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前回ちらっとこの日記を書いたのは、出産前でしたね。で、今はすぐそばに2ヶ月過ぎてちょっとむちっとなった赤ちゃんがすやすや寝ています。お姫様9月30日に産まれました。名前は美雨(みう)。兄ちゃんたちは青空の下、まだ日が落ちてない夕方に産まれましたが、美雨はしとしとと雨の降る夜中3時半過ぎに産まれました。1時半にうちで破水して、バタバタと支度して助産院についたのが2時半ごろ。で、1時間ちょいで産まれました。あっという間のお産。ちょうど新月で、大潮の波に乗ったわね・・・とセンセーが言ってました。動物はだいたい夜中とか雨の日とかにお産するらしい。私も今回はホント、センセーがモニターつけたり、寝かせてマッサージしてくれようとするのを振り切って、勝手に動き回り、最後はうぉ~っと立ち上がって、産み落としたという、ちょっと、いやかなりケモノくさい感じのお産でした。 その後胎盤がなかなか出てこず、私の血圧が下がり、救急車?!というヒヤッとした場面もあったのですが、なんとか正気に戻り、元気に退院できました。 そして、今は3人のかあちゃんに。かわいいかわいいお姫様の美雨は、毎日兄ちゃんたちにおもちゃにされ、この間は可愛いお口にイモムシ入れられそうになり、今日は頭踏まれました(涙)。とにかくここは戦場?という感じにけたたましいうちの中。常に兄ちゃんたちは地球の平和を守るため、見えない誰かと戦っており、それに飽きると美雨にちょっかいを出し、美雨を泣かせて母に怒鳴られています。 それでも保育園に行く前に「じゃ、行って来るからね、美雨」と美雨にチュッとやって、園の中へかけていく長男は、その時だけなんだかすっかりかっこいいお兄ちゃんになります。 さてさて、そんな毎日で、パソコンともすっかりご無沙汰してたんですが、最近は毎日パソコンの前に座ってます。・・・というのも、うちのダンナの仕事が思わしくなく。これは家計のピンチ!日本に来る前に、「日本に行ったら配偶者ビザが取れるまで間がある。少しでも私が在宅で稼げる道はないか?!」といろいろ考えて立ち上げたネットショップ。妊娠出産などで、ほぼほったらかし状態だったのですが、リニューアルしました。またいろいろ考えて個人輸入のサイトも作ろうかと思ってます。 ダンナは今まで韓国料理店の店長として、10時にうちを出て夜中1時ごろうちへ帰る・・・という生活を続けてきました。休みは土曜日だけ。日・祝も出勤。でも今はなんと!保育園の送り迎え、晩ご飯の準備、時々は朝ごはんまでぜーんぶパパがやってくれております。それまでは土曜日にどっかへ遊びに行く以外、平日はほんのちょっと会話を交わすことも大変なくらいすれ違いの生活でした。(朝はずーっと寝ていて、だいたい私が子供たちを保育園に送って帰る頃出勤。パパがうちに帰るときにはみんな寝ていた。)今は収入は激減したけれど、みんなで食卓を囲み、寝るときもみんな一緒におやすみなさいができ、夫婦の会話も(けんかすることもけっこう多いが)できるようになったので、なんだかシアワセです。(収入はほんっとないけど) なんだか今日ふらっとこのブログによってみたら、とても懐かしくなりました。ここで日記を書いてた頃の思いがよみがえってきたような。さらん67さんやFUNABONさんもコメントを書いてくれていて、うれしかったです。 また、時々、寄りたいなと思います。
2008.12.08
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すっごく久しぶりに、楽天ブログを開きました。実は今3人目妊娠中。で、今日が予定日。でも産まれてくる気配なし!ってことで、いったい裕の時はどうだったっけ?と、楽天日記を見てみたのです。 出産した日のこともさらっとしか書いてないし、予定日には日記かいてなかったので、あまり参考にならず。でも、なんだかとても懐かしかったです。 さて。3人目はいったいいつ産まれてくるのか?!
2008.09.28
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毎日がとてもあわただしく過ぎて行き、ゆっくり日記を書く時間がなかなかとれません。シプモは5月8日までの滞在予定だったのですが、4月14日にお帰りになりました。…というのも、ダンナが4月9日から韓国料理店をチェーン展開している会社に就職し、朝10時半にうちを出て、夜中12時過ぎに帰ってくると言う生活になってしまい、その上私も遼の自主保育や一時預かりが始まったりして忙しくなったため、シプモほったらかしという日々が続き…とにかくお帰りになりました。シプモ滞在中、何度も思ったのは、「なぜ?この新しい生活が始まると言う大事な時に、来てしまったの?!」ということでした。まだダンナの仕事も決まっておらず、遼も4月からの行く道がまだはっきり決まっていない状態。やっとビザがとれ、就職活動を始め、遼の生活リズムも整えて、家族の生活スタイルをかためていきたいこの時期に、なぜ?!!親だったら、まだ収入もない私たちのところへ来て、温泉だなんだとお金使わせるのは大変だろうと、もうちょっと後である程度収入も安定して落ち着いたら観光を兼ねて遊びに行こうかと考えないだろうか。今はこんなことしてる時じゃないのよお~!!!と言う思いがわたしの中にすごくあって、その上日本に来ても「韓国」を通し、コチュカル、クルビ、キムチ、その他いろいろなものを冷蔵庫に詰め込み、にんにくはないのか、ごま油もないのかと騒ぐオモニム。私の機嫌が悪く、しかもオモニムもそれを察知して機嫌がよろしくなく、その間に立ったダンナもストレス受けまくりで、その上忙しいスケジュールの合間を縫って2回も温泉旅行に行ったものだから、最後の頃は本当にくたくたに疲れてしまいました。とどめはシプモ帰国3日前、近所の小学校でやってくれる週一のプレスクール入会式当日、いきなりオモニムのお友達が遊びに来ることになり、来た時間はなんと朝の8時半!うちはまだ家の電話がなく、私がいなくなると連絡がつかなくなるかららしい。朝8時過ぎに電話がなり、今最寄り駅にいると連絡を受けた時は、本当に耳を疑ってしまいました。ダンナは仕事始めたばかりで疲れているのに無理やり起こされ、私も遅刻できない大事な初日なので、余裕を持って出かけたかったのに、結局バタバタとあわただしくなってしまうし、本当朝から疲れ倍増。怒りも倍増って感じでした。前の日に、韓国で何度かお会いしていたさらんちゃんママと、そのお友達のなあなあさん(楽天日記も書かれています)と会って、いろいろ話せていたので、ちょっと気持ちも楽だったけど、そうでなかったら爆発してたんじゃないかと思います。とにかくシプモがうちにいることのストレスはけっこうなものでした。台所をごちゃごちゃ触られたくなくて、ごはん作りはわたしがすることになったのですが(昼夜はほとんど外食だったのでごはん作りは朝だけでしたが)それもプレッシャーだったし、なんかシプモ滞在中はぐっすり休めませんでした。しかし、考えてみたら韓国では帰国前まで同居してたわけで、その時はこんなにストレスを感じてなかったんですよね。なぜ今回こんなにストレスになってしまったのか…。やっぱり韓国では私がかなりひいてここは韓国だし…と思って我慢していた部分もあり、シプモのうちなのでシプモのやり方で全てお任せだったのでラクだった部分もあったのでしょう。それが今回はじぶんのうちなのに!ここは日本なのに!という思いが強くて、それでストレスになっちゃったのかなと思います。シプモ帰国の際、空港で見送った帰り道ではダンナに「なんでもっと自分の親を大事にできないんだ!!オレはてぐりょーの親を大事にしてるのに!!」と言う感じのことを言われ、ぐったり。やっぱりダンナはそう見ていたのか…とちょっとがっかりしました。シプモが帰国され、そのあとの私はずーっと頭にもやがかかったみたいに眠くて眠くてしかたありませんでした。それでも4月と言うのはいろんなことが始まる時期で、なかなか休めず、どんどん元気がなくなっていく感じで…。いつになったら落ち着いて余裕のある生活になるのかなぁと思う今日この頃です。
2007.04.27
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とっても久しぶりの更新。トルジャンチ前で日記が終わってしまってました。トルジャンチは日本語教師時代の主任の先生、同僚一家、遼と同じ1月産まれのお友達一家が2組、新婚時代に韓国語を勉強したクラスのお友達などがお祝いに来てくれ、とても楽しいトルジャンチになりました。遼の時はダンナにぜーんぶ任せて、ホテルのブッフェでやったんだけど、オプションを全然つけなかったので、飾りもなく、司会の人もいない、さびしい感じのトルジャンチになってしまったので、今回は大満足。お料理はやっぱりホテルのほうがおいしかったけど。。。ほとんど病院通いで終わったソウル滞在だったけれど、トルジャンチの後は、シデクとどっかへ行く・・・という合間を縫って、ご近所で新婚生活しているお友達が車でしょっちゅう来て連れ出してくれたので、だいぶ気分転換になり、助かりました。そして、再び日本へ。ソウル滞在中にビザが出るだろうと思っていた私たち。ところがいくら待ってもビザが出ない。2月中は結局ビザが出ませんでした。その間ビザが出ないので、就職活動もできず、ただうちの中でゲームばっかりしてるダンナにいらいら。友達と会ったり、子育て関係のイベントなどにいろいろ出かけたかったけど、いくら子ども連れてでも、ダンナをひとり残して出かけまくるのも気が引けて、お出かけの予定をあきらめたりしてました。まぁでも、素泊まり1500円の格安温泉旅行に行ったり、こどもの国へ遊びに行ったり、楽しいことも一杯ありましたが・・・。そして、3月はじめにビザが出て、ダンナ、ソウルへ2週間滞在。ここぞとばかりに出かけまくり。楽しかった!!そして20日にダンナ帰国。帰国後仕事先を探して、4月には新しい生活が始まり、ちょっとは落ち着くかな~と思っていたのですが。。。なんと!今日、シプモ来日。うちへ着くやいなや、きむちがどどーん。冷凍クルビやら青唐辛子やらどんどん出てきて、台所を占拠。「てぐりょーにキムチの作り方を教えようと思って。」と、コチュカル、セウジョッまで持参。あっという間にうちのせまーい台所がコリアンワールドに。しかもしかも!帰国予定日は5月8日。その2週間前ぐらいには、アジュボニム(義理の兄)も来るらしい。そーゆーこと、わたし抜きでソウルにて決定済みらしい。いきなり聞かされて、「さぁ~お義兄さんに『ぜひいらしてくださ~い。お待ちしてます』っていいなさい!」とシプモからずんっと電話をわたされた時にはクラクラとめまいが・・・。その後、ダンナとけんか。しかもうちの実家の前で。うちの母も帰国予定日を聞いてびっくりしてたけど、「それでもにこやかにお迎えしてあげないと・・・。彼も独りでこっちにいるのだから、あなたがちゃんと気を使いなさい。そんなことでけんかしてはだめ!」とのこと。「でもあっちの人たちってにこやかにお迎えしてたら、あぁずっといてもいいんだって思って、2ヶ月でも3ヶ月でも長居しちゃうかもしれないんだよ。そういうの、相手に悪いとかって思わないんだから。」と言ったら、「それは国民性。欧米のような個人主義の国じゃなくて、一昔前の日本のような大家族主義の国なんだから、韓国人と結婚したのはあんたでしょう!!」と一喝されてしまいました。くぅ~。
2007.03.22
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日曜日がトルジャンチだというのに、水曜日まで病院通いしていた私たち。やっと最後に風邪を引いた遼が治り、元気になった木曜日、いきなり夜中に江原道へ。いきなりどっか行くのが好きなシデクの人々だから、あぁまたか…という感じではあったけど、風邪が治ったばかり、しかもトルジャンチを控えているというのに、だれも大事をとって家でゆっくりしていようとは考えないところがなんとも言えない。みんな子供たち大好きで、とってもよく世話をしてくれるんだけどね。そして、気がつくともう金曜日も夜中、もう土曜日だ。今日は私の両親が来る。今回の韓国滞在は本当に風邪に泣かされた日々だったような。トルジャンチはあしたの日曜日、夜6時から、交通会館12階で行います。お祝いに来てくださる皆さまと楽しいひとときが過ごせるといいなぁ。
2007.01.19
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1月6日にソウルに来ました。ザーザーぶりの雨の中、羽田空港へ向かった私たち。金浦空港に降り立ち、外へ出るとそこは銀世界。ってほどではなかったけど、雪がうっすらと積もり、ものすごーく寒かったです。飛行機も、ものすごく揺れ、もう二度と乗りたくない!と思うほどだったけれど、その後のシデク生活もなかなかハードです。というのも、裕がこの気温の差や旅の疲れのせいか、着いてすぐから具合が悪くなり、吐くわ、下痢するわで即病院通い。私もすっかり風邪を引き、遼も咳が止まらず。韓国の家はオンドルであったかいはずなのに、シデクはアパートやビィラほどあったかくなく、明け方寒くて目が覚めるし、台所にはオンドルが入っておらず、つめたーい台所を行ったり来たりするだけでぶるぶる震える始末。しかも、今回はパソコンもインターネットも車もない生活。その上子供たちの具合も悪く外も寒いので、一日中シデクに閉じこもりっきり。それでもクンチプの近くの病院に連れて行ったため、あったかいクンチプで遼はいとこのお兄ちゃんと遊んでもらえ、私もちょっと息抜きができたりしてるので、何とかなってるけれど、かなりキツいです。なまじ、日本で毎日のようにお出かけし、自分の裁量で何でも決め、行動できる環境にちょっとだけ身を置いてしまったため、今回のシデク暮らしがキビシイものとなってます。寒い!+子連れでお出かけする足がない!+在韓お友達との連絡ツールであるパソコンが使えない!つらいですね、これは。それでも、子供たちを見てくれ、一緒に遊んでくれる人がたくさんいるのはありがたいです。おかげで、今も家の前のPCバンにちょっとだけ行かせてもらっています。子供たちと私の風邪が治ったら、在韓のお友達に会いに行きたいけれど、まだどうなるか。。。とにかく21日のトルジャンチの前には子供たちも私も風邪を治して、元気な姿でお祝いしたいなぁと思います。
2007.01.11
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ソウルから日本に戻ってきて2ヶ月。バタバタしているうちにあっという間に年末になり、あっという間に新年を迎えてしまいました。それなのに、うちの中は雑然としているし、実家のほうも遼や裕が散らかしてぐちゃぐちゃ。まったくお正月っぽくない、いつもの家の風景です。まぁそれでも、日本に来てから子育て関係のいろんなところに連れて行ってくれたご近所のお友達を通じて、子育てサロンつながりのお友達と中華屋で忘年会をやったり、ソウルで知り合い、今は日本で生活している日韓家族とうちで忘年会をやったりして、ちょっとは年の瀬気分も味わうことができました。しかし考えてみれば、2006のお正月は裕の出産で、その前の年はちょっとした用事で、その前は遼の出産で、ほとんど正月には日本にいた私。だからあんまり「帰ってきたなぁ。。。」と言う実感もなし。ダンナはそんな私とは逆に「来ちゃったなぁ。。。」と日本についた瞬間から実感わきまくってました。それでも日本に6年ほど留学していた経験があるせいか、それほど違和感もなく日本生活に入っていったダンナ。小さいころから親の仕事の影響で、家の中に入れ替わり立ち代わり誰かが出入りしていた中で育っているためか、半分私の実家に入りびたりな生活もまったく苦にならないよう。「お父さん早く帰ってこないかなぁ~」などと言って、おつまみをサッと作りながら実家で父の帰りを待っていたりしてます。お正月も、大晦日にはチャプチェや韓国式おでんとにんにくの芽の炒め物を作り、格闘技の番組を見ながら父と酒盛り。こうして実家で父や母を気遣いながら、すんなり仲良くなってくれて、本当にありがたいなぁと思います。私がソウルにいた時、これが一番難しかったので。でもそんなダンナでも配偶者ビザがまだ下りていないため、仕事を探すこともできず、私がネットショップだ子育てサロンだと毎日バタバタしている中で、一日中うちにいるのはとてもしんどかったみたい。ソウルで依頼を受けていた翻訳の仕事があったからまだ良かったものの、「これからずーっとうちから出たくない」と引きこもりのようなこと言ってみたり、引越しの買い物や、これからのことを話しているときなどに「全部てぐりょーが決めれば・・・」などといった投げやり発言が飛んできたり、ストレスたまってるかなぁと思うようなこともありました。そんな中で大きなけんかは2つ。ひとつはキムチ事件。新しく買った新品の冷蔵庫。結婚して家財道具を今まで一度も自分で選べたことのなかった私。新婚当時はほとんどすべてダンナのお姉さんのお古(離婚して必要なくなったものがたくさんあった。冷蔵庫と洗濯機は新品だったけれどシオモニが買ってくれたもので、突然送られてきた。)新婚気分でうきうきしながら選んだ大事な冷蔵庫。それが。。。ソウルから持ってきたキムチが実家の冷蔵庫を占領していて他のものが何も入らないから早くどうにかしてくれと言われ、納品したばかりでまだ何も入っていない冷蔵庫に最初にキムチを入れることになってしまった。冷蔵庫がキムチくさくなるのはいやだなぁと思いながらも仕方なくキムチを入れる。そしてしばらくたって、買い物したものを冷蔵庫に入れようとドアを開けてみると。。。冷蔵庫からキムチの汁がおもいっきりあふれてる!!その汁はいろんな隙間に入り込み、製氷室にまでまわり、いくら拭いてもとれない!!シオモニがタッパーにキムチをいっぱい詰め込んでパッケージしたせいで、ちょっと発酵が進んでいたキムチが冷蔵庫内であふれだしたみたい。私は半泣きで「あー、こんなとこにまでキムチの汁が!!」「あーもうやだ!!こっちも赤くなってるよ!!」と必死にお掃除。そんな様子を見たダンナが一言「キムチがかわいそうだ!!!」。その後ものすごく険悪になった私たち。あとでダンナが私に「昔バイトしてた焼肉屋のアジュンマは、キムチを冷蔵庫に入れる入れないでけんかになって、ダンナさんと離婚したんだ。俺たちはこんなことで離婚したくないから、もうやめよう。」と。ほんと。すっごい些細なことなんだけど、でもこれって永遠に分かり合えないと言うか、私たちの間ではかなり深いケンカとなった。もうひとつはつい最近のこと。これもまぁ些細なことなんだけどね。私たち、自分のコンピューターでネットができるようになったのは12月26日。申し込みをしたのは11月12日。つまり1ヶ月以上も待たされた。日本ではまずブロバイダー契約をして、取り付け工事は別業者がやる。そのためいろいろな窓口も分かれてるし、仕事も遅い。これがダンナには理解できない。そして、2台同時に使えるようにするとか、ソウルから持ってきたLANカードを使えるようにするとか、ケーブルが足りないからただでもらえるように交渉するとか、そういったネットにまつわるもろもろのことを、私に処理するように言ってくる。で、いろいろ交渉してみるのだが、ダンナの思うとおりにことが運ばないためイライラし、「日本のこーゆーとこが嫌いなんだ!!」と私にそのイライラをぶちまける。私にしてみれば、日本と韓国ではシステムがいろいろ違うんだからしょーがないじゃん!いちいち動かされ、その上韓国を基準にして文句を言われる私はたまらんよ!!と言う感じ。でもこれって、ソウルで私がやってきたこととまったく同じ。そのイライラする気持ちもわかる。だからなるべくダンナの希望に沿うようにいろいろやってあげたいんだけど、けっこう疲れるのだ。まぁ他にも実家との兼ね合いとか、公園で遼が日本人の子どもにたたかれたら絶対殴り返す!と息巻いてるダンナとのこれからの子育てとかいろいろ頭が痛いことは多いけれど、なんとかやっていこうと思います。日本に戻ってきて良かったなと思うこともたくさんあるし。なんといっても日本に戻ってきて、自分の判断で自分から動ける!というのが今本当にうれしいです。ソウルではシデクとの関係が密だったためか、自分が決めて自分で何かを始めるということがとっても難しかったので。…とそんな毎日ですが、私たち、6日から約一ヶ月ソウルに行きます。1月21日6時からチャムシルの交通会館で裕のトルジャンチをします。そのために行くのですが、遼や裕を愛してくれているシデクの人たちに2人の成長を見せるために行くことを決めました。ソウルに行ったら、あれを食べよう!あそこに行こう!と楽しみな反面、1ヶ月の同居生活がまたちょっと心配でもあります。ちゃんと適応できるかなと。でも、がんばって楽しんでこようと思います。
