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大学より実習の日程が渡されていた。皆さん、近所にある養護学校に行くらしい。実習と言ったら、教育実習を思い出すのですが、特別支援の実習ってどんなことをするのだろうかと母は想像します。学校だからお弁当は必須と準備をしていると。。。トレーナーにスカートのまるこさま。「。。。。いったいあなたはどこに行くのでしょうか」「普通、スーツじゃないの」どうやら、動きやすい服装でと言われたようなのですが。。。普通で言う職場訪問だよね~。動きやすい服装は持ち物でしょ。「みんなスーツじゃなかったらどうしよう」と言いながら、しぶしぶスーツに着替えるまるこ。予定のバス時間に遅れ、結局ギリギリに着くバスに乗り込む。うちの娘どこか常識からずれています実習からもどったまるこは、かなりお疲れの様子。夕飯も取らずに爆睡でした。けど、インフルエンザの影響で実習にならず、日程が延期になったそうです。そういえば、インフルエンザ。。すごく流行っています。病院は戦場らしいですね。修学旅行が中止になる学校もあるとか。。。我が家はリスク低。。うつらない様に気をつけなければです。
2009年11月11日
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本日、胃がん検診に行ってきました。障害者になってから初めての検診。バリウムって器官に入ると大変とか、便秘になると。。。と言うので左麻痺のある旦那はどうよって思っていました。4月に役所へ問い合わせてみると、嚥下障害があると難しいと言われました。入院中は嚥下障害があったけれど、今の状態はどう判断するのか難しい。と言うことで、一応申し込んで主治医の先生と相談してくださいと言われていました。主治医の先生へ相談すると、食べ物を食べているので大丈夫です。と言う判断。体位交換もできるので受けてくださいとの答え。けど、ガウンの紐が結べないとか頭の中ではいろいろ交錯していました。夕べから、検診に行くことを告げて、朝の身支度をさっさと済ませてコミュニティーセンターへ。。。ここまでは良かったんだけれど。コミセンへついて、中へ入る。手摺などはあるけれどいすが無いため靴を脱ぐのがちょっと大変。そして、受付のある和室へ。。。扉を開けたとたん、順番待ちをしているたくさんの人。それを見たとたん。。「おれは良いから帰る」って言い出しました。「え~~」ここに来るまで、一応いろいろと段取り付けたんですけど。この場に来てそれはないでしょ。一気にばっさりと切られた感じでした。そこへ、タイミングよく係りの人が現れました。事の次第を説明して、主治医からの了解が出ていることを告げます。するとね、あまり進めないのよね。何かあると困るからなんだろうけれど。では、どのような方法があるのか聞いたら、胃カメラを飲むしかないらしい。けど検診だから実費負担。ここで受けられれば、ただで済む。この差は大きいのよ。いづれにしても、やってみなければ判らない。途中で検査を中止することもできるので、TRYしてみることになりました。旦那は、みんなのいる場所とは別の場所で待っていてもらい、私が受付をすませ順番までまつ。受付を聞いていると、いろんな人がいます。受けるべきか、やめるべきか迷うような人もいました。私の受付番が来て、段取りを話されます。旦那が先、着替えは係りの人が手伝う。機械はゆっくりと動かしてもらう。そして下剤の飲み方。一番心配だったのは、左に麻痺があるのでげっぷを我慢したりできるのか。後は、体を支えられるのかでした。旦那は、昔はバリウムは得意な検査。飲む量が多かったときも難なくクリアしていたくち。発泡剤は苦もなく飲み干し、げっぷも我慢できていました。そして、いざ台の上へ。。。。なんだか、心配で技師さんに中の様子をお聞きします。すると、大丈夫みたいですね。小窓から覗いても良いですよ言われ、なんとか、台の上で動けている様子。安心しているまもなく自分の番です。昨日から心配していて、検査前から疲れきっています。自分の検査に集中するためにリラックスと心に唱えます。旦那が出てきたら、技師さんに介助をしてもらう話をして旦那と交代に私も検査に向かいました。旦那が終われば一安心ここから自分へ集中外へ出ると、旦那は着替えを終えて、係りの人が水のみ場へ連れて行って下さり、水を頂いていました。係りの人は、来年もまたこのような形になるので、担当へお話してくださいと告げられました。そして、着替えも、ジャージを着ていけばそのまま受けることが可能だと教えられました。検査ひとつもやってみなければ判らない。けど、やってみると何とかクリアする方法が見つかるものだと感じました。何をやるにも、人の手を借り援助を受けるのは「情けない」と思うようです。事あるごとに何度も襲ってくるこの感情。。落ち込みながらもその感情と戦いながら歩んでいく。今日の検診、。。。大きな事を成し遂げた後のような脱力感が襲ってきました。P・S 排泄は思った以上に順調でした
2009年11月09日
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「お母さんH先生から連絡来たって、1/2成人式のタイムカプセルを開けよって」まるこが10歳のときそういえば「ゆとり教育」が始まった年だったと思います。そのゆとりの時間に作ることになった自分史。確か、生まれたときから10歳までの出来事をつづったものだと思う。そして、多分そのとき大事にしていた何かを入れた感じがする。10年前も決して豊かではなかったけれど、ごくごく普通の家庭だった。ここ3年は厳しい現実と向き合いながら歩んでいる。大学の友達から「なんでそんなに苦労しているの」と聞かれたらしい。確かに、旦那の病気でいろいろ大変だったよ。けど、目標を失わず、自分の道をつないでいくことが出来たのもこの状況があってこそだと思う。大変だけれど、着実に生きる力を付けていると思っている。そして、このように育てることが出来たことを誇りに思う。私自画自賛けど。。成人式に今風の着物を借りてやることも出来ず20数年前に私が買った振袖を着せる。私も親には着物を買ってもらえなかった。妹が小さかったしね。まるこも私の着物を着ることを嫌がってはいない。母が成人式で使った髪飾りも使いたいと言う。鼈甲のかんざし。今風の髪飾りとはまるで違うもの。これがどうよって感じてはいなかったけれど、ふと、苦労させているんだろうな~って思ってしまった。あれから10年たったのだと感じたとたん涙がこぼれ落ちた。多分、私のそばへいてくれた事への感謝の涙。。
