全333件 (333件中 201-250件目)
田舎は少子高齢化で人口が減り続けています学校を卒業し、地元への就職は1割未満でしょう? 津波遡上の問題の日記を書いていて気になりました消防団員数調べると熊野は条例で500人だそうです定数算出の根拠は分かりませんが団員確保は困難でしょうね 困難を通り越している状況かな?団員の高齢化 人口が18,000人余り ・・・・ みなさん消防団員になりましょう東南海地震、津波、台風災害、火事、・・・・ ひとり暮らしの老人の増加団員さんの役割は大きいのです 若かった頃、何度か団員勧誘を受けました当時は今ほど下肢障害の痛みもなかったのですが山火事などは私には無理だったのですまた民間企業の私でも仕事柄緊急参集の義務もありお断りしました 迷惑をかけますからね しかし違う面での協力はしてきました(団員でなく署員さんに)その関わった署員さん達の多くが退職されていっています数日前に署長が退職の挨拶回りの途中偶然遭遇、歩きながら昔話を少ししました少子高齢化って様々なところに影響してきている田舎です観光に力を入れるのもいいのですが・・・・
2015年04月02日
コメント(0)
最近、子供の頃の写真を見る事が多くなりました (ぼかし入れ)昭和30年後半ごろ 三輪車に乗っている子供可愛いでしょう この道は 車なんて1日5台も通れば多い方だったかな?運搬は牛から耕運機にトレーラーをつけての運ぶのが主流の時代です軽三輪もすこし走っていたような?トレーラーから軽4輪に変わってきたのが昭和40年位から?2サイクルの360CC 4サイクルの550から660に 500CCの車もありましたね大型トラックはみなボンネット式で大型と言っても小さかったですね谷向こうの道では山で切った木をたくさん積んだトラックがたくさん走っていました私の時代は架線ですね 親父もその関係の資格を多く持っていました発動機なんて分解して各パーツをリックに入れて現場でまた組立るのですね事故も多かったようですが(親父に親友はワイヤー事故であの世に)でも林業と農業で栄えた私の町です観光に力をいれるのも分かりますが、どうも合っていないように思えるのです 昔の田舎の風景っていいですね壁が赤土と石で屋根はワラ葺き納屋(ふき直しの時は大勢の親戚が)半2階の瓦ぶき屋根の納屋も見えます瓦ぶき屋根でも垂木に野地板を打っていません野地板の代わりに杉皮が用いられてていたものです左奥の山はパイロットみかん農園に変わっています 今の時代、環境とか防災とかよく言われますが昔のほうが、環境に優しい生活であり住まいも危険なところにはすまなかったしだから防災工事なんてあまりしなくて済んだのです人間が一番地球を汚しているのです何がコントロールできているのでしょうか廃棄物の保管は 海洋汚染は、避難住民さんの生活は怖い社会です
2015年03月23日
コメント(0)
全国のかんぽの宿の中でいくつかが営業が終了するそうです昔は、保養センターと呼んでいましたねセンターのトップ名称が所長ではなかったでしょうか後に総支配人に簡易保険福祉事業団が経営していたと記憶していますそして売店等の経営は簡易保険加入者サービス協会がおこなっていたように記憶しています 当初は簡易保険加入者の宿泊施設でしたが郵政民営化後にセンターからかんぽの宿に名称が変わり保険加入者に限定が除かれたようです限定は、民営圧迫を考えた措置であったのでしょうかね? 営業が終了 赤字が多いのでしょうね今はどうか分かりませんが昔の状況は(記憶違いかも?)郵政関係の天下り先ではなかったでしょうかそこには親方日の丸・・・・センターの管理職は、生え抜きの方でなく郵政からの・・・そして「わたり」があったような気がしますサービス協会のえらいさんは郵政関係の方が多かったような? でもねそこで働く方たちは一生懸命営業をしていた記憶もあります今後の雇用はどうなるのでしょうかね熊野のかんぽおそらく行政や地元有識者、政治?・・で誘致したのでしょう?でも行政関係の忘年会等は勝浦方面が多かったような?どこか ちぐはぐなのですね 営業停止による熊野の受ける影響は 気にかかりますね熊野にできて35年あまりで営業終了かんぽのカードを持っている私 寂しいですね
2015年03月05日
コメント(0)
公立の紀南病院の本館が建て替えられています熊野地方の地域医療が充実されますね この病院に限らず 多くの医療施設の事で思い浮かんだ事を少し書きます〇医師不足では片づけられないものが・・・〇スタッフの様々な問題意識の自覚〇業務委託の検証 清掃委託 国への事業登録業者?(医療関連サービスマーク認定事業者なの?) 病院専門責任者(資格要) 清潔感 食事関係委託〇避難誘導体制 夜間の管理体制 〇施設課というか維持課というか 設備の管理体制への認識 省エネで蛍光管取り外し (でも器具内の安定器に電流が・・・・) ある独立行政法人の病院 素晴らしいところがありました設備もスタッフさんも医療技術も病院関係者さんの見せかけでない、真の心遣い 様々な配慮緊急連絡網も充実、清潔感、医療スタッフさんたちは忙しい中・・・人間の心が違いますねその病院へ行ってから私の考え方は変わったと思いますある看護学校の卒業式に行くことがありましたがその時も感動しましたね 紀南病院もそうなってほしいものです 現状がなっていないと言うのではありません少し足らないのではと(公立感覚?)・・・ 病院基本方針や理念を・・・ 追記いい話ではありませんが都市部の医療施設に中でスタッフ労働環境に疑問があるところや募集要項と勤務の相違が大きい 社会的な有名病院ですがね・・・・その他の病院でも廊下にカートを置きっぱなし そのカートには医療薬品や機器類が防火ドアの閉鎖障害 個人のプライバシーの疑問病院も様々です セカンドオピニオンも重要です
2015年02月28日
コメント(0)
熊野、御浜の中核病院 公立の紀南病院旧本館が解体され新しい建物が建設されています 免震工法?入札不落で当初予算から何億も積算見直し 巨費が投じられる結果になったのです(資材や人件費高騰で? これもまた疑問のあるところですが) 基幹病院です、大事な重要な病院ですが地域の人口減少、高速開通等々を思うと・・・本館の熱源機器類の建屋のみの新築だけでは無理なの? 素人の私が言うのも如何なものかとは思いますが私に思いを少し 過去からの幾度もの増築で病院内は迷路化していないでしょうか緊急時、入院患者さんたちの避難体制の整備が重要ではないでしょうか夜間の体制が特に気にかかるところです工事期間中では普段以上に重要だと思います 増築を重ねてきたことは悪いとは思いません 必要であったと思います問題は短いスパンではなく長期的な計画が・・・ 建物が免震の場合組合組織の方々は理解されているとは思いますが免震部材の管理も今後重要でありそして建物の重量管理も必要になります管理マニュアルの作成が重要ですね 追記天然ゴムが用いられるでしょうし油は厳禁ですね揺れも屋上では大きくなると思いますから ヘリポートに事も・・・
2015年02月28日
コメント(0)
