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となりのエフピー

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2008年01月10日
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カテゴリ: FP関連
NHKの大河ドラマ「 篤姫 」が始まりました。
今回は、薩摩の国、鹿児島が舞台。

江戸時代の農民について私たちが学校で習ったことは、一方的な見方のようです。

例えば、幕府が五公五民などと言われる厳しい年貢を取りたて、農民を生かさず殺さず虐げていたというイメージもほんとうでしょうか?

実際の年貢率は10%にも満たないのではないかという指摘 があります。

農民が年貢を算定する年の選び方について発言していること、それから百姓が平均額を算出する年をいつにするかについて意見を述べ、幕府がそれを認めているのです。
租税は国家権力の中でも中枢に位置する大事なもの。そのありようについて、幕府が一方的に決定しているのではなく、百姓と幕府が協議しているのです。
そして百姓も白い米を食べていたのです。
幕府と農民との関係についてのこれまでの常識を根本的に考え直すべきかも知れません。

貧しいといわれる農民のほうが中級武士より年収が多かったのです。

また、江戸時代には飢饉がしばしば起こり、百姓一揆や打ちこわしがたびかさなり、封建社会の基礎は大きくゆらいだということも習いましたが、
これらの飢饉は本当に天災だけが理由なのでしょうか?

人災と思われる部分もあるのです。
また、百姓たちのとめどない支出増加と、米価下落による家計バランスの崩れも飢饉の背景となっているようです。

ご参考

意外に、農民と幕府役人はちゃんと話し合っていろんなことを決めていました。
百姓側から見れば、長い間行われてきた約束事を一方的に破棄された時や、百姓たちが大変な思いをして納めた米を、土の上にまき散らして恥じない蔵奉行の行為などに、その不当を訴えていたのです。
百姓たちとの約束に基づいた理にかなったものであれば、年貢が二倍になっても一揆は起こさなかった事例もあります。
一揆が農民の起こした無秩序な暴動というイメージとは違っています。

農民の訴状に「江戸から検見にやってきた役人が、村は回るけれども稲の出来は見ないで、有力百姓の家で酒盛りをするだけ、宿泊費・酒代はすべて村持ちで、村を回るときはすべて駕籠という次第です」と書かれている例があり、当時の役人も現代の役人のように様々な腐敗を起こしていたのがわかります。

やはり歴史教育は大事で、あるイメージを学習して大人になってしまうと、そこから出てくる考えや文化もそれを前提としてしまいます。

私も、自分の国の歴史や実際のことをもっと知っておかないと・・・。
去年、今の中学生の歴史の教科書を見せてもらう機会がありましたが、薄く大判になりまるでカタログか雑誌のようでした。
あれだと、授業か副読本次第ですね。

「篤姫」は、つくばみらい市の「 ワープステーション江戸 」でも 撮影 が行われました。
ドラマに出てくる家老「調所家」の建物は、茨城の水海道にある「 坂野家住宅 」という農家の建物です。


柏の冬の田園風景
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最終更新日  2008年01月12日 21時43分14秒
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