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水曜日のスウェーデン戦は素晴らしかったの一言。スウェーデンの選手と比べて、平均で10cm小さいなでしこたちであったが、圧倒的な運動量、軽快なボールさばきや次々とつながっていくパスを見ていると、大げさに聞こえるかもしれないけれど、芸術を見ているような感じだった。 ドイツの解説でも、「独自のサッカー哲学」と言っていたほど。 沢のヘッディングシュート、川澄の35mシュートが決まったあとも、攻撃をやめず、攻撃を続けていく姿に目頭が熱くなった。ドイツ・ナショナルチームの監督も来ていて日本がシュートを決めると立ち上がってみていた。これだったら、負けても仕方なかったと思ったかもしれない。***ドイツでは、この日本の試合がとても注目され、翌日の「南ドイツ新聞」では、なんと、この試合を振り返って途中出場の選手も含めて全員に対して、一人一人試合中の写真にコメントがつけられていた。リンクはこちら。最初の写真は、なんと、佐々木監督(笑)。(写真は、1から16まであるので、矢印をクリックしてください。)日本でも、ここまで取り上げているメディアはないと思う。会社でお昼ご飯を食べながら見ていたら、なんだか胸が熱くなり、途中で鼻をかみにトイレに駆け込んだほど…***実は、今日、旦那も出る恒例の野外劇場のチケットを取っていた。時間的にちょうどなでしこたちの試合の時間と重なる。実は数日前から、この日曜日は雨の予報だった。それもただの雨ではなく、「強い雨」の予報。でも、なでしこたちの決勝進出で、このなぞは解けた。***現在、決勝開始4時間前。気温が一気に10度以上下がり、雨がしとしと降っている。あぁ、なでしこたちの試合が見たい!あめあめ ふれふれ、もっとふれ~♪と、歌いながら、状況を見守っている。
July 17, 2011
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9日土曜日(現地時間)の準々決勝、ドイツ戦での女子サッカーW杯)なでしこジャパンの活躍、すごかったですね。私は、0-3(でドイツの勝ち)の予想だったのですが、体を張った守りと最後まで続いた、プレッシャーに負けない精神力で、最後は1-0で勝ってしまいました!翌日曜日、インターネットを見た限り、日本ではそれほど大きく取り上げられていなかったようですが、3連覇を狙った開催国ドイツでは、まさかの衝撃の敗退ということで各紙ともトップ扱いでした...実は詳しく読んでいないが、ドイツ女子チーム、今度のオリンピックにもでれなくなったらしい…。日曜日ははさすがに外に出ることがはばかられ、(こういう時に日本人ということをしみじみと… 苦笑)、外が暗くなってからこっそりごみ捨てに行ったくらいです…月曜日、出勤して現地エンジニアのドイツ人にこの話題を振ったところ(意地悪なおばさん…)「あんなゆっくりなプレイをするのはサッカーではない(=サッカーではないから、ドイツが負けても関係ない)」と強がっていました(笑)。その後、上司の社有車のライトを交換に、隣のガソリンスタンドに行ったらそこのおじさんに「土曜日に日本が勝ったから、100ユーロ、余分に払ってもらう」と言われてしまいました… (もちろんジョークなんですが)。女子サッカーということで、かなりマイルドな反応なのですが結構、ドイツ人は負けたことを気にしているんだな…と。試合直後、日曜日早朝の日本の実家に電話をしたら母も(1階で)、兄夫婦+姪(2階で)もフィーバーしていました(笑)。今夜は、準決勝 スウェーデン戦。いずれにしても、あと2回(決勝若しくは3位決定戦)、なでしこジャパンの活躍が見れることになるので、とても楽しみにしています。以上、簡単ですが現地リポート(?)でした。
July 13, 2011
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Suhの旦那の副業は一貫してオペラ歌手。(ソロではなくコーラスの一員だが…)冬は市立劇場で。市立劇場内部。夏はおなじみの野外劇場で。ついでに、クリスマスやイースターにはバイオリンを弾いてお小遣い稼ぎもする。本業は、税金の計算とかする仕事だったが、こちらは、正直、あまり向いていないと思った。だから、勤めていた会計事務所を辞める時Suhは聞いた。ねぇ、将来を考えると、今のうちに新しい職業資格を取っておいた方がいいんじゃないの?旦那は、ポツリと「介護士」を考えていると答えた。税金の資格なら、胸を張れるものがあるが介護士の職業資格はまだ持っていない。ドイツは資格社会である。最終的には日系企業に勤めることになったが、Suhも以前失業していた時にドイツの職業資格を取ったことがある。(当時のブログはこちら。)資格を持っていない旦那、やはり、苦戦した。ところが、事態は急変。旦那を雇ってくれるところが見つかった!特別老人ホーム夜、オペラの練習や舞台に立てるように…と旦那はずっと朝6時からの早番を希望。どこまでも副業優先…今までのオフィスワークとは違い、肉体労働になる。いつまで続くか心配したが、休みの日も人手が足りないとわかると出勤する熱心さである。***ある日、汚れたズボンを持ち帰ったので聞いたらある老人が旦那のひざの上で粗相をしてしまったらしい。「ここが勤まったら、どんなところでも働ける」と旦那。Suhなら、1日ももたないかも…。どうも耳の遠い人やボケている人ばかりらしいが、そんな人は特別老人ホームに限らず、世間でもごまんといるから同じだと言う。なんだかわからないけれど、毎日熱心に仕事に通う旦那。帰ってくると肉体的にはくたくたらしいが、なんだか、充実しているようだ。***今日、帰宅するなり、シャワーを浴びてお金を握って出掛けていった旦那。なんでも、旦那のボウボウに伸びた髪を見て元理髪師のご老人が旦那に、明日もそのままだったら自分が切ってあげよう…と申し出をしてくれたそうだ。今まで口をすっぱくして何度言っても、そう簡単には散髪に行かなかった旦那だったがご老人に切られるくらいなら、自分でお金を出して切りに行ったほうがいいと判断したようだ。おぉ、なんて有難い!このご老人には6週間おきにリマインダーしてお願いしたいくらいだ。なんだかよくわからないけれど、毎日張り切って介護の仕事に通う旦那が誇らしい。***年を取ったら、Suhのことも介護してくれる?と聞いたら、うなずいてくれた。シャワーも浴びさせてくれるそうだ。あぁ、これで安心して年が取れる…Suhは幸せ者である。洗濯したばかりの、旦那の仕事用のTシャツとズボン。
June 5, 2011
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先週末、アイスランドの火山がまた爆発し、空の便に影響が出た。ちょうど日本から出張の方が帰る日で飛行機が飛ぶかドキドキしてた…去年の4月、ほぼヨーロッパ全域にわたり長期間、ほとんどの空港が閉鎖された時とは違い、(前回は出張の方が帰れなくなって、必死でホテルを探したっけ…)今回はドイツでも、北ドイツのいくつかの空港が半日程度閉鎖されただけで済んだ。***ホッとする間もなく、今度は北ドイツを中心にEHECという菌による猛烈な食中毒が広がっていった。これは報告義務のあるものらしいが、こんな猛毒なものは、これまでなかったらしい。何でも、抗生物質も効かず、血混じりの下痢が続き、菌が毒を発生させるとかで、大腸を切除したり腎不全に陥るとかで、すでに3人の方が命を落とした。患者のほとんどは北ドイツだが、Suhの住む南ドイツの街でも、北ドイツから休暇で来た人が発症したとかで総合病院に入院しているという。感染源がなかなか特定できず、でも、よくありがちなお肉とかではなく、野菜で感染するとかで、北ドイツで栽培された、トマト、きゅうり、サラダ菜は避けるように…と報道された矢先、感染源が特定された。スペイン産のきゅうり…かの地では大丈夫だろうか…こうしている間に、食中毒もドイツの16ある州のうち15の州に広まり、600人ほどに患者が増え、治療を受けているという。(最新ニュースによると、周辺のイギリス、スウェーデン、デンマーク、オランダにも広まっているようだ。)基本的に、お野菜も加熱すれば大丈夫のようで(きゅうりの煮物?)一般的にパニックになっているとか、そういうことはない。でも、当分は会社の隣の食堂に行っても、サラダ・バーとかは、ちょっとやめておこうかと思う。今日の南ドイツは28度。蒸し暑く、夕立になりそうである。
May 26, 2011
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自宅の電話回線の機械をアップグレードをしたら、なぜかSuhのPCだけが、インターネットに接続できなくなりました…せっかくユーロヴィジョン・ソングコンテストで盛り上がっていた気持ちが、すっかり萎えてしまって…***今回のソングコンテスト。今日は、2位以下をご紹介しましょう。毎年、スカンジナビア同士、地中海同志、旧ソ連同士、またはバルカン同士とお隣さんで点数を分け合う傾向にちょっと嫌気がさしていたのですが(ドイツは9カ国と国境を接しているのですが、なぜかそのお隣さんたちから点数がもらえないのが悩み…)、今年はちょっと以外な展開もありました。2位 イタリア Raphael Gualazzi 「Madness of Live」14年ぶりにソングコンテストに復活したイタリア。今までは、サンレモ音楽祭に専念するためと言う理由で出場辞退していた時期が続いていました。拠出金の多い「ビッグ5」の1国なので、そのまま決勝進出。Suh的には、Eros Ramazzottiのような軽快で洗練されたイタリアンポップを期待していたのですが、今回はなぜかJazzでした…しかし、どうしたことか最終的には2位に。これもイタリアの魅力なのでしょう…決勝での様子はこちらを。3位 スウェーデン Eric Saade 「Popular」イントロが流れた瞬間、「きゃぁ…!」と叫んでしまったくらい2枚目さんでしたぁ。さすが、スウェーデン…人類の半分を占める女性の心を見事、鷲づかみにしてくれました。2009年の21位、そして去年の予選落ちの屈辱を果たしたスウェーデン!ABBAをうんだユーロポップの王者、スウェーデンの決勝での様子はこちらを。男前と言えば、7位のギリシャも大人の雰囲気を漂わせていました。7位 ギリシャ Loukas Giorkas feat.Stereo Mike「Watch My Dance」毎年魅せてくれるギリシャ。古代から数々の哲学者を輩出してきたギリシャの決勝での様子はこちらから!目の保養にいくなら、やっぱり北のスウェーデンか南のギリシャしかないと、思わせた今年のユーロヴィジョン・ソングコンテスト。いつもなら、旧ソ連邦から圧倒的な支持をとるロシア。今年は、思ったより得点がのびず、16位に終わる結果に。旧ソ連邦でロシアへの求心力が失われつつあるのでしょうか…一昔前の不良を彷彿させ、なお且つ、歯磨きのコマーシャルにも出れるのではないかという爽やかさを持ち合せる好青年。16位 ロシアAlexei Worobjow この日の歌も、ずばり 「Get You」!決勝での様子はこちらから。順位を戻して4位 ウクライナ Mika Newton 「Angel」今までのコンテスト出演者から察するに、ウクライナは美人の多い国。Mikaさんご本人も、もちろん天使のように美しいのですが、その背景で、刻一刻と変化していった幻想的な砂絵。歌の間も目はそっちの方に釘付けでした。その幻想的な砂絵と決勝の様子はこちらを。6位 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ Dino Merlin 「Love in Rewind」今回、最高点数である12点を5カ国からもらっている。これは、今回決勝進出国の中では最高である。(マケドニア、スロベニア、セルビア、スイス、オーストリアから。旧ユーゴと、紛争によって難民(移民)として移動した国。)どうも、今回の出場者の中でも、旧ユーゴでは絶対的な人気を誇っているようだ。Dino自身も、2回目のソングコンテスト出場。48歳だそうだが、年齢よりは老けて見える。決勝でのインタビューの受け答えの様子を見ていて、その大御所の天然ぶりに、日本の森繁久彌を彷彿させるものがあった。それでは、こちらでその大御所の歌の様子を見ていただきましょう。年によっていろいろな傾向がある、ソングコンテスト。今回はほとんどが英語で、曲調的にもあまり民族色を出したような曲が少なかった。あえて言えば、サンバのリズムに乗ってスペイン語で歌ったスペインくらい?23位 スペイン Lucia Pérez 「Que me quiten lo bailao」順位は振るわなかったものの、その明るいスペインの様子をこちらからどうぞ。***ユーロヴィジョンソングコンテスト4回シリーズ。次回・最終回は、「Suhが応援したあの人たちは…?」をお送りします。
May 19, 2011
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去年の優勝国であるドイツの都市、デュッセルドルフで行われたユーロヴィジョン・ソングコンテスト2011。土曜日はしっかり昼寝をして、夜9時からの放送に備えた。開催国ドイツの視聴率は、なんと49,3% !レナちゃんが優勝した去年の49,1%を上回る大人気となった。Suhの住む団地も半分は見てたってことね…(笑)。結論からいこう。今年の優勝は、すべての予想を覆し、アゼルバイジャン共和国だった …!Suhの審査メモ上でも、17番のルーマニアと18番のオースリアは「いけるかも」の中くらいの丸がついていたが、19番のアゼルバイジャンは評価の対象外の横線が1本引かれているだけだった…思いがけない優勝に喜びを隠せないEll&Nikki歌ったのはバラード「Running Scared」決勝の様子はこちらからどうぞ。優勝が決まった瞬間、と、いうことは来年はアゼルバイジャンでの開催?首都はどこ? と地図帳を開いたが、ヨーロッパでは見つからずアジアのところにあった…!2004年のイスタンブール大会ではヨーロッパ?と思ったり2008年のベオグラード大会では、いよいよバルカンか…といろいろと感慨深かったが、今回は、そのトルコのさらに東、カスピ海に面して、イランの上に位置するアゼルバイジャン。こちらが首都のBaku。今年は、ヨーロッパでも経済的・技術的にも先端を行く(と自負している)ドイツ。だから逆に失敗は許されないと言うプレッシャーもあったが…来年はこの国が、準決勝も含めると、ほぼ全ヨーロッパを招待する側になると思うと、正直、ちょっとドキドキ…開催は、中央ヨーロッパ夏時間の午後9時と決まっている。アゼルバイジャンは、こことは4時間の時差。と、いうことは、アゼルバイジャン時間では午前1時からの開催となる。時差にも負けず、朝4時半に、優勝の喜びで湧き上がったアゼルバイジャン。このテンポだと、シルクロードを渡って日本もユーロヴィジョンソングこンテストに参加する日もそう遠くないかもしれない。その頃には、きっと開催時間は、開催国時間の午後9時にルールが変更になっているかも…その他、2位以下については次回に。
May 16, 2011
