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今日も出張で姫路方面へ行っておりました。その帰りに元町で途中下車して、妻へのお土産と飲んで帰ることにしました。いつも行く三宮の串カツ屋さんは臨時休業という情報をあらかじめ仕入れていたし、そういうときに新しいお店を開拓しようということで。 先日。神戸・元町へ行った際に元町通商店街の中に気になるお店があったのを思い出し、行ってみることにしました。東京では割とよく見かける焼き鳥のお店、関西では少し少ないかなってね。 「焼き鳥のヒナタ」です。 ほかにもいろいろ頼んだのですが、一人だったのでそんなにガツガツ食べることもなく、一通り食べて帰りました。一人だったらこういう飲み方できるし、本来は立ち飲み屋さんがよかったのですが、もう一つ気になったところは混雑していたので。
2024年11月25日
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今年の8月までは楽しめた今年のカープの野球。8月はじめにズムスタへ行ったときは、その後になってあんなにチームが変わったかのように負け続けるとは思いませんでした。当然その原因を追求して、来年に向けての対策をしなければならないのは、野球に限ったことではない。プロジェクトなんかでも計画通りに進まなかったのであれば、原因究明と再発防止をはかるものなので「痛みを伴う」と監督自身がコメントしていたことからもその覚悟はあるんだろうと思っていましたが、カープの野球はそうではないらしい。 ご存じのように、打てない代打陣とそれをしつこく使い続ける首脳陣、もちろんそこには「信じて使う」というのはありかもしれないけど、結果が出なければこれまでのチーム功労者であっても下げざるを得ないはずなのに使い続けてあのざま・・。だったら、来季に向けて「痛みを伴う」というのであればそのような選手や首脳陣が一掃されるのかと思いきや、ほぼ誰も一掃されず。コーチ陣はほぼ留任って、大失速の総括はどうした!? これで来年もペナントレースを戦うって、どうなんだろう。一応新外国人の補強は行ったようだけど、これは実際にペナントレースが始まらないとその評価はわからない。先日もこの話題を取り上げましたが、その時点では首脳陣の交代があるのかどうかはわかりませんでした。他のチームは積極的に動いているのに何らそんな話が聞こえてこないことを不安に思っていましたが、誰も責任とらないなんてありえん・・・。本当に来シーズンは100敗するんじゃないかな。40勝できるかどうか・・・。完全に他のチームのボーナスステージになりそうな予感・・・。 「痛みを伴っている」のはファンだけのようですが、暗黒時代突入と思えば仕方ないかな。たまに勝てればいいか・・・。 ところで、楽天ゴールデンイーグルスの田中投手が退団となりましたね。本人がそのようにしてほしいということらしいのですが・・・。 田中投手といえば、24勝0敗の成績をあげたくらいの活躍でメジャーにも行きましたが、メジャーから帰ってきての成績はいまいちぱっとしていないようですね。私はパ・リーグは詳しくないのでわからないのですが、メジャーへ行く前のような状況ではないようで、やはりメジャーで投げるというのは相当体や心にもプレッシャーがかかるものなのですね。年齢的にも30歳後半というプロ野球選手としてもだんだんきつくなる年齢ですからね。 そんな田中投手を獲得しそうなチームってあるんですかねぇ。ネームバリューとしてはすごい選手なのですが、ここ数年はほぼ勝てていないし、今年も1試合しか投げていない。名前で押さえ込めるほどプロの選手は甘くないですからね。そういえば、いつだったかyoutubeで晩年の金田正一投手の苦悩をみました。日本プロ野球では記録にも記憶にも強烈なカネやん。最晩年の巨人時代はそれまでの勤続疲労なのか思いのほか球が走っていないし、抑えるのもかなり苦労していたように見えました。それでも400勝を達成するのですが、本人はもっとできると思っていたようで・・・。そんなレジェンド投手も他のチームでは「退団するならうちへ」というようにならなかったのは、あの強烈的な個性は横に置いて戦力的には計算できない、という判断があったのかもしれませんね。 田中投手の場合は、あと3勝で200勝。そのあと3勝をあげるだけの投球ができるのか疑問視しているチームが多いので、積極的な動きが今のところないのかもしれませんね。(今のところヤクルトが検討しているようですが) 高校野球でもレジェンドだった田中投手、次はどのチームのユニフォームを着ることになるんでしょうね。
2024年11月26日
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富山県警は3日、「車両横断禁止」の交通標識を「右折禁止」と思い込んでいた警察官が、交差点を右折した運転者11人に誤って交通反則切符を発行していたと発表した。車両横断禁止区域では、対向車線を横切って道路脇の施設などに入ると違反になるが、交差点の右折は違反にならない。県警は11人に謝罪し、反則金(6000円)を納めた4人には返還する。 県警交通指導課によると、1日午後4時15分ごろ同県射水市西高木の県道で、パトロール中の港湾地区特別捜査隊の男性警部補(55)らが、車両横断禁止標識のある交差点を右折した車を発見。指定横断等禁止違反の切符を切り、約1時間で他に10台を検挙した。その場にいた5人の警察官全員が標識の正しい意味を知らず、警部補は翌日、県警本部に確認して誤りに気付いた。この標識のある区間は県内に2カ所しかないという。 同課の高橋秀夫課長は「警察官が標識の意味を知らないのは恥ずかしい。指導を徹底する」としている。【8月3日付け毎日新聞ネット版から】 「車両横断禁止」って言われてどんな標識かすぐに思い出せますか? 今現在、教習所へ行っている方ならわかるかもしれませんけどね。 このページに当該標識がありますので確認してもらえればわかりますが、見たことありますか? 要するに道路を横切るような通行をしてはいけません、すなわち片側二車線の道路を走っていて右側のコンビニに入ろうした場合に、この標識があるところではそれをしてはいけませんということです。交通量の多い道路で時々見かけます。 この標識の意味を「右折禁止」と思っていた警察官がいるとは、驚きです。右折禁止なら、前出のHPでいうところの「指定方向外進行禁止」でなければならないでしょうね。 でも、それくらいわかっといてくれよって思いました。
2007年08月07日
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今日は、母親の病院の付き添いへ行くために仕事を休みました。診察と薬を処方してもらうためですが、歩くのがおぼつかないので、通院は基本的には私が対応しています。 さて、今日の診察にあわせて身長・体重測定の測定にあわせて、握力測定もしていました。母親は右利きですが、測ってみると20kg! 左側も同じく20kgで病院の方もびっくりしていました。母親は先月83歳になったところですが、この年齢だったら10kg台とかそれ以下なんていうことが多いそうですが・・・。しっかりつかむ力があるということはいいことだそうです。 それから、簡単な記憶力の確認もしていました。生年月日や年齢はもちろんのこと、昨日の夕食に何を食べたのかも聞いていました。昨日の夕食は? と聞かれて「カレーうどん」と答えていたので適当に答えているんじゃないかと思って、後で聞いてみると「後日食べることを見越して少し多めに作った」とのこと。確かに、母親は元気な時もそんな感じで作って残れば冷凍していました。 気になるのは、薬の飲み忘れ。年齢が年齢だしボケてきているのは仕方ないとしても、薬をちゃんと飲んだか? と聞いても「飲んだ!」って答えるのはいいのですが、だいたい残っているんですよね・・・。ホントにもう・・・。私が子どものころはウソついたりしたら、顔の形変わるくらい叩かれたんだけどな。 そのことをお医者さんに聞くと、「飲まないといけないということで、多く飲まれるのは困るけど、飲むのを忘れるのは仕方ないこと。それだけ調子がいいから飲まなくても大丈夫って言うことで今のところは気にしなくていい」とのことでした。 ちなみに、薬を必要以上に飲まれるのは、かなり危険だそうですね。妻の祖母さんがボケてしまって大量に薬をのんだことがあって、かなりの大騒動だったことを思えば、今のところは大丈夫なのかな・・・。 とりあえず、薬はまた大量の処方されたのですが、一週間ごと&食事ごとにジップロックの袋に分けて、さらに当該週も書いて分けました。これで忘れずに飲んでくれたらいいんですけどね。 それにしても、一緒に住んでいないからそういったことが気になるのですが、逆に一緒に住んでいないからそういったストレスはないのかもしれないなって思いました。
2022年03月01日
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先日の北陸方面への出張の際、金沢から富山までは北陸新幹線ではなく、第三セクターのIRいしかわ鉄道とあいの風とやま鉄道(以前の北陸本線)を利用しました。(金沢~富山間は北陸新幹線の旅費は、職場の規定で出ないため) 北陸新幹線と並行して走る北陸本線の金沢~倶利伽羅間はIRいしかわ鉄道に、倶利伽羅~富山を経由して、新潟県の市振までがあいの風とやま鉄道になりました。(市振~直江津間は、えちごトキめき鉄道) 使われている車両は、日中はJR西日本から譲渡された521系が塗色を変更して使われています。 金沢からこの写真の521系で富山まで移動しました。 ちなみに、「倶利伽羅」は「くりから」と読みます。なかなか難しい読み方ですね。 駅名標は、JR西日本のものなのですが、IRいしかわ鉄道のロゴを付加していますね。 ところで、金沢までは特急サンダーバードで移動していますが、金沢からこのIRいしかわ鉄道に乗車する場合、JR西日本でない別会社ですから乗車券は別途購入する必要があります。すなわち、JR西日本の駅では、例えば大阪から富山へ移動するのに金沢~富山間をIRいしかわ鉄道で移動する場合は通しの切符は販売してくれないのです。 このため、金沢で一旦下車してIRいしかわ鉄道用の切符を買うか車内で車掌から切符を買う、もしくは富山で下車する際に精算するかのどれかになります。今回私がとった方法は、車内で車掌から切符を買う方法にしましたが、その切符というのが私にとってはちょっと懐かしいものでした。 このような手書きの補充券だったんです。かつて国鉄時代は、このような補充券を車掌から買い求めることが多かったのですが、今では車掌が持っている端末で切符をプリントアウトしたものになっていますから、このような補充券は見られなくなりました。 裏面です。いろいろ細かいことが書かれていますが、このIRいしかわ鉄道にある駅を発駅として札幌市内まで移動するケースってかなりレアなんじゃないかってね。 ちなみに、この切符の地模様ってこんな感じでした。 あれれ? 乗車したのはIRいしかわ鉄道なのに、切符にはあいの風とやま鉄道になっていますね。車掌さんがあいの風とやま鉄道だったから? う~ん、今にして思うとなんでなんだろう・・・。 国鉄当時は、地模様に「こくてつ」の文字と動輪のマークが描かれていたし、補充券もこのように記載式のものと、駅名などをパンチして孔を開けるものがありました。 それにしても、思いがけなく懐かしい場面をみることができてちょっとうれしかったです。
2016年07月17日
