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パセリの花こんにちは!しばらく日記を書かない間に管理場面が変わっていました。使いやすいのかどうか写真をアップしたりしてみないとわからないのですが、見やすくなってはいるかな、と思います。長ーい間ご無沙汰しておりました。元気です^^写真を撮るのが趣味なのでその写真を皆さんに見ていただきたいくて、それが簡単にできてしまうFBに簡単んな一文を寄せてアップしています。ブログを書かなくなってしまった理由としては、FBは大きい容量の写真も何枚も載せられ本当に便利というのと、文章もなぜが構えることなく書ける、ということでしょうか。ブログを書く!というのはなんとなく身構えてしまうのですよ^^でも、その身構えを取り払ったらなんとなく書けそうな気がしてきてます。さて私の日常はアメリカから戻ってきた娘夫婦がしょっちゅう来ていたり、もう一人の娘も一緒に住んでいたりで多少賑やかになりました。家族が多くなるということはそれだけ身辺もワサワサするわけで、なかなか集中できにくい。それに年末には初孫も仲間入り^^あ〜人生変化ですね。。。これで終わりということはないのですね。でも、こうした新しい状況に私がどんな風に変わっていくのかが楽しみなのです。孫ができて初めて根付く自分を感じるのかな^^まずはブログ再開のご挨拶です。時々書けそうな時に書きますね。どうぞよろしくお願いいたします。
2016.08.02
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玉紫陽花・・・紫陽花の原種です最後にアップしたのを覚えてないくらいの長い間のご無沙汰でした。季節は移り今は夏のまっただ中。昨日誕生日を迎え、自分にプレゼントをしました。『高尾山花と木の図鑑』と、もう一冊。図鑑の方は絶版になっていて、プレミアムになっていて元のおネダンの2倍くらいです。写真を撮るようになってから周りの植物や自然の風景に更に惹かれるようになりました。いつもいつもそんなに遠くに行けないので近場に・・・ということになります。写真を撮り、帰ってからPCに取り込み名前を調べるのがすごい楽しみなのです。中には調べてもわからない植物があり、少しフラストレーションを感じていました。花と木の図鑑はこれからずいぶんと助けてくれることでしょう。高尾山は東京都から僅か50キロほどの至近距離にありながらこの山の植物相は他に類を見ないほどの豊富さと言われています。高尾山は信仰を集め古くから森林が守られてきたこと、そして暖帯林と寒帯林のちょうど境目にあたっているために暖帯性草木、寒帯性のいずれもが育生出来る環境にあるということです。植物の種類は約1300種類でイギリス一国の植物数は数百種類ですから、高尾の山の植物の豊富さがわかります。時々、環境活動家でもある師匠について野山を歩き回り学んでいる最中です。最近の私の変化は、肉眼ではみえにくい小さな小さな花々を撮り続けていくうちに、自然に命の尊さがわかってきたのです。それはわかる、のと違って他の生き物の命そのものがリアルに感じられる・・・と言った方があたっています。私がこんなにも自然が好きで、自然の中にいると幸せを感じる人間だった・・・ということが意外でとても嬉しいのです。2、3年前までは人間以外に興味はありません!なんて思っていたのですから。。。自分再発見です^^最近では興味は植物に留まらず動物たちにも多大な興味を持っています。特にアフリカの象やライオンです。アフリカでは自分の快楽のためにそうした動物をハンティングする遊びがあるそうです。最近アメリカの歯科医がセシルというオスライオンを殺し、得意げにセシルの遺骸と撮った写真をフェイスブックにアップし非難を浴びています。歯科クリニックを閉めざるを得ない状況に陥っているのだそうです。ハンティングをするために大金を払い、ハンティングを生業とするビジネスに加担しているのです。お金を払えば何でも出来る、といった自分本位の行動が許されるわけがありません。また一つの命が奪われました。知らなかったとはいえこの野蛮な行為を見逃しているのは私たちなんですね。遠いアフリカの出来事ですが止めさせるために出来ることがあるはずです。いろいろ書いてしまいましたが、命の大切さを思う今日この頃です。皆様も暑さに負けないで健やかにお過ごしください。
2015.08.07
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今日は6月1日。なんだか一日の時間が短縮されているような....そんな気がする昨今です。過去のことを思い出すこともなく、来たる未来に想いを馳せる時間もない~今を想うこともなく(これはまずい^^)ただただ流れに身を任せてどこに行き着くのやら...^^なんとも覇気のない毎日をおくっています。今のところの楽しみは、朝に狭い庭を一巡すること。植えた植物、自然に生えてきた植物、花の蕾が昨日より膨らみ開花を迎え、今日は遂に開花!小さい菜園の野菜が日に日に大きく成長する様を眺めることです。水やりをし、ちょっと手を加え一日が始まります。植物の育成に関する知識がゼロの私が菜園で育てた野菜をサラダにしていただく、本当に幸せを感じます。先日、現在103才になられる美術家篠田桃紅さんのドキュメンタリー番組をみました。この方の記事を新聞で目にしピンときたので本を注文。一気に読み上げた所でした。フォーカスしていると情報がもたらされるって本当です。その番組の中で桃紅さんは珠玉の言葉をたくさん仰ってました。いちいちわかる!という想いがし、本当に嬉しくなりました。その中で、『花を可愛い、というのは傲慢かな。本当は花が私たちを可愛いと思っているのかもしれませんよ』とい言葉がありました。そして『自然は人を謙虚にする。人間の傲慢さを恥じる気持ちにさせる。』という言葉も。思えば私が一番平和な(シャンティな)心でいられるのは、一人で自然に触れているときです。きれいなもの、珍しいものや現象を発見したとき、または何も新しい発見がない時でも外に出て素敵な雰囲気を感じている時です。自分を取り戻すときだし、私のエネルギーの元となってます。周りに流され過ぎている時に、自然と触れ合ったり、人生の先駆者を見習うことは『背筋をシャンと伸ばして生なさい!』といわれているような気がします。103才の年齢を感じさせない静かですがいきいきとしたエネルギー。この方の生き方、創りだす作品の数々は周りの人々を幸せにし、自分にあった生き方をしてみよう~と思わせます。乱暴に主張するのではなく、静かに為したいことをする勇気を与えてくれます。自然のお話から随分と逸れてしまいましたが、たぶん篠田桃紅さんという方の雰囲気を『自然』と同じように感じているからでしょう^^*写真は庭の片隅で豪華に花開いた柏葉紫陽花です。今年はピラミッド型の花房を7つもつけてくれました(^^)/*近い将来このブログをamebaブログにお引越しをします。楽天ブログは私の原点ですが、写真を載せるにはamebaブログが便利かな、とおもいました。ブログ友のコメントに励まされていますのでお名残惜しさもあって、amebaに移っても読んで下さったらとても嬉しいです。
2015.06.01
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もう3月も半ばになってしまいました。昨日は3月11日。あの未曾有の災害があった日です。あの日から丸4年が過ぎました。一日中この災害で亡くなられた人々や最愛の家族をなくされた人々、住む家をなくし積み重ねた月日が一瞬にしてなくなってしまった人々のことを想い心が痛む一日でした。犠牲になられた方々に哀悼の意を申し上げ、今なお不自由な生活を余儀なくされている方々に、心からの御見舞いを申し上げます。今日は春の気配が濃厚で暖かい日でした。最近は歩くことを心がけているので、娘の誘いに応じ近隣のお山散歩の日となりました。ペースの早い娘には先に歩いてもらい全行程1時間半の山道を2時間半をかけてゆっくり歩きました。カメラを持ち周りの風景を撮りながら歩くのは本当に久しぶりで楽しかったです。一人きりで歩くのはとてもいいですね^^道がどこにずれようと、疲れたから休む、ということも気兼ねがいりません。途中の景色や雰囲気を満喫しながらゆっくりと歩く・・・これほどの楽しみはありません。青い空にとんびが旋回し、小鳥のなく声が聞こえ、更に木々の芽吹きが大きなエネルギーの渦を巻いている様が見えるようで、これが春なんだ~ということを体感出来ます。歩みを進めていきしばらくすると周りの自然と私が同調してきます。そうすると今まで気づかなかった風景が眼に飛び込んできます。耳に今まで聞こえなかった音が聞こえ始め、しーんと静まり返った山が実はとても賑やかなエネルギーに満ちていることに気づきます。ちょろちょろと水が流れる音、そのまわりにいるであろうカエルの鳴き声などがきこえてきます。心が静まり返るとこんなにも周りを感じることができるのですね。何も思わず、日ごろ支配されている思考からも解放され、自由で私の心には過去も未来もなくて、在るのは今という時に同調しているのです。世界は悲しみを秘め、大きな流れの中にあり歴史は流れていきます。そのほんのひと時を生きている私。この私が世界の為に何ができるのだろうか。精一杯与えられた時間を生き、実は一つの命である私たちに連体し、感謝し、寄り添って生きていくこと。本当はそれだけでいいのではないのだろうか。日常すべきことをし、働き、楽しみ、もくもくと命の在る間を生きるのだ。なにがあっても慌てずに、気持ちが逆立つ時があってもそれに囚われず、過ぎ去るのを待つ。物事は必ず変化するのだから。山道は登りあり、平坦な道があり、そして下り道がある・・・なんだか人生みたいだな^^風景はかわる。どの風景も楽しみ味わいながら歩く・・・それが出来たら最高!
2015.03.12
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ハートを通してみる世界最近『河合隼雄』さんの『幸福論』という本を読みました。河合さんは心理療法家として有名な方ですね。この本は河合さんの幸福についてのエッセーです。河合さんの相談者に暖かく寄り添う姿勢は、深い人間理解による共感が元になっているのですね。エッセーの語り口は柔らかでですが決して感傷的になることもなく、醒めた目線で物事をみつめているところがとても好きです。読んでいて、私自身が河合さんにカウンセリングをしてもらっているような気持ちになりました。その本の中で『新川和江』さんの詩が引用されていました。心惹かれました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーわたしを束ねないであらせいとうの花のように白い葱のように束ねないでください わたしは稲穂秋 大地が胸を焦がす見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂わたしを止めないで標本箱の昆虫のように高原からきた絵葉書のように止めないでください わたしは羽撃(はばた)きこやみなく空のひろさをかいさぐっている目には見えないつばさの音わたしを注(つ)がないで日常性に薄められた牛乳のようにぬるい酒のように注がないでください わたしは海夜 とほうもなく満ちてくる苦い潮(うしお) ふちのない水わたしを名付けないで娘という名 妻という名重々しい母という名でしつらえた座に座りきりにさせないでください わたしは風りんごの木と泉のありかを知っている風わたしを区切らないで,(コンマ)や .(ピリオド) いくつかの段落そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようにはこまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章川と同じにはてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
2015.02.14
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The ultimate source of comfort and peace is within ourselves. 癒しと平和の究極のもとは私たち自身の内にありますダライ・ラマ法王の言葉です。今日は快晴!気持ちの良い日です。家人は誰もいなくて、一人で過ごしています。外のデッキにパソコンを持ち出し、今はちょうどよい木陰となった空間で頂き物のとびっきり美味しい珈琲を淹れ、小春日和のような陽を浴びながら書いてます。平和で安らいでいます。わけもなく心が揺れ動いてしかたがないときは人と会わずにこのような時を必要とします。だからことさらこのような自分のための時間を作るようにしています。人と較べなくっていいんだよ。私は私^^人それぞれに得意なことと苦手なことがある。出来ることと出来ないことがある。私たちを一つの生命体として考えればその違いがちゃんと生命体として機能しているのだ。自分が自分でいることを楽しむこと。それは私こそは、と主張する必要がないことになる。自分自身を十分に生きることができたらいいな。 。。。。と思います。どの人にとっても人生は決して平坦な道ではありません。ある時は喜び、ある時は悲しみに打ちのめされます。苦楽を味わい、私たちにはそのつど問題を意識し、考える能力があります。これが生きる意味だと思うのです。そして安らぎ、心の平和を取り戻していきます。そして志を持ち、夢に向って進んでいくことができます。こうしていると、小さい私ながら大きなことに繋がってゆく勇気とエネルギーが湧いて来るのを感じます。大分陽が傾いてきました。土曜日の昼下がり、私にとっての癒しの土曜日の夕方です。さぁ、洗濯物を取り入れましょう^^
2014.10.25
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随分前からゴリラのココちゃんに注目していました。ココちゃんは2000語以上の言葉を手話で表現することができます。死の意味も理解していて、以前に親交のあったロビン・ウィリアムズさんの死を悼み、悲しんでいる様子が写真で公開されました。純粋な気持ちで心から悲しんでいるココちゃんの表情に心うたれます。偉大な俳優でありコメディアンであったロビン・ウィリアムズ氏。大好きでした。この方の映画を観るたびにインスパイアーされました。生きる上で一番大切な互いを思いやる心を世界中の人々に伝え続けたロビン・ウィリアムズ氏の死を心から悼み、ご冥福をお祈り致します。 ☆ http://virates.com/society/5743378 (ロビン・ウィリアムズ氏とココちゃんの交流の様子はここで観ることができます)
2014.08.16
