御影堂の南東には、経蔵が建っています。元和7年に建立されたもので、重要文
化財に指定されています。
内部には宋版の一切経(約5900余帖)が収められているそうです。
経蔵の横から奥に向かって階段があります。「智慧乃道」と書かれており、左側には法然上人の立像が置かれております。
階段を上がると、その先に「御廟」があります。法然上人の遺骨が納められているそうです。現在の建物は、慶長18年(1613年)に改築されたものだそうです。
さらに先に進むと「千姫の墓」があります。千姫は、二代将軍徳川秀忠の長女で、幼くして、豊臣秀吉の息子 秀頼の元へ嫁いだ人です。
墓の奥には「濡髪大明神」という祠がありました。
江戸時代初期、古くからこの地に住む白狐が、濡れ姿でシクシクと泣く童子のかっこうで、知恩院の上人の枕元に現れたといいます。聞くと、御影堂が建設されたために住処をなくしたとのことでしたので、童子のために寝ぐらを作ったそうです。その後、その童子は濡髪童子と名づけられ、祠におまつりされたということです。
知恩院については、日を改めて、もう少しご紹介したいと思います。
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