2007.01.01
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10月末に日本に完全帰国しました。そして、もうすぐ1ヶ月。。。前に日記を書いたときからは2ヶ月が過ぎました。は、はやい。時のたつのがものすごく早いです。いまだにうちの中は片付かないし、電話もインターネットも引けてない状態。(これは実家から)落ち着くまでにはまだまだ時間がかかりそうです。実はこの2ヶ月で、ポデギのネットショップなんかも始めてしまい・・・。シデク生活でポデギ(一枚布はもっぱらシオモニ&シヌイが使い、私はリュック型・ベスト型になってるもの)にすっかりお世話になり、これは便利だ!といきなりネットショップ作ってしまったのでした。http://akachantoissyo.ocnk.net/というのも、日本へ帰ったらしばらくは無収入。私が働くといっても、2人の子供を保育園や幼稚園に預け、パートで働いたら、預ける費用だけでパート代が飛んでってしまう。ダンナはビザ発給までたいして働けないし、実家の親に預けっぱなしにはできない。ならば、在宅でできるネットショップがいいかなと。しかもおんぶひもだったら、裕をつれて子育て支援の場や、いろいろなところへ行き、そこで紹介することもできる。そうやっていろいろ出かけていくことは、私にとってもいい刺激になるし、裕も遊ばせられ、しかもちょこっとした収入にもなる。・・・と始めました。始めたばかりの頃はまだソウルで、子供たちが寝た後でHPを作ったりしてたので、すっかり寝不足になり、体調壊したりしてましたが、なんとか形になってきました。そして少しずついろんなところへ顔を出し、韓国おんぶひもの紹介をさせてもらったりしてます。評判はけっこういいんだけども、デザインがいまいち。たしかに。で、無難なデニムのが売れてます。引越しだのなんだので、めちゃくちゃ忙しい時期に、なんでまたそんなことを!と言う感じなのですが、子供2人!そして、海外引越し!といろいろあるからえいっ!!とやってしまえたのかもしれません。それから。猫のくーちゃんですが。私が働いていた学院の主任の先生が預かってくれることになり、マイクロチップを入れ、第一回目の狂犬病予防注射もやり、私たちは日本へ戻りました。その後。先生のおうちから逃げてしまったと言う連絡が。たくさん探してもらったのですが、見つかりません。これからは寒い冬。完全家猫だったくー。今でもおうちの周りにえさを置いてもらってはいるので、その近くで見つかることを祈るのみです。私たちは1月待つにまたソウルへ行くので、そのときにも探そうと思っています。ソウルへ行くのは、1月26日に裕のトルチャンチをするためです。1月26日(日)夜6時から8号線ソクチョン駅の近く、ソンパ女性会館内にあるビュッフェでやる予定です。ご都合がよかったらぜひ、来てください。
2006.11.24
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コモの入院以来、こちらに書き込みをする時間がほとんどありませんでした。コモは無事に手術を終え、退院。そのすぐ後にシデクの水道工事。これ、ホントに2日で終わりました。はやっ。でも、工事前にうちの中にあるものを全部水道管の通ってないところに移動しなければならず、工事後はもちろんきれいに掃除をして、元の場所に戻さなければならない。 シデクはオモニムがめったに捨てない性格で、なんだかいろんなものがほこりをかぶって山積みになっている状態。とりあえず私たちはクンチプへ避難し、2日ほど泊まらせてもらった。 なんとか水道工事も終わり、その間わたしが日本でやってみようかなと思うことがあり、いろいろ調べているうちにあっという間に9月も半ばを過ぎてしまった。 私たちの日本帰国予定は10月末。ほぼあと1ヵ月を残すところだ。そして今日、ダンナの携帯が鳴った。 金浦空港に勤めているお友達から。「日本の検疫制度変わったの知ってる?」 へ? 空港で2週間の検疫をうけるんだよね。 ううん。6ヶ月以上かかるよ。 6ヶ月? ろ、ろっかげつー?! インターネットで調べてみると、2005年6月から全面的に検疫制度が変わったらしい。それによると、韓国から日本に入る犬や猫たちはみんな狂犬病の予防接種の他にマイクロチップを埋め込み、血清検査を受けなければならず、そのうえ韓国で180日間の待機期間がなければならないという。 狂犬病の予防接種は拾ってきてすぐにした。でも、それも2年以上たっていると効果がないらしく、もう一度やり直さなければならない。マイクロチップはソウル大病院でやってくれるらしく、血清検査はそこからオーストラリアにまわされるという。 で、すべての準備が整っても、そのあと180日間は韓国から出られない。 10月末の帰国まであと1ヶ月。 一緒に日本に帰れない。 全部スムーズに行ったとしても来年の4月まで、くーちゃんは韓国から出られない。 現在店も引渡し、無収入の私たち。 遼の幼稚園入学もあるし、とても来年4月までここでは暮らせない。 でも。 シデクの人たちはみんな猫嫌い。 今もくーちゃんはシデクには入れず、ひとり半地下のうちにいて、わたしたちが毎日 ごはんとトイレのお掃除に行っている。 預かってもらうことはとてもできそうにない。 というか、預かってもらったとしても、いつアボニムに捨てられるかわからない。 このことを知ったアボニム、開口一番「だから捨てろって言ったんだ。」 私や周りの人にとてもやさしいアボニムだけど、猫のくーにはとーーーっても冷たい。 ダンナの友達、知り合いもダメそう。 ペットホテル? ものすごくちっちゃいおりの中で6ヶ月? 過酷すぎる。 あぁ。遼妊娠前の情報をそのまま鵜呑みにして、忙しさにかまけてきちんと調べなかったわたしがバカだった。去年の6月といえば、裕を妊娠して、つわってたころ。そのころに変わってたのね、検疫制度。 と、後悔してもどうにもならないけど、 どうしたらいいか、全然答えが出せず、 本当に困ってしまいました。 何かいいアドバイスがあれば、お願いします。
2006.09.22
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今日、遼の大好きなコモが入院した。子ども好きで遼と裕に対してはそれこそ自分の子以上に(姪っ子たち談)たくさんの愛情を注いでくれているコモ、病気、そして手術をしなくてはならないことがわかってから、何度も涙していた。でも、病気自体はとってしまえば、何の問題もなく、すぐ元気になるということなので、私たちはひとまずホッとした。あとは無事に手術が終わり、体が回復して、元気になってくれることを祈るのみだ。 そんなわけで、今日の私たちは忙しかった。 まずお昼過ぎに病院へ行き、そのまま個室へ。そのあと、飲み物やパン、ちょっとつまむものなどを買いにマートへ。そして病室に戻ってからうちへ。ちょっと家事をして、会社から帰ってきたコモブと一緒にまた病院へ。…とまあ、病院とうちを行ったり来たりしながら一日を過ごした。 ところでこの病院、かなり大きい病院でコーヒーショップやスカイラウンジ、パパイス(ファーストフードの店)まである。とてもきれいで広く、まるでホテルのよう。そして…なんと!この個室1泊27万ウォンもするという。 といっても、普通の大きさのシングルベッド、ちっこいテーブルとソファが二つ、ちっこいテレビ、シャワートイレ、看護する人が寝られるぐらいの簡易ベッドがあり、広さはビジネスホテルの一人部屋ぐらい。すごーく豪華なわけではない。 これ、かなりお高いように思う。 6人部屋だと保険で全部カバーできるらしいんだけど、全部埋まってて空き待ち状態らしく、2人部屋もいっぱいなので仕方なく個室になったみたい。6人部屋は1万ウォンちょっとでいいらしいので、すごい差がある。 コモはこのこともかなり気にしてて、コモブも病院に対してかなりお怒りのようだったけど、それでもコモの体を治してくれれば、いくら払っても惜しくはない…という気持ちみたい。病院側はこういう気持ちを逆手にとって、病室で商売しないでくれーと思うわ。
2006.09.07
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きのう、サムシンハルモニのこと書いたばかりだったのだけど、またまた今日もお世話になってしまった。今日は裕のDTPと小児マヒの予防注射のためにソンパ保健所に行って来た。そこで体温、体重、身長を測ってもらい、それを受けつけ用紙に書き込んでいた時(裕身長71cm、体重9.2kgでした)、またまた裕がソファから落ちてゴツン。保健所の人が、体温、体重、身長を測った後そのままごろんとソファに寝かせていて、「あーあのままじゃいつか落ちるな。」と思ったのに、おとなしく寝ていたのでつい油断してしまい、早く全部書いちゃおうと再び申し込み用紙に向かった瞬間嫌な予感が。 で、振り向いた時は裕がまさにソファから落ちてるところだった。あわててかけよるも、ゴツンしたあとだったので裕は大泣き。すぐに抱っこし、落ち着いたらおっぱいを飲ませ、受付へ。「あの。。。さっきソファから落っこっちゃったんですが、だいじょうぶでしょうか。」と受付の女の人に聞く。受付の人は「すぐ泣いて、吐いたりしていなければ大丈夫だと思いますが、念のため先生に聞いてください」とのこと。 で、予防注射の問診なのに、「さっきそこのソファから落ちちゃったんですが、問題ないでしょうか。」と先生にも真剣に質問。と、先生「だいじょうぶよお」と笑って一言。「高いところからだったら大変だけど、あのくらいの高さなら大丈夫。よくあることだから。でも気をつけてね。」と言ってくれ、でもきちんと裕の状態もチェックしてくれた。 そして注射も済ませ、今日一日を裕は元気に過ごした。ありがとうぅぅぅ。サムシンハルモニ。 なんだか、ベッドから落ちた時のオモニム。公園でボールに当たって泣いてた時そばにいたハルモニたち。そして今日の女医さん。みんなサムシンハルモニに思えてきたわ。 しかし遼の時にはベッドから落ちたことも、ソファから落ちたことも、ボールが当たったことも一度もなかったのに。みんな私の不注意で(あ、一度はハラボジの不注意ね)痛い目にあわせてしまっているにもかかわらず、元気にすくすく育ってくれている裕、ホントにありがとう。 ところで、最近遼についてあんまり書いてないような気が。「祝○○ヶ月」ってのも29ヶ月でストップしてしまっているんだけれど、かといって遼があまり成長していないってわけでは全然ない。すごく成長している。 中でも一番はおむつを卒業したこと。 これ、わたしがトイレトレーニングを一生懸命やったわけでは決してなく、いつのまにかとれていた。ママはホントにラクだったわ。どうしてラクラクおむつがはずれたかというと。コモやクンチプで泊まっている時に、コモやクンオンマにたくさんトイレに連れて行ってもらった。クンチプやうちに甥っ子が来た時、一緒にトイレで甥っ子がおしっこしてるのを見てまねるようになった。シデクでほとんどおむつをはずし、ズボンだけはかせて過ごしていた。時々ハルモニ、コモ、私に声をかけてもらい、トイレでおしっこするタイミングがつかめた。 トイレでおしっこの一番の先生は甥っ子のドンヨ。 次はコモとクンオンマ。 ママは先生の助手のそのまた助手ぐらいだったかな。 うんちもいつのまにか「オンマ、うんち~(これはなぜか日本語)」と教えてくれるようになり、ちゃんとトイレでできるようになった。 ご飯を食べていても、あっおしっこ!!と気づいて、はたとスプーンをおき、おちんちんを押さえ、トイレにかけこむ姿はカワイイ。 おととい久しぶりに私とノリトで遊んでいて、おしっこしたくなった遼。おちんちんを押えて走ってくるので、そのままうちまで誘導してトイレへGO!何とか間に合った。これを何回か繰り返して、ノリトとうちを行ったり来たり。 でも、昨日は裕も連れていたので、遼をトイレに連れて行くタイミングを逃してしまった。と、ノリトの草むらに走っていく遼。柵の手前から草むらに、なんと立ちション。それも慣れた感じで。 あちゃーと思ったけど、してしまったものはしかたないか…とそのままノリトにいたら、同じぐらいの年の男の子が、同じ場所に駆け寄ってくる。そしてその子も立ちション。 どうやらノリトでの立ちション場所になってるみたい。 このノリトでサッカーしてた小学生ぐらいの男の子とぶつかって、遼が唇を切った日から、あまりノリトへ遼を連れて行かなかった私。代わりにハラボジが毎日遼をノリトへ連れて行ってくれていた。そして、久しぶりに遼とノリトへ行ってみたら、遼の成長がとってもよくわかった。 まず。遼に友達ができていた。遼が「チングー!!」と叫んでかけよっていく友達がいた。その子はハルモニやオンマとよくこのノリトへ来ているらしい。 他にも顔見知りの友達がいっぱいいるみたいで、あちこちで「あら、どんひょな(遼の韓国名。シプモがつけた)。今日はハラボジと一緒じゃないんだねー。」と言われてた。 そして得意げにプラスティックの車を片手運転。アッパのしぐさをそっくり真似て、窓にひじをかけてバックも慣れたもの。ちょっと友達に貸してあげるってのがまだなかなかできず、取り合いになることもしばしば。何とか言い含めて、乗りたそうにしてる子に貸してあげると、そばからハルモニが「今日は貸してくれるの?あら、めずらしいねー。」とか言われたりしてた。 前はこわがって、ちょっと押してあげてもすぐに降りたがってたブランコも、今では綱をねじって回転させたり、前のめりになってみたり、立ちこぎしたり。思いっきり押しても全然こわがらない。ノリトにあるものはもう全部知りつくしているかのように、一人かけまわってる。 韓国のノリトって、あんまり好きじゃないんだけど、日本の公園と比べていいな。と思うことが一つ。日本の公園に行くと、お母さんや子供たち同士でグループができていて、なんとなく一緒に遊ばせづらいな、と思うことがたびたびあった。どっかのグループにはいっとかないと居心地悪いような、そんな感じがちょっとした。だから公園デビューなんて言葉ができるんだなぁと思った。 でも韓国のノリトでは、みんなが適当に子供を遊ばせ、お母さん同士もまぁ適当に言葉を交わし、子供たちもグループなんてものはなく勝手に遊んでいる。これ、とっても気がラク。韓国のノリトではハラボジハルモニが子供を見ているパターンがけっこう多いので、そうなるのかな。あんまりお母さん同士かたまっておしゃべりしてるのをみたことがない。 あと2ヶ月足らずでこのノリトともさよならだけど、その間、いっぱい遊んで、遼に楽しい思い出ができるといいなと思う。
2006.09.06
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約3ヶ月前、下のシヌイのうちにシプモと泊まりに行った時のこと。裕のオムツをかえようと裕をベッドに寝かせ、オムツをかばんから出そうとちょっと目を離したすきに「ゴン」という鈍い音がして、裕がベッドから落ちた。「うぎゃあああああ」と顔を真っ赤にして泣く裕と同じくらい私もびっくりして泣いた。それを見ていたオモニムが、「だいじょうぶ。サムシンハルモニが助けてくれたはずだから。泣かないで。」と言ってくれたことがある。 そのちょっと前にノリトで遼が他の子供とぶつかって転び、唇から血が出たときも泣いた私。また泣いているので「てぐりょーは子供に何かあるとよく泣くねー。」と笑われてしまったが、その時オモニムがしてくれたサムシンハルモニ(新生児を守ってくれる神様)の話はとっても心に残っていた。 その時オモニムは私の不注意を攻めることなく、姪たち(オモニムにとっては孫)も、もっと高いところから落ちたことがあって、その時は本当に心配したけど何でもなかったし、今回もだいじょうぶ。と言って私を落ち着かせてくれ、とってもありがたかった。 そして今日。アボニムがノリトへ裕を連れて行ったときのこと。私とシオモニ、上のシヌイはうちにいたのだけれど、裕の泣き声がするので、ノリトへ行ってみた。どうやら裕、ボールが頭に当たったらしい。アボニムのまわりに何人かのハルモニたちがいて、「だいじょうぶ。だいじょうぶ。ちっこいボールがちょっと当たっただけだから。今はびっくりしてるだけ。」とのこと。 裕も目に涙をいっぱいためてたけど、抱っこしたら落ち着いたし、家へ帰って添い乳したらすぐにスヤスヤ。今日もサムシンハルモニにお世話になったのかも…とふと思った。 そういえばおととい、つかまりだちしててバランス崩して机の角に眉間のとこがぶつかった時も、もうちょっとずれてたら目に直撃だったのが、ほとんどわからないくらいのアザと傷ですんだし、あの時もお世話になってたのかしら。 裕のオシリには蒙古斑がいっぱいあって、前にオモニムがそれを見て「サムシンハルモニが早く出てこいっていっぱい叩いたのねー。」って言っていた。 サムシンハルモニ。これからも裕をよろしくお願いします。そして、もうだいぶい大きくなっちゃったけど、遼のことも見守ってくださいね。
2006.09.05
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シプモが私によく言う言葉がある。「てぐりょーは一人娘だから。一人っ子はナバッケモッラ(私しか知らない→利己的、自分中心だ)一人っ子はダメ。兄弟がいないと。」「所詮他人は他人だ。結局頼れるのは家族、兄弟や親戚しかいない。友達だとか知りあいだとかはどんなに親しくても本当に困ったときは意味がない。」 これを言われるたびに、私はなんかすごく嫌な気分になっていた。私には兄弟がいないし、親しい親戚もいない。なので、自分を否定されたような気持ちになり、聞いている間もいつも笑顔は引きつりっぱなしだった。 でも今日ふと思った。 この「ナバッケモッラ」って、これ、オモニム、いやこの国の人々のことじゃない?これ「ナ(私)」を「ウリ(私たち)」に変えて、「ウリバッケモッラ」にしたら、ほら、これまさに韓国そのものじゃない! 「ウリ」の中では、お互い助け合って、礼儀もわきまえてやってる人たちが、ひとたび「ウリ」を離れると、人のことなどどうでもいいような行動をとる。プモニムに対しては重い荷物をすすんで持ってあげたり、さっと玄関のドアを開けたりする人たちが、地下鉄内では人を押しのけ、降りる人を待たずにわれ先にと乗り込み、エレベーターでも後から乗ってくる人のために「開」ボタンを押す人はほとんどいない。 結婚で家柄、学歴、などの条件を以上に気にするのも、他人が「ウリ」に入る際、変なのが来ては困るからなんだと思う。 みんな「ウリ」以外はどうでもいいし、「ウリ」が最高でありたい。 この「ウリ」に入れない人たち、たとえば親や親戚がいない人、出稼ぎなどで来た外国人などはこの国でやっていくのがとても大変だと思う。 私はこの「ウリ」ってのがどうも好きになれない。それより「遠くの親戚より近くの他人」とか「袖すりあうも他生の縁」って感じで、赤の他人とでも、一時的にでも、一人の人間としてきちんとした絆を結べる関係をつくっていきたいなと思う。「ウリ(私たち)」よりも「ナ(私)」の部分をしっかり持っていたいと思うのだ。
2006.09.04
