日々、是、ざつぶん

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May 10, 2022
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テーマ: 三国志(505)
カテゴリ: 書評(三国志)
​​​​​​​​​​​​​​​​​​半ば、現実逃避のような記事が多くなっていた、昨年10月頃の我がblog。

その裏側で、はやせは 人間ドック に行ったり、していました。

とにかく、体のあちこちがガッタガタで、どこかでオーバーホールが必要だっていうのは重々自覚しているのですが、これが周辺の人間にはなかなか伝わらないのよね……(

で。
人生2回目の人間ドックで、順番待ちをする際のお供として持って行ったのが、今回の本であります。


ただ……。
コロナ禍、ということもあって、参加人数自体がそれほど多くなく、検査の順番をその人ごとに巧みに入れ替えていて、待ち時間があんまり発生しなかった()。読み切る前に検査が終わっちゃって、そのまま積み本となっておりました……
(余談だが、その病院は昔、人間ドックの終了後にお食事も出ていたらしいのだが、これもコロナ禍で中止になっていた(哀))

それから……えーっと、5か月ですか。 放置 期間(

著者・ 石平 さんの著作は、その前の 石平の裏読み三国志 英雄たちに学ぶ乱世のリーダーシップ も読んでおりまして、​その時点から「 視点が面白い 」とは思っていたのですが(何しろ、 ​​ ​孫権​ の評価が 高い ​​ !←やっぱそれかよ ​​ ​、こちらの本はどちらかというと副題のとおり、リーダーシップ論として三国時代の英雄と、現代に生きる世界の為政者たちとを比較考察した文章が中心でした。

それと比べると、こちらの本は純粋に、三国時代に生きた人々の(石平さんなりの) 人物評 、という仕上がりになっていて、純粋な(w)三国志好きにとってはこちらの本の方が読みやすいと思います。

ということで……。
ようやく作れたGWのお休み中に完読したこちらの本の感想を書いてみたいと思います。

まっ、例によってはやせの注目するところはほぼ の関係者中心​ で、一般の方々には全く参考にならないレベルで思いっきり偏っておりますがー(

​​【第1章 乱世を生き延びた「明君」と「賢臣」 より、 顧雍 について】​​

​全体を通して読んでみても、石平さんがPickupした三国時代の人物が、純粋な武官一筋と言える人が誰一人おらず、 ​序章​ 司馬懿 第1章 ​劉禅​ を除けば 文官と女性と隠者だけ 、という、他に類を​​​見ない独特のラインナップとなっております!(好きだわぁ……w)

しかも、呉の関係者で真っ先に登場したのが顧雍って! ​マニアックすぎる​ だろっw(誉め言葉)

ご存じのない方に少し説明をすると……。
顧雍は、呉国の 2代目 ​丞相​ にして、(恐らく)呉の歴代丞相の中で最も長い 在位19年 を誇る名政治家でございます。

呉の政治家(高位の文官)というと、よく取り上げられて有名なのは、 二張 と称される ​​ 張昭 張紘 ​​ の​二人だと思いますが、張昭は生涯丞相に任命されることはなく、張紘に至っては建国よりもだいぶ前に亡くなってますからねぇ。政治家として腕をふるうその地位も力も実績も、この二人より 顧雍の方がずっと、ずう~っと、 ​​ ​​ なのです。

ああ、それなのに、それなのに。
世の大半の三国志好きは、正史『 三国志 』に仕組まれた 悪意 (主に 陳寿 )によって、​​呉で一番の政治家は張昭である、と、思い込まされているのですっ!(←若干、独自考察強め)

そんな方々に、この方の 超高い政治力 を紹介してくださった石平さんに、はやせはめちゃくちゃ感謝なのです!(こんなにも、 ​張昭への言及が 一切ない 文章​ 、他じゃまず読んだことがないぜw)