梅の花 満開から少し散り始めました 寂しいですね 花びらの事でもありますが土手や段々畑、田んぼが雑木化、山林化していく時世が・・・ここは元ミカン畑だったところです みかんの畑の前は刈場だったとかり場は農家では、ほとんどの持っていましたね 牛のエサ用です 熊野の梅畑、昔はそれほどありませんでした自家消費分の数本を、ほとんど手をかけず作っている程度だったと思います ミカン栽培の経営が難しく行政のてこ入れもあり、梅が多く栽培されるようになってきたようですしかしその梅畑も放置(就農者が居らなかったり高齢化で)あれているところが町内では多くあります 熊野が熊野でなくなっています (自然)その他にも政治、行政も、市民の心?、梅に花を見ているとこんなこと思ってしまいましたね ※熊野でも飛鳥町や五郷町では満開でなく開花もまだかもわかりません奥との気温差4℃から7℃位あるのです
2015年02月22日
コメント(2)
人口減少により喫茶店や軽食食堂、食料品店駄菓子屋、雑貨店、衣料品店、・・・・かなり減ってしまった熊野です 今開いているお店も高齢者経営が多くあと20年喪経つとかなり減っていくでしょうね子供が後を継いで店を経営することは生活できないでしょうから親も継がせることはしないでしょうお客さんも高齢者が多いのですねある喫茶店のお客さんです まだお客さんが居るのでましかも? 経営者さんも高齢(70歳代)お客さんも高齢 これがおおかたの熊野の姿です右の方は80歳を超えています 中央の方は60歳を少し 左方は60半ば常連客で50歳代は私だけなのです 50歳以下はほとんど居ません80歳(82?)を超えている方はオートバイにも乗っていますが少し怖いですね 観光や誘客も大事な事ですが、このままですと市の存続が危ぶまれます特定の人の便宜は不要です 市民みんなの事を考えるべきなのです高速道路で来訪客が増えた実感のある人はどれくらいかな?利便性が良くなった分、交通量減少地区もあるのです マスコミもスポット的な報道が多く、熊野全体がそうであるような報道は歓迎できません住民が何もしなから行政がてこ入れを・・・ これもあまり歓迎できません老人ホーム不足だから建設するも歓迎できませんもうすぐすると老人ホーム等も空くのです新箱物を建設しても空っぽになるのですね老人ホーム等は必要です でも新築ではない現存建物を利用する形が望ましいのではないでしょうか 非正規職員や社員の増加、低所得で子育ても大変なのですお金持ちや政党交付金だけでなく企業献金まで貰っている方勉強一筋で官僚になった方たちは大企業の事は分かっても庶民の生活を理解することは・・・・
2015年02月18日
コメント(2)
熊野で危惧されている3連動地震(東海、東南海、南海)による津波その津波遡上の予測を写真にと思い久々に長尾山に登ったのですが天候とPM2.5の関係でいい写真が撮れませんでした 標高782m 長尾山山頂から七里御浜方面の写真です右の赤矢印が志原川河口で熊野市と御浜町の境界です中央が志原の池、左が熊野久生屋の大前池です 河口の門扉が壊れると矢印周辺はみな浸水してしまいますR42より海抜が低いのですこの志原川河口の水門があまり問題視されない事が不思議でなりません市内の木本の西郷川も同じなのですなぜなのでしょうね 市民の不安を煽るから? わかりません・・・ 追記写真の黄〇は里創人熊野倶楽部です問題の高規格道路(熊野尾鷲間)の廃土の盛土(何度か指摘)も写っていますここに無駄な野球場を作るのだそうですよ私の住まいの金山はどうなっていくのでしょう 長尾山は海抜782m 自宅から大よそ片道10K 車で約30分の距離です山の中の曲がりくねった道を落石に注意しながら行ってきました地元以外の人は一人で行くのは危ないですね私は昔道や近道(山の歩き道)や水飲み場や危険個所を知っていますからねでもね山道は変形性股関節症悪化で歩けませんから今は無理でしょうね 緊急時は携帯電話が頼りかな?次回は長尾山について書きます
2015年02月15日
コメント(0)
家にお餅が一杯です 毎日いくつか食べているのですが夫婦二人では食べきれませんね近所の方に配る事もできません 近所の方たちも餅がいっぱいなのです1月から八日堂、お地蔵さん、観音さん、初午、厄払いと餅ほりが多くあって妻と母が拾ってくるのです(妻と母は兄弟のように仲が良くいつも行動が一緒なのです嬉しいやら怖いやら) かなり食べたつもりなのですが冷凍室を除くと少し取り出し取り出し写真に(庫内の三分の1位かな) 行事での餅ほりやお金ほりがかなりあります厄払いでは男はお金をほり厄を払いますが(元旦に神社で)女性は1月八日にお寺で行います 親戚独自の行事もあります父方の場合は1月24日に家のお地蔵さんでまた厄払いのお金とお餅をほるのです母方の場合は1月2日に祖父母の家で親戚一同の年始の夕食が一段落した後で家の中でお金や餅がほられます今は両祖父母(隠居)の家も空き家になってしまいましたがね 従兄妹が40人あまり、その子供は100人以上毎年のように厄払いがあります今年は母方の従姉妹の子供(33歳)のゆかりちゃん(御浜町志原)従兄妹では親父より歳のいった方も多く居られ・・・・ 熊野って餅ほりが多いものですバレンタインデーのチョコと思って食べるしかないでしょうね
2015年02月15日
コメント(2)
熊野のレギュラーガソリン価格は一般スタンドで140円台ですかなり安くなってきましたしかしガソリンスタンドはかなり減ってしまいましたね高齢化、施設維管理費、需要減、交通量減少・・・・その跡地は携帯会社関連建屋に変わったり、駐車場や宅地になっていますそして昔にはなかったセルフが規制緩和で熊野でもできましたしかし市内でも町単位ではスタンドも無く、食糧品店もない地区もあるのです高齢者にとっては大変な事態になっているのです 熊野は物価が高いものですガソリンも下がったと言っても県北勢地区と比べると高いですね月間100リットル焚いても10円の差でも1,000円ですからそれほど騒ぐことではないでしょうがねでも安いのはいいですね 私はセルフと昔からの付き合いのスタンド3店で給油しています最近競合していたセルフ店に異変が 価格が違うのです 円安で無かったら、二重課税で無かったらもっと安いでしょうね
2015年02月09日
コメント(2)
昔の葬式は近所方、親戚が葬式行列の様々なものを含め朝から作ったものです共助互助精神です 近所付き合いもありますがね家の大掃除から竹の切りだし 役決め大役のツボ掘りまで(昔は坐棺の土葬)で大変でした 最近は家での葬式をされることもなく 餅もいらないし葬式夜のご詠歌もない場合もあります同じ曹洞宗でも町内部落によって違いがありますが簡単になったものです 亡くなってから迷惑をかけるのもね・・・ 数日前に市街地の方のお通夜に家族葬と聞いていたのですが義理を欠くことから・・・時代の流れなのでしょうかね 最近は家族葬が多くなりましたまたもう少し前には近所の方もセレモニーホールで葬儀が行われましたこの近所の方の家はとうとう空き家です昔は人の出入りが多かった家なのですが寂しいものです 空き家が増え、崩れ落ちる家が多いのです解体すると土地の固定資産税の減免も無くなり小額年金に頼っている残された遺族の負担が重荷になるのですね当然解体費用もいります 今後も空き家が増えることでしょう家族葬が多くなってきたのもここに要因があるのです子供がみな出て行って、残った老夫婦は老人ホームへ普段から家が放置されていることから住む事さえできないくらい家が傷み、葬式もできないのですねまた子供が香典を貰っても今後の義理に欠くことが一番大きな要因でしょう 追記地元紙を購読されている方、死亡広告を見るがための方が多いようです香典を貰っているかいないか確認が必要なのです義理欠くことはできませんからね
