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タイ・ラオス旅2020年8月 0
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スイス・アルプスは何時間眺めても飽きる事はなかった 旅には、「三つの楽しみがある」と言われている。 旅をする前の計画や準備 旅の途中そのもの 旅の思い出、記憶 この3つ、確かに私が8年前の「ユーラシア大陸横断」旅はそうだった。 前のBlogger(ブロガー)から楽天ブログに移す作業をして、写真を一枚一枚ダウンロードして貼り付けていると、昨日の出来事のように一コマ一コマが蘇ってきた。 不思議と辛い思い出はない。その土地の人との触れ合い、親切にされた事は数知れない。扉だけで中の様子がうかがえないが、勘を働かして入ったBAR(居酒屋)で片言の英語とボディランゲージでも仲間に入れてもらい、楽しく飲んだことが昨日のようだ。 計画と準備は大雑把で、成行きまかせで6ヶ月間、失業保険100万円以内で賄うつもりで出発した旅だった。 運の良い事に米ドルが1ドル80円そこそこ、ユーロも1ユーロ100円ほどで、円安だった。今の為替で2割ほど安く旅が出来たのだ。 節約思考といえば聞こえが良いが、ケチな性分なので、バスはローカルバス、列車は2等、船も2等、何回も夜行バスを利用して一泊代を浮かす旅だった。極め付はスイスでひと月のテント生活をし、すべて自炊で旅費を節約もした。ヨーロッパではシングル部屋は高いのでドミトリー(相部屋)に宿泊。慣れれば楽しい、ブラジャーとパンツ姿で寝ている女性がいたりして目の保養にもなった。 ブログを読み返してみて誤字脱字に意味不明な文書で恥ずかしいが手直ししなかった。下手なブログでも、8年も経ってからでも楽しめた。今現在、新型コロナウイルスで旅に出掛けられない自分にとって、旅の記録が記憶を蘇らせてくれたのだ。 Blogger(ブロガー)から「楽天ブログ」に移す記事が残っているのでもう少しお付き合い頂きたい。 次回は、2013年2月から旅した『東南アジア六ヶ国の旅』を掲載したい。
2020.05.25
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2012年9月25日火曜日 ーユーラシア横断まとめ最終回ー 今回で、「竹ちゃんのユーラシア横断」ブログは最後になります。最後までブログを見ていただきまして有難うございました。お陰様で、旅のメモのつもりで始めたブログが、結構多くの人に見てもらえてありがたく思っています。ブログは、下手な写真や文章なので見てもらえないと思っていたのですが、毎回100~200位のアクセスがあり、私自身驚いています。 旅は所詮遊び、でも、こんなに面白い遊びはありません。旅は病み付きになります。まだまだ、訪れてみたい国はあります。特に、アンデス山脈からパタゴニアには憧れている…。 《女性の綺麗な国》なんと言ってもアルメニアだ、ただし、年配の女性は太っている。皆が皆「美人」というわけではないのだが、「綺麗」な女性は本当に息を呑むほど綺麗だ。周りの国の血が混じっていない昔からのアルメニア人は最近は少なくなってきているようだ。 《嫌になったこと事》中国のシャングリラの女性の経営する旅行会社、泉ピン子似の彼女にはほどほど参った。カトマンズへのフライトで、成都から直接フライトがあるのに、彼女は勉強不足で昆明しかないと吐かして、違うといっても逆ギレされて500元(6500円)のキャンセル料を支払う。 《良かったこと》数知れず、今回の旅では、行く土地の人達に親切にしてもらった。道を聞くと、次の目的地までの移動手段も丁寧に教えてもらった。ラオスではヒッチハイクまで出来てしまった。 《ドミトリー事情》安く宿泊出来るのが魅力。ほとんど20~30歳代の若者が泊まるユースホステル。60歳以上のおじさんが泊まると、嫌な顔をされないが、えーぃ、その年齢でドミトリーに泊まるんだ…、素敵、と尊敬の目で見られることもあった。色々あって本当にドミトリーは面白い、ブラジャーとパンティで寝ている女の子もいた。洗濯したブラジャーやパンティは自分のベットの周りに干している。結構派手々々な下着におじさんタジタジ。マドリードのドミトリーで、女性の干したパンティが上のベットから落ちて、私のパソコン に乗っていた。ブログでは書かなかったが、ローマのドミトリーでは、Hをしているカップルがいた。 私のパソコンに女性のパンツが落ちてきた 《安宿の見つけ方》アジアでは、シングルで300~700円程度で泊まれるホテルを見付ける事はそんなに難しくはない。ヨーロッパで、3000円以下のホテルを探すのは結構大変だった。最初に5~7000円程度で泊まれそうなホテルに行き、値段を聞きいて3000円以下だったら儲けもの、そうでない場合はホテルの人に安宿を教えてもらう。私の真っ黒な顔、小汚いザックに服装から判断してもらって、それなりのホテルを教えてもらうことが出来た。次のホテルも値段が合わなければ、また次のホテルを教えもらう。それの繰り返しだ。 《居酒屋》今回訪れた国では、高級レストランには入らなかった。その代わり、地元の人が利用する居酒屋を探して積極的に入った。入って行くと、皆さんに、なんでこの店に来たの、という顔をされるが、2~3杯ビール・ワインを飲む頃には、隣の人と言葉は分からないが打ち解けている。ヤバそうな路地裏のBARでも『のんべい』は世界共通だ。 《旅の言葉》片言の英語で通した。それと、手振り身振りのジェスチャーにスマイル、そして上手な絵(?)で何とかなった。ホテルの受付の人は十中八九、ザックを背負ったおじさんを見れば、あー、泊に来たんだなと思ってもらえる。そこで「ワンナイト」、「スリーナイト」と言えば、満室(full)でない限りベットは確保される。 簡単な英語で通じるので困らなかった。 《インターネット・WIFI》中国はグーグルを規制しているので、ブログは更新できなかった。WIFIは無料でつながる国が多かったが、ホテルによっては電波の強弱があり、ブログ更新時に切れてしまうこともあった。ドミトリーのあるユースホステルは快適にブログ更新できた。 《旅のお金》今回は、楽天銀行に預金したお金を、現地のお金で引き出した。これは便利だった。それと、ヨーロッパはクレジットカードが普及しているので、現金なしでも旅は可能だ。 6ヵ月間有難うございました
2020.05.24
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2012年9月17日月曜日 ー無事に帰国しましたー リスボンからイスタンブール行きトルコ航空TK1760 リスボンからイスタンブール行きトルコ航空TK1760 トルコ航空機 搭乗前 タラップから リスボンからイスタンブール行の機内食 イスタンブールの街中 懐かしい、トルコチャイ 安物の絨毯とは比べ物にならない 細かく織り込まれた絨毯 高級絨毯屋 本当に素晴らしい絨毯だ グランドバザール グランドバザール イスタンブール再訪、懐かしくて、しばらく見とれてしまった イスタンブールはケバブだ 酒を飲ます事は出来なくなってしまった 酒屋の親父、寂しそうだ 16日11時15分 無事帰国 トルコ航空TK50 14日は、リスボンからイスタンブールまで、トルコ航空で4時間のフライト。イスタンブールに到着したのは22時、パスポートコントロールを出て市内に着いたのは23分30分、3ヶ月前に宿泊したドミトリーに宿泊しようとしてホテルに行くが、満室だ。30分探してトルコの人しか泊まらないと思われるベットがあるだけの部屋を確保、今まで宿泊したホテルの中で最低クラスだ。15日は、グランドバザールで少しばかりお土産を買い求め、6月中旬に宿泊したイスタンブールのホテルから近い酒屋の立飲み屋に向かう。どうも様子が違う、親父さんよそよそしい、立飲みしている人が誰もいない。親父さんにビールを注文すると、首を横に振る、店では飲ませられなくなったんだ、と言ってる。何があったか知らないが、周りの飲食店や酒屋から横やりが入って飲ませられなくなったのではないかと、私は想像したのだが…。それにしても、親父さん寂しそうなのが気になった。せっかく、ここで知り合った人達にもう一度イスタンブールに来て立飲み屋に立ち寄るからと言って別れたので、会えなくてガックリ残念だ。 現地時間17時40分、日本時間23分40分のフライトで日本に向かう。機内では映画「三丁目の夕日」などを観ながら11時間過ごす。飛行機の乗客は9割以上が日本人、それもほとんどが団体さんだ。 16日、11時15分に成田空港に約6カ月か月ぶりに降り立つ。病気も怪我もする事なく、無事に帰国する事が出来た。 ○ブログは、あと数回更新する予定だ。 2012年9月18日火曜日 ー6ヵ月間で使ったお金73.8万円ー 6ヶ月目(8/22~9/16) 26日間 6ヵ月間(3/22~9/16) 179日間 交通費 食事代 ホテル代 その他 合計 5ヵ月間合計 200693 126050 180549 58508 565800 6ヵ月目合計 81510 40260 48915 1620 172305 6ヵ月間合計 282203 166310 229464 60128 738105 1日当たり 1577 929 1282 336 4123 6ヵ月間旅して、使ったお金は73.8万円。1日当たり4123円、日本のビジネスホテル代よりも安い金額だ。やはり、宿泊代が節約できたのが大きかった。今回の旅で初めてドミトリーに泊まった。宿泊している人は、60歳過ぎの人は見かけず、20~30歳代までの若者がほとんどだった。食事代に関しては、ほとんど毎日ビールを1~2本とワインを飲んで929円。おそらく、朝飯代は120円程度、昼は250円、夕飯が560円くらいの割合だったと思う。 2012年9月20日木曜日 ー竹ちゃんのユーラシア横断のまとめー 日本とポルトガルの時差は、8時間あるので夜の10時に寝ても、ポルトガルは午後の2時、身体がポルトガル時間に慣れてしまっているので、昼寝程度しか寝れない。困るのは、眠気が昼前にやってくる事だ。今日も11時から3時間ほど眠る。まだ当分続きそうだ。 6ヵ月間にも及ぶ長旅を無事に乗り切って帰ることが出来た。今は、ホッとしている。旅に出る動機は、沢木耕太郎「深夜特急」、小田実「なんでも見てやろう」、貧乏作家・下川裕治「12万円で世界を歩く」他を読み、一度は旅してみたいと夢見ていた。実際には57歳の頃から会社勤めを辞めた記念に、長旅に出ようと密かに考えるようになった。 沢木耕太郎の「深夜特急」ルート沿いに旅をする事にして、色々と調べていくとパキスタン、イラン、アフガニスタンは紛争地域なので近づかない方が懸命だと判断した。その御蔭で、アルメニアとグルジアに立ち寄れたことは不幸中の幸いだった。 もう一度訪れたい国は、と聞かれたら、アルメニア、グルジア、トルコ、スイスと答えたい。アルメニアとグルジアは観光客慣れしていないので、旅行者に親切で、外国人に危害を加える事件もなく、安心して旅行出来た。それと、アルメニアの若い女性は本当に綺麗だ。宿泊代と食事代はヨーロッパの半額以下。 スイスの物価は、ヨーロッパの中でかなり高い、たとえば、ドミトリーで一泊4000円はする。キャンプ場でテント生活出来れば、夏の軽井沢で避暑生活するよりも快適で、経済的に過ごすことが可能、なんといっても、4000メートル級の山々を眺めながらハイキングが出来るのが素晴らしい。 具体的に、7月末から3週間スイスでテント生活するとして、成田からチュリーヒ間の飛行機代13万円、キャンプ場代2.1万円(18×1200円)、食事代3万円・闇鍋とワイン飲み放題(1日1500円)、スイス国内の鉄道と登山鉄道代4万円、予備3万円、トータルで約25万円、どうですか、今から毎月1.5万とボーナス3.5万の積立して、来年か再来年に一緒にスイスに行きませんか。 2012年9月23日日曜日 ーユーラシア横断まとめー ポルトガルのポルトのホテルで一緒になった油井さんからメールが届いた。旅先で何人かの方とアドレスを交換した。その後の旅の様子などを知ることが出来るのは楽しい。 油井さんのメールに次のように書かれていた。「對比地さんが、先日バルセロナで置き引きに遭って、お金もパスポートもカメラもパソコンもなくしてしまったんですって(T_T) でも体が無事で何よりでしたよね!」 私も今回の旅で何人かの人に騙された話は聞いたが、置き引きにあった話は初めてだ。それにしても、悪い奴がいるもんですね! 《二度と行きたくない国》 14ヵ国を訪問したが、嫌いになった国はない。ただ、トルコを境にアジアとヨーロッパに大きく分けると、私はやはりアジアを旅するのが好きだ。インドには騙す人もいるようだが、概してアジアの人たちは、フレンドリーで親切な人が多いように思う。 アジアに比べると、街も市場もヨーロッパは綺麗すぎる。アジアの市場では、肉の切り口にハエが真っ黒について、肉なのか何なのか分からない状態で不衛生極まりないのだが、売り手と買い手を見ているだけでも楽しくなってしまう。アジアの市場のほうが陳列されている品数が桁違いに多い。山菜も含めた野菜類、生きた犬、鶏、サル、豚などの肉類、さらにはヘビや蝙蝠などの爬虫類、どうやって料理して食べるのか分からない昆虫類など何でも揃う。当然、市場の中には屋台が何店もあり、大概の物は料理してもらえる。 ヨーロッパの市場は品数が少なく、精肉などはケースの中に入っているので衛生的だが、私には旨そうに見えなかった。 《病気》 インドのデリーで下痢をしたが、そのほかの国では病気らしい病気はしていない。インドには22日間滞在、毎日35度以上で、身体が徐々に疲れて最後のデリーで一気に疲れが下痢として現れたものと思う。 《食べ物の美味しい国》 高級レストランにはほとんど入っていない。屋台や居酒屋(BAR・バル)で、土地の人と同じものを食べた。それぞれの国で何でも食べられたし、それなりにどの料理も旨かた。私はどっちかというと、素材にあまり手を加えないで食べるのが好きで、ゴテゴテした料理は得意でない。海に近い町で、ムール貝の塩茹で一杯やるのは最高だった! 《食べ物の美味しくない国》 美味い不味いは別にして、その土地々々の皆さんが食べている食べ物に、大いに興味があるし、食べてみたいと思う一人なので、なるべく食べることにしている。人間が口に入れるものは何でも食べられるはずだ。ただの味音痴なのかもしれませんね。 《酒類》 ビールとワインはどこの国でも安価に手に入り、それなりに美味しく飲めた。アルメニアは200円程度のワインでも実に美味しかった。スイスではキャンプ場で知り合った日本人のクライマー達と毎晩190円ほどの安ワインを飲んだが、やはり、その場所の雰囲気で美味しくも不味くもなるもので、笑ったり騒いだりして飲む酒は美味しかった。スペインやポルトガルの地元の人たちが集まるBARは、ビール(小瓶)100円、ワイン一杯50円程度、それに一品チーズであったりサラミなどのツマミが付く店が多い。もちろん、簡単な食事も食べられる。
2020.05.23
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2012年9月13日木曜日 ー6ヶ月間も履くとスニーカーはボロボロだー 昨日 ポートワインを2本飲み干した 今回の旅の最後2日間過ごすホテル シャワー付き、トイレはなし こざっぱりしたホテルです 2000円のホテルにしてはパホーマンスがある ボンバル侯爵の広場 ボンバル侯爵の広場 パホーマンスをしてお金を稼ぐ ただ恵んでもらうよりも好感がもてますね 6カ月間履いたスニーカー 靴底が剥がれている こんなスニーカーでスイスのハイキングが出来たものだ また、ここまでよく頑張ってくれました ネパールで80円で買ったビーチサンダル 裏はツルツル 今晩の夕食 タラの料理 オリーブオイルは全然気にならない さすが、リスボンの有名店 ウイスキー、ワイン他の酒が陳列されている 有名店だけあって、日本人の団体が2組入っていた カニ、エビ、貝の盛り合わせを注文していた ホテルの近くのBARでワインを飲む 一杯50円 本日は、歩いて10分ほどのホテルに移動した。20ユーロのシングル、ホテルは古いが掃除が行き届いている。こざっぱりとした居心地がよさそうなホテルだ。洗濯をして、街に繰り出すが、暑くてすぐにヘロヘロになる。夕飯は、ホテルで教えてもらった、魚を食わすレストランに行ってきた。店に入ると日本人の団体さん15名ほどが、賑やかに食事をしている最中だ。通訳のガイドに色々と聞きながら、貝、カニ、エビの盛合せ他、結構値段がする料理を次から次えと注文している。私は、タラ料理一品とワインを注文する。これが、当たりで今まで食べたタラ料理とは別物で、大変美味しかった。タラを焼いてからニンニクを効かし、オリーブオイルで炒めた料理だ。 話は変わるが、6ヶ月間も履くとスニーカーはボロボロだ。よくもここまで、頑張ってくれたものだ。スニーカーとビーチサンダルに感謝、感謝だ。 2012年9月14日金曜日 ー6ヶ月間の旅は瞬く間に過ぎたー コーヒにパンを浸て食べるのがヨーロッパ式? 魚を見るとホットします 結構大きな市場なんですが、半分は休業ているようだ 新鮮な野菜が並んでいました 野菜、果物屋が多い市場だ 豚さんも、お客さんを呼び込んでいるようですね タイ、タラが多いように見えた 日本の真鱈に比べると随分と細い 本日の昼飯 アジのフライ 頭ごと食べました これが結構旨かったんです 昼からワインを飲むといい気持ちになります 子供のオモチャ 組み合わせて見事な虎になりました 路上のフラメンコ なかなか迫力満点でした 晩飯 すずき? 焼魚 やはり魚は旨い 昨日のレストラン 推薦は何かと言ったら 出てきた魚 ここのレストランは有名店だ 値段も手頃だ オレンジを絞る機械 ホテルに帰り、ビールを飲みに行ったら 突き出しで太刀魚が出てきた 二日も通うと良い事がありますね 太刀魚の揚げたヤツ 魚はなんでも旨い 結局、小瓶ビール2本飲む 本日は、リスボン市内の市場に行ってきた。やはり、鮮魚の種類が豊富で、焼魚、煮魚、刺身などで料理して食べたら、さぞ旨いだろうなーあ…、とつくづく思ってしまった。市場を出て、お土産を探しながら街中をブラブラ歩く。軽くて、かさばらなくて、気の利いたお土産品はなかなか見つけられない。明日は、イスタンブールに1泊して16日の午前中の10時40分には成田に着く予定だ。前のブログにも書いたように、イスタンブールの酒屋の立飲みで仲良くなった人たちに会えるのが楽しみだ。 旅に出るまでは、6ヶ月間もの長い旅は本当に出来るのだろうかと、正直なところ少し心配していたが、過ぎてみるとあっという間の6ヶ月間だった。これからのブログ更新だが、明日、ザックと一緒にパソコンも預けてしまうので、16日以降になる。本日まで、下手な写真と下手な文章でメモしたブログをご覧いただだきありがとうございました。あと数回、旅の総費用や総括的な事をメモるつもりです。
2020.05.22
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2012年9月10日月曜日 ーヨーロッパ最西端の街リスボンに到着ー コインブラの居酒屋で イワシフライと豚の耳(沖縄ではミミガー、と言ったと思う) ナザレの市場 ナザレの市場 右は太刀魚 どうですか、美味しそうなアジ干物 ナザレの町 海水浴の客でいっぱいだ ナザレの宿、20ユーロの割には小奇麗だ トイレとシャワー付き ポルトのドミトリーで一緒になったフランスのカップルなかなか気持ちのいい二人だが、どこでもチュッ、チュッとキスばっかりしている 今日偶然にもリスボン行きのバスで再会する 三人で昼飯を食べる 市電 コメルシオ広場 コメルシオ広場からタージョ川 ホテル付近のビル絵が描かれている 遊び心があっていいと思うね 朝、小雨の降る中10分ほど歩き、本日の目的地ナザレ行きのバスに乗車する。日本では長距離バスを女性が運転するのを見た事がないが、スペインでもポルトガルでも普通に女性が運転している。慎重で無理した運転をしないので、かえって安心感がある。2時間足らずでナザレに到着すると、ホテルのプラカードを持ったおばちゃん連中に囲まれる。「ビューテフルルーム」「ベリーナイスビュー」「チープホテル」など次から次えとテンポよく言えるものだ。20ユーロの部屋があるかと聞いたら、ついてこいというので騙されたつもりで、あとをついて行く、ホテルというよりも4部屋を宿泊ように貸している一般の家だ。確かに、部屋は綺麗だ、海が見えるといっても狭い路地からやっと海が見えるだけだ。宿まで来る途中で、この町は海水浴目的で来る人たちのリゾート地のようだ、2泊するつもりだったが1泊だけにする。町を散策するも、見所がない。海辺に近いというだけで、来てみたが当てが外れたようだ。エビやカニ、魚焼きなど美味しそうだが、リゾート地値段で馬鹿らしいので、炭火で焼いた鶏とワインを注文して昼食兼夕食にする。 ナザレは海水浴客で混雑もいいところなので、1日早くリスボンに来てしまった。14日のフライトまで5日間滞在する。リスボンが、今回の長旅の終点の街になる。明日は天気が良ければ、ヨーロッパの最西端のロカ岬に行く予定だ。最後の最後まで、ドミトリーではあまりにも貧乏臭いので、ここに2~3日泊まって別なホテルでシングルに泊まる予定だ。でも、wifiが繋がるのはユースホステルが一番なのだ。 2012年9月11日火曜日 ーユーラシア大陸の最西端に立つー バスがロカ岬に近づいてきた ロカ岬の灯台 車窓から ユーラシア大陸の地の涯てロカ岬 大西洋 薄雲が綺麗です 紺碧の海 本当に綺麗でした 寄せ書きのTシャツを着て記念撮影 指が写ってしまいました 後ろからも撮ってもらいました 石碑には、「ここに地終わり 海始まる」と 書かれているそうだ 自分で自分を撮りました 説明なし 灯台をバックに 後ろも撮るようにお願いした どうです、綺麗な海ですね 同じような写真ですみません 右上は地平線 とりあえず、ビールで乾杯 本日の昼飯 BARで立ち飲み 9時過ぎに列車とバスを乗継いで、ユーラシア大陸の西の涯て、ロカ岬に行って来た。ユーラシア大陸を目指す旅人の憧れの到達地点だ。正確ではないが、日本からポルトガルまで直線で11000km、おそらく、今回の私のルートはロカ岬までは20000km以上あると思う。色々な乗り物を乗り継いで、約6ヶ月間もの長い時間がかかったが、ついに辿り着く事が出来た。ロカ岬に立てば、晴れ男の竹ちゃんに相応しい天気のお陰もあって、景観はバツグンで海に吸い込まれるような紺碧の海、そして、キラキラと光り輝いていて、神聖すら感じられた。今回の旅の出発にあたって、元会社の同僚たちに寄せ書きしもらったTシャツになり、何人かの外国の人にシャッターを押してもらった。外人さんは、何を書いてあるのか分からないので、全然恥ずかしくない。 2012年9月12日水曜日 ー酒だったらなんでも飲めしまう自分が嫌になるー ロシオ広場 ロシオ広場 ロシオ広場 昨日、乗った鉄道 ロシオ駅 フィゲイラ広場 フィゲイラ広場 フィゲイラ広場 フィゲイラ広場 カテドルと電車 可愛らしい電車 教会名前は? フリーマーケット 色々なガラクタから新品まで売っている 結構大規模なフリーマーケット 人が住んでいないビル 昼飯 セットメニューを注文 タラの料理 タラとキノコ・オムレツ風 美味しい料理でした ワイン1/2を飲んで590円 ただ、ワイン代が勘定書きになし もうけた 夕方 ビールを注文すると塩ゆでした 豆が出てきた ビール1本1ユーロ 後ろの人はワインと豆で楽しそうにお話していた ポルトガルのポルトの人にポートワインをご馳走になる 熊みたいな男、でもいい奴です フリーマーケット ロシオ駅 本日は、リスボンの街をあてもなく歩く。ポルトもリスボンも坂が多い。少しでも道を間違えると上ったり、下ったりで疲れる。適当に歩いていると、フリーマーケットに出くわした。素人さんが店を出しているので、値段は安そうだが、気に入ったものは見つけられなかった。昨日、ホテルで同宿のポルトの男性に、ポートワインをご馳走になる。今日は、私が1本買ってきた。甘いが、酒に意地汚い竹ちゃんはグイグイと飲み、瞬く間に1本を飲み干す。なんだかんだ言っても、酒だったらなんでも飲めてしまう自分が嫌になる…。(#^.^#)
2020.05.21
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2012年9月4日火曜日 ーポートワインの町ポルトにやって来たー 昼飯 ポークをこんがり焼いてある ポルト ホテルの付近 ホテルの付近 すみません、ポルトに着いたばっかりで 地図もないので建物の名前は分かりません ホテルの付近 ポルト駅構内 駅の構内 絵付けのタイル 教会 タイルの絵が見事です 名前は明日、探してみます ポルト市内の路地 ポートワイン 甘さが勝っている それでも2杯飲みました 夕食 アジの塩焼き ジュネーブの寿司屋で手に入れた醤油を 少しかけてみました、美味い? 本日は、バスで4時間かけてポルトガル第2の都市、ポルトにやって来た。ポルトの名産品は、皆さんご存知のポートワイン、世界的に有名だ。楽しみにして来た。とりあえず、昼飯にポークをベーコン風に焼いた料理にビールとポートワインを飲んでみた。確かに、口当たりが良く、やや甘めだが喉にスート入っていく。 《ポートワインをヤーフーで検索したら、次のように書かれていた》ポートワインは発酵の途中でアルコール度数77度のブランデーを加えて発酵を止めるのが特徴で、この製法によって独特の甘みとコクが生まれ、ワインの保存性を高める。明日は、ワイナリーに行って試飲して1本買ってみるつもりだ。 2012年9月5日水曜日 ーポートワインは甘すぎるー 市場で新鮮なイワシ、当然刺身で食べられる 果物屋さん 白ぶどうひと房買った120円 甘くてとても美味しかった 朝飯 ハムとチーズ(溶けている)サンドイッチにミルクコーヒー こんな高級車が路上に駐車されている トリンダーデ教会 市庁舎 ドロー川 ドン・ルイス1世橋からのドロー川 メッサ・セニョーラ・ド・ビラール修道院 要塞あと カテドラル カテドラル内部 サン・ベント駅(右》と付近 昼飯 豚の骨の部分を煮込んだ料理 豆と野菜などが一緒に煮込まれていて とても美味しかった 夕飯 サラダ、鶏焼き、イワシフライ ポートワイン、地ワインを飲む 夕飯 ドミトリーで同宿の對比地さん(右)と油井さんの三人で食べる 地ワインの赤 ヨーロッパに入って最安値のドミトリーに宿泊している。シングルが満室なので、ドミトリーになった。部屋はとても綺麗でこざっぱりしている。 ワイナリーに行った時間が良くなかったようで、見学できなかった。昼少し前にワイナリーに行き、見学を申し込んだが2時15分しかなく、2時間以上待つのは嫌なので、近場のBARでビールを飲んで引返した。同宿になった神戸の油井さんの話によれば、ポルトガル語の説明付きのに参加したのだが、説明は機関銃の様に一方的に喋りまくるのだそうだ。試飲は白・赤ワイン一杯づつ出来て4ユーロ。そのように話を聞いていたので、何が何でもワイナリーで見学したいとは思っていなかった。ポートワインは食前酒か食後に飲むワインだ。昨日、夕飯を食べたBARのオーナーにポートワインを注文したら栓を抜いて時間が経っているので、美味しくないので、明日には美味しいポートワインを仕入れて置くからと言われていたので、楽しみに出かけた。本日は、同宿の神戸の油井さん、群馬の對比地さんと一緒に食事することになった。最初にポートワインを飲む、やはり甘い。中学の時に赤玉ポートワインを飲んだことがある。今でも市販されているのだろうか、甘い酒だという記憶がある…。すぐに地ワインに切り替える。油井さんは9日間のポルトガル旅行、對比地さんはポルトガルからアジアを目指して5ヶ月間の旅をするそうだ。3人で旅の話に花が咲き、適当に酔がまわり、すこぶる楽しい夕食だった。 2012年9月6日木曜日 ー見学はどうでもいい、試飲が目的だー クレリゴス教会 街のどこからでも見ることができる クレリゴス教会 坂の途中からクレリゴス教会を見る CALEMワイナリー ワインを熟成している樽 試飲した赤と白ワイン 試飲している他のグループ 1960年もの22800円 1988年もの4470円安くはない 昨年もの790円 ワイナリーの玄関 ワイナリーの近くのBARでポートワインを飲む チーズのサンドイッチとポートワイン 教会内部の金泥細工 路地裏 ポルサ宮 1834年まで証券取引所として使われていた 14世紀に建てられた サン・フランシスコ教会 サン・フランシスコ教会 サン・ベント駅付近からのクレリゴス教会 やはり、せっかくポルトに来たのだから、ワイナリーを見学することにした。11時前に受付で手続きする。15分待ちで英語ガイドによる見学がスタート、ほとんど理解出来なかった。まーあ見学はどうでもいい、ワインの試飲が目的なのだ。15分の見学が終わり、10年熟成の白と赤のポートワインを試飲したが、やはり甘。ちなみに見学料450円。1本買い求めようと考えたが、甘すぎて1日で飲みきれるはずがないので諦めた。明日はコインブラに向かう。 2012年9月8日土曜日 ーおっぱいがはみ出しそうな女性、美人局かー wifiの電波が弱く、写真貼り付けできない。 9/6 今日はひどい目にあった。全くの私の勘違い、サンティアゴからバスでポルトに到着したバスステションが、当然、コインブラに行くバスがあるものだと思って、今日の朝15分歩いて行った。窓口で出発場所が違うことを教えられ、街の案内で手に入れた地図にボールペンでコインブラ行きのバスステーションの場所をチェクしてもらった。それに従って地下鉄に乗って行った。到着して周りを見てもバスステーションらしき建物がない、メトロの職員に聞いたら、手前の駅で降りて歩いて行かなければならないらしい。系列の違うバス会社の職員に間違った場所を教えられたようだ。地下鉄に乗るのもしゃくなので4キロ弱歩いて、やっとコインブラ行きのバスステーションに到着。朝から疲れた。ちなみに、泊まっていたホテルから10分足らずのポルト駅の裏だった。はじめからホテルに聞けばよかった。大失敗だ。 コインブラに着いてホテルを探さがすが、地図も持っていないので適当に繁華街目指して歩く。頼りは、ポルトのホテルで同宿した神戸の女性が持っていた「地球の歩き方」でホテルの名前だけ3件メモしておいた。いい加減疲れた頃に人が大勢いる広場に着く。メモを見せてBARの人に聞くが分からないという。辺りをキョロキョロしていると、40歳代の女性が英語で「キャナイヘルプユー」と声をかけてくれた。メモしたホテルを探していることを話すると、近くのお土げ屋さんに聞いてくれて、ホテルの前まで案内してくれた。内心、騙されるのではないかと疑ってかかったのだが、そんなこともなくただただ親切にホテルを探してくれたのだ。疑ったりして申し訳なかった。と言うのもスペイもポルトガルもそうだが、女性は自分の胸を強調しすぎるように思う。ほとんど、おっぱいがはみ出しそうな服装なのだ。 それに皆さん巨乳ときている。ホテルまで案内してくれた女性も大きなおっぱいがはみ出しそうなので、美人局ではないかと疑ったのだ。 7日 早朝から激しい雷と雨だ。それでも9時頃には雨が止んだが、外は雲に覆われ、結構涼しい。朝飯はミルクコーヒーとパン。地元の人も朝は、コーヒーとパンだけの簡単な食事で済ましている。昨日の二の舞は嫌なので、明日のナザレ行きのバスチケットを買い求て、適当に街を散策する。ポルトガル国民の宗教はカトリックが98%なんだそうだ。街のあちこちに教会が建っているのもうなずける。 明日は、ナザレに向かう。
2020.05.20
