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新春恒例の萬斎さん狂言観劇。彼の狂言を見始めたのが、ちょうど前回の申年だから......もう12年になりますかね。1度だけ卯年は都合で見られませんでした。ということは、12回目の萬斎新春狂言ということですね。暫くは、この新春と夏の狂言会と年に2回観ていましたが、ここ数年は新春のみ。(だって去年狂言会のチケット代がS席¥10,000になったんですもの!客足が遠のいたのか、今年はまたS席¥7,000に戻ってました)何はともあれ、新春は萬斎の謡初「雪山」を聴かないとお正月という気分になれない身体になってしまいました番 組謡初 「雪山」 野村萬斎 他レクチャートーク 野村萬斎「文荷(ふみにない)」太郎冠者 野村万作 主 竹山悠樹次郎冠者 石田幸雄素囃子「神舞(かみまい)」「猿聟(さるむこ)」聟猿 野村萬斎舅猿 深田博治太郎冠者猿 月崎晴夫姫猿 高野和憲供猿 中村修一供猿 内藤 連供猿 飯田 豪今年は萬斎さん含め5人での連吟。少し声が掠れている人が混ざっている気がして、それならば、萬斎さんの低く渋めのお声の独吟で「雪山」を堪能したかったかも。レクチャートークは、相変わらずの飛ばしっぷりで楽しゅうございました。萬斎さんはわざと?つっかえたり、ゆっくり語りかけたり、内容もユーモア溢れていて、番組内容がよく分かりましたね。特に最初の番組「文荷」について、けっこうきわどいことも言われていました。この狂言は、主人がパーティ(萬斎さん談)で出会った稚児から、「今晩のパーティにも来てね」というメールというか手紙が来て、その返事を太郎冠者と次郎冠者に届けさせようとするが……というものだそう。萬斎さん曰く、「これははっきり言うと、ロリータホモセクシャルということですね」と、そんなはっきりとおっしゃってからに。さらに続けて、現代では女の人が女性アイドルをかわいいと好きになることはあっても、男の人が男性アイドルのファンになるということは、あまりないのではないか。しかし昔はそういうことがあった。能の創始者、世阿弥には足利義満というパトロンがいた。彼は当時の将軍である。今の首相にそういうのは…ありませんよねって、まあ、ないでしょうね?(笑)そう考えてみれば、今と比べて昔(明治以前)は性に関しておおらかでしたね。稚児とか若衆とかいましたもんね。もちろん今も同性愛は存在するわけですが、どこか「異端」という目で見られていませんか。萬斎さん、素囃子と「猿聟」についてもレクチャーして退場。そして「文荷」萬斎さんのレクチャー通り(笑)、主に頼まれた文を、太郎冠者も次郎冠者も、主の奥方の怒りを買いそうだと拒否。主が怒り、刀に手をかけたものだから、二人とも大慌てで「文を届ける」と言う。本来なら一人で事足りるのだけれど、次郎冠者に相手の稚児の家の場所を覚えさせるために太郎冠者と同行させるとか。芸が細かい(笑)お互い、稚児への文(主からのラブレター)を持つのを嫌がり、少し歩いては相手に押し付けていたが、それならと棒にくくりつけ、二人で担ぐことにした。それでも重く感じるのは「恋重荷」だからだと言う。能の「恋重荷」のパロディらしく、その一説をうたいながら運ぶ途中で我慢できなくなり、とうとうその文を開いて読み始めた。さんざんこき下ろしながら引っ張り合ううちに、文が破れてしまい、慌てるも、仕方がないと扇で飛ばしているうち、主がやってきて、その光景を見てしまう。怒る主に対して、太郎冠者と次郎冠者は、破れた手紙をたたんで「お返事にございます」と渡そうとする。それは無茶だ(笑)最後はお決まりの「やるまいぞやるまいぞ」で退場。万作さんの太郎冠者、独特のとぼけた感じがでていました。休憩をはさんで素囃子「神舞」笛の艶やかな音色で始まる「神舞」舞台には、緋毛氈をひいた床几と、その両側に桜の木があり、幻想的でした。緋毛氈の上で見えない何者かが激しく舞っているような気がしました。「猿聟」12年前の申年に見た番組は「靭猿」でした。今回は「猿聟」この「猿聟」、ほんとに申年にふさわしい猿づくしでした。まず登場人(猿?)物が全員猿。太郎冠者も猿。なにより主なセリフ以外は全部「きゃあきゃあきゃあ」と、猿の鳴き声を模しているのです。さらに全員猿の面をつけているのですから。(しかしあの面をつけると視界が狭まりますね)聟猿の登場シーンも、橋掛かりからピョコンと顔を出して、愛嬌のあるお猿さんぶり。頭や体をかくしぐさをしたりと、まさにお猿さんのお猿さんによるお猿さんための狂言。聟猿と舅猿が酒宴の席で舞を披露するシーンも、人というより、動物園でオリの中のお猿さんを見ているよう。しかし面をつけたままでのあの舞はすごいなの一言。盃を回すときの供猿たちのやりとりも、それぞれの個性が出ていて面白かった。(まるでアドリブのような感じだったんですけど、あれは決まった演技なんでしょうか)申年の新春は、恒例の「雪山」以外に、猿づくしの「猿聟」で大満足なのでした。
2016/01/27
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ほんとうに久しぶりの染五郎さんです。ドラマ「ブランド」で染五郎さんにはまった当時は、大阪松竹座と京都南座に通ったものでした。たまに新橋演舞場にも行きましたよ。しばらく足が遠のいていたのですが、先月シネマ歌舞伎を見に、神戸国際松竹に行ったとき、ふと目に入ったのが「阿弖流為」のちらし。日付を見ると、公演は10月。すぐチケットを手配しました。そして今日、染五郎さんの阿弖流為に会いに、大阪松竹座へ。座席にはちらしとリストバンドが。なになに…このリストバンドを二幕目が始まるまでに腕に巻いておくとな。そしてお芝居のエンディングで自然に光り始めたリストバンドを巻いた腕を上げ、揺らすとな。なお一連の動作で「蝦夷の星空を作る」のだそうです。客席をも巻き込む大掛かりな演出に、否が応でも期待は高まるのです。そして開演。暗い中を男たちが赤い提灯を持って立っています。一転、舞台が明るくなると、鮮やかな都の街並みに上手と下手に桜並木。民衆が舞いはじめ、『ああ、やはり歌舞伎の舞台は艶やかで素晴らしい』としみじみ。【ストーリー】都では「蝦夷」を名乗る盗賊が町を荒らしまわっていた。実は彼らは偽の蝦夷であった。蝦夷の評判を落とすために盗賊をしているのだった。彼らに歯向かう立烏帽子の女、鈴鹿と、彼女の前に現れた男、阿弖流為 。実は彼らは蝦夷の民であり、深く愛し合った仲だった。禁を犯して神の山に迷い込んだ鈴鹿を、神の使いが襲い、彼女を救うために阿弖流為は神の使いを殺した。そして二人は神の怒りにふれ、蝦夷の地を追放されたのであった。再び巡り合った恋人たちは、都の軍勢に攻め落とされようとしている彼らのふるさと蝦夷の地を守るべく、故郷に向かう。同じ頃、都の征夷大将軍、坂上田村麻呂も蝦夷の地を目指していた。心根が清らかな坂上田村麻呂と鈴鹿と阿弖流為。三人の運命は? 阿弖流為 予告息もつかせぬほどの迫力ある舞台でした。染五郎さんが恐ろしくかっこいいのは当然のことですが、目を奪われたのは坂上田村麻呂役の中村勘九郎丈。最初まったく気づかなくて、『誰この俳優、うまいなー。歌舞伎役者?俳優?』なーんて考えていました。ごめんなさい。大見え切ったり、天地眼をしたりしているんだから歌舞伎役者ですよね~。表情がよかったです。爽やかでまっすぐな性格の坂上田村麻呂を好演していました。日本がまだ一つに統一されていなかった頃のお話で、朝廷側の言い分と蝦夷側の言い分。どちらもわかる…と言いたいところですが、なにやら現代と重なるところが。朝廷側の右大臣藤原稀継は、隣の大国が日本を狙っているのだから、日本が分裂している場合ではない、統一されなければならないと。確かに日本国内でいがみ合って戦をしていては、隣国が攻め入ってきたときに不利です。しかし日本の中にいくつかの国が存在し、それぞれ独立しながらも、協力関係があったならばどうでしょう。もしかすると一つに統一している国よりも強いかもしれません。多様性のある国が強さも柔軟さも兼ね備えているのではないでしょうか。と、日本のあるべき姿についても考えさせられた歌舞伎「阿弖流為」…すばらしい。ラストのねぶたがにぎやかで、それでいて物悲しさを感じました。もう一度見たい!と思わせる舞台でした。染五郎さん、お疲れさま!
2015/10/13
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今年の「万作 萬斎 新春狂言界2010」は、いつもより弾んだ気持ちで見に行きました。というのは、座席が今までで一番よかったから!これ、ほんとに今まで見た演劇・コンサート全部入れても、こんなに良くなかったなぁ~。市川染五郎さんの公式ファンクラブ「その字組」でとったチケはいつもよかったけど、前から3列目とか、5列目花道横とかだったよな~。もちろんそんな席もすごくいいんだけどね。花道横なんか、すっぽんから染五郎さんが出てくる時、至近距離で目があっちゃったもん。恥ずかしすぎて顔を背けたけど、私。←そんな時は精神的に弱い私。(笑)あ、ヤン・ジヌくんのファンミでは1列目というのがあったけど、かなり右手だったので、司会者さんの背中を見ていたというか…。(汗)で、今回はなんと1列目ほぼセンターでございましたっ!これヤバいよね~と思いつつ着席。うわ、舞台に手が届きそう。ドキドキしつつ開演を待っていました。今回の番組は、見たことのないものばかりだったので、楽しみでした。番 組独吟 「雪山」 野村萬斎レクチャートーク 野村萬斎「墨塗」大名 野村万之介太郎冠者 破石晋昭女 石田幸雄素囃子 「神楽」「歌仙」柿本人丸 野村万作僧正遍昭 野村萬斎参詣人 竹山悠樹在原業平 深田博治小野小町 高野和憲猿丸太夫 月崎晴夫清原元輔 石田幸雄今回の「雪山」は萬斎さんの独吟でした。昨年の2009年は舞、2008年は連吟、2007年は番組「樋の酒」の中で謡い、2006年は万作さんの独吟、2005年は連吟、2004年は萬斎さんの独吟。そうか、萬斎さんの独吟は2004年以来だったのね~。来年はどんな趣向の「雪山」を聴かせてくれるのでしょうか。楽しみです。新春狂言なので、毎年干支にちなんだ番組を入れているのですが、レクチャートークでその説明はナシ。今年は干支の番組がありませんでした。私は2004年申年から見ているのですが、もう干支が一巡しちゃったのでしょうか。いつもどおり萬斎さんのレクチャートークは面白く、ユーモアに溢れています。今回の「歌仙」は関西で演じるのは珍しいらしく、演者が7人もいるし、それぞれの衣装もいつもと違い凝っているので、なかなか見ごたえがあるらしいです。しかもお正月らしく百人一首に出てくる有名な歌仙たちが登場し歌を詠むという内容なので、トークを聞くうちにとても楽しみになってきました。可笑しかったのは、この歌仙たちがお互いにテーマを決めて歌を詠みあうのですが、そのテーマが少々「H」らしく、萬斎さんが何度も「エッチ」と連呼するので会場にクスクスという笑いが…。気がつかなければスルーするようなテーマだけれど、わかるとエッチなんだそう。(笑)「墨塗」は、京都で訴訟関係に携わっていた大名が、晴れて国元に帰ることができるようになります。この大名、京で懇意になった女がいたのですが、京を離れるので暇乞いを告げにやってきます。もともと連絡も途絶えがちだったのですが、いざ別れを告げるとなると、大名は二の足を踏みます。なんとか太郎冠者に言わせようとするのですが、できず、自分で女に別れを告げると、女は悲しいとさめざめと泣きます。その様子を見てどうしようかと大名が困っていると、太郎冠者は女の行動に不審なところを見つけ…。これ、オチまで書いてしまったら、これから見る人に悪いので、最後まで書きません。(笑)私は最初気がつかなかったのですが、女の顔にある変化が起きているのをみてビックリしました。ここまでやるんだ狂言!(笑)単純な笑いですが、なかなか面白かったです。休憩をはさんで、素囃子「神楽」これもレクチャートークのときに、萬斎さんがいろいろと説明してくれたので、囃子の感じがよくわかって良かったです。この神楽というのは、有名な天岩戸伝説に基づいているとか。(この伝説についてくわしく知りたい方はこちらをクリック)伝説に登場するアメノウズメが日本の芸能のルーツだと、芸大で芸能史の時間に習ったとトークで萬斎さんが言ってました。(笑)神楽はこの天岩戸伝説を囃子で表現しているそうです。この説明があったので、神楽を聴いていると、「ここがアマテラスが岩戸に隠れて闇になったときだろうな」とか「ここがアメノウズメが踊っているところだろうな」とか想像しやすく、とても興味深く楽しむことができました。ちなみにアメノウズメはほとんど裸で踊っていたらしく、萬斎さんいわく「ストリップ」だって。萬斎さん、今年はエロティックなレクチャートークでしたねっ!(笑)「歌仙」和歌を嗜んでいる男が和歌の神を祭っている和歌山の玉津神社に参詣します。そして絵馬を奉納し、和歌上達を願って「力紙」を絵馬に投げます。この力紙とは、例えば病気治癒を願う参詣人などが、紙を自分の口の中で噛み、それを仏像に投げるという風習だそうで、自分の病気の場所に投げると治るといわれているとか。今回は和歌上達を願って、自分が奉納した絵馬に力紙を投げたようです。すると絵馬の様子が変わってきます。絵馬に描かれていた歌仙たちが出てきて、驚いた参詣人が隠れてその様子を見守ります。萬斎さんのトークでは、今なら3Dや特殊な映像で、絵馬の中から歌仙たちが出てくる様子を表現することができるけれど、狂言はアナログなので、その様子は笛の音で表現していますとのこと。確かにその場面になると笛の音が鳴り響きました。そこで観客の「なるほど」とでもいうようなざわめきがありました。(笑)会場が能楽堂ではなく、普通のホールなので鏡板がなく、歌仙登場の場面はより自由に表現できていたようです。舞台の後ろに2枚の絵馬の形をした布をうえからつり、笛の音が響くとライトが後ろから射します。すると絵馬の中に、6人の歌仙の影が映ります。しばらくすると6人の歌仙たちが絵馬の布の後ろから舞台の中央に出てきます。このような斬新な演出があり、いよいよメインの歌仙登場。小野小町はおたふくのような面をつけていました。萬斎さんが説明していたエッチな内容がテーマの歌合わせがはじまります。う~ん、そういわれてみればそうなのかな。うん、エッチといえばエッチ?紅一点の小野小町をめぐって、5人の男達が恋のさやあてをはじめ、上を下への大騒ぎに発展し…。1番前の座席って、演じている人と目が合うし、棒切れ(けんかをはじめた歌仙たちが出して戦っていた)がぶつかるたびにホコリが舞うのが見えるんですよ。演者が舞台の前ぎりぎりまでやってきたときなんて、ぶつかりそうな気までして。ものすごく迫力がありました。テーマパークのアトラクションみたい?(笑)ただ万作さんの息の荒さが気になりましたけど。大丈夫かな~って気になって気になって。だいぶお疲れだったのでは?萬斎さんと目が合った(ような気がしたとき)は、思わずカン見してしまいました。(笑)大満足の新春狂言。さて来年はどんな番組を楽しめるのでしょうか?(あ、鬼が笑う?)
2010/01/29
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恒例の「野村万作 萬斎狂言会」に行ってきました。1月の新春狂言会と7月の狂言会は、ここ数年ほぼ毎年欠かすことなく見ています。新しい番組を見るのも楽しみですが、なにより万作さんの円熟した芸と萬斎さんの躍動感溢れる芸を楽しむ事も大きな目的の1つです。さて今回の番組は、「合柿(あわせがき)」柿売り 野村万作所の者 石田幸雄立衆 深田博治立衆 竹山悠樹立衆 高野和憲立衆 月崎晴夫小舞「八島」 舞 野村萬斎 ほか連吟芸話野村万作「素襖落(すおうおとし)」太郎冠者 野村萬斎主 高野和憲伯父 野村万之介後見 深田博治今回特筆すべきは、急遽プログラムに入れられた小舞「八島」でしょうか。番組表にも書かれていなかったのですが、会場の大阪・大槻能楽堂に行くと、休憩の後に萬斎さんの小舞が追加されたと張り紙がありました。わ、ラッキー!萬斎さんの舞って大好きなんです。所作がきびきびしていて、目に美しいんですよね。小舞を楽しみにしながら、座席につきました。今回は珍しく橋掛り真横の席でした。いわゆる花道真横という感じでしょうか。演者が舞台に立つと正面からははずれるのですが、橋掛りを出ていたときは顔のしわまで見えてしまう距離でした。だから萬斎さんが揚げ幕から出てきて、橋掛りを歩いている時は、穴が開くほど萬斎さんの御顔を拝見してしまいました。(いわゆるガン見ですね。笑)まず万作さんの「合柿」万作さん演じる柿売りに、市場の見物をしていた男達が声をかけます。売り物の柿は渋そうだけれど、甘ければ買おうというので、柿売りは彼らに売り物の柿を味見させます。しかしどの柿も渋く、男達はこんなに渋い柿は買えないといいます。柿売りは、そんなことはない絶対に甘いはずだと言い張り、男達は柿売り自身に味見をさせます。選び選び柿を手に取り、柿売りは柿にかじりつきますが・・・。さんざん男達にからかわれた後、1人になった柿売りが柿本人麿の「取り残されし木まもりの、古の人丸は、柿の本に住みながら、歌を案じてそらうそを吹かせ給ひしたとえあり」と謡います。この場面が物悲しく、柿売りの哀れさが出ていて、胸が詰まりました。後の芸談で万作さんがこの「合柿」について話をされていましたが、柿が甘かったのか渋かったのか、実際のところはわからず、観客が判断すればよいと言われていました。私は最初から渋柿なんだろうなと思いつつ見ていたのですが、最後の人麿の歌の場面を見ると、柿売りが哀れで、彼は最初から渋柿だと認識していなかったのではないかと思い始めました。20分の休憩の後は、お待ちかねの小舞「八島」この舞についての知識は全く無かったのですが、見ているとどうやら戦記物のようでした。調べてみると、八島は屋島のことで、源平合戦のお話だとか。ええ、ええ、それはわかりましたよ。勇壮な舞でございました。拍子を踏んだり、跳び返りのときなどは、もう私の魂が抜け出てしまいそうになるほどの萬斎さんの凛としたお姿。久しぶりに心がキリリと引き締まるほど鮮烈な舞を拝見することができました。相変わらず萬斎さんは素敵過ぎます。次は万作さんの芸話。狂言の始まりと終わりについて、面白おかしく語ってくれました。揚げ幕をあげる係りにも上下があり、舞台から見て右手の方が位が上の人が担当するとか。そこは観客から見える場所なので紋付を着るけれど、左側は見えないので、たまにラフな格好をしている・・・と本当とも嘘ともつかないような話をされ、観客の笑いを誘っていました。最後の番組は「素襖落」萬斎さんが太郎冠者を演じます。先ほどの小舞のきりりとした表情はどこへやら、すっとぼけた表情の太郎冠者に早代わり。いいかげんでお酒好きで、おっちょこちょいの太郎冠者を好演していました。伊勢参りを思い立った主が、かねてから約束をしていた伯父も誘おうと、太郎冠者を使者に遣わします。急な事で伯父は行く事ができないのですが、使者である太郎冠者の労をねぎらい酒を振舞い、餞別に素襖まで渡してやります。太郎冠者はすっかり酒に酔い、千鳥足で主のところに帰宅。酔っているので、素襖を落としてしまいます。それを主が拾いますが、太郎冠者が自分のものだから返してくれといっても返さず、退場します。何より見所だと感じたのは、酔っ払った太郎冠者の動き。酒の飲み方は言うに及ばず、酩酊振りがなかなか良かったです。最近はすっかり韓流漬けのワタクシですが、久しぶりに日本に戻ってきたような感じがしました。小舞の連吟も心地よく、舞の美しさも見ていて心が浮き立ちました。萬斎さんの舞は、東方神起のダンスに匹敵するほどエキサイティングでございました!