2015年02月08日
コメント(0)
熊野尾鷲自動車専用道が開通してからあまり通らなくなったR42今日、鈴鹿からの帰りに通ってみましたやはり熊野の飛鳥町は寒いですね R42大叉トンネルを抜けた熊野側の温度計が-1℃です車載温度の温度計は1℃でした (21時前) ピンボケですが そして小坂トンネルを抜け、佐々坂を下り有馬町まで来ると なんと車載温度計で5℃の差がありました 車のすれちがい台数です尾鷲南インターからR42飛鳥町小坂信号まで3台位?飛鳥町小坂信号から大泊インター交差点までが5台位?だったと思います夜の交通量とはいえ少ないですね 自動車専用道への移ってしまったようです
2015年01月10日
コメント(0)
昨日4日でお正月の帰省のUターンもほぼ終わました熊野では元旦の夕方からUターンが始まっていた感じですマイカーのピークは3日の昼ごろでしょう4日のお昼 列車でUターン 熊野市駅の光景です キオスクも無くなった小さな駅の待合室から手を振って見送る人たち 息子は3日の臨時列車でUターンでしたその時も同じような光景が なんかみなさん寂しそうですね私もそうでしたが・・・・ 最近は帰省する方もかなり減りました昔のように田舎の人口が5倍とかにならないようです田舎の正月も様変わりです凧、駒、見られません 歩きながらのスマホに年始挨拶も見受けられなくなりました (風呂敷持って・餅)そういえば車のしめ飾りも見られなくなりました 私の従兄弟は父、母方を合わせて50人弱ですが地元に残っているのは10人足らずみなさん他所で家を建て、そこでお爺ちゃん、お婆ちゃんになっているのです帰省もできないのが現実です 昔の正月、祖父母の家や本屋に親戚が集まり賑やかだったものです食事は子供は台所で大人は床の間で一杯、すごかったですね 御浜町志原の母方の祖父母の家 親戚が大勢隣の母の弟の家まで・・・従兄弟とは牛市場(現在は取り壊せて丸安選果場に)の建物で遊んだりつぼの池や志原の浜で凧揚げ正月でした
2015年01月05日
コメント(2)
町内の空き家のいくつかはお正月と御盆のみ空き家でなくなりますそこで育った子供たちが帰ってくるのです このお家にも人が帰ってきました ここの家、昔は住んでいる方が10人以上は居られたかな台所はクドを中心のした設計なのです中戸も板製で床下の構造、玄関床は板で床下は穀物保管歴史書にも載っていたと思うのですが価値あるお家です 市内木本町の栃尾邸(おもてなし館)より価値のある建物かも?古道客の接客施設整備も必要かもしれませんが熊野のそのままがおもてなしになるのではないでしょうか 農家民宿なんてのもいいですね行政では空き家の活用って言っているのにねもどってくる方のお家は無理としても・・・・ 一方、住める状態ではない空き家も多くなっていますお墓詣りだけに戻ってトンボ返りで都会へ帰る方も多いようです都会に家を建ててしまっているのです そして親がそちらに行くのです年々お正月さがなくなっていく田舎の熊野 寂しいものです
2015年01月03日
コメント(0)
お正月のお弓引きです 2日13時からご祈祷 14時からお弓引きに 弓人に放った矢を渡している子供は矢拾いの役の子です昔は正装だったようですが??ふる鳶(はずれた矢が飛んだ場所確認する役)さんをはじめ様々な役の方が携わり弓引き神事が受け継がれてきました1年間の五穀豊穣祈願なのです この役(世話人)を2日番と言います8日に行われるお寺の八日堂(薬師)の役は番衆と言います お弓引きの見学者が毎年減ってきていますね 私の息子が弓人の時は人出も多かったのですがねまた弓場も変わってしまいました 新築の家が・・・ 今は弓人や、矢拾いの大役を探すのに大変です ここにも少子化、過疎化の波を受けていますね 寂しいものです弓人に教えてくれる方も大変ですね いくつもの型があるのです 矢は4回放ちます 最初の矢場で2回 遠い矢場で2回最後の矢は本物の矢 3回の矢は世話人さんがこしらえた矢になりますこの矢の作り方も大変なのですよ 私も何度か作りましたがね昔は、若い女性の見物人が多く お見合いの様をなしていたようです熊野市金山の弓引き いつまでも続いてほしい神事ですね 妻の実家に出かけます 年始ですね
2015年01月02日
コメント(2)
お正月に厄払いが熊野市金山、御浜町志原では行われます写真は志原のお寺 正月しか会わない方(阪神や東京方面で働いている方)達の会話も多かったですね私は金山ですが志原は母親の実家でもあり親戚や知人が多く毎年のように出かけています 金山の厄払いを少し厄払は25、42歳で合同で行います25歳の厄の方の誰かが宿元にそして世話人になります(30年以上前かな私でした)42歳厄の方はお客さんになります
2015年01月01日
コメント(4)
お正月に厄年の厄払いがおこなわれる風習が明治時代以前からあります地域によっては初午のところもありますが熊野市金山町や御浜町志原で元旦に厄払いがおこなわれています 金山の厄払い時にカメラを忘れてしまい写真はありません写真は志原の厄年の方 と世話人さんです 金山は厄年男は今年は3名でした志原は15人位と世話人さんからお聞きしました25歳42歳の厄少ないですね 少子化がここでも表れています私が25厄の時は20人近く 42厄の時でも10名以上居たのです 厄払いは金山は神社 志原は寺です志原は厄男が寺に来るまでに太鼓を田んぼの中にほってしまったり酔っぱらっているので面白いですね 金山は太鼓は用いません 金山、志原とも似ているのが、元旦早朝(0時)から厄男が宿で一杯の飲み始め朝方に宿をでて神社や寺で厄払いするところです昔、熊野の金山、御浜の志原が同じ神志山村のだった事もあるかもわかりませんね
2015年01月01日
コメント(0)
今日で今年も終わりですね 明日はお正月年々お正月らしさが消えていくようです子供たちにとってはそれが正月なんでしょうけどね お正月の過ごし方はさまざまでしょう私の住まいの熊野市の田舎の一般的なお正月は元旦初詣、家族年始、お墓参り、本家・本屋・仲人・親戚への挨拶 両親宅で年始2日両親宅過ごす、午後に妻の実家でごろごろ(夕食年始)3日ゆっくり家族で(家・でかけ) その他 昔はもっと多かったのですがね 正月と言っても儀式が多かったものでゆっくり休むことはなかったです 町内の1月行事は元旦 お寺の行事、神社で早朝日の出直後の男性の厄払い(お金ほり) 他2日 お弓引き3日 農家関係の行事 市では熊野は成人式8日 通称八日のガラガラ お寺で八日堂(薬師如来・女性厄払い・、餅ほり)11日 区の総会 神社総会、社協総会 1月中旬からは、餅ほりが多くなります稲荷、お地蔵さん、庚申さん、山の神、初午 私の家でもお地蔵さんを祀っています 24日のお地蔵さんの日は遠くから親戚が多く参集され賑やかでしたが今はその面影もありません 代がかわり考え方も違ってきたようですお餅ほりも駄菓子が多くなり、拾う子供も少なく・・・寂しい最近はもちほりの時間は学校の終わる時間に合すのです 町内の部落にはお地蔵さんが多く、暗黙の餅ほりの時間がありました家は2番目かな 1番は熊野古道(行政も知らない道)のお地蔵さんそして北の部落へ 町内で昔は5軒位あったかな餅ほりでどれだけ拾ったか子供たちの優越が決まったのです ガキ大将ですね俺はせんべい何枚やったぞと・・・ 熊野の餅ほり文化って本にできそうですね