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去年、ドイツ代表のレナちゃんが優勝し、今年のユーロヴィジョン・ソングコンテストはドイツ開催となった。ユーロヴィジョン・ソングコンテストって何?という方は、こちらをどうぞ。去年優勝したレナちゃんちょっと前置きがありますが去年の決勝での様子はこちらを。今年の参加は、45カ国。そのうち、ビッグ5と呼ばれる拠出金の多い国(イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア)は無条件で決勝に進出できるが、他の国は残りの20席をめざし、今週の火曜日と木曜日に行われた準決勝に望んだ。各準決勝ごと19カ国が歌い、そのうち10カ国のみが決勝に進出できる。なかなかの難関である。今までの優勝国が堂々と首都で国を挙げて開催していたがいざ、ドイツの番になったら、まさか優勝など夢にも思っていなかったので、この時期にあいているホールがない…お金がかかる…と文句たらたらでどうなることかと思ったが、ようやく、ドイツで借金のない数少ない都市で、サッカーの2部リーグの試合を何とか延期させホールを確保することができた日系企業の拠点デュッセルドルフでの開催となった…1月末から3回にわたって開催されたドイツの選考会だが、私はてっきりレナちゃんも他の候補者と一緒に参加すると思っていたところ、なんと、参加者はレナちゃん1人で、ニューアルバムの12曲を披露し、その中から1曲を選ぶという、視聴率の低く、非常に冷めたものに。レナちゃんを発掘したシュテファン・ラーブも「失敗を認める」発言をし、レナちゃんもデュッセルドルフが終わったらプチ・リタイアで外国に行くと言っていたくらい。だが、最終選考曲が決まって、聞いてみたら、「え、すごいじゃん、何これ!」と言う感じで、もしかしたらベスト10入り確実? ひょっとしたらまた…と期待してしまう感じのノリの歌。今年のレナちゃん。ちょっと不思議な感じのエレクトリックな曲。リハーサルの写真。公式ビデオはこちら。だが、今年のSuhの一押しは、フランス。アモリ・ヴァッシーリフランス語ではなく、コルシカ語(コルシカ地方の方言)で歌い上げる「Sognu(夢)」。アモリは、19歳でプロになったテノール歌手。えっと、今二十歳?公式ビデオはこちらを。さすがフランス。センスがいいです。IL DIVOのウルスを彷彿させる歌いだし部分を聞いた時、Suhは、はまってしまった(照)。なんと、旦那もこの曲に1票入れると言う。(意見の一致なんて…!)2人の携帯は、フランスに1票ずつ入れるためにすでに用意されている。***今年の司会は、レナちゃんを発掘したシュテファン・ラーブとアンケという、エンターテーナー(コメディアン)同士の組み合わせ。日本で言うと「さんまと山田邦子」が司会をするといったところ… (もう1人は、プロの女子アナウンサー)いったいどんなショーになるのか、こちらの方も心配、いえ、期待でいっぱいです…他の注目株は、アイルランド代表の双子のデュオJedward。何か、大阪あたりのお店の前に立っているお人形のようですね(笑)。どこまでもお茶目。公式ビデオはこちら。今年はどうも、ビジュアル系が強いようです。土曜日は、朝から買い物掃除洗濯料理と、大晦日並みのスケジュールとプレッシャーのもと夜9時からの放送を目指し、がんばりたいと思います。あ、放送前にアップできてよかった…(涙)
May 14, 2011
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++速報++ ++速報++ ++速報++地元 FC アウクスブルクが1部リーグ昇格決定!(写真は www.augsburger-allgemeine.de から)おめでとう!!!去年、2部リーグ3位で、1部(いわゆるブンデスリーガ)入替え選で見事に負けて、2部に残留した FC Augsburg。試合に負けた直後の街の様子など、痛々しくてとてもブログにアップできるような状態ではありませんでした(涙)。今年は、34試合のうち32試合を終えた時点で第2位。3位とは勝ち点3、得失点差20。 得失点差 勝ち点1. Hertha BSC +40 712. Augsburg +32 653. Bochum +12 624. F?rth +20 605. Aue +1 536. Duisburg +17 527. Cottbus +11 528. D?sseldorf +10 529. 1860 M?nchen +15 50(2部リーグ 上位9チームのみ)去年の悲劇は繰り返したくない。なんとしても、2位を確定してそのまま1部にあがりたい!(1部リーグ下位2チームと2部リーグ上位2チームがそのまま入替え。1部リーグ下位3位と2部リーグ上位3位のチームが入替戦。)ただ、ここのところ、負けと引き分けが続いていたアウクスブルクと、破竹の勢いの3位、ボーフム。今日の33戦目が勝負の分かれ目だった。Suhの作った、お昼のアスパラのおかずとチーズケーキでおなかいっぱいになって、そのまま寝てしまった旦那を尻目に、Suhはインターネットでゲームを追った。なんとゲーム開始早々、PKで相手に1点許してしまった…その後、なんとか1ゴール返したものの、後半もそのまま1対1のまま…3位のボーフムが勝っている。最終戦は、現在ダントツ1位のHerta。勝てないよなぁ…いつもこのパターン…もうだめ…と思った、ゲーム終了5分前、なんとゴールを決めた!とりあえず、倒れていた旦那を起こし、日本に電話した。そう、FC アウクスブルクには、今、浦和から来ている細貝選手が在籍している。(写真は、www.augsburger-allgemeine.de から)この6月末からドイツで開催される女子サッカーW杯では、7月5日に日本対イングランドの試合が行われるアウクスブルク。(市電にアウグスブルクで開催される試合がペイント)これで、アウクスブルク、日本での知名度の少しは上がるかな…1部(ブンデスリーガ)に昇格することによる経済効果は大きいだろうな…喜びの真っ最中でも、したたかに計算していたSuhであった…
May 8, 2011
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今回の地震が起こったのは、ドイツ時間でちょうど朝の通勤途中のこと。会社に着いて、PCを立ち上げた途端に地震と津波のニュースが飛び込んできた。この日は、日本からの出張者が来ていて、成田空港も閉鎖されたことから、帰国便の対応に追われた。この地震と津波のニュースはドイツでもトップニュースで、会社では、インターネットで津波の写真などを見ていたが家に帰ってテレビで見た津波の映像は衝撃だった。実家のある静岡は、東海地震が来る来るといわれ続け30年以上。今回の地震は、とても他人事とは思えなかった。日本とドイツのニュースを平行してチェック。基本的な内容に変わりはないが、日本は現状を報道するのが精一杯、当事者でない分、ドイツのニュースの方が解説のようなものが入ってわかりやすいような気がした。地震から数日後、クリーニング屋の、こんな写真にもドキッとするこの気持ち。ドイツ人にはちょっとわからないだろうな…会社の上司が、NHKのテレビ番組を24時間リアルタイムで見れるサイトを教えてくれた。日本の新聞はインターネットで読めるし、YouTubeなどもありいろいろと日本のことは知っていたつもりだったが、原発事故が明るみになってから、こちらのニュースの中心が地震?津波から原発になってからも、被災地の様子などが放映され、胸が締め付けられるような気持ちになった。このサイトではチャット機能もついていて、明らかに挑発と思える書き込みもあったが、「揺れてる!」という書き込みが続く中、余震の情報などが流れてきたり、目が離せなくなってしまった。地震から1週間。配信時間が1日の半分くらいになってしまったが、それでも仕事から帰って、日本の朝4時に開始するニュース番組を見ながらお夕飯を食べたり、そんな時間はチャットも主に海外組からのものが多くなり、この番組配信が故郷を思う海外組には大切な情報源として、欠かせなくなっていることがわかった。遠い故郷で起こった今回の大災害。やっぱり自分は日本人だな…遠く離れているだけに心配が募るのか、夜寝ても、週末寝てもなかなか疲れが取れない。今の自分に出来ることは、義援金を送って何かに役立ててもらうこと。ドイツ赤十字を通じて、少額だが送らせてもらった。気がかりなのは、原発事故に関して、日本とドイツではそのニュアンスが違うこと。ドイツは原発事故早々、原発延期をすぐに撤回してしまった国。ルフトハンザも成田を避けているし(現在はまた成田発着)、東京のドイツ人学校も閉鎖し、大使館も大阪に移した国だし…その分差し引いて考えなければいけないけれど、それでも心配は心配。義理の両親も心配してくれている。静岡に震度6の余震のあった翌日に日本に電話しドイツ側ではいつでも日本の家族・親戚を受け入れる準備はできている、とだけ伝えた。こっちで心配しているよりは静かに作業を見守っているという感じで日本の危機感が感じられない雰囲気に、ちょっと歯がゆい思いをした。外国にいる自分が必要以上に煽ってもいけない。日本の今を知る大事な情報源だったNHKのライブ配信も地震発生2週間経った、3月25日で終わった。日本が急に遠くに行ってしまったような感じ。今は日本からの情報源は、インターネットのニュースサイト。でも、ドイツのニュースと比べると、本当のところはどうなのか正直わからない。今日、ドイツの大都市では合計25万人が集まり、今回の地震で亡くなった人への黙祷をささげた後反原発の集会が開かれたそうだ。ミュンヘンでも3万人あまりが集まったそう。***今回の地震・津波、そして原発事故に関してはまだ自分の中ではなかなか整理できないままだ。今は、ただ被災された方が1日も早く家に帰れるように、行方不明の方が1日も早く家族の元に戻れるように、と心から祈っている。
March 27, 2011
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今日は、みんなが出払ってしまい、久しぶりにオフィスで一人になる時間があった。でも、こんなときに限って、あちこちの電話がなるので対応に忙しかったりする。日本の本社からだったりすると、名前も、大体の用件もなんとなくわかるので楽だが、外部の特殊な用件だったりするとちょっと大変…この日3件目の電話も日本から。今出掛けているうちのエンジニアにメールを送ったけれど、無事に着いたかどうかの確認をしたかったらしい。相手の会社名と伝言内容がわかったが、肝心の名前が聞き取れない。うちのこのエンジニアとも長いお付き合いらしくドイツでも、何回か会ったことがあるという。フレンドリーだったので、最後に駄目押しで「申し訳ございません、もう一度お名前を…」と聞いたがやっぱりよくわからない。相手も私がわかっていないことを察してくれ、自分の苗字をいきなり、ローマ字のスペルで言い始めた。おっと…!慌てて一緒に書き取り始めた。M、O、Z、A ときたところで反射的に、つい、「あ、モーツァルト(MOZART)様ですね♪」と喜び勇んで答えてしまったが受話器の向こうでは沈黙が…そうだよね。そうよね…日本からの電話だし、日本語も、どう聞いても母国語の人が話す日本語だし…Suh、もう、まっさお(冷や汗)…一瞬おいて、「いやぁ、ドイツではそういう読み方になってしまうのですね」と明るい笑い声が…よ、よかった…ここで相手の方が、「上下の下、郷ひろみの郷…」と漢字に切り換えてくれた。あ、しもざとさん…2文字目の「も」にアクセントがきたから最初の「し」にあまり注意を払わなかった私…「もざと」って聞こえていたから、モーツァルトと思った瞬間思わずひざを打ってまったのよね…(どうもうちが客らしい。よかった…)社会人何年目?と言うお叱りの声が聞こえてきそう…勘違いもはなはだしく、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい出来事だった…***教訓 相手の電話はきちんと最後まで聞こう!お願い 名前は出来るだけ漢字か平仮名でお願いします。 アルファベットだと、どうしても頭の中がドイツ語に 切り替わってしまうみたいです…***2月は2回オペラを観にいったので、今度こそどちらかをアップできたらなぁと思っています。
March 2, 2011
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もう1週間も前のことになるが、今年のバレンタインには旦那にたくさんのハートを送ることにした。にわとりさんの心臓だけど…糖尿病発覚からはや10ヶ月あまり。体内で糖質に変わる炭水化物を極力押さえるため早い話、主食を抜く糖質制限食で、血糖値のコントロールができるようになり、さらに、17キロ減量し、体力も気力もついて見違えるように元気になった。体のことを考えて、炭水化物が少ない肉料理はよくするけれど、なかなかレパートリーがね…と思っていたときに見つけた鶏心臓(ハツ)のレシピ。いつもお世話になっている、「ドイツニュースダイジェスト(オンライン版)」のレシピ欄はこちらからどうぞ。食材を先に言ってしまって、食べてもらえないと困るので、こっそりと、何気なく作り始めた。これが今回の食材、鶏の心臓(ハツ)。大小取り混ぜて50個あまり、これで310円とは安い!(だいたい倍の分量で作り始めた。
February 22, 2011
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知り合いのその知り合いがSuhの住む街の郊外でアルパカを飼っているので、一緒に見に行こうというお誘いをうけた。アルパカなんて、毛糸の名前で聞いたことがあるけれどまだ見たことがなかったので、カメラに収めるのも悪くない…と、気楽な気持ちで一緒に行くことにした。車でピックアップしてもらい、20キロほどドライブしながら郊外に行ったところ、ほら…!このアルパカを飼っているご夫婦は、アルパカたちのために100mx100mの土地を借りているそうだ。もしかしたら、小学校の校庭より広いかも…!Suh「なんで、アルパカなんですか?」-食肉にするような家畜はいやだったんです。いろいろ調べているうちに、アルパカにはセラピーの効果もあるし、毛糸も取れるのでいろいろな楽しみもあるかと思って…Suh「南米の動物と聞いていますが、ドイツの寒さでも大丈夫なんですか?」-もともとはアンデスの標高2~3000メートルの高地の動物で、1日のうちでも気温の差が激しいところなんです。ドイツの寒さもぜんぜん大丈夫なんですよ。Suh「なんで4頭も?」-アルパカは、もともとグループで行動する動物なんです。だから、4頭まとめて飼うことにしました。私たちは、オランダの業者から買ったのですが、今妊娠中のアルパカが、春にここにくることになっていて子供のアルパカを育てるのを、楽しみにしているところです。Suh「気をつけないといけないことって何ですか。」-アルパカがえさを食べ過ぎると、毛糸の品質が悪くなるので食べ過ぎないようにえさの量を調整することです。」人間も食べすぎはよくないし…(納得)一緒に厩舎に行き、近くでアルパカを見ていたら「じゃ、散歩に行きましょう」と言う。周りとは溶け込んでいない不思議な光景。一緒にいるのは、他の知り合いの子供たちとその両親。アルパカ1頭1頭に名前がついていてSuhが紐を握ったのは、「ペドロ」という色白の若いアルパカ。怖がらないように、いろいろ声を掛けていると「フンフン」と聞いてくれているようで、なんだか気持ちがホッコリ。これが旦那だと「あなた、私の言うことなんか聞いていないんでしょう…!」とけんかになりそうなシーンだが、アルパカだとこれが違う(苦笑)。Suh「何で黒いアルパカは細いんですか。」-毛の質が違うのでそう見えるんです。黒いアルパカは、毛が絹のような感じでまっすぐですが白いアルパカは、どちらかと言うとちぢれ毛のような感じなんですよ。」アルパカと散歩。なんだかとても不思議な気持ちだった。用を足して、ちょっと他のアルパカから遅れたりするともう大変…!急に不安になるようで走り出したりする。そういう時、飼い主のお父さんが来て「ペドロ、ペドロ、大丈夫だよ」となだめてくれる。無事にお散歩が終わると、やっぱりほっとした。お昼ごろ、お礼を言って、またSuhの住む街に戻ってきた。家に着くなり、旦那に写真を見せながら話をしているとなんだか、ホッコリと幸せな気持ちが沸いてきた。これが、アルパカのセラピー効果なんだろう、きっと。ペドロ、また会いに行くからね!ペドロとのツーショット写真。
February 19, 2011
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気がついたら、去年8月末から、昨日1月31日までブログを更新していなかった。この期間…そう、ちょうど困ったちゃん上司(Suh命名)が駐在していた期間と一致…!きゃぁ、おそろしい…!この困ったちゃん上司が、とうとう2月1日付け辞令で日本に戻ることとなった。あれやこれやと振り回されたりと、いろいろ大変で白髪がどっと増えてしまったけれど、困ったちゃんということは、結局どこに行っても困ったちゃんということで、最終的に日本に呼び戻されることとなった。恐ろしき「困ったちゃん」パワー…(いろいろと勉強させていただきました。最後の最後まで振り回されておりますが… 苦笑)これからは、ちょくちょくブログを更新するこころのゆとりも戻ってくるかと…やっと呪縛から解かれた、そんな気分です(笑)。***目覚まし時計のピピピッという電子音に空爆かと、過剰反応してしまった昨日の夢(昨日のブログを参照)も、何かを暗示しているような気がしてたまりません(「今だから言える」独白 コーナー)。
January 31, 2011
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こんなに絶え間なく空爆があったんじゃ、心が休まらないし、おちおち寝ることもできない…大音響にへきれきしながら、まったくやり切れない…とあきらめにも似た気持ちになった時、旦那に小突かれ、目が覚めた。あ…なんだ目覚まし時計だったんだ…(ピピピピッという電子音)
January 31, 2011