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エレクレス灯台で ローマ時代の灯台 今でも現役で灯し続ける 2012年9月1日土曜日 ートイレのドアを壊すー 今回も、写真なし。 今朝は寒いので目が覚めた。スペイン北部の海岸は、メキシコ湾流の影響を受けて、夏涼しく冬暖かい海洋性気候。確かに、朝方は15度前後、日中も25度ほど、ほとんどスイスのキャンプ場と変わらない。9時30分発のバスでア・コルーニャに向かう。1時間も走ると右側に大西洋が見えてきた。次々に風景が変わるので飽きることはない。トイレに行きたくなったので、トイレのドアを開けようとしたら、バスが大きく揺れ、身体ごとドアに体当たり、ドアが壊れたというか、外れてしまった。慌てて元の位置に押し込んだが、元の状態にはならない。それでもオシッコはしたいので、ドアを手で抑えて用を足した。何食わぬ顔でドアを閉めて(単にはめ込んだだけ)席に戻る。数分するとバッタンと大きな音がし た。ドアが外れた音だ。心の中で、「壊したのは俺ではないよ」、と言ったものの、犯人はお前だ、と言われるのではないかとハラハラだ。それでも、女性2名、男性1名が外れたドアを立てかけて、皆さん結構用をたしていた。罰が当たったのか、手頃なホテルを探し当てるまで3時間費やした。と言っても、途中でビールを飲みムール貝を食べた。それにしても、バスステーション付近はホテルが少ない。 おそらく海岸沿いにはたくさんリゾートホテルがあるんだと思う。 2012年9月2日日曜日 ースペイン最後の訪問地サンティアゴー 違う方法で写真を貼り付けた。時間がかかったが、なんとか写真掲載出来てホットしている。サンティアゴ現在の時刻は夜中の12時22分。 8/29 ヒホンの港 8/29 ヒホンの海水浴場 11時の気温22度 8/29 地白ワイン 口当たりがいいがアルコール度数16度、一本飲んでいい気分になりました 8/29 ながらみ 量が半端でありません 上のワインとで6ユーロ 29日 夕飯 ソーセージ 8/29 腸に肉や玉ねぎ、ニンニク、その他色々な野菜、肉が詰められている パンと一緒に食べるととても美味しい ヒホンのホテルから見たライトアップされた建物 8/30 ア・コルーニャのBARでムール貝を食べる ア・コルーニャのホテル一泊2000円、トイレとシャワーは部屋には付かない エレクレス灯台 ローマ時代の灯台 今でも現役で灯し続ける すごい顔で撮れています 8/31 ア・コルーニャ市内の教会、名前は分かりません ア・コルーニャのスペイン広場 8/31 昼飯 大きなアジ焼き 8/31 ア・コルーニャのBARでいわしのフライを食べる 9世紀に建造された教会 明日の朝ミサに出かけるつもりだ 9/1・2 二日宿泊するホテル 小奇麗、トイレとシャワー付き 一泊3500円 サンティアゴ巡礼の最終目的地、サンティアゴ・デ・コンポステーラにやって来た。スペイン語でサンティアゴは聖ヤコブのこと、デ・コンポステーラは「星の降る原野」を意味する。聖ヤコブはキリスト12使徒の一人。聖ヤコブの墓が発見されたのは813年、その後、この地に聖ヤコブを祀る聖堂が建築され、ヨーロッパ各地から巡礼者が訪れるようになった。それが、サンティアゴ巡礼だ。今回私も、100~200kmを歩きたいと思っていたが、スイスでのキャンプ生活が長くなり今回は諦めた。 2012年9月3日月曜日 ーほっぺとほっぺを合わせるのは初めての経験だー テルの朝食 宿泊費に含まれている サンティアゴ・デ・コンポステーラ教会 教会のすぐ隣の五つ星ホテル 旧王立病院を改築したホテル 教会のといめんの市庁舎 記念撮影 地下礼拝堂の聖ヤコブの棺 栄光の門の聖ヤコブ像 修復途中で暗くて、よく撮れていない キンターナ広場 「免罪の門」くぐれば犯した罪が許される という言い伝えがある 私には小さい罪、大きい罪がたくさんあので、是非、くぐりたかった普段は閉ざされ、聖ヤコブの日である 7月25日が日曜に当たる「聖なる年」にのみ開放される サンティアゴ教会の裏 ホタテの貝が地面に埋め込まれている 昔の巡礼者は、ホタテ貝をお皿代わりに、 食べ物を恵んでもらったことから、必需品・ホタテ貝が巡礼者のシンボルになったと言われている サンティアゴ教会のミサが始まる 参列者は1000人を超えている 天井から吊るされた巨大な香炉から香煙を 振りまいている 上に同じ 近づいて撮影した 香煙が立ち込めている 香炉が下ろされるところ ミサが終わり、外に出た人たち 何百キロ歩いて来た人、自転車でやって来た人たちが、ただただ、教会を眺めているのが印象的だ すごい人です この絵で、魚料理はOK、何でも食べられる それにしても下手な絵ですね 本日の夕飯 サーモンをオリーブ油で煮込んである トマトがベースの味 この料理も下手な絵を見せて注文した 12時からミサに出かけた。15分前に入ったので立ったまま、1時間のミサに参列。初めに巡礼者のゴールの発表があり、巡礼者の出身国別に神父が話す。本日は、日本人の巡礼者はいなかったようだ。聖体(キリストの体の実体して、小さな丸いお菓子)を食する儀式では、目の前に神父たちが来 て、私の口にお菓子を入れてくれた。少し緊張した。賛美歌の合唱では、女性の澄み切った声が印象的で、参列者もハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ…と大きな声で合唱する、どんどん気分が盛り上がってきた。教会内部が「ハレルヤ!」の大合唱で響きわたる。すごいインパクトだ。私は、感激、感動した。何だか知らないが、身体の奥から震えがきた。そのうちに隣の人から握手を求められた、何人もの人と握手した。さらに、女性からほっぺとほっぺを合わせる挨拶をされた、初めての経験だ。ミサの最後に天井から大香炉が吊り下げられ、大きく振り子のように何回も振れ、香煙を振りまく。全員総立ちで見守る。大香炉が下ろされると、またも、割れんばかりの大きな拍手がこだまする。今日は、思い出深い、スペイン最後の日になった。 シンさんの推薦だけあって、本当に厳かなミサに大感激、大興奮、大感動した。 明日は、最後の訪問国ポルトガルのポルトに向かう。
2020.05.19
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2012年8月28日火曜日 ー市場内の小さなBARは暖かい人の集まりだー マヨール広場近くの市場、一番賑わう場所 ほとんど観光客目当ての飲食店だらけ エビ、カニ、タコなど美味しそうだが、いい値段している まだ、11時前、これから観光客でいっぱいになる 市場の中央も両脇も観光客目当ての飲食店 マドリード市内にはたくさんの広場がある サン・フランシスコ・エル・グランデ教会 入口の扉 彫刻が見事です 教会内部 教会内部 2日前の気前のいいお兄さん 黒い服の女性がBARの女将さん 間口が狭い ほとんど地元の人 マドリード4泊目のホテルは、今朝まで泊まっているホテルに紹介してもらった。10時前にチェクインして街を散策する。マドリードの見所はほとんど見てしまっているので、王宮広場前の喫茶店で時間を潰し、2日前に行った市場内の小さなBARに顔を出す。店の娘さん、私の顔を見るなりkoichiと言って、ビールの小瓶を差出してくれる。2日前の気前のいいお兄さんもいて、2人で小瓶のビール16本飲む。 言葉はスペイン語と日本語で分かったような分からないような会話だが、店の女将さん娘さんが加わり、笑い転げている。実に楽しい時間だった。 明日は、ヒホンに向かう。ヒホンに2日、ラ・コルーニャに2日、シンさんご推薦のサンディアゴ・デ・コンボステーラに9月1・2日(土日)と宿泊して、いよいよ最後の訪問国ポルトガルに向かう予定だ。 2012年8月29日水曜日 ースペイン北部の港町ヒホンに到着ー 本日は、バスで6時間30分かけてスペイン北部の港町ヒホン(Gijon)に移動。バスは3列席でゆったりとして、座り心地が抜群。1時間おきにジュースやコーヒーのサービスがあり、さらに昼にはサラミとソーセージのサンドイッチと暖かい飲み物付きだ。至れり尽くせりだが、その分しっかりと運賃に上乗せされているはずだ。マドリードのホテルで、地図を見ながら次の移動先を探していると、北部の海に近い町ヒホンに興味をそそわれて来てみた。私が地図で想像したい以上に大きな街で、ホテルを探すのに苦労させられる。高級ホテルはあるのだが、3000円以下のホテルを見つけるのに1時間以上かかった。探し当てたホテルは、トイレ、シャワーは付かない部屋で、2800円のところ、2泊する条件で2500円に割引してもう。今日だけが寒いのか知らないが、午後4時の気温は26度、夜、外でビールを飲んでいると肌寒い。スイスでテント生活していた時と同じように、涼しく快適に過ごせるか…。 wifiの電波が弱く、写真を貼り付けることが出来ない。 2012年9月1日土曜日 ー生まれて初めての大西洋ー googleのブロガーにアクセスしようとすると、認証確認のために携帯電話番号を入力しろだの、アカウントにアクセスしろだとか、いちいちうるさい。そのうちに写真が掲載できなくなった。当分、写真を貼り付けることは出来ないと思う。 ホテルのオーナーはスペイン語以外の外国語はダメだ。何を聞いても噛み合わない。明日のア・コルーニャ行きのバスチケットを手配しなければならない。街の地図も情報もない、街を散策しながら昨日到着したバスステーションを探すがなかなか見つからない。同じような建物が多く、何回もグルグル回る。自分のカンは頼りない事を痛感させられる。もれでも、犬も歩けば…なんだかで適当に歩いているといつの間にかバスステーションに辿り着く。無事、バスチケットを手配出来て、ヤレヤレだ。海岸沿いに歩いて行くと、波が穏やかな海が見渡せる。はるかに地平線が霞んで見える、生まれて初めての大西洋だ。しばらく大西洋を眺める。11時の気温が22度、それでも泳いでいる人たちが大勢いるのにはビックだ。 2012年9月1日土曜日 ートイレのドアを壊すー 今回も、写真なし。 今朝は寒いので目が覚めた。スペイン北部の海岸は、メキシコ湾流の影響を受けて、夏涼しく冬暖かい海洋性気候。確かに、朝方は15度前後、日中も25度ほど、ほとんどスイスのキャンプ場と変わらない。9時30分発のバスでア・コルーニャに向かう。1時間も走ると右側に大西洋が見えてきた。次々に風景が変わるので飽きることはない。トイレに行きたくなったので、トイレのドアを開けようとしたら、バスが大きく揺れ、身体ごとドアに体当たり、ドアが壊れたというか、外れてしまった。慌てて元の位置に押し込んだが、元の状態にはならない。それでもオシッコはしたいので、ドアを手で抑えて用を足した。何食わぬ顔でドアを閉めて(単にはめ込んだだけ)席に戻る。数分するとバッタンと大きな音がし た。ドアが外れた音だ。心の中で、「壊したのは俺ではないよ」、と言ったものの、犯人はお前だ、と言われるのではないかとハラハラだ。それでも、女性2名、男性1名が外れたドアを立てかけて、皆さん結構用をたしていた。罰が当たったのか、手頃なホテルを探し当てるまで3時間費やした。と言っても、途中でビールを飲みムール貝を食べた。それにしても、バスステーション付近はホテルが少ない。 おそらく海岸沿いにはたくさんリゾートホテルがあるんだと思う。
2020.05.18
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2012年8月25日土曜日 ーエスカルゴ料理の味は、イマイチだー バレンシアから2時間 途中のバスターミナル 途中で休憩 ビールは冷えていて美味い! エスカルゴ料理 結構たくさんのカタツムリだ 白いのがゆで卵 それにソーセージ マドリード ソルの繁華街を一本入った路地 日の丸も見えます 地下鉄ソル駅前 地下鉄ソル駅前 結構たくさんの人が買い物を楽しんでいる 空中に浮いている 仕掛けは下の絨毯、厚い鉄板に手で持っている棒がつながっていると見た 地下鉄ソル駅前 首のない女性 ただお金を貰うのではなく 奇抜なアイデアで稼ぐ、恐れ入りました 地下鉄ソル駅まえ 町の「へそ」です ここのホテルはwifiがばっちり繋がる パソコンは5ヶ月間盗まれたり、壊れたりしません あと少し頑張ってほしい 今日は、マドリードまで4時間20分のバス旅。マドリードは地下鉄が網の目のように張り巡らされているので何処が何処だかさっぱりわからない。インフォメーションで目的の駅までの行き方を聞き、なんとか目星を付けたホテルに辿り着いたが、生憎部屋は満室、近くのホテルを紹介してもらい、ひと駅歩く。結局1時間以上歩いた。朝も昼も食べていないので、ホテルの近くのレストランに入り、エスカルゴ(カタツムリ)とビールを注文する。もちろんフランスパン付きだ。ゆで卵とソーセージと一緒に煮込んでいる料理で、肝心な味は、カタツムリのみは歯ごたえがない、チェンマイやラオスで食べたタニシのほうが歯ごたえがあり、味にインパクトがあり断然美味いと思った。それでも残さず食べて腹一杯になり、ホテルに7時に戻りシャワーを浴び、ブログ更新して9時30分に寝る。 ホテルは6人部屋のドミトリー、女性3人、男性2名うるさく騒ぐ人はいないようだ。マドリードには4泊するつもりだが、ここのホテルには3泊しか泊まれない。4日目に別なホテルを探さなければならない。 2012年8月26日日曜日 ーパソコンの上に女性のパンティー マドリード自治政府庁 国立劇場 アルムデーナ大聖堂 王宮 18世紀に完成、1931年まで歴代国王が住んでいた王宮 王宮 上院? スペイン広場 記念写真のスポット スペイン広場 街の至る所に教会がある マヨール広場 フェリペ三世の騎馬像 マヨール広場 イワシのフライ 鶏の煮込み スープはパンで吸い取り綺麗に食べる なかなかいい男で、3本もビールをもらう 竹ちゃん嬉しそうな顔をしていますね 市場巡りはたまりません パエリャ 今度、旅行するときは、「世界の市場巡りの旅」にしたいと思っています 日本で飲んでいるノリです なかなかの芸達者と見た 6人部屋のドミトリー パンティ落とした上の女性、気づいてよ! こんなことアリ… ちなみに、彼女は23歳前後、プロポーション抜群な綺麗な女性です 夜中に、酩酊した同宿の女性に睡眠妨害される。もう明け方の4時、大きな声、バカ笑いで目が覚める。男と部屋の前で騒ぎ立てている。当然、ほかの部屋の男から、「今何時だと思っているんだ!」と注意され、一旦静かになったのだが、女性が部屋に入ってくるなり、部屋中は酒臭い空気に包まれる。バックから荷物を出し入れする音、トイレに何回も入り、ゲロ吐きまくる。歳の頃25歳前後の女性、酩酊しているので手に負えない。やっと静かになったのは5時だ。同宿の5人は顔を見合わせて苦笑 いするしかない。 10時過ぎから王宮とスペイン広場、マヨール広場を中心に見どころを回ってきた。途中で小さな市場を見つけ、昼飯にした。写真の男性に話しかけられ、ビールを3本もご馳走になる。店の女将さんと娘さんも気さくな人で、日本で飲んでいるような錯覚に陥る。ツマミにイワシフライ、鶏の煮込み、パエリャ、ソーセージを食べて6ユーロ(600円)、ご馳走になった以外にビール2本とアルコール度数の高い酒を一杯飲んでの値段だ。私には、遺跡や美術館を巡る旅は似合わない、今度、旅するときには、世界の市場で飲み食いする旅が出来たら最高ですね! 4時少し過ぎに帰るとパソコンの上に女性のパンティが乗っているではないか…?ベットの上の女性が上から落としたのだ。昨日、彼女はブラジャーとパンティ姿で寝ていた。ドミトリーは色々な事が起きて面白い(#^.^#) 2012年8月27日月曜日 ー現代美術作品は難しすぎるー マヨール広場の「ノミの市」 古銭、古い切手が中心 古いバル ローマ法王も来た事がある マドリード市役所職員 説明役 サン・フランシスコ教会 ゴアの若い頃の作品 日曜日 ミサが行われていた サン・フランシスコ・エル・グランデ教会 市役所職員、オススメの教会 ツアーを終えて マヨール広場 大阪のカップルと市の職員 昼飯 ビール一杯 220円 ソフィア王妃芸術センター アントニ・タピエス『灰色という素材の重ね合わせ』 上に同じ ピカソの若い頃の作品 ピカソの作品 ダリの作品 ダリの『窓際の少女』 ピカソの若い頃のデッサン バルで可愛ですね バルで夕食 大ジョッキー2杯とパエリャ 立ち飲みで2ハイも飲むと疲れてくる 11時から、日本語のツアーに参加してきた。マドリード市役所主催の「古きマドリード散歩道」と題されたツアーで、マヨール広場、アルムデーナ大聖堂や古い街並みを案内してくれるものだ。参加者は大阪の若いカップルと私の3人。マドリードの歴史に詳しい市役所の人が、日本語ガイドに話しして、それを日本語ガイドが我々に説明してくれながら歩く。何も知らないで歩くのと違って、街の歴史などを聞きながら歩くのは一味も違う。2時間のコースで2.8ユーロ、3人の参加者に市役所の職員と日本語ガイド付きだ、赤字も赤字だ…と思う。13時に解散して、ビールを一杯飲んで、20世紀の現代美術を集めた「ソフィア王妃芸術センター」と、「ブラド美術館」でフラ・アンジェリコ『受胎告知』、マンテーニャ『聖母被昇天』、ゴヤの初期の作品を鑑賞てきた。どの絵画が誰の作品か小さな説明書の名前を確認するのに結構疲れた。2館とも写真撮影は禁止、ソフィア王妃芸術センターでは数枚撮ったが、係りの人に注意されすぐにカメラをバックに仕舞う。2館ともピカソ、グレゴ、ゴヤ、ムリーリョなどのスペインを代表する巨匠の作品を集めた美術館だ。どの絵を見ても心に響くものがあったが、現代美術の絵だけは、私には難しすぎて理解に苦しむ作品が多かった。
2020.05.17
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2012年8月23日木曜日 ーパエリャはあなたのために作りましたー 朝の街の様子 新鮮なイワシ、イカなどなど 醤油とワサビがあればこの場で食べたい! 新鮮で美味しそうなエビ 美味そうですね! 市場内のバル(ちょと飲み食いする店) いい値段がするから 、私は入りません 10時からの朝飯 イカフライとビール 突き出しにオリーブとピーナッツ たまらんですね! 市場中央入口 クワルトの門 なかなかいかしたホテル 噴水と後ろが教会 噴水 後ろがホテル 教会内部 教会内部の天井 カテドラルとミゲレテの塔 ミギレテの塔とカテドラル この大きさのパエリャは私のために料理した? 大きい皿にパエリャをよそってもらいました ホテルの部屋でスペインワイン 夕食は部屋でワインとサラミ、モモ、洋梨で済ませまた 8時半過ぎに市場に行ってみた。バルセロナの市場は半分以上が観光客目当ての商品構成だったが、バレンシアの市場は市民の台所という風情だ。買い物かごを持った主婦、お店の仕入れに来ている人達で喧騒な雰囲気だ。どれも新鮮でそのまま醤油とワサビで食べたい魚介類が目の前に並んでいる。さすが港町だ。朝飯は市場の場外の食堂に入り、イカのフライとビールを注文する。このイカフライが美味しいので、店のオヤジさんに親指を立てて合図するととても喜んで、テーブルまで来てくれてスペイン語で話しかけてくれが理解できない、それでも「日本人か」、「魚は好きか」「美味しいか」は、手振りとジェスチャーで理解できた。気分良くして24日のマドリード行きのバスチケットを買い求め、市内観光を少しして再び朝の店に行く、オヤジさんはとてもニコニコして、何が食べたいかと聞いてくるので、バレンシアはパエリャが有名なのでバエリャと答えたら、40分待てば作ってくれると言ってくれる。市場の周りを散策して時間を潰して店に行くと、大きな鍋に白身魚、エビ、イカ、タコ、ムール貝、キノコ入りの見事なパエリャが出来上がっていた。オヤジさんは、あなたのために作りましたので全部食べてください、と言ってる。なかなか言えるセリフではありませんよね…。大きな皿によそってもらい一口、海の味が口いっぱいに広がりとても美味しい!さすがに全部は食べきれるわけがない、一度おかわりしてギブアップだ。さて、値段だがビール小瓶2本とパエリャで7ユーロ(700円)!、べらぼうに安い!いつもこの値段なんだろうか…。 2012年8月24日金曜日 ー5ヶ月間で使ったお金ー バレンシア支庁舎 洒落ていますね バレンシア駅 闘牛場 ジャパンウィーク2012 街の至る所にありました デモ行進 陶器博物館 物館 正面入口 サン・マルティン教会 ラ・ロンハ 15世紀に建てられた交易所 バレンシア経済を支える役割を果たしていた かつては絹製品が取引された建物 ラ・ロンハ内部 柱が見事です 天井の彫刻が見事 ラ・ロンハ 素敵な透かし彫りが美しい 10時からビール ムール貝にビール 朝からいい気分だ サカトス・フワネス教会 サカトス・フワネス教会 彫刻が素晴らしい! 鶏肉のパエリャ 美味かった! 本当にいいオヤジさんです 昔、よく通った 根津の九ちゃんの旦那を思い出しました 本日も、昨日パエリャを食べた店に行ってきた。昨日の帰り際に、明日の2時頃に来れば美味しいパエリャを作って待っているから、と言われていたからだ。今日は、鶏肉と豆、インゲン、キノコ入りのパエリャで比較的あっさり味だ。昨日の、「あなたのために作りました」(手振り身振りで、私はそのように理解した)の殺し文句は、私への社交辞令だったことが判明、私が店に入りパエリャを食べていると次から次えと客が入ってきて、全員パエリャを注文している。観光客は私一人、全員地元の人、安くて美味しいので瞬く間にパエリャの大鍋は食べ尽くされていく。 5ヶ月間で使ったお金を計算した。 ※5ヶ月目(7/22~8/21) 31日間 交通費 食事代 ホテル代 その他 合計 4ヶ月間合計 144393 89390 129249 56723 419755 5ヶ月目合計 56300 36660 51300 1785 146045 5ヶ月間合計 200693 126050 180549 58508 565800 5ヶ月間(153日)の出費は、56.6万円で1日当たり3698円、交通費を差引すれば2386円だ。1日当たりホテル代1180円、食事代823円、宿泊して1日にビール1~2本とワイン1本飲んでの計算だ。特別に節約した覚えはない。あとひと月弱、1日当たり5000円以内でいけそうなので、帰りの航空券代61000円を入れても70万円後半で収まりそうだ。
2020.05.16
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2012年8月20日月曜日 ー4ヶ月間で使ったお金ー シウタデリャ公園 凱旋門 凱旋門 教会 名前? 市内の交差点前 カテドラル 13世紀から15世紀にかけて 150年の歳月をかけて建設された ゴシック様式が見事 内部 今日は日曜日 内部 教会まえの彫刻 高さ92メートルのふたつの鐘塔 壮麗な建築物 カテドラル こちらは小さな教会名前は? 内部 鯖焼きとビール ジャウマ広場 鏡に映った自分の顔 昨日、80日ぶりに散髪しました 床屋さんを探すのに1時間かかった でも、スッキリしました 路地裏 なんとも味があります スケッチしたものを販売している お土げ屋さん 王の広場 コロンブスが新大陸を発見して、イサベル女王に謁見するときに上がった階段 地中海の湿った空気の影響でバルセロナは蒸し暑い。午前中は21日のバレンシア行きのバスチケットを買い求め、市内観光したのだが汗が滝のように流れ、町の水道を探して水分補給したものの、水では喉の渇きはおさまらない。路地裏の食堂に入り、鯖焼きを注文してビールを飲んだら観光はどうでもよくなり、3時過ぎにホテルに帰り昼寝だ。4ヶ月間で使ったお金を計算してみた。4ヶ月目はヨーロッパに入てから1日平均5000円で、ホテル代が2000円、食事代が1720円とアジアの2倍以上だ。でもこの出費は予定の範疇だ。5ヶ月目は、スイ スでテント生活をしたので、キャンプ場代平均で1400円、食事代1200円ほど、交通費を入れても5000円以内で収まっているはずだ。私が当初目論んだ6ヶ月間の旅費、70~80万円以内には収まる計算だが…。 ※4ヶ月目は6/22~7/21 (31日間) 交通費 食事代 ホテル代 その他 合計 3ヶ月間合計 116748 51648 68109 31075 267580 4ヶ月目合計 27645 37742 61140 25648 152175 4ヶ月間合計 144393 89390 129249 56723 419755 2012年8月21日火曜日 ー魚介類の煮付けを食べるー 6人部屋のドミトリー 昨日の夕食 手のひらを合わせたほどの鶏肉 ソースが美味い キノコと玉ねぎが旨みを引き出している コロンブスの塔 色々なパフォーマンスで 観光客を喜ばしている こちらも暑いのにご苦労様です 街のいたる所に水場がある当然飲めます、 胃腸の弱い方は飲まない方がいいと思う カタルーニャ音楽堂 彫刻が見事です 本日の昼飯 ケバブとビール 野菜たくさんで、便秘には最高 市場の果物売り場 観光客目当ての果物のセット1~3ユーロ 香辛料を売っている 乾燥松茸1キロ80ユーロ 高いか安いかわかりません 魚市場 時間が遅かったので数件だけ営業していた 日本でも見かける魚がたくさんありました 色鮮やかな 野菜と果物を売る店 市場の中の屋台 魚中心に食べさす、 値段を見たらそれなりに高い 左のベットには20歳そこそこの女性 16時に部屋に戻るとこの有様 彼女は外室中、だらしない 魚の煮付け風 カキ、あさり、イカ、エビ、脂がのった白身魚 味付けは、いろいろな調味料がミックスされているが醤油が効いている 私が日本人だと分かっての味付けだ 嬉しいではありませんか 本当に美味しくいただきました フィリピンからバルセロナに来て17年になるお店のご夫婦 大変良くして貰いまいした コロンブスの塔から港まで歩き、全長1.5kmあるバルセロナの目抜き通りを散策して、『カタルーニャ音楽堂』に立ち寄った。1908年に建設され、現在世界遺産に登録されている。外壁は赤レンガをベースに、カラフルなモザイクで飾られ、カタルーニャの守護聖人サン・ジョルディの派手な彫刻が印象的だ。昼飯を市場の屋台で食べてみたいと思い、市場に入ってみたが観光客の多さに辟易して写真だけ撮って退散する。目抜き通りを一本も二本も入った下町で、地元の人しか利用しない食堂で、ケバブとビールを注文して昼飯にする。ここの店は近所のお年寄りも通う店のようで、老夫婦と高齢な男女が昼から楽しそうにビールを飲みながら語り合っている。何とも微笑ましい、私まで和やかな雰囲気に包まれる。値段は観光客相手の店の三分の一ほどだ。 夕飯は、2日通った店に「魚介類の煮込み」を昨日注文しているので、楽しみに出かけた。メニューにはないので身振り手振りで説明したらどうにか理解してもらい、特別に料理てくれることになったのだ。本当に通じているか心配したが、大皿に正真正銘の「魚介類の煮込み』がデーンと出てきました。汁がないのはイマイチだが、ダシが効いた白身の魚、貝、エビ、イカがとても美味しく、たまりまんね…。食べ終えて値段がべらぼうに安いのにはビックリ! 鍋だけの値段は800円だ。一昨日、散髪し た床屋さんはパキスタン人、今日の昼飯はイラン人の店、夕飯はフィリピン人の店、バルセロナの路地裏を歩き、自然に安い店を探す臭覚が身に付いているようだ。困ったものだ(#^.^#) 2012年8月22日水曜日 ーSorry, I am tiredー 本日の昼飯 ビールとソーセージのサンドイッチ 夜中まで話し声、笑い声がしたのでたまらず注意した。昨日は『魚介類の煮込み』を美味しく食べてホテルに帰り、気分よくブログ更新して10時30分にベットに横になった。10分もすると同宿の男1人と女3人が帰ってきて、話はするわ笑うわで寝ていられない。それでも12時少し前まで我慢に我慢をしていが、たまらずにムックと起きて腕時計を指して、「sorry, I am tired」と言った。すぐに消灯され静かになり眠ることができた。ドミトリーは料金が安いが同宿の人に気を使うので結構疲れる。 本日はバレンシアまで4時間のバスの旅。車窓からはぶどう畑が出発から到着まで途切れることがなかった。バレンシアはバルセロナに比べると極端に観光客が少ない。街もバルセロナに比べると落ち着いているというか活気がないように感じられる。ここに3泊するのでゆっくりと街を見て歩くつもりだ。
2020.05.15
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2012年8月19日日曜日 ースイスアルプスを飽きるほど見られて大満足ー グリンデルワルトのお祭り 昔の衣装で町を歩く モンブラン グランドジョラス北壁 モンブランをバックに グランドジョラスをバックに グランドジョラス北壁 迫力満点 ツェルマット方面 真ん中の右に小さくマッターホルン ミディ3842メートからの眺望 素晴らしいの一言 ジーパンにスニーカー、いかにも素人と見られ、ツェルマットでは外人さんに標識のあった所で、真っすぐはアップダウンがキツいので、左を行くようにと注意を受ける。スニーカーの底はツルツル 高山植物と4000メートル級の山 なーんか決まっていませんね? せっかくバックがいいのに こんな感じで、天気が良ければ最高のハイキングになる 高山植物と蝶々 名前がはっきりしません ドリユ北壁 ドリュ(右)と氷河 黄色い高山植物とドリュ シャモニーでは天気に恵まれて、ヨーロッパ大陸最高峰のモンブラン、グランド・ジョラス、ドリューが見られて大感激、大満足だ。今回は6ヶ月かけてユーラシアを横断するのが目的なので登山用具は何も持ってきていない。スイスアルプスも一般ルートなら私でも登れる4000メートル級の山はあると判断した。それには昔覚えたアイゼン山行や簡単な岩登りの技術が必要で、本当に登るつもりなら何ヶ月かかけて訓練するしかない。次回スイスを訪れる時には4000mのピークを幾つか踏みたいものだ…。 キャンプ場で知り合った人達と毎晩夕飯ならぬ宴会があり、毎日退屈することない。晩飯はツナと野菜を適当に入れた炊き込みご飯で、美味しくするにはツナ缶のオイルも全部入れて炊き込むのがコツだ。それと鍋物、残り物の野菜と肉かソーセージを入れてコンソメ味にしたポトフは寒い山でのご馳走だ。 2012年8月19日日曜日 ー合計30泊31日のテント生活を終えるー 17日、ビールとサンドイッチにコーヒー付きで850円の昼飯 左が坂さん フランスパンにチーズとハムが挟んである 大宴会の準備中 裸が入江さん キノコとピーマン、玉ねぎの炒め物 鳥のもも肉が入ったポトフ ジュネーブ市内 サン・ピエール大聖堂 上に同じ 国際宗教改革博物館 ジュネーブ市内の路地裏 サン・ジェルマン教会 ジュネーブ市内 レマン湖 昼 ビールにチャーハン 握り寿司26スイスフランにビール4フラン 特別美味しいわけではないが、5ヶ月ぶりだ 寝台列車の中 バルセロナに着き、バルでビールを飲む ここは立ち飲みスタイル ここ数日は私と岸田君が買出しした材料で4人分の料理を作って食べたので、坂さん、持田さん、入江さんの3人が買い揃えたビールとワイン、鶏一羽を焼いた物(店で買った)と鳥のもも肉入りポトフに、鮭缶を入れた炊き込みご飯の豪華版の夕食となった。調子にのり話し込んでいたら23時近くに隣のテントの外人さんに注意され、素直に誤りシュラフに潜り込むと1分も経たないうちに爆睡だ。 合計30泊31日のテント生活を終え、18日は7時45分発のバスでジュネーブに行き、23時05分発の寝台列車でバルセロナに向かう。ジュネーブには国連のヨーロッパ本部や国際赤十字などの国際機関が集結している。硬そうなイメージがあったのだが…、駅の左手の路地にはケバい女性が昼から立ちんぼしているのを発見、労働不足を補うために地中海諸国からの出稼ぎ労働者が多いので、そちらの需要があるのだろう。 これからは毎日ブログを更新する予定だ。
2020.05.14
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マッターホルン 2012年8月7日火曜日 ー8/2-6 7日に待望のマッータホルンを眺めるー お米をもらったので炊き込みご飯にしました キャンプ場 ツェルマットの街並み ツェルマットホテルのお迎え ポップコーン ビールのつまみ 待望のマッターホルン やっとwifiにつながりました。 8/1~3インターラーケンのキャンプ場。4日からツェルマットのキャンプ場にやって来た。2日は激しい雨。ツェルマットも天気が良くなく、マッターホルンはまだ顔を出してくれない。イタリアから湧き上がる 雲が周期的に雷と激しい雨を降らせる。とても肌寒い。7日から天気は回復するようなので、マッターホルンを眺めに行く予定だ。7日は朝から快晴、8時出発して待望のマッターホルンを眺めることが出来た。次回はスイスアルプスの写真をたくさん掲載する予定です。 2012年8月9日木曜日 ー安ワインで毎日大宴会ー 焚き火の準備 宴会が始まる 火は何ともいえない温かみがあります マッターホルン マッターホルン 見る角度によっていろいろに変化する 4000m級の山々 ブライトホルン 登り2時間らしい アイゼンとピッケルがあれば私でも登れると思う ブライトホルン 左からマッターホルン、タンブランシュ、 オーパーガーベル 記念撮影 バイスホルン ブライトホルン モンテローザ(左) リスカム(右) 迫力満点のマッターホルン 昨日、大宴会になりました お父さんオランダ人 お母さんがタイ人 本当に可愛お嬢さん 7日はロートホルン・パラダイスの展望台に行きマッターホルン(4478m)、ブライトホルン(4164m)、リスカム(4527m)、モンテ・ローザ(4634m)を間近に見ることが出来た。やはり、天を刺す矢尻のようなマッターホルンは圧巻だ。 8日はヨーロッパ最高地点(3883m)にある展望台に行き、フランスからオーストリアまで360度の大パノラマを楽しんできた。山の名前は全部は分からないが、ツェルマットには4000mを超える峰が 29も集中している。マッターホルンは今まで500人以上もの命を奪った。しかし、今ではガイドを雇えば、体力とアイゼン山行経験者は頂上に立つことが可能になったようだ。ここのキャンプ場で知り合った坂さんは1400スイスフランを支払い11日に登頂する予定だ。日本円で13万円…、うーん高いよね? ここのキャンプ場には入れ替わり立ち替わり5~7名の日本人がいる。それに韓国の人、オランダの人たちを交えて、雨の日以外は毎日宴会だ。好評なのは鍋料理で、キノコ、人参、ネギ、ジャガイモにソーセージを入れ、コンソメと塩、醤油で味付けしたものだが、これが泣かせる味でとても美味い! ビール500ミリ缶が1.6フラン、ワイン1リットが1.95フランなので、ビールは1本にして安ワインを飲んで宴会は大盛り上りだ。 2012年8月12日日曜日 ースイスでは食材を買い求めすべて自炊ー 定番になったポップコーン 昨日の夕食 炊き込みご飯とそうめん スイスで毎晩一本飲んでいる 170円のワイン(1リットル) 日本の夏はそうめん、しかしスイスは朝晩は10度以下 それでも美味し! モンテローザ(左) リスカム 氷河 ブライトホルン 美しい氷河 マッターホルン ツイナールロートホルン(左) バイスホルン(右) 軽いハイキング4000メートル級の山々が眺望できる、素晴らしいところです ブライトホルンと氷河 実に美しい マッターホルンと登山電車 マッターホルンと登山電車 逆さマッターホルン こんな素晴らしい景色が見られるんです 日本の皆さんと雑談 宴会 キャンプ場 教会とマッターホルン 妙高高原とツェルマットは姉妹都市 ツェルマットの町中からマッターホルンが見られる 1865年7月14日にウィンパーと山岳ガイドのミシェルが初登頂の偉業を成し遂げた 昨日は、スイス随一といわれる展望台ゴルナーグラートに登ってきた。モンテローザ、マッターホルン、リスカムなどの4000メートル級の名峰を一望出来、ゴルナー氷河の表情豊かな造形美が眼下に広がり、飽きることがない。ただ、難をいえば人が多すぎる。ハイキングコースには日本の団体さん、世界各国からやって来たハイカーでいっぱいだ。 スイスは物価が高くレストランには1回も入っていない。一品料理で20~30スイスフラン、それにビールにワインを飲めば軽く60フランはかかる。『チーズフォンデュ』2~5種類のチーズを白ワインで溶かして、パンに浸して食べる料理だ。昔、日本で食べたことがあるが美味しいとは思わなかった。(負け惜しみ) テント生活してからはスーパーで食材を買い求すべて自炊だ。1日にビール2本とワイン(1ℓ)1本を飲んで1000円以内で収まっている。 明日はシャモニーに向かう。この先は、シャモニーに5日、スペインに8月末までいてポルトガルに進む。 旅も残りひと月と数日となった。