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こんにちは~!ご無沙汰しております(^^;変わらぬ日常を送っていますが、ブログを書くとなると、なんだか身構えてしまってなかなか書けないでいます。FBはとても気軽で趣味の写真を載せ、短い文章を気軽に書けるのですが、ブログの世界はなかなかそれが出来にくい。。。。さて7月半ばから終わりまでフランスに行っていました。目的は私の生涯のお勉強、といいますか、チベット仏教を学びにいってました。先生がフランスにいらっしゃるのでやむなくフランスです^^今年は随分迷いました。まぁいつものことではありますが。今年は更にです(笑)10日間の長丁場の講座に(朝8時半~夕方5時まで)耐えられるのか、宿泊先から会場までの移動は人頼りなので毎日緊張することだとか、15時間を超える飛行時間が嫌だとか、最寄りの空港からセミナーの行われるところまで3時間・・・これをどうする?だとか・・・全て英語だとか....ざっと考えても毎回憂鬱になります。私にとって『おフランス』に行くなどという、うきうきの旅では決してないわけです。不安材料がいっぱい!もう4回も行っているのに・・・です。毎回違う体験になるのを知っているから。これぞ学びですね^^こうした便利でない旅はいろいろな気づきがあるものです。真の自立のチャンスです^^ 自国では何でも自分でこなしているつもりでした。例えば、マイカーを持ち、移動も人に頼らず出来る環境にあるとそれが当たり前で『人に頼らない自立した自分』とそれだけで錯覚してしまいます。そうなると『困っているのでお力添えを!』と他の人に頼めない自分が出来上がっていました。(ちっちゃなプライド)黙っていれば誰かが助けてくれる!とすまし込んではいられない、特に西洋では時として『沈黙は金』ではないのです^^会場から宿泊先までは車で20分くらい。歩ける距離ではありません。そのエリアに宿泊している人ならば快く乗せてくれますが、機会を逃すと後は自力です。そこで、声を上げることにしました。Could you help me?頼んだ人は忙しくてだめでも、心にとめておいてくれるようです。しばらくすると乗せてくれる誰かがみつかります。こうして無事に10日間を過ごすことができました。じーっと待つこと一時間でも帰れた奇跡に感謝します。乗せてくれた、さっきまでまったく知らなかった人の温かい人柄に感動することもありました。苦境は思わぬ良い出来事に変わります。思うことは、人間、困った状況になるとネガティブな思いに囚われやすい、と言うことです。過去のうまくいかなかった体験が頭を駆け巡り、思い込みで不安に陥ります。そうなると冷静な判断ができにくくなります。状況は自分が思っていた展開を辿らないかも知れません。でも、思わぬ展開で結局はその問題をクリアできた、ということが起こります。そして思わぬメリットも。それが友情であったり、感謝を知る心であったり、豊かな経験になります。大きなことは問題解決のために行動を起こし、あとは結果を待つことで、他者への信頼感、ひいては自分への信頼感が増すことです。自分が出来ることだけではなく、時には自分にないと思っている力が必要なことがあります。でもそれが自分の殻を破ることであればあるほど達成感があり、これからの人生の肥やしとなり自信になると思うのです。一人旅は実は自分を知る絶好の機会でもあります。孤独に慣れることもメリットです。なれ合いは存在しない環境に自分を置いてみてはじめて見えてくる自分があるようです。知らない人々の中で少しの間暮らしてみるのも、違う自分が現れてくる・・・すごく新鮮です^^そして一番常用なメリットは自分の置かれている環境や欠点だらけの私とともに過ごしてくれる家族にそして共にいてくれる友達に心からの感謝を持てるようになることです。なので一人旅、おススメです^^
2014.08.15
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昨日仕上がりました。アイヌ刺繍を初めて半年です。刺繍が楽しくて時間が経つのも忘れるほど^^裁縫だけは生涯することはないだろう、と思っていました。母や姉妹も器用です。なのに私だけが出来ないなんて.....と内心ひがんでました。コンプレックスのかたまりでした。その理由は小学校の家庭科の授業で縫い物の宿題が出た時の母の一言 『どうせ出来ないのだから私が縫ってあげる!』でした。それが焼き付いてしまったのです。ひどいですね~...笑子育てのとき、必要があって実際やってみると、これが出来ない!それでますます裁縫が嫌いになってしまいました。ところが、ある日アイヌ刺繍をみて心が動いたのです。『やりたい!』と素直におもいました^^取り敢えず見学に行きました。でもやりたい、とは言えず帰りかけた時に、『あれ!やっていかないの?』と。それが始まりです。(前にも書いたような....)今では刺繍が楽しくて仕方が有りません。好きでいつも針を動かしているので少しづつきれいに縫えるようになりました。趣味の写真を撮ることもそうですが、好きなことを夢中になってしている時は自分と向かい合っている時です。撮る自然のなかに自分を写したり、一針一針丁寧に縫い込んでいる時は心が空っぽになっていますが、自分と向かい合っています。様々な想いがわき起こってもそれを認めて流す事が出来るようです。動の瞑想は私に合っているようで、マインドフルな状態のきっかけになってます。行動すること・・・をなにか大きなことをしなければ、と思いがちですが、(それも素敵ですが)日常の作務をこなすことや趣味を持つことから始めるのもいいですね^^ 写真は自分デザインのアイヌ刺繍です^^
2014.06.26
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象のはな子 5月5日、良く出かける吉祥寺。そこにある井の頭公園は連休中でもあり、いつも以上の賑わいでした。井の頭動物公園に友人と初めて行きました。小動物や鳥類などを見ることができます。私は動物園が苦手です。狭い檻に閉じ込められ本来の生きる場所である自然から切り離されてストレスフルな毎日を送っている、そうとしか思えないからです。実際見ていると、同じ行動を繰り返し、お猿さんは一様に毛が抜けています。そこで、象のはな子に会いました。はな子は現在67才。歯が抜け落ち固形物はたべられないそうです。対面したとき、やはりある種の悲しさや寂しさを感じて辛い気持ちになりました。太いホースを鼻でもてあそんでいます。そして足踏みを繰り返し、とても退屈そうに見えました。家に帰ってもはな子の様子が脳裏から去らず、考えてしまいます。あまり気になるので、本を購入しました。はな子について知りたかったからです。タイトルは『父の愛したゾウのはな子』です。その本はゾウのはな子と30年間も飼育係として接した山川清蔵さんとおっしゃる方とはな子の物語です。象は賢くて非常にデリケートな動物だそうです。間違いとはいえ2人の人間を殺してしまったはな子。その後の(躾でもありますが)ひどい扱いで心を閉ざしてしまったはな子の心開き、ついには来演する人々との触れ合いまで可能にした一人の飼育係の粘り強い努力とはな子に寄せる愛の物語です。人間と同じようにいったん閉ざした心は、無理矢理こじ開けることはできません。愛情という鍵が必要です~本当にそうですね。そうか~はな子は接する人々の親身な世話を受けていたんだ~とホッとしました。私たちの眼には触れない沢山の人々の愛と善意の努力で67才まで元気でいてくれているのですね。狭くて暗く、コンクリートに囲まれた畜舎での生活から解放して、大自然に返してあげたい気持ちは誰しも感じることだと思います。私もそれを願います。でも、この本を読んで、子どもたちだけではなく、私たち大人にも夢と好奇心を育てるために、苦しく不自由な動物園にいるこうした動物たちに感謝と、大事に愛情深く世話をしている飼育係さんたちの功績を讃える気持ちになりました。とてもいいお話です。子どもたちに読んであげてからはな子に会いに出かけるのもいいですね^^私もかわいいはな子に会いに動物園にたびたび足を運ぼうと思います。
2014.05.09
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長い間のご無沙汰でした。あの大雪の日からはや一ヶ月あまり、めまぐるしく毎日が過ぎ往きあっという間に春です(^^)/昨今はあるイベントを企画、進行中でときめく日々をおくっています。仲間達と和気あいあいとする作業で『いや〜私には無理!』と思えたことが追いつめられて一生懸命に取り組むことで出来るようになってます。例えばPCの操作も一つ。参加希望の方々への返信や名簿作り、そしてスカイプミーティングなどなど.....です。曲がりなりにも出来るようになりました。そして、英語!仲間達は皆さん英語に堪能です。非常に高レベルの英語は出来る人にやってもらいますが、それでも『私は出来ませんから...』とは言えない雰囲気(><)英語でメールを書いたり、ミーティングでは話さなければならない場面もあるわけです。私は日常会話はできますが、話が込み入ってくるととたんに臆するのです。更に特に周りの人たちが英語に堪能だとフリーズしてしまい話せるはずの英語がでてこない。ある日のミーティングで『英語で言って!』って言われてしまいました。その時は腹を決めました。やってみました!結果は出来映えはともかく自分のために良かった、と思えました。あとでそう指示してくれた友達に感謝しました。『自分は出来ない!』って決め込んでしまうと出来るようにはならないなー、とつくづく思います。自分が他の人にどのように評価されるかを気にしたり、失敗を怖れていると自分が今出来ることしかしなくなります。でもね、こんな時に思い出すのは死ぬ前に語られた人たちの言葉です。『あぁ〜思いっきりやりたいことをすれば良かった!』『BE Here Now』のラム・ダスさんも『人生をやり直せるならわたしはもっと失敗をしてもっと馬鹿げたことをしよう』という本を書いています。人生は自分が与えられた物事に、そして夢の実現のためにどれくらい懸命に取り組めるのか.....周りの人たちと和合し、楽しみを見いだし、出来るじゃない!やって良かった!の積み重ねだと思うのです。何才になっても自分にチャレンジです^^それで今なにをしているかと言うと、これです。 ジグメ・ケンツェ・リンポチェ 東京講演 (3月29日、30日)仏陀は最高のカウンセラーだと思います。その教えをチベット仏教のリンポチェが優しくひも解きます。 春の到来!を告げる紅こぶしの花
2014.03.24
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ある有名な石けんのCMビデオで描かれた似顔絵です。2人の人? いいえ〜この2枚の似顔絵は同じ人を描いたものです。左は自分自身を言い表したことを画家が忠実に再現したもの。右は他の人がその人について説明したことを同じ画家が描いたものです。右側の似顔絵の方がより本人に似ているのです。ビデオを見ると自分自身を言い表した自画像は全体的に暗い表情で、溌剌とした表情がみられません。私たちは自分の美に気づいていないのですね。もちろん謙遜の心があるので自分に関しては控えめに言いますが、それだけかな〜?自分の容姿の欠点をなんとかしようとするあまり、自分の良さを見逃しています^^人の魅力は自分が考えているよりもっともっとたくさんあり、また他の人が魅力的と感じる点も一通りではないことに気づきます。他の人の視点は違う自分を発見してくれますね。時には自分を他の人の視点から眺めてみよう!きっと新しい発見があるよね^^ それは嬉しいこと(^^)/ 久しぶりにぐーとくる映像を見て感動しました。
2014.02.13
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☆〜写真はネットからですが、同じ日、同じ時刻の太陽の運行を連続させたものだそうです。まるでメビウスの輪のようですね。神秘的ではありますが、終わりのない思考の輪。を想起しました。〜☆ 年が明けてから何日間か、なんだか心中がもやもや〜。PCの働きがうまくいかない、のも一因ですがそれにしてもちょっと嫌な気分でした。もやもやが嫌だから解決方法を考えるのですがいずれも却下。はっと思いついたのがフラワーレメディ。プラクティショナーなのに自分のことになると忘れていました。 こういう時はフラワーレメディを摂ります。自分の今、現在の感情にフォーカスしてそれに合ったレメディを選び調合します。神経質になり過ぎていたり、同じ考えが頭の中でグルグル巡る、etcさっそく調合して飲み始めました。効き目は驚くほど!慣れ親しんでいた巡る思考がぴたりと止まり、やる気さえ出てくる。カウンセリングに来られる方達に希望があれば調合をしてお渡ししていますが、いずれの方も思考から解放され楽になった〜と報告があります。癒される理由は物理的には解明されていません。しかし押し込められた強い怒りや悲しみ、不安などの感情から解放されます。(早く摂れば良かった〜^^)でもね、気が付いたことはそれを思っているのは苦しいことなのに、それを手放したくない感情があることに気づいたのです。ここら辺はすごい複雑な人のこころのメカニズムですね。だからレメディを飲むのを止めようかなとも思いました(笑) ゲシュタルト心理学では『未完成の出来事は未練が残る』 というそうです。自分で解決できる未完成の出来事はあまり問題になりません。努力が実る分野です。しかし愛する人との死別やペットロス、突然の失恋など、でやり場の無い気持ちがあるとすればフラワーレメディの出番。あまりの辛さにこころのコントロールがきかないからです。レメディを摂りながら静観します。するといつのまにかこころが柔らかく変化することでしょう。試してみて下さいね^^ (私はエドワード・バッチ博士のフラワーレメディを使用しています。)
2014.01.16
