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8月19日(月)車を運転しながら、ラジオで高校野球を聞いていた。すると「ここで、臨時ニュースです。ソビエトのゴルバチョフ大統領が、何者かによって監禁された模様です」「・・・ノストラダムスの予言は、3日遅れで実現した!」この年12月25日、ソビエト社会主義共和国連邦は崩壊した。私が見たクレムリンにたなびくソ連の国旗はもう見られない。
2009年12月08日
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成田空港から京成電鉄「スカイライナー」に乗り、(4530円)上野駅経由で東京駅まで1時間半ほどかかり、13:00に新幹線に乗る。(9170円)新幹線では浜松の「うなぎ弁当」を買うことにしている。(1200円)これは、1987年に中国から帰るとき新幹線でサラリーマンからいただいた「うなぎ弁当」がたまらなくおいしかったからだ。帰ってきたばかりなので、『日本』に飢え、のどが渇いている。ジュース400円(4本)、新幹線から家に電話をする。あっという間に終わる。(120円)新大阪駅から、地下鉄に乗り、(190円)大阪港駅(天保山)に到着。ここでもかき氷150円、ジュース100円を飲む。高速船(4530円)に乗り組んで、徳島に帰ってきた。
2009年12月07日
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10:00ごろ新東京国際空港(現・成田国際空港)に到着。もう、フラフラ~~~。ここで気になったのは、『ゴルバチョフ暗殺』である。すぐに新聞を購入する。(90円)何も起こっていない。「何~だ。ノストラダムスの予言はウソか!・・・1999年地球滅亡もうそかなあ!」
2009年12月07日
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8月16日(金)さらには、マドリッドで知り合った東京の学生とも一緒になる。そして機内に乗り込む。モスクワ時間1:30(日本時間7:30)離陸。朝食がやってきた。その後・・・シベリア頭部から日本海にかけてのことだった。機内が揺れ始めた。すごい、すごい。乱高下しまくり!「あ、あ、あ、また落ちる可能性があるのか???」約1時間近く恐怖の時間だった。寝ることが一切できなかった。
2009年12月07日
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モスクワ14:25(ドイツ時間13:25)に到着。着いてどこに行ったらいいのかわからない。よくわからないまま、パスポートコントロールのところまでやって来た。その係員がかつてないほど嫌らしい。結局、トランジットをするためにはここではなく、「2階に行け!」その、係員は私が持っていた旧東ドイツ兵の帽子にやたらと興味を持っていた。免税店でTシャツとマトリョーシカ人形を買う。(50.49D.M.)時刻は、16:40のときだった。トイレに行くが、薄暗く汚い。何とも言えない・・・。マドリッド初日に夕食をとったときにあった日本人男性に出会う。また、モスクワからマドリッドに行くときに機内で出会っった日本女性にも出会う。珍しいこともあるものだ。
2009年12月03日
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機内での危機はそれだけではなかった。∃ヨヨョョ。+゚(ノД`)゚+。ョョヨヨ∃もうすぐ、モスクワ空港に到着する。が、が、が、が、が~~~飛行機は揺れている。着陸するときに、こんなことはよく経験している。「そのうちに安定して、着陸するのだろう!」と思っていたが・・・揺れながら・・・明らかに、片足(後方のタイヤ1脚で)で着陸し、その状態が続いた!「これは、やばい!・・・このまま、自分の体を安定させるには、非常口(左側)に手を突くことだが、突けば非常口が開くかもしれない!・・・絶対にそうしてはいけない。この肘掛け(右側)をキープしなければならない、この太いおっさんの腕をこじあけてでも自分のものにしよう!」と思った瞬間肘掛けを両手で持っていた。左に傾いたまま前方のタイヤが滑走路に着いた。ここが勝負だ!・・・やった!助かった!死ぬかと思った!もう、ビビリまくりの飛行時間だった。
2009年12月02日
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いよいよ、アエロフロートに機内に乗る。「×#×&$¥+~~~!(怒)」機内は、“汚い、臭い、狭い”!3拍子そろっている!これでも国際便か!!!これは、1988年(昭和63年)8月、エジプト・ルクソールからカイロへ行く飛行機以来のひどさだ。それだけではない。このド暑いときに、冷房が入っていないから汗が出る。まだまだ、ひどい。席の狭さに付け加え、となりのおっさんが太い、太い!(驚)「スラブ民族が年齢を増すとこうなる!」みたいな典型的な体型である。やっと、エンジンがかかり冷房が効いてくる。今度は寒すぎる!ここはシベリアでないぞ!11:00発が11:10になった。離陸は、11:18。滑走路で8分も待つ。管制塔、しっかりしてくれ!この空港は飛行機が飛んでいないのに・・・!し、し、し、しかし、それだけではない。離陸すると・・・冷たい風が上から(エアコンの引き出し)やって来るだけでなく、体の横からも吹いてくる。実は、指定席は非常口の隣だ。「やばい!この非常口に体を預けると、ポ~ンと外に・・・外に、放り出されそうだ!」非常口の周りには露がいっぱい着いている。生きた心地がしない。早く、モスクワに着いてくれ~~~!