2009/07/22
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新型インフルエンザの影響で、もしかしたら公演が中止になるのでは?と危惧していましたが、大丈夫でした。でも往復の電車の中ではもちろんのこと、劇場でもマスクをして、劇場の入り口やトイレにおいてあったアルコール消毒液でしっかり除菌。上演中もセキをしている人はほとんどいませんでした。どうかうつっていませんように。さて1年ぶりの美輪さんのお芝居。今回は初めて見る「毛皮のマリー」です。今までは「黒蜥蜴」「卒塔婆小町」などの三島モノから「双頭の鷲」の洋物でしたが、今回の「毛皮のマリー」は寺山修司の作品です。寺山の作品は、「草迷宮」という泉鏡花原作の映画化作品を見たり、青森県三沢市にある寺山修司記念館にも行ったりした程度です。彼の世界観とはどんなものだろう?と思いつつ、予備知識ナシの観劇となりました。お芝居は二幕からなっていました。男娼のマリーの家には、数人の下男とマリーの一人息子、欣也が住んでいます。毎夜のように客を連れてくるマリーと、部屋から出ず、趣味の昆虫採集に没頭する欣也。美しい毛皮のマリーとは対照的に、醜女のマリーと呼ばれてる下男。そして上の部屋に住んでいる美少女、紋白。一幕は、彼らの思惑と独白などにより成り立っており、特に醜女マリーである下男の妄想シーンは、俗悪なまでの淫靡な世界を繰り広げていました。さきほどまで執事のように仕事をこなしていた下男が、しどけなくドレスを身にまとい、女言葉で毒を吐きます。彼の妄想の中に多くの美女たち(女装をした男性)が現れます。白雪姫だったり、小野小町だったり、八百屋お七だったり。一瞬で彼らが前あてをつけただけの、全裸に近い姿になり、ラインダンスをしたり、悩ましいポーズをして踊ったり。目のやり場に困ったりして。(笑)そう一幕は徹底的に俗の世界を繰り広げているようでした。その俗の世界の中心にいるのは毛皮のマリー。彼は今でいう性同一障がいのように感じられました。でも寺山が書いた時は、世間でそういう概念がなかったんですよね。そして休憩のあとの二幕。逞しい体の水夫をモデルにして、絵を描いているマリー。デッサンが終わると、お抱えの鶏姦詩人に自分をたたえる詩を朗読させます。この朗読シーンが好きでした。マリーは水夫と体を重ねていて、その間自分の肌を磨くような感覚で、詩人に詩を詠ませるのです。事が終わり、水夫とシャンパンを飲みながら談笑をはじめたマリーですが、しだいに自分の身の上話をし始めるのです。自分の悲しい過去と一人息子欣也の出生の秘密。マリーの話を盗み聞きしてしまった欣也は衝撃を受け、今まで出たことのなかった外の世界へと足を踏み出します。そして・・・。一幕から一転して、二幕は聖の世界を表現していると感じました。一見俗悪に見えるマリーの生活も、彼の身の上話を聞くと、輝きを放ち始めます。復讐の対象である欣也への気持ちを吐露するのですが、それが真実かどうかは、マリーの今までの欣也への対応を見ていればわかること。そう特に人の母親である私には、マリーの気持ちが痛いほどわかりました。血のつながりだけがすべてではなく、それだけが無償の愛ではないということ。憎しみを超えて、無償の愛を与え続けるマリーは、決して俗にまみれた男娼ではなく、神々しい聖母マリアなのです。性もを超越し、人として一人息子に愛を注ぐマリー。俗と毒にまみれたこの世界に目くらましをされ、本当の聖=愛を見失ってはいけないと教えられた舞台でした。
2009/05/21
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行ってまいりました、「グリーンフィンガーズ」当日を迎えるまで、何らかの事故や急用があって見にいけないような事態にならないように、祈っておりました。そして当日も、自分が乗った電車が事故で遅れないか、観劇前に食べた昼食でお腹をこわさないか・・・ありとあらゆる災難を想像して、ドキドキしていたオバカな私です。ま、ちゃんと見ることができましたけどね。(笑)先のケータイ更新日記にも書きましたが、相葉ちゃんは天使の美しさでございました。はい、彼の背中に羽が見えましたわよ。彼の一挙手一投足を見逃さないように神経を集中させていたのですが、それはもう芸術品のような美しさでした。相葉ちゃんについては後でめいっぱいお話しするとして、まずはお芝居そのものについての感想を。ストーリーは、堀も鉄条網もない開放型刑務所エッジヒルに一人の孤独な青年コリンが移送されてきたところから始まります。何事にも関心を示さず、一人で過ごすことが多いコリンに、ルームメイトの老囚人ファーガスは、何かと世話を焼きます。病気療養のため部屋をあけていたファーガスは、自分のいない間に、コリンが自分の世話している植物に水をやってくれていたことを知り、クリスマスの日、コリンにお礼の気持ちでスミレの種を渡します。最初は嫌がっていたコリンでしたが、無造作にばらまいた種が翌春美しい花を咲かせたことを知り、少しずつガーデニングに興味を示します。それを知った刑務所長は、コリンの他数名の囚人達に更生プログラムの一環として、刑務所内でガーデニングを命じます。花を育てるうちに、彼らは打ち解けはじめるのですが・・・。以下ネタバレありです。明日の千秋楽に行く方、ネタバレが嫌な方はご覧になられないように注意してくださいね。ストーリーは実話を基にしているそうですが、なんとも起伏が無くて面白みに欠けていました。原因は脚本?演出?それとも役者?う~ん、どれも当てはまるかもしれませんね。相葉ちゃんがパンフに書いていますけど、場面転換が早くて1シーンが短すぎますね。こんなにパッパと場面が変わるのなら、不必要なシーンもあるんじゃないかと思えてきます。登場人物の気持ちもつかめないまま、やたら場面が変わっていきます。私は彼らの心の動きをじっくりと見たかったですね。強盗や殺人という罪を犯した男達が、どのように罪の意識を感じているのか、どのように自分自身を更生させたいと思っているのか、それをガーデニングを通してどのように消化させようとしているのか、もっと感じたかったです。あれよあれよと言う間にガーデニングが始まり、すっかり善良になった囚人達を見ても、あまり感動しませんでした。もっと苦しんだはずなのに。それはコリンも同じです。最愛の弟を殺してしまったという罪の意識に苛まされている彼が、ダブルバイオレット(スミレ)の花が咲いているのを知り、ガーデニングに更生の道を見つけるのですが、なぜコリンが急にスミレを愛おしく思ったのか、彼の心の動きがよくわかりませんでした。彼のどこが天才庭師なのかも、よくわからなかったし。伏線が少ない脚本だという印象を受けましたね。コリンがファーガスに、自分の罪を告白する場面も、相葉ちゃんが本物の涙を流していて熱演していたのですが、イマイチ弟殺しの苦悩が伝わってこなかったです。というのも、自分のガールフレンドが、自分以外の男とベッドの中にいたため、逆上して相手の男を殴り続けたら、男はぐったりしてしまった、それが弟だったという話なのですが、ガールフレンドに対してのコメントが無いんです。弟を殺してしまったショックもさることながら、弟が彼女を寝取ったという事実に対しての苦悩や、彼女が自分を裏切ったことに対する憎しみの感情が感じられないんです。ただ自分が最愛の弟を殺してしまったという事実にのみ捕らわれているような印象を受けました。殺人に対してもですが、きっと男女間のもつれに対するモヤモヤも抱えたまま生きてきたはず。それをもっと出してくれれば、コリンの屈折した年月が感じられたのにと残念でした。流石にファーガス役の平幹二朗さんは名役者でした。セリフはささやく場面でもクリアに聞こえましたし、凶悪な殺人者としての過去も感じさせつつ、コリンに気を配るファーガスをきちんと演じていました。ただいつのも重厚な役でもストーリーでもなかったので、最初は拍子抜けしましたけどね。(笑)コリンとプリムローズの恋愛も、『いつ好きになったの?』と首をかしげるばかりで、主人公に感情移入できなかったですね。黄色いバラを彼女に渡して別れてしまったのに、いとも簡単にヨリが戻ってしまったし。フラワーショウに出す庭園も、ワイルドフラワーや香りを感じる庭がテーマなら、いっそのこと会場に香りを感じさせる工夫をすれば、観客が庭園にいるというイメージを抱きやすかったのでは?お話の展開が早くて、ストーリーを表面的になぞるだけの舞台になってしまったようで、とても残念です。罪を犯した人間の罪の意識については、今私が観ている韓ドラ「インスンはきれいだ」がとても丁寧に描いていて、秀作だな~と思っているのですが、同じようなテーマだっただけに、「グリーンフィンガーズ」はもうちょっと囚人たちの更生に至るまでの心の動き、罪の意識をきちんと描いて欲しかったです。ラストシーンも、まだ続きがあるとばかり思っていたら、あっさり終わってしまって肩透かし状態でした。でも・・・ここからは相葉ちゃんファンとしての壊れた感想になりますが・・・・。演技はそれほど評価しませんが(ごめん、相葉ちゃん)天使的清らかさの存在感はピカイチでございました。彼が舞台に出てくるだけで、そこがふわっと明るくなるような・・・。ええ、ええ、見えましたとも。相葉ちゃんの背中には天使の羽が生えていました。あの透き通るような、それでいて太陽の色をした微笑に癒されないわけにはまいりません。ファーガスの好意を無視してベッドに横になるコリン、いや相葉ちゃんの体のラインの美しいこと!まさに芸術品でございました。小さな頭から首、わき腹、腰、足に至るラインや、うつぶせになったときの頭から首、背中から腰、臀部、足に流れるラインの美しさは、もう言葉を失ってしまうほど。やはり彼はアイドルなんですね。存在するだけで光を放つという。あ~、相葉ちゃんのお父さん、お母さん、相葉ちゃんを産み育ててくれてありがとう!この世に彼という存在を生み出してくれてありがとう!といいたい心境です。いいの、いいの、相葉ちゃんはそこにそうして生きていてくれるだけで充分なのよ~としみじみ感じてしまいました。そうそう、今回の舞台でもう1つ良かったと感じたのは、大沼遼平クンという役者さんを見つけたこと。無口なヒルツ役がよく似合っていて、とてもキュートでした。どことなく「コーヒープリンス1号店」のユン・ウネに似ています。(笑)スタンディングオベーションのとき、音楽に合わせてリズムを取っていたり、観客に向かってピースをしたり、手を振ったり、そんな仕草がとても可愛かったです。これからちょっと注目してみたい俳優さんです。これから後のお楽しみは、25日発売の国立DVDと、5月の美輪さんのお芝居と、7月の萬斎さんの狂言と・・・でしょうか。嵐の今年のコンサートもめちゃくちゃ楽しみですけど、一体いつになるんでしょうね。 パンフと絵葉書、そして落ちてきた葉っぱ
2009/03/21
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相葉ちゃんは天使でした!あまりの可愛さにただいま魂が抜けた状態です。〓舞台や脚本への辛口は後ほど。今は相葉天使に昇天させられてます。〓〓
2009/03/21
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毎年1月と7月、年に2回野村萬斎さんの狂言を見ていたのですが、昨年は夏の舞台を見逃してしまい、結局新春狂言しか見られませんでした。それでもやっぱり萬斎さんの新春狂言を見ないと、新年を迎えた気がしません。今年は1月22日に行ってきました。今年の干支は丑なので、今回も丑にちなんだ番組が組まれていました。1年ぶりの狂言ですが、なんだか馴染むというか、心地いい空間です。場所は生まれ変わったサンケイホールブリーゼ。昔のサンケイホールにも何度か通った事がありますが、新しくなったビルは白を貴重にしていて清潔感溢れる建物で、ホールの方は黒を基調にしていてモダンな雰囲気です。狂言用にしつらえた舞台も、いつものように門松もなく、黒をバックにシンプルな作り。能楽堂で見る狂言の方が好きですが、こういう斬新な舞台も面白いかも。番 組舞初 「雪山」 舞 野村萬斎 ほか連吟レクチャートーク 野村萬斎「筑紫奥」奏者 野村万作筑紫の奥の百姓 深田博治 丹波の国の百姓 野村万之介「木六駄」太郎冠者 野村萬斎主 高野和憲茶屋 石田幸雄伯父 野村万作もうおなじみになってしまった謡初の「雪山」今回は萬斎さんが1人舞い、謡は連吟で。毎年趣向を変えて楽しませてくれます。これまたおなじみのレクチャートークも、笑いを交えながら、これから演じられる狂言について萬斎さんがこなれた調子で語ります。これも「雪山」同様、楽しみの1つ。「筑紫奥」は、筑紫と丹波のお百姓が、都に年貢を納めにいくお話で、笑い声あふれるおめでたい番組です。丹波のお百姓が納めに行く年貢の中身は、特産品の柑類(かんきつ類)で、都のお役人に持ってきたかんきつ類の名前を読み上げます。また筑紫のお百姓が納める年貢の中身は、唐物(中国からの渡来品)で、金襴緞子、唐絵、沈香、紫檀などです。土地柄やその時代の社会の様子もわかり、なかなか興味深いです。「木六駄」は、今年の干支の丑にちなんだ番組です。太郎冠者が主に言いつけられ、12頭の牛に、薪や炭を積んでお歳暮として、都にいる主の伯父に届ける道中のお話です。太郎冠者が雪の中を、12頭の牛を追いながら歩いていくのですが、もちろん牛の姿も、雪もありません。目に見えない12頭の牛をどのようにして表現するかが、この番組の見所だとか。言う事をきかず、あっちにいったりこっちにいったりする牛を必死に追う太郎冠者が、なかなか面白いです。そういえば今年は素囃子がなかったんですね。好きなんですけど。お囃子の音色を聴くと、日本人の血が騒ぐ気がするんです。残念。申年の「靱猿」からはじまって、酉年は小舞「鵜之舞」、戌年は「犬山伏」、亥年は・・・なぜか「釣狐」(笑)、もしかして別の日に干支にちなんだ番組があったのかしら?子年は「水汲」で、これには動物のねずみは出てきませんが、ある“ねずみ”が出てきます。詳しくは以前の日記をご覧ください。今年の牛は「木六駄」で、来年のことを言うと鬼に笑われるかもしれないけれど、寅年の虎は、何の番組に出てくるんでしょうか。楽しみです。
2009/01/28
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「魔法の靴」というオペラを友人と観にいってきました。場所は兵庫県立芸術文化センター中ホールです。オペラといっても県民創作オペラというもので、かなり手作り感のある作品でした。友人に誘われたのは、出演者に昨年夏のコンサートでソロを歌っていたO先生がいらしたからなんです。ストーリーは、阪神・淡路大震災と「シンデレラ」をくっつけたような話で、蒙一工夫か必要かな?と思いました。というのは、第1幕は震災関連の話で、あとの2幕、3幕がまるっきり「シンデレラ」のまんまなんですよ。1幕の伏線が、まったく後のストーリーの中にいきてこないのは残念でした。まず第1幕が震災の瞬間~避難所での出来事なのですが、被災者の1人として震災の表現がかなりリアルに感じられました。あのメリメリという音は、アンサンブルで表現するだけでもよかったのでは。震災のリアルな音にかぶせて、アンサンブルの生演奏もあったのですが、チグハグな印象を受けました。生演奏だけでも充分です。かえってリアルな音を使ったら、あとの幕でのファンタジー部分が、異質になってしまいます。母と2人暮らしだったエラは、震災で母を亡くし、靴職人のマルコを助け出します。たった1人になってしまった悲しみを顔に出さず、気丈に振舞うエラを、マルコは気遣います。避難所暮らしで体調を崩したマルコは、こっそりと仕事場に戻り、エラのために真心をこめて1足の靴を仕上げます。美しく輝く靴をエラに渡し、彼女の幸せを願ってマルコは息を引き取ります。ここで1幕はおしまい。避難所に温かいコーンスープを持ってきて被災者に振舞う青年は、じつはこの国の王子で、優しいエラに出会い、心を動かされたようでした。2幕以降は、まるっきり「シンデレラ」の話そのものです。叔母に引き取られたエラは、「灰かぶり」と呼ばれ、叔母と従兄妹たちにこき使われています。ある日、宮殿で王子の結婚相手を探す舞踏会が開かれることになり、従兄妹ちたは着飾って宮殿へ行ってしまいました。しかしエラはドレスがありません。宮殿に行って、王子と踊りたい・・・と思っていると、妖精が現れて・・・。以下は「シンデレラ」の絵本をお読みください。(笑)ただエラの履く靴が、マルコが作ってくれたあの靴なんですよね。うんうん、それはわかるけど、結局あの靴はエラに幸福を運んできたということで「魔法の靴」なのかしら?う~ん。ただの・・・靴?そういえば、宮殿から家来達が、脱げてしまった片方の靴を持って、王子の恋した女性を探しにきたのだけど、エラが履いたとき、キラキラと虹色に輝いたっけ。(子どもが履く靴についた飾りのような光りかたでしたけど。笑)最後、王子とエラの結婚式が行われて、出演者全員が声高らかに歌うんですけど、そのときにようやく「震災の復興がど~のこ~の」という歌詞が出てくるんですよね。あ、忘れてた、これは「シンデレラ」ではなくて、震災復興のオペラだったのね。(苦笑)歌手も楽曲も、まあまあよかったのですから、脚本をもう少しオリジナリティのあるものにすることはできなかったんでしょうか?あまりにも取ってつけたようで。ほんと、曲はよかったですよ。主役のエラも声が伸びてよく響いていましたしね。(ただ王子がビジュアル的に・・・。いえ、なかなか美しい声の方だったのですが、ちょっと恰幅がよくて・・・。)そうそう、妖精の魔法でかぼちゃが馬車に、野ねずみが御者になる場面は、後ろのスクリーンにアニメが映し出され、観客の失笑をかっていました。あまりにも安直?本物の馬車を出せとは言いませんが、もう少し工夫をした方がよかったかも。例えばアニメで表現するのではなく、影絵にするとか・・・。昔そんなCMなかったっけ?影絵ならけっこうロマンチックだと思うのですが・・・。それからアンサンブルの生演奏にマイクがついていたのも気になりました。時々歌手たちの声よりもボリュームが大きくなり、聞きづらかったのです。生演奏にマイクって必要でしょうか?とまあ、いろいろと言いましたが、久しぶりに見るオペラでリフレッシュしたのは確かです。(笑)
2008/01/20
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今年も萬斎さんの新春狂言を楽しみました。1月9、10日に大阪の厚生年金会館・芸術ホールで公演があったんですよね。私は10日に見に行きました。萬斎さんの新春狂言を、申年から見ることになったので、今年で5回目でしょうか。毎年その年の干支にちなんだ番組を披露してくれるので、今年は「ねずみ」にちなんだ舞台が見られるんだな~って思っていました。それでは、今回の番組の紹介を。謡初 「雪山」 萬斎さんほか、連吟。レクチャートーク 萬斎さん「宝の槌」太郎冠者・・・野村万之介主・・・・・・竹山悠樹すっぱ・・・・石田幸雄「水汲」新発意・・・野村万作娘・・・・・高野和憲素囃子 「神楽」「松囃子」万歳太郎・・・野村萬斎弟・・・・・・高野和憲兄・・・・・・深田博治やはり新春は謡初「雪山」から始まらなければ、年が明けたという気がしません。(笑)今までは萬斎さんや万作さんの独吟が多かったのですが、今年は萬斎さん他の連吟でした。萬斎さん一人で凛とした空気の中での独吟も堪えられませんが、萬斎さんを筆頭に、朗々とした声が重なり合う連吟も捨てがたいものでした。レクチャートークの萬斎さんも、もう慣れたもので、途中時計を見て時間をチェックしたり。(笑)今年の干支、ねずみが出てくる狂言がほとんどないという話や、数少ないねずみ登場場面を実演してくれたり、毎度の事ながら、とても楽しめました。萬斎さんのレクチャートークを聞いて番組に臨むと、狂言の言葉や場面が無理なく理解できるような気がするんですよね。さて今年の干支、ねずみはどの番組にでてくるのでしょうか・・・。まず最初の「宝の槌」は、主人に都に行って宝比べの宝物を買ってこいと命じられた太郎冠者のお話です。ある男に打出の小槌だというモノを売りつけられ、すっかり信じ込んで屋敷に戻った太郎冠者は・・・。これにもねずみは出てきません。「水汲」は、見習い坊主役の万作さんがコミカルな動きをする演目。娘が野中の清水で洗濯をしていると、彼女に思いを寄せている見習い坊主がやってきて・・・。いろいろと娘に言い寄るのですが、なかなか娘はなびかず、とうとう最後に汲んでいた水を頭からかけられます。そう、それで見習い坊主役の万作さんが言うのです。「濡れねずみ」だって。出てきましたね、ねずみ。(笑)動物ではなく、言葉で登場。なかなか粋ではないですか。休憩の後は、素囃子「神楽」を聴きました。囃子方は若手でしたね。音が青いと感じたのは、偏見かしら?(笑)それでもお囃子の音は好きですね。心が高揚します。最後に萬斎さん出演の「松囃子」を見ました。昔は年頭に、祝儀の舞いを舞う芸人がいたようで、縁起モノだというので、年末に米などを差し入れし、年頭に舞いを舞ってもらうという習慣があったようです。その芸人が万歳太郎で、昨年末に米をもらえなかったので、しぶしぶおなじみの兄弟のところへやってきます。簡単に舞を済ませてしまおうとする万歳太郎と、差し入れを忘れている兄弟とのやりとりがおかしく、ようやく米をもらえることになった太郎が、喜んでいつもの舞を舞う場面は、とても華やかで見ごたえがありました。舞いの途中で側転が連続3回ほどあり、狂言の衣装を身につけたまま、萬斎さんは見事に側転を決めたのでした。ふふふ、ジャニタレにも負けないほどでしたわよ。今年もこうして新春狂言を堪能したのでした。
2008/01/16