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先日、JR阪和線鳳駅近くの金融機関へ行きました。鳳駅は前回も紹介しましたが、大きく変貌しておりまして、ついに路線バスまで乗り入れるようにまでなっています。結婚するまでの間、この鳳駅を最寄り駅にしてきた私にとってその変貌は信じられない勢いです。 こんな感じで駅前にロータリーができました。これだけみたら、鳳駅?って思うのですけど、こんな感じになったんですね。 2017年10月の時点がこの写真でしたから、すごい変わりようです。道路右側の更地の方へ道路が拡幅されて上の写真で道路になっているところがロータリーになった感じですね。このように以前の様子を写真にとっておいてそれを比較する、というのが私は好きなんですよ。 かなり広めのロータリーができたんですね。かつての鳳駅周辺の店や住宅がひしめいていた時期を知っているので、ホント驚かされます。 バス停もしっかりできていて、光明池方面や堺東方面へ向かうバスは必ずここを通るようになっているみたいですね。 ちなみに、私の亡き父が勤めていた会社がこの鳳駅のすぐ近くにあったんですけど、今回の再開発ですっかり消えてしまっています。 鳳駅周辺の道路が拡幅された関係で、鳳商店街の入り口周辺も大きく様変わりしていました。この商店街の入り口左側に住友銀行があったのですが、現在では鳳駅の少し南側へ移転しています。また、商店街右側には自転車の一時預かりとか喫茶店もあったんですけど、いずれもなくなっています。 ちなみに、毎年10月のだんじり祭りでは、この鳳商店街の中をだんじりが走るんですよ。 私が就職してこの駅を利用していた時には、「路線バスが鳳駅に乗り入れてくる」という話があったのですが、そんなことがとてもできそうにないくらい狭い道だったんですよ。 この写真の奥側が大阪和泉泉南線(府道30号線、通称13号線)なのですが、この道路も拡幅されていますが、ここも狭い道でした。ちょうど現状の歩道部分プラスアルファぐらいだったかな。当然当時は歩道なんてありませんでしたからね。だから、現状道路になっている部分に拡幅されているということですね。 それにしても、久しぶりにかつて利用していた駅に行ってみて大きく変わっているのをみてびっくりしました。まだ当時がどうだったのかは覚えていますけど、その当時の写真をもっと捕っておけばよかったかなってね。
2021年08月15日
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いまや日本では、AT(オートマチック)車じゃなきゃクルマじゃない、言われるくらい、MT(マニュアルトランスミッション)車の肩身は狭い。運転免許にAT車限定というカテゴリーができて久しいし、第一、各メーカーを見回しても、MT車を探すことの方が難しい。しかも、長引く景気低迷や趣味趣向の多様化などもあってか、クルマは単なる移動手段だからなんでもいい、クルマにおもしろさとか特別な何かを求めるのはおかしい、という風潮さえ感じられるから、MT車なんてもってのほかということなのかもしれない。 だが、考えてみてほしい。クルマが移動手段であるのは確かだが、クルマを運転している状況と、電車やバスに乗っている状況は違う。電車やバスなら、スマホをいじったり本を読んだりと、ほかのことを楽しめるが、クルマを運転しているときは、クルマを運転するしかない。運転しかできないなら、その運転自体、楽しいほうがいいじゃないか。 その楽しさを提供してくれるのが、MT車だ。何もバリバリのスポーツカーに乗ろうと言うわけではない。どんな車格だって、自分でクラッチを踏んでギヤを選んで走るという行為は、いかにもクルマを操っている感じがして、心が躍る。近所にちょっと買い物に行く運転も、必要だから行うただの作業ではなくしてくれる。 2015年1月8日、まさにそんな、MT車のおもしろさを体現したようなクルマが発売される。ルノーの5ドアハッチ、「ルーテシア ゼン 0.9リッターターボ/5速MT」がそれだ。(中略)そしていちばん強調しておきたいのが、ヒルスタートアシスト。MT車が嫌われる要因の一つは坂道発進だろう。でもこのクルマは、自動で2秒間ほどブレーキをかけて車体の後退を防いでくれるから、安心してスタートできる。(中略) AT車ばかりのいま、ルノーにはMT車を求める問い合わせや購入客が絶えないそうだ。このクルマは、そんなMT車を求める人の受け皿となっている同社だからこそつくれる、まさに面目躍如の一台と言えるだろう。【オリコンスタイルから引用】 先日、トヨタが燃料電池自動車の市販を開始、バックオーダーが3年分あるとか、軽四車の売り上げが急激に伸びているとか自動車業界には新たな展開が続いていますが、いずれもいわゆる自動変速と言われるAT車ばかり。 本文にもあったように、「車におもしろさ」を感じることがないんです。車って、移動手段の一つであるのには違いないのですが、やはり「運転する楽しさ」がなければ車を保有する意味がないでしょ。『運転なんてどうでもいいんだよ』って言っていた職場の元上司がいましたが、だったら高いカネ出して車買う必要ないじゃん、って思いますけどね。 AT車が増えたから、というわけではないでしょうけど、とても「車を運転している」という意識に欠けた運転手の多いこと。スマホ・ケータイを片手に運転しているヤツとか、助手席の彼女(彼氏)とイチャツキながら運転しているヤツ、見かけませんか? 極めつけは「アクセルとブレーキを踏み間違えるヤツ」ですかねぇ。私も時々レンタカーや代車でAT車を運転することがありますが、バックするのは緊張しますね。MT車なら、咄嗟にブレーキを踏むとともにクラッチを切ることができますが、AT車にはクラッチはありませんからね。 さて、先日カー雑誌を見て各メーカーのラインナップを見てみましたが、ホントMT車ってほとんどみかけないですね。私が免許をとった1986年当時なんて、ほとんどが「MT/AT」というように両方とも設定されていたはずなのに、たまに見つけてもランエボだったりとか(笑)。そこまで気合の入った車でなくてもいいから、普通の車でもMT設定が欲しいんですよ、MTユーザーとしては。 本文にあったルノールーテシアとか、外車には今でも設定しているものがあるし、日本車でもスズキスイフトとか、ホンダフィット、トヨタカローラフィールダー、マツダデミオなどごく限られたものにはMTも設定されているようですけど、昨今一時期よりも自動車人気が落ちてきたというのは、AT車によって「車を運転する楽しさ」を奪われてしまったためではないか、って私は思っています。(デザインがどのメーカーも似たりよったり、というところもあるのかもしれないし、ハイブリッド車などどのメーカーもエコカーばかりで面白みがないというところもあるかもしれませんが) ところで、MT車に乗り慣れていない人にとって、自動車教習所でも難関の一つだったものに「坂道発進」があったかと思います。サイドブレーキを引いて、ギアを1速に入れて、アクセルを踏んで半クラッチを効かせながら、サイドブレーキを下ろす、というものでしたよね。普段MT車に乗っている方には、何に迷いもないことなのですが、これをアシストするシステムが本文に書かれているルノールーテシアには付けられているとのこと。なるほど、これなら車が下がる危険は少しは防げそうですね。わずか2秒できちんと坂道発進ができればですが・・・(笑)。 ちなみに、これと類似のシステムは、日産サニーのB12(通称トラッドサニー)のMT車についていましたし、現在の大型車にも設定されているそうです。 話を戻して、私のデリカSWは先日19万キロを超えましたが、魅力的なMT車があれば買い換えを考えることもできようかと思います。ただ、残念ながら今のところはないですね・・・。もし、デリカSWに致命的な故障が見つかったら・・・? う~ん、考えたくはないけど、次もやはりMT車しか考えられないですね。運転する楽しさをいつまでも忘れたくはありませんから。
2015年01月06日
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みなさんは、コーヒーにはなにか入れますか? 私はブラックで飲むのですが、コーヒーフレッシュをいれて飲む人は多いのではないでしょうか? ちなみに、「コーヒーフレッシュ」というのは関西や中京圏での呼び方で、一般的には「(単に)クリーム」「(単に)ミルク」というそうですが・・・。 そんなコーヒーフレッシュを製造しているスジャータめいらくグループの配送場が草野球チームガゼルスの試合で時々利用する久宝寺緑地の至近にあります。ここのトラックの特徴は、ちょっと変わった表記をしているのです。 車で追い抜きざまに撮影したもの(ケータイのカメラを構えながら、前をみながら、車間距離を開けながら撮影 ※よいこはマネしないでね)ですけど、トラックのアルミボディーに書かれた表記に注目してください。 リアの表記は「スジャータ」と書かれていますが、右サイドの表記は「ターャジス」と右から書かれています。このような表記をしたトラックは、たまに見かけますが一般的には横書きに記載では「左から」読ませるものです。ところが、ここにはスジャータめいらくグループのこだわりがあるようで・・・。 スジャータのトラックに書かれた「ターャジス」が廃止されているとのウワサがTwitterに投稿され、広く拡散されています。果たして本当に「ターャジス」は無くなってしまうのか、スジャータめいらくグループに話を聞いてみました。 スジャータめいらくグループのトレードマーク(?)といえば「スジャータ」と大きく書かれたこのトラック。町中で見かけたことがあるという人も多いでしょう。進行方向の左側から見ると「スジャータ」と書かれていますが、右側から見ると読み方が不明瞭な「ターャジス」と書かれており、見た人に大きなインパクトを与えていました。 みんなが愛する「ターャジス」は見られなくなってしまうのか。スジャータめいらくグループに確認したところ、2018年1月から導入する新型車両の右側を「ターャジス」ではなく「スジャータ」に変更しているそうです。その理由は「右から書く進行方向書きよりも、読みやすい横書きが一般的になってきたため」とのこと。 読み方が不明瞭な「ターャジス」そのインパクトからしばしたSNSに写真が投稿されていました。中には一部のコアなファンも存在し、「ターャジスト」と呼ばれる人もいるとかいないとか。今後ますますレア度を増す「ターャジス」から目が離せません。【ねとらぼから引用】 本文もあるように、進行方向書きというそうですけどそれにこだわってきたんですね。でも、さすがに今の世の中にはあっていないということなんでしょうか。一般的には横書きは左から書くものなのに、わざわざスジャータめいらくグループの車両にだけ特別な対応をしなければならないわけですから、手間がかかっているんでしょうね。 ついでに、写真をご覧いただくとちょっとわかりづらいのですが、大阪めいらくの屋号は「くらいめ阪大」、「褐色の恋人」のキャッチフレーズも「人恋の色褐」となっていました。ただ、大阪めいらくの車両番号を示す「HD159」やアルミボディーを製造した日本ハーフの文字は左からの表記になっていました。どうせなら、ここも右からだったら笑えるんだけどね。(フルハーフの文字を右から書かれると、「FULLHALF」が「FLAHLLUF」となってしまって、なんのことかわからなくなってしまいますが(爆)) そんな特徴的な「ターャジス」と書かれた車両も、新しい車両から左から記載する「スジャータ」になるとのこと。時代の流れかもしれないけど、「横書きは左から読む」ことに違和感のない人にしてみたら「右から読ませる」ことにインパクトがあって宣伝効果もあるのかもしれませんが、違和感を感じるんでしょうね。 このニュースをみたこともあって、チャンスがあれば写真を撮ろうと思っていたのでタイムリーでした。でも、真横から撮ってみたかったけど、さすがに走りながらは無理ですから、これが限界ですわ~ それにしても、このような表記はおもしろいし、こんなネタは個人的に大好きなのですよ~
2018年09月18日