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愚痴日記です。ブログに愚痴なんか書くなー!!と言う方はスルーしてくださいな。 ダンナぺクス生活2日目。シプモそして上のシヌイがほとんど一緒の生活に、ダンナが加わった。ダンナがいつもいてくれることで、少しは私が気分的にラクになるかと思ったのだが。。。結果は反対。 ダンナがシデクでくつろげばくつろぐほど、わたしは、なんかイライラ。なーんで、わたしだけくつろげないんだよっ!って思いが強くなっちゃうのだ。ダンナがいると。 まぁあとわずかな同居生活だし、ダンナも残り少ない韓国生活を満喫したいだろうしと笑顔で過ごしているけれど。「オンマ、今日はコルペギ作って!」「ヌナ、ツナ入りのキムチチゲ食べたい!」「7時からはサッカー観る!リモコンはぼくの!」もう、ほとんど子供だ。しかも、アボニムは食事の準備とか忙しく働いてるのに(うちはシアボジがご飯を炊きます。おかずはシオモニ。わたしは卵焼きとかそんなもんしか作りません^^)ぜーんぜん動かない。子供の世話も×。 店に出てるときは、まぁそれでもそんなに気にならなかったんだけど、四六時中ずっと一緒でそんな感じでいられると今も「暑い」と言って、さっさと一人でシプモが寝ているところへ行き、エアコンをつけてもらって寝ている。わたしと子供は、暑い部屋に置き去り。 これ、新婚の時にも同じことがあった。その頃はわたしの中に「部屋のドアは閉めるもの。」という概念があったので、どんなに暑くてもドアを閉めて寝ていた。シプモとの同居生活。ドアを開ければすぐシプモが寝ているリビング。そしてトイレがある状況で、ドア開けっ放し、トイレに行く時にちょっとのぞけばうちらの部屋が丸見えというのに耐えられなかった。その頃は。今はもうあきらめて、韓国式にドア開けっ放しでいるけど。閉めきった狭い部屋の中、暑苦しいのはわたしも同じ。それなのに、ダンナはさっさと自分だけシプモの寝ているリビングへ行ってしまった。ごろ寝しながら楽しげに、シオモニとダンナがでかい声で話しているのが聞こえた時、暑苦しい部屋の中ですごくさびしく悲しくなった。エアコンのあるリビングでシプモとごろ寝はどうしてもいやだったし、ダンナはこっちへおいでとも言ってくれなかった。その時のことは今でも思い出すと頭に来る。 でも、また今日も同じだ。あの時とダンナはちっとも変わってない。変わったのはわたしとシオモニかも。オモニムはダンナに「暑いのにてぐりょー残してこっちこないで、自分の部屋に行きなさい。エアコンつけたから、ドア開けて扇風機回してればそっちの部屋も涼しくなるから。」と言ってくれ、わたしにも「暑かったらこっちおいで。」と言ってくれた。わたしは今回はそばにかわいいこどももいるし、一人さびしい気持ちにもならず、コレを書いている。そして、ドア開けっ放し、プライベート空間ほとんどゼロのこの暮らしもなんとか我慢できている。 プライベートゼロってどんなかというと。。。うちのシオモニ、ドアはいつも開けっ放しにしておかないとダメらしい。「タプタプへ~」と言われ、強引に開けられてしまう。 また、うちらの部屋はベランダからものぞけるので、タバコを吸うためにベランダに出たシオモニにいきなり部屋をのぞかれて、部屋の中と外で目が合うこともしょっちゅう。 シアボジも、朝寝ている時、裕が起きないか部屋の前でチェックし、裕が起きているようだとそのまま部屋に入ってきて裕を連れていってしまう。朝の楽しい孫との時間みたいなので、わたしは寝たふりしてそのままにしてる。 またちょっと部屋にこもってパソコンでもやってると、「暑いからこっちに出てきな~。」と言われ、出て行かないとのぞかれる。洗濯物がいつのまにかたたまれていたり、部屋も掃除されてたりするし、これってありがたいことでもあるけど、プライバシーを守ってほしいな、と言う気持ちもあってかなり複雑。 今は10月まで限定の同居生活なのでとりあえず我慢。でやっているけれど、新婚当時はとても我慢できず、シプモの好意でやってくれていることも、そうは受け止められなかった。そして、今はもうダンナに理解してもらおうと考えても無駄だな、とあきらめてしまったので心は穏やかだけど、その頃はわたしの気持ちをわかってもらおうと、プライベート空間がなく、プライバシーが守られない生活がどれだけつらいか、泣きながら訴えては、わかってもらえず、落ち込んだりしてたなぁ。 。。。とずいぶん話がそれてしまったような。 ダンナ、ちっとは大人になれ~!という愚痴日記でした。
2006.09.02
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今日でわたしたちは龍馬にさよならした。龍馬と言うのはわたしたちが新村でやっていたお店の名前。2002年の春にOPENし、2006年の秋まで。あっという間だったような、長かったような。 結婚して5年間は韓国に住み、その後は日本に住む。という約束をうちの両親としていた私たち。遼が産まれたときに、生活の基盤を変えるなら早いほうがいい、と店を不動産屋に出し始めたのだけど、なかなか引き取り手が現れず。契約破棄2回、口約束だけで終わったのは何回も。今年に入ってからも、6月ぐらいから8月に契約しよう。と言っていたのに、直前にダメになったり、1週間前に店を見にきてそのまま契約すると言っていたのに、契約する前の日になって、連絡がつかなくなったりと、いろいろあった。 店は生活費を稼ぐぐらいの収入はあるけど、これから子供が大きくなっていったら、教育費もかかるし、今の収入では生活を維持するのは難しい。遼も来年は幼稚園に入る歳だし、裕も産まれたし、やっぱり今年中には日本に行ったほうが…とは考えていたのだけれど、店のことがなかなかうまく運ばず、その上同居生活が始まり、かなり日本行きがあやしくなっていた。 ところが、一緒に日本で店をやりたい!と言っており、ダンナの代わりにしょっちゅう店に出てくれていたダンナの友達が、来年11月まで自分が店をやる。と申し出てくれた。私たちが日本へ行ったとしてもすぐ店を始められるわけではなく、1年間ぐらいは準備期間が必要。なので、その1年間、自分も龍馬で店を経営して、いろいろ学んでおこうと。そして来年11月に店の建物のオーナーとの契約期間が終了するので、その時点で一緒に店をやろうと。もしも来年11月までにこの店の権利を買いたい!と言う人が現れなかったら、だいぶ損することになるけど、権利金を放棄して保証金だけ受け取って龍馬は本当におしまいになる。 2002年ワールドカップの年に始まった龍馬。その頃は景気もよく、なかなか繁盛していた。私が仕事をしていた学院が近かったこともあり、学生が立ち寄ってくれたり、同僚の先生が学生たちと来てくれたりして、いろいろな思い出もある。日本人のお客さんもいっぱい来てくれ、一緒にドライブに行ったり、日本でも会ったり、遼出産の時にはお祝いに産院まで来てくれたお客さんも。いいことばかりではなく、お客さんが一人も来ない日があったり、店でけんかするお客さんがいたり、大変なこともいっぱいあって、それを一人でふんばって乗り越えてきたダンナはエライと思う。本当にお疲れ様でした。 そして、9月からは医学書の翻訳の仕事を細々とやりながら(ダンナが)、日本行きの準備をする予定。とりあえず当面必要のない荷物を船便で日本に送ったり、半地下の家を整理して新しい住人を探したり。そして10月末ごろ日本へ帰ることになりそう。帰ってからはダンナも私も仕事を探し(焼肉屋限定)、仕事をしながら日本で店を始めるための準備(金策、物件さがしなど)を始め、再来年の春ごろまでには自分たちの店を日本でOPENしたいと思っている。 日本に帰れるのはうれしいけれど、またゼロから始めなければならず、しかも今度は日本なので、私が責任を持ってやることが増える。今回はダンナだけに店をまかせ、私は好きな仕事をちょこっと♪なんてわけにはいかず、2人でがんばって店を切り盛りしていかなければならない。それを考えるとずしっと肩の荷が重くなる。日本へ行って、本当にお店をうまくやっていくことができるか。遼や裕にとって、シプモ、クンチプ、コモ、ヌナ、ヒョンとたくさんの家族にかこまれて、今みたいに過ごしたほうが、うちの両親しかいない日本よりずっといいんじゃないか。もし、いじめみたいなことがあったとしても、こっちにいたほうがフォローしてくれる人がたくさんいて、心強いのではないか。ダンナが日本で生活する大変さに比べたら、私がこっちにいたほうがまだましなのではないか。などなど、いろいろ考え始めるとどんどん不安になってしまう。 こっちにいると、自分で何とか解決できることがあまりに少なくてそれがつらかったけど、今度はたくさんの決断が自分に降りかかってくるような気がして、それがコワイ。でも、まぁ始まってもいないことをあれこれ心配しても仕方ないので、しばらくは韓国でも生活を楽しもうと思います。
2006.08.31
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裕、あっという間に7ヶ月になっちゃいました。遼のときはひとつひとつの成長を心待ちにして喜んでたんだけど、今回はえ?!もうそんなに大きくなっちゃった?まだまだ赤ちゃんのままでいてぇ~って気持ちのほうが大きいです。 んで、7ヶ月になった裕、こんなことができるようになっちゃいました。遊びたいおもちゃがあると、一人でハイハイからおすわり。手が自由になったので、おもちゃつかんで遊ぶ。コードが好きで、コードつかんではママに取られてる。お兄ちゃんの影響で車のおもちゃも大好き。これはお兄ちゃんに取られて、時々奇声を上げたりする。(でも最近お兄ちゃんが裕にもちゃんとおもちゃを分けてあげるようになったので、少し仲良く遊べるようになった)つかまり立ちも少々。下の歯が生えてきたので、おっぱいもかんでみる。お兄ちゃんの髪の毛も引っ張ってみる。(お兄ちゃん、弟に引っ張られてもじっと我慢。えらいっ。)相変わらず、誰に抱かれても笑顔を振りまき、ご飯食べに行った店の店員さん、お客さんにまで抱かれて、おとなしくしている。でも、夜になるとママ命。そこがまたかわいい。^^泣くと激しいけどめったに泣かず、よく笑う。最近は言うこと聞かない兄ちゃんに代わって、人気急上昇中。上のコモ、ヌナから特に愛され、ほとんど第2、第3の母みたいになってる。ちょっと心配なのは、しょっちゅうウンチがゆるく、おならもたくさん。離乳食はいまだに重湯程度のおかゆがメイン。それもしょっちゅうストップしている状態。粉ミルクも好みがあるらしく、最近あまり飲んでくれない。のでほとんど母乳生活。時々米粒をむりやりハルモニに入れられたりしてるけど。今日はジャガイモとおかゆを混ぜたのあげたんだけど、味見した上のコモ(私にとってはシヌイ)に「まずいからハチミツいれな。」と言われました。やんわり断っておいたけど。「牛乳とハチミツは1歳過ぎてからって医者に言われました」って言ったんだけど、韓国ではそんなことないらしい。「上の子の時は1歳になるかならないかの時に普通のご飯やラーメンあげてた。」らしいし。本当にそれ、OKなんだろうか??? 前は10時過ぎると布団の上で寝たがる裕だったけど、最近寝る時間が遅くなってきた。でもやっぱり眠くなるとぐずって、添い乳でないと寝ない。そして、寝るとほぼ朝までぐっすり。兄弟でバンザイして寝ている姿は最高にかわいい。 遼も言うこと聞かないし、いたずらばっかしてるけど、今の遼と裕がいちばんかわいい。これって、この先大きくなってもそう思えるのかな。いつまでそう思えるかな。このままゆっくり時が流れてくれるといいなぁ。
2006.08.26
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今日は朝10時から文化センター。そして11時からお友達とのランチ。文化センターにはダンナ、甥っ子、遼、裕で参加。土曜日の講座はこれが最後。朝、みんなの着替えを済ませ、朝食を食べさせ、出かけるまでが大変だったけど、なんとか10時ちょっとすぎに到着して楽しく講座を終えることができた。 その後は、ダンナに甥っ子&遼を任せ、私は裕と待ち合わせ場所へ。そこで、とても久しぶりにsolhweさんと再会。この前会ったのは裕の妊娠中、COEXでだったので、本当に久しぶり。11階でインド式カレーを食べながらいろいろおしゃべり。このカレー、なかなかおいしかった。しかもお昼の時間より早めだったためお店に入ったときは人が全然いなくて、ゆったりできた。そして、裕がご飯を食べている間きっちり寝てくれたので、本当にゆっくり食事とおしゃべりを楽しむことができた。 日韓夫婦のお友達と、それも前から知っている人と話をすると、なんだかとっても心がほぐれていく感じがして、いい気分転換になる。昨日、今日と、けっこうストレスがたまっていたので、日本語でいろいろ話ができて本当に楽しかった。私の知らない韓国の会社の実情なども聞けたし、ほんと、おもしろかったです。solhweさん、またぜひ一緒にランチしましょーね。 楽しい時間もつかの間。「2時までには帰って来い」と言うダンナの言葉で、ランチタイムはお開きとなり、そのままシデクヘ。ダンナが仕入れのために早めに店に行った後は、ノリトで裕をおんぶし、車にのって遊ぶ遼を追いながら、サッカー遊びでかけまわる甥っ子に「そっち行っちゃダメー!」とか時々声をかけて過ごすことしばし。男3人兄弟の母親って、大変だなーとぼんやり思ってしまった。 その後もダンナは夜中4時まで帰ってこないと電話がくるし、3人をお風呂に入れて(ってゆーかたらいに入れて…だよね)洗ってたら、途中で水でなくなっちゃうし、ホントぐったり。その疲れて不機嫌な姿をかなりシプモに見せてしまいました。明日あさってはダンナが店を休むと言ってるので、ちょっとはラクになるかしら。
2006.08.19
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昨日の夜から熱が出た遼。海&渓谷へ行ってから、全身に出たじんましんもまだ完全に治ってないし、裕もなんだか便がゆるいので、前に救急で行ったことのある小児科が有名な大きな病院へ連れて行くことにした。朝連れて行こうと支度をし始めた頃にはすっかり熱もさがって元気だったので行かなくてもいいかな、と思ったのだけど、じんましんがちょっと出ていたので、やっぱり行くことに。 で、病院に着くと、運悪く昼休み時間に入ってしまっていて1時間以上待たされた。やっと診察してもらった結果は、遼は喉がけっこうはれてるらしい。裕は特に何の問題もなかった。ただ時々粉ミルクを飲ませていて、それが合わないと便がゆるくなってしまうみたい。遼のじんましんは採血して、何のアレルギーか調べてみたほうがいいということになった。 なので診察後、別室で採血することになった。そして、ここからが大変だった。。。。1人目の医師。メガネかけたひょろひょろの若い男の先生。私に腕を押さえててくださいと言って、採血。針を突き刺した後「血管が見えない・・・」とか何とか言いながら、中で針をあちこち動かしてる。挙句の果てに、「ちゃんと腕を押さえてなかったせいで血管が破れてしまったので、別の腕でします。」と。えーっ!!!腕押さえてなかったせいじゃなくて、血管探せなかったからじゃん!!!遼はあまりの痛さに大泣き。私もダンナも、怒りたいのを必死でこらえる。 と、別の医師登場。今回の先生は前のひょろひょろに比べたらちょっと経験ありそうな優しい感じの先生。でも、「あれれ?」って感じでやっぱり失敗。この時点でダンナ、怒る。「1度やってみてダメだったら、2度目はちゃんとやらないとダメじゃないか!あんたらだってこどもいるだろーが。血管に針いれた段階で迷ってどうする!こんなに痛がって泣いてるじゃないか!!!」 遼は日本でも採血したことがある。血液型を調べてもらうため、近所の小児科で採血した。そのときも血管が見えない…と言われ、たしか足の付け根から採血したのだった。そのときは腕の血管を探しても見えないからと針を入れることなく、足の付け根から採ることにしたので、針を入れたのは1回だけ。遼もちょっと泣きはしたもののすぐに治まった。 で、「日本でやったときは足の付け根から採ったのに…」とダンナに言ったら、「日本の話はするな!」と即却下された。 そして3回目。「今回は別の方法で採血してみます。」と言う2番目の医師についていく。と、次は看護婦が採血。結局医師2人はたいして採血した経験もなく、腕もなかったみたい。でも、3回目も失敗。 遼の大泣きはどんどんひどくなり、もうほとんど半狂乱状態で泣いている。それを見ていた私もたまらなくなり、泣きながら「もうやめてください!こんなに痛がって動いてるのに、採血なんてできないじゃないですか!もう採血しなくていいです!!」と叫び、遼を看護婦たちからむりやり抱き上げてしまった。 と、そのとき外に出ていたダンナが戻ってきて、「おれが見てるからてぐりょーは外へ。」と言われ、私は上のシヌイと外に出て待っていた。その後、ダンナも見ていられなくなって、看護婦に一言言ったところ、「見ていられると負担になるから出て行ってくれ。」と言われ、憤慨しながらそれでも採血が終わるのを見届けた。 結局遼は腕から採血できず、首から採血してた。首からって、遼にとってはすごくこわいだろうし、一歩間違ったら大変なことになりそうな感じがしてとてもビックリしたけれどダンナが「おれも昔首から採血した」と言ってたので、さほど珍しくはないみたい。 まぁなんとか採血できたけど、終わったばっかりの時は遼がすっかりパニック状態みたいになっていて、すごくつらかった。でもしばらく抱っこして、病院を出て車に乗ったら、元気になり、ダンナが待ち時間に欲しがっていた車を、その時はダメ!と言って買ってあげなかったのに、採血でつらい思いをしたのを見たからかプレゼントしてくれ、それですっかり涙も乾き、ごきげんになった。 帰りはまたまた渋滞に巻き込まれ、すごく時間がかかり、ダンナはうちについてすぐに仕事に行く羽目に。 私もいろいろあって疲れたので、薬を飲ませ、ちょっと休もうかな、と思っていたら、上のお兄さん一家がやってきた。そして、甥っ子を一人置いて帰ってしまった! ということは。当然お泊り。かばんの中にはなんとお着替えセットが2組も入っている!甥っ子はワンパク盛りの小1。一時もじっとしてないし、大声を張り上げ、大騒ぎ。遼もまねして大騒ぎ。その間に裕が泣く。しかも、この水の出ないうちで子ども3人を洗わなきゃならない。はぁー。考えただけで気が重い。明日は文化センター。そして楽しみにしていたお友達とのランチ。お友達とのランチのため、上のシヌイが遼と裕、2人とも見てくれるって言ってたのに。それも最大5時まで!甥っ子が来ると上のシヌイはシデクに来ない。私も上のシヌイに甥っ子の面倒まで頼みづらい。あぁ…なぜ突然子供を預けるの?と思ってしまうけど、ここはシデクで私のうちじゃないし、仕方ないことなのだ。ヒョンニムも「遼の体調もあんまりよくないみたいだし…」と預けるのやめたほうがいいかしら、と言った雰囲気でシオモニに言いかけたところ、「大丈夫よ。来たいって言ってるんだから当然泊まらせてあげなきゃ。」とシオモニ。うぅ。 この甥っ子、ほんと、遼が好きなのだ。そして私のこともとても慕ってくれている。ハルモニハラボジより慕ってくれてるんじゃないかと思うこともあるくらい。性格もいいし、いい子なんだけどね。しかしエネルギーありすぎなのだ。
2006.08.18
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5日から9日まで、シプモ、シオモニのお姉さん、上のシヌイ一家、下のシヌイ一家 と一緒に、 避暑してきました。 5日~8日までは慶尚北道の白岩温泉、8日~9日は江原道の渓谷へ。 白岩温泉は肌がすべすべになり、とっても気持ちよかったです。 下のシヌイの知り合いの方が、宿泊をタダで提供してくれるということで、突然みん なで行くことになったのだけど、宿泊先はLGの研修所でした。 この研修所、日本で言う保養所みたいな感じで、なかのコーヒーショップはコー ヒーが1000ウォン、パッピンスが3500ウォンと安く、食事も朝と晩3000 ウォンで、学食や社食の定食みたいなのが食べられ、味もなかなか。 PCバン、ノレバン、コインランドリーなどもついていたし、プールと温泉がいつ でも使え、海水浴場までのシャトルバスもあり、なかなか便利でした。 また、ちょうどお祭りをやっていたみたいで、ぐずる裕を連れてロビーに行ったと ころ、偶然打ち上げ花火があがって、感動。 シデクの人々と離れ、裕と2人でしばし、「日本の夏」を満喫した思いでした。 シデクの皆さまとの旅行、いろいろありましたが、けっこう楽しかったです。 また落ち着いたらもう少し詳しく書こうかな。
2006.08.09
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今日はチャムシルからバスで20分ほど行ったところにあるお友だちのおうちへ、裕を連れて行った。遼はアッパ&上のシヌイ一家に見てもらって^^今回裕を連れて行ったのは、お友達のおうちには裕より1ヶ月早く産まれた、同い年のあかちゃんがいるから。 赤ちゃんの名前はももちゃん。ふんわり軽くて、女の子だなぁって感じ。それに比べると裕はずしっ。ぼてっ。という感じ。 お友だちのおうちの近くは建設ラッシュみたいで、建設中の建物がいっぱいだった。ハンガンを越え、地下鉄の路線図で見るとチャムシルからとっても遠く感じられるんだけど、バスだと20分。外の景色を眺めながら、ぼんやりしていたらすぐ着いてしまった。 ちょっと前におとうさまがいらしたということで、日本のお菓子がいっぱい。おいしいおせんべなどをいただきながら、赤ちゃんと一緒にまったりした。 と。そこへダンナから電話。「あした、朝5時に出発することになったから。水着、探しといて。」 実は、きのう慶尚北道にある温泉にシデクのみんなで行く話が突然持ち上がったんだけど、ダンナは店があるから行けないといい、シオモニは私と裕&遼を半ば強引に行かせようとしたんだけど、いつも遼たちの面倒を見てくれる上のシヌイ一家も行かないというし、シオモニのお姉さんとよく知らないおじさんも一緒ということだったので、私が行くのを渋り、そのままになっていたのだった。 結局、ダンナが店を友達に代わってもらい、行くことになったらしい。 夕方、友達のおうちをおいとましてから、半地下のうちへ行き、水着を探し、旅行の準備。そうこうしているうちに、シオモニのお姉さんが来たりしてあっという間に夜。ろくに眠る時間もないまま、出発となった。
