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【新品】【書籍・コミック 小説・エッセイ】女子大生会計士の事件簿お……面白い!保育士も人事もやったけど、私の経歴の主たるものは経理なので、ワカルワカルー!なところが多くて面白い。時折、仕訳伝票だとか会計システムについてだとかの注釈が欄外に入れられるのも面白くてね。巻末には会計用語集とかもついてて、隅々まで楽しめる。この作者ってば、すごーい!!!と思ったら、著者は公認会計士なんだそうな。しかも中央青山監査法人って、めっちゃ大手じゃん……。(独立したっぽいので、元、だけど)まあ、物の描き方みたいな意味では、物足りない部分もあるんだけど、地味な会計・経理の世界でこんな小説が出来るんだ!という意味では、本当に目からウロコ。ミステリーって、人が死んでナンボみたいなところがあるじゃない?朝7時から殺人事件をさわやかに放送してくれる『名探偵コナン』とかね。なのに、この小説では人が死なないミステリーが成立してる!人が死なないミステリーなのに面白い!なんじゃこりゃーーーーー!!!!!って感じでした。未収入金と未払金が小説になるなんて、思わないでしょ?!債務保証とかって聞いただけで難しそうなのに、すっごく分かり易くネタになってる。お……面白い!!!が、経理知識のない人にも面白いのかどうかは不明。作者はこの本をキッカケに会計に興味を持ってくれたらいいな、と思ってるらしいですが……。ほんっと何でもネタになるんだねえ、と思った1冊。まだまだ続巻があるみたい。今のところ、3巻まで制覇。
2014.06.24
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ドキドキBLストーリー! 【全巻セット】生徒会長に忠告 (1-7巻 続巻)/門地かおり/送料無料【古本】【漫画】【中古】afbハマりました。がっつりハマりました。この歳になって、BL漫画にハマるとは思いもしませんでした。もうね、ハマりすぎて世の中がピンク色です。ピンク色?いえ、桃色です。いやー、とにかく色っぽいの一言に尽きる。たまに、その手(どの手?)の位置はおかしいだろ!!ってツッコミ入れたくなるようなコマもたまにありますが、何しろ、切なくて、かわいくて、えろくて、たまりません。ええなあ、私もこんなえっちしたいなー……。とか思います。何より発見だったのは、自分が思いの外えろかった、という事実でしょうか。もう半分以上枯れてるつもりだったので忘れてましたが、そういえばここの過去記事でも色々桃色がかった悩みを書いたんでした。そういえば書き散らした創作文も、微妙な桃色ぐあい。。。過去の色々な所業を思い出して、いまさらながらに納得したのでございます。それにしても、最近は便利なんだねー。2巻だけは店頭で紙ベースの書籍を買ったんだけど、本棚を探すのも、レジに持っていくのも、死ぬほど恥ずかしくて、「これは何のプレイだ!?」と自己SM状態に陥ったので、以後、諦めて初の電子書籍お買い上げ……。電子書籍はPC立ち上げないと読めないのは不便極まりないけど、男×男に免疫が無い旦那ちゃんのこととか、これから思春期&第二次性長期に入ってく子どものこととか考えると、どこに保管するかも悩ましい限りなので、これがベストなのかなー。
2014.06.18
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【送料無料】何かを書きたいあなたへ [ 内藤みか ]私の小さいころの夢は、学校の先生になることだった。その夢は、小さいころから母に強く刷り込まれたものでもあったので、どこまでが母の夢で、どこまでが私の夢だったのかも分からないが、とにかく、物心ついたときには「大きくなったら学校の先生になりたい」言っていて、それは大学で教育実習に行くまで続いた。結局、学校の先生にはならずにここまで来たわけだけど、実は、同じくらい小さなころから抱えている夢、というのはいくつかあって、25歳くらいまでに結婚する打とか、相手は酒飲みが良いとか、子どもは3人欲しいとか、割とどーでも良いことも結構あるんだけど、人に言えないままに抱えてきたものってのもあって。その一つが、小説家になること、なんです。その一つが、というより、時間とお金では叶えられない、唯一の夢、に近いかな。せっかくプータロー生活に入ったので、挑戦する前に諦めた(つまり、何もしてない)夢のために、その周辺的な本を読み始めました。その中の一冊が、この『何かを書きたいあなたへ』。今までこの手の本を読んでこなかったこともあって、面白い!もっと早く読めばよかったと思う。特に・日記・メール・作文・ブログ・エッセイ・小説・携帯小説・官能小説の8カテに分けて、その違いについて書かれているのは分かり易く、なるほど、という感じ。さて、私が書きたいのは何なのか。さて、私が書けるのは何なのか。
2014.06.17
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【中古】文庫 源氏物語 千年の謎【after0307】【10P09Mar12】【画】【中古】afb源氏物語は今も好き。大学を卒業してからは、1回しか読み直してないし、それだって田辺聖子訳を斜め読みした程度だから、ちゃんと読んだとは言えないんだけど、それでも好きだ。今、NHKの大河ドラマで平清盛をやっていて、平安の気配を感じられるのが嬉しくてたまらない。あのドラマには色々言いたいことがないわけじゃないけど、毎週楽しみに、欠かさず見てます。そんな平安を身近に感じだした矢先、久しぶりに書店で衝動買いした文庫本。考えてみれば、継続して買ってるシリーズものと浅田次郎以外で新品の本を買ったこと自体が久しぶり。なので、どっきどきしながら頁を繰ったのよ。糞。でした。どこがどうというか、もう、何なんですかこれ。どうせこんな設定するんなら、思っきしカルーく書いてラノベにしてください。そしたらもっとお気楽極楽に楽しんで読んだのに。源氏の世界、壊しまくり。ちゃんと歴史の勉強してんのか!?ちゃんと源氏読んだのか!??題材を源氏と一条帝御代にとるなら、その位の誠意は見せろ!と、言いたい。文章もたまに破綻してるんですよ。どこがどうって、付箋貼りながら読んだわけではないので、今更拾い上げたり出来ないけども、読みにくい。ああもう、久しぶりのまともな読書だと思ったのに、思いっきりハズしてしまって残念です。
2012.03.12
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【送料無料選択可!】貯金生活宣言 正しいお金の使い方編 (年収200万円からの) (単行本・ムック) / 横山 光昭 著4月から6月までの無職期間で、蓄えを食い潰した。子どもの手当の政策にはあんまり賛同してなかった私だけど、今年ばかりは本当に助かった。という経験で、貯蓄の大切さを身をもって知った。今も非正規で働いているし、旦那ちゃんの会社だって、このご時世、何があるか分からない。分不相応とも思えるローンを背負い込んでしまったこともあって、家計を何とかしたい、と思っている私。この人の本、なんだかよく見る気がするよなー、と公民館で借りて来た。既に返却してしまって手元にないのだけれど、古本屋でもときどき見かける人なので、そのうち買えると思う。でも、既に手元にないから、本当にこの本だったかどうか不明。なんかもっと、緑色だった気がするんだけどなー……。違ってたらゴメンナサイ。でも、著者は合ってるから、主義は似てると思う。たぶん。投資関連の本を何冊か読んで(っつっても、2冊?3冊?)、楽天にアカウントも取ってみたけれど、いざ始めようと思ったら、投資って先立つものが無くっちゃ出来ないのね、ということに気づいた。というわけで、まずはそこからなんだけど。前に読んだ投資本より良かったと思う。つか、今の私に合ってると思う。まずは、目的と期間をしっかり設定すること。なんとなーく貯めなくちゃ、とは思ってたけど、何故貯めなくちゃならないのかって意識付けが出来てなかったし、目的がぼやけてるから方法もぼやけてる。ま、単にドンブリ勘定な性格もあるんだけど。お金を使う際に、投資なのか、消費なのか、浪費なのか、という意識を持って常にあたること。これは、本当にいいなと思った。というわけで。私は。現金の貯蓄をもって、今後の(あるかもしれない)無給の不安に備えたい。先立つ現金を得て、投資をしたい。ネッ友に会いに行きたい。という目的をもって、倹約に励みます。がんばろ。にほんブログ村
2011.09.03
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【送料無料】誰かボクに、食べものちょうだい職場で借りた本。読了後すぐに書けなかったので、かなり記憶が希薄になっている上に、既に返却してしまって手元に本がない。しかも、似たような傾向(貧困を扱った本。題名既に忘却)の本をほぼ同時に読み上げたため、記憶がまぜこぜになっている。こんな状態で書くのは、とても辛いのだが……書いておく。子どもの貧困を扱った書。労働者派遣法の改正(改悪?)、不況、構造改革、と色々な要因が積み重なった結果、貧富の格差が大きくなっている。一億総中流、と言われた時代もあったはずなのだが、今は勝ち組と負け組の両極端に分かれてしまい、貧富の差が大きい。親の貧困は、即、子どもの貧困に繋がっていく。『誰かボクに食べものちょうだい』という掲題は、それらのケースの中で、実際に子どもが発していた言葉らしい。家庭が家庭として機能せず、家庭で食事を摂れないでいた子どもが、夏休みになったために給食で飢えをしのぐことができなくなり、路頭でこのように言っていたのだとか。こういうケースが、多々ある。事例の中の一つは、私が勤務する保育園でのことだったようで、(その時には私はまだ就職していなかったので、詳細も真偽も不明だけど)決して他人事ではないということが感じられる。なのに、一方ではそれらを全く知らない(知識としても知らない)人がいる、という日本社会のこの現実。子どもの貧困は、子どもの未来を暗くする。私たちはそれにどう関わっていけばいいのか。何ができるのか。にほんブログ村
2011.09.03
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【送料無料選択可!】こどもの歯を「治療・矯正」する前に (ジャパンマシニスト育児新書) (単行本・ムック) / 内野博行/著タロウの歯がガタガタです。学校の歯科健診でも歯並びを指摘されてるけど、歯科医じゃなくたってタロウの歯並びの悪さは指摘できる。ほんっとにガタガタ。なのでこの夏休みに歯科矯正をスタートさせようと思ってたのに、8月にこの本と出会ってしまって、どうせならこの本を読了してからスタートしようと思ったら、夏休みも終わってしまった……ちーん……すまぬ、タロウ。結論から言えば、あまりに歯並びが酷いタロウには、やっぱり歯科矯正が必要だと思う。けど、この本を先に読んで良かったと思う。元来、日本人は歯の割に顎が小さくて、欧米人に比べて歯並びが悪いんだそう。だから、どんなに食生活に気をつけても、完璧な歯並びって難しいんだそうな。で、自己防衛的に八重歯が勝手にできることで、何とかかんとかしてたんだそうな。ところが、その八重歯が欧米人から見ると吸血鬼っぽくて、コワイ。そう言われちゃうと、欧米の美的感覚を取り入れた生活をしてる日本人としては、はみ出た八重歯を何とか美しく並ばせねばならないわけで。しかも「欧米ではとっても一般的なことなんですよー」とか言われちゃうと、アングロサクソンに劣等感を持ってる日本人は、矯正するっきゃないっしょー。(実際は骨格が違うので、欧米人よりとても難しいらしい)とかいうことらしい。歯並びが悪いとうまく物を噛めないから、って歯科医に説明されるけど、私は矯正経験者としてとても疑問を感じていたのよね。だって、歯並びが悪い時だって私は咀嚼に苦労しなかったもの。やっぱり私の疑問は正しかったらしくて、歯並びが悪いなら悪いなりに工夫をして、本人がちゃんと咀嚼するもんらしい。タロウもちゃんと噛んでるしね。つまり、歯科矯正は殆ど「見た目」のためにされてる、と。見た目以外の実益を殆ど満たさない、と。それから、虫歯治療。適切な食生活を送っていれば、虫歯は自然治癒するんだそうな。なのに、歯医者では過剰医療がまかり通ってて、幼児を押さえつけて治療することもあって、死亡事故も起きてるらしい。怖ッ!!!歯磨きもあんまり意味がないんだそうな。実際、著者は朝ご飯の前に磨くらしく、食後3分以内に3分間は嘘っぱちらしい。……これを読んだ途端、ジロウに歯磨きさせる気が失せました。これには歯ブラシメーカーの思惑が見え隠れするわけだけど、歯磨き粉に謳われている「フッ素配合」にも、疑問符が付く。1歳半検診で塗布されたり、以降半年に1度の塗布を推奨されたりするけど、フッ素はあまり体に良いものじゃないのよね。塗布されるフッ素は、飲み込まないという前提に立って高濃度らしいんだけど、口の中に塗布されて、飲み込まないわけがない。しかも、そこまでリスキーなのに、ほんのちょびっと歯をつよくするだけらしい、つまり、百害あって一利なし、とは言わないけれど、天秤にかければ、リスクを負ってまでするほどのもんじゃないよねー、という。つわけで、ジロウのフッ素塗布に行く気も失せました。で。なんでそこまで色々歯医者が頑張っているのかというと、そもそも、歯医者が過剰にあるからなんだそうな。私たちが子どもの頃(よりもちょっと前)はすっごく虫歯が多くて、危機を感じた政府が、歯医者をたくさん作る方針を採ったんだそう。で、コンビニよりもたくさんの歯医者が出来たんだけど、国民の意識が改善されて、酷い虫歯自体が減ってきたために、少ない軽度の患者を歯医者が奪い合ってる状況らしい。そこには医療制度の問題もあって(点数による報酬制)、歯科医の経営がひっ迫してることも、関係してる。そんなわけで、必要のない危険な医療をいつの間にか(知らないうちに)施されてる、ということが往々にありうるのが歯科の世界、ということを指摘した、コワイ本でした。にほんブログ村
2011.09.03