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今回の旅行の最終日は、朝7時から行動開始。まずは八幡から戸畑へ移動しました。 戸畑には対岸の若松を結ぶ若戸大橋があります。この日は日曜日だったこともあって、交通量は少ないはずということで、まずは若戸大橋を車で往復しました。確かに交通量は少なくてゆったりを走ることができました。 実は、若戸大橋を渡るのは二度目で、2001年ごろだったか出張で若松へ行った際にレンタカーで渡りました。当時は有料の橋だったのですが、その後2018年に無料化になったそうです。 1962年にできた若戸大橋は、色が赤いことからサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジに似ていますよね。1962年といえば、重厚長大の工業地域として大いに栄えていた北九州の勢いがあった時期なんでしょうね。 この若戸大橋の下には、渡し船があります。大阪市にも渡し船はあって無料ですが、ここは有料です。 これは大阪市の渡し船も同じですが、ちゃんと船のダイヤがあります。 この船に乗って対岸に渡ります。 船から見た若戸大橋です。長さは2100m、完成した1962年当時は東洋一の長さの橋だったそうです。 戸畑側の発着場を出発して若松側へと向かいます。 ほどなく若松側へ到着。この日はとても暑くて、短時間でも船に乗っていると風を受けて気持ち良かったです。 対岸は若松区、古い建物が今も利用されていました。 時間が早かったので、中に入ることはできませんでした。 歴史を感じる建物がほかにもあって・・・ 大いに栄えた時代の建物なんでしょうね。 もっとゆっくりしたかったけど、時間の関係で再び船に乗って戸畑側へと渡りました。 ほんとにこの日は暑かったです・・・。ちょっとした船旅ですが、いいものですね。 渡し船に乗る前に若戸大橋を渡って若松側へ渡りましたが、その際に海上保安庁の船と並べて撮影しました。遠くにはこの後移動する皿倉山が写っています。
2024年08月14日
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今日は久しぶりの練習試合が深北緑地野球場(大東市)でありました。相手は、大阪閃光さん。過去に何度か対戦したことがあります。今日は久しぶりにサードで出場、途中からキャッチャーに変わりましたした。 試合は、1回裏にI5さんとO3さんのタイムリーで幸先よく2点を先制したものの、その後は相手投手に6回裏までパーフェクトに抑え込まれる状況でした。先発のI5さんは立ち上がりから調子が良かったのですが、4回表に突如として四球とエラーなどで3失点。それ以外の回は、守備もよく踏ん張っていたのですが、その回だけでした。 そして迎えた最終回、K14さん、I5さんががしぶとくヒットで出て一死後、O3さんのタイムリーとM23さんのサヨナラ内野安打で4-3で勝ちました。最後の二イニング投げたT11君が今季初勝利に加えてガゼルスに入っても初勝利でした。 私の成績は2打席2三振といいところなしでした。 ところで、チームのキャッチャーの道具が老朽化で壊れたので新しいものを購入しました。そのカラーがちょうどチームのカラーリングによく似たものがありました。よく見つけたなぁと思いました。〔今日の成績〕1打席目 三振2打席目 三振 22打数3安打3打点6三振6四球 打率.136
2024年11月24日
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先日、西名阪自動車道の松原IC近くで、ちょっと変わった看板に目が止まりました。 「日石三菱」と書かれていますね。その下には、「ENEOS」の表記が・・・。 そうです、現在は新日本石油という会社名になっていますが、その前は「日石三菱」でしたね。もっともさらにその前は、「日本石油」と「三菱石油」で1999年に合併して会社名が「日石三菱」、折衷案のようなものだったんですね。 ところで、私が子どもの頃は、前出の日本石油、三菱石油以外に、共同石油、昭和石油、シェル石油、丸善石油、大協石油、などがありましたが、共同石油は日鉱共石を経てJOMOに、昭和石油とシェル石油が統合されて昭和シェル石油に、丸善石油と大協石油が合併してコスモ石油になりました。JOMOも今は新日本石油と経営統合していますね。 石油元売り各社も、昔だと考えられない組み合わせで経営統合していますね。ガソリンなど石油製品の需要低迷などコスト削減が迫られていると言われ、この先国内に5社ある石油元売りが3社になるというニュースがあったかと思います。 現在の5社といえば、新日本石油、出光興産、東燃ゼネラル石油(エッソ、ゼネラル、モービル)、コスモ石油、昭和シェル石油ですが、このうち出光と昭シェルが合併するとのこと。そんなに石油製品の需要って低迷しているのかなって思うくらいなのですが、大きなプラントの維持に多額の費用がかかるからなんでしょうかねぇ~ 話を戻して、このような看板はいずれ新しいものに置き換わることが多いのですけど、写真のスタンドではそのまま継続使用のようですね。
2016年05月30日
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先日車を走らせていたら、偶然にバスの廃車体を見つけました。乗用車の廃車体についてはスクラップ工場で積まれているのをみかけますが、バスの場合はバス会社で廃車となっても別の会社へ移籍することもあるし、海外へ行くこともあるのでみかけることは少ないかもしれません。 写真のところで解体をされているのではなく、解体までの一時置き場なのか部品を輸出するために一時置いているのか状況はわかりませんでした。 ところで、私が子どもの頃は小学校へ行く途中にバスの解体をしている会社がありました。そこに置かれていたバスは、私にとっては懐かしい大阪市営バス(私は4歳まで大阪市内に住んでいました)の廃車体でしたが、友だちはそんな気持ちは全くなくて格好の「遊び場」でした。運転席に座って運転士気分になったり、つり革にぶら下がったりして遊んでいましたが、当然危ない解体作業をしているところなので、作業員のオッチャンにみつかってよく怒られました。(それでも隠れて遊んでいましたけどね) そんな廃車体のバスも次々に解体されてなくなってしまいましたが、未だにこんなバスをみると子どもの頃に遊んだ記憶がよみがえります。 ちなみに、この廃車体のバスは左側が阪急バス、真ん中が大阪市営バス、右側が明光バスでこの敷地の中には他にも京都市営バスなども置かれていました。大都市圏のバスにあっては、ディーゼル車は初年度登録から11年を超えて保有することができないので、こういった廃車が増えてくるんです。なんだかもったいない気がしますね。(明光バスは和歌山県なのでディーゼルの規制に関係していませんが) 究極のキャンピングカーとして「バス・キャン」に改造できればいいんですけどね。すなわち、座席を全部取っ払って、ベットやトイレ、シャワールームをつくって、これで北海道へ行ってもホテルは不要、ってね。まぁ、普段の置き場が必要だけどね・・・。
2008年01月07日
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最近、PCでもスマホでもそうなのですが、楽天ブログをみていると時折このような表示が出るようになりました。いつも楽天ブログをご利用いただきありがとうございます!続きは広告視聴後に閲覧できますこの広告は1回見ると一定期間表示されなくなります広告を見てから次のページに進むこちらをクリック まぁただで使わせてもらっているわけだし、文句は言いたくはないですよ。 でも、その広告ってしょうもない内容。マジくだらねぇ! そんなもの、いちいち視聴させてんじゃねぇーわ! それ以外にも、楽天モバイルのiPhone15の広告。これも毎回毎回表示されてうっとうしいし、「この広告に興味がない」という意思表示して消したとしても、しばらくしたら表示される・・・。 そういう商品やサービスは、心から「利用しません!」
2024年03月24日
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今回の旅の締めくくり、というか3月に北九州へやってきたときにも気になっていたのが皿倉山です。八幡東区にあって、前の日に宿泊した八幡駅近くのホテルからもよく見えていました。夜景がきれいとのことでしたが、昼間の様子をまずみてみたいということで、今回の旅行の最終日の昼食後に行ってみました。 ふもとからだとかなり急な道を上がっていって、コインパーキングがあったのでそこに止めました。夜景を見るつもりであがってきたら、このコインパーキングに入るだけで大変だったかも、 ここからはケーブルカーで山頂を目指します。 こんな感じのケーブルカーですね。 屋根の部分からの景色も楽しめる構造になっています。 ケーブルカーでまずは山上駅を目指します。 かなりの急坂ですよね。 標高を稼いでいくと、北九州の街並みが一望できるようになってきました。 洞海湾が広がって、とても景色がよいところです。 山上駅からはスロープカーというモノレールに乗り換え。乗車時間はわずか3分でした。 小さな車体ですが、このスロープカーがないと結構な坂道をあがることになります。 この日は、昼から天気が不安定になって雨は降らなかったものの雲が目立ちました。ケーブルカーで上がってくるときはまだましだったんですけどね。洞海湾の方向はガスがかかったようになってしまいました・・・。 山頂に上がってきた目的の一つは、アマチュア無線の移動運用を行うこと。430MHz帯で運用してみると、3局の方からお声がけがありました。ここは標高が610mですから、電波もよく飛んでいるようでした。3局のうち2局は同じ北九州市内の方でしたが、もう1局は福岡県嘉穂郡の方でした。時間の関係とタイミングが良くなかったのか3局しか交信できませんでしたが、運用できてよかったです。 山頂にある展望台駅の近くには休憩所があって、そこにある展示をみていました。 この皿倉山から見る夜景はかなりきれいのようですね。今度は夜景を見に行ってみたいと思います。ふもとに当たるJR八幡駅から送迎バスもあるとのことですから、次はそれを利用かな・・・。 このケーブル路線は、1957年に開業とかなり歴史があるんですね。本当は帆柱ケーブルというのが正式名称だそうですが、皿倉山ケーブルカーという名称で通っているようです。 開業当初からの車両は2001年に現在の車両に置き換わったそうです。 このような写真を残してくれているのはうれしいですね。建設当時の写真もあって、股間を待つ間ずっと見ていました。 それにしても、景色はきれいだったし、アマチュア無線の交信としてもいいポイントだったことが分かったし、またの機会に上ってみたいと思います。
2024年08月15日
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皿倉山から息子の住むマンションへ戻って、準備をして新門司港へ移動しました。 夏休み真っ最中の時期だったのですが、日曜日ということもあったのかやや車の台数は少なめでした。乗客は団体があったので割と多かったですね。 夕食です。混雑していました・・・。 神戸行きの船でしたので、よく朝6時前に明石海峡大橋の下をくぐるということで、早起きして甲板へ行きました。みんな頑張って起きているんですね。こ 動画を撮っていたので、写真は橋をくぐってからです。 穏やかな海で、快適でした。 明石海峡周辺はいい漁場なのか、漁船も多かったです。ただ、フェリーが通っているのに、近いところを横切ったりするのはどうなんだ?って思いました。漁船だからスピード出せばかわせると思っているのかもしれないけどさ・・・。 それはさておき、フェリーは定刻に神戸六甲アイランドに到着しまして、私の今回の夏旅行が終了しました。今回は、広島で野球が見られたし、博多では久しぶりに同期に会うことができた、佐賀では献血もできたし、なかなか楽しめました。
2024年08月16日
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奈良県には読み方が難しい地名がたくさんありますが、これもその一つになるかと思います。奈良県磯城郡田原本町のJAならけんの出張所の名称です。何と読むでしょうか?「JAならけん 多出張所」 普通には「たしゅっちょうしょ」になるのか、「おおいしゅっちょうしょ」かな。 正解は、「JAならけん おおしゅっちょうしょ」 そうです、「多」と書いて「おお」と読むんですね。「おおい」でも「た」でもないんです。 田原本町に「多神社」があって、その昔、飛鳥に多氏という豪族がいたそうですね。そこから来ているのかな・・・。
2024年08月20日