2020.05.13
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アイガーをバックに 2012年7月27日金曜日 ー7/24.25.26 アイガーを眺められて最高だー 24日の買出した野菜とハム、パン、ジャム、ビールとワイン キャンプ場からアイガー 右が北壁になる フィンステルアールホルン山 25日登山鉄道で3454mのユングフラウの 下まで行ってきました 素晴らしい眺めです アイガー アイガーをバックに 4000メートル級の山 クライネシャイデック駅から ユングフラウ山をバックに 高山植物が見頃デス 色々な高山植物が咲き乱れていた アイガー北壁(左)メンヒ山(右) ユングフラウ山 昼飯 ビールとパン(チーズ)桃、トマト 天気に恵まれて最高のハイキングを楽しんでいます。さすが本場、スイスアルプスはハイキングコースが整備されていてとても歩きやすく、アイガー、メンヒ、ユングフラウがすぐ手の届く距離に迫力満点で迫ってきます。私にも登れそうに思えるのですが…。やはり無理か! 日本の旅行会社の稼ぎ時、スイスに入ったら日本のツアー客が群れをなしてハイキングコースを歩いているのに出くわします。でも、70歳以上のお年寄りには少しキツイようで中にはヨタヨタしながら歩いている人もいますね。私も含めて、日本人のハイキングの服装はダサい。遠くからでも日本人とすぐわかります。 28日までアイガーを眺めて、インターラーケンで3日ほどいる予定です。 2012年7月30日月曜日 ー7/27.28.29 雨のテント生活もそれなりにいいものだー 説明なし、ただ写真を見てください 行動食 ヨーグルトとアメ フィルストからの眺望 バッハアルプゼー湖 アイガー やはりスイスですね テント こんな感じで生活しています アイガー 綺麗な華麗な高山植物が咲き乱れていた 労山の池田さん(右)勝野さんこ 雨の合間の雲の隙間から山を照らしている こんな素敵な山を見れる、スイスは最高ですね 27日はグリンデルワルトの人気のフィルスト展望台から、アイガーを左に眺めながら、湖を通り、お花畑の中を約4時間歩いた。高山植物が咲き乱れるコースを歩く約4時間のハイキング、4000m山々が眺望出来て快適で素晴らしかった。28日と29日は曇り雨、ほとんどテントの中で過ごした。スパゲティをうどん風に味付けして食べたり、安ワインを飲んだりしながら文庫本を読み、それなりに楽しんでいる。スパゲティに昆布茶を入れて食べるのは初めてだがなかなかの味だ。それと、カップスープの素で味付けして食べるのも結構いける。ここで知り合った日本勤労者山岳会の池田さん、勝野さんが帰国するのでわけてもらった。どんなことしても、竹ちゃんは何でも食べられるということですね…。 二人とは一緒に夕飯を三日間共にした。マナスル登頂ほかエベレストの8000mの経験者で、私などは足元にも及ばない山歴の持主だ。
2020.05.12
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ユングフラウ山4158m 2012年7月22日日曜日 ーインターラーケンにいますー 写真なしです。 イタリアからスイスに入るには、マジョーレ湖をCaterinaからStresaに横切って、電車に乗継ぐのが効率的のようだ。ただ、バス便が悪く11時50分しかない。キャンプ場の女性に話をすると、車で港まで無料で送ってくれる事になった。歩けば6キロはある、大助かりだ。フェリー乗場は、エスカレーターで下まで降りて教会の中を通り、断崖絶壁の所にある。15分ほどでStresaに到着。ここから、Verbania、Domodssola、Brigと乗継いで、Brig駅で300スイスフラン引出して、Interlakenに向かう。車窓からは目にも鮮やかな緑のジュータンが雨に洗われて一際美しく見える。生憎の天気だが、スイスに来れた高揚感で気にもならない。駅から7~8分の川沿にあるキャンプ場で手続きを済ませ、小雨の中テントを設営して、買出しに行く、しかし、マーケットは17時で閉店。また悪いことに、明日は日曜日でほとんどの店はやっていない。当然マーケットも閉店だ。通りすがりの女性に何処か食料品が買える店がないかと尋ねると、駅の小さなマーケットを教えてもらう。ビールとワイン、サラミ、ソーセージ、パンなど買う。イタリアの2~3倍の定価だ。夕食はキャンプ場に設けられている食堂で、パスタとサラミ、ハ ム、チーズをつまみに缶ビール2本とワインを飲む。周りの人達は質素な夕食で、やはりパスタとパンとコーヒーだけの家族もいる。食事を済ませテントに入るが、小雨が降り続いている。 2012年7月24日火曜日 ーユングフラウ山を眺望ー 21日 ここからフェリーに乗船 教会の中を通ると船着場がある 前と後ろにザック 結構きつい インターラーケンについて買出し26ユーロ 三日分の食料 後はビールとワインを買い足す テントの中 インターラーケンの町の綺麗な教会 インターラーケンの町並み 22日の夕食 スパゲティ、キュウリ、トマト、チーズ、サラミ、ソーセージ キャンプ場の食堂で 自動タイマーで撮影 23日の朝飯 23日の朝、朝日が差して気持ちがいい ユングフラウ山4158m(左) 上に同じ いい山ですね インターラーケンは、西のトゥーン湖と東のブリエンツ湖の間にある美しい町。昔からアイガーやユングフラウに登る人の基地でもある。インターラーケンには、西と東に二つの駅が有り、グリンデルワルトに向かう登山列車が出るのは(東)オスト駅。 朝方は小雨がぱらついていたが、午後からは青空も顔を出し半袖で丁度いい。ユングフラウの眺めは雲に隠れて見ること出来ない。町をブラブラ歩くと、観光拠点になっているだけあって、高級ホテルや高級時計専門店が軒を連ねている。ホテル前は洒落たレストランになっていて、皆さん美味しそうな料理を食べている前を、スーパーで買ったトマトとキュウリの袋を持って通りすぎる。(少し恥ずかしいような気持ちで通り過ぎました…)今晩は、スパゲティとサラミ、ソーセージ、チーズにトマトとキュウリを肴に缶ビール2本とワインを飲む。 朝から快晴。朝飯を食べ終えて、早速、ユングフラウ山がよく眺望できそうな公園まで出かける。山の谷間から真白な山が見えてきた。稜線が実に美しく、峻嶺な壁の美しさにも何か品がある『ユングフラウ山』をしばらく眺め続けた。明日、グリンデルワルトに行けば、もっと間近にアイガー北壁やメンヒ山、ユングフラウ山が見ることが出来るはずだ。明日からが楽しみだ。 明日は、グリンデルワルトに向かう。ここから登山電車で35分くらい。ここよりも500メートル高い、1000メートルを少し越した所にある。 行ってみないと分からないが、wifiが繋がるかどうか…、ブログ更新出来ないかもしれない。 2012年7月24日火曜日 ー7/19の写真貼り付けました 若かったら鼻血ブーですねー キャンプ場の近くには買い物する所が、一店しかないろくなものがないので 昼に買出しに往復10キロ歩いたイタリアは車社会、バスも1日に数本徒歩旅行者には辛い、買い出しの途中でビールを一杯 買い出しの途中で、マジョーレ湖を眺める 本日、買出しした品物桃、トマト、キュウリ、ソーセージ、オレンジジュースと梨のジュース、コーヒー、締めて7.3ユーロ どうですか、美味しそうなトマトではありませんか、実際に美味しくいただきました 80円 パスタをゆでているところ 袋の半分、今日と明日で消化しなければならないので無理して、多いとは思ったが、実際に多かった でも、パスタはキャンプでは腹の足しにはなるし、簡単に料理出来るのがいい 今晩の夕食 パスタにトマトソース実に合いますね 半分食べて、腹一杯、でも残さず食べました マジョーレ湖は、山中湖に似ていて、湖の周りは別荘やリゾートマンションが建て込んでいる。イタリアの裕福な人達の避暑地だ。夏は、イタリア人は長い休暇に入る。日本のように5日とか10日の休みではない、1ヶ月からそれ以上の休みで、家族や友達同士で旅行したり、人それぞれに楽しんでいるようだ。ここのキャンプ場にも、キャンピングカーや自家用車にテントを積み込んで、長期滞在に来ている。皆さん、湖で泳ぐので水着姿で歩いている。中には目のやり場に困るほどの、セクシーなビキニ姿で、私のテントの前を通って行く。若かったら鼻血ブーですね! 今日の朝の失敗談を一つ、シャワーを浴びようとシャワー室に行った。入口には0.60ユーロと書かれていたので、小銭を持ってシャワー室に入る。シャワーは5分間しか使えないので、先にお金を入れてしまったらその分無駄になる思い、スッポンポになってから、お金を入れようとしても入っていかない。裸のままで外に出て、誰かに聞く事も出来ず、脱いだ物を再び着て、フロントに行った。何の事はない、シャワー専用のチップでないと使えないのだ。先にお金を入れて、着替えている間がモッタイナイと思ったのが良くなかった。やはり、せこい事してはいけませんね。 北イタリアで1週間から10日間過ごそうと考えたが、キャンプ場は湖水地方にしか無く、私みたい貧乏たらしいテント生活者は場違いのようだ。それに、皆さん夜遅くまで騒々しいので、イタリアも終わりにして、スイスに入ろうかと、地図とにらめっこしている。
2020.05.10
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2012年7月17日火曜日 ーミラノに到着したー ドゥオーモ正面 午後、4過ぎにミラノに到着。宿を探すが3000円以下のホテルはなかなか見つからない。駅からだんだん離れて、17~20分くらの場所にあるホテルをどうにか確保する。トイレとシャワーは部屋にはない、料金は2500円。部屋はそこそこの広さで掃除が行き届いている。早速、ホテルの人にキャン プ道具を買える店を尋ねたら、一生懸命になり探してくれる。教えてもらった店は地下鉄で7駅ほどだ。部屋にザックを放り投げ、その店に向かった。店内は広く、アウトドア商品の品揃えは豊富で安い。テントとマット、ガスコンロと替えガス、食器を買った。ただ、重量は4キロ弱なのだが、かさばるので、私のザックからはみ出してしまう。 そうかと言って、ザックには余分な物は入っていないので、捨てる物はない。明日は、ミラノ市内観光を早めに切り上げて、キャンプ道具と格闘だ。 2012年7月18日水曜日 ー明日からキャンプ生活ー トイレとシャワーは無いが、小奇麗な部屋だ テントやマットどうすればザックに収まるわけ ドゥオーモ正門 写真を撮ってもらったがドゥオーモ全体は写っていない ドゥオーモ正面 ドゥオーモ広場 この写真も私が中心、ドゥオーモが撮れていな 以下したはドゥオーモ内部 ドゥオーモ内部 荘厳な雰囲気だ やっと、ドゥオーモ全体と私が撮れました 日本料理屋さん、握り寿司とビール飲んで28ユーロ やっと、パッキングができました ※ドゥオーモとはイタリアの街を代表する教会堂の事。 本日は、ゴシック建築の最高傑作のドゥオーモを中心に見学する。1386年に着工されてから500年後の1887年に完成。大聖堂の正面は壮麗な装飾で飾られ、小塔は135本、ものすごい数の彫刻は、繊細なレース細工のようだ。聖堂内部は、ステンドグラスから差し込む光を受けて荘厳で神秘的な雰囲気が漂っている。ドゥオーモ広場には、鳩の餌「とうもろこし」を有無も言わせずに観光客の手のひらに渡し、5ユーロをだまし取っている輩がたくさんいた。知らない人から何か渡されたりしても「ノーサンキュー」と言って断るしかないのだが、敵も去る者、結構しつこいのだ。これから、イタリア旅行する方は十分注意してほしい。キャンプ用品を買い、ザックにパッキンしてみたが収まらない。写真のように大きいザックは背中に、小さいザックは前に持つしかない。 明日は、マジョーレ湖Lavenoに行き、テント場を探す。 これからは、wifiが繋がったらブログ更新する予定だ。3~5日間更新されなくとも心配ご無用に。 北イタリアに1週間程度テント生活して、『アイガー北壁』が眺望できるグリンデルワルト、『マッターホルン山』が目の前に迫るツェルマット、『モンブラン山』『グランドジョラス山』が眺望できるシャモニーに進む予定だ。8月20日頃までヨーロッパアルプスの名山と対面したいと思っている。 2012年7月20日金曜日 ー若かったら鼻血ブーですねー ※wifiの電波が弱く、写真が貼りつけ出来ませんでした。 マジョーレ湖は、山中湖に似ていて、湖の周りは別荘やリゾートマンションが建て込んでいる。イタリアの裕福な人達の避暑地だ。夏は、イタリア人は長い休暇に入る。日本のように5日とか10日の休みではない、1ヶ月からそれ以上の休みで、家族や友達同士で旅行したり、人それぞれに楽しんでいるようだ。ここのキャンプ場にも、キャンピングカーや自家用車にテントを積み込んで、長期滞在に来ている。皆さん、湖で泳ぐので水着姿で歩いている。中には目のやり場に困るほどの、セクシーなビキニ姿で、私のテントの前を通って行く。若かったら鼻血ブーですね! 今日の朝の失敗談を一つ、シャワーを浴びようとシャワー室に行った。入口には0.60ユーロと書かれていたので、小銭を持ってシャワー室に入る。シャワーは5分間しか使えないので、先にお金を入れてしまったらその分無駄になる思い、スッポンポになってから、お金を入れようとしても入っていかない。裸のままで外に出て、誰かに聞く事も出来ず、脱いだ物を再び着て、フロントに行った。何の事はない、シャワー専用のチップでないと使えないのだ。先にお金を入れて、着替えている間がモッタイナイと思ったのが良くなかった。やはり、せこい事してはいけませんね。 北イタリアで1週間から10日間過ごそうと考えたが、キャンプ場は湖水地方にしか無く、私みたい貧乏たらしいテント生活者は場違いのようだ。それに、皆さん夜遅くまで騒々しいので、イタリアも終わりにして、スイスに入ろうかと、地図とにらめっこしている。 2012年7月20日金曜日 ー写真あり キャンプ場はハイシーズン料金ー 急遽買い求めた左のザックにはテントが入っている どうにかこうにかテントを設営できました マジョーレ湖からスイスの山? 二日分の食料を買出し ワイン、パン、パスタ、チーズ、ハム 残念ながら野菜買えず 明日、野菜を買う予定 テント場はほとんど満杯状態料金1日20ユーロ、高い3日で50ユーロにしてもらう 西日を浴びているテント場 写真が貼り付いていませんでした ミラノから終点のLaveno駅で下車して、売店でテント場が記載されている地図を買い求める。一番近いテント場は8キロ程のようだ。バスで行けるか聞くと、11時発のバスがあるとの事だ。到着して、ガッカリ、地図が古く目指したキャンプ場は廃業している。犬を散歩させている女性に聞くと、3キロ先にキャンプ場があると教えてくれる。バスを待つよりは歩いたほうがいいと思い、ザックを背中に背負い、サブザックを前に抱え、汗びっしょりになりながら歩き通す。キャンプ場は、私の小さなテントでも、20ユーロ、イタリアは夏休み真っ最中で、ハイシーズン料金が適用されている。私のテントは、小さく場所をとらないので安くして、と頼んだら3日間で50ユーロになった。それでも高いが、誰にも気兼ねしないで寝たり起きたり、食事が出来るのがなによりだ。ここに3泊する予定だ。
2020.05.09
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2012年7月15日日曜日 ー3ヶ月間で使ったお金ー 三泊したフィレンツェのホテル 24人部屋のドミトリー 修学旅行の宿状態ですね 私は乗っていません ユーロスター・イタリア 途中のピサで途中下車 斜塔を見学 本当に傾いています これでは、傾きが分かりませんよね アルメニアで会った関西の63歳の男性に撮ってもらった 彼は、アルメニア・グルジアを2週間かけて旅して、一旦帰り、イタリア旅行に来ている、それにしても偶然ですよね 私が、支えましょう ドゥオーモと後ろが洗礼堂 結構、傾いていますね ドゥオーモと左が洗礼堂 ピサの町で ピサの市内、真ん中が駅 ピサの路地 ピサの駅ホームから ジェノヴァ市内 ジェノヴァ市内 ジェノヴァ市内 ジェノヴァ市内 今晩の夕飯 カルパッチョとステーキ 今日は豪勢に、ビール入れて12ユーロ 本日は、途中下車して斜塔を見学した。本当によく倒れないものですね。感心しきりだ。ジェノヴァのホテルはどこも高く、1軒目は6500円、2軒目が5000円、3軒目が3500円、5軒目でトイレとシャワーは付かないが、2500円のホテルを探し当てて、2泊する。1軒目で次の安いホテルを教えてもらい、椅子取りゲーム方式で、次から次えと探し歩くのだ。それも、旅だと思わないとやっていられないよね。 ○3ヶ月間で使ったお金は以下の通り 5/22~6/21 31日間 交通費 18091円 食事代 19029円 ホテル代 32325円 その他 8429円 合計 77634円 3ヶ月間合計 交通費 116748円 食事代 51648円 ホテル代 68109円 その他 31075円 合計 267580円 3ヶ月目は、31日間あり、単純平均は2504円。交通費を差し引くと1日当たり1921円、ホテル代がヨーロッパに近づくと高くなる中、それなりに頑張った数字だと思っている。ほとんど、学生さん並みか、それ以下で旅行していると言っても通じるのではないだろうか。4ヶ月目からは1日平均3500~4000円は使っているようだ。ともあれ、当初、見込んだ予算以内で旅はできそうだ。 2012年7月16日月曜日 ー犬も歩けば遺跡にあたるー ホテルは6階 上から見た階段、吸い込まれそうになります 建物の6階がホテルになっている セキュリティが確りしている マッテオッテ広場 マッテオッテ広場からアカデミア宮殿 マッテオッテ広場 マッテオッテ広場からドゥカーレ宮殿 ドゥカーレ宮殿内部 私の大好きな青カビのチーズ 杖一本で空中に浮かんでいる サン・ロレンツォ教会 博物館の建物 上に同じ オート三輪車 ジェノヴァは港町 コロンブスの像 ジェノヴァには二つ駅がある 国際列車が発着するプリンチべ駅 馬が引ひく馬車 保存状態がいい 教会 名前は? 教会内部 ジェノヴァの街並み 本日は日曜日、すべての店が閉まっている イタリアは、日本のおよそ75%の面積しかない。しかし、全世界の文化財の4割を持っている国で、観光が外貨稼ぎの上位を占めている観光立国、『犬も歩けば遺跡ににあたる』状態なのだ。 古代遺跡や荘厳で豪華な教会、美術館の絵画・彫刻群などの見学も正直言って、飽きてきた。これは、私に教養がないという証明にもなりますね…。 明日は、ミラノに入り観光はそこそこにして、これから先のスイスでのキャンプ生活に必要な装備を調達しなければならない。ミラノのどの辺にキャンプ用品店があるのかも知らない。すべて、ミラノに入ってから情報を仕入れる。装備が揃い次第、北イタリアでキャンプ生活をしながら、スイスに入っていく予定だ。
2020.05.08
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2012年7月13日金曜日 ー観光はどうでもいいー ローマ門 集合住宅の呼び鈴、ここの人が毎日磨いているようだピカピカ 今日の朝通りかかったら磨いていた ピッティ広場とピッティ宮 街の様子 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 後ろが中央駅 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会と広場 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 中央市場 魚やさんの前でビールとムール貝(無料) 一杯飲んだら観光はどうでも良くなってしまった フィレンツェの庶民の台所 肉屋さん 市場の中、簡単な食事と飲み物が嬉しいですね 豊富な品数のワイン メディチ家の礼拝堂 メディチ家の庇護のもと、多くの芸術家が育ち、ルネッサンス時代にたくさんの作品を残した ドゥオーモ ビール1本130円 ホテルの入口 観光の途中で、市場を見つけてしまった。正直言って、教会や遺跡よりも市場巡りの方が断然楽しい。ましてや、ここフィレンツェは観光客が多過ぎる。早く、スイスの山麓に逃げ込みたい心境だ。 市場に入り、魚屋のお兄ちゃんに声かけられて、ムール貝を食べた。軽くレモンを絞り、立て続けに3個頂く、まぁー何と言いましょうか、肉料理もイタリア料理も、ムール貝には勝てませんね。店の奥にビール缶を見つけて、譲ってもらい、ムール貝を食べビールを飲む。店のお兄ちゃんは、ム ール貝を大きな皿に山盛りにして、食べろ食べろとい言うので、遠慮しながらたくさん食べた。後は、観光はどうでもよくなってしまい、ホテルの近くでビールを飲み、3時過ぎにシャワーを浴びて昼寝だ。 2012年7月14日土曜日 ーイタリアに入ってから便秘だー サント・スピリト教会 外見は素朴だが、内部は厳かな雰囲気だ! 内部は重厚な感じが伝わってくる サント・スピリト教会内部 サント・スピリト教会 ドゥオーモ・クーポラの上まで上がるために 列んでいる観光客、45分待ち 街頭バイオリン弾き ドゥオーモ天井『最後の審判』が描かれている 日本だったら、三途の川? クーポラの464段の階段を上がってきました 鐘楼と街並み 上に同じ ドゥオーモ内部のステンドグラス 大規模な騎馬肖像画 いいですね、ステンドグラス ドゥオーモ内部天井『最後の審判』が描かれている圧巻だ 大規模な騎馬像画 大規模な騎馬像画 ドゥオーモはフィレンツェ共和国の宗教の中心 白、ピンク、グリーンの大理石の 幾何学模様で飾られ美しい大聖堂 洗礼堂 『天国の扉』 イタリアに入ってから便秘だ。朝トイレでお尻の穴が裂けるのではないかと思うほど、硬いのだ。原因は野菜不足だ。(決め付けてしまっているが大丈夫…) そこで、今日の朝は牛乳を1ℓ一気に飲んだ。効果てきめんで、ドゥオーモを見学している最中に、お腹がゴロゴロしだして、近くのトイレに駆け込んだ。二三日分の用を足してスッキリだ。旅で下痢もいけないが、便秘も困る。 フィレンツェの美術館はどこも40分~1時間待ちだ。それに、全部の美術館の話ではないが、お目当ての絵画や彫刻ほど、貸出がされているのだ。それと、人の頭越しに小さくしか鑑賞できないのなら、日本に帰って美術書でゆっくり鑑賞したほうがいいと思い、美術館には入館しないことにした。本当はもったいない話なんですがね…。 明日は、ジェノヴァに向かう。
2020.05.07
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2012年7月11日水曜日 ー旅は、頭も柔軟で体力のあるうちにー 前は、見れなかったのですが、 写真をクリックすれば、写真が拡大します ヴァティカン宮殿(博物館)内 中学・高校の教科書に出てきた絵画も随分ありますが、如何せん忘れてしまっています。分かるもののみ説明 『音楽を奏でる天使達』 右が『キリストの変容』 右が『フォリーニョのマリア』 『アポロ像』 この混雑ですが行儀よく並んで見学しました 天井・横の壁にすべて絵が描かれています 圧巻でした 『アテネの学童』 出口専用のらせん階段 『最後の審判』の写真撮ったのですが手ブレがひどくて掲載できませんでした。 ローマの見所はほとんど見学した。本日は、洗濯して、明日のフィレンツェ行きの列車のチケットを買い求、あとはのんびりと過ごす。ローマだけではないが、遺跡の見学は結構疲れる。ただ歩くだけならいいのだが、登ったり下ったり、それなりの体力は必要だ。体力自慢の竹ちゃんが疲れるのだから、相当きつい遺跡見学なのだ。ツアー旅行なら、遺跡のすぐ側までバスが横付けされるが、自力旅行の場合は、そうはいかない。やはり、旅は、頭も柔軟で体力のあるうちに実行するに限る。 takaさんのコメントで、そうだ、『ローマの休日』の舞台になった『真実の口』に行っていない事に気づき、午後から行ってきた。手を入れてみたが、抜けなくなることはなかった。嘘つきでないことが、これで証明されたわけですね…。写真は次回。 明日は、フィレンツェに向かう。 2012年7月12日木曜日 ー「花の都」フィレンツェにやって来たー フォルトゥーナの神殿 嘘つきでない事が証明されました サンタ・マリア・イン・コスメディン教会 『真実の口』のある教会 サンタ・マリア・イン・コスメディン教会内部 7/10の昼飯 ホテルの中 ビール・ワイン、パンにチーズ とハム フィレンツェ、ヴェッキオ橋 ウェッキオ宮殿 ウェッキオ宮殿 街中で 花の聖母教会『ドゥオーモ』 花の聖母教会『ドゥオーモ』 裏路地 メディチ家礼拝堂 秋の新モデル、パンツが細いですね メリーゴーランド、小さいですがこの街に マッチしていますね 路面にモナリザの顔を描いている アルノ川 なんとも絵になりますね 「花の都」フィレンツェにやって来た。それにしても、イタリア鉄道は出発ホームなど、簡単に変更されてしまう。日本では考えられない事が平気で起きてしまう。出発ホーム2番線で待っていたのだが、出発15分前にあまりに遅いので、掲示板を見ると、違うホームが記載されている。慌てで出発ホームに向かうが、500mも先のホームであせった。フィレンツェに駅に着いて、ホテルを探すが5件目でやっと確保できた。明日からゆっくり見学するつもりだ。フィレンツェは歴史があり、見応え充分の街のようで、明日からが楽しみだ。
2020.05.06
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2012年7月8日日曜日 ーローマ市内を歩くー サンタンジェロ城 サンタンジェロ城 サン・ピエトロ寺院 サン・ピエトロ寺院 パンテオン 古代ローマの神殿 パンテオン 古代ローマの神殿 パンテオン内部 パンテオン内部 パンテオン内部 ナヴォーナ広場 ナヴォーナ広場 ナヴォーナ広場 古代神殿跡 トレヴィの泉 トレヴィの泉 トレヴィの泉 本格的な観光は明日からにして、とりあえず歩いて街の様子をつかむことにする。まずは、バスで『ヴァティカン』に向かう。カトリックの総本山、『サン・ピエトロ寺院』前には、たくさんの観光客の長い行列ができていた。次に『サンタンジェロ城』を見学し、ホテルの方向に帰りながら、画家ラファエッロが眠る『パンテオン』からバロックの巨匠ベルニーニが手がけた噴水がある『ナヴォーナ広場』、海馬の彫刻が施された、ローマで最も優雅な噴水で有名な『トレヴィの泉』を見学してホテルに戻る。どこもかしこも大勢の観光客でゆっくりと見学する事は出来なかった。本日は、10キロは歩いた、ピーチサンダルでは、足の裏が痛くて参った。 2012年7月9日月曜日 ー A ローマの一大名所コロッセオー ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂 サンタ・マリア・イン・アラチェリ教会 ティトウスの凱旋門 ティトウスの凱旋門 マクセンテイウスのバジリカ ロムルスの神殿 紀元前180年当時の皿 紀元前180年当時の皿 紀元前180年当時の壺 綺麗ですね 元老院 シーザーが「ブルータス、お前もか!」と叫んで殺された建物 セヴェルスの凱旋門 庭園 名前わかりません ファルネジアーニ庭園 コンスタンティヌスの凱旋門 コンスタンティヌスの凱旋門 コロッセオ コロッセオ内部 コロッセオ内部 コロッセオ内部の柱の一部 ドミトリーは格安で宿泊出来るのだが、宿泊客に問題があるホテルも多い。夜中まで大声で話したり仲間同士で騒いだりしているホテルもある。昨日、同宿の若い女性の話、私が夕飯を終えて9時すぎに部屋に戻ると、部屋の中は香水の匂いが充満している。派手派手なドレスに着替えて女性2人は9時半に出かけた。帰りは夜中の4時少し前だ。私が、朝7時に目が覚めて、目に入ってきたのは、2人の寝相の悪さだ、ケツ丸出しでパンティが丸見え。私のほうが恥ずかしくなってしまう。 ローマに来たら絶対に見たかったのは、円形闘技場『コロッセオ』とヴァティカン市国の『サン・ピエトロ寺院』の二つだ。本日は、紀元前80年に完成した円形闘技場コロッセオを中心に見学した。コロッセオでは「殺せー、お」(ダジャレ)と猛獣と拳闘士、拳闘士同士が凄惨な戦いが見世物に された。『フォロ・ロマーノ』は、古代ローマの民主政治の中心だった。神殿や元老院、凱旋門など数多く見ることが出来る。これだけの規模で残されていることに驚かされる。 2012年7月9日月曜日 ーB ローマの一大名所コロッセオー コロッセオ コロッセオ サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂内部 礼拝堂 柱は、古代ローマの神殿から運ばれた物 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は4世紀に建築された。内部の礼拝堂はルネッサンス後期のもの、それ以外にも古いものが残されている教会。 2012年7月10日火曜日 ーサン・ピエトロ寺院ー 荘厳な サン・ピエトロ寺院内 以下すべて サン・ピエトロ寺院 分かるところは説明付き マデルノの作主祭壇 古い時代の絵がたくさんあります ミケランジェロ作ピエタ 聖ロンジーノのブロンズ像 死の扉 聖なる扉 本日は、ヴァティカンに行ってきた。総面積44ヘクタール人口1000人足らずの小さな国だ。しかし、世界のカトリックの総本山として、礼拝に訪れる信者はあとを絶たない。『サン・ピエトロ寺院』には、歴代の教皇が葬られている。内部は荘厳で息を呑む程の美しさだ。 『ヴァティカン博物館』は、歴代の教皇による収集品が、古代ギリシア美術から始まり、各時代の価値の高いものばかり集めた世界有数の美術・博物館だ。チケットを買うまで長蛇の列、見学も行儀よく並んで進まなければ見れない状態だ。ベルトコンベアに乗って前に進む感じで作品を鑑賞したという感じだった。 今回は、サン・ピエトロ寺院内部の写真を貼り付けた。次回は、ヴァティカン博物館の写真を貼り付けます。
2020.05.05
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2012年7月6日金曜日 ーナポリは素晴らしいの一言だー ボヴィオ広場 ヌオーヴォ城 ムニチーピオ広場 ナポリ湾 海水浴しているが沢山いた 名前はわかりません、門の後ろはナポリ湾 卵城 卵城内部 大砲が備えられている 卵城内部 卵城内部、当時の扉 サンタ・ルチア湾と卵城 王宮 サン・フランチェスコ・ディ・パオラ教会 王宮正面入口 王宮の左側の街並み ウンベルト1世のガッレリア ウンベルト1世のガッレリア入口 ウンベルト1世のガッレリア内部 写真が変に貼り付いてしまいました ヌオーヴォ城 11時に本日から2泊するホテルにチェクインして、街を散策する。街並みはとても垢抜けしていて歴史を感じる。しばらく歩くとヌオーヴォ城に着く。1284年に建てられた城で、シチリア王国を統治していたフランスのアンジユー家の居城だ。中には入らずに撮影して、サンタ・ルチア湾に突き出したような城に行く、ノルマン王によって建てられた12世紀の卵城だ。その後は、王宮やサン・フランチェコフ・ディ・パオラ教会のあるプレビシート広場に行ってみた。言葉はなし、写真では分かりずらいかも知れないが素晴らしいの一言だ。ウンベルト1世のガッレリアは一瞬息を止めるほどの美しさだった。少し路地に入れば、町の人たちが普通に暮らし、生活感溢れ、活気がある風景に出会える。晩飯は、ホテルの人に聞いたピザ屋さんに行った。シンプルなトマトとサラミのピザを注文、焼上がりの生地はコンガリと焼かれていてとても美味しい。ピザ1枚が半径40センチもあり、食べきれないかと思ったが、美味しかったので残さず食べきった。ここの店でタコの茹でたのが一皿9ユーロしていた。魚関係は高い、3~5日起きにしか食べないことにしている。ホテルに帰る前にスーパーに寄ってワイン1本とチーズにサラミを買い込んだ。大阪からの留学生・男と福島の女性を誘ってワインを飲む。3ユーロ(300円)のワインだとはとても思われない美味しさだ。ワインの味音痴の私でも、日本だったら1500円以上するワインに匹敵する美味しさだと思ってしまった。それはそうだ よね、日本までの輸送コストがかかっているのだから、イタリアで300円だとすると4~6倍の値段で販売しなければ元が取れない計算になるか。 2012年7月6日金曜日 ーピザは確かに美味い!ー 昨日食べたピザも美味しかったが、今日のピザは本当に美味しかった カブアーノ門 名前はわかりませんが、こんな感じのモノがたくさんある 路地 前方が教会 国立考古学博物館 ここからは説明なし アレクサンドロス大王とペルシアの ダレイオスの戦闘場面 たくさんのエロチックな彫刻がありました 壁一面に絵画 精緻な彫り物の壺 本日は、国立考古学博物館を中心に見学する。博物館まで行く途中に多くの教会があり、見学しながら行く。教会の建物は、写真のように堂々として壮麗な建築物が多い。国立考古学博物館には、ギリシア・ローマ時代の美術品が数多く展示されている。詳しいガイドブックを持っていないので、説明は出来ないので、写真で想像を働かして欲しい。ただ、18歳お断り?のコーナーが有り、こちらは説明なくとも解ってもらえるはずだ。たくさん写真を撮ろうとしたが、混み合っていて数枚しか撮ることが出来ず、残念! インドのカジラホーの再現かと思ったのだが…。 今晩は、同宿の和歌山県新宮市のKさんとピザを食べに行った。Kさんは料理人でイタリアの味を勉強しに来ている。肩に刺青があり、一見怖そうだが、明日のローマ行き列車のチケット買うのに付き合ってくれたり、なかなかいい男なのだ。彼が、勤めていたレストランのイタリア人にも勧めら れた「ザ・ミケーレ」に行ってきた。店の前には長蛇の列、観光客もいるが地元の人が多い。ピザは2種類のみ、マルゲリータとマリナーラだけ。マルゲリータはトマト、チーズ、バジリコがのったナポリの代表ピザ、マリナーラはトマト、ニンニク、オレガノのピザ。味は、確かに美味い。生地が厚くなく、見た目は大きなピサなのだが、軽く食べる事が出来た。創業140年の伝統の味をかたくなに守っている、老舗中の老舗。 明日はローマに向かう。 2012年7月6日金曜日 ーピザは確かに美味い!ー 国立考古学博物館 路地裏の骨董屋さん 古本屋さん サンタ・キアーラ教会 インマコラータの尖塔 お土げ屋さん パンに下のハム等を挟んでもらう ザ・ミケーレ入口前 和歌山新宮市のKさん 私は、日本にいる時にはほとんどピザ、ハンバーグの類は食べないのだが、本場のピザを食べて正直、驚いた。本当に美味しいのだ( ゚v^ ) 今まで日本で食べたピザとは全く違い、生地は小麦の香りが香ばしくもちもち、トマトソースは味が濃厚で、いくらでも食べられそうになる。太陽がギンギンに浴びたトマトや野菜など、その土地の風土に合った食べ物は格別なのだと思うね。 2012年7月8日日曜日 ー夕食に韓国料理を食べるー ナポリの石畳の路地 雰囲気があっていいですね 路地裏の魚屋さん 路地裏の果物・野菜屋さん 美味しそうな魚が並んでいました 魚やさんが結構あるのですが、意外と魚を 食べさす店が少ないように思う ナポリ~ローマ行き列車 水を買い込んで乗車 夕飯 韓国料理、やはりコメとキムチは美味しかった ローマ行きの列車は途中駅で40分停り、乗客全員次の列車に乗り換えるハプニング付きだだった。イタリア鉄道は普通に列車が遅れたり、大幅減便やストライキによる間引き運転が日常茶飯事の出来事のようだ。結局、12時33発、15時20分到着予定が2時間30分遅れの17時55分にローマ到着。ホテルを探すが2件とも満室、3件目で確保、本日と明日が3950円、3~5日が3750円のホテル、当然ドミトリーで朝飯は付かない。晩飯は、途中で道を聞いた韓国料理店に入った。ここの女将さんがとても親切に道を教えてくれたので、お礼のつもりで入ったが、安くない、焼肉定食1500円+ビール400円の出費。