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2年ぶりに「六甲アイランド能」を見ました。前回は友人に誘われたので見たのですが、今回は番組が魅力的だったので、椅子席のチケを買ったんですよね。1、素囃子「揉之段(もみのだん)」2、狂言「棒縛(ぼうしばり)」3、能「船弁慶(ふなべんけい)」素囃子「揉之段(もみのだん)」も狂言「棒縛(ぼうしばり)」も何度か見たことがあるので、なじみ深い番組です。「棒縛」は、狂言だけでなく歌舞伎の演目としても見たことがあるんです。(しかも演者は染五郎さん)内容もわかりやすく、動きもとてもユーモラスなので、子どもにも理解できるかな~?と思い、娘たちも連れて行きました。でもやっぱり次女は素囃子から爆睡。(笑)長女はなんとか「棒縛」は理解できたようですが、能「船弁慶」が始まると、退屈してモジモジ。わかるわぁ~。お母さんも能を見るときは睡魔が襲ってくるのよぉ~。しかし、今「嵐」にゾッコンの長女と一緒に、「能のジャニーズ的楽しみ方」を編み出しました。(大げさ)何のことはない、能の登場人物を嵐のメンバーに置き換えてみるんです。例えば、「船弁慶」で最後に出てくる平知盛の亡霊は、人間離れしたというイメージから、人間離れした美しさをもつマツジュン。(笑)子役の義経は、癒し系ルックスのニノ。で、大柄な弁慶は相葉ちゃん・・・?おっとりの大ちゃんは、どの役がぴったりするかなぁ~?なぁ~んて、ジャニーズ的といいつつ嵐のメンバーばっかりを置き換えての観劇なんですが、これがとっても面白く、長女は目をキラキラさせながら見ていました。「棒縛」では、太郎冠者が翔くん、次郎冠者が大ちゃんなどと言いながら、楽しんでいました。他愛もないといえば、そうなんですが、これがけっこう面白く、私も初めて睡魔に襲われることなく最後まで能を楽しめました。能を愛する方から見れば、邪道な鑑賞の仕方かもしれませんが。(笑)
2007/09/16
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こういう形での観劇って、久しぶりです。懐かしいなぁ~。大きな劇場ではなく、こじんまりとした空間で役者たちの表情や息づかいまで身近で感じることの出来るお芝居。劇団太陽族の「越境する蝸牛」を、大阪の精華小劇場で見てきました。まず精華小劇場についてお話しましょう。 入り口の看板 入り口の掲示板 校舎跡「精華」とは、精華小学校に由来します。明治六年に開校し、昭和四年に現在の校舎が竣工した精華小学校は平成七年に閉校。その歴史と伝統に培われた小学校の体育館部分を、客席数約200席の小劇場に改修し、平成十六年秋にオープンしました。地域に馴染み深い学校施設という特性を生かし、市民と芸術が触れ合う場を提供したいと考えます。そして、演劇文化への関心を高めると共に、「まち」が芸術を支えて一流の人材や演劇作品を育成し、新しい演劇作品を発信していきます。いわゆる「貸し館」ではなく「主催事業館」であり、運営は、大阪市、地元の方々と演劇関係者で構成する「精華小劇場活用実行委員会」が担い、「精華演劇祭」をメインイベントに、実行委員会のセレクトした催し(主催事業)を行う、大阪市が設置した劇場です。(精華小劇場公式HPより抜粋) 体育館を改装した劇場このように精華小劇場は、閉校となった小学校の体育館を改装して使用している劇場なのです。改装といっても、外観は小学校のままで、運動場も校舎も残っています。地下鉄御堂筋線のなんば駅から歩いて5分もかからないところにあるのですが、繁華街を歩いている時は「こんな場所のどこに小学校の跡地があるんだろう?」と不思議に思いながら歩いていきました。それが商店街を曲がって少し歩くと、急に目の前に運動場が現れるんですよね。なんだか不思議な感覚でした。 運動場さて「越境する蝸牛」というお芝居を知ったのは、最近新聞記事に載っていたからです。「政治に無関心な若者に危機感」というタイトルの記事で、以下のように書かれていました。劇団太陽族は27日から7月1日まで、大阪中央区難波の精華小劇場で「越境する蝸牛(かたつむり)」を上演する。20年後、大阪・天満のコリアン料理店が舞台。戦時中ということで迫害されているファッション専門学校の生徒たちが、府知事選の応援演説に来る総理大臣を“誘拐”しようとするのだが・・・。「国民投票法も教育基本法の改正も、あまりにも短い時間で決まった気がするのに、今の若い人はあまり関心を持っていない。事の善悪はともかく、その無自覚さに危険性を感じる。そんなことを思いながら書いた作品。ぜひ見て、いろいろなことを考えてほしい」と作・演出の岩崎正裕は話す。この劇作家のいわんとするところ、わかるような気がします。投票率の低さに、選挙のたびに「大丈夫か?」と感じているのですから。ただお芝居の内容は、かなりヘビーでしたね。直球のセリフがどんどん観客へと投げられているような気分です。それゆえ、見ていてかなり疲れたような気がします。精神的に。もちろんいわんとしていることは正論なのですが、お芝居と言う形にするのだったら、もう少し素材をうまく料理したらよかったかも。恭子が何度も歌っていた蝸牛の歌は、唐突でびっくりしましたし、その内容も「そのまんま」と言う感じ。ラストの大合唱も少々興ざめでした。言わんとすることはわかるんだけど・・・。ただこのような内容のお芝居をして、世間に訴えていきたいと思った劇作家や劇団員の皆さんの気概には、拍手を送りたいと思います。精華小劇場についての新聞記事はこちら。この記事の中に出てくる「扇町ミュージアムスクエア」も「近鉄小劇場」もなじみの深い劇場なので、名前を見ただけで懐かしかったです。今はもうありませんが。扇町ミュージアムスクエアでは、よく映画を見ましたね。大きな映画館にはかからないような超マイナーな映画を上映していました。そこでウォン・カーウァイ監督の「いますぐ抱きしめたい」を観たし、セルゲイ・パラジャーノフの「ざくろの色」も見ました。ほんと、懐かしいわ~。
2007/07/01
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もうすぐ父の日ですね。私も一応実家の父と、舅に毎年プレゼントを送っています。今楽天の「父の日特集2007」で染五郎さんがご自身の父、九代目松本幸四郎さんについて語っています。こちらとても興味深い内容です。特に共感を覚えたのは、「食を筆頭に『どんな分野でも最高を知る』というのが父の教え。普段は質素な生活を送りつつ、あらゆる“いいもの”を知っている。それが人生、演技の幅につながるんです。最高のものにたくさん触れてきた経験は、今の自分のベースの一つ。父の導きにはすごく感謝していますよ。」という部分。普段から贅沢をするというのではなく、質素な生活を送りつつ、それでもどんな分野でも最高を知るというのは、染五郎さんも言っていますが、人生の幅を広げるのだと、私も思います。そういえば、まだ私が大学生の頃に同じバイト先の後輩に訊ねられたことがあったんです。「蘇芳色さん、本物とニセモノを見分けるには、どうやって勉強すればいいんですか?」彼女の父は陶芸家でした。毎日父の制作の場を目の当たりにしていて、彼女はそのような疑問を持ったんでしょうね。当時(今でも・・・)まだまだ若輩者だった私は、もちろん本物を見極める目などは持っていませんでした。でもただ1つだけ言えたこと。それを彼女に伝えました。「本物とニセモノを見分けるには、ただひたすら本物を見ること。それによって自然に本物がわかるようになってくると思うよ」もちろんそれは高いブランド物の服やかばん、アクセサリーを買い漁るということではなくて、美術館や博物館に行き、本物をふんだんに見るということなんです。安価で自分の内面に、どんどん知識や感性が積み重なってきますものね。染五郎さんが言っている食についても、何も高価なお店で食事をするだけが最高のものだとは思いません。体にいい食材に手をかけて作った食事も、充分最高の食だと思います。他に「苦悩の時期に父がくれた一言」というのも、子育て真っ最中の私にとって、なるほどと思える内容でした。子どもの欠点を1つ1つ修正するのではなく、大きな視点で見るということ。修正すべき点は、自分自身で気が付かないと、結局自分自身の身につかないということ。本当にそうだよな~と感じ入りました。だからこそ、染五郎さんもどんどん伸びてきているんですよね。ほんと、ここ数年の染五郎さんの成長ぶりは、目を見張るものがあると思います。←偉そうな私。贔屓目?(笑)これからもますます頑張っていって欲しいです~。
2007/06/06
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ケータイからの更新です。久しぶりに「じゃぱねすく」な空気に触れてきました。大阪の大槻能楽堂での恒例の狂言会です。やはりイイですね。背筋がシャンとしました。いつもトークは萬斎さんなんですが、今日は万作さんの芸話でした。詳しくは、またPCで書きますね。で、ようやくちゃんと観劇記をアップできます・・・。ふぅ~。土日にも予定が入っていると、体力的にかなり辛いですね。18日の狂言会の番組は、「昆布売(こんぶうり)」と「縄綯(なわない)」、そして万作さんの芸話でした。いつも最初に萬斎さんのトークがあって、これから始まる番組の解説をしていたのですが、今回はなし。最初に野村万作さんと野村万之介さんの「昆布売」があり、15分の休憩。そして万作さんの芸話があり、次に萬斎さんと高野和憲さん、石田幸雄さんの「縄綯」がありました。「昆布売」昆布売・・・野村万作 大名・・・野村万之介大名は外出のお供がいないので、適当な者を見つけて供をさせようと思い、往来で通りかかった昆布売に声をかけ、嫌がるのを脅して、むりやり供にして太刀持ちをさせる。怒った昆布売は隙を見て太刀を抜き、逆に大名を脅して昆布を売らせる。「昆布召せ、昆布召せ、お昆布召せ、若狭の小浜の召し(献上)の昆布」という売り声を謡い節、小歌節、踊り節など、色々に変えてなぶるうちに、大名は夢中になって・・・。(パンフより抜粋)万作さんの芸には、円熟味を感じました。大仰ではなく、それでいておかしさは伝わってきます。昆布売りの売り声が、色々に変化するところが、なかなか面白く、昔の物売りには芸があったんだなぁ~と感心しました。(笑)休憩をはさんで、万作さんの芸話を聞きました。萬斎さんはいつもクールに、ユーモアを混ぜながら話すのですが、万作さんの場合はまた違う味わいがありました。もちろんユーモアを感じさせるところは随所に盛り込まれていますが、何よりも感心したのは、舞の美しさです。能の「鞍馬天狗」の中に、狂言方の舞があるという説明があり、実際にその舞を舞われたのですが、ほんの数分の舞が、ホレボレするほど見事なものでした。義経役の子どもに向かって、いろいろなおもちゃの名前を謡いながら舞うそうなのですが、張子の虎・・・などと謡いつつ、機敏に舞う万作さんの躍動感のある所作に感動しました。もしかしたら、今回1番感動したところかもしれません。(笑)「縄綯」太郎冠者・・・野村萬斎 主・・・高野和憲 何某・・・石田幸雄博打に大負けした主人は、太郎冠者を借金のカタに取られることになり、本人に訳を言わずに相手の何某の家に使いにやる。何某から聞いて初めて事情を知った太郎冠者は、縄綯いや水汲みを命じられるが、反抗して働かない。怒った何某に金の返済を迫られた主人は、いったん太郎冠者を戻らせて、その働きぶりを何某に見せようとする。さて帰ってきた太郎冠者は縄綯いを命じられると、嬉々として綯いながら、何某の家の悪口を言いたい放題・・・。(パンフより抜粋)この「縄綯」は、以前大蔵流のものを見ていたので、だいたい内容は知っていた。今回は和泉流なので、どういう違いがあるのか比べられるし・・・。(というほど、くわしくはないけれど)茂山家の「縄綯」観劇記はこちら。私の持っている「狂言集」という狂言のシナリオ集のような本に、「縄綯」が載っているので、読んでみたが、この本は大蔵流ものを掲載しているので、もしかしたら和泉流とは少し違う部分があるのかもしれない。そういえば、太郎冠者が何某に仕事を命じられていた時、縄を綯うことを「卑しい仕事」と言っていたような気がする。「狂言集」を見ると、水を汲むことを卑しい仕事だと言っている。解説を見ると、「当時は水を汲むのは、手に技術をもたない女のすることであった。太郎冠者の自尊心をはなはだ傷つけた命令である」と書かれてある。女性の私も自尊心をはなはだ傷つけられたケド。(笑)縄を綯うことを卑しい仕事だと聞いた私の聞き間違いなのだろうか?そういえば以前、あるドキュメンタリー番組で、神社などの注連縄を綯う仕事をしている女性をクローズアップしていた。彼女は同和地区出身者で、ずっと縄を綯う仕事をしてきたというのである。私はその番組を見るまで、縄を綯う仕事が、そのような意味を持つということを知らなかった。もしかしたら、その部分は私の聞き違いかもしれないが、大蔵流と和泉流で違いがあるのかもしれない。「狂言集」では「縄綯」を、太郎冠者が最後に長々と語り続けるだけに、太郎冠者を演ずる役者の話芸の巧拙が、この狂言の出来を決すると解説してある。なるほど。萬斎さんは難なくこなしていたようだが、なんとなく気になったのは、オーバーアクションだったということ。もちろん笑わせどころなのだが、少々気になるほどだった。あまりオーバーにしなくても、何某が後ろにいるとも知らずに、彼の家の悪口を言い続けるという状況設定だけでも笑いを誘うし、悪口の内容の滑稽さでも充分面白い。ことさら大きく目を見開いたり、口をあんぐりとあけたりしすぎる必要はないのではないか・・・と思ってしまった。ごめんね、萬斎さん。でもまた来春の新春狂言2008のチケ、申し込んだからね。萬斎さんの謡初を聴かないと、新年を迎えたという気がしないのよね。そうそう、今回の番組には、囃子方がいなくて、かなり寂しかったですね。やっぱりあの囃子方の音を聴かないと、なんだか物足りなくなってきました。
2007/05/18
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今年も行って参りました。美輪さんの舞台に。年に2回、春と秋に生美輪さん(笑)にお会いするのが、私の心のリフレッシュになっているかも。(笑)今回も、つくづく思ったんですよね~。『あ~、最近美しいモノを愛でる時間が少なくなっている』って。もちろん韓ドラは毎日のように見ていますから、美しい者は鑑賞しているんですけれどね。なんというか、それらは全部受動的なんですよね。以前のようにもっと能動的な美の鑑賞をすることが少なくなってきたと感じる今日この頃。さて、美輪さんの「双頭の鷲」です。この舞台、以前からとても見たかったんです。ジャン・コクトーの描いた美の世界に、とても関心があるんですよね。コクトーは絵画や映画でも、その才能を発揮した人ですから、彼がどのような舞台作品を作り上げたのか、楽しみでした。またそれを美輪さんが、どのようにして私たちの前に再現してくれるのか、それも楽しみでした。コクトーの映画「双頭の鷲」は持っているので、見たことがあるのですが、美輪さんがどのように“料理”をされているのか、わくわくしながら、この日を待っていました。舞台美術は、「黒蜥蜴」や「愛の賛歌」の時よりも、バージョンアップしていたようですね。もちろん王妃が住む城が舞台ですから、豪華なのは当然なのですが、作り物の安っぽさがないところが美輪さんのこだわりかしら。舞台美術をみているだけでも、目の保養になりました。このおはなし、結婚式の日に夫である国王を暗殺された王妃と、彼女を暗殺しようとたくらむ詩人との恋物語なのですが、すべて城の中のシーンなので、動きが無く、さらに俳優のセリフが長かったので、第1幕は少々眠たくなりました。(美輪さん、すみませ~ん)また残念だったのは、私はやはり美輪さんの相手役・木村彰吾クンがタイプじゃないんですよね・・・。今回は以前の舞台に比べて練れてきたという印象は受けたのですが、まだどこか青いかな?その青さが「愛の賛歌」の時は、役柄の上でよく合っていたのですが、今回はもっと男の色気が欲しかったです。(笑)王妃が、亡くなった国王と瓜二つの詩人アズラエルに瞬く間に恋をするのなら、もっと彼女を惹きつける男性としての魅力があるはずだと。それはなにもマッチョであったり、不必要に「男」を誇示するものではなく、もっと奥深い懐の広さと、少年のようなピュアさを併せ持った魅力があればなぁと思ったのです、(ちょっと注文が多すぎますかね)高島兄のアズラエル、見たかったです~~~。(彼の演じる明智小五郎は絶品でございました~)木村クンも、以前より痩せてスレンダーになったし、声はとても魅力的だし、これから伸びていくでしょうね。他の俳優では、腹黒い警視総監フォーエン伯爵役の長谷川初範さんが、もうちょっとアクの強さを出して欲しかったなぁ~。表面的なワルに終始してしまったような・・・。今回私が気に入ったのは、パンフレットに書かれた翻訳家・池田弘太郎さんの文章。彼は1999年に他界されていますが、その文章は1997年公演のパンフレットより全文転載されたものです。美輪さんの舞台美術のように、上品で、華麗な言葉が、流れるように記されているんですよね。目に入ってくるのは、何の変哲もない五十音の羅列なのですが、読んでいくと、その五十音が、宝石の輝きを帯びてきます。その変化の具合が、とても感動的です。このような文章を書いてみたいな・・・と思いました。美輪さんの舞台、今度は「毛皮のマリー」を見てみたいんですけど・・・。
2007/05/08
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久しぶりに染五郎さんのことを「染タン♪」だなんて呼んでしまったわ~。今日の読売新聞夕刊に、「朧の森に棲む鬼」についての劇評が載っていたので、染ネタで日記を。朝日新聞購読の友人も言っていたけど、「朧~」は評判がいいみたいですね。朝日でも絶賛されていたとか。読売でも好意的な書かれ方をしてますね。特に染タンの評価が高いです。「市川染五郎 役者大きく」とタイトルがあり、染タ~ンとマグロ、違ったマダレこと古田さんのカラー写真。この時の染タンの衣装も悪役っぽくてステキだけど、眉がないのが、ちと気になりましたねぇ~。できれば、もうちょっと前のシーンの衣装の写真が良かったなぁ~。ま、それはいいとして、記事の内容ですが、全体的に褒めてあり、最後に染タンについての記述が。「色悪の大敵」を演じきった染五郎は一枚も二枚も役者が大きくなった。中島・いのうえの舞台も、より奥が深くなった。現代演劇の最先端を走るまでになった“いのうえ歌舞伎”。欧米でどう評価されるのか。そろそろ試してみてもいい。(読売新聞2007年2月20日夕刊より抜粋)そうなんですよね~。染タン、最近どんどんよくなってきていると感じます。それが特に感じられたのが、2年前大阪・松竹座で見た「夢の仲蔵・千本桜」あの時の悪に手を染める染タンは、めちゃくちゃ色気があってステキだったなぁ~。7年前から染タンの舞台を見ているのですが、あの舞台では今までの硬さが取れたと感じました。それからどんどん進化し続ける染タン。歌舞伎役者って、定年がないから、これからも長~い間彼の進化し続ける姿を楽しめるんですよね。うれしいわ♪
2007/02/20
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染五郎さんと劇団☆新感線のコラボ舞台の感想続きです。え~、染五郎さんの美しさについては、昨日たっぷりと書いたのですが、少し気になったところも。感極まった時のセリフが少々聞き取れなかったんですよね。特にラストシーン。オボロにいよいよ命を取られそうになって、ボロボロの状態になったライが、血しぶきを上げながら最期に叫ぶシーンのセリフが、聞き取れなかったんです。内容もちょっとわかりにくかったのかな・・・?シェイクスピアの「リチャード三世」を読んでいないので、突っ込んだことは言いにくいのですが(でも言ってるよ)「ライが自殺をするとき、初めて彼は本当に命を失う」というオボロとの約束だったので、私はどんな設定で“あの”ライが自殺に追い込まれるのか、その見せ場を楽しみにしていたんです。彼の心の葛藤がどんな風に表現され、ライ演じる染五郎さんが、自殺をするようなキャラではないライの死を、どのように演じるのか、興味津々でした。でも結局、ライの分身だった刀で斬られて致命傷を負うんですよね。う~~~ん、ちょっと安易かな~?でも最期は完全に死なずに、朧の森と同化してしまったようにも受け取れるラストなので、安直とも言い切れないのかしら?なにせラストのセリフがよくわからなかったのが、これも「致命傷」かしらん?(苦笑)「阿修羅城の瞳」2000年の舞台も、今回も、古田新太さんはイイ味だしてましたね~。ドラマ「スタアの恋」や「ギャルサー」に出ていた古田さんもよかったなぁ~。今回の「朧の森~」で、染五郎さんは完全悪のキャラに挑戦したわけですが、このライという悪役はとっても魅力的で、「やっぱ悪役のほうが人間味があってイイよな~」などと考えていたのですが、ちょいとひっかかったところが・・・。キンタを殺さなかったんですよね・・・。実は、ライがどんどん悪人になっていくとき、私の心の中がざわざわして、「やっぱりライにも良心があってほしいなぁ」と思っていたんですよ。しかし実はキンタを救っていたというシーンで、ライの良心を素直に喜べない私がいたんですよ。「中途半端に良心を出すんだったら、徹底的に悪に徹した方が魅力的なのに・・・。」って。勝手なもんですねぇ。でも染五郎さんの数々の「お色直し」(笑)は見ごたえがありました。最初の乞食のような姿も、それはそれで萌え~♪だったし、次に着替えた時の、ロングスカートのような衣装は、ロンゲのポニーテールが良く似合っていて、かなりコーフンしました。(笑)今回の衣装の中で、あれが一番好きかも。もちろん検非違使の衣装も、赤と黒を印象的にデザインしてあって、よくお似合いでした。柿色の直垂風の衣装も気品があってよかったですね~。今回の座席も、花道近くのいい場所でした。前から3列目だったし・・・。花道のすっぽんあたりで俳優さんが立ち止まる時は、いつも目の前なんですよ~。もちろん染五郎さんも・・・。激しく流れる汗が手に取るように見えるんです。彼の汗が飛んできそうで、ドキドキしました。思わず、跪いて横を向いている染五郎さんの頬に手を添えて、ぐいっとこちらに顔を向けてしまいたい衝動に、何度駆られたことか・・・。あぶない、あぶない。(笑) 舞台がはねて・・・。 今回のパンフはカレンダー付で¥3000!! 凝りに凝ったパンフもいいけど、もっと染タンのカラー写真が見たいのよ~!