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福島への出張の際に、レンタサイクルで走ってみた話を先日紹介しましたが、福島での仕事で移動する際にあるお店が気になっていたので、そのお店へレンタサイクルで行ってみました。 福島県庁から阿武隈川にかかる信夫橋の少し手前にある「美ふじ」というお店です。「アイスクリーム」の文字が見えますが、一見すると駄菓子屋さんかそのアイスクリームも一般販売ではなく業者向け販売と見えなくもない店構えです。お店の入り口には「バニラアイスソフト」などの張り紙はありますけどね・・・。 お店に入ってみると、やはり駄菓子屋さんっていう感じがするんですけど、駄菓子屋さんなどでよく見かけるアイスクリームなど氷菓が入っている冷凍庫が目に入ります。そして、それとは別にやはりよく見かけるソフトクリームを絞り出す機械がありました。なるほど、やはりアイスクリームの専門店なんですね。 冷凍庫にはバニラアイス、バナナアイス、オレンジアイスなど種々様々なアイスクリームがありましたが、お店の方に聞くとバニラアイスならできたてが食べられるということだったので、それにしました。でてきたものがこれです。 食べてみると、よくあるソフトクリームではなくて適当に氷の粒が入ったもの、関西にお住まいの方なら覚えておられるかも知れませんが、夏の暑い時期に公園などで売りに来るアイスクリームがありましたけど、それをもう少しなめらかにした感じかな、私の感覚ではそのような感じでした。素朴な味で甘さもそんなに強烈に甘いことはなかったですよ。 お店で座って食べることができるように長いすもありまして、腰掛けて食べることが出来ました。ちょうど私の後にも親子連れがやってきて、同じようにソフトクリームを食べていました。 福島での出張の際には毎日このお店の前を通っていたのですが、いつも気になりつつも入ったことがありませんでした。やっと立ち寄ることが出来てソフトクリームを食べることが出来たし、そのことをお店の方に話すととても喜んでくれました。 ちなみにこのお店の方、私が奈良からやってきている旨を話したところ、この方は奈良が好きでよく遊びに行っているとのこと。「旨いものなし」といわれる奈良を気に入ってくれているのは、奈良県民の端くれとしてうれしく思いました。 話をもどして、福島にはまだまだおいしいものがありそうですね。このお店にもまた行ってみたいと思います。
2012年04月09日
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今度の土曜日の3月16日、JR西日本管内ではダイヤ改正が行われます。おおさか東線の新大阪~放出間の開業が大きな話題の一つですが、私の住む奈良県内では万葉まほろば線(桜井線)と和歌山線で活躍している105系の一部が新しい227系1000番台に置き換えられます。 これが105系です。国鉄当時の1984年に登場。当時の国鉄の緊縮財政のために新製されたのではなく、常磐線~営団地下鉄千代田線(現・東京メトロ)で置き換えられた103系1000番台を改造したものです。 中間車両から改造されたものは、運転台部分を取り付けられたものです。また、この写真のクモハ105-513にあっては、その後の改造でパンタグラフを1つから2つに増設されています。 常磐線~営団地下鉄千代田線当時に先頭車両だった車両もあります。幌が取り付けられているのが103系当時とは違うものです。 車内は、103系当時とほぼ同じ。ちょっと懐かしさも感じるものです。 ところで、先日乗った際には、奈良駅で2両編成×2を切り離す光景を見ることができました。 向かって右側のクモハ105-518と左側のクハ105-3をつないでいた幌を外して切り離す準備をしています。 切り離し準備ができて、この後切り離されました。 切り離されたクハ105-8と・・・クモハ105-513です。こういう光景もダイヤ改正後は見られることも少なくなるのかもしれません。 そして今日、仕事が早く終わったのでお名残乗車に行ってきました。 すっかり夜だし、ガラホのケータイなのでこんな感じ・・・。 この列車で奈良から王寺まで移動しました。 万葉まほろば線(桜井線)は単線なので、対向する列車はほぼ105系ですけど、これも今だけですね。 王寺では105系同士の並びを撮ることができました。 1984年に登場したときは、ここまで長く活躍するとは思いませんでしたけど、来年春までには全て置き換えられるとのことです。
2019年03月13日
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私が96年から99年まで住んでいた兵庫県西宮市の甲子園。言わずと知れた阪神タイガースの本拠地、そして高校野球の聖地でもある甲子園球場がありますが、私が住んでいた団地はその甲子園球場から南に1kmほど行ったところにありました。そして、その甲子園球場のすぐ近くには「阪神パーク」がありました。今のららぽーと甲子園の場所になるのですが、2003年3月20日限りで閉園になりました。そんな阪神パークですが、阪神グループが「なんとかなりそうな夢大募集」ということで募集したところ、「阪神パークを復活させてほしい」というのが多かったようで、一日限りですが阪神パークが甲子園駅前に復活しました。もちろん、動物を持ってくるわけにはいきませんので、懐かしい写真やパネルなどですが・・・。 阪神甲子園駅前に降り立ち、甲子園球場の方へ歩いて行きます。このルートは、私が住んでいた時と同じルート、そこが会場になっていました。 動物はおりませんが、動物の形をしたふわふわがありました。 これは、かつての阪神パークの入り口だそうです。今回の入り口のロゴと同じですね。 阪神パークの歴史を示した年表がありました。 元々は、現在の浜甲子園に阪神パークの前身があったそうです。 その名残は、今でも甲子園浜の海でみられるとか・・・ 1929年に開業した阪神パーク、当時にもたくさんの動物がいたんですね。 ペンギンもいたんですね。 ペンギンに至っては、1941年にペンギン王国になったとか。それくらいたくさんのペンギンがいたんですね。ペンギン好きの私にとってはこの当時に近くに住んでいたら、一日中見ている自信があります(笑)。 しかし、太平洋戦争のために暗い時代が阪神パークにもやってきます。 その後戦争が終わって、1950年に営業再開、再び動物もたくさんやってきました。 阪神パークといえば、象さんなんです。私が住んでいた時も二頭の象がいました。「アキ子」「キク子」の二頭は人気者で、まだ赤ちゃんだった娘も象さんをみて喜んでいました。 ちなみに、この象さんは動物園から外に出かけることもあったとか・・・。もちろん二頭だけで出かけているわけではないのですが、おおらかな時代ですよね。 1950年にはジェーン台風が襲来、阪神電車も大きな被害を受けたそうで、阪神パーク内も被害があったそうですが、この二頭の象さんも復旧作業に携わったとか・・・。 1959年には阪神パークきっての人気者となった「レオポン」が誕生。レオポンは、ライオンとひょうの間に生まれたもので、四頭も生まれたんです。私は残念ながら実物は見たことはないんですけど、「阪神パークといえばレオポン」というのは聞いたことがありました。 ところで、1960年に新しい住処へ引っ越す際に母親のライオンが脱走、大捕り物が繰り広げられたそうですが、最終的には消防車がライオンのお尻へ放水して新しい住処へ誘導したそうです。なるほど、よく考えたなぁってね。 阪神パークといえば、もう一つ名物があって夏場には「デラックスプール」がありました。1964年に登場したそうですが、このプールは、それまで親しまれていた甲子園海水浴場の代わりになったんでしょう。夏場になるとCMでもPRされていましたね。 その他にもアイススケート場やボウリング場もありまして、当時のレジャーの最先端が集まっていたところともいえるかもしれませんね。 阪神パークでは、いろんなイベントが行われていて、科学博覧会や大菊人形展もあったとか。関西で菊人形といえば、ひらかたパーク(ひらパー)ですが阪神パークでも行われていたんですね。 さて、1985年には最後に残っていたレオポンが天国へと旅立ったそうです・・・。 1990年代に入ると、他の遊園地との差別化を図るために、子供向けに特化した遊具を設置するようになり、それは閉園まで続いていたように思います。私の娘が遊ぶまで残っていてくれていたらなおよかったんですけどね・・・。 私が浜甲子園近くにあった団地で妻と生活をはじめたのが1996年7月、阪神パークはその翌年の3月に住宅展示場を併設した「甲子園阪神パーク住宅遊園」として、入場料は無料となりました。園内には遊具とともにモデルハウスが建てられていて、当時は一軒家に縁のなかった私にとっては子どもの散歩コースとして利用させてもらいました。 そして、2003年3月についに閉園、73年の歴史を閉じたのでした。この閉園を知って、当時5歳だった娘とまだ元気だった母親を連れて閉園の一週間ほど前に行きました。大勢の人が来ていて、象さんのおりのところもひとだかりでした。その象さん二頭は千葉県へと引っ越していきましたが、数年後には天国へと旅立って行ったそうです・・・。 私にとっては、阪神パークの最晩年しか見ていなかったのですが、それでも思い出深いところでした。まだベビーカーに乗っていた娘を連れて遊びに行ったこと、阪神甲子園球場にほど近く、また甲子園駅からも近い一等地にありながらのんびりとした光景だった阪神パーク、引っ越してきてこんなにいい環境なんだ、って思いましたからね。(私はタイガースファンではありませんが) 写真の昔のテレビを模したモニターには、レオポンの映像や96年当時の園内の様子が映し出されていました。なかなか貴重な映像でしたので、また何かしらの時にみることができたらいいなぁって思いました。 なお、当時のポスターなども展示されていましたので、それはまた後日紹介したいと思います。
2024年03月02日
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今日は、草野球の試合で関西電力の南港発電所隣接のエルシティナンコウ球場へ行きました。ここには南港発電所のPR館があって、私の子どもたちが小さい時に夏休みの宿題の自由研究を兼ねて行ったことがあります。 PR館の前には、今はなき関西電力の高砂発電所にあった中圧タービンがありました。これは撤去されずに置かれていました。 説明の表示もそのまま残っていました。 それにしても、南港発電所のPR館はとても出来がいいなぁと思っていたので、閉鎖はとても残念に思いました・・・。
2018年04月30日
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JR大阪環状線の弁天町駅すぐにある交通科学博物館は、1962年に開業していますが、近々京都の梅小路蒸気機関車館近くへ移転することが予定されています。その前に収蔵されているコレクションを公開するために「曝涼展」が、先月15日まで行われていまして、見に行ってきました。 普段見ることができないものがたくさん展示されていました。その中で、私のお気に入りをピックアップして紹介します。 これは、1978年に引退したキハ81という車両のさよなら運転のヘッドマークです。キハ81は、1960年に東北本線の特急「はつかり」として登場した車両で、その後「つばさ」「ひたち」に使われた後、1972年に紀勢本線の「くろしお」として使われていました。 そして、紀勢本線が新宮まで電化されたのを機に引退することとなって、さよなら運転が行われました。当時私は小学五年生でしたが、さよなら運転の時間がわからず、親と一緒に天王寺へ行った時にはすでに出発したあとだったのでした・・・。 1972年つながりで、1972年から1978年10月のダイヤ改正まで運転されていた新快速のヘッドマークです。天王寺から和歌山までの間を運転されていて、途中停車駅は鳳のみ(後に熊取と和泉砂川も停車)で、阪和間を45分で結ばれていました。ちなみに、かつて阪和線が国有化される前、まだ私鉄の阪和電鉄だった頃にも阪和間を45分で結んでいましたが、当時は旧型の車両だったわけで、当時の阪和電鉄の車両の優秀性が伺えます。 阪和線つながりで、こんなものも。「直行」とは、今でも阪和線で運転されている「区間快速」の前身です。すなわち、天王寺~鳳間は快速運転、鳳以南は各駅停車となっている区間快速が1968年以前は直行と呼ばれていたんです。 ちなみに、「東和歌山」は今の和歌山のことで、1968年に改称されています。 私がいつも利用しているJR大和路線の大和路快速の前身とも言える奈良から大阪環状線に乗り入れる快速のヘッドマークです。このヘッドマークは初期のもので、ヘッドマークの真ん中を折りたたむと、快速表示が無表示(車両の車体色にあわせた赤色)になるというもの。その後に、ヘッドマークの形状が変わってしまいましたが・・・。 他にも紹介したいものがあるので、また後日に・・・。