そんな顧雍の事績ですが。
正史『顧雍伝』から引用され、石平さんによって紹介されたものは、次のとおり。
  • 武将や文官を任用するにあたっては、おのおのの能力がその任務に適わしいかどうか だけ を判断の基準とし、自分の感情に左右されることがなかった
  • ときに民衆の間に入って意見を求め、時宜に適した施策を見つければ、みな ひそかに 孫権に上奏した
  • ​その献策が用いられれば 孫権自身の発案 によるものだとし、用いられなかった場合には 絶対に 人に知らせることがなかった​
ちくまの訳文からほぼそのまんま引っ張ってきたんであろう記述であり、特に石平さんが文章上で称賛していた部分に強調を入れてみました。

このあたり、はやせは、 張昭が丞相になれなかった理由 と、 表裏一体 になっている、と、思っているんですよ。​

1つ目。能力本位の推挙について。
顧雍と比べると、張昭が推挙してきた人物にはある偏った特徴があります。
それは、張昭の推挙してきた人物の 出身地 、です。

彼が孫権に推挙してきた人物って、ざーっと調べても 北方の出身者 が多いんです。もっというと、郷里が同じ 徐州 出身者​ が中心。もちろん、張昭も基本的には人物本位で素直に推挙しているだけだとは思うんですよ。出身地に近ければ、それだけ人物の噂話も多く入ってくるだろうし。けど、傍から見ているとそれが、 ​自分自身の 派閥 を築いているように見えちゃう​ んです(そして、十中八九、張昭本人はそれに気が付いていない)

顧雍については、こういうことがほとんどなかった。少なくても、史書から読み取れる限りでは。

ただ、残念ながら彼の孫世代にまでは、顧雍の思慮遠謀が全く伝わっておらず(何しろ、家族にも喋らないので、この人)、色々と不幸な事件が起きてしまったわけですけど

気を取り直して()、その次は、この「ひそかに」孫権へ献策する、という行動。
これもまぁ、張昭の事象を追いかけていくと、ま~まず出てこない(苦笑)。

むしろ、百官出そろったような公共の場で、上から目線で説教を垂れるようなことをくどくどくどくど……と言われたりするんで、孫権の立場から言うと「いつまで 父親気取り でいるつもりなんだよぅ」と、こうなるでしょう……。そして、二言目には「先代(孫策)様の遺訓がっ!!」とか言い出すし

ぶっちゃけ、 腹芸 ができない人​ なんですよ。張昭は(

​夷陵の戦い​ の頃、孫権は魏に臣従して呉王に封じられているわけですが、その使者としてやってきた 邢貞 という人物に対しても、「態度がなっとらんっ」みたいな、​​公衆の面前でメンツをつぶすようなことを誰彼構わず平気でやらかしますからねぇ。

この魏への臣従は、蜀との戦に魏を介入させる口実を与えないための ​演技​ なんですよ!?それを​、文官筆頭(当時)の張昭自身が潰しかけてどーするのかと(

まぁ、付き合いの長い孫権としてはぁ。こんな正論ぶちかまし気味の張昭の性格をよ~く知っていたと思うので、敵を騙し討ちするような作戦に 彼を巻き込むこと自体をしなかった んだと思います( 赤壁の戦い で相当懲りたんだろう​

ただし、そんな素直で嘘が全く付けない真っすぐな張昭を、孫権は心から嫌っているわけでもなかったと思いますけどね(有名な「 虞翻 をぶった斬ってやる~!!」​事件で、虞翻が最後に孫権を怒らせたのは、自分のことじゃなくて 張昭を馬鹿にされた と思ったからですよっ)。

と、ここまでなら、顧雍じゃなくてももう少しだけ、他にもできる人材は、呉にはもっといたと思うんですけど、この3番目の項目こそが顧雍の真骨頂っすよね。石平さんの評価でも、ここがすこぶる高い。

原文がどうなっているのかまではわかりませんけど(←調べろよ)、訳文の段階で「絶対に」なんて単語が出てくるところが非凡です。

この顧雍の行動がどれぐらいスゴイことなのか、という説明は、石平さんの文章が100点満点なのであえて ここでは書かない こととして(ぇ)。

これは、無駄な修飾語を嫌う陳寿の筆法ではあまり似つかわしくない表現で、恐らく(三国志・呉書ではまぁまぁ言われている) 韋昭 の『 呉書 』からの 丸パクリ疑惑文章の一つ ではないかと思うんですよねー。

