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人は、これまでに出会ったすべての人の中に、小さな灯火のように生きているのだと思う。それは時にふわりと浮かぶ温かい記憶であり、またある時は、そっと胸の奥にしまわれたまま、静かに灯り続けているものかもしれない。もちろん、すべての出会いが心に残るわけではない。名前も顔も思い出せないまま、時間とともに風に消えていくことだってある。でも、たとえ一握りでも、自分との時間を「良い記憶」として心に留めてくれる人がいるとしたら、それは何よりの奇跡だと思う。今日という一日。それは、何気ないようでいて、誰かの人生のなかで静かに刻まれていくかもしれない大切な時間だ。ふとした笑顔、さりげない優しさ、何気ない一言──そんな小さなものが、誰かにとって一生忘れられない光になることもある。だからこそ、私は願う。今日の自分が、誰かにとっての「良い記憶」になりますように。そんな思いを胸に、自分自身を少しずつ磨き、自分にできる小さなことを探していきたい。完璧な人間にはなれないかもしれない。それでも、出会った人が、「ああ、この人と出会えてよかった」と、ふと心から思ってくれる瞬間を、一つでも多く重ねていきたい。どんな自分になりたいか。それは、派手な言葉で語るようなものではない。誰かのなかに、そっと温かく生き続けるような、そんな存在になれたらと思う。今日もまた、小さな灯火を灯すように。一歩ずつ、優しく歩いていきたい。
2025.04.27
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「この子は、もっと頑張ればきっと光るはず。」そんな言葉を、先生や親、あるいは自分自身にも向けたことがあるかもしれない。けれど、「頑張る」や「磨く」という言葉ばかりが先に立ちすぎて、本質を見失ってはいないだろうか。人は誰しも、内側に原石を持っている。それを「磨く」ことは確かに重要だ。努力や鍛錬なしには、どんな才能も形にはならない。だが、どれだけ一生懸命磨いたとしても、それだけでは不十分なことがある。——光が当たらなければ、輝かないのだ。たとえば、ある少年がいたとする。控えめで、自分に自信がなく、いつも教室の片隅で静かに絵を描いていた。周囲はその姿を「内向的」と評し、あまり注目を払わなかった。だが、ある日、先生がその絵をふと目に留め、校内展示に出してみないかと声をかけた。その瞬間、少年の世界は一変した。彼は「選ばれた」わけでも、「急に上手くなった」わけでもない。ただ、誰かの目に止まり、「光」が当たっただけだ。それにより、自分の価値に気づき、自信を持ち、さらに描きたいという意欲が湧き上がってきた。人は、誰かに認められることで初めて「自分」を信じることができる。そして、その信じる力がさらなる成長を引き寄せる。努力は自分一人でできるけれど、光を当てるのは、他者の役割かもしれない。これは子どもに限った話ではない。大人だって、誰かの一言や、思わぬチャンスで人生が変わることがある。「頑張る」のは前提として、どこかで誰かに「見つけてもらう」「見守ってもらう」ことが、人間の輝きを引き出すのだ。考えてみれば、宝石だってそうだ。掘り出され、磨かれ、初めて人の目に触れる。そして光を受けてこそ、あの美しさを放つ。私たちは、つい「もっと努力しなきゃ」と自分を責めがちだ。しかし、時には「自分は光の当たる場所にいるだろうか」と問い直してみることも必要だ。そして、周囲の誰かにそっと光を当てられる存在でありたいと願う。磨くだけでは足りない。光があってこそ、人は本当に輝く。
2025.04.26
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私たちは、無数の「恩恵」の中で生きている。空気のように当たり前に享受している便利さ、安心、安全、教育、生活環境。けれど、その多くは自分が汗水垂らして得たものではない。ただ、たまたまそこに生まれ、たまたまそれを享受できる場所にいただけだ。たとえば、朝起きて蛇口をひねれば水が出る。電車は時間通りに来る。教室では先生が授業をしてくれる。食卓には温かいご飯が並ぶ。これらの一つひとつは、私たちが努力した結果ではない。しかし、その背後には、誰かが眠い目をこすりながら整備し、誰かが時間に追われながら支え、誰かが心を込めて手を動かした「努力の結晶」がある。けれど、それに気づくことは案外難しい。見えない努力は、音も立てず、静かに私たちの日常に溶け込んでいるからだ。私たちが「普通」だと思っていることのほとんどは、誰かの「非凡な努力」によって保たれている。だがそのことを意識せずに過ごしてしまうのも、また自然なことかもしれない。だからこそ、「気づくこと」そのものに、価値があると思う。たとえば、道路の隅に落ちていたゴミが翌朝には消えているのを見て、「誰かが片づけてくれたんだ」と想像できる心。学校で椅子がまっすぐに並んでいるときに、「昨日の誰かが整えてくれたんだ」と気づけるまなざし。その一瞬の意識こそが、見えない努力への小さな「ありがとう」になるのではないだろうか。そして、そういうまなざしを持ち続けていたい。「これは自分の力だけで得たものではない」。そう思える謙虚さは、人と人とのつながりを優しく強くする。誰かの努力の上に立っていることを知れば、人はもっと人に優しくなれる気がする。恩恵の陰には、いつも努力がある。それを当然と思わず、当たり前を支える誰かに、心の中でそっと手を合わせていく——そんな生き方を、私は大切にしていきたい。
2025.04.25
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呼吸を整えるという投資見通しの立たない日々。未来は白紙で、過去は重く、今この瞬間でさえ不安定だ。そんなとき、僕が信じられるのは「今の自分にできることを精一杯やり続けること」だけだった。これは、どれだけ小さな行動であっても、確かに“未来”へとつながる唯一の投資だ。金銭でもなく、地位や名誉でもなく、僕自身という存在に対する投資。それは利子も保証もない、けれど決して裏切らない種類のものだ。変えられない現実に思考を絡ませてしまうと、心は重くなり、呼吸が浅くなる。「なぜこうなったのか」「もしあのとき違う選択をしていれば」そんな問いに答えなどないと分かっていても、人は繰り返しその沼に足を取られる。でも、そこでふと意識を“今”に戻してみる。変えられるのは、過去でも未来でもなく、「今の行動」だけだということに立ち返る。頭を使うよりも、体を動かしてみる。声を出してみる。すると、少しずつ呼吸が整ってくるのだ。没頭とは、意志を持って「今」に沈み込むこと。それは逃避ではなく、自分自身に戻るための行為だと思う。何かに集中し続けるうちに、ふとした瞬間に「勇気」が湧いてくることがある。不思議なもので、それは大げさな決意ではなく、「ちょっとやってみようかな」という、ほんの小さな動きとして現れる。過酷な状況の中で「今に集中する」ことは、言葉で言うほど簡単ではない。むしろ、そういう時こそ過去や未来に逃げたくなるのが人の常だ。でも、だからこそ「今に没頭する」という選択は、人間の根を育てる行為だと思う。光が届かない場所で、地中深くに根を張るように、他人には見えなくても、確実にそこに“強さ”が宿る。僕もまだその道の途中だ。焦ることもある。くじけそうになる日もある。それでも、呼吸を整え、今を生きようとするたびに、少しずつ自分が育っていると感じる。そう思えるだけで、今日という一日は、十分に意味を持つ。明日の自分を支えるのは、今日の僕が投じたこの一呼吸なのかもしれない。
2025.04.23
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同じ空の下に生きていても、見ている景色は人それぞれだ。週末に家族で博物館へ行った子どもと、親が働きづめでひとり留守番をしていた子ども。放課後に友達とスポーツクラブへ通う子と、家計の都合でまっすぐ帰る子。こうした“体験の違い”は、目には見えにくいが、確実にその人の内側に影響を及ぼしていく。私は最近、こうした「体験格差」について考える機会が増えた。学力や収入といったわかりやすい格差以上に、どんな体験をしてきたか――という違いが、価値観や自信、未来への選択肢にどれほどの差を生むのかを感じるようになったからだ。このブログでは、そんな体験格差の実態と、それに対して私たちができることについて、日々の気づきやエピソードを交えながら綴ってみたいと思う。小さな気づきが、誰かの「見る景色」を少しでも広げるきっかけになりますように。「日常を宝物に変える魔法」ふだんの暮らしの中に、特別な瞬間はどれほど隠れているだろうか。きらめくような体験は、特別な場所や高価な道具、計画されたイベントの中だけにあるわけではない。むしろ、何気ない日常のなかにこそ、本物の学びや感動の種が潜んでいる。たとえば、ある朝の通学路。昨日まで気づかなかった場所に、一輪の花がひっそりと咲いていたとしよう。多くの人はその存在にすら気づかず通り過ぎるかもしれない。だが、そこにもし一人の大人が立ち止まり、「あの花はカタクリだね。春のはじまりにしか咲かないんだよ。絶滅しそうになっている場所もあるくらい、貴重なんだ」と語りかけたらどうだろうか。その一言で、その花は単なる“道端の植物”ではなく、子どもにとっては“春の案内人”になり、“自然保護”というテーマへの扉にもなる。子どもの感性は、まだ柔らかく、鋭く、広がりをもっている。大人がふと差し伸べる言葉やまなざしは、彼らの世界をどこまでも広げるきっかけになる。そしてそのきっかけは、思いがけない形で子どもの記憶に根を張り、やがて人生を支える価値観へと育っていく。私はこのことを、小学生のときのある出来事から学んだ。遠足の帰り道、雑木林のそばで見つけた一匹のカミキリムシ。何気なく手に取ったそれを見て、担任の先生がこう言った。「それはミヤマカミキリだね。硬い体をしているけれど、樹液が出る木がないと生きていけない。だから、森が減ると、この虫も減ってしまうんだよ」――その瞬間、私はただの昆虫好きな少年から、“自然と生き物のつながり”を考えるようになった。図鑑で調べ、森について学び、気づけば“守りたい”という気持ちが芽生えていた。このように、大人のちょっとした関わりが、日常を“宝物”に変える。それは決して特別な知識がなければできないことではない。ただ、目の前にあることに少しだけ興味を持ち、子どもと一緒に「面白がる」気持ちを忘れないこと。むしろ、知らないことがあったら「一緒に調べてみようか」と声をかけることで、子どもにとって“知る喜び”や“探る楽しさ”を共有できる。今の社会では、情報も知識も、スマホ一つで手に入る。だが、「誰と、どんな気持ちで知ったか」は、検索では得られない。人とのやりとりのなかで心に残った学びこそが、人生を豊かにする。花を見つけた瞬間、虫を手に取った瞬間、空を見上げた瞬間――そのすべてが、発見と感動の始まりになる可能性を秘めている。だからこそ、大人である私たちは、日常に魔法をかけられる存在でありたい。ただの日々を、記憶に残る物語へと変える“語り手”でありたい。今日もまた、何気ない道ばたに、子どもたちは宝物を見つけようとしている。その瞬間に、どんな言葉を届けられるだろうか。日常のなかにあるその一瞬を、私は大切にしていきたい。
2025.04.22
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努力という迷路──報われない自分に問いかけてみる「何の努力もしないで、いいことが起こらないかなぁ」「幸せになれないかなぁ」「誰よりも〇〇が上手にならないかなぁ」そんなことを思う瞬間、誰にでもある。ただ、冷静に考えてみれば、そんな願いが都合よく叶うはずもない。運が味方をしてくれることもあるけれど、それを当てにしていたら、人生という舞台に立つチャンスすら訪れない。けれど、世の中にはこういう人も多い。「ちゃんと頑張ってるのに、全然報われないんだよね」そう言う人の目には、少しだけ疲れが見える。頑張ってるのに、成果が出ない。その事実は、ときに何もしないこと以上に心を削る。たとえば、ある受験生がいる。彼は「毎日30分、縄跳びを飛び続ける」ことを日課にしている。汗だくになって、息を切らしながらも、毎日継続するのは簡単なことではない。きっと彼は「自分はちゃんと努力している」と信じているだろう。でも、彼の願いは「数学の点数が上がりますように」だとする。……縄跳びと数学。繋がっていないわけじゃないけれど、ちょっとズレている。もちろんこれは極端な例だ。だけど、笑えないくらい、これに近い「ズレた努力」は、どこにでもある。むしろ、「必死なのに空回りしている人」にこそ、他人は優しくなれない。「そんなことより勉強すれば?」と冷たい言葉をかけたくなる。けれど、そのズレを見抜くのは、案外むずかしい。なぜなら、努力は目に見えないし、「やっている感」があれば、自分を正当化できてしまうからだ。努力は「どれだけ頑張ったか」ではなく、「どこに向かって頑張ったか」で決まる。進みたい場所と、踏み出している場所が違っていたら、どれだけ歩いても、辿り着くことはない。むしろ、体力だけが奪われて、ますます迷子になっていく。でも、じゃあどうすればいいのか。答えは一つではない。だけど、まず大事なのは「自分がどこを目指しているか」を正直に見つめ直すこと。そして、「そのために今やっていることは、ちゃんと繋がっているか?」を問い直すこと。簡単なようでいて、これはとても勇気がいる。今までの努力を否定することになるかもしれないから。だけど、間違った地図を破り捨てない限り、正しい道は見えてこない。さあ、自分はどうだろう?頑張ってる自分に満足して、道を見失ってはいないか。「報われない努力」に涙を流す前に、自分の中にある「ズレ」と向き合ってみよう。その先に、本当に報われる努力が、きっとある。
