1

「ウェルナー症候群」の女性。上掲画像、上の写真は、ふくよかで愛らしい少女が写っている。下の写真は、もうすっかり白髪でしかも髪は薄くなっている。少女の祖母であろうか。よく見ると、あごのあたりに深いしわが寄っている老婆である。80代後半かあるいは90歳ぐらいに見える。ところが上下画像共、同一人物のもので、日系人女性の15歳の時と、48歳の時の写真である。48? それにしては老いが激しい。これをウェルナー症候群の実例として掲載した。人の不幸を日記ネタにしたと思われようが、そう単純な動機ではない。ウェルナー症候群は、通常人の約二倍のスピードで老化が劇的に進み、患者のほとんどが40代後半で、心筋梗塞・ガン・肺炎などで亡くなる。発症すると20歳代で白髪になり、皮膚もしわが目立つようになり、30歳代で骨粗しょう症、糖尿病などがあらわれ始める。この病気に罹った人々が50歳まで生きられないのは当然である。今私は50歳をもうすぐ終えて51になろうとしているが、この患者たちはこの時既にこの世にいないのである。ウェルナー症候群を邦訳すると「早老症」である。ご存知のかたもあろう。私も前からこの奇病の存在を知っていた。遺伝病である。何かの洋画でこの病気にヒントを得たのか、もっと凄まじく、幼い子供のかっこうをしていて、既に青年であり、青年に見えてもう40ぐらいだという説明描写のシーンを見たことがある。内容も何もすっかり忘れたが、一種SF的で、一瞬ぎょっとする光景だった。ウェルナー症候群はこれまで世界中で、約千三百人の患者が報告されており、そのうち約九百五十人が日本人である。天は何ゆえにこのような不幸な病気を作ったかと、神も仏もない思いにややとらわれたが、しばらくすると、待てよという別の考えが起こってきた。犬は15年生きれば長生きである。猫も同様である。いきなり野生の世界に目を移して象の一生はと調べたら7,80歳とあった。80歳とする。犬を10歳とする。ならば象は犬より八倍長生きで、幸せかというと、そうでない。たまたま象も犬も己れの寿命の知識がない。それぞれ、その種の寿命を全うして幸も不幸もない。夏になるとセミが土中から出てきてにぎやかに鳴き交わす。しかしセミは夏中に死ぬから、春秋を知らぬ。土中に長く過ごすからいいだろうというのは、こじつけである。それでいてセミはセミの一生を全うし、これまた幸も不幸もない。短命を哀れむのは少しおかしい。言わば人が人として生まれた宿命であり、もっと言えば未練であり、ばちである。「朝菌は晦朔(かいさく)を知らず」という古人の箴言(しんげん)がある。朝(あした)に生まれて夕べに死ぬ菌(きのこ)は、晦日(みそか)と朔日(さくじつ)を知らない。朔とは一日(ついたち)のことである。一方で昔、楚の国には八千歳を以て春となし、八千歳を以て秋となす椿の大木があるともいう。菌も一生、椿も一生なのである。すべて完結した一生であり、可哀想だと思う必要はない。動物園の見世物動物ならともかく、また飼い犬などペットならともかくとして、野生に生きる無数の大小、強弱様々な生きものたちが、定期検診にいくはずもなく、野生を全うして知らずのうちにある日、異変を少しく又はいささか覚えて、その生を閉じる。天然自然でこのほうが良い。ヒトは知恵がつき過ぎた。だから年に一度胃がん検診に行って、バリウムを飲むなり胃カメラ飲むなりして、その、ただいっときの無事に安堵して帰宅する。胃がんにも知るところでは2大別あって、進行の比較的遅い胃がんと進行の速度著しき胃がんスキルスがある。経験豊富な開業医の話で、進行の遅い胃がんはバリウムで発見しにくく、胃カメラで見つけやすい。対して、胃がんスキルスは、胃壁内部に浸透することが多く、胃カメラより、バリウムで発見しやすいと聞いた。たいていの開業医は「胃カメラに優るものなし」と言っているが、どうも怪しい。正直言ってわからぬ。胃がんスキルスを早期発見するには、一年に四回は検査しないと、早期発見に恵まれることは少ないともいう。年に一度の検診で「ああ良かった」と安堵した何日か何週間か何ヶ月後かに、スキルスが発症しても、一年後検診した時は手遅れである。逸見政孝氏もスキルスであった。胃を摘出して、かえって死期を早めた。古くは「少年マガジン」のグラビア・アイドルからタレントになった堀江しのぶさんが、胃がんスキルスだった。つかの間芸能界に復帰したが、その腹は異常にふくれていて、素人目にも並の病ではないとわかった。再び言うがヒトは知恵がつき過ぎた。それが末期胃がんその他の死病発覚の不幸を生んでいる。諸説あるが、太古の恐竜はおおざっぱに言えば、巨大になり過ぎて滅んだ。当たらずと言えど遠からずと独断する。ヒトは知恵をつけて進化して、かえって不幸になった。知恵で進化したものは、知恵で滅びる。大量殺人の戦争を回避せんと努力するどころか、むしろ進んで敵味方相打ち、どこも身体に異常はないのに、わざわざ互いにおおぜい殺しあって、なお我がほう理ありと譲らぬ。これを開闢(かいびゃく)以来延々と、性懲りもなく続けて来た。胃がん検診でいっときの健康に喜び、あるいは暗然として、結果、各々一喜一憂を繰り広げて、所詮いずれは絶命の時を迎えて、誰一人逃れ得ぬ。織田信長の例を引くまでもなく、ヒトは「朝菌は晦朔を知らず」をたまにはじっくり考えて、じたばたするのを控えてはどうか。とは言っても、もっかのところ、人類は加速性能を増してなお加速開発をやめぬ車に乗って狂喜する、車キチガイの如き明け暮れから、独り脱出することもかなわぬ。妻がいる、子がいる、両親がと言い訳して、ハウスメーカーの外見豪華そうな一戸建てを買ってローンを払い続け、ようやく完済の頃、様々な病の発症におののく老人となる。ならぬうちに死病で絶命することもある。三度(みたび)言う。「朝菌は晦朔を知らず」。これは恐らく古代支那の賢人の名言であろう。「不老」への道をさぐらんと、遺伝子解読に躍起となるのは、この箴言の反対の道を歩む生き方である。人は50年も生きればそう短い寿命ではないと、このごろ思えるゆえんである。〇編集後記〇一旦は良心の呵責からか、画像を削除しました。これには当時の楽天ブログの画像限界も関係していたかも知れません。つまり100枚が限界という、今からは考えられない少なさでした。ここにも技術進歩を見ることが出来ますが、こと寿命に関しては、古往今来、たいした違いはなしと断じます。人生百年時代なぞはウソでして、殊に男は70前後でかなり死んでいると思っています。その70歳、古希に私も近づいていて、明らかに五臓六腑の不調を認めています。あとはいわゆる天命と察します。
2003.11.14
閲覧総数 752
2