2020.05.04
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2012年6月30日土曜日 ー6/29 B 国立考古学博物館ー wifi遅くて、遅くてやっと間に合いました 博物館・写真だけ マックで昼飯 市場の様子 2012年7月4日水曜日 ーナポリにいますー wifiが繋がるところがなくてブログ更新できませんでした。昨日はフェリーでギリシャのパトナからイタリアのバリに向かいました。船の中で一緒になった30歳の千葉県野田市の藤本君と一緒に61歳の誕生日を祝いました。ワイン4本も飲んでしまいました。免税店でワイン1本3.2ユーロ、ポテトチップス 3.5ユーロ、どんな値段設定なのか良く分かりませんね。 ギリシャはアテネを見れば十分という気になり、イタリアに向かいました。先ほどナポリに到着して ブロク更新しています。今日は写真なしです。ナポリは着いたばかりですが、なかなか良さそうな街だと直感しています。 2012年7月4日水曜日 ー 7/1 ミケーネ遺跡見学ー 本日のホテル 一泊1750円のホテル 夕飯 サラダとパン、ビール 地酒とチーズ 地酒の値段はその場で決めた一杯100円 結構アルコール度数が高い、酒というよりもワインだ ミケーネ遺跡 天井まで石が組まれている 黒い部分は、当時煮炊きした煙でいぶされたあと 上の写真の入口 ミケーネ遺跡 正面入口 頂上の王宮跡からマルゴス平野を見渡す 要塞は断崖絶壁の上に建てるものなんですね 今まで見てきた要塞もすべて断崖絶壁に建っていた 住居跡 住居跡 ミケーネ博物館で出土した焼き物 「黄金のマスク」本物はアテネ国立考古学博物館にある ミケーネ遺跡を見学して一息入れているところ ミケーネの町 オレンジ栽培が盛んな町 季節がいいのか、結構綺麗な花が咲いていた バスの運転手にミケーネまで3キロ手前で降ろしてもらう。とりあえずマーケットに入り、ミケーネの行き方を聞く、歩いて25分ほどで到着出来そうだ。ビールを飲んで一息入れて歩き出す。温度計は34度ほどだ、しかし湿気がなくカラッとしているのでさほど汗もかかない。10分も歩くとミケーネの町が見えてきた。今日の宿を探さなければならない。私のカンでは町中よりも離れた宿の方が宿泊費が安いことが多いので、町の入口のレストラン兼roomsと書いている店に入り、ビールを注文して、一晩いくらと聞いてみたら25ユーロと返事が返ってきた。部屋を見せてもらうと、広いシングルの部屋でトイレとシャワーに扇風機付きだ。1泊25ユーロを図々しくも2泊で35ユーロにしてもらう。 翌日は、ミケーネの遺跡を見学する。紀元前16~12世紀に栄えたミケーネは「黄金に富むミケーネ」とうたわれ、最盛期には東地中海一帯を支配下においたほどだ。「黄金のマスク」や線文字Bが描かれた粘土板などが出土されている。王宮跡があった丘の上からは、天気もよくアルゴス平野を見渡すことが出来た。
2020.05.03
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トルコ・イスタンブールからスイスまで 2012年6月28日木曜日 ー立ち飲み屋の皆さんと 無理やり別れの挨拶ー 地下宮殿 大きな貯水池 写真では暗くてわからないか? 4~6世紀に造られた 宮殿の奥にメトゥーサの顔がある 見た者をたちどころに石にするという伝説がある ピーマンにライスが入っている 国鉄スィルケシ駅構内 なかなか洒落ています 大きな間口ではない 国鉄スィルケシ駅 6日間通った立飲み屋(真ん中) 右がケバブ屋さん、安くて美味かった 路面電車が走ると歩道は狭い 立ち飲み屋から撮影 27日朝飯 5ユーロ(500円) 27日から3泊するホテルの食堂 27昼飯 ピーマンの中はライス ホテルから歩いてすぐ 明日見学する 上に同じ ホテルを出ると遺跡だらけ wifiが繋がらないので、レストランでビールを 飲みながらブログ更新 19時間かけてアテネに11時過ぎに到着、さすがに疲れた。部屋は14時チェックイン、それまでホテルの周りを散歩して時間をつぶす。部屋に入り、シャワーを浴びながら洗濯をして、夕方まで眠る。 イスタンブールの立ち飲み屋では、常連さん達から3本もビールの差し入れがあった。結局5本飲んで、9月14日の夜にイスタンブールに立ち寄るからと言って、無理やりに別れの挨拶をして路面電車に乗る。それにしても皆さん心の暖かな人たちだった。トルコはこんなにも素敵な街だとは思ってもいなかった。今度機会があったら、もっとゆっくりした日程で旅行したい、と本当に思っている。 2012年6月29日金曜日 ー6/28 A アクロポリスの丘ー イロド・アティコス音楽堂 パルテノン神殿の手前の階段 パルテノン神殿 以上写真だけ アタロスの柱廊、遺跡の中で唯一完全に 復元された建物 博物館になっている 私のパソコンのバッテリーは1時間20分位しか持ちませんので、説明は無しです。 写真ABに分けてお届けします。それにしても大勢の観光客だ。遺跡を見ているのか、人を見に来ているのかわからない状態だった。年間500万人以上の観光客が訪れるのだからしょうがないか。 一人で歩いていると、仕事で来ているという二人のイタリア人の男に声かけられた。一緒に酒でも飲もうと言われたが、どう見ても仕事で来ている人に見えなかったので、途中まで歩いて、適当なことを言って、さっと離れた。もう一人は、写真を撮ってくれと言うので一枚撮ってやった。そうすると、私の歩く方に一緒について来て、英語で話しかけてくる。こいつも怪しいので、適当に話していたら、急に怒り出して、アホ、バカ、スケベと言って離れていった。こいつもやはりイタリアからの観光客だと言っていた。こいつとは三回も別な場所で会うことになった。 2012年6月29日金曜日 ー6/28 B アクロポリスの丘ー アタロスの柱廊 古代アゴラ 市場跡 買い物に来た男たちが政治の話をしたり、ソクラテスや プラトンの弁舌に耳を傾けた場所でもあった ヘファイストス神殿 遅い昼飯? ビールとポテト ディオニス劇場 イロド・アティコス音楽堂 晩飯 ビールとチキンのピタ 2012年6月30日土曜日 ー6/29 A 国立考古学博物館ー ドミトリー 皆さんこんな格好で寝ています ゼウス神殿 後ろがアクロポリスの丘 街のスタンド 街の様子 国立考古学博物館 展示物 本日は、ゼウス神殿を見学する。紀元前4世紀に建立された建物、柱が数本青空に真直に建っている。少し上を見れば、防衛のために建てられた要塞アクロポリスの丘だ。次に、街を散歩しながら国立考古学博物まで40分ほど歩いて行く。やはり、街中は観光客相手のお土産屋やレストランが目立つ。今現在ギリシアでは、暴動が起きているとかで、観光客は少ないそうだ。ただ、街を歩いていて騒ぎがあるようには全然感じられない。アテネ市民の台所を賄う市場を見つけた。野菜、肉、魚、香辛料などの匂いをかぐとホッとするね。話を戻して、国立考古学博物館にはギリシア国内各地の重要な出土品が収められている。アクロポリスの丘をはじめ各地で発掘されたレリーフや彫像が、時代別にジャンル別に展示されている。『黄金のマスク』古典期のブロンズ像『馬に乗る少年』など見応え充分なのだが、如何せん勉強不足で、紀元前200~500年の彫像やレリーフを前にしても、あー凄い? 素晴らしい! だけではどうしょうもないよね…。 明日は、ミケーネに向かう。 パソコンのバッテリーが無くなりつつある。写真Bはこの次になるかもしれない。
2020.05.02
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昨日、コメントがありました。リゾート地でバイトしながら生活する人たちに情報を発信しているリゾバ生活(クリックして下さい)を紹介します。興味のある方は覗いて下さい。 2012年6月24日日曜日 ー酒飲みは万国共通だー グランドバザール入口 小さな店が所狭しと並んでいる 中東一の規模 屋根付き市場 買い物客も観光客もたくさんいる なかなか味のある建物だ 客引きにほとんど声掛けられなかった 見る人は分かるんですね、買い物する人か、冷やかしなのか スュレイマニエ・ジャーミィ敷地内墓所 スュレイマニエ・ジャーミィの建物は、 写真に収まらない規模だ スュレイマニエ・ジャーミィの中庭 内部の装飾が美しい 観光客も信者 の人もくつろいだ雰囲気とても穏やかな内部 荘厳の造り 天井は絨毯模様のモチーフ 人が多くなくてゆっくり見学できた 光が差し込むステンドグラスが美しい すぐ側の建物 名前は? 路地からのスュレイマニエ・ジャーミィ ギリシアのアテネまでのバスチケットを買い、グランドバザールに足を向ける。朝早くから賭けゲームに熱中する男達、チャイを楽しむようにゆっくりと飲む人達がいる、この街にはよく似合う光景だ。グランドバザールは大規模すぎて、どこに何があるのかさっぱり分からない。私は買い物目的で来ているわけではないので、どこに何があろうが関心がない。それを見透かしてか、客引きに声もかけられない、さすが、相手はプロだ。 スュレイマニエ・ジャーミィは、1557年に完成した。トルコ最高の技術を駆使して造られただけあって、建物の外見も内部も素晴らしかった。 今日も立飲み屋に行った。ここの店は曜日に関係なく常連さんが顔を出す店のようだ。3日間ほとんど同じ顔ぶれだ。私が行くと仲良くなった3人に握手を求められる。トルコ語、英語と日本語のわけのわからない会話だが、不思議と話が合う。酒飲みは万国共通だ。 2012年6月25日月曜日 ー観光船に乗ってみましたー 昨日の立飲み屋で、エフェスビールとチーズ ビール(500ミリ)1本162円 夕飯、ケバブをパンに挟んで86円 ボスポラス海峡の定期便に乗船 片道1時間40分、往復乗船 ドルマバフチェ宮殿 ドルマバフチェ宮殿 ドルマバフチェ宮殿 ボスポラス大橋 ジグザクに寄りながら行く定期便 斜面にへばりつくように家が建っている 途中の港 港には船がたくさん停泊していた オスマン朝時代(1390年)の城壁跡 城壁跡からマルマラ海を眺望する 終点のアナドル・カヴァウは 観光客相手のレストランだらけ ほとんどがシーフードを食べさす 海水浴の人達 裸の男性に声かけられて、食事とジュースをご馳走になる 裸の男性は洋裁店を経営ている すごく親切な家族達だった 海上からのイェニ・ジャーミィ 堂々とした建物だ 黒海近くまで行く観光船に乗ってみた。海峡のあちこちの町に寄りながら1時40分かけてアナドル・カヴァウまで行く。デッキに立てば潮風がとても気持ちいい。しばらく進むと大きな歓声が聞こえたので振り返ると、われわれの観光船を誘導しているかのようにイルカの群れが船と並走しているではないか。海上から見る景色は素晴らしく、時間が経つのが早くあっという間に終点だ。とりあえず、城壁跡まで登ってみた。10分も歩けばたどり着けると思っていたが、倍の時間がかかった。しかし、上からの景色は素晴らしく、汗もすぅっと引いていく。 城壁跡を見学してから、海水浴をブラブラ歩いていると、写真の裸の男性に話しかけられ、食事、ジュース等をご馳走になる。今日は日曜日なので、家族、親戚の人たちと海水浴に来ている。串に刺した羊の焼き肉を、パンに野菜と一緒に挟んで食べる。スイカやさくらんぼ、バナナ等もいただく。ジュースやチャイは3杯もご馳走になる。本当に親切で暖かい家族だ。私には何も出来ないが、せめてものお礼にと写真をメールで送る約束をした。 2012年6月26日火曜日 ーチャイを飲ます店かと思ったらー 昼飯 ヒラウにピクルス イスタンブール大学 ヴァレンス水道局 378年に完成した水道橋 上に同じ 教会のすぐ側の静かな下町 出窓が当時の面影を残している 今にも崩れそうな家でも人が住んでいた ゼイレック・ジャミィ 12世紀に建立された修道院 現在は修復作業中 ここは世界遺産 映画のロケの舞台 昼飯をご馳走になる サンドイッチと紅茶 古い建物の中を撮影に使うために作業中 上に同じ 教会前の普通の下町風景 こんなにもたくさん釣った人もいました 珍しいですね女性の釣り師 今晩のおかずを確保に来ているの? 橋のたもとの魚屋さん 水泳をしている子供たち ガラタ橋からトプカプ宮殿 スュレイマニエ・ジャーミィ 遠くからでも 威圧感を感じる建物だ 今日は、378年に完成したヴァレンス橋を見に行ってきた。市内から遠い森から、地下宮殿に注がれていたらしいたらしく、昔から水問題は深刻だったんですね。それにしても、橋を組んで高いところから低いところに水を流す方法は当時から考えられていた…。昔の人はすごかった。 次に、ゼイレック・ジャーミィ行く。残念だが修復作業中、1960年から修復工事が始まり、50年も経っても完了していない。どんな修復工事をしているんですかね? 12世紀に建立された聖パンクトララトール修道院として知られている、ビザンツ帝国時代の修道院としては世界で最も古い。世界遺産だ。修道院の周りは下町になっている。散歩の途中で、チャイを飲ます店を見つけた、と思ったら映画のセットだった。写真の男性が手招きするので行ってみたらチャイを飲ましてくれる。さらに、サンドイッチを2個も頂く。古い石造りの建物内部を案内してもらった。天井から日が差して、なかなか雰囲気がある。トルコ語で色々と説明されたが、ほとんど理解できなかった。すみません、図々しくもチャイやサンドイッチまで振舞ってもらい有難うございました、とジェスチャーと英語と日本語でお礼の言葉を言ったのだが、はたして分かってもらったのだろうか…。 明日は、バスで16時間かけてアテネに向かう。
2020.05.01
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2012年6月21日木曜日 ーYou berry youngー キュルテュル公園 コナック広場 イズミル湾 昼飯 ミディエ・ドルマス ムール貝のピラウ詰め ビラウはピラフのこと バザールの中 魚屋さん 酢漬けの野菜 要するにピクルスだ さくらんぼ 1キロ129円 パン屋さん ギブス 介護用歩行器等扱っている 非常に分かりやすい 夕飯 鯛のフライ 白身でなんともいえない味でした 手で食べたほうが食べやすい イスラムの国ではアルコールは飲めない 新聞紙で包み 静かにビールを飲む それでも通りがけの人は嫌な顔をする 魚を食べているとテーブルの下でおねだり 飛行機の中のサービスではありません バスの中、夜行バスなのに色々サービスがあった 同じバスで一緒の男性48歳 私のほうが後輩だと思われた バスはフェリーでイスタンブールの市内へ 朝早めに起きてブログ更新しようとしても、写真が掲載で出来ない。wifiの電波が途切れ途切れになり写真が上手く貼り付かないのだ。夜行バスの出発まで、公園を散歩したり、イズミル湾やバザールに立ち寄ったりして時間をつぶす。ホテルに夕食前に一旦帰り、写真なしのブログ更新をし て、3日連続で魚の唐揚げを食べさす店に入る。3日も通うと、店の人たちの愛想がすこぶる良い。 私は、小さい時から父親の影響で、魚は骨しか残さず綺麗に食べている。ここの店でも、言葉は分からないが、魚の食べ方を褒めている様子が伝わってくる。悪い気はしない。 夜行バスは定刻の21時に出発した。発車と同時にアイスクリームが配られ、水やジュースは20分おきにサービスされ、至れり尽くせりだ。バスが25分の休憩の時に、写真の男性から声をかけられ、チャイをご馳走になる。男性は、仕事で2回ほど日本行ったことがあるそうだ。しばらく色々な話 をした、そのうちに年齢の話になり、男性は私のことを後輩だと思っていたようだ…。さかんにyou berry youngを繰り返していた。定刻にバスはイスタンブールに到着。バスターミナルから2回乗り継いて、トプカプ宮殿近くのホテルに辿り着く。ここも、ネットで調べたホテルで、ドミトリーで朝飯付き20リラ(860円)だ。 2012年6月22日金曜日 ー憧れのガラタ橋ー トプカプ宮殿の前の建物 今日は中には入らない、凄い混雑、明日じっくりと見学するつもりだ 送迎門 凄い混雑 スルタンアフメット・ジャーミィ 6本のミナーレなんですが4本しか見えません ブルーのモスク 上の中庭 上に同じ 高い天井 紋様が美しい 記念撮影 アヤソフィヤ博物館 明日入館する ガラタ橋 ボスポラス海峡 ガラタ橋からイェニ・ジャーミィ モスク イスタンブール名物サバサンド ボスポラス海峡をバックに ここまで無事にたどり着きました 国鉄スィルケシ駅 なかなか味がある 本日から5泊するホテル 6人部屋 ドアのそばにシャワーとトイレ 昨日は、過剰なバスのサービスで睡眠を妨げられた。宿にチェクインしてシャワーを浴び、朝飯を食べる。パンとジャム、トマトとキュウリ、、チーズ、オリーブオイル漬け、ゆで卵、チャイとネスカフェのバイキング、朝は、これで十分だ。11時頃まで眠り、トプカプ宮殿に出かけるも、ひどい混みようなので入場を諦めて、明日早い時間に仕切り直しだ。トプカプ宮殿からすぐのスルタンアフメット・ジャーミィを見学する。6本のミナーレを持つイスラム寺院は世界でも珍しいそうだ。写真では6本確認できていない、明日もう一度撮影する。イスタンブールに着いたら楽しみにしていたのはガラタ橋だ、サバサンドを食べたいからではなく、アジアとヨーロッパを結ぶ橋としてロマンを感じ、憧れていた。実際は、ボスポラス大橋とファーティフ・スルタン・メフメット大橋が東西文明を結ぶ橋だが、ガラタ橋の方が人間くさいというか、生活に密着しているというか、海で隔てられた地区にガラタ橋近辺から船が頻繁に行き来しているのだ。私は、なんか知らないが、昔からアジアとヨーロッパを結ぶ 橋は、ガラタ橋ときめていたのだ。 2012年6月23日土曜日 ーa トプカプ宮殿は素晴らしい!ー トラムヴァイ(路面電車) 昨日の夕食 ミートボール 串に刺したら、鳥のつくねだ 昨日、立飲み屋を見つけました 酒類はすべて原価 嬉しいではありませんか トプカプ送迎門 うまや うまやからハレム・宦官を撮影 ハレム 宦官 の廊下宦官の多くはエジプトから差し出された黒人で、女性部屋の警備が仕事だった ハレム 官房の部屋入口 ハレム 宦官 の部屋天井 ハレム部屋内部天井 ハレム・宦官の部屋 宦官の部屋入口 宦官の入口 ハレム 手前が宦官、奥がスルタンの好みの女性がいたそうだ 幸福の門 謁見の間 上に同じ 上に同じ トプカプ宮殿は、400年間の間政治や文化の中心の立役者、オスマン朝の支配者の居城。さすが、目のつけ所が素晴らしい、3方を海に囲まれた小高い丘の上に宮殿は建っている。東西の交易の大事な場所をにらむように建てられている。この間、1度も侵略を受けていないので膨大な秘宝が略奪される事なく残った。建築物も素晴らしいが、ダイヤモンドや重さ3キロの世界最大のエメラルドも見応えある。 残念なことに秘宝類は撮影禁止だ。 ブログに写真掲載枚数が制限あるらしく。20枚ほどしか掲載できないので、3回に分けて掲載する。 2012年6月23日土曜日 ー b トプカプ宮殿を中心に、写真だけー トプカプ宮殿から金角湾・マルマラ海・ポスポラス海峡、三方の海を眺められる重要な場所に建っている 上のテラスから バーダッド・キョシュキュ ラマザン月に1日の断食終え、食事をするところ 左の金色の建物がイフタリエ この建物で食事をした バーダッド・キョシュキュ バーダッド・キョシュキュ 図書館 第2庭園 送迎門裏 うまやからハレム 当時の彫刻 槍等の武器 アヤソフィア スルタンアフメット二世の墓 スルタンアフメット三世の墓 上の天井 アヤソフィアの警備員にカメラを 見せてくれと言われて、ついでに撮ってもらう スルタンアフメット・ジャーミィ確かに ミナーレが6本ありました 2012年6月23日土曜日 ー c アヤソフィアを中心に、写真だけー アヤソフィア博物館前 入口を入ってすぐ 入口を入ってすぐ、重厚な建物という雰囲気が漂ってる 天井も素晴らしい ピザンツ建築の最高傑作と評されている。西暦325年にアヤソフィアとなる教会の建設が始まり360年に完成。ギリシア正教の大本山だったが、後にイスラーム寺院となる。 天井も素晴らしい 大ドーム ただただ見とれてしまい、圧倒される 言葉なしですね、ここから下は説明なし 酒屋が立飲み屋をしている 今日も通いました 結構繁盛している ここの常連客と仲良くなりツマミなどをもらう
2020.04.30
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2012年6月17日日曜日 ー60過ぎたオヤジのやる事ー 昼飯 豆のスープとパン アンタルヤからフェティエの中型バス 途中で昼飯休憩 車窓から雪渓の残る山 1700メートル級の山 フェティエの海水浴場 ヨットハーバー 5人部屋のドミトリー 今日も私一人で独占 部屋は綺麗に掃除されていて気持ちがいい 部屋からエーゲ海が臨める ホテルの中庭 着いてすぐにビールで乾杯 ヨットハーバー たくさんの船が停泊している ヨットハーバーのすぐ横 まだシーズンではない ガラガラ エーゲ海を眺めている? 銅像 朝8時少し前に、カッパドキアから早朝に到着した名古屋の姉妹が部屋に入ってくる。私は起きがけでパンツ一丁、別に恥ずかしいとも思っていないし、別段気にもしない。ドミトリーでは普通にありえる事だ。私は、以前に同じドミトリーでパンティだけの女性を見ている。相手も気にしていないし、こちらもあーそんなんだ、と言う感じだった。中には、部屋に洗濯した派手派手な下着を干している女性だっていた。いちいち気にしていたら、男女一緒のドミトリーになんか泊まっていられない。そういう神経でなければ格安の旅は出来ないのかもしれない。でも、60過ぎたオヤジがやる事…、少し恥ずかしい気持ちもないわけではない。 名古屋の姉妹と朝飯を食べ終えて、私は、バスで4時間かけてリゾート都市のフェティエにやって来た。目的は、海水浴ではない。ここからバスで1時間の所にある、リキヤ遺跡を見学するためだ。 本日から2泊する宿も、5人部屋のドミトリーに私1人だ。部屋にはトイレとシャワーが付いている。アンタルヤは3泊とも1人、ここのホテルも2泊とも1人になりそうだ。本当にラッキー! 2012年6月18日月曜日 ー昨日は飲みすぎましたー リキヤ都市の入口 上に同じ 円形劇場の入口 結構綺麗に残っている観客席 家型墳墓 柱に紋様が見れる 凄いですね、紀元前3~4の劇場ですよ 当時の様子が彫刻されている ○ここから下の写真は説明なし、じっくりと見てください クサントスの町 戦争にまつわる銅像 両脇の二人は大砲の玉を持っている バスを乗り継いて、クサントスの遺跡にやって来た。ここは世界遺産に登録されている。大規模なリキヤの都市遺跡だ。紀元前450年頃に火災があり、ほとんど消失してしまった。町は繁栄していて、宗教の中心地として存在していたようだ。円形劇場や家型墳墓が当時のままに残っている。 ホテルに戻ると大きなザックがある。本日は、私一人で部屋を独占出来ないようだ。夕方7時頃にザックの主が帰ってきた。ドイツの34歳の男で、1ℓボトルのコニャックを飲んでいる。一緒に飲もうと誘ってくれるので、お言葉に甘えて飲ませてもらった。ツマミもなにも無いので、私が買出しに行き、ビールと適当なツマミを買ってきた。酒を飲みながら今までの旅の話をした。特にネパールのトレッキングの話に花が咲き、二人で2/3には飲んだ。今日の朝は二日酔いでブログの更新だ。 本日は、イズミルに向かう。 2012年6月19日火曜日 ー過剰なサービスはいらないから、安くしてよー イズミル行きバスチケット オトガル バスターミナル 果物売りの少年 バスマーネ駅 魚を揚げている 靴磨き屋 イズミルの街並み 夕食 イワシのフライ うまかった! 6時間のバス旅は快適だった。20分おきに水やジュースのサービスがある。紅茶やコーヒーのサービスもあり、お菓子、キャンディ、アイスクリームも配っられた。その分40リラ(1720円)の料金に上乗せされているのだ。過剰なサービスはいらないから、料金を安くしてよ、と言いたい。ネットで調べたホテルに到着、30リラを25リラに値切り2泊する。イズミルはトルコ第3の都市で、エーゲ海地方で最大の貿易都市でもある。散歩の途中で魚を揚げている店を見つけた。イワシ、アジ、小鯛、どれも美味そうだ。頭から全部食べられるイワシを注文する。サラダとパンが付いて4リラ(172円)、観光客相手のフェティエから比べると半額以下。レモンを絞り、一口パクリ、新鮮で骨離れがいい、うーん美味い! 美味い! ホテルに戻りブログを更新しようとしたが、部屋でwifiが繋がらないので、1階のフロントでブログを更新していると、従業員が覗き込んで色々と質問してくる。パソコンはいくらだ、給料いくらだ、家族は何人だ、次から次えと質問されるので、ブログの更新どころではない。 2012年6月20日 ーイズミル市内散策 写真なしー 写真、貼付け出来ません。イスタンブールで写真掲載します。 昨日は、とんだ邪魔が入りブログ更新出来なかった。朝、1階のフロントでwifiに繋げるも電波が弱く、写真の貼り付けがうまくいかず、時間がかかった。朝飯にトマトスープを注文すると、サラダとパンが付いて、4リラ(172円)だ。トマトの酸味が食欲を誘いパンもサラダも完食。街の散策の前にバス会社に立ち寄り、明日のイスタンブール行きのチケットを買う。次にローマ時代の市場跡の古代アゴラに行く。遺跡群は塀で覆われていないので、入場券を買わずに外から見学する。支柱が数本並び、石片がゴロゴロ転がっている。発掘された彫刻群は考古学博物館に展示されている。そ れでも、今でも発掘作業中で、発掘された見事な彫刻もいくつか見ることが出来た。(ズームで撮った) 海に向かって歩くと、バザールがあり、アメ横を何十倍も大きくした規模で驚いた。ファションや雑貨、食料品、貴金属まで何でも揃っていて値段も安い。買い物好きにはたまらない場所のよ うだ。 明日は、21時発の夜行バスでイスタンブールに向かう。 2012年6月21日木曜日 ーイズミル市内散策 写真ー ホテルの人 顔は怖いが、いい奴、33歳 会うたびにチャイやコーヒーをご馳走になる OTELはHOTEL 朝飯を食べている所から撮影 朝飯 トマト味のスープとサラダ 元気にやっています 昔の市場跡 古代アゴラ 門 名前はわかりません 28店舗があった 支柱が十数本並んでいる 彫刻群 石棺 紀元前178年の彫刻 発掘作業が続けられている バザール 衣類が多い コナック広場 時計台 彫刻が見事 桟橋 ここから近郊へ船が出ている イスタンブールに20日6時50分に到着。
2020.04.29
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2012年6月12日火曜日 ー私は、日本人の評価を下げているー 夕食 ビール代だけでチーズとオリーブ、パンがサービス 三日ビールだけで、夕食 3日間ビールだけで、夕食 チーズとパン ホテルの3回のレストランから この人がいい人で、ビールだけの注文でも 色々とサービスしてくれた 昨日、行けなかった、パシャバー 3つのキノコ岩で有名 バスと歩きで観光しました これが、3つのキノコ岩 記念撮影 空は真っ青 顔は黒くなりました 3つのキノコ岩 下まで降りて撮影 本当に不思議ですよね ここの奇岩にも昔は人が住んでいた 住居跡 アヴァノスの川にアヒルが餌を求めて集まってきた 吊り橋とモスク 川の周りにはたくさんのお茶さん 街で見かけた銅像 アヴァノスは陶芸の町 おみやげ屋さん 色鮮やかな焼き物 色彩豊かな焼き物 昼はケバブ このオヤジさんに写真を撮るよう催促された 昨日、行けなかった3つの岩で有名なパシャバーに行ってきた。観光バスが何台も駐車している。観光客もたくさんいる。その中でも韓国の観光客が多いのには、正直いって驚いた。東南アジアで、いや、世界でも韓国の経済発展が著しく、国が豊かになったという事なんだろうと思う。どこに行っても、必ず韓国の観光客に会うが、日本人には数えるしかお目にかかっていない。しかし、観光客として嫌われているのは中国がダントツ、2番目に韓国だ。私が日本人という事もあって、遠慮していると思っていたが、ネパールやインドのホテルの人も、レストランの従業員も口を揃えて、嫌 いだと言っているので間違いないようだ。ただ、日本人は、はっきりと物を言わない、よく言えばおとなしい、金払いがいいとう事で、評価はいいのだと思う。でも、日本の若者は結構、言いたいことを行っていますが、中年以上の英語が得意でない人は、海外ではいいカモと見られているフシがある。私は、結構値切ったりしているので、日本人の評価を下げているのかもしれない。 21時30分発の夜行バスで、アンタルヤに向かう。 2012年6月14日木曜日 ー生まれて初めての地中海を臨むー 昨日、夜行バスに乗車する前、 ライトアップされていて綺麗だった ホテルのすぐ側のカラアリオウル公園 手入れがなされていて、とても綺麗な公園 公園で見つけた、地中海を向いている フドゥルルック塔 大砲も備えた城塞 アンタルヤ湾 本日のホテル、4人部屋のドミトリー、25トルコリラ(1100円)朝飯付き 本日分の朝飯付かない、それでも、ちゃっかりと朝飯をいただきました カレイチ地区の時計台、この地区は旧市街地、ホテルやペンションが集中している 街並み 洒落たお土産屋さん ベタ凪 潮の香りがします 観光船 朝、6時40分にアンタルヤに到着。ここのバスターミナルは大きくて、目的のカレイチ行きのバスを探すのに結構苦労した。知らない土地で、バスに乗り目的地に着くまでは不安だ。運転手にカレイチと言って乗り込んだのはいいのだが、どこで降りればいいかの分からない。地図もガイドブックも持っていない、ネットで調べた情報頼り、ユチュカプラル駅から3、500メートル海に向かう、それと住所を調べただけだ。乗客に駅名を言ったら、二つ手前で降りなければならなかったようだ。まぁ~、朝も早い事だし、大した距離ではないだろう。近くのお茶屋さんに入り、チャイを飲みホテルの住所を見せたら、海沿いに歩けば10分程で行けるようだ。カラアリオウル公園の朝はとても気持ちがいい。ジョギングをしている人、備え付けの器具を使い足腰の筋肉を鍛えている人、柔軟性を保つためにストレッチをしている人、朝早くから大勢いる。歩くこと4、5分、生まれて初めて地中海を臨む。 真っ青な空、朝の太陽の光にきらめく地中海の景観に、しばし見とれてしまった。 2012年6月15日金曜日 ー血圧は大丈夫なのー ホテルから2分 ケスィッキ・ミナーレ かなり古い、中には入れない 夕食 トマト味スープ レバーとトマト和え レバーは揚げてある 4人部屋のドミトリー 私一人 ハドリアヌス門 彫刻が施された三のアーチの門 130年にローマのハドリアヌス皇が この町を統治した記念に建造された カレイチの町並み すぐ側をトラムヴァイ(市電)が走る トルコ絨毯屋 客引きに、金を持っていないと思われ声もかけられない イブハーネ公園 美しい尖塔のイヴリ・ミナーレ 左が時計台 町の中心地 フドゥルルック塔の大砲 ここのホテルの奥さんは、千葉県松戸市出身の方だった。今日の朝まで知らなくって、掃除をしたり後片付けをしている女性に話しかけたら、ここの女将で、旦那さんが日本で働いている時に知り合い、結婚してアンタルヤに一緒に来て住んでいるんだそうだ。見た感じ、肝っ玉母さんという感じの女性だ。 話は変わって、トルコの食べ物について、全部を食べているわけでないので、間違いがあったら許して欲しい。どんな料理を注文しても必ずパンがつく。外は固く、中はモチモチでとても美味しい。食欲のない時にスープを注文して、スープにパンをひたして食べる。羊の胃袋のスープは酸味が効いて、こってり風味でなかなかうまい。他にもトマト味、ヨーグルトと野菜スープも美味しい。トルコ料理と言えばケバブ、ヒツジ肉か鶏肉がほとんど。ヒツジは臭いが嫌だという人でも、臭みがなく柔らくクセがなくてうまい。煮込み料理の鶏肉とトマト、インゲンと豆、キノコとトマト煮込み等、種類豊富で安くてうまい。トルコ風ビザは、生地が舟形をしている。私が食べた、サラミと卵、野菜とチーズのピザは絶品だった。ただ、私には量が多過ぎる。魚料理はトラブゾンで食べたきりだ。メニューを見ても魚料理は高い。トルコ滞在中には、トルコの庶民料理店を探して食べるつもりだ。それにしても、トルコの人達は味音痴ではないだろうか、料理が運ばれてくるとすぐに塩やコショウを相当量ふりかける。血圧は大丈夫なの…、と思ってしまう。 2012年6月16日土曜日 ーへんな閃きでもしたら大変ですからー ハドリアヌス門 ヨットハーバー ビーチ ヨットハーバー ここから観光船が出航する ビーチ 綺麗な海水 昼飯 オーソドックなピラウ(松の実が入ったバターライス) ピクルスとアイラン(ヨーグルトの飲み物) 180円 夕飯 羊の胃袋スープ 鶏手羽の煮込み サラダ チャイ12リラ 516円 満足顔 羊の胃袋スープ ニンニク味 酸っぱみがある こってりとしたスープ 料理を指差すれば食べられる 夕方7時過ぎにパレードしていた 民族衣装でパレード 食事を終えて、ホテルでビールを飲む ここ2日は33度、インドに比べれば10度も低く、木陰に入ればそこそこ涼しいのだが、でも暑い。今日1日の行動は、朝、シャワーを浴び朝飯にして、10時過ぎから海岸まで行く。水は透き通り、岩や白い砂が手に取るように見えた。海の彼方には、山々が連なって見え、なんとも絵になる風景だ。しばらく海を眺めたが、今日は何も閃かなかった、と言うよりも閃いても、すぐに違うことを考えて、気を散らした。また、へんな閃きでもしたら大変ですから…。(#^.^#) 昼飯は、松の実が入ったバターライス(上に鶏肉)とピクルス、シンプルな飯だが、飽きがこない、また食べたくなるライスだ。夕食は、2回目になるが羊の胃袋スープ、さらに鶏手羽の煮込みとサラダを注文した。羊の胃袋は鶏の腸みたいで、それ自体味があるわけではないが、ニンニクとバター、コショウ、塩、その他は分からないが濃厚なこってりとしたスープだ。これにパンだけでも十分オカズになる。夕飯を終えて町を散歩していると、遠くからブラスバンド(古いか)の演奏が聞こえてきた。だんだん近づいてきて、写真のような民族衣装を着た人たちのパレードだ。ホテルに帰り、ビールを飲み、一息ついて、シャワーを浴び、ブログの更新。 明日は、フェティエに向かう