2006.08.04
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今日は遼と同じ1月産まれのサンウくんのおうちへ行ってきた。裕は上のシヌイに見てもらい、遼だけ連れてひさしぶりに地下鉄に乗ってお出かけ。途中いつも文化センターへ行く時、ロッテデパートでするように突然全速力で走り出して、姿が見えなくなったらどうしようかと思ったけど、なんとか無事にたどり着いてホッ。 サンウママはこの暑い中、もうすぐ弟が生まれる妊婦さんなのに駅まで迎えに来てくれていて、いっしょにおうちへ。エアコンの効いている、おもちゃがいっぱいある広くてきれいなおうち。半地下のうちと比べてはいけない…と思いながらもつい比べてしまった。サンウくんはお話し上手で、おうちの中、サンウくんが好きなビデオの内容、おもちゃなどの説明をいっぱいしてくれた。遼はそこまで上手にお話できないのでビックリ。しかも、今回、久しぶりのお友だちのおうち訪問だったせいか、遼はサンウくん親子に会ってからしばらくたっても一言も話さなかった。 しばらくして、もう一組、同じ1月産まれのコヌくん登場。コヌくんにはセユンくんという弟がいる。サンウママのお腹の子も男の子ということなので、3人とも男兄弟のママになる。コヌママはコヌくん、セユンくん2人連れで、セユンくんの離乳食持参。しかもお手製のゼリーまで。私は遼1人で、遼のオムツ2枚とウェットティッシュだけ持ってきただけだったので、コヌママがすごく頼もしく見えた。 子供たちはなんとなくけんかしながら、時には一緒に遊んだり、時には別々に遊んだりって感じでわりと平和だった。しかし、サンウくんとコヌくんが日本語でいろいろやりとりしているのに、遼は黙ったままの時が多く、ためしに韓国語で声をかけてみたら、パッと表情が明るくなり、ちょこちょこ韓国語を話しはじめた。 これには、ちょっとショックだった。でも、考えてみればシデク同居生活になってから、シデクの人たちはもちろん、私も日本語で話しかけた後いちいちシオモニに「今なんていったの?」と聞かれ、答えるのが面倒でほとんど遼に対して韓国語で話しかけていたし、遼も韓国語で話すことのほうが多かったので、急に100%日本語の環境に入って、ちょっととまどってたのかもしれない。 子供たちがそんな風に遊んでいる中、ママたちはママたちで、いろいろおしゃべりできてとても楽しかった。久しぶりに日本語で、韓国生活、育児のことなど思ったことを自然に話せて、スッキリ。こういう時間は大切だなぁとつくづく思った。 帰りは遼が地下鉄の中で寝てしまい、連れて帰るのにけっこう大変だったけど、シデクに着いたら、これまたエアコンがガンガンに効いている中、上のシヌイやその子供たちもいて、みんなで温かく迎えてくれた。こうして、うちに誰かがいて、「おかえりー。暑かったでしょう。」って言ってくれるのって、ありがたいな。と思った。裕もずっとおとなしかったみたいで、ホッ。 サンウママ、今日は本当にありがとう。また、ぜひ遊びに行かせてね。
2006.08.02
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今日はものすごく暑い一日だった。雨がじゃんじゃん降って涼しかった先週とはうって変わり、夏の到来。真っ青な空、真っ白な雲。。。はいいのだが、とにかく暑い。3階建ての建物の3階にあるシデクはまるでチムジルバンだ。オモニムは体格もよく、暑がりで汗かき。アボニムはとっても細くて、あまり暑さを感じないみたい。汗もかかない。オモニムがエアコンをつけると、アボニムが電気代も高いし、そんなに暑くない!寒い!とエアコンを消す。と、オモニムがもう我慢できない!とまたつける。今日は一日これを繰り返していた。 そして、夜11時過ぎにダンナから電話。「今からハンガン行くから、アイスコーヒーをいっぱい作っておくように!」あしたはお友達のうちに行く予定だし、早く寝たかったのだけど、遼の大好きなコモ&ヌナたちも行くと言うし、遼もまだ寝てなかったので、しぶしぶ行くことにした。 ハンガンに着くと、たしかに風は涼しく、しばらくいると寒いほど。チムジルバン状態のシデクとは雲泥の差。涼みに来ている人もちらほら。でもそんなに多くなく、カップルや友達同士でちょっと涼みに立ち寄ったって感じの人たちがメインだった。 もっと前は本格的に布団とか持ってきて、家族で寝てる人たちがけっこういたような気がする。本当に涼しいので、明日はノートパソコンに映画をダウンロードしてごろ寝しながら見ようということになった。みんなけっこう乗り気。アボニムだけは全然関心ないみたいだったけど。確かに涼しいし、シデクで寝るより気持ちよさそう。でも、朝までは寝ないんだって。ってことは、ちょっとうとうとしたころ起きて、また帰らなきゃならない。で、もう一度寝なおすなんてメンドクサイ。 しばらくきれいな夜景を見ながら涼んだ後シデクへ。やっぱ、チムジルバン状態だった。 扇風機2台フル稼動でも、熱風しか来ないし、なかなか寝られなかった。こんなんが毎日続くんだったら、蚊もほとんどいなかったし(シデクのほうが多い)、熱帯夜は朝までハンガンもいいかもしれないな。とちょっと思った。
2006.08.01
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夜中に帰ってきたダンナ。電話で「今日は遅くなるから。その代わり、明日は休むからさ。ドンヨもいるし、どっか行こう。^^」と言っていた。 お昼過ぎに起きてきたダンナ、その言葉どおり、いきなり「エバーランドに行こう!」と。 え?!もう、昼過ぎだよ!しかも夏休み中の日曜日。梅雨明け。ぜったい混む! と思った私。でもシプモも誘っていたし、ここで強力に反対すると、まるで私がいつもはうちらだけで行ってたのを、シプモも一緒だから嫌がっていると思われるのもなんなので、「日曜日だし、混むんじゃなーい?」とかるーく言っておいた。 しかしやっぱりダンナは行くと言う。そして、シプモも行くまでの道がとてもすいていたので、「今はみんな夏休みシーズンだから旅行していて、こんな遊園地には行かないのよ。」と私に言い放った。いや、すいてるのは時間帯のせいだと思うんだけど…と心の中で思ったけど、口には出さずにおいた。 そして、エバーランド到着。中に入る前にすでに嫌な予感的中。まず、駐車場。車がいっぱいで、第4駐車場まで行った。こんなことはもちろん初めて。いつもすぐ前の駐車場に止めてたから。 第4駐車場からはシャトルバスでエントランスへ。そして、入場。 どこもかしこも人、人、人。しかもみんな子供づれ。乗り物やショーはみんな4~50分待ち。 ここで、ダンナの友達夫婦登場。ダンナが呼んだらしいんだけど、シプモも一緒とは知らなかった様子でちょっとびっくりしてた。しかも頼まれたものを渡すため、そのついでにと呼んだらしいのに、ダンナその頼まれてたもの、忘れてきてた。 このお友達夫婦、私も何回かあったことはあるけど、すごく仲良し…というわけじゃない。蒸し暑く、激混みの中、このメンバーで、楽しくエバーランドを満喫することはもうほとんどムリ…と来て早々悟った。 とにかく。 ドンヨはおおはしゃぎで走りまくる。長男から預かった大事な長男を迷子にしては大変と、オモニム「だめー!待ちなさい!!」叫びまくる。 遼も遼のペースであちこち動き回る。 シプモはこの広い園内を歩く。そのことだけでも大変なのに、この暑さ。しかもダンナはずんずん先に歩いて行っちゃうので、なかなか追いつけず、「もう二度と来ない!」とかなりお怒り。 私はベビーカーに乗せると、暑いせいか泣いてしまう裕をほとんど抱っこ。おかげで、遼やドンヨを走って追いかけなくて済んだけど、疲れました。 それでも、ドンヨのために乗り物もいくつか乗り、遼もそれなりに好きな乗り物に乗り、ショーも10時の花火までしっかり見て帰った。 チャムシルについたのは夜中。12時半に晩ご飯を食べ、1時過ぎにシデク到着。 もう2度と、日曜日のエバーランドには行かないわ。
2006.07.30
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土曜日の朝、6時過ぎに遼に起こされた私。10時に文化センターで講座があるのでその前に遼にご飯を食べさせ、シデクでお湯を沸かし、たらいで遼、私、ダンナが沐浴。バタバタしている最中に甥っ子のドンヨがシデクヘ。で、なぜかドンヨも一緒に文化センターへ連れて行くことになった。ま、講座にはお兄ちゃんやお姉ちゃんがよく一緒に参加しているし、うちも裕を連れて行ってることも多い。ドンヨも夏休みだし、ま、いっか、と連れて行った。 この講座はオンマアッパと一緒にいろいろ遊びやつなのだが、今回はパラシュートの遊びがメインで、ドンヨも楽しそうに遼の面倒を見ながら参加できてよかった。裕&遼&ドンヨを連れた私たち。3人の子持ちに見えただろうなぁ。 シデクに戻ってみると、すでにアジュボニムたちはいなかった。そして、手渡された袋にはドンヨの服が入ってた。ということは、つまり、ドンヨお泊り。今日は遼の好きなコモ、コモブは旅行でうちにいない。ヌナたちは両親のいない隙に友達と思いっきり遊ぼうと計画を立てていたので、ハルモニのうちには遊びに来ない。ダンナは野菜の仕入れがあるからすぐに出かけると言う。 そうなると…私とハルモニ、ハラボジで3人を見なければならない。前にも急にアジュボニムがドンヨを連れてきて、置いて返ろうとしたことがあった。そのときは私一人で見なければならない状態だったのだけど、結局はそうならずに済んだ。歯が痛くてなかなか寝られなかった上に朝6時すぎに遼に起こされ、文化センターの講座を終え、すでに疲れてる私。でも、しかたない。 ドンヨは小学校1年生。遼のことをいろいろ世話してくれる優しい子だけど、やっぱり男の子。動き回りたくて仕方ない。ドンヨがノリトへ行こうとすれば、遼も行きたがる。でも2人だけで行かせるのはちょっと心配。 でもうちの中にいても力余ってしまって、ソファを壊しそうな勢いで2人で飛びまわるので、それをとめるのも大変。しかも裕&遼&ドンヨを、この水の出ないうちでガスコンロでお湯を沸かしながら沐浴させるのがまた重労働。 しかも、ハラボジはノリトへ行って見ててくれたり、裕が泣いたら抱っこして動いてくれたりするんだけど、ハルモニは体の調子も悪く、なかなか動けない。その分、口での指示がすごい。「今オムツをかえて。」「ティッシュで口を拭いてあげなさい。」「そこのドア閉めて。」「水もってきて。」「今、おっぱいあげなさい。」「こおりを持ってきて遼にあげて。」など等。 韓国語で命令調に指示を出されるのが、嫌な私。特に疲れてるときにいちいち言われると、思いっきり「ちょっと、だまっててよ!!今、私別のことやってんだから!!」と言いたくなってしまう。本当に、大きい声で「~ヘヤジ!」「~へ!」ってガーっといわれるのは、悪気がないってわかってても慣れない。すっごくいらいらして、それが顔に出てしまう。そのうえ、時々口答えしたくなってしまう。で、本当に口答えしたりして、その場の雰囲気が悪くなることもしばしば。 私も遼を預かってもらうことがあるから、文句は言えないけど、でも。アジュボニムのおうちは中2の姪っ子とドンヨ2人。遼1人加わっても、そんなに大変じゃないと思う。でも、こっちはまだ赤ちゃんの裕と2歳児の遼。それにワンパク盛りのドンヨが加わり、しかもシプモつきなんだぞー。その上水の出ないシデク暮らしでさ。朝突然来て、そのまま私らのいないうちに帰るなー!と、アジュボニムやヒョンニムに対してもちょっと恨めしく思っちゃったりして。 それでもなんとか一日を終え、店が終わったあと友達のうちに行ったダンナが夜中4時ごろ帰ってきた時には私も遼も裕も夢の中だった。
2006.07.29
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今日で裕は6ヶ月になった。2人目の子はあっという間に大きくなる感じ。いつのまにか寝返りを打ち、いつのまにか支えなしでお座りできるようになり、いつのまにかずりばいでかなり前に進めるようになっていた。方向転換もすばやくできるし、声をあげて笑うようにもなり、よだれもずいぶん出てきたので、もうすぐ歯も生えてきそう。ハイハイも形は出来ていて、後は前に進むだけなので、来月にはすごい勢いでハイハイしてそうな予感。 あいかわらず、お腹がすいた時ぐらいしか泣かない、とってもおとなしいいい子。いつも周りにたくさんの人がいて、いろんな人に抱かれているせいか、人見知りゼロ。みんなに笑顔を振りまいている。いつも会っているコモ&ヌナの顔はわかるみたい。上のヌナが裕担当、下のヌナが遼担当って感じになってるんだけど、上のヌナにはすぐ手を向けて行こうとする。私のことももちろんわかっていて、お腹がすいた時私を見るともう大泣き。はやくおっぱいくれー!!って感じ。寝起きはとてもいいんだけど、最近なぜかだんだん寝る時間が遅くなってきた。前は10時前に寝てたのに、今日なんて12時過ぎてもお目目ぱっちりだった。 最近はいろんなものを手でつかんで口へ持って行きたくて仕方がない。で、お兄ちゃんの髪の毛をひっぱったり、アッパの足をなめようとしたり。遼の時よりも体格がしっかりしていて、声もでかい。なので、みんな、もうちょっとしたら、お兄ちゃんを負かしちゃうかも・・・と心配している。 そんな裕、今日から離乳食を始めることにした。母乳育児だし、ほっぺたに湿疹がちょっとあるので、離乳食はゆっくり始めようと思っていて、シデクの皆様から離乳食のことをほのめかされても、6ヶ月の誕生日まであげないことに決めていた。(でもどさくさにまぎれて、上のシヌイはケーキ、シアボジはアイスクリームを口に入れた!) 今日のメニューは10倍がゆスプーン一さじ。1週間ほどはそれだけにして、徐々に野菜やたんぱく質を加えていこうと思っている。でも、これでまたいろいろあるだろうなぁと思う。そのうちいろいろ口に入れられちゃいそうな予感。 遼はおっぱい大好きで、離乳食もあまり食べなかったし、今も食が細い。でも裕は離乳食もガンガン食べそうな気がする。今日もあっという間にスプーンなめてごっくんでしてた。そんな裕に触発されて遼もいっぱい食べてくれるといいんだけど。今日は10倍がゆ、裕の残りを「遼も食べるー!」とパクッ。この調子で、2人でパクパク食べてくれるといいな。
2006.07.26
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今日は半地下の家の工事の日。これもこの間やっとつながった電話で、上のシヌイが「工事しないんだったらお金返してくれ!!」と、ものすごい勢いでクレームを言い続け、やっと決まったのだ。ところが、何時になっても連絡ひとつ来ない。しかたなく、ダンナが電話をかけたら、この梅雨の時期に工事する人なんていない。とのこと。だって、あなたがこの日に決めたんでしょーが。私たちが直してくれと言ったのは梅雨に入る前だったのに。 でも、なんとか交渉して、午後2時に家を見に来ることになった。家を見た大家。あーこれは雨漏りじゃない。これもかびだけど、たいしたことない。の一点張り。 雨漏りじゃないって、あとがしっかり残ってんのに! うちらが雨漏りしてるとこ、見たって言うのに! 台所の床、水浸しになって、今もぬれた雑巾がおいてあるっていうのに。 ここから雨漏りするはずがない。 建築関係の仕事してたからわかる。 そればっかり。 部屋のかびも、天井全体に広がってきてるのに、たいしたことない? あー、これは一ヶ月前ぐらいに2階の下水がおかしくなって、それでできたやつだから大丈夫。 大丈夫ってなにが?! 梅雨で湿ってできたわけじゃないから、たいしたことない。 だったら、一ヶ月前、わたしたちが天井何とかしてくれって言ったときに、すぐに直してくれれ ばいいのに。 いくら話し合っても平行線。 しかも、なんだか人をバカにしたような口調。 そして、人の目をしっかり見ないで話す。 その上、ぜーったいにあやまらない。 聞いてるだけでムカムカムカ。。。 途中で私は子供たちと車の中にいることになったので、その後どんな話し合いになったのかわからないけれど、私がいるときはお互いに声のトーンが高くなって、怒鳴りあいっぽくなってた。 結局は工事はする。壁紙の張替えはうちらが業者を呼んでやって、大家にその金額を請求する。ということになった。でもね。工事、いつやるんだか。*********************************今日工事をするってことだったので、店を友達に代わってもらったダンナ。シプモ&上のシヌイとドライブへ行くことになった。2時間ほどドライブして、チャムシル近くのフェムッチム(刺身をコチュジャンや野菜で混ぜたもの)のお店へ。テレビでも紹介された有名なお店らしい。味はなかなかおいしく、走り回る遼を追いかけながらも楽しく過ごしたのだが、ダンナが酒を飲みすぎて、だんだんおかしくなっていった。店を出て、遅く来たコモブ(上のシヌイのダンナさま・遼が大好き)と2人でビールを飲みに行き、チキンを買ってシデクについた頃には、ベロベロ。中学生の姪っ子がいる前で、パンツ一枚になり、アボニムに「やー!(おい!見たいな感じかな)」とか「あっちいけ!」とか言ったり。姪っ子は明らかにいやそうな顔してるし、アボニムは怒って、部屋に鍵をかけて先に寝てしまった。するとその部屋のドアをどんどんたたき、大騒ぎ。それを見た上のシヌイ一家、どうしょうもない…と思ったのか、買ってきたチキンも食べずに帰り支度を始めた。と、でかい声で騒ぐアッパを見て怖そうにしていた遼が、大泣き。結局遼は上のシヌイ一家と行ってしまった。もう、うちのダンナ、どうしようもない…。
2006.07.25