2009年12月01日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ【Sバーン(高速鉄道)】というぐらいだから、かなり速く走るのかな!?と思ったが、東ベルリン側のシェーネフェルト空港に1時間もかかった。(遅い)さらに、Sバーンの駅と空港までかなり距離がある。かなり歩いた。また、この空港は、徳島空港よりも小さい。全くにぎわっていない。それだけではない。手荷物検査が長い、長い!(泣)というのも、カバンを開けて、荷物を全部見せなければならない。せっかく苦労してリックサックに入れた荷物を・・・!(怒)しかも、手荷物検査をX線で調べるがベルトコンベヤーではなく、お椀(調理道具のボウル)のようなものに入れて検査をする。さらに!ビデオカメラに関心を持つ検査官。持っていないのだろう。そして、「どんなものを撮影しているか見せろ!」ということで、見せることになる。約20分・・・疲れた。暇な連中だ!(まだまだ残る社会主義方式!)
2009年11月30日
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8月15日(木) なかなか寝つくことができなかった。そのとき、夢を見たのだが、それは・・・我が母校(勤務校でもあるが)の校歌が変わることになった。それを意地でも反対する運動を起こした!というものだった。7:00、起床。朝食をとってホテルを出る。「しまった!パスポートを部屋に置いてきてしまった!」すぐに引き返して、部屋にはいるとあった!よかった!とんでもないことになりそうだった。これは今日のことを予兆させるような不吉な出来事でもあった。(辛)
2009年11月29日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ歩き疲れたので、またまた【オイローパー】前にやって来た。アイスクリーム(2.5D.M.)を食べていると、やっぱり奇妙な連中がいる。そして、画家を目指しているのか!?たくさんの似顔絵を描く人々。夕食には、ステーキ(17.7D.M.)を食べ、ホテルに帰ってゆっくり湯船につかる。さて、明日はベルリンからさようならするので荷物を片付ける。
2009年11月29日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ【フンボルト大学】に行くため、再び『#100』のバスに乗る。バスから見えるブランデンブルク門をよく見ると、東西ドイツの統一を祝した旗がたくさん飾ってあることに改めて気づく。「・・・いけない。行き先が反対方向だ!」すぐにバスを降りて改めてバスに乗り直す。「まあ、時間つぶしでちょうどいいか!」【国立図書館】【ドイツ歴史博物館】、そして【フンボルト大学校門】にやってきた。【オペラ座】【戦没者慰霊碑】【ティア・ガルデンとポツダム通り】と歩き、そして、バスでやって来たのが、(「近くのバス停・・・遠距離バス停かな!?」)【ベルリンフィルハーモーニー劇場】。しかし、閉館していてしかも、管弦楽団という雰囲気をかもしださない建物。本当にそうだろうか!?しかし、地図を見ながら確認する。やっぱり、ここだろう。
2009年11月28日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へいよいよ対岸の『ベルリンの壁』に行ってみる。「これが、東西を分けた“壁”か!」昨日、今日見るより長くあると迫力を感じさせる。『壁』の向こう側にある高台は、東ドイツの監視台か!?2度とこのような歴史を作り出してはいけない。
2009年11月28日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ【ブランデンブルク門】から見える川向こう・・・【ライヒスターク】の横に残っている【ベルリンの壁】・・・。長く残っている。しかし、そこには誰もいない。「行ってみよう!」すると、東ベルリンから西ベルリンへ脱走しようとして失敗した人々の墓がある。年代を見ると、古いものもあれば最近のものもあった。まさに、『歴史上の出来事』を感じさせる。「多くの花」、「(西)ドイツの国旗」、「EC(現在はEU)の旗」が輝かしい。
