【4 月】
16 )北朝鮮が寧辺の核施設再稼働を表明
寧 辺 の核施設とは、1965年に運転が開始された、北朝鮮初の原子力発電所です。
2007年の6カ国協議において、重油の供給を見返りに寧辺核施設は運転中止・封鎖をしました。
翌年冷却塔の爆破を行い、その映像は世界に配信され、アメリカは北朝鮮を「テロ支援国家」のリストから外しました。
何故各国が原発の封鎖を要求したのかと言うと、原発は電気を作ると同時に、核兵器の原料となるプルトニウムも作っているからです。
2006年と2009年に行われた北朝鮮の「核実験」で使われたプルトニウムはここで作られたものでした。
つまり、原発は核兵器なのです。
日本が原発を稼働させないで維持していることは、核兵器製造の準備であると外国から見られることもあります。
福島原発事故で、原発が危険極まりないことが判った今は、廃炉に向けてすぐに行動を起こさなければなりません。
ところが廃炉にかかる莫大な費用が明白になると予算が破綻してしまうので、とりあえず稼働させて廃炉を先送りにしたいという、本末転倒の議論が行われているというのが現実です。
17 )サッチャー元英首相が死去
サッチャー、レーガン、ゴルバチョフ、この三人が1980年代、世界を変えました(脇役で中曽根首相もいました)。
ファシズム国連合と資本主義国連合との戦いはファシズム国連合が敗れ、次の戦いは社会主義国と資本主義国との"冷戦"に引き継がれました。
僕の青春時代は70年代でしたが、あの頃の若者の考えは、資本主義はいずれ社会主義に変っていくのが歴史の流れだと思っていました(マルクスの『資本論』にそう書いてあって、流行?していたので)。
かつては世界中に植民地を持っていた大英帝国は、植民地の独立と、労働党の躍進により国家観を大きく変えて行くのでした。
「ゆりかごから墓場まで」という福祉国家政策、石炭・鉄道・通信などの基幹産業の国有化により、ゆるやかな社会主義化をめざしていました。
それによりイギリスは理想の国家へ進んでいるものだと思っていたら、待っていたのは「英国病」という経済の停滞でした。
社会主義は"平等"が基本です。
ゆえに"競争"がなく、自主性や向上心が失われ、社会全体が衰退していくのでした。
日本でも国鉄などの「親方日の丸」産業は、ことごとく膨大な赤字を垂れ流しながら、組合活動で活力を削ぎあう有様でした。
そんな社会主義に対する"幻影"を断ち切ったのがマーガレット・サッチャーでした。
サッチャーは規制緩和や福祉政策の見直し、国有化された基幹産業の民営化を断行しました。
今なら"小泉改革"と同じだと思うでしょうが、小泉首相はイギリスの成功例を模倣していたのです。
あの時代に「痛みを伴う改革」を、世界に先駆けて実行したというのは驚異的です。
あとで分析すれば1982年に勃発した「フォークランド戦争」がサッチャー人気を後押ししたという幸運にも恵まれたのですが、それも敢然と開戦の指令を出した彼女の判断の早さが運を手繰り寄せたです。
1990年に首相を辞任した時、イギリスがいらないんなら、日本の首相にレンタルできたら良いのにと思いました。
18 )米ボストンマラソンのテロで3 人死亡
「ボストンマラソン」は1897年に始まる世界で一番古い歴史のあるマラソン大会。
マラソン大会で無差別テロを仕掛けられたら防ぎようがない。
もともと無差別テロは防ぎようがないのですが、来月7日から行われる「ソチ冬季オリンピック」に向けての"のろし"の意味もあります。
去年はソチ周辺でも次々とテロが起こり、大勢が犠牲となりました。
ボストンマラソンの犯人は、ロシアで独立運動のテロ活動を繰り返すチェチェン人でした。
オリンピックでのテロで思い出すのは「ミュンヘンオリンピック事件(1972年)」です。
パレスチナゲリラ(黒い九月)がオリンピック村で、イスラエルの選手・コーチなど11人を殺害しました。
あれから40年、パレスチナ問題は何も解決されず、対立の図式はますます激しくなっています。
宗教や民族は自己を認定するアイデンティティの問題なので、集団で弾圧や差別を受けたと感じると、集団で興奮し暴走します。
限られた組織の中のルールは、大きな枠組のルールより優先させられるものです。
『灰とダイヤモンド(監督:アンジェイ・ワイダ、1958年)』のようにテロリスト自身の悲劇を描いた名作もありますが、テロリストを(韓国のように)国家で美化するようなことは絶対いけません。
世界中の人が努力すれば、いつかはテロも戦争もない平和な世界が訪れることも可能なのです。
その日が早いか、人類が滅亡する日が早いか、神様しかわかりません。
19 )中国四川省のM7.0 地震で死者・行方不明者200 人以上
中国の地図で言えばほぼ真ん中に位置する「四川省」で大地震が発生し、死者186人、負傷者11393人以上を出しました。
四川大地震と言えば2008年にもあり、7万人近くの死者と37万人の負傷者が出ました。
この年開催される「北京オリンピック」の運営が危ぶまれるほどの被害でした。
この時も今回も、中国政府は海外の支援を拒否(08年は結局受け容れます)、報道の入国も制限されました。
中国の秘密主義や面子の問題とされていましたが、四川がチベットに近い所に位置していたことも重要です。
チベット(吐番)が中国に侵略されたのは1949年、それまでは敵国であったり属国(他の国の支配を受ける国)であっても同一国であったことはありません。
モンゴルやネパールが中国でなければ、チベットも中国ではありません。
それどころか1970年代までに、中国の侵攻により人口の5分の一に当たる120万のチベット人が犠牲になりました。
この事実を世界に知られたくないと言うのが、中国の本音だったのです。
僕が初めてチベットのことを知ったのは、ブラッド・ピットの映画でした。
名匠マーチン・スコセッシ監督の『クンドゥン』という作品もあります。
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