2014年12月31日
コメント(2)
御浜町や熊野ではミカン栽培が盛んです今は温州ミカンは終盤ですね もう少しすると中生の時期になりますこたつに入りミカンを 健康にもいいようですよ抗酸化作用、がん予防、疲労回復もあるようです 柑橘農家はJAに出荷される方が多く選果においても品質が確保されて安心ではないでしょうか品質管理の為今年は出荷停止の日が数日間設けられました他産地からのミカンが出回り価格が低下することは予想されても信用が大事ですからね すこし飲んでしまったみかんシューズです このジュースってほんと美味しいですよ 私も勤めながら少しミカンを栽培していますがこのジュースは貰いものです町内の柑橘専業の方で80歳近い方なのですが柑橘栽培への取り組む意欲はすごいものがあり都会から若者が移り住みこの方の個人農園で数人働いているようですまた他に二つの柑橘関係の社長さんもしておられ忙しい方ですね 余談ですがこの方のお父さんはたしか旧神志山村の村長さんと聞いています現在の熊野市金山・熊野市久生屋・御浜町志原・御浜町神木で神志山村だったのです昭和30年ごろに行政区画が変わったようです みかんの購入はJA南紀のほほえみ 金山パイロット 夢考房くまの(ジュース) くまのパラダイス等の熊野のミカンで健康に
2014年12月22日
コメント(0)
おばちゃん達の買い物って怖いですね一部の人ですがマナーってあるのかと思う時が多いのです駐車場の車の止め方にも困ったものがあります 昨日はスーパーでカートに2回もぶつけられました鮮魚を眺めているとき、レジ待ちで立っているときです2回とも「ごめん」と言ってくれないのです 買い物カートって「おばちゃんトラック野郎」に変貌するようです下肢障害の私は、心の中で ごめん位いってくれよと・・・いつもはカートを足の補助具として使っていたのですが面倒で股関節の痛みをこらえてレジ待ちをしていたのですが見た目には足が悪いなんてわかりませんからね 以前です、レジが長蛇の列に私に前の方で精算してもらっているお客さんが隣のレジで同じく精算しているお客さんと大きな声でお話しレジが打ち終わりいくらですと言われてもすぐに反応しないのですねやっと財布を取り出し小銭まで細かくゆっくりと出す始末です最初から財布位だしといたらいいのに・・・おばちゃんって怖いですからね
2014年12月21日
コメント(6)
お正月にはしめ縄をされる方が多いですね門松は田舎でも少なくなってきたようです神社ではしめ掛けという神事がおこなわれます さん俵の疑似餅 さん俵を編める方が少なくなってきました 私も作れません父が町内の方に長年教えていました その教えを受けた方たちも高齢になってきたのですよく先生の子やのにできないのか言われるのですが昔気質の親父からの教えを乞うことは勇気がいるものですその親父も手を患っており・・・ 半紙や奉書紙のおり方も難しいですね最近は一升瓶を奉書紙で包む方も少なくなってきました 「のし」だけなのですしめ縄を編める若者も少ないように思います将来はホームセンター機械網のワラ縄に御幣をつける時代になるかもわかりません
2014年12月17日
コメント(2)
正月前 しめ縄買う人も多いのではないでしょうかワラの用意ができる方なら自分で作ってみたらいかがでしょうか うん、め縄やしめ掛けの神事ってご存知ですか昨日の七五三の神事の後におこなわれました田舎では皆がワラを持ち合って縄を編みますそしてお祓いをして頂いた後にかけるのですしめ掛けは神社周囲の森に神社を取り巻くように木に掛ける神事で境界になるのです 町内のベテランの方たち ヨリのかかった締まった縄ができています 平日の神事、若い方は仕事で参加は少なかったのですがそれでも数人来ていただきました ありがたい事です 私の編む縄と違いますね言い訳ですが股関節が悪い、頸椎の障害による左手のしびれ・・・ 編んでいる方の中に各部落の世話人さんが居られ頭の宿元が責任者になります 宿元や世話人者の奥さん方は神事が終わるまでてんてこ舞いにこの方たちの昼食の準備です田舎ですから昔からのシキタリや風習が残っています 料理まで決まりがあるのですねなんの行事でも裏方の女性は大変です
2014年12月16日
コメント(0)
田舎の少子化はどこまで進むのでしょう今日は七五三の日でした 町内で3人です 平日ですので7歳の子供は学校ですが5歳3歳で3人しか居らないのです私の時代は 当時の事は覚えていませんが同級生数と年下とで30人以上今はその1割になってしまいました 町内では津波等の関係から移り住んでくる若い世代が多くまた農業就農者が都会から数人移住してきており市人口は減少していますが町内人口は増加していますこれから一時期は子供も増えそうですが 数年間の事でしょう 今日は七五三と火伏及びしめ掛けの3つの神事がありました私も休暇を貰っての参加ですしめ掛け等は次回以降の日記で・・・
2014年12月15日
コメント(2)
休日の時間が足りません することがいっぱい今日は家の所用、遠方で住んでいる娘の事、行きつけの喫茶店への用事新宮鉄道祭りの昔の客車見学をそこそこに済ませ神社関係の買い出し、神社しめ縄用わらのスグリまだ一杯所用が残っているのですが、変形性股関節症には勝てません足が痛く限界で家で横になる羽目になってしまいました 新宮駅前の客車 上がすぐっていないワラで下がほぼすぐり終わったワラでですもう少しすぐってから基を揃え縛ると完成になります夕方から約2時間かかりました 何束作ったかな 世話人さんが準備・・・でも無理なのです頭が動かないと、でも頼りない頭の私なのです近隣住民はみな引っ越してきた人でワラも触った事が無い方が多いのですしね 私も今年から股関節悪化で稲作をやめましたのでワラの調達には苦労しました義父を通じて頼み分けてもらったワラなのですが立派なワラで助かりました昔は少し青いうちに稲(もち米が多かったかな)を刈り取りサガリでほして、千羽こぎでスグリ納屋屋根裏に保存を何処の農家でもしたものですが最近の稲刈りはコンバインでワラを裁断して田んぼにまくのでワラがありません 知人で紀宝町の方は 毎年本宮大社のしめ縄を作っていますがワラをどうしているのかな熊野市有馬町の花の巌も大変な量のワラが必要でしょう おもてなしって言っているけど人も居らなくなり、諸材料も調達困難になって時代伝統行事が消えてゆき、官誘導イベントにこれで正常?