2014年01月10日
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先日の福井出張の際に、朝早起きして泊まったホテルの近くを走る福井鉄道に乗ってきました。距離は短かったけど、雰囲気は楽しめました。 先日のブロクでも紹介しましたとおり、福井鉄道では主として元・名鉄岐阜市内線の路面電車が活躍しているわけですが、今回はその車両のことを中心に紹介します。 福井鉄道のモ880型は名鉄岐阜市内線が廃止された2006年にやってきました。その頃の福井鉄道の車両は普通の大型電車(高床車)で運行されていて、しかも車齢もかなり経過しているものが多かったわけですが、廃止された岐阜市内線の車両においては車齢が30年近く経っているものがあるものの冷房付きで、しかも路面併用区間のある福井鉄道にとってはちょうどいい車両だったわけですね。 このモ880型は1980年に登場、名鉄らしく赤色に塗装されて登場したわけですが、この写真の889+888の2連は福井鉄道移籍後もコカ・コーラの全面塗装になっていることから、偶然にも名鉄時代を思わせますね。 車内がやや狭く感じるのは、福井鉄道の線路の幅がJRの在来線と同じ1067mmというのもあります。加えて、隣の車両との連結部分は鍵穴のような形状をしているのもユニークですね。座席はあまり座り心地がよくなさそうですね・・・。 それから名鉄時代の名残として、名鉄特有の車両番号の形状が引き続き残されているということです。「888」と書かれた番号の形状もなかなかユニークな形状ですね。 この列車に乗って、市役所前電停で降りて写真をとってみました。これまた偶然に「コカ・コーラ」の看板の下を通っていますね。路面電車を撮影するのはなかなか難しいものです。自動車に遮られてしまいますからね。この前にも高床の列車が通過しているのですが、見事に自動車とかぶってしまいました。
2010年05月08日
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先日、大阪城公園へ行ったときにちょっと懐かしいものを見つけました。 蒸気機関車の動輪です。これは国鉄の8620形のもので、プレートナンバーが台座のところにありまして、「68660」と書かれています。8620形は1914年から1929年まで672両が製造された蒸気機関車で主に客車牽引用として作られましたが、客車だけでなく貨車もけん引して活躍していました。そして、北海道から九州までの路線で活躍、1975年まで活躍していたそうです。 ところで、蒸気機関車といえば「D51」に代表されるわけですが、この8620形は「D」ってつかないですよね? 大正後期から製造されたC51やD50は称号変更されたものの、大正初期から製造されていた9600形やこの8620形はこのような数字の羅列のままとなっていました。 ちなみに、この「68660」が示す意味は、8620形の第1号機の8620から数えて640番目の登録車両であることを示しています。(製造番号っていう人もいるのですが、決してその順番で作られたわけではないので正確ではない) それと、この動輪の形、自転車のスポークみたいで格好よく見えませんか? これが回転すれば結構速そうにも見えます。蒸気機関車の動輪って、実はこのような形のものはより古い時代のものなんです。 さて、冒頭に「懐かしい」と書いたのは、この蒸気機関車が懐かしいというのではなく、この動輪が置かれているのをはじめてみたのは、1983年に大阪城築城400年祭りというのが大阪城周辺で行われて、高校の遠足で行ったときにこれを見つけたんです。こういうのは決して珍しくはないのですが、大概は有名なD51はC57といったところが設置されると思いきや、大正時代の名機8620形を持ってくるとは、って思った印象に残っていました。その後も何度かここは通りかかっているのですが、あまり意識してみていませんでした。 その後は大阪城公園は行ってもこれがある場所へは行っていませんでしたので、ここ最近の大阪城公園の整備の際になくなってしまったのではないかと思っていました。そして今回、久しぶりに通りかかってみると、まだあったことに懐かしさを覚えたというものです。 屋外に置かれていますけど、このように手入れされているようでよかったです。
2022年03月31日
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レンタカーを借りたまま約3年2カ月にわたって返却しなかったとして、兵庫県警尼崎東署は18日、横領の疑いで、同県宝塚市のアルバイトの女(49)を逮捕した。 逮捕容疑は2018年11月13日、尼崎市内のレンタカー店で軽自動車を借り、4日後の返却期限を過ぎても返さず、22年1月21日まで乗り回していた疑い。「期限を過ぎた後も連絡せず使っていたことに間違いはないが、(19年2月の)車検が切れるころまでしか乗っていない」と容疑を一部否認しているという。 同署によると、当初は18年11月15日までの返却予定だったが、女が同店に電話で「2日間延長したい」と申し出た。17日が過ぎても車は返却されず、同店が電話するも「おつなぎできません」とのアナウンスがあり、契約時の免許証の住所には別人が住んでいたという。 19年2月11日、同店が「返却されていないレンタカーがある。3日ほど前に車検が切れたがどうしたらいいか」と同署に相談。22年1月21日、川西市内で「車が放置されている」と通報があり、レンタカーの所在が分かったという。【神戸新聞から引用】 このニュースは、ツッコミどころ満載でどこからツッコもうか迷いますね(笑)。 それにしても、こんな借主いるんですね。 まず、この事件の前提を整理すると、 (1)借主は、2018年11月13日に2日間利用するということでレンタ カーを借りた。 (2)その後、2日間の延長の申し出が借主からあり。 (3)しかし、その2日後(2018年11月17日)になっても返却されな かった。電話すれども捕まらず。 (4)2019年2月8日ごろ、レンタカーが車検切れとなる、 (5)2019年2月11日に警察へ相談。 (6)2022年1月21日にレンタカーが放置されていることが判明。 (7)2023年4月18日に借主、逮捕。 このうち、(1)~(2)は別に何も問題はないわけですが、(3)以降がツッコミどころ満載でしょ? こうして時系列に並べてもツッコミどころが大渋滞しています。 まず、(3)の時点で借主と連絡が取れなくなっているわけだから、車を盗まれた可能性があるわけだから、レンタカー会社も盗難届を出しておけばよかったのにね。だいたい、借りる際に免許証の写しを取っているわけだから、借主の名前は判明しているはず。所在が不明だったとしても、レンタカーのプレートナンバーもわかっているわけだから、いくらでも探しようはあると思うんだけどね。ついでにいうと、レンタカー会社も(5)の時点で警察に相談って、遅すぎない? 犯罪に使われる可能性を考えれば、もっと早く動かないといけなかったんじゃないかな。 それから、警察に届け出ても(6)の時点まで約三年間、見つけられないものなんですね。まぁ、実際どのような使われ方をしていたのかわからないけど、使っておらずに放置されていたのであれば見つからないか・・・。でも、この車が放置されていた場所に近い方は、レンタカーが放置されているとすれば気が付かないかな。レンタカー以外ならわかりづらいかもしれないけど、レンタカーって借りている期間が決まっているから、長期に放置されていたら気が付きそうなものだけど。 借主が逮捕されるまで車が見つかってから約1年あまりかかっているのは、所在がつかめなかったのかもしれませんね。 このようにみていくと、ツッコミどころ満載だし、逮捕された女の「車検が切れるころまでしか乗っていない」というコメント、だから何なんだって思うけどね。借りる期間は最大4日間なのに、返さずに放置しておいて「車検が切れるころまでしか乗っていない」ってバカなのか? でも、いつだったかのニュースには、試乗車をそのまま借りパクしてその車を別の業者に売っていたクソタワケもいるみたいですしね。売る方も売る方だけど、買う方も買う方だよな。 話を戻して、こんなヤツが平気で運転しているという事実を目の当たりにすると、もらい事故の時にちゃんと保証してもらえるのか不安になりますね。
2023年04月19日
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楽天ブログにおいて、うっとうしい広告が表示されることが多いですよね。ただで使わせてもらっているとはいえ、ホントうっとうしいものです。その中でも最近特に「なんやねん、これ!」って言いたくなるものはこのブログでも紹介しましたよね。 そう、この「広告視聴しろや!」っていう表示ですね。何度も拒否しても全然それが有効にならない。本当にうっとうしいものですよ。よくよくこの表示を見ると、「1回見ると一定期間表示されなくなる」ということだったので、どのくらいの期間表示されないのか調べてみました。みなさんは、「一定期間」というとどのくらいの期間を想像しますか? 一週間? 10日間? 15日間? 1カ月間? それくらいの期間だったらわかるんですけど、実際はどうだったか? まさかの「中一日」ですよ。要するに2日後にはまたこのしょうもない「広告視聴しろや!」が表示されます・・・。どこが一定期間やねん!? たった2日後にこんなしょうもない広告を表示するのに「一定期間」なんて表示するなって。 っていうか、こんなしょうもない広告がなぜ表示されるようになったのか、何の説明もないんだけど。いろいろ調べてみたけど、見当たらないね。他の方のコメントにもそのようなことが書かれていました。 ついでにいと、こんな動画を強制的に見せられることもあります。もちろん、そんなものを視聴する必要はないので、そこから離れようとすると謎の表示、「報酬が得られなくなります」だと・・・?だれが報酬がほしいと言った!? この報酬って、ブロ活ってやつですか? そんなことで儲けようなんて考えは1mmもないって。 これについても、楽天からの説明は一切ありませんね。三木谷、説明しろ!! はぁ、ちょっとだけすっきりしたかな。
2024年06月06日
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ふらっと立ち寄った駅を紹介するこのシリーズ、第52回目は山陽本線の富海駅です。 下関から普通列車に乗ってやってきました。 今や貴重となった国鉄時代からの115系3000番台に揺られてやってきました。 実はこの駅にやってくるのは二度目なんです。最初にやってきたときは、こんなにきれいだったかな・・・? この案内にあるように、駅から歩いてすぐのところにきれいな砂浜があります。 最初にやってきたときは、普通列車で下関方面へ向かっていたのですが、あまりのきれいさに感動して途中下車したのでした。 山陽本線は海沿いをカーブして走っていまして、海がきれいに見えるのです。 駅から海岸へ行く途中に道路がありますが、海水浴シーズンは混雑するのでしょうか。 国道からは外れているので、海水浴シーズンでなければとても静かなところです。前回やってきたときも今から20年くらい前の10月か11月ごろだったと思います。 逆光ですが、砂浜が広がっています。 奈良は海なし県なので、やはり海に憧れますね。遠浅の海なのかな・・・。 山陽本線の列車が海沿いを通っていきます。これは普通列車のようです。 こちらは貨物列車ですね。 最初にやってきたときも、ここで海を見ながら、通過する列車をみながらのんびりしていました。 そして、私が乗るはずの列車まで見送ってしまって大慌て・・・。その日は、ここで途中下車さえしなければ普通列車だけで目的地の博多までいくはずだったのですが、新下関から新幹線で向かうことになってしまいました・・・。 今回は次に乗る列車の時間をしっかり把握して、のんびりしていました。何も考えずに海を眺めるっていいなぁってね。 そんなことをして、再び駅に戻ってきました。木造のこ線橋がいい味を出していますね。 山陽本線は貨物列車の本数が多いのです。本州と九州を結ぶ重要な路線ですからね。 そして、次にやってきた普通列車で徳山へ向かいました。