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【送料無料】少子化対策が日本をダメにする家は借りて住め、本は買って読め。昔の人は良いことを言うもんだと思う。買ってハズレな本もあるけれど、これはアタリだった。なのに、公民館で借りた本なので手元に残らない。貸出期限も迫っているので、再読する暇もない……残念。とは言っても、2007年の出版なので少し古い。自民党政権、阿部内閣、と言えばどれだけ古いか分かるだろう。たかが数年、されど数年。政権が民主党に変わり、首相も何人か交代した。使用されている最新のデータも、数年経てば変わる。政策を扱うには、数年の差も大きな差だと思う。しかも、緻密にデータを扱われた結果ゆえか、実感にそぐわないところがところどころにあって、「えー、ソレって違うと思うー」と言いたくなる。さらに、「それって、極論っつーか、暴論に近くない?」と言いたくなるところも、アリ。つまり、細部にはツッコミ所が散見される。けど、大筋では非常に納得できる。日本は株主資本主義を採っているので、優秀でない人材を登用していく経営は、背任を問われることだ。優秀な人材は重用され、低能な人材は廃されていく。そこからこぼれてしまう「弱者」をどう拾い上げるか、社会としてそれで良いのか、というのも大切な議論ではあるけれど、まずは、この冷徹なルールを一旦受け止める必要がある。私は福祉に居る人間でもあるので、こぼれおちた人たちも身近にみるから、このルール自体を否定的に見ちゃうけど、既存ルールとして受け入れなきゃダメなのよね。で、その上で福祉がどう機能すればその人たちを掬いあげられるのか、考えなきゃ。この本では、福祉がどう関わっていくべきか、という話には行かないけれど、教育がしっかりすれば、こぼれおちていく人たちを少なく出来るはずだ、とする。これはとても納得できる。構造改革とか、派遣労働法改悪とか、制度的なものも色々あって、こぼれおちていく人たちがとても多くなっている昨今。社会政策によってこぼれ落ちる人たちは、確実に増えているし、優秀な人材でさえ、今の不況では渡り歩いていくのが大変だけど、優秀な人材なら、比較的リスクが少ない状況にあるのは確かなわけで。子育て支援、少子化対策、って言われて保育園も(少しは)作られているし、既存の保育園に詰め込むことで保育ニーズを解消しようとしたり、新システムを実施して、保育に一般企業を参入させようとしたりしてるけど、保育もイッパイイッパイなのよ、実際のとこ。今現在でイッパイイッパイなのに、更に詰め込んでどーすんの!?って言いたいけど、小学校は保育園よりよっぽど詰め込まれてるワケよ。だから、何とか保育園を確保して共働きを継続しても、小学校で挫折しちゃう。PTAだの参観日だの運動会準備だのプール監視だの校外活動だの(以下略)ってやたら親の出番が多くて大変だし、第一、親が勉強を見なきゃならないシステムになってるから、両親ともにフルタイムワークだと、生活に追われちゃって「いつ子どもの勉強見ろっつーんだ!!!」って無理難題を突きつけられて、学習塾に外注せざるを得なくなるわけよ。自分の子どもの勉強くらい見ないでどーするの、ってのも正論だけどさ。じゃあ、朝子どもの登校時間に一緒に出勤して、夜7時に帰宅してから、宿題させて料理して夕食摂らせて風呂入れて、さらに一日の子どもの話をみっちり聞いた上に、絵本の一冊でも読んでやって、夜9時までには布団に入れてください、なんつーことを毎日やれって、すっごく大変なワケよ。義務教育と言いながら、修学旅行を含む校外学習の一切が自己負担だったり、食育も教育の一環と言いながらも給食費が自己負担だったり、なーんかおかしいよね、みたいなトコが色々あるしさ。そんな現状に「?」マークを色々持っていた私は、もっと日本は教育にお金をつぎ込め!!!!!というところには、ものすごーく共感したのです。超高齢社会、といっても還暦を過ぎた人を十把一絡げに「高齢者」とした結果であって、本当にリタイアしたい人(意欲・体力のいずれかが欠けている人)ではないから、もっと「高齢者」に頑張ってもらって良いんじゃないの、とか。ツッコミ所も色々あったけれど、全体的に納得できて、日々の疑問が解消されていく本だったと思う。家は借りて住め、本は買って読め。家も買っちゃったけど、本もやっぱり買いたいなあ。この本、いつか古本屋で再会出来ると良いんだけど。にほんブログ村
2011.09.03
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【送料無料】彩雲国物語(紫闇の玉座 下)7月1日に発売!完結しました。ああもう、誰に向かって「サイコー!!!」と言っていいのか分かりません。えー、そういうオチなん???みたいなしょぼいオチもあったりはしたけど……(墓碑銘は旺飛燕、とかね)すっきり、納得できる終わり方をしたと思う。少なくとも、「なんじゃこりゃーーーーー!!!!」と吠えたくなるような終わり方はしてないし、もっと読みたいなー、という余韻が残る終わり方だったと思う。ま、この上下巻が発売になる前に1年くらいブランクがあって、今回の発売に先立って全巻読み返す、とかいうことはしてないので、全ての伏線をキレイに回収されてるのかどうかは、疑問ですが。何せ、至る所に伏線が敷かれてたもんだから、読者の方も記憶しきれて無いんじゃなかろうかと思うわけです。上巻で、あまりの厚さにあとがきも、人物紹介も割愛した、というように書かれていたのだけれど、カバーの見返しに著者の一言が書かれている。これが、今回の後書きと思ってよかろう。これが私のデビュー作です。この一言が、この著者にとっての全てなんじゃないかと思う。彼女にとっての、大切な、位置づけ。デビュー作でいきなり売れちゃうってすごいことなんだけどね。彼女が今後、どんな物語を紡いでいくのか。私はそれが気になります。あーでも、外伝でも良いですよ(笑にほんブログ村
2011.07.09
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【中古】エッセイ・随筆 ≪エッセイ・随筆≫ ヴィーナスという子 存在を忘れられた少女【10P24Jun11】以前読んだ『シーラという子』と同じ作者による、ノンフィクション。著者であるトリイは、発達障害や知的障害を抱える子どもたちのための特別学級に配属。『シーラという子』より前にあたるのか、後にあたるのかは分からないが、『シーラという子』に出て来た理解の薄い校長ではなく、支援学級で教職に就いた最初の頃に上司であったボブが校長として勤務している。また、『シーラという子』に出て来た頼りがいのあるボーイフレンドは出て来ない。この著書の中には、表題となっているヴィーナスの他に4人の子が在籍する。いずれも、特別な支援を必要とする男児たちで、支援の必要となる原因でもある障害や、男の子らしい粗暴さのために、毎日のようにケンカや小競り合いが起きている。はっきり言って、これはキツイ。多動や攻撃性って、すっごくキツイ。それだけでキツイ。なのに、そこへ理解力が乏しいというおまけがつく。(オマケじゃなくて本命かもしれないけど……)ヴィーナスは、このクラスに在籍する子の一人であるが、全く自分の殻に閉じこもってしまっていて、反応を見せない。全く喋らないだけでなく、自分の意思で動くということが出来ない。いや、意思を見せるということが出来ない。ただまれに、突然攻撃的になることがあって、他の児童をひどく叩いたり追いかけまわしたりする。その時に見せる行動によって、能力的に出来ないのではなく、喋ることも、走ることもできるのだ、ということだけは分かっている。なぜヴィーナスは喋らないのか、反応しないのか。トリイは何とかヴィーナスに生きた反応を示してもらいたいと、尽力する。が、なかなか事態は好転しない。急転直下の勢いで変わっていったのは、ヴィーナスが虐待により病院へ入院した時だ。それにより、たくさんのことが判明し、ヴィーナスは普通の子のようになっていく。この本には、たくさんのテクニックが書かれていた。たまには押さえつけることが必要なことも、どうやって気を反らせることができるか、意識を向けさせつづけることができるか。詳細までは書かれていないけれど、これはすごい、と思うことが多々あった。でも、それらのテクニックより、ヴィーナスの惨状より、私が気になったのは、ジュリーという助手だった。ジュリーはトリイの助手として配属され、クラス運営に関わる。だが、トリイとうまく合わず、むしろ障害となっていく。私の保育は、ジュリーそのものだ、と思った。叱るべきところで叱れない。一緒に楽しむべきところで水を差す。理念だけは立派だけれど、実態が伴わない。私なりに精いっぱい勤めて来た自信はある。それはもう、新米保育士である私も出来る最大限に近いものだった自信がある。でも、それは、保育として質を伴ったものだったかと言うと、必ずしもそうではなかった、という気がする。プロとして、厳しくしなければならない場面がある。それを私は逃げていなかっただろうか。ジュリーは、私そのものの気がしてならなかった。にほんブログ村
2011.06.24
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【送料無料】彩雲国物語(紫闇の玉座 上)やっと買ったー!!!一気に読んだー!!!ラノベのくせに、どんだけ待たせるんだ!!と怒りたくなるくらい、前巻と間が開いてしまった最新刊。上下2巻で7月1日に発売される下巻をもって、終了となるそうな。【送料無料】彩雲国物語(紫闇の玉座 下)あまりにも前の発売から時間が経ち過ぎてしまって、もうあんまり前のこと覚えてねーよ……と思いながら読んだんだけど、意外に覚えてた自分すげえ。万歳。色んな人が活躍してます。王様は出て来なかったけど。兄ちゃんもなんだか影が薄かったけど。兄ちゃん、キレモノ過ぎて追放されたという設定だったはずなのに、だんだん情けなくなってますが……。色んなナゾが終末に向かって解消されていってて、面白い。7月1日の新刊が待たれます。1巻の最後に、秀麗ちゃんが大活躍しました、みたいなこと書いてあったのが、どう回収されるのか、もんすごい気になります。今んトコ、政治的に大活躍してるのはオジサマ陣ばっかなんで。って。私、日本語おかしいよ……。めちゃくちゃ引っ張られてるよ……。相変わらずだったよ、文章力の無さは……。すっげえ読むのしんどかったよ……。文の途中で主語が怪しくなるとか、ホント止めてほしい。女性の文章で主語述語が曖昧になりがちなのは、源氏物語の時代からのオキマリだけど >はっきり言って源氏は酷い現代小説は口語体が基本だから、女性口語だと思って読めばその通りなんだけど、ほんっと、読みづらいですから!!あーでも、こきおろしながら、発売日が待ち遠しいんだよー。にしても。今月発売、多すぎ。守人シリーズもなぜか3巻一挙に発売だし。今日は『風光る』発売だし。素寒貧だし。どーしろっつーのさ。【送料無料】天と地の守り人 第一部(ロタ王国編)【送料無料】天と地の守り人 第二部 (カンバル王国編)【送料無料】天と地の守り人 第三部(新ヨゴ皇国編)風光る 30 (フラワーコミックス) (コミックス) / 渡辺多恵子/著にほんブログ村
2011.06.24
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【送料無料】知らないと恥をかく世界の大問題(2)先日の『知らないと恥をかく世界の大問題』の続巻。大震災とそれに続く福島原発のゴタゴタがあまりにも大きな事件だったために、今年のニュースは既にそれ一色の印象になっているけれど、1月にはチュニジアで政変があったり、2月にはムバラクが退陣したり、と世界規模で大きなニュースがあったんだよね。震災関連ニュースのせいで、それらのニュースは既に色褪せた感じがあるけど、読んでみれば、たしかにそれはつい最近の出来事に違いなくて、それらが書かれているこの本は、かなりリアルタイムな印象で面白い。世界で起こる数々のニュースをリアルタイムに理解することができれば(それが多少の偏りや、深さの足りないものだとしても)社会情勢って言うのはとても面白く感じることだろうな、と思う。1巻同様、世界のニュースを広く浅く、分かりやすく解説されていて、とても興味深かった。リーマンショックとその後の世界経済の動き、円高。第二次世界大戦前の世界恐慌との違い。力を失いつつあるアメリカと、力をつけていく中国を筆頭とする新興国。世界各地で起きている、宗教・民族・資源を火種とする争い。日本の政権交代と、その問題。日本が生き抜くために、どうあるべきか。世界を広く浅く扱った後で、その中の日本を位置づけ、現在の日本が抱える問題と、解消すべき課題、今後の展望。1巻では、雑学系の本のように話題がやたらに飛ぶので読みにくい、と書いたけれど、次から次へと話題がポンポン飛ぶように見えて、実は大筋がちゃんと通っている。こどもニュースの時代から、この人の解説は分かりやすくていいな、と思っていたけれど、この人のすごさはそこではないんだろうな、と思う。豊かな知識に支えられた、問題意識と展望。最後の章で、「日本はどう進めばいいのか」を述べられているけれど、スッと頭に入ってきて、とても気持ちがいい。国家百年の大計。『蒼穹の昴』で、李鴻章が香港を割譲を認めるシーンを思い出す。欧米列強に蝕まれ、食い散らかされていく清国の中で、李鴻章は香港の割譲を認めさせられる。でも、新聞記者トーマス・バートンの解説によれば、99年後にはイギリスによって育てられた香港が戻るのだ、と。李鴻章はそこまで見越しているのだ、と。これは『蒼穹の昴』で読んだことでしかないので、真実、その時代に李鴻章がそんなことを意図していたのか否かは分からない。(意図してたに違いない、と思いはするけどね)でも、こういうのを「国家百年の計」ってんだと思う。日本は、どうなっていくのか。マスコミに踊らされている、という面はありながらも国民はスキャンダル部分に目くじらを立てすぎで、政策に関して意識を向けていない。今の日本の問題は、政治家が迷走した結果であることは間違いない。でも、政治家が迷走するように仕向けたのも国民ならば、迷走したがる政治家を選んだのも国民。それを担ぐシステムを容認してきたのも国民。無責任な報道を見て「これだから政治家は……」なんて言ってれば良いわけじゃない。国民には国民の責任があるのだということを、自覚すべきだと思う。自覚したらなんか変わるんか?自覚したらなんか出来るんか?という問題はさておき。すべての問題が「無知」「無関心」にあるのだとすれば、そこがすべての問題を解決すべき第一歩だと思う。って、ここまで書いて、なんだかすごくAC的だと思ってしまった。親(国家・政府)の言うことに難癖を付けながらも、従っている子(国民)。自分で行動したら、親の指示より悪くなるかもしれないけど。でも、自分で納得したならば、空はきっと蒼いはずなのよね。行動がすべてではなく、意識。にほんブログ村
2011.06.20