『ユコタン音楽シリーズ』松竹映画「男はつらいよ」第9作「柴又慕情」(昭和47年、1972年8月)ラストシーン近くの音楽から、楽譜掲載。2020/10/03開始。「男はつらいよ」シリーズ複数の作品中で聞かれる曲だと思うが、本作では、高見歌子(吉永小百合さん)が、夜の題経寺境内で、結婚の決意を寅次郎に語るシーンに流れる。ここでは二曲流れ、特に二曲目は、「歌子のテーマ」と言える上品で親しみのある旋律で、のちの第13作「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」では、物語半ば近くからひんぱんに流れて、物語に見事に溶け合い、薄幸の美女・歌子の愁いと麗しさの描出に、効果的に使われて、感動的でさえある。ただし、今回は前半に流れる一曲目を掲載する。この曲も、本シリーズでは相当多くの作品のバックに演奏されて、寅次郎の物語にとって欠かせない存在感を与え、味わいある名曲と言えよう。私は、まだビデオと呼ばれるものがDVDではなく、VHS磁気テープだった頃に、コピーガードというマニア泣かせのダビング妨害機能も全くなかった松竹ホームビデオ(のち、強力なるコピーガード付きとなる)を無論、レンタルで持ち帰り、せっせと録画したものである。なお、コピーガード付きとなって以降は、所有せる安物のコピーガード除去機では不完全で、確かレンタル・ビデオ店の別途サービスとしての「ダビング」を頼んで代金を払った記憶がある。レンタルビデオの「男はつらいよ」シリーズ新作が出るたびに借りて次々にダビングし、ズラリと棚に並べたものだが、リリースされるシリーズ全作そろうまでに、やや時間がかかったはずだ。ダビング作業が最も楽しかった3,40代だった。もちろん、この作業は現在、特別な技術を持つ人でなければ、少なくも私如き素人には不可能となった。かつては市販品でさえ、ダビングは楽々と出来たのだ。今、私のような素人に出来るのは、一旦録画保存したハードディスクから、ビデオ・ディスクに移動という形で行なう作業だけである。そして今やかつての『ビデオデッキ』は機器も一新され『レコーダー』と呼ばれるようになり、便利な機能が標準装備されるようになった反面、素人が容易に接続操作出来なくなった。VHSテープは磁気テープが切れやすい欠点はあったものの、今のビデオ・ディスクのようにディスクに傷がつくなどによる『非対応』になるようなことはなく、切れた箇所をつなげば、そこだけ画像の不自然を承知すれば、前後は従前通りであり、せっかく録画した画像を全く見られなくなることはまあなかった。この点、今のDVDはつまらない。我が家には、たまたま生き残ったVHSビデオデッキが二台あり、確かに普段の番組録画は専らDVD-Rとレコーダーで行なっているが、それとは別に今、かつてのVHSテープをテキトーに選んで再生して見ている。その中の何本かが「男はつらいよ」シリーズで、全部で40作以上を録画保存してあるが、ハッキリ言って寅次郎が恋の指南役として登場する頃からつまらなくなり、40作目前後の作品はまず見ない。さらにマドンナが一人際立つ女優の起用で登場する頃と比べて、準マドンナあるいは三枚目マドンナと呼んでいいかどうか、そんな女優が登場し、本来のマドンナがかすむような描き方に変わる頃の作品を避けて見るようになったことを思い出すと、まことに勝手ながら、興味を以て見られるのは、実はごく一部となる。作品群から絞ろうとしても、第何作以降と言い切れるものでもなく、例えば第32作「口笛を吹く寅次郎」(昭和58年、1983年12月)は、寅次郎が初めてマドンナ(竹下景子さん)から恋情を告げられたと思しき場面があって、モテぬ男の一人としても、強く印象づけられた作品である。「寅のほうが、マドンナにほれられた ! ホントかよ ! ? 」という思いで見たものだ。ついでながら、『とんじょ』こと『東京女子大学文理学部』という名門を卒業した竹下景子さんにも、さらに好感を持った次第。そんなこんなで、気まぐれなファンとして、本作を録画保存したものだから、熱のさめるのも早く、VHSテープはほこりをかぶったまま何年もほったらかしておいた。ただ、この映画に対する思いには、物語そのものに対するもの以外に、劇中流れる音楽への強い興味があり、特に挿入曲の幾つかは今に強い印象を残すものとなっている。そのうちの一つが、今回扱った言わば「さくらのテーマ」である。このタイトルそのものも、正しいかどうかの根拠はなく、You Tubeのコメントで、「詳しい人だ」と直感した方(かた)の情報を頼ったに過ぎない。この方は「男はつらいよ」テレビ・シリーズから音楽のことを指摘していたので、あるいはと思ったのだ。あまたの作品からこの曲をさぐるのはいかにも大変そうなので、たまたま見た中から、記録することにした。目下、確認出来たのは、第9作以外には第5作「望郷篇」(マドンナ・長山藍子さん、昭和45年8月)、第22作「噂の寅次郎」(マドンナ・大原麗子さん。昭和53年、1978年12月)しかないが、第22作ラスト近くに、マドンナ・水野早苗(大原麗子さん)へ宛てた寅次郎のハガキが映るシーンあたりから、汽車を待つ寅次郎のシーンぐらいまでに流れている。長く使われているだけあって、そのしみじみしたものを感じさせるメロディーからも、シリーズ中屈指の名曲と言えようし、主題曲以外で最も印象に残る曲である。なお、ひとこと憎まれ口をたたいておくと。山本直純氏は、クラシック音楽を広めようと活躍した立派な作曲家だが、「男はつらいよ」シリーズ中、いくつか使われたクラシックは、私にはなじめない。例えば第9作「柴又慕情」で、寅次郎が歌子たちと旅行を共にする和気あいあいたるシーンに、突然クラシックが流れる。だが、この瞬間、映画の持つ味わいは消し飛び、無理に挿入したクラシックが流れるあいだのシラケたムードにどうにも耐えられない。山本直純氏の音楽は、シリーズ用のオリジナルだけで既に、見事な名曲ばかりであるから、クラシックをはさむ必要なし。・・・・・・・・・・夕子「あらあら、憎まれ口は健在ね。まぁ、一言居士を自称するくらいだから、仕方ないか。ま、正直あたしは、ほめるブログはずっとほめ続けて欲しかったけど・・」(この女(ひと)無類のクラシック好き)村松「そうかぁ・・」夕子「ちょい待ち ! 」村松「え ? 」夕子「全体にこの映画や山本直純さんを称えているから、いいんじゃない ? 」村松「あぁ、そお・・・」夕子「実際のところは・・・なぁんて野暮なこと聞くのよそうか」村松「そういえば、夕子はこの映画自分からすすんでは見ないよな」夕子「きらいじゃないけど、熱心なファンが見るようには・・ってとこね」村松「なるほど。でも、東宝の戦争特撮映画には、凄まじいスピードで夢中になったんだよな」夕子「軍事外交思想が、あなたとピタリ合ったんだもの。あたしは、まあ場所によるけど、『太平洋戦争』なんて言わないもの」村松「『大東亜戦争』か。よくぞ言った」夕子「この戸沢白雲斎がほめてとらすって言うんでしょ」村松「もはや、懐かしい ! 似た会話ブログいつだっけ ? 」夕子「さすがの私も忘れた。何しろ今年はおバカなコロナ騒ぎで、みーんな洗脳されてたからね。せっかくの生活のリズムが狂わされたわよ」村松「ホント。でも、夕子のこと見なおした」夕子「洗脳されてないって ? 」村松「うん。夕子もネットのデータ発信なんか、ちゃんとおさえてるんだもん。俺、実は不安だったんだ」夕子「ああ、コロナを恐れてるんじゃないかって ? 」村松「いや、夕子のオツムの涼しさは確信してた。けど、対外的に」夕子「ああ、仕方ないよね、世間に対してはね。マスクするし」村松「夕子とのコロナおバカ騒ぎの話、ブログにしたら、面白そうだけどね」夕子「未確認情報ってことにして、脚色して言うけどね。私のような者にもPCR検査それ自体は可能って知ってる ? 」村松「え ? 」夕子「あなた、一昨年入院中に風邪引いて、鼻の奥に細い管を入れる検査受けたって言ったよね」村松「うん。