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それは、今日の午後2時15分くらいのことでした。えぇ、時間はよく覚えています。だって、計算どおりにパン焼器と乾燥機が同時におわった、その直後でしたから…突然中庭から、悲鳴にも似た、なんともいえない叫び声が聞こえてきたのです…その時、私は台所にいたので、すぐ窓から中庭を見てみたら…紐につながれた黒猫が、青い洗濯かごに閉じ込められたところでした。ここが、その現場です…はい、間違いありません。紐につながれていたのは、間違いなく「猫」でした。ほら! 後ろからではわかりにくいかと思いますが、これでわかっていただけると思います…一見仲良くしているように見えるのですが、あの黒猫にしてみれば、これは単なる戦略で、機をみて、何度か逃走を試みたようです。が、何しろ、紐につながれていては、そう遠くまでは逃げきれなかったようです… その後、私は寝室に場所を移し、カメラを望遠にし黒猫に何事も起こらないように祈りながら子供たちの動きを室内から動きを観察していました。もし、見つかったら、こっちに矛先が向けられるのでは…とヒヤヒヤしっぱなし(冷や汗)でしたよ…今どきの子は何を考えているかわかりませんから…そのあと、一生懸命、この黒猫に塀の上をまっすぐ歩くとか、塀の方にしょっ引かれていく黒猫の後姿いろいろと芸を仕込んでいたようでしたがその厳しさと言ったらなく、とても見ていられるものではありませんでした…しばらくしてまた中庭を見てみたのですが、遊んでいるのは、あの女の子達といつの間にか増えていたお友だちだけで、黒猫の姿はもうありませんでした…一体どこに行ってしまったのでしょうか…夏休みも終わりに近づき、子供たちも帰ってきました。子どもの想像力は無限だと言いますが、今日ばかりはちょっと驚いてしまいました…あの黒猫が人間の言葉を話せたら、衝撃の全容が明らかになっていたかもしれません…***今日はまだ太陽がうっすらと顔を出しましたが明日からは、雨で最高気温が10度前後の寒い日が続くようです。半ブーツも用意しました。日本の皆さまには申し訳ないような涼しさです。以上、久し振りの更新・団地の中庭ウォッチングでした…
August 29, 2010
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2ヶ月前、日本から新しい駐在員さんが来た。Suhの直属の上司にあたる人だが、これが「困ったちゃん」上司。詳細は省く…そのためか、毎日家に帰ってくると精も根も尽き果てて、バタン・キュー。気がつくといつも朝で、急いでシャワーを浴びて慌てて出勤、の悪循環が続いていた。このままでは、この「困ったちゃん」上司にSuhのプライベートの時間まで台無しにされてしまう…!好きな本でも読んで、充実したアフターファイブにしたい。しばらくできなかった読書にいそしむことにした。***Suhの最近のお気に入りは「光文社古典新訳文庫」のシリーズ。キャッチフレーズは、「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」学生時代に読もうとして、挫折したドストエフスキーの「罪と罰」も「カラマーゾフの兄弟」も、ついに最後まで読むことができた!両方とも3回は読んだが、また読み返すつもり。何度読んでも新しい発見がある。これが古典といわれる故なのだろう。このシリーズで最近、星の王子さまの作者、アントワーヌ・ド サン=テグジュペリの「夜間飛行」の新訳が発行されたのを知った。アマゾンco.jpのサイトはこちらを。なんと言ってもまだユーロが弱い。日本から取り寄せるのはやめて、ドイツ語で読むことにした。さっさと仕事を終わらせて、上司を振り切るように駅に向かい、帰りの新幹線に乗り込む。ミュンヘン中央駅にて。この日は、「夜間飛行」2日め。お供は、血糖値を下げる効果があるというかぼちゃの種。最初は、映画のシーンを見ているような感じで、なんだか「カサブランカ」みたいで、(小説の舞台が同じような年代?)「せりふがキザだね…」とか、一人でブツブツ言いながら読んでいた。でも、ハッとするような言葉遣いが随所にあり、本を手から離したくないような、宝の小箱を持っているようなそんな気持ちになっていった。でも、最後は、そんな終わり方はないだろう…と思ったくらい不完全燃焼。これだったら、「星の王子さま」と変わらないのでは…いや、そんなはずはない…と2回目に突入。読んでいて、同じような気持ちになった本があったことを思い出した。もう10年も前に読んだ本である。Jean-Dominique Bauby „Schmetterling und Taucherglocke“邦題「潜水服は蝶の夢を見る」アマゾンco.jpのサイトはこちらを。フランスのファッション雑誌「ELLE」の編集長をつとめていた著者が、43歳で突然脳梗塞で倒れた。意識ははっきりしているのに,体が不自由になり、唯一自由に動かせる左目のまばたきを使って書いた本である。体は不自由でも、精神は、蝶のように自由に飛んでいるのである。著書のジャンドミニック・ボービーおしゃれ…この本を「書く」ために、アルファベットをよく使われる順に並べたものを使用。写真中央の、大文字で書かれているところがその順番。日本語だったら、どの文字が一番使われるのだろう。著者は、この本がフランスで出版された、その2日後に亡くなっている。どちらも、生と死のあいだ、どちらも、フランス人によって書かれた本である。書かれた時代は違っても、フランス人のメンタリティで、どこか共通するものがあるのだろうか。前の会社で、フランスの顧客担当だったときはフランス人に散々やられたが、やっぱりフランス人は独自なセンスをもった哲学者なんだと思う。そういえば、日本にいた頃、夏になると「新潮文庫の100冊」とか銘打ったキャンペーンが行われていた。今もやっているんだろうか。あぁ、あの本を思いっきり読みたいなぁ。私も今年の夏は、「積んどく」になったままになっている本を、片っ端から読んでみようか…と思っている。
August 2, 2010
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毎年恒例の夏の野外劇場。過去の上演演目はこちらにて。2009「微笑みの国」2008「白馬亭にて」2007「Jesus Christ Superstar」実はチケットを手配したこの日、サッカーW杯で、ドイツ対ウルグアイの3位決定戦の時間とバッチリかち合ってしまった…しかし、予言ダコ・パウルがドイツの勝利を宣言したのを受けて安心したのは私だけではなかったらしく、満員御礼だった野外劇場。今年の演目は、プッチーニのオペラ「トゥーランドット」。日本でもスーザン・ボイルさんで有名になったあのオーディション番組、Britain´s Got Talent。そこでその2年前にポール・ポッツが披露した衝撃の「誰も寝てはならぬ Nessun Dorma」。当時のビデオはこちらからどうぞ。(40秒のところから歌が始まります。)この歌が歌われるオペラである。今年は、6月中旬を過ぎても山では雪が降るくらい寒くブーツをはいて出勤していたくらいだったが、7月に入ったら、連日37度とか38度という、突然手のひらを返すような酷暑になった。この日上演前、いつものように舞台裏に急いだ。舞台裏は一種独特の雰囲気だ。旦那をさがす…あ、いた!舞台は北京だというが、何だか不思議な雰囲気の衣装。8時を過ぎると8時半の開演まで、舞台の上で人が動き出す。今までにない試みだ。旦那は…あ、いた!何か、自分なりにストーリーを描いてそれを30分間演じ続けるのだそう…ほら、しっかり働いて!上演が始まるとカメラは禁止。あらすじはこちらをどうぞ。一言でいうと、とても素晴しいオペラだった。(ものすごい簡単な感想… 去年も歌は素晴しかったが、ストーリーわたし的には不完全燃焼で…)この日、主役のカラフを演じたのはブラジル人のリカルド・タムラ。(以下、写真はパンフレットからの転載)アリア「誰も寝てはならぬ Nessun Dorma」がとても素晴しく、歌い終わると同時に拍手喝さいだった。トゥーランドットのソプラノもよかったけれど、なんと言っても、リューの心に響くアリアは、群を抜いていた。上演後の挨拶の時も彼女への拍手は、誰よりも大きかったような。上演は夜11時まで続いたが、途中で車のクラクションを鳴らす音が街中に響き始め、パウルの予言どおり、ドイツが勝ったことを知った。車が列をなして走る夜の街。この夜、11時半でもまだ28度。3位になって、喜びで沸きかえるにぎやかな街を汗だくになりながら、旦那と一緒に家路についた。秋~冬には2つオペラに出る予定の旦那。また写真をアップできたら…と思っている。
July 25, 2010
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途中でレナのユーロヴィジョンソングコンテスト優勝のニュースで中断してしまったが、糖尿宣言を受けてから早2ヶ月(こちらの日記参照)。当時は驚いたが、それまでの体調不良を思えば納得。単なる年齢の問題ではなく(更年期?と思ってた)原因が「糖尿病」とわかった時、正直納得した。さぁ、戦う相手がはっきりした。3週間後の血糖値再検査までに、正常値に戻そう!何だかわからないけれど、とにかくそう決意した。***1)体重管理+食事療法まず、最初に実行に移したのは減量。なんでも、3ヶ月かけて現体重の5%を減らすだけでも正常値に戻ることもあるとか…とにかく体の負担を減らすことだ!と減量に取り組むことに。Suhは甘いものは食べないが、なんと言っても大のご飯好き。Suhの作るおむすびの大きさは格別でだいたい1個1合くらいである。「ご飯のおかずはご飯」という冗談があるが、そのまま。だから、最初に実行したのは、お夕飯の時にご飯を抜くこと。まだドイツで学生していた頃、論文を書く時間を捻出するためお夕飯にりんごとにんじんをかじりながら勉強をしていた時があった。当時、3ヶ月で7キロ減った実績がある。お昼ごはんは学食で一皿盛り放題のパスタと食後にケーキを食べていたにもかかわらずである。そのうち、インターネットで、ダイエット方法として炭水化物を抜く若しくは減らす方法があることがわかった。そして、このダイエット方法が、実は糖尿病を劇的に改善させる方法として、実際に治療方法として実戦している日本のお医者さんがいることがわかった(ご本人も糖尿病である)。アマゾンで検索すると…あった!江部康二「主食を抜けば糖尿病は良くなる!」いわゆる糖質制限食である。詳細はまた別に書くことにするが、簡単に言うと主食を抜くだけである。あとは何を食べてもいい。実は血糖値を上げるのは炭水化物。だから、この炭水化物を制限する方法である。すぐにこの本を日本から取り寄せて読んだ。本能的にはじめたSuhのダイエット法とよく似ていることとそれがどのように糖尿病改善に役立つのかを読んで納得した。確かに今までカロリー計算をしていて、主食のカロリーの高さにめまいがして、背筋がゾクッときた。夕食の主食だけを抜く プチ糖質制限食朝と夕食の主食を抜く スタンダード糖質制限食3食全ての主食を抜く スーパー糖質制限どっちみち、主治医の生活指導は8月である。それまでは何をしようと自分の責任。最初はお夕飯だけ抜くだけだったが、再検査が3日後に迫った時から、朝ごはんも主食抜きのスタンダードに変えた。出勤途中に買ってほおばるパンのカロリーの高さにほとほと嫌気が差したからだった。その代わり、通常のパンより炭水化物80%カットのパンのレシピをネットで入手し、自分で焼いてそれを食べるようになった。この時点で体重4キロ減。糖尿宣言から3週間後の再検査では、空腹時111mg/dl (正常110未満、境界型126未満、糖尿病126以上)朝食後2時間 114(正常型140未満、境界型200未満、糖尿病200以上)昼食後2時間 115(正常型140未満、境界型200未満、糖尿病200以上)空腹時がやや高いが、食後は合格点である。これで、この糖質制限食の効果に確信がもてた。主治医も、首をかしげていたが、「じゃ、また8月に…」ということになった。やったー!!!もしかしたらやっぱり誤診ではないか…と思ったりしたが後日、試しに食べたカレーで血糖値が沸騰してしまった「カレーショック」事件で、やっぱり自分は糖尿病であることをはかなくも確認することに。これをきっかけに、3食とも酒食を抜くスーパー糖質制限食に。自分の体を知るために、今では血糖値測定値を購入し、週末を中心に、何を食べた時にどのくらい血糖値があがるかを測定して、あれこれと、いろいろと試している。「趣味は?」と聞かれたら、今なら迷わず「血糖値を測ることかな…」とサラリと答えてしまいそうである。マイ血糖測定器も2つ持っている。予防接種を受けなければならないくらいならいっそう屋上から飛び降りたほうが…と思い悩んだ小学校時代。注射の針が何よりも怖いSuhが、自分で自分の指先に針を刺して採血する血糖値測定ができるようになるまでにはいろいろな迷いがあったが、これはまた後日にアップする。2)運動糖尿の人は運動をすることが大切である。ウォーキングでいいらしい。自宅と地元の駅、会社と最寄利の地下鉄の駅はそれぞれ徒歩10分の距離である。今まではバスを使っていたが、歩くことにした。日本でいう4階にあるオフィスまでも階段を使うことにした。ミュンヘンの地下鉄と地上間も階段。百歩譲ってエスカレータの時も立ち止まっていないで歩いて上っていくことに。そして、今まで帰宅すると、そのままベットで横になってしまうほど体が疲れていたが、意を決して歩くことにした。今の団地に住んで早8年。平日は職場との往復。週末は家事に追われて、散歩するゆとりもなかった。どんなお店があるのか、どんな散歩コースがあるのかも。早朝出勤、深夜帰宅だったため、実はご近所と会うこともほとんどないままだった。それが、ウォーキングを始めてから、ご近所さんから「君はいつも走っているね」と声をかけられるようになった。ウォーキングとはいえ、Suhは真剣である。よそ見をせずに必死で歩く姿をみて「何のスポーツをしているの?」と聞かれることもある(苦笑)。ウォーキングするようになってから、街の表情の微妙な違いが肌で感じられるようになった。これも後日アップする。そして、行ったり行かなかったりしていたジムにも、(残念ながらまだ)週1だが、定期的に通うようになった。思ったより体重の落ち方が早いので、筋力トレーニングをしっかりしておこうと思ったからである。***食事も、主食がない分だけおかずをしっかり作らないといけない。パンを焼いたり、2食分(朝食+昼食)のお弁当作りもある。本当は歩く時間も惜しいほど(苦笑)なかなか忙しい毎日である。でも、何も考えずに仕事ばかりしていた頃に比べると忙しいながらも、健康と向き合っていろいろ考える機会を得たことに、今は感謝している。糖尿病とは、一生のお付き合いになるらしい。どうせ長いお付き合いなら、楽しく明るく前向きに取り組んでいきたい。***「糖尿宣言」から今日でちょうど8週間。体重が10kg軽くなり、血糖値も空腹時が改善されて(糖質制限を守っている限り)、余裕で正常値範囲内である。血糖値は正常値に戻っても、糖尿病に気づかずに苦しんでいた時の後遺症ははっきりと残っている。目はまだかすんだままだし、肌のひどい乾燥に気持ちまで落ち込んで、笑うことすら苦痛な時期もあった。(これも後日アップ予定)。***「普段着のドイツ」今までどおりドイツの日常生活と、これからは時折糖尿ライフ情報・経過報告が織り込まれていくことになると思う。長い人生。「糖尿、でも健康!」をモットーに、これからも続けていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。
June 7, 2010
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ーーー速報 --- 速報 --- 速報 ---(ドイツ代表決定オーディション番組での動画は昨日の日記を見てください。)信じられない!レナが第55回ユーロヴィジョンソングコンテスト オスロ大会で優勝してしまった。おめでとう!ドイツ中がビックリして戸惑っています。上位10位に入ったらいいなぁなんて夢見てそれで大満足していたノリだったので...スタートナンバー22。「Satellite」みんな応援していました。 パブリックビュープレッシャーにも負けず、がんばったと思います。 一番ビックリしたのは、本人かも。ドイツが最初で最後に優勝したのは1982年。それ以来の快挙。こんなことは一生に一度のことだと思うので、私ももう少し喜びの余韻に浸りたいと思います。ドイツの公共放送局もまさか優勝するなんて思っていたなかったので、来年の開催都市がまだ決まっていないそう(苦笑)。明日は、レナの帰国にあわせて特別番組が放送されるとか...この調子で、6月のサッカー・ワールドカップもがんばってもらえれば...***レナ語録優勝が決まってトロフィーをもらった時「え、もう1回歌うの?」優勝決定後に歌を歌い終わった時「私のせいではないのよ。選んだのはあなた達なんだから。」Lena, we love you !!!
