【9月】
36)英北部スコットランドが住民投票で英残留を決定
国民投票で独立を問うのが、今年のトレンドでありました。
イギリスの正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」といいます。
イギリスは4つの国、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドで構成されます。
もともと違う国が、徐々に合併して連合国となったのですが、それぞれに権限を委譲された政権があり、首都もそれぞれにあります。
君主は女王エリザベス2世をいただき(君臨すれども統治せず)、外交・軍事は統一して行います。
大英帝国の輝ける歴史を持ち、議会制民主主義の魁として世界をリードするイギリスは、日本もお手本として憧れる国です。
日本史においても、「日英同盟(1902~1923年)」の頃が一番よかった。
スコットランドが、そのイギリスブランドを捨てたいというから驚きました。
「大阪都構想」を唱える、大阪が独立したいというようなものでしょうか。
結局、理性ある国民の方がわずかに多く、独立は否決されました(数々の引き留め策の利権を得て)。
日本でも、沖縄が独立を図るかもしれないという憶測があります。
沖縄(琉球王国、1429年~)が日本に編入されたのは1892年、戦後のアメリカ統治から日本に返還されたのが1972年。
日本の一部であった時の方が短いのです。
ただし、もし国民(県民)投票で独立したとしたら、あっという間に中国の干渉を受けるでしょう。
それを防衛するために、アメリカ軍が増強され、アメリカの統治国になることは間違いない。
ロシアにおけるクリミアと同じ原理です。
どっちみち沖縄は、独自では成立できない運命を背負わされているのです。
スコットランドと言えば、中村俊輔選手が2005~2009年まで在籍したサッカーチーム「セルティック」のある国です。
サッカーの世界では、イングランドとスコットランドは別の国なのだと、この時知りました。
俊輔はこの間128試合出場、29得点、チームはリーグ戦3度の優勝、二つのカップ戦合わせて3回の優勝を果たしました。
他にも、スコットランドPFA年間最優秀選手賞、スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞、スコティッシュ・プレミアリーグベストイレブン、スコットランドリーグスポンサー年間最優秀選手賞、スコティッシュプレミアリーグ年間ベストゴール等々輝ける実績も残しました。
UEFAチャンピオンズリーグでも、敵地オールド・トラフォードのマンチェスター・ユナイテッド戦で、見事なフリーキックで得点し、日本人初のUEFA得点者になりました。
先週、5年ぶりでセルティックを訪ねた俊輔に、サポーターはレジェンドとして歓待してくれました。
37)アフガン大統領選でガニ元財務相が当選
『ランボー』が15万のソ連軍と戦ったアフガン戦争。
そんなこともすっかり忘れるほど、アフガニスタンの平和への道のりは遠く険しいものでした。
ソ連撤退後に権力を掌握したタリバン(イスラム厳格主義組織)の圧政と紛争。
もともとタリバンはソ連との戦いの中で、アメリカが育ててしまった組織でした。
さらにタリバンに合流したウサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダのテロ活動。
そして、9.11同時多発テロ。
アメリカ軍のタリバンandアルカイダ掃討のアフガン攻撃。
国土は荒廃し、多くの犠牲者がでました。
平均寿命の短い国世界第2位になってしまいました(48歳)。
それでもようやくタリバンを 掃討し、2004年第1回大統領選挙が行われ、カルザイが当選、それを引き継いで二人目の大統領の誕生です。
タリバン勢力の盛り返しもあり、外国の侵略と内戦にくれたアフガニスタンの平和は、見えてきてもまだ手の届かないところにあります。
38)香港で行政長官選挙の民主化求めるデモ
1997年、イギリスから中華人民共和国へ香港が返還された時、一般には「香港が中国になる」と思われていました。
その中で、そうではなく「中国が香港になるのだ」と予言した人がいました。
その後、中国は急速な経済発展を遂げ、外国からの資本も流れ込み、文化は一転し、(共産主義国でありながら)富裕層の誕生など、この予言は当たっていたともいえます。
一方、香港が中国になるという定説も、また現実となってきました。
香港返還に伴い、イギリスサッチャー首相とトウ小平とで交わされた条件は、香港は中国の特別行政区となり、中国政府は「一国二制度」をもとに、社会主義政策を将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないということでした。
発表を聞き、独裁国家の支配を恐れた香港の富裕層は、カナダやオーストラリアに移民していきました。
逃げ出せない市民は、とりあえず50年はここままなら自分はいいかと思ったかどうか、怯えながらも中国に飲み込まれる覚悟をしていました。
今回、デモの中心になったのは、2047年以降(33年後)も香港で暮らさなければならない若者たちです。
香港では2017年の「香港特別区行政長官選挙」は1人1票の普通選挙が行われる予定でしたが、候補者は中国人民大会の指名委員会の推薦がなければならず、中国の方針に従う者のみの選挙になっていました。
これに香港の民主活動をする学生組織が、抗議活動を起こしたものでした。
以前にも、2011年に義務教育の中に「愛国教育」をいれようとして、”洗脳反対”のデモが起こり、香港政府が撤回をした事例がありました。
初めは、高校生と大学生の「真の選挙を求める」デモが学校内で行われていたのですが、次第に街に出るようになり、繁華街や商業エリアを占拠するようになりました。
SNSの呼びかけに応じて、デモ学生は膨れ上がり、市民活動を圧迫するよるに至って警察が出動、催涙ガスを用いた排除行動をとることになりました。
今回のデモの中心的人物でハンストで抗議活動をした黄之鋒君も、3年前(当時15歳)学生団体“学民思潮”に加わり、以後学生運動を指導していました。
現在18歳の草食オタク系の大学生が、徒手空拳の戦いを体制側の大人相手に展開する様は、映画を見るようでした。
『いちご白書(1970年)』は、1968年にコロンビア大学で起きた学生運動の実話映画です。
後の、『いちご白書をもう一度(作詞曲:荒井由実。歌:バンバン)』のモチーフになった映画です。
歌詞にある通り、「就職が決まって 髪を切ってきたとき もう若くないさと 君に言い訳したね」と、普通の学生は大人の入り口をくぐりって社会に適応していきます。
しかし、香港の学生の戦いは、これからも続きます。
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