あれは薬剤師がやったように記憶してる」夕子「ただ、法律があるから、一定のルールは守るけど、ズバリ私にも出来るの。この先、会話カットね」・・・・・・・・・・村松「夕子、スゲエなあ。というより、あのむつかしいウイルスの抗体とか免疫の話って、夕子もわかるんだ」夕子「ええ、一応ね。もうひとつだけ話すとね、うちの会社ではへたにPCR検査受けるなって風潮だったの」村松「夕子の会社、スゲエなあ」夕子「夏風邪だって、引く時はどうしたって引くしね」村松「もしかして、風邪っぽい感じがあったとか」夕子「今度のウイルスは弱毒性で、無症状や軽症が多かったから、ほっとけばだいたい治ったのよ」村松「じゃあ、夕子は・・・」夕子「フフフ。その中にわたしはいたかしら ? 」村松「ふははは。おぬしのくノ一(くのいち)忍法も、そこまでだな。そのような話に俺が臆するとでも思うたか ! ? 」夕子「へえー。恐くないの ? 」村松「何ぞ恐るることのあろうや ! 」夕子「むむ ! なぜそう思える ! ? 」村松「それについては、残念だが会話カットゆえ、不承するのほかない」夕子「さすが、あなたね。無駄に数十年付き合ってないわ」村松「ならば、負けを認めたか ! 」夕子「何 ! ? わたしの負けだとぬかすか ! 」・・・・・忍者会話中止・・・・・村松「ふうー。長い間のストレスがかなり解消出来た。俺の周りも例外の人を除いてテレビしか見ないバカばかりだったから」夕子「ふふ。でも、寅さんのムードはかなり薄くなったわね。そろそろ楽譜載せたら ? 」村松「了解。よーそろー」★補遺★夕子「先のことはわからないけど、もし次の変異型が来るとしたら、自粛、つまり無菌培養に徹底すればするほど、今度は恐い場合もあり得る」村松「あ、ウイルスか」夕子「ウイルスに大勢(おおぜい)をさらすようにしないと、免疫が作れないからね。だから文系ばかりのテレビ報道はイヤなのよ」村松「ところで、今回も楽譜書いてくれたことへの感謝を示す会話が余りないから、申し訳ないよ」夕子「気にしないで。だってズバリあなた一人じゃあ、音符に自信がないんでしょ ? 」村松「うん」夕子「でもね、あたしだけがいきなり始めるのでなくて、あなたの書き取った音階を楽譜におこす作業にするとね、確認が出来るから、ミスする惧れを減らせるのよ。一つ提案だけど・・」村松「ん ? 」夕子「楽譜完成までのプロセスそのものをブログネタにして、ドキュメントみたいに残すっての」村松「お、いいね ! 早速、下書き出来る」夕子「良かったね」村松「でも、今回のは、音符に自信がなくて、ホントに参った。助かりました」夕子「ううん。もしも本物の、山本直純さんのスコア(楽譜)があったら、あたしのとの相違が明らかになるから、こわいのよ」村松「ふうん。俺が見た限りでは耳で聴いたのと合ってたけど・・、むつかしいんだなぁ。でも、やっぱり助かりました」「男はつらいよ」シリーズから『さくらのテーマ』楽譜
2020.10.14
閲覧総数 1069
3

あれ ? と思いながらも夢中だった東宝特撮映画 ! ! 2022/0214開始東宝昭和37年「キングコング対ゴジラ」(観客歴代一位)読売新聞夕刊の番組欄掲載の広告。映画は首都圏、大都市圏のみならず、実に沼津宝塚でも8月11日土曜日に公開されている。ほかに甲府宝塚、新潟宝塚、仙台日乃出、水戸宝塚、山形宝塚、八戸東宝、青森東宝など、主要都市で同時封切り。特撮殊に怪獣が好きで、恐竜が良く出て来る洋画の特撮映画もチャンスがあれば必ず見た。そして、再び三たび見たいと思うのが日本の、というより東宝の特撮映画だった。東宝特撮映画の世界に回帰するのだった。上掲二画像とも20世紀フォックス配給、1966年「恐竜百万年」三つ上の兄は言わば中庸な存在だった。早い時期にアメリカの「キング・コング」(1933年)に注目し、「ハリウッドの特撮技術はたいしたものだ。どちらかというとキング・コングのほうがいい」といった具合だ。私一人では、広い目で内外の特撮映画に触れることは出来なかった。兄の批評は辛辣を極めることもあったが、その姿勢に助けられた。ただし私は兄の前ではあえて逆らわなかったものの、どちらかというとぬいぐるみで演ずる東宝怪獣が親しめた。兄の感化は私の東宝特撮映画評価にも生かされた。そうしていろいろ見続けるうちに、特撮技術とはまた別の、例えばゴジラが次第に接近する場所の、辺りの風景に対して、「おや」と首を傾げることがあった。私は昭和35年(1960)の小学二年生の夏休み中に御殿場市に引っ越した。学校は富士宮(ふじのみや)市の大宮小学校から御殿場市の御殿場小学校に転校した。自衛官である父の仕事ゆえだ。住まいは自衛隊官舎となるが、ハッキリ言って今のややぜいたくな一戸建てからすると、建付けも良くなく、強度も貧弱だった。だがこの地を離れるまでの十有余年のあいだ、何度か襲来した台風にも耐えたから、粗末な木造官舎、なかなか見事なりと今は思える。今の、もっとも築三十有余年を経たから単純比較は出来まいが、屋根瓦がかなり吹っ飛び、屋内の天井がめくれて来た老朽家屋もまた、経年劣化により、ガタが来たのは当然かも知れない。詳しいことはわからないが、大宮小学校の校名由来は、昭和17年(1942)の市制施行による市名変更つまり旧・大宮町から富士宮市と変わった時、校名まで及ぶことはなかったと思われる。ただ、市名については、既に昭和15年(1940)市制施行された埼玉県大宮市があるので、富士宮市と改められた。個人的には『富士』との名前があるのでこれで良いと思っている。なお、埼玉県大宮市も、長く埼玉県の県庁所在地であった浦和市が新たなる合併で廃止、2001年に新しい県庁所在地が『さいたま市』となったことで、大宮市は廃止、2003年に大宮区となる。うぬぼれても仕方ないが、私は今やブログと呼ばれて親しまれるようになったこの媒体をある意味You Tubeよりも好んでいる。ブログ更新は随意、テキトーということ。この点、You Tubeを営む人は、開設の動機からして更にシビアな条件があるのだろうが、加えて良くも悪くもコメントが始終付きまとい、視聴数にも神経をつかうのがどうにも性に合わない。ユーチューブの前途、つまり未来は、これが生活の糧となるのか、果たしていつまでも順風なのか、寡聞にして存ぜぬ。このブログも、人によってはコメントを送り送られる仲間があろうが、私は2003年から始めてしばらく、ケンカ別れもあったし、私のほうから義絶したこともあった。ブログをつづり続ける以上、己れのアイデンティティーに拘泥せざるを得ぬようになる。しかも、ユーチューブと違って、文章を作ることが至上の喜び、快感でもあるので、書きたい時に書き、あとはのんびりなまけるのが体質としても合っている。ただしユーチューブでも、業としてでなく、言わばビデオ・ブログのような感覚で、やはり更新に足る素材などに恵まれた時だけアップする人もいるから、どちらかというとこのほうが共感出来る。さてさて、ブログを開始し続けた経緯の話から随分脱線してしまった。軌道修正する。御殿場市は都合15年ほど住んだところであり、今のボロ家(や)が30年余りとかなり長くなったが、それまでは御殿場が一番長かった。