2009年11月27日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ三度、【ブランデンブルク門】に戻ってきた。昨日も、東ドイツ、ソ連の帽子を買ったが今日は・・・『ベルリンの壁』を購入することにした。いろんな人にお土産として買ったので、『壁』(コンクリート)を10個ほど購入する。(1D.M.×10個)Tシャツを購入しようとしたが、ちょうどよいサイズがなかった。隣の露天商を見ると、Tシャツを売っていたが、1枚40D.M.と高いのでやめることにした。
2009年11月27日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ【ボーデ美術館】(0.2D.M.)は歴史的建築物のように感じられる。入館する。疲労が、眠気を誘う。のどが渇いて、博物館内のことがどうでもいいようになってきた。しかし、ここでがんばって、歩こう!【森鴎外記念館】に行くことにした。博物館というより普通の建物である。2階にはTVがある。オッと!日本のドラマだ。少し視ていると「カンチ!」とか言っている。『東京ラブストーリー』だ! この原作者は徳島県民で、私の知り合いの従兄弟だ。(何の関係もないが)館内に入ってみると、『舞姫』の銅板が飾ってある。森鴎外はここベルリンで、どんな恋愛をしたのだろうか!?(「舞姫」は読んでないのであしからず)
2009年11月26日
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ベルリンの地下鉄(Uバーン)は面白い。戦前において作られたが、その後、東西ベルリンに分裂され、更に『ベルリンの壁』が作られたとき、この地下鉄の駅にも事件が起こった。それは、東ベルリン側の駅のプラットフォームにも『壁』ができて、降りることができない。つまり通過駅になっていた。それが、『ドイツ統一』ということで駅の『プラットフォーム』における壁は、取り除かれ現在は、“ちゃんと”列車も止まるようになった。ここにも、幸せを感じさせる。
2009年11月25日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ【ソクラテス】【アリストテレス】の頭部像も飾ってある。世界中、歩いてみると驚くようなところに歴史的美術品がある。戦争は、植民地政策という面と、文化遺産を略奪(保管)するためでもあるのかと思った。(あまりいい響きはないが)どんどん進んでいくうちに出口に出た。(コーラ2D.M.、トイレ0.3D0M.)【シュプレー川】が静かに流れているが、この右隣のビルの窓から多くの人々が西ベルリンに脱出したことを思えば、この静けさが平和なんだと感じた。
2009年11月25日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ【国立美術館】に入る。(1D.M.)ここは、あまり見応えがないため、15分ほどで出る。【ペルガモン博物館】の方に行くことにした。この辺りは、『東ベルリン』を漂わせる(『西ベルリン』ではないというムードが漂わせる)ところだ。【ペルガモン博物館】(2D.M.)は、日本人が多い。入館していくと・・・ヒトラーが強奪した(!?)ものが飾ってある。どんどん、奥に進んでいくと、何と『バビロニア法典』が飾ってある。(驚)ここは写真を撮ってもよいところなので、何枚も撮る。確かに、【くさび形文字】である。初めて見る。初めて知ったのは、上部の絵柄当たりが文字なのか(?)と思っていたがそうではない。その下部に細かく描かれているのがくさび文字である。【オリエント文明】を感じさせるものが多く展示されている博物館は初めてだ。
2009年11月25日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ【アレキサンダー広場】前にある【聖マリア教会】【ニコライ寺院】【マルクス、エンゲルス像】【ドーム】と回っていく。オペラ座の裏であり、国立美術館前には難民キャンプがある。まだまだ、東西ドイツが統一されたからといって、まだまだ難しい問題があると感じさせる。