2014年12月07日
コメント(0)
田舎の年中行事は時代とともに無くなってきています高齢化、少子化による人口減少と農家の減少が大きいようですそれでも熊野金山では結構残っている方ではないでしょうか 熊野市の金山神社3年前の台風12号で神社もかなりの被害を受けました市内いたるところでいまだに災害復旧工事がおこなわれています さて、前に書いたかもしれませんが年中行事のご紹介をさせて頂きます1月 厄払い、お弓引き(神社) 八日堂・厄払い(寺) 区合同総会2月 祈念祭、どんと焼き(神社)7月 作祭り(神社)8月 万灯祭、盆踊り(寺)10月 敬老会11月 秋の大祭(神社)12月 しめ掛け、火伏せ神事、七五三祈祷(神社) 社協即売会このほかに蒸しあげ(牛あげ)、地蔵さん、庚申さん、山の神様、彼岸の餅、節句のもち小学校の運動会、道ぶしん、圃場整備組合・・・、書ききれませんねはやりのイベントよりはずっと庶民的な行事ばかりです 昔は町内各部落ごとの遠足、私の部落では伊勢講、金毘羅講・・・田んぼの水路共同掃除、かやぶき屋根ふき替え わらぶき納屋ふき替えわらの屋根は4年から5年のサイクルだったような記憶があります私の家の台所の屋根は杉皮でした 雨漏りが懐かしいですね 区社協で設置した国道の照明器具の維持費の為の県から受注の草刈りもあったかな?健康を守る会、環境関係の組織行事も 栄養教室もあったような?でもね、40数年前に一度復活した「だんじりひき」歌も、綱を引くタイミングも忘れました地家中聞いても45歳以下の人は知らないでしょうね 地家中って田舎言葉かな 戸外(とぼと)も私まだ50歳代 皆から年寄りのように言われています
2014年12月07日
コメント(2)
時を告げる音からそれますが、町内には半世紀前位から放送設備が整備されています元農協支所からだったかなそして金山青年会館から、現在は集会所から各部落にケーブル敷設しています 何を放送すると思いますかはい、区の行事、神社の事、寺の事、農作業の事、葬儀の事、町内の事全般にわたってです 隣の御浜町では有線電話で放送されていましたね 今でもあるにかな・・・市の防災行政無線よりよく聞こえます 市の防災行政無線 現在はほとんどの家で端末おいていますので雨の音や風の音で聞こえなという事は解消されていると思います 市の放送端末ですこの端末予備電源のニッカッド蓄電池何年間に1回は更新していると思いますがどれくらい持つのかな震災で電力供給がストップして 放送できませんでしたでは・・・
2014年12月04日
コメント(0)
熊野の今朝7時天候晴れ、気温7℃でした ピンボケ・・・風邪がふいています 寒いですね海岸部は多少暖かいでしょうね 8℃~9℃位ではないでしょうか 朝一に神社関係の世話人さんに「すぐいた稲わら」を届け神社の祭りは終わったのですが(霜月番)今度は15日にしめ掛けと火ふせの神事があります世話人さんところからもどり 今から出勤です
2014年12月02日
コメント(2)
今日も各地でイベントが多くあったようです今日は神社の大祭に少しの時間行ってきました15日にも しめ掛けと火ふせの神事、七五三と祭事ありますが昔は今よりもっと多かったのです来年元旦早朝は厄払い 2日は弓引き・・・・ 何処の子かな 祖父母の名前を聞かないとわかりませんね 神社前のおもてなし 神事が終わっていない時間でしたので お客さんは20人位でした私もトン汁をごちそうに・・・この準備された方たちのほとんどが町に引っ越してきた若者です町内でも私の住む部落にです 嬉しい事です家が増え田舎らしさが消えて寂しい思いもありますが幸いにも私の部落に来られた方たちはいい人が多いですね区の行事も率先して参加してくれています
2014年11月30日
コメント(0)
極早生みかんも終わり、早生温州も間もなく終わりに近づいてきました今年はミカン価格も低迷しているようです柑橘農家にとっては大変な事なのです小売市場は農家の2倍以上の価格ですがね 若い世代の柑橘就農者も居られますが低価格、消費低迷加えて円安による経費増もあり大変です農業は補助金漬けとか言われますが農家に直接入るお金なんて小額なのですおおかたの農家は受け取っていないのではないのでしょうか 少しでも品質向上を目指しみなさん選果に手間暇かけています今年はJAによる緊急対策講習会も行われ規制を設け出荷前の選果の徹底がなされましたそして選果場にて特殊カメラや人間の手で再度選果され箱詰めされています みなさん食べて下さいね 南紀ミカンを 美味しいですよ
2014年11月27日
コメント(2)
空き家の隣の納屋が解体されました町内生まれの何軒かの人 年老いそして子供のいる都会へ移住かたや町外の方の新築、不思議で悲しいような気持ちを抱きますね 納屋の解体を近所の80歳過ぎの老人が杖をつき食い入るように見ているのです 一緒に百姓をおこなってきた連れ人の納屋どんな気持ちなのでしょうね 母屋は残されましたが、納屋がなくなってしまいました解体で瓦が剥がされてた状態 翌日にはさら地に都会に出て行った子供 今後母屋はどうされるのかな?