蛇足ついでに書いておくと、平成元年に新築した家は我が家久しぶりの二階家であり、しかも総二階でない割合ぜいたくなつくりで、何んとこの私めが建てた。改めてこんな脆弱な若造によく出来たものだと、相変わらず実感がない。小生36歳の春だった。その若造も既に古希70にあと一年足らずと年老いた。この家も、デフレ不況の今の時代に30代だとしたら、新築は叶わなかったかも知れない。少なくも住宅ローンは当時の10年完済はむつかしかったかも知れない。さていよいよ軌道修正する。御殿場市に住まう間に、私の特撮趣味は完全に一生ものの趣味となった。ゴジラ・シリーズという言葉さえなく、昭和30年に「ゴジラの逆襲」が公開されて以来、続編も新作も出なかった。昭和30年公開時に私は三つにもならず、映画館に連れて行ってもらえなかった。多分気が散って邪魔になるとの判断だろうし、それで正しい。三つ上の兄は昭和29年の「水爆大怪獣映画 ゴジラ」を映画館で見ている。隣の席の見知らぬガキとひじ掛けの権利を巡って争いとなり、あとで表へ出ろと互いに言い合ったが、終わってみると、いなかったとのこと。弟の観測では、多分兄が勝っていた。小学二年の時、体格でもはるかに上回る小学四年生を軽々倒してしまうほど、兄は相撲が得意で、のちに柔道に打ち込むほどだから、組み技では後れをとらなかったと思う。あえて名づけるなら、すくい投げの応用技の「すくい投げコマ回し」だった。相手は既に負けていて、その場でくるくる回り続け、ズデンと倒れる。おっとまた脱線した。そのあいだ、東宝特撮映画はゴジラ以外のものが必ず公開されていた。そして私が次第に興味をひかれる戦争特撮ものも。ある程度判明してから、「実は・・」とやるのは卑劣と承知だが、子供心に連合艦隊司令長官・山本五十六の言動は気になった。これも子供ゆえの素直な疑問だったが、アメリカ合衆国を相手に、本当に捨て身の戦争に踏み切ったのなら、納得はいった。「戦うも亡国、戦わざるも亡国」という無謀だが我が日本致し方なしとの思いはあった。だが、陸軍が無為無策で、ひたすら暴走したというのには引っ掛かりがあり過ぎた。私の父は既に書いた通り自衛官だったが、それも陸上自衛隊、そしてさらにさかのぼると、大東亜戦争では陸軍士官学校を卒業し、内地勤務ではあるが、陸軍歩兵中尉として軍務に就いていた。その父がよく言ったのは「陸軍士官学校は自由な気風だった」とのこと。巷間、とかく制服姿もスラっとしてカッコいい海軍ばかりが持てはやされるが、私はこれにも「そうかねぇ」と疑問だった。海軍兵学校の規律の厳しさも、どちらかというとうるさ過ぎて素直に礼賛出来なかった。元水兵程度の生き残りが、戦艦大和の話をする時に、ついでのようにしかも喜び勇んでとしか見えぬほど目を細めて、「海兵生徒が帰省で実家を目指して歩くそのあとに、いい香りが残る。これがオーデコロンだったのです」と賞賛めいて言う番組を見たことがあるが、私は「このじいさん、これはこれで罪悪史観ではないかも知れぬが、或る意味洗脳されている」と思った。海兵ばかりでなく、陸士生徒も近所の女学校生徒などに大いにもてたという話は津々浦々にあるはず。富士宮も例外ではない。これで海軍がまともで、陸軍は無為無策で暴走したというのだから、自虐史観は恐ろしい。その恰好ばかり良いと映る「帝国海軍」に恐ろしき反日分子がいた。山本五十六は単なる目立ちたがりのバカ者で、それをそそのかした『米内光政(よない・みつまさ)』がいた。未だにネットでは海軍善玉論が幅をきかせている印象だが、もうそろそろ捏造歴史を捨ててはどうか。それともそんなに海軍が、山本五十六が好きか。五十六と言えば、せっかくの名優・三船敏郎氏の演技も、ここまで暴かれては、もはや補いようもない。海軍東進策、さらなるガダルカナル戦を含む南進策など、首を傾げることばかりだ。何しろ、この輩は我が国を共産主義化せんと、天皇陛下をはじめ、慎重論を貫こうとした陸軍を出し抜き、我が日本国民をおおぜい死に至らしめたのだ。別の機会に書ける自信がないから、今書いておく。わが国には開戦前、既におおぜいの共産主義者が暗躍していて、著名人の死についても、近衛文麿は表向き服毒自殺だが、真実は謀殺されている。海軍軍令部総長だった永野修身(ながの・おさみ)も共産主義者だった。とんでもないことではあるが、永野の死についても、巣鴨プリズンに収監ののち、肺炎にかかりやすい体質の永野の獄中環境を劣悪なものにして罹患せしめ、死後遺族は、返却された遺品を心ならずも紛失している。工作分子がすきをついて奪い取ったのである。これは東京裁判に於ける事実の暴露が、アメリカにとっても不利に進むことを懸念したゆえとも言われている。初めから悪玉に仕立てんとした東條英機氏に至っては、共同謀議の先頭に立った極悪人とのシナリオがあったから、小細工はむしろせずにことを進めている。ひどい脱線になった。軌道修正。御殿場市に引っ越してから見た東宝特撮映画は、時系列で記すと、「モスラ」(昭和36年、1961)、「世界大戦争」(昭和36年、1961)、「キングコング対ゴジラ」(昭和37年、1962)、「マタンゴ」(昭和38年、1963)、「海底軍艦」(昭和38年、1963)、「モスラ対ゴジラ」(昭和39年、1964)、「三大怪獣地球最大の決戦」(昭和39年、1964)。昭和30年代はこのくらい。このかんに公開された「妖星ゴラス」(昭和37年、1962)は見てない。恐らく見せてもらえなかった。次々公開される東宝特撮映画をすべて見るのはややぜいたくとみなされていた。兄が定期購読していた学研の学習雑誌「中一コース」のグラビアに妖星ゴラスを見た時、かなり興奮したことは覚えている。本当に長くなってしまったが、この中でゴジラ映画シリーズ中、観客動員数で歴代トップとなった昭和37年公開の「キングコング対ゴジラ」を街の映画館で見ている。私が小学四年、兄が中学一年である。動員数は「キングコング対ゴジラ」が1120万人。配給収入歴代トップを記録した「シン・ゴジラ」(2016年)は、動員数では551万人。同時代としての単純比較は出来ぬものの、ザっと二倍の開きが優にある。「Oh ! It's GOZIRA ! 」「GODZILLA」ではなく、「ゴジラ」と発音していたのも好印象。とにかく楽しかった。面白かった。この映画には別の点でも、親しみが持てる。なお、私は昔も今も、およそ運転手と名の付く職業を生業とする人々には特別の感情を持っている。どちらかというと恐怖に近い。柔道や空手の有段者に持つ感覚に近いかも知れない。利害が一致せぬ時、つまり路上などでトラブルになりかかると、凄んだり脅したりする傾向が強いとみる。富士急行は御殿場市に住むあいだも、現在の富士市でも、公共交通機関として、避けて通れないものである。もちろん自家用車を使うならこの限りでない。バス運転手にはトラウマに近いものを植え付けられた。高校時代、沼津東高へかようために、自宅近くのバス停から御殿場駅までバスに乗らねばならなかった。バスはほかの車との混合交通の中で、出来るだけ時間を守らねばならないと察する。客の命を預かっているなどというのはとりあえず当然のことなれど、バス運転手も人の子であり、己れの生活を安定させ続けたい思いもあるはず。各停留所に停止する時刻を定刻かそれに近くするのは大変なことで、神経の使い方も半端なものではないはず。