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「イントロ楽譜はやっかいだ」 2025/12/28開始 「月光仮面」(テレビ版) 大瀬康一(おおせ・こういち)氏主演夕子「ごめんなさい、これイントロは複数の楽器が絡んでしまうのよね」村松「いや、夕子のせいじゃないよ。どうやら俺、クラシックギターで音階確かめるうちに、下手なくせに自己流やってたみたいなんだ」夕子「自己流っ ? 」村松「この曲、フォレスタの皆さんが歌うのがなかなかいいんだけど、その伴奏で光っているのがピアノ。で、俺はギターで勝手に弾いていたメロディー・リズムに、このピアノのアップテンポのメロディーが合ってて、フォレスタのピアノ伴奏のせいにするつもりも、もちろんないけど、この昔の主題歌の伴奏も同じメロディー、テンポで演奏されていたから、改めて見事な迫力だと思ったわけ」夕子「あ、そうか。寺内タケシさんみたいな神業の持ち主はともかく、あなたのギターじゃ、あ、ごめん」村松「いや、いいんだよ。楽器によってはテクニックを駆使出来ないハイテンポがあるってことだから。ピアノはスゴいね。だから夕子のエレクトーンも16分音符軽々弾くもんね。16分音符って、一小節に音符が16個だもの」 夕子「あの、今は話題にするのつらいかも知れないけど、ドラムも細かいリズムを刻むのに長けてるね。あなたが体調が最高にいい時だけって言ってる『ワイプアウト』はどれくらいのテンポ ? 」村松「16分音符で一小節16回連打するリズム、連打なんて言葉遣い違うかも知れないけど、これが初めから入ってて、何小節も続くからきつい。ただし、レッスンで本物のドラム叩いた時は、一曲全部ついていけたから、多分ドラム、スネアドラムとスティックの位置というか、椅子の高さとドラムとの位置関係かもね。でも、これよりテンポの速い曲は叩いたことがないから、かなり最速っぽいのかもね」夕子「音符はさ、32分なんてのもあるけど、ドラムはどうなの ? 」村松「一拍のスピードにもよるけど、俺みたいなレベルだと、よく使われるエイトビート、八分音符のリズム。あ、そうだ ! ごくごく瞬間的なのでよければ、えーとベンチャーズのヒットナンバーだった『10番街の殺人』なら、32分音符のところがあるよ。ちょっと音楽さがしながら、その箇所あたりで指摘するね」―演奏―夕子「あ、なるほど」村松「これはもうロールっていう技術を一瞬使ってるとも言えるかも知れないけど。ただ俺はまだまだ中途半端の技術だからこれも自己流だけど、ロールっていうのは、まあ連打みたいなもので、この10番街の殺人の時は、スティックを、二分の一拍の間に三回打つ。細かくは、右一回、左二回、四打目が右、これが八分音符。言葉のほうが説明むつかしいかなぁ。夕子ならわかるかなぁ」夕子「うーん。有名なところでいうと、タイロン・パワーが主演した『愛情物語』のテーマの『トゥ・ラヴ・アゲイン』の、うーん、どこって言えないけどかなり速いピアノリズムかなぁ・・」村松「You Tubeに楽譜あるかなあ。・・・鍵盤を叩くのはあるけど、・・これなんか」夕子「あぁ、そうかもね。二分の一拍で三つ叩いてるから、これかも」 月光仮面テレビ版のオートバイ原型、ホンダドリームC70 250cc夕子「あ、それとね、こんなこと今更ってことだけど、あたし、半音の記号を同じ小節内に二度記してるけど、これ厳密にはナチュラルって記号で半音を元に戻すってやる必要があるけど、これその都度半音上げるってことにしたりしてて、・・」村松「ああ、大丈夫。楽譜の規則もけっこううるさいようだけど、俺は少なくとも例えばシャープ二回記してあるほうが確かめやすい。もし間違いは間違いと言うのなら、開き直りになるけど、その書き方のほうがややこしい」村松「あの・・」夕子「気になった ? シャープ、ナチュラル」村松「俺、これでも保守だしね、歴史ある楽譜の伝統を無視するのは・・」夕子「あたしが無視していいって言ったらどうする ? 」村松「うーむ。半音の記号が使われる頻度はかなり低いのは確かだよね」夕子「そう。でね、例えば楽譜の最初のほうに一か所シャープが記してあったら、そこだけ半音上げるわけだけど、この楽譜群のすぐあとに全く同じ楽譜群が記されているとしたら、そこのある音符がノーマークだったら、同じく半音高くすることを無意識かそれに近く承知して演奏出来るかということ。規則にはふれてしまって間違いでも、近接する二か所をシャープで演奏しやすいと思うの」村松「ピアノ、エレクトーン得意な夕子が言うと、力がこもるね」夕子「それにね、シャープの記号は同じ小節内だけ同じ音符に効果があって、次の小節に同じ音符が来るときはまた表示しなければ無効になるって。これ知識がなければわからないことでしょ。余り賢明な方法とも思えないの」 月刊誌「少年クラブ」完成品付録「月光仮面メダル」村松「これ以上は単なる議論になって紙幅の無駄になるような気もするから、俺、夕子の考えに首肯することにするよ」夕子「話をこの歌に絞るけど、前奏と間奏がしっかり整っていて、しかも迫力も味わいもあるってのは、これ月光仮面に限ったことではないけど、素敵だと思う」村松「兄が昔言ってた言葉を思い出すよ。・・・俺がステレオでLPレコードかけてたんだったかなあ。正義の味方が勢ぞろいみたいな主題歌集」夕子「それあたしも覚えてる。あなたから聞いて。お兄さん、つくづく感心したように『昔の主題歌は勇壮だなあ』」って」村松「兄は東映時代劇にも夢中になった世代で、『笛吹童子』・『紅孔雀』の主題歌にも親しんでいたから、歌そのものに格調があることを高く評価していた」夕子「お兄さんの世代で素直に懐かしがれるのって、あたし、インテリだと思う。あ、急に話変えて悪いけど、この歌の歌い方でまあハッキリ言って楽譜の音階を変えてるのがあるのよね。シャープの話のあとでホント勝手なようだけど、音階は最重要ファクターだし」村松「えーと、何 ? 」夕子「あの、お手数かけて悪いんだけど、ワンコーラスの一部を掲載して欲しいんだけど」村松「悪いけど推測は出来た、合ってるかどうか別として」夕子「一番の歌詞をつかうけど、『♪ 月光仮面は誰でしょう』って、これ主題歌タイトルそのものだけど、あえて音階を混ぜて書くと、『♪ 月光(ドッシー)仮面は(ララソソ)』の次の『♪ だれでしょう』のところは、元の主題歌のキング小鳩会、近藤よし子さんたちが歌うのでは、『♪ だーれでしょう(ファーファレレミー)』ってちゃんと歌ってるのに、たとえばユピテル児童合唱団は、『♪ だーれでしょう(ファミレレミー)』って歌ってる。ファーファのところをファミってファとミを分けてしまってる」村松「その指摘全く正しい。それこそ別の例を出すと、古関裕而(こせき・ゆうじ)さんの『若鷲の歌』もそうで、これも一番引用すると、『♪ きょうもとぶとーぶ』のところを『とぶとーぶ(ラシドミミー)』と謳うべきところ、『とぶとーぶ(ラシドレミ)』と、まるっきり間違えてる。これね、中村八大っていうかなり有名な作曲家でさえ、この間違いハッキリやってる。VHSテープだからどこかに埋もれてしまったけど、彼がピアノでこれをやらかしてる。俺保守だからか、これ一つで中村八大の歌に素直になれない。正しい歌い方は例えば霧島昇さんの歌唱で聴くべしと言いたい」 『月光仮面は誰でしょう』イントロ楽譜 作詞 川内康範(かわうち・こうはん)氏 作曲 小川寛興(おがわ・ひろおき)氏半音記号『シャープ』の扱いは本楽譜では間違いと承知です。数多くの歌の歌詞は公開されていますが、楽譜となるとメーカーなどが有償提供の形しかありません。この現状がイヤなので、誤記を含むことを承知で音階と音符を伝えたい一念で時々掲載しております。
2026.01.01
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ジブリアニメ嫌いという話など 2025/12/23開始 村松「会話の形にしてズルいっぽくてすまないけど・・」夕子「なるほど。あなたの得意な文章にすると、かえって」村松「キツく見えるかなって・・キツクてもいいけどね」夕子「要は嫌いってことよね」村松「ズバリ俺は保守思想だから、宮崎駿の左翼思想が嫌いなんだよ。だいたい、手塚治虫が『作家、漫画家は本来、反体制』って言ってたからね。かつて放映してた『テレビ探偵団』って言ったかな」 夕子「単純な聞き方で悪いけど、手塚治虫のこと、きら・・」村松「その通り、嫌いだね。漫画でも『鉄腕アトム』はアトムの性別が気味がわるい。横山光輝さんの『鉄人28号』が断然いい」夕子「鉄人のほうがどうして好きなの ? 」村松「鉄人は感情がなくて、まばたきもしない。だけどもの言わぬ目が何んとも言えず雄弁で頼もしさを感じた。アトムは女々しい。俺自身が男らしくないさえないヤツだったから、そこに原因がありそうだね」夕子「鉄人が好きな理由、それだけ ? 」 村松「鋭いね、実は物語の設定がいいんだ、鉄人は。日本の工業技術、科学技術の進歩をも思わせる設定なんだよ。呼称にこだわるけどね、大東亜戦争の末期に鉄人か建造されていたっていうスゴい物語が根底にある」夕子「あたし、知ってたけど、わざとらしさ承知で訊くね。っていうことは、大東亜戦争時に、鉄人28号がほぼ完成してたってこと ? 」村松「うん。それで一つ考えて欲しいんだけど、・・・ん ? 」夕子「どうしたの ? 」村松「これ始めると、ジブリが嫌いって話からだいぶ遠ざかるって思って」 夕子「あ、そうか。じゃあ、ううん、でもね、鉄人の話はジブリアニメ嫌いっていうことと無関係じゃないから、続けたらどお ? 」村松「なるほど。鉄人は要するに劣勢覆うべくもなかったにもかかわらず日本軍が開発していた、まあ、『鉄人28号型ロボット』の性能の凄さを描いてもいたってこと。ん ? 何 ? 」夕子「さっき考えて欲しいって言ったでしょ。あれ、何 ? 」村松「日本が戦前戦後、現在に至るあらゆる建造物をイメージしてみて、ある意味指摘出来る疑問っていうか、そんなことがあると思う」夕子「これまでの科学技術の成果を眺めると見えて来るものってこと ? 」村松「これも鋭いね。具体的に歴史に名高いものを列挙してみる。ただし、高々俺如き凡才の言うことなんざ、考慮に値せずと片づけられる程度かも知れないけどね、零戦、戦艦大和、新幹線、・・・これくらいが主なとこかな。で、未だに、これは我が国一国にとどまらないけど、取り敢えず挙げると、ロケット技術」夕子「ロケット・・。もしかして、最初に挙げたのはみんな優秀で、ロケットだけ問題ありってこと ? 」 村松「ホンット、鋭いね。しまいにゃ、皆まで話さないうちに、見破られちゃうってことになるかも。実際そういうことあったし」夕子「ね、せかすけど続けて」村松「日本に限ったことじゃないけど、ほかの建造物はすべて水平方向に長い形のもので、ロケットだけは」夕子「縦(たて)なんだぁ、タテね」村松「ほおら、いやな予感。ま、お前は『くノ一』でもあるから、見破られても当然だけど、事このテーマに関しては、余りにも大ざっぱな仮説だけだから、くノ一でも失敗ってことになるかも」夕子「あたしが仮説の答え言って、間違ってた時の緩衝材的な、とはならないか。じゃ、考え話して」村松「ロケットは、今も言った通り、世界各国とも、失敗があるんだけど、失敗の回数では日本は少なくない。新しいロケットが開発されるたびに、まあ一回の成功に対する失敗が多い。で、ここから余り根拠ありとは思えぬ仮説だけど、縦の方向に動くものは、得意ではない。超大国のアメリカでさえ、フォン・ブラウンがかなり苦戦しているし、その大元になったナチスドイツ時代のV2ロケットも、ありとあらゆる失敗を重ねている。まして、日本如きがいくら技術が優秀とはいっても、特にロケットは新型が出来るたびに打ち上げ失敗してる。コクなようだけど、ロケット打ち上げは先端の衛星船軌道投入の序章である。ここでも一気に飛躍するけど、これを車でいうと、発進に失敗して走らないのに等しい。ロケット打ち上げは出来て当たり前というところまで行かないうちはダメってこと」 夕子「なるほどね。で、鉄人を絡めると・・」村松「鉄人は基本、立って、直立している。言い方をかえると、垂直方向の動きが確立されている。巨大建造物をその単体で直立させるのは大変な技術なんだよ。今ロボットがようやく歩行、走行その他の動きが安定して来ているよね。でも鉄人型ロボットはまだまだ道のりが長いんだよ。で、そろそろジブリアニメ行こうか」夕子「直立歩行かぁ。確かに言えるね。あ、ごめん、続けてみて」村松「ジブリアニメが嫌い、って言うよりつまらないのは、ほとんどの作品で国籍が示されてないこと。世代ギャップと言われるかも知れないけど、特に若い世代が『魔女の宅急便』や『天空の城ラピュタ』を推す。両作品の共通点は国籍皆無ということ。西洋のどこかをモデルにして、パクってることは見てきゃあわかるけど、とにかく登場人物の名前がいきなり登場で、しかもラピュタなどでも、ガキ二人の女の子がシータ、男の子がパズー。で、ウィキペディアの批評欄のいずれもが絶賛。俺はこの世にいたくないと思ったね。このガキども、何人(なにじん)なんだ ! ? 」夕子「久しぶりかなぁ。あたし、ここで言うのってズルいと思われるかも知れないけど、あなたのそういう話聴きたかったの。逆を言うと、ほとんどの日本人が左翼思想に関しての知識ゼロ」村松「ホントはこいつらのことをバカと言うんだけどね、まあバカぞろいだろうね。俺さあ、三上丈晴さんを不利な立場に追い詰める気はさらさらないんだけど、You Tubeの『旅杯』って番組で、島田秀平に対して遠慮会釈ない説を展開してるの見て、かなり快哉を叫びたい思いなんだけど」 夕子「ごめん。あなたの説に便乗するかも知れないけど、あたしこの司会者は余り好きじゃないの。いかにも芸能界で衣食するおべっか芸人で、いい子ぶってるだけ」村松「俺のほうこそ、夕子の言ったことに勢いづくようだけど、島田秀平を高くは評価してない。あのね、オカルト番組を引き合いに出すことになるけど、キック氏の件で終了してしまった『超ムーの世界』『シン・オカルト倶楽部』で、いずれも島田が司会やってるけど、これがことなかれ主義の手本みたいにつまらない。以前、『超ムーの世界R』で三上さんがラピュタのモデルとして『マゴニア』の話をした時、三上氏はこれは俺の邪推が入るけど、『天空の城ラピュタと言えば宮崎駿大先生のアニメですが』と言うが早いか島田が『大好きです』と返すように言うんだけど、そんな好き嫌いどうでもいいんだよ。それよりラピュタがイギリスの作家、ジョナサン・スイフトの『ガリバー旅行記ラピュータ』のパクリということをこいつ知ってるのかなと思った。あぁ、でも俺二枚舌だなぁ。島田秀平氏などと敬語つけてブログ書いたこともあるからなぁ」夕子「いえ、あなたはブログだからって慎ましく書くことが多かったと思うけど、本心を時には書くのも面白いと思ったのよ。あなたがテーマにしている宮崎アニメ、ネットで検索すると、左翼主義者とハッキリ語るサイトもあるわよ」 村松「ホント ? 」夕子「あたしもここに会話させてもらうから、反感かいそうなこと言うけど、宮崎アニメを子供に見せて賞賛するなら、作者本人の思想傾向を知ったうえで評価すべしというサイトがかなりあるのよ。左翼思想に共通するのは、なぜか祖国日本が嫌いということ。そのぶんなのか知らないけど、アニメの風景に必ず西洋を出すのよね。あたしはハッキリ言って西洋をイメージさせる風景は気持ちが動かない。『魔女の宅急便』でも初めのほうで早速『海のみえる街』が流れるけど、風景は西洋。あたし、興味ないから国名の特定は出来ないけど」 村松「検索すればまず必ず見つかるけど、その情報に共感的にはなれないね。ここで一気に宮崎駿がかつて雇用されていた東映動画のことになるけど」夕子「出たぁ東映動画」村松「俺が絶交したある人のサイト掲示板だったかなぁ、俺の関連サイト全部削除されたから、言いたいこと言えると判断するけどね、ある時俺が『安寿と厨子王丸』を賞賛するコメントをかつての思い出と共に記したんだ。で、ここでコメントに返信コメント載せる人が、まあ日和見主義の人だった。誰にも自説を言わずまあるくおさめるようなことしか書かないから、物足りなさは常にあった。で、ほどなく俺への反論という形かどうかは忘れたけど、一人の『サイボーグ009』命みたいな女が『安寿は自殺したじゃないか』と書いた。で、東映動画は、反省して論調を変えたというんだ。この女に特徴的なのは俺が子供の頃を懐かしむ話にいっさい触れず、安寿=自殺ばかり強調したこと」夕子「ごめんなさい、口をはさんで。安寿は姉弟(きょうだい)二人とも奴隷で終わるのを惜しんで、男子である弟・厨子王を言い聞かせて逃がしたあとすぐ、己れの身の今後を推理して身投げしたでしょ。あたし、こういうの自殺とはとらない。結果として厨子王は生かされているし、母親にも再会出来て、悲しくも美しい物語になっているでしょ。この説話、語り継がれている以上、何かあると認めるべきと思うのね。ところでサイボーグ009ってどんなの ? 」村松「申し訳ないけど好き嫌いではなく、全く興味無し。俺ね、複数が隊列組むの全く興味無し。ついでに言うと忍者部隊月光も興味無し。だいたいこれ元々『少年忍者部隊月光』で隊員たちは日本軍だったんだよ。それとね、余り公表したくないけど、忍者部隊月光の主演俳優は自殺している。俺は自殺を特別視しないけど、主題歌を聴く気にはなれない。くどいけど、自死した人を見下す気はない。けれど知ってしまった以上、主題歌にストレートになじむのはね・・」 夕子「話、長くなっちゃったね。いきなりテーマのジブリアニメに行こうかしら」村松「オッケー。改めて興味が持てない理由・原因の一つは、無国籍アニメということ。例を増やすと、さっきちょっと触れた『魔女の宅急便』も、ヒロインはキキという妙な名前の少女。ストーリーもなじめなくて、俺、途中で何んていうのか、むつかしい小説の字面(じづら)を追うよりもひどい、アニメの画面だけ追うようになって、気づいたら終わってた。久石譲氏の音楽がなかったら、録画する気も起きなかったな。さらに『もののけ姫』。これは途中で寝てしまってた。宮崎駿は、我が国古来の歴史背景や伝統文化をわざとはずして、面白くもない自分勝手な設定ばかりしている。あの有名な『となりのトトロ』もこれだけはDVDまで買ったけど、久石氏の歌二曲に親しんだだけ。第一、長女がさつきなら、次女には、弥生(やよい)とか神無月のカンナとかつけりゃいいものを、英語読みのメイと来た。これ都市伝説化するのも当然で、二人(ににん)姉妹だけど実は一人だけなんて茶化したくなる」夕子「トトロにもそういう傾向あったような」村松「トトロと縄文土器を結びつける無理をしてる。縄文文明がいかに驚きに満ちているかは言わずに、言いたくないんだろうね、トトロっていうでっち上げの化け物を縄文と結び付けてる。幼い子がこのアニメ一本で思想洗脳されかねないんだよ。まず我が日本はスゴい起源に根差すって言えばいいのにね。あれ、このテーマ、言いたいだけ言ってたら、とてつもなく長くなるよトトロだけでもストーリー自体怪しいから都市伝説化してるしね」 夕子「わかった。じゃあさ、これもいきなりかも知れないけど、宮崎駿や彼のアニメに異を唱える説や意見のサイトを抜粋してみたらどお ? 」村松「オッケー」 ☆以下にネット検索して共感した質問とアンサーを掲載しますが、言わば無断掲載なので、無論お名前などはカットしたものの、不快と思われた場合はその旨お寄せ下さい。削除等の措置をとらせていただきます。☆ 質問ジブリ作品全般が苦手です。 アニメ自体が結構苦手ですが特に宮崎アニメが本当に苦手です。 世間では何故かジブリ作品を否定してはいけないような風潮なので なかなか人には言えません。 私の妻や子供達は割りと好きなようで(当然といえば当然ですが…) 付き合いで見ることはありますが、すごく嫌悪感を覚えます。 もちろん映像技術や独創性等素晴らしいと思う面もありますが 私の個人的超偏見ですが宮崎氏本人及びその作品を見ると ロリコン、マザコン、変態、カルト宗教等を連想してしまいます。 できれば私の子供にはあまり見せたくないですが 以前妻にそんなニュアンスを匂わせたところ当然ですがいい顔されませんでした。 芸術作品とは言え商業作品ですから好きな人もいれば嫌いな人もいていいはずですが なぜか嫌いと言ってはいけないような雰囲気は、ある種のカルトのマインドコントロールに 近いと思うのですが、そんな私はおかしいでしょうか? 同じようにジブリ嫌いな方いますか? ちなみにディズニーや手塚治虫は嫌いではないです。違いは自分でも説明できません。 ベストアンサー同じく、アニメというものを見ることがまずないですし、特にジブリ作品は毛嫌いしてます。私にはジブリも商業主義臭がプンプンして、宣伝を見ただけで拒絶反応を起こします。 全く見たいという気が起きないのに、学生時代に先輩に「魔女の宅急便」を無理やり見させられたことがあったのですが、何がおもしろいのかさっぱりわかりませんでした。 その後も、勿論見ることはなく、質問者さんが、カルト宗教を連想するとおっしゃられてますが、数年前に、そっち関係の人間がジブリの会長になったことで、さらにカルト色が顕著になったと聞き、ますます見る気が失せました。 ジブリ映画でよく音楽を手掛けるらしい、久石譲という人は、他の映画を観ていい仕事しているのは知っていて、多少興味はあるのですが、だからといって、ジブリ映画を見ることは、今後もないでしょう。 マインドコントロールというのは考え過ぎかなという感じですが、子供さんに見せたくないというのはもっともだと思います。 ★備考★なお、私が検索拝読した文章のすぐあとの段に、「宮崎アニメ嫌悪派の精神構造」とでも言うべき、宮崎アニメ絶賛派による質問、アンサーが載っていて、枚挙も考えたが、さすがに不愉快になり、掲載をやめた。しかし、この絶賛意見には、我が国の言論・思想を覆う「左翼思想」を連想してしまった。GHQマッカーサーはずる賢い男である。我が国が建国数千年の間に守り通して来た礼節・伝統・秩序を見事に打ち壊し、「少なくとも今後百年間は日本を骨抜きにして見せる」と豪語した。その通りになりつつある。彼は対支那戦闘につき、トルーマン大統領に原爆使用を訴えて却下され、ほどなく解任された。帰国後まもなく開かれた上院軍事外交合同委員会で、口述筆記の形で、我が日本国の宣戦布告を肯定した。この事実をマスコミは昔も今も報道していない。宮崎駿の手塚治虫追悼コメント、雑誌「SPA(スパ)」1989年2月23日号より。全文から、宮崎が手塚治虫氏を追悼の念で語っていないことがわかる。故・立川談志師匠による追悼文。心からの哀悼の意が容易に伝わって来る。ことに、立川氏が生前賞賛おかなかった手塚氏の短編『雨ふり小僧』は、読者の胸を打つ名作である。
2025.12.27
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「校歌」イントロの話と考察 2025/12/15開始夕子「ええーっ、また校歌ッ ? しかも今度こそ高校の ? 」村松「まあこれも数年前かな、気になってはいたんだよ。あの、夏の全国高校野球あるじゃん」夕子「ええ。あなた、まさか意外に見てるの ? 」村松「いや、ほとんど見てない。第一、俺もはやここまで来ると、草野球の出来ない男で終わること必至なんだよ」野球はもちろん、あらゆる球技が嫌いになっていた中で、ちばてつや氏の『ちかいの魔球』だけは別格で、主人公・二宮光(にのみや・ひかる)が見せる活躍・苦悩のドラマが胸を打ち、とうとう単行本を買い揃えた作品だった。 夕子「あたし、わかんない。野球ってそんなにむずかしいの ? 」村松「あのさ、生涯わかんない俺のようなバカのことだと思って答えてみて」夕子「ええ。いいわよ」村松「まず例えば俺が小学校の時、ホントに珍しく小さなヒット打って一塁に出た。ここまでいい ? 」夕子「ええ、いいよ」村松「次のバッターがまた打った。けれどもやや高めに放物線を描いて、内野フライになるおそれがあった。でもたまに出塁したバカの村松は、ランナー一塁二塁を期してスタートした。内野手が打ち上げたフライを見事キャッチした。そん時、俺もう二塁目指して走ってたけど、挟み撃ちにあってアウト。俺、何んでダメなのおって抗議したけど、ダメなんだってみんなから言われておしまい。さて、この理屈おわかりでしょうか」 夕子「おもしろーい」村松「え ? 夕子、もしや野球わかってたりして」夕子「二つの意味でおもしろい。まずあなたが野球の話題を出したこと。もう一つは、フフ、ウソみたいなシンクロニシティ。共通の質問が載ってて、ベストアンサーもついてた」村松「へえー」夕子「でも、何んかさ、アンサーのムードって、ほとんど偉そうに見えるのが気に入らない。でも、まあ気にしなければということで、ね、ネットから拾ったの見てみる ? 」村松「おねげえしますだ」 ☆質問☆最近野球のルールを学んでます。フライが打たれた場合ランナーは野手がキャッチするまで走り出してはいけないと知りました。これは明確なルールですか?それとも暗黙の了解とかマナーとかの類ですか? 例えば 味方打者がフライを打ち上げる→野手は落下地点で待っているが1塁走者はキャッチを待たずに走り出す→野手がうっかりエラーで落としてしまう→1塁走者は2塁に間に合う これはセーフですか?それとも野手はエラーしなければキャッチしていたのでそれを待たずに走り出した1塁走者はアウトですか? わかりにくい文章ですが、有識者の方ぜひ教えていただきたいです。 ☆アンサー☆暗黙の了解でも、マナーの類でもありません。何故なら、そのような規則は存在しないからです。 走者は、打者がフライの打球を打った場合でも、野手に捕球される前に元の塁を離れて次の塁へ向かっても構いません。 ただし、野手が捕球に成功してしまうと、走者は元の塁に触れ直さなければなりません。これを怠るとアウトにされてしまいます。 なお、野手が捕球した後に走者が元の塁に触れ直せば(または、捕球の時点で元の塁についていれば)、その後に次の塁へ向かうのは差し支えありません。 要は、「(容易に捕られそうなフライの場合は) アウトになりたくなければ、塁を離れないほうがよい」 ということなのですが、規則を学び始めでは少々ややこしいかも知れませんので、最初は「フライでは野手に捕られるまで塁を離れない」 と覚えてしまったほうがよいかもしれません。 よって、質問文にあるプレーの場合は、一塁走者はアウトではありません。 野手が落球したのであればそのままセーフです(走者が元の塁に戻らなければならないのは、あくまでも「野手がフライを捕球したとき」だからです)。 プロ野球でも、二死(即ち、打者がアウトになってしまえば走者がアウトにされる心配がないとき)、あるいは外野手に直接捕球されなさそうな遠くへ飛んだフライの場合に、まだ打球が空中にあるうちに走者が元の塁を離れて次の塁へ向かうシーンがよく見られます。 村松「ありがとうごぜえましただ」夕子「どおいたしまして。何か言うことある ? 」村松「まあ、自分らの肩持つみたいになるけど、夕子の短距離も俺がかじった拳法も、うるさいルールはなくて、好感が持てたってとこかな」夕子「でもね、だからあたしは合唱部にも入ったの。ひたすら速く走るだけの短距離って、よーいどんの着順と、記録が読まれてそれきりでしょ。あたし、合唱部が楽しかった。それまで知らなかった曲にも巡り会えたし」村松「どんな歌があったの ? 」夕子「『平城山(ならやま)』とか『城ヶ島の雨』」村松「ほお、格調高いね」夕子「フフ、でもね、あなたと知り合ってから、例えば軍歌とか懐メロとか覚えたのはかなり大きかったよ」 夕子「ところでさ、何んで野球の話になったの ? 」村松「あれ。いつもの俺の病だ、何んだっけ」夕子「あ、思い出した、高校野球よ」村松「あ、そうか。えーとね、今回扱う沼東、沼津東高の校歌がワンコーラス短過ぎて貫禄がないってこと」夕子「あらぁ、また沼東憎しね。大丈夫 ? 」村松「なーに、かつてのエリート気取りどもも、もはやじじいだ。少しは浮かれた熱が冷めたんじゃないかってね」 夕子「ワンコーラス短いって、あなたの考え ? 」村松「言いだしたのは兄貴。兄は高校野球もかなり見てたから、全国の強豪校の校歌聴いてたんだよ」夕子「ああ、そうか。それでか」村松「そう。沼東の校歌はまるで数え歌。値打ちがない」夕子「うわひどい、数え歌かぁ。でもうまいこと言うわね、あ、いけない」村松「いいんだよ。俺さ、むしろ御殿場中学の校歌のほうがいいと思ってるもの」夕子「ああ、出たあ。でも作曲者って、有名な人だと思ったけど」村松「さすが夕子、よくぞ・・」夕子「ここまで修行したものだ。この戸沢白雲斎がほめてとらすってやつでしょ」村松「弘田龍太郎って人でね、何んか校歌量産してたみたいけど」夕子「あなた必ず毒のあること言うね。そうかあ、つまり校歌には長さも必要ってことかぁ」 夕子「最後にひとつ提案していいかなぁ」村松「どうぞ、なんなりと」夕子「あなたがイントロにこだわったの聞いたからだけど、今度イントロの楽譜書いたらどうかなって」村松「ほお、例えば」夕子「月光仮面は誰でしょうのイントロ」村松「うわお。簡単ではないね。月光仮面か・・・」夕子「何か ? 」 村松「いや、たいしたことじゃないんだけど、イントロっていうか、前奏、伴奏だろ」夕子「ええ」村松「今回のもそうだけど、わずか一段で済むイントロで、最後の休符のところに、何かの楽器で『タカタッタッ』って入ってるんだよ。えーと聴いた事実で言うと、You Tubeの新しいほうだったか、でも無視して休符にした。でね、今提案のあった月光仮面でも・・」夕子「何んとなくわかった。これは要するにオーケストラ・スコアとして、記す必要ってことでしょ。でもね、割り切っていいのよ。要はあなたの耳でとらえた音階、音符で楽譜として表わすこと。楽器はイメージとしてテキトーに描けば」 〇考察〇確信が持てないなら掲載せざるべしと言われても仕方ないが、私の記憶としてとらえるなら、三つ上の兄が沼東へ入ってしばらくの新入生体験談を語ってくれたのが印象に残る。兄はまず校歌について、「小・中・高と次第に格調高いものになっている。特に沼東の校歌は、吹奏楽部が高らかに演奏する前奏が迫力・気品を感じさせる。とにかくいい、一番が始まる前の旋律として見事な出来具合だ」と絶賛した。 なお、結果として私も沼東に何んとか合格し、兄の軌跡をたどるように学習中心の生活に入ることとなるが、兄が賞賛した時は私はまだ御殿場中学の一年生で、略称・御中と呼んだこの中学の校歌をまず覚えねばならなかったが、音楽への興味ひとかたならぬ兄が、中学の校歌も早くから教えてくれていたので、中学の時に既に沼東の校歌をメロディーだけ歌えたように記憶している。 さらに入ったばかりだったからか、兄は沼東以外の高校では、校歌を徹底して覚えさせる仕組みではなく、音楽の時間に教師が教える程度だとも言った。ただし、高校では音楽は必修授業ではなく選択授業だったので、まあ今から思うと余りいい印象は残っていないが、ほとんど脅迫する雰囲気を作って応援団が教えたから、おそらく沼東卒業生で校歌を歌えぬ者はいないと確信さえ持つことが出来る。 文京区大塚の東京教育大本部同大少林寺拳法部による公開演武音楽を大いなる趣味の一つとおくようになって、校歌をきっちり覚えて良かったと肯定出来る。なお、のちに進んだ東京教育大、現・筑波大の、つまり大学の校歌は全く歌えないし、そもそも入学式にも行かなかったし、果たして大学の歌を校歌と呼んでいいのかとさえ思ったし、まさか学歌とは言うまいと、認識はこの程度である。ただ、いっとき在籍した少林寺拳法部では、毎年の大学祭で模擬店を出す習慣で、そのためなのか、この大学の一大祭典を「桐葉祭(とうようさい)」と呼ぶことだけは覚えた。 静岡県立沼津東高等学校 校歌(一番) 嗚呼 昧爽(まいそう)の星の影 函嶺赤く映ゆる時東えいの波清らかに 八朶(はちだ)の冠たたふれば 見よ明け初むる南(みんなみ)の 我が同胞の自治の里 〇備考〇(一番歌詞は、昭和42年4月20日発行の『若人の歌』所収のものによる。You Tube 版では、『東えい』は『東瀛』、『たたふれば』は『湛ふれば』と、漢字が多くなっている。なお、一番の歌詞中、『昧爽』など、判読困難と独断したものには読み仮名を付した)。
2025.12.20
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九大フィルハーモニー・オーケストラ、もう一人の麗しい女性演奏者前回はティンパニーを演奏する迫力ある女性を掲載させていただいた。それが下の画像。このかたの画像を何枚か撮影してブログ用のものを検討するあいだにも、管楽器演奏する端正な女性が気になっていた。そして、疎くて申し訳ないのですが、クラリネットまたはオーボエを吹く演奏者の知的、理的な整った姿が気になったので、掲載してみました。演奏曲は、チェコの作曲家ドボルザークの交響曲第九番「新世界より」。
2025.12.15