2025.04.21
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楽しむ背中が語るもの――子どもたちに贈る、生きる見本「ねえ、大人になるって楽しいの?」幼い頃、何気なく放ったこの質問に、どんな顔で答えてくれただろうか。にっこり笑って「楽しいよ」と言ってくれた人は、どれだけいただろう。あるいは、どこか曇った顔で「まあ、それなりにね」と答えた人の方が多かったかもしれない。大人が楽しそうに働いている姿、それは子どもにとって何よりの教育であり、目には見えない最高の財産だと思う。言葉で説かれるどんな教訓よりも、背中で語る「生きる姿勢」の方がずっと雄弁で、胸に残る。もちろん、仕事は楽しいことばかりではない。締め切りに追われ、うまくいかずに落ち込む日もある。それでも、視点を少し変えてみれば、その「うまくいかない日」さえ、人生のエッセンスになる。笑い話になり、成長のきっかけになる。そんなふうに自分の苦労を味わい尽くして生きる大人の姿は、どこかしら美しい。本当に説得力のある人の言葉には、不思議な力がある。聞く人の心にスッと染み込み、背中を押してくれる。その説得力の源は、実のところ、「どれだけその人が仕事や人生を楽しんでいるか」によるのではないだろうか。仕事を楽しんでいる人の言葉は、軽やかだ。時にユーモラスで、時に熱があり、そしてなぜか聞き手をワクワクさせる。まるでその人の人生が、どこかで音楽を奏でているように感じる。反対に、仕事に疲れ切り、日々をただ消費しているように見える人の言葉は、どこか無機質で、心に響かない。「説得力を持ちたいなら、人生を心の底から楽しめ」そんなメッセージを、私たちは気づかぬうちに発しているのだと思う。大人は、子どもたちにとって未来の予告編だ。「この人みたいになりたい」と思わせることこそ、教育の本質である。逆に、「こんなふうにはなりたくない」と思わせてしまっては、どれだけ正しいことを語っても、その言葉は心に届かない。だからこそ、私たち大人がやるべきことはただ一つ。仕事を、人生を、毎日を、できる限り楽しむことだ。その姿を見て、子どもたちは自然と学んでいく。「大人になるのって、悪くないな」そう思える瞬間を、私たち自身がつくり出すこと。人生は舞台。誰が観ていようといまいと、自分の人生の主役として、思い切り演じてみよう。その姿こそが、誰かの希望になるのだから。
2025.04.18
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決断という航海――「判断」と「決断」の違いについての私的考察人生には、選び取らねばならない瞬間が幾度も訪れる。目の前に並ぶ分かれ道。そのとき私たちは、「判断」するのか、「決断」するのか――この二つの言葉は似て非なるものであると、私は思う。「判断」とは、過去に対して客観的に評価を下す行為である。すでに起こった出来事や積み上げられたデータ、実績、経験をもとにして、合理的に「何が正しかったのか」「どれがより優れていたのか」を見極める。そこには感情を差し挟む余地はあまりない。いわば、冷静な観察者として世界を見つめる態度であり、慎重さや分析力が求められる。一方で「決断」は、未来に向かって主観的に方向性を打ち出すことだ。まだ何も起きていない「これから」を、自分の意思で切り拓こうとする。その選択に正解はない。だからこそ「決断」には〝覚悟〟が必要なのだ。判断が「秤(はかり)」だとすれば、決断は「羅針盤」に似ている。前者はすでにある重さを量る道具であり、後者は進むべき道を指し示すための道具である。羅針盤はときに狂い、嵐の中で役に立たないこともある。それでも私たちは、羅針盤を頼りに航海に出なければならない。なぜなら、未来を創るのは「判断」ではなく「決断」だからだ。もちろん、どちらが優れているという話ではない。判断には冷静な視点と知性が宿り、決断には情熱と信念が宿る。判断がなければ、私たちは同じ過ちを繰り返すだろう。だが決断がなければ、私たちは一歩も前に進むことができない。たとえば、ある進路に迷ったとき。「この道の方が将来的に有利だ」「こっちは過去に多くの人が成功している」という判断は重要である。だが最終的に「それでも私はこっちの道を行く」と言えるかどうか――それが決断であり、その一歩には必ず、自分だけの物語がついてくる。判断は他者と共有できるが、決断は自分ひとりで背負うものだ。だからこそ、決断には「自分の人生を自分で引き受ける」という強さがある。それは孤独でもあり、しかし同時に自由でもある。私たちは日々、判断と決断を繰り返しながら生きている。時に冷静に、時に大胆に。過去を見つめ、未来を選ぶ。そのどちらもが人生には必要であり、どちらか一方では不完全だ。羅針盤を手に、これからも私は航海を続けていく。嵐に見舞われる日も、静かな凪の日も。判断という航海図を携えながら、決断という帆を高く掲げて。
2025.04.17
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困難というスパイス ー 人生を“本気で楽しむ”という選択「なんで自分ばかり、こんな目にあうんだろう」そんなふうに思ったことは、誰しも一度はあるはずだ。でも同じ出来事に出会ったとしても、人の受け止め方はまるで違う。ある人は「逃げ出したい」とうつむき、ある人は「これが自分の出番だ」と目を輝かせる。それは、才能の差だろうか? 性格の違い? あるいは環境か?いや――最も大きな違いは、「人生に対する態度」なのだと思う。難題にぶつかったとき、多くの人は「そんなもの、ない方がいいに決まってる」と思う。だが一方で、「それがあるから面白いんだ」と言って笑う人もいる。同じ壁を見ても、「高すぎる」と嘆く人もいれば、「登る楽しみがある」とワクワクする人がいる。それを聞いて、「そんなの理想論だ」と鼻で笑う人もいるかもしれない。でも、ここで思い出したい。“楽しい”という感情は、なにも“楽をすること”から生まれるものではないということを。たとえば、スポーツの試合。勝つか負けるかわからない緊張感、体を限界まで追い込んだ末の達成感。楽ではない。でも楽しい。映画や舞台、音楽だってそうだ。思い通りにいかず、悔しさに泣くこともある。それでも、舞台の上で何かが“通じた”瞬間、人は心の底から「やっていてよかった」と思う。人生も、実はそれと同じじゃないだろうか。「順風満帆な人生が理想」とよく言われる。でも、本当にそうだろうか?何の起伏もない平坦な一本道を歩く人生に、心は動かされるだろうか?むしろ、人は“いろいろある”からこそ、笑い、泣き、語り合い、成長する。そう考えると、困難や試練は、人生という物語に味をつけるスパイスのようなものだ。スパイスは強すぎれば苦く感じることもある。でも、全くない料理は味気ない。つまり、「いろいろあるのが人生」なのではなく、「いろいろあるからこそ、人生は面白い」のだ。では、その“面白さ”を引き出す条件とは何か?それはたったひとつ――「本気で臨むこと」だ。手を抜かず、言い訳をせず、誤魔化さずに、まっすぐ向き合う。そうしてはじめて、困難は苦しみではなく、“挑戦”へと姿を変える。本気でぶつかったとき、人はただの一日をも、忘れがたい一幕に変えることができる。人生に対して、「また厄介なことが来た」と思うのも自由。でも、もしそれが、「これは何かのチャンスかもしれない」と思えたら。同じ一日が、まったく違う意味を持つ。「やってきたそれを楽しむ」その姿勢にシフトチェンジするだけで、人生は驚くほど劇的に、そして豊かになる。困難があることは、けっして不幸ではない。それをどう捉え、どう向き合うか――それこそが、人生を本当の意味で“楽しむ”鍵なのだと思う。
2025.04.16
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「光を見つける習慣」誰かと出会ったとき、私は無意識にその人の“いいところ”を探している。それはもう、特別な努力をしているわけでもない。ただ自然に、癖のように、人の中に宿る何か温かいものを見つけようとしている。この習慣が、僕の人生をとても明るく照らしてくれている。どんな日でも、どんな場所でも、人の中に小さな光を見つけるだけで、世界の見え方が少し優しくなるのだ。ただ、ここでひとつだけ大切にしていることがある。それは「比較しない」ということ。誰かの優しさを、誰かの優しさと比べない。ある人のユーモアを、平均的なユーモアセンスと並べない。「同年代の中で一番すごいね」とか、「あの人よりできてるね」という言葉には、どうしても“評価”の匂いがついてしまう。僕が見つけたいのは、“その人だけが持っているもの”だ。他の誰とも比べる必要のない、その人らしさ。無条件で、その人に根ざしている温かさや魅力。たとえば、話を聞くときに少し首をかしげる癖。何気ないときに、そっと誰かに声をかけるやさしさ。そんな、目立たないけれど確かにそこにある光だ。人は誰しも、光を持って生まれてきている。でも多くの場合、その光は自分では気づかない場所に宿っている。それを誰かがそっと見つけて、言葉にして伝えてくれたとき、その光はようやく、自分自身のものとして輝き出す。僕は、そういう「見つけ手」でありたいと思っている。他人の光を評価ではなく、観察と共感の目で見つける人。そして、できることなら、誰かの心の奥にしまってある小さな光を「それ、とても素敵だね」と言葉にできる人でありたい。この世の中は、ときに暗く感じることもある。比べられること、測られること、競わされること。だけど、誰かの光を見つけることで、その闇の一部に灯りがともる。それが連鎖していけば、きっと世界は、もっとやさしくなる。だから今日も、私は誰かの“いいところ”を探している。それはたった一人の誰かを照らす光でもあり、めぐりめぐって、きっと自分をも照らしてくれる光なのだ。
2025.04.15
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夢のない君へ、優しい手紙夢があることは、たしかに素晴らしい。将来なりたい自分の姿があって、そのために努力を重ねていく毎日。目標があるからこそ頑張れるし、道に迷ったときも、戻る場所がある。そんな姿は、誰の目にも美しく映るものです。でも、夢がないということだって、実は同じくらい素晴らしいことだと私は思います。「将来どうしたいの?」「夢はあるの?」そんな言葉が飛び交うなかで、答えられない自分を責めたことがある人もいるかもしれません。けれど、それは恥ずかしいことでも、間違っていることでもありません。夢がないというのは、まだ出会っていないだけ。まだ心が揺れる瞬間に、出会えていないだけなのです。それならば、まずは今を大切にしてみてほしい。たとえば、今日すれ違った誰かに「おはよう」と声をかけてみる。友達の話を、少しだけいつもより丁寧に聞いてみる。家族に「ありがとう」と言ってみる。そんなちいさな一歩が、目の前の人をふっと笑顔にするかもしれません。夢って、空の彼方にあるものだと思われがちだけど、実は足もとに咲く、小さな花のようなものかもしれません。一歩一歩、踏みしめながら歩くその道の途中で、ふと目を向けたときに「これが好きかも」と思える瞬間。「もっと知りたい」「もっとやってみたい」と思える瞬間。それが、夢の芽かもしれません。だから、焦らなくていいのです。夢を見つけるために急がなくても、今という時間はけっして無駄にはなりません。むしろ、「まだ夢がない」その自由さが、誰かの笑顔を生み出す、いちばんの力になることだってあるのです。あなたが今日、誰かを幸せにしようとしたその気持ちは、あなた自身の未来を、少しずつ明るく照らしてくれます。そして、気づかぬうちに、あなたの心にふわりと宿る夢に出会える日がきっとやってくるでしょう。夢があっても、なくてもいい。あなたが、あなたらしく生きていることが、もう十分に素敵なことだから。