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昨日はアボニムが旅行のお土産に買ってきた刺身を食べました。韓国で、刺身を食べた後、必ずといっていいほど出てくるもの。それは、メウンタン。 …というわけで、今日もシデクに上のシヌイ一家、集合。またまたオモニムが汗をいっぱいかきながら、水の出ない台所で奮闘して、メウンタン完成。「あーチュッコッタ。(もう、死にそう。)」オモニムのこの言葉、何度聞いたことか。おいしかったです、メウンタン。でもそのためにいろいろ準備が大変。後片付けも大変。それをやるのはみんな女。あーめんどくさ。…といっても私はほとんどなにもやらなかったけど。ダンナが帰ってくる頃にみんな食べ終わり、帰ってきたと同時ぐらいに上のシヌイ一家、帰っちゃいました。遼連れて。昨日、コモブが帰っちゃって、大泣きした遼。もう、本当に悲しそうでした。今日も大好きなコモブ、コモ、ヌナたちに会えて大はしゃぎ。ママなんて見もしない。アッパのことなんて完全に忘れてる。うれしそうに、頭を下げ、手をふってコモたちと一緒に行っちゃいました。遼。ホントにわたしとダンナの子かしら。ダンナが帰ってきたので、またいったん片付けたものを全部出して、メウンタンの準備。だんなが食べ始めた頃、裕がぐずりだしたので、ねかしつけ。寝かしつけて戻ってきたら、もうほとんど食べ終わってて、またお片づけ。ホント、めんどくさい。なんだか毎日がソルラルとチュソクって感じの日々。いつまで続くのかしら。*********************************** ちょっと前にあるHPで見つけた詩。「祝婚歌」 吉野 弘二人が睦まじくいるためには愚かでいるほうがいい立派過ぎないほうがいい立派過ぎることは長持ちしないことだと気づいているほうがいい完璧をめざさないほうがいい完璧なんて不自然なことだとうそぶいているほうがいい二人のうち どちらかがふざけているほうがいいずっこけているほうがいい互いに非難することがあっても非難できる資格が自分にあったかどうかあとで疑わしくなるほうがいい正しいことを言うときは少しひかえめにするほうがいい正しいことを言うときは相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい立派でありたいとか正しくありたいとかいう無理な緊張には色目を使わずゆったりゆたかに光を浴びているほうがいい健康で風に吹かれながら生きていることのなつかしさにふと胸が熱くなるそんな日があってもいいそしてなぜ 胸が熱くなるのか黙っていてもふたりにはわかるのであってほしい最近のわたし、シデク関係と子供の世話ばかりに神経がいって、ダンナのこと思いっきりほったらかしてます。新婚当時、同居していた頃は、ダンナがいないと心細かったし、ダンナがシデクの人々と楽しそうに話しているのを見て、当時言葉のわからなかった私はとってもさびしく、悲しかった。その後、シプモとは別に暮らすようになった後も、ダンナがゲームに夢中だったり、酒飲んで遅く帰ってきたりするとどうして一緒にいてくれないの!!ってずいぶん怒ってた。いつも、もっといろいろ話したいのに。もっと2人だけの時間を楽しみたいのに。って思ってた。それが…。遼が産まれ、裕が産まれ、シプモとの同居生活が再び始まり、シプモやシヌイと過ごす時間が多くなって、なんだかダンナの存在感が薄くなっちゃった。別にいなくてもいい人…みたいな感じで、扱いもそんな風になっちゃってるもんだから、時々ダンナが私に聞いてくる。「本当に愛してる?」2人でゆっくりできる時間って遼や裕が寝た後、自分たちの部屋で寝るまでの間しかないんだけどダンナはゲーム、私もネット。会話はほとんどない。たまにダンナだけシプモと部屋の外でいろいろ話してることがあって、新婚当時はそれがすごくさびしかったのに、今は全然。いろいろと欠点ばかりが目について、しかもそれをいちいち指摘して、ダンナを怒らせている私。なんだかこの吉野さんの詩が胸に沁みました。
2006.07.24
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午後、ぎゅうぎゅう詰めの車でソウルへ帰ってきた私たち。なんと!アボニムも帰ってきちゃいました。島で雨が降ってきて、ひどくなると船が出ないからと一日早く帰ることにしたらしい。 アボニムはお土産に刺身をいっぱい買ってきてくださいました。…ということは。そう。またシデクに集まって、刺身&酒。 今回は下のシヌイ一家は来ず、上のシヌイ一家&シプモで。お土産のメインはミンオという魚。養殖はなく、めったに獲れないのでとってもお高い魚らしい。皮がおいしかったです。日本語ではにべっていうらしい。でもそんな魚食べたことない。 11時過ぎにダンナも到着。そして12時過ぎにシヌイ一家が帰り、1時過ぎにダンナが酔っ払ってダウン。シプモも12時過ぎにお休みになりました。 そして。お片づけは、一番最後に残った私。皿洗いやら何やらで、けっこう時間かかりました。これだって、立派なシジプサリじゃない?!ま、刺身おいしかったし、お酒もまた飲めたし、いいんだけど。 **********************ところで。あるサイトで紹介されてた星占い、見てみました。そしたら、なんだか心に響いたので、抜粋しておきます。2006年の魚座の世界を眺めてみると「教える」という言葉が思い浮かびます。生来、だれかに力を貸すことが得意な魚座ですからよく考えれば、教えることは、向いているのです。更に言えば、「教える」ということはホントに、貯金を解約するみたいな「ため込んだものをそのまま出す」ということなのかというとそれもちょっと、ちがっているのではないかとおもいます。2006年、魚座は、とてもよく勉強すると思います。でも、それは、今の自分よりもっとすばらしくなるため、ではなくもしかしたら自分が持っている周囲にとっての価値を正しく認識しそれに沿って自然に勉強しているというだけなのではないかとおもいます。この姿勢は、とてもナチュラルで、魅力的です。しばしば、人が勉強を始めるときは自分以外のだれかになろうとおもってそうしてしまうことがあります。でも、2006年の魚座の「学び」はぜんぜんそうではありません。むしろ、もっとありのままの自分になりもっと周囲にとって自然な自分になるために一生懸命学ぶということではないかなと思うんです。この中で、とても特徴的だと思うのは魚座の人が「周囲にとっての自分の価値」を見いだすのではないかということです。これ、とても難しいことだと思います。自己過信や自己否定は、なぜか簡単にできるのですが「自分の姿を、ありのままに」認識することって妙に難しいのです。多分、自分への期待が強すぎてガッカリしたり、誤解したりしまくってしまうせいかもしれません。ここでいう「自分の価値」というのはなにか、給料でやりとりされるようなこととか「本質的才能」「自分の実力」といったような深刻なことではないと思います。むしろ、周囲の環境やたまたまそこにいるメンバーのなかで生まれている「関係性」みたいなことだとおもいます。いずれにせよ、この2006年を通してなされる「学び」の中で魚座の人がつかみ取るのはとても大きな「人間的魅力」であるようです。それは、考え方だったり、理想だったり、人生観だったり、仕事の実力だったりいろいろなものが考えられます。それはきっと貴方が心の底で、一番欲しているパワーなのではないかと思います。年末、貴方の目の前にはある目標が見えていると思います。教えたり学んだりすることは、それだけではゴールではありません。学んだことを武器として、いよいよ戦場に出て行くのが、この2006年年末から2007年です。貴方が2006年にどうしてこんなにも一生懸命学んできたのか、がなるほどね!となっとくできるようなそんな未来を見据えての年の瀬になりそうです。2006年は、精神的にとても成長できる年です。この「精神的に成長」がどういうことなのかは、具体的には人によってそれぞれ、違っていると思います。ただ、一つ思い浮かぶのは教えるということは、相手の未熟さや幼さを理解した上で相手のために「待ってあげる」ことが必要になるということです。相手の幼さ、未熟さ、弱さ、傷つきやすいプライドなどを見守りながら導くというのは、たいへんなことですね。でも、これを身をもって体験したとき人は、本当の意味で、強く優しくなれるのではないかという気がします。それは多分、自分自身も幼いときは同じような欠点を抱えていたということに気づけるからなのかもしれません。今年は裕を産んだあたりから、いろいろなことが見えてきたなぁと自分なりに感じていたのですが、これ見てまたやっぱり今年は特別だ!と思えてきました。時々読んで、元気を出そうっと。
2006.07.23
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土曜日。アボニムは痛風の足を引きずって、2泊3日の旅行に出かけました。毎月積み立てをして、お友達とよく旅行に行ったり、モイムに行ったりしてるシアボジ。今回はどっかの島に行ったらしい。しかもアジュンマが十人以上いる中でアジョッシ(ハラボジ?)は2人だけだそう。家の中では無口なアボニム、お友達と遊びに行くと、ノリノリでバスの中でダンス、お酒もぐいぐいって感じらしい。 朝6時半に出発。前の晩はやく寝ていた遼が6時に起きたので、私も6時半にアボニムをお見送りすることができた。その後、裕を上のシヌイに預け、10時からの文化センターの講座へ。この講座、もともとはパパとママ一緒に参加の講座なんだけど、先週も今週もダンナはお休み。今回は肉の仕入れのため、金曜日に友達のうちに泊まってそのまま店に行くとのことで、お休み。その前は金曜日の晩に日本人のお客さんがダンナにガイドを頼んだとかでやっぱりそのまま友達のうちへ行って帰ってこなかった。 ダンナもアボニムもいないし、裕は上のシヌイが見てくれているので、講座が終わった後、デパートのノリバンで少し遼を遊ばせ、お昼も食べさせてシデクヘ。シデクに戻る前もノリトで少し遊び、夜早く寝るようになるべく体力を使わせた。その後、上のシヌイと子供たち&裕がシデクヘ。下のシヌイもダンナさんと一緒にシデクヘ。 で、みんなで近くの冷麺の店に行って、冷麺を食べることになった。なのでとりあえず紙おむつを2枚と携帯用のウェットティッシュだけもって車の中へ。 出発して10分ほどたった頃、いきなり目的地がかわった。目的地は下のシヌイの家の近くのオリコギの店。下のシヌイの家といえばみみあんさんちのご近所。うちの近所どころか、とっても遠い。ソウルじゃない。(みみあんさん、ごめんよ)しかも上のシヌイのダンナさん(遼が大好きなコモブ)がオリコギ食べるんなら、酒も飲まないと。今日は泊まりだ!と言い出した。 えーーーーーっ!!! シデクの近くだって言うから、何の準備もしてないのに!ダンナはうちの鍵すら持ってない。で、ダンナに電話。シデクの皆様はダンナに店が終わったら来い!と言う。でも。ダンナの答えはNO。店終わった頃は道も混んでるし、明日も用事があって早く新村へ行かなきゃならないから、やだ。おれは友達のうちに泊まるから。だと。つまり、私らだけで行ってこいとのこと。 こんなとき、ちっとも役に立たない。 車はすでに下のシヌイ宅の方向へ向かってるし、私と遼、裕だけで車から降りてうちへ帰るわけにも行かない。そんなこんなで、結局みみあんさんちの近く、この間みみあんさん家族と一緒に行ったオリコギの店へ、また行きました。 オリコギはおいしく、おなかいっぱい食べて、ビールも飲んで、ちょっといい気分に。 その後、シヌイ宅に行き、またまたビールを飲む。遼&裕は上下のシヌイの子供たちが見てくれたし、シヌイ宅にあったアサヒスーパードライのミニ缶も出してくれ、久々に、こんなシチュエーションなのに(いやこんなシチュエーションだからか?!)けっこう飲んでしまいました。 でもね。いい感じで飲んでいたら上のコモブが、一言どうしても言いたいと言い出した。何かと言うと。シジプサリ(同居生活というか、嫁としての生活)。韓国の嫁の中でこんなに楽なシジプサリをしている人はいない。シオモニはもっとこわい存在なんだ。嫁としてやるべきことはやらなければならない。というお話だった。 そしたら下のコモブまで、そうだ!シオモニ(姑)が厳しくガツンとやらないと嫁がしっかりしないんだ!とか言い出した。 私、ひとり。助け舟、なし。ダンナもいないし、もう一人の嫁の立場であるヒョンニムもいない。なんか、一気に酒がさめた。 もともとアジュボニムもヒョンニムもお酒を飲まない。みんなでどこか遊びに行ったり、ご飯を食べた後飲みに行ったりってことにはほとんど参加しない。チュソクやソルラル、シプモの誕生日なども最低限やるべきことをやり、早く帰るし、みんなでくつろいでるときも、家族で固まってることが多い。 ヒョンニムのそばにはかならずアジュボニムがいるって感じなので、↑のようなことはヒョンニムには絶対起こらないと思う。ほんと、うらやましい。 今回もみんな家族でいるのに、うちだけダンナなしだし。(あ、シオモニもシアボジいなかったけどね)その上、裕の爪、端をちゃんと切ってないとか、オムツのつけ方が悪いとか、出かけるときには服を持ってでなきゃ、とか、いちいち言われて、ストレスたまりまくり。そりゃ、私だって遠出するときは、いつも余分に服を持っていきますよ。でも、今日は家のすぐ近くの冷麺屋に行く予定だったでしょーが。車で10分もかからんところなんだからって思って、ろくな準備もしてこなかったのにー。と心の中で叫ぶ。 でも、遼と裕はママの心のうちも知らず、たくさんの人に遊んでもらえて大喜びだった。 そして、帰り道。行きは下のシヌイの車と、上のシヌイの車に分乗してきた私たち。帰りはダンナも来なかったので、一台に大人6人、裕&遼が乗る羽目になってしまった。コモブの車は5人乗り。上のシヌイの膝の上に中2の姪っ子が座り、ぎゅうぎゅう詰めでソウルまで。 シデクに着くと上のシヌイ一家はうちへ帰って行った。残ったのはオモニム、遼、裕、私。遼は車の中にいたときから爆睡。裕も寝たり起きたり。私はシジプサリ、放棄して、部屋でパソコン。 シジプサリなんて日本語にないもんね。 もう、このまま夜まで子供たちと寝ちゃおうかな。
2006.07.23
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今日はダンナの友達とダンナとチャムシルのTGIでランチ。日本へ行ってから、店をやるとき一緒にやりたいというダンナの友達。その真意を確かめようと、ご飯を食べながらいろいろ聞いてみた。 というのも、このお友達、30半ば過ぎにして、無職、働いた経験もない。今も毎日うちでゲームばかりやっている。ダンナの高校時代からの友達で、とってもいい人。ダンナよりもずっと、やさしく、紳士的な人だ。私たちはこの友達にかなりお世話になっているかも。というのも、ダンナが店に出られないとき、かわりに店に出てくれたりしているから。この友達が店をかわってくれたおかげで、ダンナは里帰り出産にもかかわらず遼のときも裕のときも出産に立ち会うことができたし、うちの両親がソウルに来たときや、家族のいろいろな行事のときもダンナのかわりに店に出てくれた。 でもね。30半ば過ぎで、働いた経験なし。というのは、やっぱり私からするととっても不思議。日本への留学経験もあり、大学も2つぐらい通っていたような。元スチュワーデスで今はイギリスに住んでるお姉さんがいたり、立派なアパートに住んでたり、今まで無職でやってこられたところを見ると、おうちがけっこうなお金持ちみたい。 韓国って、なんかこういう人、けっこういるような気がする。お金持ちで、やたら留学とか大学とか行ってるけど、その後いい歳になっても働かずあまり社会のためになってない人たち。大事にされすぎちゃうからなのかな。大人になったら自立して、ある程度社会にも貢献するのが当たり前…と思ってたんだけど、どうも韓国ではそれは当たり前ってほどではないような。 その後、アジュボニムのおうちへ。遼はまたいとこのドンヨといっぱい遊んでもらい、しかも今日は上のシヌイのヌナも一緒だったので、大はしゃぎだった。このいとこのドンヨにはお姉ちゃんがいる。でも、遼はこのヌナとはあまり遊んだことがない。今日も学院があるため、すぐに出かけてしまったのだが、この子、中1にして、すでに英語の本を原書で読んでいる。 小学校4年生のときから英語の学院に通い始め、今はその学院で英語で数学や科学などの授業を受けているのだそうだ。先生はだいたい海外で生まれ育った韓国人で、ほぼネイティブ。今年小学校1年になるドンヨもこの英語学院に通っている。 …というわけで、家の中には英語の本がいっぱい。いや、勉強部屋には英語だけでなく歴史や百科事典など、こどもの勉強用の本がいっぱいある。そして、大きな勉強机に最新のコンピューター。ピアノもある。全部子供たちのためのもの。 この部屋を見て、上のシヌイに「てぐりょーも、遼や裕に小さいうちから、先生をうちに呼んだり、学院に通わせたりして、勉強させてね。」と言われた。上のシヌイの子供たちが小さい頃、いろいろ家族にトラブルがあって、お金もないし、子供たちに何もしてあげられなかったのだそうだ。そして、それがとても残念だし、アジュボニムの子供たちの環境がうらやましいと言っていた。 上のシヌイの子供たちといえば、遼が大好きなヌナたち。いつも一緒に遊んでくれるやさしいヌナたち。確かに高1、中2の2人はほとんど毎日ハルモニのうち(シデク)に来て、遼や裕と遊び、夜7時ごろ帰っていく。シデクでも、シヌイのうちに遊びに行っても、あまり勉強してる姿を見たことがない。 でもね。ハルモニの耳掃除してあげたり、こどもたちの世話したり、いろいろお手伝いしてる2人は、とってもあったかい感じがする。もしかしたらシヌイのように、子供たちも、いとこのドンヨたちをうらやましく思っているかもしれない。でも、人生、勉強だけじゃないのよー。とも、言ってあげたい気がする。 初期教育が大事って、日本でもけっこうそういうの流行っているみたいだし、ロッテの文化センターの講座でも、今取っている講座の中のひとつで、ピカソとかの有名な絵を見せたり、数字と99段の歌を歌ったりするのがある。 このクラス、5~6ヶ月の裕ぐらいの子が受けている時間もある。6ヶ月ぐらいの子が99段の歌に、果たして反応するのかな。というか、今の遼の歳からでも、99段とかやらせる意味ってあるのかな。半額&体験講座で遼が先生を気に入ったから…という理由で受けた講座なんだけど、なんだか先々週あたりから99を始めたのですごくビックリした。 でも、でも。99より大事な何か。勉強より大事な何か。そういうのを遼や裕にはいっぱい感じ取ってもらいたいなと思う。ま、お勉強モードの講座取っといてそう思うのもなんだけどね。 今日はいろいろそんなとりとめないことをいろいろ考えちゃいました。
2006.07.21
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今日はチョボク&オモニムの誕生日ということで、サムゲタンを食べました。オモニムお手製のもので、鳥をゆでた!って感じのものでしたが、おいしかったです。オモニムの誕生日パーティーは日曜日にやったのですが、その時は韓牛のチャトルペギ(しゃぶしゃぶ用の肉みたいにうすーいやつ)、アンチャンサル(はらみ)を、そして今日はサムゲタン。どちらもうちで食べました。 店で食べれば、遼やいとこのドンヨが大騒ぎして、食べた気がしないけど、うちで食べると準備や後片付けが大変。オモニムの誕生日なのに、日曜も今日も一番大変なのはオモニムだったような気が。 ところで、シアボジの足、骨折とか捻挫とかではなく、なんと、痛風であることがわかりました。オモニムの誕生日パーティーの時、肉食べ過ぎたせいかしら。それともお酒のせい? オモニムはとっても体格が良くて、糖尿病なのもうなづけるって感じなんだけど、アボニムはとってもやせているし、ゴハンはたくさん食べるけど、脂っこいものとか肉とかそんなガツガツ食べる人じゃない。でも、痛風らしい。 糖尿病のオモニム、痛風のアボニム、クッとご飯、キムチが基本のダンナ、パンとスパゲティが好きで辛いものはあまり食べられない私、いろんなものを食べさせたい2歳児、これから離乳食を迎える赤ちゃん、が囲む食卓には、どんなものをのせればいいのかしら。あー頭が痛い。
2006.07.20
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今日はとっても久しぶりに外でお友達とごはん。遼はシプモ&ダンナ&上のシヌイ一家に預け、裕だけ連れてチャムシルのロッテへ。ここには文化センターのために週3回通ってるけど、のんびりご飯を食べたり、ゆっくりしたことはほとんどない。 遼がいると遼を追っかけるのに精一杯で、レストランでゴハンなんてなかなかできないのだ。 でも今日は裕を連れ、デパートでベビーカーを借り、赤ちゃん休憩室でおむつ&授乳を済ませ、11階のレストラン街にあるHARAJUKUっていうレストラン(なぜ原宿?!)でオムライスを食べた。ここにはノリバンもあるし、赤ちゃん休憩室も充実しているので、子供づれにはもってこい。 久々に日本語でたくさんおしゃべりもできたし、楽しいひとときだった。ダンナが出かける前に帰らないと行けなかったので、3時半ごろまた来週会う約束をしてお別れ。でもうちからとっても近いので、ダンナに車で迎えに来てもらい、ラクラクうちへ。(ってシデクだけど) 帰ってきたら、アボニムは病院に行っていていなかった。どうしたのかというと、2日ほど前、ベッドから落ちて、足とお尻を痛めてしまったらしい。以前もベッドから落ちて、頭を9針も縫ったことのあるシアボジ。足がはれて痛みがひどくなってきたとのことで病院へ行ったらしい。結果はまだはっきりわからないけど、早く良くなってくれるといいな。 オモニムも糖尿病で体調が良くないし、アボニムも足が痛くてなかなか動けない。…ということは、今までは遼の散歩&ノリト係はハラボジ担当だったけど、そうもいかなくなった。オモニムも体調も良くないし、ゴハン作りが面倒くさいみたい。今まではオモニムがつくるクッ+キムチ類&私が作る卵焼きやサラダ、ソーセージ炒めでゴハンだったんだけど、もう少し、私が作ったり準備したほうがよさそう。 なんか、ますます大変になりそうな予感。 ところで、シプモ同居の方々、またはダンナさまが韓国料理一筋って感じの人、バンチャンにどんなもの作ってますか?もし簡単おすすめ料理があったら、教えてください!
