全20件 (20件中 1-20件目)
1
栃木県・宇都宮短期大学附属高等学校(音楽科)を卒業すると、桐朋学園大学声科を卒業、同大学研究科を修了。在学中よりニューヨーク、ザルツブルクに留学した。1986年、小澤征爾指揮R.シュトラウス『エレクトラ』のタイトルロールでデビュー。1987年イタリアに渡り1988年、第3回「ルチアーノ・パヴァロッティ・コンクール」優勝。ヨーロッパデビューを果たす。第4回「マリア・カニリア・コンクール」優勝、第27回「フランチェスコ・パオロ・ネリア・コンクール」優勝。これを機にミラノ・スカラ座と出演契約を結ぶ。1989年『愛の妙薬』でルチアーノ・パヴァロッティと共演し、アメリカ・デビュー。1990年RAI(イタリア国営放送)主催「マリア・カラス・コンクール」に優勝し、欧米各国より出演依頼が殺到する。これはイタリア人以外の外国人で初めての快挙だった。それが、オペラのプリマドンナ、中丸三千繪さん。以来、ミラノ・スカラ座でのムーティ指揮、ワーグナー『パルジファル』など、世界各国の歌劇場でプラシド・ドミンゴ、ホセ・クーラ、ロリン・マゼール、ケント・ナガノをはじめとする当代一流の音楽家と共演。1994年にはベルサイユ宮殿での英仏主催チャリティ親善コンサートに、故ダイアナ妃臨席の下フランス代表として出演。東芝EMIより20タイトルのCDをリリース、最近ではクーラ、デッシーらとローマ国立歌劇場のオペラ全曲版、ベルリンフィル12人のチェリストとの録音にも参加。また著書「マリア・カラス・コンクール スカラ座への道」、エッセイ集「声のある時間」を出版。1998年より日本各地で小児がんの子供を支援するチャリティコンサートを行っている。1999年8月、モーストリー・モーツァルト・ファイナル・ジャパンツアーに出演、また9月にはオーチャードホール10周年ガラに出演するなど、日本国内においても多くのコンサートに出演している。2001年にはポーランド国立歌劇場日本公演『椿姫』ヴィオレッタ役で好評を博す。またフィルハーモニア管弦楽団やハンガリー放送交響楽団、スロヴァキア国立放送交響楽団などの日本公演にソリストとして出演。現在ニューヨークを拠点に活動している。2006年、イタリア文化への貢献で「イタリア連帯の星勲章」を受章した。以前テレビのバラエティ番組でも見かけたが、気さくで情熱と行動力のある女性である。中丸さんは下館出身だが、「茨城の田舎はイタリアに似ている」と言っているのを読んだことがある。南イタリアみたいに作物は何でも獲れるし、あっけらかんとして、人なつこい人が多いし、納得。26日に下関でリサイタルをされていたようだが、今度近くでリサイタルがあったら、そのソプラノ(試聴有)を聞きに行こうと思う。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月31日
コメント(0)
FP相談に限らず人は親身に聞いてくれる相手には、救われ安心し感謝するのではないだろうか。人に喜んでいただければ、その相談を受ける側にも充実感や達成感がもたらされる。しかし、それがFPのメイン業務ではない。顧客との関係が継続し、プランを一緒に実現していく過程こそがFPの実務なのだと思う。実際、その後その顧客と診断・プランニング・実行支援までつながらず切れてしまう場合が多い。顧客も有料・無料に関わらず、FPを利用するのが初めての場合が多く、相談までがFPの仕事と思われている方も多い。相談は実務の入り口で、その後の関わりが必要かどうかをお互いに推し測る場であると思う。独立FPでも保険や不動産の手数料が半分以上の場合は保険代理業や不動産業との兼業の場合が多い。特定のFP分野の執筆や講師の収入が多い人は、その特定分野の執筆・講師業との兼業になっている。他の弁護士・税理士・社会保険労務士・行政書士などの収入が半分以上の場合も兼業である。今や農家だって益々専業農家は少なくなる時代、顧客の利益を損なわない兼業はいい。しかし20代、30代にFP試験に合格して、すぐ執筆やFP講座の講師業をするのは、悪いとは言えないが、もったいないと思う。若いうちに実務を身につけないと、中高年になってからも机上の内容の原稿を書いたり講義したりしかできなくなってしまう。