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今日は、生まれて2か月になった孫を連れてIKEA鶴浜へ買い物へ行きました。チャイルドシートに乗せて走らなければならないので、私のデリカSWではなくセカンドカーのekスペースでの移動。高速を走るのはなかなかしんどいんですけどね・・・。それでも、孫は車での移動がうれしいのか全く泣くことはなく、むしろウキウキのようでおとなしくしていました。 買い物が終わってから、IKEAのホットドッグで昼ごはんにしました。 コストコと違って、小ぶりなホットドッグでしたが、これはこれでおいしいんですよね。 それにしても、孫は普段なら大泣きすることがあるのですが、見慣れない場所だったせいか全くぐずることはなく、目をキラキラさせていましたよ(笑)。
2026年02月21日
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今日は京都の西大路へ出張でした。昼ご飯は、以前にも行ったことがあるのですが西大路駅前にある「まん長」へ行きました。 昼の定食として、焼き鯖定食にしました。久しぶりに焼き鯖をいただきました。我が家では、妻が鯖が食べられないので食卓にのぼることがないのでね・・・。 それにしても、てんぷらまでついているとはありがたいし、ご飯がやや少ないのは残念ですが、ふりかけまでついているのはうれしいですね。ちなみに、これで1070円はかなりお得かなってね。
2026年02月20日
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先日、「神戸串カツ会」と称する一時期同じ部署で働いたメンバーで飲み会をしてきました。今から約20年ほど前に同じ部署だったOさん、Mさん、Kさんの4人で時折飲み会をしておりまして、その会で集まることが多かったのが、私の行きつけの店である神戸の串カツ屋さんだったこともあって「神戸串カツ会」と名付けています。去年も今くらいの時期に行っていましたが、メンバーの紅一点のOさんから「バレンタインのプレゼントを買っちゃったけど、集まらないかな」ってメールがあってメンバーの中では一番の若手の私が日程調整とお店の予約をしました。 お店は神戸に行くことも考えたのですが、今回も近場ということにしました。そして、久しぶりに焼き鳥が食べたいなぁということで「秋吉」へ。「秋吉」は福井県発祥の焼き鳥チェーンのお店で、店によっては予約ができるところがあって心斎橋へ。メンバーも今はリタイヤしたり、別の仕事をしていたりしてなかなか心斎橋へ行くことがないということで、場所のチョイスもよかったかなってね。 さて、1年ぶりに会って近況報告などをしながら焼き鳥をいただきました。ただ、写真に撮るのを忘れていた・・・。 二軒目は、高等学校の先輩でもあるKさんがチョイスした「あたりや」へ。日本酒が飲めるお店ということで、ここでもがっとりと飲みました。また、この会恒例のプレゼント交換。私は先日名古屋へ行ったので名古屋限定のお菓子を、Kさんからもお菓子、Mさんはサバずしをいただきましたし、Oさんからはチョコをいただきました。 1年ぶりに会ったこともあって話も弾み、あっという間に遅い時間になりましたのでお開きとしました。次回こそは神戸で開催することを約束して帰路につきました。 それにしても、一時期同じ部署になったメンバーで今でもこうして連絡を取り合って会うことができるというのは、とてもいいことだなぁって思いました。私以外の三人はもうすでに職場を退職していますが、それでも会って話をすると一緒に仕事していたことを思い出しますね。
2026年02月19日
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今日のお昼ご飯は、妻が買ってくれた菓子パンでした。 平群町に新しくできたスーパー松源で見つけたという菓子パンですが、スーパー松源といえば和歌山のスーパーで、扱っている食材も和歌山のものがあったりします。この菓子パンもそうでして、「ナカタのパン」です。ナカタのパンというのは和歌山市内では有名だそうで、一時期和歌山の職場で勤めていた私の娘も知っていたとのこと。和歌山市で1903年(明治36年)創業の老舗だそうです。 この日のパンは、ピーナッツバターと「ひき茶」と書かれたお茶の餡のアンパン、小倉アンパンでした。小倉アンパンは粒あんで甘ったるくなかったし、お茶のアンパンはこしあんでした。 私は初めて食べましたが、やや小ぶりな大きさのパンでおいしくいただきました。 今日は日中は風が冷たいものの、そこまで寒くなかったので大阪城公園内でいただきまして、食べ終わってから大阪城梅林へ行きました。 梅の花も咲きつつありますが、さすがにまだですね・・・。 それでもきれいに咲いているものもありました。 人は多かったですね・・・。どっかの国はシューキンペーからのお達しで日本にやってくることはNGになっているらしいのですが、おかげで人は多いものの騒がしくなかったのはよかったかなぁ・・・。
2026年02月18日
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先日愛知県へ出張したときに名鉄河和線に乗りました。そして、知多武豊駅で降りたのですが、その知多武豊駅の一つ前の駅名が気になりました。 「上ゲ」 漢字とカタカナの組み合わせの駅名といえば、例えば山手線の「高輪ゲートウエイ」のような例もありますが、ごく最近の駅名でしたよね。割と新しい駅名であればあり得ると思うのですが、そんな感じではないように思いました。 さて、何と読むか・・・? 実はこう読むそうです。「上ゲ」(AGE) そう、まさかのそのまま「あげ」と読むんですね。ひねりも何もないのですが、漢字とカタカナを組み合わせた結構珍しい駅名でした。ちなみに、字名は「上ケ」と書いてやはり「あげ」と読むそうで・・・。なんともややこしいんだなぁ・・・
2026年02月16日
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私の家の敷地内に置いたプランターで育てていた白菜とブロッコリー、この度収穫することにしました。白菜は一部すでに収穫していますが、白菜の残りとブロッコリーの一部を収穫しました。 白菜は三種類植えましたが、そんなに大きくならないものだったこともあって、いま一つの大きさでした。 ブロッコリーについては、妻の話では申し分ない大きさとのこと。路地ものではないのでこれくらいが精いっぱいかな・・・。 収穫した白菜はこの三つ。左端と真ん中は似たような品種、右端は小さいながらもよくしまっていました。 ブロッコリーもこんな感じでした。 白菜はこの後、昼食のおかずの一つとして皿うどんの材料になりました。 堅くしまった方は鍋料理にするのかな、後日使うとのことでした。 ブロッコリーは、ゆでるとこんな感じに鮮やかな色になりました。 ブロッコリーは夕方スーパーで見ると、まぁまぁ高いですよね・・・。 畑を借りられたら、もっと作るんだけどなぁ。でも、プランターでもこのように十分できることがわかりました。
2026年02月15日
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3人組テクノポップユニット・PerfumeのYouTubeチャンネルが10日、更新された。“コールドスリープ”から1ヶ月ぶりの投稿に反響が寄せられている。 2026年から“コールドスリープ”とし、2025年年内をもって活動休止しているPerfume。「今年のバレンタインは、3分46秒。」のテロップが表示された後、歴代の「チョコレイト・ディスコ」のパフォーマンスを詰め合わせた動画を公開。なお、概要欄には「『今年のバレンタインは、3分46秒。』限定公開 Movie」と記されている。【modelpressから引用】 このニュースを見てすぐさまyoutubeへGO! 過去のライブ映像をバックに「チョコレイト・ディスコ」が流れるというものでした。それをみて、パソコンの前でライブ会場にいるような感じで踊っていました(爆)。 コールドスリープしたものの、このバレンタインの時期には「チョコレイト・ディスコ」は外せないということでアップしていただいたようです。確かに情報番組なんかでも今の時期ならチョコレート売り場の映像が流れると、そのバックには「チョコレイト・ディスコ」の曲が流れていることが多いですね。ファン的にはとてもありがたいです。 さて、今日のチョコレート売り場は。「チョコレイト・ディスコ」の歌詞にあるような『デパートの地下も揺れる』ような状況だったのかな。最近は、依然あったような義理チョコとか友チョコというのは少なくなった、と言われていますが・・・。私のところも全然関係ありませんよ(笑)。 話を戻して、Perfumeの三姫からのプレゼント、とてもありがたかったです♪
2026年02月14日
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今日2月13日は亡き母の誕生日。あともう少し長生きしてくれたら、87歳の誕生日を迎えるところだったんだけどね・・・。 そんな母親の誕生日プレゼントを仏壇に供えたものは、これです。 大阪では有名な十三に本店がある喜八洲のみたらしだんごです。本当は牡丹餅にしたかったのですが、売り切れてなかったので、これにしました。香ばしい焦げ目と甘いたれがおいしんですよね。冬場はよく売れるものでして、この日もかなり並んでいました。 ちなみに、買い求めたお店は十三の本店ではなく、近鉄百貨店のあべのハルカス本店でした。
2026年02月13日
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去年の12月に自宅のパソコンが壊れてしまい、本来アップしたかった内容が渋滞しています(笑)。そのうちの一つを遅ればせながら紹介します。 仙台のおいしい食べ物といえば、「牛タン」「萩の月」「ずんだ餅」などそのほかもあるでしょうけど、私にとっては「笹かまぼこ」(ささかま)も捨てがたいのです。 ささかまもいろんなメーカーがあるんでしょうけど、私は仙台空港で買い求めたものがこれでした。 真空包装になっていますが、これは年末年始に食べたくて買ったものです。そして、年末に九州から息子が帰ってきたときに一緒に食べました。 ちょっと焼き目がついているんですね。練り物好きだった亡き父のDNAをそのまま受け継いだ私は、やはり練り物大好きなのです! さて、ささかまといえば思い出すのが、まだ東海道線に夜行の急行「銀河」が走っていたある日、東京発の「銀河」に乗車、その日は2段寝台の上段しか空いていませんでした。ビールとおつまみを買って寝台で一人でいただこうと上段に上ろうとしたときに、その下の段にいたおじいさんに声をかけられました。 おじいさん「お兄さん、まだ寝るのは早いでしょ。ささかまもあるから一緒に飲まない?」 東北訛りのおじいさん、見ず知らずに私に声をかけてくれました。これも何かの縁かなと思って一緒に飲むことにしました。そのおじいさんは奥さんと一緒に仙台から愛媛県の松山へ向かうとのことで、東北新幹線とこの急行「銀河」、さらに新大阪から山陽新幹線に乗って岡山から特急「しおかぜ」に乗り継いで向かうとのこと。鉄道ファンならではチョイスかなと思ったら、奥さんが飛行機があまり得意じゃないからとのことでした。 そんな話をしながら、大船あたりまで笹かまを食べながら話をしていました。深夜にかかるのでそのあたりでお開きにしましたが、ささかまといえばこの話を思い出します。 翌朝、その老夫婦は寝過ごすことなく、新大阪で降りていくのを見送りましたが、無事に松山にたどり着いたかな・・・。
2026年02月12日