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講談・四谷怪談「お岩様誕生」最終回(第四回) 2025/12/10開始 改めて書くが、「俗説」として語られて来た講談の「四谷怪談」では、悲劇のヒロインお岩様は夫・伊右衛門に謀られて毒を飲まされる物語にはなっていないし、顔の半面が無惨に腫れる描写もない。ただし誠に不思議なことながら、全くの正反対のこととして「実は夫婦仲は円満だった」、「お岩様は良妻賢母で、妻の鑑のような婦人だった」と評価する空気もある。 私見によれば、この「四谷怪談」一つが数百年の時を超えて未だ祟ることが事実としてある限り、お岩様を貞女の鑑として強調する風潮は、あるいはそれを言う者どもはうろんであり、面妖であり怪しい。さらに改めて書くが、「四谷怪談」の登場人物は特に件の夫婦は実在の江戸時代の二人がモデルであり、この二人とそれを取り巻く人々のあいだに、尋常ならざる人間模様があった。繰り返すが、今以て祟りがあると語られるのは「四谷怪談」ただ一つだ。もちろんあれこれ言う輩は必ず「ほかにもある」と反論して事例を挙げるが、この手の話に疎い人が表層だけは知識にあるということは無い。 江戸時代を中心とした怪談の中で古典怪談と言われるものも、いくつかあるが、これとても例えば三大怪談、四大怪談と定義されているわけではない。これまた独断で枚挙すると、「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」、「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」、「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)」などが有名だが、これらのいずれにも今に至る祟りの話は無い。「四谷怪談」ただ一つが不気味に存在している。「四谷怪談」ただ一話に、映画・演劇関係者の事前のお参りが不可欠だという風潮あるいは事実は、モデルがあること・曰く因縁の深い実話、逸話が存在したことが根底に厳然とあるはずだと私は見る。この話を始めると、それだけでブログの一テーマになるほどの長さと内容になるが、内容はともかく複雑怪奇で、祟りがあるのにもかかわらず、その根拠、元々の話は諸説あって謎に包まれたままだ。 例えばこの怪談の講談語りで有名だった故・六代目一龍齋貞水(いちりゅうさい・ていすい)師匠の語り口の見事さもさることながら、七代目・一龍齋貞山(いちりゅうさい・ていざん)師匠の「四谷怪談」も講談史上に名を残すそれは見事な講談だった。「お化けの貞山」との異名をとるほどで、講談語りの「四谷怪談」がこれほど怖いムードに仕上がった嚆矢(こうし)、はしりと言えようか。つまり初めは普通に語り始めるが、いよいよ亡霊と化したお岩様登場となると、場内の照明は消して真っ暗にし、貞山師匠が語る周囲だけ、それもいかにも恐ろし気な青い照明を下から照らし、これが師匠の顔をたちまちに不気味極まる面相に変える。さらにお岩様が現われる場面となると、貞山師匠が工夫した面をかぶるので、もはや劇場映画のお岩様を見るが如き恐怖を味わえる。 さらにさらに、お弟子さんたちが細い糸などで吊るした火の玉を真っ暗な場内に釣り具のさおのようにしなう木製の棒で操るから視覚効果抜群で、客席の女性客の悲鳴すら聞こえて、クライマックスに達したことも確かめられる。 さて、この貞山師匠が、ある時から講談で「四谷怪談」をやるためのお参りをしなかった。やがて夏が近づいて、演芸場の玄関正面には名だたる講談師、落語家などの名前を書いた提灯が飾られたが、この時不思議なことに貞山師匠の提灯だけが、何が原因か都合何度か落ちた。係りの人はほかの演者の提灯もていねいに飾り付けるので、これはもはや怪異だ。しばらくして自宅から、師匠死去との連絡があった。 怪談物語のモデルも土地も時代背景も実在するのに、そのモデルの人々の確かな記録がない。それにもかかわらず、事前のお参りを怠った時は、役者などに祟りが現実に起きている。中には悲劇のヒロイン役の女優が亡くなるなどの最悪の不幸もふりかかる。そして怪談をあるいはホラーを制作せんとする人たちは途切れることがなく、しかも一度は「四谷怪談」に挑んでみたいとさえ言う。 さて、長い前置きになったが、ここから本編を始めたい。〇簡単なあらすじ〇「ひょんなことから夫婦となった伝助とおつなだが、伝助は安芸の国から毎年春ごとに江戸に来る大名の家来たちの米飯を炊く仕事を得て働いていた。ところがある時、借金返済を巡るいざこざから、金貸しの伊勢屋重助を斬殺して死体を二階のざるに隠していた足軽小頭・高田大八郎の罪を見つけ、高田に因果を含められて命拾いするが、この死体の始末を命じられ、うろうろするうちに、何んと己れの自宅に運び込むという面倒なこととなった。」 講談・お岩様誕生「最終回・第四回」「おつな、今帰(けえ)った、おつな、今帰った」「伝助さんかい、今帰ったじゃないよ、お長屋の衆は口がうるさいんだよ。伝助さんはどこへ行っちまった、どこへ行っちまった、虫がかぶって来そうだってのに、どこへ行っちまった。言い訳をするのに困るじゃあないか・・何んだ、何んだいその包みは」(註 ; 虫がかぶる/ 産気づいて陣痛が起こるの意)。「いや、な、何んでもない、何んでもねえんだ。高田の旦那にな、ふとんの洗濯頼まれたんだよ。いや、今じゃなくていいってんだ。お前が、お前が丈夫な赤ん坊生んでからでいいってからよお、いくらかになるんだよ。初めて生まれて来る子だよお。人様からいただいたもの着せるよりゃよ、安いもんでも働いて買ったもの着せてやりてえと思うじゃねえか。だから、だから頼まれたんだよ。あ、お産が済むまでな、これ、預かっとかなきゃなんないんだけど、生(なま)もんだから、腐っちゃうと具合が悪いなこれ。お、おつな、その押し入れの下、貧乏所帯だ、何もへえってねえや。そこへこれ入れるから、だ、大丈夫だ、大丈夫だよ、一人で出来るよ、触んじゃねえってんだよ。お腹(なか)でもぶつかったら、どうなんだよ。大丈夫だってんだよ、触るじゃねえっつってる、触んじゃねえ、触んじゃねえってのに」 どっこいしょと、これを押し入れの中に。「伝助さん、お前さ、お腹がすいてんだろ。ご飯にしよ・・」「ええ、いい、いらね、いらね。高田の旦那んとこでごちそうになったんで、腹(はら)すいてねえんだよ。か、かまわねえから、おめえだけ食べてくれ」「そんなこと言わないであたしがこんな体だから、何もしてあげられないけど、夕げの膳のしたくはしてあるんだから、一(ひと)わんでもいいから、食べておくれよ」「そ、そうか。だったらマネだけでいいや、おめえが食べろよ、いやいっぺえ食わねえと、滋養がつかねえと、丈夫な赤ん坊生まれねえって言うからさ、少し、あっとそんなにいっぺえよそったって食べられねえよ」 夫婦さし向かいで食事、無論伝助、これがのどへ通らねえ。おつなの顔を見て、伝助が考えた。おつなは世が世であれば四谷左門町三十俵三人ぶち、田宮又左衛門という立派な御家人侍の娘。己れのような飯炊きと夫婦になったればこそ、亭主は夫だと思って、大きなおなかをかかえて、こうして食事のしたくをして待っている。夫婦の情だ。人の心が「今頃、殺された伊勢屋重助さん、おかみさん心配してんじゃねえか、旦那がけえって来ねえ、ツルみてえに首長くして待っていなさるだろうに。いくら待ったってふるしきにくるまれてんだよ、帰っちゃ来ねえよ。そうだ知らせよう、知らせよう、伊勢屋重助さんのおかみさんに知らせよう。知らして死がいを引き取ってもらおう」 「おつな ! えれえことしちゃった、忘れ物しちゃったんだ。いや、高田の旦那に頼まれたことづけがあんだよ。ちょいとあの、霊岸島まで行って来る」「伝助さん、やめておくれよ。今にも虫がかぶって来そうだし、夜も遅いしさ、雨も降りそうだし、夕方から変なカラス鳴きの声がしてるし、外は気持ちが悪いよ」「家(うち)ん中のほうが気持ちが悪いんだよ」すぐに帰って来るからと、伝助が出かけた。ところがこれ人間知らないというのはこわいもの。この時に伊勢屋重助のかみさん、あの高田大八郎に殺されていて、この世の人じゃあなかった。というのは、自分の亭主が高田のところへ行ったきり、帰って来ない。こらあ夫婦ですから心配になってわざわざ霞ヶ関の足軽小屋までむかえに行ったんでございます。 「あの、宅がおじゃまをしておりますはずで・・・」『亭主が来たの知ってやがる、生かしておいちゃあこっちがあぶない』と、抜き打ちにただ一太刀、さっきまで亭主の死がいを入れておいたあのカッパざる、これへ今度は女房の死がいを投げ込んだ。亭主は京橋五郎兵衛町、伝助のうらぶれた長屋の押し入れ、女房は霞ヶ関、大名屋敷の足軽小屋の薄暗い二階のカッパざる。共に死がいになって、横たわっていた。とは知らないから、伝助が出かけて行ったあと、残ったおつながひとりさびしく「どこへ行きなさったことやら、早く帰りゃあいいのに」今に帰るか今に戻るかと待っているが帰って来ない。「何をしていなさるのやら、やがてもう九つだろうに」どこの寺で打つのか、時を知らせる鐘の音(ね)がボーン、更けた夜空に響いてもの悲し。「あれは九つ。あ、雨が、傘も持たずに困っていなさるだろう」夫の身を案じるおつな。その耳に響いて来る、湿った路地のどぶ板を裸足(はだし)で踏むような足音、ピタピタピタピタ、足音がピタッと止まる。「あ、伝助さん ! 」思ったとたん、何んとも言えないいやあな女の声で、「ごめん下さいまし、ごめん下さいまし」「ど、どなたさま」 「霊岸島川口町、伊勢屋重助の家内でございます。宅がお世話になっております。会わせてやって下さいまし」「ど、どなたもおいでじゃございません」「いいえ。確かにおります。押し入れの中の麻(あさ)の風呂敷(ふるしき)にくるまれていると、知らせがありました。ごめん、下さいまし」音もなく角(かど)の戸が、いつのまに入ったか、顔色のあおざめた、いやあな感じの女、両の手をこうダラーッ、胸のあたりへ下げ、「ごめん下さいまし」。歩むともなく、又浮くともなく「この押し入れの中に」、押し入れから取り出した麻風呂敷、中から取り出した血のしたたる生首。それをしっかりと抱き上げる、さもうれしそうに。 おつなのほうをじーっ、「おかげさまで宿がここにおりまし・・イヒ、ウフ、イヒ、ウフ、イヒ、ヒッヒッヒッヒッヒッヒー」、笑いましたその顔の恐ろしいこと、あまりのことにおつながキャー、のけぞって気を失ったとたん、産気づきましたのか、産み落としたのが女の子。や、この騒ぎにお長屋の連中がかけつけて来る。「大変だよー、おつなさんごらんよお、おつなさんが赤ん坊と生首と一緒に産んだ」って、そう思ったなあ、無理はございません。知らせを受けました田宮又左衛門がかけつけてまいりました。この時には産み落とされました赤子が元気に産声を上げておりましたが、母親のおつな、かわいそうにそのまま息が絶えております。哀れな孫娘がと、この赤子を引き取る、又左衛門が七日目、お七夜につけました名前がお岩でございます。 ところがこのお岩様が母親と同じように、七つの時に松皮疱瘡にかかります。器量が悪い。これがため、なかなかに縁談がまとまりません。ここにひとりの養子をむかえるということになるわけでございます。四谷怪談の発端、お岩様誕生というお話でございます。――了―― 「素人ながらのわずかな考察」小池壮彦(こいけ・たけひこ)氏の研究書『四谷怪談 祟りの正体』は見事な一冊、というより大冊である。小池氏はこの時代へ来て初めて「四谷怪談」に言及し得た才能の持ち主だと感じた。だが著者自体、「未だ不可解」との未完の言葉のようなもので閉じている。では小池氏の一書から私が何んとなくではあるが、つかみ得たものを本当にごくごく簡単に書いてしめくくる。以下しばらく小池氏の著書巻末近くのページから抜粋。☆お岩さんは夫の裏切りを知ったとき、憤怒(ふんぬ)の余りに生きながら鬼女と化し、左門町の路地を駆け抜けた。その姿が目撃されたのを最後に行方不明になった。現在の四谷警察署の裏手に、いまも細い道がある。「鬼横丁」と呼ばれたのがその路地だ。その後のお岩さんの足取りは、杳(よう)として知れなかった。川に身を投げたのではないかとも言われたが、死体が上がったという報告はなかった。☆ 以上抜粋。実は私が確か中学の時、級友から借りたいわゆるジュブナイル向けの「四谷怪談」の小説の内容が、今抜き書きした内容の物語となっていた。要するに、実説を記してくれていたのだ。知ったふうなことを言う怪談語りの若造らのやかましい考察はなく、お岩様の哀れな境遇が我々子らに知らされていた。小池壮彦氏の語る通り、「四谷怪談」は今も増殖を続けている。
2025.12.13
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再録・世紀の大魔術失敗の思い出 昔から多趣味である。だから一つに固定した趣味領域で浅い付き合いを得ようとしても、まず無理である。私の非社交性もずいぶん原因しているだろうが、特にバイク趣味では失敗している。バイク好きの人は、多くメカにも通じている。私はこれが全くわからず、話に加われない。バイク趣味の人を論難するわけではないが、私はメカがだめだ。高校時代、理系志望の多くの同期の生徒が工学部をめざす中で、私は「成らば」という願望はあったものの、例え万一合格しても、その先が生き地獄なのは目に見えていた。だから消去法で農学部を選んだに過ぎぬ。由来我が家系はどちらかというと文系である。これも自慢になるが、現に兄も私も古文の試験では50点満点の40点台が多く、上位者掲示の中にたびたび入った。中学の技術科が嫌いだった。私は今模型工作用にハンダゴテを持っているが、これは中学の技術の時間中、設計図を見てもまるっきりわからずに困っているところを、クラスの生徒の一人がすべて作ってくれたおかげである。無論今でもしっかり役に立っている。ただしハンダは使わない。例えば氷山を作る時、発砲スチロールを溶かして成形するために使う。ちなみにこのハンダゴテを作ってくれた生徒とはロケット趣味で一時期気が合い、中三の時、ペンテルサインペンの芯を抜いて実際にロケット実験をやっていた私とよく話し合った。だがある時、ロケット推進原理をこの生徒が間違って解釈していたことを私が正そうとしたことで気まずくなって、付き合わなくなった。彼は噴射火炎の勢いが周囲の空気を押す反作用で飛ぶと言い張ってきかなかった。無論ロケットは真空中でも飛ぶ。ロケットの噴射は言わば燃焼室内での爆発である。この圧力がロケット本体をはじき飛ばす原理である。つまりロケットは究極の内燃機関である。しかも、車やバイクと違って、私のような子供でも作れるのが魅力だから、いっぺんに飛びついて、天気の良い日曜日は、ほとんど燃焼実験か発射実験で半日つぶした。高校受験の前年11月になってもまだロケットに夢中だった。さらに、高校にようやく受かるとすぐ新型ロケット開発にかかって、兄が最初の大学受験から帰った晩も、ロケット発射実験をやったほどだ。孤独な趣味である。孤独な趣味といえば、小学二年ごろには、一番の趣味の特撮を離れて、手品に没頭したことがあった。結果を先に書くと、これはトランプ手品練習にかかった時、ひどい不器用に初めて気づき、すっかり意欲がなえて、あっさりやめている。小学六年までは、新しい手品を習得するのが楽しく、覚えている限りでは26種類のやや複雑な手品をその場でやることができた。ズバリ「手品」というタイトルの本を小2の時に買ったが、結局ほとんど読解できずに終わった。なぜか今も紛失をまぬかれて、本棚のどこかに眠っている。先日TBS系列の「花まるマーケット」という番組でMr.マリック氏がゲストの時、薬丸君と岡江久美子さんの目の前で、タバコを百円玉に突き通す手品をやって見せたのに驚嘆し、久しぶりに手品の番組でも見ようという気になって、四日土曜日のマリック氏の超魔術を見て楽しんだ。マリック氏の話では、百円玉とタバコの手品は、無名時代よく通ったクラブみたいな所で、ある時、勝新太郎氏の目の前でやって見せたら、いたく気に入られ、無造作に取り出した一万円札何枚かを与えられ、あとで数えたら八万円だったという。マリック氏は、中学時代に手品に興味を持ち、むつかしい手品の本を読んで独学して、次第に上達したという。月とスッポンどころではない才能の大差を痛感した。光文社の月刊誌「少年」昭和35年1960年新年号付録「少年探偵手帳」そこでさらに思い出したのが、小6の「卒業生を送る会」で、クラスの者と三人で手品ならぬ一大魔術を企画上演して、見事に失敗し、大爆笑を受けたことである。一番の出し物は「空中に浮く少年」である。購読誌「少年」の付録にたまについてきた「少年探偵手帳」記載の奇術で、一度やりたいと望んでいた。ただし、この時は、私の不器用ゆえの失敗ではない。実際司会進行を務めた仲間がドジで、タネがすっかりバレたのである。押しの強いこいつに任せたのが間違いだった。図説の通りに運べば、多分成功していたと思うが、材料選びに困ったあげく、私の家の敷布団のシーツで代用することとした。ただし、シーツをそのまま演技者の少年の体に左右均等にかぶせると、いよいよ「浮く」という段になった時、シーツの丈が足りないゆえ、シーツの中のタネも一緒になって見えてしまう。だから私は客の側に向いたシーツを長めに垂らすよう、くどいほどそいつに指示しておいた。「シーツは会場側に長めにな!!」とシーツのことばかり口が酸っぱくなるほど言った。「少年探偵手帳」より、『空中に浮く少年』の仕掛け。シーツもシーツである、じゃなかった、先生も先生である。あとの出し物に必要な時間が詰まってきているから、急いでやってくれと言うのだ。幕の裏で、やや焦りながら準備が始まった。私は魔術師の衣装を着付けてもらうため、さらに楽屋裏へ引っ込んでいた。これがいけなかった。「出番!!」と告げられ、急いで壇上に駆け上がると、既に半ば幕が開きかかっている。そして、準備された光景にギョッとなった。このバカ、仮に猿彦としておくが、猿彦の奴、あれほど言っておいたシーツを左右ピッタリ半分ずつ演技者にかけているのだ。演技者は実に手際よく段取り通りの作業をしてくれた。だが結果は目に見えていた。果たして、クライマックスになる場面で、ほうはいと大爆笑が起こって渦となり、長い間やまなかった。題して「タネあかし同時進行魔術」である。もう一つ、私がかなり自信を持っていた奇術があったが、ともかく、私が世紀の魔術師の役をやるのがふさわしいと言って、俺がやるからと言った猿彦めが、ろくろく練習もしないままに、こちらもボロをあっけなく出して、又も大笑いされた。当時、日曜日の寄席番組で時々手品師のアダチ龍光氏(昭和57年没)が出演して、必ず一つはタネあかしをしてくれる手品があった。これは土曜日にマリック氏がクイズとして出したような単純なものではなく、かなり凝ったものばかりだった。私はできそうなものをメモして、着々とレパートリーを増やしていった。このうちの一つを上演することにした。題して「永遠に卵を産む不思議なハンカチ」である。簡単に書くと、奇術師がかぶる帽子を逆さに机上に置き、その前で仕掛けを施した白いハンカチの裏表を観客に見せ、一旦帽子にかぶせる。そして、おもむろにハンカチの両端を持って持ち上げて帽子から離し、二つ折りにして、「コッコッコッ」と鶏の鳴き声を出しながらハンカチを傾けると、本物の卵がポロッと出て、帽子の中に落下するものである。この作業を数回繰り返せば、タネがわからぬ限り、何もないはずのハンカチから卵がその都度こぼれ落ちる。私自身は練習用に卵の代わりに硬貨を使って、何十回となく繰り返して絶対の自信を持った。猿彦のバカは、本番用にわざわざ小さな穴を開けて中の黄身を抜き取って軽くした卵を何の手違いかつぶしてしまった。しかもこの手品のために着用の黒い服の保護色として、ハンカチには黒糸を取り付けてこの黒糸の端に卵を吊るしておいた。そして猿彦はごていねいに、ハンカチを持ち上げる時、つぶした卵も一緒に宙高々と上げてしまい、初めからタネを開かしてしまったというわけである。失敗の最大の原因を一つ言えと問われたら、猿彦の出たがりである。このバカ野郎め、後年反日思想の塊となり、私と大口論のあげく、義絶となった。私に同窓の友人は一人もおらぬ。初めに書いたように私の性格にも大いに原因があろうが、私も余り恵まれぬ男である。ま、別に今となっては、なんてこたないが。
2025.12.12
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私の世代が最後かも知れないと思うが、知識にある原因は祖母・母である。祖母は明治30年1897年生まれだが、ラーメンと呼んだ麺類を「志那そば」とごく普通に呼んでいた。かの国を「中国」と呼ぶのは間違いで、我が国では広島県・岡山県あたりをさす。風土記などの古い書物には「この年、我が中国に・・・」などの記述があるが、ここでいう中国とは国ではなく、故郷あるいは昔の地名で安芸のくになどと呼ぶこともあったので、自分のくに・故郷を称する時のある種の「美称」であることがわかっている。では「シナ」とはどこから現われたものかと言うなら、詳しくはウィキペディアを参照されたいが、歴史に名をなす孫文が言い始めて広まったものであり、時が移るとこれが蔑称となったらしい。なお、必ずとまで言い切る気はないが、チャイニーズに特有の顔立ちや韓国人らしい独特の顔立ちが存在する。例示して終わる。名前などを調べる煩に耐えぬゆえ、画像のみ。二枚目も同じ。一応敬意をひょうして、中国人と書いておく。醜悪、最悪という意味ではこのツラだろう。ホントウはこの画像だけは出したくなかった。深海魚が化けた顔の三白眼。ああ次のブログを掲載したい。
2025.12.10
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ゴジラ衝撃シーン 2025/12/08開始 ゴジラ映画は昭和39年1964年12月の「三大怪獣・地球最大の決戦」あたりから変容著しく、襲来した金星怪獣キングギドラから地球を守ろうとモスラ幼虫がゴジラ、ラドンを説得しようとするなど、年来のファンとしては嘆かわしいほどだったが、なぜか場面により、ゴジラの本来の凶暴さを見せてくれるところもあった。 そしてこの作品がゴジラらしさを垣間見せてくれる最後の作品ともなった。無論、その後のゴジラ映画でも、ビル・家屋破壊などはお決まりのようにあったが、これは破壊の迫力を与える凄みはあったが、中に住む人もろとも家を壊す残虐さまでは感じさせなかった。その点、例えば「シン・ゴジラ」の破壊シーンでは、倒壊するマンションの何階かの中に人がいて、正直そこまでやるかと残酷さを感じた。家屋倒壊シーンのパニック描写。二枚舌と言われそうですが、このような凄絶なシーンはやはり迫力を感じます。 しかし、本作品にも見るべき特撮シーンはある。オフィスビル倒壊シーンは、長年特撮に親しんだ者の癖と言うべきか、フルCGばかりでもないのではと疑うようになり、それでもCGならミニチュアを推測する理由はあるまいと思っていたが、ウィキペディアのそれと思しきシーン説明に『オフィスビル倒壊シーンの机、コピー機などは四分の一スケールのミニチュア使用で撮影された』と記されていたので、これは見事なシーンだと思った。「三大怪獣・地球最大の決戦」より、迫力シーンカメラが右にパンニングするとゴジラが浮上
2025.12.08
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最愛の兄の思い出再録・自転車のペダルが急に軽くなった夜 2025/12/08開始〇掲載初出2004年9月25日〇私は、昭和43年(1968)に、高校に進学したが、その時、三つ上の兄は、医学部を目指して、浪人生活に入るところだった。当時、大学受験の浪人は珍しくないどころか、むしろ一浪を冗談に「ひとなみ」と読んだくらいだから、当たり前のことで、更に二浪もかなりいた。私のように現役合格する者はガキ扱いされる風潮だったが、これも決して悪意ではなかった。年の違う同士が集まる大学は、それまでの中学・高校にない、年齢を度外視した、格別な環境だったと言える。私は少林寺拳法部にいた頃は、前年の1971年にパニック障害で休学したので、一年遅れで大学復帰し、同い年の、本来なら同学年の人にさん付けで敬語を使い、逆に私より一つ下の奴らと名前を呼び捨てで交流するという大学に特有の関係にもあった。これはくどいが、大学に縁のない者にはついぞ味わえない独特の人間関係世界だ。私の兄は予備校の類いを嫌い、俗に言う宅浪、自宅浪人生活に、はやばや生活を切り替えた。先に、亡き愛犬ジョイに八つ当たりするほどストレスがたまることがあったと書いたが、兄はジョイを死ぬまでおびえさせたわけではなかった。何といっても、あの巨大犬をしつけた人間だ。私一人では、とてもグレートデン一頭を手なずけることは不可能だった。後足で立てば身長ほぼ180cmまたはそれ以上だった。兄は、ジョイの小屋に寄って、誘うことがあった。初めおびえるジョイも、兄の顔つきを読み取って、すぐに近寄って甘えた。「よーし、よしよし。なあ、ジョイ。よーし、よしよし。いい子だ、いい子だ」と、あっという間に、自らの手でしつけ、いつくしんだ愛犬を再び三たびなつかせた。この姿を見て私は、兄とジョイのあいだには、とても入り込めないと悟り、それがうれしくもあった。私もまた、どこか優しい雰囲気をたたえた兄に、弟ながらほれていて、ささいなことが原因で二人全く口をきかなくなる「冷戦」の如き兄弟げんかの時を除いて、兄とはよくいろいろ話を交わして、楽しんだものだ。兄はおじいちゃんっ子だった。その祖父の感化大なるものを受けて、幼い頃から兄は、講談に名高い英雄豪傑、妖怪変化となじみになった。無類の読書好きは、これも祖父に由来するとしか思えなかった。親類のおばさんが来て幼い兄を街に連れ出してくれた時も、ちょうど往来をはさんで、菓子屋と本屋が向かい合っているあたりへ来て、欲しいものを何でも買って上げると言った時も、本が欲しいと言って、おばさんを驚かせたことがあった。長じて兄は、文京区、小石川高校のとなりにある会社に就職したが、あれほど快活だった兄も、この会社で対人関係の悩みを抱えることとなる。同じ研究室に、兄に対して陰に陽にいやがらせをする男がいた。兄は大学時代の仲間からも温厚だと評価されていたほどだから、この男の根性がひねくれていたと解釈するほうが妥当だろう。例えば廊下で兄とすれ違う時、この男は兄を足払いで転ばそうとしたという。兄は、北区赤羽の社員寮に入っていたが、ある時から、私の下宿に寝泊りするようになった。当時の私の下宿は、東京都の文京区千石(せんごく)というところにあり、周囲は閑静な住宅街だった。もしも大都会東京の雰囲気を味わいたければ、一歩外へ出て、大通りまで出れば良い。私の下宿は兄の会社からは目と鼻の先だった。四畳半一間の狭い部屋だが、私は兄と起き伏しを共に出来るつかの間の喜びを感じていた。兄の弱音をそれまで全く聞いたことがなかったが、兄は時おり私に、件(くだん)のいやな奴の話をした。私は激怒して、よく言った。「俺が少林寺拳法で、そやつをたたきのめしてやる ! ! 」兄は一笑に付し、「なに、いざとなったら、俺も柔道の有段者だ。心配するな」とはねのけたが、心の痛みは決して軽いものでないことは察しられた。私は自転車を一台持っており、これを日常の足にしていた。当時はなぜか人より酒が強く、特に日本酒を熱かんでやるのが好みだった。近所に「大名うどん」というのれんを掲げた小料理屋があり、同じ下宿の東大の大学院の人に教わったこの店を一時期気に入り、自転車で週に一度ほど、出かけた。食後数時間たって小腹がすいたころ出かけて、とっくりをわずか二本あけると、ちょうど良い気分になった。そしてそのあと、関西風をうたう、薄味の大名うどんを食べると、ずいぶん腹がくちくなった。なお、この店には座敷もあり、鉄板が置かれていて、お好み焼きも食べることが出来た。ある晩私は、珍しく大学の講義の予習をしていた。兄は会社から帰ってまもなく、ごろりと横になったまま、知らぬまに、一寝入りしたらしい。名前を呼ばれたので振り向くと、「厚(ひろ)、俺もずいぶん弱気になったのかな・・」とポツリ言う。どうしたのと聞くと、「ジョイの夢を見たよ。それから目が覚めて、あいつのことを思い出していたら、なんだかほろっと来ちゃってな・・・俺、精神的に危ないかな、なあ厚(ひろ)」と、しみじみ話したから、私は兄の疲労を悟ったが、「なに、お兄ちゃん、それ言われたら、俺なんか、神経症やって以来、女々しいことの連続だったよ。お兄ちゃんは医学部目指して、地獄の三浪生活乗り切ったろ。俺には偉そうに言う資格はないけど、世間の荒波にもまれれば、いやなことのいくつかはあるさ。ジョイだって、お兄ちゃんに夢を見てもらって、天国で喜んでいるよ」「そうかな」兄はそれだけ返すと、ふとんの上で伸びをして、枕に突っ伏して、黙ってしまった。その目に光るものを確かに見たとき、兄はだいぶ参っていると確信した。「お兄ちゃん、まだ、おなかいっぱいかな・・。もし良ければ、俺の行きつけの店があるんだけど」と、誘いかけてみた。「そうだな。お前と一献(いっこん)傾けるか」と、二つ返事でオーケーとなり、私は自転車、兄は徒歩で、ゆっくりと小料理屋へ向かった。カウンターで兄と酒を酌み交わしながら、何を話したかは覚えていない。帰り道、私は自転車のペダルをゆっくりこいで、兄に歩調を合わせていた。その時、兄の姿が視界から消えた。すると、自転車が急に速度を増した。兄がにわかに私の後ろにまわって、自転車を押していた。「それーっ ! ! 」と一声かけると、兄は前にも増して、私のこぐ自転車を力を込めて押し、いつまでもその手をゆるめなかった。ペダルをこぐ必要がなくなった。とうとう、あっというまに、下宿の玄関に着いていた。この間(かん)、私は、最前の兄の目にわずかに光った涙を思い出して、今度は私がたまらぬ気持ちになり、兄とは違って泣き虫の私は、懸命に自転車を押してくれる兄の気配を背中に感じながら、涙を両目から流して、こみあげるおえつをこらえていた。「お兄ちゃん、なんとか耐えてくれよ」と同時に心に叫んでいた。その後兄は茨城県土浦市にほとんど新築同然の中古住宅を買ったが、運命のいたずらか、30代終わりに白血病に罹患し、46歳の夏にこの世を去った。罹患後の兄は勤務していた製薬会社の土浦の工場長勤務をしていたが、仕事の要領をつかんだと言って、よく昼前後に私に電話をかけて来た。余命いつまでか常に不安につきまとわれる立場ゆえに、雑談の相手を欲していたと察するほかない。兄との想い出もまた数多くあるが、弟に弱音を語った兄の姿を見たのはあの晩だけである。今懐かしく思い出して涙ぐむのは、相変わらず泣き虫の私のほうだ。
2025.12.08
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難航した校歌楽譜 2025/12/02開始 村松「え、もういきなり楽譜載せちゃうの、しかもほぼ俺の怪しい代物を」夕子「何かさあ、あなたから校歌とは神聖・厳粛なものなんて言われたことあったから、あたしも少し気になるけどね、どうせならいつもの反対でトップにいきなりなんて思ったの」村松「いいのかなぁ」夕子「少なくとも音階は合ってると思う。でも、あなたの言う通りで、拍子があれっていうのあるしね。あ、そうだあなたも同じの持ってる野ばら社の歌集のね、えーと、60ページ。この歌、楽譜の一小節目は一拍つまり四分音符一つぶんだけどね、この一段目の最後が三拍なのよ。ご意見いかが ? 」 村松「あぁ、そうだね。四分の四拍子じゃないね」夕子「でね、一小節目と最後の小節を足すと四分の四になるのよ。それでね、二段目も同じ」村松「ホントだ」夕子「だからね、あなた、これらを調節するの、よくやったと思うよ」村松「そうか。ただ最後近くの休符のリズムは怪しいかも知れない」夕子「それも何しろ0.何秒かのことでしょ。もし曲を覚えている人が見たら、歌えると思う。歌えればいいわけよ」村松「とにかくYou Tubeいくら見ても、御殿場中学校歌が出て来ないんだよ。当時はもっとやかましかった沼東の校歌が今載っているのにね」
2025.12.07
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2003.10.15再録・警官の目にも一粒の涙があったカテゴリ:回想亡き祖父の若き日のエピソードで、未だにやや驚きと心地よい思いに浸って祖父をしのぶことのできる話がある。ちなみに祖父は明治23年、1890年の生まれだ。祖父は結局働き盛りの頃に至るまで、二つの事業を起こしながらも、共に大東亜戦争のために廃業に追い込まれる経験もしている。祖父が起業した一つ目は当時で言う「自動車部品店」で、一家に一台すら車のない昭和初年、これはトラック・タクシーなど、車を使う事業者向けの部品を扱っていた。先に祖父の親類のお宅で藤枝市に店を出したら、たちまちの繁盛ぶりで、当時の大宮町(現・富士宮市)も商売敵がまだいないので、勧められて祖父は開業し、これが成功することとなる。 ところが我が国は米英などの連合国に疎んじられ、やがて貴重な天然資源などを断たれることとなり、山本五十六のような愚か者が真珠湾に始まる大東亜戦争の無謀な戦火拡大を進めるなどによる戦局悪化となり、遂に鉄製品をも「供出」の名のもとに全国から強制的に没収することになった。もっと有名なところでは、大正初年以来の老舗として現在も営業続けて活躍している増田屋さんなどは、店の大きな看板を供出させられていた。 祖父の自動車部品も、急速に品不足となり、店じまいの余儀なきに至った。さて、祖父の起業の二つ目は石炭販売である。鉄製品は各種武器製造の目的で国家に取り上げられることになったが、既に資金調達に余念がなく、周到にたくわえていた祖父は、九州大牟田などに石炭山を複数買って、当時は大昭和製紙などの重役たちが価格交渉に祖父を訪ねるなど、貫禄もたっぷりの仕事ぶりだった。 ところが、既に戦局悪化をたどった昭和19年暮れ近くから米軍の空襲が本格化し、現に九州往復の途次、乗っていた列車が米艦載機の襲撃を受けたこともあった。そしてとうとう、九州の石炭山ことごとく、空襲で灰燼に帰した。波瀾の多い人生と言うのは簡単だが、懸命に働かんとする祖父へのこういう仕打ちはたとえ戦火の時代とは言え、ひど過ぎた。それでも祖父は、戦後自宅を都合二件新築していた。祖父、最晩年の新築家屋の玄関先で、幼き兄と。 長い前置きとなったが、本題はここから。さて、祖父は若き一時期警察官をやったことがある。今で言う外勤警察官だった。当時としては体格が良く屈強でもあった祖父は、無論兵隊検査でも甲種合格となったほどだから、外勤警官の任務も難なくこなせる頑健な体を持っていたわけである。ある時、自転車でいつもの見まわり勤務をしていたところ、一件の物持ちとおぼしき家に即座に異変を感じて、こぐペダルに一層力を入れて、そちらに急行した。空き巣狙いが一人、家に忍び込もうとしているところに出くわした。追いついてすぐ自転車を降りると、祖父は空き巣狙いに躍りかかった。中年のこの男は、抵抗むなしく祖父に取り押さえられて観念した。当時を簡単に再現してみる。「おっさん、物取りだな。どうやらこの家(うち)は留守だ」「へい、もう観念致しやした」「なあ、おっさん。もしこの家(や)の主や家族が中にいたら、お前さん、そこに持ってる・・・」いきなり祖父は男の衣服のポケットなど、あちこちをさぐり始めた。「なんだ、お前さん、何も得物を持ってないのか? 刃物の一つ二つ持たないで、どういう料簡で入ろうとしたんだよ」中年男は無言でうなだれたままだった。「おっさん、人を殺めたり居直ったりするつもりじゃあなかったようだな」「面目ありません。ただ、金が欲しかったんで・・・」祖父は男の少し汚れた衣服を手で軽くはたいて、ついた土などを落とすと、ゆっくり言った。「おっさん、どんな事情があるか知らないけど、これっきりにしとくんだよ。あんたにもかみさんや子供の幾人かはいるだろう。俺もこんな若造でたいしたこたぁできないけど・・・」祖父はポケットからさいふを出してあり合わせの札何枚かを渡して言った。「これで何か精のつくものでも食べて、少し頭を冷やすといいよ」「だんなさん、俺を見逃して下さるんで・・・?」「はっきり言って、空き巣狙いを目こぼしするようじゃあ、新米のくせに俺も警官失格だけどな・・・。物騒なもの一つ持たなかったおっさんのことも気にかかるんだよ」「だんなさん・・・」中年男は涙ぐんでいた。「早まった考え起こしちゃだめだよ。俺な、ほらあんたも知ってると思うけど有名な分限者(ぶげんしゃ。金持ちのこと)の種屋さんの二階に部屋借りてるんだ。さっきも言ったように、たいしたことしてやれないけどな、女房子供泣かすことする前に、何か困ったことあったら、休みの日に訪ねて来てくれ。話するだけでもいいじゃないか。さ、人に見られないうちに、さっさとここから立ち去りなよ」これこそ、うそのようだが、実際にあった話である。亡き祖母が時々語っていた事実談だ。私はこの話を母からもたまに聞いた。その中年の人は、時々「だんなさーん」と声をかけて、祖父の間借りする種屋という金持ちの家を訪ねたそうである。さらに、後日談だが、逮捕をまぬかれたこの人はのちに更正して、住まいのある富士宮市のやや北のほうで、仕事に成功してちょっとした土地の顔となり、戦中戦後のやや食糧事情困難な一時期、今度は時々訪ねる祖父に、米は言うまでもなく、味噌・しょうゆさらに酒までも都合して快く渡して持たせてくれた。無論、無償である。そのおかげもあって、我が家は、満足な食事に恵まれたという。お話変わって、私の免許更新のことだ。私にはおそらく父の遺伝と思われるが、ややひどい乱視がある。運転免許更新に行くたび、普通の人にはなんのことはない視力検査が毎回苦痛だった。この視力検査、なぜかわからぬが五十音交じりでいろいろ読ませた昔の検査と違い、円形記号の上下左右を切り取ったものだけを読ませる。乱視の目で見るとかなりの大きさでも関係ない。欠けた箇所がふさがって見えて、「右」などと判別できない。私はバイクに多く乗るのでメガネをかけたくなかった。ヘルメットにメガネだと、かなりきつくなる。なるべく裸眼を通したかった。第一運転に何ら支障ない。あの記号が不適当なのだ。だからカンも使って例えば「ひ、左・・・」などと答えると、とたんに係の警官が「これだぞお」と、こんな大きなものがわからぬかといういやな顔をこちらに向けて、ぶっきらぼうに言う。私は内心「このバカ、乱視というものを知らぬか」とうんざりしながらも、必死に見極めようと思って答え、これまではなんとか裸眼合格してきた。ついでのことだが、オートバイばかり乗っていた若い時期、私はいくたびかスピード違反のため、講習を受けねばならなかった。これも星だと思っているが、なぜか一斉取締りにひっかかることが多かった。ある時の講習時間中、なにゆえかわからぬが講習担当の警官が、「今捨てたタバコの温度が800度などとも言いますね。800度で正しかったんだったかな。ま、とにかくタバコでも車でもマナーが何よりということです」「バカかこのやろ。消防の講習会じゃねえんだぞ」と思っていたら、突然名簿かなんか見て、「どうですか、村松厚和さん?」と名指しで呼ばれたからドキッとしたが、舌戦に弱い私もなぜかこの時は、妙な言葉を思いついた。「今捨てたタバコの温度が800度、ついでに太陽6000度。上には上があるようで」ととんでもないことを言った。ややあって爆笑が起こった。だがこの警官のおっさんの顔は笑っていなかった。「君は、この講習会を何と心得ているんだ!! ふざけたこと言ってると、公務執行妨害になるぞ!!」私はゾッとして、すぐ「ど、どうもすみません」と詫びたが、不愉快だった。帰る道すがら、ふと祖父の若き日のことが頭に浮かんだ。「くそばかおまわりめ。俺のおじいちゃんには情があったんだぞ」と心の中で言い、ついでに「どーこの誰かは知ーらなーいけれど・・・」と月光仮面の歌を歌いながら帰った。目こぼしがすべていいとは思わぬが、明治生まれの警官の中には、罪を憎んで人を憎まずの精神を持った警官もいたのだ。ついでに盗人も、凶悪なだけではない神妙な者もいたのだ。さて、今年は何回目かの免許更新である。今度こそ乱視が進んで、多分無理だろうから、メガネを買おうと思っている。 最後に。これも書くだけムダとわかっているが、明らかに安全確認出来るようなところで、一時停止違反なんぞ取り締まるなよ。最徐行で充分だろ。カラーライズっぽくした祖父の写真。背景は芦ノ湖。