2014年11月22日
コメント(0)
子供たちの集団登校をみると、なんか明るくなりますね少子化、高齢化そして人口減少、町の活気化消えていく中で私の町では市内から移り住んでくる若い方が多く子供も増えているようです家が増え田舎が消えていきそうで寂しい気持ちもありますが通学児童がいるという事で町の事を思うとうれしいものです 昔を思い出しますね少し違うのが高学年の子供が後ろを歩かなくバラバラなですでもね朝から元気な声聞くと自分も元気になるものです この子供たちにつけを回しそうな補助金行政が心配ですね国のお金と言っても税金ですから・・・・
2014年11月21日
コメント(0)
熊野市の人口約18,000人の小さな市です前にも書きましたが私の住む町は住宅建設が進んで元々の町内人口を転居の方が上回るのも時間の問題です嬉しい反面、田舎でなくなっていくことが寂しくもあります 以前も載せました家が一軒もなかったところこの写真は別の部落ですが同じ状況です 写真の範囲の家もほとんどが新築で町外に人たちですほとんどが市内からの移転です昨日90歳近い方がおっしゃられていましたが 「朝夕の車の出入りの時だけ、顔を見かけるけど 何ししている人か何処に行っている人かさっぱりわからんわ・・・」寂しいのでしょうね 家が建ってくる要因は津波の影響がない事と農家の高齢化による耕作放棄農家の息子は都会で働いていて帰ってくる見込みなしからの農地売りですね 写真の雑木部分は段々畑でしたが、みかん価格低迷もあり営農放棄状態が・・・時代の流れでしょうね散集落の集合が今後必要でしょう しかし寂しいものですね私の親類の土地にも家がたくさん建ってきています今年中にまた1軒立ちそうです それますが市街化調整区域や農業振興地域の問題も気になります建築確認は地目に関係なく道路問題さえクリアしていたらほとんどおりますからね そうは言っても私も農地を手放す方と同じです変形性股関節症の悪化で稲作やめました幸いにも作ってくれる方がおられ、田は生きていますが代わりに作ってくれる方も今後は居らなくなるでしょう農業の企業参入が増えてくるのでしょうね なんかわびしいです稲作やめたのもどこか変な気持ちなのに・・・・
2014年11月04日
コメント(2)
熊野の今朝7時頃の気温は9.5度 寒いですね 海岸部ではたぶん10℃度以上でしょう 奥は7度位かな下肢障害の私にはこたえますね 富有柿、もう少しすると採れそうです 無農薬の柿です熊野でも飛鳥や五郷町では猿害があるようですが家の周辺はまだ大丈夫ですね
2014年10月29日
コメント(6)
熊野市の人口は約18,000人です 平均年齢は54歳位かな三重県人口の1%でしかありません学校もかなり減ってしまいました 子供がいないのです しかし、津波の心配が無いという事かもしれませんが私の町ではこの10年で50軒以上の家が増えています市内からの転居新築が多いようです ここの位置からですと昔は1軒の家しか写りません今はまるで都会のように家同士の壁がくっつき合うように建っています 高齢による耕作放棄の田や畑そして未手入れの山そこに宅地造成されて家が次々に建ってきています賑やかになるのはいいのですが昔の景色がなくなってしまう事が寂しいですね人の繋がりも薄れていくようで 田舎なのに都会化でしょうか? 子供の頃は駄菓子屋1店舗 食料品店4軒あったのですが昔は無かったケーキ屋さんと最近オープンした金山パイロットパラダイスしかお店がありません昔のお店叔母さんたちがカゴを持ってモンペをはいて日本手ぬぐいを頭に エプロンして買い物に子供は、駄菓子店におばさん売ってと言いながら行ったものですほんと懐かしいですね そんな光景も田舎なのに都会化してきましたねどこか寂しいものですしかし移り住んでくる方はいい人ばかりで幸いです
2014年10月27日
コメント(3)
今朝北西方面に二重の「にじ」がでていました撮影時点で一つの「にじ」になってしまいましたが 上下同じ時間、ほぼ同じ場所です にじの撮影って難しいですねコンパクトデジカメで露出調整なんて・・・・ 偏光フィルターも無し実際と写真はかなりの違い うんきれいに撮りたかったです
2014年10月14日
コメント(5)
宅配牛乳、最近見かけなくなりましたね 私はまだとっています 昔はほとんどの家のポスト近くや日陰に木製の2本入り用牛乳木箱がありましたね今は保冷剤入り専用樹脂容器に変わりました 最近はスーパー等で紙パック入りを買う方が大半かな環境には瓶がいいのですが、利便性が優先しますね また人件費や燃料費を考えると、田舎では効率が悪いでしょうね昔のように自転車やバイクでの配達は見なれなく保冷庫軽自動車が主流にようです 私も牛乳配達を小学校の時に行っていました新聞と違って帰りも空瓶があるのですね何回も自宅に戻り、また配達にと・・・若かったので股関節の痛みも高学年の時にはそれほど無かったので出来たのでしょう しかし年ごとに牛乳をとってくれる家が少なくなり一日おきの配達に変わり2日分の配達 45年以上前ですね昔の面影が様々な面でなくなる町内 寂しいものです 農耕牛だけでなく乳牛も多く飼育されていたのですブリキのような高さ80センチ位かな生乳入れ容器近所の家ではリヤカーに積み、本道の車が走る道まで搬出していました みなさん宅配牛乳もいいものですよ私は股関節症もあり、カルシウムが多くて低脂肪タイプを飲んでいます
2014年10月14日
コメント(2)
ミカンの採り真っ最中の熊野 三重南紀ミカンは美味しいですよあころんだ、色づいたミカンです一度採り終わり2日後のミカン畑です あと5日で2度目が・・・ みなさん南紀みかん食べて下さいね農家では基準糖度以上とか傷の無いミカンを選果後厳しい品質管理の選果場に出荷 そこで再度選果され名古屋方面の市場に そしてお店に並びます美味しいミカン 健康によいですよ
2014年10月06日
コメント(3)
熊野の今朝は曇り、気温21.5℃です 海岸部より少し山に入った金山町 北西方面の雲は少ないです 大型で非常に強い台風18号 なんとか熊野灘沖を通ってほしいものです沖を通るのと風向きも全く違ってきます 被害が少なくて済むのです 今 町内ではミカンとりが始まってきている時期傷や落下が・・・・災害や農作物への被害、家屋への被害を受けても高齢者が多く、対応ができないのですね そのあとの台風19号も気にかかります台風19号で思い出すのが20年少し前の台風です熊野地方の災害が多く発生し 停電も数日続いた地区もありました何とか沖を通って行ってほしいものです
2014年10月04日
コメント(2)
熊野市の金山パイロットさんの元ミカン園に直売所「くまのパラダイス」オープンして約1週間になりますねミカン関連だけでなく地元産の商品も売られています オープン時お目面さや話題が落ち着いてきますから今後が大変ですね同じR311沿いの隣町御浜町尾呂志の「さぎりの里」のように流行ってほしいものです お店は少し狭いですがパイロットミカン園の商品直売だけでなく日用品も置かれていますこの直売所と御浜町との境界にあるケーキ屋さん2店舗しか町内にはお店がないと思います 昔は6店あったのですよ繁盛してほしいものです それますがここにお店ができたことで子供の通学にも安心が・・・・不審者が昔よく出没し国道に所轄の県でなく 金山区や社協で防犯灯を設けたのです
2014年09月21日
コメント(6)