実務は若いうちに苦労して身につけるほうが、あとあと役に立つ。知識ごとの問題事例ではなく、実際に顧客と一緒に顧客の想うことを実現していった事例がFP自身を動機付けていくと思う。その事例から抽出したエッセンスが原稿や講義に盛り込まれると、その人の話は年を重ねるほどに、広く深く充実し、聞く人の意識の変化を促していく。そういう顧客向けのセミナーは、顧客が自ら変わっていくための動機付けとなっていく。それが理想だが、私もまだ道遠しというところである。何年やっているかは重要ではない。イチゴ狩りの季節になってきた。イチゴの実も青いうちに食べるより、赤くなるまで待ってから採って食べたほうが美味しい。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月30日
コメント(0)
先日、藤田東湖の生誕の地で撮った写真を掲載したが、その場所には、「みと好文カレッジ」があり、水戸市民の生涯学習活動の拠点となっている。中国では、梅の木の異名を「好文木」といい、中国の故事の中では、「梅は、学問に親しむと花が開き、親しまないと花が咲かない」といわれていた。「みと好文カレッジ」の「好文」は、この故事にちなんで、だれもが学問に親しみ、生涯学習を実践できるよう名付けられた。水戸市民には偕楽園の好文亭でもおなじみの名前。主に市民サークルや公民館の活動支援、青少年ボランティアの育成、各種講座を開催する生涯学習の拠点として、1994年に開設された。ホールや会議室のほか軽運動室、和室、調理室などを備え、年間約150の市民サークルが利用している。もともとこの地は、昭和26年に藤田家から水戸市に寄贈され、1968年に市社会センターとして地下一階、地上五階建ての建物が建てられていた。実は、高校時代、水戸市の高校生会の活動をしていて(さわらび高校生会所属)、その社会センターは市の青少年課の課長さんや市内の高校生会のメンバーとの打ち合せでよく使用していたので、私にとっても思い出のある建物である。ところがその施設が、3月末で閉鎖されるという。建物全体が老朽化し、近年は雨漏りや冷暖房機の故障、給排水設備の劣化などが激しかったとのこと。市教育委員会は「施設利用者や近隣住民の安全確保を図る」として、施設の閉鎖に踏み切ったようだ。市教委は好文カレッジの事務所を移転させる方針で、同時に施設利用者が生涯学習活動を続けられるよう、同市内の社会教育施設の紹介やサークル活動の相談に応じるなど支援していくとのこと。事務所の移転先は、同市笠原町の市総合教育研究所。5月をめどに移転する予定で、従来のように会議室などの「部屋貸し」は行えないが、全市的な生涯学習の推進や公民館の指導支援を継続するという。また、好文カレッジ施設の閉鎖に伴い、施設内にある市シルバー人材センターやファミリーサポートセンターは、事務所を市内原支所に移す。(茨城新聞より)全国の市区町村でも生涯学習センターは年々参加者が増えている。「水戸学」の藤田家から寄贈された場所で、このような話があるのは残念だ。取り壊して、新しい建物を建設することはできないのだろうか。他に、市は常磐大学と提携して、みと弘道館大学も運営しているが、広く市民の学習や交流の場となる施設を早く用意してほしいものだ。学習は生涯つづく。(秋の水戸で)応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月28日
コメント(0)
今日は、手賀沼を午後から歩きました。カモたちは元気です。野鳥が多かったです。貸しボートで競争していました。じっとしていられない猫。カメラを向けると寄ってきてしまいます。この題は、「長い散歩」 行く道の 枯れ木に二人 睦まじく 右端に友達の靴のつま先が・・これからこの道を行きます。 行く手に老夫婦のシルエットが、まぶしく光っていました。久しぶりに少し暖かな日となりました。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月27日
コメント(0)
