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それはそれとして、来場者アンケートが例によってあるようです。 アンケートへのショートカットはこちらにあります。↓ https://www.lfj.jp/lfj_2026/news/2026/05/03-02.html 有料公演のプログラムにもQRコードが付いてます。そちらからも行けるようです。 期限は5/19(火)までだそうです。 サイン色紙が貰えるそうです。もらったことないけど。なにしろ10名様だし。 最初の方で「ご意見を...」って項目があるのですが、自由記述はそこだけなので、書きたいことはそこでぶちまけましょう(笑) 私は「どうせ後でも出てくるだろう...」と思って軽く書いたらそれでおしまいでした.....
2026年05月10日
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で、例によって総括なんて書いてみるわけですが。 今回の開催報告が上がっています。 https://www.lfj.jp/lfj_2026/news/release_LFJ2026.pdf 来場者数19万人、内国際フォーラムへの来場者が15.5万人。有料公演は90公演で、10.5万席のチケットに対し実販売率は79.2%。2割以上売れ残ったという話になります。 これは、去年とそれほど変わりません。コロナ明けの2023年は規模も小さく、動員人数は2024年以降そう大きく変わらず。販売率は約9割から落ちて来ています。過去の実績はこのリンクから見られますが、確かに、かつての動員100万人という話からは程遠いかなと。 ただ、率直に言うと、数字以上の変化を今回は感じています。と言うのは、肌感覚で、人が少ないんですよね。恐らく、滞留している人が少ないんです。 顕著なのが夕方以降の人出。以前のLFJは18時過ぎてからが本番、みたいなところがあって、その辺から3本聞くのは当たり前、みたいな勢いでした。それはお前だけだろう、てな話はありますが、それにしても、夕方以降も熱気があって、地上広場も地下展示ホールも、周辺含めて人出があって、屋台村で何か買って食べようとしても座るところが全然見つからなかった。 今年は、18時過ぎくらいには、潮が引くように人がいなくなって、地上広場のキオスク裏の会議室のテーブルみたいなのを並べてるところは殆ど人がいなかった。まぁ、こっちはそれで助かってるわけですが、それにしても。 昔と比べて、なんとなく滞留しようという雰囲気になってないのは感じます。こちらは公演聞きに行くからお構い無しではあるんですが、そういう、いわば「雰囲気を楽しみに行く」的なライト層が抜け落ちちゃってるし、来ても滞留してない感じですね。 確かに見て回ろうというものが少ないのは確かです。加えて、地下展示ホールは有料公演のチケット持ってないと入れなくて、まぁそのシステムは理解は出来るし仕方ないんですが、そうすると、試しに寄ってみた人はどうしようもない。ただ屋台村があるねぇ、で終わってしまう。その屋台も高いですからね、最近は。 一方で、会期中にも書いたけれども、皆さん健全化しているのかなとも思います。夜遅くまで聞いて回ろうという人が少ないのかも。 正直言うと、日頃のコンサートでも感じるところだけれど、今の日本のクラシック音楽市場は相対的にすっかりシュリンクしてしまっているし、そもそも音楽界全体に音楽として耳目を引く存在がいなくなってしまったし、だから、多数に訴えるものが減っているのは分かるんだけれども..........厳しいですね。 いつも言うことだけれども、やりようはあるとは思います。ただ、今までのようにはいかないでしょうし。やっぱり、「LFJとはどういうものなのか」を再定義しないと長続きしないと思います。 いろいろ意見はあるとは思うけれど、やはり私はアクセスのしやすさをもっと訴求していいんじゃないかと思っています。ただ、それも色々難しいんですよね、確かに。というのは、私のような古い人間が見ている世界と、今時の若い人が見えている世界とでは、見え方が違うと思うのです。この間、CDが売れない話を書いたけれども、音楽はパッケージで聞くものと思っている私みたいなのは全体数で言えばもう少数派で、当たり前にネットで聞くもの、という人が圧倒的に多いのでしょう。確かに、中途半端に沢山CDを持ってる私のライブラリーよりも、ドイツグラモフォンのアーカイブにサブスクリプションでアクセスして聞いて回る方が合理的です。どうせ全て聞けないんだし、と思えば。 LFJの会場ではCDはサイン会へのエントリーチケット同然に機能していて、でも多分それは割と一般的なもので、CDはもうただのグッズの一つでしかないんでしょう。音楽そのものではなくて。 だからこそ生で聞く、現場で聞く、ということに価値が再発見されているのだとは思うのですけれどもね。ただ、そうした時に、今のLFJはちょっと色々な意味でアクセスしにくいんじゃないかな、という気はします。チケット代もそうだし。一方で、結構空席もあるようで、例えば唯一聞いたホールAでの最終日最終公演、もうホールAはB席でいいかな、と思ってB席買って行ったのですが、行ってみたら2階席の前側、A席のエリアだと思いますが、ガラガラ。後で聞いたら1階席も後ろの方は結構空席があったようで、B席も満席ではなかった様子。初日に聞いたホールD7の最終公演も当日まで席が残ってたし。多分売れ残ったんじゃないですかね。確かに「映画にインスパイアされた即興演奏」を夜9時過ぎからやる、というのは、ガチ勢にもライト層にも響かなかったのかも知れないですけれどもね。そうしたことの積み重ねとしての販売率8割なんだと思います。 なんかね、去年と同じで、ただ、盛り上がってるのか?というのは悩ましい気はします。運営はしやすくなってるんでしょうけれど、結果低調なんだとしたらそれはそれで問題だしね。 今年はマルタンがトラブってて日本に関われなくて、勝手にやってる感じですが、その辺も来年以降に影響しないか気になるところではあります。ただ、こういう状況を総じて言うに、今の状態って「やめちゃおう」って思ったらやめられちゃう状況でもあるのかな、とは思いますね。そういう意味では静かな危機感も無きにしも非ずです。
2026年05月10日
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もう9日の夜なんですけどね。4日も経っちゃった。まぁ、一部では、まだGW説もあるそうなので、いいか........(?) 今年よかったもの、ですが、実はちょっと書きにくくもあり。いや、いいと思ったものが無かった、てなことではなくて。正直、チケット発売の頃はどうなることかと思ったけれど、実際聞いてみたらそれほど悪くもなかった。 じゃ何が書きにくいかというと、私としては、一番よかったと思ったのは、演奏じゃなかったから。公演番号234、2日目の15:30からのホールD7での、ピアノ広瀬悦子・サンドアート伊藤花りんによる、グラズノフのヴォルガの舟唄とムソルグスキーの展覧会の絵の演奏に乗せて展開されるサンドアート。そう、サンドアートなんです。これは2日目のところでも書いたんですけどね。 サンドアートってどうするの?という話ですが、演奏はまぁピアノで演奏されるわけで、これは説明不要ですね。で、サンドアート、これ、私は初めて見たのですが、要は机の上で砂で絵を描いていく。それをホールD7のスクリーンに投影しているわけです。その「砂で絵を描いていく」が実に見事。凄かった。 展覧会の絵。皆様ご存知ですよね。導入の「プロムナード」に続いて、題材となった絵の題名が曲の題名となっている。この各曲の演奏に合わせて、砂絵を描いていく。演奏時間の中で。しかも、ほぼ演奏終わりと同時に絵が完成している。そしてそれを惜し気もなくさっと消して次の絵に行く。まぁ、確かに、砂絵ってそういうものなのでしょうけれど、思わず「勿体無い...」と思うくらい見事な完成度。しかも、聞きながら過程を見ているので、それを逆手にとって、描いた部分を更に上書きしながら見せていくことで、見る側は時間の経過と共にストーリー性も持って見ることが出来る。 サンドアートってこれが普通なの?と思って調べてみましたが、こういうのはあまりないのか。この伊藤花りんという方、ライブ配信もされているようですが、こういう風に曲に合わせて絵を描いていくというのはあまりないのではないかなと。しかもリアルタイムでそれぞれの絵を完成させていく。流石に即興ではないでしょうし、予め部材を準備したり - 絵の額縁のようなものは準備されてましたけど - 、殻のついたひよこが踊るやつは手で部材を踊らせたりとか、まぁ、ごく一部はそういうのもありましたけど、そもそも砂絵が見事で綺麗。それを曲に合わせて、つまり数分で作り上げていく。それを十数曲続ける。タフですよこれは。 KAJIMOTOの社長さんがいたので、思わず「これ凄いですね」という話をしたのだけれど、他にもネタはあるそうです。来年もLFJやるなら出てくるんじゃないでしょうか。というか出て来て欲しいし、みんな見てほしい。 まぁ、申し訳ないのは、だから、もう絵に神経行ってて、演奏はあまり覚えてないんですよね。悪くなかったとは思ってるけれども。 そう。演奏じゃないところが私の今年のNo.1なんですよね。これが問題。 だからって、他がダメだったとは言わないですけれどもね。レ・ミュジシャン・ド・サン=ジュリアンは面白かった。古楽器というより民族楽器という方がいいような面々。ツィンバロンやミュゼット、テオルボなんかも入れながら、コットンクラブでの演奏も合わせれば、16世紀から19世紀、うっかりすると20世紀までの音楽をカバーしつつ、クラシックというより民衆音楽寄りの音楽を演奏していった。結局私はコットンクラブも含めて3回聞いたのですが、これは当たりだった。 もう一つ、アンサンブル・マニェティス。こちらはソプラノとメゾを擁して、カルダーラ、ヴィヴァルディ、シューマン、ワーグナーを小編成で聞かせるというプログラム。まぁ、評価は分かれるところかも知れません。流石に粗いところもありますし。でも、面白いという意味では十分評価に値するもの。ちなみに、レ・ミュジシャン・ド・サン=ジュリアンはαレーベルに録音が結構あるのですが、マニェティスは調べたところどうも録音はないらしい。だから、サイン会も無し(笑) なんでも出来そうな人達なので、来年も来てくれるといいんですけどね。 あとも色々ありましたけどね。ただ、自分が選んだものがそういうものだったから、というのはあるにせよ、ある意味オーソドックスなもので、これは、と思ったものはあまりなかったかな。 伊藤恵と北村朋幹の2台ピアノでの春の祭典。この曲は、LFJで、小曽根真と確か児玉桃、そして確かアルゲリッチと酒井茜の組み合わせで聞いた覚えがあるのですが、この2組がオーケストラ版に寄った、華やかで賑やかな演奏だったのに対して、こちらはいわばこの曲の骨格を露わにするような演奏で、興味深かった。 公演番号137、初日D7の最終公演、ジャン=バティスト・ドゥルセの、映画にインスパイアされた即興演奏、これは面白かった。アルバムで取り上げていない「ロスト・イン・トランスレーション」は、多分、日本人のこちらが捉えていたイメージと、そうでない日本人以外が捉えたイメージとの落差が面白かった。勿論他の映画の即興も面白かったけれども。 あとは、3日目のケフェレックのリサイタル。最後まで拍手は無しで、プログラムも追わずに聞いてくれ、散歩にでも行くように、と弾き始めての半ばくらいでのバッハのBWV147のコラール。ケンプ編の聞き慣れた音楽ですが、妙に心に残りました。久しぶりに聞いたからかな。 こんなところですかね。まぁ、終わってみれば、なんだかんだ楽しんだなという気がします。
2026年05月09日
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で、大体は、次の日からやれあれが良かったのこれが良かったのって話を書くのですが、今回、ちょっと思ったことを。実はこれ、LFJに限らず前から思ってることでもあるんですが。 このところ毎年展示ホールに新星堂が出展していて、CDとかDVDのセール品を出していたりしたのですが、今年はありませんでした。何の気なしに「無いんですか?」と尋ねたところ、「最近は売れないので」とのこと。多分LFJの会場で、ではなくて、そもそもCDやDVDを普通に流通させて、その中で在庫が残ったりしてるからセールに出す、というのが成立しなくなってるんだと思うんですね。 会場でCDが全然売れてないかというとそんなことはなくて、出演者のCDを売っていて、それはそれなりに売れて(百枚も千枚もじゃないですがね)、サイン会に参加したりしている。でも、この機会に普通のCDを、というのは多分ない。会場だけじゃなくて一般的にCDが売れないんだと思います。まぁ、そんなことはわかってるんだけれど。でも、このシステムって、今時のアイドルビジネスと同じ構造ですよね。握手券もらうためにCD買う的な。今はそれすらないのかな。知らんけど。 要するに、CD聞かないんでしょうね。今は。実は、オーディオ関係の出展がガラス棟であって、そこでエントリーモデルとして数十万円クラスのシステムを聞かせてもらったんだけど、システムアンプの機能として「もちろん」ネットワークオーディも聞ける、という話から、ネットワークオーディオをやらない私は正直「時代遅れ」扱いになっちゃうんですね。いやそういう言われ方はしなかったけど。 ただ、数十万円クラスの「エントリーモデル」なんかで聞かない人の方が大多数でしょう、世間一般には。ネットワークオーディというよりは、Youtubeで聞くんでしょうね。聞くっていうのか疑問だけど。 ただ、よく言えば権威付けされていない、悪様に言えばなんのスクリーニングもされていないものでどう聞いていくのか。率直に言えば、クラシック音楽というのは、なんの予備知識もなく聞いて楽しめるものではあるけれど、あえて「勉強」せずともあれこれと聞いていくという観測の積み重ねによって、明らかに聞こえてくるもの、見える世界は変わっていく。正直、今ネットで拾えるものの積み重ねでそういう域に達することが出来るのか、というと、無理だろうな、というのが正直な感想です。まぁ、絶対に出来ないというものではないのだろうけれども。 で、そういうものの延長線上に、LFJの聞かれ方も出ているのだと思います。例えばホールB5やB7は、今は違う目的に使われてしまっていて、コンサートはやらないけれど、あれがあったから初回のベートーヴェンでの、イザイ四重奏団の全曲演奏会とか出来たんだと思うんですよね。やる方の意思もだけれども。 というか、そういうことを求められていないんでしょうね。そういう意味でのお客の方の変容というのも大きいと思います。いい悪いでなく。 ただ、もう一つ思うことだけれども、やはりお客の質が悪化してると思うんですよね。正直に言いますが、悪化。どう悪化しているか。マナーを知らない。まぁ、そうなんです。言ってみればそういうこと。でも、それが、以前言われていたようなものとは随分違っている気がします。 今年はかなり取りやすくなったけれど、今でもG409やD7のようなホールはチケット取りの難易度が高いです。言い換えると、チケット買ってる人は偶然で買ってるなんてことはまずない。確信犯的に「これを聞こう」と思って来ている。そういう、言ってみればガチ勢のマナーがおかしいんですね。一言で言うと、「公共の場」に出てくる準備が出来ていない人が増えている。当人達は「何がいけない!」って言うと思うんですよ。でもねぇ、例えば、演奏中に飴玉とかガサガサガサガサ延々やってたりするんですよね。LFJといえども音楽の演奏会で、クラシック音楽というのは静寂を基本にするものなのだから、原則、余計な音は出しちゃいけないんですよ。でも、どうみても、「私クラシック音楽好きなんです」風の雰囲気を漂わせてるような人が、ガサガサやってる。大体どのコンサートでもいましたね。私は、人が生きている以上避け難い音は基本しょうがないと思ってはいるけれど、飴だのティッシュだのはいずれ曲間がくるんだから我慢しろ、とは思ってます。鼻ズルズルとかも実はそうだし、調子が悪いならハンカチくらい手元に置いておけと。そうでなくたってくしゃみが出ることはあるんだし。でもねぇ。今の人は我慢しないんだよね。他にも、エレベーターで杖ついてる人と並んで立っていて、扉が開くや我先に降りようとするとか、自分が座ってて、誰かがその先に席に行こうとしても、座ったままだとか、そもそも座り方だのなんだの、君社会に出て来ちゃいけないよ、って人が最近は多い。何故社会に出て来ちゃいけないかというと、社会というのは、自分以外の人がいるところだからです。だから、それぞれの場に応じて、求められる態度というものがある。別にコンサートなんだからジーンズ履いてくるなとかそんなこと言わない。それより大事なのは、他者がいるという前提で振る舞うこと。それは「私に課せられた制約」ではない。今はそういう「制約」的なものは忌避されるべきと思われている節があるけれど、そんなことはない。それは「自分以外の人がいること」を保全するためのものなのだから。 大袈裟に聞こえるでしょうけれどもね。でも、結局、他者とどう折り合うかってのは、道歩いていても求められることなんです。それが出来てない。そして勝手に自分の思い通りにならないと言って文句を言う。 嫌な世の中です。別にLFJに来る人が特に悪いわけじゃない。社会の縮図通りで、ただ、そんなことも気付けない感性の鈍麻した人がLFJに限らず今のコンサートには溢れてる、ってとこなんでしょうね。 そういう人はすぐ上から目線とか言うんでしょうけれども、言い切って仕舞えば、そりゃ上からも何も君が下賤で卑しいから、自然と自分が勝手に下になってるんだよ、ってとこなんですがね。 LFJでのマナー、という話で言うと、震災前後くらいの頃の方が、小ホールだろうと大ホールだろうと、そういう意味ではもっとマナー良かったと思いますよ。音楽とか、他者に対する配慮、配慮でなくとも意識というものがまだあったかな。