2024年11月18日
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私の上の子どもが修学旅行から帰ってきました。行き先は広島と山口で、広島では平和記念公園と原爆資料館、山口では秋芳洞とサファリパークへ行ったそうです。行程は新大阪から新幹線で広島入りし、あとはバスで山口へ行き、新山口から新大阪まで新幹線で帰ってくるものでした。 広島市内は何度も私と一緒に野球を見に行っているので、特段珍しくはない(原爆資料館はさすがに凹んだそうですが・・・)のですが、山口は岩国の錦帯橋へ行ったくらいで秋芳洞などは行ったことがないので、とてもおもしろかったそうです。パンフレットなどでいろいろ説明してくれました。お友だちとも仲良く遊べたということで、修学旅行へ行く前は「広島とか知ってるし・・・」と言っていたし、何日か前には微熱もあってしんどかったようですが楽しめてよかったです。 それにしても、最近は平和教育というのがあるので、広島や長崎は定番なんですね。私も中学の修学旅行は長崎でした。また、距離や時間の都合上新幹線で移動するんですね。私なんて、就職するまで新幹線には乗ったことがありませんでしたけどね・・・。 私が小学生の頃の修学旅行は、大阪府内の小学校は大概そうだったのかもしれませんが三重県の伊勢と鳥羽で伊勢神宮参拝と鳥羽水族館、ぶらじる丸、御木本真珠島へ行きました。行程は私の通っていた小学校が国鉄沿線にあったために、最寄りの駅から仕立て列車に(臨時列車)乗車しました。 ちょっとその辺りのことを思い出してみると、事前に配布されたしおりには「"なかよし号"に乗車」って書かれていたので、どんな列車が来るんだろうってワクワクしていたのですが、やってきたのは当時阪和線・紀勢本線で急行列車として使用されていたキハ58系6連でした。特に「なかよし号」とも書かれていませんでしたので、みんなは「これが"なかよし号"?」って言っていましたけど、個人的には普段乗ることができない車両だったので喜んでいました。↑ キハ58系です。すっかりとみかけなくなってしまいましたね・・・。 行程は阪和線の最寄り駅から先日廃止が発表された阪和貨物線(阪和線杉本町~関西本線久宝寺間)を通って関西本線を東進し、亀山から紀勢本線を南下して多気から参宮線で伊勢市まで行きました。翌日は宿泊場所の最寄り駅の二見浦から定期列車に乗って鳥羽へ行き、鳥羽水族館などをまわって鳥羽から往路の逆コースで大阪へと戻りました。かなり列車の移動距離が長いし時間もかかりましたが、当時から鉄道好きだった私にとってはこれだけ長い距離を移動できるということで、終始喜んでいました。まぁ、私だけではなく男の子はみんなそんな感じだったかな・・・。 その移動の中で覚えているのは、仕立て列車だったこともあるのですが単線区間での対向待ちが極端に多かったこと。特に、関西本線の大河原駅で普段なら貨物列車が停まるような線路(ホームがない)で通過待ちをしたことは「なんでホームがない真ん中のところで停まるんだろ?」って思ったのでよく覚えています。また、翌朝の定期列車を利用して鳥羽へ行ったことも、かなり混雑していて(っていうか私たち小学生が大挙して乗っているんだから当たり前なんだけど)ギューギューだったのも覚えています。 列車を降りて伊勢神宮とかに行った思い出はあまりなくて、この列車の移動が強烈に残っています。 話を戻して、上の子どもも小学校の最大の思い出の一つが出来てよかったと思います。これから小学校卒業まで半年を切りましたが、一つ一つの催しが思い出になろうかと思いますので、楽しんでほしいと思います。 ちなみに、下の写真は上の子どもが買って来てくれたお土産の一つ、「梨あん餅」です。試食して美味しかったので買って来たとのこと。梨の実の粒が入っているようで美味しかったですよ。
2009年10月21日
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高島屋は11日、港南台店(横浜市)を来年8月に閉め、米子店(鳥取県米子市)を来年3月に地元企業へ譲渡すると発表した。両店とも営業赤字で、業績の回復は難しいと判断した。(中略) 高島屋の村田善郎社長は11日の記者会見で、ほかの地方店についても撤退や縮小に踏み切る可能性に触れた。 岐阜店(岐阜市)や岡山店(岡山市)、堺店(堺市)、泉北店(同)の計4店を列挙。「人口減による地方経済の縮小は続く。将来にわたって営業黒字が見込めない店は、適切に縮小や撤退を判断していく」と述べた。【朝日新聞digitalから引用】 百貨店の撤退・縮小が続いていますが、高島屋も例外ではないようですね。 この記事の中で気になったのは、大阪の堺店及び泉北店がその対象になっているということです。いずれも元・堺市民の私にとっては行ったことがある百貨店ですから、びっくりしました。 中でも、堺店は1964年に開店。ここは泉北店がでできるまでは堺市内唯一の百貨店でした。1980年代の改装前の堺店は重厚な外観が特徴で、建物の上の方にあった特別食堂というのがあって、文字通り百貨店の一般的な食堂とは趣の異なるもので、初めて行ってハンバーグランチを食べたことを今でも覚えています。 また、母親が勤めていたのもこの堺店でして、定年後も嘱託としてしばらくの期間勤めていました。進物関係の手順や手話ができたこともあるのかなって思っています。 泉北店は1974年に開店。私が小学一年生の時に開店しているので、堺店にない目新しいものがあって、ここへ行くのはとても楽しみだったんですよ。また、高校が泉北店の最寄りにあって、学校の帰りに立ち寄ったりするのも楽しみでした。 これらの2店が撤退もしくは縮小を計画しているということで、時代の流れとは言えさみしいものだなと思いました。今でも母親は、堺店や泉北店に買い物に行っているようですからね・・・。
2019年10月12日
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最近は古めの団地は5階建てなど低層の団地を高層階に建て替えをしているところがありますね。これは、高層階にすることによってエレベータが取り付けられて、高齢者なども安心ということがあるのかもしれませんね。また、団地によっては低層階であってもエレベータを後付けしているところもあります。 さて、少し前ですが、私が大阪市内の住吉区我孫子から今の堺市へ引っ越してきたときにはすでに建っていた堺市の大阪府営八田荘団地に行く機会がありました。そこには私が子どもの頃の団地の光景が残っていました。 いきなり近すぎてすみません。この塔はなんだかわかりますか? 団地に住んでいた方はごぞんじかもしれませんね。 これは「給水塔」といいまして、そこそこの大きさの団地にはこの給水塔が複数建っていまして目印の一つになっていました。この給水塔の周りはちょっとした広場になるので、団地によっては「給水塔の周りでお祭り」なんて言う光景もあったそうです。また、この給水塔の形もいろいろあったし、そこに描かれている絵もいろいろありました。ちなみに、私の団地の給水塔はこんな形ではなかったです・・・。 ここの団地は1965年頃に建てられたものだそうです。ということは、築約60年の建物になるのですね。 窓には日よけ用の覆いがありますが、これは他の団地では見かけなかったような・・・。遠くに給水塔が見えますが、給水塔がいかに大きいかお分かりいただけるかと思います。 この建物は、真ん中で二つに分かれているように見えますね。向かって左側が元々の建物、右側はその後に増築された部分のようです。古い団地には、このように増築されたものもあります。 この八田荘団地も、いくつかの建物は取り壊されて新しい建物になっているところがありますし、更地になっているところもありました。 ところで、このような建物が多くできると買い物をするためのお店が必要となります。この宮園団地の近くにもありました。 この写真には建物が並んでいますが、シャッターの降りているところが多いですね。ここに市場がありまして、多くのお店が入っていてにぎわっていました。「小阪デパート」という名前でした。 この道路の右側にまで建物があったのですが、かなり前に建物が無くなったようで面影はありません。私の実家のある団地は、ここから歩いて20分以上かかるのですが、私の実家の周りには当時お店はほとんどなく、ここまで歩いて買い物に来ていました。私が幼稚園に入る前ですから今から50年も前のことです。建物はありませんが、かつての光景は今でも覚えています。この道路沿いにあった入り口を入ると、オレンジジュースが噴水のように噴き出す装置を置いていたお店とか、少し奥に入るとお豆腐屋さん、コロッケのおいしかったお肉屋さん、反対側の道路の出口の手前に散髪屋さんなどいろんなお店があってそこで買い物するのが楽しみでしたね・・・。 そんな跡地をゆっくりとみるのは、何十年ぶりだろうって思いましたが、ちょっと懐かしいことを思い出していました。
2022年02月28日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、例によって今日ではありませんが、昨日食べたカレーです。 しかも例によってなじみの梅田の「ミンガス」のカツカレーです。 仕事の前に食べて、出張に行きました。ここでカツカレーを食べて気合を入れました。 ところで、ここのお店には椅子はあるのですが、今日は立ち食でした。
2024年11月22日
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私が仕事でよく行く姫路市内で、気になる広告のロゴを紹介します。スーパーマーケットといえば、一時期出店も多かったのが「ダイエー」ですよね。日本最初のスーパーマーケットなんて言われていて、プロ野球の球団を持ったこともありましたよね。その後は低迷してしまって、かつての勢いはありませんが・・・。 多く出店していたダイエーも、同業他社の競争に敗れて閉店に追い込まれたところもあるようでして、関西のどこへ行っても見ることができたダイエーの広告看板も、いつの間にか見られなくなりました。 この写真のように、閉店に伴いロゴマークを取り外したものの、うっすらと残っているのは珍しいのかもしれません。ホント、一時期は関西のどこへ行っても、オレンジ色のこのロゴマークを見かけていたと思います。今では、ロゴも変わってしまっていますね。 さて、この広告看板は、JR播但線の野里駅近くにありまして、「花の北モール」というショッピングセンターのものです。同センターのHPによると、1982年にダイエー花北店として開業、2002年に閉店したそうです。このような残り方をしている広告看板をみると、ちょっともの悲しいものですね・・・。
2014年08月28日
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今日は、早朝からアマチュア無線の移動運用で青山高原へ行きました。青山高原へ行くのは久しぶり、だったのですが、あいにくの天候。雨降りではなかったのですが、山の上の方は見事な霧・・・。加えて肌寒かったです。 この写真ではわかりづらいのですが、麓の方が全く見えないくらい真っ白でした。 さて、アマチュア無線の運用は50MHzで、遠く沖縄や北海道が聞こえていたのですが、実際に交信できたのはわずか7局だけ。タイミングが悪かったのと、途中でマイクの調子が悪くなったので、昼から別の用事もあったこともあって、早々に切り上げて帰りました。 せっかく行ったのに残念でしたが、交信できた方の中では、1992年に交信した方と22年ぶりに交信することができたこともあって、なかなか楽しかったです。 また機会があれば、行ってみようと思います。
2014年06月21日
