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○刺身定食刺身、ラブコロッケ、魚の炊き込みご飯、サラダ、冷やし蕎麦、冷奴、魚の切り身が入った澄まし汁、漬物相島で水揚げされた新鮮な魚の刺身。魚のすり身を使った、相島特産のハート型のラブコロッケ。相島がハートの形をしているからハート型なんだろうか?相島の船着き場近く、島の駅あいのしまの1階にある食堂。猫島として有名で、漁師町で沢山の釣り人も訪れる、相島の海で獲れた食材を用いた料理が食べられる。今回いただいた刺身定食は丸山食堂の看板メニューで、獲れた魚をふんだんに使った料理が並ぶ、ボリューム満点な定食。刺身は新鮮でさっぱりとしていて、炊き込みご飯や澄まし汁も魚の旨みがしっかりと染み込んでいて美味しかった。メニューは他にも、相島で獲れたワカメを使ったわかめうどんなどもあり。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.02.28
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福岡県粕屋郡新宮町 『相島①』の続き。相島積石塚群。国指定史跡に指定されている。島の北東の長井浜にある、古墳時代中期から後期にかけて造られたといわれる積石塚群。長野県にある大室古墳群と並び日本を代表する積石塚群とも言われる。一般的に古墳は土を盛って造られるのに対し、こちらは全て石積みのみで造られており、その数は254基にも及ぶ。約500mにも及ぶ丘の上に所在し、遺跡の南側に古い積石塚が造られ、北に行くほど新しいものになっている。相島北塚(1号墳)。遺跡の最北端にある、横穴式石室の円墳。主体部の大きさは約2m×約1.5m、高さは2mほど。6世紀中頃に造られたもので、何度か追葬が行われ7世紀まで使われていたという。過去の発掘調査で須恵器と土師器が見つかった他、剣、刀子、鏃などの鉄製品が20点以上発見されており、これらの遺物は新宮町立歴史資料館に展示されている。相島大塚(120号墳)。東屋のすぐ近く、遺跡の中央部に位置する前方後円墳。5世紀中頃に造られたもの。全長は20mで、前方部は約4m×約6m、高さ約1m。後方部は2段築成で約12m×約14m、高さは約2.5m。遺跡の中では最も大型の積石塚となっている。後方部は大きく壊れていたため、発掘調査の結果に基づき復元が行われている。相島南塚(142号墳)。120号墳から少し南に進んだ場所にある方墳。5世紀に造られたもので、大きさは約5m×約5m、高さ約1m。相島積石塚群の中では最も残りが良い積石塚。太閤潮井の石。中世の高麗の陣の際に豊臣秀吉の旗下の武将たちがこの島に立ち寄り、海岸から石を持って千手観音に航海安全と朝鮮征伐を祈願し、その石を積み上げてできた石山だと伝えられる。太閤秀吉にちなんで、太閤潮井の石と名付けられた。岩宮神社。稲荷大明神を祀る。石鳥居は1919年(大正8年)に造られたもの。タキノダン。島の北部にある見晴らしのいい展望所。ちなみに海岸の波打ち際には小さな洞窟があり、昔から航海安全や無病息災の祈願がされていた観音様(通称穴観音様)が祀られている。有待邸跡。朝鮮通信使の迎賓館だった有待邸があった場所。筑前相ノ島灯台。遠見番所跡。1639年(寛永16年)に鎖国令が出て、福岡藩2代目藩主の黒田忠之の命により、異国船を監視する目的で相島に設置された物見櫓の跡。現在では当時の石垣だけが残っている。龍王石。島の西海岸に位置する、八大龍王を祀る御神体石で、大きさは周囲7.5m、高さ2.1m。毎年11月に豊漁を祈る龍王祭が行われている。朝鮮通信使客館跡。鎖国が行われていた時代に、唯一国交を持っていた朝鮮からの使節団(朝鮮通信使)を接待する為に建てられた客館があった場所。客館は使節団が来るたびに新築されていたといい、相島での接待がどれだけ手厚く行われていたかがうかがえる。1994年(平成6年)に発掘調査が行われたときに大規模な建物跡が見つかり、接待に使われていたと思われる下駄、お椀、陶磁器なども多数見つかった。これらの資料の一部は新宮町立歴史資料館に展示されている。若宮神社。島の氏神様を祀る。若宮神社井戸。若宮神社境内にある、朝鮮通信使を接待する際の水を確保するために掘られた井戸。若宮神社の近くにいた猫たち。古代と中世の歴史を感じながら島を一周した後は、相島でのんびりと暮らす猫たちの写真をいっぱい撮った。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.02.27
