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さて。夜中10時半くらいから読み始めて一気に最後まで。宮本さんのパートと自殺機械の大学生のパートは読み飛ばす。伏線なんか計算されてない小説なので、多分差しさわりはないでしょう。ラストの恣意的な、かつあざといクライマックスの高揚感が若干削られたかもしれませんが。そして、塵芥が雑然と散らばったような――雑雑とした粗い空気が唯一の筋みたいな――この物語の世界を、若干損なう読み方だったかもしれないですが。
これは群像劇なのですね。
<バリカン>と新次という二本の旋律だけではなく、そこに前述の<宮本>や<自殺機械>や<芳子><ムギ><セツ>といった細いメロディが重なる。
中でも<宮本>と<芳子>はかなり際立ったメロディラインで、<芳子>は<新次>に絡み、<宮本>は全く別の韻律で和音を奏でるといった様相です。
個人的に非常に印象的だったのは<ムギ>でした。
物語としての確固たる骨子を持つわけではなく、故に小説を一本読み上げたという満足感はあまりありません。
一読した感想を一言で言うなら非常に感傷的な甘い歌謡曲。少しだけブルースみたいなムードを混じらせながら、その実場末の酒場に物哀しく流れる歌謡曲といった感じです。
描かれる人物の顛末はうら悲しさと切なさを纏いつつも表層的で記号的。
路地裏に差し込む細い光に浮かび上がる埃。そんな感じを受けました。
「バリカン」の「新次」への思慕。彼の思惑は「宮本」によって的確に表現されてしまっていて、深みというものはありません。でも、印象には強烈に残ります。
「新次」はその「バリカン」の想いを看破しているのだけれども・・・。
「新次」の存在価値は肉体美でありボクサーとしての矜持であり、飢えにあります。陽性で自信に溢れた若者らしい若者。でも腹の底にがらんどうを抱えてる。
「バリカン」は己の存在価値をどこにも求められない臆病で小心な若者です。彼が生涯のうちつながった人間は父親と「新次」しかない。最後の最後に自分の存在の根拠を新次に求めようとするバリカン。
これはどちらの人物も造形するのは一筋縄ではいかなさそうです。
類型的に仕上げてしまうことも可能なのでしょうが、それでは寺山修司のこの一種頽廃的なそれでいて実はあっけらかんとした底のない刹那的な雰囲気は生みだせない気がします。
って、一読しただけでえらそーに書いてしまってすみません。適当に書いてるので適当にあしらってくださいませ。あしからず。てへ(最近笑ってごまかすことを覚えた)