2006.07.19
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結局、パソコンをシデクに持ってきて、インターネットもシデクでつなげるようにして、再び日記も書けるようになりました。 もううちには猫のくーのご飯をあげることとくーのトイレ掃除、それから洗濯をしに行くだけになってます。その他はずーっとシデクで過ごしてます。 ちょっと前まではシャワーもうちで浴びていたんだけど、なんと!ボイラーまでも故障。(泣)もう最悪。やっぱ、安い物件には何かがあるってことかしら。今週も、今週中に工事に来るとか言っておきながら結局来ないで一週間が終わりました。はぁ~。そういえば、シデクのソファもこわれてて、一度見に来てもらい、今週修理するためソファを引き取りにくるって言ってたのに、それもすっぽかされてるなぁ。 今まで、けっこう韓国のこういう部分を人から聞いてはいたもののあまり経験してなかったので、ちょっとビックリ。あー本当にこういうことあるのねーって感じ。 ところでシデク生活。これもまたサバイバル。何といっても、シデクは水が出ない!シデクは3階にあって、1階がクリーニング屋、2階は3階と同じような間取りで家族が住んでるんだけど、下で水を使ってるとちっとも水が出ないのだ。そして、水も出ないからお湯も出ない。そんなわけで、シャワー&洗濯は、半地下の家でして、その時間だけ猫のくーとも遊び、ちょっとくつろいでいられたわけだけど、半地下の家もボイラーが故障したため、シャワーができず、でもシデクでは洗濯しようにも水が出ないのでできないため、半地下の家でお洗濯。でも、半地下の家は、部屋の天井にカビができて、雨漏りもするので、そこで洗濯物を干すわけにも行かず、洗濯し終わった洗濯物はシデクまで持ってきて干してます。 5ヶ月の赤ちゃんと2歳児がいるのに!!!片や雨漏り&かびで悩まされ、片方では水が出ないのだ。んで、どっちのうちでもできないシャワーは今現在上のシヌイのおうちで浴びさせてもらっている状況。毎朝シデクで起きて、半地下のうちへ行き、猫のくーにご飯をあげ、トイレを掃除してあげ、お洗濯の間くーと遊ぶ。その後上のシヌイのうちへ行き、裕と遼を洗い、ダンナと私もシャワーを浴び、それからまたシデクヘ。 いま、この生活3日目なんだけど、もうストレスたまりまくり。7月末に水道工事をするって言うんだけど、この工事も本当にちゃんと始まるか疑わしいし、オモニムは3~4日で終わるっていうんだけど、1階2階3階全部の水道管を掘り起こして直すらしいので、結構大がかりになりそうで、そんなに早く終わりそうもない。それにその間は水はまったく使えないし、部屋も水道管が通ってるところはほとんど使えなくなる。ってことは私たちが今寝泊りしてる部屋も使えなくなる可能性大。 詳しいことを聞いても、シデクの皆様はまぁ何とかなるから…ぐらいにしか答えてくれないんだけど、どう考えても何とかなりそうもない。だって、半地下の家はこうなる前は、オモニム、水道工事のときはシデクにいられないから、こっちに泊まるわねー。なんて言ってたのよ! ダンナが水道工事がけっこうかかりそうだったら、てぐりょーと子供たちはその間日本に行かせよう!って言ってくれたんだけど(と言うか私が言わせた)、なんか簡単に却下されちゃった。(涙) 却下されちゃった理由は、わかる。シプモの、私たちを日本に行かせたくない理由も、理解できる。私もできるだけ我慢しようとは思う。 なぜなら、どんなに長くてもたぶん1年以内に私たちは日本に生活の場を移すことになるから。でも~。すっごく不便だわ。そして、ご飯の時間はあいかわらず朝ごはんが11時だったり、晩ご飯が9時だったりしてる。何とか朝、9時ごろ遼にはホットケーキ食べさせたり、12時ごろにも何か食べさせ、7時ごろに晩ご飯にしようとしてるんだけど、結局そのとき食べるのは遼だけだからか、食べたり食べなかったり。で、大人たちのご飯のときもやっぱり食べたり食べなかったりしてるので、すごく良くない生活になってる。 水も出ないし、冷蔵庫も食器棚もなんかいっぱい詰まっていて、何をどう使ったらいいかわかんないし、食事のことが一番頭痛いわ。あとは、シャワー。シデクで体洗うときは洗面所においてあるガスコンロでお湯を沸かして、たらいにそのお湯と水を入れて体洗ってるんだけど、遼を洗うときにガスコンロでやけどしないか、いつもヒヤヒヤしてる。こんな水の出ない生活をシプモはもう何年も続けているんだと思うと、なんだかとっても胸が痛む。 シデクでの生活が始まって、シプモと話す機会がものすごく増えた私。話していくうちに、なんとなく心が通じてきたような気がする。今でもめんどくさいなーと言う部分はあるし、気楽に過ごせないからすごくストレスたまるけど、でも、シプモの人生や暮らしを垣間見たことで、いろいろな気持ちがわかってきた。そういう意味では人生勉強してるわって思う。 だから今の時間は大事な時間なんだと思うけど、でも、不便だわー。 …で、ストレス解消のために、今日は裕をシプモ&上のシヌイに預けて、遼の文化センターの講座の後、ロッテデパートを3時間もうろうろしてしまいました。ノリバンで遼を遊ばせ、子供服を見た後、フォションでパンを買って昼ごはん。その後Tシャツをいろいろ見たりして、遼と私と3000wのTシャツを一枚ずつ購入。タクシー代合わせて、だいたい1万ウォンの出費。 これだけでもだいぶ気晴らしになったわ。日本で気晴らしだと1万円ぐらい平気で使っちゃうのに、なぜか韓国では1万ウォン使っただけでもけっこう散財した気がするのはなぜ?
2006.07.15
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半地下のおうち、2階の下水工事のせいで、天井に黒いカビがいっぱいできてしまいました。しかも、もう1ヶ月くらい前から防犯のための窓の柵をつけてほしい、雨漏りする箇所があるので直してほしいと言っているのに、ちっとも直してくれず。約束して時間も決まってるのに、2回もすっぽかされ、文句言ってたら最初は工事の人が電話をとらなくなって、次は大家さんまで私たちのクレームを無視するように。今不動産屋さんに文句言ってますがどうなることやら。 そんなこんなで、ほとんど完全シデク同居生活になってます。シデクにはパソコンがないので、日記書く時間もままならず。しばらく日記も書けないかも。 シデク生活は不自由だけど、助けてもらってるところも多いし、かなりあきらめて、ミョヌリ生活をできるだけ楽しもうと思います。(って、そんなことできるのか?!)シプモは私をとても気遣ってくれているし、ダンナはすっかりおこちゃまに戻り、とってもはらだたしいけど、言って直るわけでもなく(泣)。 しばらく楽天から遠ざかっちゃうかもしれませんが、毎日シデクで時々息詰まりそうになるので、HPをご覧の皆様、チャムシル近くで、(いや、遠くても・笑)集まりとかあったら誘ってくださいね。それでは、またー。
2006.07.09
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先週の水曜日から3泊4日で日本からじいじとばーちゃんが来ていました。子供たちとの楽しい時間を過ごし(でも遼のやんちゃぶりにかなり疲れてた)、今回はヤンピョンにも遊びに行ったりして、家族でのんびり。(ま、いろいろなハプニングもあったんだけど)そして土曜日に帰っちゃいました。 家族や友達が日本から来て、帰ってしまうとホント寂しい。。。なんだか気が抜けて、ポカン…としちゃいます。そして韓国での日常の生活が始まっちゃった。この何日か日本語オンリーの毎日だったんだけど、親が帰ってすぐシデクに行ったから、そこで韓国語オンリーの生活に。 そして、ホテルやコンドミニアムから、シデク&半地下生活に。 お天気はいいけど、なんだか心の中はどよーんとしてるわ。早く気持ちを切り替えなくちゃ。
2006.07.03
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早いもので裕、今日で5ヶ月でした。 最近、バタバタと忙しくて、今日で5ヶ月だ!と気がついたのは夜になってから。遼の時はやっと5ヶ月だぁって感じで、早く大きくならないかなぁ。と思ってたんだけど、裕の場合は逆。え?!もう5ヶ月になっちゃったの?って感じ。そしてできればずっと赤ちゃんのままでいて欲しいです。(笑) タンスから服を全部引っ張り出して投げたり、気に入らないと人の髪の毛引っ張ったりビンタしたり、いきなりすっぱだかになって踊りだしたりする、いやいや期真っ盛りの兄ちゃんを見てると、じっとその場で動かずにほほえんでばかりの裕がどんなにかわいく思えるか。 ホント、遼の数々のいたずらにキリキリしてる時に裕のぷくぷくとした赤ちゃん顔を見ると…癒されます。さて、そんな最近の裕は。 身長体重ははかってないので不明。 高熱が出て病院通いしたあとから二重まぶたがくっきり。 目がどんどんおおきくなってかわいくなってきました。 寝返りは自由自在に。 今は手も合わせられるようになったし、飛行機みたいに両手を伸ばしてよく遊んでます。 首もしっかりあげられるし、ずりバイも始まり、ちょっとシャワーなんかで目をはなしてる間に フトンの端から端ぐらいまで移動してます。 ずりバイは、遼の時は手がメインだったんだけど、裕は足の力のほうが強くて、足で蹴って腰を 浮かせて移動してます。 わたしの声、顔にはすばやく反応。 でも他の人があやしたり笑いかけても飛び切りの笑顔で応えてくれます。 わたしの風邪でちょっとだけ粉ミルク生活した後、まったく哺乳瓶を受けつけなくなっちゃいま した。その時買った2万ウォンもする韓国の粉ミルク、全然飲んでくれずそのままに。。。 紙おむつはいつの間にか遼と同じLサイズに。Mだときつくて、太ももが赤くなってしまうので。 そろそろいろんなものをつかみ、口に入れ始める時期。 ご飯食べてる時に、お皿つかまれててドキッとしたことが何回か。 そして、そろそろ離乳食。 シオモニや上のシヌイは離乳食を早く始めたそうで、今日ももう始めたら?と言われてしまっ た。でも産院でも離乳食はできるだけゆっくりでいいからと言われていたし、まだいいんじゃな いかな、と思ってます。 とはいうものの、ほぼ同居生活の今、勝手に始められちゃう可能性も充分。 今日もシオモニに米粒を一つ口に入れられた裕ちゃん。 とほほ。 夜はバンザイスタイルで10時過ぎにはぐっすり寝てくれ、本当に手のかからないいい子。 2日後にはじいじとばーちゃんが日本からやってくる。 きっと裕がこんなに大きく、かわいくなってるのを見たら、びっくりだろうなぁ。
2006.06.26
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遼をアジュボニムのおうちに預けた次の日、遼に会いにアジュボニムのおうちへ行ってきました。遼はいとこのドンヨと、その友達6、7人に混ざって楽しく遊んでた。アジュボニムのうちはアパートで、その階にいる子供たちがいつも集まって遊んでいるみたい。うちの前にレジャーシートをしいて、おもちゃやおりがみで遊んだり、掃除道具とかが入っている物置に入って遊んだり。そういえばちっちゃいころって、暗くて狭いとことかすきだったよなぁって思い出しちゃった。そしてそこで夕食をご馳走になり、ダンナが日本-クロアチア戦を一緒に応援しよう!と言っていたので、ダンナが迎えに来てくれるのを待っていたんでだけど…。 ダンナ、酔っ払って帰って来ず。今日は店で日韓夫婦のダンナさんだけの集まりがあると言っていたので、もしかして…と思ってたんですが、不安的中。そんなわけで、子供二人連れて帰るのは大変とのことで、アジュボニム宅に泊めてもらうことに。日本-クロアチア戦が終わる頃はこどもたちの寝かしつけに忙しく、ろくに見られなかった。 そして朝4時。なんか歌が聞こえるなーと思っていたら、アジュボニム一家はみんな起きて、韓国戦の応援をしてたみたい。ずーっと国歌を歌ってた。私は遼も裕も寝てるし、そのまままた寝ちゃった。 次の日。月曜日は文化センターの講座がある日。いとこの2人は学校へ。私たちはコストコでマフィンやらシュウマイやらいろんなものをアジュボニムに買っていただき、お昼ごろシデクヘ。と、オモニム、「講座が終わったら、洋服やオムツをたくさんかばんに入れて来なさい。」とのこと。講座が終わったらすぐ、ダンナの車で下のシヌイのところへいくらしい。 おとといから下のシヌイが「うちに遊びに来い」としきりに電話がかかってきていた。でも、結局は行かないことになったと思っていたのに、ダンナが酔っ払って、「明日行くから。」と言ったらしい。で、結局行くことになった。 あわただしく準備を済ませ、出発。下のシヌイのおうちの近くにみみあんさんが住んでいるので、着いてちょっとしてから電話して、ノリトで会うことに。しばらくは遼もみみちゃんも、全然打ち解けずバラバラに遊んでたんだけど、少したってみみちゃんが砂場遊びに遼を誘ってくれたあたりからちょっと仲良しになった。 その後、またシヌイ宅に帰り、お風呂に入ったりした後、またみみあんさんちに。「デザートでも食べてって。」とのお言葉に甘え、ダンナ、遼、裕みんなでおうちへ行き、果物をご馳走になる。と、みみあんさんの旦那さん帰宅。一緒にオリコギを食べに行くことに。遼とみみちゃんはそこでだいぶ仲良くなり、店の中でくるくる走り回ったりして遊んでた。 そして「二次会はたこだ!」とダンナが言うのでついていったら、二次会に行くのはダンナたちだけらしく、みみあんさんちのアパートの前で「じゃあ。」と言って去っていってしまった。そんなわけで、みみあんさんちでダンナの帰りを待つ。でも、なかなかかえってこない。そのうち子供たちは寝てしまい、酔っ払ったダンナたち帰宅。結局この日はみみあんさんのおうちにすっかりお世話になってしまった。 みみあんさんちで一泊し、朝ごはんまでご馳走になったわたしたち。その後、シヌイ宅ヘちょっと戻りシャワーを浴びたり着替えたりして、またまたみみあんさんち前へ。今日はダンナはそのまま肉の仕入れへ。私はみみあんさんの車でスウォンにあるお友達のうちでの集まりに参加させてもらうことに。 お友達のおうち近くで昼ごはんを食べた後、とーってもきれいなおうちでしばしゆっくりみんなでおしゃべり…といきたかったんだけど、遼、いたずらし放題で、ママたちとゆっくりお話しするヒマも与えてくれなかったわ。裕を抱えつつ、遼を追いかけ、「だめー!!」と言いまくる私。せっかく久々の集まりだったのに。新しいお友達ができるチャンスだったのに、あまりお話できなくて残念だった。 それでもいろんな人と知り合えたし、帰りもみみあんさんの車でラクラクシヌイ宅へ。本当に、いろいろありがとう!みみあんさん。 その日はシヌイ宅で一泊。次の日は雨だったので、ほとんどずっとシヌイ宅に。そして夕方5時ごろシヌイ宅を出発してシデクヘ。 シデクへ着くなりオモニムが一言。「やっぱりうちがいいわ~。」ああ、私も早くその一言が言いたい。まだここは私のうちじゃないのよー。と心の中で叫びながら、ダンナの帰りを待つ。ダンナが帰ってきたのは12時過ぎ。待ちくたびれて、寝たところを起こされた。 そして、爆発!あーもうこんな生活やだー。ダンナが帰ってこないからアジュボニム宅に泊まることになっちゃったし、シヌイ宅に泊まるのだって、当日決まった上に、ホントは1泊だって言ってたのに、なぜか2泊になってるし、シデクに戻ってきてもすぐにうちには帰れないし、うちも半地下の、虫がいっぱい出るおうちで、ちっともよくないしー!!もうやだー!!!日本帰るー!!! と、言いたかったけど我慢してそのままうちへ。でもうちへ帰ったってすぐに寝られるわけじゃない。しばらく家にいなかったから、掃除をして、ふとんをしかなきゃ寝られない。その前に着替えたいし、シャワーも浴びたい。結局ごちゃごちゃやって寝たのは2時過ぎ。 次の日はまた文化センター。起きたら10時であわてて遼にパンを食べさせ、10時50分に始まる講座へ。遼はきのうからセキがひどくなっていたので、講座が終わったらそのまま病院へ。病院ではのどがちょっとはれているとのことだった。 オモニムはセキがとまらない遼をすごく心配して、すぐ病院へ行って薬もらって来い!って昨日からずっと言ってたんだけど、病院へ行って薬もらってくるよりも、うちでしばらく休養させてあげるのが一番だと思う。あちこち行って疲れちゃったんだよね、きっと。本当は今日、COEXの水族館へ行こうと思っていたんだけど、あきらめることに。あぁ、本当に行きたいところにだけ行って、あとはうちで休めたらどんなにいいか。文化センターと、時々あるお友達とのお出かけだけしていたいわ。でも、木曜日はなんとか夜9時にはうちに帰ることができた。で、今日。朝からずっとおうちにいます。遼とダンナはシデク。今日は韓国戦があるので、シデクで泊まる!と言うので、それなら私は昼間はずっとうちにいるから!ということで、私は裕とおうちに。でも、夜はまたシデク泊まり。そして、あの「テーハンミングッ」を聞かなければならない。早く終わって、ワールドカップ!!