2025.04.14
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学びつづける舵取り ――「多数決」のその先へある日、あなたは大きな客船に乗り込みます。初めての船旅に、少しの不安とたくさんの期待を抱えながら。一緒に乗っているのは95人の乗客たち。彼らもまた、みんな船に乗るのは初めてです。乗員はたったの4人。こちらも新人ばかり。そして、船長だけが唯一のベテランでした。100人を乗せたその船が、穏やかな海を進んでいると、急に空が暗くなり、嵐が襲ってきます。雷鳴がとどろき、風は唸り、波は船体を激しく揺さぶります。計器も壊れ、エンジンも一部停止。進むべきか、戻るべきか。避難するべきか、助けを待つべきか――。船は決断を迫られます。そのとき、船長がこう言いました。「ここにいる皆さんは、平等にこの船の一員です。だから、これからどうするべきかは、全員で多数決をとって決めましょう。」……さて、あなたならどう思うでしょうか?不安な嵐の中で、航海の知識もない初めての乗客たちによる多数決。それは「平等」かもしれませんが、「安全」とは言い切れないかもしれません。では、こんな場合はどうでしょう。今度は、乗客と乗員99人全員が長年海を渡ってきたベテラン。逆に、若くて航海経験の浅い船長が、この船で初めての航海に臨んでいるとします。そんなとき、船長がこう言いました。「この船の行き先は、私がひとりで決めます。」……どう感じるでしょうか?果たして、その決断に安心できるでしょうか?私たちは、民主主義という船に乗って生きています。この社会では、多くのことが「多数決」で決められていきます。でも、「多数」であることが、いつも「正しさ」とは限りません。大切なのは、その一票に、ちゃんと考えと知識が宿っているかどうかです。多数決とは、ただ数を集めるだけの方法ではありません。それは、「自分もこの社会の一員として、責任ある選択をする」という、学びと向き合う営みでもあります。たとえば、医療や気候変動、経済や福祉といった分野で、私たちが投じる一票がどんな未来をつくるか。「知らないから決められない」では済まされない時代になってきています。学ぶこと、対話すること、自分の考えを育てること。そうやって、私たちの「決める力」は少しずつ育っていくのです。嵐の海を進む船のように、社会もまた、時に大きく揺れます。そんなときこそ、誰か任せにせず、自分で考え、学び、舵を取ろうとする姿勢が求められます。たとえ一人の力は小さくても、「学ぼうとする意思」は、きっと船を正しい方向へと導く風になります。民主主義とは、自由に決めることではなく、責任をもって決めること。そしてその責任を果たすには、学びつづけることが必要なのです。だから私は、今日もこの船の中で、学びというコンパスを手に、進む方向を探しつづけます。
2025.04.13
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「誰にでもできる仕事」に宿る、ただ一つの輝き新社会人としての第一歩。それは、想像していたような華やかな舞台ではないかもしれません。塾に入れば授業ではなくコピーや製本、過去問の整理。美容室に入ればスタイリングではなく床掃きやタオルの洗濯。厨房に立っても、包丁を握る前に任されるのは皿洗いや鍋磨き。「こんなことのために、ここに来たんじゃない」そう思ってしまうのは、きっとあなただけではありません。けれど、考えてみてほしいのです。なぜ、誰にでもできる仕事が新入社員に与えられるのか。それは、あなたがまだ「何をできる人か、わからないから」に他なりません。技術も知識も、最初からあるわけではありません。では、何を見て、上司や先輩たちはあなたを評価するのか。それは、あなたの「心の姿勢」です。どんなに地味で、誰にでもできる仕事だとしても、それを「誰にもできないレベル」にまで磨き上げる人がいます。コピーの一枚、タオルのたたみ方、床の一拭きにまで心を込め、妥協せず、工夫を重ねる。その一つ一つの所作が、まるで作品のように輝いている。そういう人を、私は「一流」と呼びたい。一流の人は、特別な技術があるから一流なのではありません。どんな仕事にも「意味」を見出し、「誇り」を持ち、「情熱」を注ぐことができる。それこそが、長い目で見たときに技術よりも深い「人間的な魅力」を育てるのです。あなたが真剣に取り組んだ床掃きを見て、あなたが丁寧に磨いた鍋の光り方を見て、あなたという「人」を見抜ける人は、必ずどこかにいます。それが、次の扉を開くきっかけになります。焦る必要はありません。むしろ、焦って近道ばかりを探す人ほど、本質を見失いやすいのです。もし、あなたが「こんな仕事、自分じゃなくてもできる」と思ったときには、「この仕事を、誰にも真似できないくらいに極めたらどうなるだろう?」と問いかけてみてください。その問いは、あなたをただの新人から、「唯一無二の存在」へと導いてくれるでしょう。そして、そんな姿勢が育てる「心」こそが、あなたを誰も届かない場所へと押し上げてくれるのです。さあ、今日からまた、一歩ずつ。目の前の仕事に、あなたの魂を吹き込んでください。それこそが、誰にも奪えない、あなた自身の成長の物語になるのです。頑張れ、新社会人。あなたの未来は、あなたの「心の在り方」次第です。
2025.04.12
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思い通りにならないことばかりだ。やろうと思ったことができず、頑張っても結果がついてこない。努力は空回りし、人の期待にも、自分の理想にも届かない。そんな現実が、まるで意地悪のように、何度も何度も繰り返される。人生には、そういう時期がある。もがけばもがくほど深みにはまり、出口の見えないトンネルの中に置き去りにされたような、あの重苦しい時間。焦り、苛立ち、そして時に、自分を責めたくなる。でも、ふと思う。そんな思い通りにいかない日々の中で、実は少しずつ、確かに育てられている自分がいるのではないかと。うまくいかないからこそ、自分の弱さと向き合わざるを得なくなる。他人の親切や励ましが、胸にしみるようになる。何でもなく見えていた「普通の人たち」が、実はどれほど努力して立っているのかに気づかされる。そして、自分もまた、誰かにとっての「支え」になりたいと願うようになる。そうして少しずつ、人は優しくなれる。思い通りにいかないことで、人間の器が広がっていく。強さとは、成功を積み上げることではなく、失敗に折れず、他人に学びながら、自分を更新し続ける力のことなのかもしれない。うまくいかない現実は、できれば避けたいし、できれば早く抜け出したい。けれど、そのもどかしい日々こそが、確かに私たちを人として成長させている。人生は、まっすぐではない。でも、その曲がりくねった道の先で、ふと振り返ったときに、「あの時間があってよかった」と思える日がきっと来る。だから、今日もうまくいかないなと思ったとしても、その不器用な日々を、どうか大切に歩んでいきたいと思う。
2025.04.09
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共に解釈の編み直う存在リーダーシップとは、単にチームを「率いる」ことではない。威圧的に指示を出し、他者を従わせることでもなければ、誰よりも先に立って突き進むことだけを意味するわけでもない。むしろそれは、メンバー一人ひとりが持つ多様な経験、価値観、そして内に秘めた物語を尊重し、それらに新たな意味とつながりを与える「編集者」のような役割である。現代のチームとは、単一の目的や価値観に基づいて動く集団ではなく、異なる背景や想いを持ち寄った“多声的”な共同体である。だからこそ、リーダーに求められるのは「正解」を提示することではない。それぞれの視点に耳を傾け、共に問いを立て、解釈を編み直していく姿勢である。あたかもバラバラの糸を一つの布へと織り上げるように、経験と意味を織り交ぜることで、はじめてチームは一つの「物語」として動き出す。意味が生まれるところに、自発性も生まれる。リーダーが旗を振るのではなく、メンバー一人ひとりが自らの意志で歩み出すとき、チームは真に生きた存在となる。それは、地図のない旅において、誰かがすべてを決めるのではなく、共に空を見上げ、星の位置を頼りに進むような行為に近い。リーダーシップとは、指導者としての「強さ」ではなく、関係の中で育まれる「対話の力」である。不確かな時代においてこそ求められるのは、共に考え、共に悩み、共に意味を紡ぎ直す力なのだ。そんな姿勢こそが、チームという名の物語に、深みと持続性をもたらすのである。(参考)リーダーシップのあり方
2025.04.09
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言葉が紡ぐ力:人生を支える柱自分を動かす力を持つ言葉、それはまるで暗闇の中に差し込む一筋の光のようだ。どんなに困難な時期にあっても、そんな言葉を胸に抱いていれば、どこかで勇気が湧き上がってくる。言葉が持つ力を信じることで、人生の選択肢や可能性は格段に広がるだろう。それはただの言葉ではなく、魂を揺さぶり、前に進む力を与えてくれるものだから。だからこそ、人生において出逢うべき言葉は、まさに自分を奮い立たせ、無理だと思える時でも一歩を踏み出せるような言葉であるべきだ。それらは、他の誰かが語るものではなく、あなた自身が心から必要とし、心に響く言葉でなければならない。もし、そういう言葉に出会えたなら、それはもはやただの言葉に留まらず、自分の中に根を張り、毎日、毎瞬、繰り返し口にするほどに大切なものとなるだろう。それは、言葉そのものが力を持つからではなく、それを口にすることで、自らをより強く、より明確に導いていくからだ。そんな言葉が日々の支えとなり、行動に変わり、最終的には人生の柱となる。やがてその柱は、自分だけでなく、周囲の人々にも影響を与え、その人たちの支えにもなるだろう。そうして、あなたの言葉はあなた自身の人生だけでなく、他の誰かの人生をも豊かにする力を持ち始める。言葉の力、それは目に見えないけれど、確かに存在し、心を動かし、世界を少しずつ変えていく力を持っているのだ。自分を動かし、周囲を動かすその言葉を、大切に、そして常に心に留めておきたい。それは、人生のどんな局面においても、揺るがぬ支えとなり、歩むべき道を照らしてくれるに違いない。
2025.04.08
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「一歩一歩、日々の積み重ね」どんなときでも頼りにできるのは、 自分の最高の瞬間ではなく、 日々の平均的な力である。「一番上手くいけばこうなる」という理想的な最高値を持っている人も、 実際にはそれが現実の場面で活かされることはほとんどない。「どんなに悪くても、ここまではできる」といった、 常に安定したパフォーマンスのほうが、 より実践的で強力なのだ。この「平均値」というものが、 仕事でも試験でも、 さらには日々の生活においても、 何よりも頼りになる。だからこそ、「やるときはやる」という突発的な集中力を持つ人よりも、 「少しずつ、毎日続ける」タイプの人の方が、 最終的には確実に良い結果を出す。例えば、週に一度だけ7時間勉強するよりも、 毎日1時間、積み重ねて学んでいく方が、 得られる知識や経験は遥かに多い。同じ7時間という時間を使ったとしても、 その結果は大きく異なる。
2025.04.07