そこをさらにツッコんで考えていくと。
その「絶対に」漏れなかったはずの秘密が、どうして史書に本人の事績として掲載されることになったのか。

これって、本人が本当に絶対に誰にも漏らさなかったというのなら、その事績を知っているのはもう一人の当事者、つまり、孫権しかいなくて、ですね。彼がこのエピソードを直接史官に伝えて、 「載せろ」と ​指示を出した​ としか、考えられないんですよ。

呉書の中にはこのように、列伝の当事者じゃなかったら孫権しか知りえないようなエピソードが、結構ぽろぽろ出てきたりするんです。

しかも、 ​孫権自身の ​不行状​ も含めて​ !ですよ!
(これまたまぁまぁ有名な、「張昭の家を燃やしてやる~!!」事件の顛末も含めて(苦笑))

​呂蒙​ ​蒋欽​ に対して、先人の遺してくれた歴史がどれだけ大事なものかを滔々と語るぐらいに、その大切さを誰よりも知っていた孫権だからこそ、自分が後世に残す自分の国の歴史書を、何よりも大事にしていたんじゃないのかなぁ、と、はやせは思っているのです(成功した栄光の歴史より、 ​失敗から学ぶ 残念な歴史 のほうが後々役に立つ​ ということがわかっている、はやせ版孫権もやっぱり、​ 法則型人間に分類される ​と思ふ

だからこそ、正史における孫権のエピソードって、人間臭い面白さが満載で大好きなんです。
(……あれ?顧雍のエピソードの話じゃなくなったか?

​​【第2章 主君を選ぶ達人の知恵 より、 厳畯 について】​​

​​​​​​​​​​​​​​​厳畯の事績として、三国迷にとって一番有名なエピソードであり、かつ、石平さんにも取り上げられたものが、「厳畯、 魯粛 の後任を任される。そして、これを固辞する」というもの。

ライトな三国志ユーザーにとっては、有名な呉の 軍師 リレーって、 周瑜 →​魯粛→呂蒙→ 陸遜 ​と、​こういう流れになっていると思うんですが(主に、 コーエー の描き方によって←コレが悪いわけではない。念のため)

はやせ的には、こうです。


周瑜→(​ 龐統 )→魯粛→(厳畯)→呂蒙→( 朱然 )→陸遜


……まぁ、特に2番目については、さすがに妄想が過ぎるとも思いますがー()。その答えは、いつか小説の形に仕上げて披露…………できればいいんですけど

で。
亡くなってしまった魯粛の後任として、1万という兵を預けられかけた厳畯さん。
彼は一介の文人(むしろ、学者筋の人)であって、武芸ができるなんて話はもう、一文字も出てこない人なんですよ(なお、さすがに石平さんの文章からは抜け落ちましたが、この時の追加エピソードとして、孫権が無茶振りにも彼を馬に乗せようとして、見事に 落馬した というオチまであったりする ←この当時の鞍にはまだ鐙が発明されておらず、馬上で体を保持するためには、腿で馬の胴体を挟み込むようにするテクニックが必要だったらしい。練習してなきゃ素人には難しいのよ

さすがにここまでの運動音痴じゃ、武人の地位なんて務まるわけがない!と、頑なに拒否するのはむしろ 当たり前の感覚 だと思うんですけど…… ​​ それでなくても、この頃の中国人の価値基準では、武人よりも文人の方が、相対的に地位が高くて偉いという感覚だっただろうし。

ま。自分の実力を弁えて、迷惑をかけるくらいなら最初から就任しない、という 美談 として後々まで語られるエピソードになるわけですけど……。

不思議なのは、な~んでこんな人事を孫権が実行しようとしたか、ですよ。
結局、石平さんもまた、この トチ狂った )人事の理由を謎のまんま終わらせてしまっているんですけど……。