2006.06.23
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今日は朝から文化センターでパパママと遊ぶ講座を受けるため、まずシデクへ行って裕を預け、講座を受けてからまたシデクヘ行ってご飯。その後、ダンナは仕事へ。その後上のシヌイと子供たちが来て、遼と裕と遊んでいると、アジュボニム一家もシデクヘ。遼はヒョン(お兄さん)が来てくれたので大喜び。2人でテーハンミングッ!の大合唱をしたり、ひとしきり騒いでから、ノリトへと遊びに行った。 裕もヌナたちにいっぱい抱っこされ、あやしてもらい超ごきげん。ホント、2人は幸せものだと思う。そして、ここが韓国の家族のいいところだとつくづく思う。わたしなんて、兄弟もいなかったし、親戚づきあいもなく、こどもと一緒にいる機会なんてほとんどないままハハになった。わたしより早く結婚した友達の子供もおそるおそる抱っこさせてもらうぐらいだったし、本当にこどもと接することって滅多になかったから、ずーっとこどもが苦手だった。歳の近いいとこもいなかったし、いとこと遊んだことも一度もない。だから幼稚園にあがって、子供同士で遊ぶ時どうしたらいいかわからなくて、泣いてうちへ帰るー!ってよく言ってたらしい。 でも、ここではいとこたちがみんな遼をかわいがってくれ、一緒に遊んでくれる。一番上の姪っ子はまだ若かったおじさんおばさんにとてもかわいがられて育ち、いとこができると自分がかわいがられたようにかわいがってあげている。今高校1年生なのだけど、裕を抱いている姿はまさにエギオンマ。自分より下のいとこたちはみんなわたしが育てたよ。なんて言ってるし、この子の妹もとーっても遼をかわいがってくれている。 遼が産まれたことでヒョン(お兄ちゃん)になった甥っ子も、遼と遊ぶのを心待ちにしている。そして、今日遼はクンチプ、甥っ子のおうちへお泊りに。 クナボジ(おじさん)の「うちにくる?」という一言に二つ返事でうなづき、さっさと車に乗り、わたしに韓国語でごちゃごちゃあいさつをして頭を下げ、バイバーイ!と元気に行ってしまった。すでに上のシヌイのうちに行く時は、そんな感じだったけど、ついにクンチプまで自分のうちみたいにお泊りできるようになっちゃった遼。わたしの子供時代とは正反対の暮らしをしていておもしろい。来年ホントに日本に行くことになったら、遼から大好きなヌナやヒョン、コモやコモブ、ハラボジハルモニを遠ざけてしまうことになる。それを考えるとちょっと胸が痛むわたし。 日本で暮らしたいなーってしょっちゅう思うけど、韓国の家族の中で楽しそうにしている遼を見ていると、こうして韓国の家族の中で育っていったほうがいいのかも…とチラッと思ってしまう。いろいろ気持ちが揺れてしまうこのごろです。
2006.06.17
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みなさん、スジョックってご存知ですか?韓日辞典で調べても出てこなくて。。。遼→裕→私→裕と次々に発熱、てっきり風邪だと思ってたんですが、これスジョックって病気だったみたいです。スジョックとは、疲れてたり抵抗力が弱ってたりするときに感染しやすいらしく、突然高熱が出て、そのあと少したって発疹が体中に出るというもの。突発性発疹みたいな病気で、感染するものだけれど、病気自体はたいしたことなく、薬も必要ないらしいです。遼発熱後、しばらくしてバラ疹のようにちょっと大きめの赤いボツボツが全身に。裕も発熱後ちっちゃめの突発性発疹と同じようなボツボツが全身に。今、裕は発疹が出ている最中なので、全身まっかっか。これ、大人にもうつるらしいんですが、私は発熱後しばらくたった今も発疹は出ていません。救急病院では言われなかったんだけど、遼の体に発疹が出た時、うちの近くの病院でスジョックと言われたの。でもその時はスジョックというのは、あまりご飯とか食べてなくて体力がなく免疫が弱っているときにかかりやすいけど、たいしたことないから大丈夫としか言われなかった。しかも感染するなんて一言も言ってなかったし、次に裕が熱出してその病院にいったときも、スジョックのことは全然話に出なかった。感染するって知ってたら、そこの先生遼と裕が兄弟なのも知ってるし、いっつも一緒に連れて行ってるんだから一言言ってくれてもいいはず。なのに、もしかしたら髄膜炎かもしれないから大きい病院へ行ってください。紹介状書きますから。なんて、すごくおどかされて、それで次の発熱で夜中の3時に救急病院へ行く羽目になったのだった。あとで、ダンナの小学校の友達で、セブランス病院の医者してる人に聞いたら、高熱が出たからって救急病院へ連れて行っても、たいした処置はできないし、むしろ子供を疲れさせるだけだから行かないほうがいいらしい。そんなこといわれても、そのときになるとあわてちゃって、しかもインフルエンザ脳炎とか、いろいろ怖い病気を思い浮かべてしまい、駆け込みたくなるんだよね、救急病院に。今回、救急病院も、近所の小児科も全然あてにならなかった。しかもスジョックがいったいどんなものなのか、日本語訳ができないのでいまいちピンとこない。昨日、とおりすがりのアジュンマが裕の発疹のことを聞いてきたので「スジョックだ」と言ったら、「ああ、最近はやってるのよね。」と言っていた。みなさん、最近はやってるらしいので、気をつけてくださいねー。
2006.06.16
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月曜日の朝一で病院へ行った私。注射と薬でけっこう元気になり、昼は遼の文化センター講座と裕の皮膚科へいき、夜は上のシヌイ一家も一緒にシデクで日本-オーストラリア戦を観戦。正直、サッカーなんて見ないでさっさと寝たかったんだけど、「日本が出てるのに、応援しなくちゃ!」とシヌイのダンナさん(遼が大好きなコモブ)に思いっきりすすめられ、テレビの前へ。 当然のことながらシデクのみなさまが応援してるのは、ヒディング監督率いるオーストラリア。日本の先制ゴールも「ありゃ反則だ。」と不満げで、ラストに次々ゴールが入ったときには「やっぱヒディングにはなにかがある!」とか「日本の選手は体力がないなー」とかいいながらとってもうれしそう。このときひそかに(明日の韓国戦、韓国負けてしまえ!!)と思いつつ苦笑いの私。今日は店を休んでいたダンナも一緒にいたんだけど、ダンナまでもがオーストラリアを応援していた。 そんなこんなでサッカーも終わり、片づけを終え、やれやれ寝ようかなと思ったんだけれどなかなか寝つけずにいたら裕がすごい声で泣き出した。触ってみるとまた頭がすごく熱い!熱を測るとまた39度。この間近くの病院で見てもらったとき、また熱があがって具合悪くなったら大きい病院へ行ってくださいといわれていた。とても心配になり夜中の3時に遼も行ったことのあるソウル駅前の小児科専門の病院へダンナと行くことに。よく寝ている遼はシデクに置いて。結局「かぜっぽいから、薬を飲ませ、ぬるま湯で体を拭いて熱がさがったら帰っていい」とのこと。そして体を拭いている間におしっこを採り、尿検査も済ませて明け方うちへ。 と、今度は遼がわたしたちがいないもんだから大泣きして探し回ってるというのでシデクヘ行き、遼と遊んだり、裕の様子を見たり、ほぼ一睡もできずに一日が過ぎていった。夕方には私の薬が切れたので、病院へ行き、薬とまた注射。そうこうしているうちに夜に。裕の熱はあがったり下がったりでとても苦しそう。38度を超え始めたので、意味がないと思いながらもまた救急病院へ行ったほうが…と思い始める。 でも今日はワールドカップの韓国戦がある日。そのためかダンナは小学校の同窓会を店でやるらしいし、上のシヌイのダンナさん(コモブ)もサッカー観戦のためどこかへ出かけており車を運転する人がいない。しかも、外は「テーハンミングッ」と騒いでる人波でたぶんタクシーで行っても道が混んで渋滞しそう。 なので、病院へは行かずにうちで、オムツだけにしてぬるま湯で体を拭いたり薬を飲ませたり。ホント、この日ほどワールドカップなんて、やめてしまえー!韓国戦、さっさと負けて終わらせてしまえー!そして、みんなおとなしくさっさとうちへ帰れー!と思ったことはなかった。 遼はシプモとリビングにいて、私と裕はシデクの寝室で、遼が入って邪魔しないようにシプモが注意してくれていた。寝室にはテレビはないんだけど、リビングからは中継の声が聞こえ、外からもみんなが応援している声が聞こえる。シプモも遼に「テーハンミングッ」をやらせたり、途中でちょっとシデクに寄ったらしい下のシヌイとも応援の仕方を習っていたみたい。テレビで試合を見てなくても今点を入れたとか、今試合が終わって韓国が勝ったとかそういうことは外の歓声で全部わかった。試合とともに裕の熱はだんだん下がっていって夜中には平熱に。これでやっと寝られる!と思ったら、今度は外がうるさくて寝られやしない。遼も寝てたのに起きちゃったみたいで、シアボジが外で大変そうだったので、裕も寝たし、連れてきて一緒になんとか寝かしつけた。 私ワールドカップはもういいや。早く終わってほしい。日本、勝てそうにないし、この韓国の熱気、おもしろいっちゃおもしろいけど、ここに暮らしている私にとってはいろいろ不便になるだけ。今回みたいに子供が急に具合悪くなったりしたとき、赤いアクマに全部道をふさがれたり、バスの上に乗られたりしたらたまんないわ。 しかも、今日ニュース見てたら、応援していてけがしたりして救急車で運ばれた人がかなりいるとか。本当に重病ではやく病院へ行かなきゃならない人が、この赤いアクマのために病院へ行けなかったりそんなことが起こったらどうするんだろう。あー、もう早く終わってワールドカップ!
2006.06.15
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金曜日は遼が39度、土曜日は裕が39度、そしてきのうからは私が40度をこす熱が。遼と裕は解熱剤とシロップでわりとあっさり熱も下がり元気になったんだけど、最後にうつった私が一番ひどく、注射と抗生物質の入った薬まで出され、1週間は授乳できなくなってしまいました。昨日は日曜日だったため病院へいけず、今日朝1番で病院へ行き、今はこの注射と薬のためすこしボーっとしてるけど、寒気がしたり全身痛かったりしたのはなくなりました。 風邪だと思うんだけど、いやーまいりました。みなさんも気をつけてくださいね。
2006.06.12
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この一週間、いろいろと予定が立て込んでバタバタしてました。週末は下のシヌイ一家が泊まりにきたり、甥っ子が泊まりにきたりであわただしかったし、姪っ子が私を映画に連れてってくれたり、週3回の文化センターでの講座とKBSの撮影(ちょこっと顔が出るぐらいですが、拘束時間が5時間ぐらいだったのでけっこう疲れました)、その合間に遼が熱出して救急病院へ行ったり、毎日シデクとうちを行ったりきたりでホントいろいろありました。 下のシヌイ一家が泊まりに来た日から遼の寝る時間がまたくるってしまい、今日やっとまた9時に寝る生活に。「今日はみんないるから早く寝かせなくてもいいじゃない!」「今日は甥っ子がいるから、シヌイ一家がいるから、遼の体調が悪いから…うちへ帰らずここに泊まりなさい!」という声に負けず、ちゃんと自分のうちへ帰り、規則正しい生活を送らせたいんだけどなかなかそれができなくて。 遼の生活リズムが崩れると、私の生活リズムももちろん崩れ、うちへもちょこちょこ用事を済ますためにだけしか帰れないため、いつもせかされているようで疲れがたまり、それがストレスになってダンナに八つ当たり。と、ダンナが不機嫌になって、シデクとの関係もなんだかあやしくなっていく…。これがいつものパターンなんだけど、最近シオモ二との意思疎通がかなりスムーズにできるようになったおかげで、直接私の気持ちをシオモニに伝え、受け入れてもらえるようになったのでだいぶ楽になった気がする。遼が食べられるおかず、辛くなくしょっぱすぎないおかずを食べさせたい。夜は8時過ぎには自分のうちに帰って9時には寝かせて、朝早くおきて朝ごはんを食べさせ、お昼ごろシデクに行くようにしたい。この2つの願いがちゃんと聞き入れられたので、一安心。今日はわかめスープと韓国のおでんをシオモニが作ってくれ、それにコーンとソーセージをバターで炒めたものを加えて晩ご飯に。シアボジが「オクススなんて栄養にもならないのに…」とブツブツ言うのをシオモ二が「今の人たちはこういうのも食べるのよ!」とさえぎってくれ、しかも遼がぱくぱく食べてくれたので、ありがたかった。 ダンナといるよりシデクの人々と一緒にいるほうが断然長い!という生活を始めて、あぁいてくれてよかったな。と思うときのほうが多いんだけど、疲れてくるとメンドクサイ!ちょっと離れて暮らしたい!と思ってしまう。で、そのイライラをダンナにぶつけてけんかになることが多い。シプモもシヌイも、姪っ子までが私の心配をしてくれ、遼や裕を心からすごくすごくかわいがってくれている今、それをすごくありがたいと思っているんだけど、その反面、なんだかいつも干渉されて、縛られているような気がしたり、遼や裕と楽しく遊んでるシプモを見て、うちの両親にも今の遼や裕を見せてあげたいのに…と思ったり。なかなか気持ちが安定しない一週間だった。 シオモニもシアボジも私が疲れないようにいつも気づかってくれている。シオモニはごはんも後片付けも全部「気にするな。私がやるから。」と言ってくれるし、シアボジは遼を連れていつも散歩に行ってくれ、その間私は裕におっぱいをあげながら横になっていられる。そしてシオモニはいつも心をオープンにして、私にいろいろな話をしてくれる。子供の頃の話。子供を育てながら感じたこと。今の心配事など。シアボジももともと無口な人だけど、私には時々笑いながら話しかけてくれる。そして、遼や裕と遊んでいるときのシアボジは声を上げて笑ったりして、今まで見たことないような楽しそうな顔をしていて、そんなときは近くに引っ越してよかったな、と思う。 遼もハラボジハルモニはもちろん、大好きなヌナたちやコモ、コモブにしょっちゅう会えて嬉しそうだし、遼が夜高熱を出した時も平日だったのに、コモとコモブがすっ飛んできてくれ、ソウル駅近くの小児科専門の病院まで車で連れて行ってくれ、遼の熱が下がるまで冷やしたタオルでずっと体を拭いてくれた。 なのに、それなのに、じぶんちでダンナと遼と裕と4人だけで気兼ねなく暮らしたいーとか、時々すごーく思ってしまう。これってやっぱ私の心が狭いんだろうか。シデクの人々と一緒にいながら、一緒に話しながら、今いろんなことを学んでるなぁと思うときがある。でも、時々疲れてしまうんだよね。そうすると愚痴も出て、韓国の生活自体がいやになったりして、だんなに八つ当たりしてしまう。私の人間ができてないからすぐ八つ当たりしちゃうのかなぁ。 今日はダラダラと今思ってることを書いちゃいました。
2006.06.09
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…でいいんだろうか。最近、これやってなかったような。しかも何ヶ月だかすっかり忘れてた。とにかく最近の遼は…。まともに食べてないのでだんだんやせてきてます。しかも背も伸びてるみたいで日本ではいてたズボン、ほとんど短くなっちゃった。そして、今の遼ホントにアクマ。何でも自分でやりたがるのはいいんだけど、ちょっとでも手を出そうとすると、その手をたたいたり、大きな声で威嚇したり、にらんだり。この間シオモニ、遼にビンタされてた。 気に入らないと何でもいやいや。シデクの人たちみんな一番よく知ってる日本語は「やだ!」そして、機嫌が悪いと私を一番に攻撃。たたいたり髪引っ張ったり。そんなときの遼はホント憎たらしいよ。やっぱ私がでかい声で怒ったり、時々足やお尻をたたいたりしたのがいけなかったのかなぁ。なんだかどんどんわがままになってます。 一番成長したなと感じるのは韓国語。3月末に日本から戻ったとき、話せた韓国語はアッパ、カジャ(行こう)、カッカ(お菓子)ぐらいだったのに、今はシデクのみんなの呼び方も全部言えるし、アンデ、ハジマ、イロナ、とかの動詞も使え、みんなが話しているのをまねするようになった。歌も「コムセマリ」とか完璧に歌えるし、最近は「テーハンミングッ」とか楽しそうにやってる。あと「タラワー」ってやつ(今流行ってるらしい)もヌナたちと楽しそうにフリつけてやってる。 他には「きらきら星」を英語、日本語、韓国語の3バージョンで歌えるようになったり、ビートルズの「イエローサブマリン」を歌えるようになったり。とにかく歌が大好き。あとはノリト。散歩。 ちょっとお兄ちゃんらしくなったかな…と思うのは、裕が泣いたらすぐ「泣いちゃった!」とあやしに行ったり、裕が自分の爪で顔を引っかいて血を出しちゃったとき、すぐにティッシュで拭いてあげようとしたり、「裕ちゃん、痛い?」と心配そうにしたりするとき。そのわりに、相変わらず上にのって遊んだり、足の指かんだりして、裕を泣かせるときも多いんだけどね。その後私が怒ると「裕ちゃんごめんねー」とかいったりしてる。 このところずーっと続いてるのは「痛いの痛いの飛んでけー!!」日本にいたときからよくやってたんだけど、最近は「遼ちゃん、ここ痛い。」ってすごく痛そうな悲しそうな顔して、私が「痛いの痛いの飛んでけー!!」をやってあげると「飛んでった!!」笑顔になるってパターンを繰り返してる。 いっつもあちこちで飛んだりはねたりしてるせいか、生傷が絶えない遼。ほそっこい足はあざやかすり傷でいっぱいに。もう赤ちゃんだった面影はすっかり消えて、男の子になっちゃった。
2006.06.08
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今日は特に何の予定もなかったので、朝8時ごろ遼にビスケットと牛乳で朝ごはんにし、12時ごろカレーを作ってシデクヘ持っていった。でも、遼は結局ちょっとしか食べなかった(涙)。 最近ほぼ毎日お昼寝なしか30分ぐらいちょっと寝るぐらいで、夜は9時に寝てくれる遼。裕も同じぐらいに寝てくれ、ほとんど起きないで朝まで寝ていてくれるので(明け方ちょっとおっぱいを飲ませるぐらいで、まとめて寝てくれる)、夜はとってものんびりできている。で、昨日はつい調子に乗って、ダンナと二人チキンをペダルして明け方4時までパソコンで映画を見てしまった。 それはとても楽しかったのだけど、思いっきり寝不足。今日はとても暑くて、ハラボジも暑くてノリトへは連れて行けないというし、私は洗濯がしたかったので、3時前ぐらいにうちに戻ることにした。で、そのままずっと遼と裕と3人でうちにいようかな、となんとなく思った。別に理由はないんだけど、暑いし、本当になんとなく。それでシデクからの電話で、「こっちにいつくるの?」と聞かれ、「今日はずっとうちにいます。」と言ったけど、結局3人でうちにいる時間は少なかった。 洗濯した後、寝不足でとっても眠かったので、6時ぐらいに超簡単な晩ご飯(たらこスパゲティ)を済ませ、片付けもほとんどせずに遼と裕とごろごろしてたら、いきなりドアをたたく音が。昨日のこひつじ会で泥棒の話も出ていたし、ドアあけるのやめようと思ってたんだけど、玄関まで行ってみると、上のシヌイの声が。いきなり、アポなしでのおうち訪問だった。ドアを開けるとずんずんと奥へ入り、遼と裕を抱っこ。「このうち湿気がすごそうね。」とか、話してる。そうそう、これ韓国ではふつーなんだよね。ふらっと立ち寄るの。そうこうしているうちにシオモ二から電話。「今シアボジが遼を連れにそっちにいくから」とのこと。そして、10分ぐらいでシアボジ登場。うちのドアの前が汚いから掃除しなさい。と言い残し、遼を連れて行ってしまった。しばらくしてシヌイ&姪っこも帰っていった。 シプモ&シヌイどちらも、こんなところに子供と3人だけでいたら遼も退屈だし、タプタプへ~(これ日本語でなかなかニュアンスを伝えにくい)なぜ、ここにいるの?って感じだったんだけど、でもこれ、わたしのうちなのよ~。シヌイも一緒に選んだじゃないの~。たまにはうちで3人でのんびりしたいのよ~(ま、遼がいたらのんびりできないけどね)。なんとなく、1日うちにいた。これができない今の状況。みんなが心配してくれたり、世話してくれてありがたいといえばありがたいんだけどね。でもたまには誰にも干渉されずに気ままに暮らしたいよ。 ところで、この引っ越したおうち、半地下だからかけっこう涼しい。いつも家の中がひんやりした感じ。それはそれでよかったんだけど、こまったことにとーっても虫が多い。しかも今日は暑かったせいか蚊がいっぱい。どうしてこんなに多いんだろう…と思ってよく見たら、玄関とこに大きなすきまが。天井から10センチぐらいのところまで、けっこうな隙間がある。ここから虫たちが入ってくるみたい。すぐこの隙間をふさいでもらわなくては。。。今のところ私ばっかり蚊にさされてるみたいなんだけど、裕と遼のためにも一日も早く蚊に悩まされない生活がしたいわ。 日本のお友達にアロマの虫除けスプレーの作り方を聞いたので、つくってみようかな。蚊にはレモングラスがいいそうです。。
2006.06.02