2020.04.28
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キノコ岩 奇岩、不思議ですね 2012年6月11日月曜日 ー私の小さな頭では想像も出来ないー 蜂の巣、迷路ですね、私一人だったら帰れなかったかも? この様な部屋が無数にある 食料を貯蔵する部屋 小麦を挽く石臼 この大きな石で入口を塞ぐ 地下30メートルから上までの通気孔、写真の上の真ん中に窪みが、手と足をかけて、掃除したらしい 上は炊事場 よく分かりませんよね 長崎のFさんと一緒に、1人でガイド付きの旅行とは、それにしても羨ましいですね 石の扉 右の穴を塞ぐ 観光客用お土産屋 HISのツアー 一人で車チャーター、日本語ガイド付き ガイドのお礼にチャイを私がご馳走した ギョレメから20分のネヴェヒルの街 街角の売店 結構大きな街 公園で昼飯 パンとヨーグルトの飲み物 上野の西郷隆盛に似ていませんか 本日は、ギョレメからバスを2回乗り継いで、25キロ郊外にあるカイマクルの地下都市を見学にいってきた。入場券を買い求、入口から少し入った所で、長崎のFさんの日本語ガイドAさんが、私に話しかけてきて、ガイドするから一緒に回りましょうと、有難いことを言ってくれる。私の顔に何か囁くような事が書かれているかのように、不思議と、その場その場で良い方向にことは運ぶ。(自画自賛) ここからは、ガイドの説明を要約する。カイマクル地下都市は1960年に偶然発見され、今現在も全体の構造は把握されていない。いつ頃からつくられたのかも不明だ。ただ、紀元前400年頃の資料には都市の存在が記録されている。8~9層もの多階式になって、部屋がアリの巣のごとく無数にある。地下1階では家畜も飼育され、炊事場、倉庫、トイレ、教会などもあり、酒好きもいたようで、ワインを作り貯蔵までしていた。隈なく通気口が完備さ、過ごし易い部屋だったようだ。アラブ諸国の攻撃に備え、完璧な防御システムが施され、敵が進入したときの対策として、矢を射る小窓や、煮えたぎった油を上からぶちまける穴も設置してある。日本でも、戦の時に同じように熱湯を ぶちまけていた時代があった。敵が去るまで貯蔵食料で飢えを凌ぎながら、半年から1年も地下の暗闇の中に立て篭り、ひたすら敵が諦めて過ぎ去るのを待った。なんとも辛抱強い人たちの集団だったんだろうか。この地方だけで30もの地下都市があり、10万人が収容可能と推定されている。 普段は地上で生活し、敵が侵入した時に地下に避難したと考えられている。それにしても、日が差さない地下で、衛生的な問題や病人の手当、汚物等をどのように処理したのか…。地震や水害の対策、何千人もの重さに耐えるための構造設計は…、ガイドさんに質問してみようかと考えたが、図々しい奴だと思われたら嫌なので聞かなかった。地下都市の生活の疑問は残り…、私の小さな頭では想像も出来ない世界だったんだろう…と思う。日本に帰ったら調べる事にする。 2012年6月12日火曜日 ー人の話は疑ってかかれー キノコ岩 岩が崩れて、住居跡が見れる 赤茶けた氷河の様に見える 私だけかもしれない なんとも不思議な奇岩ですね 昔、こんな山奥で暮らしていた人が居たんですね 穴に見えるのは、住居跡 今日も快晴 天に向かって伸びるキノコ これが白かったら、氷河か崩れている様に見える 山全体が赤茶けた尖った岩で覆われている 四角く見えるのは、昔の住居跡 何十分も座って、眺めました 飽きることはなかった 赤茶けた屋根はチャウシン村 本当に不思議ですよね 車道にはビール缶やビンがたくさん捨てられている 人前で飲めない分、車の中で飲んで捨てているのか? イスラム教の人も酒好きはいるんです 昼飯 パンとヨーグルトの飲み物 、ここ数日の定番 明日のバスチケット 今日は、ちょっとした不注意から5キロ余分に歩いてしまった。ギョレメからバスでチャウシンに行く途中で、左側にキノコ状の奇岩が見えてきた、てっきりそれがチャウシン村だと勘違いして、よりによって韓国の若い女性2人も巻き添えにしてしまった。私に、チャウシン村はどちらですか、と聞くので左の道を指さした。私が歩く方向に2人も付いてくる。1キロくらい歩いて、どうも様子が違う、畑で作業している男性に尋ねると、チャウシン村は道路の反対だった。韓国の2人に平謝りだ。これで、韓国の女性は、人の話は疑ってかかれ、と、いい勉強になったはずだ。見学を終え、次に3本のキノコ岩で有名なバシャバーまで、歩いて行く事にしたのはいいのだが、途中で右折するする所が分からず、道路は車は通るが、歩いている人はいないので、道を聞くにも聞けずに、2キロ先まで歩いてしまった。仕方がないので引き返していると、親切な男性が運転する車が止まって乗せてくれる。何処まで行くのか聞かれたので、疲れてもいたので宿の近くのギョレメと答えてしまった。ホテルに帰りビールを飲んで昼寝だ。 明日は、21時30分発の夜行バスでアンタルヤに向かう。 カッパドキアから先のルートは、エーゲ海沿いに、アンタルヤ、フェティエ、セルチュク、イスタンブールと進む予定。このルートはヨーロッパからの観光客が多く、物価も高そうだが、エーゲ海を見てみたいので行ってみる。
2020.04.27
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2012年6月8日金曜日 ー旅に出て最も高いホテルー バス移動16時間 でも快適なバスでそこそこ寝れた テレビ付き トルコ語だけ、私は画面を眺めているだけ 途中で降りる人がいても、乗り込んでくる人もいるので、終点30分前までは満席 この人に、トルコ紅茶2杯とクラーカーをご馳走になる 結構色々な人に、果物などをご馳走になった はじめは海岸沿い、後は1200~2000メートルの山を走る 焼き物の町、宣伝ですね、目立ちます 車窓から奇岩 明日からの見学が楽しみだ ギョレメの街 すぐ後ろに奇岩 ギョレメのメインストリート 宿のすぐ側 宿について、バイキングの朝飯を無料でいただく 味のある部屋です 1泊2400円 初めにこの部屋を見て、次にドミトリーを見たら900円の違いだが、ここは奮発して4泊する トイレ、シャワー室、浴槽もある 街の通りから奇岩が見れる お茶屋さん、お年寄りがトランプや サイコロで賭けゲームをしている 昨日の、痩せる話、不評で、いつもコメント頂いているtakaさに、最低と言われてしまいました。暇があるとロクな事を考えないと、反省しています。これからの旅は、全く初体験の国ばかり、緊張もするだろうし、色々な所を訪れる予定なので、くだらない閃もわかないと思います。 昨日、トラブゾン17時30分発、ネヴシェヒルに10時15分到着。30分の休憩が3回と、トイレ休憩が4回あった。写真のように超高級バスで、意外と良く寝れたので、夕方でも眠くならない。宿は、ミニバスに乗り換えて20分の所にある、カッパドキアの中心地ギョレメに着く。早速、インターネットで調べた宿に向かう。初めに写真の部屋に案内され、次にドミトリーを見るが、ネパールやインドで節約した分を英気を養うために、ここは奮発して2400円の部屋にした。もちろん朝飯付きだ。でも、ギョレメは観光客が多いのだろうか、トルコ紅茶1杯か゜2リラ(86円)する。トラブゾンでは0.5~1リラだった。夕食は、肉の煮込み料理で8.5リラ、ほとんど最低料金で、メニューを見ると15~40リラ、その上の高い料理もある。これから、ギリシア、イタリアと進めば、もっともっと高くなるんだろうなぁー。 2012年6月10日日曜日 ー旅に出て初めて4028円の出費ー 朝食 昼の分までしっかり食べました ウチヒサル城手前 人が住んでいる 本当に素晴らしい景色だ ウチヒサル城 あの山、富士山ですよね アジアス山 歩いていると色々な花に巡り会える 本当に不思議な景観です 奇岩とアジアス山 子供にカメラを渡したら、勝手に写真撮ってお金を要求するが、一銭もあげなかった 崩れかかっているので近づけない 岩が崩れて、洞窟内の住居跡が見られる 暗闇教会内部、赤色で何か書き込まれている 上に同じ、ここで撮影禁止を言われる 暗闇教会跡 崩れかかっているので近づけない 単純なデザイン ここは撮影OK 上に同じ 天井 何百年も光が差し込まない、カランルク暗闇教会 隠れて撮りました なんだか分かりません キャンプ場があったんだ、テント生活すればよかった? 見学を終えて4時ころ、ビールを注文する時に、チーズを少し頂戴といったら、こんなにもたくさん頂いた、料金はビール代だけ 旅に出て、航空運賃は別で、1日で4028円を使ったのは初めてだ。ホテルと野外博物館の入場料で3000円なので仕方ない。 カッパドキアはツアーに参加すれば、1~2日で観光することが出来る。私は、3日に分けて公共バスと自分の足を使って回ることにする。1日目は、バスでウチヒサル城に行ってきた。ここは「尖った砦」と言われている。砦の周りは住居が密集していて、いや、混在していてとても雰囲気のある所だ。ここからの眺めは文句なく素晴らしい。目が点に、富士山に瓜二つのアジアス山、どう見ても富士山だ。少し角度を変えれば、カッパドキアの地形が、まるで模型のような景色に見え、地球の自然の力に圧倒される。ここからは、歩きでギョレメ・パノラマに立ち寄って、パンとオレンジュースで昼飯にして、ギョレメ野外博物館へ往復歩きで行ってきた。4世紀前後からキリスト教の修道士が岩に洞窟を掘って住み着き、外敵からの危険を避けながら、信仰を守り続けた。岩窟教会が30以上あると言われている。洞窟内部には、十字架をモチーフにした単純なデザインから聖書のエピソードが細かに表されたフレスコ画が残る。なかでも特に保存状態がよいのがカランルク暗闇教会。 キリスト像や受胎告知、洗礼、最後の晩餐などの鮮やかな色合いで見ることが出来た。残念な事に撮影禁止。言われる前に数枚撮影したが暗くて良く撮れていない。今日は8キロ以上歩いた。 明日は、地下都市を見学に行く。
2020.04.26
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2012年6月6日水曜日 ー図々しい女ー グルジアとトルコの国境付近 ブルーの黒海は綺麗です グルジアの国境の町サルピ サルピで朝飯 ジャガイモが中に入ってるパンと紅茶 トルコ側パスポートコントロール 日本人の私は並ばずに、優先的に手続き出来た バスの車窓から なんとも穏やかな黒海です 昼飯 小アジのオイル焼き サラダ コーラ 久々の魚 やはり美味いですね! これにビールがあれば最高なんですが? メディア広場 メディア広場 中央に立つ銅像 銅像の脇 酒屋さんを見つけ、飲みました、やはりビールは美味いね! 3種類のピサ゜ 野菜、チーズ、牛 コメントただいている方に、今後はコメントに返信して公開しますので、コメントの数字のところをクリックして下さい。 バトゥミから乗合バスに乗り20分でトルコ国境の町サルピに到着。グルジアの出国とトルコの入国手続きを終え、ホパ行きのバスを探すが、乗合タクシーしかなく、1台30グルジアリラ(1500円)だ。5人乗れば1人6リラ、客は私とグルジアの若い女性、女は先を急いでいるようで、彼女が6リラ、私に24リラ払ってくれと言ってくるが、私は別に急ぐ旅でもないので申し出を断った。せめて、10リラと20リラならまだ話が分かるが、なんとも図々しい女だ。待つこと20分、荷物をたくさん抱えた夫婦を入れて4人、1人7.5リラで話がまとまりホパまで行き、トラブゾン行きのバスに乗り換える。バスの右の車窓からは、波もなく穏やかな黒海が見える。また、左には残雪の山々が連なり、信州の山のようだ。4時間のバスの旅を終え、トラブゾンに到着。目的の宿はすぐに見つかり、ザックを置き昼飯に出かける。小アジのオイル焼きとサラダを食べたが、ビールの代わりにコーラでは味が半減だ。トルコはイスラムの国なのでアルコールは飲めない。それでも街には酒屋があり、普通に買う事が出来る。 夕食は、『スリコの家』で一緒だったYさんと、トルコ通のMさんとピザを食べに行った。本来、脂っこい物、こってりとした物は苦手だが、ここのビザの生地がこんがりと焼けていてとても美味しかった。 2012年6月7日木曜日 ー2カ月間で使ったお金ー ホテルの談話室 広々としている 昔の電話 今の携帯電話から想像できませんね ホテル隣のスーパー 朝、トルコ紅茶を飲む 街中にはモスクがたくさんある 市場の野菜、果物売り場 品物は豊富だ 魚市場の中の魚屋さん お茶とジュースをご馳走になる 結構、買い物客が途切れない店だった 魚屋さん推薦の店で、遅い昼飯兼夕飯、日本のイボダイ、脂がのっていて、とても美味しくいただきました 魚を食べられて、嬉しそうですね トラブゾンは特に見所はないので、洗濯して街を散歩する。街を歩いていると地元の人に声をかけられたり、さくらんぼを貰ったり、お茶をご馳走になったり、言葉は分からないが、友好的に話しかけてくれている事が良く分かる。写真の魚屋さんでは、紅茶とジュースをご馳走になり、魚の美味い店を教えてくれ、わざわざ店まで案内してくれた。ともかく皆さん親切だ。 ※ 3月22日~ 5月21日(61日間) a交通費 b食事代 cホテル代 dその他 e 合計 1ヶ月目 a 58776 b 20248 c 17806 d 12848 e 109678 2ヶ月目 a 39881 b 12371 c 18278 d 9738 e 80268 トータル a 98657 b 32619 c 36084 d 22586 e 189946 さて、旅に出て2カ月半、上の数字は2カ月間(61日間)で使ったお金だ。トータル189946円で、1日当たり3113円になった。交通費(飛行機代が約7万円含む)を差引すると宿泊代、食事代、博物館の入場料も含めて1日当たり1496円だ。ネパールは格安で過ごせたし、インドで腹を壊した事もあ り、食事代が安く抑えられた。トルコを出るまでは1700円位(交通費は別)でやっていけそうなで、3カ月間のトータル、交通費を入れても30万円以内で収まりそうだ。 これからの予定は、トルコに6月20日頃までいて、ギリシアとイタリアが各15日間、スイスには7月20日頃から8月15日頃までいて、スペインとポルトガルが各15日の予定で、日本に帰るのは9月16日、インターネットで調べ、片道61000円のトルコ航空の券を予約した。途中でキャンセルしても一銭も戻ってこない。何が何でもポルトガルまではってでも辿り着く覚悟だ。 2012年6月7日木曜日 ー私は黒海を眺めて考えたー 朝飯 トルコ紅茶とパン 町の惣菜屋さん どれも美味しそう 黒海を眺めていたら、ひらめきました 昼飯兼夕食 ケバブ ライス・焼きトマト・ヨーグルト・にんじん・赤キャベツ・サラダ菜 腹一杯になりました 街の様子 紅茶屋さんか街の様子 17時30分発のカッパドキア行き夜行バスの時間まで、街を散歩したり黒海を眺めたりして時間をつぶす。ただ黒海を眺めていた訳でない、インドで体重が減った事について考えていたら、究極のダイエット法をついに発見したのだ。このブログを見て頂いている方へ、感謝の気持ちを込めて特別に教えちゃいます。方法は至極簡単、インドに最低2週間旅するだけ。ツアーの旅ではダメ、個人旅行で1日1200円で暮らす。安宿に泊まり、3食食べ、飲み物を買ってトータルで1200円で過ごす。たったこれだけで、3~5キロ痩せらる。どうしても、一人旅に自信がない方は、バンブー・トラベル( 竹travel)特別企画『インド・究極のダイエット20日間の旅』にご参加ください。旅費15万円(遺跡等の入場料含む)、参加者には5日ごとに6000円を渡す。バンブー・トラベルは、東京からインドの往復航空券の手配、インド国内移動の手配。また、現地に着いてから激安ホテルの見つけ方、値段交渉についてアドバイス。これだけでも価値がありますよ…。この旅で10日経っても、1キロも痩せない方には、取っておきの方法を用意、ガンガー(ガンジス川)で沐浴して、歯を磨きガンガーの水で口をゆすぎ、一口二口を飲んでもらう。これで確実に腹を壊す、念には念を入れて、氷入りマンゴジュース、ラッスィー(ヨーグルトに水道水と氷を入れてかき混ぜた飲み物)を飲んでもらう。それでも、体重が1キロも減らなかった参加者には、全額返金。どなたか、申し込みしてみませか? こんなことばかり、ブログで書き込んでいたら呆れられて、2度と見てもらえないかもしれませんね?
2020.04.25
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2012年6月3日日曜日 ースリコの家でご馳走づくめー トビリシ~クタイシ行きの車窓から、ラベンダーの紫、黄色、濃い緑、薄い緑、空の青さ、コントラスト見事です 途中、休憩した所で ダヴィド・アグマシェネベリ広場 クタイシ駅からバスで20分 ダヴィド・アグマシェネベリ広場 メスヒシュヴァリ記念劇場 夕食前 バファローの角 これにワインを入れて飲む 置く事ができない 注がれたら飲み干すしかない、何回も乾杯、乾杯 食べきれない料理だ 日本二人 ポーランドの夫婦二人 半分は残った ワイン、コニャック、地酒すべて自家製 おかげでベロベロ、翌日は二日酔い 10時30分発のバスで、トビリシからグルジア第2の都市クタイシに到着。インターネットとで調べた『スリコの家』に着くと、直ぐにワインと地酒を振舞われる。夕食は奥さんの手料理が並び、ワイン、チャチャ(地酒)、コニャックを休み無く注がれ、ベロベロ状態で翌日は二日酔いだ。 2012年6月4日月曜日 ーどこか酒のない国な~いー ゲラティ修道院 ゲラティ修道院 ゲラティ修道院の内部 真ん中がマリア 地元の小学生 修道院の鐘 絵になりますね ポーランドの夫婦と一緒に 断崖に建つモツァメタ修道院 モツァメタ修道院の内部 モツァメタ修道院の鐘 結婚式 バザールの入口 遅い昼飯 冷えたビールとシシャモに似ている魚 本当に美味いですね! ジョッキー2杯すぐに飲み干す ライスとキノコ ミートソースをかけて食べる メディコ料理上手 賑やかな夕食 何回も何回も乾杯、乾杯 スリコとメディコ シカゴの青年 私はベロベロ スリコは本当に強い ボーランドの夫婦と一緒に、ゲラッテ修道院とモツァメタ修道院に行ってきた。両方とも世界遺産に登録されている。ゲラッテ修道院まではバスで行き、その後は歩きでモツァメタ修道院を往復した。 計算すると7.5キロ歩いたことになる。高原の中を歩いているようでとても気持ちが良かった。 インターネットは本当に便利だ。クタイシの地図も何も持っていなくとも、ネットで色々な事が調べられる。「スリコの家」はネットで、ワインと地酒が飲み放題、料理も美味しく、腹一杯食わしてくれると書かれていた。私は、酒が飲み放題に釣られた! 確かに、料理は美味い、酒は全て自家製、ワイン、チャチャ(地酒60度)、コニャックは飲み放題だ。 ご主人スリコは、何回も乾杯の音頭をとり、その度に飲み干さなければならない。奥さんメディコは、食べろ食べろと言って、何回も私の皿に料理をてんこ盛りしてくれる。腹はパンパン、ベロンベロンに酔っ払い、次の朝は頭が痛くて、完全な二日酔い。朝は朝でワインを注がれ、3杯で勘弁してもらった。どこか酒のない国な~い、と思っても飲めてしまうのが意地汚いところだ。 2012年6月4日月曜日 ーアイ・ラブユーグルジア・アルメニアー バグラテイ修道院 今の私の気持ちを表している アルメニアも一緒の気持ちです 宿から30分の所にあるバグラテイ修道院に行ってきた。しかし、修復工事中で周りを一周しただけだった。工事中にも関わらず大型バス2台と普通車か7~8台駐車、観光客がやはり私と同じように一周していた。今日は、私一人だけの宿泊の予定だったが、夜中10時すぎ2人、それから30分して 3人が到着した。私は、6時30分頃から夕食にして、ワイン、地酒、コニャックを頂き、8時30分にはベットに入るなり爆睡。それでも5人の大声、バカ笑いで目が覚める。 明日は、トルコとの国境の町、黒海に面したバトゥミに向かう。 2012年6月5日火曜日 ー竹ちゃんバトゥミで食堂の親父になるー 朝飯 ヒンカリ サラダ パン チーズ ヨーグルト ワイン 地酒 コーヒー バトゥミ市内 ホテル? 港町 船 ヨットが停泊している 本日の宿 綺麗です、でも2000円は少し高い 昼飯 牛肉とても柔らかい 美味い! 店のオーナー女性と客 女性と一緒にならないかと言われる お似合いに見えませんか 今日も朝からワインとチャチャ(地酒)を飲み、朝飯を腹いっぱいご馳走になる。別れ際、小瓶に詰めたチャチャをお土産にもらう。スリコの家では、本当に心のこもったもてなしを受けた。ネットで皆さん絶賛しているだけあって、宿泊した人は誰でも嘘偽りのない真心のこもった宿だと納得するはずだ。私は1日目で虜になり、3日間アルコール漬けになった。 本日は、10時出発のバスで、パトゥミにやって来た。黒海に面したトルコとの国境の街。トルコの国境まで20分ほどだが、ここで1泊する事にした。それにしても宿は2000円と高目だ。昼飯と夕飯に入った店で、地元の男性と片言の英語とグルジア語で話をしていると、写真の女性47歳、ここの店のオーナーで、今現在独り者なので、旅をやめて一緒になれ、と言ってくる。なかなかセクシーな女性、竹ちゃんグルジア・パトゥミで食堂の親父になる…、も悪くないなと一瞬気持ちが動いたが…。 明日は、トルコに入国してトラブゾンに向かう。
2020.04.24
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2012年5月30日水曜日 ー香港の学生に夕飯をご馳走になるー 朝9時20分、ほとんど定刻にトビリシ到着 今日から3泊する宿 8人部屋のドミトリー 風呂場もトイレも清潔 宿の近く ヨーロッパ風です マクドナルド コジャレている グルジアも銅像が多い この様な建物がたくさんある グルジア名物 昼飯にヒンカリ (大きな餃子)とビール 450円 マクドナルドのコーヒー150円 ここに香港の学生3人と一緒に泊まる 香港の学生が予約している宿に、私も便乗して宿泊することにする。トビリシ駅から地下鉄で二つ目の駅で下車。地図を頼りに探し歩くが、反対方向に行ったり横道にそれたりで、目的の宿を見つけるまでに40分かかった。それでも、ドミトリーは清潔で快適な宿のようで、一安心だ。早速、宿の 近辺を歩く。私が心配した、外国人旅行者へ危害を加えるような街でもなさそうだ、と直感する。 それでも、夜は8時以降は出歩かない、人通りの少ないところは避ける。最低の事は守るつもりだ。アルメニアの街並みはヨーロッパ風だった、ここグルジアの首都トビリシもヨーロッパを漂わせる街並みだ。夕飯は、香港の学生が買出しした食材で、スパゲティとジャガイモのスープ、野菜のバターいため風煮物(キノコ、キャベツ、玉ねぎ、ベーコン、ブロッコリー、ベーコン)をご馳走になった。食材の一部を支払うと言っても、聞き入れと貰えなかったので、私はビール代を支払うことにした。料理は、正直言って美味しくなかった。私が料理した方がはるかに美味い物を作れる。でも嬉しいではありませんか、私の分まで食材を買い求め、ご馳走してくれるなど、普通できませんよね。 香港の学生にアッパレ! 2012年5月31日木曜日 ー食べれば太る、食べなければ痩せるー 香港の学生 闇鍋みたいですね 昨日ご馳走になった 野菜のバターいため風煮物 国会前の銅像 ダヴィスプレバ広場 後ろの建物が支庁舎 少し通りを入ればこの様な街並みです ナリカラ城塞跡(上) メテヒ(聖母)教会 グルジア文字で書いてあるので 名前はわかりません スィオニ大聖堂 ノラシェン教会(18世紀の建物) カシュヴェティ教会 トビリシ・マリオットホテル オペラ・バレエ劇場 補修工事中 ルスタヴェリ劇場 右がマリオットホテル 本日は、トビリシ市内を歩いて見学する。市内は一日もあれば十分見て回れる。アルメニアの人は本当に太っている人が多かった。特に中年女性は、梨型の体型でお尻の周りは私の4、5倍はありそうな人が結構いました。昔の小錦状態の女性が歩いていると思って頂ければ、想像がつくと思う。それに比べるとグルジアでは、太っている人は極端に少ない。ここ、トビリシ市内を歩いていると、お年寄りの物もらいが多い。子供を抱っこしてお金をせびる若い女性もいる。また、子供が私の前に急に現れて、マネーをくれと言ってくる。アルメニアでは一人として物乞い物をしている人はいなかった。それだけ食べるのに困っている人がグルジアには多いのではないかと思う。食べなければ痩せる、食べれば太る、典型的な例ですね…。 今日も夕食を学生さんにお呼ばれされる。二日続けてご馳走になったら日本人の恥、私は私で、グルジア名物「ヒンカリ」の冷凍物と、さくらんぼを買ってきた。ヒンカリは大きめの餃子みたいな物だ。料理は簡単、熱湯に入れて水餃子にする。スープも飲めて学生さんも喜んでくれた。正直な話、昨日の料理はひどかった。二日続けて食べたくなかったので、ヒンカりは大成功だった。 2012年6月1日金曜日 ー夜景を見て23時に宿に戻るー 昨日の晩飯 グルジア名物ヒンカリとビール 野菜とソーセージ炒め サムタヴロ教会入口 サムタヴロ教会内部 サムタブロ教会をバックに 香港の女性 バンコクの女性と私 ヘブリスツィヘ要塞跡 上の写真付近 トビリシから40分 高原に花が咲き乱れている スヴティ・ツホヴェリ大聖堂 スヴティ・ツホヴェリ大聖堂 内部 スヴティ・ツホヴェリ大聖堂 内部 スヴティ・ツホヴェリ大聖堂 内部 スヴティ・ツホヴェリ大聖堂 三時半に宿に戻り ビール中瓶1本60円 宿の三階から 石畳の坂になっている 夜飯 左はバンコクの女性 右は香港の女性 4人で食事しました 牛のひき肉 チーズ キノコ ポテトの4種類のヒンカり ライトアップされた宿のそば おもだった建てものはライトアップされている 本日は、市内から40分ほどのムツヘタに行ってきた。メンバー4人、香港の女性が帰国して、入れ替わりにバンコクの女性がドミトリーの仲間になった。その4人で出かけた。やはり、若い人とハイキング気分で歩くのは楽しい。3人は英語ペラペラ、私は2割程度しか理解できなかったが、皆さん私に気を使って話してくれるので助かった。ムツヘタは、紀元前3世紀から5世紀にかけて古代イベリア王国の都だった。4世紀にイベリア王がキリスト教を国教としてから、グルジア正教の総本山となる。城壁が囲むスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂はユネスコの世界遺産に登録されている。夕食は、グルジア名物の「ヒンカリ」を食べた。大きめの餃子みたいで、中身が牛のひき肉、ポテト、チーズ、キノコの4種類を注文した。私は4個食べたらお腹が膨れてしまった。ヒンカリの中身は何十種類もあるらしい。食べ終えて、香港の2人と夜景を見に行ってきた。帰りはなんと11時少し前だったが、何事もなく帰れた。おまけは、夜景を見るために山の頂まで行き、展望台にいた6人の男性らと意気投合して、宿まで車で送ってもらった。悪い奴でなくて、本当によかった。夜景の写真は次回。 明日は、クタイシに向かう。 2012年6月1日金曜日 ー悪い奴はひと握りー 国会前 支庁舎 スィオニ大聖堂 22時、カトリック信者大勢いた 香港の女性とツーショット コルガサ広場から撮影 ナリカラ城塞跡の途中から見た、右がメテヒ(聖母)教会 ナリカラ城塞跡頂上から、 トビリシ市内 右の男、体格がいい、絡まれたら大変だと思ったが、車で宿の前まで送ってくれた 旅行に出て初めて20時以降街を歩いた。香港の二人に誘われて、トビリシ市内のライトアップされた建物、さらに20分かけてナリカラ城塞跡の上まで登り、トビリシ市内の夜景を一望出来て大満足。ナリカラ城塞跡の上まで登る途中では、アベックが何組もいて、抱き合ってキスしているカップルもいる、夜のデートコースになっているようだ。頂上の展望台に6人組の男性がいて、酒盛りをしている。その脇で写真を撮っていると、グルジア語で話しかけてくる。絡まれたら嫌だな、と思っていたがフレンドリーな連中で、本当によかった。20分くらい夜景を見て、彼らに別れの挨拶をして帰ることにする。我々が坂を降りている途中で、彼らの車が止まり、送っていくから車に乗れと言って、仲間の4人を下ろして我々を乗せて宿まで送ってくれた。私は、グルジアは怖い所という先入観があった。若者のよる外国人旅行者を狙った犯罪が多発している、という情報にとらわれすぎていたのかもしれない。そうだよね、考えてみれば、どこの国でも悪い奴はほんのひと握り、それ以外の大勢の人は普通の人達だよね。今、グルジアは朝の8時33分、日本より5時間前の時差。
2020.04.23
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2012年5月27日日曜日 ー2日に1回は髪の毛をシャンプーー 白と赤で560円ほど 美味いワインです グリゴリャンの家のおじいちゃん 朝飯 牛肉入りスープとパン トマト味でとても美味しかった ガルニ神殿付近 軽井沢の初夏の気候 ガルニ神殿 ガルニ神殿のそばにある教会跡 (7~9世紀) 地元の観光客 子供の課外授業か 写真で見ると少し痩せたかな、でもアルメニアの水が私に合っているみたいで、食欲旺盛です 良い奴なんだが、少しストーカー気味 その話は明日 イェレヴァンの宿、「グリゴリャンの家」のお爺ちゃん、そして家族の方は皆さん優しい人達だ。ただ難を言えば、トイレは共同、シャワーは無い。気候も寒からず暑からずなので、汗をかかないので身体は汚れない(?)それでも2日に1回は庭の水道で、家族の皆さんに笑われながら、髪の毛をシ ャンプーし、身体全体を冷たい水で拭き、清潔さを保っている。その為に髪の毛を洗い易いようにと短くしたのが大正解だ。 本日もバスを乗り継ぎ、市内から25キロ郊外のガルニ神殿に行ってきた。昨日もそうだが、言葉は分からない中、色々な人に聞き、親切に教えてもらっての移動は、実に有難い。ガルニ神殿は、アルメニアに残る唯一のヘレニズム建築で紀元前1~5世紀に建てられた。しかし、地震の被害を受け、1960~70年に大規模な改修がなされ今に至っている。ユーラシア大陸横断は、ネパールのルンビニ、インドのブッタ・ガヤから始まった仏教、ヒンドゥー教の旅から、今度はキリスト教会の古い建物を巡る旅になった。それもそれで面白い。 2012年5月28日月曜日 ーとんだストーカーー アルメニア人大虐殺博物館 綺麗にアララト山が見れました 死の恐怖に怯える親子 360度市内を見渡せる モニュメント 犠牲者追悼の火は消えることない 凄いですね、生きた鶏を買い求める女性 手づかみですよ 日本の女性軍真似できますか ギョイ・メスジド(青のモスク) 古本屋さん 日曜日のバザー 店数300ほど ガラクタにしか見えないが 古いジュータンを売っている 石仏さん、takaさん、コメント有難うございます。インドからアルメニアに入国して、こんなにも食事、気候が違うとは思ってもいませんでした。ぐっすり眠り、美味しい食事とワインは薬ですね。散髪して男前になった…、昔から男前だと思っていましたが(#^.^#) 私が宿泊している宿は、近くの市場で働く人も下宿している。私の部屋の隣のアポメン君20歳、父親と二人で間借りしている。父親は毎朝仕事に出かけるが、アポメン君は失業状態だ。いい奴なんだが、朝、私が起きるのを窓越しに見ていて、コーヒーを沸かしてくれる。それはそれで結構なこと だが、私1人でwifiの繋がる喫茶店に行くのにもついて来る。言葉はアルメニア語以外は話さない。 私がインターネットをしている時には、前に座り私をじっと見つめている。女性に見つめられるのなら別に構わないが、男に下目使いで見つめられたら気持ちが悪い…。なんとか振り払って、私一人で行動しようと思ってもついて来る。とんだストーカーだ。へんに怒って悪さでもされたらたまらないので、我慢している。 本日は、アルメニア人大虐殺の犠牲者を追悼したモニュメントに行ってきた。市バスは一律100ルマ(20円)は格安だ。第一次世界大戦の際、オスマン帝国軍がロシア軍と対峙した。その時にキリスト教徒のアルメニア人の反乱を警戒したオスマン帝国側は、シリア方面に強制移住させ、100万 人に及ぶ人々を虐殺した。歴史的にアルメニア人は解体したと言われている。 明日は、寝台列車でグルジアの首都トビリシに向かう 2012年5月29日火曜日 ーストーカー悲しげな顔ー 街の至る所にある水飲み場 この水は飲んでも腹を壊さない 給水車 時代物です タンクの横の赤いのはガス ガスで走るんです イェレヴァン最後の夕食 鶏肉入りスープ ビール、ワイン、コニャックを飲む 国際列車 イェレヴァンからトビリシ 写真が暗いですね、性格は明るいんですが 寝台列車の中 香港の学生三人と仲良くなる 今日の朝も、アポメン君がコーヒーを入れて、私の部屋にやって来る。彼が話しかけてくるが、理解できない、ジェスチャーと時計を指さし、何か言っている。どうやら私の今日の行動を聞いているようだ。冗談じゃない。今日も付きまとわれたらたまったもんじゃない。私もジェスチャーと時計を指さして、一人で街を歩くんだ、と何回も説明する。彼は理解したようで悲しげな顔をする。コーヒーをササッと飲んで急ぎ部屋を出る。外に出て振り返り、付いて来ないのを確認して、ホッとする。今日はイェレヴァン最後なので、夕食はレバーの炭火焼、鶏肉が入ったスープをツマミにジョッキーでビール二杯、ワインをグラスで4、5杯、最後にコニャックで締める。これで今晩はぐっすりと眠り、朝はグルジアの首都トビリシだ。車中でも缶ビール2本飲み、本当にぐっすりと眠れました。 ただ、心配事は外国人旅行者を狙った犯罪が多いらしい事だ。『旅行人』(1996年版)窃盗はもとより強盗、恐喝、若者はナイフを持ち歩いているので注意しするようにと書いてある。最近インターネットで調べても同じような事が書かれている。明日はトビリシに着いたら、明るいうちに街を歩いて自分で確かめるつもりだ。