2007/02/17
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は~い、昨年から楽しみに待っていた市川染五郎さんと劇団☆新感線のコラボ、「朧の森に棲む鬼」を見てきました~♪染五郎さん&新感線の舞台は、2000年の「阿修羅城の瞳」が初めてだったのですが、染五郎さん演じる病葉出門の色っぽい魅力に、すっかり虜になってしまったんですよね~。しばらくは『出門(いづも)さま~』状態から抜けられませんでした。その後2003年の「阿修羅城の瞳」再演も見に行き、映画「阿修羅城の瞳」も、もちろん劇場で見て、おまけにDVDも買っちまったんですよね~。(舞台のビデオも購入済。)その後の「アテルイ」「髑髏城の七人~アオドクロ~」は関西に来てくれなかったので、舞台は未見。「アテルイ」は最近衛星劇場でオンエアしてくれたので、録画済。「アオドクロ」はゲキシネで視聴済。そんな状態なので、今回の「朧の森に棲む鬼」をとぉっても楽しみにしていました~。久々の染&新感線コラボ生舞台なんですもの~。今回はどんな染五郎さんに落ちちゃうんだろ~って。(笑)結論からいいますと、ライさま(染五郎さんの役)の壮絶な美しさに身も心も息絶え絶えになってしまいました。染さま、いえ、ライさま、美しすぎます。あれほどの妖艶な美しさは、もはや罪でございます~~~目の前で息をしている、汗を流している、走っている、跪いている、凄艶な姿のライさまに、この目は釘付けでした。一秒たりとも見逃すことは出来ないほど、永遠にライさまの悪にまみれた妖美さを見つめ続けていたいと切に願ってしまいました。ストーリーいつともしれぬ昔。そして、どこともしれぬ島国。戦場に横たわる屍骸の中から、一人の男が現れる。彼の名前はライ。相棒のキンタとともに、戦場を渡り歩いていた。自らの口先だけで、のし上がってやろうと虎視眈々と機会をうかがっていた。そんな時、いにしえの神が棲むという朧の森でライは不思議な体験をした。この森の魔物たち、オボロがライの望みをかなえてやるというのだ。ライの命と引き換えに。「この国の王になる」という望みを口にするライ。オボロは1本の剣をライに渡す。そして「今からここに来る男を殺せ」と言う。オボロが消えた後、1人の武将が現れ、ライたちと斬り合うことになった。剣がからっきし弱かったライだが、まるで剣に操られるように、その武将を殺してしまった。果たしてライの望みはかなうのか・・・。望みがかなった後は何が彼を待っているのか・・・。脚本はいつものように中島かずき氏ですが、ベースはシェイクスピアの「リチャード三世」。そこに大江山の「酒呑童子伝説」をからめたお話になっています。「リチャード三世」は未読なんだけど、この悪役がめちゃくちゃ魅力的なので、機会があれば読んでみたいなぁ~。「酒呑童子」のお話は、昔絵本で呼んだ記憶ありなんですよね。なんといっても今回の目玉は、染五郎さんが悪になりきっていること。ライは正義のヒーローでも、市井に生きる人でもなく、最初から最後まで悪に染まりきったキャラなんですよね。やっぱり悪人キャラは魅力的です。善人役より好きかも。(笑)ごめんなさい、睡魔に襲われたので、途中ですが、ここで中断します。続きはまた明日~。
2007/02/15
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急用で行けなくなった友人の代わりに、娘たちと3人でレニングラード国立バレエの「白鳥の湖」を見に行ってきました。私自身、小学生の頃にクラシックバレエを習っていたので、バレエには関心があるのですが、きちんとした舞台を見たのは初めてかも。娘たちも、友人のバレエ発表会には行ったことがあるものの、本格的な舞台は初めて。少々の緊張とともに、『小3の次女が2時間半も退屈しないだろうか?』という不安を抱いて、大阪フェスティバルホールへ向かいました。まず梅田のヒルトンプラザ ウエスト地下2階の「コリアンダイニング 市場(シジャン)」で昼食。大阪や三宮の韓国料理店を探しては食事をしにいっている私。(笑)ここも落ち着いた雰囲気でなかなかよかったです。さてフェスティバルホールでは・・・。座席は2階の前列。子どもたちとバタバタと座ると、パンフレットを見る暇もなく開演。きらびやかな舞台装置に子どもたちは目を見張って、「すごい~!」踊りが進んでいくと、「セリフはないの?」「今どうなっているの?」と質問攻勢が始まりました。私は小さな声で、「あれが王子様」とか「もうすぐ白鳥にされたお姫様が出てくるのよ」などと解説。さすがに第1幕の終わりごろには、次女は舟をこぎ始めました。(苦笑)ようやく20分の休憩が入り、ジュースを飲んだ子どもたちは、ぱっちりと目が開いたようです。そして第2幕、3幕が始まります。休憩中にパンフレットに書かれているあらすじを読んだということも功を奏してか、子どもたちは最後まで眠りもせずに熱心に眺めていました。やはり彼女たちの眼をひいたのは、ダンサーたちの跳躍力と見事な回転だったようで、男性ダンサーが全身のバネを使って高く飛び上がったときや、女性ダンサーがくるくると、機械仕掛けの人形のように回転をしたとき、「すごい!」と言って身を乗り出していました。私はというと、ダンサーたちの肉体の美しさを楽しみつつも、オーケストラが演奏する曲のほうに関心が行きました。というのも、前述したように幼い頃にバレエを習っており、当時聞き覚えたメロディが何度も耳を楽しませてくれたからです。聞き慣れたメロディというものは、それがインプットされたときの心情まで再現してくれるんですよね。さまざまな気持ちや思い出が溢れてきて、すっかり頭の中でタイプトリップをしてしまいました。(笑)さて今回のレニングラード国立バレエの「白鳥の湖」は、1895年にサンクトペテルブルグで上演された原典版の復元だったようで、いろいろな点で現在公演されているものとは違ったようです。第1幕第1場での農民たちのワルツの場面では、原典版にあるように小さな椅子を使っていたし、(これは私も初めて見ました。小さな椅子に農民の男女がかわるがわる上ったり降りたり、単調ながらリズミカルな演出です。)この踊りのクライマックスに、農民の一人が掲げ持ったポールから色とりどりのリボンが飛び出してきたりします。そしてそのリボンを持った農民の男女が、リボンを編むようにダンスを踊るのです。「白鳥の湖」というと、有名なのは第1幕第2場の王子とオデット姫との出会い場面ですが、他のシーンにも楽しめる演出が数多くあるのだなと感じました。ラストシーンでは、王子とオデット姫は悪魔と戦い、湖水に沈んで亡くなります。私は「白鳥の湖」はハッピーエンドだとばかり思っていたので、このラストには驚きました。もちろん悪魔も破滅し、他の白鳥たちは無事に魔法がとけたのですが、王子とオデット姫の2人は抱き合いながら湖へと消えていきます。子どもたちと一緒に「え?これで終わり?あの2人はどうなったの?」と首を傾げました。パンフレットによると、原典版にかかわったM.プティパは、主人公たちが自らの死で悪魔の呪いを解くという悲劇的な結末を考えていたようでしたが、当時の検閲により実現しませんでした。それで今回彼の残したメモや振り付け原案を元に再現したようです。王子とオデット姫は、自らを犠牲にして悪魔を滅ぼしました。その後の日の出シーンに、新たな完全な愛、忠誠、世界の平和を宣言するという意味をこめられているそうです。
2007/01/28
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1月10日、「万作 萬斎新春狂言」を見に行ってきました。半年振りの萬斎さんです~。この新春狂言は、4年前の2004年申年から通っているので、もう私の中では恒例行事になりました。萬斎さんのお姿を見ないと年が明けた気がしない!?(笑)というのも新春狂言では、謡初めとして「雪山」を番組の最初にしているんですよね。この「雪山」はおめでたい謡で、野村家では毎年元旦に、この「雪山」で謡初めをするそうです。2004年の「雪山」は萬斎さんの独吟で、2005年は萬斎さんの他5名の地謡つき。どちらも萬斎さんのきりりとした声にしびれ、至福の時を過ごしました。2006年の「雪山」は万作さんで、その感想を去年の日記から探して読んでみたら・・・。笑ってしまいました。何ていう感想を書いているんだ、私って。(苦笑)(昨年の新春狂言日記は、こちら)番組は以下の通りです。トーク 野村萬斎狂言「樋の酒」 太郎冠者:野村万作 主:深田博治 次郎冠者:野村万之介(休演) 後見:月崎晴夫 (万之介さん休演のため、配役が変わっていましたが、失念)素囃子「男舞」狂言「釣狐」 白蔵主・狐:野村萬斎 猟師:石田幸雄 後見:野村万作、高野和憲 さて今年の「雪山」は、またまた趣向を変えていました。というのは、1つの番組として「雪山」があるのではなく、「樋の酒(ひのさけ)」という番組の中で、謡われることになっていたんです。個人的な好みからいうと、「雪山」は萬斎さんが謡っているのを、威儀を正して聴いているほうがすきなんだけど。(笑)まず最初は萬斎さんが登場して、いつものようにレクチャー・トーク。いいですねぇ、相変わらず。深い落ち着きのある声もクールな表情も。この人は、いつ見ても変わらない佇まいでそこに居る・・・という感じです。ステキです、萬斎さん。で、レクチャー・トークの内容は・・・わ、忘れてしまいました。ボ~ッと見ていたからかも。(笑)確か「釣狐」に関するお話が多くて、形態模写の話題になり、「明日、コロッケさんと対談するんですよね」とおっしゃっていました。(笑)雑誌でしょうか?TVなんでしょうか?「樋の酒」外出することになった主は、米蔵を太郎冠者に、酒蔵を次郎冠者に、それぞれ番をさせることにした。主が外出した後、2人はそれぞれの場所で番を始めるが、とうとう次郎冠者は酒蔵の酒を盗み飲み始めてしまう。米蔵にいる太郎冠者はうらやましくてたまらない。そこで次郎冠者に頼み、蔵にある樋を使って酒を飲ましてもらう。少しずつ酒を飲んでいるうちにガマンできなくなった太郎冠者は、米蔵を後にして、次郎冠者のいる酒蔵にやってきて、2人で飲めや謡え、そして舞えの大騒ぎ。この場面で、先ほどお話した「雪山」が出てきます。最後は帰宅した主に見つかって、大目玉・・・というお話です。狂言らしい、お決まりのパターン。「男舞」15分の休憩の後、素囃子「男舞」がありました。大鼓、小鼓、笛の音を聴くと、体の中の血がざわつくようになりました。落ち着いた興奮とでもいうのでしょうか。頭はクールでいるのに、体にはパワーがみなぎってくるという感覚をおぼえます。日本人のDNAがなせる業でしょうか?「釣狐」今日の目玉番組(笑)です。今年の新春狂言は、2日に分かれていて、番組も違うものだったのですが、「釣狐」が見たいために、この日を選びました。狂言は能や歌舞伎に比べ、時間が短いものが多いのですが、この「釣狐」は70分もの大曲です。登場人物も、白蔵主(実は狐)と猟師の2名のみ。しかもほとんどが白蔵主の独り舞台です。狐が人間に化けて、狐をこれ以上殺さないようにと猟師を説得するお話ですが、人間の萬斎さんが人間に化ける狐をどう演じるのか、とても楽しみでした。まず登場の仕方が、普段の場合と違います。いつもは揚幕を後見があげたままで、演者が出てくるのですが、狐が化けた白蔵主(萬斎さん)が出てくる時は、揚幕は一瞬の内に上げられ、萬斎さんがでてくると、即座に下げられました。もしかしてこれは、ドロンと狐が化けて出てきたという設定なのかしら?狐が化けた白蔵主の動作が、どこか人間離れしていて動物の動きを感じさせます。その動きが見事でした。能や狂言は、西洋の演劇に比べ、詳細な説明ではなく、余分なものをそぎ落としてシンプルに表現することが多いのですが、そのシンプルさは物事の本質を表現しているので、演者の動きがよりリアルに感じられます。仲間を猟師に殺された白蔵主の悲しさと、自分も殺されるかもしれないという恐怖、そして獣としての動きなど、萬斎さんの表現は見事で、70分がまったく長く感じないほど集中してみることが出来ました。「三番叟」とともに、「釣狐」は私の大好きな番組の一つになりました。これからも萬斎さんで新春を寿ぐことにいたします~♪(追記)すみません、コメントのレスは今しばらくお待ちください。楽天が2時からメンテにはいるようなので、ちょっと間に合わないようです。
2007/01/13
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先日大阪松竹座に染五郎さん主演の歌舞伎「染模様恩愛御書」を見に行ってきたのですが、そのときにイヤホンガイドを利用したんですよね。このイヤホンガイドはお役立ちです。舞台の内容が詳細にわかるし、ちょっとしたエピソードも聞けるときもあり、お徳感たっぷりです。歌舞伎を見始めたときは、イヤホンガイドがどういうものか、よくわからなかったので利用しなかったのですが、まだ役者のせりふのヒアリング!(笑)ができなかったときなので、もうちんぷんかんぷん。染友(笑)にイヤホンガイドの良さを教えてもらって利用するうちに、手放せなくなりました。さて、今回の舞台のイヤホンガイドは幕間の休憩時間に、染五郎さんと愛之助さんのインタビューが流れました。お弁当を食べながら、染五郎さんのお声を聞くなんて、贅沢だわ~♪そのインタビューの中で、染五郎さんにいくつかの質問をしていたので、ご紹介しますね。(質問の順番は忘れてしまったので、実際のインタビューとは順番が違うかもしれません)Q、今はまっていることA、BL(染五郎さん、面白すぎ!)Q、もう一度生まれ変わってくるとしたら、男がいい?女がいい?A、男Q、明日地球が滅びるとすれば、今日何をするか?A、弁慶の扮装をする(扮装だけでいいとか。弁慶は高麗屋のお家芸なのですが、染五郎さんはまだ演じたことがありません。それで地球が滅びる前日には、扮装だけでも弁慶をやってみたいとか。)Q、迫られるとしたら、どっちがいい?A・シュワルツネッガー?ヨン様?A、う~ん、知事の方で・・・。(え?)Q、おすすめのラーメン屋さんは?A、博多のお店しか思い浮かばない。Q、お気に入りの大阪弁は?A、せやから(ここが聞き取りにくかったんですよね。「せやから」だと思うのですが)染五郎さんは大の関西好きで、以前「ぴあ」関西版でもコラムを連載していました。それをまとめた本が「キテレツ」なんですよね~。このイヤホンガイド・インタビューでは、最後に合言葉を染五郎さん、愛之助さんのお2人が言って、それを書いて応募すれば、2人のサイン色紙をプレゼント(それぞれ3枚ずつ)という企画がありました。ふふふ、この合言葉は・・・秘密。(笑)さて、応募しなくっちゃ。
2006/10/12
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久しぶりに松竹座に行きました。待ちに待った染五郎さんの関西遠征。 今回は103年ぶりに復活上演される「染模様恩愛御書 (そめもようちゅぎのごしゅいん)」です。この舞台は、戦前までは有名だった「細川の血だるま」という実録本がベースになっていて、それをもとに三世・河竹新七によって書かれた歌舞伎狂言です。もとの題名は「蔦模様血染御書(つたもようちぞめのごしゅいん)」ですが、今回は主演の2人の名前を入れたそうです。 あらすじ大川友右衛門(染五郎)は、浅草観音参詣の折、美しい若衆姿の印南数馬(愛之助)を見染めます。数馬が細川家の小姓と知った友右衛門は武士の位を捨て、細川邸に中間として奉公するようになります。ある日、友右衛門は数馬の寝室に忍び、二人は衆道の契りを結びます。数馬から横山図書(猿弥)という父の敵があることを打ち明けられた友右衛門は、数馬と互いの腕の血をすすり合い兄弟の義を結び、敵討ちの助力を約束します。ところがこの様子を、かねてから数馬に心を寄せる腰元のあざみ(春猿)が見つけ、細川候(段治郎)の知るところとなります。お咎めを蒙ると思いのほか、友右衛門の数馬への思いと、数馬の孝心の篤さに感銘を受けた細川候に、逆に士分に取り立てられた友右衛門は、いずれこの御恩に報いようと決心します。ある日、細川邸に起こった火事はまたたく間に燃え広がり、このままでは細川家の宝である、将軍より拝領した御朱印が灰燼に帰すのも時間の問題となります。ここに馳せ参じた友右衛門は、御恩に報いるのはこの時をおいてないと火中に飛び込み・・・。(松竹座HPより抜粋)以下はネタバレを含みます。これから観劇予定の方はご注意ください。はい、まさしくBL歌舞伎です。(笑)ま、日本はもともと衆道(男色)の歴史がありましたから、なんら違和感はないのですが、私の見たところ、主演のお二人にはまだが感じられませんでしたわ。2日が初日ですから、まだ4日目ですものね。仕方がないのかしら。これが楽日には、見ているほうが恥ずかしくなるくらいのラブラブぶりを見せ付けてくれるかもしれませんね。ただ惜しむらくは愛之助さんにもうちっと色気が欲しかったこと。もちろんお綺麗なんですが、その、何と言うか友右衛門を一目で落とした妖艶さが足りないかな~と。だってお2人の「濡れ場」(キャ~を見ても、妖しい気持ちになりませんでしたもの。(笑)楽日の濡れ場はドキドキものでしょうか?それにしても第2幕第4場「宝殿炎上の場」の演出は大スペクタクルでした~。私はまるでテーマパークのアトラクション会場にいるのかと錯覚しそうになりましたよ。(笑)染五郎さん扮する大川友右衛門が、主君の大切にしている御朱印状を燃え盛っている宝殿から取り出すため、火事場に飛び込むんです。主君・細川公や義兄弟・数馬に別れを告げて、染五郎さんが退場。舞台のバックには燃え盛る炎の映像が流れ、上の方からなにやら「シューッ」という不気味な音が。どきどきしながら上を見ると、舞台の上手と下手の上部から、すごいいきおいで煙が出ているのです。「え~~~!!死んじゃうよ~!」と少々パニックぎみに。よくみると煙はどんどん下に下がってきます。そう、ドライアイスの煙だったんですね。それでもどんどん噴出するので、劇場内が曇ってきて、不安になりました。そういえば、場面が変わったときに講談師が出てきて「煙や火の粉が出てきますが、パニックにならないでください。」てなことを言っていましたっけ。ええ~?それじゃあ、これから火の粉も出てくるの?消防法違反にならない?などと心臓バクバク状態でいると、火の粉も降ってきました。天井付近から大量に。綺麗でしたよ。真っ赤な火の粉が、観客全員を染め上げるほどに降ってきて、私も周りの人も頭や肩、膝などに火の粉をかぶりました。って、本物の火の粉だったら大変なことになりますが、実はこれ赤い色の銀紙なんですね。2×4センチくらいの大きさで、会場が赤く染まるほど数多く降ってきました。粋な演出ですよね。 さて、会場は煙と火の粉でまるでUSJのバックドラフト状態(笑)になったところでお話は進みます。火事場をくぐりぬけて、ようやく御朱印状のところにたどり着いた染五郎さんの扮装が、また凝っていました。焼けてボロボロになった着物の破れたところから、煙が立ち上っています。まるで今も着物がくすぶっているようです。きっと着物にドライアイスを忍ばせているのでしょう。そして火の粉がまだ付いているのを表現しているのは、赤やオレンジのラメ。(笑)ところどころに縫い付けられていて、遠くから見たら光を反射する具合が、燃えている火の粉に見えるでしょうね。御朱印状を手に取ったはいいけれど、もう外に出ることはできません。そのとき友右衛門のとった行動は、切腹し自分の腹の中に御朱印状を入れて焼失から守ることでした。ここでちょっとお笑いタイム。腹を掻っ切った友右衛門は中から肝臓・腎臓・大腸を取り出し、(布地でそれぞれの臓物を作っていました)講談師のナレーションが入ります。「3つあわせて勧進帳」(爆)高麗屋のお家芸ですわね。そういえば、このほかにもお笑いタイムは随所にありました。町娘が急に「チクショー!」と怒鳴り、横にいた若旦那が「まるで小梅太夫だな」とひと言。そうしたら町娘が「チャンチャカチャンチャン、チャチャンチャチャンチャン♪」と例の節で歌いだして・・・。(笑)でも会場からあまり笑い声が聞こえなかったのは、年配の方は「エンタの神様」を見ないからなのかな?(私も見ていなかったけど、最近子どもが時々見るようになったんですよね)他にNHK教育で染五郎さんが披露している歌舞伎体操も出てきました。(笑)かなり盛りだくさん。染五郎さんはますます役者っぷりがあがって、ステキになられていました。どんどん歌舞伎俳優としての魅力を増してこられているようです。特に今回は見得がよかったですね。これは染五郎さんばかりでなく、第1幕第2場「会津城内横山図書宅の場」での猿弥さんと薪車さんの見得も、「これぞ歌舞伎!」と感じるほどよかったです。もちろん染五郎さんの花道での見得は、一幅の役者絵のように絵画的な美しさに溢れていました。ため息モノです。今回も座席は花道真横だったので、染五郎さん他、役者さんたちの足首がつかめそうでした。(笑)某さんはスネ毛がたくさんで、あの方は白いおみ足で・・・な~んて比較研究もできます。(嘘) これからも進化し続ける染五郎さんを見つめ続けま~す!(関西に来たときだけね)
2006/10/05