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信頼と思いやり (ネットから) 新年明けましておめでとうございます。実際に今年が幸ある年になるか、悲しい年になるか、それは自分自身にかかっています。新年の決意としてこう考えるといいでしょう。私はもっと真面目な人間でありたい。もっと思いやりの深い人間でありたい。まず最初に自分自身の心の内側に平安をつくりだし、そしてそのことを多くの人とシェアしたい。これが幸せな一年を作る方法ではないでしょうか。ですから皆様もこのように考えて下さい。 ☆〜ダライ・ラマ法王〜☆ ダライ・ラマ法王の新年の挨拶です。ビデオを見るとニコニコと、くすくすと笑ってお話しされています。内容はいたってシンプル。ビデオを見た私は思わず『はい!』と答えてしまいました^^ 思うことは 『自分自身の心の平安』をどのように得るか、ということ。自分にとってこころの平安が乱されるときってどんな時?もし、思い当たることがあるのなら、そこが学びどころ。その部分を心に留め置いて自分が素敵!と思えることをどんどんしてみるといいと思います。時には冒険をしたり、苦手と思われることにチャレンジしたり。それを一生懸命することで雑念がふっとびます。知らず知らずのうちに自分の中からエネルギーがわいてきます。嫌なことをいわれたら誰だって傷つくけど、言うべきことを言ったらそれを忘れる。言う人はその人にとって言う必要があったから言ったのね!と思い、流しちゃおう^^『思いやりがないな〜』って! ^^愛ある言葉は心に響きます。たとえそれが自分にとって耳が痛いことであってもこころに届きます。シンプルに、シンプルに。真面目ではあるけれど深刻にならない。 自分を取り巻く世界に好奇心を持ち、探求し、内面的には自分と向かい合っていこうと決めた2014年。遅くなりましたが、今年もどうぞ宜しくお願いいたします(o^-^o)
2014.01.11
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早くも大晦日です。この一年を振り返ると、流れに身を任せて、という感が強いです。感じるままにやりたいだけのことをし、自分自身を方向付けなかった一年だったと言えます(^^;本業のカウンセリングも友人、知人のみ(^^; 私の中で大きく何かが変化した年でもありました。ブログも数えるほどしか書けていません。日常の活動の仲で書きたい!と思うテーマはありましたが、それを文章にできない......そんな感じです。どうも左脳的な脳の使い方から右脳に移行しているらしいな、なんて都合の良いように解釈しています^^それとも年?(笑) 感じる事を自分に許した.....とでもいうのか.....まとめたい!という思い癖がなくなりつつあるというのか......まとめる、のは結果を早く出したい、という事でもあります。そそっかしい私ですからとにかく急ぐんですだから歩き方も前のめりでした(笑)それで数々の失敗をしました(苦笑)でも、そんな私を変えたのは良き出会い、趣味で始めた写真と刺繍でした。先人達の名言 ではありませんでした^^名言は心にぐっと迫る言葉もありましたが、それが自分にとって大きな意味を為すのはやはり自分が実際に行為(行動)をしているときだったのです。世界の平和のためや人々の幸せのために行動する、ことも素敵な行為です。趣味であってもいずれはそこまで高めたい意識です。でも、まずは自分自身をどうにかしなきゃ〜^^美しさに感動し写真を撮っている時 、刺繍を一針ひとはり丁寧に進めている時、使う刺繍糸の色を選んでいる時などなにも考えていません。対象と向き合っています。写真はその時の撮った人の心の有り様を私たちに見せてくれます。自分で感動したものを表現する。だから好きです。刺繍は色使いでまるで絵の具で絵を描いているような楽しさがあります。針を持つ事など考えた事もありませんでした。下手、できっこない!という根強い思いがあり、やりたくてもこの想いが邪魔をしてまったく頭から外していたことです。なんでも受け入れてくれるアイヌの人の大らかさに触れることで、この思い込みはみごとに覆されました。私は出来る!に変わりました^^ 平和な気持ちで、楽しみながら刺繍が出来てます。たくさんのブロックがいまだにある私ですが、こうやって感情を解放しているのかもしれませんね^^大きな事は出来ませんが、まず私自身が平和な心を取り戻す事。これが今の自分にとって価値があることです。読んで下さってありがとうございます。良いお年をお迎えください。来年も赴くままにブログを書きます^^どうぞ宜しくお願いいたします。
2013.12.31
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私たちは本来この女の子のようであるに違いない。 喜びのエネルギーがその仕草や表情にみなぎっている素直な喜びの表現 この子は大草原で生きる遊牧民の子ども大地のエネルギー、澄み切った空気、遊びといえば石ころで遊んだり、家畜と戯れたり、兄弟姉妹と遊んだり、遊び疲れるとパオで両親に甘えそして一日が終わるのだろうこのような写真を見るとき、ふつふつと湧いてくる想いがある私たちの本来あるべき姿を私たちは感じることを忘れている 頭を使い過ぎている全身で風を感じ、冷たい空気を感じ、大地にしっかり足をつけ、流れる水の冷たさを、そして燃える火の暖かさを感じ、人の温かさを感じる・・・そのことを忘れてる。私たちが感じる事を自分自身に許す時、封じ込めていた真の自分が現れる。分析はいらないのだ解き放とう!自分自身を.....! この一枚の写真は私にこんなふうに私に語りかけました。おさな子の喜びは真っすぐ私の心に伝わりました。写真を撮ろうと野の花や飛ぶ鳥や小さな虫たち、山々を見る時に、そして一人で遠出の運転をしているときに流れる風景や人々を眺めながながらふと、すべての存在が愛おしくなることがあります。そんなときはたぶん感覚が開かれているときなのでしょう。物事について『あぁしよう、こうしよう』という思考がない状態になります。日常の生活の中でエアポケット に入る瞬間です^^その感覚が長く続かないとしても、その瞬間を大切にしようと思います。 **写真はネットからお借りしました。
2013.12.12
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あなたの心の中のすべての未解決な感情に忍耐をもちなさいそして、それを愛しましょう答えを探し求めないで....今はまだ与えられないでしょうなぜならば あなたはそれとともに生きられないから大切なことは今のあなたを生きること疑問とともに生きることたぶんそう遠くない未来のいつか、それらは 消えていくでしょうあなた自身を行きなさい(生きなさい)それが答えへの有効な道 誰の言葉だったのか良く覚えていませんが(たぶんリルケ?)この言葉がふと浮かびました。悩んでいるときは、そこから抜けようとしていろいろ試みてもその問題がますます強化されてしまう。その試みの動機がそこにある限り解決しようと努力すればするほど深みにはまります。その問題に逆にフォーカスすることになるからです。その時間に費やすエネルギーは膨大です。エネルギーの浪費です。私たちはある重苦しい感情が心を占める時それに虜になります。苦しいから解放されたくていろいろ試みるのだけれどうまくいかない.....そんな時はふとそのことから離れてものごとが展開していくことに任せてみる。待ってみる。忍耐というと重苦しい〜!でも待つことだったらできる。待っている間にほんの少しでも好きなことがあったらやってみる。そのうちにその感情は消えていて、ほんのり好きがホントに好きになる。そんな気がします^^スティーブ・ジョブズ氏を描いた映画をみました。皆の夢を実現したとてつもなくすごい人ですね。世界を変えました。でも、思ったのは『私は私』でいい、ということです。刺激は受けましたが私はスティーブ・ジョブズではなく『私』でいいのだ、と思いました。 自分のオリジナルの色が一番心地よいのですね^^ 咲く花は自分色^^
2013.11.23
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またもや長い間の沈黙でした。最近は趣味の世界で忙しくしています^^そして新しい人々との出会いもあり、その出会いをを通して知る新しい世界や気づきがありました。写真を撮る、という趣味に加えてアイヌ刺繍を始めました。裁縫が大の苦手!子どもが保育園に入園した頃小さなリュックサックはお母さんの手作りを持たせるようにとのことで、出来ないながらも作ったのが最後です。出来映えは惨憺たるものでした。子どもや保育園の先生が『やれば出来る!』と褒めてくれたのですが それが自信にはならず雑巾を縫うのが精一杯。。もう何年も針を持ってません。ところが、アイヌ刺繍を見た時『これやりたい!』と思ってしまったのです。私の住む地域はなぜかいろいろな人たちが集まり住んでいるところです。移住して来る皆さんは一人ひとりがアーティスティックな人たちであり、行動的な人たちが多いのです。そして出会ってしまったアイヌ刺繍。先生はアイヌの方です。こうなったら始めるしかない!おずおず出かけました。皆さんテーブルの上に布を拡げ丁寧に刺繍をしています。私はとても恥ずかしくって『教えて下さい』と言えなかったのです。やりたいけど出来ない意識。私にできるわけが無い・・・下手だし・・・きれいに縫うことなんて私には絶対無理!!!等々の心の叫び!だって誰も誘ってくれないし、今日はコーヒーだけ飲んで帰ろう・・・と 腰を上げた時、誰かが『あれっと!やって行かないの?』私は、待ってました!とばかりに「やります!」と答えていました(笑)皆さんの仲間に入れてもらい、早速針を持ちアイヌ模様の基本的な図柄を布に写しステッチを始めました。やってみると楽しいのです^^出来るじゃない!^^ 私はいつの頃からか、出来ない意識に囚われていたらしいです。この意識が自分にあることは知ってましたが、これをこえる手だてが無かったのです。一人でトライしたこともありますが、独学はモチベーションがよっぽど強くないと無理で、挫折の連続。更に出来ない意識が強化されました。今回最も苦手な、でも実は憧れていた刺繍をすることは私にいい影響を与えるでしょう。巧い、下手で判断しなければなんでも出来ます。自分が自分を判断してしまって作るブロックはそうとうなものがありますね。他人と自分を比較することもブロックになります。まだまだほんの入り口なので、ステッチの練習をしています。一針一針に集中し丁寧に運針するときれいな縫い目が現れます。針を運んでいるときは何も考えません。マインドフルな状態になります。苦手意識・・・誰にそのような意識を植え付けられたのか、またはそのトラウマをどうするか、は問題ではなく、今している自分の行為を楽しむこと〜そんな気持ちになります。やりたい!と思ったらまず飛び込んでみること、そこから広がる気づきや広がりは計り知れないものがあります。 今に大切な人たちにプレゼントとしてアイヌ刺繍のハンカチや鉢巻きができるようになるでしょう^^先生が、『プレゼントするときは念は込めずに感謝を込めてね』と言っていました(笑)そのようにしようと思います^^ 写真はネットからお借りしました。私の作品を載せるのはまだまだ時間が必要です^^
2013.11.14
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長い間アップなしの私のブログでした。写真を撮ることが楽しくて、撮った写真をFBに短い文章とともに載せています。それでなんとなく満足してしまってブログの方まで気が回りませんでした。 9月には2週間、アメリカ西海岸ロサンゼルスにいきました。ここは娘が住んでいる場所でもあり、今回で3度目ですが、今まで滞在した中で最高に良かったんです。今回はヨセミテ国立公園で4泊5日をロッジ泊、後半キャンピングと計画していました。ロサンゼルスは人種のるつぼと言われますが、今回はビバリーヒルズもハリウッドにも行かず専らメキシコ街やエチオピア人が多く住んでいる地域や、アフリカ系アメリカ人の住んでいるところを回りました。メキシコ系の人々は陽気でよく働きます。3Kと呼ばれる仕事に就いている人たちが大多数ですが、家族を大事にし他の人にも親切です。 エチオピア街では、なにやら楽しそうなパーティが開かれているレストランがありました。覗いていたら『はいりなさい!』 と中にいれられました^^子どもの100日のお祝いだそうで、皆で踊っています。『踊って〜踊って!』と言われ踊りの輪の中へ。年配の女性や若者がエチオピアの踊りを踊っています。スカートをつまみ、肩を動かし、対するパートナーと眼を合わせ踊るのです。ギリシャの踊りと似ている、と思いつつ恥ずかしかったのですがだんだんリズムに乗って来るのが心地よく・・・微笑まれ、拍手されるともっと踊りたくなりました(笑)もともと踊り好きな私なのでもっと踊りたかったのですがタイムリミット!楽しい時間を過ごしました。あるアフリカ系アメリカ人のおばあさんのおうちに招かれました。彼女は90才に近い年齢でしょうか・・・大きなプール付きの家に住んでいます。車も運転し、乗っている車はジャガー。とても元気のよい親切なおばぁちゃんですが、この方はなんと石油が庭から出てきて、それで財を成した人なのです^^もちろん掘削はしていませんがそのかわり出る原油量の利益のなんパーセントかが収入になっているのです。昔見ていたアメリカのテレビで『ある日突然石油が〜♪』・・・(タイトルも細かいストーリも忘れました)という ドラマがありましたね。貧しい農夫が庭に吹き出した石油で大金持ちになり、新しいセレブとしての生活でのてんやわんやをおもしろおかしく描いたコメディでした。まさにこのドラマを地でいくおばぁちゃんでした。逞しくて賢い素敵な女性でした。 この方から学んだことは『土地を買うときは石油の出る可能性のある土地を買え!』です(笑)限られた可能性の中で夢を持って懸命に生きる人々との出会いから新鮮なエネルギーを頂きました。どんな境遇であっても明るいお陽さまのもと、陽気に助け合い、厳しい仕事の後で音楽を奏で、歌い、明日のより良い日を祈り、今日という日に感謝し生きている人々がいました。イキイキとして夢を失わず、日々の暮らしの中でなにか大切なものを育んでいる。このような人々に接すると、人間っていいなぁ!すごいなぁ!とつくづく感じます。幸せって頭で夢想するものではなく、夢に向って日々努力する、その行為の中にあるのかも知れませんね。 私の現在の心境をあらわすとすれば、先日大往生された『やなせたかし』さんのこの曲がぴったりです。 私にはアメリカ西海岸のエネルギーが必要だったようです。 「手のひらを太陽に」ぼくらはみんな 生きている生きているから 歌うんだぼくらはみんな 生きている生きているから かなしいんだ手のひらを太陽に すかしてみればまっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)ミミズだって オケラだってアメンボだってみんな みんな生きているんだ友だちなんだぼくらはみんな 生きている生きているから 笑うんだぼくらはみんな 生きている生きているから うれしいんだ手のひらを太陽に すかしてみればまっかに流れる ぼくの血潮トンボだって カエルだってミツバチだってみんな みんな生きているんだ友だちなんだぼくらはみんな 生きている生きているから おどるんだぼくらはみんな 生きている生きているから 愛するんだ手のひらを太陽に すかしてみればまっかに流れる ぼくの血潮スズメだって イナゴだってカゲロウだってみんな みんな生きているんだ友だちなんだ