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読みは「あいのしま」もしくは「あいしま」。新宮町の北西、玄界灘に浮かぶ島(有人島)。面積は約1.25㎢で、周囲は約8km。真上から見ると、ハートあるいは跳ねるイルカのような形をしている。新宮漁港から連絡船で約20分で行けるようになっている。所謂猫島として有名な島で、島内には約200匹もの猫が生息している。2013年にはアメリカのメディアCNNが「世界6大猫スポット」として紹介したことで国際的にも有名になり、国内のみならず海外からも観光客が訪れている。また、釣りのスポットとしても有名で、釣りを目的に来る人も多い。島は歩いて一周できるようになっており、国指定史跡に指定されている相島積石塚群や、朝鮮通信使にまつわる遺構、海を眺められる展望台などの見どころがある。食堂やカフェ、宿泊施設もあり。古くから存在が知られていた島で、日本書紀や万葉集にもその存在が書かれている。中世には豊臣秀吉の旗下の武将たちが名護屋城に向かう途中にこの島に立ち寄り、航海安全と朝鮮征伐を祈願したと伝えられる。近世には朝鮮通信使がこの島に寄港しており、通信使が使っていた客館や船着き場などの跡が今も残っている。同じ福岡県で北九州市に、読みが同じで猫島という点でも共通している藍島があるが、別の島。新宮漁港の相島渡船新宮待合所。漁港にも沢山の猫たちがいて、待合室の中で寝ていた猫もいた。渡船「しんぐう」に乗っていざ、相島へ。ちなみに玄界灘の荒波を超えていくため、船の揺れが大きく、乗り物酔いする人は要注意。玄界灘を超えて、相島に到着。島に着くと早速、猫たちがお出迎え。みんな大人しく、人懐こくて近づいてくる猫もいる。触ったり、写真を撮ったりするのは自由だが、餌やりは禁止されているので注意。渡船発着所。ここにも朝鮮通信使にまつわるスポットがいくつか残っている。前波止。対馬藩主や随行者の上陸用として使われていた波止場。現在は町営渡船の発着所の一部になっている。先波止。朝鮮通信使の上陸用に使われていた波止場。島の駅あいのしま。1階には丸山食堂があり、相島で水揚げされた新鮮な魚を使った料理を食べられる。飲み物やスイーツ、お土産を売っている店もあり。2階は休憩所になっていて、テーブル席とカウンター席があり、島を散策後に一息つけれるようになっている(2枚目の写真は1階の売店で買ったアイスコーヒーとハムチーズサンド)。すぐ隣は渡船待合室になっており、帰りのチケットもここで買えるようになっている。新宮相島漁協購買店。島内唯一の食品販売店で、相島で獲れた魚やその加工品が売られている。丸巳屋旅館。島内にある昔ながらの旅館。素泊まりで宿泊できるようになっている。漁港と猫。新宮町立相島小学校。島内にある唯一の小学校。高台の方には新宮町立新宮中学校の相島分校がある。相島積石塚群に向かう途中、ガードレールの影にいた猫。影と見事に同化していた。ふてぶてしい顔つきでこちらを睨み付け、島内の猫の中ではかなり大きかった。相島小学校から相島積石塚群へ向かう途中にあった、誰かが作った休憩所。相島と玄界灘を眺められるようになっている。休憩所の先で会った、美人猫さん。相島積石塚群に到着。休憩所の東屋には、置いてあったクッションで猫が気持ち良さそうに寝ていた。隣に座ってみると、目を醒まして今度は自分の膝に座って眠りについてしまった。可愛い。石碑。朝鮮通信使にまつわる遺跡の一つ。1719年(享保4年)に通信使を迎える際に、大嵐が発生し船が42隻沈没し、61人が溺死。それを祀る石碑だと言われている。付近には嵐に呑まれ亡くなった人々の墓もある。鼻面半島。県指定名勝に指定されている。柱状節理の立派な岩肌が特徴的な半島で、海触洞も見られる。波打ち際に立ち、釣りをしている人もいた。鼻栗瀬(メガネ岩)。県指定名勝に指定されている。新宮町のシンボルとなっている景観。高さ約20mの奇岩で、波による浸食で中に大きな空洞が空いている。こちらも柱状節理が立派。古くから景観の素晴らしさが評価され、朝鮮通信使の記録や、江戸時代に書かれた筑前国続風土記などにも書かれている。鼻栗瀬と鼻面半島。福岡県粕屋郡新宮町 『相島②』へ続く↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.02.22