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【送料無料】知らないと恥をかく世界の大問題……長い題名(笑あんま長い題名は、センス無いと思う。やぱ、キュッと締まった、一言に凝縮してほしい。『アンナ・カレーニナ』とか『草枕』とか、ビシッと決めてほしいわけよ>何故文豪系というわけで、題名からして全然好みじゃない。んだけど、ほとんどTVというものを見ない私は、現在進行形のニュースにも、とても疎いから、良かった。新聞は読むようにしてるんだけど、半ば暴力的に押し付けるTVと違って、活字ってヤツは興味があるものだけを拾って読めるのよね。よって、興味がないものは題字だけでスルーしちゃう。しかも、我が家がとってるのは中国新聞(広島ローカル新聞)。なので、傾向的に泥臭く、全国ニュースが浅く、経済はもっと薄い。それが『味』でもあるんだけど、無性に日経が読みたくなる。でも、我が家は2誌取るだけの経済的余裕がないし、そもそも2誌も読めるわけがない。というわけで、諦めてるんだけどさ。でもやっぱ、日経読みたい。なのに、買わなきゃ読めないのよ。公民館なら置いてるかと思ったけど、朝日しかなかった……。地元紙以外を読みたいという欲求は満たされたけど、日経を読みたいという欲求は満たされず。嗚呼、日経。もとへ。この『知らないと恥をかく世界の大問題』。題名はともかく、現在のニュースに疎く、かつ昔のニュースにも疎い私には、最適だった。扱われる題材は、広く浅く書かれていて、分かりやすい。もちろん、背景などに突っ込んでいこうと思うと、幾らでも物足りない部分はあるし、語りつくされていない研究的課題みたいなのも散見されるだろう。ちゃんと時事問題を追ってきている人たちには、物足りないだろうとも思う。でも、私みたいな時事問題に疎い人間には、最適。雑学系の本みたいに、話題が次から次へ飛んでいく読みづらさはあるけれど、「これはそういうことだったのか!」と思うことが、多々ある。すっごくシンプルにまとめてあるからね。シンプルにまとめられている、ということは偏りがある、ということでもあるから怖いことでもあるんだろうけれど、入門書としては十分だと思う。それにしても、恐ろしいのは。この本がベストセラーだということだと思う。私みたいな疎い人間には、最適の書だと思う。だから、この本の購買層は私みたいなひとたちだと思う。ってことは、この本がすごい売れ行きを誇っているってことは、世間にそれだけ「無知」な人があふれてるってことじゃないかと思うのよね。それって怖いことだよなあ、と思う。確かに政治経済に興味を持たなくても、別に生活に困りはしないんだけどさ。でも、社会人としてそれで良いのか、って疑問は残るよね。こんだけ疎いくせに言うなよ、ってツッコミを恐れずに言えば、「社会人としてどーよ? 恥かしいだろ、それは!」と思う。詳細について主義主張を述べる、なんてのはプロの人たちに任せるにしても、通り一遍、ニュースを見てうなずける程度の知識は持ってなきゃならんのではないかと、そんなことを思ったりするわけです。笑えるのは、この本が政権交代直後に書かれたものであり(そのころまでに掲載されていたものを、加筆修正して本にしたものらしい)政権交代に非常に大きな期待が述べられていること。私も政権交代自体は、良かったことだと思う。なんといっても自民党の時代はあまりにも長かったからね。ただ、その後の政治を見ると、あまりにもお粗末な部分が多かったから、その経緯を見て来た現在から、政権交代直後の期待感を見返すと笑えるのよね。続巻が3月に発売されたそうで、そちらは政権交代後のことも書かれてるとみられる。あの期待感がどのように変わっていったのか、ちょっと楽しみ。 【中古】新書 知らないと恥をかく世界の大問題2【10P13Jun11】【画】でも3月発売ってことは、大震災のことは書かれてないのよね。大震災でまた、政治経済は転機を迎えたと思う。それからさらにどんなふうに変わったのかも、興味があるところ。にほんブログ村
2011.06.17
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【楽天ポイント3倍】 【送料無料】【中古本】家裁の人 (1-15巻 全巻)漫画全巻セット【中古】ずっと前から持っていて、既に背表紙は変色してる漫画なんだけど、手放そうと思って、最後に読み返した。家庭裁判所に勤務する桑田判事を主人公に置いた、漫画。家庭裁判所は離婚や相続なども扱うので、夫の浮気が原因となる離婚調停や、兄弟間の相続争い、というようなことも作品中に扱われているのだけれど、桑田判事は少年審判に重点を置いている人物という設定になっており、大半は、難しい家庭を背景に荒れてしまった子どもを扱っている。家庭とは何か。男が夫となり、父となる。女が妻となり、母となる。子どもは親を選べず、親も環境を自由には選べない。だいたいが1話完結なので、キレイにまとまり過ぎる感はあるのだけれど、桑田判事のような大人が近くに居れば、子どもは生きやすかろう、と思う。……色んな意味で人間離れしてて、不気味だけど。私は、子ども達にどんな親に見えているのだろう。色んな本を齧って、思考錯誤を重ねてはいるけれど、これで良いという手ごたえを感じることは、僅かだ。桑田判事の子どもは、桑田判事が関わった子どもたちは、桑田判事の子に生まれてよかった、裁判を担当してくれたのが桑田判事でよかった、と後々に思うだろう。私の子は、大きくなった時、私の子でよかったと思ってくれるだろうか。どーでも良いけど、巻を追うごとに桑田判事の鼻がデカくなっていくのが、めっちゃ気になる(笑
2011.06.15
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【送料無料】台所に立つ子どもたち香川県で実践された「弁当の日」。これを主導した校長による、著。最初は、小学校での実践だった。・子どもだけで作ること 買い出しを含む準備、調理、後片付けまで、全てを子どもだけで行う。・5・6年生を対象とすること 家庭科という授業科目を持つ、高学年に限定して実施する・月1回、年5回実施する 家庭の負担を考慮し、月1回を限度とし、 繰り返しの効力を考え、年五回実施する。この3点を決まりごとに実施された。当初は子どもからも保護者からも反発があったようだ。保護者も忙しい毎日を送っているために、手際のよくない子どもが、忙しい台所を荒らしまわるのは迷惑だ。子どもは子どもで、親が家事労働をすることに疑問をもっていないため、なんでこんなことをしなくてはいけないのだ、と反発する。やってみたい、という意欲的な家庭もある一方で、そういう家庭は確実にあるのだ。いや、そういう家庭はまだマシだ。経済的理由で食材の調達が困難な家庭もある。包丁やまな板、という調理器具が無い家庭もある。経済的に恵まれていても、親が家事をしている姿を見せていないために、子どもに見習うモデルがなく、調理することが出来ない家庭もある。現代では、そんな家庭もあるのだ。そんな中で、小学校で弁当の日を実践させた後、著者は中学校へ赴任し、また弁当の日を実践する。中学生は思春期ただなかにあり、小学生より指導が難しい。それだけでなく、教科担任制という制度が小学校より指導を難しくする。また、中学生は部活動に塾にと、小学生よりよほど多忙な毎日を送っている。3年生にもなれば、受験もある。この本の前半は小学校での実践を述べたものだが、中学校での実践は、障害が多かった分だけ、深いものとなっていく。食育、という言葉がとりざたされている昨今ではあるが、家庭科の軽視に歯止めがかからない。家庭に便利な電化製品が多数導入され、コンビニなどが増えた結果、生活に手がかからなくなり、どんどん軽視されていくようになってしまった。また、受験科目に家庭科が含まれないことも、大きい。そういった生活のゆがみを、目の当たりにすることになるのだ。でも、小・中学校での実践は子ども達に大きな力となって残る。子どもが家事に積極的に関わるようになった、との結果。母親たちに感謝する言葉を口にするようになった、との結果。食生活を見直し、野菜を意識的に接取するようになった、との結果。もちろんこれらは、数回の弁当の日だけの結果ではないだろうが、「生きる力」に繋がるものが子どもの中に見られる結果となったのだ。この「弁当の日」はその後、たくさんの小中学校で実施されることとなった。私の子が通う小学校も、高学年は実施しているようだ。子どもは家庭の「お客様」ではない。お膳の全てを親が準備してやるのは、どこかで止めなくてはいけない。でも、忙しい時間に子どもに台所をうろうろされるのは親にとってイライラのもとだし、節約生活を目指している主婦には、廃棄率がやたら高い包丁さばきを見るのは苦痛。理想と現実の狭間、という感じだ。でも、子どもに家事はさせなくてはならない。どこかで少しずつ、と思う。この本を読んだからではないが、土曜日の昼食はタロウ作のざるそば。麺をゆでて、卵を焼き、味付けのりを切っただけだが、満足顔。そういえば、私にもそんな時があったなと、懐かしく思い出した。
2011.06.13
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【送料無料】なぜ君は絶望と闘えたのか光市母子殺害事件。この事件は本当にショッキングな事件だった。光市が遠い場所ではなく、何度か訪れたことがある場所、ということもあるが、何より、事件自体が常軌を逸していた。当時18歳の少年が、配管工事を装って訪問した先で、母親を殺害した上で暴行し、1歳の女児まで殺害した、という事件。当時私は工事会社に勤務していたということもあって、「工事会社の者を装って訪問」という手口に社内で衝撃も走ったことも記憶している。この事件の経緯は、さらに混迷を極める。母子殺害暴行について、少年は全て認めているにもかかわらず、なぜこんなにもめていくことになるのか、報道を見ながら全く理解できなかった。母子を殺害したことも、その経緯も、全て被告が認めている以上、論点になるところが無いのに、と思ったのだ。さらに最高裁まで進んでいくと、被告少年はそれまでの説明を一転させ、ドラえもんがどうのこうの、とかワケわかんないことを言い始めるし、橋下知事(当時は知事じゃない?)もなんだかよくわかんないことを言い出すし、報道を見ていても「はあ~~~~???」と呆れるような経緯をたどっていく。まったくもって、理解できない事件。経緯。それが、この本で溶けていった。一審、二審とも、無期懲役が言い渡される。死刑ではなく、無期懲役。終身刑制度が無い日本では、無期懲役は死刑に次ぐ重い刑罰だけれど、妻子を無残に殺害された量刑としては軽すぎる。それが、悔悟を伴うものであるならともかく、少年からはそれらしいものが見受けられない……。何度かそれらしいものを口にはするけれど、それは口ばかり、形ばかりにすぎず、心の伴ったものとは思われない。にもかかわらず、「2人しか殺していない」という理由で無期懲役。これは確かに、理不尽な判決だ。また、繰り返し問題とされた、少年法。少年法のために、遺族・被害者は事件の経緯、その後を知ることすらできない。法廷に被害者の遺影を持ちこむことすら、出来ない。その被害者の心情すら、取り合ってもらえない。報道も被害者については無遠慮に実名で報道していくのに、それまでのつましいけれど幸せな生活を詳細に報じていくのに、少年については名前一つ、顔写真一つ、報道されることがない。加害者が救済され、被害者が置き去りにされる現実にも疑問を提示している。そして、本村氏が積極的に社会運動に関わっていく経緯。『なぜ君は絶望と闘えたのか』という題の疑問に応えるとすれば、周囲の手助けであったり、殺害された妻子であったり、だろう。けれどこの本は単に、それらを「お涙ちょうだい」的なものに終わらせず、司法の問題、社会の問題を提示しているのだ。結局、本村氏の運動がもととなり、社会は動いていく。被害者救済に政府も司法も、重い腰を上げたのだ。社会を変えていく。これは、すごいことだ。読んでいると、鳥肌が立つほどの感動を覚える。結局、2008年、差し戻しとなった広島高裁で、死刑判決が出る。今が2011年だから3年前だ。この本が出版された時点で、その判決が最新のものとなり、死刑判決を受けて、本村氏が墓前に報告したことを添える。また、元少年と面会して、その判決を受け入れた様子であることを、書き添えている。死には死を持って購う。本村氏はそれを求めていたし、死刑判決の後の面会で、元少年もそうあるべきだと思っている、と書かれる。この奇妙な合致は何なんだろう、と不思議な感じがする。何か宗教に繋がるような、死をじっと深く見つめることの意味が、あるのかもしれない。Wikipediaで光市母子殺害事件について読んでみたのだけれど、広島高裁での死刑判決後、弁護側は即日上告したとのこと。出版が2008年であることから、上告したこと以上は触れられていないのは当然だが、その後、この事件はどうなったのだろう。まだどこかで(上告だから、最高裁か?)、続いているんだろうか。
2011.06.10
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【送料無料】積立王子の毎月5000円からはじめる投資入門先日から投資系の本をちょくちょく読んでいる。ちょくちょくったって、まだ3冊か(笑しかも内2冊は同じ著者……読んでる内に入らん(笑で、28歳から生活を立て直した人の本を読んでて気になった「投資」。その中で、時間もお金も制約がある私に向いてるのはこれかな、という気がして、書店で投資信託の本を探したんだけど、なかなか無いのね。株とかFXはいっぱいあるんだけど。唯一投資信託を扱っていたのがこの本だったので、他に選択肢もなく購入。けど、これでアタリだったな、と思う。「積立王子」という名前はサムイけど(苦笑著者は、セゾン投資株式会社という会社の経営者なので、随所で「いかにセゾン投資がスバラシイか」ということが書かれる。それが少々うるさくはあるけど、まあ、仕方ないよね。でもそれで、経営に対する方針というか、気概が感じられて好感が持てる。私が楽天証券に口座を開いたのは、単にブログで楽天にアカウントがあるからで、それ以上でもそれ以下でも全く無いんだけど、もし先にこの本を読んでたら、この会社で始めてたと思う。私が投資信託へ興味を持った発端が自分のお金を増やしたい、というところだったから、他にも色んな投資があることを名前だけは知ったわけだけど、この本の中では、投資信託がいかに優れているかを説明していく。私がこの本を探していた書店での印象もそうなんだけど、FXってとても流行っていて、一攫千金みたいなイメージがる。だけど、それは投機、つまりギャンブルであって投資ではない、と著者は一刀に切り捨てる。FXを通じて国際経済を学ぼうとか、為替相場を知ろうとか、そういう使い方としては正しいと思われるけれど、収入の手段としては極めてギャンブル的なもので、とても勧められるものではない、と。また、株式投資にしても同じようにギャンブルだと切り捨てる。特定の会社を応援したい、という意味で株主になることは良いことだけれど、株の売買での収入を目的にするのは投資とは言えない、と。確かに、私も以前に勤務していた会社が商社からファンドへ身売りされたり、ファンドからファンドへ転売されたり、という経緯を経験しているので、あまり良い印象を持っていない。一方で、さらに転売された先の親会社の株は、買えるものなら買いたいと思う。私の勤務した会社は株式公開すらしていない会社なので一般人には買えないから、せめて一部上場企業である親会社の株式を取得することで応援したい、と思うから。たぶん、著者が書いているのも、そういうことなんだと思う。投資が社会にどう影響を与えていくかについても、丁寧に説明されている。これまで銀行に貯蓄していくことが善とされてきたワケも、既にそれが現状にそぐわなくなっている現状も。それを主導してきたのは国だけれど、助長してきたのは国民だということも。そして、投資信託を通じて、それを変えていくことができる可能性も。つまり、自分の利益を確保しながらも、社会貢献できるのが投資信託だと。投資信託って面白そうだな、と思える本だった。今の私は貯蓄も収入も無いので実行できませんが。投資信託より何より、まず就職が先ッス(涙