2013.10.17
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世の中にはたくさんの人々がいます。それぞれ一人ひとりが違う感覚、感情、気持ちで存在しているわけです。それが当たり前、と思っていても時々『えっ!なんでこうなるの??』と思う人がいたりします。ダライ・ラマ法王に誰かが『日々の修行は大変ではないですか?』と質問しました。ダライ・ラマ法王は『世間で生きているあなた達の方が大変です。荒海で泳ぎ回っているようなものです。』と笑いながら答えていました。生きていれば一人で山(自宅)にこもっているわけにはいかない のが私たちです。慣れ親しんでいる自分の場所を一歩でればそこは荒海にもまれる世界です。家族がいて、職場の同僚、上司がいて、サークルの仲間がいて、それぞれが自分の価値観で動いています。各々が『自分が正しい!』、または『このようにあるべき!』と思っているのです。私もそうです(笑)他の人たちに自分を合わせる・・・?これも難しそうです。多種多様な人々の欲求に一人ひとり応えるのはタイヘンです。なぜならば自分を見ていればわかりますが、人はその場その場で心は変わります。そんな周りの全ての人たちの欲求には応えられそうもありません。それを続けるとやがて自分がコントロールできなくなりパニックになります。そして『疲れた〜』と全てを投げ出したくなり『世間の人なんてこんなものよ!』と皮肉的になり、人間関係が単調でつまらないことに思え、自分の世界に引きこもりがちになってしまいます。人を変えようとしてもうまくはいきません。変えようと頑張れば頑張るほど相手は逃げます。自分の子どもでもそうですね。だったら自分の考え方を変えるしかありません。切り替えです^^相手のせいばかりにしていると、ストレスがたまりわかってくれそうな人に愚痴りそれでも解消されず、不満感がつのるでしょう。人は鏡だなぁ〜とつくづく思います。『あれも、これもイヤだ〜皆が私が思っているように思うべき!』という子どものハートの自分を映しだしてくれます。映し出された時にどうするか。。。。すべての出来事は新しい体験です。学んでいるのですね。体験をどうとらえるかで、毎日の生活は違ってきます。『気持ちはこころの中に存在する正直な気持ち。感情は自分の力ではコントロールできない心の奥底から湧き上がってくるもの』と以前の日記で「東田直樹」さんの言葉を書きました。自分の気持ちはそのままで、相手や自分の感情に巻き込まれなければいいのですね。そのためにはこの世界はいろんな人たちが生きていて多種多様な世界なんだ、といことを知るのは大切です。多種多様であるということはそれだけ変化に富んでいるということです。多様さを楽しむこともできるわけです。探検する楽しさがあります^^楽しめなくなったときは、自分になにかとらわれがあるときなんだと思います。そういうときは深呼吸。一息つくと冷静になれます。この出来事が自分を育ててくれている・・・の気持ちをもつと前向きになれます。変化の無い世界ってつまらないですね^^という私もなかなかハードな学習を日々させられています 。。。
2013.09.11
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明けがた「キュル、キュル、キェッ、キェッ」「ダー、ズズズ〜!」という音で目覚めた。丑の刻を過ぎた午前4時頃。寝ている時によく物音がする家なので、最初はあまり気にしてなかったのですが今朝のはちょっと違う。起き上がり窓の外をみた。まだ暗い外には何もない・・・と思ったらなにやら視線を感じたのである。感じる方に眼を転じると光る2つの眼!もっと見ようと網戸を開けた。そこには小動物が!じっと私を見ている!はたと見つめ合い、その小動物が私に向って飛び込んでくる・・と感じたので窓を閉めた。「はぁ、はぁ、ドキドキ!」カメラを取りに行き, 戻り、そーと覗いてみるともういない。まだ薄暗い朝だというのにカラスが「カァカァ・・」と鳴いていた。 これは昨日の出来事です。ハクビシンはここらへんに生息していて、完熟を楽しみにしていた庭のトマトを食べられる事件はありました。でもネットの写真を見るとちょっと違う雰囲気でした。そこで近所の八百屋さんでリサーチ。ハクビシンは鼻に白い筋があるとのこと。私が見たものにはなし。更に話し込むとここら辺りには「ムササビ」もまれに出現するとのこと。ネットで調べると私が見たものはこれでした。 ムササビ(ネットから) 私と見つめ合ったのはまさにこの眼です!体長60cm位でした。飛んでくる!と感じたのは正しい感覚でした^^襲われる!とは感じませんでした。むしろ「助けて〜!」と訴えている 感じでした。カラスに襲われていたのでしょうか。。。ここはやっぱり森の一部。私たちはそこに住まわせてもらっているのですね。周りの畑をみるとイノシシから作物を守るための柵が張られ、アミガかぶせられています。私はまだ見たことがありませんが、大型のイノシシもミミズや百合の根をを求め里に下りてくるそうで、目撃した住民は怖かった、と言ってます。猿、ハクビシン、狸、ムササビ、まさに野生動物の宝庫です^^今のところ、ここでは 微妙なバランスを保って共存がうまくいっているようです。野生の動物の目撃はドキドキしますが、いつも新鮮な体験ですね^^ 昨夜もムササビの来訪がありました(^^)/ 山に戻るように、意識を送ってみます^^
2013.09.05
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。。。。。気持ちはこころの中に存在する正直な言葉。一方感情は自分の力ではコントロールできないもので、心の奥から湧き上がってくるものです。感情の揺れが大きいと、自分の中では抱えきれなくなってしまいます。 本当は気持ちのまま行動したいのに、脳の機能がうまく働かないのか、自分の言動がコントロールできず混乱します。この混乱の時に出てくるのが感情だと考えています。 『続・自閉症の僕が飛び跳ねる理由』から抜粋最近、ある方が紹介されていたサイトを読ませていただいて、この本を知りました。内容に強く惹かれて本を購入。素晴らしいメッセージがちりばめられている本でした。上記はその本からの抜粋です。著者の東田直樹さんは、通信制高校のセルフコースで学んでいる高校生です。会話が出来ない重度の自閉症の障害を持っています。他の人には理解が難しい行動の数々をこの本の中では簡潔な言葉で率直に説明しています。感動について語られていますが、(以下、本文より抜粋)。。。。。僕は自然でも人が造ったものでも、その素晴らしさに圧倒されるのです。その場にいてもたってもいられないくらい感動します。 今年もたくさんの桜が咲きました。僕は公園に行っても、満開に咲く花を視界の端っこに少し入れるだけです。そうしなければ、あまりの美しさに僕の気持ちは崩れてしまうからです。 変わらない幸福というものがあるとしたら、繰り返される命の輝きではないかと僕は思っています。 抜粋終わり ゴッホの描く絵を見るといつも不思議な気持ちになりますが、ゴッホには風景があのように見えていたらしいです。自然の樹や草花が放つ気が見えていたのですね。もしゴッホが自分の見ている世界が本当だと理解していたら、そして周りの人々に理解されていたら、あのような悲惨な最期にはならなかったことでしょう。人と接する機会が増えている私の実感でもありますが、弱い人、強い人、独りよがりな人、皆それぞれ違う価値観を持っています。 野生の動物の世界では弱いものは生き残れません。ですが私たちは様々な人の間にあって、互いの違いを尊重し、認め合い助け合うことで、いのちを繋いできました。最後に人間愛とは、人間が人間であることを誇りに思うことではないでしょうか。自分を相手に置き換えて物事を考えることができたり、かわいそうな人を見るとほうってはおけない気持ちになったりするのも心があるからです。心にある良心は、それがなければ人間が存続できないものなのだと思います。・・・・・省略 人が愛を大切にしているのは、愛こそが全ての問題を解決するキーワードだと知っているからです。人間が求め続ける愛の理想は「共存」ではないでしょうか。 抜粋終わりこの言葉に心から共感しました。メッセージの一つ一つが深い知恵の言葉であり、より良く生きるためのヒントに溢れ、勇気が湧いてくる素晴らしい本です。 是非、読んでみて下さい。 ☆「続・自閉症の僕が飛び跳ねる理由』☆
2013.08.23
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7月18日から2週間、フランスに行っていました。今回は3回目で最初に行ったのは2009年のことでした。期せずして1年おきに、ということになりました。フランスには若い頃インドで出会ったチベット仏教のリンポチェのご一家がお住まいです。お2人のリンポチェを中心にご家族や活動をサポートしている人たちが周りに住んでいます。 多感な時期にチベット仏教の教えに触れたことはその後の心理的に紆余曲折があった人生の舵取りのために大いに役立ち、助けられました。フランスでは毎年サマーセミナーが開かれ、世界中から仏教を学んでいる老若男女が集まってきます。一週間のセミナーに延べ人数700人以上という大所帯です。主婦から実業家、医師、大学で教鞭をとっている人、研究者など多種多様です。大学の講義を受けているような雰囲気で毎日朝9時から夜8時くらいまでお2人のリンポチェが交代に講義をします。 学校、社会での虐め、家庭での虐待、あるいは親の愛情の欠如などで、どこかで精神的に傷を負った人、もしくは今でも傷ついている人が非常に多いのが現状です。競争社会での心身の疲労、劣等感も増えつつあります。こうした 自分の心の傷をきちんと癒し、真の安らぎを得るのは仏教的なアプローチが有効だと私は思います。しかし、だからといって教団に高いお金を払ったり、グルを崇拝することではけっしてありません。こうしたことは他の人に自分を明け渡すことになり、新たな依存を生じさせます。仏教を学ぶということは自分自身で自分の心を癒していく、有効な一つの方法だと思うのです。こうして自分が癒されてはじめて、次は他の人に向けてぶれない心で愛を向けることが出来るようになるのではないかな〜と思います。ということで、フランスでのセミナー参加を決めました。今回、旅立つにあたり2つのことを決めました。 *なるべく人の手を煩わせない *自意識過剰にならない一見、当たり前のことと思われますが、フランス語が全くダメな私には、目的地にたどり着くまでが大仕事。どことなく人頼りになります。これでは自立していることになりません(><) 最寄りの駅からは足がありませんのでここからは友人に迎えにきてもらうしかないのですが、ここまでは自力。なにがあっても落ち着いて対処.......を決め友人たちにメールを送り前準備の情報集めに日夜励みました^^自意識・・・過剰な自意識は自分の心の要求に素直に従えなくなります。自分をいったん捨て去ると楽なんですね。ひっそりと出来て心地よいのです^^身構えることがなくなり、他の人とのコミュニケーションもスムースになります。逆に自意識が『私が、私が・・・』と囁きだすと色々な感情がうごめきだすのです。いつも緊張している状態になります。 ちょっとだけ『我』をひっこめコアにいると周りが見えだします。すると状況が自分の手のうちにある、という感覚がうまれてきます。自由な感じです。今回の旅ではこの2つのことを実行しました。結果、大きくぶれることなく心安らかにセミナーに参加でき、滞在中も人々の過分な親切を受け、無事に帰国することが出来ました。小さな試みであっても私にとっては大きな学びでした。これからも私の旅は続きます。実際の旅であったり、心の旅であったり・・・ どんな経験も無駄はないことがわかりました。もし今、大変な想いをしている人がいたら、その経験が自分の成長に欠かせない体験であったことが後にわかるでしょう。心ををひも解くサイエンスとしての仏教。知れば知るほど奥が深いです^^
2013.08.03
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お知らせ 東京の真ん中にある青山善光寺 ゆったりとした広い空間、東京都心とは思えません。この日は空も青く澄み切っていました。お隣に教会の屋根がみえますね^^ここをお借りして、チベット仏教高僧ゾンサル・ケンツェ・リンポチェの講演会がが開催されます。リンポチェは日本でも公開され話題となった映画『ザ・カップ:夢のアンテナ(1999)』をはじめ数々の映画製者として有名で、80年代以降、何度も日本を訪れており、日本文化への造詣が深いこともよく知られています。<リンポチェの日本へのメッセージ>とお知らせ私たちは、高度な知識、政治制度、テクノロジー、経済、そして遠距離通信といったすべてを手にしたにもかかわらず、これまで以上に苦しみから逃れられないでいる。悲しみや痛みからの解決策をいつも自分の外に求めるのではなく、心の内なる世界へ意識を向け、黙想する機会を自分自身に与えてみてはどうだろう。 ーゾンサル・ケンツェ・リンポチェから日本へのメッセージー日時等をお知らせします。○講演内容 『初めての仏教』○講演日程 8月9日 (金) 開場 18:00 開始 18:30ー終了 20:308月10日 (土) 午前: 開場 9:00、開始 9:30-終了 12:00 午後: 開場14:00、開始 14:00-終了 17:00 8月11日 (日) 午前:開場 9:00 開始 9:30ー終了 12:00 午後:開場 14:00 開始 14:30ー終了 17:00○会場 南命山 善光寺(青山善光寺)○参加費 お志 詳しくは下記のHPにて 『シッダールタズ・インテント.ジャパン』 私は過去に2回リンポチェの講演に行きました。気さくな方ではありますが、ティーチングの内容は、生まれてからチベット仏教の伝統に基づいて修行を積んでこられたリンポチェならではの深い教えでした。仏陀はいつも質素な身なりをしていました。それは華美を排すことでもありますが、それだけではなく『人々にきれいな心を生起させるから』と教えてくれました。そして、時にチベット仏教のタンカ(絵)に描かれる大日如来や様々な仏さまは豪華で美しい衣装を身にまとっています。それは、仏教えの先入観を壊すためでもあるそうです。以上は2年前の講演でお話の一部ですが、私たちがもってしまう先入観や思い込みは物事を正しく理解することを阻害し、自由で柔軟なものの捉え方ができなくなる所以です。不自由ですね。リンポチェのお話は、意外性があり、私が日ごろ持っているものの見方のフレームを変えるものでした。さて今年はどんなお話をして下さるのか、楽しみです^^つけ加えですが、もう4、5日でフランスに出発です。フランスでのチベット仏教のリトリートに参加のためですが、2年ぶりなので懐かしい 友人やチベット人ファミリーとの再会が楽しみです^^リトリートそのものは、フランスも猛暑のようで、体力 、気力に不安があります (≧∇≦) 頑張ります^^