May 30, 2010
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今夜は待ちに待ったヨーロッパの歌の祭典第55回「Eurovision Song Contest」オスロ大会の決勝の日である。今回参加は39カ国。そのうち、開催国のノルウェーと、いわゆるビッグ4と呼ばれるイギリス、フランス、スペインとドイツは予選免除(何でもこの放送協会への出資額が多いらしい 苦笑)。今週の火曜日、木曜日に予選が行われ、Suhの予想に反してABBAをうんだスウェーデンと、今回おもしろい歌を披露して楽しみにしていたオランダが予選落ちした。予選参加34カ国のうち、14カ国が姿を消しことになる。採点は、自国以外の参加国の投票によって決まるが、スカンジナビア同士とか、旧ユーゴ、旧共産圏とかお互いに点数を与え合うことが慣例である。しかし、ドイツは同じドイツ語圏のオーストリアからは無視されスイスも特に応援してくれている様子がない。まったく孤独なのである。(だから、ドイツを表す漢字が「独(り)」?)そのため、たま~におこぼれをもらって「Germay, one point」と、1点をでももらったなら狂喜乱舞して、喜ぶのである(ほとんど自虐ギャグの世界)。が、今年のドイツは違う。毎年無条件決勝進出とはいえ、このままではいけない!オーディションによって広く候補者を募った。そして、選ばれたのが、レナ(Lena Meyer-Landrut )。ダンスは習っていたものの、歌は素人である。父方の祖父は長年ソビエト大使として活躍していた外交官。祖母はハンガリーの貴族の出である。よくありがちな金髪ではなく、石原真理子似のかわいらしい18歳。そのナチュラルな性格にみんなが魅了された。隣りは、審査委員長のシュテファン・ラーべ。今夜歌う、「Satellite」。オーディション決勝模様を動画でどうぞ。(最初のコマーシャルはスキップできないのでごめんなさい...)ここをクリック!レナは決して歌はうまくない。何を隠そう、Suhも、彼女のCDを買って聞いて、落胆した一人である。レナは、パフォーマーである。ライブで見ないと彼女の魅力はわからない。こちらは、オーディション初出演のときの模様。衝撃のデビューである。「My Same」動画はこちらを。(コマーシャルのあと、本編1分後から歌がはじまります。)彼女の表情やしぐさにみんなが魅了された。歌い終わって、緊張から開放され、やったー!と叫ぶ彼女の姿に、共感を覚えた人も多いはずだ。そして、衝撃と言えば、この歌。「Mr.Curiocity」明るいノリのいい歌を歌うレナの、バラード。動画はこちら。(コマーシャルのあと、2分40秒後に歌が始まります。)正直に言おう。この動画をはじめて見たとき、Suhは泣いた。こんなに切ない気持ちになったのは初めてかもしれない。もし時間がない場合、この動画だけでも見ることをお勧めする。さて、今夜。ドイツはどこまで行けるのだろうか。スタート番号22。ドイツ代表 Lena Meyer-Landrut 「Satellite」!がんばれ、レナ!
May 29, 2010
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約半年ぶりの更新です。今まで、心配していろいろとコメントを寄せて下さった方、メールを下さった方、Suhもようやく復帰できるまでになりました。本当にご心配おかけいたしました。***日本と違って職場での健康診断がないドイツでは自分の体は自分でメンテナンスしなければならない。Suhも年に1回、ホームドクターのところに行って定期健診をしてもらっている。今年はいつもより早い3月末に行って、結果を聞きに行ったのが4月半ば。ここのところ太り気味だったので、痩せた方がいいと言ってもらえれば...なんて思いながら行ったら、先生「ところでSuhさん、糖尿病ってことはご存知ですよね...」Suh「えっ、誰がですか...」先生「Suhさんが、ですよ。血糖値が高いです。」Suh「でも、去年の5月に、空腹時と食後の血糖値を測った時は正常だったじゃないですか...」先生カルテを見る。先生「ともかく、これは糖尿病です。ご家族で誰か糖尿病の人はいますか。高血圧の人は?最近太りましたか。まだ薬を飲むところまでは行っていないので、自然療法で治療しましょう。はい、ここに承諾のサインをして...」Suhの家族・親戚一同に、糖尿病や高血圧に人はいない。でも、suhはここ2年ほどで10キロほど太ったことを気にしていた。5月に血糖値の再検査をして、8月に個人面談というか今後についての話し合いがもたれるという日程が決まった。Suh「先生、今ならまだ、正常値まで戻すことは可能なのでしょうか。この次までに気をつけることは?」先生「チョコレートとか甘いものは控えてください。」知っている人は知っている。実はSuh、チョコレートとか甘いものが苦手である。***何だか放心状態になって家に向かった。最初に頭をよぎったのは、まだ41なのにもう、この先一生食事制限をしなければならないというつまらない人生...という絶望感だった。明らかにSuhより太っているドイツ人たちが、糖尿だったら食べないだろう...と思われるような甘いものを食べながら歩いている。何でSuhだけが...と、何だかうらめしくなる。糖尿病という宣告だけ受けて、そのまま一人ぼっちにされたようで、妙に心細い。家に帰ってインターネットで糖尿病についての情報を集めているうちに、意外なことがわかった。糖尿病の症状のチェック事項を見ているうちに、自分に当てはまるものが多いことに気づいた。以下、気づいた部分だけ書き出してみる。いろいろあったけれど、正直に書きます。もし、心当たりの人がいたら、ちょっとだけ振り返って、疑ってみてください。1)太るいつも夏痩せするのに、去年の夏は、どんどん太っていくのがわかり、おかしいとは思っていたが、40過ぎていたので中年太りがはじまったのだろうと思っていた。2)のどが渇くSuhの場合、のどというより、口の中が渇く感じだった。冬でもすぐに話ができなくなるほどの渇き方だったためいつも水分を持っていないと不安だった。3)疲れるこれが何よりもつらかった。去年の秋頃から、ものすごく疲れるようになり、家に帰るとバタンキューで、帰宅後、先に2,3時間寝て夜中に起きて用事をすませたあと、また3時間ほど寝て出勤という変則的な生活リズムになっていた。単なるオフィスワークで、これだけ疲れるなんてあと、一体何年働けるのだろう...と不安になっていた。朝が早いから疲れるんだろう...と自分では思っていた。あと、体力がガタッと落ちた。階段が上れなくなった。でも、「今階段を上ることをやめたら、きっと一生階段を上ることができなくなるだろう」という危機感を感じ、あえて階段を使うようにしていた。今住んでいる家は、日本でいう3階だが、玄関先に着くと呼吸が乱れて鍵を鍵穴に差し込むことができないほどだった。更年期障害なのかな...と思っていた。旦那と一緒に歩いていても、歩いているだけで呼吸が乱れ足がもつれそうになったことが何度もあった。4)トイレの回数が増えるある日突然会社で、「そういえば最近よくトイレに行くなぁ。仕事に集中できない!」と思ったことがあったが、ちょうど冬場だったため、それ以上考えることはしなかった。一時期、夜中にトイレに起きることがあったが、寝る前に水分を取ったときだったので、それほど気にしていなかった。5)尿がにおう汚い話でごめんなさい...でも、正直に書いてしまいます。ある日ふと、「家でも会社でも、いつも同じ臭いがする」と気づいたことがあった。飲み物や食べ物によって微妙に変化があるはずなのに...おかしいな...とは思ったが、それ以上考えなかった。たぶんこれが「糖」のにおいだったのかもしれない。6)肌の乾燥去年の終わりくらいから、肌の乾燥がひどくなった。今まで脂肌だったのに、急に乾燥し始めて、顔全体が、「流氷を上から見た」という感じでバリバリと皮がむけてきた。寝ていても、顔が痛くて目が覚めるほどだった。時を同じくして、外陰部がかゆくなってきた。以前、体力が落ちた時にも同じような症状があったのできっと疲れているのだろうと思ったが、糖尿病になると女性はこの症状が現れやすいと読んで、何だかビックリした。春前には、この症状が自然におさまっていった。7)集中力の低下今年に入ってから、仕事で簡単な計算(足し算)とかを間違えるようになってしまっていた。すべて社内チェックの段階で見つかっていたので、幸い、外部に迷惑をかけることはなかったが...思い出せないことが多くなっていて、今まで自分の記憶ほど確かなものはないと思っていたが、この頃は、思い出せないことが多くて、仕事をしていてもビクビクすることが多かった。もしかしたら、アルツハイマーかな...と思ったり、こんな調子だと、一体あと何年働けるかな...と働くことに対して不安を感じることもあった。あと、根気が続かなくて、プライベートでは特に、思うことが多くても実行に移せなくて、ストレスが溜まっていった。去年の終わり頃から、ブログを更新できなくなったのは、体が大変になってきて、夜PCに向かうことができなくなってしまったから...気持ちが沈んで沈んで、どうしようもないこともあった。冬だったので、たぶん日光不足かも...と思い、「春になって太陽が出るようになったら、元気になるさ...」と自分に言い聞かせていた。8)目に対する影響目が霞むようになってしまった。メガネを拭いてばかりいたが、視界がすっきりすることはなく、PCの画面が見づらくて大変だった。2年前は、遠視が始まっていますね...ということでメガネの度を弱くしたのに、今回は、近視がすすんでいるとのことで2年前のメガネ交換前よりも、強い度になってしまった。仕事でずっとPCに向かっているからかな...と思ったりして自分を慰めていた。9)足のつめの変化足の親指の爪が、突然成長をやめたかのようにガタガタになりある日、足の先をぶつけたのをきっかけに、はがれてしまった...幸い、その下に後続の爪が生え始めていたので、それが伸びるのを待っているところ。手の爪も、あぶくが出たあとのように、球状にたくさん凹んでいて、一体何なんだろう...と思っていた。この症状は春が始まった頃におさまっていった。と、いうように、ちょっとチェックしただけでもいろいろな症状がでていたことがわかった。個々の症状は、他にもいろいろな原因があると思うが糖尿だからこういう症状がでる...という、逆の発想がなかった。だから、このブログを読んでくださっている方たちには上記のような症状がでた時は、一度立ち止まって他の症状はないか考えるきっかけになれが...と思い、正直にいろいろ書きました。ただ、こういう症状がでた時には、かなり進行した状態なので、すぐにかかりつけのお医者さんで血糖値のテストをしてもらうといいかもしれません。***「そうか、糖尿病だったんだ!」(実は、誤診でありますように...と祈るような気持ちだったが)そうなるとこれまでのいろいろな点が、線でつながりガッテンがいった。突然目の前が明るくなった!敵は糖尿病である。体が疲れるのはもうイヤだ。こんなにつらいことはない。体が楽になるのなら...糖尿病に負けてたまるか!Suhは、糖尿病克服のために立ち上がった。(「Suh、あれこれと試してみる」編に続く。)
May 23, 2010
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やっと来た週末。今日は、前回の日記で軽く触れた、新しい王子さまをご紹介しましょう。***いつも通勤で使っているDB(ドイチェ・バーン)。言いたいことはいろいろあるが、週末で終わるはずの工事が延びて、何の前触れもなく月曜日の朝、ミュンヘン行きの線路が不通のままだったり…毎月楽しみにしているのが、車内誌「mobil」。11月号の表紙を飾ったのは、ドイツ出身のスウェーデン王妃シルヴィア。恵まれないどもを支援する活動をおこなっており、そのインタビューが載っている。毎月楽しみにしてる新刊書抜粋のコーナー。今月は、中世を舞台にした歴史もの。駅の本屋さんには必ず置いてあるので、つい買ってしまう。なかなか商売上手。そして、パラパラとめくっていたら…端正な顔立ちをした男性が…スポーツ選手かと思ったら、クラシックの歌手。元F1のミヒャエル・シューマッハーとかその弟のラルフ・シューマッハーとよく似てるでしょ(笑)。実は、フランス人のカウンターテナー。前の職場で、フランスにはいろいろとやられっぱなしだったので、ちょっと引いてしまったが…「少年のような高音」「天使の声のよう」のコメントにアマゾンで探してみたらあ り ま し た!最新のアルバムのところにビデオがあったので見てみたらこちらからどうぞわぁ、ス テ キ !ピアニストとパートを交換したお茶目な場面から始まるこのビデオでは、歌う姿が美しくて、高音が響いた時には、涙がスーッと流れてきて…本当に天使の声かと思った…最後の、陰になったうつむき加減のシルエットを見たときは、「こんなヴァンパイアがいてもいいなぁ…」と思ったほど。***主人公の一人、ロバート・パティンソン。いま、「トワイライト」の原作の最後第4巻のクライマックスを読んでいるので(照)。***YouTubeにもいろいろアップされているが、こちらをご紹介。クリック!ヴィヴァルディのアリア。フランスで何かの賞を受賞した時の模様。この指揮者とは、アルバムを一緒に作ったらしく「Heroes」Philippe Jarousskyの才能に惚れているんだな…と感じさせる場面がしばしば。***これはきっと旦那にも気に入るだろうとだって、他の王子さまたちとは違って純粋なクラシックだから…思い切ってYouTubeで聞かせてあげたら、途中でイヤフォンを外し、一言旦那「カウンターテナーだろう。 何が特別なんだ?」Suh「えっ… だ、だって、男前でしょ!(照)」旦那「???」フゥ…だから、男の人ってつまらないのよ(プンプン)。
December 5, 2009
