり、日清・日露戦争であった。

先人の多くの血によって取り戻した自主関税権を、あっさり放棄してしまっていいのだろうか。

だいたい"関税"と言うぐらいだろうから税収があるわけである。

財源を求めて、消費税だタバコ税だと騒いでいる昨今、これを捨てればますます他の財源による増税を課されることになる。

TPPで儲かる(とされる)企業を援助するために、国民全員が増税の憂き目に会うわけである。

高速道路無料化の話に似ている。

高速道路を利用する人の利益のために、高速道路維持費を利用しない人も含めた全員が支払うはめになる。

そもそも民主党は「東アジア共同体構想」を鳩山元首相が掲げていたのではないか。

TPPはアメリカによる環太平洋諸国囲い込み政策である。

党の方針を宣言しておいて、いきなり逆の方向へ舵をきったわけだ。

それはなぜかと言うと、自民党と連携を組むためであり、その必要性は、党内の勢力争いのためであった。

日本の政治は、今や政策ではなく、数あわせで展開するようになってしまった。

しかし、菅前首相は勢力争いに破れ、四国お遍路に旅立った。

これで元に戻ると思いきや、内部抗争は水面下で引き続いていた。

一方、これはアメリカと中国の覇権争いの、日本における代理戦争の側面もある。

アメリカと中国の両"拝金主義"が日本でぶつかっている。

今の日本の主要貿易国は、断然中国である。僕の着ている"ユニクロ"や"しまむら"は中国製だし、"ダイソー"で買う日用品もほとんどMADE IN CHINAである。

買っていながら暗澹とした気分に落ち込む。

この格安商品が、どれだけ日本の国内産業を衰退させたか。

日本の政治課題の第一はデフレ対策である。

デフレは不況が原因であると思われているが、そうではない。

デフレーションというのは、物価が下がることである。

もともとは大量生産による商品の飽和状態が崩れて物価が下落することであったが、いまはそうではない。

中国と言う物価の違う国との過剰な取引による、物価の両国の均一化の過渡期なのである。

経済の浸透圧現象のようなものだ。

僕の感覚だと、中国と日本の物価の差が2倍ほどに近づけばデフレは収まる(現在は6~7倍ぐらいか?)。

たぶん日本人の今の収入が半分になった頃にデフレは収束する。

今のままだとこの流れは止まらない。

物価を維持するためには、日銀がお札を2倍刷ればいいのだが、なぜかやろうとしない。

ハイパーインフレを怖れているのだろうが、いずれやるのだから少しずつでもやればいいのに。

TPPに一番反対しているのは米農家である。

778倍の関税が撤廃されれば、10分の一の価格のカリフォルニア米が市場を支配するのが目に見えている。

この分は政府が保証すると言っても、売れないものをいつまでも作るわけには行かない。

そもそも保障するお金は我々国民のものだ。

2.5%のアメリカの車の関税を撤廃してもらうために、農家の生活費を全国民が税金で賄うのはバランスが悪すぎる。

韓国がアメリカとFTAを結んで関税撤廃をしたのは、日本を意識しすぎたためである。

アメリカ市場による日本製品との競合に勝たんがために、打ってでたバクチだった。

それであわてて日本もTPPで対抗しようとするのは愚かな選択だ。

現在、韓国国内は、アメリカの攻勢にあえいでいる。

アメリカは建国の日に掲げた理想とは程遠い、一部の人間の利益に奔走する、悪魔に心を売り渡した拝金主義の国になってしまった。

社会主義の崩壊の後に、こんな資本主義の末路を見るとは思わなかった。

ヨーロッパもアメリカ主義のあおりで、崖っぷちに立たされてしまった。

文明発祥の地ギリシャ・ローマが危機に瀕しているのは、歴史の皮肉なのか。

現代文明の終焉がこういうことだったのか。

“社会”と言うのは、究極“互助会”であり、助け合いの集団である。

お金はそのためのツールでしかない。

自分を救うために他人を救う。

そこには自分だけ良ければよいと言う思想はあってはならない。

助け合って、支えあって、社会が保てるのだ。

良くなったり悪くなったりは、全体が負うことになる。

それが可能な単位で社会は存在できる。

グローバル・地球規模という意識は範囲が逸脱している。

安いという理由で、何千キロも離れた地の野菜を求めるより、隣で採れる少し高い野菜を買うことの方が社会の助け合いに叶うはずである。

隣の人は、自分の作った料理を食べくれるが、何千キロも離れた地の人は食べに来てくれない。

お金は助け合いの手段である。

安さを追い求める精神は、必ずしも自分の得にはならないのである。

小さな単位を広げていったはずが、巨大化したパワーがついに地球をおおてしまった。

人口が70億人を超えた。

60億人を越えたのが1999年だから、12年で10億人増えたことになる。

今後アジア・アフリカで爆発的に人口が増加するという。

経済の輪が広がった結果だ。

その結果が産んだものは、はたして幸福だったのか。

今もアジア・アフリカで子どもたちが餓死している。

経済が広がって、国が貧しくなるとは、一体どういうことなのか考えてみなければならない。

世界一幸せな国(国民の9割が幸せと感じている)“ブータン”が、最近はそうではないらしい。

原因は、都市が発展したためらしい。

中国人の立てたビルに初めてエスカレーターが取りつけられ、それを見て何かの価値観が崩れ始めたらしい。

そういえば、中国にしても、僕の大好きな映画『初恋のきた道』の舞台となるの中国は、今のような拝金主義ではない。

美しい大自然のなかで、しきたりに縛られながらも、清楚な健全な心の人々であった。

アメリカと日本が病原菌を撒き散らしてしまったのかもしれない。

http://video.fc2.com/content/201105147abKpXBy/

http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD261/story.html

P.S.話の弾みに出てきたので、『初恋のきた道』を久しぶりに観てみたが、涙が抑えられず、やっぱり素晴らしい映画なのだ。






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最終更新日  2011年11月12日 08時25分39秒
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