2013.07.13
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いつも多くの気づきと情報をいただいているTEDの動画です。リタ・ピアソン『全ての子どもに強い味方を』 40年の教師経験の中で、リタ・ピアソンにこう言った同僚がいました。「子どもを好きになる手当ては貰っていない」。それに対し彼女は「子どもは嫌いな人から学ばない」と反論します。教育者に向けて、生徒たちを信じ、生徒たちと実際に人間同士のつながりを持つ大切さを語った熱いメッセージです。 ☆〜〜〜〜〜☆ ☆ ☆ ☆ ☆〜〜〜〜〜☆ 未来を担う子どもを育てるのは、責任重大!教育現場での先生の役割は知識を教えるのみならず、子ども達の心を育てることでもあります。過去に先生をしていた経験から言えることですが、残念ながらすべての教師がリタ先生のようではありません。『私はこんなステキな先生に学ぶことができな かった。もし私がリタ先生のような人に出会っていたならばどんなに勇気をもらえただろう!!』 と思われるかもしれません。実は私も小学生、中学生のときの先生は殆ど記憶にありません。先生との繋がりが希薄だったのですね。でもただ一人、中学時代の部活の先生を覚えてます。中学時代、私は体操部に所属してました。体操で国体にまで出場した姉に憧れて。あまり向いてはいなかったようで最後までバク転(必須)は出来なくていつも泣きの涙(苦笑)それでも体操という競技を楽しみながら続けられたのは、先生の 『あなた達はステキ!』 『できるようになるわよ!』 と言い続けてくれました。 普段忘れていても、新しい物事を始めようとする時や自信がなくなったときに、この先生の笑顔と言葉が浮かんできます。 リタ先生の言葉あなた達は選ばれてこのクラスに来た!私は重要、もともと重要だったけど、もっと重要な人間になる私には力がある!私は強い!私はここで学ぶに値し、やることがある!感銘を与える相手がいて、行く場所もある!言い続けていると血肉になってくるものです。 子どもって暖かい繋がりを求めているものなのです。そして私たち大人もお互いの違いを認め、それでも繋がっているという感覚が大切です。なにはあっても人生が彩り豊かで、イキイキと展開したらそれはステキですね^^***リタ先生はこのスピーチのあとに他界されたようです。***素晴らしいスピーチです。インスパイアーされました。 是非ご覧ください。
2013.07.01
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ひとりでに笑みがこぼれてきますけなされるとしょんぼり....褒められると得意になる....それは自然な感情・・とばかりは言っていられない。そんな私に 今朝ズシンと心に響いてきた言葉人との比較はおいといて、自分の信じる道を行こう〜!と思った朝^^ 飽くことなく与え続けてください。しかし、残り物を与えないで下さい。痛みを感じるまでに、自分が傷つくほどに与えつくしてください。平和は微笑みから始まります。1日5回あなたが本当は笑顔を見せたくない人に微笑みかけなさい。それを平和のためにするのです。健康な人やお金持ちは、どんなウソでもいえます。餓えた人、貧しい人は、にぎりあった手、見つめ合う視線に、ほんとうに言いたかったことをこめるのです。もし私たちが謙虚ならば、ほめられようと、けなされようと、私たちは気にしません。 (マザー・テレサ)
2013.06.23
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☆〜愛されるために人はうまれてきた〜☆このサボテンの花のようなモンゴルの子ども達に食べてもらいたくて、パウンドケーキを作りました。マンホールで生活していた子どもたちが、モンゴルの『太陽のこどもたち』という孤児院に引き取られ、愛情あふれるケアをされ、音楽に演技に、学問に見事に一人ひとりの才能を開花しています。3年前にこの子ども達に出会って、その天真爛漫さ、人を思いやる優しさ、心のこもった礼儀正しさ、なによりこうして生きているのが嬉しい!という喜びが全身から溢れている一人ひとりの子ども達に心をうたれました。劣悪な環境の中で暮らしていた子どもたちがここまで健やかに成長できたのは奇跡です。孤児院では最初、子どもたちを徹底して受け入れ、愛情をかけるのだそうです。今日、この子達に再び会える!ワクワクしてます!みなさんも会えますよ〜本日『6月20日』 15時〜 *『太陽のこどもたち』を創ったエルディナさんと実 際に孤児院を訪れた品愚上人のお話* 子ども達によるミニコンサート場所 *本應寺(ほんのう寺) 京王線:下高井戸下車徒歩5分(甲州街道側です)TEL 03-3321-7860
2013.06.20
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さくらんぼ^^ ドロシー・ロー・ノルトさんの『子どもが育つ魔法の言葉』の中で子どもたちはこうして生き方を学びます、という一文があります。長いのですが引用しますね☆子ども達は、こうして生き方を学びます。批判ばかり受けて育った子は、人をけなすようになります。いがみあう家庭で育った子は、人と争うようになります。怖れのある家庭で育った子は。びくびくするようになります。かわいそうだと哀れんで育てられた子は、自分が哀れな人間だと思うようになります。ひやかしを受けて育った子は、はにかみ屋になります。親が他人に対して嫉妬ばかりしていると、子どもも人をうらやむようになります。侮辱したりけなしたりされて育った子は、自分に自信を持てなくなります。励まされて育った子は、我慢することを学びます。ほめられて育った子は、感謝することを学びます。心から受け入れられて育った子は愛することを学びます。認められて育った子は、自分が好きになります。子どものなしとげたことを認めてあげれば、目的を持つことの素晴らしさを学びます。分かち合う家庭で育った子は、思いやりを学びます。認められて育った子は、自分が好きになります。正直な家庭で育った子は、誠実であることの大切さを学びます。公正明大な育った子は、正義を学びます。やさしさと、思いやりのある家庭で育った子は、他人を尊敬することを学びます。安心できる家庭で育った子は、自らを信じ、人をも信じられるようになります。和気あいあいとした家庭で育った子は、この世の中はいいところだと思えるようになります。 先日、ある方のセミナーで出会ってお友達になった人がいます。その人に『なぜセミナーに参加したの?』 と訊きました。すると、彼女はいともシンプルに『自分を知りたいから〜』と笑いながら言いました。私は、自分の仕事に役立てたい、とか他の人理解に役立てたいから・・・という答えを予想していました。自分を知る・・・これってなかなか難しいですね。案外自分は見えぬもの〜です。でもなにか手がかりがあれば助けになりますある出来事に対して、ネガティブな反応が強く出る時、それは触れられたくない過去の傷がそうさせるのですね。自分がどんなふうに育ったか、を観ると合点がいったりしますね。知ってしまえばなーんだ犯人は『これ〜!』 ということになり、ピンポイントで癒すことができます^^子どもは全身で家庭の雰囲気を感じ取っています。私たちはかつては子どもでした。そして親もかつては子どもです。私たちはめぐりめぐるサークルのなかにいて、自分を知ることで新しいサークルのはじまりとなることができるのです。ドロシーさんのあたたかい言葉がそれを教えてくれます^^
2013.06.18
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Mind Full (こころがいっぱい)Mindfull (注意する、気づいている)Mind とfull の間にスペースがあるか、ないかで意味がぜんぜん違ってて面白いですねマインドフルの時は 誰かと話していても話してない..... 景色を眺めていても眺めてない...... 何かを食べていても食べてない......心ここにあらずだから.....こころが空っぽなのではなく、たくさんの想いがつ まってる状態です(イラストのように) マインドフルの状態は こころの風通しがいいということ見るもの、聞くもの、触れるもの、味あうもの 、感覚がそのままストレートに入 るスペースができるいつも自分が何をしているか、何処にいるかに気づいていることそうすればいつも平和の心の状態でいられる混乱や惑いからも自由でいられる 流れの先にあるものは? Mind fullの状態になったらいったん全てを手放そう! 〜自分のことをあれこれ心配するのをやめ、流れに身をゆだねてごらん。 肩から力を抜きリラックスし、今、あるがままの 自分を感じるのだ あれこれ心に生じる想いは、結局はエゴの為せるわざなのだから〜 * ある先人の言葉 * いつもマインドフルでいるのはなかなか難しいですね。 先人が教えてくれているように、思考をストップするには、日常での作業を心を こめてすることが有効のようです^^ 自分が今どこにいて、何をしているか・・・に気づいていることはやってみると 簡単なようで、案外難しいです でも、それを習慣になれば、必要なインスピレーションが湧いてきます。 心ここにあらず....の状態になってしまいがちな私は、これを日々の努力目標にしています^^
2013.06.12
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ハート雲 日記の書き込みが出来ませんでした来客があったり、小さな旅をしていたりでまとまった時間がとれませんでした私にとって書く、ということはそれなりに集中力が必要でサラッと書けないのです(^^; 気軽にサラッと書けるようにしたいなぁ〜とは思いますがこれがなかなか難しい・・今日のテーマは『感動』です感動は心の扉を開き、直感やひらめき得たり、更に幸せな気持ちになる入り口だと思うのです。一方感動の反対語は退屈、さめていることだったりします人は落ち込んだ時、落ち込んでいる自分しか見えなくなります。何をしても今の状態は変わらない、と思いがちです。でも落ち込んでいる時にも好きな本を読んだり、美味しいものを食べて楽しんだり、友人とおしゃべりしたりできる多種多様な自分がいますよね?だから、問題を無理に忘れようと感情に蓋をすることをせずに、なにか他のことで気を紛らわすこともできるはずです気を紛らす=頭の切り替えです 気を紛らすのは、落ち込んでいる自分に焦点をあてるのではなく、他の面の自分を楽しむことだと思うのです 脳は新しいことを好む性質があるそうです。停滞を望まないのですね。 音楽を聴く演奏する、絵を描く、踊る、本を読む、自然の中に入り自分を預けてみる、などなど・・・頭の切り替えが多様であればあるほど、自分のなかに本当の強さが育ってくるようです。脱線してしまいましたが、感動はそうした中から生まれてくるのですね。私は今、写真を撮ることに夢中です^^時には過去の嫌な出来事や失敗したことが心の中に浮かび、油断しているとその中にどっぷり!なんてこともありました(苦笑)そんな時今は、私はカメラを片手に外に出ます 小さな小さなお花をファインダーから覗き込んでいると、その植物が語りかけてくるような気がして愛おしい気持ちになります動き回る昆虫達も追いかけて写真を撮ります^^虫たちを愛おしく感じますいつも本当に美しいな、と感動します! 感動する気持ち(ポジティブ)がでたら、きちんと自身の問題に向き合えると思いますし、思い込みや決めつけから自由になれる、と思うのです写真ですが、最初は気を紛らす行動であったのかもしれませんが、今では趣味と言えるレベルにまで達しました(笑)やっと〜!^^アップしたビデオはパブアニューギニアの<蛍の木>です幻想的な美しさに感動しました。 良かったらみてくださいね^^
2013.06.01
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今日はここへ行ってきましたさてどこでしょう^^自宅を早朝5時30分に出、目的地に到着したのは9時30分ですこの人に学びたい!という想いで頑張りました^^10時から12時までの2時間のセミナーです 『たった2時間のために遠路はるばる??』 と、申し込んだものの前日まで正直迷っていました 実は迷い事はもう一つあって、こちらも迷い迷いで〜煮詰まっていて昨日は迷いのなかにいました(笑)そして昨日の夕方!『えぃ!ままよ!』とばかりに実行!チケットを買いに走りましたそうしたらなにかが外れたようにエネルギーが流れ出し、淀んでいた泥水が押し流された爽快感が身体に走りすっきりしてきましたそして今日の早朝に出かけたのです セミナーに参加して、私が知りたかったことや今の私に必要な情報が満載で目からうろこが何枚も落ちました(笑)もし、止めていたら依然としてすっきりしない気分で一日を過ごしたことでしょうそしてカウンセリングに来て下さる方々 還元することも出来なかったでしょう さらに、申し込んだのに実行できなかった自分を責め、自信喪失に陥っていたことでしょう もう一つの迷い事も、実行することにより自分のなかできちんとけじめを付けることができました。今回、『迷う〜葛藤、心配』することにより、自分の怖れにきちんと対峙することが出来ました 迷い、心配は怖れからなのですねもちろん危険回避も必要ですが、実際には起こってないことを怖れ、行動することを止めてしまう。これは損です。まず行動してみることって大切です。 今日の神戸はからりと晴れ上がり、初夏のようで暑かったのですが、友人とランチを食べながらおしゃべりをしとても清々しい一日を過ごせました^^追加ですが、ショルダーバッグ一つでプチ旅をするのは気楽ですね〜今度の旅行からは荷物を減らそうと思いました^^ 山でつかまったお猿さん?と思いきや 芸をするお猿さんです
2013.05.18