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今日2月11日は、私が住んでいる王寺町が町制を敷いて100年となった日になります。 1926年(大正15年)2月11日に王寺村から王寺町になりました。王寺では1890年(明治23年)に当時の大阪鉄道が王寺~奈良間に開業、そのあたりから人口が増えていったんでしょうね。現在、王寺町は人口が昨年末時点で約23,631人となっていますが、王寺駅の乗降客は奈良県で一番多くなっていますし、金融機関はこんな小さい町なのに三井住友銀行及び三菱UFJ銀行といった都市銀行、南都銀行及び京都銀行といった地方銀行、奈良中央信用金庫及び大和信用金庫といった信用金庫、JAならけん及びゆうちょ銀行もあり、小さな町にここまで金融機関が集まっていることがかなり珍しく、中小の証券会社もあったりします。 1982年(昭和57年)に町内を流れる葛下川の堤防が決壊して王寺駅周辺が水没する水害がありましたが、その後は堤防のかさ上げ工事が行われました。 最近では、小中一貫学校ができたり、大東建託調べの「街のすみここちランキング」では7年連続して奈良県内では一位にランキングされています。 ただ、関西でも王寺町の知名度はいま一つかな・・・。奈良県内には奈良市や生駒市といった古くからの大阪のベットタウンがあるからね。狭い町だからそんなに人口が増えなくてもいいんだけどね。 私自身は2001年からの住民ですが、この25年間でも王寺駅周辺の再開発や国道168号線の拡幅工事(現在も継続中)がありましたし、新しい住宅地ができたりと変化してきています。また、平成の大合併においては、周辺の地域との合併を望まないという結果になったということは、住んでいる住民は「やっぱり王寺が好き」ということなんでしょうね。 この先の100年がどうなるのか全く分かりませんが、「小さいながらも楽しい王寺町」であり続けてほしいと思っています。
2026年02月11日
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私の亡き母が住んでいた施設は、1月末までになんとか退去することができました。3月下旬に入居して一年もいられず、後半は入退院を繰り返していた状況でしたが、最晩年を不自由なく暮らすことができたのかなって思っています。家で一人でいたら危なかったし、むしろもっと早く入れてあげたらよかったかなってね。 そんな一年足らずの生活となった施設の部屋にあったタンスや机、テレビなどを引き取らなければならなかったので、少しずつ片付けていきました。衣類はもう使うことがなかったのですべて廃棄に。妻が見立ててくれたものでしたが、あまり袖を通すことなかったものもあったかもしれませんね・・・。入居前、母親がもっと元気だったら、一緒に買いに行けたかもしれなかったんだけどね。ちなみに、妻と亡き母はともに百貨店勤務だった(妻は某大手アパレルメーカー勤務で、百貨店にそのショップが入っていることが多かった)こともあって、波長が合っていましたよ。 衣類は別の日に引き取りに行って、最後に残ったタンスや机などをレンタカーを借りて引き取りに行きました。このように軽バンを借りましてその荷室いっぱいに積み込みました。軽バンの場合、スペースが限られているので、全部入るはずと思いきや意外と手こずりました。それでもなんとか工夫して一時間くらいかけてすべて運び出して積み込みました。ルームミラーが見えないくらいになっていますが、普段乗っているデリカSWの時もルームミラーは見ていないのでなんら気になりません(笑)。後方確認はサイドミラーがあればできますからね。 ところで、今回借りたレンタカーは、私の家から歩いて30分強のところにあるトヨタレンタカーで借りました。ここは、トヨタのディーラーと一緒になっています。借りたのはダイハツハイゼットのOEMであるトヨタピクシスバンで、67,000kmほど走っていましたが、比較的きれいでした。その辺はさすがはトヨタですね。 話を戻して、今月24日が満中陰となりますが、改めて時がたつのが早いなぁって思いました。
2026年02月10日
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今朝の気温が氷点下3度だった奈良地方です。 私の車もご覧のとおり、昨日の雪と今朝の霜でこんな感じで凍っていました。 また、駅に向かう途中にある橋も凍っていました。歩くのも慎重にしました。 さて、昨日はこの辺りも積もりはしなかったものの、日中は見通しが悪くなるくらいの雪でした。私の家から生駒山系が見えるのですが、それが全く見えないくらいでしたから。 明日以降気温が急に高くなるということで、北日本の方は雪解けが一気に進むかもしれないということで心配ですし、11日は雨が降るとのこと。どうなってんだろうね、大雪だわ大雨だわって両極端だわな。まぁ西日本は降水量がごくわずかということだから、水源地のほうに降ってくれたらいいんだけど。っていうか、北日本の雪を渇水の地域に送ることができたらいいんだけどね・・・。
2026年02月09日
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先日の続きです。 3日の夕食は、名駅の中にある「矢場とん」へ行きました。 味噌カツも名古屋めしを代表するものでしたね。味噌カツも私は就職するまで食べたことはなく、話の上でしか知りませんでした。名古屋めしといえば「なんでも味噌がかかっている」という漠然としたイメージしかありませんでしたから・・・。ちなみに、初めて味噌カツを食べたのが名古屋ではなく、就職仕事で行った岐阜の柳瀬商店街でしたが・・・。 この日食べたのが「ひれとんかつ」です。千切りキャベツもたくさんつけあわせであって、ありがたいです。味噌カツはやや甘めに感じましたが、おいしくいただきました。 ひれかつって、私は好きなんですよ。 脂身があまり多いのはそんなに好きじゃないので、極力ひれかつがあればそうしています。 味噌カツもおいしいお店はたくさんあると思うのですが、毎回定番のところに行ってしまいます。 次に行く機会はいつになるのかわかりませんが、先日の味噌煮込みうどんも味噌カツもおいしいところを探してみたいと思います。どこかいいところがあれば、教えてください。
2026年02月08日
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今日は娘の誕生日で、夜はケーキでお祝いしました。 ケーキは、王寺町内で有名なケーキ屋さんの「ミネロワ」で購入したもの。ここは国道25号線沿いにある小さなお店なのですが、連日大勢のお客さんが来ています。小ぶりなショートケーキですが、上品でおいしかったです。 ちなみに、私も今日は昼に神戸へ行ってケーキを買ってきたのですが、ちょうどおやつの時間に家に着いたこともあり、そのままおいしくいただいたので写真を撮っていませんでした・・・。 娘も子供を出産して日々大変なのですが、今日はちょっとはゆっくりできたかな。
2026年02月07日
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2月2日と3日は、15年ぶりに名古屋へ行きました。名古屋の職場へ行って打合せ、その翌日は出張でした。 さて、2日の昼食は少し遅い時間になったのですが、名古屋に到着してからとりました。 ベタですが、名古屋めしの一つ「味噌煮込みうどん」です。名駅の中にある山本屋でいただきました。 名古屋に行かないと食べられない、っていうかこの日は寒かったこともあって、味噌煮込みうどんはちょうどいいかなって思いました。 この蓋には穴がないのは、これを皿の代わりにすることができるんでしたよね。 味噌煮込みうどんは、関西ではお目にかかることはほとんどありませんが、名古屋に来ると食べたくなります。ほかにも有名なお店があるんでしょうけどね・・・ なかなか行く機会がない名古屋でしたが、このほかにもおいしいものをいただきましたので、日にちを分けて紹介します。
2026年02月06日
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2025年10月に行われた堺市の「だんじり」祭りで、別の地区の男性幹部を集団暴行し、重傷を負わせたとして、28歳の男が逮捕されました。 傷害の疑いで逮捕されたのは、堺市の八田北町地区の青年団長(28)です。 青年団長は、複数の地区のだんじりが参加した祭りのイベントで、だんじりを曳航中に別の地区の40歳の男性幹部とトラブルになり、集団で暴行したとされています。 ケガをした男性はあごや肋骨を骨折する重傷で、警察は青年団長が最初に暴力を振るったとみて、集団暴行に加わった人物の特定を進めています。【読売テレビネット版から引用】 オフィシャルの記事では、このぼんくらな青年団長の氏名がばっちりと書かれていたけど、ここではとりあえず伏せておきます。 南大阪の秋祭りといえばだんじり。岸和田が有名ですが、岸和田以外でもだんじりがありまして、私の出身地である堺にもあります。そして、本文にあった八田北町地区というのは私の出身の隣町となりまして、幼馴染も何人かおります。ただ、私自身は結婚して実家をでていますのでここ30年のことはわかりませんが、それより以前は確かにだんじりの時期になると普段は仲がよい連中もだんじりとなると人が変わったかのような感じだったように記憶しています。当時から本文にあったような暴力沙汰はあったかどうかは覚えていないのですが、たまたま表にならなかっただけかもしれません。 それにしても、私が30年前まで住んでいた町の隣町が関係する暴力沙汰で有名になるとは思いませんでした。しかもやらかしたのが青年団長でしょ。本来ならほかの青年団の連中がほかの地区の人たちとけんかなどアホなことをしていたら、真っ先に止めに入るくらいの技量がないといけないと思っているのですが、このぼんくらは率先して暴力に及んでいた、って何を考えているのか。そもそも、こんなヤツに青年団長なんかさせたこと自体が間違っているわけなんですけどね。ほかにいなかったのか、それとも自分で立候補したのか。 ところで、私の住んでいた町にはだんじりはありませんでしたので、秋祭りは何の関係もなく、同級生や幼馴染がだんじりを曳く姿を見ていいなぁって思ったものです。ただ、年齢が上になってくると「安全に曳行する」とか「観客に被害がないように」など運営に気を遣うようになってくるものだと思っていましたから、それはそれで大変だなぁって思いました。(同級生の中にはそのような役をやっていると聞いたことがありました) もちろん、若い連中がアホなことをしないように指導するというのも大事なはずなのですが、もし事故(特に人身事故)なんか起こしたら「次年はだんじりが曳けない」という話があったように記憶しています。ただ、最近は(昔もかもしれないけど)「だんじりの時期だけ何をやっても許される」と勘違いしているのが多いから、今回のような事態になったのではないかな。 ここまで大きく取り上げられてしまったので、周りの町からは「なんてことしてくれたんだ」と白い目で見られるでしょう。さらにほかに暴力に加わったのもいるみたいですから、警察は「ほかに関与したヤツもおるやろ? はよ出てこんかい! 二度とだんじり曳けんようにするぞ!」って強硬に出たらいいと思います。それで少し改善できればいいのではないかと。 ちなみに、ネットのコメントを見てみると、意外とだんじりに対する冷ややかなコメントが並んでいたのをみて、時代は変わってきているんだなぁと思いました。
2026年02月05日
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2月2日と3日は名古屋へ出張、今日は姫路へ出張とバタバタしていました。名古屋での話はまた後日ということで、今日は姫路で仕事をした帰りに、「停主」へ行ってみました。姫路おでんと焼き鳥のおいしいお店なのですが、火災で焼失してしまって現在仮店舗で営業されています。 お店のほうは5月に完成予定とのこと。 今は仮店舗なのでメニューは少なく、おでんも写真の盛り合わせになってしまうのですが、オープンが待ち遠しいところです。 今日は寒かったこともあって、このおでんと熱燗でいただきましたよ。