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昨日は変なところで日記を終えてしまいました・・・。(汗)瀬戸内寂聴さんへのブーイングを書いたままでした。その瀬戸内寂聴さんなのですが、娘を捨てて恋に走ったという点以外に、私が苦手とするのは、若いイケメンに対しての態度かなぁ・・・。対談集などを読んでいると、出家しているのに、生臭いなぁ~って感じてしまうんですよね。(苦笑)対談相手に選んだ人たちが、けっこう私のタイプが多いので、(島田雅彦氏、吉田兄弟、ウォン・カーウァイ氏、平野啓一郎氏etc)私の嫉妬もあるかもしれませんが。(笑)で、今回イベントの半分はドラルド・キーン氏と瀬戸内寂聴さんの対談だったわけですが、そこで生の彼女の話しぶりを見ていて、今までの苦手意識がすこ~しマシになりました。対談は司会者なしで2人だけで進められたのですが、質問をする人がいないと、どちらかがイニシアティブを取って話を展開させないといけませんよね。これは主催者側のミスだな~と思いました。司会者が質問をして対談を進めてもよかったのではないでしょうか。見ていると瀬戸内さんが、とっても気を遣っているようでした。もちろんキーン氏は日本語がぺらぺらですが、率先して話をする方ではないようで、話が途切れないように、瀬戸内さんが一生懸命話をつなげていました。ま、高名な作家たちに自分が気に入られた話が主でしたが(笑)そういう話も、彼女のサービス精神からのものなんだな~と思ったんです。それはその場にいて、彼女の話をする雰囲気を見ていないとわからなかったでしょうね。これが文字で書かれていたなら、きっと以前のように鼻持ちならないわ~と思っていたでしょう。今回の収穫の1つかな?(笑)同時にドナルド・キーン氏の謙虚で控え目な話しぶりに好感が持て、日本文化への愛情の深さが感じられて、ますます彼のファンになりました。主催者側から提示された対談のテーマは「狂言の楽しみ」と「作家・谷崎と司馬」でしたが、なにせ司会者がいないので、話がいろいろと飛んで、結局司馬遼太郎氏の話はほとんど出ませんでした。(苦笑)後で会場の参加者からの質問を受けるコーナーがあり、そこで男性が司馬遼太郎とのエピソードを質問していました。瀬戸内さんは、「古典や文学に誇りを持たないと、その国のひとたちはよくならない」と話していました。同感です。瀬戸内さん、キーン氏ともに、大学で教えた経験を持っていますが、2人に共通していた感想は「学生は授業を聞かないで、私語をしているか寝ているか・・・」私も女子大生の頃は似たような態度だったと思いますから、当時を思い出して冷や汗が出ました。そうそう会場から質問をした人の中に、桂小米朝さんがいました。私の斜め後ろの方の席におられたようです。イケメンでした。(笑)本当に盛りだくさんなイベントで、大満足の夜でした。そうそう同様の催しが京都と東京でもあります。京都は22日に終わってしまいましたが、東京は11月6日(月)に新宿文化センター大ホールで開催予定です。プログラムは、・ビデオ上映「狂言・千鳥」・狂言「素袍落」・小舞「細雪」・対談 ドナルド・キーン&平野啓一郎いいなぁ~。私もキーン氏と平野啓一郎氏の対談がききたかったなぁ~。
2006/09/22
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20日(水)に、大阪国際交流センター大ホールで催された「碧い眼の太郎冠者 上方文化を遊ぶ」に行って来ました。今、読売新聞の毎週土曜日朝刊に、ドナルド・キーン氏の「私と20世紀のクロニクル」という自伝的小説が連載されています。この連載を読んでいて、すっかりキーン氏のファンになった私は、この催しを見つけたとき、狂喜しました。だって生キーン氏(笑)に会えるんですもの。それだけではなく、なかなか凝った内容のプログラムだったんですよね。プログラムビデオ上映「狂言・千鳥」狂言「月見座頭」 茂山千作 茂山千之丞小舞「細雪」 茂山千五郎対談 ドナルド・キーン&瀬戸内寂聴「碧い眼の太郎冠者」というサブタイトルがついているのは、ドナルド・キーン氏が1953年に京都大学に留学していた当時、日本の文化のより深い理解のために、狂言を習っていたところからでしょう。キーン氏は、なんと大蔵流の茂山千之丞氏に師事していたのです。その集大成が喜多能楽堂での「千鳥」の太郎冠者を演じた時だそうです。1956年のことでした。そのときの様子を、「私と20世紀のクロニクル」から抜粋します。「狂言師」としての私の短い経歴の頂点は、1956年9月13日に喜多能楽堂で「千鳥」の太郎冠者を演じた時だった。酒屋の主人の役は、「武智歌舞伎」で有名な武智鉄二が務めてくれた。5分ばかりのビデオで、その当時の上演の一部を見ることができる。(当時はビデオ・フィルムが極めて高価だったので、極度に倹約して使われた)。(中略)もっと信じ難いのは、ビデオに写っている観客の顔ぶれである。谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、松本幸四郎(先代)を始めとする著名な人々が居並んでいる。それは、私の生涯に一度の晴れ舞台だった。今回の催しでは、このときのビデオを舞台上のスクリーンで見ることができました。小説のこの部分を読んだ時、ビデオを見たいな~と思っていたんですよね。もちろん映像は昔のものですから、今のようにクリアに見ることはできません。でも著名な作家や役者たちが動いているさまを見られたのは、とても興味深かったです。谷崎は松子夫人と並んで座っていましたし、川端はあのギョロリとした眼をして立っていました。先代の松本幸四郎丈は、大好きな染五郎さんのおじいさんです。残念なことに三島の姿はありませんでした・・・。狂言の「月見座頭」は、今の季節にぴったりの番組です。座頭(眼の不自由な人)が名月の夜に外に出て、見えない月の替わりに虫の音を愛でて、秋を感じています。そこへ同じく月見にやってきた男が座頭に話しかけます。2人は意気投合して、男は持参した酒を座頭にも振る舞い、酒宴となります。2人は舞をまい、謡をうたい、いい気分になって別れます。座頭は上機嫌で歩き始めます。すると、さっきの男が今度は別人を装い、座頭にぶつかってけんかを仕掛けてきます。同じ男だと気づかない座頭は、突き飛ばされて転んでしまいます。男が去って行ってしまった後で、座頭は酒を振舞ってくれた男のことを懐かしみます。同一人物だとは気づかないままです。そして自分の身を嘆き、大きなくっさめ(クシャミ)をして退場します。千作さんの座頭がなんともユーモラスで、盲人の哀しみを、見ていて辛くなりすぎない程度にさらりと演じていたのがさすがだと思いました。小舞「細雪」は、タイトルを見てもわかるように谷崎の小説「細雪」に関係するものです。谷崎は茂山一家がご贔屓だったので、「細雪」の中の平安神宮花見のくだりを、狂言小歌風に、新たに短く作詞したものだそうです。15分の休憩の後、ドナルド・キーン氏と瀬戸内寂聴さんの対談がありました。実は私、寂聴さんが苦手だったんですよね。彼女の小説は未読なのですが、イケメンたちとの対談集や新聞記事、TV番組でのコメントなどは見ていたんです。イケメンを前にしたときの話の内容や態度が、なんだか好きになれなかったし、彼女が理解できない理由の大きなものは、彼女が自分の子どもを捨てて、若い男に走ってしまったということに対してなのです。同じ娘を持つ母親として、自分の新しい恋のために娘を捨てるという行為が、どうしても理解できないんです。(すみません。激しい睡魔に襲われています。続きはまた明日アップします・・・。途中ですが・・・)
2006/09/21
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13日夕方、京都・六盛での「歌舞伎サロン」に行ってきました。高島屋前からタクシーに乗り、岡崎の「六盛」へ。途中工事などがあり、迂回しながら開始20分前にようやく到着。私の乗ったタクシーのすぐ前をタクシーが走っており、そのタクシーも六盛前で停止。なんと中から出てきたのは、羽織・袴姿の市川染五郎さん!その時は後姿しか拝見できなかったけれど、後姿も美しかったです~会場は六盛の地下1階で、座席番号を教えてもらい、抽選券をもらって座席に着きました。何人ぐらい来ているのかな~?と思い、座席番号をちらちら見ていたのですが、最後の番号がよくわからず。200人ぐらいでしょうか。会場の前、一段高くなったところに緋毛氈がひかれ、床机のような椅子が置かれていました。時間になると、司会の鈴木治彦さんと、染五郎さんが入場。真ん中より左よりに座っている私の近くの通路を通って、染五郎さんは舞台上へ。お肌が真っ白で、やっぱりお美しいわ~それから1時間ほど、主に歌舞伎の話。他に舞台や映画の話など。今巡業中の「勧進帳」の話が多かったですね。面白かったのは、染五郎さんが巡業先をあまり覚えていなかったこと。前日の巡業先を聞かれ、「えっと、どこでしたっけ?・・・日本のどこかです・・・」と答えていた染タン・・・。おいおい・・・。(笑)映画「阿修羅城の瞳」では、滝田監督が「映画もライブだ」と言っていたことが印象に残っていると染タン談。鈴木氏、映画「蝉しぐれ」の監督を、山田洋次監督と間違っていましたね。染タンは「??」というお顔で「『蝉しぐれ』の監督は黒土監督です・・・。」と苦笑い。山田洋次監督は「たそがれ清兵衛」ですね。質問タイムを過ぎて、歌舞伎サロンは終了。その後移動して、1階の和室で立食形式のお食事。乾杯の音頭のあと、各テーブルを染タンがまわってきます。私もツーショット写真を撮らせていただきました~♪それから染タン写真を何枚か・・・。たくさん人がいたので、なかなかゆっくりとお話はできなかったのですが、どうしても聞きたかったことを、写真を撮らせて頂きながら伺いましたよ。まず「不二才」を見に行ったことを伝え、あの舞台のエンディングで使ったのはTOGI+BAOの「大河悠久」だったか確認。染タンは「ええ、東儀さんの曲です。」と。ご自分で選曲されたとか。あの曲は私の大好きな曲なんです・・・までは伝えられたのですが、どうしてあの曲を選ばれたかは時間切れでうかがうことができませんでした。染タンもあの曲が好きなのかな~?最後にお楽しみ抽選会。惜しくも1番違いでサイン入り扇を手に入れ損ねました・・・。やっぱり昨年の東京で、私は運を使い果たしたのかもしれません・・・。染五郎さんは10月に大阪・松竹座で「通し狂言 蔦模様血染御書(つたもようちぞめのごしゅいん)」をされるようです~。楽しみ♪
2006/07/14
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久しぶりの萬斎さんです。新春狂言以来だから、半年ぶり?第11回になる大阪・大槻能楽堂での公演は、「連歌盗人」と「賽の目」でした。まず萬斎さんのトーク。パンフを見ていたら、音もなく切戸口から萬斎さんが登場していました。低いお声にハッとして顔を上げたら、真正面に萬斎さんが・・・。相変わらず気品のある佇まいに、「狂言界のプリンスよね~」などと考えていました。いつもどおり番組内容の説明をされているのですが、ソツがなく、軽妙な語り口に魅了されてしまいます。襟元からメモを出して話の内容を確認する動作にも余裕が感じられます。番組の解説が終わり、萬斎さんは再び切戸口から退場。入れ替わりのように、橋掛りから万作さん登場。「連歌盗人」が始まります。「連歌盗人」連歌初心講の当番に当たったものの、貧乏で支度ができない男。同じ境遇の男と相談して金持ちの家に盗みに入ると、床の間の懐紙に「水に見て月の上なる木の葉かな」と、連歌の句がしたためてある。二人はつい夢中になって、添発句に脇句まで付けて楽しんでいるところを、亭主に見つかってしまうが・・・・。(パンフレットより抜粋)万作さんの演技は、いつ見ても円やかな深い味わいがあります。貧乏な男をしても、卑しさを感じず、清貧の精神が伺えるんですね。萬斎さんのトークにもありましたが、狂言の中の貧乏は、心まで貧しくなってはいないんです。貧しさに屈するというより、貧しさを楽しむというような感覚があるように思えます。万作さんの演じる男にも、そのような感覚を感じることができました。この曲も次の「賽の目」も遠い曲(あまり演じられることのない曲)らしいのですが、そういえば亭主に見つかってからのお話が、いつもとは違う珍しい展開のように思われました。(そんなにたくさんの番組を見ていないので、“いつもと違う”なんて偉そうなことは言えないのですが・・・。)太郎冠者が出てくるお話のように、亭主に見つかったところで、追いかけられながら退場というパターンかな?と思っていたのですが、亭主に見つかってからがけっこう長かったです。亭主に知人であることがバレて、盗みに入った理由を話すと、亭主は同情して酒を振舞ってくれたり、太刀をくれたりするのです。言ってみればハッピーエンドなのかな?休憩を挟んで次は「賽の目」これもあまり演じられることの少ない番組だそうです。「賽の目」裕福な人が、計算に優れた者を娘の聟にしようと高札を出す。応募者が次々にやってくるが、“五百具(五百組=千個)のサイコロの目の合計は?”という難問が解けず、追い返される。ようやく三番目にやってきた若者が、見事に解いて聟の座を射止める。さて、いよいよ娘との対面となるが・・・。(パンフレットより抜粋)萬斎さんはトークの時のように、伸び伸びと楽しんで演じているというのが、よくわかりました。美人だと聞いていた娘のために、難問を解いたのに、いざその娘に会ってみると、彼女が頭から絹物をかぶって顔を見せません。萬斎さん演じる聟がようやく被り物をとり、彼女の顔を覗き込んでみると・・・・。はい、おわかりの通り、娘は醜女(しこめ)でした。大げさに驚く聟の動作が可笑しくて、会場は笑いの渦でした。狂言はほんとうに無駄な動きのない、洗練された動きの芸術なんだと実感しました。万作さんはもちろんのこと、萬斎さんの所作の美しさに惚れ惚れ・・・。笑いのあるお話であり、面白おかしい動作を見せているにもかかわらず、気品が漂っているんですよね。品のある美しさが目に残った舞台でした。それはそうと、萬斎さんのトークにあったのですが、この秋に兵庫県立芸術文化センター(西宮市)で萬斎さんの舞台があるそうです。やった~♪見たいよぉ~。
2006/06/30
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久しぶりに「染タン」ネタ(笑)八月の納涼歌舞伎の演目が決まったようですね。第三部はなんと南総里見八犬伝いいなぁ~、見たいなぁ~。染五郎さんは犬塚信乃役なんですよぉ~!八犬伝のキャラの中で一番すきなのが信乃なんですよね。あぁ~、信乃を演じる染五郎さんが見たいな~。ちなみに他の配役は、伏姫(扇雀)犬山道節(三津五郎)、浜路(孝太郎)、犬川荘助(高麗蔵)、犬飼現八(信二郎)、犬田小文吾(弥十郎)、犬坂毛野(福助)です。ふぅ~む、面白そう。場所は東京・歌舞伎座で、8月8日~26日まで。も一つ、染タンネタ。関西在住の染五郎さんファンに朗報。7月13日に京都・六盛で「歌舞伎サロン」が開催されます。ゲストはもちろん染五郎さん。鈴木治彦さんとともに魅力的な芝居トークをされる予定です。お食事も付いているそうですよ~。この六盛は、手桶弁当で有名な料理屋さんです。京都の美術館に行ったとき、時々お邪魔して、手桶弁当に舌鼓を打ちました。今回のお料理はブッフェスタイルの京料理だそうですが、染五郎さんを囲んでの食事なんて、きっと喉を通らないだろうなぁ~。
2006/06/22
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いや~、5月26日に見に行ってから、もう半月が経ってしまったわ~。(汗)「ヤクソク」オンエア1周年記念イベントにまぎれて、レビューアップが遅くなってしまいました。さて、今年も美輪さんの舞台を堪能してきました。初夏には演劇の舞台、秋にはコンサートというスケジュールを毎年こなしている美輪さん。ファンの私も、このサイクルを毎年楽しんでいます。今年の舞台はエディット・ピアフ物語「愛の賛歌」でした。これまでに見た美輪さんの舞台は、「葵上・卒塔婆小町」「黒蜥蜴」「椿姫」などですが、今回も今までの舞台同様、「愛」に満ちたものでした。「愛の賛歌」は、言うまでもなくフランスを代表するシャンソン歌手、エディット・ピアフの生涯を舞台にしたものです。第1幕~第3幕まで、3時間半近くの長時間にわたるお芝居ですが、そんな長さはまったく感じなくて、すっかり美輪ワールドに引き込まれた至福の時間でした。第1幕は、パリの下町で歌を歌って生計を立てているエディットが、高級クラブの経営者ルイ・ルブレに見出され、彼のクラブで歌うようになり、次第に頭角を現してくる様子を描いていました。上流階級の人々が集うクラブで、初めて舞台に立つエディット。美しいドレスもなく、着たきりすずめの姿のままスポットライトを浴びます。歌い終わったエディットを待っていたのは割れるような拍手と賛辞でした。このときに美輪さんが歌ったのは、確か「ミロール」だったと思うのですが、いつものコンサートの時ならば、一人芝居を見ているようなこの曲を聴くのはいいのですが、今回のようにお芝居のときに聞くのは、劇中劇を見ているようで、少々違和感がありました。高級クラブでの歌手デビューならば、シャンソンをフランス語で歌ったほうが臨場感があるように思うのですが・・・。これは他の曲の時も同様に感じました。今回の舞台はシャンソン歌手の役なので、何度も歌う場面が出てきたのですが、訳詩で歌う時と原語で歌う時の両方ありました。その使い分けはどうされているのか、よくわからなかったので、少々残念だなと。ただ、第2幕の最後に「愛の賛歌」を原語で歌った時は、もう鳥肌が立つほどに感動しました。「愛の賛歌」を聴き終わってすぐに休憩に入ったのですが、会場が明るくなって周りを見ると、数多くの観客が目を赤くしてハンカチを当てていました。(笑)第2幕は、スターの座に君臨するようになったエディットの元に、イブ・モンタンやマルセル・セルダンが現れ、彼らとエディットの係わり合いを中心に描かれていました。エディットの場合は、私が生まれる前に亡くなっているので、「昔の人」というイメージが強かったのですが、イブ・モンタンの場合は彼が出演した映画「ギャルソン!」を存命中に見ているので、なんだか生きた歴史を見ているような気分でした。(笑)2幕後半は、妻子のあるボクサー、マルセルとの恋愛を丁寧に描いています。彼らの恋愛を一般的には不倫というのでしょう。私は保守的な人間なので、不倫はご法度!という考えなのですが、エディットの愛し方を見ていると、「本当の愛とはなんぞや?」と深く考えずにはいられなくなります。マルセルへの想いをつづった詩で作った「愛の賛歌」この曲をマルセル本人に聴かせる前に、彼はエディットの待つパリに向かう途中、飛行機が墜落し、急逝してしまいます。リサイタルが始まる前に、飛行機が墜落したと言う知らせが入り、倒れてしまうエディット。リサイタルは中止になるかもしれないと気をもむ興行主に、エディットは歌うと宣言します。彼女の体を心配する友人たちを説得し、エディットは舞台に立ち、マルセルの魂に向かって「愛の賛歌」を歌い上げます。本当に愛する人が死んだ時の心の痛みが、私の心にも染みてきて、涙を抑えることができませんでした。第3幕、愛する人を失って自暴自棄になったエディット。酒と麻薬に溺れ、体はボロボロになっていました。そんな彼女の前にギリシャ人の若者テオが現れます。エディットが入院している病院に、毎日見舞いに来ていたテオは、ある日初めて彼女の病室に通されます。エディットのファンだったテオは感激して彼女のベッドサイドに立ち尽くします。そしてエディットも、テオに心が動きます。21歳の年齢差を越えて、彼女らが愛を育み始めたとき、エディットはカムバック・リサイタルを実現させ、テオもまた歌手としてデビューするのでした。その後2人は結婚。幸福の絶頂にいる2人に、残された時間は刻一刻と過ぎていきます。とうとうエディットが倒れてしまいました。残されたありったけの力で、テオに歌のレッスンをするエディット。テオの「僕を一人にしないで!」という叫びも虚しく、エディットは波瀾に満ちた人生の幕を閉じるのでした。エディット・ピアフの生涯を丁寧に描きながら、饒舌すぎると感じなかったのは、演出と脚本のよさなのでしょう。ツボを押さえているんですね。無駄なセリフはないけれど、必要なセリフはきらびやかな言葉を費やして表現しているんです。また人の一生を表現しようと思えば、時間を追って長ったらしく退屈になりがちなのですが、美輪さんの舞台は、メリハリが利いていて、まったく無駄がありません。しかし殺風景ではないんですね。シンプルでいて、ゴージャスであるという、正反対の要素をうまく舞台上に表現しているんですよね。そして1番大切な、登場人物の心の動きはきちんと押さえてあるので、場面は省略されていても、感情移入でき、何度も涙が流れました。美輪さんの演出、ほんとうにお見事でした。2006年5月26日(金) シアター・ドラマシティ
2006/06/15