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期せずして母の日にこの記事をアップできるのは喜びです。吉福伸逸さんという方が先日お亡くなりになりました。思想家でありセラピスト、また翻訳も手がけ多くの海外の良書を訳されました。後年はハワイに居を移し、現地でサーフィンのイベントを企画なさったりし、多くの人々に影響をあたえた方です。何年も前に私も一度だけ講演会にいきました。ブリージングに興味があり確かそのようなお話だったと思います。飾り気のない飄々とした風貌で、話されることは明確、鋭い直感力を感じました。笑顔が優しくて、小さな講演会でしたがリラックスしてその場にいることができたことを覚えています。 下記は吉福さんに出会った方の吉福さんとの「思い出」を綴った文章です。そのまま書き写させていただきました。 ☆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー☆ 子どもが生まれてすぐに育児ノイローゼになった私は、長い間、息子のことが大嫌いでした。独身時代、子どもが大好きだったのに・・自分の子が好きになれない...母親失格だな・・10年近く自分を責めていました。そんな時に出会ったのが吉福さんでした。はじめて出会った時、防衛的で自分のことを話さない私が「自分の子どものことが嫌いなんです」と、なぜか吉福さんには正直に話してました。きっと無意識のうちに「この人なら自分のことを話せる。話したい。」と思えたのでしょうね。すると吉福さんは 私を真っすぐに見て、「あのね、お母さんてね、あふれる愛情があるんだよ。」といいました。私は「わからない 。私には愛情がない。」と答えると、もう一度吉福さんは「あのね、お母さんてね、あふれる愛情があるんだよ。わかるかい?」といいました。吉福さんの声はとても深くて、私の心の中に響きました。「私にも愛情があるのかも・・・」そう思えた瞬間でした。その後しばらくして、私は長男が大好きだったということに気づきました。そして私のターニングポイントになりました。今でもその時のことをはっきりとおもいだします。 本当に出会えて良かった。人の暖かさが人を変えるんだと教わりました。吉福さんのような深い人になりたいな.....これからもそう思い続けていきます。 ☆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー☆ この方の長年の深い悲しみが一瞬で癒されたのです。優れたセラピストである、ということはその人の全身から発せられる何かがあるのだ、ということがわかります。相手を説得しようとはせず、ただ自分の確信を愛情を込めて話す・・・この方は吉福さんの全身から発せられる暖かさを感じたのですね。 私も吉福さんのようになりたい、と思いました。 ☆吉福さんのご冥福を心からお祈りします☆
2013.05.12
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特殊な撮影方法で写された花のオーラ(ネットから) ゴールデンウィーク中は晴天続きでした。起床時に明るく暖かいお陽さまがでていると、嬉しくなって気分も最高の状態になります昨年はこの時期に体調を崩し、庭もほったらかしで気になっていたので、お陽さまに励まされ小さな畑に野菜の苗を植えましたカラフルな小さな花で早春の日々を楽しませてくれた小さなお花たちも今や種になりました雑草と言う植物はない、というけれど庭を整えるために引き抜きました何にも考えずに夢中で土と格闘しました(笑)そうしたら、どんどんエネルギーが湧いてきました。次の日も次の日も朝がくるのが待ち遠しくてただただ土をいじりました^^大袈裟かも知れないけれど、生きてるっていいな〜!と思いましたそして心に憂いがない状態の素晴らしさをおもいました生きていれば様々な問題が生じてきます。早急に解決しなければならない問題もあります。問題を認識し解決しようとする努力はすることは大切なこと。ですが、その問題で心を煩わせてはいけないのです反省すべきは潔く反省し、自分を責めたり、他を責めたり暗い想いにとらわれないことなんですね人との間で疲れたら距離をおけばいい。下手に悩まないこと、引きずらないこと。そのためには自然に分け入り、たんたんといのちを繋いでいく営みに同調することなんだな〜美しいものを愛でて、素直に生きている人たちの仲間にいれてもらうこと ......それが一番の癒しになるすごい現実的な言葉ではあるけれど 自然の癒しはセラピーを受けるより安価です自然は偉大な癒し手ですね^^ 自然を心の中に取り入れれば取り入れるほど、元気になれる情緒を育て、真の思いやり(右脳の働き)を育ててくれる自然に感謝です自然は考え込まない(左脳の働き)レッスンを 無料でしてくれます^^
2013.05.10
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アケビの花 長い間日記を書いていませんでした最終日記が4月14日・・・その後お友達が来訪、食事会に出かけ、そして宮城県への3日間の小さな旅〜となにかと忙しかったのです旅の後、さぁ〜日常に戻ろう!日記も書きたい!と気持ちがはやりましたでも、なにかがおかしい??エネルギーが一切湧いてこないのです具合が悪いわけでもないのに・・・と思ってましたそのうち悪寒が走り、熱が上がり始めました長ーく治りにくい風邪のはじまりでしたエネルギーの枯渇状態は疲れから来る風邪のせいでした。これに気づかず心の状態ばかりに注目し、自己分析をしていました落ち込むばかりでした。参りました(><) 自信がなくなり、物事を否定的にしか考えられず、『どうしたの〜私!』状態でした本を読むことも、出かけることも、食べることも出来ず、何かをして回復を図る、それも一切あきらめ、ただただ眠り続け回復を待ちました 一昨日くらいからやっと、やっと、回復の兆しがでて今日は完全に復活しました(^^)/嬉しい〜嬉しい〜心の底から喜びが湧いてきます 身体を無視し夜更かし、暴食、好き勝手にしてきたつけが回ったのですね。私は大丈夫!と過信し、<心>ばかりに焦点を当て身体のことを考えてきませんでした当たり前のことがわかってなかったのですね(^^; 自然回復力に感謝し、生かされていることに感謝します。身体を大切にし、養うことは大切ですね今、外の全てが輝いてみえます。朝日に照らされ輝いている山の木々の葉、小さな花たち土の中からはミミズや団子虫!生きているんだね〜 この時間を共有できて幸せです!写真は調子が比較的良い日に散歩でみかけた山の植物達ですずいぶん助けられました^^
2013.05.04
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生きるのが怖い・・・涙をうかべてその人は言いました私はその人にたくさんの言葉で語りかけましたそうするしかなかったのです本当にしたかったことは、その人を外に連れ出し森に分け入り、咲き誇っている花々を見、今芽吹きを迎えている木々の葉を見、小さな小さな花々も踏みつけないように歩き、遠くに見える新緑で萌えたつ山々を眺め、清らかに流れる小川に手を浸し・・・自然を感じることでしたもうすぐ蝶がさなぎから孵り、そのきれいな姿をあらわすでしょう晴れた日だけではなく、曇った日も、小雨の日も・・・毎日、毎日 一緒に歩きたいのです最初、その人はなんにも感じない、というでしょう考え事で頭がいっぱいだから.....沈み込む気持ちの方が優勢だから....そんな状態でも、自然との触れ合いが深まるに連れてチャネルが開いていくのです知らず知らずのうちに。 自分で感じようとしなくても自然はその豊かなエネルギーを与えてくれていることに気づき感じるようになります美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものに触れたときの感激を取り戻していきます そこが真の癒しへのスタートポイントだと思います私は気分が落ち込んだ時、近隣を歩いたり、楽に登れる小さな山に行きました。最初は自然に癒してもらおう!なんて意気込んで自然のエネルギーを奪うことに一生懸命でした(笑)でも、意気込めば意気込むほど自然はその真の姿を現してはくれませんでしただんだん散歩がつまらなくなりましたある日、巡る思考に疲れ果ていつもの気負いも出ず、それでも森に出かけましたその時に木々の一枚一枚の葉っぱが輝いて見えました庭の雑草も、小さなすみれも、なにか語りかけているようでした自然ってなんて神秘的なんだろう〜と心から思いました自然からのプレゼントを受け取る準備が出来たサインでした レイチェル・カーソン という人が書き記した 『センス・オブ・ワンダー』の中から引用します ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 人間を越えた存在を認識し、おそれ驚嘆する感性をはぐくみ強めていくこと、にはどのような意義があるのでしょうか。。。。。。わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることは けっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、いきていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見いだすことができると信じます。 地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、い生き生きとした精神力たもちつづけることができるでしょう。 鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、抽象的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレインーー夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさーーのなかには、かぎりなく私たちをいやしてくれるなにかがあるのです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用終わり今私は母を慕うような気持ちで 『自然』に接していますいろいろな出来事で心がかき乱されることがあっても、大丈夫、とやっと思えるようになりましたセンス・オブ・ワンダーをとりもどしつつあります^^生きるのが怖い、と言ったその人に届けてあげたいのです自然は大都会の中にもあるのだから。
2013.04.14
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今日は最高に短いブログです....笑この映画を観ました。とにかく楽しい映画です楽しい映画であると同時に全編に感動しました パラグライダーの事故で首から下がマヒしてしまった富豪フィリップと、そんなフィリップをたまたま介護をすることになった、貧しくても陽気で屈託のない黒人青年ドリス、との心温まるおはなしです洗練されてはいるけれど自らの障害に絶望しているフィリップは、粗野ではあるけれど生き生きとしたなドリスに癒され、出会うはずのない世界を体験し生きることが楽しくなります。またドリスは知らず知らずのうちにフリィップの高い知性に感化され見事な教養を身につけていきます 二人の心が次第に寄り添って行く過程が楽しく笑いを誘います人種の違い、階級の違い、障害の有無が互いの心を寄り添うことで実は存在しない、ことがわかります。また真の癒しについて考えさせられます さて、最後は?ビデオで観て下さいね〜とても希望に溢れた映画です^^ この映画は事実をもとに脚本が書かれ映画化されたそうです。
2013.04.09
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以前のブログにも登場した’ゆったん’のあんよです^^ ぐっすり眠っています。どんな夢をみてるのかな?最近小さなお友達たちがうちに来てくれます。天衣無縫に振る舞う子ども達をみていると飽きることがありません。ママ達は泣いたり笑ったりオイタをしたりの子ども達の活発な生命活動にあたふたしていますが、私からみるとどの子もかわいいです^^子ども達の瞳の奥に命の神秘さをかいま見ることがあります。身近でも聞いたことがありますが、不思議なことを話す子ども達がいます。それは生まれる前の記憶だったり、生れ出るときの記憶だったりします。長女を妊娠中、いよいよ臨月という時逆子になりました。医師に教わった簡単な体操を試みましたがなかなかもとに戻りませんでした。ふっと思い立ったのが話しかけです。毎日毎日『逆さだよ〜このままだと生まれる時に大変だから頭を下にしてね』と話しました。すると出産直前に逆さが治ったのです。このようなことは大抵のお母さんは経験してますね^^母子の関係は生まれる前から深いのですね下記はいつも読んでいるメルマガのコピーです。産婦人科の医師である池川先生と遺伝子スイッチオンの村上和雄 先生との対談の一部です。とても興味深いです記事です。優しい気持ちになります^^ ☆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー☆「親を選んでくる子供たち」 池川明(池川クリニック院長) 『致知』2013年4月号 連載「生命のメッセージ」より 胎内記憶を語る子供たちの中には、例えば「僕はさぁ、雲の上で見ててママのところにビューンて来たんだよ」と、生命が宿る前の中間生や過去生の記憶まで出てくるケースもあるんです。最初に気づいたのは、ある女の子が、女優さんになりたいから、空の上から綺麗なお母さんを選んできたって話しているのを聞いた時です。調べて分かったのは、胎内に宿る前の記憶を持っている子が二十%、五人に一人いたんです。おなかの中の記憶以上に不思議な話ですから、オカルトっぽいし、虐待や中絶をする親はどうなんだといった疑問や反論も受けます。わざわざそんな親を選んでくる子がいるのはおかしいと。こういうことを言うと結構批判を受けるんですが、これまで聞いた話から推測すると、どうもそういう子は、敢えて虐待や中絶をされるためにその親を選んできているようなんです。恨んでいる子は一人もいなくて、みんな「お母さんありがとう」って言うんです。赤ちゃんはお母さんを精いっぱい応援していますし、命を懸けてお母さんを守ろうとしています。そして長い目で見ると、中絶や虐待があったことによって、お母さんや家族が愛情を取り戻したりすることがあるようなんです。あるお母さんは義理のお父さんを恨んでいたそうなんですが、赤ちゃんを流産した後、そのお義父さんが「神様は絶対に悪いことをしないから」と声をかけてくれたそうなんです。実はそのお義父さんは、かつて病気で九死に一生を得た方でした。お母さんはお義父さんの優しさを初めて実感して、家庭が穏やかになったそうです。それからあるお母さんは、自分が子供の頃に虐待を受けて嫌な思いをしたのに、今度は自分が我が子に虐待をしていた。ある時我が子の写真を見たら、目の奥に仏様の慈悲の心が見えてハッとしたそうなんです。すぐ子供にそれまでのことを謝ったら、その子は僅か五歳なんですが「僕はお母さんが分かってくれるって信じていた。 だってお母さんがそうするのは お祖母ちゃんからそうされたからだし、 お祖母ちゃんもそうされてたんだから誰も悪くない。 お母さんが気づいてやめてくれてよかった」って言ったそうなんです。【村上:考えさせられる話ですね。 その母親のように、自分が子供に選ばれたことを自覚すれば、 親子関係は随分変わるでしょう】それは子供にも言えることで、この母親を選んだと思うと親子関係はよくなります。人生が辛かった人も豊かになるんです。 ☆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー☆