2025.12.01
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年末へ来て急にそれまでためたままだったゴジラ合成画像をカレンダーにしようと発作的に決めて作業に取り掛かりました。以下に使用予定だったものも含めて自作ゴジラ合成画像を並べてみました。当初、カレンダーひと月について一枚、合計12枚の完成品の計画でしたが、インクの消耗が著しく、二月で一枚というこれまでのやり方にしました。☆備考☆富士西公園合成画像の合成素材新東名高速道路の橋梁部分のレイヤー西公園下部のレイヤー西公園上部のレイヤー画像合成に欠かせないパソコンソフトとして、「フォトショップ」というものがあり、これを用いて各素材切り抜き作業などを行なうと、市松模様といわれる空白範囲が現われます。私は、もはや義絶してしまったある優秀な趣味人のかたの懇切丁寧なご指導のおかげで、ここまで拙いながらも合成作業を出来るようになりました。ある年配になったら、他人様を侮辱するようなことは断じて許されないとわかっていて、このざまです。これは私が一存でお詫び申し上げることで、ご本人には無関係です。ただ、いい年をして人の名誉をおとしめる如きはどうしても己れを許せず、この場を使って書きました。変わらぬご壮健を信じ、前途のご多幸を祈念しておわらせていただきます。失礼致しました。
2025.11.27
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自作カレンダー完成 ! 2025/11/26開始なお、ゴジラぬいぐるみは初代ゴジラについで私が大好きな『キンゴジ』つまり、昭和37年1962年公開の東宝映画「キングコング対ゴジラ」に登場のものがゴジラぬいぐるみ史上最もスマートなものです。無論、私見ですが。本作品は歴代ゴジラ映画史上、観客動員数第一位の座を護る大作です。☆参考資料☆昭和29年1954年初代「ゴジラ」公開年の我が国人口は8823万9000人のところ、観客動員数961万人、動員数対人口比率 0.1089。また、昭和37年1962年「キングコング対ゴジラ」公開年の我が国人口は9518万1000人、観客動員数は1120万人、動員数対人口比率 0.1176。初代「ゴジラ」の成績の凄さも改めてわかります。何しろ怪獣映画というジャンル自体がない時でこれだけの成績なので、初代ゴジラ恐るべし。
2025.11.26
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美しき姉妹の奇跡の如き歌 2025/11/22開始余り好きでない言葉に「癒し」というものがあるが、乱用され過ぎて食傷している。ところが長くYou Tubeに親しんでいると、「え ! 」と声を上げそうになる驚きを覚えず発していることがある。私は昔から讃美歌などが好きで、たいして詳しくはないものの、聴くたびに心が洗われる思いに浸ったものだった。中でも讃美歌と呼べるかどうか知らないが「Silent Night」は「海行かば」を聴く時と似た感慨を以て聴いている。イギリスの美しい姉妹のお二人がSilent Nightを聴かせて下さった。姉のルーシー・トーマスさん(右)と妹のマーサ・トーマスさんのお二人。
2025.11.22
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サターンVロケット現状 2026/11/16開始どうにもイビツになり過ぎてしまって見れば見るほどヒドイ出来だと思うばかりですが、ともかくUSAのロゴなど少しずつ貼り付けていきたいと思います。 プラモデルのサターン五型ロケット。確か米国レベル社製でしたか、見事な造型。
2025.11.16
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やはり初代ゴジラが好き 2026/11/14開始興味がない人にはゴジラのぬいぐるみも顔の造型も各々大同小異に見えようが怪獣オタクには常識範囲である。初代ゴジラは一流独自の造型である。まともなイラストを描けたためしがない。初代を除けば、あるいは初代の面影を残しているのは、昭和37年1962年「キングコング対ゴジラ」のいわゆるキンゴジである。1964年昭和39年「モスラ対ゴジラ」のいわゆるモスゴジは、のちのコミカルな顔に変貌するきっかけのような迫力のなさ、ふくれっ面のような顔になりつつある。もちろん本作品に限ればモスゴジは悪役にふさわしいいい顔である。私は円谷特撮に敬意を持っているので、悪意で批判する気は毛頭ない。東宝昭和50年1975年「メカゴジラの逆襲」制作スナップ。東宝大プールにて。
2025.11.14
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私選売れっ子・お気に入りセクシー女優さんたち(クイズ形式で。解答後記) 2025/11/08開始全くの好みの世界だが、企画は早くからあって、今年初めには画像を用意していた。では始めます。なお左から三枚目と四枚目は同一の女優さんです。普通自動二輪免許をお持ちなので掲載しました。答えセクシー女優さんたち1並木塔子さん・羽月希さん・神宮寺ナオさん・根尾あかりさんセクシー女優さんたち2八乃つばささん・加納綾子さん・大槻ひびきさん・井上綾子さんセクシー女優さんたち3乙葉カレンさん・霧島さくらさん・今井真由美さん・泉りおんさん
2025.11.08
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『化け物深海魚』の嫌悪事項 2025/11/4開始こいつのことは一切書きたくなかったが、所有する戦艦大和関連本にインタビュー記事が載っていて、このページだけ無事に切り取る自信がないので、この嫌悪感を日記に残すこととした。無論日記とは今やブログのことだ。 なおツラも見たくないので名前も書かない。私も不細工だがこいつは間違いなくブ男だ。こいつを形容、茶化したうまい文句があったので、覚えている限りで書いておく。曰く。●深海魚が化けて出たような三白眼、呪いの言葉を吐くようなしゃべり方。この男には嫌悪感しか感じられない。●●ナメクジが這うようなねばねばした言葉で語る● さて私がただ一回限りつづるのは、この男の無知なくせに、いっぱしわかったふうなことを言うまたは書く内容が不愉快で、そもそも間違いだらけだからだ。あえて書くが、軍事オタクは大嫌いだ。それでいてこういうヤツに限ってキャンディーズに夢中だったなどというから、なおのこと気味が悪い。 私はキャンディーズにほぼ興味がなかった。ファンだったかたにはあらかじめお詫びしておく。ただしこいつにだけは詫びない。さて、筆力低下著しきゆえ、思いつくままに書いていく。こいつは少年の頃、山本五十六にあこがれて、その所作の真似までしたという。そんなに魅力のある軍人だったかねえ。三船敏郎氏は文句なくかっこいいが、山本五十六役ではむしろトーンダウンして見える。 本文をいちいち横書きに直す煩に耐えなく、特集本コピーのみとした。読みにくい向きには無視して下さいとしか云うのみ。改めて書く。私が山本五十六に冷めていたのは、偉そうなことだけ言って、アメリカに殴り込みをしたからだ。東宝昭和43年、1968年作品「連合艦隊司令長官・山本五十六」の中で、冒頭近く、陸軍の辻政信参謀と対立する場面がある。辻参謀が「私は近々ドイツへ行きます」と言うが早いか五十六は「アメリカへ行ったほうがいいのではないか」と即座に返して、辻参謀が「何ですって」と気色ばむシーンがあるが、かつては五十六に理があると思っていた私も、のちに「この五十六という男、単なる目立ちたがり屋では」と思うようになった。 辻参謀に五十六は続ける。「そして工場の煙突の数を数えて来なさい。日本の何十倍、いや何百倍あるか」とここだけまともなことを言うが、他のおおぜいの部下の前でも同じことを言って、アメリカとことを構えるべきではないと続けていた。それが何んで真珠湾になるの・・・ ?? どうしたっておかしいだろう。しかも奇襲しといて「早期講和」と来た。そんなわけないでしょ。アメリカは激怒するでしょ。 真珠湾奇襲のあとで講和なんてあるわけないじゃん。かつてTBS系列で「月曜ロードショー」という映画放映番組をやっていて、語り口見事な荻昌弘氏が解説していたが、この時初めて私は「おや」と違和感を覚えた。荻氏が日本海軍で最も優れた軍人の一人を山本五十六だと、アメリカ人が絶賛していると語り、関連書の一冊を掲げてみせた。ようやく大学生かもう少し年齢を重ねて30代くらいだった私は「これはGHQのプロパガンダではないのか」と疑う考えが起きて来た。 同じく東宝昭和44年作品「日本海大海戦」のラスト近くで、伊藤博文と山本権兵衛(やまもと・ごんのひょうえ)が我が国の行く末に言及する場面があり、山本権兵衛は次なる仮想敵国はアメリカだと強い推測を語るが、アメリカにはカラーコード戦争計画という国家戦略があり、日露戦争後、我が国はアメリカの仮想敵国に想定されている。オレンジ計画である。繰り返すが、五十六が事を構えてはいけないと言った強国アメリカに本来なら奇襲をかけるわけがない。私はこんなことを知って以後、山本五十六を主役にした映画はまずほとんど見ていない。 この深海魚男は蓋(けだ)しバカである。ついでに書くが、南京事件について南京大虐殺というでっち上げを事実と信じ、従軍慰安婦という捏造をも信じているバカである。南京にしても、昭和12年1937年当時、南京市には各国の公使館員が居たし、新聞記者、カメラマン、作家もいたから、数十万人を殺戮する組織的な殺人なぞ不可能だ。だから東京裁判で突如これが持ち上がるまで、誰も話題にしていない。 「悪魔の証明」との言葉にある通り、起こった事件は容易に知れ渡るがありもしなかった捏造事件をでっち上げということを証明するのは困難だ。傍証をあげるしかないが、たとえば我が陸軍による破竹の進撃により、南京が陥落する前、同じ支那人による横暴を恐れた南京市民の多くは疎開避難している。我が日本軍によりようやく南京陥落がなされた時、うわさを聞き付けた南京市民たちは、陸続と戻って来たが、当時の南京市の人口は20万人ほど。あと10万人を足すのは無理がある。だいたい司令官の松井石根大将が、帰国後、熱海市の伊豆山に「興亜観音」という日支双方の戦死者を弔う立派な観音像を建立している。 あああ、もううんざりして来た。テーマにしたくないヤツを扱おうとすると疲れてしかたない。ゆえに文章は終わってないが、既に掲載した画像を続けて掲載してみる。
2025.11.04
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女人(ひと)の情けが身に染みる 2025/10/30開始マスクをしていても、内に秘めた美しさ、麗しさは隠せない素敵なレディがいることは確かだ。私は二回目の入院期間が終わって退院のとき、「訪問看護に入ってもらう」との条件が指示され、これをのんで帰宅した。 この世界も代謝が活発なようで、様々な年齢層が混在しているが、おおむね質が高いということを知って驚いた。10月30日木曜日の看護師さんの訪問は余りの親切さに心をゆさぶられるばかりだった。本日みえた看護師さんは、既に職務をこなしてなお、それ以上する義務はないはずのことまで、しかも恩着せがましくではなく、実にスマートにこなして下さった。将来的に日常生活の場になるかも知れない一階の和室を見ていただき、かつての両親の寝室には生ドラム一式置いてあるので、思わずたたいたが、ひどい叩き方だった。さらにゴミ屋敷と化しつつある台所の資源ごみの複数の袋をヒモも用いずに鮮やかな手先でしばり、ゴミ出しをして来て下さった。 さらには玄関の雑物をたくさん段ボール箱につめて、やがてお帰りになった。あとに余韻があった。台所が見事にスッキリ片付いた。ありがとうございました。麗しき看護師さん。ただいまのヘアースタイルはあるいは伸ばし始めでイラスト一番左か。やがて真ん中のポニーテール美人へと変身し、お子さんが成長するにつれて、いかにもお母さんらしい一番右のように落ち着くのか。
2025.10.30
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ナチスUFOハウニヴーtが途中ですが、サターンロケットに気持ちがいってしまったので、取り敢えず作りかけのまま、合成だけ作ってみました。なお、講談の「四谷怪談」お岩様誕生も、ようやく下書きを追えました。少しずつ推敲などして、清書に持ってゆく予定です。
2025.10.29
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ロケット遊びに興じた中学終わりから高校二年間 2025/10/18開始当時の記録ノートが残っているので見てみると、ロケット打ち上げ遊びは、1967年中学三年10月から始まって、実に1970年高校三年直前の三月まで続けていた。 なお、今は亡き我が最愛の兄は、国公立大医学部を目指して都合三浪ののち、1971年昭和46年の徳島大学医学部受験を以て医学部を断念、長く辛かった浪人生活に終止符を打っている。私たち兄弟が共に沼津東高に進んだ頃は、親戚たちは、嫉妬・ねたみの塊であった。 兄が三浪した頃、その事実だけをとらえて、不甲斐ない学生と揶揄したことをのちに親戚本人の口から聞いている。おっと、またも恨み節になってしまった。今さら書かずとも良いことだが、三浪してまで浪人生活に耐えた亡き兄の名誉のために記しておく。 兄は、浪人生活最後の1971年春、第一志望こそ叶わなかったものの、実に以下の大学学部に合格している。まず四年間かようこととなった静岡薬科大学、次に旧二期校と呼ばれた東京農工大学農芸化学科、立命館大学、同志社大学(いずれも理科系学部)。更に決して有利ではない他県民として、岐阜薬科大学に合格。総じて言うが、高校時代に、更に浪人時代に、本当に受験勉強に励むと、特に兄弟二人がかよった沼津東高は、今もその傾向が強いかも知れぬが、国公立大学を第一義に志向する傾向が強い。 もしも高校時代に英数いずれもまずまずの成績で、更に現代国語(現代文)、古文、漢文も安定していて、そして更に物理学、化学、生物学、地学のいずれかがまずまずの成績なら、大学選びにぜいたくになるのは当然である。 さて、ロケット遊びに戻る。当時ロケット遊びは全国的なものであったと思う。あるいは今でもその傾向はあるのかも知れないが、何しろ新聞に「ロケット遊びの中学生、暴発で指を飛ばす」なぞという記事が載ることも珍しくなかったので、己れだけは用心すべしと思いながらも、ロケット花火よりもリアリティを感じて、自作ロケットを作り続けた。作った以上は打ち上げ実験をやりたいのだが、そう簡単にことが運ばない。 また当時、学生服の襟首のところのカラーは可燃性のものばかりで、これがありがたく、のちに黒色火薬にかえるまで、このカラーをハサミで細かく切り刻んで、ロケットの燃料にした。のちに不燃性ばかりになったが、ライターなどで点火すると、確か緑色の炎と独特のにおいを発した。しばらくして不燃性のカラーが取って代わるようになり、これは実際にそれと知らずに買って帰って点火してもほとんど燃えないことを確かめて、いよいよ黒色火薬生産に取り組むこととなるのだが、これがそうたやすくは手に入らない。 薬局に売っていることもあるとは聞いていたが、中高生が出入り勝手とはいかないのが常識。混合する原料は木炭・硫黄・硝石(硝酸カリウム)で、いかにも近づきがたい。今では情報というだけなら、各成分の混合比率までウィキペディアなどに記されるから、機器の進歩を感ずるが、当時はたとえ入手できても試行錯誤、実際、中三秋ごろの日曜日、理科の準備室に忍び込んで薬品のビンを手に取ることが出来たが、とりあえず同量ずつを用意した入れ物に移すしかなかった。なお、どうして準備室に入れたかというと、化学部の部長をしている同級生がいたからだった。ただしこれもいつも自由にとはいかず、やがて花火の火薬を検討するようになったが、自家製の火薬はなかなか性能の良いものが出来なかった。 まだ市販の詰襟カラーは可燃性のものもあったので、親不孝ではあったが、まだそう古くはないものを襟からはがしてクシャクシャに折り曲げて母に「同級生とふざけてたら、こんなにしちゃった。ごめん、新しいのを買わなきゃ」と代金をせびったりしたが、既製品に頼るのは時間の問題と察していた。 結果は高校に入っても、自家製黒色火薬入手方法が見つからず、何んとか残っていた学生服のカラーで間に合わせることとした。花火さえ買えば性能の良い火薬は本当にたやすく手に入るのだが、なぜかこの方法は最後まで選択しなかった。のちにYou Tubeで元財務官僚でかつ正論を発信し続けている髙橋洋一氏は、スタートが東大の理系であり、私はさすがの私でも、何回生まれ変わっても東大には必ず受からないとわかるから、高橋氏の利発さのすごさがわかるが、その髙橋洋一氏が、学生時代に本物の火薬で模型ロケットを自作して飛ばしていたと語るのを聞いた。言うも今更だが世間には優秀な人がいるのを思い知った。 私のロケット遊びは、1970年昭和45年春を以て終了した。ちょうど兄が二浪目の受験から帰宅した夜のことだと覚えている。最後のロケット実験だったが、打ち上げは予想通り失敗だった。全高約110mに及ぶサターン五型巨人ロケットなお、サターンロケットは下手ながらも目下55cmの自作模型に挑んでいます。 予期した通りかなりいびつな造型になっています。これから出来るだけ水平垂直の調整をしていこうと思います。
2025.10.23
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高市早苗さんのバイクとドラム、そして高学歴 2025/10/14開始見た瞬間、車種の特定が出来た。当時私はこれをはずしたからである。ただし、当時の知人がこれに乗っていたので、意識はしていた。今にしてこのようなネイキッドにも興ずれば良かったと思う。さらにのちにカワサキゼファー750に乗る頃には完全にフルカウル嫌い、ネイキッド大好きになっていた。もっとも、高市早苗さんはかなり節也しながらバイクライフを送っていたようで、私なぞ足元にも及ばない。カワサキZ400GPさらなる驚きは高市さんの音楽能力と趣味ジャンルのすごさだ。これも私はロックには興味はなく、同じドラムでも、興味の対象世界が異なるのだろうと思うばかり。最も驚いたのは、高市さんの学歴である。神戸大学。私が真っ先に受験候補からはずした難関である。これは今でも覚えている。高校三年当時、私は国立大理系ならばどこでもいいと、ほぼ無計画な考えで大学選びをしていた。沼津の富士急名店会館だったか、確か二階の書店のコーナーで教学社の俗にいう赤本を次々に眺めていたが、神戸大学の赤本の数学の問題を見るやいなや、その難解さに舌を巻き、即座に棚に返したのだ。高市早苗さんは、経営学部経営学科に進んだと記されるが、さらに細かくは経営数学と書いてある。国立大難関の神戸大というだけでも驚異なのに、経営数学とは、さらに驚きだ。もっとすごいのは、彼女は私立大の雄と言われる早慶いずれにも合格している。参考程度だが、下に昭和4, 50年代の神戸大学の数学問題を掲げておく。これは当時数学IIIといった理系数学単元の問題で、図形の回転体の体積を追求する内容だ。
2025.10.14
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インターネット界で更なるブーム !俺たちのあざす 2025/10/11 開始地上波テレビが急速にパワーダウンして既に久しいが、私はかつてテレビ番組に興じて楽しかった思い出があるから、余り悪しざまに言いたくはない。 ともあれ、私の場合はパソコンをほぼ毎日使っている。最も視聴するのは音楽関連だが、ドラマにも関心はあり、特に最近、姿の良い女優さん三人が登場する短編番組に、例によっていい年して心奪われている。 分けても驚いたのは、短い時間の中で、女優さんが姿とセリフを見せ聞かせて、こちら側の声だけの彼氏などとやり取りをする物語の妙である。そしてまず「ええッ ! ? 」っと驚いたのは、全員20代の妙齢のレディとばかり思っていたお三方すべてが、30代との事実で、しかも通称『ゆき』ちゃんを演じている女優さんが実年齢、と言いたいがあえて生年月日を記しておく。ゆきちゃんこと『水原(みなはら)ゆき』さんは、1987年12月14日生まれということ。三人ともウィキペディアに載るほどだから情報に間違いはない。 水原(みなはら)ゆきさん私は水原ゆきさんにまず魅せられ、「いくら世の中美しい人がいると言っても、こんなきれいな可愛い20代はそう滅多にはお目にかかれなかろう」と、彼女の若さと美しさと、何より見れば見るほど引き込まれそうな見事な演技にうっとりしていた。 そして三人すべてが20代でないことを知って、茫然たる心地に陥った。本ドラマ、ほぼ連日更新されているようだが、「またか」とガッカリすることはない。ほぼ男女の恋愛ネタなのに、見ているうちに気づくと、ニヤニヤしているというほど、女の人の魅力に惹かれていることに気づくほどで、改めて姿の良い女優さんが、演技で見せ聞かせてくれることを、納得させられる。伊藤優衣(いとう・ゆい)さん長谷川かすみ(はせがわ・かすみ)さん
2025.10.11
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NHKEテレ数学番組の華『宮下結衣』さん 2025/10/04開始のっけから皮肉ではないが、今のNHKEテレはかつて「NHK教育テレビ」と言っていた。掲載画像のように、かなりハイレベルな問題を集めたテキストが発行されていた。参考までに、かつてのテキストの問題を載せてみた。解答のみ付しておきます。(1) sinA=√5/3(3分のルート5) (2)辺AB=2√30(2ルート30) (3) r=2(√6-1)《2(ルート6-1)》星移って今やその名も「Eテレ」と変わり、ただし高校講座は見事に継承されている。 しかも多分芸能界での活躍を続けるかめざすタレントの皆さんが番組を飾っている。かつての大学入試レベルではないものの、数学Iや数学Aの基本から始めて、適切な入門編になっている。何より出演者の若い男女タレントのかたがたが、とかく退屈に傾きがちな高校教科を巧みに引っ張って、無理なく興味を誘ってくれる。 そしていい年して私が心ひかれたのは、目下数学Aに出演して、男子生徒役の若者を指導するように優しくヒントなどを連発して番組を盛り上げる美しい『宮下結衣』さんの輝きに満ちた演技である。練習問題が出題されたので、字幕などで隠れてしまう箇所にフォトショップで補足をしました。ピンクで記した点Eがそれです。宮下結衣さんは、アーティスティック・スイミング(かつてのシンクロナイズド・スイミング)で活躍したオリンピックメダリストの小谷実可子さんの次女ですが、美女から必ず美女が生まれるわけではなく、御主人も端正な顔立ちなので、美男美女から美女が生まれても当然の科学摂理である。なお、宮下結衣さんは、本名杉浦唯さんです。蛇足ながら杉浦姓は、旦那さんの姓です。夫婦同姓ですね、良し。失礼しました。なお私は宮下結衣さんに、いわゆる現在の数学番組の如く、高校生男女が切磋琢磨しながら、学習成績向上に努めるというようなドラマにでてくれたらとも思います。私見によれば学園ドラマは昔からスポーツばかり。学習もしなければ、上の学府へはいけませんぞ。再び失礼しました。
2025.10.07
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何年振りか「四谷怪談」映画、放映 ! ! 2025/07/23開始「四谷怪談」映画として傑作と評される元・新東宝の「東海道四谷怪談」(昭和34年、1959年作。中川信夫監督)がスカパーの時代劇専門チャンネルで放映される。ザっと調べたところ、7月27日夜放映とわかったので、早速録画予約しておいた。実は私が最も優れた「四谷怪談」映画と評価するのは、中川信夫演出の「東海道四谷怪談」ではなく、その三年前の1956年、昭和31年版『四谷怪談』であり、演出も毛利正樹監督であるが、なぜか巷間、中川信夫監督の作品が絶賛されている。私が「恐さ」を評価する物差しは実に単純なもので、その作品を見たあと、寝床について、ぐっすり眠れるかどうかである。中川信夫監督版は、失礼ながら映画全巻を見る前に眠りにおちてしまい、要するに熟睡したのだ。それに対して、毛利正樹監督の『四谷怪談』は、まだヒロインのお岩様が絶命していなくても、つまり毒で顔半面をひどくただれさせている時から既に恐くて仕方がない。結局私はこの毛利監督の「四谷怪談」を途中でとめてしまい、さらに枕元の電気スタンドを点けっ放しにして、しばらく目を閉じることも出来ずにいた。ついつい二作品比較を書いてしまったが、中川信夫監督の「東海道四谷怪談」をおとしめるつもりは毛頭ない。改めて見ると、こちらも総天然色で作られた作品の完成度はかなり高く、昨今の和製ホラーとはまた異なる時代劇を背景とする怪談映画の陰惨さを味わうことが出来る。
2025.07.27
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奉祝 ! 天長節 皇紀2685年(2025年)2月23日
2025.02.23
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奉祝『紀元節』皇紀2685年
2025.02.11
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You Tubeの打楽器女性演奏家がスゴい ! 2025/02/01開始You Tubeで何を見ておるのかと叱られそうだが、楽器演奏者たちの中で、私の如き取り敢えず男の目には、女性の演奏が、あるいは演奏する女性が気にかかる。九大フィルハーモニーオーケストラのティンパニを演奏する素敵なお姉さん。演奏曲はドボルザーク作曲、交響曲第9番「新世界より」第4楽章。その美しさにハッとした熊本北高校吹奏楽部のドラム担当の女子。演奏曲は米国ジャズ・ミュージシャン、ルイ・プリマ作曲の「シング・シング・シング」。これを美少女高校生が軽やかに叩いてスゴい !
2025.02.01
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ユーモアセンス抜群の角由紀子さん 2025/01/20開始地上波テレビをまず見ない人ばかりになったと思っていたら、私の知る人の中に逆にネットTVは見ない、あるいはパソコンそのものを所有していないから、インターネットも全く無縁だという人が、知る限りで二人いた。私はわりあい早くから地上波テレビを余り見なくなっていたので、少数の地上波のみ見る人とは、かなり話がかみ合わない。特にお世話になっている家電店の人は、私より年上だがネットオンリーに近いので、You Tubeの話もごく普通に出来るのだが、相手次第で話題を選ばねばならない。さて、以上は悪口というものではなく、やはり世の中様々な人がいるというほどのものだ。ただ、私は生来の話下手で、これを早くから兄に指摘され、次第に直そうとしていった経緯があるので、どうしても何か意見、見解となると、この今は亡き最愛の兄が理路整然、話法も見事に『話』というものを語ってくれたので、出来るなら己れの考えを人に感化せしむるくらいになりたいとの念はずっと持ち続けた。兄は特に夕飯の時、ごく自然に話題を提供して、食卓を時にはなごませ、またにぎわせてくれたものだ。もちろん両親は一緒の食卓を囲むのだが、話題の提供は本当に兄がリードをとっていた。食卓にドッと笑いが起きることもしばしばで、兄は多分、小学校に通う頃から、毎晩の夕飯を楽しくしてくれた。そして年齢が上がって兄が高校生ともなると、話題も多岐にわたり、豊富な内容で興味を持たせ、ひとときが本当に充実したものだ。さていよいよ角由紀子(すみ・ゆきこ)さんの話に移る。日常に起きたことを体験談として語り聞かせることは、その話のあいだ、人に物語を聞かせることとも言えようか。スカパー618chのエンタメ~テレ放映の「超ムーの世界R」は、司会の島田秀平(しまだ・しゅうへい)氏を含む会員のかたがたの様々な話が聞けて面白い。だが常に興味をそそられるということでもない。角由紀子さんは、ごく自然に下ネタを話すので実に面白い。タイトルと必ず結びつくとは限らない下ネタを、タイミングよく放り込んで来るので、面白さも増すというものだ。彼女の面白いのは下ネタとは限らない。画像をだいぶそろえたので、既に著作権侵害かも知れないが、面白さを伝えたい念やみがたいというところだ。角由紀子さんの一人称の話を中心につづってみる。本ブログはスカパー618chエンタメ~テレ放映の「超ムーの世界R」第167回(2022年5月3日録画)から『時空を超える方法』をまとめたものである。2017年にフランスへ修学旅行に行った女性の話ですが、彼女はクラスメートたちと同じ飛行機で帰国したと思っていたのですが、友達は「あなた、遅刻して、一人で乗って来たじゃない」と言うので、彼女は「パラレルワールドへ行ったのかしら」と思い、それでは「パラレルワールドへ能動的に行く方法はないものか」と、真剣に模索し始めますついにある方法を編み出し、それが「浴室で時間軸を超える方法」でした。まず髪を洗う時、オレンジやシナモンなど香りが強い系のシャンプーで髪を洗って、その次に今度はシャワーを激熱(げきあつ)から冷水に変えて、これを三回から八回繰り返します。ここでスタジオの定位置に坐する三上氏とキック氏は大笑いし始める。しかもすかさず角さんが「その時呼吸することを忘れずに」と強調するので、ミステリーのムードはどこかへ消し飛んで、お二人の反応が楽しくなる。画像の青い字幕はキック氏の会話であり、彼は見事に笑いに笑いを重ねる突っ込みをしている。三上氏はほぼ爆笑状態。ここで島田氏がこの方法を角さんが試したかどうかと問うと「はいやりました」との答えで、角さんの旺盛な好奇心と熱心さが伝わる。角由紀子さんは「私は何回かやりはしたのですが、まだタイムラインが変わるには至っていません」と答えたあとすぐ「ただ、年末ちょっと変なことが起きまして」と関心を誘う。ところが。画像からもお察しいただけるように、角さんはこの年2021年の年末、年越しそばを食べている時に間違ってうどんをゆでてしまい、そばもゆでなきゃと、そばとうどんを交互に食べていたと語る。その時に時空がゆがんだような気がしたと語る。このあたりへ来ると見ている私もゲラゲラ大笑いしながら、キック氏の突っ込みもあって、腹を抱える心地だった。
2025.01.27