2026年05月06日
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というわけで3日間お疲れ様でした、ってとこですね。最終日はいろいろ朝から聞きましたが、そうだなぁ……特筆すべきはなんだろうなぁ……ケフェレックのリサイタルがホールCでありました。あの中でバッハのBWV147のコラール、ケンプ編のものですが、あの演奏が思い返すと今日一番だったかなぁ。本当にいろいろあったんですけどね。でも、特筆するならそれかなぁ。でもこれ多分私個人の思い入れの問題でしかないんだと思うんですけどね。まぁ、でもそういうものだよね…
2026年05月06日
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最終公演もほぼ時間通りで無事終了しました〜(そのあとちょっと呑んじゃった)家に帰ってゆっくり総括しようと思います。お疲れ様でした♪
2026年05月06日
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最初で最後のホールA!いってきます。
2026年05月05日
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夕方撮った国際フォーラム…今はもうこんな感じ。展示ホールは20:10で締めるらしいですが、その時間までコットンクラブpresentsの演奏があるようです。一服したらラス前だ…
2026年05月05日
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遅いお昼を兼ねて休憩中…あと3公演です。
2026年05月05日
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あ、やってるやってる…大盛況でした。夕方からサイン会もあるようです。
2026年05月05日
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晴れた!昨日一昨日と曇りがちのはっきりしないお天気でしたからね。ビール日和です。でもその割に最高気温はそれほどでもないようで。というわけで3日目です。最終日。今日は朝からですが、その割にやや余裕ありそうな…でもないか。まぁ、最後まで楽しんでいきましょうか。
2026年05月05日
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というわけでLFJ2026の2日目も終了しました。 今日は1番の驚きは#234、広瀬悦子の演奏に乗って伊藤花りんが展開したサンドアート。これは確かに見ないと分からないですが、展覧会の絵の演奏に合わせて、スクリーンに投影された砂絵の、これはキャンバスというのか、その場でリアルタイムで絵が作られていく。それも全曲余さず。いや、プロムナードは別ですが。すごいというか素晴らしかったのは、その過程を音楽に合わせて我々も見ている訳ですが、その過程も見ているから、見ている側のイマジネーションも更に膨らむんですね。例えば、「古城」。演奏と共にまず古城が描かれていく。ほぼ完成か、と思ったら、その古城の上から、その絵を崩しながら何かを描いていく。現れたのはギターとそれを演奏する男。ギターに隠れて古城は半分以上見えないのだけれども、見ている我々はそこに一度古城が完成形で描かれたのを知っている。残像ではないけれど、その記憶の上にギターを弾く男を描いて重ね合わせる。凄いです。 我々はなんとなく絵のような形あるものは時間的に静的で、出来上がったもののように思っている。一方で音楽は時間と共に移ろうもので、動的で、固定されないものだと思っている。このサンドアートは、「絵」であろうとも、時間と共に移ろうもので、しかもその移ろいを味方につけて表現に出来てしまう、というのを見せてくれました。こんなものが見られるとは思ってみなかった。 KAJIMOTOの社長さんに聞いたのですが、この人、他にもネタがあるそうで、来年以降も期待出来るかもしれません。それに、砂絵は手元で描いているけれど、それを投影しているので、実はD7のような小さいところでないとできない、というわけでもないので。 まぁ、しかし、冷静に考えると、これって全然音楽の話してないな(笑) まぁ、いいか。このサンドアートなんて、これで通常のコンサートやろうとしたら大変だろうと思うんですよね。LFJの1時間程度のコマだから出来るとも言えるし。これぞLFJというものかも知れません。 レ・ミュジシャン・ド・サン=ジュリアンとか、アンサンブル・マニェティスとか、この辺も良かったですね。 来客数は.....今日は、少ないなと思いましたですね。特に日が落ちると途端に人が減る。公演にはそこそこ人はいるんですが。 では、明日はいよいよ最終日です。もうちょっと頑張ろう。
2026年05月05日
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まぁ、23時前だからね、こんなもんでしょう。最後はD7で237。デキシーランド・ジャズというかまぁお祭り騒ぎ。ちょっとスッキリしたかもしれない(笑)また明日〜
2026年05月04日
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今年は人が引き揚げるのが本当に早くて、19時前なのにガラガラです。人出も少ないんですかねぇ…次まで時間が空くので、ビール飲んじゃう…
2026年05月04日
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234、広瀬悦子の演奏で、ヴォルガの舟唄と展覧会の絵。 サンド・アートで伊藤花りんという方がアサインされていて、バックに何か見せるのかな…と思ってたら、確かに砂絵でした。なんとリアルタイムで絵を描いていく。全部。本当に全部の絵を。 これは凄かった。リアルで見ないと凄みが伝わらないと思いますが、どこかでチャンスがあれば是非ご覧になってみてください。
2026年05月04日
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ベトナム料理店の老舗、サイゴンの有楽町店の系譜を継ぐのがここ国際フォーラム地下のお店。長生きしてもらいたいものです。レバンテはもうなくなってしまいましたからね……ここでもサコッシュ貰えます。
2026年05月04日
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昨夜夜半からの雨も上がって、暑くなりそうな5/4、2日目です。いや実際湿気が多くて蒸し暑いんですけど… 今日はそこそこ。まぁ、一応個人的には聞いていいだろうと思って買ったので、そこそこ大丈夫かな… 昨日に比べると朝の出足はロースタートなようですね。まぁ、昼くらいになればまた混雑するでしょう。
2026年05月04日
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というわけで初日終了です。 今日良かったなと特に思ったのは、最後の137、ジャン=バティスト・ドゥルセの、映画にインスパイアされての即興ピアノ演奏。クラシックではないですかね。ちょっと小曽根真の演奏に似た趣はあります。ああいう楽しさ。ただ、ジャズのフォーマットではないな。クラシックかと言われるとそれともまた違うか。それがまた面白い。最後の、ベルイマン監督の「ファニーとアレクサンデル」を材にした即興、これがなんともいえず良かった。この映画知らないんですけどね。というか多分ちゃんと見たことあるのって、ロスト・イン・トランスレーションくらいじゃないかな。それもまた別の意味で面白くて、私は日本人なので、日本人として、異国として描かれる東京というものを主題にしてあの映画を観てしまっているのですね、きっと。だから、ドゥルセの演奏は、私の持つあの映画のイメージともまた違っていて、でも確かに異国にあっての孤独感とか違和感とかいうものは感じられて、これは面白かった。その意味では、いつか、ベルイマンの「ファニーとアレクサンデル」も観てみないといけないのかなと。 あと、133の、アンサンブル・マニェティスによるカルダーラを中心にしたプログラム、これも面白かった。久々のバロック爆発ですね。 今年は人が多いのか少ないのか、知人に言わせるとやはり少なめじゃないか?とのこと。私の印象としては、昼間はむしろ去年よりも多いんじゃないか?という印象で、でも、夜、19時くらいになると、潮が引いたように人が減ってるな、という感じ。つまり、皆健全なんだよきっと.........22時過ぎまで聞いてちゃいけないんだよきっと....... まぁ、明日も懲りずに朝から晩までですけどね。
2026年05月04日
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まだ22時過ぎなんですが、深夜の趣がありますね… 今日の最後はジャン=バティスト・ドゥルセの、古今東西の映画にインスパイアされての即興演奏というもの。今日の午後まで売れ残ってたんですが、これが結構良かった。まぁ、何を求めるかで受け止め方も変わってくるかもしれませんが、私には良かったかな。中川英二郎とエリック・ミヤシロを振ってまで行った甲斐はあったかな。
2026年05月03日
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あっという間に夜です。腹拵えに、有楽町駅改札横の荻野屋で峠の釜飯(陶器入り)があったのでこれにしました。1400円也。もう1公演あります。
2026年05月03日
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まぁいろいろあれど、来るのには変わりないわけで、LFJ初日です。 今年は比較的ロースタートなのですが、さてさて…… 今日は曇り空。夜半には雨も降るみたいですが、夏日になりそうだってことで、ままなりませんなぁ。 ともあれスタートです。
2026年05月03日
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新国立劇場 14:00〜 2階正面 ヴェルディ:椿姫 ヴィオレッタ:カロリーナ・ロペス・モレノ アルフレード:アントニオ・コリアーノ ジェルモン:ロベルト・フロンターリ フローラ:谷口睦美 ガストン子爵:金山京介 ドゥフォール男爵:成田博之 ドビニー侯爵:清水宏樹 医師グランヴィル:久保田真澄 アンニーナ:花房英里子 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:レオ・フセイン 演出:ヴァンサン・ブサール もう何度目の再演なのか、新国の傘が飛んでる椿姫です。 演出はもう言うほどのこともなし。意味無く凡庸、と言うのが私の評価。むしろ再演演出をどう構成するかがポイントだと思うのですが、ただ、正直、この演出、バレエ出さないんですよね。2幕2場のところ。個人的にはあれは地味に効いてると思っているのだけれど。調べたら、この演出、多分2015年かららしいのです。もうそんなになるのか。で、その頃からバレエが入ってないらしい。振付がクレジットに無いので。 あれを凡庸というのか、と言われそうですが、正直、個人的には昔藤原がオーチャードで成人の日絡みでやっていたニューイヤー椿姫の演出、アレの方が恐らく一般的には凡庸と見做されるのでしょうが、あちらの方がいいと思います。アレは特筆すべきものが物語に付与されていない凡庸さ。こちらは、演出の意図そのものが凡庸。後者の方がタチが悪いと個人的には思います。とはいえ、今更椿姫をどう演出するんだ、といったところなのでしょうか。バレエが出ないとコストも抑えられますしね。 あと、2幕と3幕を続けてやるのも個人的には好きじゃありません。なんかね、貧乏くさいっていうかみみっちい感じでやなのですよ。調べたついでに以前の新国の公演確認したら、昔は2回休憩入れてたんですよね。幕の設定っていうのもある意味作品の一部なのだから、そこに意味はあると思っています。時間が掛かるのは確かなんだけれど、それを言うなら休憩が増えて時間が伸びるとか文句言う以前でもうオペラ来ない方が人生幸せですよきっと。オペラのない人生というのもそれはそれでアリなのだから。私は嫌だけど。まぁ、オペラやるならちゃんと幕は幕で切れ、とは思います。 公演の話。結論から言うと、割と面白かった。ただ、正直、歌唱陣はどうってことなかったなと。外題役は一言で言うと2幕勝負のタイプ。随分喝采を貰っていたようですが、1幕に関してはコロラトューラを初め技巧的にもう一つで、華やかさも今ひとつ。ダメじゃないけど喝采するほどじゃない。3幕については、ドラマ性がもう一つ。2幕も、といって、そんなにいいわけでもないんだよなぁ..... いいとこ無いじゃん、とまでは言わない。ただ、まぁ、こんなものでしょう、といったところ。悪くはない。ただ、特筆すべきところがないだけ。難点が目立って無いだけでも十分ではあるんですが、まぁ、だからといって絶賛はしないよなぁと。 テノールとバリトンは、まぁ、その劣化版みたいなもので。決して良くはない。テノールはやや力量不足の感があり、バリトンはちょっと歌が雑。つまりは、アルフレードとジェルモンにはよくあるレベルの話で、これも特筆するほどでもない。そんなもんです。 では、つまらなかった?いや、実はそうでもない。というか、バレエのない2幕2場、これが良かった。 この場の最後の重唱、これは何度も書いた記憶があるけれど、ヴィオレッタの1番の見せ場はここでのヴィオレッタの歌い出しからの歌唱だと思います。アルフレードが「支払いだ!」といって夜会の場で皆が見ている前で金を払うというか叩きつけるとかまぁ演出で色々。どうでもいいけど、そういや、現代演出で、この場面でPaypayとかで振り込んだり、Bitcoinで支払ったりする演出ってどうしてないんでしょうね。今時現金叩きつけるとか全然現代的じゃない気がするんだけど。 まぁ、そんな話はともかく、金を叩きつけられたヴィオレッタは失神したりして、我に帰り自らを恥じるアルフレード、追い詰めておいて今更この場でアルフレードを叱責しつつ葛藤を独白するジェルモン、会衆、その中で一人素朴な旋律でアルフレードへの愛を語るヴィオレッタの歌。これこそがヴィオレッタの見せ場。ここをどう歌うかがヴィオレッタの真価が問われると思うのですが、この日の公演はここが良かった。但し、どちらかというと、これ、ヴィオレッタが格別良かったわけではないと思います。悪くはない。でも、ここに向けてコントロールしていたのは指揮者だと思います。これは指揮の勝利。ここを聞かせどころと定めたか、見事に凡庸な歌唱陣と合唱を引率していった。その過程でヴィオレッタの歌も見事に嵌めてみせた。 この場面での拍手も決して多くはなかったし、終演後も歌手にはそこそこ拍手は出ていたものの、指揮者とオケには普通程度の拍手しか出ていなかったけれど、この公演の真の立役者は指揮者だったと思います。ブラボーは彼にこそ相応しい。 あ、合唱は例によって何歌ってるかわからないものでした。オケは良かったですよ。ちゃんと何すればいいか分かってる類の演奏。ということは結局指揮者ということになるんでしょうけれどもね。 ただなぁ。もうそろそろ演出変えてみていいんじゃないかと思います。安上がりだろうとは思いますが、凡庸なんだもの。昔の藤原演出でいいと思うんで、ノイズの少ない演出で見たいなと思ったり。新演出でとんがったところを目指すのも、それならそれで悪くはないけれど。まぁ、日本のオケの年末の第九みたいなもんだろうから、今更どうかしてやろうと思わないのもわかりますけれどもね。
2026年05月02日