2026年02月04日
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毎年2月3日には私が子供のころに住んでいた大阪住吉区のあびこ観音での節分祭へ行っているのですが、一足先に今日行ってきました。お参りをして厄除けまんじゅうを買って帰りました。 この厄除けまんじゅう、去年はまだ堺の実家に住んでいた母親に届けて一緒に食べました。母親にとっても懐かしい味でとても喜んでくれていたのですが、まさかその一年後は一緒に食べることができないなんて思いもしませんでした。 そんな厄除けまんじゅうを持って帰って母親の祭壇にお供えしました。亡き父もここの厄除けまんじゅうは好きだったので、一緒に食べてくれていたらいいなぁ。 ところで、皮が白いものと茶色のものと二種類ありますが、茶色は黒糖、白は酒蒸しになっています。私は酒蒸しのほうが好きなのですが、私の家族には不評。そんなこともあって酒蒸しのほうは1つだけとなっています(笑)。
2026年02月01日
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昨年末、私の家のパソコンがビットロッカーに引っかかってブルー画面になってしまったことはここで紹介しました。年末年始に使いたかったのに使えず、しかもその間に母親が亡くなったり、孫が生まれたりといつもの年末年始以上にバタバタだったので、パソコンがなくてもなんていうことはなかったのですが、それでもいろいろ調べ物をしようとするとスマホや前のパソコンを引っ張り出して使わざるを得なかったので、不便なことがありました。 レノボのサポートは手厚いということではなかったのですが、それでも引き取りをして状況を確認してもらうことになり、1月17日に引き渡し。その間の進捗は前のパソコンで確認していましたが、結果的には工場出荷状態に戻すことになり、修理代金を振り込んで待つこと数日。いつ手元に戻ってくるのかなと思っていたら、昨日ようやくもどってきました。 そして、再度セットアップを行いました。ところが、マイクロソフト365はサブスクで購入していたのですが、そのアカウントなどがビットロッカーにひっかかったあたりからうまくアクセスできなかったわけだから、その状況は変わっていないのでなかなかアクセスすることができませんでした。困り果てて、とりあえずはプロバイダのメールの設定をしようとしていたときに、ふともしかしたらというアカウントとパスワードを思い出して試してみると、なんとビンゴ!! それをきっかけにそのほかの設定も行うことができて事なきを得ました。 しかも、エクセルに保存していたデータもそっくりそのまま残っていて、またブックマークしていたものもそのまま残っていたのでビットロッカーにやられる前の状況にほぼ近い状況であることがわかりました。 ということで、ようやくこうしてブログにもアクセスして、書き込みすることができています。 連日多くの方にご覧いただき、心配していただいていたのかなと思っています。 なんとか復活しましたので、また書き込みをしていきますのでご覧いただければと思います。 引き続きよろしくお願いします。
2026年01月31日
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先日来、ブログの更新を休止しております。その間も、たくさんの方にご覧いただいているようで恐縮です。 私の家のパソコンは、bitlockerというのに引っかかって初期化すら行うことができず、17日にメーカー送りとなってしまいました。メーカーで初期化することになり、費用は掛かるもののやむをえません。ただ、メーカー送りになってから一向に進捗状況がわからない状況です。いつまでかかるのか、もしかしたらそのまま帰ってくることなく終わってしまうのか? いろいろ考えると、やはり海外メーカーはダメだね。少々高くてもサポートのよい日本メーカーの方がいいようですね・・・。 ということで、まだしばらくの間はブログの更新を定期的に行うことはできないようです。 いつもご覧いただきましてありがとうございます。
2026年01月21日
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1月7日に亡くなった母親の葬儀告別式が1月10日に行われました。コロナ以降葬儀の方式もかなり簡略になっていることが多くて、家族葬というのも普通に行われるようになりました。私のところも、家族葬の中でもお通夜を省略した「一日葬」というものにしました。母の親せきというと和歌山で遠方であるし、みんな高齢者になってきていること、今の時期は寒い時期ということも考慮して、参列してもらえる方だけ、ということにしました。正月明けで仕事している人は、なかなか参列できないからね。 ということで、参列してもらったのは海南市に住む母の親せきのおばさんとその息子さん、亡き父の母屋の甥、それに私の妻と息子、私の弟と私を入れても合計7人でした。職場関係は家族葬ということもあって参列することはありませんので、コロナ前の亡き父の時と比べるとかなりさみしい数で見送ることになりました。 お寺さんは、堺市の元実家で法要する際に来ていただいていた住職に来ていただきました。それから、今回は「式中初七日」ということを行いました。普通なら骨あげ後に行うものですが、この辺も最近は変わってきているんですね。事前に住職と相談したところ、それでもOKとのことでした。 葬儀告別式の最後に喪主である私から挨拶をしました。亡き父の時もそうでしたが、長男ってこういう役割がついて回りますね・・・。今回の亡くなるまでの経緯(特に施設に入っていたことは親戚には伝えていなかった)や母の思い出などを話しましたが、話せば話すほど涙が出てきましたね・・・。亡くなったその日は覚悟していたから涙も出なかったんだけど・・・。 出棺前に思い出の品とか花をたくさんいれました。母は甘いものが好きだったので、事前に購入しておいた香芝市にあるおはぎやさんのおはぎとか、和歌山のみかんが好きだったのでみかんもいれてあげましたし、正月には数の子を好んで食べていたので数の子も入れてあげました。それと、施設に入ってから作ったビーズアクセサリーや施設の部屋に飾っていた亡き父のスナップ写真も入れてあげました。 火葬場へ送って最後のお別れをして、約2時間後に骨あげ。骨壺は私の家の仏壇の前にセッティング、四十九日まで手を合わせることになっています。 ちなみに、亡くなった7日は私は仕事に行っていたのですが、14時半頃に病院から連絡があって、急ぎ病院へ向かいました。そして私の到着を待っていたかのようにほどなく亡くなりましたが、弟と一緒に看取ることができたからそれはよかったかなってね。 長い一日でしたが、なんだかちょっとホッとした気持ちになりました。先月入院して以降は日に日に弱っていく母の姿を見ているのはつらかったですし、逆にもしかしたら亡き父の時と同じように危なくなってから約半年以上生き永らえたこともあったので、母も同じかなって思っていたのですけどね・・・。 施設に入って、今までのような不自由な生活をしなくてもよくなるので、楽しい余生を過ごしてもらえたらと思ったのですけど、なかなかうまくいかないものですね・・。 このブログにつきましても、更新を再開して行こうと思いますが、普段使っているパソコンの調子が悪いので、現在以前使っていたパソコンからのアクセスとなっています。修理にまだしばらくかかるようなので、毎日更新できませんがご了承ください。 いつもご覧いただきましてありがとうございます。
2026年01月12日
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いつも「あけやんの徒然日記」をご覧いただきまして、ありがとうございます。 昨年末から更新が途絶えておりましたが、実は私の母親が昨日入院していた病院で86歳の生涯に幕を閉じました。それまでも入退院を繰り返しておりまして12月21日に入院したのですが、この入院時に医師に聞かされたのは「年内は持たないかもしれません」とのこと。覚悟はしていましたが・・・。 そんなこともあって、なかなか更新ができていなかったのと、約2年前に購入したパソコンがbitlockerというものに引っかかってしまい、再起動もできない状況で買い替えざるを得ない状況になってしまいました。 そういうことで、しばらくは更新することがままならない状況であることをご了承ください。
2026年01月08日
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先日のブログの続きです。 高島屋のキャラクターってご存じですか? 高島屋へ行くとこんなキャラクターがお出迎えしていたんですよ。 ローズちゃんと言います。 店舗ごとにバリエーションがあるのは知りませんでした。 そんなローズちゃんも年代とともに様変わりしてきているようでした。堺高島屋が開業したのは1964年(昭和39年)でしたから、東京オリンピック仕様のものもあったんですね。 今回展示されていたローズちゃんの中で一番時代が古かったのがこのバージョン、「お正月和装ローズちゃん」で1970年(昭和45年)でした。和装小物もよく表現されているなぁって思いました。 こちらは、同じ1976年(昭和51年)の「合唱スタイルローズちゃん」です。 このように歌っている様子を表したバージョンは、これ以外にもあったように思います。 これは1978年(昭和53年)の「ポシェット・お土産を持つローズちゃん」です。 なんとなくこのローズちゃんのバージョンは覚えているんですよ。 向かって右側が1988年(昭和63年)の「胸に赤いバラの制服ローズちゃん」です。説明文によると、日本を代表するデザイナーの芦田淳氏がデザインしたエレベータガールの制服の第一号を再現したものだそうです。デパートのエレベータにはエレベータで案内するエレベータガールがいましたね。デパートの案内係とあわせて「デパートの顔」だったと思います。 向かって左側は2025年(令和7年)の「秋冬 制服ローズちゃん」で現在の制服がこれにあたるそうです。デパートの顔ですからね、やはり格好いいですね。 ちなみに、私の母親が勤めていた時はどうだったのかな・・・。私が覚えている限りは、売り場がタオル売り場だったのでもっと地味な制服だったように記憶しています。 高島屋以外のデパートにキャラクターがあったのは見たことがないので、高島屋だけだったのかもしれませんし、高島屋で買い物してもここまで覚えている人がどれくらいいるのかわかりませんけど、私は印象に残っていますよ。
2025年12月23日
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昨日の夜、新しい命が誕生しました! 娘が出産、2662g・47cmの女の子が生まれました。 出産には妻が立ち会ったのですが、なかなか大変だったようです。娘も「今までの中でありえんくらい痛かった」とのこと。まぁ男の私には絶対わからないことですけどね。 映像を送ってもらいましたが、落ち着いていてちょっとホッとしました。もちろん、落ち着いているところを送ってもらっているとは思いますが、本当はギャン泣きしているんだろうなってね。娘も甲高い鳴き声だったから(笑)。 退院は25日の予定。私の母親が元気だったら、女の子誕生に大いに喜んでくれると思うのですが、今の状況ではわからないかもしれないなぁ・・・。
2025年12月22日