車が好きという趣味レベルの者どものたまのドライブとは全く異なるは当然。それらを承知の上で高校時代に遭遇したトラブルのことをつづる。ある朝、いつもの旧国道246号線上の仲町(なかちょう)なるバス停で到着した富士急行のバスに乗るとまもなく、私のすぐ近くの一人の乗客が運転手に話しかけるのが聞こえた。「もう少し、到着時刻を加減出来ないものかねぇ」運転手は何も答えなかった。バスは数キロ先の御殿場駅にほどなく着く。怪獣映画を見に出かける時は、よく歩いて行ったもので、数キロの徒歩なぞ苦にもならなかった。さて、急ぎローカル線の御殿場線に乗らねばならないから、ほとんど何も考えず、バスを降りようとする。その時、ひとことも発せず黙っていた(多分)若い運転手が、突然大音(だいおん)発して「おう ! そこの馬の骨 ! ちいっと待ってろや、話つけてやっからよぉ ! 」今でいう「切れて」いる様子。ケンカを売られかかった乗客は、当時の私からすると、壮年の紳士で、この人は同じく仲町バス停から乗って来る一人の白い杖を必ずついた目の不自由な人の手を引いて誘導する役を恐らく善意でほぼ毎朝行なっていた。しかし運転手はこの紳士を恐らく知らない。格闘技などには全く無縁の私は瞬間、暴力が起こるムードへの恐怖が全身に走り、そして何んとも不愉快な気分にもなった。本質的に暴力、殴る、蹴るは大嫌いだ。もっとも、30代前後に初めて他人の身体を激しく攻撃して戦闘不能にしたことがある。美空ひばりさんのヒット曲「柔」の三番に「♪ 口で云うより手のほうが早い、バカを相手の時じゃない・・・」というのがあり、小学六年でたちまちこの歌を好きになって以来、ますますいきなり声を荒げて威嚇せんとする奴を反射的に憎むようになったが、高校時代のこの朝は、恐ろしさと理不尽への不快感がないまぜになっていた。バスの仕事も大変だろうが、この運転手には乗客への接客態度に難がある。壮年の紳士も、うっかり言ってしまったが、毎朝の運転手のずさんな勤務に辟易もしていただろう。だからついつい各停時刻への注文の言葉を言ってしまった。「あの・・、この人をホームまで届けなければならないから・・」と精一杯、トラブル発展を回避しようとしていたが、運転手はほとんど同じ荒っぽい言葉を続けて、カリカリしていたものの、やがておおぜいの客が降りるうちに、あきらめたようだった。だいたい富士急の営業所は目の前。何かあればすぐに上位の人間があいだに入るなどしただろうが。なおこれにはやや後日談めいたものがある。この朝の一件に関わるのかどうかはわからないが、何日かあとのいつもの朝、壮年の紳士が乗車していなくて、客がそれぞれ降りて御殿場駅を目指して散って行くと、目の不自由な人は、バスまでは降りたところが、当然その場にとどまって一歩も動けない様子だった。人とは冷たいものだと思った。そのバスを降りた誰も、目の不自由な人の手を引いて助けようとしない。まるでその行為を恥ずかしく思っているようにも思えた。ためらうまもあらばこそ、ツッと近寄った私は「どうぞ」と声をかけて、その人と並んで駅へ歩き出したが、障害者のかたの誘導なぞ初めてで、道路の段差を気遣うことさえ考える余裕がなく、しまったと思ったが、その時、一つ学んだことがあった。目の不自由な人は、鋭いカンを持っていた。段差に一方の足がひっかかるとみたとたん、体勢を整えて、滑らかな足取りでここをクリアーした。杖もだてではないように見えた。また話が飛んだが、要は映画「キングコング対ゴジラ」に避難用のバスが数台待機して並ぶシーンに「富士急行」のバスが止まっていたということだ。映画は浜美枝さん演ずるふみちゃんこと、ふみ子が、恋人の一雄(かずお)の乗船した第二新盛丸(しんせいまる)が、北方海上で沈没したとの報を受け、急ぎ東北本線の急行「つがる」で向かうシーンに、待機バスとして、実に富士急のバスが何台も止まっている。自衛隊のヘリコプターがいち早く「東北本線北上中の列車に警告 ! ・・・」と急報して、さて、どのあたりの設定なのかわからないが、列車は急ブレーキの音をきしませて停車し、テンポよく場面が移り変わってゆく。ふみ子は、一人遅れてしまって、あわやという時、一雄のジープがかけつけて間一髪、ゴジラから避難して助かるというものだ。さよう、一雄は途中の根室で船を降りて無事だった。実は私はこの恋人同士の二人のシーンがとても好きである。リアルタイムの時はまだサル同然のガキで何んとも思わなかったが。あえて石頭を装って言うと、東宝本線北上中の急行なら、上野を出てかなり走ると、少なくも首都圏は過ぎて、北関東より北のどこかに至っているはずだと思いたいが、映画ではゴジラは既に松島湾に表われて上陸、南下している。ゴジラの歩く速さは劇中の隊員のセリフにもある通り、時速約50kmほどなので、その巨体を一歩進めると、そんな速さになるのかも知れない。なお、東北本線の起点は、正式には東京、終点は盛岡らしいのだが、現実には、東京駅あるいは上野駅と青森駅とを結んで走るから、ここでは映画に合わせておく。いずれにしても、いくらかなりとも東北地方に達していたならば、宮城県より南としても、福島県のどこかを既に走っていたはずで、つまり映画に現われる富士急バスは、いかにも不思議な設定、地理状況といぶかしく思って当然だ。このことに関して、本編監督の本多猪四郎(ほんだ・いしろう)氏へのインタビュー記事が記録として存在するので、抜粋する。この「東宝SF特撮映画シリーズVOL.5」の出版元はまさしく東宝自身であり、本書の背には「東宝 出版事業室」と記されているし、かの画期的大冊「東宝特撮映画全史」の広告が本書巻末近くにも掲載されている。ハリウッド映画ならば、とにかく地理的正確を最優先して描くのだろうが、そんなお堅いことはないのが我が日本の東宝の特撮映画だ。以下本書インタビューページから抜粋(p164。抜粋文中敬称略)。――急行津軽から浜美枝さんたちがドッと逃げ出すシーンは、本当にどこかの線路で撮影したような感じですが。本多「あれは谷峨(やが)の駅から少し行った所で、国鉄の電車に止まってもらって撮ったの(笑)」(註: 谷峨駅は御殿場線の駅)――そんなことをして、良いんですか(笑)。本多「まあ、製作側は苦労しますけどやってくれるんですよ、頼めば(笑)」――そのあとに避難民がトラックに収容されるシーンは ? 」本多「山中湖の南側の山ふところに浅瀬というところ、木を切り出して運ぶ森林鉄道があってね。ちょうどそこからトラックに受け継ぐ場所なんですよ。そこへロケ隊と一緒にバスもエキストラも入って行って、ロケイションし、列車から降りたカットとつなげたわけ」――そうすると、本編の部分だけでも相当、時間がかかっていますね」本多「あれは、3ケ月くらいかかってたでしょう」以上抜粋。つまり劇中設定がたとえ東北本線であっても、実際に使われたのは『御殿場線』なのである。線路のそばを流れる川も、阿武隈(あぶくま)川でも北上川でもなく、あるいは御殿場線と並ぶように流れる酒匂川(さかわがわ)かも知れない。蛇足ながら、御殿場線の上り路線のうち、御殿場駅―国府津駅間の駅名を記しておく。