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決断の力:上機嫌でいることの大切さ人生は、無数の選択肢とともに進んでいく。どの道を選ぶか、何を選ぶか、それが私たちの未来を決定づける重要な瞬間となる。しかし、選択の背後にある本質は単に一つの道を選ぶことではない。その道を選ぶために、他のすべての選択肢を切り捨てるという、何とも痛みを伴う行為が必要だということを忘れてはいけない。人は、日々の生活の中で幾度となく決断を強いられる。その一つひとつが、積み重なって自分という人間を形作る。だが、その決断が間違った方向に進んでしまったとき、私たちは時に大きな試練を迎えることになる。それは避けられないかもしれない。だが、それに対してどう向き合い、どう乗り越えるかが大切だ。ここで重要なのは、選択を迫られるその瞬間、どんな気持ちでいるかということだ。冷静に、論理的に考えることはもちろん必要だが、同時に「上機嫌でいること」も決して小さなことではない。上機嫌でいることが、実はその後の道を大きく左右するのだ。なぜなら、心が穏やかで、前向きで、余裕を持っているときにこそ、最適な選択ができるからである。人間は感情に左右されやすい生き物だ。もし、不安や恐れ、怒りといったネガティブな感情に支配されていると、どんなに論理的に考えても、その選択は偏りがちだ。ネガティブな感情に引っ張られると、見えるべきものが見えなくなり、最良の選択肢を逃してしまうことがある。それを避けるためには、まずは自分の心を整えることが先決だ。「いつも笑顔でいるべきだ」という言葉が、単なるお世辞や表面的なアドバイスでないことを、実感する時が来る。決断を下すとき、心が軽やかであれば、視野も広く、心の中に余裕を持つことができる。それが、複雑で難しい決断をする際に、最も重要な要素となるのだ。結局のところ、私たちが歩むべき道は、決して一度きりの決断で決まるわけではない。選択肢を切り捨てる度に新しい道が開け、失敗もまた新たな経験となって、自分を成長させる。そして、そのすべての選択において、心の在り方が決定的な影響を与える。だからこそ、人生の中で最も大切なのは、どんな時でも心穏やかで、上機嫌でいることだ。それが、どんな困難な選択に直面したとしても、最良の道を切り開く鍵となる。
2025.04.06
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良きリーダーとは、決して常に確信を持って突き進む存在ではない。むしろ、自身の中に渦巻くさまざまな価値観、感情、そして未来への不安と丁寧に向き合い、誰にも見えない場所で何度も問い直し、葛藤し、沈黙の中で自問自答を重ねている存在なのかもしれない。けれども、そうした「内面の対話」は外からは決して見えず、また語られることもない。周囲の目には、迷いのない決断や大胆な行動だけが映り、それゆえにリーダーは「楽観的」あるいは「自信に満ちた人物」とすら思われることもあるだろう。だが、その実行力の裏には、静かに、そして誠実に重ねられた思考の積み重ねがある。自分の選択に責任を持つ覚悟、誰かの希望になろうとする意志。そうした見えない対話こそが、リーダーをリーダーたらしめている。本当のリーダーシップとは、迷わないことではない。むしろ、迷いながらも歩みを止めず、誰よりも深く悩み抜いたうえで、それでも一歩を踏み出す力なのだ。そうして下された決断には、誰かの声が確かに宿っていて、だからこそ人はその背中に信頼を寄せるのだろう。高校生 大学入試小論文・面接「リーダーシップを問われた時に考えるべき4つのポイント」
2025.04.06
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夢に取り組むことは、単なる目標達成のための道筋ではなく、私たちの心に安定と充実感をもたらす大きな力となります。夢を追いかける過程で得られる成長や自己肯定感は、日々の悩みを軽減し、心にポジティブなエネルギーを注ぎ込みます。このブログでは、夢に取り組むことがどのように私たちの心を安定させ、人生に充実感をもたらすのか、その魅力について考えていきたいと思います。夢に取り組んでいる人は悩まない・気分がいいこと夢に向かって一歩を踏み出した瞬間、私たちの心は次第に軽くなり、前向きなエネルギーに満ち溢れます。夢に取り組むことは、悩みを減らすだけでなく、心を豊かにする力を持っています。もちろん、困難な時もありますが、それでも夢を追いかけることは、私たちにとって大きな支えとなり、気分を高める要素となるのです。まず、夢を追うことで悩みが軽減される理由は、目標が私たちの思考を集中させるからです。自分が何を目指しているのか、どんな道を歩んでいくのかが明確になると、無駄な心配や迷いが減ります。迷っている時間や余計な悩みを気にしているよりも、その夢に向かって一歩踏み出すことで、心の中で積み重なる不安が自然と薄れていくのです。さらに、夢に向かって進む過程そのものが、私たちに充実感を与えてくれます。小さな成功体験や進歩を実感するたびに、自己肯定感が高まり、自信を持って次のステップへ進むことができるようになります。その結果、心が穏やかになり、日々の生活がより鮮やかに感じられるようになるのです。結局のところ、夢に取り組むことは、ただ単に目標を達成するためだけでなく、心の平和を保つための重要な手段でもあります。夢に向かって進むことで、悩む時間が少なくなり、毎日がより充実して感じられるようになるでしょう。【単行本 全5冊セット】夢をかなえるゾウ / 水野敬也 (文響社)|自己啓発 小説 ガネーシャ 全巻 セット 送料無料
2025.04.05
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主体性を持って行動するためには、まず仕事を「自分ごと化」することが大切です。仕事を他者や外部から与えられたものとしてではなく、あくまで自分が関わるべき課題として捉えることで、より深い責任感が生まれます。「自分ならどうするか」と自問自答しながら取り組むことで、受け身や指示待ちの態度を脱却し、自らがリーダーシップを発揮する場面が増えていきます。この「自分ごと化」のプロセスは、単に成果を上げるためだけでなく、自己成長を促すためにも不可欠なものです。自分の行動に対して責任を持ち、積極的に関わることで、次第に自分自身の力を実感できるようになります。そう思っています。(参考)リーダーシップとは【大学入試小論文】リーダーシップのあり方小論文の完全ネタ本改訂版 社会科学系編 [ 神崎 史彦 ]
2025.04.05
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とにかく、時間の使い方が下手な僕は、 授業すること、準備すること、人に会うこと、読書すること、勉強すること 食事すること、身支度すること ブログを書くこと。 これで1年の99%が埋まってしまいます。 遊びにいったり、旅行にいったり、休日をとることがありません。 あと数年もすれば、旅にも出たいと思っています。 今日は、もう一つの会社のCTOのブログより抜粋 ----------------------------------------------- 仕事はなんのためにするのでしょうか。 遊ぶお金のために仕事をする。 生きるために仕事をする。 家族のために仕事をする。 仕事を仕方なくやっているというニュアンスで動いている人が大勢いるように思えます。 私の考えでは、仕事は何かのためにするものではありません。 ■仕事と遊び 友人と仕事の話をするとき、 仕事は絶対に家でやりたくない! 仕事が終わったら遊ぼう! というような会話が聞こえます。 仕事は労働の対価として、お金をもらうもの。 という考えの人が多いのでしょう。 確かにそうではあるのですが、仕事は仕事と割り切って区別するという考えは、私は苦手です。 たとえばアルバイトをしていたときも、経営者として生活している今も、 仕事と遊びの境界は非常に曖昧で、金銭が発生する行為自体が面白くて、 遊びとなんら変わらない感覚でやっています。 こういうと、真剣にやっていないように見えてしまうかもしれませんが、 逆に、遊びと呼ぶであろう金銭の発生しない行為でも、 面白いと思ったものは一層真剣に取り組みます。 遊びだろうと、なんだろうと負けたくないものは負けたくないし、 どうでもいいことはやりたくありません。 ただ、その楽しいと思うことの中で、 金銭の発生することをやれば、それが仕事になります。 責任がない行為が遊び、責任があり、金銭が発生するから仕事でしょうと、 反論がありそうですね。 しかしそうではなく、「遊び」も極めると金銭が発生することが大多数だと思います。 面白いことはこの世に無限にあるのですから、 その中で金銭が発生する可能性のある「遊び」を取捨選択できれば、 必ず面白い遊びがそのまま仕事となると思います。 ■勉強と遊び 学生の時には、上述の考え方の仕事が勉強に当てはまるだけです。 これは両親に感謝しているのですが、幸運にも環境的に勉強をすることを 義務化されていませんでした。 しかし、一般的に学校では、小さいときから、減り張りとして、 積極的に勉強と遊びの区別をつけたがります。 これがどこかで「勉強はきついこと」という考えが定着させていくのだろうと思います。 現在の学校制度では難しいとは思いますが、 楽しいと思えるタイミングで勉学に手をつけられる、 そんな学制を生んでいきたいです。 そうすればもっと仕事に対するネガティブイメージが少なくなり、 日本の活気が増すのではないでしょうか。 少なくとも生徒たちには、勉強や仕事は苦しんでやるものではないということを 少しでも理解してもらえるようにこれからも努力していきます。 -------------------------------------------------------------------- あたりまえをちょっと上げる。 女性が、高いヒールの靴を履く感じでしょうか。 見える世界は、違ってきます。
2014.12.22
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いつも効率性に重きを持ち どこかスマートに生きているような気がしてならない人との出会いも多い。 小学生~大学生。 すべての年代の学生と接している僕にとって、そう感じる場面も 少なくありません。 そして、自分の思い通りなることがいい人生。 裏を返せば、思い通りにならないことに対する耐性がない人たちも少なくありません。 これは、何も子供たちに限ったことではないかもしれません。 最近、まもなく就職活動に入る大学3年生との話す機会も多い。 就職は、彼ら彼女らにとって、人生で最も大きな選択になるだろう その活動にあたって、ある人のメッセ-ジを改めて送りたい。 以下抜粋 ------------------------------------------------------------------ …… しかし選考の中で少し不思議に感じることが出て来ました。 わが社を受けてくれる学生は皆、とても優秀で頭もよく、 グループディスカッションも上手にこなします。 でも何か不思議と違和感がついてまわるのです。 この違和感とは--? どうも、学生の皆さんが、会社を受けた理由を自分の言葉で説明していないように感じるのです。 中には「どうすれば受けが良いか」だけを気にした振る舞いをする人も増えています。 採用は、学生と会社が互いの相性を見極めるプロセスなのに、 なにか装ってしまっていないだろうか?偽っていないだろうか? 互いに素を見せ合っているのか。そんな疑問が大きくなって来ました。 まず私たちについて考えてみると、反省するべき点が思いあたります。 誰にとっても最高の職場、という間違ったニュアンスを伝えていなかっただろうか、ということです。 「永久ベンチャー」を標榜し、互いに高い意識を強く求めるチームDeNAは、実際は、 あわない人にはとても辛い職場になります。DeNAは万人にとって良い会社ではありません。 そのことをまずお伝えするべきだと考えるに至りました。 DeNAは、ただ優秀なだけでなく「思考の独立性」「逃げずにやり抜く力」が 抜きん出て強い人には最高の環境、最高のチームだと思います。 しかしそうでない人には良い環境とは言えません。この点について少し説明させてください。 ■「思考の独立性」 「こと」に向かう姿勢に一点の曇りもないメンバーが、それぞれ独自の考えを出し合って 事業を推進して行くことを何よりも重視しているDeNAでは、場の雰囲気や権威に影響されずに、 本当に独立した自分の考えを導きだせるか、そしてそれを発信できるかが高い次元で問われます。 権威のある誰かにおもねった発言や思考は論外ですが、同時に、正解を求めがちな人、 正解がかちっと決まっている環境でないと居心地が悪い人にも向かない会社です。 議論をしていても、自分の腹からの思いを問うのを忘れて、いつのまにか、 どういう発言をするのが正しいのか、何があたりか、を考えてしまう癖のある人は、 当社では、その癖を取り払うまでチームの尊敬が得られず、スタート地点で大きく出遅れてしまいます。 ■「逃げずにやり抜く力」 どんなに頭がよく、スキルが高いエリートであっても、 逃げずに最後までやり抜く力がそこそこな人には向かない会社です。 スマートな人よりも泥臭い人が向いているとも感じます。 成功のモデルを自ら壊してでも次に向かうDeNAには逆境はつきものです。 逆境に耐えられる、では不十分で、逆境をむしろ楽しんで乗り越えるタイプの人でないと厳しい職場です。 …… (抜粋了) ---------------------------------------------------------------- DeNA創業者の南場さんのメッセ-ジですが、まったくもって 僕も実感している1人です。 「自分の言葉で語る。」 これができていないなあって子は、成績優秀な子にも多い。 高校や大学推薦対策などするときに、そう思うときは少なくありません。 子どもたちの責任でもないわけですが…。 大学3年生のみなさん、この時期は、相手(企業)を探して知る前に、 自分のことをもっと知ることも大切だと思います。 そして、何か初体験をして、まだ見ぬ知らない自分を発見することも、 同時に大切だと思います。 その初体験の数を増やしていくことが、実は、企業や人と出会うチャンスに なるかもしれないのです。 就職活動は、探すことでなくて、引き寄せるものだと思っています。 ”サイトエントリ-をして、面接を受けて”というのが就職活動の全てではないのです。
