サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2012.03.27
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カテゴリ: カーネーション
どう「問い」を、立てて行くのか?
 私がここ最近、あまりに内田!内田!と騒ぐので、友人からは私に対する揶揄を込めて、「あいつの本は日本語やのうて、『ウチダ語』で書かれてるんやで」と忠告されてしまいました。なるほど素の日本語のつもりで読むと、煙に捲かれた感じがしないでもないのですが、似たような「夢に、富したる心地」のする本には、例えば養老孟司さんのが、それに類するのかもしれません。こういう語法を駆使する人たちが、時々日本にはいるらしいのです。
 まるっきり話が通じないというのではなく、確かに簡明な「日本語」で書かれているにもかかわらず、読んでいるうちに「いったいこの人は、何が言いたいんやろ」という疑念がムクムクと沸いてきて、気の短い人なら途中で読むのを止めてしまうかもしれない。一言で云えば、自分たちが予期したことに、この人たちは「何一つ、答えてくれない」。問題のトバ口には、ありとあらゆる手練手管で連れて行ってくれるけれども、「答は、勝手に自分で見つけよ」、あるいはひょっとして、そういう仕方で答えを求めるかぎり、「そんなもの、どこにもないよ(どうも、こっちのほうが、より近い気がする)」と言っているかのようです。
 共通するのは、それでも「問い続けよ」、あるいは「もっと違う仕方で、問うてみたらいかが?」というメタ・メッセージがあるということだけでしょうか?

 さて、ではこのところの「カーネーション」は、どうなっているのか?どういう問い方をすれば、いかほどかでも「楽しくて、前向きになれる」おしゃべりが出来るのか、頭を捻っているのです。どういう問い方をするにせよ、その行く末がネガのほうに流されて行くのなら、そんな話は止めたほうが好い。

 と、そんなことを考えてみるにつけ、司馬遼太郎という人の語っていた言葉というのが、いかに「選択された語法」でなされていたか、ということを改めて思わされるのです。人や出来事を語ろうとするとき、そこからポジの中味だけを、「嫌味なく」取り出して明示するということが、いかに刻苦を要請するものであったか。
 「それは司馬さん生来の、ポジな性格からじゃないの」と言われてしまいそうですが、私にはとてもそうは思えない。戦争と国家の敗北を目の当たりにした一戦車隊長が、戦後社会を一意的にポジなものとして捉え、礼賛したとはとても考えられないし、亡くなる直前に「今、日本は第二の敗戦を経験しつつある」とおっしゃっていたのは、有名な話です(東日本大震災を経験した今になって、再び「第二の敗戦」という言葉が飛び交っていますが、彼はバブル崩壊直後の「住専問題」に絡めて、こう断じたのです)。
 彼が「すっかりダメになった昭和日本」が、かつては確かにダメでなかった時代というのを、もっぱら幕末維新に求めたのには様々意見があるし、であるからこそ、「坂の上の雲」を今の日本人が取り上げるのには、相当慎重な態度が要りますよ、というのは以前に話したことがあります。「明治の人は偉かった」式の、間違ったメッセージをナイーヴに受取る輩が、今だにいるからです(それを意識してか、先般のテレビドラマは、はなはだ「腰の座らない」出来映えでしたね)。

 幕末維新も明治の時代も、その時代を生きた人々の「現実」というのは、今とまさしく一緒で「常に先の見えない、この世」を、自分はどう生きていくのか?ということだけを「模索し続ける(問いを立て続ける)」存在であった、ということなのでしょう。江戸時代は封建社会で、明治は「富国強兵」で、庶民は常に搾取され続けていたなどという、結果から事を後で裁断する「超歴史的な視点」に立つかぎり、「先の見えない、この世」を生きている「現実の人間の在りよう」というのは、決して見えて来ません。
 もうそろそろ、司馬さんとは違う語法で、平成の世を嫌味なくポジに語れる仕方、というのを考える時期が来ているのではないか?それは何も司馬遼太郎の評価を下げる、ということにはならないと思う。この人の残した膨大な作品群を、平成の世の私たちは「どう読むことが出来るのか?」。たぶん、そういう問いかたをしてみる時代が来ていると思うのです。

 さて「カーネーション」は、もちろんそこまで過大な期待を背負って、この世に出て来たのではないのですが、ある意味、そうした「新しい問い方」のトバ口を、与えてくれたかもしれないドラマなのです。私がワイのワイのしゃべり続けて来たのには、そうした理由があったのでした。「タカが、朝ドラ」と言うなかれ、問いの立てかたによっては、どれぐらい広々とした「視界」に立たせてくれるのか、はなはだ不遜な「オレ様」流で試してみたかったのです。
 何度も云うように、定点観測のように岸和田のオハラ洋装店に絞ることによって、「先の見えない現実」と如何に対面し、なおかつ「それでも、前に進んで行ったのか?」。それを厳密に糸子目線に焦点化することによって、リアルに浮かび上がらせる。だからこそ、時にハナにつく振るまいや失敗や蹉跌があっても、観ている私たちは「まさしく、そうかもしれない。生きていくとは『問い直し』の連続だ」と、腑に落とすことが出来たのでしょう。

― つづく ―





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Last updated  2012.03.27 08:54:01
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
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