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武蔵野市民文化会館 14:00〜 2階右手 バーンスタイン:「キャンディード」序曲 「ウェストサイド物語」〜 マリア / トゥナイト セレナード <独奏アンコール> ヴァインベルク:24の前奏曲 op.100 〜 第5番 (クレーメル編) ワーグナー:「さまよえるオランダ人」〜 「期限は切れた」 「ワルキューレ」 〜 「冬の嵐は過ぎ去り」 「タンホイザー」 〜 夕星の歌 R.シュトラウス:4つの最後の歌 〜 「夕映え」 「薔薇の騎士」組曲 <アンコール> R.シュトラウス:4つの歌 「明日」 op.27-4 菅野よう子:花は咲く テノール:ルチアン・クラズネツ ソプラノ:レーカ・クリストフ ヴァイオリン:ギドン・クレーメル バリトン:マティヤ・メイッチ バイエルン州立ゲルトナープラッツ劇場管弦楽団 指揮:ミヒャエル・バルケ 武蔵野市民文化会館の自主公演。昔、一時期、よく行ってたことはあるのですが、最近はあまり行きません。正直、企画がクセが強すぎて、来るお客もクセが強すぎて、そこまで行くことないや、と思ってしまったらもう行かなくなった。 なのですが、今年の正月にウィーン・リング・アンサンブルの演奏会をやるというので、久々に来たのです。その時、この公演のチラシがあって。で、例によって、細かいこと分かりにくくしか書いてないので、なんだかわからんけどクレーメルが弾くのか、休みの日だし、買っておくか、くらいで、ろくにプログラムもチェックせずに買ってたんですよね。なんかバーンスタインとワーグナーなのね、名曲集的なものか、くらいのノリで。で、会場に来るまで、「今日はクレーメルを聞く日」という認識でやってきたわけです。だから、殆ど何も期待してなかったんですよね。期待してないというよりただただフラット。一曲だけだけどクレーメルの伴奏なのね、くらいの勢いで。我ながらなんぼなんでも酷い話だ... ただ、言わせてもらうと、私、ミュンヘンには何度も行ってるけど、ゲルトナープラッツって何処にあるのか知らないんですよね。確かにミュンヘンにはStaatsoperの他にも劇場はある、という認識ではあるし、確か旧王宮の中だかに劇場があるんだっけか?くらいの記憶はあるけれど、ゲルトナープラッツ劇場というのは知らない。1865年に創設されたらしいんですが。ちなみにゲルトナープラッツ自体は、市庁舎があるMarienplatzの南東、ドイツ博物館の西にあたる場所らしいです。多分通ったことあるとは思うんだけれど... で、来てみたら、これ、どちらかというと声ものメインじゃないですか。とはいえ、歌手は知らない人ばかり。どうやらこの劇場の座付き的な歌手を連れた来たということらしいです。 結論から言うと、何の期待もなく聞いたせいもあろうけれど、結構良かったです。 まずクレーメルの話をするなら、私も何度も聞いたことある人ではないのだけれど、音がこんなに綺麗な人だったか、と認識を新たにした、というのが一つ。まぁトップクラスのヴァイオリニストだから、音が綺麗なのは当たり前だろと言われればそうなんでしょうけれど、まず思ったのがそのこと。技巧的にはどうなんでしょうね。流石に衰えはあるのかな、とは思いましたが、それは技巧派の極みのようなクレーメルなればこそ、と言うべきで、やっと普通の凄いヴァイオリニスト、ということでしょうか。ちょっとグルベローヴァを思い出しました。グルベローヴァも晩年は往年の超超絶技巧は影を潜めて、ただの空前絶後のトップソプラノに成り下がっていましたが - 成り下がってやっと空前絶後のトップクラスだったのですよ...空前絶後と言える程度に比較出来るようになったという....(個人の見解です) - 、クレーメルもそれに似たところがあるというか。ああいうの聞いて「このくらい弾く人は一杯いる」とかいう人もいるんでしょうかね。まぁ、私はヴァイオリンは詳しくないから、きっとよく分かってないんでしょう。 バーンスタインのセレナードというのは、要は協奏曲。聞いたことなくて、思いの外大曲で、ちょっと弾いて終わりなのかな、と思っていたけれど、そこそこ長い結構面白い曲でした。バーンスタインらしい、現代曲だけれどちゃんと旋律のある曲。 アンコールのヴァインベルクも聞いたことなかったのですが、しかし、あれ、あれが終わりで間違いないのかな?ちょっとよく分からなかった。演奏はやっぱりとてもいい綺麗な音で、もっと聞きたかったんだけどな。 歌手陣は、前半後半ともにまぁこんなものかな、という感じでしたが、バリトンはそこそこ悪くなかった。一番良かったのはソプラノでしょうか。特にアンコールのR.シュトラウスの「明日」はとても良かった。この曲は、グルベローヴァが、特に晩年、リサイタルで歌っていたけれど、いい曲です。これを久し振りに聞くとは思っていなかった。この佳曲をやっぱり綺麗に歌っていました。夕映にも良かったけれど、歌唱としてはこっちの方が気に入ったかな。テノールは....まぁ、可もなく不可もなく、かなと。 でも、正直言うと、こういうプログラムだと思わずに来たので、なかなか楽しめました。なんだろうな。上手い下手とか凄い凄くないとかいうことと違って、ちゃんと歌ってるんですよね。音楽になっている。「音楽になってない演奏会なんてあるのか」と言われそうですが......まぁ、ありますよ。音楽になってはいてもまるで音楽として楽しくないのとか。 オーケストラも勿論悪くない。正直、たとえば縦の線があってないとかいうことはあったと思います。上手い下手を言えば下手だと思います。でも、音楽になっている。引き合いに出すのもアレですが、先週聞いたN響の方が、きっと技術的には上手いのでしょう。たとえばバリバリの現代曲とかやらせたら、N響の方が上手く演奏するのかも知れない。でも、こういう音楽、というのはつまりショスタコーヴィチやストラヴィンスキーあたりまでだったら、きっとこっちの方が上です。なぜそう思うかというと、この人達は自分がどういう音楽をやろうとしているか、多分きっちり入っているから。 前に、日本の合唱団について、この人達一人で自分のパート歌ったら多分歌になってない、という話を書いたと思いますが、それと同じで、N響のあの演奏会では、一人一人がどういう音楽をやるのか、その中で自分がどういう音を奏でるのか、という見取り図があるように見えなかった。だから、技術的には「合っている」のかも知れないけれど、音楽として何やりたいのか分からなかった。 このオケは、何をやろうとしているのか、分かるのですよ。薔薇の騎士組曲なんか、決して綺麗に揃ってはいない。でも、何をやろうとしているのか、ちゃんとわかる。だから、音楽として楽しいのです。それがあるから、R.シュトラウスの歌曲がとても面白かった。歌唱だけじゃないんですよ。 指揮者は若手らしいですが、勿論悪くないのでしょう。 他を引き合いに出して褒めてしまうというのはちょっと失礼ではあるんですけどね。ただ、先週のそれからするととても良かったのですよ。本当に。まぁ、だからといって、次ミュンヘンによる機会があったとして、Staatsoperを振ってまで行くかと言われると、多分それはないんだろうなとは思うんですが。でも、本当に楽しかったですよ。
2026年05月01日
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Cotton Club 19:30〜 LFJに登場のレ・ミュジシャン・ド・サン=ジュリアンが、前夜祭というには随分早いけれど、丸の内のコットンクラブでライブをやるというので行ってきました。1st/2ndの2nd。 セットリストとか無いんですよね.....いずれ出てくるのか、そういうの出さないのか、どうなんだろう。 内容的には、ケルト系のイメージで、アイルランド、スコットランド、イングランド、フランスの16世紀あたりから現代までのいろんな曲をやるというもの。ある意味雰囲気はあるけど無国籍的な。一応ケルティックということらしいですが、まぁ、ケルトって言っても広いし、古めの民衆系楽器やってると全部ケルトに分類されてしまうという説もあり........... バロックフルート/リコーダー/ミュゼット奏者、チェロ(あれはヴィオラ・ダ・ガンバでは無い筈)/ヴォーカル、シタール/テオルボなのか?、と、打楽器。オーセンティックなところを求めてる風では無いですね。難しく考えずに聞くのがいいなという感じでしょうかね。私はこういうの意外と好きなので、面白かったです。多分深く考えちゃいけない類の音楽かな。 本番?では、毎日登場、ホールCで2回、D7で1回あるようです。ホールCで聞くのは、ちょっと微妙かなぁ。Cotton ClubではPA入れてたようでしたが、少なくともホールCでは入れるだろうしなぁ。多分どっかで無料でも聞けるんじゃないかと思います。
2026年04月30日
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みなとみらいホール 15:30〜 2階舞台脇 モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 <アンコール> モーツァルト:クラリネット五重奏曲 K.581 〜 第2楽章49小節から マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調 クラリネット:松本健司 NHK交響楽団 指揮:ファビオ・ルイージ オーチャード定期は今回はみなとみらいの回。というか次シーズンでオーチャード定期自体終了だそうで、まぁ、いいんですけどね。元々持ってた席は消滅してしまいます、ということだそうで、正直勘弁してくれと思うのですが。東フィルはちゃんとしてね......... で、今回は、ルイージが出ます。マーラーの5番で、サントリーのBプロと同じなのかな。オーチャード定期ってのはある意味自称他称「コア」なファンは普段は鼻も引っ掛けないくせに、こういう時だけしたり顔でやってきて埋め尽くすので、ちょっと嫌気がさしてきます。その割につまるところは皆ただのミーハーなんだよなぁ.....これ、たとえばメインがラフマニノフの交響曲とかだったら、全然入りが違うんですよ、きっと。まぁ、別にいいけどさ。 もうなんとなくお分かりでしょうが、正直、あまりいい評価はしてません。御承知置きの程を。 まぁ、こっちもピットに近い裏側席で聞いてるんで、よく言うよと言われそうな話であるのは承知してるんですが、ね。 モーツァルトは、恐らく弦五部が12-10-8-6-4の編成。正直、これは、モーツァルトとしては今時はかなり大きめの編成です。で、これで、クラリネット協奏曲をやる。しかも響き過ぎのみなとみらいで。いや、やれなくはない。間違っては、いない。ただ、これでどういう演奏になっているか?というと..... 私は、モーツァルトのクラリネット協奏曲は、結構繊細な作品だと思っています。五重奏曲のイメージに引っ張られているのかも知れないけれど、それなりに繊細な響きやニュアンスを要求する作品ではないかと。協奏曲ではあるけれど、たとえば20番以降のピアノ協奏曲のようなものとは少し違うのではないかなと。実際にどういう目的で、どういう演奏会を想定して書いたのか、調べるのめんどくさいので調べてないですが、ピアノ協奏曲なんかは「演奏会の目玉」なんですよね、やっぱり、あり方が。だから、どうしてもピアノにスポットライトを強く当てる形になる。 この日の演奏は、その系譜に連なるようで、更に先を見ているような。率直に言うと、私は、ベートーヴェンの初期のピアノ協奏曲に連なるような印象を受けました。オケも独奏も輪郭がはっきりしていて、聞かせようという意欲に満ち溢れているというか...........いや、聞かせちゃいけないなんてことはないんですけれども。でも、そうじゃない感が強いというか。オケで言えば、後期の交響曲、たとえば40番や41番みたいなものをこういう風に演奏するのはまぁありかも知れない。私は現代オケが現代オケとして、ピリオドチックなものでないモーツァルトをやるのは全然ありだと思っています。でも、この曲の場合は、この演奏は、そうじゃないと思うんですよね。これは古楽器演奏かどうかという問題ではないです。曲として何を中心位持っていくのか、そういうことだと思います。 そういう演奏が出来ないわけじゃないと思うんですよ。それは、アンコールの五重奏を聞けば分かる。やりゃ出来るんです、そういう風には。でもやらなかった。これは結局は好みの問題だと思います。私は好みじゃない。まぁ、それだけのことではあります。悪い演奏ではないんだろうけれどもさ。 後半はマーラー。 で、結論から言うと、いいとは思わなかった。どのくらいかというと、1月に聞いた東フィルを渡邊一正がバッティストーニの代振りで振った1番や、2月に聞いたアマオケの9番の方が良かった。 その辺の話は上記にリンク貼ったので見て貰うとして、簡単に言うと、何したいのか分からなかった。特に、オーケストラがどういうつもりで演奏してるのか、というのはつまり、この曲を、どういう音楽と捉えて、どのように再構成するか、というイメージがまるで分からなかった。 東フィルの時に書いたのだけれど、あの「巨人」は見通しの効いた、よく整理された演奏だったと思います。それは渡邊一正のアプローチであって、それが唯一無二の正解というわけではないのだろうとは思うけれども、オーケストラは少なくともそれに応えていた。ファビオ・ルイージのアプローチは、あまりそういう感じはしなかった。正直言うと、考えあんのかな?と思わなくもないくらい。いや、ルイージの問題というより、オーケストラの問題が大きいのだと思います。 いつも言うことだけれど、私はマーラーはあまり好きではない。いい聞き手ではないのです。だから、いつも「わっかんねーなー」と思いながら聞いている。それはその通りだけど、まぁ、そういう視点なりに思うところはあるのです。 で、そういう身で言わせていただくと、とっ散らかってるならとっ散らかってるなりに、どういう音楽なのか、全体としてどうなのか、個々の部分ではどうなのか、というのが無いと、本当に何やってるか分からなくなるのですね。1月に聞いた渡邊一正指揮東フィルの「巨人」は、指揮者もだけれど、オーケストラも限界はあるなりに、どうしようという意思が見えた。だから、ああいう音楽でも、私みたいに苦手な人間でも、見通しの効く音楽になっていたと思うのです。2月のアマオケの9番の場合は、まぁ、率直に言って失礼ながら未熟ではあるし、同列で論じてはいけないけれど、少なくとも「これどうするんだっけ」というのが見て取れた。マーラーという人の音楽自体が破綻しているけれど、破綻しているなりにまとめようとしているのが見て取れて、それが、音楽として一応形を成していることに繋がっている。 じゃぁ、N響は?一応プロオケなんだから、その先を考えて欲しいのだけれど、正直言うと、破綻している以上のことはなかった。ルイージの問題?それもあると思います。けれども、オーケストラ自体がその先を全然考えていないように見えた。マーラーの5番は5楽章あって、第4楽章が例のアダージェット。で、この5楽章、殆ど関係のない音楽に聞こえてしまうものですが - ちゃんと分析すると関係性はあるんでしょうけれど、正直、まとまりのないびっくり箱みたいな交響詩だか狂詩曲だかが5つ並んでるだけみたいに思ってしまうのです、私は - それをそれ以上のものに聞かせるのが、一つの音楽として聞かせるのが、いわば期待値だと思うのですが、とてもそんな風にやっているようには聞こえなかった。 いや、マーラーってそういうもんだよ、って?じゃ、東フィルの巨人とか、去年ザルツブルクで聞いたウィーン・フィルの10番は?私はよくわかってないけど、多分それだけじゃないんです。 あるいは、そういうとっ散らかったものとして聞かせるのがルイージの目的だったのかも知れないけれど、そうなのかしらね? 5楽章の頭、管が牧歌的というか、アルプホルン的な、伸びやかで長閑な、何も考えてないだろ、とまで言いたくなるようなメロディーを奏でるのだけれど、あれは、第4楽章のアダージェット、人気があるけれど、交響曲の1楽章として置くと、終わった時に少し息が詰まるような気分になる、それを柔らかに一掃してくれる一節なのだけれど、正直、どういうつもりで聞かせたいのか、分からなかった。聞いてる方はどういう風にこれを聞くのか、考えてるのかしらね。 最初から最後まで、なんならモーツァルトもそうなのだけれど、終わってみて一貫して思ったのは、音楽的に鈍いんだろうな、この人達、ということ。音楽性が無いとか、腕・技術が無いとか、そういうことはないんでしょう。N響は一応日本でトップクラスということなっているし。でも、率直に言うと、音楽的に鈍い、鈍感なのではないかな、というのが今回の感想。それは、恐らく、聴衆によって育てられてしまったのでもあると思います。 終わったら例によって大喝采で、如何にも「首席指揮者の名演を聞きにわざわざ横浜くんだりまで来てやったぜ」風の「うるさ方」が大喜びしてましたが、そもそもこれマーラーとしても楽しいのか?マーラー嫌いの私としては、そもそも楽しくはなくて、それでも聞いてみなけりゃ分からないと思うし、1月のようなこともあるから聞きに来るわけだけれど、最低の期待値以下だったのは事実。これがどうしていいのか、あの連中に、そもそもお前はどういうものがいい音楽で、それはどうして足を運んでまで聞く価値があると思っているのか、問い糺したいくらいで、割といつもそう思ってるわけなのですが、多分、音楽的に鈍いからなんじゃないかな、と思い至った次第。それがいいって言うんだから、皆そうなるよね。それは。 N響も、時期によって良し悪しはあるのだけれど、今はコロナ禍以上にダメになっってる気がするんだよなぁ。腕はあるんでしょうけれどもね。でも、腕じゃないのよ。まずこれはどういう音楽か、そのイメージをきちんと持てない以上、決して音楽としてよくならないのよ。ロックバンドとかが「音楽性の違い」とか言って解散するじゃないですか。大抵ありゃ全然違うみっともない、あるいはドロドロした理由を美しく言ってるだけだけど、中には本当にそういうのも3%くらいはあるんじゃないですかね。あれと同じですよ。 一度解散してみたらいいのかもね。解散コンサートとか言って荒稼ぎして。オケとして解散しろとは言わないけれど、一度団員総とっかえでオーディションしてみたら......同じか。あれがいいと思っている人間が多い以上、同じことだな。きっと。