2014.12.13
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季節の空気が少しずつ冷たくなるこの頃、私たちの教室にも、またひとつ特別な空気が流れはじめます。ハイレベルクラスでは、高校の内容にも少しずつ触れながら、特に英語や数学において、ぐっと深い学びへと進んでいきます。手応えを感じる生徒もいれば、思わぬ壁に立ち止まる生徒もいます。それでも、誰もが確かに、一歩一歩、前に進んでいます。この時期は、受験生にとって、心・技・体すべてのバランスが大切なとき。心は焦りや不安に揺れ、技は日によって冴えたり鈍ったりし、体は疲れが溜まりやすくなる。完璧な日など、ほとんど訪れないかもしれません。それでも、今日の自分を受け入れることが、何より大事です。今日の調子が良かったとしても、悪かったとしても、それらすべてが、未来の自分を形づくる大切な「経験」になります。泣きたくなるような悔しさも、なぜか力が湧いてくるような喜びも、すべてが「物語」の一部です。そしてその物語は、きっと、数か月後、数年後に、大きな感動を呼び起こすでしょう。そう考えると、不調すらも、愛おしく思えてきます。うまくいかない日があるからこそ、自分に優しくなれる。誰かの苦しみに、そっと寄り添える。そんな人に、きっとなれるはずです。一方で、高等部では、指定校推薦で進路を決め、次のステージへと旅立っていく仲間たちもいます。顔つきが少し大人びて、背中には未来への覚悟を感じる――そんな姿に、こちらまで胸が熱くなります。そして、あとひと月もすれば、中学受験を皮切りに、本格的な受験シーズンが始まります。教室中に、緊張と期待が入り混じった独特の空気が広がり、一人ひとりの物語が、いよいよクライマックスへと向かっていきます。受験というと、「戦い」とか「勝負」といった言葉が浮かびがちですが、私はこの季節を「楽しみな季節」だと思っています。努力を積み重ねた人にしか味わえない、特別な時間。壁にぶつかっても、うまくいかなくても、最後の最後まで、自分を信じて歩み続ける。その姿こそが、本当の「成長」であり、本当の「強さ」だと、私は信じています。小さな今が、大きな未来をつくる。今日の一歩が、未来の自分にとって、かけがえのない一歩になります。だから、大丈夫。今日もまた、あなたの物語が一歩進んだのだと、優しく胸を張っていきましょう。
2014.12.08
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ハイレベルクラスは、土曜日は、実力・公立の過去問 月曜日は、様々な私立の過去問の演習に入っています。 私立の過去問で、常時8割の正解率です。 もう少し、完成度を上げ、特奨での合格を確実にしていきたいと 思っています。 一方で、高校3年生も、ラストスパ-トに入っています。 みっちり学習しています。 頑張ることは当たり前。 どう頑張りをカタチにしていくか。 それが問われる2か月となることは、 それぞれがわかっているようです。 そういう姿を見て、中学1、2年生。 特に、中学2年生は、影響を受けているようです。 それを不安に思うのでなく、希望や憧れにする 心の持ちようがまた素晴らしい。
2014.11.24
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やってみて、初めて感じることはたくさんあります。 だから、何でも自分でやってみるのは、とても大切なことです。 お金を払えば、ほとんど何でも手に入る世の中だけれど、 あえて自分でやってみることから始めてみる。 まだ世の中にないものものを作ってみても構わない。 でも、最初から、うまくいくことなんてありえないし、 できないことだってあるかもしれない。 やってみて、初めて、それを作った、やり遂げたその人たちの苦労やこだわりが わかるってものです。 たとえば、買えば簡単に手に入るものを自分で作ることによって、 それが、その値段で買えることに対する驚きと感謝はそれ以前よりも深くなります。 そうやって、やってみることの数を増やす人生にするだけでも、 感動と感謝が多い人生になります。 人生は1度きり、なんでもやってみることのできる人でありたいと思います。
2014.11.19
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次々に会社を設立理由は、 (1)挑戦こそリスクヘッジだということ → 挑戦自体の信頼を回復したい (2)雇用の創出 → 卒塾生と一緒に挑戦したい (3)様々な分野や領域で新しい当たりまえを作っていきたい → 幸福度の最大化を目指したい ふつう、僕たちの状況(お金、コネ、機会)では、起業するなんて考えもしないだろう。 それでも、起業に向わせるものがあります。 それは、確固たる何かというよりも、漠然とした希望です。 無謀なことはたくさんいるようですが、 挑戦している人は、意外に少ないと感じています。 挑戦ということを改めて、再定義することも 僕たちの存在意義になりうると思っています。 (追記) 学ぶことに、やる気が必要だということは、真実でないという 実感している塾生が本当に多くなってきました。 思考停止になっている多くの事柄を、少し視点や発想を変えてみてみる。 まったく違った景色が見えます。
2014.11.18
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2学期期末テストの結果も続々かえってきています。 修猷・城南を狙うハイレベルの塾生たちは、問題なし。 100点連発に、さらなる最高得点をとってきています。 解いてきた量とバリエ-ションの賜物でしょう。 あたりまえの次元が、上がったのかなあって実感しています。 学び方を学び、自分スタイルを確立できた塾生たちです。 入塾して、最初のテストを迎えた塾生たち。 上がって当然です。 少しフォロ-が必要なのは、 前回、点数が上がりすぎて、少し反動がきた塾生たち。 単元的にも、全学年の積み上げが必要だったことも影響しています。 国語、数学、英語は、この冬から春にかけて、 じっくり鍛えていく時期です。 (追記) 定期テストや受験を、どうとらえているかです。 通過点なのか、到達点なのか。 受験生だからと言って、周りが、必要以上に そこまで囃し立てたり、また、環境を整えてあげる必要は ないと思っています。 だから、受験生、習慣を変える必要はありません。 お風呂の掃除当番をやってきたのであれば、それもやる。 習い事もやってきたのであれば、それもやる。 実は、そういうことも、受験には必要だと 僕は、そう思っています。 心が鍛えられたり、心が整えることができるからです。 それが、生きる力となっていきます。
2014.11.17
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今日は、スタッフを連れて 福岡や唐津のいくつかの商店街を訪問しました。 いろいろな思いを抱く一日となりました。 最後は、卒塾生のアレンジで 以前から、お名前は存じあげていた 街づくりをトータルでコーディネートしている リーダーである女性と、その方が経営しているお店で 会食を持ちました。 コンセプトに感銘を受けたのと 店舗のデザインほか、言葉のデザインなど 参考になることばかりでした。 そして、なんといっても、人生ストーリー。 どうしても情熱溢れる人たちとの出会い うれしくなるものです。 来年度に向けて、楽しいコラボレーションができそうです。 出会うべくして出会えたなあという方でした。 情熱溢れる今を生きる力を持っている人たちとの出会いを通して、 生い立ちや志やストーリー(経験)をお聞きするなかで ある種の共通点を見出すことができています。 多いに保護者様や塾生たちにお知らせできるたくさんの種を 持ち帰ることができています。 日々進化を続けている僕たちに、引き続きご期待ください。
2014.11.16
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来春に、また一つもしくは、二つ会社を生み出す予定ですが 今年4月に設立した株式会社TRe:E(ツリ-)は 初年度から税引き後黒字化が達成が可能なほどに 期待を集める企業として芽を出し始めています。 今日は、そのTRe:EのCEOのブログより抜粋です。 九大を休学し、事業に専念している、情熱溢れる21歳の青年です。 なぜ、彼がCEOを務めているのか、わかるような記事ではないでしょうか。 --------------------------------------------------------------- 「お前の情熱が足りないから、プロジェクトが動かないんだ! 」 一ヶ月くらい前の記事ですが、この孫社長の言葉にとても 心うたれました。 ( 引用 : 「ペッパー」が呼び寄せた異能の”トヨタマン” ) ツリーでは、現在様々な事業に取り組んでおりますが、 この記事を読んだとき、僕自身が特にコミットしている事業を なかなか進展させることができずにいました。 もちろん0から1を生み出す事業なので そう簡単にはいきませんが、 経営者としてまだまだ未熟な僕が押し進めていくには かなり問題が山積していました。 そんなとき、孫社長の 「お前の情熱が足りないから、プロジェクトが動かないんだ! 」 という言葉に出会って 事業がなかなか進まないのは、僕が経営者として 未熟であること以前に情熱がまだまだ足りていないからだということに 気づきました。 僕たちは、ベンチャー企業です。 ベンチャーか否かは様々な観点から語られますが、 現在の僕は、企業に本気で社会に新しい価値を生み出そうという気概が あるかないかだと思っています。 その本気というのは、ただ単に口で言ったり思ったりするだけではなくて 日々の行動に当たり前に体現されているレベルまで昇華されていなければ いけないと思っています。 ベンチャー企業が志半ばで中小企業へと変わっていくのは 事業がなかなかうまく進まない段階が続いたときに、 どこか妥協が生まれ、社内の当たり前の水準が下がることにあると思います。 ( 大企業になっても同じです。) 以前にもブログ( 点。)でも触れましたが ツリーには年齢もバックグラウンドも異なる人が集まっていて 考えていることもそれぞれです。 それぞれ考えがあるなかでも僕は チームとして共有している純粋なものや化学反応が起こるその空間が好きです。 そしてこれからは、 自分たちが本気であり続けることはもとより ツリーという会社が志しているものを 実際に社会的価値に変えていくために ツリーに関係する本気の人を増やしていきたいと思っています。 僕たちを通して心に火が灯った人が 聖火リレーのようにまた違う人に本気を伝播していけたら 尚いいなとも思っています。 様々な事業を様々なプロジェクトリーダーが 本気で押し進めている僕たちですが どのリーダーも共通しているのは 「 プライドの先には、いつもチームがある。」 ということです。 ベンチャー企業 TRe:E これからもがんがんいきます! 代表取締役CEO 齋藤 ----------------------------------------------------------------------------- 代表取締役CFOとしての僕の立場は、 お金の管理とコネクティング。 毎月、売上高(期待値)が上がっていっているのがわかります。 人のコネクティングも、決定権を持つ人との出会いが増えています。 来年度は、さらに新しい当たり前や身近な幸せを再認識できるサービスやコンテンツを 次々とロ-ンチできそうです。 そして、来春また違った事業にも投資をし、新しい会社が生まれます。 今度のリーダーは、女性。 きっとすばらしい会社がまた、一つ生まれるでしょう。 そして、さらに、もう一つも…。 この学び舎をはじめ、ツリ-、次なる会社。 僕が関わる企業体が、それぞれがシナジ-を生んでくれればと思っています。