それこそ、はやせは小説を書く(気まんまんのアマチュア・物書き)人間ですからねー。
実は、ここの理由も、小説のネタとして使えるようなレベルでの 考察 なら、できているのですっ。


はやせ的な答えは、それが「 ​魯粛の遺言​ 」だったから()​


こーんなトチ狂ったことを考える人間って、やっぱり、魯粛ぐらいしか想定できないんですよ

自ら小説のネタバレに近い感想を漏らすことになっちゃうかもしれないですけれども()、厳畯が行かされそうになった赴任地が 陸口 だった​ 、というのが、根拠の一つ。

その後の歴史が物語ります。陸口に「 関羽 にとっては 無名の人物 」を​配置することで、彼が呉軍に対する守備を怠るであろうことを、 単刀赴会 によって関羽の人となりを知っていた魯粛なら考え付く策なんです。

関羽は、生粋の武人です。
自分と実力が拮抗していたり、むしろ前評判が上の人物に対しては、凄まじい実力(時に尊大)を発揮します。

が、一方で、 弱い者いじめをして悦に入る人物じゃない んですよ。関羽は。 張飛 と違って()​

だからこそ、見るからに弱そうな人物を置く方が、 彼は油断して、逆に攻めてこなくなる 、と、読んでいたと思います。変人・魯粛なら()。

トップはそれでいいとして、副将に呂蒙を置いておけば、実行力としては問題ない。
けど、結局この人事は頓挫してしまったので、呂蒙は新たに「陸遜」という隠し玉を用意する必要ができたわけです。

こんなことを思いながら読んでいたんですけど……全く本の感想にはなっていないな(

​​【第3章 乱世を生きる文人、隠者、賢妻の物語 より、 習氏 について】​​

​前の二人も、ライトユーザーには充分マイナーな人物ですけれども、一応『 三国志演義 』にも登場する人物ではあります。

が。
章が進むほどに人物の マイナー度 が上がるこの本。​
賢妻の一人として真っ先に挙がったのが、 李衡 の妻・習氏​​ですよ……。
​​​​
そりゃ、読み込み過ぎてとうとう ページが本から外れた (!)、ちくまの呉書・6巻を持っているはやせは、もちろん元々知っていた人物なわけですけど(というか、習氏が奥さんじゃなかったら、恐らく李衡は史書に名前なんて残らなかったよ)、それでもこの人を取り上げる、というところが、 石平さん独特の感性 だと思いますわー。

法に基づいて、とは言うものの、実態として琅邪王時代の 孫休 をイビっていた李衡は、孫休が3代目の皇帝として即位すると、なんと、魏への亡命を図ったわけです。習氏という奥さまは、それを思いとどまらせただけに留まらず、公衆の面前で堂々と孫休に謝るという策を授けた上で、さらに出世までさせてしまったのだから、あげまん(古っ)どころの騒ぎじゃないっすw

石平さんの結論が「この女性を覚えておくべき」となっているところから、今後は彼女の認知度が上がったり……は、別にないとも思う

​​【第4章 乱世で身を滅ぼされた愚者たちの運命 より、 沈友 について】​​

最後に登場した呉の関係者は、沈友です……。
さらに超マイナーな人がやってきたな(

まぁ、一言でいうと、孫権の不興を買って、殺された人()。

で、終わってしまうとあまりにもあんまりなので( ​​​​​​​​​)、もうちょっとだけこの人のはやせ的な印象を深堀していくと……。

一つには、この人の事象を載せている史書が、 裴松之 注の『 ​呉録​ 』​だ、というところがポイントかなぁと。

この呉録という本は、呉郡呉県(中国では、郡と県の行政規模が逆なのよ)出身の人が書いているのですが、全体的に呉の人間(特に孫家)に厳しめの文章が多めである、という印象を受ける書物でもあります(←若干偏見あり)​。

その著者の名は、 ​張勃​
ちなみに、贋物疑惑の出ている『 後出師表 』を載せている『 黙記 』を書いたという 張儼 という人は、彼の父親です。

成立年代は恐らく、『三国志』とそう変わらない時期だと思うんですけど、 孫晧 に忖度しているのか、 ​晋​ に忖度しているのか、が、よくわからない書物である(どっちにしても忖度なのかよ