2009年11月24日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ【アレキサンダー広場】に到着した。ここは東ベルリンの中心地で、人々の憩いの場でもある。テレビ塔に行くと、『10分後にチケットを販売』と表示してある。(当然、ドイツ語)東西ドイツが統一されても何もかもが、未だに統一されていないと感じる1シーンでもあった。仕方なく、テレビ塔を外から写真撮影することにした。5分後、再びチケット売場に行くと、今度はすごい行列ができていた。結局、10分待ちではなく20分待ちの10:27になってしまった。(5D.M.)テレビ塔から眺める【パノラマ・ストリート】【ウインター・リンデン】【ボーデ博物館】【ペンガモン博物館】、【フンボルト大学】【国際貿易センタービル】など、東西ベルリンは丸見え。トイレに行くと、02.D.M.とられた。このことにも「東ドイツやな!」と感じさせた。1階ロビーにまで降りてくると、ドイツ語、英語のほかにロシア語で「非常口」を表示してある。ここにもまた、『東側』を感じさせる。
2009年11月23日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ9:00,ホテルを出る。【ベルリンチケット(交通機関1日フリーチケット)】(12D.M.)を昨日に続いて購入する。#100バスに乗る。#100バスはベルリン主要部を走るため便利である。バスの外からは【ベルリン動物園】【ベルリンパレス】が見えてくる。
2009年11月23日
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ホテルに戻ると、ホテルには外側と内側外側のキーがあることをここで初めて知る。つまり、外側キーを持っていたが、内側のキーがない。あのメイドの説明がここにきてやっとわかったが、困り果てる。外から見るとホテルの者は皆、帰っているみたいでいない。約5分ほど待っていると、男性客が帰ってきたので一緒にはいることに成功した。明日は必ず内側のキーをもらおう。8月14日(水) 73D.M.=6059円 8:00,朝食をとる。内側のキーをロビーでもらう。気をつけよう!
2009年11月22日
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オイローパーまで歩いていき、アイスクリーム2.5D.M.を食べる。暑く、疲れたときはこれが一番だ。もう時間的には、夜。かといってもまだ明るいが・・・。インフォメーションセンターで、【クーダム劇場】の場所を教えてもらった。その後、夕食をとることにした。ステーキとビールを注文する。(21.6D.M)ビールは飲みやすかった。やはり本場ドイツのビールだ。バスに乗って、劇場に向かう。チケットを購入したが一番安い席(20.8D.M.)のため、見にくい席だ。20:00開演だが、今は19:42。早く劇場内に入ろう。・・・入ると、自分の方にたくさんの視線が突き刺さってくる。「おい、日本人がなぜこんなところにいるんだ?」みたいな視線だった。「ほっとけ!(放っておいてくれ)の意味」と心の中で叫ぶ。内容は何やら、吉本新喜劇のような内容だった。クリーニング店の主人がケニアに旅行する。そこへ金貨を探している(盗もうとする)二人がその留守を預かる。そこへ、女性がやってきてた。さらに、そこにやってきた警察官と女性がからみがあり、(会話)クリーニング店の奥に金貨があることがわかり、二人は金貨を盗もうとする。クリスマス・イヴから大晦日にかけての話しだ。結局、金貨のことについて、警察官は最初から知っていて、「欲しいのは、これかい?」という‘落ち’で終わり。芝居の休憩時はロビーでワインを飲んでいる。ドイツ語での芝居はやはりわからないが、その笑いや雰囲気は充分味わった。
2009年11月22日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ再び、ブランデンブルク門に帰ってくる。ブランデンブルク門周辺には、いろんな物が売られている。『ベルリンの壁』『東ドイツのバッジ』『東ドイツ兵の服や帽子』などである。当事者(東ドイツ人)にとってもう入らない物でも、観光客にとっては記念品になる。東ドイツ兵の帽子20D.M.、ソ連兵の防寒用(毛皮)帽子50D.M.を購入する。これらは未だに家の「My博物館」に陳列されているが、ソ連の防寒用(毛皮)帽子は触ると毛が抜けていくため、そっと置おいておかなければならない。