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街中を歩いていて、ふと下をみると丸い鉄板を目にすることがあります。この鉄板、いわゆるマンホールの蓋ですが、一般的には電電公社(現・NTT)やガス会社、電力会社のマークが彫りこまれたデザイン的にも大したことのないものばかりです。最近ではちょっとしたデザインを施したマンホールの蓋を目にする事が時々ありまして、写真に収めたい衝動に駆られることもあります。まぁそういうときは、得てしてデジカメを持っていないか、人通りが多すぎて写真が撮れないなんていうことばかりなんですけどね・・・。 さて、表紙の写真は広島駅の近くで見つけたマンホールの蓋で、広島東洋カープの古くからのキャラクターである「カープ坊や」が描かれています。広島東洋カープを心から応援していることがよくわかりますね。ちなみに、このマンホールは『広島市下水道局はイメージ向上と観光PRを狙って企画され、2008年3月から新球場の周辺を中心に設置されているもの』(広島東洋カープのHPから引用)だそうです。 それから、カープ坊やつながりで広島市民球場で見つけたものです。 「ぶっかき氷」はビニル袋の中にカキ氷が入っていて、付属のストローで食べるようになっていました。イチゴ味でちょっと甘めでした。ちなみに、このカープ坊やが着ているユニフォームは1989~1995年に採用されていたものです。 最後に、下の子どもが買ったカープ坊やのキーホルダーです。上の二枚のデザインと比べると、ちょっとかわいいデザインになっています。 今回の旅行では、今年で閉鎖される広島市民球場がメインでしたが、奈良への帰り道に寄り道しながら帰ることにしました。それについては、次回以降に紹介します。
2008年08月26日
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昨日は雨が降ったりやんだりの関西地方でした。今日は朝方少し霧が出ていたのですけど、それ以降はいい天気でした。今日はこのブログにコメントくれるyoshi君と三重県津市にある青山高原へアマチュア無線の移動運用に行きました。昨日の夜に突然決定して、yoshi君もタイミング良く一緒に行くことができたのでした。 7時半頃に現着、青山高原は天気が良く風が気持ちよかったのですが、少し気温が低かったです。それも陽が高くなってくると気温もあがってきました。それと、この日は前日が雨だったので気温が上がればEスポも発生するだろうと予想もしてやってきました。 セッティングして早速ワッチしてみると、沖縄県や北海道、長野県や山梨県が聞こえていましたが、かなり変調が浅くて私のアンテナでは無理でした・・・。しかも、バズ音(Eスポが発生するとビーーーーとやや耳障りな音が聞こえてくるんです)もやかましいくらい聞こえていまして、せっかく声をかけてくれているかもしれないのに、バズ音でよく聞こえなかったり・・・。 それでも、沖縄県島尻郡や長野県下伊那郡と国内の遠いところや台湾の局とも交信することができました。コンディション的にはまずますだったものの、たった11局しか交信できなかったので、ちょっと消化不良でした。 また、この青山高原移動の際に時々顔を合わせる三重県在住のアマチュア無線局の方もアイボールにこられて一緒に運用もしていました。さらに、撤収作業をしている時にも三重県久居市在住というOMさんがやってこられて、お話をしていました。 私は夕方に用事があったので12時過ぎに撤収しましたが、yoshi君は15時くらいまで運用していたそうです。 ところで、運用中の写真を撮ることができなかったので、下の写真は過去に行った時に撮影したものです。
2012年05月26日
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先日の敦賀での仕事が終わってから、少し足を延ばして北陸トンネルを越えた次の駅の南今庄へ行ってきました。ここはこの辺りでもかなりの積雪のあるところで、今回もそうでした。 この写真だけ見ると、どこかわかりませんね。 田畑は雪で覆われていて、私の子どもに写メを送ったところ「雪合戦し放題や~」だっって。 ここまで雪が積もっていると、走ってくる列車を撮影するのはちょっと大変なんです。例えば、この北陸本線を走る特急は「サンダーバード」と「しらさぎ」、「雷鳥」ですが、前2列車はJR西日本の681・683系とよばれる新型の車両で白い車体が特徴なんです。ということは、雪と重なるとなかなか分かりづらいんですよ~ さて、撮影をしようと列車を降りて歩いていると、「ピーッ!」という機関車の汽笛が聞こえました。そして、あわてて写したのがこれです。 トワイライトエキスプレスですね。JR西日本が誇る高級寝台列車で、いわゆるブルートレインが次々と姿を消す中でがんばっています。実は私はまだ乗ったことがないんですわ~ 南今庄駅周辺は私と同じようにカメラを持った人が多く、私は携帯電話のカメラですので駅を離れて適当なところを探して写していました。やや線路に近い場所をさがしてやってきたポイントで写したのがこれです。 それから、今年3月の改正でわずか1往復になってしまう485系「雷鳥」です。このカラーなら雪があっても分かりやすいですね。 わずかな時間で退散しましたが、やはり雪のある風景って私にとってはなかなかなじみがないので、ちょうどタイミングが良かったと思っています。 なお、南今庄から敦賀に戻るときにやってきた普通列車は、その昔、北陸本線を急行列車として走っていた当時のカラーの車両(475系)でした。乗ることが出来たのはちょっとラッキーでしたが、できれば走っているところを写したかったなぁ。 ところで、以上の写真は携帯電話のカメラで写したのですが、やはりもう少しいいカメラがほしいですわ~ 動きのあるものを撮影するのはちょっと難しい~
2010年01月20日
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先月、桜を求めて奈良市の佐保川を大和郡山市まで歩きましたが、その際に古い車が放置されているのを見ました。とりあえずシートはかぶせられているので、もしかしたら復活させるつもりで置いているのかもしれませんが・・・。 何とも中途半端なカバーのかけ方ですけど、そのおかげで何の車かわかりますよね。若い人にはわからないかな・・・。 これはスズキアルトの初代です。アルトは1979年に登場、その当時「47万円!」という衝撃的なCMとプライスで一世を風靡した軽四車でしたね。4ナンバー車だったので、自動車税は安いし、燃費も良いということで、よく売れましたしよく見かけました。この赤いアルトが多かったと思います。エンジンは、2サイクルの排気量は550CC、白煙をはきながら走っていましたね。エンジン音もやかましくて、2サイクル特有の音でした。 パッケージは、貨物車の一種なので後席はとてもゆったりと座れるものではありませんでしたが、緊急用の座席とすれば諦めもつくか、っていう感じでした。これは、同時期に登場したダイハツのミラも似たようなものでしたけどね・・・。 それと、小さな車体ですから、足元のペダル類が中央に寄っているため、乗用車からこの車に乗ると、アクセルを踏んでいるつもりが、実はタイヤハウスを踏んでいたりとか・・・。これも他の軽四車も同じでしたけどね・・・。 そう思えば、今の軽四車の快適さは際立っていると思います。車体も一回り以上大きくなっているし、エンジンの排気量も660CC、白煙をはきながら走る2サイクルエンジンではなく、余裕のある4サイクルエンジン。装備もエアコン・パワステは当たり前、パワーウィンドーまでついているし、ATだし・・・。 もし、このアルトのままだったら、絶対にここまで軽四車は売れていないでしょうね。今の軽四車は、価格を抑えられ(このアルトと比べたら格段に高いけど)、室内が広くて装備や燃費もよく、魅力的な車が次々登場して、今では小型車や普通車以上に売れているわけですからね。 ちなみに、私の親戚のおじさんが乗っていまして、それは後期型のヘッドライトが角目になったものでした。また、私が高校生の時の国語の先生もこのアルトに乗っていたっけかなぁ~ ところで、このアルトが置かれているところに、もう一つ懐かしい車がありました。 右側の車は、トヨタクラウンセダン(120系)、この車もよく売れましたね。クラウンにはハードトップとセダンがありましたが、商用車好きな私にとってはタクシーにもよく使われていたセダンの方が好きでした。このクラウンは、今でも動いているのかナンバープレートがついていました。 左側の車は、日産プレジデント(150系)。社用車とかでしか見かけることがないものですけど、同じようなトヨタのセンチュリーよりも、私はプレジデントの方が見た目の押し出しが強くて好きでした。こちらは、動いているのかどうかわかりませんでしたけど、屋根のサビ具合からほとんど動いていないのかも・・・。 今、この写真を見て気がつきましたけど、クラウンの奥の方に日産キャラバン(E20)もチラッと見えますね。 このような古い車って、時々見かけるんですけど、写真に収めるのはなかなかタイミングが難しいものなんですよ。また収めることができたら、紹介したいと思います。
2014年05月16日
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ドラレコをつけていると、思いがけない場面に出くわすことがあります。今日紹介する映像は、ある踏切でのことなのですが、踏切事故でよくある「列車との衝突」になりうる事案をみかけました。 これはある踏切での様子です。私の車の前に軽四車が走っています。 その踏切の前には、国道との交差点で信号は青となっていました。 さてこの時、みなさんは何に注意して踏切を通過しますか? 当たり前の話ですが、踏切手前にある停止線で一旦停止。左右を確認する、でしたよね? ところが、これをしないヤツが多いですね。そのままスルーしているヤツが多いんですよ。ブレーキランプすらつかないヤツが多くてね。 さて、前の計四車はちゃんとブレーキランプがついているので、停まったようですね。 しかしですよ、その後がダメですね。 要するに、軽四車のさらに前にいる車が動かないのに、見込みで突っ込んだから踏切を渡り切れない状況で停まってしまいました。しかも、その前の信号はいつの間にか赤信号に変わっています。このままだったら、警報機が鳴りだして遮断機が下りてきたら、確実にアウトですね。 反対車線は車がたくさん来ているから、避けるに避けられない。ホント何考えているんだか・・・。 こんな状況で停まってしまった軽四車の運転手、多分焦っていたんでしょうね、窓から顔を出して「早く進んでくれ!」っていうような感じでした。ってか、アンタが悪いんだろうが! こんな時、どうしたらいいんですかねぇ。警報機が鳴りだしても、前の車が動かなければどうすることもできない。後ろも詰まっていたらこの軽四車、ジ・エンドですなぁ。そうなれば、非常ボタンを押すしかないわけだけど、そうなった場合、軽四車の運転手は非常ボタン押すかな? 自分の勝手な見込みで突っ込んでおいて、動けなくなって非常ボタンを押す。そんなの、鉄道会社からの賠償請求はでかいんじゃないの? そうなれば、軽四車の運転手は押さずになんとかしようとするのか? なんともならないだろうから、車が列車に跳ね飛ばされるのを待つしかないだろうね。でも、それまでに私を含めて誰かが非常ボタンを押すんだろうけど、こんなクソタワケな運転手って賠償請求されるとわかったら「ボタン押したのはオレちゃうし」とか言ってきそうだからな。まぁ、そう考えたらほっとくのかな、自業自得じゃということで。なお、跳ね飛ばされた車の部品等でこっちの車が傷つけられたら、ガチギレしてやるけど。 ちなみに、この写真の踏切は単線のJR和歌山線の踏切なのですが、JR大和路線の踏切(複線+引き込み線多数あり)でも、このような光景を見たことがあります。その時は、車体の三分の一くらいのところに遮断機の棒が降りてきてギロチン状態になっていました。よく「遮断機の遮断棒が折られた」というトラブルはそういうのを指しているのかもしれませんが、ホント迷惑な話ですよね。 話を戻して、踏切って交差点と違ってあらゆる所への影響が大きいから、ちゃんと前が進んでから動くようにしてほしいです。基本的な話なんですけどね。
2021年12月30日