書いた人の名字が「張」だということと、出身地が同じ、という根拠しかないんですが……はやせはこの著者。 張温 の一族の人​ なんじゃないか?と、思っているんですよ(あ、Wikipediaだとはっきりと同族だって書いてあるな)​​​​
。で、あれば、孫家に恨みを持っていてもまぁ、おかしくないかと(俗にいう「呉の四姓」の言い出しっぺ文章もある)。​​​

もう一つは、死亡した時の年齢が29歳とはいえ、その年は 西暦204年 というかなり 微妙な年 だということ。若いとはいえ、この人、孫権よりは年上なんです。

沈友が荊州攻めを提案したのという事象が事実だとして、前年の203年にはその提案どおり、孫権は荊州を攻めております。そして、ビミョーな戦果だけを残して、撤退している()​

まぁ、石平さんにすらも 理屈っぽい と断言されているこの方のことだから?「何故荊州を陥とせなかったのか?」というあたりのことを、くどくどくどくど正論をぶち上げてあげつらったんじゃないのかなぁ、と思ってみたり。

それだけなら、まだ我慢できたかもしれないけれど。

問題は、翌年ですよ。204年。
この年は、孫権のすぐ下の弟・ 孫翊 が殺された年​ なのです。
それも、結果的に孫家の基盤を揺るがすような大事件になってしまった。

このあたり、サイト『 呉書見聞 』の孫ぽこさんがある程度考察を試みているのですが(そして、盛憲の誅殺騒ぎが先にあって、それが原因で孫翊の殺害が起きる、という流れは恐らく間違いがないのですが)、沈友の死んだ時期と理由がちょっとはっきりしない(今、すぐにちくまの呉書が参照できる状態にないからでもあるけど)​

『呉録』が本当に孫家を憎みながら書いた本ならば、そして、沈友の誅殺が不当だと思うなら、その誅殺理由までしっかりと書くはずなんですよ。普通なら。

それがはっきりしない、というのは、著者が本当にその理由を知らなかった、か、 知っていたけどわざと書かなかった か、の、どちらかです。

はやせ的には恐らく後者だと思っていまして、それを正直に書いてしまうと、彼が誅殺された理由(そして、それを誰も擁護できなかった理由)が、 ​すこぶる 正当な理由 であった​ ことがバレてしまうから、書けなかったんじゃないかと。

石平さんは、その誅殺理由が「謀反」だとしたら冤罪だと決めつけておりますが、はやせは案外、これが事実だったと思います。それぐらい、孫権の初期の基盤って、脆弱だったんですよ。

と、いうわけで。
彼の評価がまぁまぁ高い石平さんには申し訳ないんですけど、はやせはあんまり好きな人じゃないです。

この ​論破王 ​​ )。

​【総評】​

​文体としては、全体を通して非常に読みやすくて楽しい文章です。はやせは好き(結局、孫権の評価が高いから

そして、石平さん自身が本当に、三国志が大好きな人なんだなぁ、という愛が溢れている本ではあります。

ただ、いかんせん、ライトユーザーには無名の人物が多すぎて恐らくピンと来ないだろうし、一方で、ちくまの『正史・三国志』を隅から隅まで読み切ったコア・ユーザーにはすでに知っているエピソードの紹介でしかなくですね 読者ゾーンの範囲が結構狭そうな印象はどうしても受けてしまいます(魏から選ばれた人物なんて、顧雍や蜀の 蒋琬 以上にマイナーだった)。

ゲームや、ライトな演義系三国志書物で興味を持った人が、中堅ユーザーに昇格(w)するあたりで読んでいただくのが一番楽しく読めるかもしれません。


はやせおすすめ度 :★★★★
呉&孫権love度 :★★★(むしろ、劉禅への評価と愛が深いw)
​はやせの隠者願望上昇度​ :★★★★☆(←ぉぃ)





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Last updated  May 10, 2022 07:08:07 AM
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