2009年11月22日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へUバーン(地下鉄)で、【壁博物館】に行く。(7.5D.M.)【チェックポイント・チャーリー】 跡に作られたもので大きな建物ではない。『東ドイツ側が隠れて検閲していたポスト』が外に置いてある。まだ使っているのか?(笑)博物館内に入ってみると、絵画が飾ってある。「これは何だ?」よく見ると、以前ゲートとして使われていた木材。そして、東ドイツ人たちが一斉にパスポートを返上しものを、串刺し状態になっている。赤いパスポートと青いパスポート・・・。意味が違う。これは一般的に身分証明書になっていた。もう忘れてしまったが、一般のパスポートを持っていない者は、食料などの配給にしても充分もらえなかったり、警察官に監視されたりして不自由な生活を送らなければならなかった。これは、近所付き合いの中で、東ドイツ政府批判や亡命計画などをしようとする噂を警察に通報されることにより、パスポートに色が変わる。江戸時代の五人組か!?、戦時中の隣組か!?と思わせる社会だったみたいだ。それ以上の詳しいことは、残念ながら忘れてしまったので、又、本を探して読んでみたい。ここで、同じ場所で壁があったときとないときの違いがわかるポスター、絵はがきを購入する。(21.8D.M.)壁博物館の外にはベルリンの壁の一部が設置してある。
2009年11月21日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へベルリンの壁がなくなることによって、東西ドイツの車が入り乱れている。何より興味深いのは、東側の車である。【トラバント】【ウンター・テン・リンデン】が駐車されている。これらの車は東ドイツ価格(日本の価格にして)300万円。そのような車は東ドイツの人々には到底買えない。そこで、中古車を買うのだが、それでも100万円はする。衛星放送では、同じような価格の車が西側で走っている。しかし、そんなおんぼろ車ではない。ベンツ、BMW、フォルスワーゲンなどスマートな車が走っている。そんな経済格差を知ることにより、東ドイツの人々は、西ドイツに行きたいという気持ちが、大きくわいてくる。それは、当然だろう。車の中を覗いてみると、こんな車は日本にもない。戦後間もないときには、あったかもしれない。しかし、それは時代が違う。【ドイツ再統一】されてから、多くの課題があると言われていた。現在も、あると思われるが、ドイツ人の力はすごいからいい方向に向かっていくだろう。
2009年11月21日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へライヒスターク(旧帝国議会議事堂)】がブランデンブルク門の隣に立つ。向こうに見えるのが、旧東ドイツが建設した【テレビ塔】が見える。ブランデンブルク門周辺は自由の風が吹き通っている。
2009年11月19日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ【ブランデンブルク門】にやって来た。足元を見ると『壁の跡』が続いている。1989年(平成元年)11月10日、このところにあった壁が壊された。まさに歴史上稀に見る出来事を感じる場所である。
2009年11月18日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へバス「#100」に乗り、【戦勝記念塔】に向かう。 “一体、何の戦争に勝ったんだろうか?”と思ってしまったが1864年デンマーク、1866年オーストリア、1871年フランスにに勝った記念ということだそうだが、それを1つにまとめた戦勝記念塔か・・・。ユニークである。それよりも,この戦勝記念塔沿いの大通り、【6月17日通り】がまっすぐ走っている。『壁』によって「6月17日通り」、いやベルリンが東西に分断されていた道路である。「6月17日通り」をそのまま歩いていくことにした。【ブランデンブルク門】が見えてきた。
2009年11月17日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ時刻は13時を過ぎていた。6時間半も列車に乗っていたことになる。近くて遠い国内である。地図を買ってホテルを探す。(8.8D.M.)ちょっと大きすぎたか!?見づらい。「地球の歩き方」に書いてあるホテルは満室のためその前にあるホテルに宿泊する。(130D.M.)ホテルから出て、【オイローパーセンター】のチケットセンターに向かう。【カイザー・ヴィルヘルム教会】に向かう。まるで「広島の原爆ドーム」だ。『1943年11月23日のベルリン大空襲で破壊され、最低限の修復を施した上で崩れたままの姿で保存されている。広島の原爆ドームと同様に、ベルリンの空襲の悲惨さを伝えている(ただし、現在は記念碑扱いで廃墟になっている原爆ドームと異なり、時計台・記念ホールとして現在も使われている)』何とも言い難い廃墟である。ゆっくり見たかったが、この教会の下には、多くの若者がたくさんいるが、『薬』や『大麻』をやっているような姿ばかり。気持ちが悪い。さっさと退いていくことにした。