2020.04.22
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アルメニア、グルジア(ジョージア)、トルコ 2012年5月24日木曜日 ー貴方はアルメニアには入国できませんー 21日の夕食 私はカツ丼 M君はオクラ丼 空港で計ったら7.4キロ 私のザックの重さ 4時出発が 7時に 空港で仮眠 機内食 ビールは有料 飲まなかった アエラフロート航空 モスクワからエレバンの飛行機の中 ワイン一本170円 塩が効いたハム 本日から5泊する宿 600円 インド国際空港のチェックインカウンターで、貴方はアルメニアのビザが無いし、帰りのチケットも持っていないのでアルメニアには入国できないと、言われ一瞬焦った。私はアルメニア空港でビザが取れる事をインターネットで調べていたので、係りの人に説明する。相手は何回も電話して、確認しているようだ。待つこと1時間、やっとOKが出た。その間待った私の身にもなってよ…、もしもダメだったらトルコに直接入国するか、真剣に考えたのだから、本当にドキドキだった。出発が3時間30分遅れ、さらにモスクワでは4時間の待ち時間、本来なら14時到着が21時になった。ビザ取得と入国手続きを済ませ、タクシーで宿に22時少し前に到着。宿にザックを置き、何をさておいてもワインとツマミを買いに行く。ワイン1本が170円、考えられない値段だ。塩味が効いたハムとサラミをツマミにワイン1本空にして、重い掛け布団を掛けて11時に就寝。 2012年5月24日木曜日 ーアルメニアが好きになりそうだー エレバンの台所 市場 チーズの種類が豊富です 肉屋さん とても清潔 朝飯 パンに肉と野菜を挟んで食べる トマトジュースとコーヒー 教会 街の至る所に銅像がある 洒落たピッザ屋さん 官公庁の建物 官公庁の建物 違う角度から 美女に囲まれて 街のお茶屋さん ビールではありません ジュース屋さん 屋根の上はガス ガスで走る車 初めて見ました 宿泊出来る普通の民家 宿の子供 昼飯にビールとトマト、キュウリ アルメニアが好きになりそうだ。インドの半端でない暑さ、物売り、リキシャーのしつこい誘い、物貰い等、ここアルメニアの人は外国人に声をかけてくる事はない。季節は日本の5月上旬の気候、日中は26度位にはなるが、夜は気温が下がり、厚布団で丁度いい、ぐっすりと眠れる。街は石造りの建物が多く、ヨーロッパの街を歩いているようだ。(まだ一回としてヨーロッパに行ったことがないのに…)ワインの安さにはビックリ、もちろん高級ワインもあるが、私は、ワインの味は正直分からない、高くても安くてもほとんど区別がつかない程のワインの味音痴なのだ。200〜300円程度で充分だ。 2012年5月25日金曜日 ーアルメニアを旅行するなら 今がチャンスー ワインにキュウリの漬物 三日通った大衆食堂 街で見かけた映画館 オペラ・バレエ劇場 ソヴィエト・アルメニア成立50周年記念モニュメント 上の写真の頂上から マテナダラン(古文書館) 5世紀のアルメニア文字の発明から今に至る、膨大な量の古文書類 これらの古い古文書が展示されている 古文書館の前 2時に見学を終え、ビールを飲む 肉屋さんの前で 今晩の晩飯 レバーの炭火焼 アルメニアは、どこの国か分かりますか?分からないのが普通ですよね。国土の大半が山岳地帯か高原の山国。夏は30度くらで過ごしやすいが、冬が長い。コーカサス諸国の一つで、アゼルバイジャン、イラン、グルジア、トルコとの国境に接している国。アルメニア共和国の首都エレバンから、ノアの箱舟が流れ着いた山、アララト山が綺麗に見ることが出来きる。アルメニアは301年に、世界初のキリスト教を国教に定めた国。確かに素敵な教会がたくさんある。この国は観光客慣れしていないので、ボッタクリ、騙す輩はいない。安心して街を歩ける。また、街の至る所に水飲み場があり、飲んでも腹を壊すことは無い。中国やインドの人は、ゴミをどこでも平気で捨て、ツバや痰をあたり構わず吐くが、アルメニアの人はそのような事はない、文化の違いんだろうか…。街はとて綺麗で、外国人にとても親切だ。観光旅行するなら今がチャンスだ! 2012年5月26日土曜日 ーザリガニをつまみにワインを飲むー 街から綺麗に聖山アララト山を望む コニャック工場 エチミアジン大聖堂 手前の教会 本当に多い、銅像 アルメニア教会の総本山、エチミアジン大聖堂 エチミアジン大聖堂をバックに記念写真 エチミアジン大聖堂 脇の時計台 角度をかえて 記念撮影 今度は私が大きく写っている ホテルマリオット 一泊200ドル以上 市内の聖グリゴル・ルサヴャリチ聖堂 こちらの教会は2001年建立 ザリガニをつまみにビールとワインを飲む これは、最高ですね! パソコンのメモリーが一杯になり、パソコンが遅くて困っている。助け舟を頂いたので、明日は試してみるつもりだが、ブログ更新が出来なくなるかも知れない。パソコン初心者には辛い作業だ。 アルメニア教会の総本山、エチミアジン大聖堂に行ってきた。大聖堂のドームと鐘楼は17世紀のものだが、構造は7世紀から変わっていない。キリストの脇腹を刺した槍やノアの箱舟の破片が教会に秘蔵されている事でも有名だ。 2時には宿の近くまで戻り、ザリガニをつまみにビールとワインを飲む。ザリガニの卵が珍味でワインが進み困ってしまった。夜は、豚肉の炭火焼を玉葱や香草と一緒にナンに包んで食べる。こちらも、ビールとワインに実に良くマッチする。インドで痩せた分を、アルメニアの3日で取り戻せたようだ…。
2020.04.21
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2012年5月16日水曜日 ー詐欺師に声かけられるー 昨日、ダブルベッドをセパレーツにして二人で寝る 朝食 ジャムトーストとミルクティ 50ルピー(80円) また、タプルベットに戻して6泊する ニューデリー駅 駅構内 路上の自転車屋さん パンク修理 街を歩いて見つけた洋菓子、インドの お菓子を扱っている店 どれも美味しそう! 上の写真の店で、豆から作った 揚げパンを食べました 30円 マサーラー屋さん ホテルから10分の所、名前は分かりません 昨日は、K大の学生 H君とシェアして700ルピーだった部屋を、450ルピー(720円)にディスカントしてもらい、さらに6泊することにした。実は、朝のうちに2軒ほどホテルを見てきた。2軒とも400ルピー以下にはならないし、部屋も設備もこちらのホテルのほうが断然いい。 ニューデリー駅の前で、詐欺師(確信あり)に切符を見せてくれと言われた。あっ、こいつは詐欺師だな!私は心得たもので、駅の様子を見に来ただけだと話、一切無視した。昨日、H君と一緒に旅行会社に行った。私は、アルメニア行航空券の代金支払い。H君はアーグラー行き列車の指定券を受け取りに行った。そこの旅行会社の方が、駅構内で切符を見せろという事は絶対に有りえないので、無視して列車に乗るよう注意していた。 バラーナスの宿で、T大工学部の学生が、デリーの空港に夜中到着して、詐欺師のカモにされた話を聞いた。彼曰く、詐欺師に何処に行く、と言われたのでホテルの名前を言ったら、そのホテルは廃業したとか、泊まれないとか言って、詐欺師の旅行会社に連れて行かれた。詐欺師はホテルに電話して、ホテルは泊まれないと言っているので、お前も電話で確かめろと言われ電話を渡された。確かに電話では泊まれないと言っている。これは、初めから組まれた演技で、詐欺師の仲間に電話したのだ。ぼろいホテルに連れて行かれ、1万円支払い、さらに4万円のツアーを組まされた。怖くなり、また、危害ても加えられたら大変だと思って、仕方なく了解したそうだ。この手のサギは、日常茶飯事に起きている。結構騙される人が多く後を絶たない。私だって何人かに囲まれたら、怖くなってなんでも言う事を聞いてしまうかもしれませんね…。 2012年5月16日水曜日 ー俺はメトロで行くんだ!馬鹿!ー 地下鉄 丁度列車が到着 ど派手な寺院 立派な建物 イスラム教徒寺院 ラール・キラー外壁と門 入場するのに、厳しいチックがある 赤砂岩 美しいラーホール門 土産物屋が並ぶアーケード 時間が早いので開店していない 2番目の門 この王座にシャー・ジャハーが座り、 民衆の陳情を聞いた ディーワーネ・アーム内部 民衆の陳情所から撮影 ディーワネ・カース ディーワネ・カースの内部 細かい細工が施されている ディーワーネ・カース ディーワーネ・カースの内部 柱に美しい花 ディーワーネ・アーム 一般謁見の間 ジャマー・マスジェトの門 ジャマー・マスジットの外壁 暑くならないうちに、ムガル帝国の赤い砦「ラール・キラー」に行ってきた。ホテルでオート三輪車の値段を聞くと、100ルピー(160円)位と教えてくれた。正直メトロ(地下鉄)はスリが多いので乗りたくなかったが、8ルピー(16円)の安さにひかれ乗ってみた。私は、八の字眉毛だ…その眉毛を精一杯、縦に立てるだけ立て、隙を見せなかったのが幸いしてか、スリも手を出せなかったようだ。 メトロに乗るためには、ニュー・デリー駅を通らなければならない。またも、昨日とは違う詐欺師(確信あり)に、「何処に行くの」と声かけられた。ラール・キラーに行くと言ったら、ツーリストオフィスに行こう、と誘ってきた。冗談じゃない、なぜ、お前と一緒に行かなければならないだ!(英語と日本語で言ってやった) 詐欺師は、グットプランがあるからオフィスに行こうとしつこい。俺はメトロで行くんだ!(ここは英語)、馬鹿!(日本語)と言って素早く立ち去った。 ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンは、アーグラーからデリーに都を移した。1639-48年に建設された「ラール・キラー」は、レンガ色の赤砂岩を積み上げ頑強な城壁で、総延長2kmに達する。また、「レッド・フォート」の別名を持つ。 下の写真2枚は、ジャマー・マスジット、インド最大規模のモスク。私は外から写真だけ撮って、中には入らなかった。 2012年5月18日金曜日 ー漢字変換できないー ホテルの前から 朝はパンとミルクティー 世界からパックパーカーが集まる Gパンを洗濯 土埃がなかなか取れない パソコンのIMEシステムが機能しなくなり、「ひらがな」と「カタカナ」しか入力出来なくなった。yahooで調べ、いろいろ試したが上手くいかない。先ほど、yahooで見つけた「日本語入力システム」をダウンロードして、なんとか漢字変換できるようになった。おまけに、写真管理システム「ピカサ」もデスクトップから消えてしまった。昨日(16日)は、朝から頭が重くホテルの周り100メートル位しか歩いていない。前の晩シャワーを浴び、そのままパンツ一丁で寝たのが良くなかったようだ。 2012年5月19日土曜日 ーひどい下痢の時はシャワーの如くー 知らないで上の建物を撮った、写真を撮り終えて、人だかりは失業者への食事の配給と分かった 何気なく撮った二日前の写真、チャパティを配っている人に「写真を撮るな」と注意された。食事にありつくために行列する失業者達(だと思う)。インドは、皆さんの方が詳しいと思うが、人口11億人を超え、失業者は40、50%とも言われている。また、カースト制度でも特に問題にされているのが、不可触民(指定カースト)で、社会の底辺で生き、死体の処理、ゴミの後片、クソの処理、ありとあらえる汚い仕事をしている。車に轢かれて死んでも、運転者は罪にならないらしい。人間扱えされな い、ひどい制度だ。 参った、参ったパソコンの不具合で一つが解決したと思ったら、また次の問題が発生し、修復するのに結構な時間を使った。元会社のEさんがいれば、相談もできるし、不具合を即座に直してもらえたのに…。 おまけに、午後から腹の調子が良くない。どうも、露天のマンゴジュース2杯飲んだのがいけなかったようだ。冷たくてとても美味しかった。でも、亀にマンゴを絞ったのと氷が入っていた。別の屋台でラッスィー(ヨーグルトに砂糖と水と氷を加えてかき混ぜたもの)まで飲んだ。デリーも相当に暑い、身体が疲れているので無茶をしなければよかった。ひどい下痢の時はシャワーの如く、水便が勢いよく出る。まだ、軽いほうだ。昼は、バナナ2本、夜はバナナ3本とビスケットで済ませた。明日には治まって欲しい。 2012年5月20日日曜日 ーチビりの竹ちゃんー 十六世紀半ばに建立 プラーナー・キラー門 城壁は4、500メートルはありそうだ 美しい石積みの城壁 プラーナー・キラー門の真後 退屈そうな移動販売の男 十六世紀半ばに建てられた図書館前で 崩れかかっている 当時の姿を偲ばせる 動物園のゴミ箱 インド門のすぐ隣 インド門は、インド兵士の慰霊碑 記念撮影 オムライス 米も日本のと遜色なし 日本で食べている味と同じだ、美味い! 腹の調子を考えて半部は残した 朝飯 トーストとチャイ ホテルの前、夕方は人、人 朝の7時半から行動開始。下痢も治まりホットしている。チョト汚い話で申し訳ないが、下痢気味で、オナラが出そうな時、そのままオナラをするか、我慢するかどうしょうかと、皆さん、迷った事は有りませんか? たまに間違えてオナラのつもりがウンチをチビル。ここだけの話ですが、私にはその経験があるんです。でも、これは内緒ですよ…。「チビりの竹ちゃん」と言われたら恥ずかしいですから…。(#^.^#) 「プラーナー・キラー」は、十六世紀半ばに建立された石積みの城壁。アーグラー、ラール・キラーよりも古い都城。インド門には観光客がワンサカいました。第一世界大戦で戦士した兵士の慰霊碑。 2012年5月21日月曜日 ー「食堂もり川」夢の中ー 街の野菜やさん 今が旬 マンゴ1キロ80円くらい 郵便ポスト ここに投函すれば日本に着くかな 私はオクラ丼 Mくんはオムライス 甲府のMくん 本日は、インド空港に23時に到着するつもりです。22日の朝4時出発、モスクワからアルメニアに向かいます。 昨日は、ろくな物を食べていない。腹の調子を考えて、朝はバナナ2本、昼もバナナとビスケット、夕飯はオムライス半分(茶碗で一杯)だ。やはり腹は空く。夜中に『食堂もり川』(東大正門前)で仲間と 美味しい肴をつまみに飲んでいる夢を見た。この店は会社時代、ほとんど毎日昼飯を食べた。夜は仲間と一杯ひっかけた。大変お世話になった。なにが良いって、日替定食、海鮮丼、煮魚あこう鯛、ハンバーグ、カレー、キノコ洋風和え、うどんセット(小マグロ丼・小シラス丼)と、日本食から洋食のメニューが豊富で、何を食べても美味しく、値段が安いことだ。それと、私が行くと別に小鉢がサービスで付いてくる。(これは皆さんには内緒…)次から次えと夢の中に飲み屋が出てきた。『祇園』(本郷三丁目)の、筍の煮物、ハモは梅肉を付けて食べる、これは夏の食べ物だね。ついでに、春日町の『遠州屋』焼き鳥屋さん、一本一本の串がボリュームあり、美味しく、安い。その他にも赤羽の店も夢に出てきたが、キリがないのでここまで。夢の中でヨダレが出て困ったぞ…。/(-_-)\ 刺身、焼き魚、食べた~い! 本日の夕食は、人のいい甲府のMくんと、アーグラー以来7日ぶりに夕飯を食べた。
2020.04.20
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2012年5月11日金曜日 ーカジュラーホー東群・南群寺院ー パルシュヴァナータ寺院外壁 パルシュヴァナータ寺院前で 寺院前の彫刻 寺院一面精緻な彫り物 圧倒される 暑すぎるので水浴び のどかですね 寺院の前で記念撮影 これらの彫刻が外壁一面に見られる 博物館の中で撮影 こちらも博物館の中で撮影 何とも言われない顔の表情 ヒンドゥー教の彫刻 このビールはアルコール6% 美味い! ナス丸ごとカレー 3日続けて食べました 山梨のM君と一緒に夕食 バラーナスで一緒だった、山梨のM君と東群・南群のヒンドゥー寺院を自転車で回った。 こちらの寺院は、西群と違ってエロチックな彫刻は期待できない。目を皿のようにして探したが(それは嘘で、普通に見て回りました)、二カ所しか見つけられなかった。写真はその一枚で、10~11世紀半ばの貴重な彫刻という事で鑑賞願いたい。歴史好き、遺跡に興味がある方には、何時間、何日あっても見飽きることはないと思う。それだけ素晴らしい遺跡、彫刻だった。 明日は、タージ・マハルの街、アーグラーに向かう。 2012年5月12日土曜日 ー日中走る寝台列車は快適だー カジュラーホー駅 全部で18台連なっている 本日の朝飯 ビスケット チャッイ・紅茶 列車で一緒になったインドの女の子 オートリキシャ 夕方のタージ・マハール 今晩の夕食 卵カレーとチャパティ 80円 本日から3泊するホテル 日中に走る、エアコンが効いた寝台列車は快適だった。車窓からの風景に飽きたら、 寝台で寝ればいい、これが何とも贅沢に思えた。朝9時出発で、アーグラーには30分 遅れの18時に到着。列車を降りるとオート三輪車の猛烈な誘いだ。80ルピーでタージ・マハールの正面玄関近くの宿まで行く。3件目で本日から3泊する宿を見つけた。 インドの旅も先が見えてきた。HISインド支店にメールして、アルメニア行航空券について尋ねた。HISの担当も知らないようで、エアフランスでパリ経由130000円の航空券を知らせてきた。私の情報では、アエロフロートロシア航空がデリー~モスクワ~アルメニアに飛んでいるはずだ。早速、折り返しアエロフロートロシア航空か、飛行機は飛べばどこの航空会社でも構わないので、格安航空券を再度探してくれるよう頼んだ。HISから、たしかに、アエロフロートロシア航空もございましたと返事があり、21日が一番格安で、25000ルピー、38000円だと知らせてきた。これで何とかアルメニアに入り、グルジアを通りトルコに行けることになった。 2012年5月13日日曜日 ータージ・マハル世界一豪華な墓ー タージ・マハル入口前で 左右対称 均整の取れた見事な白亜のドーム 記念撮影 写真を撮っていたら 皆に撮れ撮れ言われて ドームの中も豪華 外壁も見事です 4本のミナレットの一本 タージ・マハルをバックに記念撮影 赤砂岩のアグーラー城 アグーラー城 外堀 昼飯 マクワウリ(青森しか通じないか) タージ・マハルは、巨大な墓だった。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、王妃ムムターズ・マハルのためにムガル帝国の国力を傾けて、16世紀半ばに建設された巨大な墓。世界各地から貴重な石を取り寄せ、また職人も集められ、22年の歳月と、天文学的費用をかけて1653年に完成した。まさに、世界一豪華な墓だ。入場料は外国人、750ルピー1200円、インドの人は、 10ルピー 16円と、あまりの開きにインド人(外国人)もビックリ! 写真やテレビで見るよりも、やはり現地に来て現物を見学すると、建物の規模、豪華・華麗さが、現実味を帯び、蘇るというか…、ただただ圧倒される。 2012年5月14日月曜日 ーエロチック彫刻に釘づけー タージ・マハル南門 大変な混雑だ 昨日食事した店 オムライスが美味しかった 今は観光客がいないので、誘いが凄い アイスクリーム屋さん インドは牛も豚も道路を堂々と歩いている 昨日入場した東門 タージ・マハルの外壁 結構厳重に 警官が警護している 餃子の皮に似た物にジャガイモや豆を詰めて揚げる くたびれた野菜が並んでいる 下町のチャイ屋 マンゴラッスィー (ヨーグルトに水を加えたもの) シンさんのブログ【繭の里】(5/12)で、「竹ちゃんのユーラシア横断」を話題にしてくれた。シンさんは、地図まで買求め、私がどの辺を旅しているのか、地図上で確認してくれている。本当に有難い。また、シンさんが、私と突然ドッキングする旅に出るかもしれない、と書いている。もしも、本当にそんな事が実現出来たら、嬉しくて、嬉しくて、泣いちゃうかもしれませんね…。 今後のルートは、5月21日にアルメニアに入国し、グルジアを経由してトルコに6月10日頃に入る予定。さらに、ギリシャ、イタリア、スイスには7月下旬に入り、フランス、スペインには8月中旬までに入りたい。母の三回忌の法要があるので、ポルトガルから9月15日頃に帰国予定だ。 3月から始めたブログが、アクセス回数がいつの間にか7000を超えた。ここ最近では、5/9の「エロチックな彫刻で有名な、ヒンドゥー寺院」へのアクセス数が際立って高い。それだけ、ミトゥナ像(男女交合像)の彫刻の素晴らしさに皆さん、釘づけになった様ですね…。 2012年5月15日火曜日 ーむっつりの方ばっかりー 途中で昼飯 ぼろいバス 5時間バスの旅 宿の周り 本日のホテル ホテルの二階から 本日は、バスで約5時間かけてアーグラーからデリーに移動。目指したホテルはシングルが満室。たまたま、K大のH君もいたので二人で相談して、別のホテルに二人でシェアして一泊することにした。ホテルの近くの「シゲルトラベル」に行って、アルメニア行の航空券の値段を聞いてみた。最安値が22日で22500ルピー(35000円)、HISより6000円安い、その場で予約した。出発待ちでデリーに7泊することになる。H君は明日、アグラーに向かうので、私はこの近辺でシングルを探す。 コメント有難うございます。 いなちゃんへ、2回のコメント有難うございます。コメントに返信しているのですが、受信されていませんよね?私の操作が悪いのか、如何してなのか分かりませ。済みません。 石仏さん、今度機会がありましたら、私でよければ息子さんと一緒に旅をしてもいいですよ。ただし、忍耐、体力、知力(?)を使い、修行僧の旅ですが…。 takaさんのコメントから、「竹ちゃん、やっぱり私だけじゃなかったですね♡♡♡皆さんはコメントも寄せずニンマリと穴が空くほどエロチック彫刻を見ているんですよっ!!いわば、むっつりな方ばっかりですねm(__)m」 本当、私もそう思いますね!
2020.04.19
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2012年5月8日火曜日 ーガンガーからガートを見るー 朝早くから沐浴する人 沐浴する人、身体を洗う人 水は濁って汚いが、聖なる河、ガンガー この人は本当に熱心に祈っていた 古い建物が、とてもガンガーに合っている こちらも古い建物 ダシャーシュワメード・ガート 一番混み合っている ボートから 食堂の前で 女性は旦那さんと世界一周中 山梨のM君とカレーを食べる ここの店は本当に美味くて、安い、二人で361円、私のおごり バナーラスの駅 一人でボートに乗るのは料金が高くつくので、台湾のKさんと山梨のMさんと3人でボートに乗り、ガンガーから岸辺を見学した。日の出は5時30分、太陽が顔を出すタイミングには遅すぎたが、オレンジ色に染まる朝は美しい…。日の出に何回もお祈りする人、その横では石鹸を泡立て身体を洗う人、洗濯する人、朝早くから大勢の人だ。ボートは進み、火葬場のすぐ近くに横付される。煙と異臭が鼻を突き、軽い吐き気がした。キャンプファイヤーで薪を燃すように組み、その上に死体を置き、燃やし、遺灰はガンガーに流される。火葬時間は3時間。薪代は300ルピー(480円)。24時間火葬はつづき、火は消えることはない。ちなみに、人生を充分経験していない子供と出家遊行者は火葬されずに、身体に重石をくくりつけ川底に沈められる。火葬場は写真撮影は禁止されている。 明日は、エロチックな彫刻で有名なカジュラーホー行く。 2012年5月9日水曜日 ーノーパワーですからー バナーラスからの寝台列車 通路に2段ベット 手前に3段ベットが2列の6人部屋 ここに私一人 竹ちゃん刑務所に収監される 自分で自分を撮りました ここで水を買ったら、エロチック写真集を買えと言われた 沐浴池から見た西群の寺院 カジュラーホー 静かな町、村 本日から3泊するホテル 小奇麗です 考古学博物館 西群寺院 明日見学する 街を散歩して見つけた 名前も分かりません お土産屋の上に寺院 入口が分からなかった 寝台列車はガラガラ、人がいないと荷物が心配でよく寝れなかった。カジュラーホーに朝5時到着予定が、2時間遅れた。世界一周旅行中の夫婦とオート三輪車でホテルに向かう。外見も部屋の中も小奇麗、一泊300ルピーは仕方ないと思いながらも、値切り3泊で800ルピーにしてもらう。朝飯を先ほどの夫婦と食べ、私は11日のアグラーまでの列車の指定券を買いに行く。途中で喉が渇き、コーラを買うために店に立ち寄った。初めは決まり文句で、何処から来た、カジュラーホーには何泊する、一人旅か、等々聞かれる。そのうちにエロチック(男女交合)写真集を私に買わないかと、言ってくる。私はこの手の誘いには、特に東南アジアのポン引きに「社長・社長-いい女の子を紹介する」と言われた時には、自分の股間を指さして、「ノー・パワー」と言う。今回も、写真集を買わせようとした 男に、ノー・パワーと言ったら、ゲラゲラ笑いだして、周りの男どもに「ノー・パワー」の話をしながら、一人受けている。外野から、インドは一晩三回は普通だ…。と抜かしやがる…。 勝手にしろ!! 2012年5月10日木曜日 ーエロチックな彫刻で有名な、ヒンドゥー寺院ー レークサイドホテル 小奇麗です 蚊もいません ラクシュマナ寺院 外壁一面に精緻な彫刻 芸術ですから カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院 韓国の観光客多かった 超有名 官能的なミトゥナ像(男女交合像) 下がミトゥナ像 上の名前は分かりません 抱擁する男女 11世紀初頭建立 デーヴィー・ジャグダンベ寺院 最もエロチックな彫刻で知られている 朝7時半から見学 インドの地方からの観光客と記念写真 町のお茶屋さんでチャイを一杯飲む シンさん、私まだケツの毛まで抜かれる事なく無事に旅しています。しかし、物売りのしつこさには、へきえきしてしまいます。 カジュラーホーの寺院群は、10世紀初頭から11世紀半ばに建立されたヒンドゥー寺院。暑くなる前に、カジュラーホーの西群寺院を見学する。ここは世界遺産で、エロチックな彫刻で有名だ。私が見学した感想は、ミトゥナ像(男女交合像)は、大胆で大らかで、官能的で、エロチシズムを醸し出しているように見えた。私は、あくまでも芸術として精緻な彫刻を見て回った。(ほんとかなぁ…と言う声が聞こえてきそうだが…) 夕飯は、世界一周旅行中の小樽出身の旦那さんと、札幌出身の奥さんと3人で、ナスが丸ごと入っているカレーを食べた。これが辛くもなく、コクがあり何とも美味しいカレーなのだ。カレーの具は肉と言う方は、是非食べてほしい。本当に美味い! 本日の気温は45度。それにしてもインドは暑い。毎日40~45度の気温には、脳味噌も 半熟玉子状態で、思考が麻痺しかけている。腹の調子が悪かったのは一回だけだ。カレーの香辛料マサーラーが頭皮に効かず、腸を刺激して軽い下痢気味になるが、次の日にはスッキリと治まる。
2020.04.18
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2012年5月4日金曜日 ーHelp meー マハーボディー寺院 正面入り口左 仏像 正面入り口右 仏像 本堂に置かれた黄金の仏像 ここでもたくさんの人がお経を唱えている 菩提樹 ブッタに悟りを開いた所 一心にお経を唱えている 放心状態でただただ祈っている 大塔の壁面の仏像 寺院を清掃する人たち 朝飯を食べている 犬も涼しいところで居眠り 朝から腹の調子が悪い。昨日、屋台のジュース屋で飲んだレモンジュースが良くなかったようだ。レモン百パーセントではなく水も加えられていた。 昼にマンゴ一個、夕方に小さなバナナ三本食べただけ、大分落ち着いてきた。 明日は、バナーラスまで7時間バスに乗らなければならない、下痢している場合でない。 今年は旅行中のため、お盆は田舎の墓参りが出来ない。二回目になるがマハーボディー寺院に行き、T家・M家、親戚の亡くなられた方々の供養のつもりで『黄金の仏像』のすぐ前に座り五分間黙とうした。 昨日話をした若い坊さんに呼び止められ、自分は22歳で二年間勉強するのだと言っている。とても貧乏で勉強する本が買えないので、私に助けてくれと言う。昨日もそうだが、呼び止められた場所は露店のお茶屋で若い男とふざけ合っていた。勉強に身が入らない、この~、生臭坊主、何を言っているんだ…。私は少し声を大きく一言、NO! 昨日はwifiが繋がらなくて更新できなかった。今、バナーラスから更新。 2012年5月5日土曜日 ークーラーは私に合わないー ブッタ・ガヤーのホテル 荷台に何人も乗り込んでいる 車内は大変な込みよう インドに髪の毛が薄い人がいました 途中のバス・ステーション 私の隣のお母さんと子ども 昨日、マンゴとバナナ以外は食べなかったのが幸いして、腹の調子は戻った。 本日は、バナーラスまで10時間のバスの旅。もしも下痢だったら、映画『シコふんじゃた』竹中直人と同じで脂汗どころではなかった。 ツーリスト・バスは運行していないのでローカルバスでの移動、何回も停まり乗客はもとより、生活必需品を荷台に積込み、何十分も停車。7時間が10時間かかった。 練馬の新婚さんと一緒のバスになった。嫁さんは妊娠していると旦那が教えてくれる。私はビックリして、なんで新婚旅行がインド! それも旅行会社に手配しての旅行ではなく、成田~コルカタ往復のチケット以外は行き当りばったり、まるで私の旅と同じではないか…、恐れ入りました。 本日から3泊するホテルは300ルピー(480円)、殺風景な部屋にベットと天井に扇風機、トイレとシャワー付き。クーラーは私に合わないようだ、ブッタ・ガヤーの宿はクーラーつきの部屋にしたが、扁桃腺が痛くなり、鼻水が出て困った。これから先の宿は扇風機で通すつもりだ。 2012年5月6日日曜日 ー母なる大河、ガンガーー ガンガーに朝日が昇る 朝日に向かって船は進む 朝早くからガンガーで洗濯 沐浴すると人達 ガンガーのガートで ガートの壁に書かれた絵 後ろはヒンドゥー寺院 スクール・リキシャー 可愛ですね ガンガーで獲れた魚をさばいている 寺院 名前は分からない 小腹が空いたので 揚げ物、中にジャガイモ・豆などが入っている 沐浴を終えて家路に帰るところ 人も牛も沐浴 朝5時から、母なる大河、ガンジス河を見物に出かけた。こちらではガンジス河をガンガーと呼んでいる。ガンガーの岸辺には84ものガートが連なっている。ガートとは岸辺から階段になって河水に没している堤のこと。全部のガートで沐浴している訳ではない、大きなガートの下で沐浴している。ガートに座りガンガーの向こうに太陽が昇るのを眺めた。素晴らしい景色だ!ガンガーには、あちこちから巡礼の人々が集まり、聖河に静かに浸っている。年老いた父親だろうか、息子が背負い、静かにガンガーに入っていく。感動的なシーンにしばし見とれてしまった。 中には家族・友達同士でわいわい騒いでいるようにしか見えないグループもいた。 不謹慎かもしれないが、私の眼には海水浴に来て騒いでいる…、という感じにしか映らなかった。 2012年5月7日月曜日 ー手の込んだ詐欺?ー 本日は日曜日 大勢の人が沐浴している ガンガーで一番人が多い場所 日本語ペラペラ 台湾のKさん 昼飯 インスタントラーメン 美味しくない 生姜焼き定食 それなりの味 ここ3日間はビールを飲んでいない。高級な店に入ればビールを置いている所もあるが、私が行く店は安食堂なので置いていない。不思議と飲みたくならない。一つの理由は、インドビールはアルコール8%で私には美味しく感じられないことだ。その甲斐あって、1日当たり1,000円以内で済んでいる。本日は火葬場で知り合った台湾のKさん、甲府の22歳のMさんと一緒に夕飯に行った。何度も書くが、一人で食べるよりも数段美味しい。Mさん、コルカタで親切なインド人と知り合い、ホームステイを勧められ、コルカタから8時間かけて、何もない村に1週間泊まり十万円ちかく支払った、そうな…。宿泊した家は土壁、家族と同じ食事。さらに、ホームステイを勧めたインド人の奥さんは日本人、若い医者もいてホームステイを勧めたようだ。私は大きな声では言えないが、私なら二万以内で請け負ってあげる。Mさん曰く、2か月分の旅費を使ったので、1年の旅を2か月切り上げるようだ。手の込んだ詐欺だと私は思っているが、Mさんは人がいいのだろう、親切なインド人で騙されたとは思わない。と言っている。Mさん、いい経験をした…、少し高い授業料と思って、旅を続けてほしい。
