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nana's7さん
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ナイト1960さんComments
こんにちは、今日は原爆が完成するまでの各国の動きを辿ってみたいと思います。
マンハッタン計画がスタートするきっかけとなった「フィリッシュ=パイエルス・メモ」が
イギリス政府に報告されたのは1940年。その頃、ドイツではどこまで原爆研究が進
んでいたのでしょうか?
1940年 ヒトラーを始め、ナチス・ドイツ指導者達は原爆研究を悪魔科学とみなし
積極的に取り組まず、資金援助を行ないませんでした。
ヴェルナー・カール・ハイゼンベルクは
原子破壊とウランとサイクロトロンの開発に関しての報告をしています。
アルベルト・シュペーア軍需大臣はアメリカの核開発が政府からの資金
提供が豊富であり、ドイツよりもリードしていることを政府に訴えた。
シュペーアはハイゼンベルクに原子爆弾の開発は何年後に可能になる
かの問い、ハイゼンベルクは原爆製造の理論には何の障害もなく、生産
技術への援助 があれば2年以内に可能であると答えています。
1940年6月23日
シュペーアはこのことをヒトラー総統に報告したが。「ユダヤ的物理学」と
して、ヒトラーは関心を示さなかった。
1940年6月27日
アメリカではバネバー・ブッシュ氏を委員長に米国防調査委員会(NDRC)
が発足した。
1941年4月 日本陸軍空港技術研究所長の安田武雄中将が理化学研究所所長の大河
内正敏博士に原爆の研究を依頼する。
1941年10月11日
ルーズベルト大統領が原爆開発の英米協力を英チャーチル首相に提案。
1941年11月28日
米政府は原子力研究をNDRCから科学研究開発局(OSRD)に移し、原爆
課を創設。
1942年1月 コロンビアとプリンストン大学の核研究グループをシカゴ大学に移し、「冶金
研究所」を開設。プルトニウム研究と実験用原子炉建設に着手。
1942年8月3日
マンハッタン計画が始まり、本部はワシントンの陸軍省に置かれる。
1942年9月 マンハッタン計画の総責任者にレスリー・グローブス少将を任命。これより
莫大な費用と科学・技術者を総動員した原爆開発計画、マンハッタン・プロ
ジェクトが正式に発足。
1942年11月 ニューメキシコ州ロスアラモスに原子兵器研究所の敷地を購入。この研究
所の所長に物理学者ロバート・オッペンハイマーが任命された。
1942年12月2日
エンリコ・フェルミ博士がシカゴ 大学で世界初の原子炉「シカゴパイル1号」
を完成させ、核分裂連鎖反応実験に成功。世界で初めての「原子の火」
1943年1月 日本では 理化学研究所の大河内正敏博士からの「原爆の研究」依頼に対し
て、 仁科 芳雄博士の研究室が「可能」とする報告書を提出。研究が始まる。
アメリカではテネシー州オークリッジでウラン分離工場(クリントン工場)の
建設が始まる。
1343年2月23日
1940年に占領したノルウエーの重水製造工場が6人のノルウエー人の
決死隊により爆破された。これによりドイツは重水素の入手が困難となり
シュペーアは第二次世界大戦中に製造が間に合わないと判断、原子爆弾
の開発中止を決定した。
1943年3月15日
ロバート・オッペンハイマー博士がロスアラモス原子兵器研究所長に着任。
1943年4月6日
ワシントン州ハンフォード工場建設が始まる。
1943年11月4日
クリントン工場の原子炉操作開始。
1943年末 アメリカのグローブス将軍が指揮するアルソス科学情報調査団はドイツが
原爆の開発に関する調査検討を行った後に開発を放棄したと思われるとい
う報告書を将軍に提出。
1944年2月 ドイツが原爆開発を断念
1944年3月 仁科研究室でウラン235の分離筒が完成。
こうしてナチスドイツが原爆製造の可能性から始められたマンハッタン計画ですが、ドイツが
開発を断念してからも研究が続けられました。
5万人にのぼる科学者、技術者が投入され、総計20億ドル(7300億円)の資金が投入され
ました。
そしてついに1945年6月、人類史上初の原爆が完成してしまうのです。
次回は原爆完成そして日本への投下までの経緯を検証したいと思います。