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春夏秋冬という四季は 順を追ってうつり変わってゆく。
人間の死はふいに、突然やってくるものだ。
死は顔を向けて堂々と正面から向かってくるのではない。
すでに前々から人間の背後にしのび寄っているもの。
人間は誰しも死ぬことを知ってはいるが、現実のこととして考えないうちに、
突如として訪れてくる。
まるで満ち潮のようではないか・・・
沖からだんだんに 潮が満ちてくるのではなく、
気がつくと、足許がもう潮にひたされているのと同じである。
これは人間の死を語って、他の追従を許さない名言ではないか。
いつのまにか後ろからしのびよってくる死-
「死は 前よりもしも来らず、かねて後に迫れり」。
兼好のこのことばによると、われわれは意識する、
しないにかかわらず、いつも生が死に侵されていることになる。
むしろ、何がしかの死を抱いて生きているといった方が、
満ち潮としての死にかなうでしょうね。
努力っていう言葉は、使い方によっては、言い訳がましくなる時があって、ちょっと抵抗がある。
「こんなに努力したのに、うまくいかない。私は、運が悪いんだ。」なんていう感じの言葉かな。
確かに、いくつも重ねる努力のすべてが、うまくいくとは限らないだろう。
だから、成功や幸せが、まだ目の前に少しも姿を見せない時は、
その努力の意味に、なおさら不安がつのる。
そんななかで、続けるって、大変だよね。あぁぁ、何も意識しないで、続けることって、出来ないんだろうか。
努力とか、実行とか、行動とか、そんな言葉を使って
気合いを入れなくても、動ける人間になりたいね。
まぁ、動きたくなる対象を見つけるのもいいだろうし...
何かのために頑張る時間、幼いうちの子供と一緒に遊ぶ時間、夫婦との語らいの時間、親孝行する時間・・・
「とうとう」になってしまうのは、ほとんどが、無報酬のものかもしれない。それらは、電話のように、ベルで知らせてくれるわけでない。
着実に、そのチャンスが少なくなっていくだけ。それも、静かに、音もたてずに・・・
元気なころは、いつでも独りに、なれる(なりたい)と思っていたけど、人間は独りでは生きられないということが、近頃は、とってもよくわかった。