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テーマとカテゴリを選ぶのに迷いました~。(笑)映画館で見た映画だったのですが、内容が歌舞伎そのものの舞台だったので、「古典芸能・観劇」にいれました。今日は母の日のお祝いも兼ねて、母と一緒に大阪・梅田ブルク7へ。歌舞伎好きの母の贔屓は中村吉右衛門丈なのですが、もちろん玉三郎丈も大好き。(笑)孝玉コンビの時に何度か舞台を見て、「本物の女性よりも色気がある」と感激していたものでした。今年の1月に大阪松竹座で「壽 初春大歌舞伎」を母と一緒に見たときも、やっぱり孝玉コンビ(正確には仁左玉コンビなんだけど)健在でした。「十六夜清心」では恋人役の息もピッタリで、2人とも魅力的な悪役を見せてくれました。今日のシネマ歌舞伎の演目は、「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」と「鷺娘」でした。玉三郎丈の「鷺娘」、生の舞台は見たことがないので、せめて銀幕で堪能させてもらおうと、楽しみにしていました。確かに、この世のものと思えぬほどの、清らかな美しさを感じました。と同時に、なんとも言えぬ艶やかさも・・・。この「鷺娘」は着物の早替わりで有名ですよね。まず最初は白無垢の花嫁姿で登場。ちらちらと雪の舞い散る中、たおやかな1人の乙女が白無垢姿で登場する場面は、ぴ・・・んと張り詰めた空気を感じ、玉さまのあまりの美しさにため息が出ます。綿帽子を目深にかぶり、こちらから見えるのは、形の良い鼻と唇のみ。目が見えないというのは、なんともミステリアスです。襟元から覗く襦袢の色が、またなんとも艶かしいんです。真っ赤ではなく押さえた赤。私のイメージする「蘇芳色」でした。パンフレットを見ると、色が立ちすぎないように赤に紗をかけて色味を押さえているとか。こういうデリケートな感覚が、さすが古典芸能・・・日本人の美的感覚の素晴らしさを感じます。次は真っ赤な振袖。一瞬で白無垢から振袖に替わるのですが、これは「引き抜き」という手法だそうです。そういえば後見さんが近づいていって、袖から糸を引き抜いていたように見えました。その後、いったん舞台から引っ込み、今度は江戸紫の着物に替わります。そして傘の陰に隠れたかと思うと、今度は鴇色(ピンク)の着物に早替わり。目に鮮やかで、桜の模様が華やかです。そして一瞬、先ほどの赤い襦袢姿になったかと思うと、最後は鷺をイメージした白い着物へ。左肩にある赤い模様がずっと気になっていたのですが、パンフレットを読むと、それは手負いとなったことを表わしているそうです。激しく振る雪の中で、力尽きようとする鷺の精。玉三郎丈によって、凝縮した日本文化の粋(すい)を楽しませてもらいました。さてさて「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」です。映画ではこちらのほうを先に上映していました。これは有名な安珍清姫の物語で、その中の一部を演じています。安珍を追ってきた清姫が、日高川の渡しまでやってきて、船頭に向こう岸まで乗せてくれと頼みます。しかし船頭は先ほど「もし自分を追ってくる娘が来ても、決して川を渡してくれるな」と山伏に頼まれたので、断ります。それを聞いた清姫は、安珍への恋心と嫉妬の思いから、大蛇へと化してしまいました。驚いた船頭は逃げてしまいます。清姫は自分の思いを受け入れてくれない安珍を取り殺そうと、川へ飛び込み、彼を追いかけるのでした。面白いのは、清姫も船頭も人形だという設定なんですよね。船頭の後ろには2人の黒子がいて、文楽人形を操っているような動きをしますし、船頭も歌舞伎俳優の坂東薪車丈が演じているのですが、人形そのものの動きをします。足の部分は人形でしたね。(笑)そして額からかつらになっていて、眉毛が文楽人形のように動くようになっています。とてもユーモラスでした。もちろん玉三郎丈も文楽人形に扮していますので、人形のようなぎごちない動きをします。清姫の人形遣いは尾上菊之助丈。彼がまた水も滴るようなイイ男でした。(笑)船頭も清姫もほとんどまばたきをしていませんでした。さすがというか・・・。清姫が川に飛び込みもがくシーンは、水紋が描かれた水色の大布を揺り動かして、布が上下する間を清姫が見えたり隠れたりする演出でした。その時、般若の面をつけたりはずしたりしていたのですが、恋する女の執念と恋しい気持ちの両方を感じました。ようやく向こう岸にたどり着いて、岸辺に1本立っていた柳の木に、大蛇となった清姫がよじ登ります。その瞬間真っ黒だった後ろの幕が下に落とされ、後ろには満開の桜の木々が・・・。ため息がでるほどの華やかさでした。こういった演出を歌舞伎の舞台ではよくするのですが、いつもその背景の美しさと変化の激しさに圧倒され、しみじみと日本文化の奥深さを思うのです。人形振りの「日高川入相花王」は、観客の私もまばたきをする時間が惜しいほどの素晴らしい舞台でした。さて、玉三郎丈がこのシネマ歌舞伎を演じたのは、映像にすることによって、歌舞伎を見たことがない人にも気軽に足を運んで見てもらうことが出来るということ、生の舞台では見られないところもみてもらえるということなどの理由からだそうです。このままでは歌舞伎は廃れてしまう、もっとたくさんの人に歌舞伎を見て、愛して欲しいという思いの表れなのかもしれません。この舞台を映画で・・・という試み、私は染五郎さんの「アオドクロ」で経験済みなのですが、今回は前回見た「アオドクロ」の時に感じた不満を感じませんでした。「アオドクロ」では、俳優の動きが大きすぎて、自分が見たい俳優を常時カメラが追ってくれるとは限らず、不満が残ったんです。しかし今回は登場人物も少なく、セリフも太夫の語りであったため重ならず、見たい部分はクローズアップになってみることが出来、なかなか満足しました。・・・・でも終演後、母と顔を見合わせて同時にいった言葉・・・・。「玉三郎さん、年取ったね・・・」頬骨の辺りの肉が、ほんの少したるんで見えたのは気のせい?こういうときはアップがうらめしいかも・・・。シネマ歌舞伎HPはこちら
2006/05/16
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市川染五郎さんネタです(笑)彼の来年新春の舞台が決まりました!!なんとまたまた劇団☆新感線とのコラボなんですよね~。タイトルは「朧〈おぼろ〉の森に棲む鬼」で、シェークスピアの「リチャード三世」をモチーフにしているそうです。染五郎さん演じるのは天涯孤独な野心家の男。最初から最後まで悪役なのだとか。そんな役は、歌舞伎以外では初めての染五郎さん。めちゃくちゃセクシーでクールな悪役を楽しみにしていますよん♪(ジヌくんにもそんな役のオファーを!!)サンスポの記事はこちら
2006/05/11
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久しぶりに伝統芸能ネタの日記を書きます~。(笑)読売新聞では5月1日~今日5日まで「伝統芸能クイズ」を掲載していました。5問全部でも1問ずつでも応募できます。能を見ているとき、睡魔に襲われる私でも解けるクイズだったので、気になる方は挑戦されてはいかがですか~?第1問 能の曲には有名な物語を題材にしているものがあります。何という物語でしょう。 1、源氏物語 2、ナルニア国物語 3、竹取物語第2問 能はいつごろ確立してきたでしょうか。 1、江戸時代 2、鎌倉時代 3、室町時代第3問 能舞台の背景に描いてある絵はどんなものでしょう。 1、梅 2、松 3、樅(もみ)第4問 能のシテ方の流儀はいくつあるでしょう。 1、3つ 2、4つ 3、5つ第5問 能はゆっくり優雅に歩いている足の芸とも言われます。その足の歩き方は何というでしょう。 1、勇み足 2、摺り足 3、駆け足それぞれの問題にはヒントがあります。ヒントを見たい方、応募したい方は図書館などで読売新聞を見てくださいね~♪
2006/05/05
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待ちに待った萬斎さんと染五郎さんの「二人三番叟」の舞台が、今日の13時~NHK教育テレビでオンエアされます~!狂言界のプリンス・野村萬斎さんと歌舞伎界の貴公子・市川染五郎さんの夢のコラボ。しかも番組(演目)は私の大好きな「三番叟」!!これはまるで私のために企画されたような舞台ではありませんかぁ~!←自惚れそう思って、東京の新橋演舞場まで駆けつけたのは、昨年秋のことでした。(その時の日記はココ)その時に司会者だったNHKの女性アナウンサーが「今日の舞台は収録していますので、NHKで放送します」といっていたので、今か今かと待っていたんですよ~。そろそろ半年が経ちますね・・・。今日見逃しても再放送がありますので、(NHKさ~ん、ありがとう~!)興味を持たれた方はどうぞご覧になってみてくださいね。NHK「芸能花舞台」HP
2006/04/15
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韓流ミュージカル「ジギル&ハイド」の日本公演千秋楽に行ってきました。場所はNHK大阪ホール。ここには何度か来たことがあるのですが、床や壁が木材で出来ていて、反響はそれほどシャープではないけれど、全体的に落ち着いていて温かみのあるホールです。ジヌ友のsabatoraさんやともさんのおすすめに、迷っていた心をそっと押された形で観劇してきました。(笑)でも日本の楽だというのに、まだS席に空きがありました。当日券も出ていたみたいです。口コミでの前評判は良かったのに、あまり宣伝していなかったからかな?もよりの駅にもポスターを貼ってなかったです。もったいない。今回はもちろん韓国語での上演なので、字幕つきでした。この字幕、上手と下手の両方に置いてあったんですが、1階の後ろからだとちょっと字が小さかったです。オペラグラスを忘れた私には、ぎりぎり見える限界の大きさ。お隣のご婦人は肉眼ではほとんど見えなかったらしく、オペラグラスで字幕を見ていたそうです。セリフを読むのに必死で、なかなか役者の演技に目がいきません。それが残念でした。リピーターだったらよかったんですが。それから素晴らしい歌の後、拍手が沸き起こるんですね。ま、これは当然のこととして、その後「ブラボー!」とか「ヒュ~!」とか声をかけるファンが多数いました。きっとリピーターの方々なんでしょう。チョ・スンウssiの歌声は素晴らしかったので、声をかけたい気持ちはよく理解できるのですが、初めてこのミュージカルを見た者として、ちょっと気分をそがれたように感じました。掛け声のたびに、「ジギハイ」の世界から現実に引き戻されてしまうんですよ。高揚した気分のまま、次のシーンを見たかったです。さて、気になったことはここまでにして、作品自体や役者についての感想を。「ジギル&ハイド」のストーリーは、くわしいことは知らなかったので、『この先はどうなるのかな?』というワクワク感を持って見ていました。ストーリー自体は複雑に絡み合ったものではなく、しごくシンプルなものでしたが、とても深い内容で、じっくりと考えさせられました。チョ・スンウssiはとても魅力的な役者でした。彼の作品は映画「ラブストーリー」しか見ていないのですが、強烈に印象に残っています。決して美男子ではないけれど(スンウssi、ミアネ~)味のある表情と、『もう一度彼の姿を見たい』と思わせる不思議な魅力。これは役者としてとても素晴らしい要素を持っているということですよね。今回の「ジギル&ハイド」でも、善の象徴であるジギル博士と悪の権化であるハイドを見事に演じ分けていました。もちろんそれは別の人間を表現しているというものではなく、同じ人間の中に息づいている“善”と“悪”の表裏一体の要素をきちんと観客に伝えていました。ラスト近く、混乱に陥ったジギル博士が、ハイドと交互に人格を現すというシーンがあったのですが、ここが見事でした。照明の色によって、それぞれの人格の変化をわかるようにしていたのですが、それ以上にスンウssiの声や動作によって、別の人格になっていることがはっきりとわかりました。彼の歌声はとても艶やかでセクシーでした。オペラ歌手の声とはまた違うんですね。オペラ歌手の中でも、私はドミンゴさんが好きなのですが、どちらかというとスンウssiは、ドミンゴさんに近いような気がします。艶があってセクシーで、その歌声を聴いただけで恋に落ちてしまうような、魅力的な歌声。それからミュージカルナンバーがどれも印象的でした。特に気に入ったのは、ルーシーの歌う「No one knows who I am」私はこの曲を聴いたとき、すぐに『OSTを買おう!』と決心したのでした。(笑)そう、今回はハイドとルーシーに惹かれてしまいました。ジギル博士とエマのカップルも素敵だったのですが、世の中の酸いも甘いも味わいつくしたルーシーと、殺人を重ねながらも悲しみを湛えたハイド、このカップルに共感を覚えました。ハイドがしばらく身を隠すとルーシーに告げにきたときに、2人で歌う「It's a Dangerous game」が圧巻。セクシーでなんとも魅力的な歌声に、どきどきしてしまいました。白い色が、それだけで存在していても目立たないように、黒という相反する色と共存してこそ、あの清らかさが際立ってくるんですよね。人間も同じかな。もちろん神のように美しい心だけで存在することが理想だけれど、人間にそれは不可能だから・・・。善と悪が複雑に絡み合ってこそ、1人の人間としての魅力と深みを感じられるのではないかな。今回「ジギル&ハイド」を見て、そんなことを考えました。悪役に魅力を感じられたのは、やはりスンウssiの演技力のおかげでしょうね。哀しみを湛えたハイドは、ほんとうに魅力的でした。カーテンコールのとき、ジギル博士の扮装でお辞儀をしていたスンウssiが、突然束ねていた髪を振り乱してハイドに豹変した時、心臓を打ち抜かれたような気分がしました。衝撃的に素敵でした。日本公演の千秋楽だったので、彼の挨拶がありました。日本語で「ありがとうございました」あとはハングルで。観客は熱狂的な拍手。何回も投げキッスをするスンウssi。舞台と観客が一体になった瞬間でした。「ジギル&ハイド」公式HPはココ(舞台のダイジェストを動画で見られます)
2006/03/24
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今日は京都・南座まで遠征して来ました。ま、東京まで行くことを考えると近いよね。(苦笑)それでも1時間半はかかるので、家を出るときに本棚から文庫本を抜き取ったのだけれど・・・。電車に乗って開いてみたら、読んだことがある本でした・・・。(汗)タイトルを見たときは、まだ途中までしか読んでいない本だと思っていたのに・・・。最近物覚えが悪いかも。ま、何回読んでも身になる本なので、最初からもう一度読みました。ちなみにタイトルは「ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法」、著者は福田和也さんです。さてさて午後2時半に京都着。南座を目指します。途中鴨川の橋を渡るんですけど、いや~懐かしいなぁ~。京都には大学時代、毎週のように訪れていたもんですから。歩いている人も空気も、大阪や神戸とは違う、独特の雰囲気を持っている街です。好きだな~京都。 南座に着くと、染五郎さんのファンになって初めての差し入れをしました。ちゃんと差し入れ受付の場所があるんですね。いつもはその場所を横目で見ながら通っていたのですが、今回初めて染五郎さんに差し入れをしました。(ジヌくんには毎回貢物を持っていっている私なのに・・・)南座のロビーはとても狭いのですが、舞妓さんや着物を着たお客さんが一杯で、とても華やかでした。そうそう染五郎さんのお母様・紀子さんとお姉さま・紀保さんが来られていました。紀子さんは、相変わらずとても美しい方でした。紀子さんには、2001年に大阪の料亭「大和屋」で行われた“大和屋思い出に残る催し”に行った時、お会いしたことがあります。その時ぶしつけにも一緒に写真を撮っていただいたんですよね。玄人筋でもなく、もちろん素人のようでもなく、独特の艶をもった方でした。座席はさすが「その字組」で取った甲斐がありました、3列目の花道近くです。花道から3番目かな。手を伸ばせば届く距離ですよ~♪今回のタイトル「不二才(ぶにせ)」とは、鹿児島弁で“見てくれは悪いが心の温かい男”の事を指します。 「今回の“傾奇芝居おどり”は、この世の嫌われ者のカラスを不二才と見立て、その視線を通して真の“智・仁・勇”の心、その『三位一体』の果て、そして「死」とはー、といったテーマを芝居、舞踊の粋を超えた斬新な演出で展開されてゆきます。」(パンフレットより抜粋)パンフレットが語るように、今回も斬新な舞台を見せてもらいました。第1回は平成15年「傾奇おどり 魑魅魍魎的」を、第2回は平成16年「傾奇芝居 麻布十番ん」を染五郎さんは関西のファンに見せてくれています。私は「魑魅魍魎的」は見たのですが、残念ながら「麻布十番ん」は見られませんでした。「魑魅魍魎的」を見たときは、「へ?何?これ?」と思って、いまいち理解が出来ませんでした。どう欲目で見ても、染五郎さんの独りよがりと言うか、自己満足の舞台としか思えなかったんですよね。1年後の「麻布十番ん」はどうだったか、見ていないのでわからないのですが、今回の「不二才」は・・・よかったです!上手い具合に、独りよがりと斬新さのバランスが取れていたように感じました。傾奇といっても、やはり観客が楽しんで満足してこその舞台だと、私は思うんですよね。だから今回の舞台は、いい意味で染五郎さんも観客も双方が充分に楽しめた舞台でした。また10日前に見た萬斎さんの狂言レビューに通じるところがありました。萬斎さんも染五郎さんも、それぞれの世界であるところの狂言や歌舞伎を従来の形から新しい形に変えていくという試みをされているように感じました。まず「智のカラス、楓嵐(ふうらん)」役の尾上青楓さんが登場。真っ赤なマントを羽織り、ポップな曲を歌いながら踊ります。歌詞にはこれからのお話の説明を織り込み、(ミュージカルのよう?)まさに歌舞伎レビューという印象を受けました。そして「仁のカラス、紫薫(しくん)」役の尾上紫さんがおびえながら登場。楓嵐と紫薫のやりとりのあと、待ってましたの染タ~ン登場。前述の2人(2羽?)は花道から登場したので、染タン演じるところの「勇のカラス、麟斗(りんと)」も同様かと思いきや、なんとすっぽんから現れたのでした~。はい、私は3列目、眼のまん前ですよん~。花道近くで見るときは、2~3列目が美味しいと思われます。1曲踊ると役者さんは、もう汗びっしょりですから、花道横の席にいると、汗のにおいも感じますし、役者さんの表情がバッチリ!染タンはカラス役のため、黒い衣装に身を包んでいます。上半身は着物のように打ち合わせのあるもの。襟部分は銀色。下半身はフレアスカート状。黒い生地の左腰のあたりから右足首にかけて、斜めに銀色の線が入っています。袴のように腰で紐を締めるようになっているので、体の線がとても綺麗に見えます。もちろん役者さんのスタイルがいいからなのですが、あの衣装は動いてよし、止まってよしのデザインでした。で、染タンは頭にはロシア風の黒の帽子をかぶり、髪はカラスの濡れ羽色(笑)のストレートロングヘア!そう女装をしているのです。メイクもそれらしくしていて、その艶っぽさに一目でノックアウト!女っぽい仕草で踊る染タンに、劇場は湧きに湧きました。染タン、サイコー。(笑)BGMはインドのポップスのようで、照明は真黄色、いやウコン色?(笑)BGMも染タンの選曲なのでしょうか?インドのポップスあり、邦楽あり、クラシック風あり、なんでも来い!の舞台でした。そうそう特筆すべきはエンディング曲でしょうか。なんと私の大好きな曲がかかったのです。感動の余り涙が出そうでした。舞台では、それぞれが生きる意味、知恵・優しさ・勇気などの本来の形を悟り、外見を飾り立てることをやめて一生懸命に生きようとしながらも、力尽きて倒れてしまう場面だったのですが、(クライマックスですね)そこでTOGI+BAOの「大河悠久」が聴こえてきたのです!カンドー!そういえば染タンは「じゃぱねすくな男たち」で東儀さんと共演してましたからね。彼のアルバム「春色彩華」を聴いているのかもしれませんね。でもあのアルバムの中で、私が1番好きな曲をエンディングに選んでくれるなんて・・・と密かに喜んでいました。(そうそうBAOのメンバー、ツァオ・レイーくんは染五郎さん似です。笑)TOGI+BAO「春色彩華」についての過去日記はココとココここでTOGI+BAOのアルバム「春色彩華」の視聴が出来ます。舞台が終わっても鳴り止まない拍手に、出演者が再度舞台に登場。アンコールに答え、何度も手を振ります。何度舞台の袖に引っ込んでも、観客の熱狂的な拍手の音に、とうとうアンコール曲を青楓さんが歌ってくれました。染タンたちはバックで踊ります。その後スタンディングオベーションで観客が染タンを舞台に留めておくことに。染タンは観客にお礼と抱負などを語り始めます。その間も、ひっきりなしに「染五郎、日本一!」とか掛け声がかかります。今日の舞台には大向こうさんがいなかったのですが、観客は心得たもので、まるで大向こうさんのように絶妙のタイミングで拍手をおくっていました。目標はラスベガス!と息巻く染タンに「私もついていく~!」という声が。染タンはすかざす「それ、自分がラスベガスにいきたいんじゃないの?」と突っ込みます。(笑)歌舞伎の舞台と言うよりも、ある意味「ファンミーティング」(爆)のようなノリでした。観客も出演者も大いに楽しんだ舞台でした♪(でも一番楽しんでいたのは、ほかならぬ染五郎さんだったと思いますね。笑)