御殿場駅―足柄駅―駿河小山(おやま)駅―谷峨(やが)駅―山北(やまきた)駅―東山北駅―松田駅―相模金子駅―上大井(かみおおい)駅―下曽我(しもそが)駅―国府津(こうづ)駅このうち、谷峨駅―山北駅間に、第一から第三まで三つの酒匂川橋梁が造られており、さらにウィキペディアに第三橋梁が「地球防衛軍」(昭和32年、1957年)でロケ・シーンに使われたとある。ロボット怪獣モゲラが避難民を襲うシーンだ。さらに付け加えると、御殿場線はかつては東海道本線の一部として運営されていたが、1934(昭和9)年12月1日の丹那(たんな)トンネル開通に伴い、国府津駅―沼津駅間は支線の御殿場線となった。なお、御殿場線は、私が高校一年入学の頃は長く活躍したD52型蒸気機関車が使われていたが、同年つまり1968年、昭和43年7月に全線電化されることにより、「でごに」との愛称でも親しまれて来たD52型はその役目を終えて姿を消し、現在は御殿場駅前広場のうち、富士山口側「ポッポ広場」に保存展示されている。くどいが何もアラさがしをして、その快を楽しもうなぞとは少しも思っていない。東宝特撮映画には限りなく懐旧の情が起こり、常に過ぎ去りし日々への回顧の念がたぎっている。で、先ほどの恋人二人のシーン。改めて見るたび「この二人は出来ている」と無条件に納得する。だいたい東北本線の列車を特定はしたと言っても、ジープでどこへ向かったらいいのか。私なら確実にうろたえて、どこを目指すかわからなくなる。何より昭和37年当時、自家用車そのものがない。しかし一雄の運転するジープはまるで道案内が確定しているかのように、まっしぐらに走る。そして、東北地方のどこかへ無事ついて、さらにはふみ子の姿を追い求めて、「この方向に違いない」と自信たっぷりの如くにひた走り、遂にふみ子を発見するから恐れ入った。川はふみ子役の浜美枝さんが熱演してもおぼれる心配がないほど、慎重に準備してあるのかも知れないが、一応、東北本線と並走するように流れるいずれかの川としておこう。ふみ子は、恐怖と疲労で前後を失いかけるほど混乱の極にあると納得出来る様子で、川にどんどん入ってゆき、きれいな白いハンドバッグもようやく指をかけてある程度で、川の中で足をとられたか、品の良さそうな純白のスーツは川の中で転んだためにずぶ濡れとなった。その拍子にか、ハンドバッグを川に流してしまい、見ていてももったいないとは思えず、何しろゴジラが迫っているから無理もないと無条件に思わせる。そこへ遂にジープでかけつけた一雄が彼女を見つけ、びしょ濡れの体を抱きかかえて、余裕さえありそうなたくましさでジープへ乗せる。夏にふさわしい軽装なので、川で転んだら、ほとんど肌が透けるくらいになり、それでも生死をかけた緊急時、何んとか二人とも最悪の事態を脱した。ここで佐原健二氏演ずる一雄が「どうやら助かったらしい」と言ってすぐふみ子をいたわるように抱いて、「このあわて者さん」とポツリ言うと、ふみ子は、「バカっ ! 」と感極まったかのように叫び、続いて「バカバカバカバカバカ ! 」と、五回も叫ぶ。さすがに女人に縁のない私でも、「こりゃ、二人とっくに出来てるな」と判断したものだ。気の合う恋人同士を描いた場面は、古往今来の物語、あるいは古今東西の映画の中に、それこそ五万とあるだろうが、私はこの怪獣映画に登場した二人の姿に、文句なく「出来てる」と満足。おしまいです。
2022.02.18
閲覧総数 676
4

実は8月終わりか9月初めごろから、タバコを吸わずに過ごしている。全くの偶然、気まぐれである。体のためなどと考えた結果ではない。既に画像アップしたから悟られて当然だが、かつてタバコがかっこよく映った時代が確かにあった。テレビ漫画「エイトマン」は、そのあとのだったか、「スーパー・ジェッター」よりスマートな漫画映画だった。少なくとも私にとっては(「スーパー・ジェッター」も懐かしく思います。節操のない男)。分けても、激しい闘いにエネルギー消耗したエイトマンが、緊急用なのか、強化剤というエネルギー補充剤を吸入するシーンがカッコよかった。これがご存知・・・かどうか、タバコスタイルだった。私はただいまタバコをたまさか吸わずにいるが、好悪で聞かれたら「好きだ」と答えるにやぶさかでない。そこで天才物理学者・田所ではないが、『体に良いタバコ型の薬剤』を誰か考案出来ぬものかと考えた。現在のニコチン・タールを全廃、代わりにノドの薬などを成分として収める。味は今の科学ならば、タバコの味に近づけられよう。無駄なことか・・・。「痛めたノドにマイルドセブン味の吸入剤をどうぞ。ノド、すっきり ! 」「デートの前にセブンスター味のこの一本をぜひ ! これで気になる口臭も消えて、息さわやか ! 」「私も使ってます ! ハアーッ ! (ベスト・スマイルの長澤まさみちゃん)」なんて時代は来ぬか。
2007.11.25
閲覧総数 721
5

車のことはほとんど知らない。ただ、大学を出て田舎へ帰り、突如26才にしてオートバイに興味が出る頃まで、オートバイにも全く興味がなかった。画像の車は昭和42年師走近くに購入した我が家三台目の車、トヨタ・カローラである。これは高校三年の時の兄を写した写真だが、カローラがかつてこんなスタイルだったことを紹介したまでのことだ。ナニ、言わずとも知れた不人気日記なれば、サービスも何もあったものではないが、夜も深更に及び、さらに未明近くになってなお眠くないと、わざわざ書かずとも良いことどもを書きたくなる。さて、今は亡き兄が寝起きのぼやっとしたような顔に写っているので、この下にこれも今は亡き愛犬と一緒の写真を載せてみる。愛犬はグレートデンと言って、セントバーナードにつぐ巨大犬である。 これが超大型犬とも言われたグレートデンである。その昔、西洋ではイノシシ狩の猟犬として飼っていた時代があった。幼犬のうちのある時期に耳を切る手術をすると、昔、「帰って来たウルトラマン」に出ていた団次郎(と言ったのかどうか)が男性化粧品のMG5(で正しいのかどうか)のCMで連れていた成犬のグレートデンのように、耳がピンと立って、雄々しく見える。我が愛犬にはこれをあえてしなかった。犬は口がきけない。幼き愛犬(ジョイ)がそれを望むか承知するかなど、人間にはわからない。コンテストに出すわけでもない、ただ愛犬として飼う目的の犬に、痛い思いをさせるにしのびず、意味がないとも判断したからだ。続いて、最もつまらぬ男の写真を載せる。私はこの世に生まれて来ないほうが良いと、小学五年で既に思っていた。このころはサルに毛がはえた程度なので、いかにもうれしそうに笑ってはいるが、何も世の中のことがわかっていないから、犬がしっぽを振ってるようなものなのである。ただし、サルにはもともと毛がびっしりはえているから、そのサルにさらに毛がはえたらどうなのかは謎である。我ながら書いていて情けなくなって来る。これで52才なのだから、世の中は広い。救いがたい年配男が、生きる価値もないのに生きてしまっている一例である。こんな写真の説明なぞするに及ばぬが、一応書いておく。書かなくてもわかるが、勝手にサービス精神を出すのが文章趣味の性質でもあるので書く。自衛官だった父の帽子をかぶって、何がうれしいのだか、破顔一笑せる哀れなガキの写真である。意識がもうろうとして来た。実はタバコを切らしたのだが、急にウメッシュでも飲みたくなった。これから250ccオートバイでサークルKまで行って来ようかと迷っているところだ。250はツインつまり二気筒なので、近所迷惑が気になるのだ。深夜日記第二弾は、とりあえずここで手を止める。出来るなら、ウメッシュの写真を載せたかったが、だいぶ、もうろうとして来た。これではオートバイで走るのも危ないかも知れないが、今みんなに嫌われているタバコを切らしたので、迷っているところだ。自販機は五時まで作動してくれない。