2020.04.17
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2012年5月1日火曜日 ーバスを6回乗継でバトナー到着ー なんでも運ぶジープ 乗客は16名 途中の街 こんなトラックとギリギリですれ違う ジープ前に運転手を入れて4人 後ろに13名 今日は疲れた。朝から6回もローカルバスを乗り継ぎ、零時20分にパトナーに着いた。それから宿探し、初めに行ったホテルは1300ルピー(2000円)と言われたので次の宿を探す。時間が時間だけにどの宿もシャッターは降ろされている。仕方がないのでリキシャーが連れて行ってくれたホテルに飛び込む。シャワーを浴びるが、一回のシャンプーでは髪の毛の汚れは取れない。さらにシャツとパンツ、靴下は何回洗っても土埃は取れない。寝たのは1時20分過ぎ、熱帯夜もさることながら蚊が何匹もいて刺され放題だった。 2012年5月1日火曜日 ーパトナーからブッタ・ガヤーに向かうー 朝飯 マンゴジュース パンの中に辛いジャガイモが入っている パトナー 物凄い数のオートリキャー まだ現役です 馬のリキシャー しぼりたてのジュースを飲ませます 私も喉の渇きに勝てず、不衛生覚悟で飲んでます パトナー駅前 歩行者天国? 雑誌・本の露店販売 写真を撮れ撮れとせがまれて キュウリ 皮をむき縦に四つに切る のどの渇きにいい バスの中 上の写真の移動販売版 50人の乗客の8割は買い求めていた、私もその一人 サトウキビジュース ガヤーの街中 ブッタ像? ガヤーからブッタ・ガヤー行バス ホテルのアサカーさんとビール3本飲む 昨日は6回バスを乗り継ぎ深夜にパトナー到着。それでも慣れとは恐ろしいもので7時には目が覚めた。シャワーを浴び街に出て、ATMを探してお金を引き出す。 昨日はジュースを飲みたいところを我慢し、ペットボトルの水を買い、宿代を払ったら財布には34ルピー( 54円)しか残らなかった、インドでは基本的にアルコールは飲めない。それでも飲みたい、ビールが飲みたいと念じれば何とかなってしまうところが、竹ちゃんだ…。初日にして宿の人に酒屋を教えてもらい3本買い、飲みました。やはりビールは美味いね! ここブッタ・ガヤーには4泊する。ホテルはエアコン付。 2012年5月2日水曜日 ー寄付はいくらでもいいですー 宿の近くのレストラン 日本の女性が注文た 親子丼 似ても似つかない、ただのお粥 ブッタが覚りを開く前に苦行した山、前正覚山 カジョマルの巨木を守る人 セーナー村 学校の小学生 マハーボディー寺院 記念撮影 顔が真っ黒 ブッタが座した場所 大塔の周りには壁面に仏像 マハーボディー寺院 モダンな建物に見える 奥は黄金の仏像 菩提樹の下でたくさんの人が祈っている 馬のリキシャー 大仏さん 日本寺 日本寺 座禅中 バイクの後ろが荷台 27人乗っていた ライトアップされたマハーボディー寺院 ブッタ・ガヤーはブッタが覚りを得た所、仏教徒には最高の聖地。ブッタが苦行した山、前正覚山を見に行ってきた。途中の大樹の半端でない幹の大きさには圧倒された。また誰からも金銭的な援助がないのに大樹を守る村人には頭が下がる思いだった。 途中、貧しい村の学校を訪れた。先生が授業そっちのけで、私に寄付を要求してきた。初めはいくらでもお願いしたい、と言ったのが100 ドル、200ドル、扇風機がないので扇風機を買えるお金が欲しいと言っている。冗談ではない、金額の多い少ないではないだろう、いくらでも寄付してほしいと言っているのに、金額の額を指定するのはおかしいではないか…。20ドル寄付して、嫌な気持ちになった。 2012年5月2日水曜日 ーブッタ・ガヤー市場ー レモンを売ってる男 いい顔していますね 美味しそうなお菓子 市場の食堂 揚げ物 女性が好みそうな商品を並べている ブッタ・ガヤーからバスで1時間の所にあるガヤー駅 バナーラスまでの切符買えず 駅構内 丸い団子を揚げている ガヤーの街で見かけたイスラムのドーム? シンさんのコメントについて、マハーボディー寺院の若い坊さんに聞いてみました。 インドは、ヒンドゥー教80%、イスラム教10%、その他10%で仏教は1%弱との答え でした。その他の宗教名聞き取れませんでした。下手な英会話で聞き間違いがあるかもしれませんが…。 本日は、ガヤー駅までバスで1時間かけてバナーラスまでの切符を買うために行ってきた。結果はすべて満席、旅行会社が買い占めているようだ。切符代+αで販売し荒稼ぎしている。地元の人に旅行会社を教えてもらったが、バスが有るではないか…、ばかばかしくて行く気になれなかった。 昔、旅行した人は「ベナレス」と言っていた。 Benaresの日本語読みで、こちらでは通じない。独立後正式名はVaranasiバナーラス。コルカタも前はコルカッタと言っていた。
2020.04.16
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2012年4月25日水曜日 ーこの時期はスッキリと山は見れないー 朝五時半 ホテルの屋上 ポーターが寝ている 夜中は結構寒いのに… 木の木蔭で一休み 涼しい ペワ湖で獲れた魚を食べさせる店 朝六時 山の名前は分からないが、六千メートル級 朝飯 パンとミルクティー 朝5時半に起きる。朝早くでないとマチャプチャレ(6993m)が霞んで見れない。 すぐに屋上に上がり、山々を眺望するが、この時期は朝から霞んでいる。 大気汚染の影響も多分にあると思う。4階の踊り場ではポーターが寝ている。 今日の朝からトレッキングに出かけるのだろうか、ホテルの部屋には寝せてもらえない。ガイド料は30ドル、ポーターは30キロもの荷物を背負って20ドル。 ポーターの夢は、キッチンボーイに昇格し、さらに英語を覚えてトレッキングガイドになり、小さな旅行会社を立ち上げること。カトマンズの宿で教わった。 2012年4月26日木曜日 ー今日もすっきりと山を眺望できずー ペワ湖 サッカーをている大人 下手くそだ ペワ湖 静かな所です 仏教曼荼羅を描いている 街の至る所 一休みする場所 涼しい グラスも冷えている ビールもよく冷えて美味い 晩飯 サラダ パンとポテトが付いている 食べきれない 美味しそうに食べ 飲んでいます( 前の晩) 朝飯 パンとミルクティー ネパールはビールが高いと前書いた。ペワ湖周辺のレストランはどこも300ルピー(300円)、それでも丹念に探すと、190円で飲ますレストランがあるではありませんか!グラスもよく冷やしてあり、もちろんビールの冷え具合は申し分ない。ただ料理の量が多く、いつも三分の一は残す。 本日は、カトマンズ~ポカラまでのバスで隣り合わせになったFさんと一緒に食事をした。一人で食事するのと違って何を食べても美味しい。二品頼んで二人で十分の量だった。Fさんは30歳を少し超えているなかなかの好青年、8年ぶりの海外旅行。 2012年4月26日木曜日 ーマチャプチャレが霞んで見えたー 写真の腕が悪いのもあるが 霞んで見える 左がマチャプチャレ 右がアンナプルナ アンナプルナ ポカラから11月から2月はよく見える 水汲み場所 随分と遠くから来ている 上は高級ホテル お客を船?を手でロープを引いて岸に寄せる 朝飯 35円 散歩で見上げたアンナプルナ 小学校 始まり10時? 過ぎても登校する子供たち 結婚式 笛、太鼓を鳴り響かせ行進 朝の5時に屋上に上がる。昨日よりは山々が幾分よく眺望できる。7時にはホテルを出て散歩。4時間近く歩いた、途中でお茶にしたり、小学校をのぞくと子供たちが興味ありげに私の顔を伺っていたり、飽きることがない。 2012年4月26日木曜日 ー私はポカラで考えたー チベットの人 手作りのお土産を売っている ペワ湖畔 なかなかいい感じの店 ワンちゃんが客引きしている ペワ湖 はたくさんのボート ネパール各地から訪れた人? 小さな島に向かう ここの店は水を冷やしてあるので買い求めた マンゴジュース35円 水20円 ネパールでは禿げがいな…? いつも気になっていた。暇なのでさっそくポカラの街を現地調査、3時間歩いた。子供から30代の男性は皆さん頭は黒々だ。4、50代も禿ていない。その上の人はネパール帽子を頭にチョコンと乗せていて少し分かりずらいが、髪の毛の生え際からヅラでないことが分かる。やはり禿げていないのだ。日本ではテレビが液晶画面になり、ハッキリとヅ ラと分かるタレントが意外に多い…。 さて、3時間歩いて4、500人の頭を観察した結果、一人として禿げていない。髪が薄いと家に縛り付けられて外に出してもらえない法律でもあるのだろうか?なにか特別の理由があるはずだ?まず考えたのは食べ物、ネパール・インドはカレーを主食にしている。その調味料マサーラーが頭皮を刺激し、育毛効果がえられる…。あくまでも私の考えだ。 大きな声で言えないが、薄毛でお困りの方、頭に直接、何種類ものマサーラーをブ レンドしてふりかけてモミモミしてみたらどうだろうか…。(くだらな話で申し訳ない)ちなみにマサーラーは植物の葉・実・種・根・茎から作られる香辛料で何百種類もある。 明日はブッタの誕生の地ルンビニーに向かう。 2012年4月28日土曜日 ーネパール妻ー ホテルの奥さん Fさんと日本食を食べる 私はショウガ焼き Fさんはとんかつ 皆さんに、そんなに何回もネパールに行くのは現地妻でもいるの。と、よく聞かれます。はーい、そうなんです。子供も大きくなり教育費や生活費を渡すためにネパールに来ているんです。年間24万円を現地妻に渡しているんです。と、冗談で答えています。 2012年4月28日土曜日 ーブッタの道は遠いー バイラワに向かうローカルバス いかにもローカルですね 途中で右のバスが故障 ツルハシ、スコップで道路を広げているところ 結構大変な作業だった バスを乗換えてルンビニー行バス 当然地元の人ばかり やはりローカルバスは一筋縄ではいかなかった。途中で対向車が故障して立往生、皆さん一生懸命道路を広げ、何とか出発できたのが2時間30分後、朝7時に出発して、ルンビニーに4時に到着できるはずが19時になってしまった。それでも、ルンビニー行きのバスの中では若者に席をゆずってもらい、いいこともあるものだ。と、思っていたら、隣席の若い奴が何か言って私の水のボトルを取り、水を飲む、ムッカとしにらんでやった。 本日も600円の快適な宿に荷を置くことが出来た。 2012年4月28日土曜日 ーブッタ生誕の地、暑さでフラフラー 入口 リキシャーが待ち構えている 菩提樹の下で世界各国の坊さんが祈っていた マーヤー聖堂 ブッタの生まれた所 土曜日は学校が休み 子供たちが祈っている マーヤー聖堂の中 ブッタはこの奥で生まれた 菩提樹でお祈りしている すぐ後ろはブッタが産湯に使った池 小奇麗なホテル 500円 40度 温風をかきまぜている扇風機 温水24時間OK 「私はポカラで考えた」禿の話に、コメント有難うございました。シンさん、インドから直接日本に帰えるなら、たくさんお土産にしたいですね…。 takaさん、そんなに会社には髪の毛が薄い人が多いですか、一儲けしますか! 今日は暑かった。40度は越していた。朝8時に出て4時間歩いてヘトヘトになった。 遺跡の中は休むところも売店もない、水を持って行かなかったので喉は渇き、炎天下で脱水状態でふらふらしながら見学した。 菩提樹の下では東南アジアから来た僧侶が熱心に祈っていた。私も、何か不思議な気持ちになり、行列の最後に並びブッタ(仏様)に深々とお祈りした。 明日はパトナーに向かう。
2020.04.15
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2012年4月20日金曜日 ーパタンのダルバー広場に裏口入学ー パタンに行く途中で見つけた寺院? 黄金テンプルの前え いかにも古そうな建築物 ダルバール広場 ダルバール広場 西洋人の観光客が目立った 裏道から撮影 左にたくさんの観光客と巡回員がいる チケット売り場のすぐ前から撮影 中に入らなくともこれで十分 カトマンズに強盗が現れる? 昨日、いつもの居酒屋で飲んでいた。そこに私と同年代のKさんが現れ、一緒のテーブルに座り、いろいろな話をした。Kさんが古都パタンに行った話になり、話を聞いていると500ルピー(500円)の入場料を払わずに済んだようだ。彼曰く、何も知らないでいつの間にかパタンのダルバール広場に入れてしまったらしい。私はロキシーで頭が回らないが、突然ひらめいた…。そうか、そんな手があったか、たしかに裏から入ってしまえば、500ルピー払わずに済むな…、明日はその手で行こう。 早速、本日、実行した。片道1時間20分、往復約3時間を排気ガス、土埃の中歩いた。鼻くそが真っ黒になるのは嫌なので、30円のマスクを買った。さすがマスクの効果は抜群だった! 今回の作戦は、見事大成功だった。ゲートが見えてきたので30m手前を左折して、 裏道を通りダルバート広場に出た。やはり周りの観光客は胸に黄色いワンペンを付 けている。これは入場料500ルピー払った証拠になる。前来た時もチェクしている係員がいた。見つからないように急いで写真を撮り、物陰に隠れ様子を伺っていた。案の定係員が巡回しているではないか、いそぎ喫茶店入り、30分ほどダルバート広場を眺めて、先ほどの裏道を帰る。少しスリルがあり面白かった…。 パタンはカトマンズ盆地で一番古い町、かつては首都だった。昔から工芸で知られる街で、古い建物に彫刻、装飾が見られた。 影の声:なんで金があるのにそんなことするの? せこい話ですみません。 2012年4月21日土曜日 ー本日は正攻法でー 本日の朝飯 コーヒー トースト 目玉焼き ジャガイモ 焼きトマト 焼きバナナ 人参のサラダ これで200円 だ! 洗濯物 草原にそのまま干す 街のいたる所、見られる 寺院の入り口前 木の根っこが祠に載っている 水場 長蛇の人 シヴァ寺院 シヴァ・パールヴァティー寺院 クマリの館 「ハヌマン・ドカ」 旧王宮 木の窓枠 細かな細工・彫刻 破壊神シヴァの化身 カトマンズ・ダルバール広場 ハサミを研いでいる 右の男性が手でヒモを回転させる カトマンズ最後の日。市内で最も観光客が訪れる「旧王宮」に行ってきた。 本日は裏口入学でなく、正面から正々堂々と入場した。でも750ルピーは高いよね…。一番最初に訪れたときは入場料はなかった。資源も工業もない国なので、観光資源に頼るしか仕方ないか…。 「ダルバール」とはネワール語で「宮廷」の意味。17~18世紀のカトマンズ王国の中心地。建物には、美しい彫刻が細部にまで施されている。 《ここからは、ネットの抜粋》 クマリの館は家柄が良く聖性があり、血の汚れのない美しい少女が、生き神クマリとして選ばれ、両親のもとより引き離され、このクマリの館で女神クマリの化身として、人々の願望成就の祈願などを行っている。 明日はポカらに向かう。 2012年4月23日月曜日 ー値切りに値切ったホテルー 朝七時出発のポカラ行きバス 途中の昼飯で停まった所 野菜・果物・川魚 本日から五泊するホテル 立派です ここを私一人で専用 8ドルの部屋 だれか泊まりに来て 朝6時起床。カトマンズを7時に出て、14時15分にポカラ到着。2日前に予約したホテルに直行する。どうせ8ドルのホテルだからと期待していなかった。ところがどっこい、どうしてどうして立派な高そうなロビーではないか…。 2日前に、カトマンズで宿泊していたすぐ近くの旅行代理店で、ポカラ行きのバス チケットを買った。その際に、勧められたホテルだ。宿泊代は12ドルと言われたが、 食事込で10ドルだったらOKだよと答えた。相手は、いかに素晴らしいホテルであるか力説する。それでも私は、10ドルで朝飯込だと言い張る。さすがに相手は困った 顔をする。そこで私は、朝飯はいくらだと聞いた。すると3ドルと答えたので、すかさず朝飯なしで7ドルと言った。パンフレットを私に見せて、なんとか納得させようと相手も必死だ。私も必死だったが、最後は8ドルで話は決まった。 ポカラのホテルは8ドルで泊まれる宿ではないと納得し、カトマンズの旅行会社に悪 いことをしたと、少し反省した…。 でも、了解したのだから儲けが全然ないことはないよね…。 2012年4月23日月曜日 ーひと月で使ったお金ー 1カ月が経過したので経費を計算した。 6カ月間の予算を下記のように見積もっていた。 アジア 90日×2000円=18万円 ヨーロッパ 90日×5000円=45万円 交通費 25万+12万(ポルトガル→成田航空券) トータル 100万円 3/22 ~4/21 31日間で使ったお金 交通費 58776円 (成都からカトマンズの航空券37000円が含まれている) ホテル代 17806円 食事代 20248円 その他 12848円 (コーヒー、ジュース類、水、入場料など) 合計 109678円 単純に一日当たり3538円、交通費を差引いた金額が50902円になり、一日当たり 1642円となった。宿泊して、食べて飲んで、博物館・寺院の入場料を支払っての金額だ。自画自賛ではないが、よくも貧乏に耐えて、頑張っているではないか…。 しかし、けして無理してケチケチな旅行をしている訳でない。必要ないお金は使わ ないだけだ。もちろんつけ忘れもあると思うが、1万円もはつけ忘れていないと思う。 初めから名所旧跡への入場料を予算に入れていなかった。一回一回はたいした金額にならないが、積もればそれなりの金額になる。今後も全然素通りとはいかないだろう。
2020.04.14
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中国ーネパールーインド 2012年4月15日日曜日 ー第二の故郷ネパールー カトマンズの居酒屋で 早速、地元の安飲み屋で、ビール2本とネパールのつまみで乾杯…。美味い! ネパール到着 ローカルバスでタメルに向かう 中国国際航空 窓からエベレストのパノラマ 機内食 ビール2本とワインを飲む 飛行機の窓からは山、山、山 機内は半分の乗客 成都空港のお土産屋 さすがパンダの故郷 パンダだらけ 3件目で見つけた、6ドルの安宿に7日泊する予定 中国の激しい人達から離れてネパールに到着。なんとも穏やかな民族か…。 顔も日本人に良く似ていて、愛嬌があり、私は好きだ! 2012年4月17日火曜日 ー久々に生姜焼き定食を食べるー ホテルから3分の所 野菜の商い チベット仏教 街の中に小さいのが建っている 人びとが米などをお供えするので、ハトがいっぱい 古い建築物 古い建物の周りには、朝市 右の建物も古い、7時なのに大勢の人、人 朝の参拝、 すごい人だ、それだけ信仰深い 生姜焼き定食 なかなかの味 330円 6ドルの部屋 今のところ腹も壊さず元気にやっている。身体だけが丈夫、という事なんでしようね…。 ネパール訪問は11回目になる。ヒマラヤ、アンナプルナ、マナスル、ランタン谷、ジョムソン街道で、すべてトレッキングでの訪問だった。今回はカトマンズとポカラでのんびりと過ごす予定だ。 ネパールは以外に物価が高い。地元の人たちと一緒の食事をすれば安くあげられるが、ネパールの一般的な食事ダルバート(カレー)は、味噌汁みたいなカレー、それに少しの漬物で、地元の人は丼ぶり飯3杯は軽く食べている。ダルバートは100円以下だと思う。ネパールではビールが300円する。ラオス、中国では100円ほどだった。ネパールの焼酎ロキシーがビール瓶一本で100円で飲める。ネパールではロキシーを飲むことが多くなりそうだ。 カトマンズには4、5件、日本料理を食べさせる店がある。昨日は、『ふる里』で生姜焼き定食を食べた。突出しが付き、味もそこそこで久々に日本の食べ物にありつき、涙が出た…。 2012年4月18日水曜日 ー行きつけの居酒屋ー 洗濯代100円 6点 カトマンズに入って毎晩通っている地元の居酒屋 ビール230円 中は薄暗い ネパールを代表するお土産屋 カトマンズでの1日の行動。朝7時起床。市場を見に行くのが日課となっている。 9時頃に近くの店でコーヒーとパンの朝食。それから街を歩くのだが、1時間もすると飽きてしまう。部屋に戻り一休み。昼飯はほとんど食べない。 カトマンズは1日中停電と言ってもいいくらいだ。朝の暗いうちと夕食時間帯にかろ うじて通電している。困るのは、wifiも停電で繋がらなくなることだ。 3時ごろに散歩に出かける。ただただ裏道、裏道と入っていく、表通りには見られない庶民の生活が伺えて新鮮な気持ちになる。 今日も写真の店に入り、ビールとモモ(日本の餃子)で夕食にする。さらにロキシーを注文し、水牛の乾燥肉を水で戻し、柔らかくして、スパーシーに味付けした一品は ロキシーに最高だ! 9時には部屋に戻り、ロウソクの明かりでシャワーを浴びる。パンツに石鹸をなすりつけ、身体を洗う。パンツと半袖シャツは毎日洗う。今までの旅でも着替え2枚もあれば十分だ。 2012年4月19日木曜日 ー路上の床屋さんでひげを剃るー 私もひげを剃ってもらった 50円 スワヤンプナート寺院 カトマンズ市内を一望 記念写真 上が撮れていない 入場料 200ルピー(200円) 古い神様 いいですね! 寺院最高の神様を祀っている所 お経をあげているところ 五体投地 両手・両膝・額を地面に伏す 王道を堂々と牛が通る 本日の朝飯どころ パンとミルクテーで50円 朝8時にホテルを出て、歩きでスワヤンプナートに行くことにした。途中、中学生が スクールバスを待っている店で、パンとチャッ(ミルクテイー)で朝飯にする。 食事を終えて道路を歩くと、車・バイク・トラック等々が排気ガスをまき散らして、次々と通り過ぎていく、半端な排気ガスはでない。それと土埃が空中にまい、のどは痛くなり、鼻の穴は真っ黒になる。鼻くそをほじれば真っ黒な鼻くそだ! スワヤンプナート寺院はネパール最古の仏教寺院。階段がきつく上まで上るのに休み休みで、20分かかった。途中で何も知らないで通過しようとしたら、呼び止められて200ルピーを払わされた。 昼近くに帰り、上の写真の路上床屋さんでひげを剃ってもらった。通り過ぎる外人さん、地元の人にチラチラと見られ、少し恥ずかしかった。事の発端は、ホテルの人に ひげ剃りはいくらと聞いたら、80ルピーと教えられた。向かいの床屋に入り、値段を尋ねると250ルピーと言ってくる。即に店を出ると、追いかけてきて150ルピーでいいと言っているが、一切妥協しないで店を後にして、路上床屋に行った。 2012年4月20日金曜日 ー紅茶屋のイケメンと二年ぶりの再会ー 二年前に紅茶を買った店 私を憶えていてくれた パシュパナート 火葬場 白い布で覆われ これから荼毘にふされる 高貴な方の墓 廟 目玉寺院 ボダナート 市バスの中から撮る カトマンズも排気ガスで空気は最悪 今日も歩いて、ネパール最大のヒンドゥー寺院に行ってきた。ヒンドゥー教徒以外の異教徒は入れない。どこの国でも死者をおくるときは、嘆き悲しむ、ここでも火葬する前、離れていても泣き声がハッキリと聞こえてきた。焼かれた死体は、淀んだ川に流される。 さらに30分歩いて、ボダナート(目玉寺院)まで行ってきた。ここは、チベット人が住んでいる所。外壁にはびっしりとマニ車、チベット仏教の寺院では、右回りに参拝するのが正しい。マニ車も右回転だ。帰りは疲れたのでバスを2度乗換えてタメルに戻った。 一番上の写真のプスカラ君と2年ぶりの再会。私の顔を見るとすぐに、分かってもらっえた。嬉しいではありませんか…。 さらに、チャッ(ミルクティー)までご馳走になり、カトマンズにいる間は毎日チャッをご馳走するから遊びに来いと言ってくれる。泣かせますね!
2020.04.13
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今後は国別に地図を貼りつけます。 タイーラオス 中国 2012年4月10日火曜日 ー今日はさんざんな目に合う運命かー 8人のドミトリー 今回泊まった宿 宿の庭で、若者が私のためにスイカを買ってくれた 二日酔いには最高 綺麗に見えるが、臭い寝台バス 余裕があるように見えるが、臭さで参っている 今日の朝は、昨日の焼酎が完全に残っている。頭は痛い、胸はムカムカする。 それでも水分を補給しなければならないと思い、重い身体を引きずって、ジュースを 買に出かけた。桃とミカンジュースを買い、桃のジュースを一気に飲で、またベットに横になった。30分もすると吐き気が最高潮になり、急ぎトイレに駆け込むと同時に大量に吐いてしまった。水で口をすすぎ、またベットに横になった。またも20分もすると吐きけがしてまた吐いた。都合3回吐いた。若者にコーヒーでも飲みにいかないかと誘われたが、断り庭の椅子でぐったりして時間を過ごした。 2時ごろに若者が、私を心配してスイカを買ってきてくれた。このスイカは本当に美味しかった!二日酔いには、スイカの水分がたまらなく身体にいいという事を知った。それと、若者たちの親切さには、感謝! 感謝だ! 悪いことは重なるもので、二日酔いでまだ頭が痛いのを我慢して、成都からカトマンズ行きの航空券を探しに出かけた。目星を付けた女性が経営している旅行社に行き話をした。 泉ピン子似の女性に、紙に書いて成都からカトマンズ行きと説明した。なんだかんだで1時間は待った。どうやら昆明経由で2710元と言っている。安いと思い了解した。また1時間待たされて、貰ったチケットは昆明からカトマンズ行きの航空券だ。違うといっても逆切れされて、ただただわめき散らし大声で怒り出す。こっちが怒りたい! 先ほど、私が書いた成都からラサの紙を見せても、泉ピン子は形相が変わり、ますます大声でわめき散らす。キャンセル料が200元かかると言っている。冗談じゃない、と日本語で猛烈に抗議するも、どうにもこうにもならない。 最後は、『お前にくれてやる』とばかりに机に200元を投げつけてやった。二日酔いで胸はムカムカ、さらに泉ピン子にはむかづいた…。 今日はさんざんの目に合う運命のようだ。さらに臭い寝台バスに吐き気を模様した! 2012年4月12日木曜日 ー成都市内散策ー 成都駅 広い、大きい、人もたくさん、何万人もいる? チべット街 警官が銃を持ち 厳重警戒 元気です 武候祠博物館前 諸葛亮の説明書き 清朝時代の街並みを再現した錦里 錦里 観光客がいっぱい 晩飯 飯の上に3品 グラスがないので、 漬物と一緒の器でビールを飲む 成都は古くは三国時代にさかのぼり、この当時活躍した劉備(リュウビ)、諸葛亮(ショカツリョウ)は、特に有名ですね。(私でも分かるんですから…)武候祠博物館では、当時の書き物が展示されていて、素晴らしい字で飽きることなく、見学できた。本当に素晴らしかった。 錦里は中国の各地から訪れた観光客で溢れていた。特に感動もなかった。 成都駅前は、これから昆明や地方に向かう人、人、人、ざっと数千人以上はいた。 2012年4月13日金曜日 ー本日も成都をふらつくー 宿泊した472円の宿 6人部屋のドミトリー 成都駅近くの問屋街 朝飯 おかず3品 ここのに足を踏み入れたら、守衛さんが直ぐに飛んきた 年輩の中国人がお茶を飲みながら雑談 中には賭けトランプしている人もいる 上の写真を違う角度から撮った 小学生が野外活動を終えて、解散前の先生の一言 飲んでいる時が幸せだ! 満面の笑顔 あれほど頭にきたシャングリラでの航空券騒動。有るではありませんか、成都からカトマンズ行の航空券、街の旅行会社でいとも簡単に買えてしまった。思い出すだけでも腹立しいではありませんか、あの泉ピン子、結局なにも航空券の事を知らなかっただけだ。 航空券を買えたので、気持ちよく路上の屋台で晩飯、それにしても嬉しそうな顔で飲んでいますね…。東京でもこんな顔で飲んでいるのかな? 2012年4月14日土曜日 ー老舗でマーボー豆腐を食べるー 朝、食べたお粥・辛い漬物 お粥は美味しい 成都の繁華街 昼飯汁麺 高菜の漬物 酸っぱいが私には美味い! 少し甘いものが欲しかったので 鍋がマーボー豆腐 辛い、山椒で口の中はピリピリ 同宿の若者二人と 動物の内臓料理 私の口には合った 辛いのと山椒でピリピリしている顔 ナマコ料理 ナマコは小指ほどしかない 成都の超有名店 老舗の老舗 マーボー豆腐を食べた感想は、私の家の近くの「吉祥軒」のほうが美味い。本場の麻婆豆腐は激辛で口の中が痺れた。 成都に来たからには、本場のマーボー豆腐を食べたいと考えていた。一人で困るのは、レストランや格式高い店に入れば、一品の量が多くて何品も注文できないことだ。同宿の二人と私とで話がまとまり、老舗のマーボー豆腐を食べに行った。全部で3品、マーボー豆腐、動物の内臓料理、それとナマコ料理、ナマコは子供のちんぽこほどだ。それを三人で切り分けて食べた。写真ではそれなりの大きさに見える。ナマコの味よりも、ソースがトマト味で美味しかった。マーボー豆腐は激辛、山椒が半端でないピリピリ、ビリビリと喉を刺激して、何を食べても同じ味がした。正直、美味しいとは思わなかった。私の家の近くの「吉祥軒」のほうが美味しいと思った。 翌日の朝5時頃、2段ベットの上から何かが落ちる音で目が覚めた。さらに小便をしている音がする。私は30時分後にトイレに行ったら、男がトイレのタイルで寝ている。私は用を足さなければならないので、無理やり泥酔の男を起こした。部屋の中は大騒ぎ、写真の右のOさんのベットめがけて、泥酔男が小便をかけたのだ。どんなに酔っぱらたって人が寝ているベットめがけて小便するか!その後の結末は、6時に成都空港に向かったので分からない。ドミトリーに泊まった5人は全員日本人、泥酔男はいい恥さらしだ! 私もシャングリラの事があるので大きなことは言えないが…。
2020.04.12
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2012年4月4日水曜日 ー景洪にやって来たー 景洪バスターミナル 玩具みたいなバイクタクシー 景洪の朝市 朝からたくさんの人、人 朝食 豆乳と蒸しパンで2元(26円) 地方に向かバス 途中の昼飯場所 ネパールの電気事情が悪く、ブログを更新している時にいきなり停電になり、wifiが切れてしまうことが多く、なかなかブログを更新出来ない。 昨日の宿を逃げるように出て、景洪(ジェンホン)から8時出発のバスで昆明を目指す。 東南アジアは、何処も朝早くから市場がオープンしていて大勢の人で喧騒としている。私も中国に習い、豆乳と蒸しパンを買い求め朝飯にする。決して美味くはないが腹の足しにはなる。 本日の宿まで、たっぷりと40分は歩いた。軽いザックといえども結構こたえた。その甲斐あって素晴らしい宿にありつけた。 2012年4月5 日木曜日 ー昆明の街を散策ー 汁なし麺 少し辛いが朝飯には結構いけた このスープが泣かせる味で、気に入った 店の外で朝の朝礼 一人一人、大声で気合入れていた 洒落た屋外のレストラン なかなか雰囲気のあるユースホステル 昆明駅前で 昆明駅のチケット売り場 昼飯に太麺を食べる 薄味で京風麺、美味かった! ユースホステルのドミトリー 綺麗、清潔 40元のフルコース 大きな丼に何種類もの肉が入っている 食べきれずに半分以上は残した 中国の甘いブランデーもどき 部屋飲み 朝7時から街に出て、昆明の街を散策する。まずは朝飯。汁なし麺と鶏の内臓スープを注文する。麺はごく普通の味。スープは薄味、すっきりとした味で、また注文したくなるスープだ。(翌日も食べた)食べ終えて先に進むと、店の前で朝礼、一人一人が大きな声で気合を入れている。一日の始まりの日課なんだろうが、私だったら恥ずかしくて店を辞めてしまうだろう…。 さすが中国、昆明駅はとてつもなく大きい。本で読んだのとは違い、皆さん行儀よく並んで切符を買い求めていた。 夕方は、お店の人気メニューを注文、小皿に焼き魚、肉の佃煮風、おしんこ等々7種類がテーブルに並ぶ、さらに大きな丼ぶりに熱々の麺、それに生肉6種類を入れ、肉の色が変わったら食べるのだが、腹一杯、胸一杯で半分以上残した。ちなみに料理は40元,日本円で540円。 2012年4月6 日金曜日 ー苦労して列車のチケットを手に入れるー 攀枝花 (バンジンハン)から成都行きチケット 苦労して手に入れた 朝飯に汁麺 激辛だが美味しかった 求人欄 月に600~1200元 日本円で8千円から1万6千円 市場では生きたアヒル ヒヨコ 久々に飲むアイスコーヒー 昼飯 高菜の漬物が載っている 攀枝花駅構内 寝台列車 発車まじか お湯が入っているポット さすが中国ですね 76歳のお父さん 車内で書道の手ほどきを受ける 結構快適に過ごせた 臭いバスは、途中故障して3時間遅れて攀枝花(バンジンハン)に到着。早速、切符売り場に直行。紙に攀枝花から成都、2等寝台&1等座席と書き窓口に差し出すと、すぐに言葉もなく突き返された。中国の人は切符を手に入れているのにおかしいではないか!また書き換えて窓口に差し出すと、何やら列車の番号を書けと言っているようだ。掲示板を見るがよく分からない。しかし16時まで満席のようだ。17時発の列車番号を書き窓口に差し出すと、今度は発券された。何か大仕事をやり終えた充実感がこみ上げてくるではないか…。 列車が発車すると、乗客はお湯を求めて次から次と給湯室に向かう。カップ麺にお湯を注ぐ人、お茶葉が入ったボトルにお湯を注ぐ人たちが絶えない。 これも中国だ! 2012年4月7日土曜日 ー 貧乏旅行しているSさんに話を聞くー 朝食べた汁麺 可愛らしいバイクタクシー 昼は豪華に石鍋焼ごはん定食 具だくさんでとても美味しかった 宿で一緒になったSさんの貧乏話に笑い転げた。写真を掲載出来ないのは残念だが、 Sさんは30歳のフリーターで、年に何回かは中国中心に旅行している。中国の甘いも 辛いも知り尽くしている彼の話によれば、2元(24円)の水は買わない、食堂の飯は10元以上は使わない。メニューで一番安いやつを注文して、まずくても、辛くても残すことはしない。ホテルも安ければ安いほどよくて、布団が臭くても、マスクをして我慢した話など、初めは可笑しくても笑わなかったが、次の話を聞いて、腹が痛くなるほど笑った。彼曰く、寝台バスでの出来事、バスの中は臭く、自分の頭の上に後ろの人の足があり、半端でない靴下の蒸れた臭い、頭を左右上下に動かして逃げるも、敵もさるもの臭い足が、逃れた方に追いかけてくる。何とも気の毒な話ではありませんか…。 2012年4月8 日日曜日 ー隣の席の人に昼飯をご馳走になるー 市内バスを乗り継ぎ シャングリラ行のバスステーション 地震観測研究所に勤めている 中国人は全員、身分証を持参している 写真はうまそうに見えるが、美味しくない 途中のドライブイン シャングリラに近づくと少数民族の人が目立ってくる 昆明からシャングリラに向かうバス 私の隣に座った男性は、初めから最後まで親切にしてくれた。バスが発車するとすぐにパンやお菓子をくれた。極め付きは昼食代を払ってくれたことだ、見ず知らずの日本人の60男になんでこんなにまで親切にしてくれるのか…。 バスは朝9時出発で、14時間後の夜中の11時の予定だ。車窓からは家族総出でニンニ クの刈りいれ、一生懸命働いている様子がうかがえる。少し進むと、昼の食事タイムのようだ、10数人が車座になって美味しそうに食べている。中国料理にはニンニクが欠かせない、これだけ一生懸命働いているのだから、きっと高収入に違いない。 香格里拉(シャングリラ)到着は10時半、外は真っ暗闇だ。空を見上げると満天の星、日本で見るよりも数が多く、光り輝いでいる。宿さ探し、明るいほうに進み地図を見て、見当を付けて歩き出す。二人の人に道を聞き10分で目的の宿に11時到着。手続きを終え、部屋に入る前にビールを飲む。 2012年4月8日木曜日 ーシャングリラは寒いー 朝飯 辛い煮込みうどん風 チベットパン 市場 ジャガイモ ここでは主食になる 白い山盛りは、ヤクのチーズ 少し食べた、酸っぱい味がした 少数民族の人 チベット人が経営している店 石畳みの道をバイクタクシーが行く チベット人が住む場所に建っている 朝7時、外は冷たいみぞれ交じりの雨。ダウンジャケットを着ても寒い。昼少し前に雨も上がり、街に出る。シャングリラは標高3276メートルの街で、山に囲まれている。真新しいホテルが何件も建っている。それだけ観光客が多く訪れるということか…。街を歩くと少数民族の女性が目立って多い。チベットの年老いた男どもは、軒下に4、5人のグループで座って雑談している。写真を撮らせてくれと頼んだが、きつく断られた。 2012年4月9日月曜日 ー焼酎を飲んで前後不覚になるー 市場 売り手も買い手も少数民族の人 豚の顔 寒いのでハエはいない 生きた鶏 干しマツタケ 安い、このまま日本に帰るのなら 5キロは買いたかった 帽子が違う 違う少数民族 男の子は小便している 朝飯 ヨーグルト 蒸しパン ゆで卵 これで4元 貴重品入れを頼んだミシン屋さん 100円の貴重品入れ 宿で一緒の中国の若者 鍋を食べる この焼酎は2度と飲まないと決めた 48度 シャングリラは、半端でない量のマツタケが獲れるようだ。市場でも街の店でも、干しマツタケが山のように積まれ、売られている。 この干しマツタケを食べる機会に恵まれた。同宿の中国の若者二人と鍋を食べに行って、干しマツタケを鍋に大量にぶち込んでたらふく食べた。日本のマツタケと違って香がほとんどしなかったのは残念だった。焼酎に酔って香を感じなかったのかもしれない。 調子こいで焼酎を乾杯、乾杯と、一気飲みした。これが後から効いてどうやって宿に 帰ったか分からない。おそらく宿までふらふらしながら、若者に面倒を見てもらって 宿に帰ったに違いない…。 翌日は大変な目に合う。
