2010/03/24
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○神のことばである聖書が教える真理は、人間は、何かの良い行いや慈善や修業をしたり、難行苦行をしたりしなくても、戒律や規則を守らなくても、念仏を唱えたり、多額の献金を差し出さなくても、何かの組織や団体に入らなくても、信じる者が救われるのです。多くの新興宗教は、お金を何らかの形で要求したりすることがありますから、要注意です。聖書は信じるだけで人は救われると教えているのです。もちろん、クリスチャンは良い行いをしなくてもいいとか、そういうことを言っているのではありません。クリスチャンは、救われるために何かの良い行いをするのではありません。救われた喜びをもって、感謝の心から良い行いをするようになるのです。これは、すべて神様の恵みなのです。「善人が死んだら天国に行く」というのは、少なくとも聖書の教えではありません。

 では、一体何を信じるならば、人は救われるのでしょうか? それは、すべてのものを創造された唯一の本当の神様が存在されること、そして、その神が、ご自身のひとり子であられるイエス・キリストを遣わされたこと、さらにキリストが、あなたと世界中のすべての人々を救うために十字架の上で身代わりに死んでくださったこと、そして、キリストは死後三日目によみがえってくださったことを信じるのです。これらのことを、ただ信じるだけで、あなたは救われるのです。聖書は確かにそのように教えています。聖書は神の啓示の書であり、全幅の信頼をもって信じるべき書物であると私は堅く信じております。

 それでは、一体何から人は救われるのでしょうか。それは、この世の罪の生活と死後のさばきである地獄(永遠の火の池)からの救いなのです。多くの方は、救いと言いますと、病気が治ること、心が安らぐこと、良い職場で働き、また人間関係もうまくいき、仕事が順調に進み、家庭の諸々の問題が解決すること、受験に合格し、よい職場に就職でき、経済的に裕福になることなどを考えられると思います。しかし、これらは、本当の救いではないことは明らかです。これらのものが与えられたとしても、人生の最後には、すべての人に平等に必ず死が来るのです。キリストを信じることは、そのようなこの世のご利益宗教とは全く異なるものです。

 すべての人に死の日は、確実に迫っているのです。そして、申し上げにくいことですが、間違いなく、あなたも必ず死ななければならないのです。そして、死後、神の前で、あなたが生きている間に犯した罪(悪い考え・自己中心・うそ・ねたみ・高ぶり・そねみ・暴力・姦淫・偶像礼拝)などが明らかにされ、その刑罰として、永遠の苦しみを受けることになります。この地獄から救われることが本当の救いなのです。ただ、地獄に行かないだけでなく、天国にまで入れてくださるというあり難い救いなのです。そして、この救いを受けるなら、死に対する恐れから完全に解放され、何があっても変わらない本当の喜びと、希望を持つことができるようになります。では、なぜ、ただ信じるだけで救われるのでしょうか。

 それは、神がご自身の御子を通して、その救いのみわざを完成してくださったからです。神は聖よく正しい方ですから、罪人であるあなたをさばかなればなりません。しかし、神は愛であり、あなたを愛しておられ、あなたを裁きから救おうとされました。そこで神は、ひとり子のイエス・キリストを遣わされ、この方が、十字架にかかって、あなたの身代わりに、罪の裁きを受けて死んでくださいました。このことによって、あなたの罪の裁きは終わりました。神がすべてをしてくださったので、あなたは救われるためには何もする必要はないのです。この救いを受けるのに必要なことは、ただ心でキリストを信じることだけなのです。

 「本当に、信じるだけで救われるのですか?」と聞かれる方が多いのですが、神の霊に導かれて書かれた聖書がそのように語っているのですから、その通りなのです。これは、あくまでも信仰の問題であり、理屈ではありません。「あなたは、そう断言するけれど、その証拠は一体どこにあるのか?」と反論されたり、疑問を投げかけて来られる方もおられます。でも、これは、繰り返しますが信仰の問題です。そして信じることも信じないことも自由であります。私は、このブログで、自分が正しいと信じることを発信していますが、これを読まれる方に無理に信じて下さいとは言っていないのです。人が何を信じるか、それはその人の自由であります。しかし、その人が何を信じたか・・・・その結果はやがて必ず明らかになる時が来るのです。

 イエス・キリストが十字架の上で、息を引き取られる前に、「完了した。」(ヨハネの福音書19:30)と宣言されました。神が私たちに求められるすべてをキリストが完成してくださったので、私たちはそれに加えて何かをしなければならないということは何もないのです。よく救われるためには何々をしなければならないとか、たとえば善行を励むとか修養、努力をしなければならないのではないかと言われますが、決してそうではありません。もしそうであれば弱い人間は救われることができません。神はすべての人にただ信じること(キリストが私たちのために十字架上ですべてを成し遂げてくださったことを信じる)によって救ってくださるのです。

 では、救われてクリスチャンになるには何をすればよいのでしょうか。クリスチャンになるには次の二つのことが必要です。まず、一つは自分の罪を聖よい神様の前に告白してその罪を悔い改めることです。もう一つは神の御子イエス・キリストが自分自身の罪の身代わりとなって十字架に死んで罪の赦しを与え、復活していのちを保証してくださった救い主であることを信じることです。約2000年前に十字架に架かられて死んで三日目によみがえられたという歴史的真理を自分の個人的な救い主であると信じ受け入れることによって救われるのです。すなわち悔い改めと信仰によってクリスチャンになることができるのです。



 ・・・・・hope to see you again・・・・・

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最終更新日  2010/03/24 06:01:51 AM
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