2013.04.07
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ゲシュタルトの祈り〈Gestalt prayer〉私は私のことをしますあなたはあなたのことをしてください 私が生きているのはあなたの期待に応えるためではありません あなたもまた、私の期待に応えるために生きているのではありません あなたはあなた、私は私です そして、私たちの心がたまたま触れ合うことがあればそれは最高に素晴らしいことです たとえ触れ合うことがなくてもそれはそれで素晴らしいことです (フレデリック・S・パールズ) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの詩はドイツの精神医学者であり、ゲシュタルト療法の創始者、フレデリック・パールズの詩です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>あるがままを受け入れ、今ここ、に意識を集中することが実は自分を大切にし、愛することになるのですね。自分をきちんと愛することができれば、他の人も愛することができる。それが自立している状態といえます今、私は何を体験しているのだろう?胸が痛んだり、胃がきりきり痛んだり、身体の感覚はなにを訴えているのだろう?今、ここで直感的に感じていることに注意を払い、常に自分とともにいることで自分以外の人に振り回されないで自分を生きることができる私はさまざまに展開する人間関係に疲れ、心が重くなった時に、この言葉にたどり着きました幸せを他の人に預けてしまうのではなく、何はなくとも幸せ!という状態がベストなんですね〜自分が頼りです心が楽になるのを感じます^^ 浜辺で見つけたシーグラス 波にもまれ角の取れたシーグラスきれいですね
2013.03.31
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庭の白モクレン〜いい香りがします 韓国への旅も終わり数日が経ちました。かの地で見聞きしたこと、写真などアップしたいと思っていますが、短い旅行ながらも私の内的世界で繰り広げられた世界がなかなかまとまりません(笑)コムソというところの塩田は、まさに地球の宝 と感じました。このことは次の日記に書きたいと思います。今一番に書きたいことは、成田空港に向うあるパーキングでのできごとです。なんということがないとても小さな出来事です。しかしながら私にとっては、このことが大きな気づきをもたらしてくれました。と、あるパーキングで.......コーヒーを飲もうとスターバックスに入りました。お客さんは男性2人で、サーブする女性と作る人の4人だけでした。いつものようにその女性に注文。そこまではいつもの感じでした。コーヒーが出来上がるのを待ちながらふと、『あれ!いつもの雰囲気と違ってる!』と感じました。ものすごい和やかな雰囲気です。他の男性客2人はとても満ち足りたハッピーな顔をしてました。『何故???』それとなく店内を観察しました。光源を探すかのように・・・・私の眼はサーブしていた女性に 釘付けになりました。『この女性(ひと)だ!』 年の頃は40代半ば? 細身の女性でした。彼女の自然な微笑みを伴った、丁寧な振る舞いがやさしくて、まるでこの人から発せられる柔らかく人を和ませる光線がこの店内中に充ちているかのようでした。母性というのかな・・・男性たちの満ち足りてゆったりとした微笑み の意味がわかりました。もちろん私もこの人から受ける柔らかい慈愛の光線を浴びて、幸せな気分になりました。笑顔だけは作れない・・・と、人の表情を研究しているアメリカの科学者が言っています。作り笑いはわかっちゃう〜ということですね。 なぜならば、眼の周りの筋肉は本当に笑っているときしか動かないからだそうです。心からの微笑み、笑いって素敵ですね^^周りの人々を幸せにする〜彼女は市井の人です。この出来事から一週間経った今もあの雰囲気と彼女の風情の記憶は薄れることがありません。私もこの人のようで在りたいな〜と思います。 これから花開くつぼみ・・希望
2013.03.19
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2年前のこの日、私は東京駅にいました。久しぶりに会う友人と地下街にある日本料理店で昼食を 摂っていました。『地震?』・・・大きく揺れました。最初はいつものようにすぐ終わるだろう、と思って友人と顔を見合わせながら待ちました。止まりませんでした。そのうち、揺れは更に大きくなりました。異変に気づいた私たちは立ち上がり、『とにかくここを出なくては!』と何度も何度も襲ってくる揺れの中急ぎ足で歩き出しました。周りの人々も同じような緊迫した表情で階上へと向いました。あちこち行き交う人々の中を縫うように、ひとまず一階上の地下一階の喫茶店に落ち着きました。その頃は、誰もが非常事態であることに気づいていました。喫茶店にいる間も何度も揺れました。友人は東京駅にいるはずのもう一人の友人を捜しに喫茶店を出、待っている間地下の息苦しさに耐えられなくなった私は外に出ました。外はの高いビルは信じられない揺れ幅で左右に揺れていました。人々は緊迫した表情ながらも落ち着いていました。『一体何が起こっているの?』携帯電話は通じたり通じなかったり・・・電池が少なくなっているのに気づいた私はキヨスクに向いました。そこは長蛇の列。皆、水や私のように携帯用の電池を買い求めようとする人たちでした。私が驚いたのはこのパニック状態の中誰一人として叫んだり、怒鳴ったりしてないいことでした。皆静かに自分の番を待ってました。結局その友人とはそのまま会えなくなり、私は一人、『絶対家に帰る!』 という思いで、数時間タクシィを待つ列につきました。一時間に一台来ればいい方の・・・新幹線が数時間後、新幹線が動き始めたので、タクシィの列を離れ、やっとの思いで、新幹線に乗り新横浜まで。しかし、そこは更に陸の孤島!娘に迎えにきてもらい、帰宅できたのは明け方でした。たくさんのことを目撃しました。助け合う人の善意を強く感じました。普段私たちは、自分のなかにある善意の心に気づいていません。でも、このようなパニック状態で示せる善意があるのだ、ということを信じられました。私たち自身すら気づいていない内に秘めた十分発掘されていない善意・・・それがあることを私は信じます。その日、自身の命をなくされた方々、大事な家族をなくされた方々、家も全てなくされた方々の悲劇は終わっていません。『その人たちの一番必要としている助けってなんだろう?自分に何ができるだろう?』 を今も問い続けています。『どうなりたいか?』をこの惨劇を乗り越えてこそ創る未来を心に思い描くことが大切なのですね。 世の中の平和は、葛藤を見据えての個々人の内側の統合があってこそなのですね。この日の朝思ったことです。惨劇に遭われた人々のために祈ります。私たちの明るい未来のために・・・! (4、5日お隣の国、韓国にでかけます。旅行記帰ってからまとめますね^^)
2013.03.11
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知識で物事を見るのではなく、その対象物をあたかも初めて見るかのような見方をすると意外なことに気づきます知っている、という意識は新しい気づきを阻んでしまうことになるのですね私たちの心はいつも思考していて騒がしいから、時には物事ときちんと向かい合う静寂の時間も必要なんですねいつもフレッシュでイキイキしている人は、この静寂なときを持っている人^^このあっという間に過ぎ去ってしまう貴重な時間 いつも目覚めていたいな〜と思います。エックハルト氏がお花について教えてくれていますが、春になって花が咲くのがますます楽しみになってきました^^動画のミュースキャスター・オペラさんも自然体でとっても素敵です^^
2013.03.03
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就寝の時、暖かい布団に入り一冊の本を取り出し読み始めます。至福のときです^^最近は一冊の本を読み続けるのではなく、決めた本を手にとり頁を開き、開いているそのページを開きます。タロット占いをしているかのように...... 昨日の頁は予言者って、ほんとに不思議ですねある女がアリのもとに来て訴えました子どもが這い出していってしまったんです!わたしは入っていけない用水路の屋根の上なんです!話してもまだコトバが通じない子なんです!この哀れな母親の怖れ、思考力をマヒさせた怖れを想像してみて下さい子どもに乳房をみせて必死に呼び戻そうとしたのです乳房で誘うとはね怖れに飲み込まれると、誰でも直感が働かなくなってしまいますじゃ アリはどうたいおうしたのでしょう?母親の怖れから アリは一歩距離を置き 危険を承知の上でこういいましたお前の子どもと同じ年の子どもを用水路の屋根のところに連れていきまさい母親はアリの言う通りにしましたすると屋根の子どもは 幼い友だちをみて這って戻ってきたのです たとえ絶望と恐怖の淵ににいても、赤ん坊が自ら這って出てきちんと助けられたように、物事はなんとかうまくいくのだ、ということをこのルーミーの詩はユーモラスに教えてくれる。不安になったり、孤独になったりしたときには、ルーミーの詩に触れることで、恐怖は心の表層にあるものにすぎないことに気づけば、また一歩、”その友”に近づくことができるのだろう。というものでした。さて、このことを読んだ私は自分のなかの怖れについて、考えを巡らしそのうちに眠りについたのでした^^昨日の一日のまとめは 『怖れ』についてでしたが、私たちは心に生じる様々な怖れがあることに気が付きます。怖れは直感力を鈍らせ、自分本来の働きが出来にくくします。もしこの母親が、怖れに囚われていなければ、ルーミーのような知恵が自ら出てきたことでしょう。 ルーミーは日本ではあまりなじみのない名前ですね。西洋の方々に愛され書籍もたくさん出ているようです。この本はスコットランド出身で日本在住のエハン・デラヴィさんが書かれたものです。宝石のような教えが私たちの行く道を明るく照らしてくれる教えが満載の素敵な本です。 Rumi・・・ルーミー”その友に出会う旅 エハン・デラヴィ VOICE 刊
2013.02.24
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何年か前、周りの人たちが『ホ・オポノポノ』のことを話題にするので興味を感じ本を読みました。その本の中で、吉本ばななさんのホ・オポノポノとの出会いのことが書かれていました。全文引用するととても長くなってしまうので、要約してみます。吉本ばななさんは小さい頃ものや植物とお話ししているような子どもだったそうです。花瓶が壊れても可哀想だ、と泣き、動物が死んだりしたらお祈りしたり嘆き悲しみ、いらいらした人がいる部屋に入ると頭痛がし、病院に行くといろいろ感じてしまい一日寝込み、悪意にも敏感でいつもびくびくしていたのです。自分の中に小さい友達がいて、その子が喜ぶものを集めて袋に入れて、いつでも持って歩いていました。それは今も変わっていないのですが、小さい頃はいっそうむきだしで、そんなばななさんの成長過程での傷つき具合のことを『私がどんな目にあって生き抜いてきたか想像がつくであろう』と記しています。『人々は皆私を狂っているとか神経質だとか、もう少ししっかりしなさいだとか大丈夫になりなさいだとか、うっとうしいだとか、面倒くさいだとか、繊細過ぎると言った』 ばななさんは生きにくさを自覚し成長過程で周りの言うことを取り入れ少し『現実的』に なってみました。いいこともありましたが、自分のなかの小さな人の叫びから少しだけ逃げました。小さい人の叫びを奥に押し込め、図太い方が生きやすいと........でも、小さい人はどこまでもかぼそく叫び続けました。自分のなかの小さい人を切り捨てようとまでしましたが、その小さい人はうなづきませんでした。そしてばななさんの中の小さな人の『美しい反逆』をはじまりました。人に合わせることがどうしてもできなくなり、『私はあなたがとても好き、でもここが違う、私はこう感じる』 としか言えなくなりました。お互いに傷つき、たくさんの人が離れていきました。その空間にほんとうにわかってくれる人が近づいてきてくれましたが、ばななさんは痛みをむき出しのまま、弱っていったのです。自信も失いました。ばななさんはそうした心の旅路の中で『ホ・オポノポノ』のヒューレン博士の言葉に出会ったのです。こうしてばななさんの新しい試みが始まりました。 〜このあとが知りたい方は ☆ ハワイに伝わる癒しの秘法:みんなが幸せになる ホ・オポノポノ イハレアカラ・ヒョーレン著(インタビュー) 徳間書店刊〜を読んでみて下さいね。ばななさんの癒しの過程で起こる気づきが興味深いです。私が要約した吉本ばななさんの文章の要約はこの本の126頁〜130頁までです。心のリハビリの方法は人それぞれで合う合わないがあり、やり方が違っていると思います。6歳までのハートが全開(潜在意識になんの書き込みがない状態)以後に周りの大人の一言、または親の口癖などで身に付いてしまったことが思い込みみとなり、自分自信でも理解できない思考や言動の隠された動機になっていることに気づくことが大切なのですね。自分のなかに小さな自分を見つけたら、全部肯定し、育てていく技法を考える。それが本当の自分に戻れる道なのかもしれませんね。私は吉本ばななさんの最近の作品が好きです。ものの見方、感じ方が一方ではなく幾重にも重なる美しい織物を観ているかのような豊かさを感じるからです。それはばななさんだけではなく、私たちの中に豊かに息づいているいのちが息を吹き返すことなのではないでしょうか^^ 庭の白いモクレンのつぼみもふくらんで春が来るのを 心待ちにしています^^
2013.02.19