2011.06.10
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【中古】文庫 クライマーズ・ハイ【画】しばらく前に映画化されたんだよね、確か。見に行ってないけど。で、『出口のない海』と同じ作者ってのが記憶に残ってる。今、『出口のない海』のリンクを探そうと思って、「本棚」を見て来たんだけど、2008年……そっか、もう3年近く前なんだ……。『半落ち』も『出口のない海』も、そんなに前に読んだんだ……。せいぜい1年くらい前のもんだと思ってたから、何となくショック。月日が経つのって、本当に早いね。さて、『クライマーズ・ハイ』。今回は自分自身が揺れる中で読んだから、なかなか辛い読書だった。自分自身のことで荒れる気持ちをごまかすように読むのは、辛い。読んでいても没頭できないし、頭に入ってこない。こういう時にこそラノベって向いてると思うんだけど、どうしても今、ラノベに手が向いていかない。頭を使いたがっているんだよね、たぶん。頭を使いたかがっている、という面ではとても合致した本だった。1985年、日航機墜落。当時10歳だった私は、社会的に全く無知だったし興味もなかったけど、この事件を報道したテレビを見たことは覚えている。後にも先にもこんな事故は無いだろうけど、そのことを当時の私が知るはずもなく、あまりにも無残な事故現場の映像に、飛行機事故の恐ろしさを知ったものだ。この作品は、その事故に地元新聞記者の全権デスクとして関わった男性を主人公に、事故当時とその17年後を行き来する。男性は幼少時の経験から、暗い自己を内側に秘めている。そのインナーチャイルドのために、自分の子にも接し方が分からず、社内の人間関係にも臆病になっている。そんな主人公が人を使う立場になる、責任を持つ立場になる。これは、辛いことだよね。主人公は事故報道を巡って、社内の人々と衝突していく。部下を生かしきれなかったり、サポートしきれなかったり、暗い過去を刺激する他部署の人間との折衝を必要としたり。そこへ、家庭から逃れるかのように始めた山仲間の事故が重なる。以前に自殺した部下の従妹が現れ、心情的に揺さぶられる。日航機墜落という事故を扱いながら、事故そのものについての経緯は殆ど語られない。確かにその必要もないくらい有名で悲惨な事故だけれど、作品中で直接的に触れなくても、悲惨さは十分伝わってくる。登場人物たちの言動の中に、あらわれてくる。日航機墜落を描きながら、書かれているのは記者の葛藤であったり、父親の葛藤であったり、インナーチャイルドのつぶやきだったり、とそれだけで収まりきらない。父親としての務めを果たせなかったことを、重い悔いとしてもっている主人公。しかし、その救いはあっけなく、劇的だった。あまりにもあっけなくて、陳腐だなって気がしなくはないけど……読者としても、救われる。どーでもいいけど。日航機墜落で坂本九も犠牲になったんだよね。一言もそんなん触れられなかったんだけど、当時の報道では話題にならなかったんかな?いやまあ、当時の私は坂本九知らなかったんですが。
2011.06.09
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【送料無料選択可!】年収200万円からの「お金と人生を真剣に ASUKA BUSINESS (単行本・ムック) / 田口智隆/著なーんか読んだことあるようなことばっかり書いてあるなー、と思ったら、先日読んだ本と同じ著者だった。がっくり。なので、途中で読むのを放棄。無駄銭だー。でも、自分がやはりこの手のことに意識が向いている、という認識は新たにできた。今私が考えなきゃならないことだと、思っている。つわけで、楽天証券に口座開いてみました。……今日やっと、書留が届いたトコ。昨晩悶々とループで考え続けたせいで、思考力ナッシングなので、実行はまた後日。
2011.06.05
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【送料無料】シーラという子アメリカで、小学校1年生の女児が4歳の男児に火をつける、という事件があった。(やけど程度の事件ではなく、重体に陥るような大変な内容)女児(シーラ)は、裁判所により病院に収容される決定が下されたが、病院に空きがなく、著者であるトリイが担当する障害児学級に一時的に編入してきた。何らかの障害のために、そのような重大な事件を起こすのに至った、と考えられたらしい。しかし、シーラは障害があるせいでこのような事件を起こしたのではなく、むしろ彼女はとても利発な子どもであることが判明する。原因は、彼女の知能ではなく、成育歴にあったのだ。シーラはハイウェイで母親に捨てられる、という経験をしていた。母親は弟だけを連れて、シーラを置いて去っていったのだ。そのことがシーラの心の中に深い傷となっている。また、残された父親は酒浸りで、育児放棄の状態にある。彼女はサイズが合わない普段着を一枚しか持っておらず、防寒着も下着も、まともなものを持っていない。まともな養育も受けておらず、着の身着のままで就寝し、寝小便をそのままに洗濯もせず、登校してくる。しかも、父親はシーラを邪魔者と認識しており、彼女が何か問題を起こすたびに手を上げることを繰り返していた。そういう諸々が、彼女を屈折させ、事件に至らせたのだ。トリイは丁寧にシーラに関わり、一枚一枚、シーラの鎧を剥いで行く。シーラがトリイに心を開き、行きつ戻りつしながらも信頼関係を築いていく様子が、順を追って克明に記されてる。結局、トリイの学級は本年度を以て解散と決定されるが、その頃にはシーラは完全に、一般教室でやっていける自信と力をつけていた。トリイにとって、克服すべき問題が多すぎた。にもかかわらず、一年でこの変化。すごいことだと思う。いや、一番すごいのは、これがフィクションではないということ。架空でならいくらでも書けるだろうが、これはノンフィクションだ。なお、続刊もあるらしい。 【中古】単行本(小説・エッセイ) タイガーと呼ばれた子【マラソン1106P10】【画】……中古じゃないのが見つけられない。自分が買うなら絶対古本探すけど、リンクは新刊で貼りたいのになー。
2011.06.05
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【送料無料】6歳からのお金入門子どもとお金の関係って、悩む。私の中に、お金は卑しいものだ、という日本人的な価値観が確かにあって、出来ることなら、お金については語りたくないし、教えたくない。って書くと、性と似てるけど(笑でも、避けて通れないのよね。私は親からお金について、ちゃんと教えられずにきたから、本当に色々とドンブリ勘定な性格で苦労してる。それでも何とか世間様を渡ってきたんじゃあるけど、やっぱりしなくていい苦労をしてるよね、と思う。てか、あたし、経理の仕事してなかったらヤバかったんじゃないかと思う。親の生活見てても、本当にお金に疎い人の生活だなあ、というのが伝わってくるしね。余計なものをしこたま溜めこんでるくせに、要らないものをやたら買ってるくせに、なんだか貧乏くさいというか、貯金額が少ないぞー、みたいな(笑無理の無い住宅ローンを組んで、なんか内容不明な保険組んで、2割引とか半額食品ばっか買ってるのにやたら食費が高くて、まあでも、無駄遣いっつーより不器用な感じで、無茶じゃないよね。けど、あたしはそうはしたくない。あたしのなかに、お金について語ることは卑しいことだ、って価値観は確かにあるけど、それとちゃんと向き合うことも必要だと思う。てか、向き合うと決めた。今まで試行錯誤で子どもにお金を持たせてきたけれど、そろそろ、ちゃんと教えていかなきゃならないのよね。リンク組んだ商品写真には帯はついてないけど、あたしが買った本には帯がついてて、それがすっごく刺さる。子供のおこづかい、何気なくあげていませんか?・買い物のおつりを不定期におこづかいとしてあげている・子供に物をねだられたら、ついつい買ってあげてしまう・お金を子供に渡しても、感謝もせず当然だと思っている上のひとつでも当てはまるなら、この本を読んでください!「お金のしつけ」は親がすべき教育のひとつです本を読んだからって、そのまま実践するわけじゃないし、イナカに住んでる分、物的欲求が奥手なタロウは、まだこの本のレベルに到達しないけどさ。でも、一つの指針として、とても役に立ったと思う。中学生になる頃には、列車に乗って自分で街中に出ていくようになるから、その頃までには、ちゃんと扱えるようにしておいてやらなきゃならない。今は3年生だから、そろそろ考えなきゃいけない時期なのよね。
2011.05.23
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DVDターミナル DTSスペシャルエディション 2枚組旦那のDVDをやっと見ました。……例のカザリも、何とか使えるようになった模様(笑やっぱ、良いねえ、大画面。生映画館には劣るにしても、見ごたえがあります。早くこれを物置じゃない部屋に設置したいものだ。さて、ターミナル。ニューヨークの玄関口である国際空港に、足止めを食らった男の物語。軍事クーデターにより国家が転覆したため、パスポートの後ろ盾を失い、ニューヨークへ着陸しながら、ニューヨークへ出ていくことが出来ない。管理者である男には何度もそれとなく逃走をほのめかされながら、誠実さと語学力不足により、それを実行しないまま、空港に住み着く。当初、彼を拒絶していた人たちも、徐々に彼を認めていく。面白くはあった。けど、なーんかこう……腑に落ちないのよね。『フォレスト・ガンプ』も誠実さゆえに主人公が成功していく物語だけど、主人公が知的障害(で良いのか?)を持っているがために、「常識」との乖離が全く気にならなかったんだけどさ。『ターミナル』の主人公はそうじゃないのよね。少なくとも、そうと思われるエピソードは無い。ごく普通の、誠実な男なの。でもさ、誠実な男でも四十男なら、もう少し「擦れて」て良いだろうに、というか、世間ずれしてないっておかしいだろうに。ロシア周辺諸国からアメリカへ渡航するのにだって、大金が必要でしょ?なのに、それを為すための理由が、著名人のサイン1枚って……管理者の男が好対照に、擦れ過ぎてるだけに、違和感。恋愛模様も、チープ。主人公がメッセンジャーボーイになって、一組の男女を結婚させるけど、なーんかこう……脱力しちゃうのよね。主人公自身も空港で出会ったスッチーと仲良くなって、恋愛っぽくなるけど、結局スッチーは元の鞘に収まっちゃうし。はあ……なんなんだか。オソロシー、と思ったのは、アメリカって国ですね。そんな……「ロビーで待て」なんて指示出しといて、長時間、否、長期間放牧ですか!??はあ……日本ってのはありがたい国だ。絶対ありえん。前から行きたい国ではなかったけど、ますます行きたくなくなりました。英語圏で行きたいところは何箇所かありますが、米国本土は結構です。
2010.05.26
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ルワンダ大虐殺ネットを徘徊していて、ルワンダの記事を見つけたのが興味の発端。ただ、その記事を読んだのは本当に断片的だったので、本当にルワンダだったのか、それともウガンダだったのか、社会にも地理にも疎い私には、今となってはわからない。ともかく、そんな断片記事がアタマの端っこに残っていたせいで、『ルワンダ大虐殺』という衝撃的なタイトルに惹かれて購入。タイトルとなっているルワンダ大虐殺とは、1990年代アフリカの小国ルワンダで起きた民族紛争の一つだ。民族紛争、というと拮抗した民族が長いこと戦闘状態にある印象を受けるが、そもそも民族が対立することになった背景にはヨーロッパ列強による支配があるよう。ベルギーを主とするヨーロッパ諸国により、民族の対立が作られ、煽られ、それが1994年の大虐殺につながっていったようだ。この『ルワンダ大虐殺』は、その大虐殺を生き延びた当時16歳の少年による手記で、回顧の形をとりながら書かれたものだ。よって、冷静に社会的かつ国際的な経緯を追って書かれているとは言い難く、ざっとWikipediaを読んでもかなり印象が違っている。私の知識は到底この事件について語れるようなものを持ち合わせていないので、どちらが正しいとも言えないが、他に説明できる物もないので、事件の説明はWikipediaのリンクをもって代える。この本は、生き抜いた者の手記で、文章を書くプロの為したものではないため、読み物としては多少の読みにくさがある。その辺りは、『生きながら火に焼かれて』と似ている。だが、やはり、これが文章でなかったら、とても読み進めていくことはできないだろう、と思われるくらい凄惨な場面を描き続けられていて、訴えられてくるものは多い。幸か不幸か、文章では映像を読み手の脳裏で想像力によって再現するしかないために、凄惨な体験の少ない私には、その情景を思い浮かべることが難しく、淡々とよみすすめることが出来てしまうのだ。著者は、1979年生まれ。私より4歳年下の男性だ。彼がかいくぐったルワンダ大虐殺は、1994年のこと。ほんの一昔前のことで、何よりもそのことに私は驚く。私の意識では、第二次世界大戦以前ならば、こんなこともあったろうと思える範囲だ。ドイツではユダヤ人撲滅運動が行われており、中国大陸では日本の関東軍がワケのわからないことをやっていて、日本には大量殺戮兵器が人類史上初めて投下され瞬殺された。そのどれもが大変なことで、決して忘れてはならないことだと思うのだけど、でもそれも、半世紀以上前のことだから、かなりの過去のことだ。なのに、ルワンダの大虐殺は、つい10年そこらしか経っていない。しかも、当時大学生だったはずの私は、この事件を知らない。小学生や中学生が知らないのなら、仕方がない。でも私は、大学生。なのに、何も知らないのだ。そういえばこの頃、難民キャンプの映像をTVで見たような記憶が微かにあるが、それがルワンダから逃れるフツ族のものだったのか、他のものだったのか……「ふーん?」程度にしか、意識を向けなかった私には、何も思い出せない。私がオバカで能天気な学生だったことは否めないけれど、著者によれば、ルワンダの虐殺は先進国に無視されていたのだそうだ。虐殺につながる予兆は随分早くからあったにもかかわらず、見過ごされ、虐殺が勃発してもなかなか終息に向けた手は差し伸べられず、情報が錯綜して被害者が加害者に祀り上げられるという事態も発生した。一体、ルワンダで何が起きたのだろう。そして、今のルワンダはどうなったのだろう。情報が錯綜し、正しい情報をリアルタイムで得ようとしても、この件に関しては非常に難しかったろうと思われる。けれど、同年代のこの青年が地獄を見ている間、私は何も知ろうともせず、オバカで気楽な大学生活を謳歌していたことに、強い抵抗を感じる。この本を読みながら最も強く感じたのは、自分自身に対する恥だった。私は、自分の無知を恥じる。