2014.11.15
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昨日は、弊社にて、お昼よりビッグプロジェクトのミ-ティング。 それぞれの会社の命運を握る大の大人9名が、未来について 語り合う。 幸福感を味わえるひとときでした。 先方の社長さまの 「すごく楽しい!」と言ってくださった言葉は、 僕たちにとって、非常に勇気づけられる言葉でした。 また、今回僕たちをチョイスしてくれた会社の幹部の方も 「十数年来の夢が実現できそう!」と言ってくれたことも 僕たちにとって、責任と同時に、やりがいを見出してくれました。 いいモノがつくれそうです。 (追記1) ここ数年、肌で感じでいることは、 「大企業は、イノベーションに飢えているということ」 僕たちの当たり前が、世間にとって「新しい常識」となって 受け入れ始められているとそう実感しています。 (追記2) 塾生や卒塾生に、はたらく(傍楽)っていいぞってことを どんどん感じてもらいたいと思います。 一緒にやってみたいという子もチラホラ。 希望や憧れを持って、勉強している子どもたちの未来は明るいと そう信じています。
2014.11.13
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多くの経営者とお会いして思うのは、 競争しているなあということです。 最初から競争は捨てた僕たちとは 当たり前や常識が少しかけ離れてしまっています。 今日は、もう一つの会社のCTOのブログより抜粋 ----------------------------------------------------------------- 私たちのサービスコンテンツの一つであるRe:fは、現場の意見やIT教育の流れを 見ながら少しずつ成長しています。 これから、私たちのサービスがより大きくなるために、まだまだ解決すべき課題が多くあります。 Re:fは成長してきてはいますが、まだ市場に多く出回っているわけではありません。 大きな可能性を秘めているサービスではありますが、 これからの扱い方によっては小規模サービスになってしまう可能性があります。 まだまだ小さなサービスであるとき、当たり前ですが売上が多いわけではありません。 だからといって、早く売上を大きくしたいと考えて、 売り方や見せ方ばかりに力を使いすぎるのは、 逆にサービスのイメージや質を落としてしまい兼ねません。 サービスを提供するにあたって、サービスの見せ方や売り方というのは非常に重要な要素であり、 これだけでサービス提供数が大きく変わるでしょう。 しかしながら、これは販売の方法であり、 私たちの目指すサービスに近づいているわけではありません。 特に私のような技術者には、見せ方に頼りすぎることはあってはならないことです。 いかに見せ方が上手くても、サービスの質が追いついていなければ すぐに使用者は減ってき、短期的には売上が上がっても、大規模サービスとなることはありません。 その大きな原因は、私たち経営者の心、精神力だと思います。 いかに売上が小さくとも、サービスの質の向上だけは絶対に疎かにしないこと。 サービスはサービス単体で感動されるまで作り込むこと。 経営者のベクトルが売上向上一点張りにならないこと。 周りの多くの人に理解されなくても、本質だけは崩さないこと。 私たちは販売の仕方は販売担当(教材会社さんなど)に任せて、 無理に売上を大きくするための策を考えない用に自分自身を戒めています 耐えること、自分を信じること、私たちの一番力を入れるべきことはこれに間違いないでしょう。 抜粋了 ---------------------------------------------------------------------------------------- もう一つの会社は、全員が僕より年下ですが、 現時点において、僕の能力は、人間的にも、専門性においても 足元にも及びません。 僕ができるのは、コネクターとして、うまく結び付けていくこと。 みんなとマネ-、みんなと人、みんなと仕事を結びつけることが 僕が、今できる仕事だと思っています。
2014.11.08
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遠方からの来塾者、続々。 昨日も、朝からはるばる遠方より来塾いただき とある歴史のある株式会社代表取締役の方と副社長の方との 3者会談がありました。 巨大プロジェクトになるであろう案件についての会談でした。 あっという間の3時間半でしたが、 大変有意義な時間となりました。 センスの感度が同じなところが盛りだくさんでした。 見ている先が、「今と未来」。 勉強量と経験量が豊富な方々の会話は、ウキウキでした。 僕にとってもたくさん、参考になる部分も多く、 さっそく、今日から試しています。 そして、何よりありがたいのは、僕たちみたいな若造軍団と一緒に組んでくれるということ。 先方も、組んでくれることを、感謝していただいている。 まさしく、相思相愛の中、プロジェクトは一歩を踏み出します。 「誰」と「何」の仕事をするか。 これを選択できるのは、起業家の特権事項の一つです。 (追記) 昨年のKDDIのみなさんとQuipperのみなさんのGAKUMOプロジェクトに 参画して以来、僕の中で何かがまた変わった気がしています。 他社と組んでのプロジェクト。 このワクワクは、たまりません。 完全にハマっています。 今度のプロジェクトは、最重要ポジションでの役回りです。 動くお金の大きさも違います。 お金の大きさ=期待の大きさであるという価値観のもと その期待の大きさを上回ることが恩返しだという肝に銘じ このプロジェクトを成功に導いていきたいと思っています。
2014.11.06
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業者が行う県の実力テスト。 55点(60点満点)の壁を突破する塾生も増えてきました。 目に見えることは決していない耐性がついたからだと思っています。 勉強も、スポ-ツと同じように テクニックや体力だけでは限界があります。 心技体と言われるように 実は、勉強も心が大事。 心の在り方 心の持ちよう 心の筋肉 僕たちは、そういう側面も鍛えているつもりです。 (追記) 教育の在り方にイノベーションを もう一つの会社では、テクノロジ-の側面から教育を見つめ直しています。 僕たちがいつも自問していること。 「多くの人が、反対している、または批判している事象の中に、 別の真理(新しい常識)を見出せるか」ということです。 3つのプロジェクトが進行していますが、その中の2つは、 まさに、新しい常識を確立しようとする挑戦です。 ゼロから1を生み出そうとしています。 もうすでにあって、それをコピーをして展開しようとするものではありません。 そういうことが好きな人が集まっているチームです。
2014.11.03
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何かを始めるとき、その当事者は、成功しそうだと分析をして始める人は圧倒的に多い。 何かを始めるとき、それを聞いた傍観者は、成功するの?失敗するの?と聞くことが多い。 僕たちは、成功するか?失敗するか?という発想は、まったくなくて、 それは社会にとって重要なことだから。という、ただそれだけの発想で、行動を起こします。 僕たちは、今、2つの大きなプロジェクトと1つの巨大なプロジェクトを抱えています。 この3つのプロジェクトも、同様です。 今がワクワクドキドキで、未来を想像するとウキウキしてしまうそんなプロジェクトです。 なにかと論理や分析と称した知識をならべて、行動しない天才よりも、 僕たちは、希望や挑戦をたよりに行動するバカを選んだわけです。 (追記) 今日も、はるばる、来塾の方々がお見えになりました。 何かを生み出そうとする時間の共有は、ワクワクするものです。 加えて、職人であり、プロデュ-サ-であり、経営者であるという うれしいお言葉をいただきました。 期待を越えられるよう一ひねりを加えたいと思っています。
2014.10.30
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「人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。」 パスカル とかく、わからないもので出くわすと非難しがちです。 当事者であれば、一歩を踏み出すことができない人が多いです。 子育てでも、同じようなことは、少なくありません。 自分の子どもが、何か新しいことを始めようとすると とりわけ、自分がやったことがないようなものは まず反対してしまう親が多いような気がします。 挑戦することには、いつも問題点は多いです。 商品がなんでもそうであるように、売り出されて後も、 改良されて、バージョンアップされて、 よりよいものが作られていきます。 子育ても、そうではなかろうかと思います。 結局、社会に出ると、失敗体験がモノをいうときがたくさんあります。 これくらいの失敗は、あのときに比べれば…。
2014.10.30
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今日は、午後から アルクテラス株式会社の取締役副社長兼 COO/CFO 白石由己さんが 今回、コーディネートしてくれた人と来塾されました。 今年同じ業界で一番の出会いとなりました。 意気投合するまでに、時間は必要ありませんでした。 勉強されているなあ。 挑戦しているなあ。 情熱があるなあ。 がわかるんですね。 感度のレベルが同じというか 波長がうまく合うというか 着眼点や方法論が180度違っていても それでさえも、心地がいい。 かえって、そういう方法もやってみようかなあ。 または、ミックスすると、こういう手段もあるようなあ。などと 話の中で、思考の組み立てができるというような感覚です。 明日も、お会いすることになっています。 コンテンツを実際に触らせてもらう予定です。 (追記1) コンテンツ開発において、僕たちの一歩も、二歩も先ゆくアルクテラスですが 将来的に、いいライバルとなれるよう、一段と僕たちの成長スピードを 上げていきたいと思っています。 (追記2) 今日の出会いで、授業論について、僕に新しい視点が加わりました。 早速、思考実験をし、試みたいと思っています。 教育も、授業も、まだまだ奥が深いなあって、うれしくなります。
2014.10.28
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その昔、ヘンリー・フォードが 安価で信頼できる車を大量生産しようとしたとき、、 多くの人々は、馬で十分じゃないかと言い、反対していました。 多くの人は、変化することを拒んだわけです。 教育の世界では、ほんの小さな変化を加えるときでも、大騒ぎです。 35人学級か、40人学級でも、大きな問題です。 今の時代、これからの時代、実は、教育の分野においても テクノロジ-に任せられる部分は多いです。 採点やその分析などは、テクノロジ-の方がより正確で、より処理速度が 数倍にもなります。 授業の一部においても、テクノロジ-が活躍できる部分は多いです。 教育業界においても、テクノロジ-がもう少し活躍できる環境が 整わないものかと思う今日この頃です。 (追記) まだまだ、手書きのテスト問題や切り貼りの問題も少なくない定期テスト問題。 少なくともエクセル、ワードがもっと活躍できるくらい、 教育者の勉強も必要なのかもしれません。
2014.10.27
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読書の秋です。 その理由で、本を読むのではなく、ぜひ本を読むことを 習慣にすることをお勧めします。 「毎日1冊。」これは、僕の読書の習慣です。 最初は、「1週間で1冊」や「1日15分」でも それぞれのスタイルに合わせて読んでいければいいんじゃないかと思います。 読書は、多くの発見や出会い 読書は、これまでの僕に対してだったように、これからも僕に対して 多くの出会いをもたらしてくれるだろうと思っています。 そして、僕には、毎日読書をする使命があります。 それは、毎日、号令のとき、塾生たちのために 「どう解く?」の講話があります。 1冊の本と伝えたい資料作り(大画面に表示用)でだいたい120分。 それを、号令の講話では、120秒に凝縮して伝えています。 「120分が凝縮された120秒。」 誰でもできることを、誰でもできないくらいにする。 僕の中で、誰よりも塾生たちや日本の教育のことを考えているという 自負している限りは、教育業界に居座り続けようと思っています。 逆に、それができなくなったときが、身の引き際だと思っています。