2026年04月27日
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ありゃ 2ヶ月ほったらかしでしたよ........ 忙しい上に、命には関わらないけど体調悪かったりで、全然書いてませんでした。まぁ、あんまり聞きに行ってなかったりするのではあるけれど、そうは言っても多少は行ってたりはするのでして。シフは仙台まで行ったしな。所沢は買えてなくて行かなかったけど。まぁ、その辺は連休中に書くとして。 そう。もうGWじゃないの。世間的には29日からでしょうが、早い人はこの週末からなんでしょう。自分はといえば、一応仕事はあるけれど、在宅にしたので、もう仕事場には行かない......というわけで、既にして曜日が怪しくなりつつあります。 で、GWですから、LFJです。結局、それなりに買ってしまいました。正直、手数料覚悟でぴあの先行も使ったら、ほぼ一般発売までに一応揃ってしまいましたとさ。頑張りはしたけれど、例年にない買いやすさ、ではあったかなぁと。やはり、ちょっとね、という人は少なくなかったのではないかなと。 今年はサプライズもなさそうで、割と大人しいLFJになるかなと。楽しみはしますけれどもね。
2026年04月27日
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いよいよプログラムが発表されました。昨日からチケット抽選申し込みも始まりました。 https://www.lfj.jp/lfj_2026/performance/timetable.html ............................うーん。 まぁ、どっかで改めて書くつもりですが、そりゃ確かに自分結局は梯子するんでしょうよ。毎日行くと思いますよ。それは毎度のこと。ただ、この中途半端さ加減はなかなかだと思いますよ。 テーマの大河はどこ行ったって感じだし。出演メンバーは、まぁ、お馴染みの名前もあるにはあるけれど、半分くらいはあんた誰的な若手お披露目って感じだし。オケで言えば、千葉交響楽団って........... いや、LFJはそういうものを目指すんです、ってポリシーをはっきりさせて、そういう方向に全振りするならいいですよ、まだしも。けどさぁ、率直に言って、これはちょっと劣化版って感じがしますよ。それは随分前からそうではあったけれども、ちょっと閾値超えたかなという感じ。 で、このラインナップ概ね3,000円なんですよね。半分のコンサートで3,000円。 やる側の理屈はわかります。これでも儲けが出ないだの、出演者は手弁当だの、物価も上がってるし、だの、言いたいことはあるでしょう。でもさぁ、それはさ、あくまでやる側の論理、なんですよね。 聞く側はあくまで「半回のコンサートでこのラインナップで3,000円払って行くか?」ということになるんです。これは冷厳たる事実。 N響がE席値上げしてしまったので今は最低ライン2,000円で、しかも著名指揮者が振ると更に高くなるわけですが、それでもLFJの半回公演1つと同じ値段で、ファビオ・ルイージだのがフルサイズの交響曲とか振るのが聞けるわけです。 良し悪しはありますよ?どっちが楽しいかって問題でもあるし。でもさぁ、クラシックのコンサートとして見た時に、これ、聞くものなの? 正直、失礼ではあるけれども、このラインナップの人達が、自前でコンサート開いて、フルサイズでやって、たとえば4,500円くらいの値付けしたとして、どんだけの人が行くだろうか。そんなに行かないと思いますよ。若手って言っても、よく名の知れてる人達は別として。まぁ、私きっと行かないもの。 というか、これ4公演行ったら、さすがにネズミーランド行けるんじゃない?それとも5公演分?知らんけど。でもそういう戦いになりますよこれ。私はネズミに興味ないけどさ。 こういう比較もあれですがね。 アンドラーシュ・シフがこの3,4月に来日します。首都圏での休日の公演はないようで、近場だと仙台で3連休にやるらしい。チケット代が既に1万円くらいですが、首都圏から行くと、新幹線で行って往復2万円はするでしょ。計3万円コース。でも、どうでしょうね。LFJで10公演分として、その10公演とシフ1公演、どっちが期待値高いか、というと、収益に厳しいつもりの博打打ちの私としては、シフなんだよなぁ、やっぱり。まぁ、LFJにはケフェレックも入ってくるからあれだけど、そうすると5公演くらいまで絞り込んで賭け金半分にするのが妥当という話になりそうだなぁと。 ま、行くんですけどね、いつものように。結局。
2026年02月22日
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実のところ、今日はバッティストーニ指揮東フィルのコンサートに行くつもりだったのだけれど、どうにも気が乗らなくて、結局行くのをやめてこれを書いています。行けないこともないんだけどね。演目もカヴァレリア・ルスティカーナとパリアッチだし。でも、気が乗らないものはどうしようもない。気が乗らない理由は、アマチュアの公演だから。そのアマチュア連中がどうにも耐えられないし、聞いてる側の客層も期待出来ないので、やっぱやめた、となるのです。バッティストーニが振ると言っても耐えられないものはある。アマチュアはここでは書かないと言っても聞くに耐えないものは聞くに耐えないし、嫌なものは嫌なのです。 で、昨日は、自らアマチュアを名乗るアマオケのコンサートに付き合いで行ってきました。決して満員ではなかった、というか、正直少なからず空いていたのは、2/14の土曜の夜という日付ですかね、さて。ただ、演奏そのものはかなり良かった。マーラーの9番でしたが、確かによく練り上げた演奏だったし、力量も十分ある、という演奏だったと思います。直近では、東フィルを、まさに今日振る予定のバッティストーニが間に合わなくなったとかでキャンセルしたので代わりに渡邊一正が振ったマーラーの1番を聞いてますが、それと匹敵するような演奏ではあったと思います。人によってはこっちの方がいいと言うでしょうし、私も演奏それ自体は甲乙つけ難いレベルだと思います。で、かたや1番、かたや9番、ということですからね。 アマオケなので、ブラボーがかかりまくります。それ嫌なんだってば、というのはありますが、これは正しい。演奏者のシンパがブラボーを掛ける。個人的にはそういうの好きではないのですが、これはそういう場なので、正しい行為。それがアマチュアということ。私が今日アマチュアでありながら自称プロを聞かされるの嫌さに、バッティストーニを聞きに行かない理由の一つです。 その、昨日の正統的かつきちんとしたアマオケのプログラムで、マーラーの9番の解説が載っていて、曰く、マーラーの交響曲には死のイメージだかなんとかがまとわりついていると。趣旨としては、それ故、最後の完成された交響曲になった9番も自らの死を予感したかのようなイメージで語られるけれど、書いてる当人は10番にも着手していたので、決して自らの死を予感したわけではなかろうとかそういうこと。 まぁ、世の中そういうことになっているんでしょうか?知らんけど。ただまぁ、言いたくなることはわかります。確かにそのように語られるものではありますね。 だけれども、改めて昨日思ったのだけれども、9番の第4楽章、これがまぁ死のイメージの源泉だと思うのですが、これ、そんなに死ぬ死ぬって雰囲気なの、最後の3分くらいじゃないですかね?いや、そこに至るまでにもいろいろありますよ?でもさぁ、そこまで死ぬ死ぬって話なの?「亡き子を偲ぶ歌」のモチーフが....みたいな話もあるようですが、あれは、「亡き子を偲んで"生きてる"父親が悲しんで歌う歌」ですからね?別に当人死んでないんですよ。 個人的には、日本の自称オーケストラ愛好家の少ない層は、最後の3分しか音楽聞いてない説がありまして、皆最後の3分のイメージだけで話してるだろ、という。チャイコフスキーの「悲愴」とか、典型だと思いますよ。第3楽章の終わりでつい拍手しちゃう方がよっぽどちゃんと聞いてるんじゃね?という。まぁ、でもあれか、あれも、第3楽章も第4楽章も最後の3分かな。同じか。 マーラーの話です。 この間聞いた1番で思ったのだけれど、マーラーって、ちゃんと整理して演奏すると、わかるというか、腑に落ちるように聞こえるんですよね。そういえば、去年の夏ザルツブルグに行った時、アンドリス・ネルソンスがウィーン・フィルを振って、前半にマーラーの10番のアダージョ、後半にショスタコーヴィチの10番というのを聞いたのですが、確かにこれはまとまっていて腑に落ちた。ああ、こういう音楽なんだね、というような。改めて思うに、マーラーってとっ散らかってる印象が強いのですが、それをまとめ上げる意思と力量とビジョンがあると、ちゃんと収まるところに収まるのですね。 でも、実態としては、なかなかそういう演奏にはならない。日本のプロオケ(自称他称問わず)はよくマーラー好んでやりますが、この域に到達するのは殆どないんじゃないかな、という気はします。で、アマオケも、好きなんですよね、マーラー。これには多分一つ理由があって、個人的にはもっと古典派やるべきだと思うのですが、そうすると、乗れる人が減っちゃうんですよね。特に管楽器。金管は切実で、演奏人口に対する需要がアンバランスなので、どうしても金管乗せるとなると、後期ロマン派に行かざるを得ない。まぁ、私は楽器やる人じゃないので、実際どうだかよくわかりませんが、古典派あまりやらない理由の一つとしてはこれでしょう。で、結果、ある程度のメンバーが揃うオケは、マーラーをやりたがる。で、プロアマ問わず、相当のレベルに達せられる演奏は殆どないので、「マーラーはこういうもの」という共通認識になっちゃうんでしょうか。実際、私も、この間の東フィルの1番聞いて、考えがまとまったようなものですから。だからと言ってマーラーが好きになったかというと、そういうわけではないんですけれどもね。 とはいえ、言及した行き掛かり上取って付けた訳でなく言うと、昨日の9番は確かにいい演奏と言われて然るべきだと思います。よく整理出来ているまでは行かないけれど、単にとっ散らかった音の羅列、というよりは一歩前に出た演奏だと思います。出してる音の質も悪くないし。本当に、自称他称プロオケのうっかりした演奏なんかよりは全然いい演奏に仕上がっていたとは思います。 ただ、だからと言って、たとえば東フィルより上だ、みたいには、私は思わない。それは、そもそも音楽に対する取り組み方が違うから。これはいい悪いの話ではなくて、そもそも立ち位置が違うということです。昨日のアマオケが年に何回演奏会やるのかわかりませんが、あって年数回でしょう。たいていのアマオケはそんなものです。各演奏者個人的にどうかは知りませんが、普通は昨日演奏会やったら前後1ヶ月はまぁ演奏会はない。東フィルは、1月下旬にマーラーの1番を含むプログラムをやり、月末月初には藤原の公演に出ている。で、今週アマチュア団体に付き合って出ている。これは別に珍しい話でもない。ドイツ系のレパートリーシステムを維持している歌劇場だったら、毎日日替わり演目で演奏するでしょう。そこまで言わずとも、東フィルのように1ヶ月で違うプログラム3つ演奏する。これはアマチュアでは出来ないし、やらないし、やる必要がない。 1つの演目、演奏会の為に、数ヶ月掛けて練り上げて、磨いて、演奏に臨む。なので密度は高くはなるし、精度もあがるでしょう。技量的にも。それがアマチュアというものでもあります。それでも大したことない演奏というのはいっぱいあるわけで、だから、昨日のは良かったけれど、私が基本的にアマチュアは論評しないというのは、そういう立ち位置の差故であり、これは演奏の良し悪しとかとは別の次元の話なのです。 それがまた私が某団体を筆頭にある種のセミプロみたいな連中を毛嫌いする理由。やってること以上に、実態としてはやってることも意識の上でもアマチュアでありながら、屁理屈捏ねてプロでございと言い張り、自分を欺いているから。まぁ、藤原も、最近はそういう感じが増えてきてしまっているし、団体維持も苦しそうだから、そろそろどうなのかなとは思っているけれど。 話をマーラーに戻すと、とはいえ、アマチュアでありながらここまで聞かせるのは素直に凄いとして、もう一つ課題はあると思います。それは、「何のためにやっているのか」ということ。 また慌てて言うのですが、私は、「アマチュアには目的がない」だの「自分のためだけにやってる」だのということを言うつもりは全くありません。誰がどこでどう演奏しようがそれは演奏する人の勝手で、アマチュアの演奏家が、好きなことをやっているのは自由であり、それが結局自分のためだけだとしても、あるいは特定の誰かなり不特定の誰かに向けてやっているつもりだとしても、構わないのです。それを聞く方も自由で、素直にいいと思っていいし、自分の友人知人家族恋人がやってるからブラボーを掛けるのも一向に構わない。アマチュアの演奏会とはそういうものです。不特定多数の聴衆を超えて、公に演奏するというのとは違っていいのです。プロの顔をしながら、実態も意識もアマチュア、という都合のいいことをするな、ということ。で、この演奏それ自体は決してそういうだらしないものではない。 東フィルの方の話でいうと、あのマーラーの1番は、決してなんとなくやってみたという類のものではなかった。ある程度のビジョンを持って、こういう音楽に構築しよう、というのがあったのではないかと思います。その先、では、この演奏で何を表現しようと思ったか、というと、なかなか難しい。そもそも言葉にするのは難しいですからね。ただ、ビジョンの中には、必ず「これはこういうものだ」という認識はある筈で、それがどんなものであるか、はっきり言えるわけではないけれど、ただやってみた以上のものではあったと思います。 昨日の演奏は良かったけれど、ただ、そういう視点で見た時、もう一つビジョンがはっきりしなかった。無論受け取る側の力量の問題というのもあるので、私が理解できなかっただけかも知れません。ただ、このマーラーの9番はどういうものなのか、というようなところまで意識されていたかというと、そういう意味での表現というにはもう一つだったかなと思わなくもない。これは演奏者以上に指揮者の力量にも関わっている問題だとは思います。そういうものを提示し、共有して、表現させる、ということになるんだけれど、どうなのかな。わかんないですけどね。ただ、多くのアマオケは、指揮者との関係が大きいので、言い換えると指揮者の限界がオケの限界になってしまうこともある。難しいところかなと。 前に書いた、「死のイメージ」云々みたいなものとかも含めて、「この音楽をどういうものとして作るか」というのは大事なことなので、オーケストラというものの難しさは、それが各演奏者が持ち得ていたとしても、それを擦り合わせてまとめ上げなきゃいけない、というところにあります。でないとバラバラのイメージのまま演奏してしまうことになる。その初期段階みたいなものはクリアしているとして、その先どこまで行けているかですよね。 個人的には、マーラーはどちらかというと死には拘ってないんじゃないかという気がします。いや、死をイメージは間違いなくしているんですよ。でも、それと同じくらい、いやそれ以上に、マーラーは生に拘っているのだと思います。あのとっ散らかったドタバタの本質は生でしょう。そこに時折入り込む死も、生を前提に見える死であるからこそ時にグロテスクだったり、異常なまでに詩的だったりするのではないのかなと。最後の3分しか聞かない人にとっては、マーラーの9番は偉大なる死の音楽に聞こえるのかも知れないですが、そういう意味ではむしろ死に至る過程こそが大事だったんじゃないですかね。知らんけど。