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気がつけば、1ヵ月半近く更新できていませんでした。おかげ様で、仕事の方も順調で忙しく、週末は週末でバタバタとしておりました。現在、決算で追われています…経理1年生なので…ずっと楽しみにしていた、IL DIVO のライブDVDも日本の発売日より10日早く、昨日、到着!コンサートチケットを取り損ねた、David GarrettのDVD(コンサート&プライベート)も同時にゲット。でも、悲しいことに、まだホイルがかかったまま…以前ご紹介した、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのバンド、Reginaのコンサートに行くぞ!と張りきって、旅行ガイドとクロアチア語の辞書を入手したのですが、まだ、なんだか、ボスニアまで足を伸ばす勇気がなくて寝台列車でいけるオランダか、パリあたりで決着をつけようかとフッと魔がさしたり…***でも、忙しくなると、隙間時間でいろいろなことができたりもする。新しい王子さまを見つけちゃったり(照)。フランスのカウンターテノール、Phillipe Jaroussky。Suhには珍しく濃いめのラテン系。通勤の列車の中で激しく本を読んでいるが、ストレスが溜まると、それ以上に本を買う傾向性があって、まだ読めていない本が、机の下で出番を待っている…11月は本代でかなりの出費(涙…)頭の中では毎日更新しているブログも実際は手付かずのまま…あちこちで随分ご無沙汰していて、申し訳ありません…復帰まで、しばらくかかりそうです。
November 30, 2009
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通勤で毎日通るミュンヘンの中央駅構内に、週変わりで同じパンが2つで1,60ユーロのパン屋さんがある。Suhが好きなのは、しっとりしたパイ生地にアップルジャムやクヴァルク(チーズのようなもの)がはさまったものやナッツがいっぱい入ったうずまき状のパン。一度に2つは食べきれないから、1つは通勤途中にほおばりもう一つはお昼ご飯の時のデザートにする。Ausgezogene(アオスゲツォーゲネ)今週は何だか聞きなれないパン…今日は水曜日だか、月曜日からずっと気になりながら、今朝も何となく買いそびれていた。でも今日、帰宅途中お腹がすいたので、思い切って「すみません。今週のパン、2つください。」わざと名前をいうのを避けた。パン屋のおばさんは笑顔で「はい、Ausgezogeneですね!」と2つ袋に入れてくれた。これが、そのAusgezogene。私は、きっとこの中にはカスタードクリームかあるいはベリー類のジャムが入っていると信じていた。いつもは寝てしまう汽車の中で、今日はドキドキしながら食べてみた。?!もう一口。?!何も入ってない…!断面図。こんな感じで真ん中が薄くなっている。揚げパンに似ているが、特にパンが甘いわけでもなく、空っぽの胃に何だか油っぽさだけが残ってしまった。家に帰って、旦那に「パン、買ってきたけれど、何にも入っていないパンなんだ。Ausgezogeneっていうんだけど…」「Ausgezogeneっていうんだけどさ…Suhは、カスタードクリームが入っていると思って食べたんだけど、結局何にも入ってなかったんだ…」「なんかへんなんだよね、このパン。何だか油っぽいだけで、な~んにも味がしないし…Ausgezoneteっていうんだけどね…」旦那に愚痴りながらハッと気づいた。Suh「ね、Ausgezogeneってどんな意味?」ドキドキ…旦那「『空っぽ』だよ。何年ドイツに住んでいるの?」その時、この単語の元になっている動詞の意味が頭をよぎった。引き出す、引き抜く、搾り出す、脱ぐ、引っ越す…よく考えれば、このパンもその通りだった。何にも中味が入っていないといういう意味だったのだ…こんなパンを2つも買う人の気が知れない…「Suh、おいしいぞ~!」ジャムをたっぷりつけて、旦那がAusgezogeneを食べていた。
October 21, 2009
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先週の今日は最高気温が28度まで上がる暑い日で、半袖だったが、今週に入って急激に冷え込み、今日は氷点下の中出勤した。オフィスの窓から見た風景。地元の駅まで全速力で歩いたあと、新幹線、地下鉄、市電と乗り換え、階段で4階まで上がったので、この時、実は汗をかいていた …会社の近くまで来た時、あっ…!小雪が舞ってきた。市電で一緒になった人が「今年は秋がなかったわね。」とつぶやく。地面がまだそれほど冷えていないので雪は積もらなかったが、午後にかけて時々大粒で激しく降った。冬はSuhが好きな季節だ。今年はどんな冬になるのだろう。
October 15, 2009
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先日紹介した、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのバンド「Regina」(こちらからどうぞ)。旧ユーゴスラビアから独立し、その直後の1992年から1995年にかけておきたボスニア・ヘルツェゴヴィナ内の民族紛争(ボスニア紛争)では人口430万のうち、20万人が死亡、200万人が避難民となったと言われている。このバンドのメンバーも、ボスニア紛争のため、一緒に活動をしていた仲間がある日を境に、民族によって敵味方に引き裂かれ、それぞれ青春の大事な時を外国で避難民として過ごすことになった。そんな時を同じくして、渦中のボスニアの首都サラエボにとどまりその戦争について日記に書いていた11歳の少女がいた。彼女の名前はズラータ。「ズラータの日記」ドイツ語版(左)と日本語版。弁護士の父親と化学者の母親のに一人娘として、何不自由なく暮らしていたのに、このボスニア紛争によって、大切な少女時代を失われてしまった一人。アンネ・フランクの日記に感動して、紛争前から日記を書き始めたがその日記が紛争中に、担任の先生の目に留まり、フランスで出版されたことがきっかけで、それまであまり関心を示さなかった西欧諸国に、何がボスニアで起こっているのかを伝え、それが停戦へとつながったと言われている。1994年。Suhはこの本をドイツで買い、一時帰国した日本でも日本語版を買っていた。当時は、内容を目で追うのが精一杯だったが、最近、また読み返す機会があった。切々と綴られたその日記に、何度も涙があふれ中断し、なかなか読み進めることができなかった。戦争ってどんなものか。次代の子ども達に伝えていくには、やっぱり、同じ子どもが書いたこの日記が一番いいのではないかと思う。今ではこの本は絶版になってしまったようだが、アマゾンjp(こちら)では、中古がまだ手に入るようです。その一部を今日は紹介したい。1992年4月。ボスニア紛争が勃発。***1992年4月14日(…)みんながサラエボを出て行きます。空港や、電車やバスの駅はそういう人たちでいっぱいです。人々が別れをおしんでいる悲しい光景をテレビでみました。発つ人と残る人…家族や友達が離れ離れになってしまうのです。悲しいことです。(…)1992年4月20日(…)一番いいことは三人でここを出ることだけど、パパは行けないみたい。それならみんなでここにとどまろう。そう決心しました。(…)1992年5月17日(…)ついに決定的になりました。もう学校はありません。戦争が授業を中断して学校を閉鎖し、子供たちを教室から地下室へ追いやったのです。(…)1992年5月27日修羅場!虐殺!惨劇!犯罪!血!絶叫!涙!絶望!これが今日のヴァソ・ミスキン通りです。爆弾が通りに2個と市場に1個押したのです。爆発があったときママはそのそばにいて、おじいちゃんとおばあちゃんの家に逃げました。パパと私はママが帰ってこないので、心配で気が狂いそうでした。(…)1992年5月28日(…)そのとき、ドカン!トイレのガラス窓が粉々になりました。私はひとりで廊下にいて、それを全部見たの。思わずわあわあ泣いてしまいました。(…)1992年6月29日退屈!銃撃!砲撃!殺戮!絶望!飢え!苦痛!恐怖!これがわたしの、罪もない11歳の小学生の毎日です。学校にいかれない小学生。学校へ行く楽しみも喜びも、ゲームも友達もなく、太陽や小鳥や自然とも切り離された子供。果物もチョコもキャンディも食べられず、あるのはほんの少しの粉ミルクだけ。(…)1992年7月5日(…)最後に外に出たのがいつだったか、おぼえていません。もう2ヶ月近く前じゃないかしら。おじいちゃんとおばあちゃんに会いたい。前は毎日遊びに行ってたのに、もう長いことあっていません。(…)1992年8月18日(…)わたし、蛇口をひねると水が出るってどんな感じかシャワーを浴びるのってどんな気持ちか、もうおぼえてないの。今は水差しをシャワーのかわりに使っています。中世にやってたみたいなやり方でお皿を洗ったり,洗濯をしています。(…)状況が悪くなり、サラエボから脱出するのは不可能に。そんななか、化学者の母親がオランダの研究機関にいけることに。ただ、連れて行けるのはズラータだけ。自分の両親、弟、そして夫であるズラータの父親はサラエボに残ることになるが…1992年11月6日(…)サラエボを出るには、山のような書類と署名がいるのです。マヤとボヤナがオーストリアへ行くことは確実になりました。ユダヤのコンボイに登録したそうです。わたしたちもそれで行くことになるかもしれません。(…)しかし、期日までに必要な書類をそろえることができず、サラエボを脱出する機会を逃してしまった。1992年11月19日(…)わたしの友だちやパパとママの友だち、それに親戚にもセルビア人とクロアチア人とモスレム人がいます。みんな混ざっていて、どの人がセルビア人でどの人がクロアチア人やモスレム人かなんて、考えたこともありませんでした。それなのにいま、政治が割り込んできて、セルビア人にはS、モスレム人にはM、クロアチア人にはCをつけて、それぞれを分けようとしています。(…)(…)わたしにはどうしてもわかりません。もちろんわたしは「子供」で、政治をやるのは「おとな」です。でも、わたしたち「子供」の方がうまくやれるんじゃないかと思います。絶対に戦争なんか選ばなかったでしょう。(…)1992年11月29日(…)とても寒いです。薪が足りないので、節約しなきゃなりません。市場で薪を売っているけれど、他のものと同じようにドイツマルクでしか買えないので、とても高くつくのです。わたしの公園のシナノキやカバやスズカケの木も、他の薪と一緒に売られているのだろうと思わずにはいられません。(…)1992年12月28日(…)パパを見ると、すごくやせてしまっています。体重計では25キロ減ったことになっているけれど、もっと痩せたように見えます。めがねまで大きすぎるみたい。ママもやせました。なぜか縮んでしまい、しわもできています。戦争はママとパパになんてことをしたのでしょう。もう昔のママとパパではなくなってしまいました。(…)(…)このばかげた戦争は、わたしの子供時代と両親の人生をぶちこわしています。なぜなの?戦争をやめて!平和を!平和がほしいの!(…)1993年1月6日(…)凍えそうで寒いです。冬がしっかり町に腰を落ち着けています。(…)(…)暖房のない部屋にいけてあった花が凍ってしまいました(…)1993年3月10日(…)困ったことになりました。チチコにやる鳥のえさがなくなってしまったのです。町ではもうどこにも売っていません。どうすればいいの?(…)(…)食べてみようとするのはパンくずだけです。(…)やがて、かわいがっていた小鳥も死に、心の慰めになっていた子猫も戦争を乗り越えることができませんでした。この頃でしょうか。ズラータの日記がフランスで出版され、世界中からジャーナリストが訪ねてくるようになります。日記にはミミーという名前をつけています。1993年8月2日(…)わたしの状況がアンネ・フランクに似ているという人もいます。ミミー、わたしそう言われるとこわいの。アンネのようにはなりたくありません。1993年9月2日(…)わたしにあるものは破壊され、焼かれた国と傷ついた町、そして世界中に難民となって散らばっている友だち… でもありがたいことにわたしにはあなたがいます。ミミー、あなたとあなたの線のあるページは、わたしが悲しい思いを書きつらねるのをいつも無言で、辛抱強く待っていてくれます。(…)1993年10月4日(…)閉じた輪の中での生活がつづいています。どれがどんな生活か知りたい、ミミー? それはおびえながら待つ生活、輪が開いて平和の太陽が再び自分の上に注ぐことを祈る生活です。(…)この日記の最後は、このように綴られている。1993年10月17日(…)わたしたちはなんにも悪いことをしていません。何の罪もありません。でも無力なのです。***1993年12月、フランス政府の計らいにより、サラエボを脱出できたズラータとその両親はパリに行き、ズラータは後に、オックスフォード大学を卒業。現在アイルランドの首都ダブリンに住んでいる。(写真はいずれも本から)
October 11, 2009
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1ヶ月前の日本の衆議院選のどんでん返しがあったのでこの日曜日に行われたドイツの連邦議会(下院)の結果がどうなるか、ちょっとドキドキしていた。Suhはドイツで選挙権がないのでただ見守るだけ…18時の投票終了とともに、出口調査のかなり信憑性の高い結果予想が発表にされるため、18時半には、結果をたいていの新聞をインターネットで読んでおしまい。日本のあの、開票速報みたいに夜中までテレビにかじりつくこともない。つまんないなぁ。結果として、4年間の大連立が終わり、16年続いたあのコール首相時代の中道右派政権に戻り、メルケル首相の続投が決まった。今後4年、ドイツを率いる2人。キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)のメルケル首相(右)と自由民主党(FDP)党首、ヴェスタヴェレ(左)。選挙前の討論会での様子。で、選挙の主役である有権者の楽しい投票の様子が、Spiegel Onlineにアップされていたので、ご紹介。バイエルンの田舎で、投票に向かう人々。民族衣装をきちんと身につけて。「アンゲラ・メルケルがいい人は、CSUに投票しよう!」バイエルンだけは、独自のCSUという政党がある。(中央ではCDUと同盟を組んでいる。)投票を終えて。普段はここは、ビールを飲んで歌って、政治を語っている飲み屋さんかもしれない。ホッとしたこのあと、オクトーバーフェストに?同じくバイエルンにて。ドイツ南西部・シュツットガルトのある、黒い森地方にて。この地方独特の帽子をかぶったお嬢さんも。北ドイツはハーメルンにて。ハーメルンの笛吹き男も戻って来てしっかり投票。再び南に戻り、バイエルンの州都ミュンヘン。オクトーバーフェスト真っ最中のミュンヘンではみんな出かけてしまい、選挙立会人の数が不足したのかワンちゃんまで動員(笑)。「選挙立会人」の札をつけてしっかり下から監視。いずれにしても、有権者の約4分の3が参加したこの選挙は、国の命運をかけた大きなイベントだったことは間違いないようだ…