没後50年 横山大観展を観て来た。「屈原」は、2月の入れ替えの展示でまだだったが、40メートルの「生々流転」や「夜桜」、「紅葉」「無我」など堪能できた。(主な作品。)特に、「生々流転」は、雨が集まり、滝になり、川になり、山奥から平地を流れ海にそそぎ、大海で龍となり、空に昇るまでの自然が描かれ、その中に動物や、きこりや漁師など人間の生活も見えて、古き日本の豊かさ、美しさを感じることができた。富士山や、茨城の五浦のような海岸と松が描かれている作品が多かった。また、大観の「秋色」と尾形光琳の「槇楓図屏風」を並べて展示してあって、比較して観ることができたので、この展示の企画者に感謝。国立新美術館入り口国立新美術館の内部海が好きな私は、「海潮四題・春」の海の色と波の様子がしっくりきた。また、音声ガイドで、横山大観が歌う日本美術院院歌「谷中鶯(やなかうぐいす)」(岡倉天心作)という、めったに聞くことができない貴重な録音も聞くことができて良かった。出てきたら、夜に。六本木ヒルズ方面東京ミッドタウンにもはじめて寄って見た。この場所は、日本生命にいた頃、当時の東京第8リーブが防衛庁の担当だったので何度か来た事がある。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月26日
コメント(0)
血液検査の結果は良くなった。中性脂肪は67mg/dlと低位で安定。動脈硬化指数は、 動脈硬化指数=(総コレステロール-HDLコレステロール)÷HDLコレステロール =(167-67.2)÷67.2 =1.5・・・こちらも順調。総コレステロールも167/dl。悪玉LDLコレステロールも86mg/dlと目標の100以下で引き続き推移!薬の効果が続いているようだ。尿酸値も6.9でぎりぎりセーフ。ただ、病院で風邪をもらってきたらしく、くしゃみ・寒気・だるさ・下痢症状あり。そう言えば今年度はまだ風邪ひいてなかった。篤姫は、水戸を後押ししていたが、西郷隆盛も水戸学の藤田東湖の影響を強く受けている。今年は西南戦争後130年で、中公新書から「西南戦争 ―西郷隆盛と日本最後の内戦」という本が出ている。 「戊辰戦争―敗者の明治維新」もある。徳川慶喜はその優柔不断ぶりがよく批判されている。今年、母校の小学校が創立135周年、高校が130周年目になるが、その創立の頃の話である。水戸藩は全国的な動乱をよそに、内紛に明け暮れ、天狗党の乱などで多くの有為な人材が幕末の露と消えていった。桜田門外だけでなくその後坂下門外の変、昭和の血盟団事件、五・一五事件・・・とことごとく水戸の人間がからんでいる。水戸中学の先輩、橘孝三郎は、旧制一高を中退し愛郷塾を開き、塾生を指導して五・一五事件に参加した。橘孝三郎は、立花隆氏(本名は橘姓)の父のいとこに当たる。(立花隆氏は著書「天皇と東大」で、五・一五事件にもふれている。)一方、右翼団体松葉会の初代会長、藤田卯一郎も水戸中学の先輩である。水戸学の根本になっているのは、「大日本史」である。「大日本史」は、元禄以前から第二代藩主徳川光園が編纂しはじめた。250年の歳月を要し、明治39年(1906)にやっと完成した膨大な歴史書である。高校時代の名越教頭先生は、水戸学の学者で水戸史学会の会長だったが、2005年にお亡くなりになられた。編纂をはじめた徳川光圀ほか、編纂史局であった彰考館の学者たちが、この 「大日本史」 で説きつづけたのは、「専皇敬慕の精神」であって、「尊皇倒(討)幕の精神」ではなかった。「攘夷」論と結びつき、それは「倒幕」に摩り替えられたが、外国艦隊との力の差に直面したことにより、諸外国と対等に対峙する力をつけるべきだとする「大攘夷」論→開国へと収束していった。昭和天皇が、昭和22年終戦すぐの、1月の新年歌会始において 「あけぼの」という題で たのもしく夜はあけそめぬ水戸の町 うつ槌の音も高くきこえてと詠まれている。新生日本が槌音も力強く復興されていく、その曙を天皇は水戸の町にご覧になられたのでしょう。現在、水戸市三の丸にこの御製碑が建てられている。戦後も天皇家が象徴として残り、徳川ご三家における水戸徳川家の役割はこの時果たせたのではないだろうか。伊井大老暗殺を企てた金子孫二郎から始まった、「水戸藩は、つねに″破″の役割を果たす」という悪しき伝統は、もう遠い昔のことだ。藤田東湖生誕の地吉田松陰も水戸に1ヶ月滞在し、会沢正志斎に影響を受けた。弘道館正庁の玄関の掛け軸応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月24日
