新年度となり、職場では去り行く人を送り、来る人を迎える時期となりました。
社会人となって40年近くを経験し、ようやく「仕事」との距離感がわかるようになりました。
最終コーナーに差し掛かる前に、「仕事とはなんだ」と言うことを総括したいと思います。
水先案内人は、僕のメンターの一人アルボムッレ・スマナサーラ師。
http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/201008080000/
スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老で、“仏教”と言っても中国経由で日本に伝わりアレンジが加えられた“救済仏教”ではなく、ブッダのオリジナルにより近い、“人生哲学的仏教”を伝道しています。
師は仏教を「心の科学」と称し、「今、この場で役立ち、自ら実践し理解する“知恵の 教 ”」と呼んでいます 。
多数の著書から、今日のテーマに合わせて『一生、仕事で悩まないためのブッダの教え』から、「仕事とはなにか」を紹介させていただきます。
どんな人にも向き、不向きはあります。その仕事を面白いと感じるか、つまらないと感じるかとは関係なしにあるものです。
仕事とは「相手のため、社会のため」にすることですから、やはり「才能がある状態」でやらなければなりません。「こんな仕事がやりたいんだ」と「いくらあなたが望んでも、才能がなければやっぱりダメです。
残念ながら仕事というものは、本人が「ちょっとおもしろくないな」と思っているくらいのところで、才能が発揮されていることが多い。だいたいそんなものです。
才能のある分野で働いていると、それほど苦労しなくても淡々とできてしまう。
たいていの人は、「簡単にできてしまうこと」をあまり面白がりませんね。
「この仕事は自分に向いているのか、向いていないのか」と悩む人は、シビアな目で「才能があるのか、ないのか」を吟味してください。「その仕事がやりたいのか、やりたくないのか」ではなく、「才能があるのか、ないのか」を考えるのです。
仕事とは社会のためにやるもの。その前提に立ち返るなら、「あなたの能力を社会が買ってくれるかどうか」が仕事として成立するか否かの分かれ目です。
〔能力の評価は他人がしてくれます。
他人があなたに依頼した仕事に使われる能力が、あなたが持っている能力の中で望まれている能力なのです。
その能力こそが社会に役に立つ能力なのです〕
仕事とは、「人のために何かをすること」です。
「自分がこうしたい、ああしたい」という思いとは関係なく、人の役に立つことをする。
それが仕事です。
もし、「私は自分のために働いている」と思っている人がいたら、その人は仕事の根本がわかっていません。
そして、もう一つ。
私たちが「誰のために仕事をしているか」といえば、突き詰めれば「社会のため」です。
間違っても、自分のため、家族のため、会社のためではありません。
社会が「マスター(主人)」で、すべての人はその下で働く「使用人」。この関係が仕事の基本です。
私たちは例外なく、「社会から必要とされる仕事」をしなければなりません。
いい換えれば、私たち一人ひとりは「社会から与えられた役割」を担っているということです。
自分の都合や希望とは関係なしに、社会から与えられた役割をこなす。
これが仕事の原点です。
〔人類としてとか、日本人としてとか、大きなくくりの社会に人は帰属しています。
その中の小さなかかわりとして会社組織があります。
小さなムラ社会に拘束されていると、小さな組織論理が思考を制約してしまいます。〕
どんな人でも、相手を喜ばせることができたとき、自分も喜びを感じているでしょう。
それは仕事の現場でも、もちろん同じです。
「誰もが嫌がっている仕事をやる」なんて、もっとも人の役に立てる場面ではないでしょうか。
みんなが嫌がっている仕事を自分がやれば、周囲は喜んでくれる。みんなに感謝され、必要とされる。
それこそ仕事の醍醐味です。
さらにもう一つコツをつけ加えておくと、「どうせやるなら、気持ちよく引き受けて、文句一ついわずにやる」ということです。
気持ちよく引き受けて、黙って仕事を始めるほうが、自分にとっても、周囲にとっても効果的です。