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改めて「海底軍艦」 2025/01/17開始笠井信輔(かさい・しんすけ)氏、非凡な知識、教養で東宝特撮を熱く語る最新、最近のゴジラ映画をあれこれ語る人々は、難なく見つかるが、万能艦が縦横無尽に活躍する映画を語れる人は多くはない。私はこのように流行を追ってしか怪獣、特撮映画が語れない者どもを頭の悪い輩だと見下しているが、本人たちも古今の特撮映画に広く関心を持つべしとは思っていないであろう。しまいには「興味の対象は人それぞれだ」と開き直る。開き直るくらいなら、初めから特撮をわかったふうな顔で語るな。狭量な偏見と思われるのを恐れずあえて言うが、我が国の分けても東宝特撮を熱っぽく語っているふうな奴らに限って、世代特有の知識・経験の少なさが目立ち、特に軍事、外交が絡むような作品となると、核心と思しき箇所を見事に外して、わかったふうなことを語るから、うんざりだ。あれこれ不満、愚痴を並べても、ラチがあかないから、ズバリ本題へ入る。と言いはしたが、ズバリ「海底軍艦」と言っても、私の世代でさえ、日本海軍が絡む物語とわかるはずなのに、既に反戦反核思想に毒されたか、あるいは何も考えずに皮相だけながめてノホホンとしている頭の悪い要するにバカが多いのだろうか。私は昭和27年生まれだ。昭和22年から24年まで生まれのいわゆる団塊の世代ではないが、影響は色濃く表われて、現に私の同い年の男で、既に反戦左傾思想に染まって、恬として恥じぬバカ者がいた。なお、己れを「団塊の世代」と称して平然たる愚か者もいる。この用語は対象となる世代を揶揄(やゆ)こそすれ、好意的に呼んではおらぬ。自虐的にブログなどで自称するのは侮辱を自虐的なユーモアと思い違いしたバカ者である。ちなみに私は「ポスト団塊の世代」の末席に連なる。もちろん、わざとつかう時以外は断じてつかわない。改めて言う。海底軍艦は日本海軍の神宮司大佐が敗戦を潔しとせず、ひそかに孤島で完成させた万能艦である。神宮司大佐は、その反乱と認めらるるをものともせず、好意的な上官、楠見少将の大いなる便宜、計らいにも救われて、伊号400型の最終艦伊号403潜に複数の意識高き部下と共に乗り、黄鉄鉱・マンガン・ボーキサイトなどが奇跡的に地上に断層を為して大量に存在する天然資源の宝庫を為す孤島で、轟天建武隊と称する組織を率いて超新型戦艦・轟天号を建造していた。繰り返す。神宮司大佐が天野兵曹に愛娘(まなむすめ)真琴(まこと)の身辺、現況をさぐらせる任務を課したりする以上、大佐が日本の敗戦を知らぬわけがなく、大佐は、恩義深きかつての上官にあえて世迷言と承知で、祖国の降伏、戦後変遷を難じたに相違あるまい。思えば映画「海底軍艦」が公開された頃は、とんでもない屈辱の時代だった。楠見に引き取られた神宮司真琴は、『愛国心』と言われて聞き返すほどの無知である。ただし映画を見ていた私はむしろ真琴の無知にあきれるほどだったから、当時、改めて己れの認識を疑ったほどだった。音楽趣味を広く持つと、軍歌や戦時流行歌に必ず触れるし、名曲と感ずる歌に必ず巡り会う。ひとことに軍歌と言っても、数多くの曲の歌の中には、好き嫌いが分かれるものがある。これは仕方ない。私の場合は、例えば「愛国行進曲」を気に入った。この歌の中には死語となった言葉が複数出て来る。本曲一番からさぐってみると、次々出て来る。どうせ読まるること少なきを察しているから、平気で書いてみる。「一番♪ 見よ東海のそらあけて 旭日高く輝けば天地の生気溌剌(はつらつ)と 希望は躍る大八洲(おおやしま)おゝ晴朗の朝雲に 聳(そび)ゆる富士の姿こそ金甌(きんおう)無欠揺るぎなき わが日本の誇りなれ」歌とは不思議な力があり、教育を受けていない私たちでも、歌詞に刻まれた難解な日本語を取り敢えず覚えることは可能である。歌を構成する要素をむしろこのような歌曲から知ることとなる。歌詞を覚えながら親しまないと、歌えないままだから、意味がわからずとも覚える。童謡、唱歌とは異なるある種の品格、迫力をも知ることとなる。これは童謡、唱歌を侮ってのことではない。「スキー」という歌の三番に『♪ 空はみどりよ 大地は白よ』という歌詞があり、ごく普通に「空は青」で「大地は白」としか認めていなかった私は、「そう言えば交通信号は明らかな緑を青と呼ばせているなあ」と、警察大嫌いもあってか、緑と青とを同色と扱う日本語に何やら魅力を新たにしたものだ。さて愛国行進曲に戻る。フルコーラス書くのはさすがに疲れるので、二番以降は拾い出してみる。例えば二番。「起て一系の大君を」、「御稜威(みいつ)に副(そ)わん大使命」「往け八紘(はっこう)を宇(いえ)となし」「四海(しかい)の人を導きて」などすさまじいばかりの難解日本語の羅列となるが、メロディーと共に歌うから、ともかく歌詞を覚えた。私が少年、青年時代『パチンコ屋テーマ』とからかわれた「軍艦マーチ」は、(こぉのヤロウ、我が帝国陸海軍をなめやがって)との思いと共に、親しんだ。これはマッカーサー率いたGHQによってあおるように各地のパチンコ屋で流された行進曲であるが、最近パチンコ屋が倒産し続けて内心「ざまあみやがれ、チョン公 ! 」と本気で呪っている。この行進曲は世界的にも見事なマーチであり、事実、これを演奏する外国のバンドも少なからずある。少し前のブログで、己れを居丈高に繕う愚かな行為は慎まねばと、特に相棒・サイエンスレディの前で語ったつもりだったが、その舌の根がかわかぬうちに、かかる暴言にも近いことをつづっている。他人のせいにするつもりはないが、むしろ私より若い世代に、映画を透徹した目で見つめられる優れた人がいたので、本領返上で書いている次第。物事をきちんと見ている賢明な人は世代に関わらず存在する。ただ、その優秀さが我々に伝わるかどうかは、メディアによるところが大きいので、その見識の高さを知る機会に恵まれる確率は高くはない。なおのこと、テレビなどのメディアで衣食して来た人間は、少なからず左傾思想に染まっているので、遭遇出来る確率はさらに低くなる。元フジテレビアナウンサーの笠井信輔氏は、その確率低きの中で巡り会えた貴重な存在である。甘いマスクゆえか、還暦60代に達したとは思えぬ端正な容貌である。かなり有名な人と思うので書いてみるが、笠井氏は重い病気の一つである悪性リンパ腫を患ってなお、寛解に達して、仕事復帰まで果たして見事である。先日かつての東宝特撮映画の数々が当時の劣化したフィルムの修復を得て、解像度見事に生まれ変わり、画像のみならず音声まで鮮明になって、ありがたいばかりである。You Tubeチャンネルで「午前十時の映画祭」と題したか、ほかにお二人を迎えて、笠井氏が東宝特撮見るべしとばかり熱く語る番組があり、これを視聴して、私は笠井氏の知識、観察眼などに呻(うな)る思いだった。まず何が心呻らせるものだったかというと。笠井氏は『海底軍艦』とのタイトルに言い及んだ。なぜ海底軍艦なのかと。これを話題の一つとして大きく取り上げた知識人は笠井信輔さんが初めてである。今さら言うまでもなく、軍艦にはその役割によって、戦艦・空母・巡洋艦・駆逐艦などの艦種がある。これらをまとめたものを軍艦と呼ぶ。「海底軍艦」は明治の作家、押川春浪(おしかわ・しゅんろう)氏が描いた、当時では間違いなくSF小説である。明治時代、世界を見ても、海戦の一つの大きな戦力となる潜水艦は皆無に等しかった。わが国明治時代に、佐久間勉艇長が訓練中の事故で殉職する痛ましい潜水艇事故があったが、潜水艇にも改良の余地が充分あった。ただし、佐久間艇長の神業としか思えない立派な軍務魂の記録は、持ち場を最期まで守って殉職した部下のかたがたの冷静な対応と共に特筆されるべき見事なものである。まだ艦種として潜水艦はなかった。その明治時代に押川春浪氏は海底軍艦シリーズを執筆、刊行の運びとなり、これは大ヒットを飛ばす。その第一弾『海島冒険奇譚 海底軍艦』は人気を得た。明治時代と聞くと、いわゆる純文学作品ばかりで、その道の大家、文豪のみの活躍が連想されがちだが違う。我が日本という国家は、存外創造力豊かな人々が活躍した時代を持つ近代国家でもある。何しろ「海底軍艦」というタイトルが魅力である。既に戦艦という艦種も存在した時代でもあるにもかかわらず、「軍艦」という言葉を小説のタイトルに使う発想力が見事だ。実は小学五年生ながら私は「海底軍艦」の名前に魅せられた。この時私は小難しい小理屈をこねたのではなく、この名前に得も言われぬ迫力と、これに比肩する魅惑的な題名、艦名を連想出来ようはずもないほど、圧倒されていた。事実は既に小松崎茂氏デザインの轟天号にも魅了され、ともかく早く映画を見たいと気が逸(はや)っていた。無論、小松崎氏デザインなぞとは想像もしなかった。1963年、昭和38年の年末は、ほぼ毎年恒例の如き、両親の不和が原因で、母と私たち兄弟は、富士市吉原のある親戚のお宅にお邪魔していた。年末年始をたとえ親類とはいえ、人様の水入らずを妨げて母子共に過ごすなぞ、非常識きわまると思えるが、当時これは年中行事化していた。今となっては、母もずいぶん悩み抜いたと思うにやぶさかでない。さらに父にも思うに任せぬ夫婦仲だったと認めぬわけにもいかない。のちに賢兄愚弟の見本と言うべき利発な兄が、両親の不仲について言及し、二言目には暴力で家族を恐れおののかせる父のかんしゃくをものともせず、本人に面と向かって批判したというほどの度胸の持ち主であった。私が小学生ならば兄もせいぜい中高生に過ぎないが、理論武装が見事で、しかも生身のしかも今にも拳(こぶし)をぶつけて来ようかというかんしゃく持ちの父を眼前に、一歩も譲らずひるまぬ度胸の持ち主だった。もっとも、のち、家庭内やや平穏なとき、高校生ぐらいだった兄が父と腕相撲であっさり負けていた。ケンカとは必ずしも基礎的体力に負うものでもないことを、兄は既に体現していた。ここでまた結論を言うが、女房に明らかに非がある場合を除き、夫たるもの、必ず暴力に訴えざるべしが、私の持論だ。夫婦の会話の一日語数、夫七千に対して妻二万語。大差である。口でかなわぬを暴力に訴えるは卑劣、横暴なり。女人にたっぷり言わせておいて耐え、時が過ぎると不思議や妻は言い過ぎたかと冷静になることが少なくない。なお、迷惑をかけるお宅はほかに富士宮市杉田にいたおばさんのご本人名義のお宅を頼ることも一再ならずだった。このお宅では、近所の人々も集まって、年末恒例となっていた餅つきを行ない、突きたてのお餅を白・緑二色突いてこねて、早くもその場で大福を作って、出来立ての美味しい大福を惜しげもなくごちそうしてくれて、舌つづみを打った思い出がある。家族一単位で鉄壁の牙城の如く身固めして他を排斥するを当然と心得るお宅ばかりではなかった。閑話休題。あるYou Tubeネットで「海底軍艦」を改めて見た人が、神宮司大佐をずいぶん論難していたが、やはりと人それぞれの思いを知った。世界的に「多様化」が叫ばれている昨今、問題視すべきは、多様化がもたらすその先にあるのは「共産主義化」である。この人は初めて見た時かっこよく見えた神宮司大佐が、改めて見た時には小さく、哀れな人間に見えたと批評しているが、つくづく私は人と人とが議論、話し合いだけで何んとかなるものではないと痛感した。笠井氏の慧眼(けいがん)に驚いたのは、笠井氏が大人になった目で改めて見ると、(今日的な世界情勢への見解も相まって、)轟天号とその建造者、神宮司大佐の国家観に思いを致すようになったということだ。いい加減な御託を並べる俗物とはやはり違うのだ。戦争はいやだ、戦争は何ももたらさないと当然のように言う輩が多すぎるのが、殊に戦後価値観が妙な方向にそれてしまった我が日本だからこそ考えるべきなのだが、世界情勢を見て、結果「戦争は何ものももたらさない」とは是非もなしか。くどいが反戦は思想であり、人間皆根本には「戦争はいやだ」という思いはある。これを厭戦思想という。さらに軌道がそれるかも知れないが、最近私はオカルト畑で糊口する人の中には少なからず中庸または保守的思想の持ち主がいるのではないかと思った。ズバリ月刊誌「ムー」編集長の三上丈晴氏だ。私はスカパー618チャンネルの「エンタメ~テレ」放映の「超ムーの世界」を多分開始早々から視聴していたはずだが、まずやや驚いたのは、岩手県盛岡市の報恩寺の五百羅漢像を交えた蒙古襲来に関わる話を三上氏が語り出した時である。フビライ・ハンはチンギス・ハンすなわち源義経の孫であり、じいちゃんの仇とばかり鎌倉時代の日本を攻めて来たが、云々という語り方にユーモアがあり、別にチャイナ王朝のかたを持っているのでもなく、見事に笑わせる。そして極め付きは、聖徳太子と彼が書いたと言われる大阪は四天王寺に秘蔵されているという未来記に言い及び、三上氏一流のひき付ける話法で、未来記はモーツァルトの「魔笛(まてき)」につながり、疑義を起こす余地も知識もない私などは、聖徳太子の時代7世紀とモーツァルトの18世紀とがあっけなくつながり、さらにオカルト界の重鎮と言われる並木伸一郎氏がさらりと「日本は世界の中心だという伝説が事実になる」ととどめをさすように言うと、妙に感心してしまう。もちろんネットをながめると、必ずアンチがいて、「こじつけ」と一蹴しているが、私は夢のない退屈な奴らとみてしまう。いや、また言葉遣いがまずかった。真偽はどうあれ、三上丈晴氏が、かなりの知識を持ち、国家観にもある意味偏りがないか少ないのは間違いあるまい。三上氏は今世界中を覆っている多様性、あるいはマイノリティーが言論空間に広まりつつある現状を鋭く指摘していて、かつてのソ連に見られたようなイデオロギーはもはや通用しない代わりに、SDG’sなどが発言力を持つ現状を「共産主義化」と明言する。米国でみれば、民主党の主張はいずれ共産主義に傾くという。私もこの指摘に同感である。では世の中は何が最も良いかというと、例えば資本主義にも欠点がある。バランスが肝要で、国家が共産化すると、人類の営みは挫折、失敗の結果に終わる。完璧な国家運営はないとも言える。いやしくじった。笠井氏の話からどんどん遠ざかってしまった。ここは無理にでも軌道修正するしかない。笠井信輔氏は、「海底軍艦」が公開された1963年当時、まだ生まれたての赤ちゃんだった。私の経験だと、映画に軍人が登場する時、まず十中八九、反戦思想で見る観客がほとんどだ。特にGHQが徹底して言論統制を行なった大東亜戦争は、海軍のとんでもない暴挙から始まった。当時、子供だった私でさえ、「何んでハワイを奇襲したのか。山本五十六は米国の生産力を熟知し、周囲にも説明していたはずだ。それなのに、開戦劈頭(へきとう)、ハワイを攻撃するとは何事か」と既に疑問だった。ところが、当時の山本五十六評はすこぶる高い称賛のムードばかりで、大学時代だったか、TBS系列の月曜ロードショーで解説の荻昌弘氏は「連合艦隊司令長官・山本五十六」放映を前に、一冊の英語書籍を掲げ、「アメリカでは最も優れた日本軍人は、山本五十六だと言っています」と説明していたが、この時ようやく20代に達していた私は、「こんな危険なカケのように戦端を開いた男をアメリカが称えるのは、何か裏がある」と思った。こんな私でさえ疑問を抱いたのだから、全国には首を傾げた人がおおぜいいたと察する。そして、海軍はハワイのあと、つまり東へ進む東進策のあと、さらに南進し過ぎ、ガダルカナルへという愚挙に走った。一方、陸軍がまだ力が不足していたソ連を討つ北進策か、あるいはインド洋へ侵攻して制海権をとり石油を確保し、それからさらに西進侵攻して軍事力の弱かった英国をたたくという、しかもそろそろ国力衰退しつつあったドイツとスエズ運河あたりで合流して一気にイギリスをたたけばという案は、かなり納得出来るものだった。ひどい脱線となった。急ぎ笠井信輔氏に戻る。笠井氏は今でもフジテレビを家族のようなものと公式ブログにつづる心優しい人である。神宮司大佐を時代錯誤の寂しい人物と酷評しても不思議ではない。ところが、笠井氏は映画公開年はまだ終戦から20年ほどしか経っておらず、神宮司のような旧軍人がいても何も不自然ではないとハッキリおっしゃっているし、神宮司の祖国への思いに理解を示している。さよう。神宮司を戦争キチガイとかさび付いた鎧を着る亡霊なぞと平然と言い放つ旗中進のほうが、礼儀知らずだし、戦後生まれとも思えぬ年齢にもかかわらず、思想に柔軟性が全くない。笠井信輔さんが海底軍艦に言及してくれなかったら、このブログ下書きも存在しなかった。さて、最後になるかどうか、私がこの映画に見た優れたシーンをつづってみる。早々と思想中庸にまとまってしまった神宮司に対し、ムウ帝国皇帝は最後まで威厳と誇りを保って遂に、大爆発で逆巻く故国の海へ身を投じて消えて行った。かつて、1956年、昭和31年「空の大怪獣ラドン」がラストシーンで怪獣ラドンに感情移入する映画として注目されたが、私にはこの1963年、昭和38年「海底軍艦」も、ムウ帝国皇帝陛下に得も言われぬ哀切、哀感を禁じ得ず、「願わくは配下の者たちと共に、安らかにお眠りあれ」と鎮魂の意を捧げたい作品である。旗中の機転でムウ帝国皇帝を人質に脱出、轟天号に救出された一行に交って、ムウ帝国皇帝が物おじせず、神宮司と対等に言葉を交わすシーン。二人の会話を再現してみる。ムウ皇帝「神宮司、無駄な抵抗はやめよ。ムウ帝国に勝てるつもりか」神宮司「無駄な抵抗はあなたのほうだ」ムウ皇帝「ムウ帝国は必ず勝つ。世界を支配するのはムウ帝国じゃ。たとえ余は殺せても、ムウ帝国の心臓は滅びぬ」神宮司「ムウ帝国の心臓 ? 」旗中「ムウ帝国の心臓と言える神聖なところで、地熱を利用した動力室です」神宮司「場所は ? 」新藤技師「はっ。ムウの宮殿よりさらに地下10キロのところにあります」ムウ皇帝「その通りじゃ。あきらめて降伏せよ」神宮司「そちらがあくまで降伏を迫る以上、我々は絶対に攻撃を中止せん。ただし、平和な話し合いならお受けしよう」ムウ皇帝「無礼なッ ! 」もしもムウ大陸が一万二千年前に太平洋に没したのが真実で、ムウ帝国が実在したのなら、その皇帝はちっぽけな一国家のそれとは異なる風格を持っているはずで、広大無辺な帝国の皇帝としての矜持(きょうじ)も大いに持ち合わせているはずで、例え神宮司が万能戦艦の建造者であっても、ひるむことなき威厳を湛えていて当然である。以上の会話シーン分けても「無礼な」と鋭く言い放つ皇帝の一言(ひとこと)の場面は、制作期間の制約著しき条件下の作劇とは思えぬ整然たる完成度を思わせ納得させるものだ。最後に、笠井信輔氏は、我々リアルタイムで鑑賞出来た者たちが言葉でうまく語れない「海底軍艦」の見どころを見事に巨細に語ってくれた。改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。前途のご健勝とご多幸をお祈り致しております。☆編集後記☆比較的最近、神宮司大佐をほうふつとさせる戦記漫画が大ヒットした。『沈黙の艦隊』である。世界情勢は何も戦い無き平和な世界へ移行すべく推移しているものではない。海江田四郎二等海佐は、さび付いた鎧を着た亡霊なぞではなく、原潜やまとはキチガイに刃物でもない。確かな基本知識無しに映画を語るべからずと言っておく。これもまた慧眼の持ち主、笠井信輔さんが指摘していたことで、私は全く思いつかなかった。なお、戦記ものは、小説、漫画を問わず、なかなか厳しい批評が寄せられぶつけられるものだが、これも仕方あるまい。実は私は巷間名作漫画と評価されている、と思われるちばてつや氏の『紫電改のタカ』を恐らく作者とは別の意味で失敗作と断じている。機会を改めてつづってみるつもりだ。
2025.01.21
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在りし日の一龍齋貞水師匠(人間国宝)講談 四谷怪談お岩様誕生 その三『金貸し夫婦の死』☆前回のあらすじ☆「ある暮夜の睦事(むつみごと)がきっかけで夫婦になってしまった伝助とおつな。神田松田町の叔父を頼って、京橋に借家を得て伝助は、子のためにもと、江戸表の松平安芸守(まつだいら・あきのかみ)の屋敷で飯炊きを務めることになります。参勤交代が済んで殿様が国元へ帰りますが、足軽小頭・高田大八郎(たかだ・だいはちろう)は病気と口実つけて江戸の屋敷に残り、伝助は屋敷に残る高田のために飯炊きの仕事を続けることとなるが、ちょうど五月五日、端午(たんご)の節句の夕方、産気づいたおつなのために、屋敷へ入るのが遅れて、高田大八郎から大目玉を食らいました。高田は伝助から仔細を聞いて納得し、湯に出かけます。」「伝助、ひとっ風呂浴びて来るからよ、その間に飯のしたくしといてくれ、いいな」「へえ、かしこまりましてございます。・・あの、ちょ、ちょっと」「何んだ」「旦那様、その、お召しものの、そこんところについてるの、ち、血じゃ、ありませんか ! ? 」「うッ ! お ! ハッハッハ、血だ、血だよ。いや心配するねえ、なんでもねえんだ。さっきな、書見(しょけん)をしていたら、長屋のドラ猫がネズミ取った、きたねえから追っ払った。えものを取られるとでも思ったんだろう、俺の首、飛び越して窓から逃げて行きゃあがった。そん時ついたんだろう」(註/書見は読書の意)「さようでございますか。あたしゃ又、お怪我でもしたんじゃないかと思って心配いたしました。あのちょっと」「あっと、ふかなくていい、いや大丈夫だ、自分でやるからいいや。それからな伝助」「はい」「俺が帰(けえ)って来るまで、二階へ上がっちゃいけねえぜ。いいか」「はい、上がりません」二階へ上がるのをかたくとめて、大八郎はそのまんま出て行った。さあ、これから伝助、かまどの前にしゃがみまして、かまどの火打ちんところを、今はめったに見かけませんけれど、あの火吹き竹というやつで、竹の節(ふし)の先んとっから切っといて、節(ふし)んとこへキリで小さな穴あけて、こっちのほうは節(ふし)と節(ふし)の間から切っといて、プーッと吹くと小さなキリであけた穴から息がスーッと出る。あれでよく家(うち)のお袋なんかね、七輪(しちりん)の火熾(おこ)しちゃあ、サンマ焼いたりしてましたけど。伝助、かまどの前にしゃがんで付け木(つけぎ)へたきつけてた。と、今やっていた伝助の首のとこ、天井から生あったかいヤツが、「うわーっ ! 」「あっ ! ち、血だ ! あ、あのイタズラ猫だな。又二階(にけえ)でネズミでもつかまえやがって、遊んでやがるな、チクショー、しょうがねえヤロウだ」わきにありました棒、さかさまにして柄(え)のほうを天井に向け、「こんちくしょー」ダンッと天井を突いた。板と板の合わせ目にたまっていたんですが、ダーッと突いたとたんに、真っ赤なヤツがこうダラダラ「わーっ、えれえことしちゃった、またたれて来た、あーあ、しょうがねえな、こらあ頭の上にまでたれて来ちゃったよ。あ ! いけね ! カマのフタにたれてんだ。フタのつなぎ目がそりけえって、すきまあいてんだよお、中にへえっちゃったら大変だ。あっ、真っ赤になっちゃったい。いくら端午の節句の夕景どきだって、血染めの赤飯なんてシャレになんねえよ。大事な仕事メチャクチャにしやがって、どうするか覚えてやがれチクショー」イタズラ猫をこらしめてやるつもりで、これからうす暗いウラばしごを踏んで伝助がミシミシミシと二階へ。階段の上がりがまち、部屋の中を見回した。すみのところに雨合羽を入れる合羽ザルというザルが一つ置いてあるだけ。猫なんかいやあしません。「あん中で食ってやがんだ、チキショー」そーっと近づいて合羽ザルのフタに手をかけた伝助、何気なくこう中をヒョイっと「うわー ! 」、これ下手な講談に限って、大きい声出してごまかすらしいですがね、こりゃあ伝助が腰を抜かしたのも当たり前。合羽ザルに入っていたのは、何んとこれ、首と胴と離れ離れになっていた男の死骸が。「伝助エ、遅くなって済まなかった。や、あんまりいい湯だったんでな、ついつい長っ尻(ちり)した、いや、長湯(ゆ)をした。したくは出来たか ? 伝助 ! はばかりか、伝ッあっ ! 」タタタタタタッと二階だ。「伝助っ ! 」「うわあああ」「見たな、見たな ! 」「いえーいえ、見ません、何んにも見ませんから勘弁して下さい、見ちゃいません、見てません、首、首と胴とバラバラんなった死骸なんか見ませんでしたあ」「伝助、よく見ろ。お前も知っている霊岸島(れいがんじま)川口町、伊勢屋重助(いせやじゅうすけ)の死骸だ。三年前に五両借りた。利廻り(りめえり)が積んで今じゃあ三倍の十五両。今朝も早くから催促に来た。病気でお殿様のお供も出来ねえ。江戸へ残った。済まぬがしばらく猶予してくれと両手をついて頼んだ。どうしてもきかねえ。返(けえ)せ返(けえ)せ返(けえ)せ返(けえ)せ、返(けえ)せ返(けえ)せ返(けえ)せ返(けえ)せと、百万遍並べた。伝助、足軽小頭(あしがるこがしら)たあ言えど、これでも高田大八郎身分ぶち込んだ侍だ。足軽というとバカにしやがる。足軽・ひざ軽(がる)・けむた軽(がる)・鉄砲持たせりゃ重たがる・部屋に帰りゃあ眠たがる・弁当持たせりゃ食いたがる・女見せりゃ抱きたがる。伝助、お前に言ってもわからんだろうがな、俺の親父も足軽だった。何んとかして足軽以上、立派な侍になりたいと、この大八郎は小さい頃から人一倍本を読んだ。ヤットーの道場へもかよった。フン、だがどうでい、足軽のせがれはしょせん為(な)れて足軽小頭だとよ。それから面白くなくなって、博打(ばくち)と酒と女で、フン、このざまでい。だがな伝助、それでも足軽小頭・高田大八郎だ。それが手をついて頼んだがどうしてもきかねえ。あげくの果てにゃあ人の面体(めんてえ)指さして、ゆすりだたかりだ盗っ人だ。くくっ、思わずカッとしてな、刀の柄(つか)に手えかけた。ピカッと光ったなと思ったまでは覚えてた。気がついたら野郎の首が落ちてやがる。あわてて拾ってくっつけたが元通りになんねえ。伝助、見られたからには致し方ねえ。人は悪かれ我れ良かれ、後生(ごしょう)大事や金欲しや。死んでも命のあるようにってのが当世流(とうせいりゅう)だそうだ。伝助、お前の命っ ! 」「ま、待って下さい・・・ま、ま、待って下さい ! 今、今あたしが殺されちゃったら、おつなだってタダじゃあ済まないんですから、そ、そうなったら、おなかの子だって闇から闇へ葬(ほうむ)っちゃって、ってことになっちゃうんですから、人、人一人殺して親子三人の命取るってことになるんですね。お願いです。生まれて来る子の顔は誰だって、親見たいのは当たり前なんですからね、どんなことでも命さえ助けて下さりゃ、どんなことでも」「するというのか ! よし、だったら可哀そうだ助けてやる。その代わりタダじゃねえぞ。お前があの死骸をどっかへ捨てて来い」「待ってろ、それ、駄賃だ、持ってけ」「あの、これ、さ、三両もあります」「いいから持って行け。殺した伊勢屋重助のふところへ手え突っ込んだらな、十五両二分入ってた。死んだヤツに金は要らねえ。香典代わりにもらっといた」「死人(しびと)から香典取っちゃったんですか」「いいからしまえ。伝助、人間命が大事だ命が宝だ、きれえごとを言ってるヤツがいるが、ありゃあウソだぞ。人間一番大事(でえじ)なのは命じゃねえ、金だ。そうじゃねえか、その証拠にゃあよ、金のためにゃあ大事(でえじ)な命捨てるヤツあいくらでもいるじゃねえか。いいからしまっちまえ」「しまったらお前も同罪だ。や、伝助、死骸の始末はつけてやる。そこにぶる下がってる雨合羽(あまがっぱ)、お、それをはずしてここに広げろ、ふるえてないで早くやれ」「はい」「ふるえてるんじゃねえ、まぬけ」雨合羽をしょい、首と胴とバラバラになった伊勢屋重助の死骸の入った合羽ザル、それを高田大八郎、その場へ持って来ると「どっこいしょ ! 」とそこへぶちまけた。死後硬直というヤツ、しゃっちょこばっている固くなっている首のない死骸の手足、その手足を「え、ええい ! 」ポキッポキッ、ポキポキ、折り曲げる。転がっていた生首(なまくび)の髻(たぶさ)つかむと、ぶる下げて来ると、死骸の腹(はら)の上へ乗っける。雨合羽でこれを包み、その上から麻風呂敷(あさぶるしき)で二重三重。(註 / 髻『たぶさ』とは、日本髪やちょんまげで、髪の毛を頭の上で集めてたばねたところ。もとどり)「さ、しょわしてやっから向こう向け。いいか、いいか」「やっ、ぐっ ! しょったか ? 」「あ、しょいました、しょいました」「もっと軽そうにしょえ。いいか、人にきかれたら、布団の洗濯を頼まれたと言え。いいな、しゃべるな、しゃべったら、お前の首もついてねえぜ。待て待て、階段を降りるんだ。俺が先に階段を降りてやる、いいな、しっかりつかまって降りて、しっかりと、おーっとあわてるな。転げ落ちるじゃねえか、ほら、もう少しだ、もう一段だ。よしいいな、しゃべったらお前の首も伊勢屋重助と同じだぞ」可哀そうに伝助、おどかされて首と胴とバラバラの死骸をしょって長屋の通用門から表へ出た。「えらいことになっちゃったあ」夜に入りました真っ暗な道。お数寄屋(すきや)の堀端(ほりばた)まで来て、五月の五日、端午の節句の夕景どき、人通りがあって死骸が捨てられない。これ、人通りのないほうへ行きゃあ捨てられる。こわいもんだから人がいるほうへいるほうへ行っちゃう。「弱っちゃったなあ」あっちをうろうろ、こっちをうろうろ。とーうとう死骸の捨て場に困って、その晩遅くなりまして、あろうことかあるまいことか、今にも生まれそうなお腹(なか)をした女房おつなが待っております京橋五郎兵衛町(ごろべちょう)、自分の家(うち)へこの死骸をかつぎ込んで来ちゃった。―その三了、この話つづく―
2025.01.13
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ユコタン音楽シリーズ「わたし今夜もイライラよ」楽譜掲載落第生真っ只中で聴いた色っぽい歌はこれかあ ! 2025/01/08開始村松「まことに頼みにくい歌なんだけど」夕子「あら、いいじゃない。あたしって、けっこうエロいの嫌いじゃないよ」村松「ホントっ ! いやあ、地獄に仏じゃないけど、何んだろう、真面目ぞろいの中につやっぽいの一つ、一人、かなぁ。いや、助かった」夕子「なあんだ、れっきとした歌謡曲じゃない」村松「夕子は何んだと思ったの ? 」夕子「ズバリ春歌(しゅんか)かと思った」1963年の五月みどりさん。お色気ソングで有名になったが、どことなく品があり、親しみやすい美貌だった。村松「いろいろあるけどねぇ」夕子「♪ 一つ出たほいのよさほいのほい・・なーんてね。これかなり有名でしょ」村松「うーむ。今更ながら、俺は外見だけ淑女で中身はドすけべ女に恋しちまったか。あな幸せ ! 」夕子「年末から今年へとスゴいスピード。で、何んて歌 ? 」村松「はいな。五月みどりさんの『わたし今夜もイライラよ』。You Tubeですぐ出るよ」――視聴タイム――夕子「あぁ、実際に聴いてみると、かなりつやっぽいわね」村松「さすが。ところで今回は始終出て来る音符をとらえて、書いてみたから夕子確かめて ? 」――メール送信――夕子「うわ、すごい。あなた、進歩したわね」村松「またまた」夕子「なあによ。エッチな歌だからって『またまた』なんて。むずかしいリズムよくわかったわねってほめたかったの」村松「参考にしたのが尋常小学唱歌の『鯉のぼり』」夕子「えっ ! ああ、なるほど。『♪ いーらーかーのなーみーとー』って歌うものね。でも、あなたもギャップがあるね。いかにも健康的な子供の歌をなんてね」村松「でね、たて続けに夕子に負担をかけ過ぎないように、俺思い切って楽譜書いてみた」夕子「あ、来た。メール早い。では拝見」村松「・・・」夕子「休符むずかしかったでしょ。でもこれでいいかも。何しろ二分の一拍とか四分の一拍とか、数学みたいだものね。この初めの一小節ね、付点八分休符で0.75拍、十六分音符が0.25拍、合計一拍。一小節全体で四拍。オッケーと思うよ。ところで、この歌1974年って記してあるけど、あなたのつらかった時期と何か合いそうなのかしら」村松「とにかく大学生活がガタガタでね、まともな人が見たら、何やってんだってことになるけど、現実から逃げてたね。順調だと1971年春入学だから1975年3月には卒業となるけど、えーといつだったか、あー、記録がまるっきりないなぁ」夕子「あなた、つらい精神状態の中でよくこれだけ記録したって、感心するよ。それでも書けないほどの苦しみがあったのよね。大ざっぱに言うけど、1974年は下半期の記述があまりなくて、日記のこと話していいのかしら」村松「構わないよ。たとえ交際相手だって、けむたいことばかりのを良く読んでくれたって、ありがたいと思うよ」夕子「で、翌1975年も下半期の記述はほとんどなくて、更にね1976年はまるまる一年間、何もつづってないの。これについてはあとで話すけど」村松「そうかあ、よくよくダメな」夕子「違うの。聞いて」村松「うん」夕子「先に結果を言うと翌年の1977年春卒業でしょ。その前年1976年は、卒業実験に明け暮れる毎日で、どちらかというと身体をいっぱい使って生活してたから、むしろ充実してて、それで書いてなかったのかなって。もちろん精神的なつらさは、そんなにあっさり消せてはいないけど、この1976年昭和51年に文京区の間借りしてたお宅から、世田谷区の下北沢に引っ越してるのよ。つらい中でも生活行動は行なってるの。ただね、日記帳に1976年の記述がないの。つまり書き忘れなの」村松「あ、ホントだ」夕子「種明かしするね。1976年は西暦を書き忘れなのよ。10月の日記のあと、1977年春の記述でしょ。書き忘れのことも書いてあるのよ」村松「あ、そうか。しかし、俺如きの日記をここまで読んでてくれたなんて、ありがたい」夕子「さあここで質問というか、クイズ。この昭和52年、1977年さらに翌年昭和53年、1978年にかけて、どこに住んでるか」村松「卒業何んとか出来て、箱根の国民宿舎へ泊って、一旦富士市の旧宅に帰って、ああ、まだ東京だったか」夕子「ね。心身共に健康ならば、下北沢の生活はかなり変化に富む思い出にもなったかも知れないけど、でも結果論だけど、よく耐えたわね」村松「・・・もったいな・・・」夕子「改めて、お疲れ様。いいのよ。あたしの胸で泣く ? あ、コラ」村松「うう、弾力、カパッ、いてー ! 」夕子「いいかげんにしろ ! もお」村松「しかし、本当にていねいに読んでくれてたんだな」夕子「それで、1978年、昭和53年も途中で途切れて、いきなり『遺書』が出て来るの。B5判のノートにほぼ4ページびっしり書き込んであるの」村松「昭和53年は、お袋が一家心中をほのめかした年で、それが遺書にもつながるのかな。でも覚えがない。それより、翌年の1979年、未だ信じがたい出会いがあったんだ」夕子「あたしとね」村松「うまい ! 見事につながったね」☆編集後記☆村松「一つ疑問なんだけど」夕子「ん ? 」村松「電話会話の設定なのに、俺の日記帳、こまかく読んでるって、何 ? 」夕子「こまかいことゴチャゴチャ言わないの。ふふっ」村松「あれ、机の一番下の引き出し、日記帳がちゃんとある。むむ、おのれくノ一、やりおったな・・」夕子「ふふ、新年忍び初めよ。さあて。とっておきの秘術を見舞おうか」村松「なにッ ! 」夕子「おぬし、ドラム・レッスン通い始めはいつかな」村松「何をくだらぬ愚問を。2019年春2月に決まっておろうが。力が急減したか」夕子「よし。あ、ところでさ、日記帳の、そのページだけスキャンして送るね」村松「お、来た。えッ ! ? これ、いつ ? 」夕子「1985年、昭和60年」村松「ドラム教室の申し込みを『すみや』にてする。これが始まると、けいこごとは2つになる。以下略」夕子「翌年、1986年に確か急きょ塾始めたでしょ」村松「ああ、それでドラムは退会したのかなぁ。もう一つのけいこごとは拳法だな。ね、夕子教えて。何んで俺の日記のこと詳しいの ? 」夕子「ついに呆(ほう)けたか。いや、そうではない。拙者の術をじっくり解くがよい」村松「 ? ? ? ・・・」☆さらに編集後記☆村松「実験終えて下北沢へ帰ったあとの夕食のこと覚えてるよ」夕子「おなかがすいて、体調良かったことだってあるのよね」村松「とにかく東京は見事な街だ。俺はほぼ毎回、中華料理の食堂へ入って、カウンターで焼きそば頼んで、うわあ、思い出して来た。うまかったなー、焼きそば。ソース焼きそばも好きだけど、あそこのは中華の焼きそばで、具が豊富で」夕子「うわあ、あたしも港区にいた頃のこと、よみがえって来た。だいたいマズい店なんてなかったよね」村松「仰せの通り。そりゃあ、食べ歩き盛んな人は、もっと詳しくて甲乙つけられたかも知れないけど、たいてい美味しかった。久しぶりに外食するかな」80代にしてこの美しさ。一般人ではいくら化粧しても無理だ。『わたし今夜もイライラよ』楽譜(監修 / 広瀬夕子)
2025.01.10
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どバカヤロウのバカフォトショップ 2025/01/02開始 バカが進むと一度死んだほうがいいくらいにどうしようもなくなるのですが、バカは死ななきゃなおらないのか、死んでも治らないのか。亡き母は「なんであんたみたいなおバカさんが生まれ育ってしまったんだろうねえ」とよく嘆いていました。成人ビデオのサイトを見ていたら、どこかで見たことのあるデザイン、カラーを連想しました。このようにパッケージ右側に視線を固定すると、どうしても「おいしそう」なものが連想されるのです。それが下の画像です。この年配になると、さすがにお菓子でもないのですが、何しろ歯が悪くなるし、こないだは、ピーナッツ入り小粒せん思い切りほおばって食べようとしたら、気管支近くに入りそうになって、目から涙をぼろぼろこぼしながら、スゴくせきこんで、気づいたら失神から目覚めたようにボーっとしていたので、これ以後せんべいの類いは買わないことにしました。嚥下困難が予想されるからです。ピーナッツも柿の種も好物なのですが、もはや誤嚥死を覚悟してでも食べるかといったら、さすがに恐ろしくなりました。森永様、表現不適切と判断されたら、お詫びして相応の処置等致しますが、昔も今もとてもおいしいキャラメルです。失礼致しました。
2025.01.02