2026年02月15日
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NHKホール 14:00〜 3階右手 ブラームス:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.83 <独奏アンコール> ショパン:24の前奏曲 〜 第8番 嬰ヘ短調 op.28-8 ブラームス:交響曲 第3番 ヘ長調 op.90 ピアノ:レイフ・オヴェ・アンスネス NHK交響楽団 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット もうNHKでの放送も済んでしまったのですけれども、今更ながら。10月分まだ書いてるんだものなぁ。今月も忙しかったけど、来月はそれに輪を掛けて忙しそうで.....ブツブツ.......と言っていたのが12月で、更に2ヶ月経ってもう2月ですよ全くもう。どうなってんの>自分 のっけからあれなんですがね。自分も行ってるから他人のこた言えないのだけれども。 基本、N響の客って、年寄り大好きなんだよね。で、巨匠大好き。毎年言ってることですが、ブロムシュテットってもう98歳とかだから、大巨匠みたいになっちゃってるし、スタンディングオベーションだわオケ退出してもしつこく呼び戻すわ、御本人も満更でも無いのかも知れないけれど、さ。でも、やっぱりブロムシュテットって、そういう巨匠じゃないと思うんですよね。結局年寄りだから有り難がってるだけのお客は少なくないと思うんですよ。こういうのって朝比奈の頃からなんだけど、ほんと巨匠ジェネレーターっつーかさ。そういう感じはあるなぁと。 いや、だって、ブロムシュテットなんて、皆、ロサンゼルスの頃とか大して評価してなかったでしょ?サヴァリッシュ存命の頃は特にそうだったし。サヴァリッシュ引退後は急に注目し始めたけど、その前から既に名誉指揮者扱いだったんですよ?なのに、あの冷淡さはなんだったんだと。結構早くにベートーヴェンやシューベルトの交響曲全集もゲヴァントハウス管で入れてたけど、皆結構冷淡だったし。いや、決して人気なかったとは言わないけれど、今みたいに騒ぎ始めたのは彼が90超えてからくらいじゃなかったか。ま、いいけどさ。でも、ブロムシュテットは昔も今も安定してると思うんですよ。円熟さを増した....とか、ないとは言わないけれど、でも、良し悪しを言えばそんなに変わらないと思うんですよね。少なくとも私がコンサート通い始めた頃からは。それでも還暦過ぎからってことになるので、まぁ、確かに驚嘆すべきではあるんだけれども。 あースッキリ。<これ書いてスッキリして上げるの放ったらかしになってたという... 閑話休題。 演奏の話ですが、しかし、そんなこと言っときながら、買うのを出遅れたので、3階右手と言いつつ結構横後ろの方。あまりいい席ではなかったのは確か。だから、感想にはそれも影響される気はしてます。いや、普段、それがあっても大体経験値でこんな感じでしょ、というのはあって、そんなに外さないのだけれど、今回は、翌週聞いた別のと比較すると、なぁ.....と思ってしまったので。いつもあまり気にしないけれど、聞いてる場所の影響は今回はあったかも知れません。 で、見ての通りのブラームス・プロ。前半はピアノ協奏曲の2番。しかし........うーむ。 私、この曲苦手なんですよね。というか、思うに、ブラームスは交響曲は好んで聞くのだけれど、どうも協奏曲は苦手。それでもヴァイオリンはまだしもなのだけれど、ピアノ協奏曲はどうも。長大さがしんどいのかしらね。交響曲の第1楽章よりも長いし、結構ピアノに振っていると思うのだけれど、やっぱり飽きてしまうという.... 独奏はアンスネス。アンスネスいつぶりだろ、と思って自分のブログググったら、2011年のN響のが出てきました。この時もブロムシュテットだったのね。なんか、その他に、リサイタルも聞きに行ったこともあったような気もするんですが、書いてなかったのかな。まぁ、ともあれ、なんというかいつの間にか中堅から通り越してきた感じの人ではあります。いい演奏だったと思います。でも、なぁ.......まだしも、いつもより面白く聞けたのは間違いないのですが、でも、なぁ.......他の曲が良かったかな........ちょっと勿体無い気が..........まぁ、ブラームスのピアノ協奏曲にケチつける方が多分悪いんだと思うんですけどね。でも、この曲はなかなか楽しめるようにならないのだなぁ.......先の楽しみがまだ残ってる、と考えるか..... アンコールにショパンの前奏曲。これも良かった。 後半は交響曲の3番。 そうねぇ........そう言っちゃ申し訳ないんですが。私、これ聞く前にこの週にセミョン・ビシュコフ指揮のチェコフィルを聞いてるんですよね。うち一つはもう書いたけど、NHK音楽祭と称して我が祖国を聞いたわけですが。これ、ビシュコフには申し訳ないんだけれど、正直、ブロムシュテットがチェコフィル振ってくれたらもっと良かったのに、と思ったのは確かでした。ビシュコフが悪いんじゃないです。N響がね..... 聞いてる席が悪いのは確かです。ただ、それでも響きとかいうものは、それなりに分かるんですけどね。どうも、固いんですよね。この交響曲って、華やかというわけではないけれど、聞いているとところどころに花があって、決して派手ではないけれど、そういうところはちゃんと微かに匂うような花を感じさせて欲しいのだけれど、花が開かないというか.... で、後出しジャンケンなんですが、この後何度かN響聞いてるんですけど、どうにも安定してないんですよね.......日によってムラが激しいという。しかも、誰だからいいとか悪いとかいうのとも違う。これは、どういうことなんでしょうね。 なんかね、基礎的なところがしっかりしてない気がするんですよ。そういう不安定さって、日本の他のオケ、たとえば東響とか東フィルとか、割とあるあるではあるんですが、N響もそうなっちゃったな、という。まぁ、N響がそこそこのレベルで安定してたのは、2010年前後だったかな、というくらいで、その前は公務員的安定だったかなという。だから安定してりゃいいじゃねーかってもんでもないんだけど。
2026年02月14日
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みなとみらいホール 15:30〜 2階舞台右横 ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92 ロッシーニ:「どろぼうかささぎ」序曲 バーバー:弦楽の為のアダージョ ワーグナー:ワルキューレの騎行 J.シュトラウスII世:ワルツ「美しく青きドナウ」op.314 <アンコール> マスカーニ:カヴァレリア・ルスティカーナ 〜 間奏曲 NHK交響楽団 指揮:トゥガン・ソフィエフ Bunkamura主催という体で続いてきたN響オーチャード定期ですが、いよいよオーチャードホールが全面休館になるから、というので、来シーズンはみなとみらいのみ、しかもそれで一旦N響オーチャード定期としては終わりになるそうです。どうなのそれ......で、今後どうなるかわからないので、持ってた座席も一旦白紙になるそうです。どうなの、それ......... 確かに、東フィルの定期も、来年11月の回を以てその先が見えない形になっていて、どうすんだろ、と思ってたのですが..........東フィルの今のポジションはキープして頂きたいと切に希うわけであります。N響とか文化村っつーか東急とかはさ、薄情というか官僚的だから、大して期待はしていないし、さもありなんとは思うんだけれどもさ。 で、終わりが見えてしまったN響オーチャード@みなとみらいであります。これ聞いてた時はそんなことはつゆ知らず、来季はどーなるのかなーくらいに楽しみにしていたのですが...... 今シーズンは「魅惑の映画音楽」シリーズということで、言われりゃ確かにそうですね、という曲なのですが、こうやってみると悪く言えばまとまりも何もない選曲、ではありますかね。 面白いのはアンコール。大概、昨今日本でオーケストラのコンサートで、1月の初め頃にやると、だいたい「美しく青きドナウ」が最後に組まれてたりして、そうすると最後はラデツキー行進曲でさ、皆手拍子でさ、というお正月気分を楽しむ的なのがありがちで、N響オーチャード定期もたいていこの辺の1月第2週の週末に組むので、これ当然ラデツキーなんだろうな、と既定路線と理解していたら、まさかのカヴァレリアがアンコール。で、カヴァレリアの後にラデツキーなんて気分になるわけもなく、そのまま終了........空気読まないわー、ソフィエフ(笑) いや、いい意味で。 カヴァレリアなのは、映画音楽繋がりなんでしょうね。この日のプログラム、映画で言うと、前半が「英国王のスピーチ」。後半は「時計仕掛けのオレンジ」「プラトゥーン」「地獄の黙示録」「2001年宇宙への旅」、で、アンコールはやっぱり「ゴッドファーザー3」でしょう。うん。繋がってはいる。見事に。全くもって正月早々なんちゅうドゥロドゥロなラインナップ(笑) まぁ、後半はこんな感じですから、措くとして、前半のベートーヴェンの7番。これは悪くなかった。ただ、全般に、なんというんでしょ、音は大きくて元気いいんだけど、ちょっと粗いかな、という感じ。それでもベートーヴェンは、なにしろ舞曲続きのリズム勝負というところもあるし、曲に構成があるから、まだ格好がつくんだけれども、後半は、ねぇ。それでも地獄の黙示録はまだいいけど、プラトゥーンとか2001年宇宙への旅となると、歌わないとなんだけど.........歌わないんだよねぇ...........オケが.......... 悪くないっていや悪くないんだけれど、もうちょっと歌ってくれないと聞いてる方はちょっと辛いです。カヴァレリアなんて、その権化みたいな曲なのに...... 思い返せば、話は前後するにせよ、10月から毎月のようにN響は聞いているのだけれど、どうにも今ひとつという感が拭えません。方向性は各々あるにせよ、なんか地力が弱ってる、みたいな感じなんですよ。まぁ、前からでしょ、と言えばそうなんだけれども、ねぇ。「公務員の音」という話をこの間書いたけれど、端的にいや公務員の音ならそれなりに安定してその中でも少しづつでも良くなっていくのなら、まだしも方向性だけはあるのかも知れないけれど、ムラというか、いい時悪い時がはっきりしてるというか、そんな感じもあってね。どうなんだろうな、これ。
2026年02月11日
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サントリーホール 19:00〜 ピット席 J.シュトラウス II世:ワルツ「もろびと手をとり」 ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 op.125「合唱付」 ソプラノ:迫田美帆 アルト:中島郁子 テノール:渡辺 康 バリトン:上江隼人 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:角田鋼亮 思い返せば10月あたりから色々溜まってるんですが、年が明けても滞ってた理由の一つにしたいのが、この公演でありまして。いや、もっと早く書こうかと思ったんだけれど、いくらなんでもね、というのでね....ちょっと書くのにも体力使いそうだったので、結局2月になりましたとさ。 もうこの辺から予想が付くと思いますので、久々にたっぷり余裕を空けようと思います。日本の合唱界は素晴らしいと思っている方はどうぞここでそっと閉じて下さい。.....................もうちょっとかな............................................そろそろいいかな......................... さて。 そもそもですね。こちとら「第九」をサントリーのピット席で聞いてる訳です。だから、正直言うと、あんた何言ってるの的な話ではある筈なんです。でもこの日のはちょっと酷かった。 まず、オケはひどくない。まぁ、それなりです。言いたいことがないわけではないけれど、こんなもんでしょう。独唱陣は、そもそもピットの前の方で聞いてますからね。最初からまともに聞こえるわけじゃないし、それは期待していないし、それにも関わらず文句あるのかといったら、まぁ、これも、言えばキリはないけれど、所詮第九だしね......といったところかと。 問題はね、新国立劇場合唱団なのですよ。 あとで調べたら、同じ日に確かN響も第九をやっていて、こっちも新国立劇場合唱団で、16時から。だから、或いは、あっちが1軍でこっちが2軍だとか、中には餅代稼ぎで掛け持ちしたやつもいるかも知れない。そういうことはあり得るんですけどね。ただ、それにしても、ちょっとどうなのと。 くどいようですがピットの前の方、それも所謂R側、ピットだと左側なのですが、男性合唱の後ろ、で聞いてますから、声のどうこうは言っても詮無いことです。そこはどうでもいい。ただ、何しろ合唱が向こう向きとはいえすぐそこにいます。だから、何を歌ってるかはよくわかる。どう歌っているかも。これが、ちっとも「第九」歌ってるように聞こえないのですよ。 私は専門家でもなんでもないけれど、ちょっと声を出すことはしていて、第九も随分昔、もう30年前に一度合唱で歌ったことはあります。素人ですけどね。本格的に金を取れる公演ではない。あくまでアマチュア扱い。但し、オケは東響、指揮は秋山和慶。なので、アマチュアだけれど、随分練習させられました。何しろ5月からやってました。長くやりゃいいってもんじゃないし、真面目に行ってない方だったし、何回来ないと載せません、みたいなこともなかったけれど、発音から、これは何歌ってるんだ、みたいなことからやらされた。だから、少しは分かるのです。 で、その時の記憶から言うけれど、君達当時のアマチュアより歌になってないよ。 上手い下手じゃないんです。何歌ってるか、全然伝わってこない。 そもそも発音も良くない。ただ、それ以上に問題なのは、言葉に対する思い入れがない。アマチュアでも2、3ヶ月で「第九」歌えますよ、つって、カタカナの歌詞カード渡して、これで歌えばいいんです、みたいなことするじゃないですか。ああいう感じ。要は歌ってる内容と歌うという行為との関連がないんです。 合唱で言うと中盤、今見てるブライトコップ版では練習記号とか小節番号書いてないんで説明しにくいのですが、合唱も独唱も一旦止んでオケが煽るように奏でて後、木管が「ターンタンタン」と3回繰り返して合唱のみで「Freude, schoener Goetterfunken」と歌い出すところ。ここからは合唱の白眉であって、一番歌うべきところなんですよね。ここは、歌って欲しいのです。いや、ここで歌わなきゃいつ歌う。ここは、意地でもレガートで長くフレーズを取って歌い切るべきだし、出来なくて息継ぎしても仕方ないから、意識は切らしちゃあいけない。それが歌ってものです。でもねぇ、全然歌ってる感がないのです。「そこにそう書いてあるからそのように音を合わせて声を出してみました」といったところ。この冒頭のワンフレーズは、 Freude, schoener Goetterfunken, Tochter aus Elisium,となります。拍がー、アクセントがー、とかいうことでなく、この中で大事な言葉は何か?_と言われたら、私はGotterfunkenの前の方とElisium、それに頭だから当然なのだけれど、Freudeを強く発音します。いい加減に訳すと「喜びよ、美しき神々の火花よ、楽園の娘よ」みたいな感じだと思うのですが、大事なのは「喜び」はともかく、「神々」と「楽園」じゃないのかと。少なくともElisiumのliのところにはスフォルツァンドが付いてるし、であればそういう風に歌うものじゃないのか。そして、それ以外は平版とも行かないでしょう。歌なんだからさ。 要するにそれをまるで棒読み状にいっちゃうわけです。歌っちゃう、とはもういえないレベル。 他も似たようなもの。別に私の解釈が正しいとは言わない。ただ、あまりにも、何考えてるかわからない、歌になってないような「合唱」なのですよ。 2軍だろうが、疲れてようが、これはダメだろと。しかも君ら一応新国立劇場合唱団を名乗ってるんでしょ。いや、ひょっとすると、僕ら演劇部門で劇中で合唱するとこ専門で、ちゃんと歌やってないんです、とか言う可能性だって無きにしもあらずだし、もっと言うとそもそもエキストラばっかりだったかも知れない。でも、そうだとしても、これは指導者があまりに雑というか仕事して無さすぎると思います。 このレベルは指導者がちゃんと教導しなきゃいけないし、すりゃもっと改善すると思いますよ、流石に。 オペラでも、最近の合唱は酷いな、とは思っていたけれど、第九でこれじゃぁね。指導者の力量が無さすぎるのだと思います。それか、名前に溺れて省みることなく雑にやらかしてるだけなのか。まぁ、指導できてないんだと思いますけどね。 昔からこんなもんだったのかも知れないですけどね。私が気づいてなかっただけで。だとしても、なぁ。 昔はN響だと新国じゃなくて国立音大だかの学生合唱団でやってたと思うのですが、あれの方がまだよかったんじゃないかな。