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私の母親が高島屋に勤めていたことはこのブログでも触れたことがあります。堺高島屋に長らく務めていたのですが、その堺高島屋が来年1月7日で閉店になるとのこと。その歴史を振り返る「堺タカシマヤ 61年の歩み展」に行ってきました。 私にとって堺高島屋といえば、母親の職場ということだけでなく、「ワンランク上の百貨店」というような感じでした。私が子どものころには、大阪には高島屋以外に阪急や阪神(いずれも梅田)、近鉄(上六、阿倍野ほか)といった電鉄系の百貨店、大丸やそごう(心斎橋)、三越(北浜)、松坂屋(天満橋)といった百貨店もあったのですが、個人的には高島屋の方がちょっとお高いイメージ(→神戸では大丸ですけど)でした。 そんな堺高島屋がオープンしたのが、1964年(昭和39年)10月3日。この当時の堺は、かつては白砂青松だった砂浜などを埋め立てて八幡製鉄(→新日本製鉄、現在の日本製鉄)堺製鉄所や関西電力堺港発電所などが操業を開始、人口も増えてきた時期に堺東駅前に高島屋がオープンするというのは、堺市のランクが上がったのではないかと思います。個人的には「百貨店のある街」というのはランクが高いって思っているので。 堺東駅前には、この写真にあるように商店街が古くからあってもちろん今でもあります。かつては映画館もあってかなりにぎわっていました。そんなところに百貨店がやってくるとなった時に、商店街の人たちはどのように思ったのでしょうね。これがスーパーマーケットだったりすると反対運動が起きたことはありましたけど、百貨店と商店街だったら扱っているものは違うからどうなんだろうね・・・。 堺高島屋オープン当時の堺東駅周辺です。まだ木造の家がたくさん並んでいますね。 堺玉島屋は1984年(昭和59年)に増床されて状況は変わっていますが、私が小中学生のころの時期はこんな感じだったんですね。 堺高島屋が開業した時の店舗案内も展示されていました。 屋上には遊園地もあったんですね。 これは私は覚えていないなあ。 でも、高島屋に限らず、他の百貨店でも屋上に遊園地が設定されているところはありましたね。 オープン当日は、あまりにたくさんのお客さんがやってきたことにより、入場規制をするくらいだったそうです。当時の堺市民にしてみたら、「堺市にできた百貨店の高島屋」ということでぜひみてみたいということだったのでしょうね。 堺高島屋は、今でもそうですが一階に金融機関が入っている関係で、建物の一階部分の天井が高いためにエスカレータの長さもその分長くて、オープン当時は百貨店の中では一番長いエスカレータだったそうです。 そりゃこれだけたくさんお客さんがやってくれば、入場制限するよなぁ・・・。 ほかにもいろいろ写真を撮ったので、また紹介したいと思います。
2025年12月21日
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今日は朝は少し寒かったけど、日中は10月のように暖かかった奈良地方です。 年末の大掃除をする前に、自分の趣味である草野球で使用しているグローブやミットの整備をしていました。天気が良くて時間があるときにしかできないことですし、他に待ちの用事もあったのでちょうどよかったです。 革の保湿クリームを塗ってひたすらブラッシングです。 普段の時もブラッシングは行っていますが、保湿クリームはたまにしかしていないので、ここはきちんと塗っておきました。 軟式用なので硬式用と比べると安いのですが、それでもそこそこいい値しますからね。大事に使っていきたいと思います。
2025年12月20日
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私の元実家で見つけた懐かしいものをいくつか紹介します。 タンスが置いてあったのでその後ろに隠れていたのですが、私が子どものころによく見ていた日本地図を発見しました。すっかり破れてしまって色あせていますが、子どものころにこの地図で都道府県を覚えたものです。 北海道を拡大してみました。北海道では今では廃止されてしまったJR線(当時は国鉄線)がたくさんありますし、この当時は開通していない道路もありますよね。 この地図はカレンダーで、当時の幸福相互銀行が1975年のカレンダーとして1974年の年末に配布していたものではないかと思われます。 そういえば、当時の大阪銀行は大阪府内(プラスその周辺)の地図をカレンダーにしたものを配布していまして、それは実家のトイレの扉に貼ってありました。だから、トイレに入ると必ず目に入りますから、それで大阪府内の鉄道や道路、市町村の名前を覚えたものです。 今の金融機関でこのような日本地図を配布してくれるところって、ないんじゃないかな? 地図好きの小学生にはありがたいものでしたね。世界地図では大きすぎるし、あまりピンとこないからね。 ところで、幸福相互銀行は今のどの銀行になるのか。銀行業界はバルブ崩壊後に不正融資などが明るみになってガタガタの状況になったことを覚えておられるかと思います。幸福相互銀行は、1989年に普通銀行として幸福銀行となりましたが、1999年に経営破綻。その後紆余曲折があって2001年に関西さわやか銀行へ事業譲渡して消滅しています。その関西さわやか銀行も2004年に関西銀行に吸収合併されて関西アーバン銀行となり、2019年に近畿大阪銀行と合併して今は関西みらい銀行となっています。 ついでに大阪銀行は、2000年に近畿銀行と合併して近畿大阪銀行となり、2019年に関西アーバン銀行と合併して現在は関西みらい銀行になっています。 ちなみに、幸福相互銀行のこのキャラクターの名前はなんだろう? またcopilotにでも聞いてみるかな? 話がそれましたが、このような地図のおかげで私の小中学校や高校の社会(特に地理)の成績は結構良くて、得意でした。今でも地理は得意かな。それもこれも、子どもの時にこれらの地図を見ていたおかげかなって思っています(笑)。
2025年12月19日
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今や冬の大阪の風物詩になりつつある御堂筋のイルミネーション。今日、仕事が終わってから見てきました。 淀屋橋からなんばの方まで続いているようですが、今日は淀屋橋から本町まで歩いてみました。 御堂筋は広いので、信号を渡るときに立ち止まらないようにして写真を撮りました。 本町から南側のイルミネーションは、淀屋橋~本町のイルミネーションとちょっと趣が違うんですね。 このイルミネーションは今月いっぱいまでとのこと。また時間があれば見に行ってみたいと思います。
2025年12月18日
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先日東北へ行ったときの話の続きです。 なかなか東北へ行く機会がありませんから、どんな車両が見られるのかなと思っていました。 仙台空港からは、仙台高速鉄道で仙台まで移動。以前ここにやってきたときは、まだこの鉄道はありませんでしたので、路線バスで東北本線の館腰駅まで移動したのですが、今は便利になっているんですね。この路線はJR東北本線に乗り入れている関係で、JR東日本の車両が乗り入れていました。 仙台高速鉄道の車両もあるのですが、この日は乗ることができませんでした。JR東日本のE721系と同系のSAT721系があるそうですが、駅の改札口の手前にこのようなモニュメントがありました。 仙台駅では、E701系が停まっていました。ロングシートの車両だそうです。政令指定都市の仙台周辺ですから混雑しているんでしょうね。 仙台から山形への移動は、仙山線を利用しました。その途中にある作並駅。 ここは鉄道ファンには知っているかと思いますが、この看板にあるとおり「交流電化の由来」とありますように我が国の交流電化の発祥の地なのです。この駅から山寺駅の間はトンネル区間が多いため、1937年から電化されていました。その当初は直流電化だったのですが、1955年から交流電化されました。交流電化の方が送電ロスが少ないし、当時非電化区間が多かった東北や九州に電化を広げていくためにその礎となったんでしょうね。 この近くには、ニッカウヰスキーの蒸留所があるんですね。 この作並駅を過ぎると、山寺駅に着くのですが、駅から山の上の方に山寺が見えます。 駅からかなり歩くので行ってみたかったのですが、時間の都合上無理でした・・・。でも、いずれは行ってみたいなぁ~ 山形駅に着くと人がたくさんいました。この車両の写真を撮っていました。 この車両は、HB-E300系の「SATONO」というものだそうです。次世代型ハイブリッド気動車で、観光列車として使われているようです。この日も何かに使われていたのかな。 山形駅では、向かって右側が左沢線の気動車のキハ101形、左側が山形新幹線の普通列車で使われている719系5000番台です。このような車両もここへやってこないとみることができないので、写真に収めました。
2025年12月17日
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先日東北へ行った際に、仙台空港から山形へと向かいましたが、その理由は献血をするためです(笑)。 山形駅から歩いて10分弱のところにある「献血ルーム SAKURAMBO」です。 まだ新しいのかな、最近の献血ルームはなかなかおしゃれですよね。 献血ルームには、いろんな特徴があってそれはそれでおもしろいのです。例えば、献血をしているときに水分補給をしてもらうところと、水分補給ができないところ。水分補給ができるところが多いのですが、中にはダメのところもあるんです。また、水分補給ができるところも、係の人に注文して持ってきてもらうところもあれば、あらかじめ自分で用意して献血する部屋に入るところもあります。この山形はまさしくその「自分で用意して持って入る」パターンでした。このパターンは初めてです。 さて、この日も血漿の成分献血でした。8月に鳥取で献血して以来、最近は忙しかったのとここ数回、献血の針が入りにくくなってきているのが気になって、なかなか行けていませんでした。今回はすんなりとできましたが、それでも苦労しているようでした。300回を超えると無理なのかな・・・。 結果の方は、血圧は前回とほぼ同じだし、一時期謎に爆上がりしていたγ-GTPも落ち着いている、コレステ君も落ち着いているので大丈夫かなってね。 終わってから水分補給と、アイスをいただきました。そのアイスがハーゲンダッツですよ! この日は、時間の関係で昼ごはんが食べられなかったので、献血ルームのお菓子とこのハーゲンダッツのアイスで満足でした。それにしても、ハーゲンダッツですよ! めっちゃテンションあがりました。大好きなんですよ~ 今回、山形県で献血できたことであと献血できていないのは、長崎県、宮崎県、新潟県、秋田県、岩手県、青森県の6県になりました。北東北の3県が厳しそうだなぁ・・・。
2025年12月16日