2005.06.02
閲覧総数 136
6

私が8ミリ特撮を始めた頃が、機材などもそろって来たという意味でも、アマチュア特撮黎明期(れいめいき)と言えようか。ところがこの頃、主宰者には完成作品について、やや後ろめたい気持ちがあった。当時すでに知識と技術のある人はそうではなかったかも知れないが、私の場合、完成フィルムは、ただ一本だった。スタッフは特撮の作業に懸命に取り組んでくれたのに、完成フィルムは私の所有物となるだけだった。のちにビデオにコピーするなどの簡便な方法が当たり前になり、完成作品をスタッフ全員に配布することが出来るようになったが、かつては完成品はアマチュア・プロダクション主宰者の占有物となった。本誌第11号巻頭記事を読んで、そんなことを思い出した。大一プロ解散まであと二ヶ月と迫った中二のこの時期、直接作業を手伝ってくれる会員は、私を含めてたった二人に減っていた。そのただ一人残ったスタッフが、「ゲムラ対ドラゴ」の次の作品は、自分がスライド・フィルムを買って制作に臨みたいと主張した。彼は完成フィルムをせめて一本くらいは自分のものにしたいと思ったに違いないし、当然のことと思った。この時企画したのが「大宇宙戦争」というタイトルの宇宙SFスライドだった。もちろん東宝の「宇宙大戦争」をまねたものだが、正直私はタイトルが気に入らなかった。命名は彼がしたのだった。センスが悪いと思った。この一人に去られると、さすがに一人では大変だと思ったので、文句はつけなかった。さらにこの作品は続編を作ると彼は言い出した。時間がないと思ったが、宇宙万能艦を登場させるのだと言う。そこで遂に私はその主役万能宇宙船の命名だけはさせてくれと提案した。ためらうことなく、「宇宙戦艦大和」と名づけてはどうかと言うと、これには彼もかっこいいと賛成してくれた。結果、本作品は正・続編ともオクラとなった。やはり制作期間が短すぎて無理があった。後年、アニメで大ヒットした「宇宙戦艦ヤマト」が世に出たが、字こそ一部違ってはいても、全く同じ宇宙戦艦を命名したのは、私のほうが先だと、今でも確信している。別に力むつもりもないが、間違いなかろうと、アニメヒット当時にも思い出したことがあった。中二のこの時期、現場スタッフこそわずか二名だったが、声をかければ手伝ってくれる、言わば臨時会員はもう少しいた。残りわずか二ヶ月のこの時期にあってなお、私たちは意欲旺盛で、要するにスライドの予定作品の構想についてだけ言えば欲張りだった。さて、拙誌第11号記事の一つを抜く。大映、新怪獣ギャオス ! ! ガメラと決闘する ! !スケールの小さいものにならねばよいが大映は『大魔神逆襲』の後(あと)、怪獣映画を製作中だ。この映画には新怪獣ギャオスが登場し、ガメラと決闘する。ガメラを諸君は御存じであろうか。北極の氷の中から復活した古代の巨大なカメである。ギャオスはラドンのような翼手竜で強力な怪獣である。題名は『ギャオス対ガメラ』か『ガメラ対ギャオス』かあるいは別の題名かどうかわからないが何しろ何々対何々という形になるであろう。ギャオスについては、その特徴・出生地など何もわからないが情報が入りしだい載せることにする。ところで映画のできについてだが、前作の『ガメラ対バルゴン』にはストーリーの奇抜さがなかった。バルゴンも平凡な怪獣であった。こんどのギャオスもあまり変わった怪獣ではないのでストーリーもそれにつれて変化のないものになってしまう恐れがある。何も怪獣に奇抜さがなければだめだということではないが、ストーリーがよくなくなってしまいそうなのでそう言うのだ。スケールの小さいできにならなければいいがどうであろうか。以上抜粋。マスコミなどによる情報は今よりずっと乏しい時代だった。新聞、書店の映画誌などでいちはやく吸収し、本誌記事のネタさがしをしたこともあったと記憶する。だいたい、私に限って言えば、あの特撮の神様と称えられた、円谷英二特技監督の顔写真一枚見たことがなかった。テレビ初の本格総天然色特撮怪獣ドラマは「マグマ大使」が先だが、東宝映画の銀幕を凄絶な迫力の特撮シーンで飾って来た「世界」の円谷監督がテレビ特撮ものを演出するのは「ウルトラQ」が日本初だった。だが、その「ウルトラQ」放映中も、そのお顔を拝む機会がなかった。次に「ウルトラマン」が放映されることになる記念に、本編放映一週間前に、「ウルトラマン前夜祭」が放映された時は、テレビの前に釘付けになった。初め、誰だか「私が円谷英二だ」と名乗るにせものが現われて、つい、特撮の神様はこの人かと思いかかり感激しかかったことを未だにはっきり覚えている。これは俳優だったのかも知れない。そのうちにせものということがバレて、実は本当の円谷監督はこちらにいるとの紹介と共に、客席にまぎれるように座っていた本物の監督がやおら立ち上がって、莞爾(かんじ)としてステージに立った時の感激は忘れられない。老境にさしかかったと見た紳士が、物静かに語る様子を見つめ続け、往年の東宝特撮映画を手がけた名監督の品の良さにうっとりした思い出がある。手塚治虫氏が漫画の神様であると同様、いや、私たちファンには、両者甲乙つけがたい印象であったが、「世界の円谷」、「特撮の神様」円谷英二氏を仰ぎ見たのだった。
2005.04.15
閲覧総数 2
7

難航した校歌楽譜 2025/12/02開始 村松「え、もういきなり楽譜載せちゃうの、しかもほぼ俺の怪しい代物を」夕子「何かさあ、あなたから校歌とは神聖・厳粛なものなんて言われたことあったから、あたしも少し気になるけどね、どうせならいつもの反対でトップにいきなりなんて思ったの」村松「いいのかなぁ」夕子「少なくとも音階は合ってると思う。でも、あなたの言う通りで、拍子があれっていうのあるしね。あ、そうだあなたも同じの持ってる野ばら社の歌集のね、えーと、60ページ。この歌、楽譜の一小節目は一拍つまり四分音符一つぶんだけどね、この一段目の最後が三拍なのよ。ご意見いかが ? 」 村松「あぁ、そうだね。四分の四拍子じゃないね」夕子「でね、一小節目と最後の小節を足すと四分の四になるのよ。それでね、二段目も同じ」村松「ホントだ」夕子「だからね、あなた、これらを調節するの、よくやったと思うよ」村松「そうか。ただ最後近くの休符のリズムは怪しいかも知れない」夕子「それも何しろ0.何秒かのことでしょ。もし曲を覚えている人が見たら、歌えると思う。歌えればいいわけよ」村松「とにかくYou Tubeいくら見ても、御殿場中学校歌が出て来ないんだよ。当時はもっとやかましかった沼東の校歌が今載っているのにね」
2025.12.07
閲覧総数 270
8