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○湯どうふ定食湯どうふ、日替わりの付きだし、野菜の天ぷら、ご飯、漬物豆腐を昆布のお出汁で炊いていただく。南禅寺の近くにある、湯豆腐の店。湯豆腐だけでなく冷奴もあり、他の料理も野菜の天ぷらや蕎麦など、肉類や魚類の食材を使わないいわゆる精進料理となっている。湯豆腐の起源については諸説あるが、一説では南禅寺参道周辺の精進料理が起源と言われているそう。五右衛門茶屋の湯豆腐は、昆布のお出汁で豆腐を炊き、薬味を付けて醤油でいただく。今回頼んだ湯どうふ定食は、湯豆腐だけでなく野菜の天ぷらや野菜の煮物が付いたもので、これも精進料理、今でいうとヴィーガン料理と言えるものだが、食欲をそそる彩りがあり、ボリュームも結構なものだった。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.02.16
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平安建都以前より疫神を祀る社があったと伝えられる神社。別名「玉の輿神社」。本殿、幣殿、拝殿など32の建造物が国登録有形文化財に登録されており、やすらい祭りは無形重要民俗文化財に指定されている。本社の御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)、事代主命(コトシロヌシノミコト)、奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)。疫社の御祭神は素盞嗚尊(スサノオノミコト)。健康長寿、災疫鎮静、開運の御利益がある。また、八百屋の娘で、後に徳川家の側室となり5代目将軍徳川綱吉の母として従一位に叙された"お玉"こと桂昌院の氏神社であったことから、玉の輿の御利益がある。元々当社が鎮座していた場所には疫神を祀る社があったと言われている。平安建都の後に平安京が都市として大きく栄えた一方で、疫病や災厄が立て続けに起こり、これらを鎮めるために御霊会が開かれる。994年(正暦5年)にも大規模な疫病が流行したため、朝廷は当社の疫神を2基の神輿に乗せて船岡山の上に安置し、悪霊退散を祈った。これが紫野御霊会、今宮祭の起源と言われている。この時に平安京の人々は皆、神輿に供して船岡山に登り、囃子に合わせて唄い踊り、疫病を依り移した人形を難波江に流し安寧を祈ったといい、これが後のやすらい祭りに繋がったという。1001年(長保3年)にも疫病が流行し、朝廷は船岡山から現在の地に疫神を奉遷し、神殿を造り今宮社と名付けた。これが当社の始まりと言われている。古くから朝廷、武家、民衆からの崇敬が篤く、特に5代目将軍徳川綱吉の母である桂昌院から篤く崇敬され、荒廃していた社殿の造営を行った他、やすらい祭りの復興などにも努めた。1896年(明治29年)に社殿が焼失したが、1902年(明治35年)に再建され現在に至る。東門から続く参道には門前名物菓子「あぶり餅」の店がある。あぶり餅は今宮神社に奉納された竹串に小さな餅を刺し、炭火で焼いて特製の白味噌だれを絡めたもので、食べると無病息災の御利益があると言われる。また、あぶり餅の店「あぶり餅 一和」は日本最古の和菓子屋として知られている。毎年10月8日、10月9日に例大祭が行われている。5月に御霊会を起源とする今宮祭が行われ、神幸祭、湯立祭、還幸祭の順番で行われる。4月第2日曜日に同じく御霊会を起源とし、京都三大奇祭の一つにも数えられるやすらい祭りが行われる。表参道。楼門。国登録有形文化財に登録されている。朱塗りの大きな楼門で、1926年(大正15年)に建立されたもの。両側に回廊がある。手水舎(お玉の井)。1694年(元禄7年)に桂昌院が寄進したもの。建築当初は水盤が東向きになっていたが、後に北向きに変えられている。絵馬舎。国登録有形文化財に登録されている。1800年(寛政12年)に再建されたもの。拝殿。国登録有形文化財に登録されている。1694年(元禄7年)に造営され、1846年(弘化3年)に改修されたもの。2005年(平成17年)に「西陣の日」事業協議会から奉納された、西陣織で作られた三十六歌仙の額が掛けられている。社殿。国登録有形文化財に登録されている。本殿、幣殿、廻廊、拝所の構成で、いずれも1902年(明治35年)に再建されたもの。本社。中御座に大己貴命、東御座に事代主命、西御座に奇稲田姫命を祀る。疫社。本社の正面左側にある。当社が鎮座する以前にあった疫神を祀る社で、素盞嗚尊を祀る。