投資・資産運用の徒然帳

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2020.03.24
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カテゴリ: 書籍
[新版]バフェットの投資原則(その13▲)


少し古いですが、「[新版]バフェットの投資原則」(ダイヤモンド社、初版2008年)を読みました。


投資の神様ウォーレン・バフェットが自ら書いた著書はありませんが、その言葉を整理した本はたくさんあります。
本冊は、その1冊です。

各章については、前回で終了です。
最後となる今回は、年譜です。




■年譜 ※抜粋


ウォーレン・バフェットとバークシャー・ハサウェイの伝説をたどる。


▼1869年
シドニー・バフェット、ネブラスカ州オマハのダンディー地区で食料品店バフェット・アンド・サンズを開店。
バフェット家は1959年まで、三代にわたってこの店を営む。
ウォーレン・バフェットとチャーリー・マンガーは少年時代にここでアルバイトをしていたが、その時期は異なり、二人が出会うのは大人になってからのことだった。



▼1888年
ハサウェイ・マニュファクチャリング社がマサチューセッツ州ニューベッドフォードにて、綿紡績会社として設立される。
取締役には、「ウォール街の魔女」として知られていた資産家のヘティ・グリーンも名を連ねていた。
同社は1955年にはバークシャー・ファイン・スピニング・アソシエイツと合併し、名称をバークシャー・ハサウェイに変更する。


▼1930年
8月30日、オマハにてウォーレン・エドワード・バフェット誕生。
父は、株式ブローカーのハワード・バフェットで、母はその妻レイラ。


▼1941年
ウォーレン・バフェット、11歳。
姉ドリスとお金を出し合い、初めて株式に投資する。
シティーズ・サービス社の優先株6株を、1株38ドルで購入し、40ドルで売却したが、この銘柄はその後200ドルに値を飛ばした。


▼1943年
ある友人の前で、30歳になる前に百万長者になると宣言。
なれなかったらオマハ一高いビルから飛び降りてもいいと付け加えた。


▼1945年
複雑な新聞配達ルートを編みだし、毎月175ドル前後を稼ぐ。
14歳にして、ネブラスカにある広さ40エーカーの農場に1,200ドルを投資する。


▼1950年
ネブラスカ大学を3年で卒業し、貯蓄を9800ドルに増やした後、ハーバード・ビジネススクールを受験。
だが入学を認められず、コロンビア大学の大学院に入学する。
ここで伝説の投資家ベンジャミン・グレアムとデビッド・ドッドに学ぶ。


▼1951年
コロンビア大学で修士号(MBS)を取得した後、ベンジャミン・グレアムが経営する投資会社に就職を希望する。
だが「今この業界に入るのは時期が悪い」とグレアムに断られたため、故郷のオマハに戻り、父の会社で働く。


▼1952年
地元の大学教授の娘、スーザン・トンプソンと結婚。
スーザンはノースウエスタン大学時代に、バフェットの姉のルームメイトだった。


▼1954年
バフェットはベンジャミン・グレアムとの親交を保ち続けていた。
そのためかグレアムの気が変わり、バフェットの入社が認められる。
バフェット、妻スーザンと幼い子供たちを連れてニューヨークに移り住む。


▼1956年
グレアムが引退し、グレアム・ニューマン。パートナーシップも閉鎖される。
このころまでにバフェットの貯蓄は14万ドルに増えていた。
バフェットはオマハに戻り、自分のパートナーシップを立ち上げる。
自らは100ドル出資し、家族や友人から105,000ドルを集めた。
グレアムも、自らの顧客をバフェットに多数紹介した。


▼1959年
オマハ出身のチャーリー・T・マンガーを知人に紹介される。
二人はすぐに共同経営者になり、チャーリーは後にバークシャーの副会長に就任する。


▼1962年
バフェット・パートナーシップの名義でバークシャー・ハサウェイ株を買い始める。
バークシャーは有力な紡績会社だったが、繊維産業そのものが衰退しつつあった。
バークシャー株は1株あたり純資産を大幅に下回る、8ドル前後で売買されていた。