熊野市の隣町の御浜町長選挙投票日が9月28日だったかな?みなさん行政に関心を持ちましょうねまた市町村と少し距離があるように思いますが県政も同様ですより良い県政を望む観点から今後県行政に関して書きたいと思っています(批判が目的ではありませんよ) さて御浜町は隣町と言っても熊野市金山町ともと同じ神志山村正しいのかどうかわかりませんが(私の推測です)神(神木)志(志原)山(金山)ではないでしょうか久生屋町も神志山村だったと思いますが・・(間違いかも)久生屋を含む神志山村の子供たちは神志山小学校に通学したと聞いています いま神志山学校では耐震化問題で講堂が解体され新築されています昔の値打ちのある講堂でしたが・・・・その面では大変残念な事です解体前の講堂です知人の同校校長先生の許可を得て内部も撮影させて頂きました 5月頃撮影戦争中は運動場はイモ畑高学年は神志山駅周辺で松の木を切ったり油を採ったりしたそうです今の神志山駅周辺は松や雑木で暗かったそうですよ志原川河口でシジミが多く採れたとか環境が良かったのでしょう (うん、環境問題も書きたくなってきましたね) 久生屋町や御浜町志原(平見)の方は通学距離がかなりありますね母親は平見までの帰宅途中、艦載機が飛来、田んぼに伏せたそうです大変な時代だったのですね (今その時代に戻りそうな?)昭和一桁生まれ方のパワーはすごいものがあるのも わかるような気がします80歳越えても農作業していますからね
2014年09月18日
コメント(2)
熊野市金山町にパイロットの直売所がオープンしました熊野パラダイスですR311金山トンネル西口交差点のすぐ近くですオープン時(11時頃)の様子です 大勢の人が来店されていました 熊野鬼城太鼓12時頃にはもっと多くの人が集まったと思われます餅ほりですからね 田舎のおばちゃんの出番です 此処であったら百年目・・・ 町内のおばちゃんや熊野無線クラブの昔若かったXYL(奥さん方)の餌食になってしましました若い方にはモテないのすが、おばちゃんには人気が・・・ 残念気はやさしいのですが言葉がね 女性は怖い???最近は無線クラブのコンテストに参加していませんがXYLさんは先に交信しないと後で・・・70歳前後で老人会なのにみなさん婦人会と思っている方が多いのですよインデヤカーやバレー、熊野のおばちゃんは元気です 脱線しましたが熊野におこしの際はぜに熊野パラダイスでお土産を買って下さいねミカンやブルーベリーその他たくさんの商品がおかれていますよ
2014年09月15日
コメント(2)
全国どこも高齢化、少子化が進み今後かなりの人口が減るといわれていますね熊野ではどうでしょうか子供たちが都市やその近郊に家を建てる方が多いように思いますその後、田舎住まいの両親が亡くなられて盆正の帰省もなくなり空き家化または、子供たちの住む都会へ引っ越していかれ方もおられ空き家化 そして高齢化による農地の荒廃 丸山千枚田以上の面積?町内の畑の一部です 昔は田んぼでしたが、ミカンが植えられ放置されたままですその土地を安く購入して宅地化 そして家が建てられているのです片方では空き家が増加、かたや新築 矛盾していないでしょうか 市では空き家登録制度があるようですが、運用実態はわかりません田舎では、男は家を建てて一人前という風習、そして見栄もありますねそこにも問題があるように思えてなりません また公共工事や、家の新築等の推進させて経済活性化に政策が疑問です関係業者が儲けるだけで、地域波及効果は薄く一時的なものではないでしょうか市街化調整区域や農振区域等各種線引きも疑問を抱きますそれますが災害が懸念される土地への県建築確認も(法規制無いのでしょうね) 以前テレビでリホームの番組がありました、今も放送されているのかなリホームして空き家活用促進法なんてのあったらいいのにね空き家購入が簡易になるような制度、税金免除とかないのでしょうか多くの制度があって私が知らないだけかもしれませんが 追記但し間違った空き家利用もありますね歴史的価値と言いながらその価値を半減するような場当たり的な改装
2014年09月14日
コメント(4)
熊野市金山町の金山パイロットファーム観光農園直売所熊野パラダイスが明日15日オープンだそうです 今日の17時過ぎの様子です 明りが見えます準備しているのでしょう妻の話では餅ほりもあるそうです 熊野はなにかあると餅ほりが定番ですねお店はR311金山トンネル西交差点を紀和向けで左折してすぐの位置にあります みなさん熊野におこしの際はぜひ立ち寄ってくださいね金山町は約50年前山が開墾されパイロットが地域の雇用の場として、また農協や運動会社等の関連産業が多く市の活性化に大きく寄与した時代もありましたが現在は規模も縮小され、株式会社化されています 様々な問題(開墾補助等)もあるようですが金山のミカン栽培で私も大きくして頂きました繁盛してほしいものです
2014年09月14日
コメント(0)
中秋の名月 熊野でもいくつかの部落でお月様にお供え物をします農作物収穫をお月様に感謝するのです太陽暦ではこのような風習はなかったでしょう ススキを飾り、ざるにサツマイモ、里芋、栗、柿、・・・・個人的には里芋がうれしかったです時代が変わり、現在は駄菓子がメインになってしまいました農家の祭事が、農家が少なくなり会社勤めの家が増え仕方ないのかもしれませんね 今年はススキがありませんでした近所の家でもススキが採れなかったのでしょう おみなえし? でも飾っているだけいいですね勤務が終わって、ススキを採りに行きましたが無かったですね、途中で偶然ススキを探している妻と遭遇二人ともあきらめて帰った次第です
2014年09月09日
コメント(4)
十五夜、昔の月歴ですね 農作物の収穫に感謝の日ですお月様にお供え物 そしてそのお供え物を子供たちが給う頂くのです「たばらして」という昔からの風習ですピンボケの写真です(車内から撮影) 私の思いですが この子たちはまだいいのです子供たち同士で各家をまわっていますでも最近は、個々の家の方が車でまわるのです 町内道路が車で車でいっぱい何年前だったかな たばらして中の事故が久生屋町で発生していますそん訳で、金山町ではパトカーが何度も巡回していました 昔は、親なんかまわりませんでしたね 町内の部落ごとに上級生が下級生にしきたりやマナーを教えながら回ったのです下級生に伝承されていったのですまた唯一 夜遊びが親から認められる日でもありました 「たばらして」が本来の姿から変わっていく 意味も分からなく、何気なく各家をまわる 如何なものでしょうか何処の行政イベント同様に陥っていないでしょうか たばらして、たばっていかいしよ、おばさんおおきに、あんたどこの子や、だれだれに子や、みんながたばっていって、もうおばさん何もないや里芋たばりやかったわそしたら 団子食べていくか、おはぎ食べていくかね このような光景が今はありません 親のしつけが一番問題ではないでしょうか各家のお供えの考え方もイベント化しているのです本来の「たばらして」 ではないのです 私って昔の人間なのでしょうかねかたちが変わっていくことに寂しさ感じてなりません 昔であれば、昨日の「たばらして」はまだお月さんが見えないよ あんたらもうちゅっとしてから おいでやそしたら叔母さんお月さんに拝んでいると思うからたばってもいいよ、 そうやのおばさんまた来るはでも、お供え物がなくなったらいやだなあんたらの分、別に置いといてやるわ 叔母さん約束やで・・・・こんな時代はもう来ないでしょうね車で短時間にまわる、社会の縮図ではないでしょうか?