2009年11月16日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ8月13日(火) 5:00、起床。6:09,いよいよベルリンへ向かう。 チケットをよく見ると、リザベーションが【ベルリンHbf駅】までになっていた。 6:30,列車が出発する。車内で何やら東ドイツの車掌(!?)か警察官(!?)がパスポートコントロールをするためにやってきた。すでに統一されているはずなのに・・・。緊張感があった・・・。無事、パスポートコントロールも終わり間もなく、ベルリンへ到着する。駅構内も社会主主義的雰囲気がある。プラットフォームに何やら駅員がいる。何をする人だろうか?構内放送者?チェック係?難しい判断だ。
2009年11月15日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へケルン駅に着いた。そこでリザベーションしようと思ったができなかった。仕方なく、ケルンで宿泊をする。(114D.M.)【ケルン大聖堂】を見に行く。【ケルン大聖堂】といえば、中3のときの美術の時間を思い出す。版画を作るのに「何を作ろうか?」と困ったときに[ケルン大聖堂]にしようか?と思ったとき、当時の美術の先生が、「こちらの方が思しろい」といいってことを受けて[アフリカ人の様子]にした。未だにその版画はあるが・・・ケルン大聖堂の方がよかったと今でも思っている。見上げるとその高さ。当時、最高峰の建築技術を導入したのではないだろうか。マクドナルドで夕食をとる。(12.6D.M.)もう一度、列車のリザベーションを取りに行く。明日のリザベーションがとれた。(6.0D.M.) ※18.6D.M.=1544.5円
2009年11月14日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ8月12日(月)ジュネーブ駅には7:05着が7:35着となった。ジュネーブ駅についてケルン駅行きのリザベーションをしようとしたが不要だった。「ジュネーブ駅→バーゼル駅→ケルン駅」という具合で今日を過ごすことにした。ジュネーブから出発してバーゼルに行く途中、ひまわり畑が見えた。スペインで見ることを期待していたが、まさかスイスで見るとは思わなかった。
2009年11月13日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ【スペイン村】 に行くと本来なら700ptsだが、学生と思われて500pts ですんだ。ラッキー! 中にはいって昼食をとろうとしたが・・・待たされる、待たされる。パン・ジュース(325pts)を買うのに50分もかかった。今は、15:34。列車に乗る時間が充分にあるので、再び【サグラダ・ファミリア】に行くことにした。【サグラダ・ファミリア】前の公園で昼休みをする。スズメがえさのパンを取り合ってけんかをしている。17:45,サントス駅に行く。18:00、夕食(425pts、710pts)をとり絵はがきを買う。(500pts)列車は、19:40発が実際には19:48発となる。
2009年11月12日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へその隣には、「磯崎新氏」デザインの【サンジョルディ・スポーツ館】の中にも入ってみる。思ったより、小さく感じ入るが、観客が入ればまた違うだろう。特に、男子バレーボール決勝「イタリア-ブラジル」はすばらしい内容だったか5時間もかかり、そのために現在のラリーポイント制の25点マッチというルール改正になったというバレーボールの歴史を変えて会場でもある。野球場はまだ建設されていない。(アイスクリーム75pts)そこで、【カタルーニャ美術館】 は、来年のため修理中・・・入館できなかった。