2010.05.11
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彩雲国物語(蒼き迷宮の巫女)最新刊が出たー!!!!つわけで、発売日に即買い。今回、挿絵が少なかった・・・・・・。カイリさんの絵、好きなんで淋しいよぅ。んで、若手登場人物の出番が少なくてさー。せいぜい藍だけで。うむむむ。最初の頃、頑張ってた人たちがどんどんかすんでいく。年寄りばっか活躍してんだよね。でもねえ、この人、年寄りの扱いが下手なのかなあ?ティーンズレーベルだから仕方が無いのかなあ?いい歳したオッサンたちが、若者言葉で喋ってることに違和感を覚えるんだけど。最後にはオネエ言葉で喋るオッサンも出てきたし。さぶいよ・・・・・・。いや、そもそも。ちょーっと、雑なんじゃないかなあ・・・・・・。ストーリーすきだし、どう展開していくんだろうって、毎回ドキドキしながら読んではいるんだけど・・・・・・でも、なんか、朱を入れたくなるというか・・・・・・日本語が変ってことは、前々から言ってるけど、それだけじゃなくて、推敲不足って気がするのよね。骨身を削るが如く、とは言わんけど、もっと真摯に書いてほしい。好きな作品だけに、すっごく残念な気がする。にほんブログ村
2010.04.05
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粗食のすすめ幕内秀夫、という栄養士さんの本。気付くとこの人の本が随分揃ってます。日々の食事も、この人の影響を受けてる。ジロウ妊娠中、マクロビオティックを読み漁ったものの、実践に至らぬまま断念。玄米食とか、豆腐メインとか、そういう断片的なトコだけ残ってるけどね。たぶん、私にマクロビは無理だったと思う。何故かって言うとさ、現実的でないのよね。一応、何冊も本を読んだから、体系的にしっかりした考え方に基づいてるのは分かる。実践者の声も、非常に優れたものだって言うの、多いしね。賛同も、する。けどさ、やっぱり、ちょっと実践となると難しいのよ。添加物も着色料も油脂もコッテリな現代食と対極にある気はするけど、対極すぎて現実感が伴わないというか。その点、幕内秀夫さんのは、割と現実的な気がする。粗食のすすめ、は先にレシピ本に出会って断片的に実践してたけど、今回読んだのは、理論集、という感じ。ちょっと古い本だけど、いろんなことが腑に落ちる。保育士の勉強をしてるとね、小児栄養って科目もあって、一日の塩分摂取量は10グラムにしろ、とか、卵と牛乳は完全食品だ、とか、そんなのも覚えなきゃならんわけ。覚えなきゃ点が取れないし、点が取れなきゃ合格できないから、頑張って覚えるだけは覚えたけど、すっごく疑問に感じたのよね。これを基本にして、大丈夫なんだろうかって。著者も同じことを出発点に持ったみたい。勿論、あたしは単なる資格試験の一教科に過ぎないし、著者は管理栄養士だからレベルの全然違う話だとは思うんだろうけれど、そんな専門職だからこそ、余計に強く思われたみたい。卵信仰も牛乳信仰も肉信仰も、戦後の混乱期に派生したものみたいで、戦勝国に対する憧れが多分に混ざっているみたいなのね。日本が戦争に負けたのは、そんな理由じゃないのにね(苦笑私は保育士勉強をしたから、栄養の取り方の王道みたいなのは知ってる。それは卵や牛乳や肉を信仰に近いほど重要視する取り方で、マクロビほどではないにしても、この著者の考え方だって随分キワモノなのよ。だけど。やっぱり、その「王道」な考え方っておかしい気がする。一般論が正しいとは限らない。王道が正しいとは限らない。なんだか、ちょっと怖いよ。粗食のすすめ冬のレシピ他にも色々著書アリ
2010.03.17
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昨日、ジロウが1歳になりました。と思って、昨晩、動画をUPしてみたんですが、あまりにも所帯じみた感じだったので、早朝削除しました><見られた方、貴重な映像ですよ(笑でも、ケーキは週末にするつもりですし、まだ1歳なので、誕生日プレゼントもありません。来年の誕生日にはお祝いも楽しめるようになるでしょうが、ことしは周囲の私たちに気持ちの区切りがついただけのこと。ジロウが1歳になった、ということはつまり。3児の母になった私も、1歳。ハナコおねえちゃんも、1歳。弟を持つお兄ちゃんも、1歳。実年齢では全然違うけど(笑そう考えれば、色々未熟でも仕方ないよなって思う。むしろ、1年しかやってないのに、すごいよなって思って良いんじゃないかなー。ハナコが淋しがってジロウと競ってるけど、仕方ないよね、それも。手の爪はいつも食べちゃってて伸びないし、指先の皮膚もズル剥けだし、ギャンギャン泣くことも多いし、「ジロウだけずるい!」も多いけど、まだ1年しかお姉ちゃんしてないんだもん、よく頑張ってるよ。先日、お友達ブログで見つけた絵本を買ってみました。ちょっとだけなっちゃん(年少くらい?の女の子)の家に、あかちゃんが生まれました。なっちゃんはお姉ちゃんになったので、イッパイ我慢。今までやってもらっていたことが、してもらえない。「やって」って言えないので、頑張ってみる。頑張って“ちょっとだけ”成功する。手を繋ぐのも、牛乳を注ぐのも、髪を結うのも、ブランコも、“ちょっとだけ”成功。最後に、眠くなったなっちゃんは「ちょっとだけダッコして」とお母さんに頼む。お母さんは、「いっぱいだっこしても良いですか?」と聞く。なっちゃんは「いいですよ」と答えて、だっこしてもらう。あかちゃんはその間、“ちょっとだけ”がまんしてもらいました。というお話なんだけど。一生懸命我慢して頑張ってるなっちゃんが痛々しくて、抱きしめてあげたくなる本。なっちゃんがハナコと重なって、申し訳なくなっちゃう。で、もっとハナコに手をかけてやんなくちゃって思った。けど、ハナコはちょっと違う見方をしてた。牛乳を注いだなっちゃん、髪を自分で結んだなっちゃん、ブランコを初めて自分で漕いだなっちゃん、そんななっちゃんをすごいなって。考えてみれば、その通りなのよね。「今まで通りに手をかけてやれない」っていう後ろめたさがあるから、親のあたしはなっちゃんの笑顔を痛々しく感じちゃうんだけど、初めてトライしたことがうまく出来た喜びってのは、スタート地点がどんな事情によるものであれ、あるはずなのよ。だから、後ろめたさを持たないハナコは、なっちゃんの笑顔に達成感を読み取る。親ってのは、勝手なもんだなあ。子どもが出来ることを効率のために親がやっておいて、親の都合でしてやることが出来なくなったら子どもにさせて、後ろめたさがあるもんだから「我慢させてゴメンね」で、達成感を読み取れない。情けないなあ・・・・・・。
2010.01.27
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子どもの心のコーチングコーチングって流行ってるよね、単語的に。スピリチュアルと同じくらい、よく聞く。あたし、横文字嫌いだから、日本語で喋れよ!!って思っちゃうし、それだけで胡散臭い印象を持っちゃうんだけど。断片的に入ってくる情報で、コーチングって親業と似てるなって思ってたのよね。コーチングに関ってる人が書いてる記事とか読んでると、親業のことが書いてあるんだろうかって思うことがよくあるもん。だから、一度、コーチング関係の本を読んでみたいと思ったのね。読んだ感想。やっぱり、親業とコーチングはよく似てる。創始者がトマス・ゴードンってキリスト教圏の学者だからか、親業の方が学術的って気はするけどね。親業で「関係を損なう十二の型」って言うのがあるんだけど、それも紹介されてる。ただ、あたしが十二の型で違いがよく分からなかったのが併合されてるらしく、11の型になってるけど。それは、日本語と英語の違いみたいなもんで、コーチングの方がすっきりきた。親業と同じ名前がしっかり書かれているわけじゃないけど、能動的な聞き方も、わたしメッセージも、第三法もある。とても良く似ている。親業の本は読み飽きた感があるから、コーチング関係、読んでみようかな。
2010.01.25
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平林都の接遇道なんのTV番組だったか忘れたけど、コワイオバハンだなー、って強烈な印象で残っていた人。いや、コワイんだけど、言ってることが至極まともで、でも真摯に体当たりしてるのが感じられて、嫌な感じでなく、忘れようにも忘れられない感じの人だったんだけど。本を見つけたので、買ってみました。どーでもいいけど、フ○バ図書、古本価格設定がめっちゃ高いよ・・・・・・。古本と新品で値段が100円くらいしか違わんってどーゆーことさ。100円しか違わないんなら、古本買う意味無いじゃん。ブックオフが恋しい・・・・・・。見出しがドカンと1頁占領してる上に、文字もでかいので、あっという間に読み終わる。書いてあること自体は何も特別なことでなくて、ごく普通のことなのよね。だからこそ、すら~っと読み終わるんだと思う。けど、さ。体現するのは難しいよね。あたしは事務職なので、実践って意味で参考になるところは少なかった。やっぱり接客業の人、カーディーラーとか、デパートとか、そういう人たち向けに書かれたものだからね。だけど、なんだろ。読み終わったら、背筋が伸びるのよ。生き方、みたいなところで、すごく共感できるところが多かったのね。キッチリ前を向いて、自分をしっかり表現することで、相手をも幸せにしていくこと。後姿を見ている子どもにも、影響してること。あたしは、ナマケモノでぐーたらな人間なので、すぐ、安きに流れちゃうのよ。でもさ。ちょっと自分を律してみようって気になるじゃない。接遇のノウハウみたいなのは、あんまり役に立たなかったけど、ココロみたいなのは、とても役に立ったと思う。たまに読み返してみようかな。
2010.01.19
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長男・長女はなぜ神経質でアレルギーなのか久しぶりに、新書。掲題に惹かれて買ったのだけど、半分くらいしか掲題通りの内容じゃない、という半分くらい詐欺な本だった。「長男・長女は」って謳ってるんだから、次男・次女以下との違いを延々書かれているもんだと予想していたのに、そして、前半は確かにそんな内容だったんだけど、途中から風呂敷がずんずん広がっていって、子ども全般になり、読み終わったときには前半部分の記憶が朧になっているもんだから、どこから掲題に繋がるんだったっけ?と首を捻らねばならぬ状況。まあ、長男長女から離れても、興味深い内容だったけどさ。でもさ、普通、起承転結とか、序論・本論・結論みたいなもんで、シメがバリッと掲題に一致するもんでしょ?それが、後ろに行くほどアサッテに向かっていくというのは、なんとも居心地の悪い感じがするものです。いや、良いんだけど。良いんだけどね。長男・長女は、なぜ神経質でアレルギーなのか。長男と言えど、上に姉が居れば末子のこともあるし、同様に長女と言えど、第一子で無いこともありうるのだけれども、まず、第一子の長男長女の特徴として挙げられるものが、この掲題の「神経質でアレルギー」、らしい。この特徴は、膨大なアンケート調査や、血液採取などを通して提示された傾向らしい。第一子の性格を神経質と感じる親は、第2子以降に比べると圧倒的に多い。アレルギーに対しても、同様らしい。しかし、これは長子であるか否かだけではなく、住環境によっても大きく違う。(って話なあたりから、「長男長女は」から離れるんだけど)田舎の子より都会の子にその傾向が強く、都会暮らしでも、一戸建てよりマンションの子にその傾向が強く、マンションでも、低層階より高層階にその傾向が強いらしい。「それでもマンションに住みますか?」と著者は問う。ほんっと、恐ろしいよ、読んでると。日本は国土の大半を急峻な山に覆われ、平野部はほんの少ししかなく、大都会はわずかな平野部に集中する。だから、働くことを考えると、住居も平野部に集中しがちだし、需要と供給バランスを考えると、マンションが林立するのも仕方が無い。けど、マンションって・・・・・・怖いよね。一時期、賃貸マンションで暮らしてたこともあるから、マンションの弊害については、実感を伴って納得する。私が暮らしてたのは3階建ての2階だから、低層もいいトコだけどさ。それでも、閉塞感ってものはすごかったのよ。AC云々による子育ての難しさも大きかったけれど、あの住環境でなきゃ、産後欝はもうちょっとラクだったと思う。人によって、合う・合わないってあるけどさ、あたしは、マンションにはもう住みたくない。このマンション話の後、家族関係についても触れられる。不登校・引き篭もり・アダルトチルドレン、という家庭にありがちな話。これらはとうてい満足できるものではなかった。言いたいことはなんとなーく分かるんだけど、紙面の都合もあってか、ほんのさわりにしか触れられていないから、吼えたくなる。その最たるものが、高級レストランに子どもを同伴する日本人は非常識、って話。言いたいことは、分かる。高級レストランは、大人のための場所だから、お子様はダメ。お子様連れの親も、ダメ。それが躾ってものだし、マナーってもの。でなきゃ、子どもにも他の大人にも、宜しくない。分かるけど。分けるけど、でもね。それが欧米で何故オッケーかって言うと、ベビーシッターって制度が一般的だからよ。ベビーシッターに子どもを預けて、母親が大人の夜を謳歌することが出来るの。夜の保育が、ちゃんと確保できてるのよね。日本ではベビーシッターは一般的じゃないし、夜間保育も一般的じゃないから、夜出歩くためには、ジジババに預けるのが一般的なの。けど、それさえも大多数を占める核家族には難しいことだから、子どもを連れて出歩くしか無いんじゃないのさ!!! >吼母親が夜になってフラフラ出歩こうってのがおかしい、とか言うなよ。「これも仕事だ」とか言って、繁華街に繰り出していく父親の後ろには、苦虫かみ殺すか、指をくわえるかして、見送ってる母親が居るんだからね。あー・・・・・・。そうそう。AC関連のことは、この「躾」云々の後に書かれてるんだけど、この「日本人の親は非常識だ」な話以降、すっかり読む気を無くしてしまって、字面を読み飛ばすだけのスルーだったので(そんくらい、ムカついた)、あんまりしっかり読んでないかも。さわりしか書いてないから吼えたくなるんじゃなくて、吼えたくなるようなことを書いてあった後に書かれてたから、吼えたいのかも(笑
2009.12.24
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彩雲国物語(暗き黄昏の宮)読んだ。相変わらず、日本語の変な作家さんだー・・・・・・。しかし、当初の人物設定って、こんなだったかなー、と思う人がゾクゾクと出て来た。なーんか、人物設定がブレるというか・・・・・・。良いんだけどねー。読んだ、ということで。しかしなんだね。AC回復を目指した、セルフカウンセリングもどきブログだったはずなのに、いつの間にか読書ブログになってるよ(笑読書メモばっかりじゃーん。
