福岡市個別指導学習塾慶應修学舎の記憶「石橋の思考」

福岡市個別指導学習塾慶應修学舎の記憶「石橋の思考」

2012.03.29
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カテゴリ: 授業論
完璧な演奏に、心は震えるのでしょうか。
もちろん、技術の高さに圧倒されることもあります。
でも、涙がこぼれるような演奏というのは、
いつだって“うまさ”とは少し違う場所にあるような気がするのです。

完璧な授業。
時間配分も、板書も、説明も、すべて抜け目がない。
だけど、それが「もう一度受けたい」と思える授業になるかというと、
そうとは限りません。


大切なのは、どこに想いを込めたか。
そして、どこに手間をかけたか。

それが人の心を動かす、見えない“何か”を生むのだと思います。

ピアノの鍵盤を押す指先に、
「ありがとう」が込められていたら、
それは音として届くのではなく、想いとして伝わります。

黒板に書かれた数式の横に、
生徒の苦手意識に寄り添う言葉が添えられていたら、
それは“授業”を超えて、人としての対話になるでしょう。

私は、日々の中でよく思います。
「この一言に、私はどれだけの気持ちを込められたかな」
「この準備に、私はどこまで手間をかけただろう」

手を抜こうと思えば、どこまでも抜ける。
でも、ほんの少しの丁寧さや気配りが、誰かの心に火を灯すこともある。

完璧じゃなくていい。
むしろ、完璧じゃないからこそ、
その人にしか出せない“味”や“あたたかさ”が、そこに生まれるのかもしれません。

たとえば、授業で用意したプリントに、
手描きのイラストが添えられていたら。
たとえば、演奏会の最後に、ほんの一言、
「今日は来てくださってありがとう」と言葉を添えられたら。

それだけで、
ただの“良い演奏”“良い授業”が、
「心に残る時間」へと変わる気がするのです。

技術や知識は、もちろん大切です。
でもそれだけでは、何かが足りない。
その“足りない何か”を埋めるのが、想いと手間なのではないでしょうか。

「この人が演奏すると、なぜか心が揺れる」
「この先生の授業、なぜかまた受けたくなる」
そう言ってもらえる人には、
必ず、見えない努力と愛情があると思います。

完璧であることよりも、
“誰かのことを想って何かをすること”の方が、
ずっと価値があると、私は信じています。


それは、今日この瞬間から、
私たち一人ひとりにもできることだから。

たとえ小さな場面でも、
想いを込めて、手間を惜しまない。
その積み重ねが、誰かの明日をあたたかくするかもしれません。

今日、あなたが何かをするとき、
ほんの少し「どこに想いを込めようかな」と意識してみてください。

きっとそこに、完璧を超える“感動の種”があるはずです。





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