September 29, 2009
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毎年5月に行われる「ユーロヴィジョンソングコンテスト」。今年モスクワで行われた様子はこちらの日記を。その後に買った、コンテストのCD。その中でも、何度何度も繰り返し聞いているのがボスニア・ヘルツェゴヴィナ代表「Regina」が歌う「Bistra Voda」。セルビア語・クロアチア語・ボスニア語の3ヶ国語で切々と歌い上げる愛の戦士たち。歌い方が日本の誰かに似ているなぁと思うが思い出せない。ユーロヴィジョンソングコンテストの決勝戦での「Bistra Voda」をYouTubeから。当時は「あ、バルカン(半島)のバラードね」と軽くスルーしてしまったが、聞けば聞くほど、すっかりその虜に。インターネットを駆使して情報を集めた。たいがいセルビア語かクロアチア語なので、自動翻訳で怪しげなドイツ語に…こちらがヴォーカルのDavor Ebner。1972年7月22日 サラエボ生まれの37歳。あ、旦那と同い年♪父方も母方も、100年ほど前にオーストリアからボスニア・ヘルツェゴヴィナに移住。だから、ドイツ語の名字。Picchukoさん、オーストリアですよぉ。歌っている姿はクールで2枚目だけど、話をすると冗談連発のナチュラルなところに惹かれてしまった(詳細は後日また)。Regina結成は1990年サラエボ。学校での知合いが集まったバンド。最初のアルバムは、グループ名そのままの「Regina」。瞬く間に、ユーゴスラビア(当時)でポピュラーに。これがその当時LPで発売されたジャケットの写真。 当時18歳のDavorがかわいい。女の子みたい(笑)。翌1991年にセカンドアルバム(CD)と順調にきたが、1992年3月に、ボスニア・ヘルツェゴヴィナが旧ユーゴスラビアから分離独立。(旧ユーゴは、スロベニア、クロアチア、マケドニア、セルビア、モンテネグロ、そして、このボスニア・ヘルツェゴヴィナにそれぞれ分離独立している。)そして、1992年4月、あのボスニア紛争が勃発。ボスニア・ヘルツェゴヴィナからの分離を狙うセルビア人の勢力が発端となって、人口430万のうち、20万人が死亡、200万人が避難民となったと言われている。この紛争により、Davorとベースのデニスがドイツに避難。ギタリストのアレクサンダーと、ドラマーのボヤンがユーゴスラビア(当時。現:セルビア)の首都、ベオグラードへと移る。(たぶん、この2人はセルビア人)その後、お互い連絡もほとんど途絶えていたという。当時ドイツは人道的見地から、多くの難民を受け入れていた。Suhもこの時期からドイツに来ており、Suhの住む街でもボスニアからの避難民を受け入れており、テレビで見ていた第2次世界大戦はSuhにとって遠い昔の話だけどボスニア情勢はひしひしと身近に迫っているような感じだった。Davorは、1999年故郷に戻るまで7年間ドイツに滞在。この間、ドイツ語を身につけ、一生懸命働いていた。何年間かは療養施設のようなところで働き、実際、自分の腕の中で息を引き取っていく人が何人かいたという。ミュージシャンとしてキャリアを積み始めた時に、内戦勃発。グループがバラバラになり、自分は外国に逃れて…多感な20代をどんな思いでドイツで過ごしたのだろうか…故郷に戻ってからは、他のグループのヴォーカルをつとめたりしていたが、2005年に、ドラマーのボヤンの仲介でメンバーが再会。そして2006年、「Regina」が再結成された。17年後。35歳。2007年に発売されたアルバム「Sve Mogu Ja」から2曲ほどご紹介。「Sama」東ヨーロッパの強い「R」が心地よく、力強く響きR音フェチのSuhにはたまらない。途中連発するところでは驚きのあまりPCの前で固まってしまったくらい…You Tubeはこちらから。次は、ユーロヴィジョンソングコンテスト2006年クロアチア代表だったエレナとのデュエット。「Ljubav Nije Za Nas」エレナの媚びないセクシーな振り付けに釘付け。かっこいい!こちらからどうぞ。セルビア語もクロアチア語もボスニア語も、方言程度しか違わないということで、今は国が違っても旧ユーゴのつながりがあるんだね。2006年のローリング・ストーンのサラエボ公演の前座を務め、2009年のユーロヴィジョンソングコンテストのボスニア・ヘルツェゴヴィナ代表に選出された。結果は決勝進出24カ国中8位。でも、順位ではなく、Davorのピュアな声にヨーロッパ中にファンが広がっていったと思う。Davorのソロ時代の歌のビデオクリップに「The most beautiful voice」とのコメントがついていた。Suhも同感。そして、ユーロヴィジョンソングコンテスト後に発売になったアルバム「Vrijeme Je」その中から1曲「Zvacu Te Pile Moje」YouTubeはこちらから。今までと違い、Davorの何か束縛から解き放たれたような、そして、他のメンバーもとても楽しそうな様子が印象的。やっとまた一つになって、50になっても、60になってもこうやって、ずっと歌い続けていくんじゃないのかな…と思った。Reginaが歌い続ける限り、私もずっと聞いていきたい。
September 22, 2009
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IL DIVOの日本公演最終日の17日、3月末のミュンヘン公演で買ったパンフSuhは、地元アウグスブルクでMax Raabe&Palst Orchesterのコンサートに行ってきた。今回のコンセプト、「Heute nacht oder nie」は、2007年秋、ニューヨークはカーネギーホールで好評を博したプログラム。ここが今回の会場、コングレス・ハレ。この日、旦那の都合が悪かったので、一人で。実は同じ内容のコンサートを去年の5月に、やはりここ、アウグスブルクで見ていた。日本への一時帰国から帰ってきたばかりで、ばたばたしていて、結局アップしそびれている。今回のパンフから。何だかファッション雑誌を見ているような…今回は、カーネギーホールでのライブCDを聞き込んでいたので、前回よりずっと楽しめた。いつもはDVDで見ているメンバーが、目の前でLiveで動いているというだけで満足。ここがSuhの指定席。2階席真ん中、最後列。会場に入ってすぐにパチリ。舞台全体がバッチリ見渡せるお気に入りの場所。でも、いつか同じ2階席でも真ん中の最前列に座りたいと思っている。観客も、もしかしたら、これらの歌を当時聞いていたのでは…と思われるようなロマンスグレーのお年寄りも多く、平均年齢はかなり高いのではないかと推測。満員の会場。だいたいみんなパートナーと来ているので一人でつまらないなぁ~と思っていたSuhの左隣に座ったのは職場の同僚らしい男性2人組。最初は仕事の話ばかりしていたが、コンサートが始まるとMax Raabeさんのトークにバッチリ反応して受けまくり。休憩時間が終わったら、2人ともCDを買って戻ってきた(笑)。それを自慢げにチラチラッとSuhに見せるしぐさがかわいい。Suhはもう持ってるよ!全体的に英語の歌が多かったが、右隣の男性が時折一緒に口ずさんでいた(笑)。あっという間に2時間が過ぎていく。「次の曲でお別れです。」には「おぉ~」と会場いっぱいにため息が…これもお決まりのリアクションですね(笑)。最後の曲は、知る人ぞ知る、「Dort tanzt Lu-Lu」。今回も楽しませてもらいました!誰一人帰ることもなく、「ブラボー!!」の歓声の中、アンコール2曲。それでも満足しないスタンディングオベーションの観客に応えたアンコール2回目で、Max Raabeさん+オーケストラメンバー全員による男声合唱「Gib mir den letzten Abschiedkuss」。今までと違ったのは、あの(新しい)バイオリン嬢が伴奏のピアノを弾いたこと。その弾いている姿のまた、美しいこと!トロンボーン奏者がビオラを弾いたり、サクソフォン奏者が歌っても何も不思議のないこのオーケストラで唯一、Max Raabeさんとこのバイオリン嬢だけは自分の神聖領域にとどまっていたが、これで、この不文律が破られたことになる。さぁ、次回は何を見せてくれるのか、今からとっても楽しみである。***YouTubeで、Max Raabeさんが日本の歌を歌っているのがあったので、リンクを貼っておきます。こちらからどうぞ。今年7月に2年ぶりの日本公演を行ったMax Raabe&Palst Orchester。この歌を今回も披露したのだろうか。
September 20, 2009
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ご無沙汰しております。期限付きの緊急プロジェクトのため、(それは何の前触れもなく突然降って沸いてきた…)家事もそっちのけで、平日の夜も週末もただただひたすら仕事をしてきた、ここ2週間半。ちょっとゴールが見え始めたので、今日は仕事の帰りに、駅前のスーパーへ。8月末にお店が入れ替わった。前よりも広々としたレイアウトで、気持ちよく歩いていたら…あ っ ! ら ― め ん !!!見て! 見て!!棚の上から下まで日本のラーメン!!!すべて日清の製品。出前一丁シリーズから焼きそば、世界に浸透したカップラーメンシリーズまで、すべてドイツの工場で製造。日本のスーパーでも、ラーメンにこんなに場所をさいているところばかりじゃないと思うな(すごい手前味噌)。大騒ぎして写真まで撮ったが、買ったのはたったの4個(苦笑)。近くのスーパーで、いつでもラーメンが買える、という、この安堵感。以前にもご紹介した「日本の味をそのまま」保証付き(笑)。今度我が家に来たら、もれなくラーメンをご馳走いたしましょう。今日の写真提供は、8月に契約更新でゲットしたi Phone 3GSでした。日本語もうてます(笑)。
September 3, 2009
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Suhの住んでいる団地には、若い家族が多いらしく日中、中庭からは子どもの遊ぶ声が聞こえる。旦那は時々「うるさいなぁ…」とブツブツ言っているがSuhは、そんな子どもの声が聞こえる環境が好き。今日も、旦那が起きた後、ベットを直しに寝室に行くと中庭から子どもの笑い声が聞こえた来た。何してるのかなぁと窓からのぞいてみたら…ブランコ!中庭の木の枝にかかっているブランコ。一生懸命ブランコを動かしてあげるお兄ちゃん。こんなお茶目なこともしてあげる。こうしてドイツ女性は強くなるのね…「降りたい!」と妹が言うので…でも、お兄ちゃんが乗ると、やっぱり自分も乗りたくなる。お兄ちゃんだって、まだ子どもだからどうするかなって思って見ていたら…妹を自分のひざに乗せてあげた!と、その時目が合ってしまったようなのでいくら3階からとはいえ、カシャカシャとシャッターを切っていたら気がつくよね …急いで隠れた…ベットを直し、台所仕事を終えてまた見てみたらもう、二人はいなかった。今日も暑い1日になりそうだ。寝室の窓から。陰で見づらいが、真ん中の木の枝にブランコが下がっている。
August 16, 2009
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取引き先が図面の新しいデータ交換システムを導入することになり、そのコンピュータ・システムのセミナーを3日間受けた。本当は担当のエンジニアが受講するはずだったが客先から提示された日程とエンジニアのスケジュールが合わなくなったため、急きょ、上司とともに受講。他会社から受講に来ている周りの人たちは、もちろんエンジニア。朝8時半から夕方5時まで3日間。初日の午前中までは楽勝モードだったが、午後からはすでに「怒涛にもまれる無力な藻くず」状態(涙)。2日目、3日目などは、まるで宇宙をさまよっているよう…もう、フラフラ…講師の先生も周りの人たちも、必死に聞いているSuhたちに好意的だったのがせめてもの救い。わからないだろう。わからないと思うよ。だって、専門的な背景を持っている僕達だって戸惑っているんだから…唯一の楽しみは、社員食堂で食べる昼食。オシャレで明るい食堂でのお昼。にんじんサラダが美味♪よりどりみどりのメニューだが、量は多い。デザートまで手が回らなかったのが残念…!睡魔に負けそうになるたび、食堂のメニューを思い出して、楽しいことを考えるようにしていた。こうして、怒涛の3日間が修了した…今日、久し振りにオフィスに出勤。いつもの「事務」の仕事が新鮮で、楽しく感じた。セミナーの行われた取引先のカード。自動販売機や食堂では、お金をチャージしたこのカードで支払い。セミナー終了後、カードのデポジットと残金を受け取るため、返却しようとしたが機械が故障していたため、泣く泣く「お持ち帰り」に。上司が明日また、この取引き先に行くのでついでに返却・返金をお願いしようと思っていたが、旦那が「記念に持っていたら…」と言う。そうだ!また今度来る機会があったら、その時にまた使おう…!