2009.12.22
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桶谷そとみの新母乳育児の本樋谷式、というのをリンク先で読み、気になっていたのだけど、どうにも私の生活圏内ではその単語の店舗(病院か?)に行き当たらない。生活圏内にあれば一度マッサージを受けてみたかったのだけれど、頑張って探すほどの必要性も感じぬまま、いつのまにか11ヶ月を迎える。11ヶ月って言えば、そろそろ断乳を考えてもいい頃っすよ!とはいえ、気になっていたので、古本屋でめぐり会ったのを機に、読んでみた。平成9年の著なので、一昔前の話だ。古い。離乳食の開始も早いし、歩行器推奨だし、砂糖湯や白湯も推奨だし・・・・・・一昔前の話ならそうかもねえって、随所で時の流れを感じた。というわけで、「子育て」についてはあまり参考にならない感じだけれど、さすがに母乳については目からウロコがたくさんで、読んでよかったと思った。とはいえ、母乳の情報も十年経てば古くなっている箇所もあろうし、その如何を書くだけの知識は持ち合わせないので、具体例を挙げて書くことはしない。育児書の類では、母乳を与えたくても与えられない母親への遠慮があるのか、それとも広告主であるミルクメーカーに遠慮があるのか、母乳のすばらしさはあまり語られない。いや、語られてはいるのだけれど、これだけかと思うくらい淡白だ。でも、母乳育児を目指す人のために書かれた本だけあって、全く遠慮無しで母乳を勧めていて、気持ちが良い。栄養や免疫だけでなく、母子相互作用のことや、発育についても、長い経験を通して母乳で育てられた子どもに良好な傾向があることが書かれている。根拠に乏しいかもしれないけれど、そういうのもとても良かった。先に、具体例は挙げない、と書いたけれど、断乳についてそろそろ悩んでいたところでもあったので、そのことについてだけは、書いておく。この本によれば、断乳は1歳3ヶ月ごろ、自分で歩くようになってかららしい。本当の断乳は兎も角、夜間の授乳が辛くなってきたので(寒いッス!!)夜間だけでも断乳できないものか、いやでもその努力が辛いし、などと考えていたところでもあったので、あっさり断乳を先送りする気持ちになって、さっぱりした。授乳の間隔が開いてから離乳、というのが育児書の大勢だけれども、この本では、断乳まで2時間半間隔を通して良いらしい。昼夜ともに2時間半間隔、というのも今のジロウに合っていて、納得できた。でも、1歳3ヶ月だったら、あと4ヶ月くらいの話なのよね。タロウとハナコは、早くから混合→ミルクの子だったから、断乳らしいことはしなかったんだけど、ジロウはするのかもね。ジロウなりに、おっぱいに対する思い入れみたいなのが、既にあるみたいだから。風呂に入れようと思って服を脱いでたら食いついてみたり、湯船の中で食いつこうとして溺れかけたり、してるから。私が離乳食食べさせようとすると、食べないしね(おっぱいが欲しいらしい)。保育園やばーちゃんが、「ジロウはよく食べる」って言ってくれるのが、信じられないくらいに、味見程度しか食べてくれないもん。もっと早くに読めば良かったな、と思う。せめて、育児休業中、ジロウの傍にずっと居られた時に。
2009.12.21
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バッテリーの続編。本編で中学生たちが自分で企画し実行する試合が始まるところで終わっていたが、その続きと、周辺が書かれている。試合がどう運び、どう終わったのか、結果をしりたいと思ったけれど、未完の感じがよかったので、結果を知るのも惜しい気がしていたが、試合自体には結果程度にしか触れられず、登場人物の心象に重点が置かれているのが、とても良かった。が。読みにくい・・・・・・><心象描写が非常に多いので、どこが現在で、どこが過去の回想で、どこが現実で、どこが空想で、主語を発しているのは誰なのか、読みにくくて振り回される。とても失礼な書き方になるのだけれど、中高生の文芸部の小説を読んでいるようだ。何を感じたか、を描くことに重点が置かれ、振り回され、焦燥を感じながらも書かずに居られない、という作者の姿が見えるようだ。上手い、とは感じない。でも、その感覚を大人が持ち続けることは存外に難しいものなので、研ぎ澄まされた感覚が感じられることは、すごいことだと感じた。
2009.12.21
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この作者、名前はさんざ聞いたことあるんだけど、読んだのは初めて。最初、というか、第1章を読んでる間は退屈だった。めんどくさー、でも借してもらったんだから読まなきゃなー、みたいな義務感で読み進めた。主人公は版画絵を生業とする女性。第一章は、その女性の心の中の会話なので、版画とかぜーんぜん興味ない私には苦痛だったのですよ。ついでに、「君」っていう二人称もキライ。歯が浮く。だからもう、ほんっと、義務感との戦い。物語が動き始めてからは、ずっと前に読んだ、『Y』を思い出した。『Y』も、同じ時間の中を生き続ける男の物語だったから、なんだ、二番煎じか、という感じ。(二番煎じ、と感じたのは私が先に『Y』を読んだせいだけど、 本当はどっちが先なのかは分からない)『Y』の方は、もっと長い時間、一時代ともいえるくらい長い時間を、何度も繰り返し生きる男の物語だったけれど、この『ターン』の方は、1日というもっと短い時間だ。主人公は、事故がキッカケで、七月のある一日を延々と繰り返すことになる。街には人一人なく、人どころか、鳥も虫も音も無い生活。孤独、だ。その悲劇について書かれているのは始まりに過ぎず、『Y』を意識したのも、そこまでだ。繋がるはずのない電話が突然かかって来て、物語は動き始める。ぐんぐん引き込まれ、一息に読み上げた。面白かった。だが。私にとって印象強かったのは、やはり後書きだ。後書きで、作者がこの女性と、途中から登場する男性の時間について説明する。どのように時間が動き、リセットされ、二人が共有するのか。本文を読みながらではなかなか分かりづらいことだが、頭に「?」マークを飛ばしながらも、勢いで読み進めてしまうのでこの説明はとても有難く、分かりやすい。でも、その説明自体よりも、その説明にかかる前に書かれた言葉が、私にはとても重かった。 設定は、書きたいことを書くための、いわば《道具》ではあります。 しかし、だからこそ《絵空事だからいいや》ではすまない。 おかしな部分には、説明がつかなければ前に進めません。小説なので、絵空事なのは当然で、架空の設定をするなら、それはもっと突飛なものになるはずなのだけれども、突飛であろうと架空であろうと、ちゃんと整合性がなければならない。ラノベやティーンズの作者さんだと、あんまり設定しっかりしてなくて、勝手に人物が動き出しちゃった、みたいなことを後書きに書く人も多いので、なんとなくそんなイメージ強かったんだけど、言われてみれば当然のことで、設定ってしっかりしてなきゃダメなのよね。そうかーーーーーーー!!!!見たいな感じで、目からウロコでございました。
2009.12.17
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オディールの騎士クラッシュ・ブレイズの新刊。経済状態の急激な悪化により、一時は入手困難と思われましたが、無事、ゲットできました。引き続き、彩雲国の最新刊ゲットを目指したいと思います。今回の主役は、大型夫婦でした。でも、オイシイところだけリィが持っていきました(笑以下、ネタバレで書くので、よろしく。表題の人名、「オディール」とは登場人物の一人で、レジャー産業を担う富豪の一人娘。オディールの父親は、ステキな「井の中の蛙」ないし「小山の大将」。つまり、すっごく世界が狭い人なのね。中途半端に地位名声を手にしたもんだからペコペコしてくれる人も多く、偏見のカタマリで、ものすごく世界が狭い。ホンモノの富豪な大型夫婦に対峙しようなんて、器が違いすぎるんだけど、本人は全然気付いていなくて、傍目にはとっても滑稽。滑稽だけど、迷惑よね。そういうのが要所要所のエピソードに挿入されてて、すっごく辛らつだなー、と思うんだけど・・・・・・。他人には迷惑に過ぎなくても、娘には害悪だ。オディールは、父親の毒に晒され続けて成長したため、父親に逆らうことが出来ない。父親にはその意図は無かったにしろ、オディールは父親に従わなければ殺される、と長年思い続けてきた。これは、娘にとってはとんでもない重圧だ。結局、最後にはオディールは父親の枷を自分で外すことに成功する。ACの書籍では良く薦められる、親と対決するのだ。こういう小説だから、オイシイところは主人公夫婦が浚っていく。主人公夫婦の成したことにより、対決はあっけなくオディールの勝ちに終わる。オディールは父親の呪縛から逃れるのだ。この本では、これでオワリだけれど・・・・・・ACなら、分かるよね。対決でオワリじゃないこと。オディールはこの後、どうなるんだろう。彼女が本当の意味で呪縛から逃れることが出来るのは、いつだろう。父親との対決は、AC回復のほんの入り口に過ぎない。おそらく、この先について書かれることは無いだろうけれど・・・・・・。そして。私たち親は、オディールの親と同じことをしていないだろうか。オディールの父親は極端で、「殺す」というメッセージを送ってしまったが、親に逆らえば苦痛を与える、というメッセージなら普通の親でも送りがちだ。私も、親に受けたことについて、恨み辛みを書き綴ってきたくせに、気付いてみれば、タロウやハナコに対して毎日のように親の権力を行使している。オディールの父親ほど強烈なものでないにしても、子供にとって辛いことに変わりはない。オディールの親は、他山の石。偏狭な世界観も、滑稽なほどの振る舞いも、子供に対する扱いも。相変わらず、面白いかどうかと言うと微妙な本だけれど、久しぶりに、自分の言動を顧みるきっかけにはなった。
2009.12.15
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獣の奏者(1(闘蛇編)) 獣の奏者(2(王獣編))守人シリーズと同じ作者の、別シリーズ。守人シリーズがとても面白いので、読みたいと思っていたのだけれど、1・2巻が文庫になっていたのでゲット。読み始めるまでは、軽い不快感があった。前に『月下の恋人』で書いたけれど、私は浅田次郎の文章が好きだ。物語としても逸品だと思っているけれど、文章も好きだ。言い回し、句読点の打ち方、というのは文章の重要な部分で、浅田次郎は私の好みにピタリと合う。私の好みが浅田次郎に影響されたのか、浅田次郎が私の好みなのか、どちらが先なのかは分からないけれど、浅田次郎が私のピカイチだ。だから、上橋菜穂子の文章は、私に合わない。私の好みを標準に置いて言うなら、句読点の間隔が近すぎ、改行が多すぎ、漢字であってほしいものが平仮名だったり、平仮名であってほしいものが漢字であったりする。物語とは別次元の、文章、というものが私には合わない。だから、慣れるまでは少々、苦痛。でも、その苦痛はほんの2・3頁のうちに消える。時々思い出したように違和感が蘇ってくることが無いとは言わないが、慣れてしまうし、何よりストーリーにのめりこんでしまう。守人シリーズもそうだったけれど、この獣の奏者もとても惹き込まれる。ぐいぐい惹き込まれて、何を置いても続きを読みたくなる。面白いし、とてもパワーのある作品だと思う。あとがきによると、当初この獣の奏者シリーズは2巻完結だったのだそうだ。著者はこれはもう終わった物語としていて、続きを書くつもりはなかったのだと。でも、2巻までを読んだところの感想で言うなら、全く完結という気がしない。続刊が待たれるし、続刊が無いというのは未完という気がする。実際には、ハードカバーで3・4巻が刊行されており、文庫版としては未完ではなく、未刊なので、ジリジリしながら続刊を待つけれど。(ハードカバーという選択枝は私には無いのよー!)
2009.11.12
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あたしもびょうきになりたいな!随分前の配本。エリザベスの弟が病気になりました。弟はみんなから心配されて、ちやほやされているのに、エリザベスはいつもと同じ生活をしなくちゃならない。羨ましくてたまりません。でも、弟が快癒するのと入れ替わりに、エリザベスもびょうきになりました。元気になった弟は、いつも通りの生活を送っていて、羨ましくてたまりません。病気になった弟が羨ましくてたまらないけれど、病気になってみれば、元気になった弟が羨ましくてたまらない。弟が病気になったときの、微妙な気持ちが書かれています。そうそう。子どもの一人が熱を出すと、ついつい親はそっちに目が行っちゃうし、他の子どもには目も手もいかなくなるもんだけど、子どもってそれでとても淋しい思いをするものなのよね。気をつけなくちゃなりません。ところで、この絵本。表紙は元気なエリザベスがドアからのぞき見る姿だけど、作中では、エリザベスも熱に浮かされてぼよ~ん、となります。その姿が、インフルエンザになったときの子ども顔にそっくり!この姉弟の病気ってインフルエンザに違いないわって思うくらい。この絵本を読むたび、昨年娘がインフルエンザにかかったときのことを思い出します。「エリザベスみたいな顔になってきたよ」と、何度も言ったものです。今年は怖いインフルエンザが流行っているし、チビがいるし、何とか病魔の手から逃れられれば良いのですが。でも、考えてみたら、産休以来、タロウは全然風邪をひいていません。学校も皆勤賞。オナカの弱い子なので時々下痢はしてるし、花粉症に悩まされて鼻水垂れてるけど、熱を出したことはないし、風邪っぽくなったこともない。タロウがジロウくらいのころには、病弱で次々と風邪をもらってきて、一月5万円弱の保育料がバカらしくなるくらい保育園を休んだのに、今となっては、一体全体、いつのまにこんなに丈夫になったんだか。ジロウは先週、初めて保育園で熱を出しました。9月から保育園に行き始めて、熱で呼び出しがかかったのは初めて。3人目は強いわあ、と半ば呆れました。ジロウの熱はヘルパンギーナだったので、すごい高熱になりました。が、高熱の割に予後が良く、翌日には37度まで下がり、その翌日には保育園復帰。本当に3人目は強いわ。ちなみに。ヘルパンギーナのバトンを受け取ったのは、タロウでもハナコでもなく、パパ。土曜日に39度の熱を出し、日曜日には舌の付け根が痛いと言ってました。本人は、熱はストレス、舌の付け根が痛いのは疲労による口内炎、とか言ってるけど、ぜーったいにヘルパンギーナよ。はあ。そういえば、娘がインフルに罹った時にもお付き合いしてたわよね。昨日、地元行事で出会ったママ友に、「いつもちゃんと付き合ってくれる旦那さんで良いねえ」って言われたけど。こんなお付き合いは要らんわ!!!