2014年09月09日
コメント(0)
今日は十五夜でしたが お月様は雲に隠れて拝めませんでした 熊野の金山町や五郷町隣町の御浜町志原ではお月様にお供えした穀物や野菜を子供たちが給う風習が昔からあります 「たばらして」というのですが社会変化なのでしょうか最近は本来の姿からかけ離れてしまっていますお供え場所(月見場所)がお月さんの見えないと位置に夕方16時事から、「たばらして」と言いながら親子一緒にまわるお月さんも出ていないのに? お供え時間もないのですお供え物をさげる(たばる)のありがたさがわからないのです親が子供に本来の「たばらして」の意味を説明されていないお供えものは一人1個ずつ でも最近は根こそぎたばっていく注意する親は少ないのです かたちはどうであれ、行事が続いたらいいのではないかとそれは間違いなのですこのような親が子育て そしてその子供たちが親に道徳、倫理 大げさかもわかりませんが日本はどうなっていくのでしょうか個人の権利を主張するばかり、政治や行政、学校問題より家庭教育の崩壊が大きな原因ではないでしょうか
2014年09月08日
コメント(0)
熊野の道路沿いや田畑に土手に今年は例年になく多くゆりの花が咲いています 熊野市金山久生屋町道路沿いです 自生の花ですがきれいですね写真撮影時にU字溝をまたぐと同時に右股関節から、ごきごきと異音うかつに股をはったせいなのです 痛みはありませんでした変形性股関節症がかなり進んでいるのでしょう 温存しなくては・・・ ゆりの花はたしか熊野市の花です亡き先輩やその友人たちの「ササユリの会」は覚えているのですがね花観賞の会ではありません、一杯会(酒)です一杯会の後よく面倒を見たものです(酔って無線で鍋の歌を歌いだしたり)懐かしい思い出です
2014年09月01日
コメント(2)
今朝7時 曇り、気温25℃ 秋になってきましたね朝の気温が下がってきました 7時頃妙見山方面百姓にとっては昨日の夕方からの雨は稲刈りの遅れになってしまいます稲が乾いても田が乾いていないので稲刈り作業が困難なのです稲作をやめた私ですが気にかかるものです(変形性股関節症で仕方なく) 昨日の町内の稲刈りです 高齢化ですね 一人を除きみな70歳以上です今日は稲刈りできませんね、こまった天気です休日であり息子さんたちをあてにしての稲刈りを計画していた方が多いと思います 今朝親父から、神社のワラの準備をとわれ・・・今年は神社しめ掛けの当家で宿の大役が私に わらの事忘れていました親父は町内の祭りごとの先生なのです町内の人は皆、親父に教わりに来るのですね手足が不自由になった親父でも経験や知識にはかないません その親父から稲わらの準備をとわれ・・・ 親子ですから厳しいものです早くしないと稲刈りが終わってしまうのですねコンバインにワラ結束機つけている方が少なく後ろからみな裁断して飛ばしてしまうのです ワラが無い・・・しめ掛けのワラ、神社鈴の部分のしめ縄用のワラ 何とかしなくてはしめ掛けは78ヒロの長さが必要なのですちょっとあせっています
2014年08月24日
コメント(4)
帰省Uターウン 15日の夕方の上り車線がかなり混んでいましたが熊野のピークは16日の夕方だったかもしれません花火を見ずに帰る方が多いようです 17日は仕事ですからね 町内では、大阪方面と名古屋方面のナンバー車両が多くみられましたが16日の夕方にはかなり減っていました帰省中にどこの家でも、様々な事を子供や孫に手伝ってもらうのです高齢でできない事がいっぱいですからね私はまだ若いのですが下肢障害の為息子になんやかんやしてもらいました 稲刈りも帰省中に済ませる農家が多いのですでも、祖父母、両親が亡くなり帰省して来ない人も多くなりました後20年もしないうちに、お盆帰省ラッシュなんてなくなるかもしれませんね限界集落さえなくなるでしょう人口減少、日本国中社会保障維持困難、労働力不足、大変な時代に進んでいますね
2014年08月17日
コメント(0)
母の姉の初盆でした その灯篭焼きに御浜町行く途中で金山町内で稲刈りがおこなわれていました 町内トップかな私も例年熊野花火大会前後に刈っていましたが(今年から稲作やめましたが) 急いでいたのでコンバインオペレーターを確認しませんでしたがこの田んぼの持ち主であれば85歳位の方なのです すごいですね 台風で倒れた稲、コンバインでは無理なようで手で刈っていますねそれも70歳過ぎのおばさん 町内の農業従事者は60歳では青年層なのです背負向けている男性は50歳半ばくらいの方の思います 超若者です雨がぱらついており、籾を濡らすと大変な作業なのです明日は熊野大花火大会、でも百姓には関係ないのですね 最初の写真、多くの住宅が建っています昔はこの住宅地は山と一部ミカン畑だったのです保守的なのかな、自然壊してまで金山町に家が増えなくてもいいのです でも仕方ないのですミカン栽培ができなく(価格低迷、高齢化)で、山、田畑を売ってしまうのですね町内の地のお爺ちゃん、お婆ちゃんが、子供の住む都会へそして地以外人が町内に住む どこか寂しいものです
2014年08月16日
コメント(0)
全333件 (333件中 201-250件目)