コメント(0)
ここは北浦の潮来側の白鳥の郷です。赤いくちばしのと、至近距離15センチで見つめあっているとそこに黄色いくちばしのがやってきた。ゆりかもめたちも整列新しい鳥か、去年の鳥かわからないが毎年やってくる。昨夜は、埼玉のJAさんで相談員研修の打ち上げに参加させていただいた。近年は、埼玉の東の地域でも各種のみかんが獲れるそうだ。以前は獲れなかったそうで、温暖化が確実に進行していることが伺えた。潮来の白鳥の郷の鳥たちはどう感じているのだろう。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月22日
コメント(2)
今日は、NPO法人らしさのメンバーで、千葉みなとのシニア住宅を見学してきました。駅と住宅を結ぶシャトルバスポートタワーが目の前。横浜のみなと未来と遊覧船でつながるらしい。晴れた日には富士山が見え、夕日も美しいとのこと。千葉の花火大会も目の前だそうだ。ラウンジに何げにあるビリヤードの台。卓球台は検討中とのこと。ラウンジのバープールバーとは、このことか。レストラン。ランチをいただきました。浴室の介護用バス有料老人ホームに、高齢者用の賃貸マンションがのっている建物と分譲マンションがのっている建物と二つに分かれている。共用スペースが多く、介護サービスや病院との連携はもちろんある。もともと千葉県に住んでいた方で、ここが気に入ってお金にゆとりのある方が居住を始めているようだ。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月21日
コメント(0)
北海道の帯広にいる弟から、えぞりすの写真が届きました。イメージより大きい感じがします。季節は、10月の頃です。でも、りすがやってくるのはいいですね。松ぽっくりか木の実を食べているんでしょうか。北海道は、キタキツネも出てきますよね。去年は三浦半島で狸を見ました。鹿嶋は、キジがいますが、なかなか写真に撮れてないです。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月20日
コメント(0)
蕎麦がうまくなり、蕎麦好きにはうれしい季節。10月下旬になると、各店に新蕎麦が出されはじめるが、秋に収穫された新蕎麦は、年を越し厳寒期に熟成して、今頃甘みを増した『寒そば』となり、最も美味しくなるといわれている。茨城では、全国の蕎麦打ち職人や蕎麦通の間で「品質日本一」「玄蕎麦の最高峰」などの呼び声があがる「常陸秋そば」が獲れる。蕎麦独特の香り、風味、甘味。その「日本一のそばを食べる会」が今年も「常陸太田市交流センターふじ(旧金砂郷町)」で開催される。【第8回日本一のそばを楽しむ会】期日 平成20年2月17日(日)時間 10:00~14:00場所 常陸太田市交流センターふじ 常陸太田市大字高柿272 TEL 0294-76-2221イベント内容(1)開会・主催者挨拶 10:00(2)講演 「蕎麦は日本人の100歳食」 講師 食文化史研究家 永山久夫氏(3)そばの学校修了式(4)匠の実演 そば打ち名人による実演と解説(福島:蕎邑 小澤章氏)(5)郷土そばの味わい「常陸秋そば三昧」三種類のそばをご賞味下さい。(6)閉会 14:00●参加者募集人員:300名程度(先着申込み順)●会費:1,000円●申込み締切日;平成20年2月8日(金)関連書類の参加申込書に記入のうえ、FAXで申し込みください。FAX:0294-72-7366ご参考:過去の開催模様2004年2005年年によっては広島の「達磨」店主、高橋 邦弘氏が実演する。2007年新蕎麦の時期は2006年常陸秋そばフェスティバルが開催される。本場の常陸秋そばを体験してみませんか。常陸秋そばを全国に広めた「村屋東亭」の蕎麦。ひたちなか市の「満志粉」もおすすめ。ご主人は全国そば打ち職人の大会で優勝している。数年前に、知人にご紹介いただいた埼玉の蕎麦店で、蕎麦とうどんの打ち方を教えていただいた。蕎麦の甘い香りに誘われて、マイそば包丁を鞄の中に入れて電車で通った。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月19日