2006/01/29
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万作・萬斎新春狂言は、萬斎さんのファンになった2年前のお正月から見るようになった。これを見たら「年が明けた」な~んて感じるようになった・・・とまではいかないけれど、(笑)やっぱり年の初めには見たいな。2004年「万作・萬斎 新春狂言」日記はココ2005年「万作・萬斎 新春狂言」日記はココ「番組」は以下の通り独吟 雪山 野村万作レクチャートーク 野村萬斎犬山伏 山伏:野村万之介 僧:石田幸雄 茶屋:竹山悠樹 犬:月崎晴夫 後見:時田光洋しびり 太郎冠者:野村万作 主:高野和憲 後見:破石普照素囃子 神舞煎物(せんじもの) 煎物売:野村萬斎 当人:深田博治 太郎冠者;月崎晴夫 立衆:高野和憲 竹山悠樹 破石普照 時田光洋 後見:石田幸雄まず最初はいつも通り「独吟 雪山」「春ごとに 君を祝いて若菜つむ 我が衣手に降る雪を 払わじ払わで そのままに愛くる袖の雪 はこびかさね雪山を 千代に降れとつくらん 雪山を千代とつくらん」野村家では毎年元旦に、このおめでたい謡の「雪山」で謡始をするとか。2004年は萬斎さんの独吟、2005年は萬斎さんの謡と他5名の地謡つき。今年の「雪山」は、ちらしには「独吟 野村萬斎」と書いてあったと思うのだが、実際は万作さんの独吟だった。もちろん万作さんはベテランで、深みのある謡は味わい深かったのだが、私はやっぱり萬斎さんの独吟が好き。ハリのある声が清清しいから、まさに「雪山」を彷彿させるのだ。万作さんの独吟を聞いていると、なぜか“干し柿”を思い出してしまった私。あの微妙な甘さを感じる独吟だったというか・・・。レクチャートークは毎度ながら、萬斎さんの軽妙な語りが聞いていて面白いし、心地よい。彼は演じている時は高めのハリのある声なのだが、地声は低めのような気がする。あの地声がいいんだよね。(笑)ところどころで観客を笑わせながら、きちんと番組の内容はわかりやすく説明してくれて、このレクチャートークが一番の楽しみ・・・かも?(笑)犬山伏・・・茶屋に立ち寄った僧と山伏のいがみあいを、茶屋の亭主がうまくとりなすお話。山伏の態度が大きく、僧に無理難題を押し付けるので、茶屋の亭主は僧が勝つような試合を提案。それとは知らない山伏が、自分の法力を信じ込み、一心不乱に祈る姿が笑いを誘う。茶屋の亭主が飼っている犬が出てくるのだが、着ぐるみ(笑)の犬役は黒いたてがみ姿で、萬斎さんのレクチャーがなければ、すぐに犬だとはわからなかったかも。毎年、干支にちなんだ番組を見ることが出来るので、とても興味深い。2004年の申年は「靱猿」、2005年の酉年には「小舞 鵜之舞」(うのまい)、そして戌年の今年は「犬山伏」。さて亥年の来年は、何が見られるのでしょうか。ちなみにこの「犬山伏」と「煎物」は、どちらも“遠い”番組とか。この場合の遠いとは、めったに演じないと言う意味だそうで、今年は珍しい番組は2つも見られたということ。ラッキーだったかも。しびり・・・太郎冠者は主に、来客用の魚を買ってこいと命じられる。しかし行きたくない太郎冠者は、足がしびれて歩けないから行けないと断る。主はまじないをして、歩けるようになっただろう?と言うが、敵もさるもの、太郎冠者は「親譲りのしびりなので、そんなまじないでは治らない」と開き直る。しびりの声まねもする太郎冠者に大爆笑。万作さんの太郎冠者は、やはりじっくりと魅せる舞台で、じわじわと面白みが湧き上がってくる印象を受けた。この「しびり」は、狂言を習い始めの人が最初に演じる番組らしく、太郎冠者役は年少者か、万作さんのような熟練者かどちらかが演じるそうだ。萬斎さんのような壮年期の演者はしないらしい。煎物・・・祭りの世話人(この祭りは、大蔵流では祇園祭りだと決まっているらしいが、和泉流では祭りというだけ)が町の衆を集めて、囃子物の稽古をしていると、煎物売りがやってくる。煎じ薬はのどにいいといって、さかんに売り込むが、囃子物の練習に熱中している世話人と町の衆たちは、煎物売りがうるさくてかなわない。いやな顔をして断っていると、今度は囃子にあわせた売込みをする煎物売り。そのやりとりが面白く笑わせる。いよいよ萬斎さん登場。お持ちいたしておりました。今回は若手の役者を起用しているようで、萬斎さんはこの「煎物」にしか出ていない。(涙)この「煎物」もあまり演じる機会がない番組で、そういうものはやはり面白みにかけるらしい。それで今回は、萬斎さんがいろいろと改良したという。煎物売りが、世話人の舞をまねして不器用に舞う姿が面白い。萬斎さんも言っていたが、まさに「狂言レビュー」という感じ。(笑)それぞれの演者が謡を吟じながら舞い、囃し方の笛や鼓、太鼓の音色が賑やかで華々しい。ラストで煎物売りが、商売道具の焙烙(ほうろく)を腹にくくりつけて側転するが失敗し、壊してしまう。唖然として起き上がるが、粉々に割れた焙烙をみて一言。「数が多なって、めでたい」まさに萬斎風味付け狂言。現代の笑いにも通じるものがあると見た。劇場を出たところで年配の男性が「あれは狂言じゃないな」と同行者に言っているのを聞いたが、私はあれもイイと感じた。狂言の番組も、時代によって淘汰されていくものではないだろうか。当時生きた人が面白いと感じたものと、今の私たちでは、感じ方が違うだろうし。もちろん古典も守りつつ、時代に合わせて成長し続ける狂言があってもいいのではないかと思う。とにもかくにも、やはり萬斎さんの狂言は面白い。今年もいいモノを見たな~。新春らしく橋掛りの松にも竹が
2006/01/20
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歌舞伎界のプリンス、七代目市川染五郎さんのカレンダーが到着~!実は毎年その字組(染タンの公式ファンクラブ)で購入しているんだけど、やっぱり家族に遠慮して、堂々とリビングにかけられず、ひっそり封筒のまま1年間置いている私。時々取り出しては眺めているんだけど、来年のカレンダーはかなりイイのでちょっと迷っている。リビングにかけたいなぁ~。(笑)染タンカレンダー2006.9月1月から12月まで、すべてモノクロで、しかもすべてカメラ目線!!ということは、しっかり毎日私と目が合うってことなんだよね~~~。(笑)ただ、母の持っているヨンジュンssiのカレンダーに比べて芸がない・・・と思うのは、自分の誕生日に印がついていないってこと。染タンも1月8日にハートマークをいれて、祝日扱いにすればいいのに。(笑)ジヌくん、ミアネ~。ジヌくんのカレンダーがあれば家族がなんと言っても絶対にリビングにかけるからね!
2005/11/21
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10月28日東京・新橋演舞場で萬斎さんと染五郎さんの「三番叟」に酔った夜の翌日10月29日、大阪・梅田芸術劇場で能楽劇「夜叉ヶ池」を観劇。つくづくハードだな~と思いつつ、どちらもはずせないほど私好み。「夜叉ヶ池」原作者の泉鏡花は、私が一番好きな作家だし、それに野村萬斎さんが出演するとなれば、どうしても見たい~!<番組>仕舞「芦刈」 梅若六郎半能「石橋(しゃっきょう)」 親獅子 梅若晋矢 子獅子 梅若慎太朗 仙 人 茂山宗彦能楽劇「夜叉ヶ池」 白雪姫 梅若六郎 晃 野村萬斎 学 円 小林十市 百 合 壇 れい ほか「夜叉ヶ池」は能楽と劇の出会いと銘打って、能楽の演者とバレエダンサー、宝塚歌劇の女優、落語界のメンバーなど、多種多様な人々が出演していた。もちろん皆芸達者な方ばかりなので、それなりに面白かった。ただ劇中に挿入された歌はいかがなものか。歌詞自体は雲井弄斎(くもいろうさい)の詞章で、古典らしいが(元禄時代の歌謡集に収録されている)メロディが今風だった・・・よね。萬斎さんや小林さんは現代劇にも出ているので、セリフの言い方に違和感はない。梅若さんのセリフは謡になっている。それはそれで、白雪姫の幻想的な雰囲気をよく現していると思うのだが、そういう中でのあのメロディは、とても違和感があった。もっと古典的なメロディでもよかったのでは?この「夜叉ヶ池」という小説。鏡花の作品の中でも好きなお話なのだが、私が以前新聞に書評を書いた事があるので、ご紹介。<異界への扉を開く>中学生のとき、映画を見た。泉鏡花の「夜叉ヶ池」だった。早速、原作本を購入する。ページをめくっていくうちに、見慣れない漢字の多さと、その内容に驚いた。繊細な作りの万華鏡を、一人でこっそりのぞいているような心持ちだった。光の射す方向と、暗い空間を向いてみるのとでは、見える鮮やかさが違う。しかしどのように眺めても美の洪水である。日本語がこれほどぜい沢で清らかなものだとは思わなかった。モノクロの行間から立ち上ってくる鮮やかな色彩。清らかな音楽を聴いているようなせりふ。主人公の百合と晃は、世間という通俗の中で、りんとした生き様を貫くために死を選ぶ。それらは世俗に合わせて生きる理不尽さを感じつつあった、多感な年ごろの私にとって、オアシスのような存在になった。今でも疲れると、「夜叉ヶ池」のページを開く。まるで異界への扉をそっと押すように。この映画とは、1979年篠田正浩監督の松竹作品「夜叉ヶ池」。この映画で私は泉鏡花という作家に出会い、以後私の人生を決定づけられた。今の私の好みは、すべてこの映画の影響かな。(笑)さて能楽劇「夜叉ヶ池」の話に戻ろう。萬斎さんの晃は、とても元気で軽い感じがした。私の印象に残っている晃は、加藤剛さんなので、よけいにそう思ったのだろうか。萬斎さんの晃のほうが若々しいと言うか・・・。(笑)ま、それぞれに持ち味というものがありますからね。ただお話が佳境に入り、百合が村のために雨乞いの犠牲になろうとするときの萬斎・晃はとても凛々しく勇ましい。私が大好きな晃のセリフが満載なんだよね。「支度がいるか。裸足で来い。茨の道はおぶって通る」「生命に掛けても女房は売らん。(中略)神にも仏にも恋は売らん。」いいよね~。私、こういう泉鏡花に出てくる男の人を染五郎さんに演じて欲しい。今回の萬斎さんも爽やかでよかったけど、染タンも見てみたいな。「高野聖」のお坊さん役、ヤン・ジヌくんってのはどう?(笑)
2005/11/05
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とうとう行ってきました。東京遠征に。場所は新橋演舞場。午後6時半からの「三響会」演者は歌舞伎の市川染五郎さん、そして狂言界の野村萬斎さん。この2人が初競演するのなら、これはいかねばなるまいて。そして演目は「二人三番叟」狂言の番組の中で「三番叟(さんばそう)」が一番好きな私。狂言はもちろんのこと、歌舞伎、文楽でも「三番叟」を見たことがある。それぞれのよさがあり、何度見ても、どんな角度から見ても、私を魅了して止まない番組(演目)なのが、「三番叟」なのだ。「三番叟」についての解説を少し。「三番叟」は元来、能の「翁」の曲中に演じられる舞で、翁は天下泰平と国土安穏、三番叟は五穀豊穣を祈念して舞を舞う。「翁」は能の曲目の中で最も神聖な曲として扱われている。この曲が歌舞伎にも取り入れられて、「三番叟物」と呼ばれる多くの歌舞伎舞踊が生まれたが、それらの作品の内、江戸末期に作曲された長唄曲に、「翁千歳三番叟」がある。(三響会パンフレットより抜粋)「三番叟」は、このように五穀豊穣を願う、神様の前で踊る神聖な演目なのだ。私が初めて「三番叟」を見たのは、NHK「裸にしたい男たち」で野村萬斎さんを特集していたとき。彼が番組の最後で「三番叟」“揉之段”を踏んだ。その舞があまりにもエネルギッシュでエロティックだったので、衝撃を受けた。まあ、神聖な曲をエロティックに感じるというのも変な話だが、よく考えて見ると「五穀豊穣」を願うというのは、生のひいては性の営みに似ていなくはないか。(こじつけ?笑)とにかく萬斎さんの「三番叟」にぞっこん惚れこんだ私。それから「三番叟」を求めて三千里。(笑)染五郎さんの演じた「寿式三番叟」、文楽の「三番叟」そして萬斎さんの生の舞台「三番叟」などを見てきた。その一環として、今回の「二人三番叟」東京追っかけがある。(笑)そうそう、萬斎さんが著書「What is 狂言」で三番叟について解説している部分がある。「演者も観客も潮が満ちていくように高揚して、クライマックスへと昇りつめていきますが、そこには生命力の根源があり、宇宙へ飛ばされるような壮大な世界観を感じるのです。舞台全体をトリップした精神状態に持ってゆくためには、揉出という太鼓の手(リズム)がとても重要になります。大鼓が裏拍を突き上げるように打ってくると、エネルギーを集中させて座っている自分の体内がボコボコと沸きあがってきます。そして「立ち頭」という大鼓の手で、沸騰したマグマがドドーッと噴火するように立ち上がり、「おおさえおおさえおお 喜びありや喜びありや」と声を発して本舞台に出て行くのです。(中略)自然に囃子方と一体化し、だんだんテンポが速まって盛り上がると、ちょうど螺旋をのぼっていくように高揚します。うまく行くと囃子に身を任せて、覚醒していく感覚が確かにあるのです。(後略)」(「What is 狂言」野村萬斎 著 檜書店)なるほど、私が感じた「エロティック」というのも、あながちハズレというわけでもないのかな?さて、いよいよ「二人三番叟」が始まる。舞台は2つに分かれ、上手奥に染五郎さん、下手奥に萬斎さんが座っている。囃子方は真ん中で、その前に三宝が置いてある。上には鈴の段で使う鈴が。まず萬斎さんが、狂言の「三番叟」揉之段を踏む。昨年京都の大江能楽堂で見たのだが、やはり萬斎さんの「揉之段」はきびきびとしていて気持ちがいい。見ているだけで清められる気がする。そして烏跳びも鮮やかに決め、大満足。次に染五郎さんによる「三番叟」。二人とも直面で羽織袴で舞っている。私が以前見たものとは違うようだ。染五郎さんの方は、三味線が入るので、なんとなく“はんなり”とした色気が漂う。踊りもたおやかに見える。萬斎さんとは対照的。染五郎さんも烏跳びをしたが、高く飛んだにもかかわらず、なんとなく躍動感がなかったのは跳び方だろうか?いやこれは悪い意味ではなく。染五郎さんの揉之段の舞が終わると、2人そろって真ん中においてある鈴を取りに行く。そして鈴之段がはじまる。最初は萬斎さんから、そして染五郎さん、次に2人で舞う。狂言の歴史は600年、歌舞伎は400年。それぞれの歴史を背負って、その素晴らしい芸術のエッセンスを堪能できた舞台だった。あと見たのは、「島の千歳」「船弁慶」まだ「保名」と「石橋」があったのだが、新幹線の時間がせまっていたので、見られなかった。休憩時間に新橋演舞場をでようとロビーを走っていたら、中村勘三郎さんとすれ違った。楽屋に向かう途中だったみたい。ロビーにいる人は皆気がついていたようだが、さぁ~っと歩いていかれたので、誰も声をかけられず。思ったよりも小柄な方だったが、やっぱり独特のオーラがありましたね。それから入り口で亀井忠雄さんをお見かけした。そう亀井忠雄さんは午後二時からの「囃子の会」を主催されていたのだ~。こちらでは坂東玉三郎さんが舞踊「松竹梅」を舞ったとか。大倉源次郎さんも「囃子の会」に出られていたらしい。う~ん、こっちもよかったなぁ~。
2005/10/30
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開演まで、あと1時間。スタバで時間つぶししてます。もう少しで彼らと会えると思うと…。(笑)
2005/10/28
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今日これから大好きな「彼ら」に会いに行ってきま~す。帰りは遅くなるので、明日までPCの前には来ることができませ~ん。なんだか寂しいわ。すっかりPC中毒かしら?(笑)彼らとの密会(違)の報告は、また・・・。ふふふ。ごめんね、ジヌくん。今日は浮気してきます。許して~~~!(爆)
2005/10/28
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あの・・・歌舞伎界のプリンス、市川染五郎さんのファンって、楽天では見当たらないんですけど~、なぜかなぁ~。ま、いいや。私一人で「染タ~ン!」で叫んでますから。(笑)で、彼のTV&ラジオ出演情報で~す。9月26日(月) NHK大阪「ニュースかんさい一番」18:10~9月27日(火) 毎日放送ラジオ「ノムラでノムラだ」15:45~ 〃 ABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」 6:30~9月29日(木) 朝日放送「スタンダップ」25:56~10月1日(土) 朝日放送「おはよう朝日土曜日です」6:45~10月3日(月) 毎日放送ラジオ「ありがとう浜村淳です」8:00~10月7日(金) 朝日放送「探偵ナイトスクープ」23:17~「歌舞伎っす」 孝太郎さんの対談番組で大1、2回のゲストとして出演。(10月5日MXTV東京8:30~、6日CTC千葉テレビ22:00~、16日KBS京都放送7:30~、11月予定MTV三重テレビ)今、大阪・松竹座で舞台に出られているので、関西での出演が目白押し!うれし~~~!染タン、関西好きだしね。(笑)
2005/09/24
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番組は1、素囃子・・・「盤渉早舞」(ばんしきはやまい) 2、狂言・・・神鳴(かみなり) 神鳴 茂山千三郎 医師 善竹 隆司 3、能・・・「鞍馬天狗」(くらまてんぐ) シテ(前シテ 山伏)(後シテ天狗)吉井基晴 子方(牛若丸) 上田 顕崇 ワキ(僧) 福王 和幸 ワキツレ(従者)福王 和登 ワキツレ(従者)山本 順三 間(能力) 茂山 茂 間(木葉天狗) 善竹 隆平 間(木葉天狗) 善竹 忠亮 間(木葉天狗) 茂山 童司まず素囃子、この「盤渉早舞」(ばんしきはやまい)は、盤渉は水に縁がある意で、早舞は高貴な人の舞ということらしい。(源次郎さんが解説でおっしゃっていた)狂言「神鳴」は、都に住んでいた藪医者が、東国に下ろうとして広い桑原を歩いていると、雷が轟きだす。おわてて逃げようとすると、大音響とともに目の前に神鳴が落ちてくる。びっくりした藪医者だが、見ると神鳴が腰をおさえて呻いている。どうやら落ちてきた拍子に腰をぬかしたようだ。神鳴に頼まれて、藪医者はしぶしぶ針治療を始めるが、その痛さに神鳴は大騒ぎ。なんとか治療を終えて様子を見ると、腰の具合は治っていた。感謝する神鳴に治療代を請求する藪医者。それでは、と今後800年の間日照り・水害のないように守ってくれるよう約束し、神鳴は空へかえっていく。神鳴の動きがなんといってもユーモラス。腰を抜かして、足をジタバタしたり、針を打たれて、その痛さに大暴れしたり、とってもキュート!!(笑)バラエティ番組で、お笑い芸人がする動きにも似て、なんだか古典芸能に見えなかったよ、その部分だけ。(笑)狂言って、ほんとうに面白いし、現代に生きる私たちにも共感できる笑いがある。能「鞍馬天狗」は、花見に来た義経が先客の山伏に声をかけ、実は天狗だったその山伏から兵法の秘伝を授かると言う話。花見シーンでは、公募された素人の子役達が出演していた。六甲アイランド在住の4~10歳の子どもが5~6人。しずしずと出てきて、しばらく舞台で立っている。もちろんセリフはないが、衣装を着て、舞台に立つのだから、本人も親もいい記念になるだろう。後見さんが一生懸命、子役たちの立ち位置を直していたが。(笑)舞台の正面は黒い幕。本当は鏡板(松の木の絵)や金屏風なのだが、今回は特別舞台だったからか、黒い幕だった。囃し方や後見は目立たないが、演者は金屏風よりも目立つ。(笑)神鳴の衣装がきらびやかだったから、よけいに演者が浮き出て見えた。計算に入っていたのか、それとも計算外の効果だったのか。この件については、打ち上げのときに大倉源次郎さんにお話したのだが・・・。中秋の名月の夜。見ごたえのある舞台に酔ったひととき。
2005/09/18
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神戸の六甲アイランド内で行われた「六甲アイランド能」を見に行ってきました。解説は大倉源次郎さん。先日お世話になったI夫妻に再び呼んでいただいて、今日は打ち上げに参加。うほ~、大倉源次郎さんがすぐそこに!イケメンだわ~。そのほか狂言方、囃子方などの皆さんが、すぐそこに・・・。源次郎さんの横にくっついて(笑)しばらくお話をさせていただきました。彼はPCを持ち込んでいて、一生懸命にスケジュール調整。来年の予定もびっしりだそうです。すごいなぁ・・・。ツーショットで写真も撮っていただき、うふふな夜でした。番組についての日記は、またのちほど。
2005/09/18