「イントロ楽譜はやっかいだ」 2025/12/28開始 「月光仮面」(テレビ版) 大瀬康一(おおせ・こういち)氏主演夕子「ごめんなさい、これイントロは複数の楽器が絡んでしまうのよね」村松「いや、夕子のせいじゃないよ。どうやら俺、クラシックギターで音階確かめるうちに、下手なくせに自己流やってたみたいなんだ」夕子「自己流っ ? 」村松「この曲、フォレスタの皆さんが歌うのがなかなかいいんだけど、その伴奏で光っているのがピアノ。で、俺はギターで勝手に弾いていたメロディー・リズムに、このピアノのアップテンポのメロディーが合ってて、フォレスタのピアノ伴奏のせいにするつもりも、もちろんないけど、この昔の主題歌の伴奏も同じメロディー、テンポで演奏されていたから、改めて見事な迫力だと思ったわけ」夕子「あ、そうか。寺内タケシさんみたいな神業の持ち主はともかく、あなたのギターじゃ、あ、ごめん」村松「いや、いいんだよ。楽器によってはテクニックを駆使出来ないハイテンポがあるってことだから。ピアノはスゴいね。だから夕子のエレクトーンも16分音符軽々弾くもんね。16分音符って、一小節に音符が16個だもの」 夕子「あの、今は話題にするのつらいかも知れないけど、ドラムも細かいリズムを刻むのに長けてるね。あなたが体調が最高にいい時だけって言ってる『ワイプアウト』はどれくらいのテンポ ? 」村松「16分音符で一小節16回連打するリズム、連打なんて言葉遣い違うかも知れないけど、これが初めから入ってて、何小節も続くからきつい。ただし、レッスンで本物のドラム叩いた時は、一曲全部ついていけたから、多分ドラム、スネアドラムとスティックの位置というか、椅子の高さとドラムとの位置関係かもね。でも、これよりテンポの速い曲は叩いたことがないから、かなり最速っぽいのかもね」夕子「音符はさ、32分なんてのもあるけど、ドラムはどうなの ? 」村松「一拍のスピードにもよるけど、俺みたいなレベルだと、よく使われるエイトビート、八分音符のリズム。あ、そうだ ! ごくごく瞬間的なのでよければ、えーとベンチャーズのヒットナンバーだった『10番街の殺人』なら、32分音符のところがあるよ。ちょっと音楽さがしながら、その箇所あたりで指摘するね」―演奏―夕子「あ、なるほど」村松「これはもうロールっていう技術を一瞬使ってるとも言えるかも知れないけど。ただ俺はまだまだ中途半端の技術だからこれも自己流だけど、ロールっていうのは、まあ連打みたいなもので、この10番街の殺人の時は、スティックを、二分の一拍の間に三回打つ。細かくは、右一回、左二回、四打目が右、これが八分音符。言葉のほうが説明むつかしいかなぁ。夕子ならわかるかなぁ」夕子「うーん。有名なところでいうと、タイロン・パワーが主演した『愛情物語』のテーマの『トゥ・ラヴ・アゲイン』の、うーん、どこって言えないけどかなり速いピアノリズムかなぁ・・」村松「You Tubeに楽譜あるかなあ。・・・鍵盤を叩くのはあるけど、・・これなんか」夕子「あぁ、そうかもね。二分の一拍で三つ叩いてるから、これかも」 月光仮面テレビ版のオートバイ原型、ホンダドリームC70 250cc夕子「あ、それとね、こんなこと今更ってことだけど、あたし、半音の記号を同じ小節内に二度記してるけど、これ厳密にはナチュラルって記号で半音を元に戻すってやる必要があるけど、これその都度半音上げるってことにしたりしてて、・・」村松「ああ、大丈夫。楽譜の規則もけっこううるさいようだけど、俺は少なくとも例えばシャープ二回記してあるほうが確かめやすい。もし間違いは間違いと言うのなら、開き直りになるけど、その書き方のほうがややこしい」村松「あの・・」夕子「気になった ? シャープ、ナチュラル」村松「俺、これでも保守だしね、歴史ある楽譜の伝統を無視するのは・・」夕子「あたしが無視していいって言ったらどうする ? 」村松「うーむ。半音の記号が使われる頻度はかなり低いのは確かだよね」夕子「そう。でね、例えば楽譜の最初のほうに一か所シャープが記してあったら、そこだけ半音上げるわけだけど、この楽譜群のすぐあとに全く同じ楽譜群が記されているとしたら、そこのある音符がノーマークだったら、同じく半音高くすることを無意識かそれに近く承知して演奏出来るかということ。規則にはふれてしまって間違いでも、近接する二か所をシャープで演奏しやすいと思うの」村松「ピアノ、エレクトーン得意な夕子が言うと、力がこもるね」夕子「それにね、シャープの記号は同じ小節内だけ同じ音符に効果があって、次の小節に同じ音符が来るときはまた表示しなければ無効になるって。これ知識がなければわからないことでしょ。余り賢明な方法とも思えないの」 月刊誌「少年クラブ」完成品付録「月光仮面メダル」村松「これ以上は単なる議論になって紙幅の無駄になるような気もするから、俺、夕子の考えに首肯することにするよ」夕子「話をこの歌に絞るけど、前奏と間奏がしっかり整っていて、しかも迫力も味わいもあるってのは、これ月光仮面に限ったことではないけど、素敵だと思う」村松「兄が昔言ってた言葉を思い出すよ。・・・俺がステレオでLPレコードかけてたんだったかなあ。正義の味方が勢ぞろいみたいな主題歌集」夕子「それあたしも覚えてる。あなたから聞いて。お兄さん、つくづく感心したように『昔の主題歌は勇壮だなあ』」って」村松「兄は東映時代劇にも夢中になった世代で、『笛吹童子』・『紅孔雀』の主題歌にも親しんでいたから、歌そのものに格調があることを高く評価していた」夕子「お兄さんの世代で素直に懐かしがれるのって、あたし、インテリだと思う。あ、急に話変えて悪いけど、この歌の歌い方でまあハッキリ言って楽譜の音階を変えてるのがあるのよね。シャープの話のあとでホント勝手なようだけど、音階は最重要ファクターだし」村松「えーと、何 ? 」夕子「あの、お手数かけて悪いんだけど、ワンコーラスの一部を掲載して欲しいんだけど」村松「悪いけど推測は出来た、合ってるかどうか別として」夕子「一番の歌詞をつかうけど、『♪ 月光仮面は誰でしょう』って、これ主題歌タイトルそのものだけど、あえて音階を混ぜて書くと、『♪ 月光(ドッシー)仮面は(ララソソ)』の次の『♪ だれでしょう』のところは、元の主題歌のキング小鳩会、近藤よし子さんたちが歌うのでは、『♪ だーれでしょう(ファーファレレミー)』ってちゃんと歌ってるのに、たとえばユピテル児童合唱団は、『♪ だーれでしょう(ファミレレミー)』って歌ってる。ファーファのところをファミってファとミを分けてしまってる」村松「その指摘全く正しい。それこそ別の例を出すと、古関裕而(こせき・ゆうじ)さんの『若鷲の歌』もそうで、これも一番引用すると、『♪ きょうもとぶとーぶ』のところを『とぶとーぶ(ラシドミミー)』と謳うべきところ、『とぶとーぶ(ラシドレミ)』と、まるっきり間違えてる。これね、中村八大っていうかなり有名な作曲家でさえ、この間違いハッキリやってる。VHSテープだからどこかに埋もれてしまったけど、彼がピアノでこれをやらかしてる。俺保守だからか、これ一つで中村八大の歌に素直になれない。正しい歌い方は例えば霧島昇さんの歌唱で聴くべしと言いたい」 『月光仮面は誰でしょう』イントロ楽譜 作詞 川内康範(かわうち・こうはん)氏 作曲 小川寛興(おがわ・ひろおき)氏半音記号『シャープ』の扱いは本楽譜では間違いと承知です。数多くの歌の歌詞は公開されていますが、楽譜となるとメーカーなどが有償提供の形しかありません。この現状がイヤなので、誤記を含むことを承知で音階と音符を伝えたい一念で時々掲載しております。
2026.01.01
閲覧総数 48