2014.10.26
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修猷館高校・城南高校受験組は、 ある程度、完成された状態です。 いいなあと思うのは、それぞれが学びのスタイルを確立できていること。 塾生一人ひとりが、黙々とペンを走らせている姿を見ることは、 僕自身の至福の時の一つです。 日本の未来を担うと信じてやまない塾生とそういう時を共有できたことが 僕の誇りです。 これから受験までのさじ加減が、こちらの腕の見せどころ。 この時期、志望校を上げてくる塾生が多くなる時期です。 これまでやってきた努力の自信が、テストの結果によって確信に 変わるころだからです。 志望校といっても、限られた学区内であの選択となります。 よりベターとなる選択を、塾生にはしてもらいたいと思っています。 僕たちの共通認識において、 高校に行く理由は、ただ一つ。 それを、どの高校で、体感したいのか、経験したいのかは やはり、学校見学にじかに行くことだと思っています。 (追記) 最近、午前中は、あらゆる業界の方をお会いすることが多いのですが、 先日、思わず、スカウトしてしまった方が来られました。 もし、僕たちのバスに乗ることになったら、ビッグサプライズになりますが、 僕たちが、そこまで惹きつけられたことを、 面接対策で、塾生に伝えていきたいと思っています。
2014.10.22
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今日は、もう一つの会社のCEOのブログより抜粋 伊達にCEOをやっているわけでないその仕事ぶりには 頭が下がるわけですが、書いていることも素晴らしい。 僕にも、21歳というときがあったわけですが、 彼は、21歳にして、すでに株式会社を立ち上げ、 実績を積み重ねている辺りをみるとすごいの一言です。 きっと将来、日本を代表するような会社になっているんじゃないかなあと 他人事のように思えてしまうくらいです。 それでは、彼のブログより ----------------------------------------------------------- 題目:行いて余力あらば、則ち以て文を学ぶ。 だんだんと寒くなってきた今日このごろですが、 僕と同じ年齢の友達は企業にインターンに行ったり、 就職試験に備えようとしている人が増えてきました。 そのなかで前から気になっていたことは、文系の学生がほとんどですが 資格を取ることにすごい執念を燃やしているということです。 確かに資格を持っているということは、 一定の技能があることを証明するものなので、 就職試験では持っていた方が有利なのは分かりますが、 資格をとるということに固執しすぎるのはいかがなものかと思います。 実際に資格を持っているだけでは、何かを成し遂げることはできないからです。 資格を持っているということは、あくまで証明であって 就職や社内プロジェクトの抜擢などでは役立ったとしても、 何かを実行していくとき、それも数日、数週間という単位ではなく 長期的になにかを成し遂げていくというときには、資格や学歴、 ひいては技能でもなくてその人自身が如何なる人間であるかということこそが 大切になってくると思います。 とりあえず最初の関門だけ突破出来るようにしておく。 というのも分からなくはないですが 技術や資格ばかりではなくて、責任感、実行・推進力、決断力等、 もっとその人の人間としての部分にも注力していくことも大切なのではないかと思います。 一口に人間としての部分に注力するといっても、 何をどうすればいいのか、と思うかと思いますが 一つの方法としては、当たり前のレベルをあげること。 当たり前のレベルが高い集団に飛び込むことだと思います。 弊社では、当たり前の水準を高くしておくというのは共通認識で それこそ当たり前になっていますが、僕自身としては共同創業者の2人から学びました。 自分が当たり前だと思っていることが、実は当たり前でないということも多く 当たり前の水準を高く維持している集団では個人個人が当たり前の水準を上方修正します。 これは、当たり前の水準を低くしている集団に属すると 個人個人が当たり前の水準を下方に修正しようとするのもまた同じことです。 自分が何を志しているのか、何を成し遂げたいのか。ということは勿論大切ですが 誰と一緒に働くか、どの集団に属するか。ということも同じくらい重要なことだと思います。 最後に、学歴や資格はその習得までの一定期間の努力と技量を示すものです。 それは誰もが出来るわけではなく、当然評価されるべきです。 しかし、それにあぐらをかくようなつまらない人間になってはいけないと思います。 常に前を見据えていなければいけません。 (追記) 今回のタイトル:行いて余力あらば、則ち以て文を学ぶ。これは孔子の言葉ですが、 若者というのは家では親孝行をして、外では年長者を敬わなければならない。 さらに慎み深く誠実でありながら区別なく人々を愛し、 人格者と親しく付き合って彼らを手本にしなければならない。 それだけのことをした後に余力があったならば、そこで学問を学ぶべきである。 という意味です。 学歴や資格がその人を形容するかのような時が 就職試験をはじめとして多々ありますが 他にも大切なことはたくさんあると思います。 ----------------------------------------------------------------------------------- 九大に通い、会社を立ち上げ、日々自己研鑽を重ねた結果 僕たちがまだ見ぬ世界を、彼がまた創造してくれようとしています。 来春、また新しいサービスをリリース出来そうです。 僕たちの学び舎も来春で7期目に入ります。 1期生が、大学3年生となり就職活動を始める頃となります。 恩師のところで受け持たせてもらったハイレベル世代も 社会で活躍しています。 社会人になろうとしている卒塾生と社会で活躍している卒塾生との 何かコラボできるプロジェクトも着々と進んでいます。 成功とか、失敗という次元を越えた、ワクワクドキドキつまり、 思わずウキウキしてしまうことをやりたいと思います。
2014.10.20
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起業のきっかけは何ですか。 挑戦しようと思ったきっかけは何ですか。とよく聞かれる。 そんなものはありません。 世間はわかりやすい言葉を求めますが、人の人生は、人それぞれ、もっと複雑です。 「きっかけ」を聞いて何になるだろうか? 「きっかけ」なんて探すのはやめた方がいいよと、 僕はいつも後輩たちにアドバイスしています。 「きっかけ」や「やる気」などは、誰かに入れてもらうものでもなく しかも、探しても見当たりません。 目の前にある やりたいこと、やるべきこと、やってみたいことを 精一杯にやりつづけることが、 僕や僕たちを、実は、夢が叶えてくれたということになります。 夢を叶えるのでなく、夢が叶えてくれたわけです。 これからも、夢たちが僕たちを選んでくれるような生き方を日々続けていきます。
2014.10.19
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中途半端にやるより 精一杯やったほうが、疲れない。 なんでも、中途半端な人は多い。 これは、学生に限ったことでなく、 子育てをしている大人たちにもあてはまる。 やっかいなのは、そんな大人が、自分のことは棚に上げて 子どもには、頑張らせようとしている人も少ないことです。 極論ですが、目の前の人たちは、自分を写す鏡だということを 肝に銘じて、コトを全うしたいと思います。 ---------------------------------------------------------- もう一つの会社のCTOのブログより抜粋 私達の高校生専用教室において、また非常に嬉しいことがありました。 1学期では真ん中くらいの成績だった高校1年生の生徒が、 最近のテストで数学学年1位を取りました。 もちろんこの成績も喜ばしいことなのですが、それよりも彼女がどうやって成績を上げたのか、 という方法の一つがもっと素晴らしいことでした。 彼女の勉強方法の変化 ■1学期 中学から高校になって1、2ヵ月間は、勉強量が急に多くなり、 課題をするのも授業についていくのにも四苦八苦していました。 それでも、部活動をしながらもなんとか学校の課題はしっかりこなし、 予習も頑張っていましたが、だんだんと彼女に疲れの色が濃厚になってきていました。 これは、高校1年生の多くが経験することで、 大きな原因の一つとして「本当にやるべき事」の見分けが 出来ていないという事が挙げられます。 改善のために、1学期に私達がアドバイスしたことは、 その「本当にやるべき事」を見分けて、自分がやりやすい形にするということだけです。 ■2学期 そして、彼女の見えないところでの試行錯誤があったのでしょうが、 授業の受け方も、質問の仕方も、テスト勉強の仕方もどんどん変わっていきました。 その中でも、彼女の授業の受け方は思っていても なかなか出来ないという人が多いもので、 それは、特定の授業ではノートをほとんど取らないということ。 多くの高校生は授業のノートを取る事に重きを置きすぎて、 先生の話をあまり聞いていない状況にあります。 内容を理解する事より、ノートをどう綺麗に取るかというところに 重きを置いている生徒さえいます。 彼女曰く、「ほとんどは教科書に書いてあって、一部異なるところがあれば、 教科書に書き込むだけで、ノートと同じくらい分かりやすい。」ということでした。 彼女にとって、ノートはまとめるためではなく、補完するためのものであり、 ちょっと書き込むだけで大きな成果をあげられるものとの認識に至ったようです。 ■自分スタイルの確立 上に挙げたのは私の一番近しい例ですが、何事にも通じるところがあると思います。 勉強でも、仕事でも、遊びだってそうです。 自分が一番面白いやり方、楽しいやり方、 きついやり方を把握することは非常に有用なことだと思います。 他の人のいいなと思ったところを受け入れて、チャレンジしてみて、合えばちょっと取り入れてみる。 その繰り返しで、私達の力には磨きがかかってくるのではないかと思います。 他の塾生にも変化の兆しは見えてきているので、これからが楽しみです。 -------------------------------------------------------------------- スタイルをつかんだら、今度はリズム。 そして、無意識のル-ティ-ンに落とし込む。 楽しみです。
2014.10.15
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授業もそうですが、号令のどう解く?の話で どんな話をするのかは、毎日、毎日 できるかぎり深く深く考えようとしています。 塾生たちが目の前の壁を乗り越える話だけでなく 一年間の今の時期だから伝えなければならないこと そして、十年後、二十年後のために今、話をしておくこと。 短期的にも長期的にも 塾生たちの人生の未来を できる限り、多くの視点を持ってもらえるように知恵を絞ります。 福沢諭吉の教えの一つである複眼的視野とゼロベースです。 中・高生には 「自分の未来は明るそうだ」と思えて 「その明るい未来は自分の力で手に入れられる」と感じることができて さらには、「その未来は、自分たちで作りだせる」つまり、 「将来の日本を担っているんだ」と思えれば 無理強いしなくても行動を起こします。 未来に明るい光を見せてあげるのも、大人の役割です。 開塾以来、そしてこれからも変わらない僕たちの哲学です。 P.S 最近、号令のどう解く?の時間に僕が言っていることを熱心に メモをとる塾生、そして先生たちがいます。 そして、今日もありがとうございますと言ってくれる塾生もいます。 スピーカー冥利に尽きます。 毎日、その辺のセミナーや講演会で聞く話よりも 価値あるものを提供するという覚悟で話しています(笑)。 少し外で話す機会を意識的に増やしていこうと思っています。