2026年02月09日
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新国立劇場 14:00〜 4階右側 クララ/金平糖の精 : 東 真帆 ドロッセルマイヤーの助手/くるみ割りの王子 : 奥村康祐 ドロッセルマイヤー : 福岡雄大 シュタルバウム : 中家正博 シュタルバウム夫人 : 関 優奈 フリッツ : 村田剣一 クララの祖母 : 川口 藍 クララの祖父 : 樋口 響 ハウスキーパー : 関 晶帆 執事 : 小柴富久修 ダンス教師 : 根岸祐衣 ダンス教師の夫 : 水井駿介 クララの友人 : 奥田花純 赤井綾乃 士官候補生 : 石山 蓮 菊岡優舞 田中陣之介 兵士人形 : 小野寺 雄 コロンビーヌ人形 : 五月女 遥 ハーレキン人形 : 森本亮介 新国立劇場バレエ団 東京少年少女合唱隊 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮 : マーティン・イェーツ 振付 : ウィル・タケット まぁ、最近は年末年始の恒例で通っております、新国のくるみ割りであります。 正直バレエにはそれほど思い入れはないので、却って平和な心持ちで、毎々ツリーがでっかくなるのを楽しみに見に行って喜んで帰ってくるのですが、今年はやや波乱が。いやまぁ、結局喜んで帰ってきたのには変わりはないにはないのだけれども。 新国のくるみ割り人形は昔から定番の演目なのですが、2018年からは毎年年末にやってたようです。2020年の年末もやってるので、なかなかガッツのある話です。で、どうやらその前年の2017年に出した演出がずっと使われていて、これは、主人公の女の子、クララですね、彼女がやや大人びた感じで、といってもまぁ子供ですがね、あくまで、まぁ、そんな感じの描かれ方をしているものだったのですが、基本オーソドックスなスタイル。むしろ物語性を表に出したようなものだったかなと。 で、今回から、演出が変わりました。なんというか、ちょっと複雑化。 演出家というか、振付のプログラムノートによると、クララの年齢はもうちょっと上。ドロッセルマイヤーの助手に恋心を抱く、というのが明記されていて、かつ、基本的にこの舞台はクララの夢の世界である、なので、ツリーがでっかくなるあたりからの登場人物は、その前のクリスマスの夜会の登場人物と重なっている、という。言われりゃ違和感無いんですが、見ていると、ちょっと新鮮な感じではあります。なんというんでしょうか。「いつもの」「あのくるみ割り」を見に来ているつもりが、あれ?そうじゃないなこれ、という感じ。クララは金平糖の精となって踊ります。夢だからね。大抵の演出は、クララは「お菓子の国に客人として招かれるので座って見ている」ということになるのですが、この演出ではクララはドロッセルマイヤーの助手にしてくるみ割り人形の王子と主役として踊るのです。ま、夢だからね。でも確かに新鮮。 くるみ割り人形は意外とあちこちでも見ているつもりですが、基本、内容的には流して終わり、なんですよね。つまらないというのではない、ただ、別にくるみ割りに深くは求めてないというか、そういうつもりで見に来てない。お茶漬けみたいなもんで、なんか変に拘ったものは求めてないよ、という。そのブルーチーズ茶漬けとかいうのやめてよね。お茶漬け言うたら鮭か梅干しかただの海苔茶漬けか、みたいなね。で、お茶にこだわりが、とか、鮭はどこそこの特級品のどうたらこうたらとか、そういうのもいいから、という。 じゃこれはブルーチーズ茶漬けかというとそうじゃない。宇治の名店のお茶を取り寄せました、みたいなのとも違う。なんていうんでしょうね。そうだなぁ、お茶漬けなんだけど、ただのお茶と海苔だけだとちょっと味が足りないでしょ、って言って塩ひとつまみ入れときました、とか、昆布の佃煮ひとつまみ載ってます、みたいな。凄く奇を衒ったわけではないけれど、あ、確かに一味あると違うね、というような。 なんだそれ。<自分で言うな あとは、やや「現代演出」っぽくはありましたですね。オペラの現代演出というのとは違いますよ。舞台設定自体は時期がよくわからない感じ。今の日本ではないですね。まぁ、なんとなく19世紀末くらいの欧州のどこか、というような。それは現代的じゃない。じゃぁ何が現代的かというと、出てくる踊り手。秀逸なのがゼリー。ゼリー?ゼリーの踊りなんてあったっけ?あるのですよ、これが。ゼリーが出てきて踊るのです。何言ってるかわからない?来年見てください。是非。 物語性が織り込まれることで、確かに今までにない物語の縦深は出たように思います。確かに、バレエでは物語に奥行きを出すのは難しかったりするので、その意味ではこれは面白かったと思います。出てくるお馴染みの踊り手たちも今までとは一味違った新味があって、これもこれで良かった。 強いていうと、これが陳腐化しないかな、というところかなと。今回は新味故に面白く見られましたが、物語性を出すということは、同時に方向性をつけてしまうということでもある。縦深が出る分、幅はやはり狭くなりがちだと思います。前の演出は、今出しても決して楽しめないものではないと思います。その程度には練れていたし、古びてもいなかった。それを敢えて新演出で挑むのも、まぁ悪くないですが、ただ、これが同様に10年近く持つようなものなのかどうか。これは時間に委ねるとしましょう。何回も見ているうちに飽きるのか、それとも飽きずに見続けられるのか。とりあえず今回は面白く見られましたので、良いのではないでしょうか。 音楽的には、まぁ、東フィルも毎度毎度なので、ね。この日は悪くなかったですよ。
2026年02月09日
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NHKホール 18:00〜 3階左側 シューマン:交響曲第3番 変ホ長調 op.97「ライン」 ワーグナー:神々の黄昏 〜 ジークフリートのラインの旅 / 葬送行進曲 / ブリュンヒルデの自己犠牲 ソプラノ:タマラ・ウィルソン NHK交響楽団 指揮:フィリップ・ジョルダン 今日はあまり予定がなかったので、夜に聞きに行くかと思って買ってあったのですが、今日から明日日曜にかけて雪の予報。やめとくかな.....とも思ったのですが、昼間の雪も積もるほどではなかったし、まぁ、坂の登り降りは大変かもだけど、電車が止まるまではいかないだろ、と思って向かったのでした。 実際行ってみたら意外と人は居る。とはいえそこそこ空席はあったので、元の売れ行きもそれほどではないだろうにせよ、諦めた人もいたのではと。まぁ、正直、このプログラムだと、躊躇する気もわからなくはないかな。 元々Aプロは本格的で重量級のプログラム、というのが売りでした。サントリーでやるBプロが無駄にそういう感じを出してるところはあるにせよ、その位置付けは最近まで変わらない筈でしたが、今回は「ライン」に黄昏の音楽抜粋。これは昔なら、とっつきやすかったりちょっと本流から外れたものをやったりする位置付けのCプロの演目かなと。まぁ、いいんだけどね。 でも、シューマンの交響曲は、ちょっと昨今では微妙な位置付けかも知れないかなと。昔はブルックナーもマーラーもそんなにお気楽に演目には乗ってこなかったと思いますが、最近は皆気軽に入れちゃいますからね。ブラームスが軽く感じるくらい。その頃のシューマンはプログラムのメインに据えて見劣りするような感じはなかったと思うのですが、前半でねぇ。それで後半がワーグナーというのはなかなか..... 演奏は、まぁ、「ライン」生で聞くのは久々かも知れませんが、面白い曲ですしね。良かったには良かったかな。ただ、やはりNHKホールは広いので、今回もかなり横の方で聞いていたのですが、そうなると、距離感が出ちゃいますね。でも、昔はそこまで距離感なかったんですよね。その辺の問題かな。あと、聞いていて「ああ....」と思ってしまったのだけれど、金管が弱い。合わないとか、ミスとか、勿論そういうのはあるんですが、なんかねぇ....... これこの間も書いたかな。最近N響聞いていて、昔感じてた「公務員の音」って感じがまた蘇る瞬間があるんですよね。今回は、金管が特にそういう感じ。なんかね、「楽譜にそう書いてあるから自分なりにそういう音出したつもりです」っていう感じなんですかね。音が音価通り最後までちゃんと聞こえるようにやらない、ってのがその結果なんですが、もう一つ、そのフレーズが何を意味してるのか、聞いててどういうつもりかわかんない、っていうのがあるんですよね。 で、それがもろに出てしまうのがワーグナー。結局、神々の黄昏っていうのは、何をどう言おうが、オペラなんですよ。しかも、例のライトモチーフというやつ、あれ自体は別にワーグナーが発明したのでもなんでもなくて、いろんな形で音楽のフレーズが象徴的に使われるというのをより体系的にやってみせたというだけのことなんだけれど、それ故に、「このフレーズはどういうことを言っているのか?」というような、この部分の演奏で何を聞かせたいのか、どう聞かせたいのか、というのをどう考えてるのかがわかんないんですよね。聞いていて。だからついつまらなくなっちゃう。特に金管がね。ブリュンヒルデの自己犠牲、今回はジークフリートの亡骸が到着したあと、ブリュンヒルデが舞台に登場して後のところから演奏するスタイル。それはいいんだけれど、この場合、ブリュンヒルデの語りの途中、ブリュンヒルデが激するところ。金管が休符を挟んで叫ぶ、そういうところのね、迫力というか、普通に演奏しちゃうんですよ。いや、それは、あまりにも劇として弱いだろうと。上手い下手以前に、そういう舞台の動き、物語の動き、歌の動きを受け止めてないというかね......そういう音楽じゃないと思うよ。 悪い演奏じゃなかったとは思いますよ。でも、いや、そうじゃないんだよなぁ.........という、ね。 タマラ・ウィルソンは、まぁ、NHKホールでこれ歌って一応聞けたので、良かったんだとは思います。でも、大騒ぎするほどのことでもないなぁ。 まぁ、小雪ちらつく中行って損したとは言いません。でも、まぁ、こんなもの、って感じではありますかね。定常運行ってことでもあります。
2026年02月08日
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オーチャードホール 15:00〜 3階正面 レスピーギ:ピアノと管弦楽のためのトッカータ <独奏アンコール> D.スカルラッティ:ソナタ K.96 L.465 マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」 ピアノ:五十嵐薫子 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:渡邉一正 東フィル1月シリーズはバッティストーニが登場!の筈だったのですが、なんかスケジュールミスで、その前にシドニーだったかからやってくる深夜便が実は飛んでなくて来られない、という、まぁそう言っちゃなんですが前代未聞の理由でキャンセル。いやいやいやいや。 もう興味ないんですかね。確かに、東フィルは3シーズンオペラないですからね、バッティストーニ。アマチュアとの演奏会が東フィルで2月にあって、そっちはまだキャンセルになってないけど.....個人的にはやはりチョン・ミュンフンよりはバッティストーニの方が好きなんですが。 で、代振りが渡邊一正。コロナで演奏会が一斉に停止されて、復活第一回の演奏会も渡邉一正だったのですが、今回も困った時の一正ってところで。いや、この前の週にもキャンセルされた演奏会があって、そっちはコバケンだったんですが、定期の方は渡邉一正。それはいいんですが、なんだかなぁ.....どうしよう......と思ってたら、払い戻しの案内が。それはそれでどうなの、ってことで、平日はわざわざ行かないとして、休日は行くことにしました。 行ってみるとそこそこ空席が目立つ感じ。半分は居たのかなぁ。3階は比較的人が居たように思いますが、それでも6割くらいだったのか。1階はもっと少なかったと思います。 まぁねぇ。バッティストーニのつもりで居たらキャンセルだった、というのでがっかり、というのは気持ちはわかりますけれどもね。わかるけど、ちょっとあからさまかなぁ。まぁ、ひとのこた言えないんだけどね。 前半のレスピーギは、正直よく分からなかったです。端端で、特に響きが、時々面白くはあったけれど、うーん。そんなに一所懸命聞きたいとまでは思わないかな。賑やかな曲ではあるけれど。 独奏の五十嵐薫子も、だから、あまりよくは分からなかったです。ただ、アンコールのスカルラッティは、ちょっと選曲ミスではないかな。勿論アンコールだから、好きなもの弾いていいんですけれどもね。でも、こういう賑やかな曲の後で、本来端正な音楽のスカルラッティはちょっとテイストが違うので、演奏する方が難しいと思うのです。でも、それがあまり上手くいってなかったような。ちょっと粗かったですかね。勿体無い気はします。 後半はマーラー。 いや、面白かったですよ。正直「巨人」なんて聞きたくなくても何度も聞かされているのだけれど、あんまり面白いと思うことは多くないんですよね。相変わらず見通しが効かないというかとっ散らかっているというか。 この日は、どういう塩梅かよく分からないけれど、そういうとっ散らかった感じがあまりなかったように思います。こっちの聞いた感じに過ぎないので、ただの思い込みかも知れませんけれどもね。でも、マーラーでよくある感情過多、表現過多、身振り手振り多過ぎスタイルの演奏とは違って、落ち着いたものだったと思います。そういうのがいいと言われるのかどうか、多分こういうのはあまり「いい演奏」だの「名演」だのとは言われないと思うんですけれどもね。でも、マーラー聞いていて、嫌味に感じない、膨満感を感じない、といって無理にスタイリッシュにしようとするようなのとも違う、こういうのはあまり多くないです。これ途中まで書いて暫く置いてしまっていたのだけれども、改めて思い返しても好感の持てる演奏ではあったと思います。 ちょっとね。もったいないなと思いました。結構いい演奏だったのにね。勿論私もバッティストーニ聞きたかったし、その意味ではとても残念。でも、だからって、聞かないのも、時には勿体無いということもあるのですよ、きっと。
2026年02月05日