▼1965年
バフェット、バークシャーの経営権を取得。


▼1967年
バークシャーが最初で最後の配当を行う。(1株あたり10セント)


▼1969年
前年の1968年にバフェットはかなりの好成績を収めるが、もうお買い得な銘柄が見つけられないと嘆き、パートナーシップを解散して、投資資産を清算する。
この投資資産のなかにバークシャー株があり、バフェットはこの株を取得して現在のような持ち株会社に改造し始める。


▼1970年
「株主への手紙」を初めて書く。


▼1977年
スーザン・バフェットがサンフランシスコでひとり暮らしを始める。
だがウォーレンと離婚はせず。一緒に旅行したり家族で過ごしたりすることもよくあった。
スーザンは亡くなるまで、バークシャーの・ハサウェイの取締役会に名を連ねていた。


▼1982年
バフェットの資産が2億5,000万ドルに達し、フォーブス誌発表のアメリカ長者番付「フォーブス400」に顔を出す。


▼1988年
コカ・コーラ株を買い始める。
後に、バークシャーの投資の中核となる銘柄である。


▼1993年
フォーブス誌のランキングで、世界一の富豪になる。
第2位はビル・ゲイツ。


▼1996年
バークシャー・ハサウェイのB株発行を決断する。
バークシャ―株にのみ投資するミューチュアル・ファンドを組成して、38,000ドル以上するA株を購入できない人々に販売するという試みを頓挫させるのが狙いだった。


▼2000年
ハイテク株やインターネット関連株が投資家の人気を集めるなか、バークシャー・ハサウェイ株は「ローテク株」の烙印を押される。後にインターネット・バブルなどと呼ばれるようになった過熱相場は3月10日に終わりを迎えた。
この日、ナスダック総合株価指数は5,132という史上最高値を更新し、バークシャー・ハサウェイ株は1997年半ば以来の安値40,800ドルをつけた。


▼2004年
スーザン・T・バフェットが口腔がん治療後に脳卒中で死去。
遺産は26億ドルで、ほとんどがバークシャー株。


▼2006年
バフェット、自分の資産の大半を慈善事業に寄付すると決断。
85%をビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団に渡し、三人の子供たちの財団にもいくらか寄付を行うことにする。
実際の寄付は20年かけて少しずつ行うが、アメリカ史上最大の慈善事業への寄付となった。
バークシャー・ハサウェイが、この1年だけで純資産を169億ドル増やす。
大企業同士のM&Aを除けば、これほどの増加はアメリカでも記録的である。
バフェット、長らく一緒に暮らしてきたアストリッド・メンクスと、自分の誕生日に結婚する。





■訳者あとがき ※抜粋

世界第2位の富豪が第1位の富豪の財団に、JR東日本やKDDIを丸ごと買えそうな金額を寄付するというスケールの大きさ。
しかも、そのエピソードからは嫌みなどまったく感じられず、実にさわやかな話として受け止められる……これはやはり、傲慢さがなく、誠実で、卓越したユーモアのセンスもあるバフェットの「人となり」のなせる業でしょう。





===============
「バフェットの投資原則」は、今回で終了です。


今となっては少し古い本で、最近のバフェットの動静は反映されていません。
本の発行は、2008年8月というリーマン・ショックのまさに直前、という絶妙のタイミングでした。


そういえば、2月22日に毎年恒例の「株主への手紙」が公表されました。
過去最大規模まで積み上がった手元資金1,280億ドル(約14兆円)の活用法について、「大型買収の機会は、めったにない」と述べ、当面はアップル等の上場株投資に注力する考えを示しています。

バフェットも、今年で90歳です。
そろそろ、次の世代への引継ぎを急ぐ必要がありそうです。









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Last updated  2020.03.24 22:55:17
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