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私の住んでいる王寺町では、4月の新学期から小中一貫学校ができます。王寺小学校と王寺北小学校、王寺中学校を統合した「王寺北義務教育学校」、王寺南小学校と王寺南中学校を統合した「王寺南義務教育学校」に集約されます。王寺南義務教育学校は、一~四年生が現在の王寺南小学校で五~九年生が現在の王寺南中学校が学び舎となるのですが、王寺北義務教育学校は現在の王寺中学校の運動場のところに新たな校舎を建てられることになりました。そして、その王寺北義務教育学校の地元住民を対象としたお披露目会が行われて見に行ってきました。 引きの写真なのでわかりにくいのですが、正面の建屋が今回完成した王寺北義務教育学校で、左側に給食センターが作られました。元の王寺中学校は写真やや右側に建屋がありまして、これは今後取り壊されます。 ここから入っていきます。 真新しい学校っていいですね。 でも、学校というよりもホテルのようにも見えます。 この日はここから入場となりましたが、実際はこの反対側から入るようです。 これは校庭側になりますが、まだ旧校舎が残っているし、工事が引き続き行われるのか仮囲いも残っています。左側が新しい校舎になります。 校舎内に入ってまず目につくのが、この吹き抜けに作られた大階段。 ここには足を踏み入れることはできなかったのですが、ここで集合写真を撮ることも考えているのでしょうか。 また、写真をご覧いただくとわかるのですが、木の部分が多いですね。奈良県は吉野杉などに代表されるように良質の木材が産出されるところですから、そんなこともあるのでしょうね。 その大階段を上の方に上がるとメディアセンターとよばれるスペースが広がっています。 ここには、本が置かれて自由に読むことができます。いすも配置されてゆったりした空間となっています。 校舎は4階建てになっていて、低い階から一年生のクラスになっていて上の方は上級生となっているようでした。 最新の学校は、このように環境に配慮した造りになっていますね。 環境はもちろんのこと、全館冷暖房完備です。快適な環境になっているので、夏場の猛暑も奈良恩地おなじみの冬場の極寒にも対応しているわけですね。こんないい環境なら、夏休みや冬休みが短くても問題ないのではないかな・・・。 靴箱を入れるところも木がふんだんに使われていて、番号でわかりやすくなっていました。色使いもいいですね。 この後、教室などを見て回りました。 これは一階にあるメディアセンター。このメディアセンターにも本がたくさん配置されるようで、ここは低学年用のもののようです。 だから、柔らかい色使いで本に親しめそうな感じがします。 この空間だけ見ていたら、とても学校には見えませんよね。 これは一年生の教室です。新一年生になるのか子どももたくさん来ていました。 こんなきれいな環境で勉強できるってうらやましい・・・。 教室の感じも木がふんだんに使われていて、温かい感じがします。それに、ちゃんと板書するように黒板が配置されていますね。ホワイトボードのところもあるようですけど、この学校は黒板になっていました。 ところで、この黒板もそうですが、黒板が上下に動く仕組みになっていて、とてもいい仕組みだなぁって思っています。これは、王寺町内の他の学校もそのようになっているそうですが、私が通っていた大阪の学校では見かけたことがありません。少なくとも私が卒業した小・中・高校にはありませんでした。 現在の中学二年生に相当する八年生の教室に上がってきました。「八年生」という響きが慣れないですね・・・。一学年4クラス、36人分の座席配置になっていました。それくらいゆったりしていたらいいですよね。私が卒業した中学校は新設校だったこともあって、確か40人クラスのモデル校として初めて指定された学校だったのでとてもゆったりした空間だったのを覚えています。 特別室として、この理科室や図工室、美術室などもありました。教室の表記がなかなか楽しそうですね。 理科室も低学年や高学年、中学生向けのバージョンになっていてこれは中学生向けかな。 音楽室もちゃんとあります。ここの板書はホワイトボードになっていますね。 あと、各階にはこのような多目的に使えるスペースが配置されていました。奥に黒板が見えますので、ここで授業することができますし、パーティーションで仕切ることもできるようになっていました。 それから、建屋内がかなり広いので学校の先生がいちいち職員室まで移動しなくてもいいように、このような職員室の出先のようなスペースもありました。 ちなみに、職員室はこんな感じ。会社のオフィスのようですね。うちの職場もこんなにきれいだったらいいんだけどな・・・。 体育館もありまして、ここは武道場です。剣道が行えるようになっていました。柔道するのであれば、畳を持ってくるのかな・・・。 こちらは、小学生向けのバスケのコートのようです。天井が低いからね。 こちらが大体育館。舞台もあって、バスケやバレーボールはここで行うのでしょうけど、全校生徒をここに入れて集会とかは難しいかな。 屋上には、低学年向けのプールまであります。深さ70cmとなっていました。 それより上の学年は、既存のプールがありますのでそこで行うようです。 それにしても、ここに通う子供たちは新しい校舎と設備でわくわくでしょうね。ここに通うであろう子どもたちも目を輝かせて見学しているようでした。逆に、この学校ができることによって廃校となる小学校・中学校に通っていた私の妻や子どもたちは残念に思っているのかもなぁ・・・。 でも、こんな立派な学校ができたというのは、王寺町としても誇らしいのではないでしょうかねぇ。小中一貫教育というのがどのような感じになるのかよくわかりませんけど、これからはこのようなスタイルが増えてくるのかもしれませんね。
2022年03月13日
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私の家のセカンドカーのワゴンRですが、この度入れ替えることになりました。サンバークラシックがオーバーヒートして廃車になって、その代わりにやってきたのが2017年12月。36200kmの中古車でしたが、いつもお世話になっているモータースさんのレンタカーで使われていたもので、程度が良くて今日まで7年にわたって69900km走行してきました。 代わりにやってきたのが、この車です。 2018年式の三菱ekスペースです。 まだ走行距離が8000kmとあまり走っていなくて、室内もとてもきれいです。変なにおいもないし、むしろまだ新車のにおいすらする感じです。 この車は、私の息子が車がほしいということで探している過程で見つけたものです。モータースさんにある端末で探していたところ、群馬県から出展されているこの車を発見。出展表のスコアも室内の評価が「A」という6年落ちも車にしてはかなり評価が高かったこと、モータースさんから出展者に確認してもらったところ、小傷はあるものの走行に問題なしということで購入に至ったものです。この車が群馬県から回送されてきたタイミングで見に行きました。その時点ではまだ群馬ナンバーが付いていました。 確かに小傷はあるもののその辺は仕方ないし、下回りにさびなどは見られなかったのがよかったです。車は下から腐ってきますからね。 色は、阪急電車のようなカラーリング。すなわち、マルーンに天井は白というまさしく阪急電車ですよね。「Hankyu」って文字入れたくなります(笑)。 スライドドアなので天井が高く、後席も広くて妻も喜んでいました。また、ブルートゥースもついていてドラレコも性能のいいものがついていて満足です。 なお、これまでのワゴンRは、息子が乗ることになりましたので、車検を通して整備する予定です。
2024年09月21日
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会社とか人の名前でもそうですが、当て字にしたり旧字体にしたり、はたまた漢字の「へん」などを変えたりと縁起を担ぐようなことが見受けられます。 例えば鉄工所や鉄道の「鉄」の字は、「金」と「失う」をくっ付けた文字ですから見ようによっては『金を失う』ということであまり縁起がいいものではないということで、「鉄」の字を旧字体の「鐵」の文字を用いたり、こんな文字はないんですけど、「金」と「矢」をくっ付けた文字にしていることがあります。 だから、よくみると「鉄」とは違う文字になっていることがあって、その文字をみると縁起を担いでいるんだなって思うことがあります。 さて、そんな「鉄」の右側の部分が「失」ではなく「矢」になっているものを見つけました。 これはJR西日本の車両の125系の乗務員室近くに取り付けられた銘板です。「西日本旅客鉄道」と「川崎重工 2002」と書かれた2枚の銘板が見えます。拡大した物が下のものです。 ほらね、「鉄」の文字が「金」に「失う」ではなく、「金」に「矢」になっていますね。JR西日本も縁起を担いでいるのかもしれません。 ただ、これをみて『「鉄」の字は「金」へんに「矢」』って間違って覚えてしまいそうですね。さも、ありそうな字だし、「あれっ、どっちだったかな」ってね。 正しい漢字としては「金」へんに「失う」が鉄なんですけど、JR西日本の会社名として正しい表記をする場合には鉄の字を「金」へんに「矢」にしなければならないんですね。パソコンではこんな字はちょっと工夫すればでてくるんですけど、ここでは表せないみたいです・・・。「HTMLタグの記述に誤りがあります」なんてエラーが出たので。
2010年01月21日
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先日、私が東京から帰ってきた日に、妻から驚きの話が。 「サンバーのルームミラーが突然落ちた・・・。」ルームミラーって、普通は落ないものだけど、って思いながらみてみると、両面テープで止められていたルームミラーが・・・。とりあえず様子をみてみると、こんな感じでした。 ルームミラーをとめていたネジが見えますね。 落ちてしまったルームミラーです。 さて、どうするか。このままでは運転できないということだし、そもそも車検も通らないだろうしね・・・。ちなみに、私の場合は、ルームミラーがなくても運転できますが。っていうか、デリカのリアガラスには、カーテンをとりつけていてルームミラーから後ろは見えません。見えなくても、サイドミラーで運転できますし。 こんな時に役に立つのが、ネット情報。「サンバー ルームミラー 脱落」で検索してみると、私と全く同じような症状になってしまって、このように修繕したという話が複数掲載されていました。 おぉー、全国のサンバーファンのみなさん、ありがとう! その貴重な意見を参考にして、修繕することにしました。 それによると、まずは車体側に残ったネジを取り去ることから始まります。このネジって、まさかの「プラネジ」なんですよ。プラネジだから、熱などで劣化してきたんでしょうね。っていうか、こんなところにプラネジなんか使うか? このあたりが富士重工の変なこだわりだったりします・・・。 ただ、このプラネジ、なかなかしぶとくて取るのにかなり時間がかかりました。プラスのドライバーを突っ込んで、無理やりひねるまくって取りました・・・。 プラネジの取り去ったあとの状況です。ここに再びネジを差し込んでルームミラーを取り付けます。その新しいネジとは・・・。 これです、普通の「さら小ネジ」。大きさも、このM8×25のピッチが1.25のものです。家の近くのホームセンターにはなかったのですが、大きなホームセンターで見つけました。 こんなネジで取り付けられるのかを、って思いましたが、サンバーファンの方の書き込みにはこれで取り付けられるとのこと。半信半疑でやってみました。 なんと、ぴったりとつきましたよ! これで二度と落ちてくることはないです。っていうか、富士重工も、最初からこのようなネジでつけといてくれよ・・・。ちなみに、今、新車で販売しているサンバーは、ダイハツで作られているハイゼットのOEMなのでこんなことはないだろうけど、富士重工で最後までつくられていたサンバーも、もしかしたらプラネジだったのかな? とりあえず、きちんと復活してよかったです。
2015年05月11日
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