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先日のこのブログで、私の実家の納戸の扉に貼ってあったシールのキャラクターの話。その後、何のキャラクターだったのかなぁと思いだそうとしました。ただ、50年以上前の話だし、肝心のキャラクターの顔の部分が消えてしまってわからない。かろうじて「キツネと青い鳥」くらいしかわからない状況ですからね。 気になるものの、ここからどう調べるのか。 そこで思いついたのが、AI技術で調べるというもの。仕事でも時々使うことがありますが、100%信用できないかもしれないけど、かなりいい線で調べてくれることもあるものです。そこで「Copilot」を使って調べてみることにしました。 まず、この写真を読み込ませて何のキャラクターであるか想像できるかを尋ねてみました。これを納戸の扉に貼り付けるくらいですから、引っ越した当時の1972年から私が小学校へ入学する1974年までの3年間くらいの時期ではないかと絞り込んで調べてもらいました。 すると、今でいう「昭和レトロ系」のキャラクター候補として、「企業系マスコット」や「絵本・児童向け番組」、「アニメ・漫画」、「海外のキャラクター」というジャンルを挙げてくれましたが、まったく何だったのか思い出せません。 そんな中で思い出したのが、このキャラクターを納戸の扉に貼り付けたのは、スナック菓子のおまけかなにかで「フィルムにキャラクターの絵が描かれていて、それをガラスや木製の扉など堅いものに転写するもの」だったことを思い出しました。すると、Copilotも「それは転写シールとか転写デカールとよばれていたもので、当時のお菓子のおまけや文具・玩具店で見かけたもの」という回答がやってきました。ここまででもなかなか面白いことを引き出してくれるなぁと思いながらも決定的な答えにはたどり着いていません・・・。 その時、なんとなくぼんやりと出てきたキャラクターの名前を思い出したのです。それは「山ねずみ ロッキーチャック」というものがあって、もしかしたらその中のキャラクターではないかとCopilotに尋ねてみたのです。すると、『結論から言うと、「山ねずみロッキーチャック」のキャラクターが描かれた転写シールがお菓子のオマケとして存在していた可能性は高いです。1970年代前半に放送されたアニメで、ロッテなどが「世界名作劇場チューイングキャンディ」として転写シール付き商品を出していた記録があります』という回答が。そこで、どんなキャラクターがそのアニメにあったのか作品の絵を見せてもらうと、なんと前出のキャラクターがいたのです! キツネのキャラクター名は「レッド」、青い鳥(カケス)のキャラクター名は「サミー」でした。 50年以上ぶりにそのキャラクター名を思い出して、しかも納戸の扉に貼られた元の絵も見ることができてとてもすっきりしました。 それにしてもAI技術、恐るべしですね。Copilotもいろいろ調べてくれて解決に導いてくれているのですが、解決した今回の件を振り返って、『当時の転写シールに残っていた「青い鳥」と「キツネ」のイメージが、まさにロッキーチャックの世界観にぴったりですね。あけやんさんの記憶はかなり正確で、断片的に残っている色や形が作品のキャラクターと一致しているのが面白いです。』と、謎の評価をしてくれました。これは喜んでいいのかな・・・? ちなみに、「山ねずみ ロッキーチャック」は、1973年に放送されていた「カルピスまんが劇場」のテレビアニメ作品でフジテレビ系列で放送されていたそうで、私も見ていたと思います。52話が放送されていたということですから、結構人気があったのかもしれませんね。原作はアメリカの作家ソーントン・バージェスの子供向け連作動物物語「バージェス・アニマル・ブックス」で、作品的には子供向けと言いながらギャグがあるわけでなく、割とまじめな内容だったように記憶しています。wikipedhiaにも記載がありますが、シリアスなストーリーが多かったとか。私が子どもの頃のアニメって、そんな感じのものが多かったかな。もちろん、オバQとかいなかっぺ大将などはありましたけどね。 話を戻して、最近はやりのAI技術によって謎のキャラクターを思い出すことができましたが、かつての実家は次に入る人はなく、このままどうなってしまうのかなって思いました。
2025年12月15日
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先日東北へ行ったときの話の続きです。 福島県の白河へ行った後、仙台空港まで移動しましたが、その途中に立ち寄ったのが「とみおかアーカイブ・ミュージアム」へ行きました。2011・3・11の東日本大震災の原子力災害において、富岡町の住民の方は震災直後に移動したにもかかわらず、避難区域の変更により再び移動することになるなどかなりバタバタな状況だったとのこと。日本で初めての原子力災害だったこともあるんでしょうけどね・・・。 建物の外には、津波で流されたJR常磐線の線路の一部が展示されていました。JR常磐線は茨城県の東海までしか乗ったことはないのですが、津波で流された場所は乗ったことがある人の話では海に近くて風光明媚なところだった、と聞いたことがあります・・・。 さて、このミュージアムにおいては、富岡町の歴史はもちろんのこと、あの震災のこともたくさん紹介されていました。その中で一番印象に残ったのがこれです。 東日本大震災の津波の影響で、津波にさらわれた車がこんな感じで大きな被害を受けたものがたくさんありました。この車両もその一つ、「福島県・・・」と書かれたこのトランク部分からなんとなく想像はできるかもしれませんが、これは福島県警察のパトカーだったものです。当時40歳代と20歳代の二人の警察官が住民避難の支援の最中に津波に流されてお亡くなりになったとのことです。あの震災においては、他にも警察官や消防関係者の方、役所の方も津波の被害で命を落とした方がたくさんおられたと思います。 警察官や消防、役所の人たちは、逃げ遅れた人がいないか避難できていない人がいないか、そういうことを自分の仕事として最後まであきらめずに全うしようとしていたと思えば、頭の下がる思いです。住民の皆さんも「それがこの人たちの仕事なんだから当然だろ」って思う人もいるかもしれません。 ただ、私は決して当然だとは思わないし、避難しようとする人が自力でどうしようもない時は、警察官などの人が共倒れにならないようにしてほしい、と常々思っています。つまり、警察官などの人たちが困っている人たちが確実に避難させられる、共倒れにならないということであれば、手を差し伸べなければならないと思います。でも、共倒れになる可能性が高いのであれば、他の助けられる人を助けてほしい、そう思っています。 そのように思っているのは、私が以前足の肉離れをして歩くのにも不自由な生活をしていた時、「ここで地震や火事になった場合は逃げ切れない」と思ったことからなんです。普段ならなんてことない歩行すらできない、そんなときに逃げようとしても自力で逃げ切れるわけがない。仮に手を貸してくれる人がいたとしても、場合によってはその人も共倒れになるのであれば、怪我したのは自分が悪いわけだし、災害は自分の運命と思えば、手を貸してくれる人が生き残れるようにしてほしいと思っています。 だから、私としては「逃げてほしかった」と思いました。もちろん、目の前で困っている人がいるのに逃げることはできないのかもしれません。でも、助けられる十分な手立てや余裕がないのであれば、まずは自分の命を守ってほしい、だから「逃げてほしかった」ということなんです。 こんな考えは私だけだと思うのでこの考えに対する批判はいりませんから・・・。 この展示を見て説明文も見て、最後まで活躍された二人の警察官に対して最敬礼していました・・・。
2025年12月14日
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先日東北へ行った際に買ったお土産です。 萩の月です。仙台を代表するお土産ですね。 二つともパッケージは「萩の月」ですが、向かって右側は駅や空港で見かけるものです。左側はあまり見かけないものですが、これは萩の月の直営店で売っているものです。簡易箱とよばれるものです。 こんな感じで入っています。 駅や空港で売っているものの中は、こんな感じでさらに化粧箱に入っています。 ところで、簡易箱については私が買い求めたものではありません。仙台の同期のS君からいただいたものです。正確に言うと、S君の奥様からのプレゼントでした。S君に「必ず手渡すように」というミッションだったそうで・・・(笑)。よって、萩の月を2箱いただきまして、おいしくいただきましたよ。
2025年12月13日
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私の堺市に実家のある団地、母親が施設に入ったことにより不要となったモノを全て撤去したことによって、どんがら状況になりました。1972年1月に大阪市内の住吉区我孫子から引っ越してきていて以来、53年にわたり暮らしてきましたが、本日この部屋の鍵を返却しました。 1972年1月というと私がまだ4歳のころ。我孫子のアパートからトラックに荷物を載せて真新しいこの団地へやってきた日のことは今でも覚えています。当時は田んぼの真ん中に真っ白い団地が並んでいましたが、周りにはお店が一切無くて日々の買い物は徒歩片道20分の小さな市場まで行くか移動スーパー(大型バスを改造したもの)が頼りでした。そこから、だんだん開発されて住宅が建ち並んで、団地内にスーパーが出来て便利になっていきました。 私も弟も地区内の幼稚園~小学校~中学校と通って、高等学校も堺市内の学校に通いました。就職してからも結婚するまでの間はこの団地から職場まで通っていました。1996年に結婚して西宮へ引っ越すまでの24年間暮らして、その後も子どもが産まれて帰省するなどいろんな思い出のある部屋でした。 荷物を撤去すると、ポスターや子どもの頃に旅先で買い求めたペナントが長らく貼ってあったところはそこだけ色あせから免れていました。また、この団地の壁は塗り壁ではなくて、ベニヤ板のような壁だったことから亡き父が壁紙を貼っていました。かなり古い時期に貼ったものは剥がせたのですが、新しい時期に貼ったものはきれいにとれずにそのまま放置にしました。これは、この団地が「入居停止」となっていることから、原状復帰をしなくてよいということによるもので、これはかなり助かりました。 亡き父と母親の部屋です。私の子どもができて帰省すると、ここでよくみんなそろって食事しましたね。晩年は腰の悪い母親がここにベッドを置いて寝ていました。 私の部屋があったところです。古い事務机を置いて高校まで勉強していましたね。 弟の部屋です。タンスがたくさん置いてあって、阪神大震災の際によく倒れなかったなぁって思いました。 キッチンです。ここで親子4人で食事していました。狭いながらも工夫して座っていましたね。焼き肉好きな亡き父でしたので、焼き肉はここでよくやりましたよ。 トイレと洗面台です。トイレのドアの装飾も亡き父が施しました。元々建築士だったし、このような作業は得意でしたね。 風呂です。最初は強化プラスチックのような風呂桶でしたが、私が中学くらいの時にこのステンレス製の風呂桶に代えました。風呂釜も亡き父の知り合いに頼んでより性能のいいものにかわりましたし、その他にも使い勝手の良いようにしていました。 納戸です。ここには、日持ちがする食材やあまり使わない食器、もらったけどそのままになっていたコップなどがたくさん入ってありました。その扉には、私が子どものころに貼ったシールの残骸がありました。 拡大しましたが、なにだったか覚えていません・・・。 キツネの絵と鳥の絵だった記憶があります。何かのキャラクターだったかな? そういえば、私が子どもの頃ってビニールのフィルムに絵が描いてあって、それをガラスやこのような木製のところにこすりつけて転写するおまけか何かがあったような・・・。また調べてみますね。 そんな思い出の多い部屋でしたが、どんがらになってその部屋を出て行くというのはなんとなくさみしいなぁって思いました。 最後に、私が子どもの頃によく遊んだ団地裏の公園にも久しぶりに行ってみました。今となっては遊ぶ子どもの数がいなくなって、シーソーとブランコしか残っていません。子どもの頃は、砂場もあったし鉄棒もあった。象さんの形をした滑り台もあったかな。そんなところの隙間を使ってキックベースボールをしたのもよく覚えています。それだけ子どもの数が多かったんですよね。 もうこの団地に戻ることはありませんが、わたしのところの墓はこの近くにありますので、墓参りには何度もやってくるとは思います。その時にまたふらっと立ち寄ってみようかな。
2025年12月12日