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夜、大阪のリーガロイヤルホテルで、現・中村鴈治郎さんの「坂田藤十郎襲名を祝う会」が開催された。I夫妻のご好意で呼んでいただいた私。ふふふ、どんな方々が列席されているか、楽しみ。待ち合わせ5分前にホテルロビーに着いたと思えば、ん?なんか変。よく確かめて見れば、「リーガロイヤル」と「リッツカールトン」を間違えていた!(冷汗)あわててタクシーに飛び乗り、リーガロイヤルホテルへ。開始5分前に駆け込む。(滝汗)まずは主催者の挨拶があり、お次は祇園の芸妓はさんたちによる「手打」河合隼雄文化庁長官、大田房江大阪府知事らによる挨拶。乾杯に続き、桂米朝さん、安奈淳さんらによる挨拶などが続く。やっぱりすごい面々・・・。フランス料理のコースをいただきながら、歓談。実はお昼もフレンチだった私。所属しているディベートの会のメンバーが、昨年自費出版し、その本が「自費出版賞」に輝いたので、そのお祝いだった。食事もだいぶ進んだところで、記念撮影の時間。一つ一つのテーブルを、鴈治郎さんと妻の扇千景参議院議員がまわってくる。その後、鴈治郎さんの芸歴などをスライド上映。大阪締め?をしてお開き。列席者を見ていたら、大平光代大阪市助役、安藤忠雄さん、コシノヒロコさんの母の小篠綾子さんらのお顔もあった。お土産をいただいて会場を出る。 写真集・手ぬぐい・千社札・「一生青春」という日本酒など・・・。その後、Iさん夫妻らと地下のCELLAR BARへ。帰宅は深夜。お疲れ様でしたぁ~。
2005/09/16
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大阪・松竹座で久々の染タンの舞台!今月の演目は「夢の仲蔵 千本桜」父上の松本幸四郎さんと共演。この舞台は、純粋な歌舞伎ではないんだよね。歌舞伎と時代劇をあわせたような・・・。歌舞伎好きならば、うれしくなってしまう演出。歌舞伎の「義経千本桜」の舞台と、その裏の楽屋の様子を、回り舞台で見られる趣向。時は安政。江戸三座の一つ、森田座ではきらびやかに「義経千本桜」が上演されていた。「伏見稲荷鳥居前の場」「大物浦の場」「道行初音旅」と物語は進んでいく。舞台の上とは違い、楽屋裏では座頭の中村仲蔵が役者たちを叱り飛ばしていた。舞台の出来が悪いと文句を言う仲蔵に、借金取りがいやみを言ったり、役者が聞く耳を持たなかったりと、なかなか収拾がつかない。そんな中、一番弟子の中村此蔵だけは、座頭の味方だった。芝居が好きで好きで仕方がない此蔵の頭の中には、給金のことよりも、憧れの役「佐藤忠信」のことで一杯である。いつか「狐忠信」を演じて見たい。そう思って稽古に励んでいた。そんなバタバタとした楽屋に、とんでもない知らせが入る。忠信役を演じていた四郎十郎が奈落で死んでいたのだ。座員が大騒ぎする中、仲蔵だけは冷静に、四郎十郎の代役を大吉に申し渡す。しかし今度は大吉が奈落に落ちて腰を強打し、動けなくなる。悩んだ末、仲蔵は狐忠信の役を此蔵にやらせることにする。大喜びする此蔵。果たして、四郎十郎は殺されたのか?大吉は誰に突き落とされたのか?謎が謎を呼びながら、森田座の「義経千本桜」は此蔵を代役に幕を開ける。さてその出来は?犯人はいったい誰なのか?↓以下ネタばれあり。染五郎さんがすばらしかった!どうしたんだろう?(といっては失礼かもしれないけど)此蔵の座頭への屈折した感情と、芝居への愛着が、見るものにビンビン伝わってくる。番附に演劇評論家の松岡和子さんが寄稿されているのだが、私も同じ感想。(恐れ多いけど)以下抜粋「染五郎を芯に据え、半歩引いた位置をとりつつ此蔵を手の内に収める仲蔵=幸四郎の大きさが際立つ。それにしても染五郎は素晴らしい。姿の美しさ、たたずまいの端正さ、踊りのうまさ、声のよさ、演技の哀切さ、コミカルなところも垣間見せて、惚れ惚れせずにはいられない。『裏』で描かれる役者同士の、特に仲蔵と此蔵との愛憎半ばする心理の絡み合いは、現代劇もよくする幸四郎と染五郎の独断場である」あぁ、そうなんです~。「義経千本桜」の舞台の上の染五郎さん=此蔵は、ホント艶やかな色気にあふれていて、もううっとりしながら舞台に目が釘付け状態。歌舞伎の衣装の華やかさが、よく似合っていたし、踊りの場面の所作の美しさも、ため息モノ。こ、こんなに素敵だったっけ?染五郎さん。いえ、素敵なのは先刻承知なんだけど、でも今回の舞台は今まで以上に男っぷりをあげていたなぁ~。ま、声のよさってのは、まだまだだと思うけど。なんたって幸四郎さんの滑舌の良さにはかなわないよね。染五郎さんは、早口になったところはセリフが聞き取れなかったりするもの。特に狐詞のところ。この「四の切」は猿之助さんの舞台を何度か見たことがあるんだけど、やっぱり彼の狐は最高だった。本当に狐が化けているように感じたもの。染五郎さんはまだ若いから、これからも修行だよね。頑張れ!染タン。殺しをした後の此蔵のぞっとするような色気と狂気。今までの純粋な此蔵ではなく、肝を据えた人間の強さが感じられた。演出も、「義経千本桜」の「四の切」では早変わりが当たり前なのだが、そこはもちろんのこと、他でもいろいろな工夫があった。此蔵が奈落で大吉を殺した後、出番が来てスッポンから舞台に上がっていく。舞台上手のセットから、此蔵が上へ上がっていったと思ったら、花道のスッポンから此蔵が現れた。え?一瞬の出来事だよ。どうやって来たの?森田座の楽屋裏のセットも、2階建てになっていて、話の中心が1階か2階かでセットが上下していて、見事だった。それから今回は大向こうさんも工夫していた。楽屋裏の話のときは、それぞれの役者の屋号「高麗屋!」などと声をかけるんだけど、いったん「義経千本桜」の舞台になったら、中村仲蔵や此蔵の屋号「坂田屋」?に変わっていた。すごい、芸が細かい~~~。感動しちゃった。私はオペラグラスで染タンばかり追っていたんだけど、いやはや素敵過ぎて目の保養になりんした。ラストシーンは泣きますぞよ。私、また泣いちゃったもん。此蔵の悲しいまでの気持ちが、胸に迫ってきて、泣かずにはいられない!此ちゃ~ん!辛かったねぇ~、おばさんが抱きしめてあげるよ~。(こればっか。苦笑)舞台が終わって劇場から出るとき、8年ぶりぐらいにOL時代の会社の上司にバッタリ。びっくり~。久しぶりにお茶してきました。奇遇ですなぁ~。(笑)
2005/09/10
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同名の映画を見て、感動した。これを三上博史が舞台ですると聞き、さっそくチケをとる。三上博史版「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」彼自身もかなり“キテ”ましたが、見てる観客も、かなりコアな方が多かった。大阪の楽だったからかな?ピンクやプラチナのウィッグの女性が集団で・・・。お席はかなり前のほうだったから、三上氏のファンクラブでも?途中、ヘドウィグ(三上博史)が飲み物(水?お酒?)を瓶からラッパ飲みして、ぷっと観客に向かって吹き出す場面があるのだが、コアなファンたちは、ちゃんと“ビニールシート”を用意していたぞ。すご。一瞬映画ロッキーホラーショウ」を思い出した私。(笑)私もかなり前、「ロッキーホラーショウ」を見に行ったとき、ライターや新聞持参で参加してきたもの。さて、三上版「ヘドウィグ~」だが、役者はかなりいいのだが、ストーリーがわかりづらい。私は映画を見ていてストーリーは頭に入っていたからいいが、もし初めて見る人がいたら、ストーリーを追えなかったのではないだろうか。舞台はほとんど三上博史の一人芝居で、あとはイツァークとバンドのメンバーがいるだけ。このイツァークも、映画で見たときは衝撃を受けたのだが、オチを知っていたからか、今回は衝撃を受けなかった。もう少し化けてみてもよかったのでは?三上博史自体はよかった。かなりヘドウィグが“憑依”している状態。ノリにノッていると見受けられた。ヘドウィグのエキセントリックな部分や、ナイーブなところを、きちんと演じていて、彼女?に感情移入しやすかったと思う。ただラストの解釈は、映画とは違ったんだっけ?う~ん、わからん。でも映画でも感動した挿入歌「愛の起源」はやっぱりよかった。1つ、思い出しちゃったんだよね。あのお酒?を吹き出す場面で・・・。え?だれをって?・・・ソンジェ。(爆)それからはまた胸がドキドキしてきて、お芝居に見が入らなかった・・・かも?あ~重症だぁ~。
2005/07/09
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今日は「中村勘九郎改め十八代目中村勘三郎襲名披露」の初日。行ってきました、大阪・松竹座。小雨が降り、足元が少々気になったが、久し振りに染タンが関西に来るので、これははずせない。もちろん勘三郎さんの襲名披露だもの、見逃したくはない。この頃ヤン・ジヌくんに心を奪われているのだが、今日は染タンを満喫しようと思いつつ松竹座の門をくぐる。まあ艶やかなこと!舞妓さんがいっぱい。舞妓さん以外にも着物を着た人が多い。男性もいた。さすが勘三郎さんの襲名披露なだけある、と感心しつつ座席につく。なぜか私の座っている席のまわりに舞妓さんや元舞妓さん?らしき女性が多数。玄人衆に囲まれて落ち着かない私。いよいよ幕が上がる。演目は1、寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)2、上 源太(げんた) 下 藤娘(ふじむすめ)3、口上4、伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)我らが染タンは「寿曽我対面」で曽我五郎を演じ、そして口上にも出演。染タ~ン、お久しぶり~!最近はジヌくんに心を持っていかれているんだけど、まるでそんな私を知っているかのようなタイミングで送られてくる「その字組」からのDM。封を切るたびに『ごめんね、染タン』と心の中で謝っていたわ。そうそうジヌくん熱にうなされている朝、萬斎さんの夢を見た日もあった。夢の中で萬斎さんは私を非難するように、鏡越しに私を見つめていたっけ。2日も続けてそんな萬斎さんの夢を見たときは、さすがに心が咎めたわ。もちろん萬斎さんのことも忘れてはいないのよ。今月、大槻能楽堂に参ります。そんなことをグダグダ考えているうちに、お芝居は進んでいく。曽我五郎の染タンは隈取も鮮やかに登場。私の好みから言うと、五郎よりも十郎の扮装の染タンのほうが好きかな。(だって優男なんだも~ん)オペラグラスで一生懸命に染タンを見る。う~ん、天地眼で見得を切った彼は、やっぱり素敵。2、源太は三津五郎さん。う~ん、年取ったよね。まだ不倫騒動を起こしていなかったときは、雷様似のいい男だと思っていたのに、最近の彼は見る影もない。まるで別人のようだ。藤娘は勘三郎さん。う~ん、彼の女形って、私はあまり・・・。(汗)初々しい藤の花の精が登場し、男に恋し、酒に酔って、艶っぽい女になるのだが、申し訳ないが最初から「おばちゃん」にしか見えないんだよね。以前、勘三郎さん(当時は勘九郎さん)の平成中村座で「法界坊」を見たんだけど、そのとき彼は体の半分を坊さん、残りの半分を娘になって宙乗りをしていた。ぶら~んとぶら下がりながら、観客に坊主姿を見せたり、くるっとまわって娘姿を見せたりして、笑わせていた。今日の藤娘を見て、そのときのことを思い出してしまった。『この藤娘はいつ坊さんに化けるんだろう?』などと、つい考えてしまって・・・。(笑)玉様の藤娘を1回生で見てみたいなぁ。(ごめん、勘三郎さん)3、口上は今回の1番の楽しみ。出演者が舞台に集まり、それぞれが勘三郎さんに個性的なお祝いを述べる。生の役者の姿が見られて、もうこたえられません~。染タンは茶色の裃。凛々しいお姿に大興奮。染タンは、「阿修羅城の瞳」の舞台をしたとき、勘三郎さんが見に来てくれて、しきりに「くやしい」と言っていたというエピソーソを披露。(ん?どっかで聞いたことあるんだけどな、この話)お兄さん(勘三郎さんのこと)にこういっていただいて、役者冥利につきる・・・との弁。いいねぇ、いいねぇ。4、伊賀越道中双六では私、思いっきり泣きました。歌舞伎を見てこれだけ泣いたのは初めてじゃないかな。とにかく、勘三郎さんの雲助平作と仁左衛門さんの呉服屋十兵衛が素晴らしかった。仁左様、本当に水も滴るいい男。十兵衛の人の良さ、心の葛藤を観客の心に染み入るように演じていて、もう感動。勘三郎さんも、老人役を見事に演じていた。最初は愛嬌があって憎めない平作を、後半にかけては、義理と人情の板ばさみになり、苦しみながらも自らを犠牲にする平作を表現。涙なしには見られなかった。そうそう仁左様と勘三郎さんが観客席通路に降りてきて、歩いていく場面があったんだけど、舞妓さんの集団をじっとみて仁左様が「綺麗な花がたくさん咲いているわな」と言っていて、わらってしまった。あれはアドリブだよね。老女役をやらせたら美輪明宏さんの右に出る人はいないと思っていたのだが、今日は老人役をやらせたら勘三郎さん以上に演じられる人はいないんじゃないかと感じた。染タンが出ていない演目で、こんなに集中して、こんなに泣いたのは、初めて。幕が閉まったあと、「あぁ~ホントにいいものを見せてもらったな~」と心のそこから満足した。
2005/07/03
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6月6日読売新聞夕刊で、我らが染タンがほめられていた。やたっ!記事は歌舞伎座での「六月大歌舞伎」について。なになに・・・。「勘三郎襲名の余韻が残る今月、最も光ったのは染五郎が忠兵衛に挑んだ昼の部『封印切』『新口村』(中略)上方和事の「封印切」前半、江戸歌舞伎系の染五郎が善戦している。(中略)アイドル的若手から一段上の芸域に入りつつある。(後略)」(読売新聞 ’05 6.6 夕刊より抜粋)以前大阪・松竹座で、染タンの「封印切」を見たことがある。でもそのときは忠兵衛役じゃなかった。確か憎まれ役の八右衛門じゃなかったかな。彼がいやらし~~い役を演じても、どうしても育ちの良さがにじみ出ていて、いまいち悪役に見えないんだよね。今回の忠兵衛役のほうが、彼にとってやりやすいのかも。な~んて言ったら怒られるかな。なんたって「アイドル的若手から、一段上の芸域に入りつつある」お方ですもの。来月、染タンは大阪・松竹座にきま~す♪待ってました、若高麗!もちろん勘三郎さんも見に行くけど、やはり生染が楽しみな私であった。(笑)
2005/06/07
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ふふふ、ようやく見てきたよ。「アオドクロ」もう、なぜ東京ばっかりで上演すんのよ!劇団☆新感線は関西の劇団なんだから、関西には来て欲しいよね。「阿修羅城の瞳」は大阪でも上演しているんだし。そういえば「アテルイ」も見てまへん。で、「アオドクロ」座席が前から2番目だったので、映画を見るには近すぎた。これがホンモノの舞台だったらどんなによかったか!こんなに前で染タ~ンが鑑賞できるんだもの。ストーリーはそれなりに楽しめたんだけど、ちょっと「阿修羅~」に似てない?男前だが少々お調子者の男が主人公(出門、捨之介)。そこに外部から訳ありの女がくる。(椿、沙霧)ひょんなことから昔の友人(邪空、蘭兵衛)に会い、事件に巻き込まれる。主人公のピンチを助ける道具を作る鍛冶屋(抜刀斎、カンテツ)が場を盛り上げる。違うのはラストかな。「阿修羅城の瞳」は見た後も切なさ全開だったけど、「アオドクロ」はスッキリしたね。なぜって?それは見てのお楽しみ。そういえば、染の生首が出てきたね。欲しいような、怖いような、欲しい、怖い、欲しい、怖い、やっぱり欲しい・・・で、生首に接吻を・・・って、私はサロメか!!染ヨカナ~ン。やっぱり怖い。ゲキ×シネという企画は、舞台を見ることの出来ない観客にも臨場感溢れるお芝居を提供すると言う意味では、いいのかもしれない。が、難がある。お芝居を観ている観客は、それぞれの場面を自分の好きなようにクローズアップで見たり、全体を見たりしている。贔屓の役者を特別に見たり、自分が関心を寄せたように、好きなように舞台上を見ている。しかしゲキ×シネはそうはいかない。舞台上のお芝居を映像で撮っていて、もちろんお芝居のメリハリを持たせたり、客を飽きさせないように、さまざまなカメラワークで撮影している。セリフをしゃべっている役者をクローズアップにしたり、パンしたり。でも、私はそれがうるさかったのだ。自分の好きなようにクローズアップにしたりすることができず、半ば強制的に見せられる。それが少々苦痛だった。もちろん正規の映画ならば、すべて制作者側がカメラの動きなどを決めるのだが、それは「映画」として観客に見られることを意識して制作している。しかしゲキ×シネは観客が舞台を見ているという設定で撮影してるので、何がしらかの違和感があるんだよなぁ。ま、「髑髏城の七人」が大阪でも見られたから、よしとしなければいけないのだろうが。そうそう、休憩の時と終演の時のアナウンスは、なんと染タンの声だった。「帰りの電車の中で感想を話してください。****あなたの染五郎」だってさ。私の染五郎なんでしょうか?(笑)
2005/05/26
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待ちに待った美輪明宏さんの舞台「黒蜥蜴」を見に行った。思い起こせば一昨年、初めて美輪版「黒蜥蜴」を見たときの衝撃は忘れられない。スラヴ舞曲のもの悲しいメロディと共に幕が上がり、私はそのまま舞台の世界に引き込まれていった。息もつかせず物語は進み、幕が下りるころには、すっかり「黒蜥蜴」の世界に陶酔しきっていた。明智小五郎への恋心を抱いたまま。再び、あの妖美な世界に彷徨うことを熱望し、会場へ足を運ぶ。息を殺しながら、幕が上がるのを待つ。あの、胸を締めつけるほど切ないメロディが流れ出す。幕が上がり、再び妖艶耽美な世界が、私の目の前に現れた。今回も高嶋政宏氏が明智小五郎を演じている。彼への恋心が再び燃え上がる時を待つ。しかし、である。第一幕第五場で明智が緑川夫人と出会い、お互いの腹を探りあうシーン。台詞は前回とほど同様だと思うのだが、少々演技が違う。明智小五郎がいやに軽いのだ。これはもう個人的な好みの問題かもしれないのだが、この緑川夫人と明智が犯罪について語り合う、緊張したシーンが、明智の少しふざけたような物言いで、緊迫さを欠いていたように思う。緑川夫人、実は黒蜥蜴と名探偵明智小五郎が、お互いの動きを探りあい牽制しあいながらも、なおかつ惹かれあうという緊迫したシーン。私の好きなシーンが、明智の軽々しさで台無し。もちろん台詞の美しさは変わりがなく、日本語の贅沢な魅力を余すところなく堪能できた。恋の醍醐味を感じる台詞を、以下抜粋。明智小五郎「でも己惚れかもしれないが、僕はこう思うこともありますよ。僕は犯罪から恋されているんだと。犯罪のほうでも僕に対して、報いられない恋心を隠しているんだと」緑川夫人 「うぶで図々しい恋人同士ね」明智小五郎「そうです。うぶで、心がときめいて、自分で自分にはむかって、その結果、裏切りばかりに熱中する不幸な恋人同士」今回は以前ほど明智に執心することはなかったが、かわりに(というのは変なのだが)印象に残ったシーンがある。前回はまったく何も感じなかった雨宮の台詞。今回はなぜか心に響く。黒蜥蜴に恋しているのに、見向きもされず苦しむ雨宮。恋い慕う黒蜥蜴が自分以外の者に接吻したり愛撫するのを見るたびに、心が乱れる。雨宮が恋敵の明智を葬った時、ますます黒蜥蜴は雨宮に冷たく当るようになった。雨宮は決心するのだ。自分が黒蜥蜴の愛玩する生人形になることを。偽りの裏切りをして見せ、最愛の黒蜥蜴の目の中に、たった一度でいいから、自分に対する嫉妬の小さな火を燃え立たせることを、雨宮は願う。屈折した愛の形に、今回はなぜか心引かれた。もしかすると、それは私の心の変化かもしれないが、雨宮役の木村彰吾クンが変わってきたということもあるのかもしれない。前回のパンフの表紙は、明智と黒蜥蜴だったのだが、今回は明智、黒蜥蜴、雨宮になっている。雨宮の存在が、前回よりも大きくなっているのかもしれない。前回のように明智に惹かれないといいつつも、やはり第三幕第五場は圧巻。黒蜥蜴と明智の恋愛美学が火花を散らしあっている。何度見ても私が必ず涙を流す台詞。殺したはずの明智が生きていたとわかり、死のまぎわに黒蜥蜴がこう言う。「うれしいわ、あなたが生きていて」恋する自分が、自分でなくなるように思い、ダイヤの心に相手を踏み込ませたくなく、相手に殺意を抱く。しかし恋する人を殺してしまった虚無感に苦しんでいた黒蜥蜴。自らは死を選び、恋人が生きていたことを喜ぶ。圧倒的な、そのプライド、その美学の前に、私はただひれ伏すしかない。前回のラストと違うのは、死んだ黒蜥蜴の手を明智がいとおしそうに取るところ。私の記憶では、前回は手を取ろうとしながらも、明智はためらっていたと思うのだが。今回は手を握り、愛の営みをするがごとく、自らの頬に黒蜥蜴の手を寄せる。もっとも美しいシーン。何回でも見たい。ぜひぜひ同じキャスティングで再演をお願いしたい。
2005/05/22
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