コメント(0)
新しいドラマ「鹿男あをによし」が始まった。物語の主人公・小川(玉木宏)が“鹿化”していくという。神の使者・鹿がなぜ小川を選び話しかけたのか、堀田(多部未華子)が小川に反抗的な態度をとる理由など、さまざまな謎がちりばめられている。春日大社が鹿島神宮から鹿に乗ってやってきた武甕槌神(たてみかづちのかみ)を祀ってあることなども出てきた。まさに鹿の国からのお話。鹿島神宮の鹿園(写真は昨年夏)には 神護景雲元年(西暦767年)に、藤原氏は氏神である鹿島の大神の御分霊を奈良にお迎えして春日神社を創建しましたが、そのとき、御分霊を神鹿の背に乗せ、多くの鹿を連れて一年がかりで奈良まで行きました。その時の鹿の足跡が、東京都江戸川区の鹿骨をはじめとして、東海道を三重県の名張まで続いて残っています。…(略)」 と書かれてい.る。 江戸川区内には鹿骨(シシボネ)や鹿骨街道、鹿本、鹿見塚神社など鹿という字がつく場所が何ヶ所もある。 「夜のピクニック」の映画のヒロイン、多部未華子さんも出ている。つい見てしまった。「夜のピクニック」の映画に出てた、 貫地谷しほりさんは、「ちりとてちん」「風林火山」、 多部未華子さんも「山田太郎ものがたり」や映画「西遊記」、 加藤ローサさんは「女帝」や映画「スマイル 聖夜の奇跡」、 西原亜希さんは「花より男子」「花嫁とパパ」、 石田竜也くんも映画「キトキト」「リアル鬼ごっこ」柄本佑くんは「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」「風林火山」映画「子宮の記憶 ここにあなたがいる」などで皆がんばってる。時々友達と行く、貫地谷しほりさんのお母さんのお店には娘さんのポスターが貼ってある。しかし、薬が増えてしばらくの間(半年ほど)お酒が飲めなくなってしまった。ちょっと残念。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月17日
コメント(2)
今日は、NPO法人大洗海の大学のご紹介です。大洗の豊かな自然の中で体験を通じて、次世代に残していかなければならない自然を大切にする気持ちを育むこと。さらに海の文化の伝承と、まちづくりも「大洗海の大学」の使命です。おかしらのご挨拶海の大学は「浜、風、波、渚、川、緑、釣」の文字を冠に取った7学部があります。この学部の下には、さらにユニークな学科を用意し、遊び心たっぷりな大学を運営しています。講座一覧人気講座には、サーフィン教室ハゼ釣り教室貝あわせ干ものつくり教室海賊染め教室カヌー教室などがあります。中高年の人で、サーフィンをはじめる人が増えているそうです。キャンパスは海だけでなく、カヌー教室では、涸沼にも出ます。カヌー教室は、興味あります。朝日をあびる水族館、アクアワールド。水族館ナイト探検では昼間の水族館と夜間の水族館の両方が体験できます。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月16日
コメント(0)
全国高校サッカー選手権で流通経済大付属柏高校、優勝!おめでとうございます。一人一人が玉際に強かったですね。早いプレスと、ゴール前にスペースをつくりだす攻撃。そして大前選手をはじめとする決定力。勝とうという執念が最後のプレーまで見えました。今年の経験を後輩に伝えていってほしいと思います。流通経済大柏の本田監督のインタビューから・・・「何回も書いたりしゃべったりして繰り返してやることが、何か目標を達成するためにいいんだ」ということを、聞きかじりですが、練習の中に少しずつ入れてきました。2年ぐらい前から、自分にどういう目標があって、いつまでに何を終わらせるのか、そんなことをやってきました。子どもたちはたくさんいるので見切れませんでしたが、そんなことの成果かなと。確かではありませんが。例年になく試合前に強さを感じる。いつも「どうやったら勝つ、どうやったら負ける」というのを紙に書かせてみんなで見合わせるのですが、今日もそれをじっくり見ましたら、大丈夫そうだなという感じになりました。それと、今日は大観衆になる予測がついたので、試合の前にたくさん、シミュレーション的な話をしました。グラウンドに入っていって、いろんな人と握手をして、並んで写真を取る。