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『年末ギリギリ楽譜作成懐かしのテレビドラマ主題歌もうれつ先生の歌』楽譜掲載(ユコタン音楽シリーズ)2024/12/28開始 村松「もしもし」夕子「やっぱり風邪みたい ? 」村松「看護師さんが最後にみえた時は6度3分と極めて低かった。俺にしては低いから、霊体が見えるかもなんてね」夕子「病みかかりにしては口が達者ね。あたしを恐がらせたいんだよね」村松「いや、食事はまずまずだけど、例の本」夕子「コラ。今何んて言った。れいはれいでも雨冠(あめかんむり)の『霊の本』よね」村松「ホントに読むの中断しちまった。体調が良くないと、この手の本は読みたくなくなるみたい」 夕子「そう。仕方ないわね、残念だけど。でもあなた昔から風邪の類いでは長患いしない体質だった気が・・。でも、何十年も経ったからね」村松「仰せの通りにございます。インフルだと別だけど、人から移されない限り、発症したことはない、家族全員がまず重い症状にはならなかった」夕子「お父さんが自衛隊勤務休んだの、記憶では一度きりって聞いた気が・・」村松「うん。親父は健康というより頑丈だった。それについては評価してる。あ、それでね、形を変えてしまって申し訳ないんだけど」夕子「移してもいいから来たらって言ったら ? 」村松「愚かなことを。あえて言うけど、この年取ってきたなくなった口で、・・」夕子「あたしと濃厚な・・・、いやねえ恥ずかしくて言えなくなっちゃった」村松「ごめんよ。あとは遠回しに言うよ。特にね、夕子の魅力に触れながら」夕子「照れる。もう老婆なのよ」村松「何を言うか。夕子の整った顔のその最も美しいのは」夕子「やめてえ ! 」 村松「やめるものか。お前ね、男が女と顔を急接近させる時に、どんな感情を爆発させんとしているか、お前は女だから余りわからないだろうけどな、いいか、ここで俺はお前がカタログモデルをやった時の完成写真を久しぶりにあけてみたよ。もう一度断っとくけどね、まず美形でなければならない。ただし、ある程度整ってれば、標準的でも女の人はかなり素晴らしいものだ。いやさ、普通に人間でさえあれば、もはや言うこと無し、または余り無し」夕子「スゴい変化ね。根本はやっぱりあなたが『好色』人間っていうことかしら」村松「さすが夕子だ。ダてに女をやっていなかったね」夕子「それ、ほめてるの・・」村松「まあ、それで俺みたいに鼻に高さがほとんどない男は悲惨なものだけど、それでも顔を急接近させると、極めて近い顔は、詳細が余り見えない。ところがいよいよ核心に迫るが、唇は眼前に拝める」夕子「唇う ? へえー。そういう見方もあるのかぁ」村松「ものを食べる器官くらいしか思わなかったか」 夕子「何を言うとるか、おぬしは。会話にも使うし、陸上やってた時は苦しい息をついついしてしまったよ。でも、ね、続けて」村松「特に高校生の時の夕子は顔全体が整ってるから、当然唇が見事にきれいだった。しかも程よくツヤがあって、このツヤに拙者は急激に誘われたのよ。それで触れる瞬間、どうかするとお前の唇が軽くひらくことがあってな、その時歯並びのいい白い歯がキラリと光った日には、もうこのひと時が終れば、もう夕飯何んて一食ぐらい抜いてもいいと思ったね。普段通りの夕飯は抜いて、その代わりお前の、もっと言えば美少女高校生の唇を堪能出来れば何んと幸せかと」夕子「スゴいね。でもそれもあなたが人一倍好色人間だったからということあるよね」村松「うーむ、まあ反論する気はないけどね、これだけは男でなければ、少なくとも女の全部は理解出来ないだろうね。女は割とさめていられるから」夕子「ねえ、一つ質問だけど」村松「ああ、何」夕子「今回は音楽よね。今の会話が関係するのよね」村松「いや、それが会話が進んじゃって、本題との乖離がかなり」夕子「ズバリ歌 ? 懐かしいドラマなんかの」村松「うん。もうれつ先生っていう漫画のドラマ化の時の主題歌」 夕子「おバカさん ! テーマがまるっきり違うじゃないの。今からまともな会話して、それをあなたが脚色しなさいよ」村松「これコジツケだけどユコタン音楽シリーズだよ。夕子が主役なの。でさ、ここで一刀両断のけさがけで、赤裸々ムードにしといてさ、それでいきなりもうれつ先生に入るの」夕子「もうおこるのも疲れた。で、正直わたしそのもうれつ先生っての、知らない」村松「それで当然。俺でさえ、テレビドラマで見たことないもの」夕子「何んで知ってるの・・」村松「兄弟で取ってた月刊誌『少年』連載でさ、それで少し調べたら、テレビドラマは1960年昭和35年6月からのようで、当時我が家は富士宮(ふじのみや)市にあってね、テレビに映る民放は実に静岡放送SBSだけ。で、この昭和35年の夏休み中に御殿場に引っ越したんだけど、テレビ事情なんて情報源もない時代だから、放映中だったらしいけど、知らぬまに終わってさ」 夕子「話題がようやくまともになって来たわ。なーるほど。そういう見逃し多かったの ? 」村松「うん。七色仮面は終わってから引っ越したから、放映してたことも知らぬまま。でも、すぐに夏休み中に連日再放送してくれたからね。あ、それで当時はUHFはなくて、御殿場なんか全局東京キー局の電波そのまま流してたからね。つまりVHF。コマーシャルは面白かったよ。王貞治選手がオッソロシイ棒読みで『自由ヶ丘亀屋万年堂のナボナはお菓子のホームラン王です』ってセリフ言うんだけど、俺たち子供でさえ、見事な一本調子だと思ったものね。この話自由にさせてもらうと、もうれつ先生入る前に、ほかの漫画やドラマのことばっか延々としゃべるよ」夕子「そう言われてみるとそうねえ。あなたの話のタメが凄い感じするもの」村松「じゃ打ち切ってもうれつ先生に行っちゃいますか」 夕子「ええ ! それもスゴいわね。それどんな漫画 ? 」村松「資料送るね」夕子「ふうーん。もうれつ先生。初めてかなぁ。あの早速だけど、歌を教えて」村松「あの、決して変な意味ではなくて、この歌ようやくここへ来てYou Tubeにアップしてくれた人がいてね、それ知らせるから聴いてみてくれる ? 」――もうれつ先生の歌――夕子「・・・ ? ああ、聴いたことあるような気が・・。何故だろ」村松「俺がだみ声で歌ったかも知れない」夕子「あたしの勘違いかな。ま、家(うち)の兄は世代が異なるから情報源にならないし。聴かせていただいて、こんなこと言っては失礼かも知れないけど、上高田少年合唱団の歌詞が聴き取りにくい。せめてワンコーラスだけでも・・え ? 」村松「うっかりしててごめん。失くしかかった付録が見つかったんで、一番は確認出来る」夕子「あ ! そうだ。あなたが保管しておいた『少年探偵手帳』だ。これの最後のページのほうに・・・」夕子「あ、メール来た。なるほど、謎は解けたわ」 ――もう一度視聴タイム――夕子「優しいようで、むずかしい歌ね。あなたわかる ? 」村松「試すね。苦手だから夕子に頼んでるのに」夕子「誤解しないで。嫌味や文句じゃないの。この手の歌って、改めてみるとね、伸ばすところと同じ拍子のとこが、微妙に現われるのよ」村松「ほお。単なる子供向け番組の主題歌を、レベルアップさせたなあ」夕子「でもね、やっぱり名曲ってのはあるのよ」村松「ほお」夕子「例えばね、『月光仮面は誰でしょう』。これ、今初めて話すけどね、あなたは、かなり正確に歌ったのよ。それで質問だけど、どうやって正しい歌い方を覚えたの ? 」 村松「ひたすら聴いて覚えたのかな。別の例で言うとね、あの古関裕而氏の『若鷲の歌』についてね、これねえ、人物が間違ったら、つまり人違いだと、まことに申し訳ないんだけど、思い切ってキダタローさんと言っとくよ。彼が「徹子の部屋」に出て、流行歌手が唱歌や軍歌を歌ってレコード出すのが目立つけど、売れっ子のせいか、歌を軽くみて、軽視していい気になって歌ってるのが目障り、いや耳障りだって言ってね、美空ひばりが若鷲の歌歌った話をしてさ」夕子「面白そう」村松「夕子は歌を大事に扱うから聞く資格充分あるよ。でね、『♪きょうも飛ぶとーぶ』ってとこを美空ひばりはあの、ハ長調を基準にした音階で言うけどね『シーラシーラシドミミ』が正しいメロディーだけど、美空ひばりは『シーラシーラシドレミ』って歌ってる。これは作曲者侮辱だとハッキリ言って、美空ひばりのLP投げ捨てるようにテーブルに置いたんだ」 作者は当時を知る世代には周知と言える寺田ヒロオ氏。のちの「巨人の星」のような、精神・根性などとは描かず、ほのぼのしたムードの中に、ごく自然にもうれつ流柔道の凄さを描いたあたりは、まさしく寺田ヒロオ氏の真骨頂。夕子「わかるわ。じゃあ正しく歌ってる人のって」村松「霧島昇さんは見事に歌ってる。ま、ついでに言うと、藤山一郎さんも実に歌詞をていねいに歌うお手本みたいな歌手だ。今の歌手を悪く言う年配者も、こんなことを言いたい気持ちもあるんじゃないかってね。ついでに決して嫌いじゃないグループのこと話題にするね。いきものがかりの『ありがとう』ってヒット曲」夕子「わかった、かも」村松「夕子の意見ならピタリでも異なっても、参考意見になるから、聞かせて」夕子「『♪青空も泣きぞらも』ってとこかな」村松「当たりッ。彼らの言いたいことはわかる。だけど、意味が通じると判断したら何んでも使うってのは、日本語への冒涜だ」・・・やや時間経過・・・村松「前言撤回。俺は三つ子の魂百までを地でゆくバカ者だ」夕子「あけましておめでとう」村松「あけましておめでとう。夕子、からだ・・だいじょうぶ・・」夕子「大丈夫。ありがとうね。もちろんあとでまた一寝入りするけど、たった今息子と話したばかり」村松「あ、ケータイにショートメールあった。俺、これも出来ないままだからね」夕子「いいわよ。あの子起きてるはずだから、かけてみれば」――時間経過ややあり―― 村松「俺、夕子の楽譜掲載しちまうよ。新年早々の第一弾」もうれつ先生の歌楽譜
2025.01.01
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「バカにつける薬シリーズ」久しぶり 2024/12/23開始村松「あの、予行演習的にご無礼致しましたが、御用繁多でいらっしゃる・・え ! ? 」夕子「あなた、まさか・・生きているよね。幽体で来たなんてこと」村松「出来りゃあ、そうしたいよ。交通手段要らなくなるからね。でもまだ仕事があるだろ」夕子「待てい ! そこを動くな ! 」村松「うぅ、我れフリーズせり・・」夕子「ホントだ。ね、顔見てハイさよならはないよね」村松「お邪魔します」夕子「ルンルン」村松「夕子、何かいいことあったの ? 」夕子「あなたが来たからよ。それとも、下心あって来たか、おぬし」村松「見抜かれてはしかたない。ある。あって来た」夕子「いいよ。現にここまで来たんだから」村松「夕子」夕子「何 ? 」村松「今日は久しぶりに『バカにつける薬』シリーズをお願いしたいと思ってね」夕子「わたしにわかることならいいけど」村松「とりあえず、夕子、テーブルについて休みなよ」夕子「あなた、優しくなったね。お言葉に甘えて」村松「もうまもなく年末年始休みに入るよね」夕子「ええ。ようやく」村松「管理職だけギリギリまでなんてこと」夕子「ないわよ。ああ、でもようやく一息つけるね」村松「お疲れ様」夕子「あなたのブログテーマの中で最高傑作の一つだと思う」村松「それはどうも恐れ入ります」夕子「だって、これあなたの本音、本心で言うと、バカって言ってるのは、世間の人ほぼ全部なんでしょ ? 」村松「鋭いね。つまり俺は実はバカの役を担ってるってこと ? 」夕子「だって、テーマによっては、必ずしもあなただけじゃなくて、疑問に思っても思わなくても、そういうものだと思って看過しているってことがあるもの」村松「俺が明らかに無知、おバカさんってのもあるけどね」夕子「印象に残るの思いつきで言うと、『今はやまなか今は浜』、それからあたしのブログだけど『富士山を望む限界』あたりかな」夕子「あ、それから画期的って思ったのが、新聞紙を26回たたむとどれほどの高さになるかっての。対数利用ですもんね。理系大卒くらいでもどうかっていうほどの難問」村松「もしやと思って2の26乗計算、電卓でやってみたけど、電卓のほうが作業自体がおっくうだもんね」夕子「一つ過去のこと思い出しちゃった。あの子が実は対数でつっかえてたって話」村松「ああ、巨大な桁数の最高位の数字求めるヤツね」夕子「よく覚えてるね」村松「あいつが数学全部が崩壊するなんて、認めたくなかったもの、断然。あいつは頭がいい」夕子「ヤダ、ホント ? 」村松「ああ、そんなことがあるかって、腹がたつくらい。俺は対数のその手の問いがあいつをつぶそうとしてるって思った。そしたら、それ一つ解決したとたん、本来の能力が爆発的に発揮された。本領発揮、ざまあみろって思ったもんね」夕子「ありがと。何んか・・」村松「あぁ・・何んか、感激する予定はなかったんだろ。ごめんな」夕子「うふ、変なの」村松「本人も大変だったろうけど、お前がなあ、自分の健康そっちのけ同然に気遣ったもんな」夕子「ね、そろそろあなたの疑問を話してよ」村松「おお、そうだった。何しろ夕子は俺の不安を見事に裏切って、これまで何んでも答えて来たからな。では今回も、俺独力では自信がないのを」夕子「どうぞ」村松「あの、『皆既日食』は、太陽を月がほぼ同じ大きさで隠すじゃん」夕子「ああっ ! 来たーっ ! ! 今回はそれ ? 」村松「うん。天体の見かけの大きさのとらえ方から皆既日食あたりまで。しかし夕子、まるで予想が当たったみたいな言い方だね」夕子「これはね、目の前にあなたがいるから、説明しやすいよ」村松「ホントに ? しかしお前はスゴいね」夕子「あなたが置いてってくれた発泡スチロール製の球があるじゃない、中止した恐竜境も思い出すけど」村松「え ? 球じゃなくて、円、なの ? 」夕子「球は立体だから正確さは上回るけど、イメージを高めるには円でいいのよ。と、言いたいけど円を二つ作るのおっくうだから、球面を使うね。ただし距離はごく大ざっぱに」村松「フェイントかけたのかな・・」夕子「怒った ? ごめん。迷ってたの、ごめんなさい」村松「迷うたか・・」夕子「ごめんって言ってるでしょ。まあたそうやって恐がらせようとして」村松「失礼しました。ではレクチャーを願います」夕子「迷うたこととカブるかも知れないけど、この図を見て」夕子「視点と書いてあるのが観測者。あなただと思ってもいいわ。それで近いところと遠いところに天体が二つ書いてあるでしょ」村松「うん。・・・ ? もしかして、遠いところの星と近いところの星は、視点からの距離が異なるけれども・・・見かけは同じ大きさってこと ? 」夕子「ほうら、もう面倒な図は図説は要らないかも」村松「そうかぁ。日食なんてスケールの違い過ぎるのを連想してパニクッていたかも知れないのかなあ」夕子「事実、地球から太陽までの距離は、地球から月までの距離の400倍もあるし、太陽の直径は月の直径の400倍あるから、見取り図が描きにくいのよね」村松「なるほど。しかし夕子は本当に頭がいいなあ。英語がなければ」夕子「東京工大受かったって昔言ってくれたね」村松「だってさ、東工大の英語試験、形ばかり英語ってなってたけど、俺みたいな英語苦手人間にも長文なんか優しく見えたもんね。それでも英語苦手な受験生を苦しめるのかって、腹が立ったもの。もし夕子が東工大出てたら、見事な経歴にハクがついたな」夕子「世の中、今さら英語を国公立大の選択科目になんか出来ないし。アメリカの威光が効いてるのかしらね」村松「久沢の旧宅で塾始めたばかりの頃ね、生徒とちょっとした議論になったんだ。俺は理系に英語は要らない。なんなら選択にすべしってね。そしたら、文系に決めてた生徒が言いやがった。『英語は今や人間に必要不可欠な科目ですよ』ってね。俺はじゃあなぜ数学を選択にしちまうのかって反論したよ。そしたら『数学は選択にしなければ、苦手な生徒が困りますよ』って言い張るんだ」夕子「あなた、熱くなると、塾経営のこと度外視するほどだからね」村松「今の詳しい内容は知らないけど、1990年代当時は、日大付属高校には、日大統一テストに数学があって、数学が著しく悪い成績の生徒は日大への進学を考え直さねばならなかった」夕子「あら、ごめんなさい。この話、もう少し専門的なところまで踏み込むことも可能なんだけど・・」村松「そうなのか。ぜひお願いします」夕子「今例を出したように、日食を話題にするとスケールが大き過ぎるから、もう少し規模の小さな実例で見てみるね。ちょっと待って」・・・時間経過・・・夕子「お待ちどお様。この二つの球(または円)を右手と左手で離して持ってみて。でね、持ち方は、遠くの球(円)の輪郭が近くの球(円)の輪郭でほぼ丁度隠れるように持つの」村松「あ、なるほど。とりあえず右手で大きな球(円)を持って、左手で小さな球(円)を近づけてと・・・うーん、だいたい重なったかな」夕子「じゃ、今からいろいろ長さを測るから、少しそのままの姿勢でいてね」村松「そうか。驚いた。夕子は二つの球(円)の直径を2対1に必ずしもしないで切り抜いたのかぁ」夕子「はい、お疲れ様。じゃ、測った数値言うからね。直径は大きな球(円)が15cm、小さな球(円)が7cmと。それからあなたの目の位置から大きな球(円)までの距離がだいたい86cm、小さな球(円)までが41cm。さて、そろった」相棒・夕子宅の天体模型として使ったのと同じ発泡スチロール製模型。二階の元教室の乱雑さがわかる一葉。村松「あ、計算電卓で俺がやるよ。俺の視点から二球(円)までの距離の比の値は、86÷41=2.09。えーと、二球(円)の直径の比の値は、15÷7=2.14」夕子「出来たわね。ごく大ざっぱに計測したけど、算出した比率がほぼ一致したでしょ。つまり視点からの距離が二倍になると、見かけの直径が二倍だと、視点からの距離が二倍くらいのところで、見かけの大きさが一致するの。もちろん逆に言えば、視点からの距離が半分になると、見かけの大きさは半分の距離で一致するの」村松「なるほど。解決しちまった。俺、こんなことが理解出来ないでいたのか」夕子「ちなみに、地球、月、太陽で計算すると、地球と太陽の距離が1億4960万km、地球と月の距離が38万km、大きさはこれも赤道、極で異なるけど大ざっぱに、太陽が直径139万2000km、月が3476km。比率計算すると、1億4960万km÷38万km=393で、直径比率は、139万2000km÷3476km=400」村松「ああ、本当だ、およそ400倍ってことかぁ」夕子「これ、ネットからの無断借用なんだけど、とにかくネット検索すると、理系と思しき人の頭脳の明晰さがうかがえて、あたしはこういう理系サイトのほうが尊敬の念が増すのよ。あたしの趣味の音楽なんかは、理数が得意な頭脳との相関関係が昔から唱えられてるし」村松「そうだよね。俺、化け物屋敷の茶の間に矢野健太郎さんの数学関連書を置きっぱなしにしてダメにしちまった」夕子「ごめんなさい。すぐほかのことへの連想になってしまって」村松「いやあ、夕子のせいじゃないよ。俺がすぐ話題を移しちゃうから。あれ。タンジェントが書いてある」夕子「本格的な理系頭脳の人のサイトだと思うよ」村松「見かけの大きさを視直径と述べてるのか」夕子「あの、提案なんだけど、これを改めて作図から始めると、かなり長くなると思うの。もしよければ、本格的な数式絡みの理論ってことで、別の機会にどうかしら」村松「今見せてもらった二つの星の図で少し納得出来たら、とりあえずいいってこと ? 」夕子「ダメかしら」村松「夕子の作図だけ書き取らせて。メールで送ってくれるとありがたいけど。それと参考にしたサイトも教えて」夕子「わかった。じゃ、お疲れ様」
2024.12.26
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夕子殿と2024年暮れの会話 2024/12/11開始「ユコタン音楽シリーズ」夕子「やめてよぉ、のっけからそんな恐い話」村松「何んか祟りがあったようにも・・」夕子「いい加減にしなさいよ ! ! あたしは一人住まいなのよ」村松「すみません・・・」夕子「・・ん、でも、そんな言葉言うの初めてよね。何んかあったの・・ ? 」村松「いや、気のせいだと思おうと思ってるけど・・」村松「そ、そうだよ。多分レッスンのストレスだよ」夕子「ドラム、きついの ? 」村松「レッスンの都度、ほぼ毎回、宿題が出る」夕子「そうなんだ・・。むずかしいのね、ドラムって」村松「少し夕子に話したけどさ、例えばハイハットシンバルを左足で踏んで閉じたままなのが続いたんだけどね、そろそろオープンにして叩くのが始まって、うーん、うまく話が出来ないなあ」夕子「でも今度はもっときついんだ」村松「うん。まず初めに、ハイハットは閉じたままで、バスドラムとハイハットシンバルを交互に叩くやり方を教わったんだ」夕子「一小節にどんな拍数になるのかしら」村松「厳密に言うと、バスとハイハットを八分音符で四つずつ叩くから、合計八つになる。あ、あの下の部屋の本物のドラムで聴かせようか」夕子「いいよ、寒いでしょ。じゃあさ、机に向かったままでいいから、右足とあとは右手で聴かせてくれる ? 」村松「つくづく俺は感心するけど、夕子は得意なピアノ、エレクトーンだけでなく、ドラムにも興味を注げるなんてなあ」夕子「ノロケと言われてもかまわないけど、あなたの説明がわかりやすいからよ」村松「でもさ、ドラムセットの複数のドラムの名前と配置を知ってなければわからなくても仕方ないと思うけど」夕子「高校の時ね、合唱部と吹奏楽部は行き来しやすい環境だったから、ドラムス担当の生徒とも仲良くなってね」村松「へえー、それは初耳」夕子「この子、ドラムだけでなくて、いわゆる小太鼓も出来たのよ」村松「なるほど、ドラムで言えばスネアみたいなものだからね」夕子「あ、ごめん。レッスンのたびに新しい叩き方を提供されて、くたくたっていう話だけど・・」村松「あ、そうだね。じゃ夕子が言ってくれたようにして叩いてみるけど、聞き取りにくかったらかまわず言ってね」演奏「・・・・・・・・・・」夕子「よく聴こえる。ありがとう」村松「スネアドラムが入る瞬間だけわざと強く叩いたけど・・」夕子「大丈夫、わかるよ、ちゃんと聞こえた。でも、身近にドラムやる人が実はあなただったって、何十年か前には予想もつかなかったから、新しい楽器の世界がひらけたようで、新鮮だわ」村松「俺程度の未熟なテクニックだけどね」夕子「それとさ、交互に叩くから楽譜の形式はそれぞれ八分音符だけど、バスドラムのパートは実質、四分音符なのね」村松「夕子はつくづくスゴいね。触れていない楽器でも理論がわかるってのは、俺は凄い人と付き合ってることになる」夕子「で、一つ質問ですけど」村松「どうぞ」夕子「あたしからみると、あなたが今まで叩いていたリズムも決して簡単には思えないけど、あなたが以前のは、たやすいって言うってことは、それなりに叩きやすさがあったってこと ? 」村松「うん。遠く・・・あれ ? 夕子、毎度オツムが悪くて申し訳ないんだけど」夕子「当時の年齢のこと ? あなたがドラムリズムをお兄さんの前でいきなり叩けたって話なら、中三くらいかしら。でも12月の誕生日以降ってことは決めつけられないから、中二の誕生日の年齢でいいと思うよ。うーん、だから14歳かしら」村松「計算までしてくれて、ありがとうございます。とすると、今72だから、えーと、2から4引けないから」夕子「いいわよ、58年前」村松「かたじけない。それにしても年取ったねえ」夕子「お互い様よ。ちなみにあたしは当時およそ四つよ。可愛いでしょ」村松「ええ、そうか、そうなるよね。つくづく俺は今だったら、いや、昭和54年当時でも高校二年の夕子を交際対象にしてたから、どのみち逮捕されたな」夕子「そんなやっかいな話はいいわよ」村松「でも俺がお前に性的なことをしたのは」夕子「わかったわよ。あのね、15歳から18歳まで」村松「まーたご冗談を。それじゃ、高校は四年制になっちまうじゃねえか」夕子「ねえ、もうそのへんにしましょ。じゃ、ハッキリ言うよ。あなたの頭はね、年齢とか学年とかの計算が出来ないようにお粗末なのよ」村松「ああ、そうか」夕子「気を悪くしないでね」村松「いや、すっきりした。これから自分では考えないで、どうしてもって時は、お前に教わることにするよ。ああ、気が楽になった。俺は頭に限界があるんだなあ。ははは・・・」夕子「何んか、久しぶりの罪悪感を感じるわ。あとで思い出して機嫌悪くなんかしないでね」村松「大丈夫。夕子が俺のオツムに結論出してくれたようなものだから、気が楽になったよ」夕子「あ、それでね、あなたがそのう、ドラムリズム覚えたの、中・・」村松「中三だね」夕子「じゃあ、14歳ね」村松「え ! ? 俺、中三になってないのに高校受験したのかよ。変だなあ。二次方程式の解の公式もそれから三平方の定理も」夕子「ね、あとでゆっくり説明するから、ドラムの話に戻ってくれる ? 」村松「あ、はいはい。了解しました」夕子「(こういう頭のイビツな人って存在するのね。算数の計算より微分積分のほうが楽しいって・・・)とりあえず中三ってことにするね。あなた、お兄さんにいきなり初めてのリズムをやってみろと言われて、すぐに叩けたんでしょ」村松「うん。手のリズムはエイトビート覚えてたからね、バスドラムの変則的なやつを初めて見せられて、それでもすぐ叩けたから、さすがの兄貴も意外だって感じだった」夕子「もしかして、手の叩き方にバスドラムの叩き方がよく合ってたってこと ? 」村松「だと思う。You Tubeでも、初めてレッスン受ける女の子がすぐに叩けたの見たことあるから、覚えやすいんだよ。ま、それでもまるっきりダメな奴もいるけどね。そういうのは、歌の音程が外れてて歌に聞こえないってのと似て・・るのかな」夕子「いわゆる音痴ってヤツね。で、例えばわたしがさ、その基本っていう叩き方を案外苦労しないで出来たら、あなたが言う通り、やりやすいってことかしら ? 」村松「俺は夕子には素質が充分あると思う」バスドラムのリズム・バリエーション夕子「面倒な流れにしちゃってごめんね。でも早速教わろうかなぁ」村松「今の画像に加えてもう二枚送るね」テキストp17の1と2のFill-in例示テキストp17の3のFill-in例示。同じページでありながら、読み取りにくく書いてある。これはヤマハが下手だ。夕子「えーと、17ページで見ると、最初の三小節が基本のリズムパターンで、最後の一小節に、えーと、一小節の後半って言っていいのかしら」村松「さすが夕子 ! 察しが見事」夕子「あら。ほめてくれたの ? 」村松「これ、テキストの表示が良くないよね。八分音符四つ入るってことなんだろうけど・・・」夕子「ああ、もしかすると、この17ページの大きな3番の表現のほうが誤解されにくいってことかしら」村松「恐れ入りました ! 夕子ドラムも行けそうだよ」夕子「あのさ、今更話題を元の内容に戻すようだけど・・」村松「ああ、いいけど、何 ? 」夕子「あなたがさっき叩いて聴かせてくれたリズムね、これかなりむずかしいって、今気が付いたんだけど」村松「うん、俺、このまま叩けないまま年越しになると思うけど」夕子「あなたがたった今教えてくれた叩き方はね、ハイハットシンバルを一小節に八回叩くでしょ、それも八分音符の一定リズムで」村松「うん、そうだよ。夕子スゴいね」夕子「いいえ、あたしのことなんかいいの。でさ、スネアドラムは八分音符の三つ目と七つ目に入って、しかも叩く時は両手共に同時でしょ ? 」村松「うん、そうだよ」夕子「でね、あたし今更に驚いたんだけど、あなたがテキストで見せてくれたリズムは、ある程度素質のある人ならば、まあ叩けるテクニックだなと思ったの」村松「そうかもね。何しろ昔、高校生だった兄貴が覚えて俺をまあ試した叩き方だからね」夕子「ところがね、さっきあなたが聴かせてくれたのは、これってあたしもウカツだったけど、バスドラムとハイハットを交互に叩いて、全体にエイトビートに聴こえるっぽいけど、実はバスとハイハットを交互だから、ハイハットを八回叩くのとは全然違うハイテクだと思うよ」村松「おっしゃる通りで、レッスンのその場では手も足も出なかったからね」夕子「そしてね、そのリズムのまま、ハイハットだけオープンになるでしょ。ハイハットをオープンにするだけでもむずかしいのに、それでバスドラム、ハイハットシンバル、スネアドラムをエイトビート風に叩くなんて」村松「あああ、気が滅入る」夕子「ごめん」村松「なあに、いいよ。夕子は聞く能力と関心があるから、話すにも力が入る」夕子「ありがとう」村松「思い切って悪口言うけど、訪問看護で来る看護師はね、初めのほうこそ、ドラムのこと聞いて来たりしてたけど、今は全く無し。かなりの割合で音楽は興味ありそうだけど、楽器を自分から演奏するところまでは関心も、実力もないとみた。話題としては作業療法士さんのほうがどんな話題にも聞く守備範囲が広いね」夕子「プライドが高いのかな」村松「俺ね、本音隠す生活疲れたから、特に学歴のことは忖度なしに近くしたの。でね、看護師は今までは高卒プラス専門学校卒だけだろ。少し前まで看護士って言われてたけど『―師』はやめろと言いたいね。その代わりプライドだけは高いんだ。女の職業としては給与もまずまずだろ」夕子「あなたも二回目の退院後はたくましくなりましたね」村松「 ? ・・・あ、俺、思い上がってたかな・・」夕子「ごめんなさい」村松「え ! ? 」夕子「今までの通りなら、と思ったんだけど、あたしのほうこそ、精神的につらい思いを二度も経験したあなたを批判、非難する資格が果たしてあるのかって、考えなおす必要も感じたから、うまく言えないけど、先に謝っておいたの。ごめんね」村松「むずかしい相手で申し訳ない」夕子「もしも、あたしの考えに一理あると言えるならばだけど、あなたが自由の身のありがたさを思い知ったって話を聞いて、あたしも他山の石として心すべしと思ったの」村松「・・・」夕子「ごめん。せっかく好きな趣味の話始めたのに」村松「夕子、あの・・俺のレッスンの受け方、今のでいいのかなあ」夕子「あなた、こないだレッスン中に具合が悪くなりそうだって言ったから、思い切ってアドバイスするけど、先生から与えられた新しい叩き方をね、必ずマスターしなきゃあって思わないでもいいんじゃないかって」村松「夕子に話して良かった」夕子「ホッとした。怒ってない ? 」村松「ノロケブログになるね。でもまあ、女子高生とあんなふうになった話、書いちまったしね」夕子「・・・・・」村松「くどくて悪いけど、テクニックが年越しになっても仕方ないって思っても」夕子「追い打ちかけるようなこと言っては悪いでしょうけど、もっと気を楽にしなさいってこと」村松「夕子はピアノ習ってたとき、どうだったの」夕子「出来ない演奏は出来なくてもいいって割り切ってたの」村松「あの、聞いては失礼なことがあると思って、話せなかったんだけど、夕子にも弾けない曲とか弾き方って」夕子「当然あるわよ」夕子「あたしのこと、買いかぶってると思うよ。レッスンそのものも中学でやめたし、それほど熱心だったわけでもないから」村松「あのさ、ネットにさらすのは抵抗あるかも知れないけど、列挙してくれたら」夕子「いいわよ。でも大ざっぱに言うとテンポの速い曲。子犬のワルツ・トルコ行進曲・・・」村松「テクニックっていうか、速度以外に弾きにくいってのはある ? 」夕子「あなたの趣味領域で言うと地球防衛軍ね。あれ、強弱がアップテンポの箇所があるでしょ。わかるかしら」村松「変な例えで申し訳ないけど、あの『異国の丘』のイントロに似た部分が終ってしばらくした頃の」夕子「あなたも剽窃(ひょうせつ)っぽいのさがすの得意ね。音楽家の人でも『えっ異国の丘っ ? 』ってなるんじゃないかしら」村松「もしかするとそうかもね。だいたい俺の世代でも吉田正さんの『異国の丘』を知らない人もいるんじゃないかなぁ。ましてイントロの一致なんて。もっとも一致と言っても、わずか音符四つだけだからね」夕子「あなたが昔の懐メロもエレキの曲もアニメの歌も、ジャンルを越えて知ってるってのはわかるけど、何んで異国の丘知ってたの ? 」村松「もう今は見つからないんだけど、御殿場にいる時、昔のSP盤78回転のレコードがあってね、よく聴いてたんだよ」夕子「あたしも今では覚えていい歌って思うけど、あなたも小学二年生くらいでよくプレーヤーで聴いてたなんて驚きね」村松「そうだ。夕子にまた叱られそうだけど・・」夕子「何んか察しがついたかも。でもいいわ。叱らないから話してみて」村松「土居裕子さんが歌う『ローレライ』へのコメント欄ズバリ抜くね。まず推定年配の人のコメントが以下の通り。『昨今のロック、ラップ調の音楽について全くついていけません。 土井裕子さんの歌声にいつも心が癒されます。』これにかみついた多分若造の返信が以下。『時代についていけてないお年寄り(笑)』さらにいい年のバカのが以下。『私も年寄りだが尾崎のロックはすきだよ』あ、ついでに俺のコメント載せるね。俺だけ名前載せるね。以下の通り。★『この人の 早春賦 を聞きたい。 本当に聞きたい。★12返信2 件の返信★@村松厚和-r2d2 年前すぐ近くに書かせていただきましたが、『早春賦』に心洗われる思いの私には、ぜひにと願うものです。なお、唱歌・童謡あるいは外国歌曲などに名曲を確認して、歌の素晴らしさに浸っています。失礼致しました。★2返信注目の返信2 年前★ @村松厚和-r2d コメントありがとうございます。魂を震わす格調高い文語調の詩が、殆ど今ありませんね。 国語力の低下が、畢竟国力の低下につながっているように思います。といってわたくしには、作詞する力がありません。残念です。 村松さんを見習って、わたくしも名曲にどっぷり浸かってまいります。』★ 」夕子「ふうーん。知らなかった。あなたらしいわね。人様のコメントに返すときは、必ず称賛する。だから返信にも後味のいいレスがつくよね。ついでにね、あたしもラップは大嫌い。あれ、歌じゃないよ」村松「もう一曲掲載するよ」★井口さんだっけ、この人声がきれいだし歌唱力あるし上手いねぇ。ブレスなんて全く意識させないでつないでいくし、音程もしっかりしてて長くのびる部分でも声量が十分でフラットしない。発声を完璧にマスターしてるんだろうか、呼気に無駄が無く十分に響かせて音にしてるからワンブレスで長いという感じ。昔はマイクなんて無しで歌うことも多かったせいなのかな。とにかく聴かせる、歌だけでイメージが沸いてくる、最近の歌手でこんな歌唱力のある人いたっけか…・★返信★彼女の歌唱力の素晴らしさをご指摘していただきありがとうございます。ただ懐かしさだけでこの歌をアップした小生、彼女の歌唱力の素晴らしさを認識しておりませんでした。新しい発見をすることができ、嬉しいです。★返信★ 貴方がご存知ないだけです、最近の歌手でも素晴らしい人は結構いますよ。↑↑↑↑↑↑↑↑ ◆バカっ小僧 ! 懐旧の思いと共にかつての名歌手を称えていることがわかんねえか、バカ野郎 ! ! ◆」村松「こういう輩が必ずいるから、好きな歌でも聴こうという気力が失せる。まあ、例えばあいみょんの歌なんかは無条件でほめるのかね。俺は『マリーゴールド』の歌詞の『麦わらの帽子の・・』ってとこがどうも引っかかる。麦わらの帽子なんて言ったっけか」夕子「麦わら帽子でしょ」村松「気に入らぬ曲にはコメントはしないし、批判的コメントに反論もしない。新旧の確執はやまないだろうけどね」夕子「ねえ、話を変えようよ」村松「うん。で、何んだっけ」夕子「ドラム、好きなのよね」村松「うん。本当にやりたかったのはこれかと思うほど」夕子「じゃあ、あたしの意見言うよ。テクニックでつまずいても、余り気に病まないこと。いい ? たいていの人はね、学校の授業がわからないと、教師が下手だなんて平然と言ったり、数学はダメだと結論早々出したりするけどね、それがいいとは言わないけど、みんな悩まないどころか、あきらめて平気でしょ。ましてあなたのは趣味なんだから、先生から教わる叩き方を次々にこなすべしなんて考えないこと」村松「・・・・・」夕子「考えちゃうんでしょ」村松「あの・・・」夕子「あなたが教わってるのは、まだまだ基本だって思うんじゃない ? 」村松「あの・・」夕子「基本じゃないよ。あなたサファリーズの『ワイプアウト』を練習曲にして叩いたって言ったけど、あの曲、基本じゃないよ」村松「そうかもね。テンポ早いし・・」―――日数経過―――夕子「お疲れ様。こないだが今年のレッスン納めね」村松「夕子の言う通りでね」夕子「どんなだった ? 」村松「ハイハット・オープンのタイミングがわからなくてって話したんだ」夕子「ええ、それから」村松「俺、思いつきでね、以前中島みゆきの『ヘッドライト・テールライト』を教わった時、初めてハイハット・オープン使うのを教わったけど、次のレッスンで余り取り上げないままで終わったようなって言ったんだ」夕子「うん、それで」村松「先生が叩き方をすぐに再現してくれて」夕子「やっぱりプロの人ってスゴいわね。で ? 」村松「先生が手本を見せてくれながら、一小節の四拍目の裏でオープンにするって説明してくれたんで、これが念押しみたいになって、これが何んとか出来た」夕子「あ、そうなのかぁ」村松「え ? 」夕子「ごめん。あたし、ドラムのことほとんど知らないから、そうかぁ、八分音符で八つだから四分音符では四拍よね」村松「でもね、結果、年越しの課題が持ち上がっちゃった」夕子「えぇっ ? なあに ? 」村松「四拍目の裏はいいんだけど、先生が次々、『今度は三拍目の裏で、二拍目の裏で、一拍目の裏で』と指示して、さてここでクイズ」夕子「えー ? なあに ? 」村松「俺は一つだけダメなのがあった。これが年越しのテクニック。当てられる ? 」夕子「ヒント・・」村松「バスドラム」夕子「待って、バスドラム一打目が付点四分音符で、二打目の八分音符と三打目の四分音符だから、あっ、もしかしてハイハットの二打目の裏がバスドラムと相性が」村松「夕子スゴい ! たいしたものだ。まるでドラム叩けるみたいに聞こえる」夕子「ふふ・・」村松「ん ? 何んだよ。いくら何んでもまさか」夕子「フフ。今年最後のサプライズ報告。今メール送るから確かめてね」ハイハット・オープンの2の裏の叩き方の楽譜――時間経過少々――村松「ええーっ ! ! ! 」夕子「今ハイハットの話題が出たからもううずうずしてたの」村松「見るからに子供用だけどいくら ? 」夕子「五千円でお釣りが来るくらい。見ての通りバスドラムもハイハットもないの」村松「基本のリズムをつかもうと思ったのかな」夕子「さすが続けてるだけあるね」村松「かなり長い話につき合わせて申し訳ない。そう言えば年越しだからそろそろ息子が」夕子「それがね・・・言っちゃおうかしら」村松「え。もしや、いい相手が」夕子「鋭いわね。あたしを籠絡(ろうらく)したのも、その勘を働かしたのかしら」村松「女はズルい」夕子「何 ? 何よお ? 」村松「警察が絡めば俺が捕まったに違いないけど」夕子「誘ったのはお前だって言いたいんでしょ ! 」村松「なあに、今さら、お前のおかげでいい晩年が送れそうだってこと」夕子「ふうーん。なかなかのノロケ文句ね。ありがとうってお礼言っておく」村松「かたじけない」ドラムセットの模型★編集後記★夕子「だからね、泊まりに来ないかって。あなたは、自営業オンリーでやって来たからサラリーマンのこと興味ないでしょ」村松「けど、夕子の仕事は少しは知ってるつもりだったけど」夕子「もちろん、あなたが今は必ずしも自由がきく身ではないのはわかってるよ。でも通院してる病院も訪問看護も年末年始は原則、長期休暇があるくらいのことは」村松「ああ。病院はチラと見たら12月30,31それから1月は1,2,3,と休みって確認した。訪問看護もだいたい似た感じかな。平均的なサラリーマンは12月28日から翌1月5日まで9連休かな」夕子「最低でも二泊は出来るよね」村松「スゴい誘惑、って言っても俺はもう役に立たなく・・」夕子「シャラップそこまで。あたし、60過ぎたのよ。行為がないとつまんないの ? 」村松「好きな相手の家(うち)泊りに行って、会話して演奏して」夕子「つまんない ? 」村松「いや。夕子の料理ごちそうになるだけでも満足」夕子「あたし、お母さんのような気の利いたおかずなんて、いつもダメだったけど。それでもいいの ? 」村松「俺独りのより、ずっと。それにスイーツ食べたりさ、もちろんお前のなじみの店のを」夕子「スイーツは殺し文句ね。ね、いらっしゃいよ。来て」★さらに補足★村松「どういう心境の変化だろ。いいの ? 」夕子「あなたが『四谷怪談』にずっと興味があるのは知ってたけど、そういう研究本が見つかったんだ」村松「うん」夕子「一つくらいでいいから、あなたが読み取った範囲でのことを話してみて。あたし、この年へ来て、すこーし覚悟決めたの」村松「わかった。『四谷怪談』は凄惨、陰惨な物語じゃん」夕子「ええ」村松「ところがさ、いかにも知ったふうなこと言う怪談師の類いに限って、『伊右衛門とお岩様の夫婦は実は仲が良かった』とか『お岩様は貞女の鑑だ』なぞと言いやがる。そんな淑女みたいな婦人があれだけ惨たらしいめにあって、凄まじい祟りを為すとは俺はどうしても考えにくい。モデルとなったお岩様は醜女(しこめ)でそれゆえか、性格もひねているというのが俺の考え。おしまい」夕子「うーん」村松「著者の筆力はこんなものではないよ。だけど、おしどり夫婦だったのに身の毛もよだつ怪談となった経緯は多くの輩が触れてない。俺は勉強不足だと思う。どうせ年がら年中扱う実話と称する怪談も作り話をそう思わせて、恐怖物語を語ってるに過ぎまい」今年2024年購入の最高の一書夕子「あなたの迫力もスゴいと思う。そんじょそこらのYou Tuberを越えてるって思える」村松「あのさ、このブログ、元は俺のドラムレッスンのことだったんだよね」夕子「そう。ところが、一たび四谷怪談が入ると、たちどころにスゴい話になるね」村松「夕子、最後にさ、お前は何も心配なぞしなくて大丈夫って言っとくよ」夕子「あらあ、優しい ! 」村松「万一、あとで夕子が恐いって気持ちになったら申し訳ないから、そんなことは心配ないって力づけさせてもらうよ。俺はさんざんブログネタにもして書いて来たしね。俺は恐い目に遭っても文句言えないけど、夕子は何も恐れることないよ」