社務所。玉の輿守や織姫守などの御守りや、健康・厄除けのやすらい人形などの授与品がある。阿呆賢(あほかし)さん。今宮の奇石。病弱な人はこの石に病気平癒を祈り軽く撫でて、身体の悪いところを摩れば健康の回復を早めるという。また、軽く手の平で三回石を打ち、持ち上げてみると石が重くなり、再度願いを込めて三回手の平で撫でて持ち上げ、軽くなれば願いが叶うと伝えられている。織姫社。御祭神は栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメノミコト)。織物の美しさや巧みさを司る神様で、技芸の上達を願う女性に崇敬されている。七夕伝説の織女に機織を教えた神様と言われ、織物の祖神とされている。紫野稲荷社、織田稲荷社。小高い石垣の上に鎮座する2つの稲荷社。紫野稲荷社の御祭神は宇迦御魂命(ウガノミタマノミコト)で、織田稲荷社の御祭神は織田信長公とその家臣。織田稲荷社は信長公の墓所阿弥陀寺の跡地に鎮座していたが、1987年(昭和62年)にこの地に遷座した。若宮社。国登録有形文化財に登録されている。中央の若宮社に伊弉那美神(イザナミノカミ)、右側の加茂斎院に歴代斎王の御霊、左側の若宮社に藤原仲成・藤原薬子らの御霊を祀る。子授けの御利益がある。手前に拝殿がある。日吉社、大将軍社、八幡社。3社とも国登録有形文化財に登録されている。日吉社の御祭神は大山咋神(オオヤマクイノカミ)、大物主神(オオモノヌシノカミ)。大将軍社の御祭神は牛頭天王、八大王子。八幡社の御祭神は応神天皇、比咩大神(ヒメオオカミ)、神功皇后。八社。国登録有形文化財に登録されている。1694年(元禄7年)頃に建立。境内西側にある細長い社で、大国社、蛭子社、八幡社、熱田社、住吉社、香取社、鏡作社、諏訪社の八社を祀る。宗像社。国登録有形文化財に登録されている。1694年(元禄7年)頃に建立されたもので、「弁天さん」とも呼ばれている。御祭神は多紀理姫命(タキリヒメノミコト)、湍津姫命(タギツヒメノミコト)、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)。社殿側面の台石のところに長さ60cmほどの鯰の彫り物があり、神の使者として彫られたものだと言われている。月読社、地主稲荷社前の石鳥居。鳥居をくぐって石畳の参道を上ったところに、月読社と地主稲荷社がある。月読社。国登録有形文化財に登録されている。1910年(明治43年)建立。御祭神は月読尊(ツキヨミノミコト)。地主稲荷社。国登録有形文化財に登録されている。1842年(天保13年)建立。倉稲魂大神(ウガノミタマノオオカミ)、猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)。当地の地主神として祀られている。神馬舎。唐崎の松。琵琶湖の湖畔に鎮座する日吉大社の摂社である唐崎神社の境内に植え継がれている霊松。当社の松は2020年(令和2年)に植えられたもの。桂昌院のレリーフ。桂昌院は、1628年(寛永5年)に八百屋の娘として生まれ、名前は玉といった。その後武士の本庄宗正の娘となり、江戸城に入った後大奥で仕え、徳川家光の側室となり、5代目将軍となる綱吉を産み、生母となる。晩年には従一位に叙され、79才で没した。これらの出世劇から、桂昌院の名前だった玉に由来し、"玉の輿"の語源になったと言われている。桂昌院は終生神仏を敬い、中でも今宮社の崇敬が篤く、社殿の造営や神領を寄進した他、やすらい祭りの復興にも努めた。このように桂昌院との関わりが非常に深い神社であることから、やがて今宮神社は玉の輿神社とも呼ばれるようになった。神橋。東門。国登録有形文化財に登録されている。1881年(明治14年)に再建されたもの。東門前の参道。門前名物菓子「あぶり餅」の店があり、参道には焼いている餅のいい香りが立ち込めていた。あぶり餅の店は「あぶり餅 一和」と「あぶり餅 本家根元 かざりや」の2軒で、石畳の参道を挟んでお互い向かい合わせに建っている。かざりやの創業は1637年(寛永14年)で非常に長い歴史を持つが、一方の一和の創業はなんと1000年(天保2年)で、1000年以上の歴史を持ち、日本最古の和菓子屋として知られている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.02.15