2009.11.09
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いのちのまつり2年くらい前だったか、夫の祖母が贈ってくれたもの。ハナコが気に入っていて、よく読んで欲しがる。絵本としての価値、みたいなところは良く分からない。いわゆる、「良い絵本」なのかと言われると、返答に詰まる。うーーーーーーーーーん・・・・・・・オモシロイヨ、みたいな(笑ハナコは、途中にある、びろーーーーーーーーん、と広げる仕掛けが好き。仕掛け絵本って言うほどのものじゃないけど、1ページだけ大きいのがあるのね。それを広げて畳んで、ってのが面白いみたい。けど、読みながら考え込みそうになる絵本では、ある。たぶん、奄美大島とか、とにかく南の方の島が舞台なんだと思うんだけど、家族旅行で訪れたコウちゃんが、島在住のオバアと話をして、「ご先祖様」について考えるって話なの。コウちゃんに命をくれたのは、お父さんとお母さん。でも、そのお父さんとお母さんにも、お父さんとお母さんが居る。そのお父さんとお母さんにも、お父さんとお母さん。コウちゃんの上に2人。その上に4人。そのまた上に8人、16人、32人・・・・・・数え切れないくらいのご先祖様のいのちの繋がりの末に、コウちゃんがいるんだよ、と。こういう「遺伝」みたいな話の結末って、どこか啓蒙的な精神論になりがちじゃない?だから、ご先祖様を敬いましょー、とか。だから、命を大切にしましょー、とか。それは、無いね。最後に「コウちゃんがんばれーとご先祖様が言ってるような気がしました」、って一文があるけれど、さっぱりしてる。だから、説教くささみたいなのはない。けどさ、読みながら考えちゃうわけよ。コウちゃんの上に2人、4人、8人、って、扇状にご先祖様が並べられるのよね。でも、これは逆に、コウちゃんの下にも作れるわけ。コウちゃんの子どもが2人だったとして、そのまた子どもが2人の子どもを持ったとして、さらにその子どもが2人の子どもを持ったとして・・・・・・・遺伝子って、こうやって伝わっていくんだなー、と。こないだ、『性のことわが子と話せますか』って本を読んだけど、性教育の原点ってココじゃないのかなあって思うのよね。妊娠とか病気とか暴力とか、そういうことも大切だし、それはそれで欠かすことが出来ないのは分かるし、否定しないけどさ。自分の命はどうやって繋がってきたのか。自分の命の源に、どれだけの人が居るのか。そしてそれは、これからどう繋がっていくのか。性が生殖行為である限り、原点はココだと思うのよね。でも、そんなことよりなにより。この本を読むたび(読まされるたび?)思い出すのは、タロウを出産したときの、安心感。自分の遺伝子が確かに繋がっていった、自分がこの世に存在したことの証を残した、その安心感。達成感。偉人のように、何かを成し遂げて功名なったわけじゃないけど、子どもを持つって、ものすごく凡庸なことだけど、それでも、大きな安心感、達成感が得られることだったのよね。この絵本を読むたび、そんなことを考える。この絵本の舞台は、どこなんだろう。行ってみたいなあ・・・・・・。
2009.10.30
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「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる法今まで全く興味が無かった分野の本。私自身の子ども時代、母に勉強を強いられたことが嫌な体験として残っており、その影響で、子どもを勉学の意味で優秀にさせるための本は忌避してきた。興味が無かった、というより近寄りたくも無かった、というのが近い。今も本人が望まぬ勉強はさせたくないと思っている。本人の確固とした意思が無ければ中学受験なんてさせるつもりもないし、高校もそのつもりだし、大学なんて行こうが行くまいが構わないと思っている。その考えは今も変わらない。が。小学校1年生が学校の宿題をしない、となると話は別で。話が別というか、さすがにそれはどうよ、と思える低次元さなのよね。有名進学校に合格して欲しいとか、一流大学に進学して欲しいとかは思わないし、中学高校の宿題がまともに出来ないってのは分からなくないからいいとしても、小学校の宿題くらいはやって欲しい。でも、これが難しいんだわ。すっごく。なだめてすかしておだてておこって・・・・・・入学以来半年、アノ手コノ手で色々やってきたように思うけど、なかなか宿題が出来ないのよね。始めちゃえばアッと言う間に終わる程度のチョロい宿題なのに、(実際、とりかかればすぐに終わる)なかなか取り掛からせるまでが大変で・・・・・・親の方がヨロヨロ。いや、一番手っ取り早いのは、私がやって見せることってのは分かってるのよ。勉強ってとても楽しいんだよってことを、努力って楽しいことなんだよってことを、タロウに分かるようにしてやればいいの。タロウの勉強時間に合わせて、私も勉強するとかね。けど、ジロウが居るとそれもとても難しいのよね・・・・・・。結果、ガミガミ言う意外に方法が無く、ガミガミが効かなきゃ尻でも叩くしか・・・・・・と宜しくない方法に突き進んじゃっていて。そんな悩みの中で出会ったのが、この本。読んでよかったと思う。私が最初にイメージしていたような、お受験まっしぐらの教育ママ向けじゃなく、親密な親子関係こそが大切なのだって、当たり前のことが書かれてる。当たり前だけど、大切で大変なことが。そうは言っても、私はまだ迷いの中。本を一冊読んだくらいでどうにかなるわけじゃないし。でもさ。あたしは、勉強って面白いと思うのよ。やらされてイヤイヤやる勉強はつまんないけどさ。だから、勉強って楽しいんだよって伝えたいもん。1年生でもう「勉強キライー」が口癖なんて、さびしいじゃん。最初を間違ってしまったから、難しいかもしれないけどさ。まだ取り返しは付くと思うの。
2009.10.26
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ぶんぶんぶるるん子どものための絵本配本サービスで届いた絵本の中に、『ぶんぶんぶるるん』という絵本があります。ぶんぶんぶるるん、とミツバチが飛んできて牡牛を射した。牡牛が暴れたので、牝牛が驚いて機嫌が悪くなり、おばさんを蹴飛ばした。蹴飛ばされたおばさんは、おじさんにガミガミ。怒られたおじさんは、ラバのオシリを叩いた。叩かれたラバは・・・・・・・と延々、ヤツアタリが続いていく。最後は、小鳥がミツバチを怒らせて、振り出しに戻る。言葉にリズムがあり、声に出して読んで面白い。絵もユーモラスで楽しめる。子どもも好きで、読んで欲しいとよく持ってくる。私も読んでいて楽しいと思える絵本の一つだ。けど。読みながら、おそろしい絵本だよなー、と思う。誰かが何かのきっかけで怒りの感情を抱える。怒りの発露として誰かにヤツアタリする。ヤツアタリを受けた人が怒りの感情を抱える。また次の人にヤツアタリをする。この本では農場の動物たちを題材に選んでいるからコミカルに楽しめるけれど、上司に叱られた男が妻に、夫に怒られた母親が息子に、母親に怒られた兄が弟に、兄に怒られた弟が妹に、なんて連鎖で考えると、とってもありがちな話なのよね。どこかで誰かが止めない限り、ひたすら連鎖していくってところが恐ろしい。そして、昨日の我が家はコレに嵌った。タロウがテレビのチャンネルを変えようとしていたのが、うまく行かない。私に助けを求めたけれど、すぐには対応できなくてもたついたものだから、タロウが怒って手が付けられなくなってしまった。一年生になってワルガキと化したタロウの口の悪いこと、悪いこと。ムカッ腹の立った私はテレビの線を引っこ抜き、見れなくしてやった。謝れば良いものを、更に罵詈雑言を吐き続けながら泣き喚くタロウ。そこへハナコが登場して、タロウの怒りはハナコに向かう。ヤツアタリをもろに受けて、ハナコも大泣き。それがジロウに飛び火して、ああもう、大変。だけどさ。やっぱり、止めるべきは、私なのよ。親の私なのよね。子どもと同次元で話が出来るって、楽しいことの時には良いけど、同じレベルでケンカしちゃいけないと思うのよ。怒りの連鎖を止められるとしたら、私のところのはずなのよね。なのに、家庭内においては、それが気分転換の早い子どもに課せられてる。ウチは特にタロウに集中してるけど、よその家庭でも似たようなもんじゃないかな。それって、変だよねえ。気付いてみたら、私はたくさんの命令形を駆使していた。もうすっかり、親業のことなんて忘れてたよ。手っ取り早く命令に従わせて、都合よく動かしたくて。それに疑問も感じなくなっていた、私。当然、怒りの感情にも疑問を感じなくなっていて。一日を駆け抜けるような生活の中で、余裕が無いのは当然かも知れないけれど、それは今に始まったことじゃなく、家庭に収まっていた間に身に付けたもの。私に限って言えば、家庭に居るからこそ身につけてしまったもの。家庭に収まっていたのは、ほんの1年弱のことなのに、私はすっかりわがままになってしまっていた。家庭に入っているのはとても幸せなことでもあったけれど、大人との付き合いが減り、人間関係を考えることが少なくなっていた。子どもは優しいから、大人の都合に付き合ってくれるんだもの。さんざん怒って泣いたタロウは、怖がりなので一人で部屋に居られず、一緒にお風呂に入るうちに機嫌を直したみたい。やっぱり、「連鎖」を止めたのは、タロウ。でも、そこで私は一つの決心をしました。怒るのを、止める。タロウとちゃんと話をしました。前は、「タタキかーちゃん(=問答無用で手が出る)」だったけど、止めた。それだって止められたんだから、次は「怒りかーちゃん」を止める。怒るのを、止める。「おかあさんが怒らなかったら、ご褒美にカレンダーにマークを書いてね」、と頼んだら、お風呂上りに一生懸命マークを考えていました。眠る時には、とても幸せそうに私の頬にキスしてくれました。晩御飯の前には、世界一キライ、バカ、って罵っていたのに。がんばろう。がんばるぞ。
2009.10.22
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ベイビーサインで赤ちゃんと話そう!ワイド版出産のために里帰りしてきた妹が読んでいたので、借りました。前にベビー・サインの本を読んだことがあって面白そうだと感じたし、ジロウにはやってみたいなと思っていたんだけど、前に読んだ本は借り物だったから手元に無いし、仮にあったとしても理論書に近い感じだったから実践には向かないし、記憶で実践するには忘れちゃってるし、というわけでなかなか実行できずに居たのよね。だから、タイムリーなめぐり会い♪前に読んだ本は理論書に近いって書いたけど、ベビー・サインを考え出した人が書いた本を翻訳して日本に紹介したものだから、ベビー・サインを扱ったものとしてはかなり初期のものなのよね。だけど、今回のこの本を読んで思ったのが、とても一般的になっている、ってこと。理論的な難しいところが抜けてきたってのは、それが不要になったってことだろうし、ガクジュツテキな小難しさ不要の子育て情報の一つとして浸透してるんだなってこと。あたしが学生だった頃、何かの講義でベビー・サインについて触れられたことがあるけど、それはまったく表面的なもので、そんなのもあるって紹介の域を出なかったし、あまり好意的な紹介ではなかったから、メジャーでは無いんだなって感じだった。タロウを出産して色々な育児情報を漁っていたころも、ベビー・サインについて扱ったものにはめぐり会わなかった。けど、今はベビー・サインについての情報はあまり探さなくても行き当たる。単に私が興味を持って見ている目に入るんだってのも否定は出来ないけど、それにしたって、講習会とかそんなの多くなったねって気がする。ずっとずっと、メジャーになってきたんだろうなって思う。この本も、前に読んだ本に比べると随分実践的で、読みやすい。扱われているサインの数も圧倒的に多いし、説明も丁寧だし、図も写真もついてて分かりやすい。妹のものだから、私には出来ないけど、壁に貼っておけるような表があるから、身近に使えると思う。私も買おうかなーって思ってみた。なんてことを考えながら読み上げたところ。ジロウが最初のベビー・サインをしてくれました。典型的なサインで、「バイバイ」。手首から先が幽霊みたいに曲がってるし、ただブラブラさせてるだけとも見えるけど、「バイバイ、バイバイ」って言ってやると喜んでやるから、本人はバイバイのつもりなんだと思う。昨晩は、じーちゃんに向かってバイバイし続けるもんだから、じーちゃんがメロメロになって大変でした(笑今が始め時よー!!!
2009.10.22
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わが家の母はビョーキですブラックジャックによろしく、というマンガを揃えてる。このマンガは、研修医が色んな病棟を経験しながら成長していく、というもの。マンガなのでフィクションや誇張もずいぶん含まれるだろうけれど、それでも、医療という特殊な業種の様々な矛盾や問題を教えてくれるので、とても興味深く読んでいる。ブラックジャックによろしく(9(精神科編 1))研修医の研修先の一つに、精神科病棟がある。精神病にはいろいろあるのだろうけれど、このマンガが特に焦点を当てたのは、統合失調症、という病気だ。(リンクWikipedia)統合失調症、という病気そのものについて私自身は縁がない。リアルでもネットでも、今のところ知り合いに居ない。けれど、そんなに珍しい病気ではないらしく、民生委員である母の受け持ち住人の中には、結構重度の人が居る。重度の人がいる、と書くのが正しいのかどうなのか、私には分からない。私は全くの素人なので、病気についても無知だ。それ以前に、母が困って話すのを聞いているだけで、本人に会ったこともない。ただ、母が話す内容から、大変なことだと推察するだけだ。母が困っているのは、病気に対する無知だ。私が母の話を聞いて、「統合失調症じゃないの?」と聞いたのは1年以上前の話だけれど、その当人に診断があったのは私が指摘(?)したよりもずっと後だ。その当人も家族も、私の母も、治療が必要な病気だとは思っていなかったようだ。もし、と仮定の話をする。もし、家族が病気だと気付いていたら。もし、家族の周囲に病気を指摘できる人がいたなら。彼女はもっと前に、治療を受けることができたのではないのか。その、「周囲の人」の中に、私の母が含まれるのは当然だけれど、私も含まれるような気がしてならない。この本は、コミックエッセイだ。著者の幼少時から、著者の母が統合失調症を患っている。幻覚、幻聴、奇行が、著者4歳のころから続くのだ。リアルな絵ではないので、なかなかその恐ろしさは伝わらないが、母親に殺されそうになる日常、というのは想像を絶するものがある。幸いにして、著者の母は症状が落ち着くところまで描かれているので、読者としては胸を撫で下ろすことが出来るのだけれども、ここまでは壮絶な戦いがあったことだろうと思う。私は興味で読んだので、面白い、で終わったけれど、マンガの合間に給付金だの何だのと、役に立つ情報も挟まれており、リアルに統合失調症と付き合っている母はとても助かった様子。というわけで、母の元に嫁に行ってしまったので、私の手元には有りません。母に貸したら帰ってこないってのはいつものことだけど、こんなに堂々と嫁に行った本は初めてだよ……。
2009.09.08
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彩雲国物語(黄梁の夢)彩雲国最新刊。っつっても、発売は5月だったんだけど。先にハリポタ読まなきゃならなかったから、遅くなっちゃったのよね。面白いことは、面白かったんだけど。そりゃ、次巻発売ってのが待ち遠しかったから、面白かったんだけど。けどさー、けどさー、けどさー……物足りないのよね……。ハリポタ読んで、合間にデル戦読んで、だから、ファンタジー漬けにはなってるんだけど、やっぱりというかなんというか、見劣りがするよね……。いや、ストーリーはともかく、文章とか日本語とかがさ。読んでてムカつくくらい、酷くなって来てるのよ。このシリーズを読んだ最初から「日本語がおかしい!」って言ってるけど、この巻は格段に酷くなった気がする。まあ、面白かったけどね。野郎どもの過去が書かれていて、すごく分かりやすくなったし。面白かったけどね。
2009.07.17