2024.12.21
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『広尾のBarの話』by 島田秀平氏 2024/12/19開始何度か「怪談の羅列には飽いた」と書いたが、一級の不可思議談と呼ぶべき話に巡り合えることがある。話を紹介してくれたのは、島田秀平氏。You Tubeでも「お怪談巡り」と題して既に登録者数は80万人台に達している人気巨大サイト運営者である。ご自身の活躍ぶりも見事なものだが、私が感心して見ているのは、スカパー618チャンネル「エンタメ~テレ」でかつて「超ムーの世界」「超ムーの世界R」と題して何年ものあいだ楽しませてくれた番組の司会、そして現在は「シンオカルト倶楽部」の司会ならぬ主宰として番組を巧みに牽引してくれるのが頼もしいし、180cmを優に超える長身と共に、なかなかダンディーで、カッコいい。島田氏が司会あるいは主宰する番組中、手ごたえ充分な不思議譚をかなりの頻度で語ってくれて、ほとんど期待通りの内容だ。本ブログ今回のタイトルにある通り、東京は渋谷区広尾、明治通り沿いにあるまたはあると確認した人たちによるぞくっとする不思議譚である。名付けて「広尾のBAR」。この話を島田氏が初めて聞かせてくれたのはもう何年か前のことである。その時は「広尾のBAR」と題して語られたが、島田氏の怪談の醍醐味として、時に後日談を語って、話に決着をつけてくれることがある。もちろん島田氏はいわゆる幽霊談も聞かせてくれる。ただ、「知り合いの〇〇さんの体験談です」のお決まりの類いにとどまらないから、オカルトと称されるジャンルの心霊談以外の様々な不可思議に触れる楽しさがある。この点、「コヤッキースタジオ」は、怪談を敢えて語らないから、物足りない。(ただし、「コヤッキースタジオ」には独特の迫力があり、こちらも視聴いたしております。)さて、島田秀平氏は、私が2022年1月5日に録画した「超ムーの世界R」の第159回で、「広尾のBAR完結編」と題した後日談を巨細に語ってくれて、異世界ものとして一級の不思議談に一応の結論を出してくれた。この話を久しぶりにブログにアップしたくて、どうしようか考えていたが、結局画像を30枚余りテレビ画面の静止画から撮影することにした。すると下手な私の文章なぞなくても、画像に出て来る会話の字幕だけでも話の筋書きが読み取れるほどだと気づいたが、それでは余りに怠慢なので、いつものようにつづってゆくこととした。以下、島田氏の一人称の話を中心に書いてゆく。以前、東京都渋谷の広尾のバーについてお話ししましたが、今回はその完結編とでも言うべき話をしたいと思います。登場するのは当時50代のナレーター、声優など幅広く活躍されている男性のかた、そしてその親友の男性、さらに女性一人です。この仲の良い三人が体験する物語となりますが、このうちのナレーターと親しい男性のかたは既に重い病気に罹っていて、余命幾許もない状態でした。ただ、この頃から霊感に目覚めるようになったのです。そして、自分の運命を知った以上、せめて命のあるうちに、やり残したことを出来るだけやってみたいとの念が強く、親友のナレーターのかたも、「よし、それを実行しようじゃないか」ととても好意的でした。生あるうちにやりたいことは幾つかありましたが、その一つとして、「もうずいぶん以前から気になっているBAR(バー)がある」と言います。それが東京都の広尾にある明治通り沿いのバーでした。三人の意見はたちまち一致し、ある夜に行こうということになりました。なお、三人のうち、一人の女性には元々霊感があったそうです。広尾のバーは病を抱えた人の言う通り、ありまして、みんなで入りました。店内はまことにこじんまりしたカウンターバーで、テーブル席はありません。殺風景なそのバーの壁に狐の面が飾ってあったそうです。カウンターの中にはタキシードを着た若くきれいな店員さんがいて、注文を受けてウイスキーやハイボールをつくって提供していました。ところが注文を聞いてその女店員がきびすを返した時、皆、絶句しました。何んと、そのきれいな店員さん、タキシードの服は身体の前面しか身につけておらず、くるりと後ろを向いたその姿は丸裸でした。その時、霊感のある女性と霊感に目覚めた男性の二人は「ここはまずい」と恐怖を覚え、残るナレーターの人を急き立ててバーを出ました。何があったかと腑に落ちないナレーターの人は「何んだよ、せっかく後ろ姿が裸のきれいな店員だったのに、もう出て来てしまうなんて・・」と不満を言います。あとの二人は身に備わった霊感から「あのバーは何か変だ」と繰り返すばかり。霊感のないナレーターの男性は惜しいことをしたにも程があるとばかり、後日一人で広尾のバーへ行こうとしました。が、確かに明治通り沿いの「ここだ」と覚えて向かったその場所にバーらしき建物が無かった。確かにここだと狙い定めて行った先には、バーは無く、ボロッボロの古びた一軒家があるのみだった。確かに三人で狭いカウンターバーへ入って、注文したお酒も少し飲んだ記憶がある。なのに、目の前にあるのは古い一軒家だけ。壁にかかっていた狐の面の通り、狐にでも化かされたのか。そんなはずはない。ナレーターのかたは不可解な思いを思うばかりでした。さて、この話を先ほどの女性から聞いた私は、その場所に何があるのか、どうなっているのかを確かめたい一念やみがたく、ある日、見に出かけましたが、確かに古びた二階建ての民家が建っているだけ。こんなところに人は住んでいるのかと思うほどですが、今度はキックさんが夜出かけてみてくれました。すると中に電気が点いていて人の気配が確かに見えたのです。さらに後日私は昼間出かけてみました。するとこの場所は、更地になっていました。乗って来た車はガソリン満タンに近かったのですが、すぐ隣がガソリンスタンドなので、寄ってガソリンを入れてもらいながら、店員さんに聞いてみました。「ここは更地のようですが、今後何かを建てる話などあるのですか」店員さんは「バーが建つそうですよ」と答えてくれました。ここで私が気づいたこと。仲の良い年配のかたたち三人は、存在しないバーにどうして入ったのか。それはもしかすると、将来建つ予定の、つまり未来のバーではなかったか。未だ解明出来ていない何らかの現象が起きて、未来のバーに三人が迷い込んだのか、時空のゆがみで生じた異次元のバーに入ったのか、あるいは実は存在しないバーには誰も立ち寄れたわけもなく、三人ともある種の幻覚に見舞われたか。ここで島田氏の問いに答えて、博識見事な三上編集長が、時空のゆがみの話もするのに加えて、こうおっしゃった。「この余命が余りないかたは、何度か臨死体験していたのではないか」と。さらに霊感が強い人がいると、行動を共にした霊感のない人にも、束の間移ることがあるとも。島田氏が一通り語ったあと、周りの正規会員の人たちが思い思いに語っている中で、キック氏は「これはもう並木先生と速攻で出かけなきゃ」と言うし、角由紀子さんに至っては「ぜひ行ってみたい。働いてもみたい」とまで語った。ここで司会の島田氏はユーモア混じりにひとこと。「これ以上人の話をけがすのはやめてもらえませんか。真剣に話をきいてくれたのは三上さんだけですよ」と。この話は無論、「超ムーの世界R」で視聴も出来るが、その煩にたえぬという人のために、紹介しておくと、怪談家のぁみさんのYou Tubeチャンネル、ぁみ「怪談ぁみ語」で島田氏と、ぁみ氏のコラボ会で聞くことも出来る。★参考資料★スカパー618チャンネル「エンタメ~テレ」『超ムーの世界R』第159回目『広尾のBAR完結編』(2022年1月5日放送録画)
2024.12.20
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「クリエーターは凄い」という与太じじいの話 2024/12/16開始私は普段地上波テレビを見ない。You Tubeを当てもなくテキトーに見ていると、突如『可愛い綺麗な女の子』を見つけることがある。つくづく放っておいても、顔立ちの整った少女は生まれ来て、活躍する事実を思い知って、カルチャーショックのようなものを受ける。漫画からアニメそして実写映画化もされたという『はたらく細胞』に出演活躍している美少女、マイカ・ピュさん。将来の美人への成長は決定したも同然。ただいまほとんど予備知識もないままに、とにかく「可愛過ぎてたまらぬ」という少女を見つけることがある。『はたらく細胞』という漫画があり、アニメにもなり、さらに実写化される、またはされたようだ。アニメに出て来る少女とどちらが可愛いか甲乙つけがたい整った少女が実在するのだから、世界とまでいかなくても、日本だけでも、充分広い。いろいろネットでさがしてみると講談社の雑誌「たのしい幼稚園」のモデルにもなっている少女のようだし、まだ余りきちんと調べていないが、TVCMでも活躍しているらしい。そろそろ本日も夜のとばりは降りて、無事の年末を願う気持ちはいや増して来る。さて、いい年した男のつたないブログを更新しようか。写真によっては、可愛いばかりか、美しいと言いたくなるマイカ・ピュさん。余計なことだろうが、2014年6月20日生まれの10歳の美少女。身長136cm,バスト61.5cm,ウエスト51cm,ヒップ68cm,靴のサイズ21cm。
2024.12.16
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特撮機関誌『大一プロブック』第80号から95号までの表紙集 2024/12/14開始東宝昭和36年(1961年)「モスラ」を表紙にした。モスラ成虫は自作、東京タワーは地上125mの大展望台の売店に直接電話して注文をお願いし、二つ購入の一つをジオラマ用にはんだごてなどで折って使用、残る一つは全体を組み立てて残した。モスラのマユは伸縮性に富むフェルトを使って中に綿のようなパンヤを詰めてふくらませ、縫製は母にミシンで縫ってもらった。手芸店にはよく行った。東宝昭和31年「空の大怪獣ラドン」は、東宝の特技陣の熱意と高度な技術が注ぎ込まれた傑作である。当時学習塾を始めた私は、機関誌にも貫禄を持たせたいと思い、容易なことではあるまいとわかりながらも、見切り発車的に「ラドンを造型しよう」と決めた。果たして、既製品を利用できるのは西鉄の電車くらいなもので、当時の福岡市の岩田屋デパート、ラドン模型、各種ミニチュア建造物など、ほぼすべてが手作りする以外に方法がなかった。岩田屋デパートはカッターで窓枠をせっせと切り抜いて整えたあと、数えてみたら、優に200を超えていた。さらに、ミニチュア造型を欲張ったあげく、ジオラマ撮影段階で、カメラのファインダー画面に、ミニチュアが収まらず、背景のベニヤ板の周囲の景色が写ってしまうことがわかり、トリミングを嫌った私は、仕方なく西鉄電車などのミニチュア部分をあきらめて、岩田屋とラドンを中心に撮影しなければならないと、カメラ・アングルを固定した。悔しさは去らず、フォトショップというソフトを覚えた時、撮影断念した空の風景や遠景を合成してみた。画像は1933年(昭和8年)公開の「キング・コング」に関連するもの。もちろん、初代キング・コング。画像はメイキング写真画像は米1955年(昭和30年)白黒作品「タランチュラの襲撃」より。なお、この当時の米国映画の怪獣ものは、本物の生物を使う手法もよく使われ、トカゲに飾りものをつけたり、バッタをビルディングの写真の上で這いずらしたりして撮影した。表紙に使用したゴジラフィギュアは、東宝昭和37年(1962年)「キングコング対ゴジラ」の俗称キンゴジの既製品フィギュアを自製特撮プールに一度沈め水を吸わせて水中の台に置いて撮影。このフィギュアは私見によれば最高の出来栄えでビリケン商会から三千円ほどで販売されていて、価格も納得出来た。撮影に備えて配置したスナップ写真。東宝昭和34年(1959年)「宇宙大戦争」の月着陸のスピップ号二基のジオラマ。背景はベニヤ板に黒模造紙を貼り、生徒からもらった理科教科書の地球のグラビアを切り抜いたカラー写真を貼ってある。東宝昭和36年(1961年)「世界大戦争」を表紙に使用したジオラマ作品。米ソ冷戦下、東宝は第三次世界大戦を特撮で描いた。国会議事堂ミニチュアは発泡スチロールを主に使って自作、なぜか応接間に現存する。東宝昭和38年(1963年)「太平洋の翼」をジオラマで再現しました。記憶が正しければ小学五年当時、兄が定期購読していた学研の学習雑誌「中二コース」グラビアページに鮮やかな戦艦大和の巨大模型が掲載されて、胸が高鳴ったのを覚えています。縮尺は20分の1で全長13mにも及ぶ見事なもので、これを富士五湖の山中湖に浮かべてヘリコプターで空撮するシーンを見せてくれました。表紙ジオラマは東宝スタジオ敷地内の大プールで撮影したシーンの再現です。1993年は何十年振りかで、映画館で映画を見た年で、「ジュラシックパーク」はサム・ニール演ずるグラント博士が恐竜に興奮するシーンに共感の思いでした。特に弱っているトリケラトプスに乗っかって子供の頃から好きな恐竜だという意味のことを言ったシーンは、熱いものがこみ上げるのを感じながら見入っていました。なお、自作のブラキオサウルスは、足が身体の横から出てしまっていて、造型としては失敗でした。日本アニメーション制作の「ペリーヌ物語」はシリーズ中最も感動して見たアニメでした。怪獣・特撮ものをずっとジオラマ化していて、ふと思いついた造型でした。二次元のアニメ・キャラクターを実写三次元にするアイデアは、既に玩具メーカーが手掛けていましたが、とにかくペリーヌらしく見えるように作るのに腐心しました。金髪はバービー人形を使って作りました。オープニングの「ペリーヌ物語」とエンディングの「気まぐれバロン」、さらには挿入歌の「少女の夢」はすべて大杉久美子さんが美声で魅了してくれました。今でも時々聴いています。ここまで来ると、もう画像が縦にダラダラと並ぶだけで、我れながらひどいと思うし、疲れもして来るのですが、おびただしい数の造型スナップの中から、抜粋して減らしました。小誌ジオラマは事実上この第94号が最後です。表紙画像は最終号第95号までありますが、模型制作はしていません。さて、ジオラマにした映画は東宝昭和44年(1969年)「日本海大海戦」で、円谷英二(つぶらや・えいじ)特技監督の遺作となった作品でした。特撮撮影期間を予定の三ヶ月から五週間に短縮するなど、万全を期することが困難となるはずのところ、円谷監督率いる特撮陣は円熟の成果を見せてくれました。なお、、最後にそれこそ蛇足ですが、すぐ上の画像に北京北西方向に「厚和」と読める地名があり、漢字だけだと私の本名と同じです。もちろん、支那(中国)のモンゴル自治区の土地の名ですが、私はこれにちなんで命名されたのかと、未だに謎です。ジオラマにした戦艦は連合艦隊司令長官・東郷平八郎大将座乗の旗艦三笠で、横須賀市の白浜海岸、三笠公園に記念艦として堂々たる姿を見せてくれます。
2024.12.14
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「笑いがこみあげる時」 2024/12/10開始2019年ごろ、佐藤愛子さんの本が面白く楽しくて、まず書店の棚にある文庫本を買いだめと言えるほど買って、夢中で読んだ。これは精神病院の閉鎖病棟に数ヶ月入院しているあいだの無聊(ぶりょう)を慰めるために読み始めたのがきっかけで、退院出来たらたくさん買って読もうと期待していた。特に佐藤愛子さんの本は文春文庫でさえ文字が大きくて読みやすく、裸眼でも充分読めたからなおのこと親しみを持てた。人は生活に慣れて来ると、気持ちの余裕から、利己的になるものかも知れない。この私がそうだったようで、興味の対象が軍事・外交などに移っていく。軍事のことに興味を持つのが良くないというのではないが、何かそういう勇ましい気持ちが湧いて来てしまうのが、私自身にとっては問題だと思うのだ。佐藤愛子さんの著書に興じた頃は、オートバイの雑誌、カタログ本を買ったりもして、心が素直だったような気がする。小心な私にしてそうなので、実業界などで活躍している人は相当な自信過剰と思われる。まあ大ざっぱに言って「押しの強い人」と言えるのだろうが、私のような一介の庶民からすると「あやかりたくなぞない人」となる。それで、私は例えば訪問してくれる看護師さんに対しても、知らずのうちに己れの主義主張を通そうと意見を述べるようになっていった。人は存外そんなものだといわれるのかも知れないが、私は必ず後悔することとなる。「何んでまた偉そうな意見を言ってしまったのか」とやや自己嫌悪にもなる。こうしてあとからいささか悔やんだあと、退院まもない頃に思いをはせると、「自由の身でいられることがどんなに有難いか」と身の程を思い知ることとなる。これがブレーキとなる。その気持ちになってみると、あらゆる好みに思い上がりがあらわれていると気づく。読書もその一つだ。知らずのうちに軍事・外交に強く関心が向くと、持ち前の保守思想が頭をもたげ、もたげたまま、ある種国粋主義に気持ちが昂ぶって、勇ましい心になり続けていることに気づく。閑話休題。佐藤愛子さんの著書の一冊にとてもおかしくてゲラゲラ笑いながら何回か読んだエッセイがあるので、抜粋要約してみたい。もちろん、私が笑いころげても、ほかの人にはピンと来ないかも知れず、それは仕方ない。ただ、何ゆえか妙に笑いをこらえようにもこられきれぬほどおかしいことはかなりあると思う。笑いがこみあげる内容は人により異なろうが、もしかすると、たいていの人がおかしがるシチュエーション(局面、状況、場面)などが共通項としてあるのかも知れない。このおかしさは、私の世代ではクレージーキャッツのギャグが当てはまる、または似ていることもあった。忘れぬうちに例示してみる。遮断機の降りた踏切で、複数の人が立ち止まり待っているという設定である。そこへ植木等(うえき・ひとし)氏扮する派手な衣装の男がダンスを踊りながら皆の前に近寄って、上体を後ろにそらせて、遮断機をくぐり始める。皆々、怪訝そうに見ていると、植木氏がせきたてて皆にもリンボーダンス遮断機くぐりをやらせようとする。何人かが植木氏にならって遮断機をくぐるうち、ハッと我れに返ったように、とがめる顔つきで植木氏を睨む。悪ふざけをとがめられたと気づいたか、植木氏が「あ、これはお呼びでないね。お呼びでない。こりゃまた失礼しました」とあやまったあと、皆ハラホロヒレハレと妙なセリフを言うか、「アーアー・・・」と力が抜けてふらふらになるかしておしまいである。この『お呼びでない』は、毎週ほとんど私たちを裏切ることなく優れておかしく、私は兄と一緒になってバカ笑いして、楽しんだものだ。さてそろそろ佐藤愛子さんの著書の内容に入る。では以下抜粋要約。『老い力』「何がおかしい」より◆テレビのお笑い番組を見ていると、わーッわーッとさもおかしそうな笑い声が入っている。番組によっては盛り上げるためにわざと笑い声のテープを挿入したりするようだが、わざとの挿入ではない、ということを示すために笑っている観客を映し出している場合も少なくない。なにがおかしい ! という気分である。私はちっともおかしくないのだ。こんなわざとらしいギャグ、おふざけになぜ笑えるのか、ふしぎでならない。皆が笑っている前で、ひとりムッと坐っているというのも、なんだか妙なものだ。ある時、私は近県の温泉場へ通じているバスに乗っていた。うららかな日の射す春の午(ひる)下がりである。車内には十人ばかりの乗客が坐っていた。前の方には乗り際に運転手と口喧嘩をした老人と、その老人の連れ合いの気の弱そうな老婦人が坐っており、その後ろにいい合わせたようにきれいにセットした中年婦人の頭。そしてあれは部分カツラにちがいないと見える初老紳士、何を思っているのか、髪を金色に染めてウニのように逆立てたツッパリ青年、小鳥のように絶え間なくおしゃべりしている若い女性二人など、思い思いの席に腰をかけているその後ろ姿が、一段高い後部座席の私のところから見下ろせる。バスは商店街を出外れると、いきなりグーッと右折した。それに従って乗客たちはまるで申し合わせたように一斉に左に傾く。運転手はさっきの口喧嘩のために機嫌を悪くしているらしい。曲り道に来ると急激に、エイッとばかりにハンドルを切るのである。しばらく真っ直ぐに走ったら、バスは急に左折した。乗客はまた一斉に右に傾く。次は右折、左に傾く。運転手を怒鳴りつけた老人は怒り顔のまま。おしゃべり小鳥さんは囀(さえず)りつづけたまま。金色のウニ頭、部分カツラのおじさん、セットしたての二人の中年婦人たち――マスゲームさながら、一様に右に傾いたり、左に傾いたり。運転手自身も傾きながらハンドルを切っている。私のミゾオチの下の方に、ポツンと一粒のアブクが浮き出た。と思ったらそのアブクはプクプクと上ってきて、のどの下あたりでパチンと割れたと思ったら、笑いの輪が広がった。何ともいえない、いうにいえないおかしさがきた。思わず「ふフッ」と笑いが洩れた。何がおかしい、何もおかしいことはない、と自分にいい聞かせるのだが、笑いはやまない。誰も笑っている人はいない。みんなマジメに(運転手の怒りに従って)右に傾いたり左に傾いたりしている。私の肩は小刻みに揺れはじめた。何がおかしい、何もおかしいことはない。そう思えば思うほどおかしさがこみ上げてくる。笑いと闘いながら私も右へ傾いたり左へ傾いたりしている。それがまたおかしい。暫(しばら)く真っ直ぐな道がつづき、やっと笑いがおさまってほっと一息ついていると、またもやエンジンがふかされ一気に山道を登りながら、ガーッと右折。ガーッと左折。私は又してもこみ上げてくる笑いと格闘しつつ左に右に傾き・・・・・・もう怺(こら)えきれずに、うふっ、と笑いを洩らしながら、今度はでこぼこのゴロゴロ道、飛び上ったり、沈んだり・・・・・・。あんなに困ったことはなかったと人に話したら、その人はポカーンとして、「それ、どうして ? なぜおかしいの ? 」という。「どうしてといわれても・・・・・」私は絶句した。「わからない ? おかしくない ? 」としかいえない。「わかんない。説明してよ」「だからねえ、つまり・・・・・」いおうとしたがいえなかった。ユーモアは説明するものじゃない。感じるものなのだ。感じる人もいるし、感じない人もいる。感性の問題だ。名人落語のおかしさは洒落(しゃれ)やオチにあるのではなく、噺(はなし)の「間(ま)」に潜んでいるおかしさであろう。それは感じるものであって「わかる」ものではないのである。だから「ユーモアって何ですか ? 」と真顔で質問し、真顔で答えている人を見ると、私は笑いたくなる。四十五年前、父の葬儀の時のことだ。寺の本堂での読経の真っ最中、私は突然笑いがこみ上げてきて閉口した。私が坐っている遺族席の前に、一人の若い坊さんが太鼓の前に坐っていて、読経につれて叩きながら、時々、叩くのをやめてお辞儀をする。それまで私はハンカチを目に当てて父の死を悲しんでいたのだが、涙と涙の間にふとその様子が目に止ったのだった。太鼓は坊さんの膝(ひざ)の前にある。そこでお辞儀をすると、坊さんは頭で太鼓を叩くことになる。あっ、ぶつかる ! と思った途端、坊さんの頭はスイと太鼓をよけて右の方へ低頭した。読経と太鼓はつづき、またお辞儀の時がくる。また坊さんの頭はスイと太鼓をよけて右へ向く。その時私は姉が隣でハンカチを握りしめ、肩を慄(ふる)わせているのに気がついた。顔を見ると真っ赤になってこみ上げる笑いを怺(こら)えている。まことに人間は泣きながら笑える高等動物であることを私は身をもって知ったのだった。◆以上抜粋要約。まことに独断勝手ながら、佐藤愛子さん、ありがとうございました。〇引用文献〇文藝春秋刊、佐藤愛子さん著『老い力』(文春文庫)
2024.12.12
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『万年ビギナー老爺のドラム・レッスン IN 2024暮』 2024/12/04開始全くの自画自賛になるが、本当に飽きもせず、技術の未熟に継続への意欲がなえることもなく、よくぞここまで続けられたと感心する。これはひとえにヤマハ・レッスンの講師の先生が良い。人柄がいい。何より稽古事に精神や根性を要するなどとは必ず言わない人である。「巨人の星」の時代は終わった、この根性精神主義はいけないと、明言なさる。レッスンへの心構えとして「遊びに出かけるつもりでかよって下さい。そして楽しむことが大事です」と莞爾(かんじ)として話して下さる。生徒用ドラムでは大甘の機嫌取りの講師かというと決して違い、いざレッスンに入ると、妥協を許さず、間違いや手際の悪さには容赦しない。決していからず感情的にもならず、穏やかに誘導、指導して下さる。2019年2月から通い始めてただいま2024年の暮れ。丸五年を優に超えている。こうなると、我れながら高齢でようやく開始したことでもあり、かつて稽古した日本拳法などとは異なる安定感を覚える。殊に日本拳法は格闘技であり、これは得手不得手を問わず若い時期に上達の頂点に達することがほとんどだが、年齢と共に絶対的な力は衰える。スポーツのプロ選手を連想すればわかりやすいことだが、野球、サッカーいずれも比較的若い年齢で引退の余儀なきとなる。もちろんあらゆるものに年齢は影響するが、例えば音楽の世界の楽器演奏などは、臨終の床(とこ)というのでなければ、かなりの高齢でも可能である。ドラムは比較的体力を必要とする楽器だが、現に72の私のような者でもむしろ余り練習をしなかった若い頃よりも、技術力は向上している。これも講師の先生曰く。『手は歯磨きが出来、足は歩ければドラムが叩けます』私は52歳で発症した頸椎ヘルニアが重くなって主に下肢が左右とも感覚が鈍く、今年の春三月で車の運転をやめて、免許更新も普通免許取り消ししたうえで、スクーターに乗るだけとした。スクーターは両足を置くだけなので助かった。しかしドラムはバスドラムが叩けるのである。むしろ、年齢ではなく、若い頃から出来なくて、限界を悟らねばならない動きがある。これは先生のバスドラムを見てあきらめたことだが、先生は手でスティックを振るのと同じ速度でバスドラムが叩ける。細かく言うならバスドラムをスピーディーに踏めるのである。私には出来ない。ところが。ごく最近、先生から練習用の曲を指定され、これがかつて1990年代にヒットした漫画、アニメの『SLAM DUNK(スラムダンク)』のテーマソングの一曲「世界が終るまでは・・・」(WANDS)だった。本ブログにも一再ならず書いて来たように、あらゆるスポーツが嫌いなので、スポーツ漫画というだけで必ずそっぽを向いて来たから、当然主題歌も知らない。そしてこの歌がこれまでのドラムよりもやや技術を要する叩き方を導入している一曲と知ったのだ。またドラムの楽譜は、楽器の性質上音階というものはないのだが、全部のドラムつまり、スネアドラム・ファーストタム・セカンドタム・フロアタム・バスドラムの五つの叩き方がわかるように、楽譜上に各ドラムの音符の配置が決められている。ほかの音階を奏でる楽器を本格的に習ったのではないので、えらそうなことは言えないが、いろいろな歌に親しんでいると、一曲歌い覚えるのに、メロディーつまり旋律があるほうが楽だと思えることがある。図示されていないがバスドラムは「ファ」の位置もちろん四分の四拍子や四分の三拍子、四分の二拍子など、一小節に入る拍の数も様々だが、四拍子なら四拍子で、楽譜の拍数を数えるのはやや楽である。唱歌としてもしみじみした歌としても我々日本人の心に響く「故郷(ふるさと)」を例にとっても、「♪ うさぎ追いし・・・」の箇所だけでも五線譜と音符を頭に描きやすい。もちろん歌が穏やかなテンポで出来ているので当然かも知れないが、ポップスになったとしても、例えばいきものがかりの「ありがとう」は、アップテンポの箇所を何回か歌って拍数を確かめるうち、何んとか五線譜に書けるものである。要は一小節に四分音符が四つ入ると基本を押さえておけば、音符の整え方はわかって来る。ところがドラムとなると、ハイハットシンバルを含めて、都合六つのドラムスをおさえなければならず、しかも各ドラムが、言わば複数の楽器のように叩き方が分かれているので、五線譜にこれらを書き込もうとすると、各パートを独立して書くこととなるのだが、私がこの年末へ来て教わった「世界が終るまでは・・・」は、スネアドラム、ファーストタム、セカンドタム、フロアタム、そして何んとバスドラムまでを、それぞれ独立させずに、あたかも一つのドラムとして叩かねばならず、楽譜に記す時に、拍数のとらえ方がむつかしくなる。ドラムスコアつまりドラム楽譜をようく見てみると、一小節の拍数は原則整えているのだが、同一の五線譜上に複数のドラム楽譜を記すので、拍数は必ずしも何拍というふうにはしていない。You Tubeにはピアノ楽譜を掲げて演奏を聴かせながら、楽譜を表示しテンポに合わせて長方形のスリットを動かせて見せてくれるとても親切なサイトが複数あるが、ドラムの楽譜ページも同様にあり、ていねいさは遜色ない。ただ、ピアノが例えば初級・中級・上級と別々にアップされているのに対して、ドラムは私がわずかに調べたに過ぎぬものの、全く同じ叩き方が複数のページに広がっていて、別の工夫がないと失望したのも確かだ。さて、私は今年2024年の夏から秋ぐらいにかけて、先生から「世界が終るまでは・・・」を紹介されて、叩き方を練習したが、私が講師の先生から教わった叩き方は、You Tube版よりもハイテクニックのものである。ただ、先生が教授してくれた叩き方は、各ドラム5個をすべて使うというもので、16分音符の高速度で二つのタム、フロアタム、バスドラムを叩くという忙しさである。無論、初めは全く手も足も出なかったし、それゆえか先生に楽譜をホワイトボードに書いていただくことをお願いもせず、ダメなままレッスン終了して帰宅、先生の説明に従って、極めてスローなテンポで叩いてみた。不思議や、ゆっくり叩いて出来ぬことはなかった。ただし、次第にスピードを上げて最終的にはメトロノームで105の速さでバスドラムを含むすべてのドラムを叩けるようになる必要がある。「世界が終るまでは・・・」イントロの5小節目から。全休符が続いたあと、最後の小節にFill-inが入る。ここで楽譜には音符と休符を共に記す必要があるのだが、これまた旋律を奏でる単一の楽器と異なることとして、五線譜上に各ドラムの音符を休符と共にすべて記すわけではなく、楽譜を読んで叩き方がわかる範囲での言わば省略みたいな合理化もする。私の楽譜の読み方には不勉強による誤りがあるかも知れないが、一応図示、例示めいたこともしておく。第三段目の五線譜に全くの自己流いい加減ながら、「世界が終るまでは」の歌詞のうち、ワンコーラス目の「・・・愛ならばいっそ永久(とわ)に眠ろうか」の箇所に入るFill-inを無理やり楽譜にしたもの。「いっそとわに眠ろうか」に入る。バスドラム以外はすべて16分音符の連続というむつかしさ。それで「世界が終るまでは・・・」の楽譜も、例えば四分の四拍子にしようとすれば、無理が生ずるし、数学みたいに拍子・拍数の数合わせも必要なしと独断して図示してみた。なお、この2024年のレッスンは、体調はかばかしからぬ時期もあったりして、スムーズではなかった。先生も気遣いして下さったのか、練習曲の指示を中断して、私のリクエスト曲をかけて叩かせてくれたりもした。以下に、レッスン開始の2019年以来の練習曲を私の愛好歌を中心に列挙してみた。曲名・歌手名のあとに「済」と記したのは練習済みの曲である。★愛好歌★ (火曜日一時限目 講師 〇〇〇〇先生 / 門下生 村松厚和)ブログ名:myoldhome1 大いなる旅路 小椋佳2 雨の日は家(うち)にいて 山下久美子3 アメリカンフィーリング サーカス4 My Pure Lady 尾崎亜美5 残酷な天使のテーゼ 高橋洋子6 五番街のマリーへ 髙橋真梨子7 ごめんね・・・ 髙橋真梨子 済8 ブラックサンドビーチ 加山雄三 済9 夜空の星 加山雄三10 北国の二人 ブルーコメッツ11 ありがとう いきものがかり12 ワイプアウト ザ・サファリーズ 済13 時の流れに身をまかせ テレサ・テン14 You Are Love . (「復活の日」) ジャニス・イアン15 ささやくなら愛を キャッシー&カレン16 なごり雪 イルカ17 水に咲く花・支笏湖へ 水森かおり18 赤いハイヒール 太田裕美19 みんな夢の中 高田恭子 済20 夢の途中 来生たかお 済21 逢いたくて逢いたくて 園まり22 あなた 小坂明子23 池上線 西島三重子24 君は天然色 大滝詠一25 鉄腕アトム 上高田少年合唱団26 白線流し 木村美保27 セーラー服を脱がさないで おニャン子クラブ28 SACHIKO ばんばひろふみ29 揺れる想い ZARD(坂井泉水)30 糸 中島みゆき31 ヘッドライトテールライト 中島みゆき 済32 さらばシベリア鉄道 大瀧詠一33 レッツゴー運命 寺内タケシ34 いい日旅立ち 山口百恵 済35 襟裳岬 森進一36 津軽海峡冬景色 石川さゆり36 バスストップ 平浩二37 九月の雨 太田裕美38 旅人よ 加山雄三39 朝日のあたる家 アニマルズ40 キサス・キサス・キサス ナット・キング・コール41 真珠採りのタンゴ マランド劇団42 蒼い星屑 加山雄三43 10番街の殺人( Slaughter On Tenth Avenue ) ベンチャーズ 済44 世界が終るまでは・・・ WANDS 済45 ダイヤモンドヘッド ベンチャーズ 済
2024.12.09