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東京文化会館 14:00〜 5階右側 プッチーニ:妖精ヴィッリ アンナ:迫田美帆 ロベルト:所谷直生 グリエルモ:清水良一 マスカーニ:カヴァレリア・ルスティカーナ サントゥッツァ:小林厚子 トゥリッドゥ:藤田卓也 ルチア:米谷朋子 アルフィオ:森口賢二 ローラ:高橋未来子 ダンサー:木村寿美、田川ちか、時安結女、西田知代 藤原歌劇団合唱部 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:柴田真郁 演出:岩田達宗 藤原歌劇団の公演ですが、どうやらこのあと暫く日本語のオペラばかりやって、藤原のレゾンデーテルみたいな筈のイタリアオペラは来年3月に蝶々夫人まで無いようです。藤原もなぁ.....いよいよこうなっては観に行く理由もなくなったかなぁ........といって、アマチュアに行く気もあまりしないし、新国もなぁ...... 日本のオペラ団体が日本で公演を打つのもここまで落ちてきたか、という思いは一入です。正直藤原以外の団体は皆実質的にアマチュアですからね。新国立劇場が出来た頃は、これで日本のオペラももっと盛んになる!みたいな話でしたが、現実はずっと先細り。まだしもマシな新国だって低調ですしね。 どうしてこうなった、というのは色々理由はあると思いますが、まぁ、新国が出来る頃に、文化庁が助成とか出す基準をおかしくしてしまったようで、それが、志の無い(ありゃ低いなんてものじゃない)連中を多数輩出して、結果、まともに相手されないような連中が溢れかえってしまった......といったところでしょうか。 とはいえ、手心加えて「よかったですね〜」なんていうのはダメを加速するだけなので、やはりきっちり言わせて頂こうと思います。ひょっとすると藤原に関して何か書くのはこれが最後になるかも知れない、くらいには思いつつ........だって、蝶々夫人嫌いだし.......... で、のっけからですが、もうなんというか、本当に............はぁ。出るは涙か溜息か、といった調子でした。 一応言うと、これ、土日公演で、土曜日に砂川涼子が出ているので、位置付け的にはおそらくは土曜が表で日曜日は裏キャストなのでしょう。失礼な言い方ですけれどもね。でもそんな感じ。なので、確かに、あまり期待は出来ないのですが... 歌唱陣は、サントゥッツァの小林厚子だけがまぁまだ及第点だったかなと。それ以外は正直言及の余地無し。。 そう書くと、「いや、ちゃんと皆歌えてたじゃないか」と言われそうですが、声でかいのは大概がなってただけです。そう、ああいうのは、がなるっていうんです。 わかりやすいのが、トゥリッドゥ。確かにパッと聞くと、声は大きいし、いい!って思う人はいるんでしょう。でも、率直に言って、歌としては、何したいのかさっぱりわからない。まぁ、確かに、トゥリッドゥって、そもそも浅薄でくだらない役なんだけれど、とはいえ、浅薄なりに、その時その時何を考えていて、どうしたいのか、というのはある。それを歌にしなきゃいけないのだけれど、それが出来ていない。だから、二重唱でサントゥッツァと歌うと、ちゃんと心の動きが見えるサントゥッツァと、何したいんだかわからずにがなってるトゥリッドゥという形になってしまい...... この辺の、何歌ってるのか分かってるのか、というのは合唱も同じ。そもそもこの日の公演は、「妖精ヴィッリ」の最初からなんだかなぁという感じでして。このオペラ、村の青年ロベルトが村から町へ行くところから始まるのですが、そこで、村人が村の青年が出掛けるのに「ばんざい!」と叫ぶのです。そう、Eviva!なんですね。このEviva!が、正直、ヴェルディの「オテロ」で主人公が登場、というか、嵐を乗り切ってキプロスに上陸した英雄的司令官に叫ぶあれじゃねーの?というくらいに乱暴でやたらと声がでかい。もうこの辺から「一体この人たち何したいのよ....」という感じでした。 声がでかいのはいいのよ。元気なのもいいのよ。でもさぁ、そこで自分が、どういうシチュエーションで、何を歌っているのか、もうちょっと考えろやと。これは勿論指導者の問題でもあります。指揮者の問題でもある。 合唱が何したいんだ、というのは、カヴァレリアでも。復活祭の日、合唱が教会から主を讃える合唱。これもね、ここは神に祈ってる訳ですよ。しかも喜ばしい感謝の歌。いや、それに対し、解釈として、そうではない含意を持って歌うのならば、それでもいい。でもさぁ、君ら、何も考えてないでしょ。そう書いてあるからそう歌っただけで、自分、というのはつまりその役所が、何を考えて何を歌っているのか、考えてないでしょ。それはその他大勢の村人であっても、考えてやらなきゃダメなのよ。とてもそういう風には見えも聞こえもしなかった。 確かに、演出にも問題はあります。いや、演出もきっちり問題かな。 ある意味オーソドックスではあります。ただ、予算の都合もあろうとはいえ、ちょっとそれどうなの、という舞台の作りではある。 舞台中央には噴水のような場があって、その中央に祭壇のようなものだったり、おそらくはマリア様の像があったり。これは演目によって使い回し。それはいい。で、全体的にも、まぁそれなりに演出作りました、という感じではあるのですが、如何にも詰めが甘い。考え切っていない。 例えば妖精ヴィッリ。これ、舞台はシュヴァルツヴァルトの村で、町に出て帰らず....はいいんですよ。で、恋人を裏切った男が妖精に取り憑かれて死に至るという伝説の通りになる。 日本でもまだ田舎の方に行くと、森と言いたくなるようなところがあって、そこは確かに鬱蒼として気味の悪い、人間の文明の通用しない世界を感じたりしますが、シュヴァルツヴァルトなんかはまさにそういう世界。魔弾の射手は、あれはもっと東の方だったんじゃないかと思うけれど、あれも同じような世界。ドイツの森というのはそういう人外魔境みたいなものの象徴でしょう。で、予算の都合もあるだろうから仕方ないんだけれど、結局村の真ん中と同じ見た目の場で森の奥深くで取り殺されるような場をやらざるを得ない。そこをもうちょっとどうにかしようという意図が見えないんですよね。そもそもこの村の背景、上の方で見てたから定かでは無いけれど、村というより街みたいな背景の書き割りで、それはちょっとアイディアとしてよろしくないなと。 カヴァレリアも、人の使い方があまりうまくはなかった。村人、つまりその他大勢を、仮面を付けて異形のものみたいに扱ってしまうのだけれど、なんでしょうね、サントゥッツァを疎外する存在として描きたいのはわからなくもないけれど、それじゃやりすぎかな。 あと、これはこの人に特徴的なのだけれど、余計なことしすぎなんですよね。アルフィオは馬車屋の親方でやや粗野な人物造形、というのは分かるけれど、この演出ではちょっとマフィアっぽい出し方をしてしまう。気持ちはわかります。でもその結果、アルフィオには黒づくめの取り巻きがいて、これが如何にもチンピラっぽい動きをしてしまう。確かにそうすることで、トゥリッドゥは殺されるだろうな、というのも分かるし、ニュアンスもわかる。でも、それは、元々このオペラが持っていた方向性をやや偏った方向に規定してしまうんですよね。 このオペラのタイトルは「カヴァレリア・ルスティカーナ」。直訳すると田舎騎士道とか言われます。田舎なんです。田舎で騎士道をやってるんです。確かにシチリアだし、そういう方向に持っていきたいのはわかる。でも、アルフィオとトゥリッドゥは決闘をするのであって、決してマフィアが間男を始末する話ではないのです。 いや、そういう出し方しちゃいけないとは言わないけどさ。でも、それがどういうふうに作用するのか、考えて欲しいのですよ。 オケは、まぁ、推して知るべしというか、合唱がこうである以上想像はつくでしょう。というか、正直、音大き過ぎ。あのねぇ、東京文化会館って大きく見えるから恐怖感があるかも知れないけれど、舐めちゃいけないって。ここはちゃんと聞こえるんです。もっと繊細にやっても大丈夫。指揮者は歌手も含めてもっと抑えさえせるべきだった。ヴェリズモ・オペラというのは誤解されてるようですが、もっと繊細にやっていい音楽なのですよ。 一方で、この日、ブーイングが出てたんですけどね。いや、あれはひょっとすると発音の悪いぶらぼおおおおおおだった可能性も完全には否定出来ないんですが、まぁ、多分、ブーイング。 分からないとは言いません。私もかなり厳しい評価。でもねぇ、率直に言いますが、これでブーイングなら、新国の公演は半分くらいはブーイングものだと思うし、二期会とかいうアマチュア団体に至っては、ブーイングどころか物が飛ぶレベルですよ。火ぃ付けられてもおかしくない。裏キャストだったから、というのは言い訳にならないし、この日はかなりぶらぼおおおおおおも飛んでいて、正直、もう藤原もお師匠さんにぶらぼおおおおおおを掛ける場、という意味で、完全にアマチュア化してるのだろうとは思いますが、だからといって、一応公開公演であるならば、という意味でいうと、正直がっかりもしたし、詰めが甘いとは思ったけれど、そこまで酷いのか?とも思うし。掛けた奴は何故これがブーイングに値するのかA4で35ページくらいの説明をするべきだとは思います。 なんだろうなぁ。 そう言っちゃ失礼だろうけれど、でも、これじゃぁねぇ、とは思うのですよ。 これが最後の藤原評にはしたくないけれど、まぁ、あまり期待出来ないのかなぁ。
2026年02月01日
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あちこちで大変と言いながら、ライヴビューイングだので一人ブイブイ言わせてた感じのメトが大変らしいと.....メトロポリタン歌劇場、継続する財政難で解雇、給与削減、プログラム縮小を発表https://www.broadwayworld.com/translate/ja/Metropolitan-Opera-Announces-Layoffs-Salary-Cuts-and-Reduced-Programming-Amid-Ongoing-Financial-Strain-20260120Metropolitan Opera House announces layoffs, salary cuts amid financial woes: reporthttps://abc7ny.com/post/metropolitan-opera-house-announces-layoffs-salary-cuts-amid-financial-woes-ny-times-reports/18440938/Metropolitan Opera Clashes with ‘Carmen’ Team Following Restaging of Act Twohttps://operawire.com/metropolitan-opera-in-dispute-with-carmen-team-following-restaging-of-act-two/ メト、というかニューヨーク自体、9/11の前に行って以来行っていないので、本当のところ今どうなっているのかよく分からないんですけれどもね。 ただ、ライヴビューイングとか結構やっていて、確かに一人気を吐く感じではあったのですが。 どうやら、サウジアラビアで引越公演をやる売り上げというか契約金が当てに出来なくなって、急遽人員削減、給与カット、更にはリンカーンセンターの劇場を飾るシャガールの壁画を売りに出す、と、いやはや。 で、その結果、上演中のカルメンの2幕の演出で、ジャガーとトラック2台でエスカミーリョが登場、という場面で、予算削減の為、ジャガーを排してエスカミーリョは歩いて登場、代わりにトラック1台だけで、あとバイクで出てくるんだとか。その結果の削減額が、見間違いでなければ数千万円なんだと。で、演出家が、それなら自分の名前をクレジットに出すなとかなんとかかんとか........ メトに関しては、まぁ、言い出すとキリがないのですが、個人的にはあまり好きではありません。歌手はカネに飽かせてやたら拾ってくるけれど、基本金持ちの道楽という域を出ないような。変わってきたのは9/11以降でしょうか。あの辺からあの国はやはり何か変質が始まっているような気はするんですが、その辺で、金持ちの道楽、の道楽者が減ってきたような気はします。メトがライブビューイングとかやり始めたのはその頃からだったかと。勿論それには技術の展開が伴ったからというのはありますが。 で、欧州で猖獗を極めた現代演出は、なかなかアメリカには、特に道楽の殿堂・メトには上陸しなかったのだけれど、いつの間にかすっかり現代演出に染まり、というのが現状だと思います。その一方で、歌手は、どうもよく分からないんですよね。ただ、メトで出ていた歌手がそんなにいいのか、というと、どうもそういうわけでもないな、というのが現状じゃないかと。 いや、公平に言えば、今、世界中で歌手は払底しているよな、というのが正直な感想です。どこにもいない。いや、言い出せばキリがないので、とりあえず公演を打つ程度には歌手はいるけれど、本当に、これはいいなという人はいなくなってしまった。レネ・パーぺだっけか?なんかメトで人気の歌手、という話だけれど、少なくとも録音で聞く限り、別に大したことないなという。カウフマンも、まぁあれは欧州でも歌うし、相応にいい歌手だと思うけれど、そんなにすごい歌手でもないだろうと。 それが理由かどうかはともかく、そうはいってもあれだけブイブイ言わせてた筈のメトが財政難、しかも当てにしてたのがオイルマネーで、それが入らなさそうでさぁ大変、というのは、なかなかに皮肉の効いた話だと思います。確かあの劇場には、テキサコか何かの、つまり石油会社の名前が付いたラウンジだかなんだかがあったと思うのだけれど、それを思うと隔世の感があるというかなんというか。日本はとっくにそうなんだけれど、あの国もやはりそこが見えてきちゃってるのだな、という。いや、社会全体としてはまだそうでもないんでしょうけれど、オペラなんてもう支える気はないのかも知れないですね。あの歌劇場は私的支援で支えられている劇場だけれど、もう国内だけでは支えきれない、という。 あとはアレですかね。Netflixあたりに放映権売るとかですかね。スマホでライブビューイングで見た気になっちゃうとか、もう、ねぇ。 で、最後の演出の話ですが、これなんかバカな話だな、としか思えないんですよね。ジャガー出さずに済ますと4千万円の削減、てのは、ジャガーを借りるのか壊すのか、そういうコストでしょ?もはや。それが演出のキモになるのかというととてもそうは思えないんですがね。 私は決して現代演出を嫌っているわけではないですが、ただ、演出というものも、観客の評価を経て洗練される、言い換えればダメなものは篩い落とされていくものだと思っています。ト書きに忠実っぽい「伝統的」演出は篩い落とされる部分が少ないから無難なものとして生き残ってしまう、それに対して新しいものを試みるのは、それ自体は間違いではないと思うけれど、同時に、新しいものが常に価値があるなんてことは全くないのであって、むしろ大半はダメダメのクソだというのが実情だと思います。そりゃ言うまでもなくそうでしょ。しかも単に新しく制作するだけじゃなく、「独自の視点」なんてくだらない演出家個人の自我なんか入れてきた日にゃ大半はクソですよ。少なくとも現代から見ればオーソドックスに見えるであろう、ゼッフィレッリ、ポネル、クプファー、そうした天才なんてごく少数なんですから。そういう意味ではいわゆる「現代演出」の演出家にそのクラスの人はまぁいないですね。コンヴィチュニー?アレは典型的チンピラでしょ。個人的には、グラハム・ヴィックが、まぁまだしも高いレベルだとは思うけれども。 要するに、「新しい演出」なんて大半はクソで、でも、新しいものというのはそういう意味で洗礼と選別を経ていないのだから、そういうものなんですよね。大体が。新しい演出はどんどん叩いていいけれど、新しい演出を出さないようにするべきではない。 ただ、エスカミーリョを登場させるのにジャガーでなきゃダメだ、というのは、もうその時点で演出のダメさ加減が窺い知れますよね。メトも迷走してるな、と思うのは、そういうところかなと。カネがないことは確かに問題だけれど、ジャガーでなきゃ演出として成立しないと言い張るような演出家を起用しちゃってる時点で、もうダメかなと。そこにどんだけカネ突っ込んでんだよ、というね。うるせえな、カネあんだからいいんだよ、って反論ももはや通用しないわけで。ね。
2026年01月27日
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14:00〜 新国立劇場 4階右側 アイゼンシュタイン:トーマス・ブロンデル ロザリンデ:サビーナ・ツヴィラク フランク:レヴェント・バキルジ オルロフスキー:藤木大地 アルフレード:伊藤達人 ファルケ博士:ラファエル・フィンガーロス アデーレ:マリア・シャブーニア ブリント博士:青地英幸 フロッシュ:ホルスト・ラムネク イーダ:今野沙知恵 新国立劇場合唱団 東京シティ・バレエ団 東京交響楽団 指揮:ダニエル・コーエン 演出:ハインツ・ツェドニク 結局10月以降ほったらかしに近いわけですが、オペラを観たらまぁ書こうかな、とは思うわけです。良くも悪くも。 ハインツ・ツェドニクの演出は20年続いていてこれで8度目。まぁ手垢は付いてますが、確かツェドニクの演出はフォルクスオーパーだったかでも出ていて、内容は違うけれど(アイゼンシュタインはサケを注文するわけではない)ネタ的には被っていた筈で、悪く言えばマンネリだけれど、よく言えば練れているのも確かではある。そして「こうもり」は新しいものを求めることに大して意味は無かろうというものだろうから、これはこれでいいとは思うのです。 とはいえ卓越しているというわけでもなし、よって公演の面白さはその時その時の作られた舞台で決まるわけですが、しかし、ねぇ........ 結論から言うと、拍手(ぶらぼおおおおおおじゃないですよ。ただの拍手)に値するのはフロッシュくらい。歌唱陣はダメか凡庸のいずれか。 フロッシュは良かったです。そもそも声がちゃんと出ていた。言い換えれば他の面々は出てないか怒鳴ってるだけ。前者が多かったのが特徴ですかね。フロッシュは何言ってるかちゃんと聞こえるし(こうもりでよくある時事ネタのアドリブとかないですしね)、あれはピツィカート・ポルカだったか、に歌詞をつけたのを歌ってたけれど、まぁ小唄レベルですが、ちゃんと歌ってた。他は、ねぇ。ロザリンデやアデーレやオルロフスキーは舞台上で向きを変えると途端に聞こえなくなるというレベル。向きを変えると声の出る方向が変わるから聞こえ方が変わるのは当たり前で、それでも聞こえるというのが歌手というもので、それが出来なかやアマチュアレベルでしょう。まして新国立劇場はよく聞こえる甘々の劇場なのだから。これ、東京文化会館だったら成立してすらいないと思います。怒鳴ってるのがアイゼンシュタインとアルフレード。アルフレードとフロッシュのやり取り聞いてると、どっちが役柄上歌手だか分からないくらい。ファルケとかは、まぁ、可もなく不可もなくクラスかなぁと。 合唱は何歌ってるか分からないのはいつも通り安定のダメさ加減。今度書こうと思いますけど、年末の第九でこりゃいくらなんでもというのを聞かされたのもあって点は辛いですが、良く言う要素も無イノでしょうがない。 