2009年11月11日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へモンジュイックの丘を戻るように歩いていくと【バルセロナオリンピック・スタジアム】に到着した。スタジアムの中にはいると、思ってより綺麗だった。しかし、同時に小さいようにも思った。スタジアムをぐるっと歩いていくと、ちょうど、メインスタンドのちょうど中央にあるものを発見した。それは・・・鳩の糞であった。真上を見ると鳩が巣を作っている。早く、鳩の巣を取り除いて欲しいと感じた。あの、開会式のとき、弓矢で聖火を点火したのは記憶に新しい。時計台が見えるがそのところに点灯台が隠されているとは思わなかった。
2009年11月10日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ8月11日(日)9:58,ホテルを出るメトロでサンツ駅へ行く。このとき、ひったくりに遭いそうになったが難を免れた。サンツ駅に荷物を預け、(300pts)【モンジョイックの丘】に向かう。「地久の歩き方」にはケーブルカーがあるように表示してあるが見つからない。まず見えてきたのは、来年(1992年)開催されるオリンピックのために建設されているようだ。これはどうやらプールのように思える。そして、入館したのは、【ミロ美術館】(400pts)だった。色遣いといいまさに、「ミロ」だった。更に頂上に向かっていこうとしたらここにケーブルカー(ゴンドラ)が動いていた。「こんなところにあったのか!まあ、いい。とりあえず乗ろう。」(125pts)乗り終わると、そこには【モンジュイック城】が目前にあった。ここは、スペイン王位継承戦争で、ハプスブルグ家のカルロス側にたったバルセロナが、ブルボン家のフェリペが指揮するマドリッド軍の侵攻に対し、ここに要塞を築いたのが始まりらしい。1714年、バルセロナが降伏すると、ここは中央政府軍の駐屯所となった。1960年、フランコのバルセロナ訪問を記念して、ここを軍事博物館とした。入城料は50ptsと安い。
2009年11月09日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ次は、19:00から市庁舎前で始まる踊りを観に行こうとした。しかし、18:58から夕立が降ってきた。市庁舎前に行き、約10分ほど待ったが踊りはないようだ。仕方なくあきらめる。市庁舎、カタルーニャ自治庁をぐるっと回っているとレンタルビデオ店があったので、中を覗いてみる。リセウ広場からカタルーニャ広場に歩く。途中、バーガーキングにより夕食だ。(815pts)ホテルに帰ると荷物かいっぱいでかたずかない。しかし、シャワーを浴び寝てしまう。
2009年11月08日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ【サン・ジョセップ市場】に行ってみる。新鮮な果物をはじめたくさんの商品が飾ってある。その『色』が鮮やかだ!ここで、自分へのお土産(4815pts)、アイスクリーム(175pts)、桃(100pts)、オレンジ(300pts)を購入しホテルに帰る。
2009年11月07日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ【プラネール邸】に行こうとしたが、わからなかったが【ラス・プンジャス集合邸】【音楽博物館】【グエル邸】【カルベール邸】【リェオーモレーラ邸(現「ロエーベ」)】【アドリェール邸】と見渡していく。
2009年11月06日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へメトロで【サグラダ・ファミリア】にやって来た。実物を見ると感動だ!とりあえずは、チケットを購入する。(350pts)当時、CMでやっていたが、確かに完成されていない教会だ。中央部は何もない。全然できていない。当時、日本人建築士外尾悦郎氏が建てていたが、今もやっているのだろうか???エレベータに乗って、教会の上部へと行こうとした。しかし、100ptsもいるので階段で上ることにした。思ったより辛くはなかった。一番上は行き止まりだった。下りてから教会の中をぐるっと回り、再び外をぐるっと回る。新しい教会の部分と新しい教会の部分が対称的だ。
2009年11月05日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ旧サンタ・クルス病院から、サグラダ・ファミリアに行く途中、ビデオテープを撮したテープの上に何と二重に撮していたのが判明した。ショック!セビリア、グラナダが・・・消えた。。。仕方がない。テープには番号をうって、間違えないように必ずチェックしていったのに・・・。撮っていないところからサグラダ・ファミリアをとることにしよう。