そんなことを始めから終わりまでシミュレーションして、その際に集中力を欠かないようにと話しました。ただ厳しいだけではなく、選手に考えさせ、自主性をよく引き出しているなと思いました。優勝するというのはすばらいけれど、それは一緒に戦った相手がいてこそ。藤枝東の河井選手も最後までよくがんばっていました。前日の全日本大学サッカー選手権では早稲田が久しぶりの優勝!一時は、2部から東京都リーグにまで落ちていました。2004年から元清水エスパルスの大榎克己氏を監督に迎え、復活をかけて2部から1部に戻り、昨年は決勝に進みましたが、駒大に1-6の大敗を喫しました。今年、その経験が生きて勝ちたいという気持ちが強くなったと思います。川淵キャプテンや釜本氏をはじめとするOBの方々も喜ばれているでしょう。柏の二番街の垂れ幕このブログのアクセスカウンターが77777(ファイブセブン)アクセスを超えました。皆さん、ありがとうございます。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月14日
コメント(0)
仲間で手賀沼を3/4周、15キロ歩いて、温泉「満天の湯」に入ってきました。いざ出発。ずっと車が通らない道なのできもちいいです。途中から晴れてきましたが、風は強かったです。筒のような、丸太のような雲綿のような雲ユリカモメが集まって来ました。こんにちは。はじめまして。戻りは、向かい風で寒かったので、温泉が気持ちよかったです。露天風呂から見た青空がきれいでした。湯上りのビールも格別。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月13日
コメント(0)
NHKの大河ドラマ「篤姫」が始まりました。今回は、薩摩の国、鹿児島が舞台。江戸時代の農民について私たちが学校で習ったことは、一方的な見方のようです。例えば、幕府が五公五民などと言われる厳しい年貢を取りたて、農民を生かさず殺さず虐げていたというイメージもほんとうでしょうか?実際の年貢率は10%にも満たないのではないかという指摘があります。農民が年貢を算定する年の選び方について発言していること、それから百姓が平均額を算出する年をいつにするかについて意見を述べ、幕府がそれを認めているのです。租税は国家権力の中でも中枢に位置する大事なもの。そのありようについて、幕府が一方的に決定しているのではなく、百姓と幕府が協議しているのです。そして百姓も白い米を食べていたのです。幕府と農民との関係についてのこれまでの常識を根本的に考え直すべきかも知れません。貧しいといわれる農民のほうが中級武士より年収が多かったのです。また、江戸時代には飢饉がしばしば起こり、百姓一揆や打ちこわしがたびかさなり、封建社会の基礎は大きくゆらいだということも習いましたが、これらの飢饉は本当に天災だけが理由なのでしょうか?人災と思われる部分もあるのです。また、百姓たちのとめどない支出増加と、米価下落による家計バランスの崩れも飢饉の背景となっているようです。ご参考意外に、農民と幕府役人はちゃんと話し合っていろんなことを決めていました。百姓側から見れば、長い間行われてきた約束事を一方的に破棄された時や、百姓たちが大変な思いをして納めた米を、土の上にまき散らして恥じない蔵奉行の行為などに、その不当を訴えていたのです。百姓たちとの約束に基づいた理にかなったものであれば、年貢が二倍になっても一揆は起こさなかった事例もあります。一揆が農民の起こした無秩序な暴動というイメージとは違っています。農民の訴状に「江戸から検見にやってきた役人が、村は回るけれども稲の出来は見ないで、有力百姓の家で酒盛りをするだけ、宿泊費・酒代はすべて村持ちで、村を回るときはすべて駕籠という次第です」と書かれている例があり、当時の役人も現代の役人のように様々な腐敗を起こしていたのがわかります。やはり歴史教育は大事で、あるイメージを学習して大人になってしまうと、そこから出てくる考えや文化もそれを前提としてしまいます。私も、自分の国の歴史や実際のことをもっと知っておかないと・・・。去年、今の中学生の歴史の教科書を見せてもらう機会がありましたが、薄く大判になりまるでカタログか雑誌のようでした。あれだと、授業か副読本次第ですね。「篤姫」は、つくばみらい市の「ワープステーション江戸」でも撮影が行われました。ドラマに出てくる家老「調所家」の建物は、茨城の水海道にある「坂野家住宅」という農家の建物です。柏の冬の田園風景応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月10日