2014.10.14
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僕は、このブログをはじめ、キュレーションサイトを含めると 5つのサイトを運営しています。 いつも、1つ以上のサイトで記事を書いていますが、 今回は、その中の1つのサイトで書いた記事の転用です。 ---------------------------------------------------------------- ■行動するということ。 行動すると、夢に向かう。「~したい」という願望が、「~している」という行動になる。 ★若者諸君 「~したい」という会話をよく聞くけれど、なぜ今やらないの?と質問すると 言い訳ばかり並べて、失望してしまいます。 一方で、「~している」という会話から ひょんなことからアイデアが生まれたり、応援者ができたりするといった 生産的な、発展的な会となり、ハッピ-になれる。 転用終了 ------------------------------------------------------------------- 塾生たちと携わる者として、 毎日、自分が感動する種を探して行動しています。 本を読むことも教材研究もその一つの行動に入れていますが。 その感動の種を、いつも号令のときや無料集団授業で伝えていく。 感動が共感・共鳴に変わっていく瞬間は、 教師冥利に尽きます。 人は共鳴したとき、塾生たちの行動に変わっていくですよね。 塾生たちには、いつだって情熱や共鳴を頼りに、いつも行動・挑戦を 続けていく人であってほしいと思っています。
2014.10.12
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20代のころは、教授法や教材研究のほか、 行動心理学や帝王学などの側面から学級経営を模索していました。 子どもたちの成績を手っ取りばやく上げるために、 ある程度子どもたちのマインドをコントロ-ルし やる気を引きだし、短期的に成績を上げることに、 重きを置いてきたような気がします。 難しい問題ほど、わかりやすく解説し、自分の頭でなるべく 考えなくとも、得点できるように、指導してきた傾向が強かった気がします。 でも、そういう指導は、その指導者のもとを離れると 成長はできますが、成長曲線は描くことはレアケ-スとなります。 ですから、20代のころから、どう解く?という時間を設けて 自ら考える、思考を広げる時間を割いてきたつもりです。 学生の頃からの指導から、かれこれ17年。 最近では、今一度、行動心理学や帝王学、科学哲学中でも、人文哲学に 焦点をあて、教育を見つめなおしています。 次の展開に向けて、リベラルアーツを再構築し、知性と感性を磨いていきたいと思います。 参考文献:引き込み現象 (1)引き込み現象に基づく人間とロボットの暗黙情報のコミュニケーション (2)会話とジェスチャー研究における柔軟な同期と引き込み現象
2014.10.11
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「この学び舎の面接は、圧迫だよね。」今や、在籍してくれている多くの講師たちがそう口を揃える。けれど、僕自身はそうは思っていない。むしろ、それが“当たり前”になってしまっているからこそ、僕たちはあの空間を、安心して生徒に開ける場所にできているのではないかと思っている。もちろん、形式的には“厳しい”のかもしれない。面接の場で僕たちは、応募者が「教えられる」と主張する3つ以上の教科に対し、問いを重ねる。その根拠は何か、具体的な方法はどうか、その教科で生徒にどう向き合うのか…。丁寧に掘り下げていく。すると、中には「やっぱり1つも教えられないかもしれない」と、自ら辞退する人もいる。ここで浮かび上がってくるのは、「自分ができること」と「人に教えること」との間にある、意外に深い隔たりだ。そしてさらに、「私ができること」と「僕たちが求める“できる”の定義」との間にあるギャップ。そこを乗り越えてくれる人に、僕たちは来てほしい。清潔感に関しても同じだ。「自分は清潔です!」と断言する人ほど、僕たちの感覚する“清潔”とはズレていたりする。不思議なことに、「清潔に心がけているつもりです」と、控えめに語る人の方が、実際にその空気をまとっていたりする。おそらく、自己認識と他者の評価のズレを理解し、それに対して丁寧に自分を律している人には、自然と清潔感や落ち着きが宿るのだと思う。僕たちが大切にしているのは、スキルや肩書きだけじゃない。素直さ、謙虚さ、柔軟さ、責任感、誠実さ、共感力、そして空気を読む力。少なくとも七つの“軸”において、バランスよく自分を保てる人。そういう人こそが、生徒や保護者の信頼を得て、真にこの場で力を発揮できる。「そんなに細かく見ていたら、なかなか人が来ないよ」と、時に言われる。でも、僕たちは服選びと同じだと思っている。どんなに素敵なデザインでも、どんなに周りに薦められても、サイズが合わなければ、その服は結局、着こなせない。無理をして着たところで、どこかに負担がかかる。だったら、最初から慎重に選ぶ方がいい。長く気持ちよく、共に過ごせるように。面接は、試すための場ではない。僕たちと応募者が、お互いを丁寧に見つめ合うための場だ。その先に、「ここで働きたい」「この場所に貢献したい」と本気で思える人が残ってくれるのなら、たとえ“圧迫”と言われようと、僕たちはそのフィルターを通してしか出会えない人の存在を、大切にしたい。そんな人とともに、これからも心地よい学び舎をつくっていきたいと思っている。
2014.10.07
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僕もそうだけれど、 僕が役員を務めるもう一つの会社のCEOも 同じことを周りから言われるそうだ。 それは、「いつも言うことが変わる。」 僕らからすれば、それは、成長している証なのだ。 もちろん、不変なものがあるけれど、 得てして、勉強すればするほど、考え方は変わる。 単純に、勉強すれば、知ることが増えるので、 考え方を変える機会が多くなります。 (一方で、知らないことやわからないことは、ますます増えるのだけれど… これは真理ですよね。多くの人は、勉強は、わかるようになることと 思っている人が多いのかもしれないが、無知だったことを知るという ことにおいては、実に多くの知らないことを知るわけで…) 特に、常識的なこと、経営的なことについては、 それは常に変化をしているわけですから、 考え方を変えていかざる負えない状況もあるわけです。 僕たちは、コロコロ変わることもいいことだと思っています。 こちらにも、そのようなことが… なぜ経営者の考えはコロコロ変わるのか? もちろん、哲学や思想、理念など根幹については不変です。
2014.10.03
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日常が当たり前にあることに感謝しつつも、 未来を創造していくことに情熱を燃やす。 受験勉強では、 理論を理解をすることが求められますが 社会では、 感覚的に理解することも一方で大切です。 そして、実は、感覚的に理解することの方が 感動の幅は大きいです。 感覚で理解したことを、理論立てていく。 この作業も楽しいわけです。 テクニックやメソッドによる教育の過多で 子どもたちのその感覚や創造性までを失わせている可能性があることを 今一度、教育に携わっている人たちは認識すべきことなのかもしれません。 勉強が好きになる100のヒント
2014.10.02
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本当に決断に迫られる機会が増えていますが、 その1つ1つの決断には、愛をこめるという流儀があります。 これまで、教育について、誰よりも考えているという自負で ここまでやってきたつもりです。 これは、今現在も、これからも変わらないでしょう。 教育について、そういう自負がある限り、 この業界を卒業することはないでしょう。 一方で、他のことについては、 年々、僕の周りにいる人たちの活躍が素晴らしく そこに属している僕の存在の大きさは、小さくなっています。 実は、この学び舎も、そんな状況です。 たくさんの先生の中に、僕が埋もれてしまっているかのようです。 いい表現ではないかもしれませんが、 塾生たちは、僕以外に、ファンとなる先生がいる感じです。 それは、代表取締役を務めるもう一つの会社でもあてはまります。 ここから、もう一つの会社のCEO(最高経営責任者)のブログより抜粋。 --------------------------------------------------------------------- 妹の最後の体育祭ということで 福岡中央特別支援学校に行ってきました。 日中よく晴れて日差しが暑いくらいでしたが、 体育祭日和の好天気のもと無事体育祭が行われました。 特別支援学校では、小・中・高が一緒に体育祭を行うので 小さい子から大きな子まで様々なプログラムを行っていきますが、 なかでもリレーは、いいものを見せて頂きました。 特別支援学校の生徒は、 リレーを1周走りきれる生徒は少数で、多くの生徒が 途中で止まったり、歩いたり、大きくコースをそれたりしてしまいます。 ただ、それを見守る保護者の方々は 一瞬保護者の顔を見た、無事ゴールできたといったことに対して 本当に嬉しそうにされていました。 そこには、誰かを抜かした・抜かされた、 昨年よりも早く走れた・走れなかったという類いの次元を 遥かに超越した純粋なものがあって感動しました。 現状、時代の要請で、他人と競ったり、過去の自分と競ったりしなくては いけないことが多々あると思います。 しかし教育者、特に保護者は子どもが他人と比較してどうとか、 その子の過去と比べてどうとか以前に、 その存在自体をしっかり認めてあげることが大切であると実感を 伴って再確認させて頂きました。 また、少し話は変わりますが 今回の体育祭でメディアを通すこと、組織を通すことの難しさも分かったような気がします。 僕は24時間テレビ等の感動の押し売りみたいなものは嫌いです。 しかし、 難病と戦う子どものドキュメンタリー制作や、マラソンの企画を最初に 提案した人はそこにある純粋な感動を、ただ視聴者に届けたいという一心で 提案したのかも知れません。 しかし、それをどう視聴率をあげ、どうマネタイズしていくかということを 考えていくうちに、もはや本当に届けたかったコンテンツではなくなっている。 ということがおこっているのかもしれないと思いました。 会社経営は、社員やその家族、株主等のことを考えれば 利益最大化を目指すのが当たり前です。 ただ、その利益追求プロセスが 「いかに上手くお金をとるかという切り口からサービスを作ること」に偏って、 「いかに良いサービスを提供してその対価としてお金を頂くかということ」が 軽視されてしまっては問題だと思います。 後者のプロセスは、前者に比べて短期的には利益をあげる可能性が低いですが、 お金以前に、お客さんに良いサービスを提供していこうというスタンスが 社内の根底にないと、参入障壁が低く、トレンドの移り変わりが速い インターネット業界では生き残っていけないと思います。 純粋に、こんなものがあったらいいよね。面白いよね。を世の中に提案して いける会社でありたいと思います。 ------------------------------------------------------------------- 抜粋了 九大生(休学予定)でありながら 若干21歳の青年が、上記のようなことを思い、経営にあたっているわけです。 シンプルに、そんな青年と仕事をともにできて、幸せに思っています。 経営の分野、サイエンスの分野と僕が知っているだけでも、 チャレンジスピリッツを持った若者は多いです。 ただ留学をする、ただボランティアをするといった経験ではなく そういう体験を通して、マネタイズできる仕組み(ここでは、 問題を発見し、解決していく過程で発生するその問題に直面している 当事者の期待値を指します。)を作っている若者は多い。 彼ら、彼女らをみていると、 日本が世界をリードする時代も、そう遠くないような気がしています。 僕たちの塾生も、そうやって、実学をできる人を育てていきたいと思っています。 勉強は、実学となり、完結する。そう思っています。
2014.10.01
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