2020.04.11
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2012年3月28日水曜日 ーサワンナケートに移動ー 朝飯 もち米を蒸したもの 鶏のつくねニンニクがきいている バスチケット 40000キープは440円 バスが停まるとすぐに、物売りが バスの荷台にバイク 通路に米袋 晩飯 汁そば美味しくない! 本日は、パクセーからサワンナケートまでバスで移動。ツーリストバスなら4時間、 ローカルバスは7時間かかった。途中、いろいろな生活用品を積み込みこんでは停まり、精米所で米30キロ袋を50積込んだ。乗客よりも、荷物のほうが多く、なんでも運ぶ、なくてはならない生活に密着したバスといえる。サワンナケートで宿を探すが、目星をつけていた2軒とも廃業していた。私の持っていた、地球の歩き方『東南アジア』編(98年版)の街の地図をコピーしてきた。やはり、山でもそうだが地図は新しいに物に限る。本日も宿さがしに30分費やした。ラオスのホテルでは、wifiが使えるが、電波が弱く、途中で切れてしまう。また初めからやり直す事も数回あった。 今も、電波が弱い、切れないうちに本日は終了。 2012年3月28日水曜日 ーメコンを挟み対岸はタイー ホテルで朝飯 部屋は綺麗、これで550円 水洗トイレ、トイレットペーパー付 街の中心に立つ聖テレサ教会 フランス植民地時代のコロニアル風建物、 今は手入れされず朽ちるのを待っているのか… メコンで獲れた魚の塩焼き、対岸はタイのムクダハン 小学校の校庭 氷一杯のコーヒー すぐに飲まない、二時間かけて飲むらしい 本日の夕食 野菜炒めライス、美味かった! フランスパンにハムや野菜を挟む、結構イケル 本日は、サワンナケートの街を歩く。歩くといっても、街の中心に立つ聖テレサ教会から、周りを4、50分も歩けば一通り散策できてしまう。川幅200mはあるだろうか、メコンの対岸はタイのムクダハン。さらに、ここからは、ベトナムとも国際道路で繋がっている。 街には、コロニアル風な建物も随所に見られるが、どの建物も保存状態が悪く当時の面影を偲ぶには少し無理があるようだ…。 明日は早く、ラオスの首都ビエンチャンに向かう。 2012年3月29日木曜日 ーバスの運ちゃんに昼飯をご馳走になるー 真ん中のバスがビエンチャン行 ゆで卵と思ったら、孵化寸前! ただの木の切れ端にしか見えないが、漢方薬 バスの運ちゃんに昼飯をごちそうになる、左は助手 もち米を蒸かしたもの、川魚の煮物、辛い味噌、果物 ビエンチャンのメコン河付近、太いも痩せもエクササイズ 痩せるために、一生懸命エクササイズ 本日は、ローカルバスでビエンチャンに移動。速いバスは8時間、私の乗ったバスは10時間30分かかった。それでも途中、バスの運ちゃんに昼飯をごちそうになる幸運にめぐり会えた。私の性格がそうさせるのか、何か私に魅力があるのか、結構、良い目に会う機会が多い。 朝飯にと、ゆで卵を買ったつもりが、孵化寸前の卵だった。今までも何回か食べているが、朝から食べたことはない。味は、鶏のレバーとゆで卵を一緒に食べていると言えば分ってもらえる、と思う。 2012年3月30日金曜日 ー夕日を眺めながらビールを飲むはずがー パトゥーサイ パトゥーサイの天井にモザイクが彫りこまれている 10前にはここで、夕日を見ながらビールが飲めたが今は 堤防が築かれている 一部屋5人のドミトリー 言葉もいらない 指させば食べられる ラオスの首都ビエンチャン。10年前になると思うが、街の中に信号がなかった、と記憶していた。現在は、車やバイクが多く、排気ガスが凄いことになっている。 それと、メコンに沈む夕日を眺めながら、ビールが飲めると期待ていたのだが、堤防が出来て、あの美しかった夕日が見れない。明日は、80もの寺があるルアンパバーンに向かう。 2012年4月1日日曜日 ーラオスの味は、二度辛いー 昨日、ブログの更新を終えて、魚を食べた 朝、ビエンチャンの街中は、綺麗に清掃されている ビエンチャンからルアンパパーン360キロを、11 時間、時速34キロ バスが停まると、すぐに物売りのおばさん ドライブインで昼飯 私は、ビエンチャンで仕入れた、卵と野菜のフランスパン これがとても美味しかった! 2日間、ドミトリーの5人部屋に宿泊。当たり前だが、全員男、寝ている姿は全員パンツ一丁(私も)で、うつぶせ寝、エビ寝、大の字に寝ている男さまざまだ。ドミトリーも慣れればそれなりに快適だ! 写真の魚を食べた。アジに似た魚のから揚げと、白身魚の身をほぐしたもを激辛で味付けした一品。意外とイケル。ただし、食べた時には口が激辛で、火が出る思いだった。翌日は用を足した後に、お尻も激辛で往生した。 本日は、ビエンチャンからルアンパバーン360キロを、11時間かけて移動した。 時速34キロそこそこだ。ラオスは山国、山のすそ野を左に右に、幾度も繰り返し走行するので距離は稼げない。 7時20分にルアンパバーンに到着。とりあえず、安宿のあるナイトマーケット付近までトクトクで行く。小奇麗な宿はすぐに見つかった。 2012年4月1日日曜日 ー10日間で使ったお金ー 10日間が過ぎたので、いくら使ったか計算した。 交通費 7005円 食費代 5540円 ホテル代 7410円 入場料 650円 その他 3470円 (水、ジュース、バナナ、つまみ他) 合計 24075円 残金 975925円 以上、1日にすると2400円だが、交通費を除くと1700円ほどだ。 食事をして、そこそこのホテルに泊まり1日1700円は悪くない。 食事代が少ないのは、バス移動のときに、朝飯と昼飯代で、200円以下で済ませているのが大きい。ほとんど、赤飯(もち米を蒸かしたもの)と干し肉、鶏のつくねだが、2食分としては十分だった。 もちろん、1日にビール2.5本は飲んでいる。1本が110円と安く、下手なジュースよりよほどいい。きつい酒は、ラオスの『ラオ・ラオ』、パクセーで一本買求めたが、ただきつい米焼酎で3分の1は捨てた。1日にビール2.5本は飲んでいるいるが、日本にいるときよりは、アルコールの量は減っている。 2012年4月2日月曜日 ールアンパバーン散策ー 市場で買求めた、左がタケノコと人参の煮物、真中が焼き魚、右がタニシのピリ辛炒め 上の料理で、ビール2本の夕食 托鉢をする僧侶 施しをする人は、椅子に座っている人もいる 若い僧侶、フランスパンを買う プーシーから見た、ルアンパバーンの市内 ブーシー頂上から、右にメコン、左がルアンハバーンの市内 プーシーの仏塔 市場 タケノコ 魚を漬け込んだ、魚汁 ムササビ? 干し物 虫の成虫、生か、炒って食べる ちなみに、一粒口に入れた、生臭い味 セミ 炒って食べる タンパク質抜群 蜂蜜 いかにも美味しそうだ! メコンで獲れた魚、ハエが沢山たかっていた カエルの姿焼き 快適なホテル トイレも水洗 鏡に自分が写っている ナイトバザール メコン川で、身体を洗う女性 でも、写真では分からないか ナイトバザール 蛇の酒 5時30分に起床。外はひんやりと涼しい。朝もやの中から僧侶が現れ、人々はひざま ずき、ご飯やおかずを次々と僧侶の鉢に入れていく。13名の僧侶の行列が過ぎ去ると、今度は17名の行列が近づいてくる。それらの僧侶の鉢にも施しはされる。毎日繰り返されるルアンパバーン早朝の光景だ。人々は信心深いと、この施しを見て納得する。涼しいうちにプーシーに上がった。山頂にはタート・チョムシンという仏塔が建っている。眺めはよく、前方にはメコンと王宮博物館、後ろにはルアンパバーンの街並みが手に取るように見渡せる。街には80もの寺院が建ち、街の人より僧侶が多いといわれている。さしずめ日本の京都といった風情がある街だ。庶民の市場を見て回った。カエルの姿焼き、セミか蜂の生きているやつ、ネズミの燻製、蛇の燻製、コウモリの干し物等々、どうやって料理するのか分からないゲテモノ(こちらでは普通か…)のオンパレードではないか…。 明日は、中国に近い町ウドムサイに向かう。 2012年4月3日火曜日 ー中国に入国ー 景洪の中華 量があり半分は残した 運転手の後ろにタンクがあり、ガソリンを入れているところ ラオスと中国の国境 景洪に向かう途中の道端で、ウリを買い水分補給する 車の乗客はほとんど買い求めていた 景洪まで乗ったバス、乗客の9割は中国人、うるさくて汚い、唾は吐く チケット売り場の女性は、中国化していてとても感じが悪い。中国の国境を過ぎた街、モーハンまでのチケットを頼んだのに、無い、と一言。仕方がないので、朝8時のバスで中国の国境を目指す。 バスの乗客の9割は中国人、たばこは吸う、唾は吐く、携帯電話では大声で怒鳴っている。 途中で、バスの運ちゃんに景洪まで行くバスだと教えられる。それだったらこのまま乗って景洪まで行くことにする。ラオスと中国の出入国はいたって簡単に済ませることが出来た。 15時に景洪のバスターミナルに到着。ここに立ち寄る予定はなく、地図も何もない。おもちゃみたいなバイクタクシーに乗り、おばさん運ちゃんに任せ宿に行く。 宿に荷を置き、夕飯に出かける。中華屋さんに入り、適当に二品頼む、これが量があり、半分は残す。 外も暗くなり、宿に帰ると途中、派手な服装、厚化粧のおねいさんに声を掛けられる。一人二人ではない。宿の夜は人の出入りが激しく、男と女の声が深夜まで聞こえ、なかなか寝ることがで出来ない。 二泊する予定を一日で切り上げ、翌日は昆明に向かうことになる。
2020.04.10
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タイのフォアランポン駅対面の食堂でビールを飲む 2012年3月22日木曜日 ーいよいよ出発ですー 3時起床。半身浴30分。家を5時に出発。 ブログはできる限り更新します。下手な文章は、たくさんの写真で補うつもりです。 どんな旅になるやら見当がつきませんが、行ってまいります。 2012年3月24日土曜日 ーラオスのパクセーにいますー バンコクのフォアランポンー駅前の食堂 食堂の隣の「ステーションホテル」名前は立派 安宿550円 ラオスの電気事情が悪く時間がないので、元気でやっていることだけ伝えます。 2012年3月24日土曜日 ー昨日の続きー 成田発、台北経由でバンコクに17 時到着。空港からバスと地下鉄を乗り継いで ファランポーン駅に19時15分にたどり着く。空港からは乗合バス(大型バン)に乗ると、空港で仕事を終えた若い女性が12人、 男は私ともう一人で、私の両脇はもちろん女性、しばらく走ると左の女性が居眠り して、私にピッタリと寄りかかってきた。化粧はきついが悪い気はしない。7~8分し たら彼女の携帯が鳴り、彼女は素早く離れた。もう少し寄りかかっていてもよかっ たのに、残念! ともあれ旅は無事に始まった。 2012年3月25日日曜日 ー親切なおじいちゃんー バンコクからウボン・ラーチャタニー行きバス バス代に含まれている昼食 車中で配られたパンとコーラー、下にミネラルウォーター バンコクからウボン・ラーチャターニーまで列車で行きたかったが、あいにく満席。 仕方がないのでファランポーン駅から北バス・ターミナルに向かう。市バスは1時間乗って18バーツ(50円)、クーラーもギンギンに効いている。これで採算は取れるのだろうか。発車までの待ち時間に細麺を食べて朝飯にする。バスに乗り込むと私の隣は、腰の曲がった75歳位に見えるおじいちゃんが座っている。バスが出発すると何やら話しかけてくるが、タイ語で私にはチンプンカンプンでさっぱり理解できない。そのうちに後ろを指さし、トイレが付いていると教えてくれているようだ。私も後ろを振り返りトイレがあることを知る。また、おじいちゃんはバスチケットを出して、切取り線の下の部分は昼食券だと、食べる真似をして教えてくれる。昼少し前にバスはドライブインに止まる。おじいちゃんは私を手招きして、昼食券のチャーハンを指さして教えてくれる。さらに、私が迷子にならないように、バスの前で私が乗り込むのを確認して、にこにこしてくれる。おじいちゃんと別れるときに、タイ語で知っている「コップン・カップ」(有難う)と言うと、嬉しそうに手を握ってきた。 バスを降りると周りは真っ暗で、方向が分からない。タクシーの運ちゃんに街までいくらか聞くと、200バーツと吹っかけてきた。相場は70バーツ、こんな奴には、ただただ無視。屋台のオカマのおねいさんに、この近くのホテルを教えてもらう。歩くこと10分、なかなか立派なホテルで、値段が400バーツちょと高い。しかし、安宿がある街までタクシーで100バーツが相場だとホテルのオーナーは言う。どっちみち明日のバス乗り場は、先ほど降りた場所から出発だ。街までの往復200バーツを計算に入れると、200バーツのホテルに泊まったと思えばいい。部屋は冷房、ホットシャワー、バスタオルまでついている。 2012年3月25日日曜日 ーラオス・パクセーー 豚まん、卵まん ビールはよく冷えていて美味い! バスの中で頂いたスパイシーな果物 手はラオスの女性です 朝飯 鶏の蒸し物 モチ米 昨日のホテル 右はミラー 必要ないよね! ラオス~パクセーのバスチケットを買い求め、昨日のオカマのおねいちゃんの店に入り朝飯にする。昨日は夜だったから顔も気にしていなかったが、朝見るとお化けで、相撲取りが化粧しているみたいだ。食事をしていると、おねいちゃんが時々こちらを見てにこっとしてくれる。もち米を吐きそうになるのを我慢して飲み込む。 もち米は日本のおこわ、赤飯みたいでとても美味い。ごま塩でもあれば、おかずなしでも十分いける。 バスはタイとラオスの国境で停まり、全員降りて出国と入国の手続きをする。手続きを終え、再びラオスの道路をひた走る。私の隣りはラオスのかわいらしい若い女性、手続きの合間に買い求めた、果物をスパイシーな味に和えた物を私に勧めてくれる。言葉が分かればもっと楽しい時間を過ごせたのに…残念。 パクセーの街は、優に30度を越えいる。荷物を背負って20分は歩いた。汗だくで目的の宿に到着する。 何をおいてもビールだ! 2012年3月25日日曜日 ーパクセーの市場見学ー ダーオファン市場 種類豊富な野菜 フランス植民地時代の名残り フランスパン メコンで獲れた魚 小魚を何カ月も漬け込んだ魚汁 くさやの臭いがした メコンに架かる橋 日本のお金で出来た 外見は綺麗 寺院内はゴミだらけ 街の散策も暑さに勝てずホテルでビールを飲む パクセーはラオスの南部に位置して、タイ~ラオス間唯一つの陸路で国境を越せる街、また、交易の街としてもにぎわっている。 朝8時に市場に出かける。市場は大きく広く、なんでも揃っている。見て歩くだけで楽しくなってくる。野菜や果物の種類は多く、どれも美味しそうだ。メコンの魚も大小あり、どれも新鮮だ。くさやの臭いがするので、ポリバケツの中をのぞくと、小魚がとけてドロドロな液体になっている。これも料理の調味料なんだろう。 市場からメコン川を見に行く。川幅は500mはありそうだ。このメコン川で獲れた魚が、先ほどの市場で売り買いされるのだ。冷蔵庫もそんなに普及していないラオスの家庭では、朝獲った魚を食べ、また翌日は新鮮な野菜や魚を食べる。なんとも羨ましいではないか…。 お寺を見に行くと、外から見るのとは大違いで、境内はゴミだらけ、本堂もゴミの山、ラオスの人々は信心深いと聞いていたが、この荒れようはどうしたことだろうか…。 今日も30度は超えている。暑くて歩いていられない。ホテルに帰り、ビールを飲んで昼寝だ! 2012年3月26日月曜日 ーこんなにも美味しい汁麺は食べたことがないー 野球の玉くらいの鉄の玉3個持ち、遠くの玉に当てるゲーム 今まで一番の汁麺、これは本当に美味い! 汁麺の美味しさに感激したので、25日の午後の事を少し。 上の写真は、年配の男たちが夢中になって、自分の玉を投げて相手の玉をはじき出すゲーム。見ていると青シャツのお父さんが私に投げてみろと、自分の玉3個を貸してくれる。玉は鉄で出来ていてずっしりと重い、見様見真似で投げてみたが、かすりもしなかった。 下の写真は、東南アジアでも、こんなに美味い汁麺は食べたことがない。スープはあっさりしているが、コクがありうまみがある。上に載っている鶏は焼いてから何時間もかけて煮込んだと見えて肉離れがいい、とても柔らかく口にとけるようだ。もちろん明日も食べに行くつもりだ! 2012年3月27日火曜日 ーヒッチハイクで宿に戻るー 朝飯 フランスパン、ハムや野菜それにヌクマムをかける 乗り合いバス 朝7時30分、まだ4人 まだまだ、これからさらに数10名乗り込む ワット・プーの参道 石畳み 修復中の遺跡 遺跡と化石 修復途中の遺跡 ワット・プーの中央祠堂 遺跡の窓? 28キロ無料で乗せてくれた、若いお兄さん 本日も食べました。本当に美味い! 昨日、ホテルの人にワット・プー見学に行きたいと言うと、即座に車チャーターで、 アメリカドルで50ドルと言ってきた。 ローカルバスで行くと言ったら、乗り合いバスは朝のうちだけで、午後にはパクセー に戻る手段がない、と言っているが…。まあ何とかなるだろう! 本日は、予定通りローカルバスで行くことにする。朝7時30分にバス乗り場に着くと、すでに外人さんが3名乗車している。その後から、地元の人たちが買求めた野菜や魚、生きた鶏、次から次と荷台に担ぎ上げられる。結局、出発したのは2時間後。 乗車している人は30人、人に負けないくらいの荷物も積み込まれている。車はパンパ ンで積載オーバーどころでない。 出発から1時間は、身動きできない、尻は痛くなる、我慢の時間だった。 その先は、乗客も荷物も減り、身体を動かすことが出来てほっとした。 ワット・プーは、11世紀頃に建築されたヒンドゥー寺院の遺跡。ガイドブックを持っていないので詳しいことは書けないが、見学した感想は、遺跡は全体的に崩れて、草 に覆われ、山の上から全体を見れば、それなりの規模の遺跡群に見えた。現在、修復作業が進められているが、数十年では修復完了とはいかないようだ。 見学を終えて。昼飯を食べ終えて。さてどうやってパクセーに戻るか?店のおやじに 乗合バスはあるか聞くと、やはり朝だけのようだ。さてさて、困った! 30分もすると小型の乗り合いバスが来た。パクセーの手前までなら行くというので、 とりあえず乗車して終点まで行くことにした。まだ、ここからパクセーまで28キロあ るようだ。近くの店で牛乳をもらって、パクセーまでのバスはあるか尋ねると、やはりパクセー行きのバスはない。残された手段は、ヒッチハイクしかない。それにしても車が通る回数が少ない、10分に5台くらい。炎天下の中、手を挙げて車を停めようとするが、なかなか停車してくれない。大体が荷台にもたくさんの人が乗っているので、乗せる余裕がないようだ。10分、20分、 30 分、1 時間と経過するが停まってくれない。ペットボトルの水はお湯になり、私は汗だくだ。それでも粘った甲斐があり1時間30分後に、一台のトラックに拾われた。助かった…! 40分後に無事に、パクセーの街に帰ることができた。別れ際に、3万キープ(330円)を渡そうとしたが、頑なに受取らなかった。見ず知らずの日本人に親切にしてくれて有難う!
2020.04.09
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2012年3月17日土曜日 ー旅のお金ーお金の持って行き方ー 今までの旅は東南アジアが中心で、航空運賃を除いて2~3万円もあれば足りた。 お金の持って行き方で悩んだことはない。 今回の旅費100万円を、全て懐に入れて持ち歩くことは危険すぎる。 現代は、カード持参のバックパーカーが主流になっている。今回は、アメリカドル500$と日本円5万円をザックの底に隠し持つ。他に2枚のカードを持って行く。 1枚は楽天銀行の国際キャッシュカードで、日本で預けたお金を、訪れた国々で 現地のお金で引き出す。金利はかからないが、引き落としに1回、200円程度かかる。もう1枚はクレジットカードで、航空券や値の張る物を購入するときに使う。もちろん、別々に管理する事は言うまでもない。 2012年3月18日日曜日 ーザックの中身ー 長旅は重い荷物はつらい。ザックの中身は必要最小限にして、実際に持って行く荷物は、国内旅行2~3日分しかない。足りないものがあれば現地調達で賄う。 [実際の持物] ザックは25リットル パスポート、写真(ビザ用)6枚、現金(日本円5万円 アメリカ$500) カード2枚(国際キャッシュカード、クレジットカード) 国際カード用60万円、クレジット用40万円 *以上を盗まれたり、無くしない限り、旅は続けられる。 パソコン、カメラ、充電器、プラグA・C(差込口が国によって違う) 電子辞書 ペンライト、着替え2日分(パンツ、Tシャツ、靴下) 長短ズボン各1、長短シャツ各1、ダウンジャケット、洗面具(歯ブラシ、歯磨き粉、ひげそり、石けん) つめ切り、タオル1、手ぬぐい1 主要都市の地図コピー 2012年3月19日月曜日 ーフランスの女に気を付けてー 象牙のお守り 寄書の手ぬぐい 池袋で中学校時代の関東在住の仲間8名が、壮行会を開いてくれた。 有難いことに旅から無事に帰りますようにと、願いがこもった象牙のお守りを頂戴した。寄書には、「フランスの女に気を付けて」と、書いてくれた友達もいたが、そっちのほうは心配無用だ…。 2012年3月20日火曜日 ー貴重品入れー Gパンの内側に貴重品入れ パスポートを盗まれたり、無くしたら旅は続けられない。 いくら対策を講じようが、盗まれるときは盗まれる。気休めにすぎないかもしれないが…。 2012年3月21日水曜日 ー出発1日前ー 今日は、定年退職してからハローワークに通って最後の失業の認定を受ける日だ。 これで晴れて、明日は「ユーラシア大陸横断」に出発できる。 失業保険受給日数150日×6700円=100万円、これが今回の旅費になる。
2020.04.08
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壮行会でTシャツに寄書きしてもらった 東奥日報夕刊(3月17日)を見た友達から「ユーラシア大陸横断」のブログは読みづらいといわれたのもそうだが、前々から「Bloggerー竹ちゃんのユーラシア大陸横断」から「楽天ブログ」に移したいと考えていた。今年は長期の海外旅行を断念したので実行する事にした。 定年退職してユーラシア大陸横断したブログを「楽天ブログ」に、5日〜7日分を少し手直しして全編掲載する事にした。 2012年3月6日火曜日 ーいよいよ出発が迫ってきたー まだ準備らしい準備はしていないが、おおよそ次のルートを通る予定。 タイ⇒ラオス⇒中国⇒ネパール⇒インド⇒パキスタン⇒トルコ ここまで3ヶ月 ギリシア⇒イタリア⇒スイス⇒フランス⇒スペイン⇒ポルトガル ここまで3ヶ月 パキスタンのビザ取得が難しいので、アルメニア、グルジアに行くかどうか思案している。 次回はもう少し詳しくルートをお知らせしたい。 2012年3月7日水曜日 ーユーラシア横断ルートを少し詳しくー 出発は3月22日、帰国はポルトガルから9月中旬の予定。 トルコまでのルート、この通り訪れられるかどうかは現地に行ってからの情況判断。 アルメニア、グルジアについては書籍も少なく、旅行人「シルクロード 中央ユーラシアの国々」くらいしかなく情報の入手が難しい。 タイ (ウボンラチャタニーから陸路でラオスのパクセ)バンコク一泊、翌日にはラオス入国 ラオス (パクセ、ビエンチャン、ルアンパパン、モーハンから雲南) ラオス国内は南から北部を目指して中国に入国 中国 (雲南、ラサ、エベレストBC5200m、チベットを越えてネパール)雲南からラサ、チョモランマBCに立寄り、5220mの最高地点を通過する。ラサ~ネパール5~7日間のヒマラヤの屋根を走破する。ネパール (カトマンズ、ポカラからインド) インド (バナーラス、カジュラーホー、デリー 飛行機でイェレヴァン) ガンジス川の沐浴、10―12世紀の寺院群の見学 アルメニア (イェレヴァン 陸路でトビリシ)空港でビザ取得可能 情報少ない。 グルジア (トビリシ、陸路でトルコ) ビザ必要ない 情報少ない。トルコ (イスタンブール、アンカラ 地中海・エーゲ海)見どころ一杯、エーゲ海を船でギリシア ここまで90~110日間の予定。 2012年3月8日木曜日 ーユーラシア横断ルート少し詳しくー ギリシアからポルトガルまでのルート。 ヨーロッパはアジアに比べると3~4倍物価が高そうだ。 そこで、スイスのツェルマットとグリンデルワルト、フランスのシャモニーでキャンプ生活をする予定だ。 アジアの宿は1000円以下、3食+ビールで1000円くらいでしょうか。ヨーロッパでは ドミトリー(大部屋、4-8名一室)で2000~3500円、シングルで5000円はする。 それに3食+ワイン+ビール2000円で収まれば良いほうだ。 トータルでテント生活などして1日5000円で抑えたい。 訪れたい街はたくさんあるが、日程の都合で急ぎ足の旅になりそうだ。 ギリシア (アテネ、パトラから船でバーリ ) イタリア (ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ドロミテ) スイス グリンデルワルト(アイガー北壁) ツェルマット(マッターホルン) フランス シャモニー(モンブラン) スペイン (バルセロナ、ピレネー山脈、サンティアゴ) ポルトガル (ポルト、リスボン、) リスボンから9月中旬帰国予定 2012年3月9日金曜日 ー旅費は6カ月間100万円?ー 旅先で、いくら節約に節約を重ねても、それなりにお金は使う。 宿泊代はピンからキリで、アジアは300円~1000円で泊まることが可能、ヨーロッパに入れば、ドミトリーで1500円~3000円が相場で、シングルは4-5000円は覚悟しなければならない。 今回は、反則技を使って、スイスで3週間のキャンプ生活をする。少しでも宿泊代を浮かす作戦だ。 食事代はレストランに入らず、屋台や地元の食堂で食べれば、アジアで3食1000円から1500円でやっていける。もちろんビール2本は飲む。現地の焼酎も飲む。 ヨーロッパの各国では、3割増しくらいで食事代を賄うつもりだ。 アジアを90日×2000円=18万円、ヨーロッパは90日×5000円=45万円。交通費は列車・バス代25万円、 ポルトガルから成田の飛行機代12万円で、トータル100万円の予算だ。 2012年3月10日土曜日 ーくすりとガイドブック類は持たないー 荷物は必要最小限にして、足りないものは現地で買い足す。これが基本だ。 国内の2泊3日の旅行も、6カ月の長期海外旅行でも、持っていく荷物はほとんど変わらない。試にリュックに荷物を詰めて、量ってみると、パソコンと充電器が増えて6.5キロほどだ。リュック本体の重さが1.5キロあるので、実際に持って行く荷物は5キロだ。 旅に出れば、荷物を持って宿探し、バスに乗り、街から街へと移動することになるので、荷物は軽いほうがいい。 今までもそうだが、薬とガイドブック類は持たない。子供のころから腹が痛ければ歯磨き粉を舐めれば痛みは治まった。今でも大して変わらない。仁丹でもあれば万能薬だ。 ガイドブックに関しては、街の様子が分かる地図があれば用が足りる。宿探し、市場や安食堂を見つけることが出来れば十分だ。あえて、かさばり、重いガイドブックは持つ必要がない。 2012年3月11日日曜日 ー海外旅行保険はバラ掛けー 今まで、2週間程度の旅では海外旅行保険に加入したことがない。海外旅行保険6か月間有効のパック(傷害死亡、疾病死亡、個人賠償、携行品、治療・救援)は、必要のない保障も含まれている。それに13~15万円と高額だ。実際に、旅先で保険が必要になることは少ない。大した荷物は持って行かないので携行品保険はいらない。現地で高価な品物を壊すこともまずないので、個人賠償保険もいらない。 今回も、一切保険に加入しないとも考えたが、現地で入院した場合は高額な支払いになるケースもあるので、治療・救援費用300万円だけの保険を検討することにした。それでも保険代は4万円はする。 2012年3月12日月曜日 ーユーラシア大陸黄疸ー 有難いことに先週は、火曜日から6日連続で書店、出版社、友達、親戚、山の仲間に 壮行会を開い頂いた。 私は酒飲みなので、集まった皆さんよりもたくさん飲ましてもらった。翌日は、二日酔いでも、夕方になるとまた飲めてしまうところが、意地汚いところだ。 これでは「ユーラシア大陸黄疸」ではないか! 2012年3月13日火曜日 ー旅の言葉ー 空港で、「旅の目的は」と聞かれ、「アルバイト」と答えた若者がいたとか…、笑い話のようだが、私も似たようなものだ。 旅先で不安は「言葉」で、宿を探す、切符の手配など、すべて自分で解決しなければならない。 バックパーカーが泊まる宿や、大きな駅では間違いなく英語が通じるが、恥ずかしい話、私はまるでダメなのだ。そこで片言の単語とジェスチャーで一生懸命に話をする。そうすれば何とかなるものだ。 タイでもインドでも田舎に行けば、英語は全く通じない。その時は、ジェスチャーが意思疎通の道具になる。 ヨーロッパの各国でも、あいさつ程度の単語を少し覚え、あとはジェスチャーで乗り切るつもりだ。 2012年3月14日水曜日 ーラサに入れないー 年明けに発生した『チベット人3人が焼身自殺』のニュースを気にかけていた。 中国政府に抗議するチベット僧の焼身自殺が相次いているので外国人がチベットから締め出されているからだ。 3月に入れば解除され、ラサには楽勝で入れると考えていたが、予断を許さない事態になったようだ。 ラサに入れないとすれば、ルートを引き直さなければならない。 2012年3月15日木曜日 ー成都からカトマンズ間は飛行機でー とりあえず、ラオスから雲南までは予定通り進む予定。 今回の旅のメーン・イベントは、ラサからチベットを走破し、ヒマラヤの山々をまじかに仰ぎ見ることだった。 ラサには是が非でも入りたいものだ。 2012年3月16日金曜日 ー寄書きのTシャツー これ着て街歩ける? 昨日、本郷の「もり川」で元会社の仲間、先輩、広告代理店の方々に、壮行会を開いていただいた。 写真は、皆さんの寄せ書き、これを着て街を歩いたらバカウケすること間違いないが、 恥ずかしくて、着れないよね!せっかくだからロカ岬で記念写真を撮るぞ!
2020.04.07
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