August 13, 2009
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夏恒例の野外劇場。今年は、レハールの「微笑みの国」(初演1929年)。ウィーンと北京を舞台にしたオペレッタ。開演20分前。金曜日の夜だったため、仕事が終わって駆けつける。大勢の人が集まってきた。今日は「満員御礼」のようだ。舞台の様子。旦那に会うために、舞台裏へと急ぐ。開演10分前やっと旦那を捕まえた。これはウィーンでの衣装。公演開始が迫っていたため、構図も何もなくとりあえず…(公演中は写真撮影禁止)休憩時間に、また舞台裏へと急ぐ。今度は北京での衣装。写真を撮っていたら他の人も来てくれて。左端が旦那。右端はウィーンのシーンでのダンスのパートナー役だった女性。真ん中の人は?? 休憩時間に舞台も北京に。以下パンフレットより。これでもか、これでもか…と中国風の踊りが続く。私は中国に行ったことがないが、同じアジア人として衣装とか踊りとか、どうしても「ヨーロッパ人が見たアジア・中国」という感じが払拭できず、ちょっと不完全燃焼。周りの反応を見ていたが、みんなは結構満足そうだった。中国の外交官スー・チョンの妹役は日本人のソプラノ歌手。ダンスもこなし、声が素晴しく、とてもチャーミングで同じ日本人としてちょっと鼻が高かった。あ、この人!さっき旦那と一緒に真ん中に立って写真に写っていた人だ!この人はソロの歌い手さんでした。今回、ダブルキャストで中国の外交官スー・チョンを演じたのは、市立劇場専属の韓国人の二人(テノール)。しっかりと、パンフレットの地元の銀行の宣伝に起用されていました(笑)。ここ、アウグスブルクにも韓流の波が…?最後に、中国人のスー・チョンに恋し、中国まで来ながら中国(アジア)の文化や掟を受け入れることができず、ウィーンに戻る主人公のリーザと、それを見送るスー・チョン。えっ!引き止めないの? どんでん返しもないの??と、それなら、今までのことはいったい何だったの? 私自身はちょっと消化不良だったが、中国風の踊りを堪能した観客はいたく満足そうだった。
August 9, 2009
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ある日曜日。居間に置いてある植物を見てみたりする。こんな気持ちになれる日曜日が好き。あ…!ピピィッ(と笛を吹く)!!!そこの二人…!えっ…離れなさい!!!そ こ の 二 人 !!!… … (冷汗)ふぅ~。普段水をあげるだけで、放っておいたら…最近の植物は、まったく、油断もすきもない…
August 5, 2009
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昨日、ずっと前から食べてみたかったミュンヘンのパン屋Rischartの「花びらパン」を買ってみた。Rischartのパンは、お値段がちょっと高い。が、おいしさも満足度も高いので、おすすめ。この袋の中に、「花びらパン」が。袋から出すと... ほら、見て!パンの上に花びらが...!新幹線とはいえ、70キロの道のりを揺られてきたので花びらが取れてしまったり、つぶれてしまったり...紫が好きなSuhには、この色合いがたまらない...!でも、見方によってはもんじゃ焼き?(笑)本当は大きさがわかるように、パンのとなりにフォークを置いてみただけだったんだけど...中はどうだろうか...半分に切ってみる。何もつけず、そのまま食べてみた。お い し い !!!中は、ちょっと酸味のある黒パンに、たっぷりの木の実...!花びらも、ハーブのような感じでほのかな味と香り。まるで風が気持ちいい午後、森のとなりの草原でピクニックをしているよう...!あぁ、し あ わ せ ~!おいしくてやめられなくて、気がつけば旦那と一緒に1つ丸ごと食べてしまっていた。...一体、何の花びらだったのだろう。今となっては確かめようがない...***ミュンヘンの中央駅構内にも支店があるのでお近くにお越しの際には、ぜひお試しください。
August 1, 2009
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大変ご無沙汰しておりました。PCを修理に出して1ヶ月半あまり。月曜から金曜までしかいないPC修理担当者と土曜日しか動けない私。なかなか意思の疎通がはかれないまま時間だけが過ぎ去っていきました。結局、メインボード交換いう大手術になりましたが、データ等はそのままで、何とか無事に退院!帰ってきたPCは、InternetExplorerがさりげなくアップデートされていてガードが固くなり、今までスイスイ見れていたサイトも、そのたびにブロックされてしまいます。入院している間に、何だかずいぶん反抗的になったなぁと思いつつ、強制PC禁断療法を受けていた私は、昔ほどPCに依存することもなく、見たいところだけ見たら、「じゃぁ」と切ってしまったり。元の二人(PCとわたし)に戻るには今しばらく時間がかかりそうです。これが壊れて交換されたメインボード。処分する前にパチリ。***5月中旬に、念願かなって転職しました。(「転職」といってもしばらく仕事がない期間があったので再就職かな…)仕事の内容も職場の環境も、願っていたような職場で本当に満足です。「日系はイヤ!」と豪語しておりましたが、決まってみたらまた、「ミュンヘンの日系」でした… この不景気に、40過ぎての転職なのに、またフルタイムで働ける、その喜びでいっぱいです。場所もミュンヘンの街中になり、いろいろと便利になりました。以前の会社は残業残業また残業で、帰りの汽車がなく、よく寝台列車で帰宅しましたが(「ミュンヘン発アムステルダム行き」とか「ミュンヘン発プラハ行き」)、今は逆に、日本の営業時間に合わせて朝の出勤時間が早いため、これまた寝台列車(パリ発ミュンヘン行き)のお世話になっています… 職場が変わっても結局は寝台列車からは離れられないのね…朝早い代わりに定時でサクッと帰れるのがうれしいです。朝がめっぽう強くなった代わりに、夜はもう早い時間からヘロヘロです。とりあえず、6ヶ月の試用期間が無事に終わるようにがんばりたいと思っています。PCが入院していた間に写真を撮りためたので、季節外れにならないうちにまたアップしたいと思います。それではまた!Suh
July 30, 2009
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去年のクリスマス頃から、画面の色が時々変わってしまうなど不具合が見られたPCだったが、何とかなだめながら使っていた。が、6月中旬に画面の表示ができなくなったことから緊急入院させることに… 購入からちょうど3年目。グラフィック・カードを交換したらまたすぐに退院できるよ…と気楽に構えていたが、お店からは連絡が来ないまま…昨日、旦那に電話で確認してもらったところ、事態は思ったよりも深刻のようで、検査に必要なパーツを揃えて検査結果が出るのは早くても7月初めから中旬ということがわかり、がっくり… (涙)メールはWebメールだが、Outlookで呼び出していたため、故障以前のメールが見れなくなり、いつも楽しみに訪問させていただいていたブログも、お気に入りに登録したリンクからお邪魔していたお友達のところにはずっといけないまま…とりあえず旦那のPCを使わせてもらっているが、ただでさえPC中毒の旦那。なかなかPCが空かないし、無理やり割り込んでも、5分もすると「まだ使うの?」と矢のような催促…(涙)PCが緊急入院してから、どんなに自分がPCに依存していたのか、驚く。ブログが見れなくなり、書けなくなり、Googleで検索したり、ニュースを読んだり、アマゾンで本を探したり、写真の整理をしたりと、ちょっとしたこともできなくなり、なんだか放心状態…でも、いいことは、その分本が読めるようになったこと。PCが入院してから、吉川英治の「三国志」の1巻から8巻を読むことができた。通算3回目だが、以前読んだはずのその細部をかなり忘れており、初めて読むかのようにグングンと引きこまれ、夢中になり、さすが吉川英治!と感心したり、自分の物忘れに呆然としたり…と、いうことで、まだしばらくはPCなしの生活が続きそうだ。携帯の契約更新が迫っているので、話題のi phone 3G Sにしようかな…と考えている。I phoneだったらネットにもスムーズに接続できそうだし、日本語もきっと表示できるよね…
June 24, 2009
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ハッと気づいたらまたしばらく更新していませんでした…皆さまお変わりありませんか。***いつか、本を読んでいて目にした「午前8時の太陽」という言葉がとても気に入った。これからグングンと上がっていく勢いを感じ、Suhも、いくつになってもそのようにありたいと心に思っている。今日の写真は午後8時の太陽。おぉ、まぶしい…!いつもの定点観測地の台所から。6月末には1年で最も日が長くなる。その2時間後の午後10時前。6月末の日の入りは9時42分だそうだが、それでも、空がいつまでたってもうっすらと明るさが残っている。イチゴの季節も始まり、何だかウキウキしてきた。これは、2週間ほど前の初イチゴ。この週末は30度くらいまで上がるそうだ。
June 11, 2009
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お昼前、洗濯物をより分けながら体の向きを変えようと振り返った瞬間に…アッ…(汗)体の右側に力が入らない…右側に体重がかかると、痛くていられない…旦那がベットに連れて行ってくれたが高齢者の介護をしているみたい…と言いながら…ベットのマットレスの柔らかさが災いし2度と起き上がれないかと思うほどの痛み…うめき続けるSuhにただならぬものを感じて心配した旦那が自分の両親に電話した。義理の両親は二人とも今は引退している医師義理の両親が来たときには何とか起き上がれたが診察してもらうにも、怖くて横になれない…義理の両親が電話してくれ、救急医が来ることに…引退しているので、今はもう手元にないそうだがある注射をしてもらうとすぐに楽になるとか…30分ほどして、救急医が来てくれ、問診のあとやっぱり注射をすることに…注射は死ぬほど怖いけれど、この痛みをとるためなら…と覚悟を決めた。ドイツの司会者、ギューター・ヤオホ似の日焼けしたスマートでかっこいいお医者さん!もう、何でも聞いて!という感じだった(照)。そのギュンター・ヤオホ「はい、打ちますよ。」腰のあたりに注射。緊張している筋肉をほぐし、痛みの原因を取り除くとか。もうこれで楽になると思ったら、気分爽快!やりかけの洗濯とかやりたいことがいっぱいあるけどまだ完全に回復したわけではないので、今日は、すべてに目をつぶって、静かにすごそうと思う。俗にいうアラフォー世代。程度の違いはあれ、実は、3回目のぎっくり腰。もう、20代ではないんだから、これからは急な動きは慎まなければならないなぁ…と自分に言い聞かせた。「家庭用のゴミとして処理できますからね」注射は怖いとかいいながら、しっかりデジカメで記録(苦笑)。
May 23, 2009
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昨日、お夕飯を作っていたら、何か呼ばれているような気がして、いつもの定点観測の台所の窓から外を見ると…息をのむような、きれいな夕焼けが広がっていた。 何かいいことありそうな、そんなうれしい気持ちになった。
May 20, 2009
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昨日、ヨーロッパの歌の祭典 Eurovision Song Contest 2009が、前年度優勝国ロシアの首都モスクワで開催された。今年は42カ国が参加、決勝進出は25カ国。参加国が自国をのぞく他の国を採点した結果でその年の優勝国が決まる。普段テレビを見ないSuhも、これだけは毎年見ている。今年の優勝は、史上最大の387点を取り、他を圧倒したノルウェイのAlexander Rybak「Fairytale(メルヘン)」。ハリー・ポッター似のさわやかな好青年。優勝が決まった瞬間。いわゆる「イケメン」とは少し違うが、誠実な人柄が伝わってくる、そんな歌い方に、ヨーロッパ人はノックアウトされたようだ。Suhもこんなかわいい弟がほしいなぁ。両親が白ロシア出身の著名なピアニスト、バイオリニストで、Alexanderが4歳の時に、ノルウェイに移住。自身もバイオリニストとして、幼い頃から注目を浴びる。今回も、そんな自分のルーツを辿ってか、ロシア的な雰囲気を持つ、自作曲。ノルウェイでも大ヒットしたとか。オフィシャル・プレビュー。(たぶん、ノルウェイでの決勝の様子。)YouTubeはこちらからどうぞ。2位はアイスランド3位のアゼルバイジャントルコはベリーダンスで4位。Suhが電話投票で入れたのは、アルバニアのKejsi Tola。透きとおった声にビビッときたが、17位。そして、ドイツはアメリカの女優さんを迎えてセクシー路線に行ったが、35点の20位…このEurovision Song Contestに関する日本語のサイトはこちらをどうぞ。特に去年は、旧共産国同士で点数を分け合う傾向が顕著で、投票結果の途中でチャンネルを変えてしまおうかと思ったほどおもしろくなかった。で、優勝がロシアだったんだけど…この余韻を引きずって、今年の参加を取りやめたのがオーストリア。今回の決勝戦では、投票方法が変わりだいぶ改善されたと思う。やたら衣装にこったり、アクション系で圧倒したり肌の露出が多くなると点数をもらえる等の傾向があったり、その年によって、本当にいろいろだ。今年は、各国の国民性を強調した歌や演出が見られたのが特徴だったが、比較的歌そのものに集中し、楽しむことができた。ポルトガル代表来年は、ノルウェイの首都オスロから。どんな曲が聴けるのか、また、どんな傾向が見られるのか今から楽しみである。
May 17, 2009
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毎年、季節が少しずつ早く訪れているようだ。先週は、とても蒸し暑く(室内の湿度は55%だったが…)夜中に雷雨という状態が続いた。ホワイト・アスパラガスの季節になったので、この時ばかりは我が家でも季節の味を楽しむ。オランダソースに、付け合せはハムと茹でたてのジャガイモ。***4月の初めにフランスに行ってきた。憬れはパリで、我が家から徒歩10分の駅からも1日4往復、パリ行の新幹線がでている。パンフレットだけはしっかり手元に。ドイチェ・バーンとの共同運航で、車体はフランスのTGV(銀色でロケットみたいにスマート 所要時間約6時間)。白地に赤いラインがドイツの新幹線ICE。が、今回はなぜか、南フランスはマルセーユ近郊へ。まだ冬だったドイツから行ったので、太陽がまぶしく、キラキラ輝いていた海が印象的だった。ね、南国の雰囲気でしょ!目の前に広がるのは地中海!こんなテラスもオシャレに見える。フランスでも、食べたのはやっぱり「イカ」讃岐うどんのようにモチモチしていておいしかった!下の写真は、ドイツの我が家の向かいにあるレストランのイカの丸焼き。こうしてみると、やっぱりドイツ風?フランス語ができたら、もっと楽しかっただろうな…旦那に「パリに行こう!パリに行こう!」と洗脳しているので思いっきり出不精な夫婦なんだ、これが…いつかパリの写真をアップできたらいいな…と思っている。
May 16, 2009
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大変ご無沙汰しております。約1ヶ月ぶりの更新です。***旦那のいとこがニューヨークに住んでいる。ブロードウェーで活躍するダンサーとして地元・アウクスブルクの新聞でも何回か取り上げられている。そのいとこが、3年かけて作った映画が今日、アウクスブルクの映画館で世界初公開された。(脚本、監督、主役のすべてを担当。)「Mango Tango」右側の女性が旦那のいとこ・マリアンネ。ここの映画館で上映。映画館Liliom親戚から知人から大勢が集まって、150席が満席だった。上演前の挨拶。内容的は恋愛もので、時間のワープが多かったけれど、それをクリアしたら、十分楽しめるんじゃないんかな。マリアンネがタンゴを踊るシーンはいつもホォ…とため息がもれる。す て き!!!(18禁のシーンも一部含まれていたので注意。)どうしても故郷のアウクスブルクのシーンを入れたくてアウクスブルクでもロケをした。何年か前に、親戚の集まりで初めて会った時、お互い外国に暮らす者どうしとして、話が弾んだけれど(お金がかかるから、なかなか家にも帰れないね…とか)今日の彼女は本当にきれいだった…!マリアンネMySpaceにも、「Mango Tango」として登録があるのでもし興味があったら、こちらからどうぞ!***上映の後に、日本語を知っているよ…とマリアンネが教えてくれたのが「踊る阿呆に、見る阿呆…」のくだり。それって、阿波踊りじゃない!母が徳島の出身で、私も大学1年の夏、徳島の青年団に入り阿波踊りの特訓を受けて、本番で踊ったことがある。「それ、私にも踊れるよ!」と手だけ振りながら言ったら大受けして大爆笑になった。
May 5, 2009