さらにもう一つ。
同じやるなら、「こうやれば、もっと時間を短縮できる」「次はここのやり方を変えてみよう」などと工夫しながらやったほうが、格段に楽しくなります。
〔大事なのは、何をしたかではなく、どうやったかです。
自分を裏切らずに、精いっぱいやった仕事は、楽しくて清々しいものです。
お金にならなかったとしても、心の貯金ができています。〕
仕事も、人生も、楽しみながら、喜びを感じながらやるのが大事。
「つらくても、がんばる」なんて、立派なことでも何でもないのです。
意識と視点をかえることができれば、楽しみなんていくらでも見つかるのです。
精神を鍛え、心が病気にならないようにするというのは、まさにそういうことです。
つらく、苦しい状況に耐えるために心を鍛えるのではなく、その状況で楽しみを見つけられるように、健全な精神を鍛える。それが大事なのです。
環境は自分の外にあるものなので、管理することも、操作することもできません。
しかし、自分の心は管理できます。そのことを忘れずに、いつでも心を健康にして、どんな状況からでも楽しみを見つけられる人になって下さい。
大事なのは「楽しい仕事をする」ことではなく、「仕事から楽しさを見つける」ことなのです。
〔他人の目を意識して仕事をすると、結果は他人の評価に左右されてしまいます。
自分に対し誠実に仕事をしていれば、必ず良い巡りあわせが訪れるものです。
広い視野を持って自分を磨きましょう。〕
仕事をするからには人との付き合いは不可欠。当然、コミュニケーション能力も問われるでしょう。
コミュニケーションには、とりあえずツボのようなものがあります。そのツボを意識するだけでも、コミュニケーション能力は向上します。
そこではっきりしているのは、「自分のいいたいことなど、相手は聞きたくない」ということです。
これがコミュニケーションの基本。それが真実です。
たいていの人は、つい「自分のいいたいこと」を話してしまう。しかしそれでは、話す方は気持ちがよくても、聞かされる相手は大概、苦痛です。
つまり、その反対がコミュニケーションの極意です。
「どうしたら相手が喜ぶか」「何を聞きたがっているか」を考え、工夫することです。
コミュニケーションとは「相手に喜びを与えること」だからです。
「自分の意見は自由にいっていい」というのは傲慢で、独善的な考えです。
自分の意見だろうが何だろうが、「相手に届きやすいもの」「相手が受け取って喜ぶもの」を口にすることが、コミュニケーションの大前提です。
〔無理して発言すると、暴投になることが多いものです。
会話は、投げられたボールを、素直に投げ返すことが重要。
多弁を弄するより、無言の笑顔の方がよっぽどコミュニケーションに役立ちます。〕
複数の人が集まれば、さまざまな相違点があって当然。価値観や性格、考え方考えるスピード、好き嫌い、選ぶ言葉、興味の対象など、ありとあらゆるものが異なります。
そんな中で共通点や共通する環境を見つけ出すのは、そう簡単ではありません。自分勝手に自由に考えているうちは、まずうまくいきません。
空気を読むための第一歩は、自分の価値観、世界観を一旦停止することです。
自分の考えを一旦停止し、周囲の人たちの「輪」を観察し、キャッチする。
そこからすべてが始まります。
「コミュニケーションとは相手に喜びを与えること」と述べましたが、その前提、準備となるのが、自分の思考を停止して、相手を観察することです。
ちなみに、仏教では主観から客観へ変換することを「智慧」といいます。
「智慧」のある人は空気を読み、相手(あるいはその場)に合ったコミュニケーションがとれるのです。
〔人は誰でも“問題”を抱えています。
しかし、そのほとんどは自分自身で解決できることです。
他人が解決を手助けできることもありますが、所詮自分次第です。
助けが必要な時は、流れがそうなりますから、見守るべき時は要観察に留めましょう。〕 つづく・・・
近藤誠著『「健康不安」に殺されるな』 2023年04月15日
ダニエル社長著『コロナと金』 2022年09月27日
ジェフリー・ケイン著『AI監獄ウイグル』 2022年02月05日
PR
サイド自由欄
カテゴリ
カレンダー
キーワードサーチ