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心に陽が射す瞬間エステティシャン、今野 華都子さんのブログです。 今野華都子 さんとおっしゃる方がいらっしゃいます。ずーと以前にその当時はまだ本屋さんに足しげく通っていた頃、惹かれるものを感じて、この人の本を手にしていました。タイトルが『顔を洗うこと心を洗うこと』でした。40歳を過ぎて世界のエステティシャンの大会で優勝した方です。ご自身が、訪れる人々の顔を洗って差し上げることで、された人に癒しが起こるのは、心を込めて、祈りを込めて洗顔するから、施術される方々は癒されるのでしょうね。それは言葉では伝わらない、癒しの深さなのですね。今野さんの書かれたブログですが、日頃悩みからの解放を求める人々と接することがある私には深く心に響きました。もちろん、私自身にも^^ なにによって癒されるかは、その人その人で違うわけですが、知らず知らずのうちに外側ばかりに視線が注がれ、人と較べて出来ない自分を責めたり、自己嫌悪に陥ったりに、ついなってしまう自分がいかにそうしたことで疲れてしまっているかがわかる......そんな自分が愛おしく思うことも大切なことなんだな〜と思います。 動画のアップも重なりますが、同じようなテーマかな〜どちらも愛を込めてタッチすることなんですね^^自分自身を大切に愛することはセルフヒーリングの 大切な要素です。自分を甘やかすことにならないかな・・・・? エゴがさせている行動は怒りや、不満感が伴うのでわかるものです(^^; アップできているといいのですが.... 赤ちゃんの産湯
2013.02.13
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シャスタ山 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜あなたが生活のためになにをしているかは、どうでもいいことです。私はあなたが何に憧れ、どんな夢に挑戦するのかを知りたいと思います。 あなたが何歳かということも関係ないことです。あなたが愛や夢や冒険のためにどれだけ自分を賭けることができるか知りたいのです。 あなたがどの星座に生まれたかということもどうでもいいことです。あなたが本当に深い悲しみを知っているか、人生の裏切りにさらされたことがあるか、それによって傷つくのが怖いばかりに心を閉ざしていないかを知りたいのです。 あなたが、自分のものであれ、痛みを無視したり、簡単に片付けてたりせずにそれをじぶんのものとして受け止めているかどうかを知りたいのです。 また喜びの時は、それがわたしのものであれ、あなたのものであれ、心から喜び、夢中になって踊り、恍惚感に全身をゆだねることができるかを知りたいのです。気をつけろとか、現実的になれとか、たいしたことはことはないさなどと言わずに。 私はあなたの話すことが本当かどうかには関心はありません。私はあなたが自分自身に正直であるためには、他人を失望させることでさえあえてすることができるかどうかを知りたいのです。 たとえ裏切りだと責められても、自分自身の魂を裏切るよりはその批判に耐える方を選ぶことができるかどうかを。たとえ不実だと言われても、そんな時にあなたがどうするかによって、あなたという人が信頼に値するかどうかを知りたいのです。 私はあなたが本当の美がわかるかを知りたいのです。それが見た目には美しみえない時でも、毎日そこから本当に美しいものを人生にくみ上げることができるかどうかを。 私は、あなたがたとえ失敗しても、それを受け止めてともに生きることがどうか、それでも湖の縁に立ち、銀色に輝く満月に向かってイエスと叫ぶことができるかどうかを知りたいのです。 あなたがどこに住んでいるか、どれだけお金があるかはどうでもいいことです。それよりも、あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ、どんなに疲れ果てていても、また朝が来れば起き上がり、子どもたちを食べさせるためにしなければならないことをするかどうかを知りたいのです。 あなたが誰を知っているか、あなたがどうしてここにきたかは関係ありません。 わたしとともに決してひるまずに炎の只中にたつことができるかどうかが知りたいのです。 あなたがどこで、何を、誰と勉強したかはどうでもいいことです。私が知りたいのは、皆が見捨ててたった一人になった時、あなたの内側からあなたを支えるものは何かということです。 私はあなたが自分自身としっかり向き合い、その何もない時間の中にいる自分を心から愛しているのかを知りたいと思っているのです。 オライア・マウンテン・ドリーマー (ネイティブ・アメリカンの長老) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 日頃から自分の思っていることを書き言葉で言えなくて、すっかりあきらめて、言うことはない.....なんてうそぶいていました。 でも、今朝ネイティブ.アメリカンの言葉がもたらされた・・・ そう.....言いたかったのはこれ!心の中で散らばっていた言葉の断片がスーと寄せ集められ、完全な言葉となった。 このインディアンの長老の詩は、友人が紹介してくれた世界放浪徒然草からです。 コピペする気になれず、言葉の一つ一つを心に刻みながら書き写しました。 この詩を分かち合いたいと思いました。 先人の知恵に感謝を、そしてこの詩を読まれる方々に心の平安が訪れますように.....
2013.02.04
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宮城 愛さんを知っていますか?愛ちゃんは<草の根的>なライブで歌っている歌姫ですプロフィールによると、小さい頃、都会を離れ、田舎暮らしを始められたご両親に連れられ、より自然に近い生活をしている人のようです。まだライブには行っていませんが、ビデオでも伝わってくる愛ちゃんの歌声、歌詞からこの人の豊かな感性を感じます。豊かな自然の育み、ご両親の深い愛で大切に育てられた地球の申し子ですね^^ 聴いて下さい〜♪ 地球に感謝 ハレルヤ 君がどれだけ悩んでいても ずっと見守られているよ 太陽は愛を注ぎ、風は夢を運ぶ... 君が思っているよずっとこの世界はやさしい.... ♪〜好きな音楽を聴く・・・これも私にとってのセルフケアの一つです〜♪
2013.02.02
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私の住んでいるところは、東京郊外。有名な観光地である山の麓です。辺りには小川が流れ、家の真ん前にはや山々が連なっていて、温度も都心よりは4、5度低く、電車から最寄りの駅に降りたつとひんやりとした冷気を感じるくらい。私は気分が落ちた時の回復方法として、自然の中に入っていくことをしています。自然と言っても林を抜けたところにある集落だったりします。 健康維持のために歩く のではあるけれど、私の場合はこれだけでは『歩こう!』というモチベーションにはならなりません。やはりそこになんでもいいから楽しみの要素を付け加えないと。。。。以前にも行った山の中のカフェに行ってコーヒーを飲む!ときめます。 これもステキな考えに思えます(^^)/ やる気になります。でもそこに行くには往復に1時間はかかる.....コーヒーをゆっくり飲んで30〜40分.....帰りは下りで....トータルでたっぷり2時間あまりです。歩き慣れていない私はちょっと気持ちの萎えは感じますが、デイパックに本、デジカメを入れて出発です...... 日向ぼっこをしている 猫ちゃんにであったり.... びわの花 が咲いているのを見つけたり.......歩き始めてほどなくすると、堂々巡りの思考からいとも簡単に抜け出ている自分を発見します^^☆ 急がずゆっくり歩く☆ 誰とも話さず沈黙を守る(今回は一人なので大丈夫!)☆ できればカミと出逢うつもりで歩く そしてもう一つ付け加えると、☆ 下腹に重心を置くこと。足の裏に大地を感じ、その力強いエネルギーをいただける気がするからです。私たちは自然の生き物であり、自然との接触が少なくなると、幸福感が享受できなくなるという......自然との接触を求めるのは、私たち人間の本質的な欲求<生命、または生命システム>への愛の欲求があるからだそうです。自然の中に行くと癒される、ということはこの欲求が満たされるからかも知れないませんね。。。。。たっぷり2時間の散歩を終えて帰る頃には、心身ともに爽やかになり先ほどまでの思考の迷路から解放されている自分を発見したりするのです^^そんなふうに自分が空っぽになった時にステキなアイディアや、知恵が湧いてくる気がします。都会に住んでいる人も、近くには公園があるはずです。そこでも自然が息づいています。お部屋の中に自然を持ち込むのも方法ですね^^ 家の植物さんたち
2013.01.31
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最近訪れた南伊豆の小さな神社に主・・ビャクシンの木歩く時は☆ ゆっくりとけっして急がずに歩く☆ 誰とも話さず、沈黙を守って歩くこと☆ できれば、カミに出逢うつもりでそれを探しながら歩くこと 神(自分の最も深い関心)というのは、自分の外部と同様に内部にも存在する究極のもので、その本質は自分及び全ての自分たちに、善いもの、美しいもの、愛しいもの、幸せなもの、静かなもの、永遠なもの、真実なもの、等々として現れてくる。逆に言えば、自分の内外を問わず、自分に善いものとして現われ、美しいものとして現われ、愛しいもの、幸せなもの、静かなもの、永遠なもの、真実なものとして現れるものは全て神であり、神の息吹と言えるものである。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。カミという人間の深い喜びについては、これまでも折に触れて記してきたが、僕たちがそれに出遭って心からよかったと思えるものがあれば、それが草であれ、樹木であれ、岩石であれ、海であれ、人であれ、昆虫であれ、ぼくはそれをカミと言う言葉で呼ぶ。 <ここで暮らす楽しみ> 山尾三省 著 野草車 刊 最近の私のテーマは歩くこと。毎日の散歩や用事で外出する時は近隣ならばなるべく歩くようにしている。今、ここでしていることに意識をむける、といことを始めてから、歩く時の意識の持ち方にも注意を払うようになった。そんな時出逢ったが山尾三省さんの本 。気が付いたのは、私はカミと出逢っていた、ということ。歩いていると、 周りの風景だけではなく足元の小さな小さな生き物や花たち、餌をついばむ小鳥たち、空を翔遊する鳥たちに山尾さんがかかれている善いもの、美しいもの、愛しいもの、幸せなもの、静かなもの、永遠なもの、真実なもの、に触れていたことになる。私は既にカミに出逢っていたのだ!それは、皆に在る内なるカミが 感じさせるものであり、見させてくれているものなんだなぁ。 。。。。。。。。と、こういうお話を私の ところに相談に来てくださる人たちに話すと、とても嬉しそうな顔をする^^私になにか使命があるとしたら、重い想いで身動きが取れなくなった人にちょっとだけ、力を貸すことかな。私たちが本来の自分に気が付いたらこれほど素敵なことはない(^^)/
2013.01.29
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何回かこのブログでも書いていますが、今の私の楽しみは写真を撮ることです。以前から写真には興味がありましたが、自分で撮る、ということはしていませんでした。やってみると、面白い!うまい、へたではなく、撮りたいなぁと思う対象にフォーカスすることによってその対象と直接繋がり、同化する気がするのです。 その時の私のフィーリングが撮った写真に表現されているなぁ、と感じた時はとても満足するし、楽しいです^^ 『熱中する』することのメリットに気づきました。 それは悩みからの解放です。 私たちの悩みのほとんどは過去を後悔しているか、未来を不安に思っているかのどちらかです。今、現在、本当に悩みがある人は少ないのではないでしょうか。 私たちが『今』悩みがあるとしたら、それは今、この瞬間にフォーカスしていないのではないかなぁと思います。 悩みの内容は人それぞれです。人と較べて自己否定や、自己嫌悪、劣等感に引きずり込まれてしまったり、他人が自分をどう観るかを過度に気にしたり・・・・ 『今、ここ!』に照準を合わせると悩みが消えていきます。『今』という時間軸に照準をあてること。 一生懸命遊ぶ、一生懸命掃除する、一生懸命子どもと遊ぶ、一生懸命仕事をする・・・と自分の今していることが楽しくなります。 私はこれを努力をしてる状態だと思います。『今』この場で自分がしていることに熱中すできればできるほど、悩みが消えていくのですね。 悩みと言うネガティブな思考のサークルからいつの間にかはずれている自分を発見します^^ 私は先日2泊3日で伊豆に旅行しました。今まで、外国を含めていろいろなところに出かけました。でもね、今回の旅行が一番良かったのです。心から楽しめました。 それは熱中したからだと思います。 写真を撮る、という楽しみがあったので訪れるその場、その場が新鮮で小さなことにも見逃さない集中 があったからだと思います。 言葉では『今、ここに集中し楽しむ!』を知っていましたが、今回それを体験しました。 小さな気づきではあっても私にはとても大きな気づきです^^ バッチフラワーレメディの創始者である、エドワード・バッチ博士は癌で余命幾ばくでもない・・・と宣告された時に、病をおしてやり残した研究に没頭しました。不眠不休の研究を終えた時に、癌は消えていたそうです。 このようなことが身近でも起こっています。 心を開き、自分のインスピレーションを信じ勇気を持って今自分がしていることを楽しむ事が大切なのですね。 (写真の腕もあげたいです)
2013.01.25
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2013年が明けました 明けましておめでとうございます I want to sing like the birds sing not worrying who listen or what they think 〜Rumi〜 私は鳥たちが歌うように歌いたい 誰が聴いているか、彼らが何を想うかを気にしないで 私には想うと心が風船のようにふくらむたくさんの人々がいます。ほんとにたくさんの人たちです。『たくさんの人』、と一束にくくってしまってはいるけれど、一人ひとりの歌声は聞き分けられます。なぜならその歌声は私の心の歌でもあるからです たくさんの歌声が、やがて一つの響きになった時、私は歌声と調和し自分の歌を歌い始めます周りとの調和は大事ですが、周りの声を聴きすぎて自分を必要以上に抑えることは、それも自分を大切にしていないこと無邪気に、無心に自分自身が本当に望むことを懸命にすることにより自分自身のハートがひらかれるのかも知れないね小鳥のように無心に歌っていれば歌声は誰かにとどくのだから。それでいいよね! 歌おうよ! 小鳥のように無心に 踊ろうよ! 踊ることが好きで好きでたまらぬダンサーのように 奏でよう! 自分の心の楽器を 描こう! 好きな色で世界をペイントしよう これでいい^^ あなたがあなたを生き始めた時にそれは大きな力となります
2013.01.05
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