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今日も遼が9時に寝てくれたので、のんびり。朝からいろいろ忙しい一日でした。まずは、蚕室ロッテの文化センターの講座へ。今日の講座はちょっとお勉強チックなやつ。数を数えたり、歌を歌ったり、クラシック音楽を聴いたり、世界の国旗をカードで見たり。この講座、この夏学期からと言うことで50%割引だったので受けることにしたのだ。あと、先生が若くてきれいなので遼が気に入ったらしく、体験講座のとき、ほかの子達はぎゃーぎゃー泣いたり外に出たがったりしてるのに、じーっとおとなしく先生のほうを見ていて、積極的に参加してたので、受けることに決めた。 講座の後は、こひつじ会へ。遼と同じ歳のみみちゃんやサンウくんも参加している集まりなので、裕をシデクに預け、遼を連れて行くつもりだったのだけど、シオモニに遼はハラボジが見てられるけど裕は無理といわれてしまった。裕はおっぱいで育てているけれど粉ミルクも大丈夫だし、上のシヌイはよく裕を見てくれていたので今日もお願いできるんじゃないかと思っていた。ところが、シオモ二とシヌイのけんかがどうやら昨日からひき続いているらしく、結局裕を連れて行くことに。 初めてのこひつじ会。初めはちょっと緊張したけれど、みんな同じように韓国で家庭を持った人たちで、話をしていてとても参考になった。特にこのところシデクの人以外と話す機会がほとんどなかったので、久しぶりに日本語で会話ができてホッとした。帰りはサンウくんのママと一緒にミミちゃんのママに車で途中まで送ってもらったので、楽にうち(シデク)まで帰れた。 シデクに着き、すぐうちに帰るわけにも行かず、晩ご飯。シデクでのご飯はだいたい決まっていて、キムチが何種類かとそれにテンジャンチゲとかそういうもの。他におかずはない。遼はアミの塩辛とにんにくの茎のしょうゆ漬けみたいなものを毎回自分から冷蔵庫を開けて持ってきて、それでご飯を食べている。それに時々のりとキムチが加わる。こんなご飯が引越してからもうずっと続いている。日本にいたときは栄養のバランスを考え、プレートに何種類かおかずをのせ、小さいスプーンとフォークでちゃんと自分で食べられるようになっていたのに、今はスプーンに、ご飯とアミの塩辛とかのせて私が食べさせている状態。そして、今日はハラボジがご飯に水をかけて食べているのを見て、ハラボジのその水かけご飯に自分のスプーンをつっこんで食べ始めた。私がやめさせようとするとシオモ二に「孫がおじいさんのご飯を食べるんだから汚くないし、気にするな。」と言われてしまった。無理にやめさせようとするとキーキー怒るし、シプモもそのままにしろと言ってくるし、結局そのままに。でも気持ちは複雑だった。それを見て、何かとっても悲しくなってしまった。まともなおかずを食べてない上に、水かけご飯。しかもハラボジのご飯にスプーンをつっこんで。私の食欲はすっかりなくなり、このままこの食生活が続いたらやばいと思い、シアボジが唯一食べてくれる日本食、カレーを明日はうちで作って持っていくことにした。引っ越してからほとんどのご飯をシデクで食べている私たち。まず、食事の時間があまりにもバラバラでびっくりした。朝は10時とか11時に朝ごはん。昼ごはんらしき食事は4時とか5時。で、9時~10時ごろ晩ご飯。これじゃだめだと思い、とにかく遼を早く寝かせて早く起こし、文化センターの講座もなるべく朝早いのにして、とりあえず朝は自分らでパンとか買って食べさせます。と言い、朝ごはんは9時ごろ食べさせるようにした。でもシプモは食べないので11時ごろシプモにとっての朝ごはん&私たちの昼ごはんを食べることになった。そして、5時ごろちょこっとおやつを食べさせて、7時か8時ごろに晩ご飯にしてもらい、ご飯の後遼を早く寝かしつけるためにうちへ帰ることにした。そうでないとシオモ二は夜の間ずーっとテレビをつけているので、遼が部屋で寝ようとしてもその音で起きて部屋から出て行ってしまうので。ああ、新村で気ままに暮らしていた頃が遠い昔のようだわ。そんな中あいかわらず気ままに暮らしているのはダンナだけ。新村にいた時は遼や裕の世話もよくしてくれていたのに、今はシプモやシヌイにまかせっきり。今日はこひつじ会のところまで車で送ってくれたし、講座のある日はロッテまで送り迎えしてくれるし、そういうのだけでもありがたいと思うしかないのかな。
2006.06.01
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今日はシデクではなく引越ししたおうちにいます。遼も裕も寝てくれたし、ちょっとのんびり。昨日の夜はダンナが友達のうちに泊まったため、私たちはシデク泊まりだったので、今日一日もほとんどシデクに。いろいろ忙しい一日でした。 昨日7時半に寝た私たち。おかげで朝8時には遼も裕もお目覚め。朝ごはんをパンで済ませ、遼はハラボジとノリトヘ。あっという間に帰ってきたな、と思ったら上のシヌイが姪を連れてうちへ。今日は選挙の日で学校はお休みみたい。 で、みんなで11時ごろまたご飯。シヌイたちはご飯を食べて、裕も連れてうちへと帰っていった。裕をお風呂に入れて、髪も切ってくれるという。それと引き換えに今度はアジュボニム一家がうちへ。遼は甥のドンヨがきて大喜び。「ヒョン~」とあとをくっついてまわってた。で、ノリトで遊んだりしたあと、体を洗って、アジュボニムの車で蚕室のロッテまで送ってもらった。 実は今日はロッテにある文化センターで体験講座を受ける日。1時20分から40分間、「ジャンプアイ」というお母さんと子供が音楽にあわせて踊ったり、いろいろ体を動かして遊ぶやつを受けた。体験講座なので3000ウォンで一度だけ。 遼は最初はちょっと固まってたけど、すぐ慣れて楽しそうに遊んでた。本講座はもういっぱいで締め切られてしまってたんだけど、土曜日にやるお父さんも参加する講座は空いてたので、それを登録することに。 その後、上のシヌイが姪と裕をつれてロッテの下にあるロッテリアで待っていてくれたのでそこへ。お坊さんみたいに頭がつるつるになった裕。裕は坊主がよく似合う。ロッテリアでハンバーガーを食べて、地下のお店をぶらぶら見てまわる。地下街は明日から来年の冬まで改装工事をするとのことで、どこも大安売りしていた。ほとんどが1万ウォンと本当に安かった。そんな中、よさそうなサンダルを発見。他も見て回ったけど、最初に見たのが一番よかったので、それを買うことにして、もう一度店へ戻り、アジョッシにこれくださいと店にあったやつを渡す。と、あたしもそれ!と飛びついたおばさんがいた。あっという間にそのサンダルはそのアジュンマのもとへ。しかたなく、同じデザインの色違いを手に取り、またアジョッシに渡す。と、それもあとからこれ!ととびついたアジュンマに取られてしまった。そして、もうないと言われ、結局買えなかった。アジョッシの近くにずっとくっついて、誰かの手にわたらないように見てなきゃいけなかったのかな。がっくり。 その後、シデクに戻った私たち。5時ごろ晩御飯を食べ、遼がノリトに行きたがるのでうちの前のノリトヘ行く。そこでしばらく遊んでいたら、いきなりサッカーしている6、7歳の男の子たちがわーっと走ってきて、遼に思いっきりぶつかった。遼は地面にたたきつけられ、大泣き。しかも唇がはれて歯ぐきから血が出ている。ぶつかった男の子はあやまりもせず、そのまままた走っていった。それを見て、すっごく頭に来てその男の子のところまで遼を抱いていき、「あんたがやったんでしょ。小さい子もいるんだからここでサッカーはやめて。」と怒る。でも頭がカーッとなっていて韓国語がちゃんと出てこない。遼はずっと泣いてるし、血は出てるし、その子はあやまりもせず一緒にサッカーしていた子やたぶんその集団の誰かの親であろう人もノリトから離れようとしてるし、本当に頭に来た。で、携帯でシオモ二に電話。そうこうしているうちにそのサッカーしていた子達のお母さんらしき人が一人、遼の状態を見に来た。これなら薬を塗れば大丈夫だから、と言う。でも頭も打ったし、唇もはれてるし、すごく心配な私。そうこうしているうちにシアボジが来て、「これなら大丈夫。帰ろう。」というのでうちに帰ることにした。でも、痛そうにしている遼を見て、シデクについた後薬を塗りながら泣いてしまった。 このノリト、シデクの前にあって、便利だし新しくなったばかりでいいことはいいのだが、あまり行きたくない。なぜかというと子供たちの数がすごく多い。しかも遼より大きい子達がとても多い。そしてこの子達、ほんとに行儀が悪い。遼がうちから持ってきた車、勝手に乗り回すし、遼が乗っているのにどかそうとしたり、こわれるからやめろと何度も言っているのに1人乗りの車なのに3人とかで乗ろうとするし、今回みたいにぶつかってもあやまろうともしない。こんな中で遊ばせるのは本当にやだ!と思うんだけど、遼は行きたがるんだよねぇ。はぁ~。 思わず泣いてしまった私にダンナが遼ぐらいのころけがした時のことを話しながら「子供を育てていればよくあることなんだから泣かないで。」と私をなぐさめてくれたシオモニ。この時ばかりはいてくれてよかったなぁ。と思ったのでした。
2006.05.31
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ハードな日々が続いております。結局はほとんど同居状態で、昨日の晩引っ越して初めて(!)引越し先のうちに泊まりました。「ほとんど同居生活」も大変だけど、引越し先のうちもこれまた大変で。…というのも、今度のおうち、今までに住んだうちの中で一番ボロいのです。 最近まで住んでいたおうちは新村でチョンセ9500万ウォン。新築2階のヴィラでした。今度のおうちは蚕室でチョンセ3500万ウォン。江北より江南のほうが地価も高いのに、今まで住んでたうちの約3分の1のお値段のおうち。これでボロくないわけがないよね。もちろんアパートじゃなく、昔の半地下のおうち。 なぜそのようなおうちに急遽引っ越すことになったかというと…。今、円がとても安くなっていてお買い得だから!どうやらウォンを円に換えるなら今が換えどきらしいのです。ではなぜウォンを円に換えるのかというと…。私たちは結婚前に約束をしました。結婚後5年間は韓国に住んで、その後は日本に住むと。2001年に結婚した私たち。今年はその約束を果たす年なのです。で、来年の春ごろまでには店をたたみ、日本に行く予定。ただこの予定というのもはっきり決まっているわけじゃないからいつどうなるかわからないんだけど、一応そんな予定もあるし、住んでいるうちの契約期間も過ぎたし、残り少ない期間をシデクの近くで、なるべく安い物件を探して引越し、差額分を日本円に両替してしまおうということになったのでした。 これ、ほとんどダンナ&シオモ二が考え、あっという間に引越しが決まっちゃったのよね。引越し先のうちは私とダンナ&上のシヌイが見て決めたんだけど、本当にボロい。いくつか6500万ウォン台のおうちも見たんだけど、他のおうちと比べてよかった点は3つ。ま、第1は安い!第2は、改装したばかりで、誰も住んでいない状態のため、壁紙、シンク台、シャワーが新しかったこと。他の6500万ウォン台のおうちは、どこも今人が住んでいる状態だったので、壁紙がすごく汚なかったり、家のにおいがかなり気になったのでした。そして3つ目は物置があること。韓国で押入れや物置があるうちってほとんどないんだけど、なぜかこのうち細長い物置が部屋と部屋の間にある。そこに使わないものは何でも入れられるのでとっても便利。 いいところはその3つかな。反対に問題点はたっくさん。まずは狭い!台所&トイレが恐ろしく狭い。しかもリビングはなく、冷蔵庫と洗濯機を入れたらあとは人が一人通れるだけのような通路があるだけ。部屋は大きい部屋も小さい部屋もけっこう広いんだけどね。トイレに洗面台はないし、みんな裸電球だし、ドアはちゃんと閉まらないし、かなりサバイバルなくらしになってます。
2006.05.30
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引越し後、バタバタしている間にあっという間に裕、4ヶ月です。毎月、26日の生まれた時刻にビデオ撮ろうと思ってたのに、早くも4ヶ月目で挫折。すっかり忘れてました。 裕は7.4キロになり、寝返りも打ち、すくすくと育っています。夜9時~10時ごろには眠くなり、ちょっとぐずったら布団の上に寝かせおっぱいをあげるとすぐ寝てくれます。そして一度寝たらだいたい朝までグッスリ。もちろん、途中で1、2回泣いておっぱいあげるんだけど、半分寝ぼけながら添い乳すればまたすぐ寝てくれるとーってもいい子。しかもおなかすいたとき以外はほとんど泣かず、みんながあやすとニコニコ笑い、ホントに育てやすい。体つきも遼よりがっしりしていて、みんなからきっと大きくなったら遼が負かされちゃうと言われています。 そして、最近左目だけ二重になった裕。だんだん目が大きくなってきて、ますますかわいくなってきました。内輪では遼はかわいいタイプ。そして裕はかっこいいタイプだね♪と言ってます。(思いっきり親ばか) そんな裕ですが、最近面白かったのは裕が泣き出すと遼がTシャツをめくって「裕ちゃんおっぱいー!」と自分のおっぱいを出して飲ませようとすること。ビデオに撮りたかったけど、タイミングが合わずなかなか撮れません。裕も遼と顔を合わせると笑うようになったし、遼も裕をあやそうとしたりして、兄弟愛が芽生えてる感じ。このまま仲のよい兄弟になってほしいなぁ。
2006.05.26
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今ちょうど2人ともお昼寝してくれたので、床掃除はあとまわしにしてちょっと休憩。 今日は家族4人でこのうちでのんびりできる最後の日だったんだけど、午前中はちょっと険悪モードに。だって、ダンナ昨日帰ってきたの夜中3時だよー。「12時ごろ店が終わって、1時間ほどPCバンでゲームしてくる。鍵あけといてね。」と言い残し、うちを出ただんな。今メインのパソコンが壊れてしまって(これは私が日本から持ってきたノートパソコンで書いている)ゲームが出来ないのだ。鍵持って出なかったしすぐ帰ってくるだろうと思ってたのに午前3時過ぎに帰ってきた。しかも3時半ごろダンナの携帯に車をどかしてくれという電話がきたりして、そうこうしてるうちに裕が起きて泣き、遼も寝ながら泣き、そんなこんなでろくに寝られず、思いっきり不機嫌な私。昨日ろくに部屋の片づけができなかったので、ボーっとした頭で片づけを始める。 せめてあと1週間引越しがのびてれば、こんなにあわてていろいろしなくてすむのに。 次に来る人は22日引越しの予定なのに、なんで私らは18日に引っ越さなければならないの?! しかもなんであしたシプモを迎えて一緒に引越ししなければならないの? わたしがいない間、せめてくーのトイレ掃除ぐらいしてくれてもいいのに。 浴槽の湯垢だって、お風呂入った後ちょっとシャワーで流しといてくれればいいのに。 コドモもいなくて何日もこのうちで夕方までのんびりできてたんだから、部屋の掃除ぐらいちょっとはしてくれよ。 寝不足でイライラしてるのもあって、ダンナにぶつけたい文句が次々出てくる。そうなるとぶつけずにはいられず、結局またケンカっぽくなってしまった。 引越しが18日になったのって結局引っ越してくる人の都合らしい。そして、シプモが明日来るのは引越しのもろもろの手続きをやってもらうかららしい。でも、30過ぎた大人が、しかも妻もコドモもいる人がどうして引越しの手続きをオンマにやってもらわなければならないのか、不思議でならない。ダンナいわく、韓国では引越しの手続きがいろいろ面倒で、自分はよくわからないしオンマにやってもらったほうがうまくいくから。だそうだ。しかし、いくら面倒だとはいえ、自分たちが住んだ家。後始末も自分たちできっちりするのが大人ってもんだろうと思う。で、そういったら、てぐりょーみたいに兄弟も親戚もないような人は自分でやるしかないからわからないんだ。だって。あたしゃたしかに兄弟はいないし親戚づきあいもないけど、それ今関係ないじゃん。それに親はいるけど、日本で1人暮らしのために引越しした時、その後実家に戻った時、台湾行った時韓国行った時、手続きは全部自分でやったよ。それ、あたりまえじゃない? それにもし韓国の女性と結婚してたら、そういうことは全部奥さんがやることなのに、てぐりょーができないから。という。それをいわれちゃあ、返す言葉もないけど、でもなんかヘンだっておもう。 結婚式の時も店の契約の時も、なにか大事があるときはすぐにオンマに頼るんだよね。オンマに任せとけば大丈夫だから。とかいっちゃって。これって、うちのダンナだけなんだろうか。 うちのダンナ、曲がりなりにも1人で日本へ行き、日本語を勉強して大学も卒業し、日本でちゃんとバイトしながら1人暮らしができていたのに、なんで韓国ではこうなっちゃうんだろう。日本では何度も引越ししてたし、バイトもいくつもやりながら学校の勉強もして、けっこう頼もしかったんだけどなぁ。 もしここが日本なら、引越しの日にちも、手続きも私が動いて何でもできる。でもここではダンナ、シデクの行動に合わせて動かなきゃならない。それがもどかしい。 みんなに手伝ってもらったりしながらごちゃごちゃ暮らすのもおもしろいと思う。それは韓国に来て確かに感じたこと。でも、日本にいたときのようにいろんなことを自分で決めて自分で動かしていきたい!って時たますごく思う。ま、日本にいた時って言えば結婚前だし、その点でも違うから仕方ないんだけどね。
2006.05.16
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あっという間に5月も半ばを過ぎてしまいました。またまた久しぶりの更新。ちっともパソコンに触れない毎日。パソコンどころか、自宅で休む時間もない(涙) 5月に入ってからのスケジュールを振り返ってみると。。。1日 シデク。2日 エバーランドへ。3日 ボラメ公園で久しぶりに在韓日本人ママ&こどもたちと会い、ピクニック。4日 またシデク 裕のペギル、オリニナル、オボイナルとイベントが続くので、 シデクにしばらく泊まることに。5日 裕のペギル & オリニナル(こどもの日)ってことでシデクにみんな集まる6日 なにをしたか覚えてないけどとにかくシデクにいた。7日 シデクのみなさまでなぜか突然ドライブ & どっかの川近くでご飯を食べる8日 下のシヌイが交通事故にあったためまたまたシデクの皆さんでお見舞い オボイナルってことで(?)そのあと食事&サウナへ9日 やっとおうちに帰る 引越しのため部屋を見に来た人が2組。あっという間に次に入る人が決まる 遼は大好きなコモブのおうちにお泊り10日 遼が泣いているので来い!とのことでまたまたシデクヘ11日 シデク近くで部屋探し→あっという間に引越しする部屋が決まる12日 ダンナの店の都合で店を手伝ってくれる友達をうちに泊めることになり、 私ら親子はシデクにしばらくいることに。シデクで1日過ごす13日 シデク14日 シデク15日 やっとおうちに帰る…というわけで、15日間のうちおうちにいられたのは4日だけ。あとはずーっとシデク泊まり。しかもダンナなしの日がほとんど(涙)久しぶりに結婚当初、同居していた頃のことを思い出してしまった。あの時はつらかった。。。今よりもずっと。。。でも。今も、やっぱり疲れるわ。。。みんな優しいし、こどもの面倒見てくれるし、体もやすまるんだけど。でも。とにかく「あーしろこーしろ」というのがいろいろあるのでね。たとえば、「今オムツ替えなさい」「オムツ替える時はこうしなさい」「今日はこのTシャツにこのズボンを」とか、とにかくひとつひとつ言われるのが、たまらない。今はだいぶ慣れて、何も考えず「ハイハイ」と言われたとおりにしてるけど、遼を産んで帰ってきたばかりのころは、すべて監視されているようで本当にイヤだった。ま、今では監視してるわけではなく、単に親切心というか不慣れな新米ママをなんとかしたい!って気持ちなんだとはわかったけどね。「~しなさい」ってことで一番多いのは服関係。結婚当初は「化粧しなさい」とか「今日はそのコートは合わない」とかけっこう私のことを言われてたけど、最近はもっぱら子供の服。 というのも私が遼に着せている服は日本の保育園のバザーで30円とかで買ってきた服が多く、洗いざらしのスウェット生地のものがほとんど。それがどうもシデクの皆さまには評判が悪い。 で、ときどきシデクの人々がたまらず買ってきてくださり、「遼のために5万ウォンもするシャツとズボンを買ってきた!!」などとオモニムあたりに息巻いて言われることが多い。 買ってきてくださった服はたいてい白やカラフルなシャツ&わりとぴったりしたジーンズなど。遼にきれいな服を買ってきてくださるのはありがたいし、そんな高い服自分らでは買わないのでありがたーくいただく。 でも、そうやっていただいた服、あまり着せないことが多い。私は、子供服ってのは着せやすく脱がせやすく、体を動かしやすくて、いくら汚しても惜しくなく、何度洗濯しても丈夫で、汚れがあまり目立たないものが一番だと思っている。でもシデクの人たちがくださる服や、こっちの子供たちが着ている服を見ると、けっこうお姫さまや王子様みたいな服が多い気がする。そういうのがあまり好きじゃないので、そういうかっこうさせたくないんだけど、きっとキラキラしたカラフルな服がこっちでは人気があるんだろうな。 服関係ではいろいろ細かいのに、けっこうテキトーなのが食べ物。シデクにいる間アイスクリーム、あめなどほとんど毎日のように食べてた。しかも食事の時間も晩ご飯が6時だったり9時だったり、みんな決まった時間に食べないし、人が来ると何時でも食事を出して一緒に食べるから、1日4食食べてたりする。 日本でわりと規則正しくなって身についた早寝早起きの習慣、いただきますをして自分でフォークとスプーンで食べる習慣、夜寝るとき歯をみがいてうがいをして電気を消しておやすみなさいをしてから寝る習慣、全部見事に崩れた。それから何とか続けていたベビーマッサージももうほとんどやっていない(涙) 18日にシデク近くに引っ越すので、そうしたら泊まらなくてすむかな・・・と思っていたんだけど、今度の家には駐車場がないし、シデクに車を止めるからそのままシデクで寝たほうがラクだし、ダンナが夜中に帰ってくるので、明るいうちに(というか一日中?!)シデクに行って、そのまま寝たほうが安全だって話になってきた。これってほぼ同居じゃん。たしかにコドモにとって大家族に囲まれて育つのはいいことだと思うけど。。。シプモの生活を見ていると、遼や裕と一緒にいるときとっても楽しそうだし、2人の生活を楽しむなんてことはなく、こどもたちからの電話やこどもたちが孫を連れて来てくれるのをずっと待っているような生活してるので、なるだけ顔見せてあげたいとは思うけど、でもやっぱ自分のうちがはっきりしないような生活はしんどい。 引越しは18日。明日は1日フリーだけど、あさってはシプモがうちに来る。そして一晩泊まって18日一緒に引越しセンターの車で新しいうちへ行くことになっている。この家にいる最後の一日も、結局シプモと一緒に過ごすことになるわけで、正直最後の一日ぐらい家族4人だけで過ごしたいと思うけど、仕方ない。前はこんなことがあるとダンナに文句言って八つ当たりしてたけど、そうしたところで何も変わらないし、家族4人だけで…って思ってるのは私だけで、遼にとってはハルモニハラボジは大好きな家族になっている。コモ、コモブもそう。遼にとってはたぶんみんな大好きな家族になっているのだ。だから私もなるべくそういう広い心になれるようにしようと思う。
2006.05.15
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