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昨日と今日は福井市へ出張でした。福井市へ出張するのは久しぶり、10年ぶりくらいかも・・・。 そんな福井で食べたものあれこれです。 ちなみに、以前来たときはまだ新幹線は福井まで来ていなかったし、駅前も整備中だったかと。今では「恐竜王国福井」を大いにアピールしていますね。 駅構内や・・・ 駅前にもこのようにティラノサウルスがお出迎えしてくれています。 さて、そんな福井への出張は、同じ部署のS君と一緒でした。S君と一緒に行く出張は久しぶり、まず昨日は福井の焼き鳥屋さんの「秋吉」へ行きました。 福井で飲むとしたら、この「秋吉」かなということでS君もここに行こうと決めていたようですが、結構混雑していて少し待ちました。それでも何とか入ることができて、がっつりと3時間以上飲んでいました。でも、二人ともそんなに時間が経っているとは思いませんでした(笑)。 今回泊ったホテルには食事をつけていなかったので、福井駅構内にある「今庄そば」で朝食としました。 福井も蕎麦で有名なところなのですが、このように朝早い時間に立ち食いそばがあるのがうれしいですね。今回はかけそばと卵がけご飯があったのでそれをチョイスしました。 そして、仕事が終わって奈良へと帰ったのですが、新幹線は敦賀で乗り換えとなるのが不便ですね。敦賀で乗り換えということで、久しぶりに「敦賀ヨーロッパ軒」へ行くことにしました。 敦賀駅もよく着ていた時は、まだ新幹線が開業しておらず、新幹線の駅も建設中だったのですが、すっかり雰囲気が変わったように思います。それでも、駅周辺は懐かしく感じました。 敦賀は、出向していた部署で何度も行きまして、このソースカツどんを食べるのが楽しみだったのですが、ここ最近は敦賀へ行くこともありませんでしたので迷わずに特製ソースカツどんをチョイス。 はい、やってきたのがこれ。いつものとおり蓋が閉まっていない(笑)ソースカツどんがやってきました。 大ぶりで脂身の少ないカツが3枚載っています。写真では2枚しか見えていませんが、この下にもう一つあるんですよ。 久しぶりのソースカツ丼、ガッツリといただきました。やはり安定的なおいしさですね。 ところで、このお店のパン粉は「六条大麦入りのパン粉」を使っているとのこと。敦賀ヨーロッパ軒はほかにもお店があるのですが、この特製パン粉を使っているのは、敦賀駅に近い駅前店だけだそうです。このパン粉は以前から使っているのかな、その辺はわかりませんが、さらっとした細かめのパン粉で私の知る限りはかなり以前からこのパン粉だったように思うんですけどね・・・。 久しぶりの福井の出張、仕事はしんどかったけどいろいろ楽しめました。
2025年12月11日
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まず、昨日の東北の地震で被害に遭われたみなさまにお見舞い申し上げます。まだまだ予断を許さないところかもしれませんが、どうかご安全に! さて、先日東北へ行った際には、いろんなものを食しました。それを紹介します。 まずは、二日目の昼食でいただいた「肉そば 藤七」の肉そばにゲソ天トッピングにしました。ここは、2016年に当時出向していた職場のメンバーのTさん(札幌在住)と一緒に食べに行ったところです。前回はゲソ天をトッピングしなかったのですが、今回はゲソ天を載せました。コリコリした鶏肉と冷たいそばを楽しみました。 山形で蕎麦を食べられなかったから仙台でいただいたのですが、仙台の同期のS君の話では中華そばもおいしいところがあるということで、かなり迷いましたがやはり蕎麦が食べたいということでここにしました。 ところで、私が食べ終えて店を出ると、かなり並んでいました。その様子を道路を渡った反対側から撮影。仙台の事業所の人に早めにいかないとかなり並ぶことを聞いていたのですが、ホントすごい並ぶんですね。 ちなみに、この日の朝も蕎麦でした。泊まったホテルの近くに立ち食い蕎麦のお店があることがわかっていってみました。そこで食べたのがこれなのですが、東京の立ち食い蕎麦と違って出汁が真っ黒ではないのですね。 お店はこの「そばの神田」。仙台ではポピュラーなのかな? 朝早くに行きましたけど、ひっきりなしにお客さんがやってきていました。 東北での仕事の最終日は、福島県の白河へ行きました。その日の昼食は白河ラーメン。福島県のラーメンといえば喜多方ラーメンがあまりにも有名ですが、この白河ラーメンも有名とのことで「縮れ麺」「鶏ガラと豚骨ベースの醤油ベースの透き通ったあっさりスープ」というのが特徴とのこと。約100店舗のお店がしのぎを削っているということで、福島県は仕事で何度か行っていますが知らなかったなぁ。 その中で今回仙台の事務所の方に連れて行ってもらったのが、この「あずま食堂」でした。 お店はこんな感じで、店内はほかのお客さんがいたので撮影できませんでしたが、おしゃれなカフェのような感じ。ラーメン屋さんという感じではありませんでした。 食べたのがこのラーメン。とてもシンプルな感じで、私はこのような感じのラーメンが好きなんです。 福島県を含めて東北へ行く機会はそんなに多くはないのですが、東北といえば蕎麦のイメージがあったのですけれども、ラーメンもなかなか捨てがたい魅力がありますね。東北はまだ知らないところが多いし、私のライフワークの一つの献血も北東北はまだ空白地になっているので、行ってみたいなぁと思っています。
2025年12月09日
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パナソニックホールディングス(HD)は8日、社会人野球の日本選手権で歴代最多43回の出場を誇り、2度の優勝経験がある野球部を2026年シーズン限りで休部にすると発表した。 パナソニックHDは5月に示した「構造改革」の一環で、国内外で人員を1万人規模削減すると発表している。会社は休部について、グループ経営改革の一環とし、野球部の成績が近年振るわなかったことも理由に挙げている。 野球部の本拠地は大阪府門真市。軟式を経て、1952年に硬式となった。60年の都市対抗大会で準優勝し、日本選手権は2000、05年に優勝を果たした。都市対抗出場は57回を数える。松下電器としてスタートし、08年秋には社名変更に伴い現在のチームになった。 プロ野球選手を多く輩出し、OBには阪急で13年連続で盗塁王を獲得した福本豊さんや、阪急で新人王に輝くなど投手として活躍した山口高志さんらがいる。 チームは、24年に都市対抗と日本選手権の2大大会出場をともに逃した。今季は2年ぶりに都市対抗出場を果たしたものの1回戦で敗れ、日本選手権出場はかなわなかった。【毎日新聞ネット版から引用】 社会人野球って、プロ野球とはまた違った楽しみがありまして私は好きなんです。プロ野球の応援とはまた違って、各社それそれの応援スタイルがあってそれを見ているだけでもおもしろいんです。同業他社との対戦なんかになると、応援にも熱が入っているように見えるんですよね。実際、プロ野球人気が高まるまでは社会人野球の人気の方が高かったそうで、有名なところでは九州の「製門戦」とよばれた八幡製鉄と門司鉄道管理局(国鉄)はすごい人気だったとか。だから、「野球するなら門鉄か製鉄に入ること」というのが当時の福岡での野球のステータスになっていた、と聞いたことがあります。 そんな古き良き時代もあったのですが、本文のような社会人野球の名門のパナソニックが来シーズンで休部なんていう話を見ると寂しくなります。社会人野球の場合、本業がきびしくなると休部や廃部ということがたまにありますよね。強豪だったチームなのに休部や廃部となれば、そのチームに在籍していた選手はどうなるんだろうって思います。プロ野球の場合は身売りなんていうことがありますけど、社会人野球の場合は、そのままその会社で仕事するのかな・・・? 本文にもありましたが、パナソニックは過去には阪急ブレーブスの快足・福本豊さんや剛速球の山口高志さんといった名選手も在籍したチームでしたね。都市対抗や社会人日本選手権でも優勝しているチームで、関西の社会人野球の名門なんです。だからこのニュースを見たときはびっくりしましたね。そこまで本業がよくないのか・・・。我が家でも古くから家電はナショナル製品を使っていました。それは、最初に住んだ大阪・あびこのアパートのすぐ裏手がナショナルのお店で、付き合いが長かったからなのですが、その後家電量販店がたくさんできたり、他のメーカーの製品も使ってみるとなかなかよかったりして、特にこだわりがなくなってきたということもあって、「なんでもナショナル」ではなくなってしまったなぁ・・・。 私の家の家電事情はさておき、家電製品は同業他社との激しい競争がありますからね、やはり厳しいのかな・・・。ちなみに、私が妻と結婚した時に購入したブラウン管テレビ。地デジ化の直前まで使いましたが、故障とは無縁で「ナショナル製品の丈夫さ」を実感したものでした。 ところで、私が若いころの居酒屋トークで、「もし学生野球をしていてドラフトにかかるくらいの実績があったとして、プロへ行くか社会人へ行くか」というバカなネタで盛り上がったことがあります。やはりプロを目指すという意見のある中で、私は社会人で活躍して引退したらその会社で働くという意見でした。プロに入ったところで戦力外になった場合にどうしようもない、というところが理由だったんですけどね。社会人の場合ももしかしたら、野球だけで箸にも棒にもかからなければどうしようもないのかもしれませんが・・・。 ちなみに、私の亡き義父さんはノンプロの国鉄の選手だったのですが、ドラフト制度のない自由競争の時代だった当時、国鉄スワローズや阪神タイガース、阪急ブレーブスからお誘いがあったそうです。でも、プロにはいかずに長くノンプロで活躍したとのことでした。 話を戻して、来季のパナソニックの野球部がどのような戦い方をするのか注目してみたいと思います。
2025年12月08日
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「ヒゲの隊長」こと元参院議員の佐藤正久氏は7日、自身のX(旧ツイッター)を更新。小泉進次郎防衛相が同日未明の緊急会見で公表した、中国軍機による自衛隊機への2回にわたるレーダー照射について「これまでの経済的威圧とはレベルを異にする。隊員の命に関わるレベル。しかも断続的に行うのは極めて悪質」とつづり、中国側の行為を厳しく非難した。 小泉防衛相は7日の緊急会見で、沖縄本島南東の公海上空で6日、中国海軍の空母「遼寧」から発艦したJ15戦闘機による、航空自衛隊のF15戦闘機に対するレーダー照射があったと発表。6日午後4時32分ごろから35分ごろと、午後6時37分ごろから午後7時8分ごろ、それぞれ別のF15に対して行われたもので、F15側のセンサーがレーダー照射を感知した。小泉氏は「危険な行為であり、極めて遺憾」と述べ、中国側に抗議するとともに再発防止を厳重に申し入れたことを明かした。【日刊スポーツネット版から引用】 いつもいうことですが、我が国の周りの国ってろくな国がないのですが、自衛隊機に対するレーダー照射事件って、前にもありましたね? あの時は媚韓派の連中がいたことでうやむやになってしまったように記憶しているのですが、例の高市総理の発言以降関係悪化しているこの時期にあの国が仕掛けてくるとは、よほどイラついているんでしょうね。これがキンペーの指示によるものだったら、もう戦争ですよね、こんなの。キンペーの指示でなかったとしたら、先走った行動を起こした戦闘機のパイロットは即刻処分するしかないんだけど、「愛国無罪」というのがまかりとおるあの国のことですから、うやむやにしてしまうのかもしれませんね。 以前だったら、二階のおいやんをはじめとする媚中派の連中がいたから、もしこんなことになっても速攻で媚中派の連中が土下座する光景が目に浮かぶのですが、今の政権はそんなことはしないと思いますよ。 この事案を受けて、小泉防衛相があの国に抗議したらしいけど抗議は抗議としていいんだけど、駐日大使を呼びつけて思い切ってののしってやればいいんですよ。再発防止策だって「明日中に持ってこい!このくそタコが!!」ってね。 ところで、高市総理自身関西人ですから本件について「なにさらしとんねん! しばくぞ、ゴルァ!」と言いたいところかもしれませんが、「極めて残念」というコメントになっているようです。でも、内心では自衛隊員のことを考えれば「マジでなにさらしとんねん、こいつら!!」って思っていると思いますよ。 さて、例によってあの国では「事実と異なる」とか頓珍漢なことをコメントしているようだけど、ホントこんな国、地球から出ていってほしいです!