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『三上丈晴(ムー)氏発、小池壮彦(作家)氏行き』2024/12/6日開始私自身も、幼い頃から怪談にひとかたならぬ興味を持ち、夏ごとに映画館にかかる怪談映画をよく見たものだが、既に70を過ぎた年配になると、こう申しては関係者の人々に失礼かも知れないが、You Tubeでたびたび語られるいわゆる怪談師のかたがたの実話談と称する話には飽いて来た。身もふたもないことを言い募らねばならないが、実話と称して「これは〇年前に知人から聞いた話で・・・」などと始められても、幽霊譚を手をかえ品をかえて聞かされているようなもので、ぜひ最後まで聞かせてもらおうとの気持ちは起きない。たとえるなら、昔茶化すように歌われた「きょうもコロッケ、あすもコロッケ、これじゃ年がら年じゅうコロッケ、コロッケ・・・」を連想する。似たようなことを雑誌「ムー」編集長の三上丈晴(みかみ・たけはる)氏も言っておられた。なお、私は地上波のテレビをほとんど見なくなって久しい。静岡第一テレビは毎週金曜日に、めぼしい内外の映画を放映してくれるので、うっかりすると予約録画を逃すこともあるが、ニュース報道はNHKに限らず、1970年代には既に偏向報道を垂れ流していたので、左傾思想へと洗脳されると憂慮し、見ないことに決めている。改めて書くが私は根本「保守」である。「人それぞれ考えがある」なぞとわかったふうなことを言う奴は男女問わず信用しないし嫌いだ。例えば「坂の上の雲」も司馬遼太郎が初めドラマ化をしぶっていて、確か死後遺族が許可したと仄聞した。司馬遼太郎は偏向作家なのだと断ずる。明治までは良かったが昭和のわが帝国はいけないとの偏った思想の持ち主で、根本的に好きになれない。所詮、元新聞屋だ。さらに東宝映画「日本のいちばん長い日」と同名のノンフィクションを著わした半藤一利(はんどう・かずとし)氏による作品だが大宅壮一(おおや・そういち)編と、面妖な扱いである。ま、細かいことに言い及ぶとややこしくなるので、これで措(お)くが、ある時のNHKの番組で半藤氏が「明治までは良かった。坂の上に雲があった。しかし昭和の軍隊や帝国陸海軍はいけなかった」と結ぶように言って、共演のアナウンサーの同意を得ていたので、私は直感として「こやつ、左だ」とピンと来た。また、1980年代のNHKのドキュメンタリーだったか、山本肇(やまもと・はじめ)氏が司会を演ずるような番組があり、ここでもNHKは明らかな捏造を行なっている。同番組がネットで見られるような今、この箇所がどうなったかは知らないが、私が見た当時は日本軍機を鹵獲(ろかく)した米軍が、その性能に驚いて軍備推進に懸命になったあげく、VT信管という画期的高性能信管を開発してミッドウェー海戦で高角砲に活躍せしめ、番組中出演してインタビューに答えた元日本軍将兵が「直撃を食らわなくても至近弾で我が機は被害を受けました」とおっしゃっていたが、これは今や知る人ぞ知る間違いで、この近接信管はミッドウェーには間に合っていない。間違いというよりでっち上げだ。話を戻す。今、私にとって最も楽しみなオカルト番組というと、スカパーの618chでかつて『超ムーの世界』『超ムーの世界R』として放映されて都合八年余りの長寿番組として超常現象・不可思議譚の迫力・醍醐味を出演者の皆さんが知性の高さを以てていねいに語ってくれた番組が強く印象に残り、本番組を超えるオカルトものは他にないと言える。残念ながら出演者の一人が著作権を侵害したとの訴えにより、2023年を以て突如終了したが、まもなく『シン・オカルト倶楽部』として新たに復活、今日に至って、ますます楽しめる内容になっている。本番組のけん引役として活躍するのは、「超ムーの世界」時代から同じくであるが、月刊誌「ムー」編集長の三上丈晴氏である。さらに永く著作者としても活躍する重鎮・並木伸一郎(なみき・しんいちろう)氏もUFO、UMA(未確認動物)などの最新情報を、たいてい動画などで見せて下さるので、見ごたえは充分だ。2024年になった今、それまで準会員の一人だった魔女占い師の叶ここさんが正規会員として加わって、元「トカナ」編集長のこれまた情報通の角由紀子(すみ・ゆきこ)さんと共に言わば紅二点にふさわしい女性二人が花を添え、番組を盛り上げている。もちろん、「超ムーの世界」当時から番組の司会、MCを務められていた島田秀平(しまだ・しゅうへい)氏の印象の良さも忘れざるべき大事な要素だ。歯切れの良いしかもやや早口な語り方は、現代人にも受け入れやすいと思うし、何より物腰の低さが「芸人」としての分際を心得すぎている好男子と映るし、ユーモア・センスも抜群だ。ご自身、手相占い・怪談語りでも有名で、You Tubeチャンネルも続けて活躍している。島田氏の今後の長い活躍をも祈らずにはいられない。三上丈晴氏の話に戻る。三上氏の教養と慧眼(けいがん)は、世界情勢への思想的立場、とらえ方にあらわれている。オカルト番組の中で、彼ひとり軍事・外交に言い及んで、違和感がない。アメリカ合衆国は、『D-デイ』と称して、同国戦争歴史上の重要記念日を定めており、その最重要記念日として6月6日を定めている。これは第二次世界大戦において、米国を中心とする連合国軍がフランスのノルマンディーに上陸戦闘に勝利した日である。エンタメ~テレの「超ムーの世界R」第174回放映の中で、三上氏はロシア大統領プーチンに言い及び、2014年各国首脳が一堂に会した『D-デイ記念式典』の最後にスクリーンに映し出された日本への原爆投下映像を見て、皆々拍手かっさいし、当時のオバマ米大統領も莞爾(かんじ)として拍手した様子を語った。だがこのとき、ロシア大統領プーチンだけは胸に十字を切って瞑目したと説明してくれた。ロシアは共産主義国であり、プーチンもコミュニズム信奉者かと思いきやそうではなく、ロシアが表向きロシア正教を公にしているいっぽうで、プーチンはギリシア正教の信者であり、別称「古儀式派」であるとていねいに説明してくれた。本番組は安っぽいオカルトものではない。エンタメ~テレときいて、パチンコ、麻雀、下劣ネタばかりと思うのは勝手だが、三上氏が出演するオカルト番組は異彩を放っている。さらに蛇足かも知れないが、「超ムーの世界」放映中、三上氏は元・陸軍参謀として異才を発揮した石原莞爾(いしわら・かんじ)氏の名前が出ると、コメントの中で「石原莞爾先生」と呼び、終始「―先生」と敬称を忘れずに語ったのも印象に残っている。さらに三上氏は、「シン・オカルト倶楽部」の中で、角由紀子さんが新潟怪談と称して知人の体験として語った事故物件テーマの怪談に関して、例の如く番組主宰の島田秀平氏から問われたのに答えてズバリ「(行方不明の人は)畳の下にいるんじゃないの」とひとこと述べて、角さんや島田氏をアッと言わせて怪異談のインパクトを高めていた。この時、三上氏は「怪奇ものを研究している小池壮彦(こいけ・たけひこ)さんが・・」と、とても興味深い話を例示して聞かせてくれたのが、やはり興味をそそった。ここでようやく今回結論的テーマの小池壮彦氏の話につづり及ぶことが出来そうだ。私は小池壮彦氏の著書「怪奇事件はなぜ起こるのか」を偶然書店でみつけて、購入して読むことが出来たが、この手の怪異談ものの本は、多く、期待はずれで、つまりは複数の怪談を実話と称して、羅列してまとめたものばかりだ。ところが小池氏の著作はかなり異なっていて、どう表現すれば良いのか、「〇県で実際に起きた不思議な話です」の類いではなく、大手メディアの情報操作・捏造などに言及して見事だった。小池氏はまえがきで「インターネットで流れるニュースを見ていると、テレビが何を伝えないかがよくわかる」とまず書き出して、否応なく興味を引く。前書きだけで本書のありふれてはいない論述の魅力を想像出来そうなほどである。たとえばこんなふうな箇所もある。以下抜き書き。★なるほどこの世で生きるには、知らない方がいいこともあるだろう。夕鶴の与ひょうも雪女の巳之吉も、妻の正体を知らないうちは幸せだった。タブーを破った彼らの後悔は察するにあまりある。しかし、果たして与ひょうは妻の正体を見ないままで暮らせたか、巳之吉は愛する妻に隠し事をしたまま生きていけたというのか。無理だったはずである。それは宿命だったのだ。私も彼らの二の舞を演じるだろう。・・・・・中略・・・・・つまるところ、隠された事実とは、日本国の本当の姿のことだ。日本国とは何か。天皇のおわす神の国である。森羅万象に八百万(やおよろず)の神々の宿る麗しきまほろばである。(myoldhome註/まほろばとは、すぐれたよい国、麗しい国の意)なぜか政治家がヤクザより格下の国であり、なぜかわざとらしい事件の起きる国であり、なぜか本当のことをいうと幸せになれない国である。いったい何がどうなるとこういう魅力的な国になるのか。そのヒントを探してみたい。★三上丈晴氏に始まって小池壮彦氏につづり終えたこの話、実は私個人としては続きがある。今年は11月ごろから運転免許証更新にストレスが強く、実際に視力検査では、一旦目を休めるよう指示され、「もはや更新は出来ないかも知れない」とまで落ち込んで、だがなぜかギリギリと言われつつも、ようやく更新なった。警察署へ出かける前に、更新出来たら、自分へのごほうびにスーパーでお弁当を買って帰ろう、そしてホッと一段落(いちだんらく)したうれしさを味わおうと思っていたが、ギリギリ合格ののち、胃が具合悪くなって、弁当を買って帰宅しても、スッキリ空腹を覚えられなかった。それですぐには弁当を食べず、パソコンに向かって免許更新のブログ下書きなどを書いて、空腹感の訪れを待った。これが11月25日月曜日のこと。こんな具合に元々のパニック障害があらわれるのだから、情けないがどうしようもない。何時間も自宅で過ごすうち、ようやく何んとか食べられはしたものの、胃の調子は完全には復調せず、11月29日金曜日になってようやく従前の感じに回復した。ここで一計案じて、ごほうびを通販でいろいろ購入しようと決めた。まず前からかわいらしさが気に入っていたナマケモノのぬいぐるみ、次に近所の家電店に年一回くらいでプレゼントしている猫の大きなぬいぐるみを買った。そして、今度は急変、小池壮彦氏の「四谷怪談 祟りの正体」を購入。なお、無断で申し訳ないながら、本書へのレビューの文章・内容レベル共にとても高くて、購入者のかたがたのレビューを本文のみ抜粋させていただく。無論名前などは省いてある。以下抜粋。★お岩さんがなぜ祟るのか。京極某や田宮神社の説明など、これまでわかったようなわからないような説明を読まされてきた怪談ファンの胸をすく、決定的な論考。徹底した史料考証を加え、桶川ストーカー殺人などの現代の事例までを俎上に乗せながら、お岩の祟りを解読していく手際に「やられる」思いがした。これが小説のように一気に展開するのだから、たまらん。読まずに死ねるか。★★読売新聞の書評でも述べられていたが、四谷怪談がこのような角度から論じられたことは、いままでになかったであろう。お岩の祟りとは何か。考えてみれば、そこを問わなければ四谷怪談へは参入できない。この本はそれをやり、複雑な事実の糸を解きほぐすプロセスを読者に突きつける。思わぬ視点から著者は切り込んでくる。読者はそれを受けとめる。そのたびに時間を忘れる。ノンフィクションの醍醐味である。世に怪談を愛好する人は多いと思うし、その分野の小説や評論を目にする機会も少なくないが、堪能したと言えるのは近年ではこの本を置いてほかになかった。★
2024.12.07
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怪談チャンネルの「四谷怪談」評が偏っている筆力は衰えているが、一再ならず書きたかったことなので書いてみる。「四谷怪談」映画の中で一番優れている作品を推す者どもが怪しい。怪談映画の評価は人それぞれと思うが、世代も関連する。さらに作品の完成度に言い及び過ぎる者たちがうっとうしい。You Tubeに出演する専門家たちがそろいもそろって、昭和34年版ばかりを激推しするので、「ほかの作品と比較ぐらいしてみろよ」と文句を言いたくなる。ズバリ書くが中川信夫氏の「東海道四谷怪談」(昭和34年、1959年)を激推しする者たちがほとんどでうんざりだ。根拠はいたって単純。この「東海道四谷怪談」は総天然色で各場面の構成がスマートで、伊右衛門(いえもん)の人物設定もきちんと立案されている気がするから、映画全体の完成度が高いと思わせるに充分である。だが、作品の体裁が整っていればそれが最高傑作と映るに決まっているとしたら、それは観客あるいは見る者を無視しがちになるに違いない。これもザックリ言って「怖いこと」が必要十分条件と定義する限り、昭和31年版「四谷怪談」(毛利正樹監督)のほうが数段恐ろしさが際立つ。新東宝昭和31年(1956)「四谷怪談」制作はいずれも当時存在した新東宝で、「東海道四谷怪談」が1959年(昭和34年)、「四谷怪談」が1956年(昭和31年)で、悲劇のヒロイン役は「東海道四谷怪談」が若杉嘉津子(わかすぎ・かつこ)さん、「四谷怪談」が相馬千恵子(そうま・ちえこ)さんである。なお、相馬千恵子さんは、現在101歳で、ご健在だ。やはり男より女の人のほうが長命するかたがたが多くて、驚くばかりだ。若杉嘉津子さんは亡くなられているものの、没年不明ながらも、2005年にトークショーのゲストとして出演なさった事実をみる限りでも、この時79にはなっていらっしゃって、長命なさった可能性を否定出来ない。この『四谷怪談』の何が恐いのかというと、お岩様がだまされて毒薬を飲み、まもなく顔の半面が無惨に崩れてゆくところあたりから既に恐い。その時まだ死んではいないのだが、女の命とも言われる髪の毛が顔が、醜くはれ上がってゆく過程が既にして恐ろしい。現にあんまの宅悦(たくえつ)は、お岩様の凄絶な顔をまともに見られずに震えて逃げてばかりである。白黒の掲載画像はいずれも新東宝昭和31年版(1956)「四谷怪談」より。主演は当時として165cmの長身だった相馬千恵子さん。映画の中でも、民谷伊右衛門役の若山富三郎氏より背が高いのではと見える。つまり人一人、まだ死ぬ前であり生きているのだが、面相がこの世のものとは思われぬ凄まじさで恐ろしいのだ。女の人ひとりが、次第に死につつあり、死んだあとには果たして・・・と、容易に想像出来る過程が恐ろしいのだ。このような四谷怪談映画などの考察は、過去複数回行なっているが、文章につづるとなると、ある意味構えてしまい、頭の中には雑然たる文案はあるのだが、一字一句ずつつづらない限り、形に残る日本語とはならない。筆の運びは拙いが、やはり書き記すに如(し)くはなし。見ていて「これは恐い」と見続けるのが本当に恐ろしくなる怪談映画は、「既に生きていながらも、次第に面相が変貌を遂げる」筋書きのものがある。「真景累が淵」もその一つと言えようか。やや横道にそれるが、本作は明治期の落語家・三遊亭圓朝(さんゆうてい・えんちょう)師匠によって作られ演じられた言わば我が国の古典怪談の代表の一つであり、全部演ずるのはほぼ無理というほどの長さだ。若杉嘉津子さんが主演した新東宝「怪談累が淵」(1957)。三遊亭圓朝師匠の「真景累が淵」が原作の古典怪談の名作。旗本の深見新左衛門(ふかみ・しんざえもん)が、金貸しの鍼医・皆川宗悦(みながわ・そうえつ)の取り立てにカッとなって斬り殺し、死体を家来に処分させる。これがほぼ物語の始まりのところだが、深見には次男に新吉(しんきち)、宗悦には長女・豊志賀(とよしが)がいて、この二人はのちに割りない仲となって、いよいよ身の毛もよだつ怪異談へと話が進んで行く。恋仲の二人は実に親子に近いほどの年の差だが、豊志賀は弟子としてかよっていた若いお久が新吉と親しくなる様子に嫉妬して、その嫉妬心昂じて、顔半面の醜い腫れを生じて面相は凄い様子に変貌する。つまり生きているあいだに、見るも恐ろしき形相へと日ごとに変貌してゆく。新吉は豊志賀の世話をするのだが、年増の豊志賀は、愛想尽かしを案じて新吉を執拗に慕う。これが見ていても恐ろしい。だが四谷怪談の凄さは格別である。お岩様は伊右衛門にはかられて殺される結果となるけれども、暴行されたり斬られたりして絶命するのではなく、南蛮渡来の毒薬で顔半面を崩され、さらに小刀がのどに刺さって絶命する。これには作品により、毒薬の作用が初め顔を崩し、症状が進んで絶命に至るパターンもある。少し前にYou Tubeの「オカルトエンタメ大学」に出演した高橋洋(たかはし・ひろし)氏(映画監督・脚本家・映画批評家)が、怪談の作り方を講義なさっていた時、『因縁話にせざるべし』と言いながらも、怪談の白眉として挙げた「四谷怪談」を「因縁話だがこれは例外的に恐い」と説明してくれたのが印象に残る。お岩様が初めて「チキショー」と伊右衛門への恨みの言葉を叫ぶシーン。故・楳図かずお氏によると、顔の右側に変貌が現われ、これは左脳を毒薬で破壊されたからで、顔面は交差して右側に出るとのこと。さすがヒット・メーカーだった楳図かずお氏と、敬意を覚えた。昭和31年版の「四谷怪談」が恐いもう一つの描写というべきシーン。はりつけられたお岩様を乗せた戸板が川を流れて来るシーンで、戸板が画面に最も近づいた瞬間、死体であるはずのお岩様が、『カッ』とばかりに目をあける。これは死体を投げ捨てた伊右衛門たちは知らないわけで、見ている観客たちに向けた場面というべきか。髙橋洋氏は「人間が幽霊になってゆくまでを見せるという、比類なき描写に恐さがある」と言っている。私も説明を聞いていて誠に、その通りだと感心したものだ。さて、この怪談テーマのブログ、今回の最後として、ネット検索で見事だと敬意を持った一つの映画サイトから、四谷怪談評について書かれたものを抜粋要約してしめくくる。この映画サイトのかたにひとことごあいさつしたいと思っているが、本ブログ掲載前にするのが筋と心得るものの、一応参考資料として掲げておき、改めて事後連絡との形で許されるだろうかと迷っている。よって、このかたの批評文を丸写しなどということはせず、書いた通り抜粋要約してみようと思う。私の心を捕えたのだから、このかたの四谷怪談評は、昭和31年版の「四谷怪談」をきちんと評価している。さらに昭和34年版の「東海道四谷怪談」をも中庸に評価していて、そのへんは私のような狭量さはなく、バランスがとれている。このかたのホームページは『日のあたらない邦画劇場』がメインページとでも呼ばせていただけたら幸いですが、この中に『日本映画の感想文』と題したページがあり、さらに『ジャンル別作品目次』があり、クリックすると、『四谷怪談がいっぱい』に到達、ここで複数の四谷怪談映画に関する巨細な、しかもユーモアも見事な(都合九つの)作品タイトルを見ることが出来る。まず相馬千恵子さんがヒロインを演じた昭和31年(1956年)「四谷怪談」に及んだ文章から抜粋要約する。★カットごとのメイクの変化で、面相の悪化の過程を見せる。照明のライトの移動なども陰影の効果を実現している。本作「四谷怪談」のほうが、こわさでは上回る。つまり今なら特殊技術が進歩して、技術に限界のある撮影時の画像をあとからの処理で補えるところ、当時はライティングの工夫などでカバーしたということだ。若杉嘉津子さんの西洋風幽霊に対して、相馬千恵子さんの純和風幽霊のほうが、その醸し出す陰湿さがはるかに上。ここが大事だ。相馬千恵子さんは、目が腫れぼったい一重まぶたの美人だ。私見になるが、これだけでも見ていて「この女の人、凄みをたたえている」と思えそうな和風である。★いよいよ抜粋要約している本サイトのかたの情報量の凄さがわかるエピソードをつづる。昭和34年(1959)「東海道四谷怪談」についての記事からである。なお、ヒロインの名前は、私自身の主義としてだが、敬称を付してつづる。要するに恐ろしいのです。★お岩様の顔が薬で崩れ、あんまの宅悦が恐怖のあまり逃げ惑うシーンの撮影では、本物の赤ん坊を抱いていた若杉嘉津子さん(既に出産して子の母親となっていた)は、キャメラを追いつつ、赤ん坊から見えないように顔をそらして必死で演技をしたという。さらに隠亡堀(おんぼうぼり)の戸板返しのシーンでは、看護師を待機させて、宅悦役の大友純氏と同じく若杉さん本人も、身体に悪いはずの塗料だらけの水の中に本当に浸かっていた。★邦画大手の中で真っ先に倒産した新東宝は、同時代を生きて過ごした人にしか知られぬほど、忘れ去られた映画会社になったが、怪談映画、殊に四谷怪談に限ってみると、間違いなく他の大映・東映・東宝を突き放していた。☆参考・引用サイト☆『日のあたらない邦画劇場』⇒『日本映画の感想文』⇒『四谷怪談がいっぱい』⇒『東海道四谷怪談』『四谷怪談』ありがとうございました。
2024.12.04
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「チョイ文章自慢」タイトルとは別のことで我れながらよくぞと思ったことがある。生涯素人ながら、少しは文章が書ける、筆が立つとうぬぼれていた。だからなのか、この楽天日記で、かつて一度だけだが大手新聞の読者投稿欄に掲載された自慢めいた話を掲載しなかったのが、今以て不思議である。改めて本ブログ現在から2003年までをザっと振り返って確かめたが、投書掲載自慢のブログはみつからなかった。さて。ほんの少しだが不思議な一致、シンクロニシティめいた事実もあるので、記しておく。1995年7月26日に、我が最愛の兄が46歳で白血病死した。ここで既に数字の偶然のことに言い及ぶが、兄は誕生日が1949年6月25日で、これが実に母と同じ月日だった。母は1927年6月25日生まれ。計算が楽だ。母は22歳の誕生日に私の兄を生んだ。三つ下の私は1952年12月8日に生まれていて、母との関連づけではないものの、真珠湾攻撃の月日とダブる。この時母は25と若い。さっさと出産、子育てをしてくれたのである。母は安産だと言っていた。そのためか、テレビドラマでうめき声をあげて出産を苦しむシーンにシラケること一再ならずあった。ただし痛がる婦人もいるに違いなかろうから、これは我が母のことと思うしかない。さて、兄の死で、身体に直接ダメージが出たのは腹を痛めた母ではなく、弟の私だった。1995年下半期は日ごとに食欲が漸減して、翌1996年は何んとかこらえたつもりだったが、胸のむかつきは去ってくれず、とうとう1996年10月末日最後の授業をようやく終えたところで回復の望みなしと結論し、母に学習塾休業を生徒たちに周知して欲しいと頼み、11月は水やお茶を飲んでさえ吐き気がして苦しく、かといって自殺する気力も出ず、生きるしかばねと化した。この窮状を救ってくれたのが母だった。母はのちに認知症が出て急速に衰え、86歳で老衰死と診断される終末となったが、母は私たち子供を懸命に育ててくれて、己れを後回しにする模範を体現してみせた。母は11月下旬のある時、私に入院を勧めた。私は回復の希望なしと否定的なことを言ったが、行きつけの医院で神経薬を試しにもらって、私に勧めたが効き目を感じられず、薬効はないとさらに否定した。それでも母はまた別の『デパス』という薬を渡してくれた。先に結論を言うと、このデパスは今や向精神薬として、問題多しと結論づけられている。だが当時の私に離脱症状などを案ずる余裕のあるはずもなく、実はこのデパスを一錠だけ飲んだところで、それまでの不快感がみるみる引いて溜飲が下がるのを実感し、入院加療に期待が出てほどなく入院、個室で過ごしたが、当時は薬が主作用として見事に効いてくれて、実に二週間弱で退院となった。わずかな入院の最中に既に外出許可を得て、数学での受験希望の高三生徒限定で塾を再開した。全員とはいかないので、収入はたいしたことがないが、神経薬の卓効にも助けられて、軽い胸のむかつきくらいの中で、授業を続けられた。実質二週間くらいの臨時授業に過ぎなかったものの収入はおよそ10万円に達していた。ここで今更己れの精神を正常だなぞと力むつもりはない。しかし、私の病はもともとPD(パニック障害)の嘔吐恐怖なのだと、検索で知った。健康な人と比べて、ある種異常なのは言い訳出来ぬことなれど、苦痛が軽減されれば日常生活に戻れる自信はあったし、今もこれは変わらない。これについても、先に書いておくが、2017年初夏ごろ、デパスの離脱症状昂じて「せん妄」という半睡状態の如きに陥り、昼夜の判別つけ難き症状下で車に乗り、富士宮市杉田というところの、他人の土地の倉庫わきのようなところに乗り捨ててさまよったあげく、一台の車に助けられたはいいが、耐え切れぬ尿意で失禁しかかり、乗せてくれた婦人に告げたとたんに激昂されて通報、警察の車に拘束され、富士市立中央病院に送られ、結果大渕というところの精神病院に入れられて、およそ四カ月閉鎖病棟で過ごしたのち退院。この病院で処方してくれた内服薬は軽いとの説明を受けたが、これのおかげでデパスの強過ぎる作用との縁が切れた。ところが内服薬の服用量を間違って体調を崩し、再入院。三か月ほどして二度目の退院、訪問看護を受ける条件で今日に至る。定期的に来てくれる看護師さんたちのおかげで、薬の服用は無事に済ませるようになり、2018年冬11月の退院以来、2024年年末の今日まで、五年ほど経過して明け暮れを過ごしている。特に退院後、2019年の年末の運転免許証更新を無事終えて、更に本2024年は、普通免許を取り消したうえで、高齢者講習を済ませ、更新もぎりぎり合格で、2027年までは過ごせることとなって、ようやく気持ちが楽になっている。さて、兄の死後身体に苦痛の症状が現われたただ一人の血族の私だったが、デパスの服用が出来るあいだだけ、体調はまずまず楽だった。そして、学習塾もまもなく再開し、生徒たちがある人数以上戻ってくれて、収入もやや安定していた。それでも兄がこの世にいない寂しさは常に脳裏を去らず、ようやく一つの行動への計画が寂しさとは別に湧き上がって来た。学習指導を始めた家庭教師の頃からずっとくすぶっていた疑問・不満でもあったのだが、これまた結論めいたことを書くと、我々日本人は、英語を成人後に役立てていない。私はハッキリ「不要」と断じている。英語は必要と思う者だけが勝手に学べば良い。学校教育に導入せずとも、得意な若者は必ず現われる。基礎的なことは中学時代のリーダーの学習だけで充分である。現に実業高校へ進む者たちの何割かは部活動で運動するためにかようばかりだとも仄聞した。スポーツをやりに行くのが通学なのかと怪しまれる。ただし、例外的な生徒もいる。工業高校に学んでのち、家業を継いで励む一人の人が、私を驚愕させるほどの軍事・外交知識を身につけていて、中庸な思想を裏付けに備えて、雑談する時も生理的快感さえ覚える。要は個人の素養次第ということだが、運動やりにかようのなら、やめちまえと言いたい。英語に疑問を持つ私にとって、国公立、私立を問わず大学受験に英語が必修科目というのが不愉快であったので、理論武装を次第に整えつつ、パソコンに英語不要論をつづり始めていた。拙きながら塾を経営した経験から、「英語がなければより高いレベルの大学へ行けた」という生徒がいたからだ。何を隠すことあろうや、余人にあらぬ我が相棒の夕子殿が、かつて高三の時、当時の東京工業大学の数学・化学の問題を見事に解きおおせたからだ。全問とはいかぬまでも、合格点だった。だが英語が必修なので理系私大に妥協の余儀無きとなった。私が出た現・筑波大学と同様、廃学のち慶応大に統合となった今はなき薬科大出身だが、勤めに入るとすぐ頭角をあらわして、男顔負けの活躍を続けている。彼女と知り合ったばかりの頃、本人は遠慮がちに「英語がダメなので・・」と言ったが、私が下心を隠しつつ、「英語なぞ日本人に要らない」と豪語したらたいそう驚いていた。さていよいよ、1997年6月25日『産経新聞』読者投稿欄に掲載された本文を掲載する。この日付、特に狙ったのでもなく、たまたま近い頃に投稿したものだ。当時の本物の日記帳に書いてあるのを読むと、1997年6月20ないし21日ごろ、産経新聞に投書文をファックス送信したら、21日土曜日早朝、投書係から礼の電話があり、決定ではないものの、可能性は高いとの答えをいただいた。これから毎日セブンイレブンに日参して、とうとう6月25日の朝刊に投書が掲載されているのを確認した。この日は兄の誕生日であり、ここにもシンクロニシティを感じた。投稿欄は一般の文章と『アピール』というやや字数制限がゆるくて目立つものとがあった。改めて本文を横書きにしたためた。アピール塾経営 村松厚和 44 (静岡県富士市) 数学は英語より重要度低いのか 市井の塾経営者から、昨今の大学入試について一言。教育改革あるいは入試改革という声を耳にしてから久しいが、実際に高校生の学習の手伝いをしていて気がつくことは、英語が入試の必修科目として課せられていることの不公平さである。 結論をいうと「数学を文理必修にすべし。さもなくば、英語を理系の選択科目にすべし」である。ただしセンター試験は別問題とする。 これだけ英語が定着しきってしまった今、こんなことをいうと、時代遅れなどと笑われそうだが、私見によれば、英語は文系科目の代表である。それにもかかわらず、多くの大学で、文理を問わず英語は必修科目として出題されている。理工系離れの深刻化が叫ばれ、その対策についてのさまざまな意見があるが、実際にはその主因たる理科を取り上げているだけのように見えて仕方がない。 だが、理工系学部を目指す高校生たちがまず目標とするのは、数学の実力向上である。大学によっては、数学の問題の難しさは尋常一様ではない。加えて、彼らまたは彼女らは、「実は文系科目」であるはずの英語もやらなければならず、理科に打ち込む時間はさらに削られる。 一方、大部分の私大文系学部が、数学を例えば「社会・数学いずれか一科目選択」という扱いにしている。だから今の多くの進学校では、日大などの付属高校を例外として、文系生徒は進路によっては高三から数学を全くやらなくてもよくなる。 入試の文系英語は理系英語よりもレベルが高いかも知れないが、理系生徒は難しい数学と、決して平易ではない英語の二科目を受験しなければならないのに対し、私文志望の生徒は英語のみ受験すればよく、数学は全くない。これは一部国公立にもあてはまる。数学がない分、英語に集中できるのである。 こういってはなんだが、ほとんどの文系生徒は、苦手な数学から逃れるために文系を選ぶ一面があると思うので、社・数選択は名ばかりで、これは事実上「社会必修」という、選択肢ともいえぬ受験要件があるようなものだ。 紙幅の都合で委曲を尽くすには至らないが、詰め込み学習が悪いというなら、以上の合理化も一考に値すまいか。
2024.12.01
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運転免許証ようやく更新、ただし普通免許は取り消してもらう 疲れきって文章をつづる力がない。ともかく、今後は自動二輪免許のみで、買い物などを続けるのみ。ただし、視力検査は不合格一歩手前で、危なかった。我れ、高齢者にして来月誕生日で72になる。ゴールド免許ではあるが、年齢による資格年数の減少措置があり、実に若い人のブルー免許と同じ3年である。現在の買い物の足、ホンダPCX150なお、バイク人生恐らく最後の買い替えとなるスクーターは、ホンダDio(ディオ)110を予定して、記念に新車購入を決定している。無論110とは排気量である。頸椎ヘルニアで衰えた身に、スクーターはありがたい存在。今後近場の買い物はディオ、ドラム・レッスンはPCX150の予定。ホンダDio(ディオ)110 主要諸元全長×全幅×全高(mm) 1870×685×1100シート高(mm) 760車重(kg) 96最高出力(kW, ps/rpm) 6.4, 8.7/7500最大トルク(N・m, kg・m/rpm) 9.0, 0.92/5750☆備考・単位換算目安1kW=1.3596ps, 1 N・m=0.1kg・m例示 6.4kW=6.4×1.3596=8.7ps 9.0N・m=9.0÷9.8=0.92kg・m kW⇒psの1.3596の語呂暗記法1 . 3 5 9 6 は「い・ざ・ご・く・ろー」とこじつける。N・m⇒kg・mについて。高校物理学で学ぶ運動方程式のF=maにおいて、FはN(ニュートン)、mはm(kg)、aはa(m/s2乗)。ここで質量mにかかる重力加速度aは、a=g=9.8m/s2乗で、F(N)をm(kg)に換算するには、F=maの式を変形して、m(kg)=F(N)/a(m/s2乗)で求められる。なお、ネットのページによっては、9.8で割るのを9.8≒10として10で割っても近似値が得られると記すものもある。改めて、9.0N=9.0÷9.8=0.92kg。よって9.0N・m=0.92kg・m。
2024.11.25