2009年11月05日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へランブラス通りをそのまま南に歩いていくと、コロンブスの記念塔にたどり着く。1888年バルセロナ万博を記念して建てられたものだ。そして、その隣には【サンタ・マリア号】が並んでいる。実物だそうだが、とにかくそれを見ることができたということが感激である。(海洋博物館も隣にあるが外観しか見ていない)
2009年11月04日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ14:00、【レイアール広場】にやって来た。市庁舎やカタルーニャ自治州政府庁舎の近くにあり、リセウ劇場にも近い場所にある。ここにには何と言っても、ガウディの【街灯】があり、それを囲うようにシの木があり、噴水があり、ベンチが置かれていた。
2009年11月03日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へここで、とりあえず、ここでホテルに戻ることにした。ランブラス通り沿いのホテルをとったため、大変便利だった。ランブラス通りにはミロのデザインが描かれる歩道本屋花屋などがたくさんある。賑わしい。
2009年11月02日
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スペインのブランド【ロエーベ】でTシャツなどを買う。(77000pts)申し訳ないが【ロエーベ】というブランドなど全く興味はなかった。しかし、同僚が「是非、行って買ってきたら!?」という提案だった。店の中に入って商品を見ても高い・・・。最終的には3点を購入する。当時太り始めたため大きいサイズのTシャツを購入したが、大きすぎた。【ヤンコー】で靴を買う。(9500pts)『タッセルスリッポン』を購入したがこれは日本に帰ってよく履いた。
2009年10月31日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へメトロ(400pts)に乗って、カタルーニャ広場まで行く。グラシア通り沿いの1904年から1906年にかけてに建設された【バトリョ邸】を眺める。続いて、白い石灰岩でできている【ミラ邸】にやって来る。地元の人たちは「石切り場 (ラ・ペドレーラ)」と呼んでいるらしい。また、直線がどこにもない建築そうだ。ミラ氏はこの建物が好きではなかったらしい。先日、TVでやっていたがここは現在、アパートになっていて家賃がとんでもなく安いような内容だった。旧サンタクルス病院を横目にしながらドンドン歩いていく。
2009年10月31日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へシウダデーリャ公園に行く。そこには、【地質学博物館】【動物博物館】【白いゴリラのいる動物園】(700pts)と歩いていく。
2009年10月30日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へ【王宮の大広間】でイザベル女王に謁見を受け、その後 その世紀最大の大嘘つきになってしまう。ここでコロンブスは何を思ったか!? コロンブスもこの王の広場から王宮をこうやって眺めたかもしれない。隣には【バルセロナ市歴史博物館】(250pts)が建っている。そこには、カタルーニャがどうやって地中海に進出し、領土拡大して海洋帝国を築いていたかについて陳列している。
2009年10月28日
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写真はがんバレー"ジャンプくん" へカテドラルの裏側に回ると【アラゴン王国古文書館】そして【王の広場】となっている。この広場は、かってバルセロナ伯爵の館、その後14~15世紀バルセロナを支配したアラゴン王宮の敷地の一部で、英雄コロンブスを迎えた場所。また、同建物内のアラゴン王国古文書館は、15世紀の建造。この階段を【コロンブス】が上ったとき、どんな思いだったのだろうか!?・・・きっと世界征服をしたような気持ちだったのではないだろうか!?
2009年10月26日
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