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開場とともに座席へ。あ…!しまった!アリーナ席の後ろで遠いよりは2階席でも舞台の近くに…と思ったが、座席が想像より上のほうで、舞台を見下ろすような感じに…今回の舞台はこんな感じ。まだほとんどだれも入場していない会場。予定より少し遅れて始まったコンサートは休憩も入れて2時間20分ほど。私のカメラでは、なかなか表情までは撮れなかったけれどズーム機能ががんばってくれたので、何とか雰囲気が伝わるかな…と、恥ずかしながら写真をアップ。セットリストは、2月21日マンチェスターと同じ。アンコールも入れて全部で23曲。以下、思いつくままに…Davidが、MCの時一生懸命ドイツ語で話してくれて(途中でウルスやあのCarlosがヘルプしたり)、そのDavidの一生懸命さが、とてもさわやかだった。今回一番気に入った曲は、「Bridge Over Troubled Water」。何でCDに収録されなかったんだろう…とにかく素晴しかった!の一言!階段に座って歌っているのは、衣装換えしたあとの「Senza Catane」いすに座って歌うのはやっぱり「Every Time I Look at you」。20分の休憩時間後。衣装が替わっています。最後の「ゆぅ~」と歌いながら手を出すところを撮ったつもりがタイミングが合わなくて…なかなか拍手が鳴りやまなかったのは「Adagio」。すごい盛り上がりだった。期待した「La Vida…」は、噂のCarlosのステップが見られなかったけれど、サークル内では曲に合わせて踊る人たちも…あ、この女性がすごかったんです。その横で淡々と歌うウルスがなんとも…ウルスのあとにCarlosが通って、「おぉ!」という感じでこの女性を見ていました。「My Way」で一旦盛り上がった、その後のアンコールでは、セバスチャンがなんとサークル内に入り「Amazing Grace」歌いだすという演出が…サークル内の人たちも、セバスチャンをもみくちゃにすることなく、セバスチャンを見守る大人の振る舞いで。写真がちょっとぼけちゃったけれど…そして、最後の「The Impossible Dream」。舞台前方で歌う4人にファンが集まってきて…でも、今までの「Somewhere」の時のような混乱はありませんでした。4人が握手やサインなどのファンサービスをしたあと、後方舞台の階段の前で最後の最後、大きなDavidがさらに手を上げ、Carlosが負けじと、えび反りで最後の熱唱を。ウルスは、いつもどおり淡々と(笑)。とにかく素晴しかった。今回のコンサートは、舞台が前方まで広がった分動きが出て、より多くの人がIL DIVOを近くで見ることができて良かったと思うので二重丸。前回驚いた音響の悪さも、改善。私のようにサイトに座っても音がきれいだった。とにかくCarlosの熱唱がすごかった!4人のハーモニーの時、えぇ!大丈夫かな!!!というくらいえび反りをしてとにかく熱唱、熱唱。そんなにがんばらなくても…と心配になるくらい。今回私の右隣に座ったのは熱心な熟年女性ファン。最初から、すごかった(汗)。視線があった時に、うれしいね!と笑いかけると隣りの東洋人も楽しんでるぅと、また一段と熱が入って盛り上がっていた(笑)。左隣は、「自分はファンではないけれど、奥さんのエスコートで来ました。」というオーラがたっぷりの中年男性。曲が終わっても拍手もせず、ビールを飲んだり。でも、後半になると、知っている曲が流れてきたんのか時折、コツコツ…とビールが入っているプラスチックのカップの底を弾いていたり、My Wayになると歌っていたり…きっと楽しんでもらえた、と確信。初めから最後まで、会場全体でカメラが撮りまくり。セキュリキーの人も何も言わないし…入場のチェックもゆるくって、私など実は2台もカメラを持って入ってしまった。前回注意された飲み物が入ったボトルもOK。今後どうなるかわからないけれど、写真を撮るにはドイツ公演お勧めかも。私が次回いけるのは、たぶん東京公演。チケットが手に入れば…だけど…日本でもあの舞台が設置できるのか、それだけがちょっと心配です。
April 2, 2009
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大変ご無沙汰しております。約2ヶ月ぶりの更新です。実は、前回の日記の職業教育終了試験後、英語とコンピュータの資格認定試験の勉強を始めその試験が先週、ようやく終わったところです。気がついたら怒涛の毎日で、SOSも発信できないまま今日になってしまいました。復帰第一弾として、3月30日に行われたIL DIVO のミュンヘン公演の様子をお伝えしたいと思います。今日から4月6日まで留守にしますので、すぐにお返事を書くことができません。ごめんなさい…***約3年ぶりのミュンヘン公演。本当は、この日はコンサートのためにあけておいたのに緊急の用事ができ、午後ミュンヘン市内で用事を済ませた後急いでコンサート会場のあるオリンピック公園に向かったが着いたのがすでに午後4時半過ぎ。1972年のミュンヘンオリンピックの時につくられたオリンピック公園遠くに見える建物がコンサート会場。その反対側に建っているのがBMWの本社ピサの斜塔ではありません…カメラが斜めになってたみたい…会場からは、「あー、あー、本日は晴天なり。ただいまマイクのテスト中。」のようなマイク調整の声が聞こえていた。IL DIVOの会場入りを見たかった私は、「やっぱり遅かった…」とがっかりしたが、とりあえず会場周辺を一巡することに。会場近くの道しるべにもコンサートのポスターが…もしまだ会場入りしていなかったら、きっとどこかでDIVAたちが待っているはず…と思っていたが、DIVAたちの姿はどこにもなく、すれ違うのは、ちょうど行われていた工事現場のおじさんたちばかり…そこで、地下駐車場への入り口を見つけた。車から降りずに会場入りするにはここしかない!15分ほどそこに立っていたが、寒かったのでそろそろ…と思っていたときに、IDカードをつけた人たちが近づいてきたので、「きっとコンサート関係者だから、だめもとで聞いてみよう!」と待っていたら…それは、ウ ル ス 本 人 だった!びっくりして我を忘れそうになったが、気を取り直し「ハロー、ハロー!(Hallo, Hallo!)」と声をかけてみた。ウルスは話に夢中になっていたが、私の呼びかけに気づき私が手を差し出すと、握手をしてくれた。でも、ウルスから「え、だれ?」という戸惑いを感じたので「今夜のコンサートを見に来たんです。(Heute abend besuche ich das Konzert.)」と会場を指差して言うとあぁ…という感じでわかってもらえたよう。その時、コートのポケットのカメラのことを思い出し「写真を一枚撮らせていただきたいのですが。(Kann ich bitte ein Foto von Ihnen machen?)」と聞いたら「ごめん。取らないで。(Bitte nicht.)」と肩をすくめるように断られてしまった…「成功を祈っています。(Viel Erfolg !)」と言うと、笑顔を見せてくれたウルスはそのまま、入り口に消えていった。何か急いでいたみたい…しばらくすると、サウンド・チェックの音楽が聞こえてきたのでその場を離れ、暖を取るため近くのレストランに入り、開演を待った。会場の運搬口が開いたり閉まったり…サウンドチェックの音がバッチリ聞こえた。ウルスは、あのクルクルヘアで、黒い上着(セーター?)にGパン。あまり普通でうっかり見逃しそう。ウルスの声は話している時も歌っている時のような感じで、空気の中にピーンと張って伝わっていくような感じだった。きっとひそひそ話しとかできないんだろうな…なんて余計なことを心配してみる。ウルス以外のメンバーだったら、きっと二人称の親しい間柄で使う「Du」で話しかけたと思うけれど、ウルスを目の前にしたら反射的に尊称の「Sie」で話しかけてしまった私…写真を断られても、例えば入り口に向かう姿を撮ることはできたかも知れないけれど、無意識に、コンサートを前に、ウルスの意思に反したことをして、ウルスにいやな思いをさせたくないという気持ちになった。実際こんなふうに、思いがけないところでファンがいて、声をかけられたりするし…コンサートが終わってみると、あれだけのことをするんだからよほどの集中力が要求されるだろうし、やっぱり、ウルスの意思に反したことをしなくてよかったと自分で納得。せっかくウルス本人に会えたのに、写真も撮れなかったし急いでいるような感じだったのでサインをお願いすることもできなかった。でも、ウルスと握手した感触(実際、知らない人からいきなり握手を求められて反射的に手を出したけれど、あまり気乗りがしない…というような感じだったけれど…苦笑)は、右手が覚えているし、ウルスが消えていった入り口。あとから記念にパチリ(笑)。IL DIVOに出会って、一目ぼれしたウルスがスイス出身とわかって以来の「ウルスとドイツ語で話をしてみたい」というひそかな願いがこんなマンツーマン(?)という形で実現。(ウルスが私のドイツ語をわかって返事してくれた!)用事があって予定より遅れて会場に着いたことがこんなうれしいサプライズにつながるとは…公園内のセルフサービスのレストランで食べた夕食。ウインナーとジャガイモのサラダ。(コンサート本編に続く)
April 2, 2009
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気がつけばまた、2週間以上更新をしていませんでした。秋に悲鳴をあげ(苦笑 こちら)、お正月に筆記試験合格の報告をさせていただいた(こちら)試験の、口答試験が無事終わりました!結果は合格!!!これは試験後に手渡された、正式の合格証が発行されるまでの証明書。ちょっとびっくりしちゃったけれど…今まで仕事でしていたことと、試験直前に見直していたところが、そのまま口答試験に出るという、一生に一度あるかどうかのラッキーな試験でした。ドイツの新卒だったら高校をでて仕事と平行して職業学校に3年通って、大人になってからだったら最低6年の職務経験を証明し、通常、全日制の準備コースに5ヶ月ほど通ってから受験する職業資格ですが、私の場合、受験資格の認定後、諸事情により「独学3ヶ月」という無謀さで受験してしまいました。 (ドイツ人も真っ青...)40になって、またこんな思いで受験勉強するとは思わなかった…これで最後にしたいよぅ独学、といいながらも、周囲からの目に見えない応援がなかったらきっと続けることができなかった…と、本当に心から感謝しています。いろいろな出会いを通じて、人生に偶然はないと実感した次第です。お世話になった方たちに、この試験結果を以って、応えることができて、本当によかったです。これを将来、仕事に生かしていけるよう、がんばりたいと思います。結局、まだまだ、これからだなぁ…!試験が終わるまで...といろいろと先延ばししていたことが山積みで(汗...)、お返事や更新もまだまだ滞りがちです...ごめんなさい…!まずは取り急ぎ、試験結果の報告まで。それではSuh
February 2, 2009
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寒波の続くヨーロッパ。土曜日の午後のこと、氷点下8度のなか、カメラを持って散歩に出かけた。今日の目的地はここ、アウグスブルクの市庁舎。町の名前の由来となったローマ皇帝アウグストゥス。上の写真の左側に立っている。冬の間は噴水部分が木で覆われる。アウグスブルクの市庁舎と言えば、この「黄金の間」が有名だが、今日の目的ではないので外から見るだけ。皆さん、一生懸命写真を撮っていますね。今日の目的は、この市庁舎の一階の一角で行われている展示。「2000年・街の歴史」展。非常に大雑把(笑)に「アウグスブルク2000年」の流れを掴むことができる。この中でも今日は、特にこの「馬の頭」を見に来た。推定、2世紀ころ。アウグスブルクの始まりは紀元前15年。これは、アルプスより北を征服したことを記念してローマ人によって建設されたというブロンズ像の一部。もちろん、これはコピーである。他にも世界最古の社会福祉住宅「フッゲライ」を作ったヤコプ・フッガーや、これもコピー。この市庁舎(1620年築)の模型などもある。この馬の頭の本物があるのは、市庁舎から徒歩数分のところにあるここ、「ローマ博物館」。もともとは教会だった建物。この博物館は、アウグスブルクとその周辺で見つかったローマ時代の遺跡などが展示されている。一部ほかの博物館に貸し出している分を除き、全部オリジナル!2000年前の世界へようこそ!こんなに近くで見て写真とってもいいの?…という感じ。これがそのオリジナルの馬の頭。さっきの市庁舎(コピー)とは違うアングル(笑)でご紹介。1月1日撮影(ま、いつ撮影しても同じだが…)。ローマ博物館は地味だし、今まで気にしたことがなかったが、お正月に日本からのお友だちとここに来て、それからなんだか気になってしまった。その日、最初にこのコピーを見てから本物を見てしまったので実は、このコピーの方が気になって仕方がなかった。模型が売っていたらうちの居間に飾りたいくらい…お正月に取り損ねたコピーの方の写真に収めることができて寒かったけれど、なんだかとても満足だった。帰り道、夕日までがなんだか違って見えた。家の近くの十字路にて。「マンハッタンの夕焼け」と勝手に命名。
January 14, 2009
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6日の火曜日は南ドイツ広域で祝日だったためこのあたりでは明日が仕事初めというところが多いよう。週明けからシンシンと冷え込み始め、昨日は旧東ドイツ地方で、この冬一番の氷点下26度まで下がったとか…Suhの住んでいる南ドイツは、この寒波の目から少し外れたようで、氷点下12度。定点観測の台所から見た中庭。あまりの寒さに、雪もヒラヒラと舞っただけで、降るのをやめてしまった。体感温度は、日中でも氷点下10度くらい。夕食を作りながらラジオを聞いていたら明日の朝は氷点下19度まで下がるという。窓を開けると、そこは冷凍庫の世界…なんだか動物園の動物になったような気分。この寒さ。まだしばらく、続くようだ。愛用の湯たんぽ。日本では、湯たんぽは金物屋さんで買ったがこちらでは氷枕のような厚いゴム製。
January 6, 2009
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新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。***この秋から冬にかけて、ブログの更新がなかなかできなかったその理由の、筆記試験(過去の日記はこちら)の結果がクリスマス前に届いた。結果は合格! クリスマス前には、勉強に使ったものをさっさと片付け・処分してしまった。でも、悲しいかな、身に染み付いたドイツ生活。過去問のコピーは、裏が使えるのでもったいなくて自分用プリント用紙として、再利用することに…こうして再利用を待つ、過去問のコピー。あとは、1月末か2月初めにある口答試験を受けるだけ。日程は1月半ばくらいに郵送されてくる。あれ、早々と勉強に使った教科書やコピーを片付け・処分してしまったけど、よかったのかな…?筆記試験、クリスマス、お正月となんだか燃え尽きちゃって、なかなか口答試験の準備への切り替えができないままの、今日この頃である。
January 6, 2009
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姪とお友だちにフランクフルトで会ってから2日後、今度はSuhの大学時代の親友が、ミュンヘンに来ることになった (ツアーでミュンヘン滞在)。その2は、ミュンヘン。***この日は、それまでとは打って変わって、雲ひとつない真っ青な空が広がる暖かな日。マリエン広場の新市庁舎。まずは、お決まりの市庁舎のからくり時計を見てから観光開始。この人形は等身大。このあと、お腹がすいたので、クリスマス市の屋台で昼食。やわらかいミルクパンみたいのに、バニラソースがかかったもの。とにかくお腹がすいたので、一気に平らげたSuhを見る親友の視線が...「これって、小さめのパン一斤分はあるよね...」毎日各地のクリスマス市を巡るツアーだったので実はその後、お土産や買い物に集中し、クリスマス市をゆっくり見て歩くことはできなかったが。お話や買い物であっという間に夜に!夜はマリエン広場近くのレストランに。中はこんな感じ。ツアーの食事があまりよくなかったとかで、ここでは二人であれこれと注文し、欲しいだけ気ままに食べた。お肉料理以外ではこんなものを...シュペッツェルにソースがかかっているもの。お子様用のメニューで、箸休め用に注文。夕食が終わって外に出ると、もうクリスマス市が終わっていた(汗)......広場に面したデパートのショーウインドーを見る。これがそのミュンヘン・マリエン広場のクリスマス市の模型。そうそう、こんな感じかな(汗)...他のデパートでは毎年、動物のぬいぐるみがかわいく飾られている。これが電動で動いているから、かわいい!お店が開いている時間帯は人だかりになるが、この時は閉店時間だったので、人もまばらでゆっくり見ることができた(...)。***クリスマス市を見るためにツアーで来たとか言いながらSuhに会いに来てくれたこのお友だち。日本食もたくさん持ってきてくれて、それで今年はいつもと一味違うクリスマス・ディナーを作ることができた。一緒に過ごした大学4年間。昔に戻ったように楽しいひと時を過ごすことができて本当にうれしかった。来てくれて、本当にありがとう!
December 30, 2008
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