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○ジャークチキンとランチビュッフェメイン料理のジャークチキン、ビュッフェで選んだおかず、大根の煮物、ご飯。ジャークチキン。10種のハーブを使い、スパイシーに焼き上げたチキン料理。肉のボリュームがすごい。ビュッフェで選んだおかず。たけのこの炒め煮、サラダ、ポテトチップス、唐揚げ、ポテトサラダ、漬物、白和え、季節野菜のチャンプルー。野菜、肉料理、カレー、デザートなど種類豊富なランチビュッフェ。料理は東峰村で獲れた野菜を使用しており、添加物も使用せず健康にやさしいものが揃う。飲料水も平成の名水百選に選ばれた岩屋湧水の水になっている。食後のデザートにプリンと緑茶。ちなみに器も全て、小石原焼の陶器が用いられている。旧小石原小学校をリノベーションした複合施設「アクアクレタ小石原」にあるレストラン。東峰村で獲れた野菜を用いた料理を中心に様々な料理が楽しめる。昼はランチビュッフェとなっており、メイン料理をハンバーグ、ジャークチキン、豚ロース塩麹焼き、パスタの4種類から選び、残りはビュッフェ形式となっている。今回はメインにジャークチキンを選び、少し辛かったがボリューム満点で、ビュッフェの料理もヘルシーかつ美味しいものばかりで、あっという間にお腹いっぱいになった。夜は予約制のディナーコースが用意されており、ドリンクメニューにはクラフトビールの他に東峰村の地酒もあり。アクアクレタ小石原。旧小石原小学校をリノベーションした複合施設。校舎や校庭はそのままの姿で、ホテル・キャンプ場として用いられている他、地域内外の人々との交流を目的に研修施設や体験学習のスペースなども充実している。1階は研修施設やレストランなどがあり、2階は宿泊施設になっている。教室や廊下も当時のまま残っており、懐かしい雰囲気が漂う。でももう学校ではないから、教室でふざけてみたり、廊下を走ってみたり自由にできるのはなんだか新鮮な感じがする。運動場はキャンプ場になっている。今はやりのグランピングもあり。学校でバーベキューを楽しんだり、キャンプファイヤーをやったり…それもなんだか新鮮な思い出になりそう。休憩スペースもあり。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.02.07
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以下2つの記事を更新しました。・熊本県阿蘇市 『古閑の滝』さらに凍り付いた滝の写真を追加。・鹿児島県伊佐市 『曽木発電所遺構』水没時の写真を追加。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.02.04
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高知県吾川郡仁淀川町 『安居渓谷①』の続き。蓬莱橋。宝来荘のすぐそばに架かっている赤色の吊橋。橋を渡った先の階段を下ると、荒男谷へ行ける。蓬莱橋から見た渓谷の景色。荒男谷。大小様々な淵や小滝が集合しているスポット。淵の深いところは仁淀川ブルーに輝いて見える。周辺はモミジの木々が連なっており、秋になると紅葉と仁淀川ブルーのコントラストが美しい。乙女河原。荒男谷を上ってすぐの場所にある、広々とした河原。川の流れは緩やかで一定して水深も浅いので、夏になると川遊びを楽しむ人も多いそう。秋になると周辺の紅葉が美しい。乙女河原の橋を渡り、そこから川沿いの遊歩道を歩いて飛龍の滝へ。飛龍の滝。安居渓谷を代表する滝の一つ。落差25mの滝で、滝水が途中で岩肌を伝って屈折するようにして流れ落ちる。水量が豊富な時は前面の岩盤を覆うように水が流れ落ち、白色のドレスのようになる。間近で見れるようになっており、夏はマイナスイオンたっぷりで涼しい。上段と下段で水が流れ落ちていく様子。滝壺。他の仁淀川ブルースポットと比べると、深い青色に染まっている。みかえりの滝。安居渓谷を代表する滝の一つ。落差18mの2段の滝。1段目の滝の水だまりがかすかに青くなっているのが見える。安居渓谷の最初の見どころである滝だが、駐車場に向かうまでの道路の脇にあるため、うっかり見落としがち。滝の方へ下りる道はなく、ガードレール越しに眺められるようになっている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.02.01
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