コメント(0)
NHKの教育テレビで「フォト五七五」という番組がある。「フォト五七五」とは、好きな写真を撮って、それに俳句や川柳のような五七五の文字を付けて楽しむ趣味のことだ。レギュラー・ゲストだけでなく試聴者からの投稿作品も紹介される。「フォト575倶楽部」という、フォト五七五の愛好者のためのコミュニティーの場もあり、愛好者同士の交流の場、作品作りのコツや疑問を解消していく学びの場、作品の発表の場となっている。私は、俳句は小学校以来作ったことがないが、写真付きということで何となく興味がわいてきた。隅田川。川面にも 雲をひとすじ はしけ舟くいに描かれた万年橋の浮世絵。江戸が見え 万年橋に ススキゆれ芭蕉庵史跡展望庭園にある芭蕉像。この方の 跡を旅する えんぴつで。この像は、芭蕉を直接知っている杉山杉風(さんぷう。1647-1732)が描いた絵をもとにしたものなので、実際の芭蕉をかなり正確に伝えているらしい。杉風は徳川家御用をつとめていた魚屋である。芭蕉の弟子であり、生活面でのスポンサーだったとのこと。延宝8年(1680)冬、当時桃青と号していた芭蕉は、日本橋小田原町からこの深川の地に移り住んだ。杉風所有の生簀の番小屋であったようだ。翌年春、門人李下の贈った芭蕉一株がよく繁茂して、やがて草庵の名となり、庵主自らの名ともなり、松尾芭蕉誕生となる。以後没年の元禄7年(1694)に至る15年間に、三次にわたる芭蕉庵が営まれたが、その位置はすべてこの近くであった。芭蕉没後、武家屋敷内に取り込まれて保存されたが、幕末から明治にかけて消失した。大正6年の大津波の後、常盤・町目から「芭蕉遺愛の石の蛙」が出土し、同10年に東京府は、この地を「芭蕉翁古池の跡」と指定した。俳句はいまひとつ、難しい。季語がないと川柳に。でも時々作って楽しもうと思う。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月07日
コメント(0)
正月のスポーツ目白押し。第86回全国高校サッカー選手権は、東京・国立競技場で準決勝が行われ、第1試合では全日本ユース王者の流通経済大柏(千葉)が、津工業(三重)を6-0と圧倒し、初の決勝進出を果たした。流通経済大柏のFW大前元紀選手は、ベスト4に残った夏のインターハイで6得点、優勝した秋の全日本ユース(高円宮杯)で8得点を挙げて、ともに大会得点王に輝いている。今大会では、準々決勝までの3試合で、初戦のPKによる1得点にとどまっていたが、この日の4得点で今大会の得点数を一気に5と伸ばし、得点王争いのトップに立った。横浜出身で中学では町田JFC所属なんですね。鹿島にほしかった選手だけど、卒業後はレイソルでもなくエスパルスへの入団がきまっているそうだ。第2試合では藤枝東(静岡)が1-0で高川学園(山口)を破り、34大会ぶりの決勝進出を決めた。藤枝東の10番河井選手はいい選手のようだ。14日の決勝で、復活した強豪、藤枝東と戦う流通経済大柏は、花園ラグビーの準々決勝で惜敗したラグビー部の分も合わせて、チャレンジャー精神でがんばってほしい!茨城もあの頃の古河一高、水戸商の公立コンビが復活してほしい。1975年水戸商が総体ベスト4。1976年古河一が総体準優勝1978年古河一が選手権大会で優勝。水戸商が総体ベスト4。1979年水戸商が選手権大会でベスト4。水戸商が総体優勝。1980年古河一が選手権大会で優勝。水戸商が総体ベスト4。1981年古河一が選手権大会でベスト4。1983年水戸商が総体準優勝千葉の市立船橋も強いですね。いつも参考にしているjubeさんのブログによると選手は、とにかく試合に勝つ為にどうするか考える→その精神と勝利への執着心が、選手をより成長させ、自分で考えるということを促進させるから。ということと、選手の要素として、(1)プロで通用するようなスペシャリストたる能力が有るか無いか。(2)基礎技術がしっかりしているか。(3)プロとしてやっていけるようなサッカーに対する姿勢を持っているか。ということが重要であるとのことです。同感です。特に、Jユース、ユースで上を目指す選手は今のうちにそれらを身につけてがんばってほしいです。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月06日