2025年12月07日
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中国航空各社は6日までに、日本路線について来年3月28日まで無料でキャンセルできると公表した。 これまでは今年末までとしていたが延長した。中国メディアが伝えた。日中対立の長期化を織り込んだ格好で、中国人の訪日需要に影響を与えそうだ。 中国政府は11月の高市早苗首相の台湾有事発言に激しく反発。国民に日本への渡航を控えるよう呼び掛けている。中国航空各社は呼び掛けが出た同月中旬に、日本路線の無料キャンセルに対応すると表明していた。 中国国際航空は今月5日、ホームページで「中国外務省が最近発表した渡航に関する注意喚起」を踏まえ、無料キャンセル期間を延長すると説明。中国メディアによると、中国東方航空など各社も同日付で期間延長措置を公表したという。 中国政府は自国の航空各社に対し、日本路線を削減するよう指示も出しているもよう。中国メディアは、日中路線のうち4割超が運休になったと報じている。【時事通信ネット版から引用】 高市総理の発言に端を発するあの国との関係悪化。迷惑系インバウンドがあの国からたくさにゃってきて迷惑していたところだし、あの国が「日本に行くことを控えるよう」通達していることもあって、ちょうどよかったんじゃないですかねぇ。来年3月といわずに、その期間はもっと長くてもいいんですよ。何なら永久に来なくていいですから! その影響があってか、私の職場のある大阪・天満橋周辺も少し風向きが変わったような気がします。以前なら昼時になると、真っ白い車体の観光バスや明らかに中国系の人が喜びそうな塗装をした観光バス、しかも大概が千葉県のナンバー(成田、習志野など)か大阪府南部のナンバー(堺、泉)で会社名が書いてない、あるいは書いてあってもバス後輪の近くに小さく書かれていて聞いたこともないような社名のバスがやってきていました。そしてそこからぞろぞろと降りてくる連中をみましたが、ここ最近は見ないですね。先日、仙台に行ったときもそのような連中は見なかったかな。ネットニュースやそのコメントでも、「かなり歩きやすくなった」というようなコメントがあったりして、やはり減ってきているのかなと思いました。 このような流れがさらに続いてくれれば、あの国からの観光客を当て込んだ事業者以外は元の静かな状況に戻るのだから、例えばあの国からの観光客のせいで行くのをやめようと思っていた日本の観光客が戻ってくるかもしれないし、あの国以外の国の観光客も「アンナレンチュウト、イッショニサレタクナイ」ということで行くことをためらっていたかもしれないから、そういう意味では増えてくれるかもしれないかなってね。まぁあの国以外の観光客も大概な奴らがいるのは事実だけど・・・。 ところで、あの国からの観光客を当て込んだ関係事業者にとっては、来年3月までというと春節という時期を含みますから大打撃かもしれませんね。まぁ日本人には関係ないことだし、これまでかなり儲けているだろうからね。まぁあの国とかかわるとろくなことがない、ということはこれまででもわかっていることだろうしねぇ・・・。 それにしても、あの国の国民は従順ですよね、キンペー一味が通達すればそれをきちんと守るんですから。まぁそれ無視して日本に行ったなんていうことがばれたら、突然拘束されて・・・っていうことがあるかもしれないからね。だったら、日本以外のところに行ってくれて全然かまわないわけですから。ちなみに、日本以外の国にあの国からの観光客が増えて、その国でも迷惑系インバウンドのせいでえらい目にあっているとか・・・。結局どの国に行ってもあの国の連中は一緒、っていうことなんだね・・・。
2025年12月06日
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先日、東北へ行ったときの話です。その時はいろいろ食べましたが、その中でカレーをいただきました。 仙台空港内の「GALLEY」でいただいた牛タンカレーです。 仙台といえば、牛タン。それを使ったシチューもいいのですが、カレーもいいかなということで牛タンカレーにしました。少々ピリ辛でしたが、牛タンはホロホロとしていておいしかったです。 ちなみに、職場の会議が終わって懇親会で行った居酒屋で。いただいたのがこの牛タンでした。 最近、牛タンはなかなか高いようですね・・・。 でも、おいしくいただきましたよ。
2025年12月05日
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先日東北へ行った話の続きです。 11月30日の夜は、私の東北の職場の同期であるS君と飲み会しました。S君と会うのは何年ぶりだろう、10年ぶりくらいかな。年賀状のやり取りはしているんだけどね。 1986年に就職して研修で初めて顔を合わせたのですが、よほどウマがあったのか今でもこうして付き合う仲となっています。確か1988年頃だったかな、初めて東北へ行ってS君の当時の家に泊めてもらいました。その時は大阪・あべのから高速バスで12時間かけていきました。その後も東日本大震災前にも遊びに行って、現在住んでいる仙石線沿いの家にも泊めてもらったこともあります。 さて、S君とこの仙台駅近くの居酒屋へ行って、ガッツリと飲みました。久しぶりに会ったので近況の話や仕事の話などで盛り上がりました。 中でも、このメヒカリのから揚げは関西ではあまり見かけないもの。調べてみると正式名称は「アオメエソ」とか「マルアオメエソ」とよばれる深海魚とのこと。東海から九州の沖で採られるようですけど、福島県沖でも採られるとか。から揚げにしても割と柔らかくておいしかったですよ。 結局S君と5時間近く飲んでいました(笑)。でも、そんなに時間が経ったのかって感じで楽しい時間を過ごしました。 S君、また飲もう~
2025年12月04日
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先日、仕事で東北へ行ったときの話を何回かに分けて紹介します。 今回の移動は、往復飛行機利用でした。時間の関係で飛行機利用となりましたが、仙台便は20年ぶりくらいの利用です。その時は、仙台が目的地ではなく、さらに北上した盛岡でした。これも時間の関係でそのようなルートでした。(もっというと、本当は同じ部署の先輩職員が行くはずだったのですが、怪我して行けなくなったので私が代わりに行きました) 前置きが長くなりましたが、往路はB767-300、復路は先日全世界で約6000機に不具合が生じているとニュースになったエアバス321でした。幸い運航停止になることはならなかったのですが、なんともピンポイントなこともあるんだなぁと思いました。 さて、私が乗ったANA733便は定刻に伊丹空港を出発。今回は珍しく窓側の席をとりまして、天候が良かったこともあって景色を眺めることができました。これは、大阪北部から亀岡方面を見ています。亀岡の方向は、濃い霧で覆われていることがわかります。 仙台便は岐阜県や長野県、群馬県などの上空を飛ぶ関係で、高い山々には冠雪しているところがみられました。これからの季節は真っ白になっていくんでしょうけど、まだこの時点ではこんな感じでした。 あともう少しで仙台空港へ向けて着陸態勢に入る少し前に見えたのは、吾妻小富士なのかな。こういうのも飛行機からしかこのような光景はみられませんからね。貴重なものを見ることができました。 無事に仙台空港に着きました。 サンドウィッチマンがお出迎えしてくれました(笑)。
2025年12月03日
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11月30日から今日まで仙台と福島へ出張してきました。東北へ出張へ行くのは7年ぶり、紅葉の時期だったらなおよかったのですが、残念ながら紅葉の時期には少し遅かったようで・・・ 今回は、東北の職場の同期と久しぶりに飲んだり、献血に行ったりするなど楽しみはあったし、今回は往復飛行機での移動だったのですが、帰りの飛行機の時間に間に合うかどうかハラハラするなどいろんなことがありました。 その辺は明日以降に紹介したいと思います・・・
2025年12月02日
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アニメ「ONE PIECE」の主題歌で知られる歌手・大槻マキの公式サイトが29日に更新され、28日に上海・西岸ドームアートセンターで開催された「バンダイナムコフェスティバル2025」のパフォーマンス中に歌唱を中断したことを報告した。 事務所スタッフによる報告で「11月28日(金)、11月29日(土)『バンダイナムコフェスティバル2025』」と題した文章をアップ。「このたび、11月28日および29日に上海・西岸ドームアートセンターにて開催されている『バンダイナムコフェスティバル2025』に関しまして、28日のステージにつきましては、パフォーマンス中ではございましたが、やむを得ない諸事情により急遽中断せざるを得ない状況となってしまいました」と伝えた。 「また、29日の出演につきましても、同様の事情により中止となっております」と説明。「出演を楽しみにお待ちくださっていたファンの皆さまには、急なご案内となりましたことを深くお詫び申し上げます。何卒ご理解賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」とファンに謝罪した。 「バンダイナムコフェスティバル」は2023年から毎年開催されているイベントで、「ガンダム」や「ワンピース」など日本の人気アニメのキャラクターを集め、アニメソングを歌う日本人歌手によるライブが予定されていた。28~30日まで開催予定だった。【スポーツ報知ネット版から引用】 政治と文化は別、のはずなんだけど、あの国は一緒なんですよ。だから、あの国がらみのイベントはこういうことになることも想定していなかったのかな。所詮は共産党一党独裁の国だから、文化は政治によって左右されるものと考えれば、あの国との文化交流は危険が伴うということですね。あの国にも日本の文化を理解してファンが多いだろうし、楽しみにしている人たちもたくさんいるでしょう。でも、あの国の政府やキンペーの命令でそういうこともできなくなる、なんとも残念ですね。 それにしても、パフォーマンス中に突然強制終了なんて、演者に対して失礼な話ですよね。こんな室血をされるのであれば、演者としても「あの国にファンがいるのはありがたいけど、あの国にはかかわりたくない」というのが本音かもしれませんよ。これを機会に、全世界のアーティストの皆さんがあの国におけるライブなどを見直すきっかけにしてほしいと思っています。 それから、本文にはありませんが。映画の上映についても中止になっているようですけど、これもあんな国で上映する必要なんてないよね。