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東映動画『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』劇中挿入歌「行こうよみんなのうた」楽譜掲載 2024/03/08開始亡くなった三つ上の兄を思い出すことがかなりたくさんあるのだが、その一つに『音楽』がある。私が小学低学年の頃、これはまず初めに父のハーモニカが私を感化した。母とのいさかいが少なからずあり、母を懐かしく思い出そうとすると、勢い父の悪口の羅列ともなる。だがこの年へ来て、私の趣味あるいは少しうぬぼれて特技となると、俄然父のハーモニカがごく自然に思い出されるようになった。楽器の管理、寿命を考えると多分良くないことなのだろうが、父は風呂に浸かりながらハーモニカを吹いて聴かせてくれた。そう、父や母と一緒に風呂に入るのが、しばらくの習慣だった。また、兄と一緒に入ったこともある。兄弟一緒のお風呂。撮影はカメラを愛用していた父。ハーモニカを吹くのは身体中一通り洗って、湯船に浸かった時で、これものぼせる原因になるが、その時により、カラスの行水ではなかった。もちろん初めの頃は父が吹くハーモニカに聴き入ったのだが、不思議なもので、そのうち、小学中学年から高学年になる頃には、ハーモニカは私のものになっていた。人の吹いたハーモニカを汚いと思うのが普通なのかも知れないが、なぜか抵抗はなく、晴れて自分の所有物になったといううれしさもあり、今度は私が長風呂してハーモニカに興ずることとなった。ハーモニカは今でも趣味の一つ。上二枚は複音ハーモニカ、三枚目が半音ハーモニカ。この頃ハーモニカは学校の音楽の授業でも扱うことがあり、私は「誰でも出来る楽器」と勝手に考えていた。のちに、不得意またはほとんど出来ない人がいることを知ったが、未だに簡単な楽器との印象はぬぐえない。いっときはハーモニカを想う存分吹くために風呂に入るも同然というほど、ハーモニカが楽しみで仕方ないほどだったが、70代に入った今は、湯船に浸かることさえ億劫な時があり、シャワーで済ますことが多くなっている。本題からそれるので、委曲を尽くすことへのこだわりは捨てて、急いで書いてみる。音楽への興味をもたらしてくれたのは、今は亡き三つ上の兄である。兄は中学、高校と、これらの時期に、「行進曲」、「山岳歌曲」などに広く興味を持ち、普通のレコードは高かったのか、朝日ソノラマというメーカーが盛んに出していたソノシートという薄いプラ板のような材質のレコード盤を買って次第に増やしていった。記憶に間違いなければ、ソノシートは近所の書店に置いてあり、それもEPのシングルレコードとは異なり、どちらかというと、直径30cmのLPレコードに近い収録内容で、レコード盤そのものはコンパクトに収まっていたが、収録曲数が断然多く、それも本のようにまとまった書籍風のものに、何枚か、つまり複数枚のレコードが一冊の中にまとめられていて、行進曲つまりマーチならば、マーチ王ジョン・フィリップ・スーザやタイケ、ワーグナーなどの有名なマーチが見事にそろっていて、レコード・プレーヤーで聴けるから、何曲も聴いて存分に味わうことが出来た。光文社の月刊誌『少年』組み立て付録のレコードプレーヤーとソノシート。本物のプレーヤーで聴けたので楽しめた。のちの中学の吹奏楽部のマーチを聴くより早く、既に当時の有名な曲はソノシートで覚えていた。兄の音楽への関心度の高さは見事というほかなく、唱歌・外国歌曲・童謡・軍歌・懐メロ流行歌など、ジャンル分けの必要が不要と言えるほどだった。ポップスしか聴かないという狭さではなかった。メロディーが良いと感じたら、ジャンルを問わず片っ端から聴き入るようになっていったので、同じくハーモニカで曲を吹く趣味を持っていた私も、見事に感化された。兄の音楽への関心度で未だに驚異と感ずるのは、「日本民謡」にも強い興味を持ち、やはりソノシートで日本民謡集を買って興じていたことだ。中でも兄は「小諸馬子唄」をいたく気に入り、今や追憶と共に、私の好きな日本民謡となっている。分けても兄が凄いと思ったのは、劇場映画の有名な曲に敏感に反応したことだった。もっとも、当時は映画会社も作劇以外に主題歌に力を入れていたと思われるので、音楽への興味ひとかたならぬ者は、等しく興味をひかれたのかも知れない。中でも、当時『動画』、『漫画映画』と呼んで親しんだ「東映動画」の長編漫画映画は格別で、長編漫画一作ごとにほぼ必ずと言えるほど、印象に残る曲を随所に流して、私たちもごく自然に、主題歌や挿入歌を印象強く受け止めるようになっていた。早くも記憶がいいかげんなのだが、東映漫画映画公開年から、ある程度類推するしか方法がなく、そのようにつづってみる。御殿場に引っ越したのが昭和35年(1960)の夏休み中。父が自衛官だったのが理由だが、この御殿場市は、それまで住んだ富士宮市よりあかぬけているとはとても思えず、さらに僻遠の地に移るのかと思った。ところがカルチャー・ショックは引っ越し早々の夏休み中に訪れた。富士宮市の大宮小学校では、女子は普通の水着なのだが、何んと男子は局所のみ隠すといういわゆる越中ふんどしの水着をつけるというひどさで、胴回りなどはヒモと言うべきなほど細いヒモだけであり、今婦人が穿(は)いているティーバックよりもさらに過激なスタイルの水着だった。学校の方針に曰くの理由が実に面妖で、「貧しい家の子が海水パンツをはけなくて困る」からというのだそうな。では女子で貧しい家庭の子はどうなのか。実にくだらない規則があるひどい学校だった。さて、御殿場市に引っ越して早々にプール使用可能との情報がもたらされ、驚いたことに、母が既に海水パンツを買ってくれてあった。早速学校が備えているプールに行くと、実にカラフル ! 男女共に目の保養になるほど、様々な水着が目を射る。御殿場小は教育方針が充実していて、小学六年間に続くすぐ隣の御殿場中学での学習にスムーズにつながる高い指導内容だった。中でも感激さえしたのが『映画教室』と称する映画鑑賞の時間を設けたことだった。大きく二種類あって、業者の方々が映写機材共々、鑑賞に堪(た)える内外の劇映画を用意してあって、公会堂と呼んだ講堂で上映が行なわれた形のものが一つ。もう一つは、既に公開年を過ぎたかつての劇場映画を、学校貸し切りで街の映画館で上映して鑑賞させてくれたことで、何日か前から予定が知らされていて、その日は全日授業無しとまで行かなくとも、午前のみあるいは午後のみ映画に費やして生徒にいっときの娯楽を楽しませてくれた。映画館まで教師引率で徒歩で出かけて行った。多分その中には、公開時に映画鑑賞出来る時もあったかも知れない。私が転校して初めて見た漫画映画は昭和34年(1959)公開だった「少年猿飛佐助」で、これは御殿場小・御殿場中学共に同日か一両日のうちにたて続けに上映した。思えば娯楽に飢えてもいたかも知れない。「♪ 力よ力 雲に乗って来い 山の仲間は猿・熊・小鹿 オー 胸に友情瞳に正義 やるぞ負けずについて来い 僕は少年猿飛佐助 オー」の主題歌一番が、タイトルと共に流れたから、もう初めから大感激だった。なお断わっておくが、昨今のストーリー重視が当たり前となったアニメにしか感ずることが出来ない者どもは、このかつての東映動画は見ないほうが良い。昭和30年代の勧善懲悪の物語に意外性を求めるのは筋違いだ。さて。映画鑑賞の興奮を余韻としてみなぎらせたまま帰宅となる。同じく本作品を見ていた兄が改めて作品について語ってくれたような気がする。話術に長けた兄の話は、また一味違う感動を再燃させてくれた。第一、忍術使いの猿飛佐助の名を知らしめてくれたのはほかならぬ兄だった。兄はこれもまた父の自衛隊勤務のために、実に遠方の地、北海道は釧路近くの辺ぴな土地、別保(べっぽ)に引っ越すその時も時、大好きだった祖父の足に両手でがっしりと抱きついたまま、上野駅のその場から動こうとせず、遂に根負けした両親が幼い私だけ連れて汽車に乗るという一大事があったほどだった。兄とは数年後、富士宮市の自宅で再会となるが、懐かしい思い出だ。この祖父が大日本雄辯会講談社(現・講談社)が無償で発行した講談本所収の話に通ずる様々な物語を、幼い兄にほぼ毎晩聞かせてくれた。さよう、かつての年寄りはオートバイになんぞ乗らない、というよりそんなもの存在しなかった。真田十勇士を列挙出来たのは当たり前で、祖父は講談に名高い英雄豪傑、妖怪変化の物語を幼子に語り惹き付けることが楽々出来たのだ。そんな祖父の感化よろしきを得てか、兄は古往今来の古典に明るかった。話術も見事だった。例えば私の小中学時代に忍者漫画がはやった時期があるが、兄は「忍術というのは、今はやりの忍者が苦行の果てに体得した現実的な技ばかりではない」と話し始めた。週刊誌で少年サンデーが人気があり、その中に掲載の「伊賀の影丸」という忍者漫画がヒットしていたが、兄は影丸のかぶる頭巾の不自然さを早くから指摘していた。影丸の頭巾の横からとがった妙なものが突き出ているとの指摘で、これはその通りである。ただしそんなことを言い出したら、漫画史上に名高い「鉄腕アトム」の頭のとがった髪の毛も、極めて不自然に見えるから、これをむきになって非難したら名作漫画がそうでなくなるおそれもある。兄の頭の中にあったのは、かつて子供らの心をとらえ続けた『忍術使い』であり、その術は『忍術』であり、忍法ではなかった。三すくみの原理も巧みに取り入れた『忍術児雷也』を知る世代の人ならば、全面賛成は出来なくても、言わんとするところがわかって下さると思う。兄たちを興じさせた忍術とは、言わば『妖術』であり、難行・苦行を乗り越えるところは同様なれども、免許皆伝の暁には、九字を切るだけで炎を呼び、嵐を呼び、逆巻く波を起こして、見る者を熱狂させた。話はやはり長くなったが、「少年猿飛佐助」が使ったのは紛れもなき妖術だった。だから迫力があってわくわくしたのだ。手裏剣をピシピシなどと投げてなぞいない。「えいっ ! 」との気合いもろとも様々な天変地異を起こして、敵味方共に妖術合戦を繰り広げた。これでは「少年猿飛佐助」の話になってしまう。何しろ楽譜などは基本も何もわかっていない身でテキトーに書くものだから、「少年猿飛佐助」も出来ればいずれ楽譜にしてみたいと思い続けているが、完成譜面の整然さは、望むべくもない。とにかく、数多くの歌謡曲などの楽譜がフリー素材としては存在しない事実がある以上、多少の見づらさは無視してでも、曲がりなりにも『音階』を目で見られる楽譜という形にしたい一心で掲載するものである。この機会にひとこと書いておく。楽譜を金をとって提供するなぞといういやしい商売なぞするな !さて、昭和37年(1962)公開の東映長編漫画映画『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』の劇中挿入歌『行こうよみんなのうた』のただしかなりテキトーな楽譜を掲載してみたい。なお、今回は今までの楽譜作成練習結果を、その都度チェックしてくれていた「ユコタン」こと相棒の夕子殿の、昨今の仕事多忙に配慮して、完成後ごく大ざっぱに確認してもらうにとどめた。これまでの楽譜は、彼女が入念に確認してくれて、現に私の音階の明らかな間違いをも見つけて訂正してくれたこともあったので、安心していられたが、こちらはあくまで趣味なので、今回は「音階」のみに絞ってみていただいた。本作品の「行こうよみんなのうた」は、動画作品中で流れる歌、さらにはかつて販売されたCD全集『東映動画アンソロジー』に収録されたデニー白川氏の歌それぞれに、歌い方の異同があるのだが、ここは思い切ってDVDに流れる『行こうよみんなのうたII』に絞って楽譜作成してみた。蛇足的な話の最後として、この『行こうよみんなのうた』も、私自身、教師引率で街の映画館で見た印象が強烈で「東映動画はいい歌を作るなあ」と、これも興奮さめやらぬ鑑賞後の思いのまま帰宅したところ、三つ上の兄が「シンドバッド良かったなあ。日本の娯楽のいいところはな、我が国の神話、説話はもちろんのこと、世界中の名作を惜しげもなく作品として作ることだ」と言った。兄はその思想既にある意味『保守』であり、それでいて、巷間「名作」と言われる映像作品などは、国家主義――資本主義・共産主義を問わず、いいものを「いい」と認めるにやぶさかでない柔軟さがあった。弟ながら、憧れ、尊敬するのも当然と思うゆえんである。そして、こういう優れた考えを持つ者ほど、天はその生命を早くに絶ってしまうものだとさえ思える。兄はとどめというべきことを言った。「今度も映画の中に流れるシンドバッドの歌がいいなぁ」。こう言って、実に一回見ただけの漫画映画の劇中挿入歌を、ワンコーラス歌いきって聞かせてくれた。それが『行こうよみんなのうたII』だった。いよいよ最後に。我が国音楽界の重鎮と言える音楽家の湯川れい子さんは、当時歌唱のデニー白川氏を評して「ナット・キング・コールそっくりのハスキーな優しい声で、非常に人気があった。言葉遣いが丁寧で、礼儀正しく、慎み深かった」とおっしゃっていた(ウィキペディアから抜粋)。「行こうよみんなのうたI 」この海の底には 神秘があるんだその波の下には あこがれがある行こうよみんな 行こうよみんな月の光の中に 星の影の中に魔の海の幽霊船に現われたたくさんの亡霊に向かって、シンバッドは静かにギターを奏でて「行こうよみんなのうた」を聴かせる。すると、これが霊たちへの鎮魂歌となり、一つまた一つと消えて、とうとう海は明るさを取り戻す。名場面である。「行こうよみんなのうた II 」あの空の下には 幸せがいっぱいあの雲の果てには 希望がいっぱい行こうよみんな 行こうよみんなあの空の下まで あの雲の果てまで『行こうよみんなのうた』作詞 米山正夫氏 作曲 冨田勲氏 歌唱 デニー白川氏〇補足〇この『行こうよみんなのうた』は、劇場公開版と言うべきか少なくともDVDでは、途中から見事な女声スキャットが流れて、歌の品格を高める工夫がなされている。具体的にいうなら、『行こうよみんなのうたII』の「♪希望がいっぱーい」の「望」のところからハッキリと女声コーラスのスキャットが流れて、歌の完成度を高めている。
2024.03.13
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本日は陸軍記念日 2024/03/10開始以下、ウィキペディアから抜粋。★戦前日本では、3月10日であった。これは、1905年(明治38年)3月10日に、日露戦争の奉天会戦で大日本帝国陸軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領して奉天城に入城した日である。1906年(明治39年)3月10日が第1回陸軍記念日である。これに対して同じ日露戦争の日本海海戦で帝国海軍が勝利した5月27日が海軍記念日と定められていた。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲は、この陸軍記念日を狙って実施されたという説がある。★以上抜粋。また、日露戦争の陸戦では、当時世界最強といわれたロシアのコサック騎兵団を破った功績でも名高い秋山好古(あきやま・よしふる)氏がいる。日本海海戦の立役者でもある秋山真之(あきやま・さねゆき)氏の実兄である。秋山好古氏についてもウィキペディアから抜粋する。★青年期の頃から眉目秀麗と称賛され、故郷の松山や留学先のフランスでは女性にかなり人気があったという。しかし、彼自身は「男子に美醜は無用」との価値観を持っていたため、自分の容姿を決して鼻にかけることはなく、むしろ殊更に美醜を気にする考え方を嫌っていたといわれている。★以上抜粋思想的に難があるとの説も存在するが、日露戦争のことや、何より陸海軍とも我が国の救世主とも言える愛媛県松山市の偉大な二人の兄弟の幼少期を含む詳述では見事で、文章も平明で読みやすい司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」。本ブログテーマの奉天会戦を描いた第五巻。秋山兄弟を知るには絶好の一書と思われる。
2024.03.10
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『兄による数学指導』の想い出 2024/01/24開始2003.12.23お兄ちゃんやーい。 加筆訂正再録カテゴリ:数学・数式12月23日 火曜日 天長節あえて固い内容にしてみる。勉強の話である。私は友人を一人も持たぬ者である。むしろまだ世の中のことが何が何だかわからぬ小学校低学年から高学年までのうちは、言いたい放題したい放題をして、友の如き者、更には気楽に話せる特定の女子が常にいたが、中学以来、思想一変したのが原因か、ごく気楽に付き合える友人が一人もいなくなった。休日突如訪ねて来る級友なぞ誰もいない。これより以後、女子と気楽に話すことも出来なくなっていた。横道にそれるが、中一初めの頃、気軽に話しかけてくれる女子が一人いたのに、なにゆえか、休み時間などに、彼女とおしゃべりを楽しもうという気が起こらず、気がついたら彼女でさえ、ほかに親しく雑談などが出来る級友を得て、私は孤立が始まった。記憶が正しければ、彼女は小6の時、同じクラスで、変に飾ったりしないが男女両方から好かれる好印象の生徒だった。私には既に『女性崇拝の念』が根本にあり、この傾向は長じて好色に著しく傾いてゆく。なお、私の思想一変とは、中学入学初めの朝礼の時に訪れた。既に人気投票によって選ばれた学級委員が、教師と隣り合って、ずらり各組勢ぞろいした。日射病ではなく、はっきり目の前が真っ暗になり、同時に後頭部を殴られた感覚を味わった。もちろん痛撃を受けたのではないが、激烈な劣等意識が後頭部を襲った。この場面を錯覚したのが、私の思想一変だった。人は五歳にして既にその人であるとは、幼児教育の創始者、フレーベル(ドイツ)の名言だが、私は性格こそつまらぬマイナスタイプの少年だったが、居並ぶ委員を見て、「この連中は要するに学業成績の優秀さを認められた生徒たちだ」と勘違いしたのだ。己れに出来そうなことはただ一つ。学科の勉強を根気・能力の続く限りやることだった。「そうしたら、次の学級委員選挙では、何かの役職に当選するかも知れぬ」と勝手に思い込んだ。もとより人気投票と知っていたはずだが、今一つの可能性にかけたのである。無論、三年間ほとんど無役だった。これ又鮮明に記憶している。中一初めての学科の勉強を教わった日の夜、勉強しようと思った。ところが何をどうしていいか、全く見当がつかない。その日の授業を振り返ってみた。担任の先生が社会科担当で、軽い気持ちで始めたのか、「地図記号の見方」から始めたことを思い出した。社会科のノートを開くと、確かに書き写してある。発電所・港・桑畑・果樹園などいろいろ書いてある。とりあえずこれを覚えこむことから始めた。数学は本格の内容には入らなかったようだ。三つ上の兄は既に沼津東高一年生であるが、やはり新入生である。中学数学の本格授業が始まった。こちらはまず何から始めたかは全く記憶にない。正の数・負の数あたりが初め近くに位置しただろうか。そして、以前も書いた通り、「文字式」が最初の巨大な壁となった。たとえば「一の位がa、十の位がbの数字を文字式で表わせ」というものがどうしてもわからない。アルファベットを数字に例えることが出来なかった。兄も高校の課程に入って忙しそうである。両親は狭い自衛隊官舎の三間つまり部屋数が三つしかない部屋の二間を兄弟二人に与えてくれた。ただし、からかみ一枚隔ててすぐ、兄弟二人の机が、くっつかんばかりに横並びにしてある。兄を頼むのは簡単なようで実は恐ろしかった。思い切って文字式のことを手ほどきしてもらおうと思って問うたら、「そんなの自分で考えろ!!」という叱責が返って来た。ややあって、一度ピシャリと閉めたからかみが開いて、「どう、見せてみろ」と相変わらず恐い口調だが、兄が個人教授に乗り出してくれる顔をしていた。ただし、叱られながらである。「お前な、中学以降の数学は、算数じゃないということをまず肝に銘じておけ ! ! 小学校では答えを出すための計算ばかりやって来ただろ・・・。何だ、返事ぐらい出来ないのか ! ? 」「うん」「うん、じゃない。はい、だ」「はい」「声が小さい ! ! やり直せ」「ハイッ ! ! 」まるで軍隊である。だが私は挙止整った軍人の動作が実は好きだったので、覚悟を決めて、上官から訓示を受ける部下のつもりになって、従うこととした。「お前な、小学校でやった文章問題のこと、思い出してみろ。あの時、式を作ってだんだんそれを解いて行ったよな」「ハイッ」「その式を書いたところで、それから先一歩も進めないところを想像できるか ? 」はっきり言ってよくわからない。兄は察したらしく、「例えば、一の位が5で、十の位が2の数はいくつかという問題があったとするな」「ハイッ」「お前、はいはいって、声だけはたくましいけど、ちゃんとわかってるのか ? 」「だって、お兄ちゃんが『はいっ』と大きな返事しろって言ったから・・・」「バカヤロ ! ! ま、いい。いいか、教えてくれる人に対して、ふてくさったような態度とったら、金輪際教えないからな。教わる者の態度だけは守れよ」「わかってるよ」「やめた」「あ、お兄ちゃん、言い方間違ったら謝るからさ、俺ここがわからないと、先へ全然進めないんだから・・・」「じゃあ、今の返事言いなおしてみろ」「言いなおすって ? 」「バカか、お前。わかってるよって今言ったろ ! ! そういうのは返事とは言わない。口ごたえというんだ」ようやく私も察して、「あ、わかりました。言いなおします。ハイッ ! ! 」「よおし。じゃ、続き行くぞ。今の問題の答え言えるか ? 」「ええーと・・・25」「小学校ならそれでいい。だけどダメだ。文字式の世界で言うと、それは単に2と5を並べてにーごーと言ったに過ぎない」「・・・」(わかってない)「じゃあ聞くけど2と5はどっちが大きい ? 」「5」「バカ ! ! 25の場合を言ってるんだ。25の2はただの2か ? 」おつむの回転甚だしくのろく、しばし考えるが、ようやく、「あっ、25は20と5だから2のほうが大きいや」「そうだろ。つまりこれは20+5なんだ。もっと進めるとな、20はいきなり20じゃない。2を十倍したものだ。だから2×10だ。それを5と足すんだ。だから全部で、2×10+5だ。どうだ、全然計算なんかしてないだろ」「うん、じゃなかった、ハイッ ! ! 」「よし。じゃあな、一の位がaで十の位がbの数字だったら、どう表わす ? 」既にへとへとである。予想はしていたが、いきなりアルファベットが来たからである。「ちょっと待って。考えるから・・・」「言葉遣い改めろ ! ! 」「あ、しばし待って下さい。ただいま急いで考えますので」本当にまるで軍隊である。ちょっと照れくさいが、私より数段優秀な兄に憧れてもいたので、叱られても、反感を覚えるどころか、軍隊調で行けば必ず助けてくれる兄ということも知っていたから、懸命に言葉に気をつけ、且つこの難題に挑んでもいた。「えーと、b×10+a」「ようし、わかって来たな、と、言いたいところだが、お前は文字式の決まりを怠ってる。よく考えろ ! ! 」「ハイッ ! ! 」ここまで来てようやく気がついた。答えた。「10b+a」「よし。もう一度言うぞ。その正解よくみてみろ。計算してるか ? まるで式そのものだろ ? 」「ハイッ」「お前、返事は良くなったけど、何かほかの言葉しゃべってみろ」「ハイッ、その通りです ! ! 」実はこのあたりから、突如脳中に何やらはじけるものがあり、以後、方程式のむつかしい文章題でつまずくまでは、文字式問題がスラスラ解けるようになった。だが兄は私を操縦することも巧みである。「なあ、ひろ(私の呼び名。厚和と書いてひろかずと読む。そんなこた、どうでもいいか)、腹減ったな」「うん」。ここからは軍隊式でなくとも良い。だが私は空腹ではない。要するに兄が即席ラーメンを作ってくれと、言っているも同然なのである。「サッポロ一番でいい ? 」、「おお、いいな」。現に母がサッポロ一番の即席ラーメン(味噌・塩・しょうゆ)味三種類を常備してくれていた。好みは人それぞれだろうが、このサンヨー食品のサッポロ一番は今なお台所に用意してあり、私たちはサッポロ一番が文字通り一番おいしいと認めていた。さて私は、返礼の意味もあるから、かいがいしく働く。湯の量など、兄の好みも既に知っているから、取っ手のついたナベで、手際よく作ると、盆にナベ敷を乗せて、そこにラーメンのナベを乗せ、すぐに兄のところへ持っていく。直接ナベで食べると、スープを飲むのにヤケドしそうになるから、大きなスプーンも忘れず用意する。「おお、サンキュー。いつも悪いな」と言って、ハフハフ言いながら兄はおいしそうに食べ始める。なお、これも忘れぬうちに書いておくが、兄弟二人の学習時間中、毎晩工夫して夜食を用意してくれたのは母だった。この工夫はかなり手間をかけていて、即席ラーメンではない様々なおやつを二人に提供してくれた。何らかの原因で、私が兄の夜食を作ることもあったが、恐らくいつもの夜食のほかに、遅い時刻に兄一人が食欲を感じることがあったものと察しられる。中高の都合六年間、ほぼ欠かさず作ってくれた。この時代、『主婦』といえば、今でいう専業主婦をさした。外へ仕事に出る婦人は「兼業主婦」と呼んで、一段低いものとして見下していた。ただし、我が母は、いざという時のために女も働けるようにすべしと心得ていて、パートがあれば比較的近所のオフィスに赴いて仕事をし、パートがない時は、夜、ほとんど常に内職仕事をしていた。何回も書いたが、この兄の存在がなかったら、つまり兄が凡庸な頭脳で、スポーツにうつつをぬかすばかりの俗物だったら、今の私は存在せず、せいぜい御殿場南高程度で終わり、人生が大きく変わっていたのである。月刊誌「少年」の面白さを私に伝えてくれたのも、ゴジラの凄さを伝えてくれたのも、ほとんど、語り口巧みな兄である。その兄も、私が何とか教授業で糊口するようになると、私を対等に扱ってくれるようになった。かつての恐さがうそのようであるこの昭和50年代当時、私は兄より先にあの世に行きたいと願っていた。兄は大学理科系を目指していながら、歴史物語や我が国古典の妙を語り、興じさせてくれるのだ。この兄が先に逝ったとしたら、今度こそ凄まじい神経の病が再発して、私はダメになるに違いないと確信していた。身内自慢で終わったようにみえるが、私の気持ちとしては「お兄ちゃん、大好きだよー」という本心を吐露したつもりである。持論として私は可能ならば、数学・物理学・化学を戦力として国立大学理科系学部を目指すべしと考える。私が押しの強い危ない男と見かけだけ親密になってのち、この男の本性の恐ろしさに気づいた時、私を一喝し「いいか、ある年齢になったら、男が男にほれては危険だ。それは任侠の世界につながるようなものだからだ。そんなヒマがあったら、女にほれろ ! ! 女にほれてうまく行くと、所帯がもてる、子供に恵まれる。所帯を持てなくても、交際相手がいる生活が格段に楽しいものになる。女にはとことんほれろ」と、諭してくれたのも兄である。こののち、例の「もちや」(富士宮市あさぎり高原)が縁で一人の女と付き合うこととなる。残念ながら、兄は昭和63年(1988)暮れの会社の健康診断で、白血病が見つかり、およそ七年の闘病ののち、急性転化して世を去った。そして私は神経症が再発し、食べ物がのどを通らなくなって衰弱、入院加療で当時の処方薬に効き目があり、何んとか回復したが、この内服薬の離脱症状でせん妄という精神症状を起こし、閉鎖病棟の精神病院に入院することとなった。兄、もしも先に逝くことあらば、私は無事では済まぬだろうとの予測は当たった。目下はずいぶん軽くなった薬の常用で普通の生活を出来るまでになってはいる(富士市内の精神病院通院中)。だが、尊敬、憧憬の兄は既に平成七年、1995年に旅立って、兄のいない生活のむなしさだけは常に感じている。「いいヤツほど先に逝く」と、戦時中の将兵が言ったそうだが、私にとって兄がそのいいヤツに当てはまる。生業(なりわい)がなければ人は自活してはいけないが、私の場合、自惚れに思われるかも知れないが、中高時代に学科の学習をある程度習得したことが、のちの身入り(みいり)のある程度の良さにもつながった。逆に高校時代など、好きなドラムを何が何んでもやろうとしていたら、今の生活は存在しなかったことは間違いない。今、2019年2月から始めたドラムの進展がはかばかしくない。つまりドラムという楽器も、道は遠いということだ。ただし、このドラム・レッスンは講師の先生の人柄にも助けられて、何んとか続いている。★追記事項★高3のある時、自身も進路を確保すべき重大な時期にあってなお、察しの悪い私のために、学習時間を割いて解いてくれた大学入試問題。この解説は等比級数の初項と公比だけが書いてあるが、無限級数問題でこの二つが明らかになれば解答出来たも同然。のちに学習塾をやった時、ほぼ同じとみてよい類題を確認して、当時の兄が正しかったことを確かめた。
2024.02.29
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奉祝 ! ! 天長節(天皇誕生日) 皇紀 2684年(2024) 2月23日 今上(きんじょう)陛下のお誕生日を心からお祝い申し上げます。
2024.02.23
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特撮に感化されたリケ女(りけじょ)の名推理 2024/02/14開始村松「こ、こんにちは」夕子「何よ、どもったりして」村松「ケータイも固定電話と同じで放置に近いから、今回は偶然近くにいて良かったって思って」夕子「あ、なるほど。ね、無理強いはしないけど、良かったら来ない ? 」村松「喜んでお伺いします。ではスクーターで」・・・・・時間経過・・・・・夕子「今年二回目ね、いらっしゃい」村松「あ、ああ・・・おじゃまします」夕子「こないだはほんっと、物足りなかったもん」村松「あんまりあっさりしてたから、電話ってことにしたしね」夕子「ほうらまた、ウソが始まった」村松「俺、こないだは電話で済ましたかなぁなんて思ってたからね。困ったおつむだよ」夕子「あ、そうそう。最近のブログ、長編で良かったよ(「太平洋の翼」)。あなた、操演がわからないなんて言っときながら、とうとうそれもていねいな解説付きで掲載したもんね」村松「一番っていうか、唯一きけるのがお前なんで、意見訊きたいって思って」夕子「あたしは劇中からよく見つけたって感心したもの。ドッグファイトシーン相当観察したよね」村松「ほぼ半月かかったからね。じゃあ夕子の意見はオッケーってこと ? 」夕子「ええ。特撮全史の解説にも全く同じ写真があったしね」村松「そうか。それで調子に乗りついでと言っては何んだけど」夕子「まさか・・・あたしに ? 」村松「あの映画のヘルダイブ・シーンは、いわゆる編隊からの離脱姿勢にはなってないような・・・」夕子「言ったわね」村松「いや、仮にも昔から世話になってる天下の東宝を非難するつもりなんてないよ。だいいち、今回アップしたヘルダイブだって、正確さには自信はないしね。でも、頭のいい夕子にズバリきいてみようと思ったんだけど、あ、あの下手なイラスト持って来たんで」夕子「謙そんして、けっこう良く描けてるじゃない」村松「かたじけない。それでききたいのは・・・ま、まさか夕子」夕子「言っとくけどね、あなたが掲載したブログがヒントなのよ」村松「またか・・・。やっぱりお前はリケ女(りけじょ)だ。応用できるんだなぁ・・・」夕子「あたしの考え方の基本は、言わば思考の回転。あなたのブログ読んでから、飛行機の吊り方のパターンを考えてみたの。どうしたの ? 」村松「なるほどと思って感心したんだよ」夕子「あなたの言わんとするところ、わかった気がする。ただし勘違いでなければね」村松「きかせて」夕子「このイラストの構図で離脱機がダイブすると、あなたが――多分だけど、初めに想像した通りの画面になるよね。どお ? 的が外れてない ? 」村松「全くその通り。何んだか昔、興味なかった夕子を感化しようとした頃を思い出した」夕子「あなたが技術的な話をしてくれたから、その仕組みに興味が出たのよ」村松「本当に意気投合出来る相手は、一生涯に現われるかどうかって感じだけど・・・夕子は俺たち所帯こそないけど、こういう形もいいんじゃないかって」夕子「あたしの株上がったのね」村松「だって、人の話に興味は向けても、それ以上のことに心を向ける相手なんて、まずいないだろ。夕子は未だに奇跡に思える」夕子「ありがとう。それでね、このイラスト、スキャンさせてくれる ? 」村松「ああ、いよいよだね」・・・・・夕子「さてと。あなた、一機ずつ飛行機を描いてるのは、図を簡略化するため ? 」村松「うん。その通り。あ、そうか、一機しかないのに編隊機じゃあおかしいよね。あとでフォトショップで、字幕をつけとくよ。なーんちゃって、ブログ掲載の時は俺の自宅だから、いつもの合理化で、今アップしてるような図になってるんだね。あ、もちろん夕子はそんなタイムラグなんか気にしないでいいから」夕子「上が編隊機で下が離脱機だから、ピアノ線はえーと・・・」・・・・・夕子「ほら。ね。あなたが描いた操演との違いを考えると、編隊機の吊り方かな。ハッキリ言って、編隊機と離脱機の吊り方自体は同じと思ったの」村松「ああ、なるほど。じゃあ編隊機は基本、姿勢を変えずに固定ってことか」夕子「ええ。もちろん全機が翼をバンクさせて急降下ってことも可能だけど、離脱機を何機か決めたんじゃないかって」村松「スゴい。もう解決だな。正直もっと考えるのかって思ってた」夕子「調子が狂った ? でさ、話をエスカレートさせて悪いんだけど」村松「いや、かまわないよ。ナニ ? 」夕子「あなた、まだUFO模型、完成してないでしょ」村松「うん。模型で一番苦手なのが曲がっているところ。つまり曲面。それさえ出来れば、先に進めると思うけど」夕子「あたしが言おうと思ってたのは、UFOの、というより円盤型飛翔体のメカニズムとか可能性」村松「夕子は円盤型飛翔体の存在可能性から、反重力肯定派だものね」夕子「あなたの篤志(とくし)的な性質の尊さを否定するつもりはさらさらないのよ。あたし、この機会にあなたの奉仕の精神を称えておくけどね、まずシングル・マザーの家庭や家計で苦労している人々への支援として毎月一万円を寄付してるでしょ」村松「まあ、無理だったらとっくにやってないけどね」夕子「それにウィキペディアに毎月一定額の寄付もしている。ホントはまだあるけど、遠慮しておくわ」村松「いや、かまわない。『チェンジオルグ』という怪しい組織。退会手続き困難にしてあって、クレジットカード更新するしか方法がないけど」夕子「まあいいやなんでしょ。お人よしなのよね。あなた、学歴や学術知識のことで誤解されることもあるけど、本当は気持ちが優しいのよね」夕子「話を戻すけど、私たち人類が今手にしている交通手段は、陸海空に見事に分かれて、それぞれ発達、進歩しているわ。でもね、当たり前のことだけど、車で海にダイブしたら事故になるよね。航空機は飛ぶ機能に支障をきたしたら、墜落するおそれがある。船舶も水に浮いて進むものは、何かの事故で浸水したら沈んで、たちまち溺水地獄よね。わたしは今の交通手段は、技術進歩のあるレベルにとどまってるだけって思うの」村松「スゴい ! 夕子が科学的なことしゃべると、一気に段落が進むよ。今の話で連想したことなんだけど、俺がいっとき趣味でやってたロケットさ・・」夕子「いい話が出たわね。そうそれよ。今の科学を見下すつもりじゃないけど、ロケットの推進原理って、ある意味、車などのレシプロ・エンジンより単純ってムードがあるよね。もちろん、実際は極めて複雑で、ロケット打ち上げが成功か失敗かで今でもニュースになるほどだからね。まさか車やバイクで発進成功なんて聞かないものね」村松「スゴい ! 」夕子「あ、ごめんなさい。本論に入るね。要は今の乗り物は基本、燃料の爆発による推進力ってこと。このまま行こうとする限り、交通機関の発達は期待出来ない。でも、『反重力』を科学的に否定したなんて公言してるくらいだから、人類も余り発達に望みは持てないよ」村松「同感。ネット見ても、円盤型飛翔体の飛行原理を否定して、さらに円盤型飛翔体そのものの存在をも否定したい奴らでいっぱいって感じ」夕子「どうしても否定するのなら、アメリカ国防総省が認めた空中現象の正体を見事に否定してもらいたいわ。まあ否定に徹底する人の脳みそは、とにかく全面否定に凝り固まってるから、相手になるだけ疲れるだけだから、あたしは無関心を装うけど」村松「そうだよね。ジェット機やロケットだと、噴射ガスの高温部が写真に写るけど、円盤型飛翔体は熱を出さずに飛行してるよね」夕子「それにね、熱源の有無ばかり言うのも変なのよ。もし空中現象が光線、ビームを発射するとしたら、その光線は多分熱を出すかも知れないでしょ。もちろん・・・・・ごめんなさい、ここで熱くなっても意味ないよね。それより、わたしはUFOって呼び方、好きじゃないわ。出だしの未確認っていうの、そろそろ確認済みなんじゃないかって思えて」村松「それ同感。俺、この会話で余りUFOって言いたくないな。元々は空飛ぶ円盤って言ったし、英語でもフライング・ソーサ―って」夕子「そうよね。でね、結論急ぐとね、この円盤型飛翔体は、燃料噴射無しで、しかも自在に飛行するでしょ。これは交通機関、あえて横文字使うと、『vehicle(ビークル)』の技術は今のところ人類は陸海空に分けた使い方に限定されてるけど、円盤型飛翔体が造れるようになったら、車のような車輪は要らなくなるし、飛行機の翼も不要になるし、水に浮くという船舶の浮力の考慮も要らなくなるのね」村松「凄い交通革命だよね」夕子「そう思うよ。ただ不便なものをあえて趣味性で残すこともあると思うし、円盤型飛翔体の欠点を指摘するなら、常に浮いていなければならないことかも知れないわね」村松「以前、夕子に飛行機の浮く原理を教わったこと思い出した」夕子「ごめん。わたしの知識なんてほんの一かけらだけ。偉そうなこと言えないわ」村松「でも、例えばクマンバチが飛べる原理なんかも、ようやく解明出来たのはごく最近だっていうし、原理の一部か基本を知るだけでスゴいと思うよ。第一、海外旅行へは何度も出かけるけど、旅客機の飛行原理は知らないってヤツがおおぜいいるよ。まあ、知らずとも旅行は出来るって言い返されればそれきりだけどね」夕子「ああ、それあったね。わたしは好奇心が強いのでしょうけど、一通り知りたいって思いが全くないと、進歩も発達もないと思うけどね」村松「夕子が大変だろうから今回は差し控えるけど、ホントはごく簡単にでも講義して欲しかったけどね」夕子「ごく乱暴に定義するとね、今の航空機の飛行原理、手段は、プロペラの回転で起こる風を利用するか、ロケットのように、燃料を狭い半密閉室内で爆発させて、その時の反作用で飛ぶものとに分かれるの。プロペラも噴射ガスも、重力という未だ解明されない力にどれだけ逆らえるかで、機体を浮かせているの」村松「なるほど。でも俺は『揚力』というものを余り理解出来てない。あのさ、よくものの本の解説に載っているのって、飛行機の翼の断面図があってさ、その翼の形が上側と下側にカーブの差を見せて、それで風の流れの速さにも差が出来て、その分揚力を生むっていうようになってるけど、小さい頃よく飛ばしたグライダーなんか、別に翼の上と下で形を変えてなんかなかったように記憶してるけど、これどこか間違いかな・・」夕子「飛行機の翼の形で説明している文献のことは、思い切って余り意識しないでいいと思う。これは飛行機械である飛行機の主翼の形を工夫することで、揚力を効率良く発生させるためと考えればいいの。で、あなたが言ったグライダーだけど、主翼はただの平らな板でもいいのよ。これウィキペディア見るとわかるけど、これもかなり乱暴に言うと、飛行機の飛ぶ原理は完全には解明されていないと思っていても、間違いじゃないの。大学入試で物理を選択して合格したあなたに対して失礼な言い方だったら、ごめんなさい。多分だけど・・・あなたが力学で使った『抗力』というのは、うるさく言うと『垂直抗力』なのよ」村松「平面上に、いや正しくは水平面上にか、水平面上に置かれた物体に働く力について、最初に学習したんだろうけど、力がどこにどれだけ働くかなんて基本から学ぶことをしなかったし、高校の物理では問題を解くための力を矢印で書き込むことばかりやってたからな」夕子「でも大学を目指す高校生としては正しい姿勢だと思うよ。それで横道にそれるけど、その時もお兄さんの指導が見事だったって聞いたけど」村松「うん。まず俺一人じゃ、何も出来なかった。兄は一つの物体に働く力を水平と垂直方向に分けて、すべて書き込めって教えてくれた」夕子「ろくな学習もしないで、テキトーに文系大学に流れていく生徒が多いからね(文系の方々ごめんなさい)。こないだどこかのサイトで聞いたんだけど、国立大理系行く人は、大学進学者のうちのほんの一握りだって」村松「まあ、データとしてはそうだろうけどね、でも俺に言わせれば、夕子のように英語などの文系科目必修のせいで、国立理系断念せざるを得なかった優秀な人がいる、現に俺の眼前に存在してるのも事実」夕子「やだ、照れるわよ」村松「夕子は企業にまさしく大いに貢献した。心臓が文字通り止まるほどのめにあっておきながら、たいしたもんだよ」夕子「いやだ・・・恥ずかしい・・」村松「恥ずかしい行為も抜群に好きだしね」夕子「こら、お下劣でオチってこと・・・」沼津市の自宅近くで数年前の夕子56歳
2024.02.21
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