コメント(2)
大洗磯前神社の石段から見える海鹿嶋の父を見舞った日に、鹿島神宮も詣でてきました。本殿と樹齢1200年のご神木。神宮の鹿も元気です。父はグループホームの生活にも慣れ、部屋は日当たりも良く快適に過ごしているようです。介護保険は役に立っています。去年は私自身の国民健康保険も高額療養費制度で役に立ちました。これまでずっと払ってきて初めて、公的保険のありがたみを感じた年でした。しかし、介護保険をはじめとして、社会保険制度も、悪いところ、現実に合わないところは変えていく必要があります。ただし、教育制度と同じで、完全な制度など創りえません。現状でできるだけ良くしていくことが必要なこと。それはこの国に人が住み続ける限り、永遠に続きます。鹿島神宮は2667年続いていますが、この国の歴史はもっと長いです。そして、その過去より未来のほうが長いはず・・・ですよね。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月05日
コメント(0)
1976年頃放映されていたドラマ「俺たちの旅」より・・・津村浩介=カースケ(中村雅俊)の妹、みゆき(秋本圭子)は、カースケ上京後、“稲葉屋本店”という雑貨屋を営む伯母さん夫婦と一緒に生活していた。水戸の女子高を卒業後、地元の漁業組合で働きながら水戸の短大に通っていた。そのロケ地だった稲葉屋は今もあった。明治初期の建物で、実際は老舗の和菓子屋。その名物「反射炉のてっぽう玉」飴のもとになった反射炉(復元)。鉄製大砲を鋳造する溶鉱炉。沖に出没する外国船に備え、水戸藩第9代藩主斉昭の命で造られた。フラガールが撮影された、那珂湊駅現在の車両湊公園からの夕日と筑波山湊公園は、目の前に太平洋を望む高台にあり、2代藩主徳川光圀(黄門様)が建てた別荘「い賓閣」があり、歴代藩主もしばしば訪れ宴を催した。建物は明治維新の1865年(元治2)甲子の乱で焼失したが、光圀が明石より取り寄せた樹齢300年を越える黒松は今も見事な枝ぶり。元日の夕焼け。俺たちの旅も85年には「十年目の再会」、20年後の95年には「二十年目の選択」、2004年12月には「三十年目の運命」と続編がスペシャルドラマとして放送された。私たちの旅も道半ば、今年の正月は、久しぶりに穏やかに迎えられた。新たな1年もよろしくお願いします。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月04日
コメント(0)
明けましておめでとうございます。遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。今年の初日の出は、那珂湊の那珂川河口のところから見ました。水平線に少し雲がありましたが、晴れてきれいな朝日でした。雲の中から初日が出てきました。後光がまぶしい。那珂湊と大洗を結ぶ海門橋。昔「俺たちの旅」に出てきたカースケの故郷の橋です。夕暮れの風景がとても美しく、大正8年秋、当地を訪れた与謝野晶子の歌にも詠まれています。那珂川の海に入るなるいやはての海門橋の白き夕ぐれ 大海の波もとどろと来て鳴らす海門橋の橋ばしらかな 橋の途中にあるキラキラドリームベル。夢を思って、ベルを鳴らすとかなうと言われています。ヨットが海に出て行きました。橋を渡り、大洗磯前神社の神磯にも寄ってきました。アントラーズが天皇杯を獲得し、元旦からこれ以上のお年玉はありません。今日は、笠間稲荷に初詣に行ってきました。鳥居の前で偶然高校の同級生に会いました。高校ラグビーは、茗渓学園(茨城)が10対10で佐賀工(佐賀)と引き分けましたが、抽選で涙をのみました。 サッカーならPKがあるのに、選手は心残りかも知れませんね。応援クリック↑よろしくお願いします
2008年01月02日
コメント(0)
全20件 (20件中 1-20件目)
1