2009年11月08日
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1週間の旦那の日課の中にはリハビリは欠かせない。あの日から2年と半年ほど過ぎ、リハの生活でも後輩ができたかなと聞いてみるも。。やはり、いまだに一番の若造。障害である自分の体を受け入れて、それに対する違和感はもう感じない。できないことの多さに失望していたときもあったけれど今は、ただ、見ているだけ。「おお!すごい」と突然声を上げる旦那。いったい何事と旦那を見るけどいたって普通。「見てみろ」「何ですか」いすに座って腕を組んでいる。「出来なかったんだこれ」言われてみればです。退院した頃は肩を動かすのが難しかった。自分の思ったところへ腕を持っていくのは不可能の世界。何度トライしても出来ないと気持ちが落ちてしまう。その不可能が当たり前になっていた。腕組みなんてたいした動作ではない。しているとえらそうに見えるしね。けれど、数秒間ではあるけれど腕組みをする。組むまでにはちょっとだけ時間が掛かるけれど。50才を超えて、新しい動作が出来るようになった。普通なら老いていく自分を感じる歳なんだけれど。。成長しているジャン。こんな小さな出来事にも喜びを感じられる。「なに、ニコニコしながら歩いているの」私どうやら笑顔だったらしい
2009年11月06日
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先日、書いた日記。私はちょっとだけ違いを作っている。起きた物事に対して、この先起こる最悪の状況を想定する義姉。話を聞いていてちょっと違う気がした。起こるかどうかわからない最悪の事態を考えるよりも起こることに対して最善の策を考えるのが理想ではないかと。それを言葉に出して伝えた私そしたら、「義姉の言うことを黙って聞け」と来た。黙って聞きながらも冷静に判断している。こんな考えをしていたら、とっても疲れるだろうと。多分、私は旦那の病気のときに勉強したんだ。あの時、先のことばかり考えて、先の見えない不安に押しつぶされそうでとても辛かった。妹に言われた「おねえちゃん大丈夫だよ」その言葉だけを支えにしていた。だから、今度は私が「絶対大丈夫」って言っていた。何の根拠もないんだけれどね。そしたら、良い方にことが進んだ。単なる偶然かもしれないけれど。このことが起こる数時間前にあるお方と話していたこと。「思うことって大事だよ。」きっと、私に必要な言葉だったのだと思った。
2009年11月03日
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お久しぶりの日記です。先月から旦那とのコミュニケーションを変えています。それがね、今までやったことがないから結構きつい。自分を変えるって自分次第だけれど、エネルギーを使うものですね。昨日、旦那の実家へお出かけしてきた。数日前にふと、成人式に着る着物を見せた方がいいのかなと思い立った。足りない道具があるので、借りられるなら借りよっかなと言う気持ちもあった。ところが、家族4人の予定を合わせるのがとても難しい。時間が取れるとしても半日。それでも、なぜか出かけることにした。電話を掛けると偶然にもお姉さんがいた。嫁に行ったお姉さんは盆も正月も実家には来ない。旦那が倒れたとき以来お会いしていない義姉。出かけた日は、旦那のお父さんの命日でした。仕事が終わってから出かけたので、ついたのは10時過ぎついたとたんにいきなり大事な話があると子供たちを含めて話を聞いた。深刻なお話。。畳み掛けるように自分の言い分を話す姉。私たちの予定を話融通が効かないことがわかると、こちらの意見は聞こうとせずけんか腰に話をづつける。そして、旦那にとても痛い言葉を浴びせる。「だから、あんたは嫌われる」え!いったい誰に嫌われたと言うのだろうか。病気になって、人に会うのが怖くなって。。それを少しずつ少しずつ前に進んでやっと、お出かけしたいと言う気持ちになってきたのに。。いつまで甘えているのだと私が旦那に諭せと義姉は言っている。私はそれが旦那の病気の回復に有効ではないことを気づいている。だから、今はひとつひとつ自身を取り戻せるように見守るだけ。2人の子供たちもこの言葉を聞いた。自分の親をけなされた子供たちは傷ついていた。まるおが義姉が去った後に声を上げる。「あのおばさん、はじめから俺たちの話聞くないじゃん」冷静に分析品しながら怒る。けどね、家族の時間を合わせることさえ難しいのに、お姉さんとお会いして2人で姉弟げんかをしている。こんな偶然はもう2度とないかもしれない。2人の喧嘩を見ておばあちゃんが怒り出した。「もう誰にも病気のことは語らない」部屋にこもってしまったおばあちゃんを旦那が追いかけて何か話している。しばらくして穏やかになったおばあちゃんが戻ってきた。喧嘩したけれど、2人とも言いたいことを言っているはず。やはり、大切な時間だったような気がする。お姉さんは肩がこわばっていた。話し終わった後「きつかった」と漏らした。きっと、私たちに八つ当たりをしたんだと思った。帰り際にお姉さんと話してきた。そっと肩に手を置いて少しでも重荷が取れればと揉んで見た。そして、もう一度旦那を男として立たせたいと伝える。理解はしてもらえないと思う。
2009年11月01日
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