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お隣の1年生が、初めて図書室から借りて帰った本はハリーポッターだった。「お母さんに、と思って」らしい。が、ママに言わせると、なんだってそんな重くて読めもしない本を!?ってなことになる。全巻、持ってるし。え?全巻持ってる?というわけで、シリーズ全巻、貸してもらいました。文庫に落ちたら買おうと思ってたけど、なかなか落ちないんだもん。ハリー・ポッターと賢者の石面白かったです。言葉遊びが随所で見られるので、原語で読めたら、また違った面白さがあったんだろうな、と思う。先を読みたくてたまらない感じになってしまうので、授乳中も料理中も読んでいた。これだけの量を一息に読んでしまえる本なのだから、すごいと思う。ただ。毎巻、しりすぼみな印象が残るのよね。起承転結の桔の部分が、軽いというか。息もつかせぬくらい、ハラハラしながら読ませるのに、オチがこれなの?って感じ。毎巻、もそうだけど、シリーズのエンドもそんな感じ。えー、このオワリは無いだしょー……。けど、面白かった。手元に残しておけば、何度でも読んだ本だと思う。借り物で、既に手元にないので、何巻だったか分からないけれど、ハリーが運命に「己の意思で」立ち向かおうと決めるところがある。予言によって、ヴォルデモートに対立することが決められているから仕方なく立つのか、それとも、予言を離れ、己の意思で敢然と起つのか、決断するところだ。ここのところ、Aくんの記事を連続して書いて来たけれど、Aくんとの付き合い方をどうしたいのか、考えようとしたとき、この場面がとても強く思い出された。困ったちゃんのAくんを(或いは、その家族を)、NOが言えないから仕方なく付き合おうとするのか、私の意思でかかわっていくことを選択するのか。ハリーの選択はもっと悲壮なものでもあるし、次元が違うけれど、その選択は、どんな次元のものにでも共通することだろう。ところで。実質的に、明日から夏休み。夏休みの読書用に、タロウが図書室から本を借りてきました。ハリー・ポッターと死の秘宝なんでよ……アンタ、やっとひらがなが読めるようになったばっかじゃん……しかも、いきなり最終巻じゃん……さらに、上巻だけってどーすんのさ……
2009.07.17
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Yoshiki/佳樹大層な触れ込みで発売になった、本。私は、Xがあったから、今、生きている。と言ったら、言いすぎかもしれないけれど……それに近い感情を、持っている。でも、私にとって、Xは完全に過去のもの。と、思っていた。でも。この本を読んでいると、引用される歌詞のところで、必ず該当する音楽が頭の中で流れるのよね。解散以来、私は全くCDを聞いていないというのに。彼らの歌は、店頭の有線とか、自民党のCMでしか、聞いていないというのに。もう10年、彼らの音を断っているというのに、ちゃんと私の脳裏で音が再現されるの。懐かしくて。嬉しくて。どうしようもなく、彼らの音が聴きたくなり、久しぶりに、本当に10年ぶりに、DAHLIAを引っ張り出しました。10年ぶりに聞いた音楽は、体の隅々まで潤してくれるようで、涙が出ました。本を読んでいると、リアルタイムで経験したことも、遠い昔の、全然知らない話のようで、不思議な感じがして笑えました。YOSHIKIのドラム、私も見たのにね(笑なんだか、遠い夢の話のような感じがしました。解散と同時に、私にとってのXは禁忌になり、解散以後に発売されたCDも映像も、全然持っていないの。解散後、いくつか発売されたのは知っているんだけれど、どうしてもそれらを手に入れようって気にならなくて……。でも、たくさんのCDや映像が発売されていたのを知りました。今からでも、手に入るのかな……。
2009.06.12
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海賊とウェディング・ベル久しぶりに、クラッシュブレイズ新刊。ケリーとジャスミンしか出てこなかった。。。「海賊」と題名に謳ってるくらいだから、そんなもんかもしれんけど。デル戦組は、全然まったく、名前すら出てこなかったよ。このシリーズ、どこに行くんだろう、とはやっぱり思う。久しぶりにデルフィニア戦記を読み返しかけていたところだったから(そして4巻で挫折……今、ハリーポッター読んでます)よけいにそう思うんだろうね。デル戦から読み始めて、スカーレットウィザード読んで、暁の天使たちを読んだ時には、「はあ!???」と思ったけれど、一通り読んで、デル戦に戻ってみると、ちゃんと組み立てられてたのだな、と思う。リイの言動は明らかに文明社会の、科学を知っている人間の、言動だもの。作中で何度も、考え方や知識が異端だと書かれているけれど、科学の世界からやってきた人間だと分かって読むと、至って普通だものね。ちゃんと、デル戦の時から、スカーレットウィザードの世界と繋がってたんだ。となると。何か、読み落としてる気がするのよね。デル戦側じゃなくて、スカーレットウィザード側で、何か終着点を示すものを、読み落としてるんじゃないかって気がする。すっごい伏線を張られてる気がするのよね。だけど、今のとこ、見えない。見えてこない。だから、いらつく。この『海賊とウエディングベル』も、一気に読むくらい面白かった。読み始めたら、止まらなかったもん。一気に読んじゃって、引き込まれて、面白くて。だけど、なんか焦らされてる気がするのよね。
2009.06.03
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プラトニック・セックス今更、『プラトニック・セックス』を読んだ。別に、今更飯島愛を追悼したくなったわけでもなんでもなく、わざわざお金を出して買う気にはならなかった本に、図書館で出会ったからだ。小説として読むなら、駄作、だろう。プロの小説家が書いた、プロの小説として読むなら。日本語も時々変だし、文章が繋がらないところもある。ストーリーとしても、つながっていかないところがある。よって、小説としての価値は、とても低いものだと思う。この本が出版され、話題になっていた頃、読書好きの間では駄作だとこてんぱんに言われていたけれど、それはそれで、まったく当然のことだと思われるものだ。だけど。タレント本というエンターテイメントとして読むなら、しかも、ゴーストや代筆のない、本人の筆だとして読むなら、この自叙伝は、とても面白いものだと思える。飯島愛、というタレントは、引退前にはずいぶんカタイ番組にも出演していて、しっかりとした発言もある、お色気時代を感じさせない人だったが、10年くらい前にはお色気で売り出している人だったし、AVだってちゃんと世に出回っていたのだ。>つか、見た。まじめ一辺倒ではなく、ふまじめ一辺倒でもない、面白さが、言い換えるなら幅の広さが、この人にはあったと思う。その経緯が、この本にはあったと思う。性非行を犯す少女たちの中には、家庭で十分な愛情が受けられなかった子が多い。彼女も、その中の一人だった。厳しい家庭、厳しい躾、家庭に安らぎを求められなかった彼女が、家を出て、ホステス、売春、AVを経て、タレントとして成功するまでが書かれている。育った家庭について書かれているところでは、思わず自分の育ってきた家庭との類似点を探して、重ねてしまった。私も、家庭に安らぎを見出すことが出来なかったから……。彼女は、仲間たちについても、それなりの理由があったのだと、理由のある子どもたちが、飛行に走っていくのだということを、心理学などのガクジュツテキ方向ではなく、幾例か示している。私がやってきたことなど、ものすごく極小化しなくては重ならないけれど、それでも、自分の過去を重ねながら読んで、面白く思った。彼女は、二十歳になる前に家を出てから、タレントとして成功するまで、家族と連絡を絶っていたらしい。面白いのは、タレントとして成功後、家族と連絡を取り始め、厳しかったはずの両親と和解を果たしたことだ。彼女は、少女だった当時に親がつけていた日記を読む。そこには、手に負えぬ娘に苦悩する親心が書かれており、彼女はそれを受け止め、親の愛を受け入れる。彼女が、親を超えた時だ。本の奥付よりあとのページに、「こんな娘でごめんね」とある。その言葉が、とても重い。なんでここまで親を許すんだ!!!と怒りたい気分もあるけれど、親を受け入れてしまう気持ちもとてもよく分かる。小説としてはイマイチだけれど、面白かった。
2009.05.21
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お母さん次第で男の子はぐんぐん伸びる!やっと読み上げた。ぐんぐん伸びる、というフレーズにずいぶん抵抗があって、積読のまま長いこと置いてあったけれど、読んで良かった。私の母が「伸びる」という言葉を使う時には、たいていそれは「成績が伸びる」という意味で、難関校に合格するとか、上位の成績を取るようになるとか、ずいぶん学力に偏った……というか、限定される使い方をしている。私は母のその言葉に嫌悪感とまでは言わないまでも、あまり良い感情を覚えないので、このテの題を掲げた本は避けてきた。いかに子どもの学力を伸ばすか、ということは私にとって重要ではなく、逆に過去に自分がしてきた、いやな思いを掘り返すようで、出来れば避けて通りたい話題に近いものがあったからだ。でも、この本は読んで良かったと思う。育児書では、「母親」と書かれながらも、たいていの場合、母親でなくてもかまわない、身近に世話をする父親でも祖父母でもいいと注釈じみた事がかかれているけれども、この本に限っては、「母親」と限定される。男の子にとって同性である「父親」には、不要の書なのだから。母親はどれだけ若返っても、所詮、女の子でしかなく、かつて「男の子」だった父親が、経験的に知っているものを、知らない。知らないにもかかわらず、育児の主導権を握るのは往々にして母親。これは、とても大変なことなのだ。もちろん性差以上に個人差が大きいもので、「男の子だからこうだ」、というよりも、「この子はこうだ」、という方が大きいのだというのは当然だとしても、ある程度の傾向のようなものがあるのだと知ることができたなら、それは、母親にとってとても楽なことだと思う。実際、先の記事に書いた、夜7時まで帰らないタロウの友達の話。あのAくんのことも、この本でずいぶん気楽に考えることができるようになった。もし、タイムリーにこの本を読んでいなければ、私はもっと煮詰まっていただろう。タロウの大切な友達なのに、もっと否定的に、遊ばせないようにしていただろう。Aくんのことだけでなく、タロウにも適用できるところが多く、とても助かった本でもある。
2009.05.13
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図書館で借りた本です。どこかで連載されたものをまとめた本のよう。題名からすると、ありがちな生真面目育児を否定するような育児本、って感じなんだけど、そんなガチな本ではなく、面白く読めた。たぶん、アレね。提示される解決策が、荒唐無稽に近いせいで、あまり現実味がないせいね。とはいえ、随所で「ソウソウ! そうなのよー!!」と相槌を打ちながら、その毒舌に胸がすく思いがする。母親の子育て方法を細かく取り上げて非難する、というより、母親の力だけではどうにもならぬことを、ナニを的外れなことやってんのよね!!って、切り捨てているのだから、どーにかしたいけど、どーにもならない、と妥協せざるを得ない母親からしてみれば、とても面白いのよね。役に立つか、といわれると、びみょーな感じなんだけど。でもね、あえて、その辺で留めてある感じもしてね。一読の価値はあったと思う。
2009.04.16
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ベビーサイン大学時代の心理学だか何だかの講義で、チラリと聞いたような気がするけれど、その時の講義ではあまり肯定的な評価ではなかったように記憶している。ベビーサインを取り入れると、言語発達が遅れるとかなんとか、確かそんな風に言われていたような気がする。それでも、2人も育ててみると、アカンボから幼児に変わるまでのコミュニケーションにとても苦労することが経験上、わかってくるのよね。しゃべってくれるようになったら、どんなに楽だろうって、タロウの時にも、ハナコの時にも何度も思ったから。言葉に頼らない表現を、親が読み取る。親なら分かるでしょ、って言われてしまうとグウの根も出ないし、確かに何となくわかるもんだけどさ。でも、ちゃんと分かるように表現できるなら、その方が楽に決まってる。というわけで、読んでみた。良かった。上の二人の時にも、読んでいれば良かったな、と思った。記憶に残っているような、言語表現の発達が遅らせるものだ、っていうようなものは、偏見や誤解の域のものらしい。少なくとも、本書ではそう書かれている。が、実感として、とても納得できる。ベビーサイン、というものを「言語」として堅苦しく考えようとすると、なんだか非常にとっつきにくく、難しいものに思われるけれど、要はジェスチャーの類いだ。手を振って、サヨナラの挨拶の代りにする。親指だけ立てて、OKのサインにする。手を耳に当てて、聞こえない、と伝える。そんなことは大人だってやるわけで、それを「言語獲得の障害になる」なんて思ったりしないだろう。そういう、ジェスチャーを子ども相手にも用いましょう、というのが、このベビーサインの趣旨。ジェスチャーなら、口腔や発音の未発達な幼児でも簡単に出来ますよ、と。あいにく、ジロウはまだ生後1か月にもならない新生児なので、ベビーサイン適齢期にはまだまだ早いから、すぐに試してみるわけにはいかないが、これは面白いと思う。適齢期になったら、試してみたい。
2009.02.12
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一昨日、水曜日はレディースデイだったので、見に行ってきました。TOHOシネマズなんですけど、チケット購入時に面白い企画の案内をもらいました。毎週、木曜日の1回目・2回目の上映は、ママ向けなのだそうです。空調・音響・照明を子連れ向けに調整するので、ベビー連れてどうぞ、という企画。通常料金みたいだけど、こういう企画って良いなあと思いました。ウチ、上の二人は連れて行けるようになったし、預けられるけれど、アカンボだと連れていくのも預けるのも、難しくて大変。ほんの数年なんだから我慢しなさいよ、って向きもあるだろうけれど、我慢せずに済むなら、その方が良いに決まってるのよね。面白い企画だなあ、と思いました。これなら、春の映画も狙えそう♪♪さて。『私は貝になりたい』。良かったです、とても。古い映画のリメイク、ということだけれど、私は前の映画を知らないし、今回、まったく初めて見ました。ある理髪店の主人が、第二次世界大戦に徴兵され、復員後にBC級戦犯容疑により逮捕、絞首刑に処せられる、というもの。こう書いてしまうと、ものすごーくアッサリした粗筋なんだけど、とても重い内容でした。戦時中の暮らしについて、それなりに小説などで読んできたものもあるけど、映像で見るってのは、また違った重さがあるもんだと思いました。国防色って言うの? あの、ちょっとカーキ色の、色彩が単調な暮らし。そんな、生活。戦争に沸いたのは都市部だけだと何となく思ってたんだけど、寒村も例外ではなくて、お祭り騒ぎのような激励が行われてたって……考えてみれば当然なんだろうけど、すごく衝撃的だった。それに、空襲。毎年夏になると戦争映画やドラマが上映されて、爆撃を必死に避けるカットなんてどこかで必ず目にするもんだけど、焼け野原の中に子どもの遺体を山にして荼毘にふす映像って……胸に迫るもんがある。でも、そんなのはサワリに過ぎなくて、映画の主題はBC級戦犯の審判。主人公は、戦時中に空襲を仕掛けてきた米兵を刺殺した容疑で逮捕され、十分な審判の行われぬまま絞首刑を宣告される。戦時中の上官の命令は絶対のもので、背くことなど出来ないことも通じず、そもそも、刺殺に失敗していて、米兵を殺したのは彼ではないことも通じない。まったく、一方的な裁判。なんなの、コレ。こんなので、人の命が簡単に決められちゃって、良いの?A級戦犯については、靖国神社に合祀されたとか、夏の慰霊だとかで色々聞くけれど、BC級戦犯ってこんな情けない裁判だったの?これを、裁判だと言えるの?冤罪もイイトコじゃないのさ。すごく、怖い映画だった。こうやってたくさんの人が、戦後も亡くなったんじゃないかって思うと、本当に背筋が凍る気がする。いや、これが虚構だって思いきれちゃえば良いんだけど、戦犯容疑で引っ張られたけど、助命嘆願署名によって救われた、なんて人が実際に居るわけよ、身近とは言わなくても、顔見知りに。詳細は個別に違って当然だけど、こんなことは実際にあったんだ、ってことを知ってる身としては、とても虚構だなんて笑い飛ばせない。こんなお粗末な審判によって、どれだけの人が罪なくして死んでいったんだろう?すごく怖いことだと思った。あー。しかし。主演がビミョーにへたくそでした。へたくそ、というか、共演者に食われまくり?まあ、そこまでひっくるめて「味」と言えなくはないですが(笑不満と言えば、そんなトコでしょうか。
2009.01.23
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