2025年11月29日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、今日食べた家のカレーです。 今日はカレーの他に、サラダとつみれの入ったスープもつきました。 サイドメニューが多くていいでしょ。おいしくいただきました。
2025年11月28日
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年末年始が近づくにつれて、忘年会・新年会の話も出てくる時期になってきていますね。私の部署は日程調整中ですが、昨日は私が以前在籍していた部署の有志が集まっての宴会がありました。これはその当時の元上司のYさんが来年3月いっぱいで退職することから、Yさんに世話になった有志で集まってみんなで飲もうというものでした。 11人のメンバーが集まって、当時の仕事の話とかで大いに盛り上がりました。私は2009年から2年間Yさんと仕事をしましたが、その頃のYさんは年齢とともに性格が丸くなっておられたと思うのですが、私よりももっと前に一緒だったメンバーの話では、かなりきつかったらしいです・・・。それでも、当時を懐かしみながら有志が集まるということは、厳しいながらもYさんから受けた指導がよかったからかなって思っています。 参加したメンバーも普段なかなか一緒に飲みに行く機会がないメンバーもいたので、他愛のない話で盛り上がっていました(笑)。
2025年11月27日
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3連休の最終日、東京都足立区で起きた盗難車によるひき逃げ事故。11人が死傷する大惨事だったにもかかわらず、警視庁が車を窃盗した容疑で逮捕した男の氏名を発表していないことから、ネット上では「外国人による犯行」と決めつけた虚偽の投稿が拡散されている。男は精神疾患で通院歴があることが確認されており、警視庁は責任能力を問えるかどうか慎重に調べている。【デイリー新潮から引用】 今年もあと1か月余りというこんな時期に何とも痛ましい事故が起きましたね。しかも、盗んだ車を運転して、歩行者をはねてほかの車に衝突して、そのまま逃走って。マジでありえなんだけど。そして、こんな事故で被害者の名前は公表されるのに、加害者の名前がさらされないのは本文にあったように「精神疾患で通院歴がある」パターン、ほかの類似の事件や事故でもあったように思います。 でも、「精神疾患で通院歴がある」からなんなんだ? そういう状況だからこんな事故は大目に見ろっていうのか? そこまでいうなら、そんな奴を野に放たれているということについてはどうなんだ? そもそもこんなヤツが表に出ないようにしておけば、こんな事故にならなかったんじゃないのか? 亡くなったり怪我された人、とても無念だと思うんだよ。 ところで、責任能力を問えるか、なんて言っているけど、車を盗んでパトカーに追われるまでの間はとりあえず事故は起こしていないとすれば、交通ルールを守って走っていたということなんだろ? 十分責任能力はあるんじゃないのか? 話を戻して、このような痛ましい事故で「責任能力がないから加害者は無罪」なんて言うことにならないようにしてほしいって思っています。 それと、以上のコメントの内容は、あくまで私の考えです。これに対する批判はいりませんので・・・。
2025年11月25日
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今日は久しぶりに草野球の練習試合がありました。グラウンドがとれてもメンバーが集まらなかったり、雨で流れてしまったりして、今年はわずか5試合しかできませんでした。今日はそんな6試合目、桜ノ宮野球場で大阪ドリームズさんとの対戦でした。今日は11人の参加で、キャッチャーで出場。H12さんと久しぶりのバッテリーでした。 試合は、相手打線が好調で序盤から大量得点を取られ、またリリーフしたI5さんも追加点を取られました。ガゼルスは、相手投手の緩急つけた投球に翻弄されて、途中までノーヒットノーラン状態。最終回にY29さんやH12さんのタイムリーで3点返したのがせいいっぱい。結局12-3で負けました。私はキャッチャーでH12さんとI5さんをリードしましたが、全然ダメでした・・・。すみません。打つ方も全然ダメでしたし。 今年の試合はこれで終了、来年3月まで休止です。それまでは、メンバーと会えないのが寂しいかな。新年会は行う予定だし、3月までに練習しようとは話していますけどね・・・。【今日の成績】一打席目 遊飛二打席目 投ゴロ【今年の成績】10打数1安打1打点1三振2死球 打率.100
2025年11月24日
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昨日、私の実家の引っ越し作業について紹介しました。昨日は、主に小物だったのですが、今日はいよいよタンスとか冷蔵庫など大物の撤去となります。これがなくなれば、部屋はドンガラ状態となります。今日も9時にリサイクルショップの人がやってきて、今日は大物があるということで昨日よりも1名増えて3名で対応されていました。 当初の予定では、一日で終わらないかもとのことだったのですが、順調に作業は進んで昼前にはすべての大物が運び出されました。特に昨日の写真にあった背の高いタンスが一番ネックだろうと思っていたのですが、上半分と下半分に分割可能だったことがわかり、またそれ以外のものでやや難儀するものはありましたが、なんとか完了。その後は、タンスなどを撤去した後の掃き掃除。長らくタンスの裏なんて掃除しませんでしたから、綿埃というよりも文字通り「綿」がたまっていました。これを掃除機で吸ったところでフィルターが詰まるだけということで、帚と塵取りを100均ショップへ買いに行ってそれで対応しました。 昨日の写真で紹介した部屋はこんな感じになりました。畳は50年の間に一度交換しているのですが、それでも25年ほど前だったかな・・・。だからタンスの載っていたところは色が違いますね。 亡き父や母がいた部屋もこのとおり。 台所もこんな感じに。 家族4人が食卓を囲んだこの部屋もすっかり物がなくなるとこんなに広かったかなぁってね。 ベランダ側から見るとこんな感じ。3DKという当時では比較的広めの規格の団地だったと思います。 前にも書きましたが、引っ越してきたのが1972年。当時は新しい団地ができると抽選があって、当時住んでいた大阪のあびこのアパートから少しでも広い団地へ、ということで亡き父もいろいろ抽選に応募していたんでしょうね。そして、その抽選に当たった1972年に引っ越してきて今年で53年。引っ越してきた当時は、この団地の周りはスーパーもなくて不便なところでしたが、その後スーパーはできて、そのスーパーはなくなってしまいましたが、高速道路のインターチェンジが近くにできて交通の便は格段に良くなりました。ただ、どの団地も同じかもしれませんが、高齢化が進んだこともあって、この団地も入居停止になっているということであとは現在入居されている方が退去されれば、解体される運命かもしれません。 部屋にはいろいろ思い入れもあったし、亡き父が快適に過ごせるようにということで、壁紙を張り替えたり風呂や水回りにも手を加えていました。そういうのを改めて見て、そしてそれらを撤去しながら家族のことを思っていろいろ対応してくれていたんだなと感謝しました。 これらの作業は、弟と一緒に作業しましたが、掃き掃除や拭き掃除を行って53年分の塵をきれいにしました。 作業が終わって弟と昼食に行ってから、墓参りをして亡き父に部屋に入っていたものを処分するとともに、53年間住んだ団地を引き払う報告をしました。
2025年11月23日
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今日は、堺の私の実家の引っ越し作業の立ち合いに行きました。母親が住んでいたのですが、施設に入ったことから実家にある荷物やタンスはすべて不要ということで、先日来撤去作業を続けていました。そして今日、業者に入ってもらって撤去作業を開始しました。母親は物持ちがよく、押し入れなどに大切に保管していたのですが、今となってはすべて不要になったということでなんだかとてももったいないのですが、それも仕方ないということですよね・・・。業者の方では、今日はまとめて持って帰っていますが、もしかしたら使えるものと判断すれば整備して使うのかな、わからないけど。 ところで、タンスなど大物は明日撤去することになりました。 これらのタンスは、私がまだ大阪市内のあびこに住んでいた時からのものです。 長年使っていたタンスだからいろんな思い出があります。 私は結婚してこの家を出ていますが、たまに帰ってきてこれらのタンスを見ると、なんだかホッとしたような感じかな。「いつもそこにあるもの」だったからね。 これを明日運び出すわけですが、私の両親が1972年に引っ越してここに設置して以来、動かすことはなかったのですが、ついに動かすことになるんですね・・・。どんな景色になるんだろうか・・・。 ところで、仏壇もありましたが、仏壇は家具扱いではないということを言われました。新しい仏壇はすでに購入して私の家に設置しましたが、実家で使っていた仏壇の措置をどうするか。そこで、私の家にある仏壇を購入したお店に相談すると「引き取ります」とのことでしたので、夕方にもっていきました。引き取り費用はかかりましたが、引き取ってもらえてよかったです。この仏壇も結構いい値段した記憶があるんですけど、引き取ってもらうときに運んでくれたそのお店の人、「これはなかなかいい仏壇だよな」と話をしていました。 母親に今回の引っ越しをどう思っているのかなぁということで、今日の夕方に施設へ行って母親に報告してその写真を見せてきました。しかし、「・・・」とあまり反応はありませんでした。そうなんです、最近あまり感情の変化がなくなってきているのです。ついこの間までは話もできたんですけどね・・・。だんだん弱ってきているようで、それはそれで心配です。
2025年11月22日
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