いや、独唱陣も、見ようによっては「いや、あれは良かった」「これは良かった」って言うことも出来なくもないのかも知れないけれど、正直、このレベルじゃなぁ、と言うのが本音。いいところを探す前の基本レベルがダメじゃん、という。 バレエは、まぁ狭いししょうがないけど、ピリッとしないなぁ.....まぁ、多くを求めるものじゃないしね......と思って見てたのですが、新国のバレエ団じゃないのですね。いいんだけどさ。でも、こういう時、新国のバレエ団じゃないのは、奇妙ですね。バレエを持ってる劇場で、こういう時に踊るのが座付きのバレエ団じゃないってこと、そんなにあるのかしらん。新国はバレエはバレエ、オペラはオペラ、ってやってるつもりなのかも知れないけれど、奇妙だと思います。申し訳ないけど、わざわざ呼ぶほど優れているというわけでもないでしょうし。 そもそもこうもりを年末にやるというのはウィーンの習い性で、それというのも何故か舞台設定が12月31日だから。なので、ジルベスタこうもりはガラコンサートのような扱いなのです。ウィーンでも、フォルクスは知らんけど、国立歌劇場の方は、12/31の公演だけは、2幕がガラ仕立てになる。ゲスト歌手を呼んできたりする。それはあくまで12/31の夜だけで、翌1/1の元旦の夜もこうもりはやるけれど、ガラはない。ミュンヘンでも12/31はガラ仕立てで、ゲストでアルバレスだかが歌った上に、ボードヴィル芸人というのか、日本だと牧伸二のウクレレ漫談みたいなのが入ったりして。前に一度チューリッヒのこうもりを見たことがあるけれど、その時もガラでした。 別に1月末にこうもりやるなというわけではないし、公演日は特別な日でもないので、それだけのことではあるけれど、言い換えればこうもりなんてわざわざ有り難がってやるもんでもないですよ。それでもやるんだったら、もうちょっと楽しませることをやるべきだと思うんですよね。それが演出の日本語くすぐり、というのは、まぁ、寒いよね。バレエくらい本気で出せばいいのに、と思う所以。まぁ、それでも、歌唱陣が良ければ、そこまで気にしないんでしょうけど、なにしろ無惨な出来なので.... オケは.......指揮者は頑張ったんでしょうね。ただ、元がどうしようもないので、ねぇ。歌わない、楽しくない音楽。まぁ、東響だからね。バレエのテンポが遅かったり、チャルダーシュもなんかぎこちなくギッタンバッタンみたいな感じだったのは、演者に合わせたんだ、ということにしておきましょう。 初日は絶賛だったという噂も聞くし、今日もやるようだから、昨日はセーブしてました、てなことなのかも知れないけれど、多分無いな。正直これのどこがいいのか分からなかった。今日のためにセーブしてたとしても、聞く方はその日のそれしか聞かないのでね。客にその言い訳は効かないのだよ。
2026年01月25日
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というわけで旧年中の記事もろくすっぽ書かないままに年が明けてしまいました。 去年は謹賀新年ってバレンタインデーに書いてたんですね。こりゃ酷い。酷いけどまぁそんなもんか。でも、「聞きに行く理由がどんどん減っている気がする」って書いてましたね。これは本音だなぁ。 昔は良かった、ってことになっちゃうんでしょうけれど、それでもやっぱり言うなら、演奏の質というかレベルというか、というのはやっぱり下がってるよな、とは思ってしまいます。それは日本だけじゃなくて海外でもそうだなと思うのは昨日書いた通りなんですが。だからって全然慰めにはなってないし。 思い返してみると、去年は頓にリサイタルの類に行く回数が減っていたと思います。オペラもですが。来日系は明らかに減っていると思うし、その数少ないのも、平日公演になってたりして、買いづらかったのは確か。その傾向は大きくは変わらないのでしょう。だから、今年は更に輪を掛けて聞く回数は減るんじゃないかなと思ってはいます。ちょっと忙しいってのもあるんですけどね。 LFJは色々ありつつも、今年もやることは決定したわけですが、そろそろ限界かなぁ.... 良くも悪くも、今のやり方を見直す時期に来てるのではないかなとは思うんですよね。初回の時に「テレビで見たんだけど、なんかよくわかんないんだけどベートーヴェンの珍しい弦楽四重奏ってのが聞けるんですって?」とか言ってイザイ四重奏団だったかのベートーヴェン初期四重奏曲のコンサートに来てたおばさんを思い出します。その頃の理念というかショックというかから随分遠い所に来てしまったなというのはしみじみ感じます。やめろというつもりは更々ないのだけれど、あり方はもう一度ゼロクリアで考え直すべきなんじゃないかと思います。 まぁ、ともあれ、今年もよろしく。
2026年01月01日
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また結構ほったらかしてました。忙しくて忙しくて。 忙しいと言いながら、年末に旅行に行っていました。今日、というか昨日帰ってきたのですが。どこに行っていたかというと、スイス。まぁ、安いチケットがあったから、に始まって、その後中国との騒ぎでキャンセルになったりして色々あって、まぁ、ともかく弾丸で行ってました。目的はむしろ別にあったのだけれど、行くとなれば当然聞きに行ったりしてたのですが。 スイスとなればチューリッヒで、あそこの歌劇場は昔からやや半端な現代演出と、割と金に飽かせていい歌手を揃えている割に、聞き手はあんましわかってないなーって感じだったのですが、10年ぶりくらいに行ったら、なんか残念度が酷くなってましてね。 で、見ていて、ああ、と思ったのですけれどもね。なんか最近の現代演出って、チューリッヒに限らず、なんかこうチンピラ化してる気がするんですよね。これオペラに限らず、日本だったらTVドラマとか漫画とかもそうだと思うんですけれども、陳腐化してるのはそうなんだけれど、妙にチンピラ化してる気がするんですよ。やってる人も受け手の側も、皆心性がチンピラなんじゃないかな、という気がしていて。 チンピラってのはですね、単に態度だの思考だのがチンピラだ、というだけじゃなくてですね。いやそれはそうなんだろうけど。創作の根本にある人の思考とか感じ方がものすごく薄っぺらくなってる気がするんですよ。チンピラってのは何故チンピラなのかというと、そういう考え方とか感じ方とかものの見方が薄っぺらいんです。だから、共感も持てない。持てるとしたら、すごく薄っぺらい物でしかない。はっきり言ってチンピラに創作は無理です。人間の考え方や感じ方やものの見方の縦深というのがないし、理解出来ない。だから表現も出来ない。 そういう人は増えてるんだろうな、とは思っていたけれど、創作の基本的なところで、そういうチンピラ的な人が担い手になってしまっている。或いは、流石に担い手はまだそこまで劣化していないかも知れないとしても、受け手がもうそういうレベルに堕ちてしまって居る、ということではないのかなと。 リゴレットとか見てきたんですけどね。現代演出なのはいいんですよ。でも、演出されてる廷臣がどう見てもただのチンピラでしかない。というか廷臣以外も登場人物ほぼ全員チンピラなんですよ。まぁ、分かりやすいんでしょうね。でも、そしたら、原作もただのチンピラ物語書いてたんですかね。そうじゃないと思うんですよ。古典ってのはそんな簡単なもんじゃない。 言い方を変えると、理解出来ないものを理解出来るレベルに落としてしまう、のですかね。そういうことって、まぁ、昔から無いでは無いのだけれど、このレベルはちょいと低過ぎませんかね、という。薄っぺらすぎる。こんなに薄っぺらいと、ジルダも、リゴレットも、勿論マントヴァ公も、みんなただ大してものを考えていないだけの人になってしまう。むしろ、行動原理がはっきりしているスパラフチレやマッダレーナの方が人間造形がしっかりするという。 まぁ、その辺は仕方ないんですけど。ただ、歌い手も指揮もね、ちょっとね。チューリッヒは前から、相当レベルの高いところではあったのです。指揮者で言えば、私が聞いたことあるだけでも、アーノンクール、サンティ、ウェルザー=メストが出てきてたし、それ以外もちゃんとしてた。歌手は、座付きみたいになってたのはルッジェロ・ライモンディ。グルベローヴァは常連になってたし、他にもエレーナ・モシュクはここで台頭した人だったし、割といい歌手が多かったんですよ。 それが、今回は、声はあるけど歌がどっかに行っちゃってるような人ばかり。主役級で唯一まともに聞けたのはジルダのみ。あとは、低音が出たという意味でまともなスパラフチレと、やっぱり端役のマッダレーナ。いや、外題役もマントヴァ公も、はっきり言ってへたっぴですよ。下手だけど大喝采。なんで?というレベル。そして、指揮。酷かった。やたら劇的表現のつもりでテンポ揺するんですよ。リタルダント掛けまくって。でも、ヴェルディの中期三部作は、というかやはりヴェルディという人は、やっぱり基本は古典的な音楽表現の延長線上にいる人なんですよ。いや、ヴェルディに限らずロマン派の音楽って本当はそうなんですよ。やっぱり古典の基礎の上にある。そしてヴェルディなんかは実はその辺はかなりコンサバティヴなんですけどね。本当は。 まぁね。仕方ないっていやその一言で済んじゃうのかも知れないですけどね。年の瀬になんか考えちゃいましたね。
2025年12月31日
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新国立劇場 14:00〜 4階右側 / 3階左側 アルバン・ベルク:ヴォツェック ヴォツェック:トーマス・ヨハネス・マイヤー / 駒田敏章(11/22) 鼓手長:ジョン・ダザック アンドレス:伊藤達人 大尉:アーノルド・ベズイエン 医者:妻屋秀和 第一の徒弟職人:大塚博章 第二の徒弟職人:萩原 潤 白痴:青地英幸 マリー:ジェニファー・デイヴィス マルグレート:郷家暁子 新国立劇場合唱団 TOKYO FM 少年合唱団 東京都交響楽団 指揮:大野和士 演出:リチャード・ジョーンズ うーん.................... まだ書いてないのが他に色々あるのですが、とりあえずオペラ優先で。 ヴォツェック。個人的にはかなり著名なオペラだと思っています。というか、ええとですね、まず、そもそも、アルバン・ベルクって知ってますよね?ってところから話を始めないといけないのか、私、そう思ってないんですけどね...... ヴォツェックは2009年に新国立劇場で出しているらしいです。いや、年は覚えていないけれども、やったのは覚えているし観たのも覚えている。私の場合ヴォツェックと言われると、舞台というか映像というか、のイメージとしては、まず、アバドが振ったのがLDで出ていて、これは後々DVDでも出たと思うのだけれども、これがまず最初。最後の、孤児として独り残された子供が一人で遊んでる姿が衝撃的で、正直、前の新国の時も同じようなイメージがあって。その他に観たことあったかと言われると、ザルツブルクで一度出したのを途中まで観た事がある。体調悪くて途中で帰ったんじゃなかったかと思うのだけれど、あれは誰が振ってたか。まぁ、そんなものではあります。確かにあまり頻繁に観られない演目ではあるのではありますが。演奏会形式だと、今年、読売日響がやったんでしたっけね。あれも聞いたけど、まぁ、やはり演奏会形式と舞台上演とでは、流石にね。 ただ、少なくとも昔は、ヴォツェックは新ウィーン楽派唯一と言ってもいいオペラで、加えてブーレーズなんかの録音があったりしたので、かなり存在感のあるオペラではあったのですよ。実際、ウェーベルンはオペラ残していないし、シェーンベルクにはモーゼとアロンがあるけれど、あれは新ウィーン楽派の時代とはちょっと言えないし。 ですからね。正直言うと、知名度の割にレア度は高いと思ってたんですよ。とはいえ、確かに陰鬱な作品ではあるので、なかなか厳しいかなとは思ってはいたものの..... 15日は割と後ろの方だったので埋まり具合はあまりよく分からなかったのですが、22日は前の方だったので埋まり具合がよく分かったのですが、1階、2階は後ろの方はガラガラ。3階も後ろ2列くらいはガラガラで、埋まってると言えたのは4階席くらいでしょうか。まぁ、確かに、集客に苦労するだろうなとは思ったのだけれども、問題は終演後でしょうか。拍手がね、とっても微妙な感じなんですよ。なんというか、これ、拍手していいんでしょうか、これ、良かったんでしょうか、というような感じのですね.... 概ね話がわかっていて、他の舞台を知っている身には、格別突飛な演出とは言えないと思います。時代を100年か数十年かくらいずらしている感じではあるけれど、それほど違和感のあるものではないし、それでどうこういう人もまぁいないでしょう。唯一違和感があるとすれば、最後の場面。子供達が遊んでいる場面なのですが、これが、オペラ幕開けの場面を再現している。ただ、幕開けは、ヴォツェックや大尉や他の兵隊達がいて、という場面を、皆子供達で再現している。まぁ、ねぇ。多分、同じ構図が再生産されていくのだ、みたいなことを言いたいんでしょうけれど、あまり出来は良くないかな。むしろ、なんというか、今こういう物語を受け入れる余地が無いのかしらね。この演出でのヴォツェックは、ある種の異常性がかなりはっきり見えるようになっていて - 決して誇張しているわけではないのだけれど - 、それもあって、受け止め切れなかったのかしらね。でも、こんなこと言っちゃぁなんですが、そもそも客の方の受容性という意味でのキャパが落ちてるというのはあるのかしらね。「分からなかった」という人は少なくないのかも。 実は、プログラムは買ったものの、なんやかやでまだ見てないんですよ。だから、演出家の意図はまた色々あるのかも知れないけれど、まぁ、観た感じではこんなとこですかね。 演奏は、まぁ、こんなものでしょう、といったところ。というとちょっと厳しすぎるかな。外題役は22日には健康上の理由ということでアンダーカヴァーの代役でしたが、まぁまぁなんとかなっていたと思いますよ。そもそも声で圧倒するような作品かといえばなんともですし。ただ、ヴォツェックの狂気、という意味では、やはり本来のトーマス・ヨハネス・マイヤーの方がまだ差し迫っていたかなとは思います。とはいえ大役での代役ですからね。及第点でいいんじゃないでしょうか。 全般にはやはりこんなもの。いや、そう悪くはないと思いますよ。ただ、なぁ。ある種の厳しさがオケには欠けていたかな。アインザッツがどうこうとか、あまり言うほど気にはしてないつもりなのだけれど、やはりここ一番でピシッと揃えて欲しいというのはあるのです。例えば、ヴォツェックがマリーを殺した直後の間奏曲とかね。ああいうのは、アインザッツだけでなく、揺らぎなくピシッと聞かせて欲しいのですよ。そう言うところが、まぁ、やはりね。 それと、これは指揮者の選択だと思うけれど、かなりロマンティックな演奏になっていたように思います。いや、ベルクって、ウェーベルンとは全然違ってかなりロマンティックな響きを持っているのではあるけれど、それにしても、ちょっとそっちに振りすぎかなぁと。それはそれで一つの行き方ではあるけれど、このオペラの持つ厳しさをぼやかしてしまったのではないかなと。個人的には、そういう厳しさがこのオペラの身上じゃないかなと思うんだけどもね。ロマンティシズムは聞く側が、まぁ言ってみれば勝手に感じればいいのであって、音楽そのものは冷徹でいいのだと思うのです。そこが気になるかな。
2025年11月24日
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NHKホール 19:00〜 3階右側 スメタナ:我が祖国より チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:セミョン・ビシュコフ チェコフィル。個人的には最近は来ると聞きに行ってしまう感じになっています。 ウィーン・フィルもベルリン・フィルも毎年やってくるし、聞けば面白いんでしょうけれど、個人的には正直高過ぎて、というのが本音。特にベルリン・フィルは、無理に聞かなくてもいいかな....という。ウィーン・フィルは聞きたいのだけれど、夏に毎年ザルツブルクで聞いてますしね。今年はコンサートで3回聞けたし、だから日本でわざわざ買わない。 でも、チェコ・フィルは、意外と聞けないんですよね。で、日本では、忘れずにいればまず買える。そしてそれほど高くない。でも、これが一番大事だけれど、個人的にはチェコ・フィルはウィーンやベルリンと並んで聞きたいオケなのです。 上手い下手を言えば、まぁ、ベルリンには及ばないですね。魅力としてもウィーンには及ばないのかも知れない。他の世界のオケと比べれば、もっと「いい」オケはあるのでしょう。でも、チェコ・フィルは、やはり弦がいいと思うのですよ。それはもう前世紀、ノイマンを聞きそびれてビエロフラーヴェクで初めて聞いた時から変わりません。確か15年くらい前の来日の時はブロムシュテットが振ったし。あの頃のブロムシュテットは今ほど騒がれてなくてねぇ。いや、オケの良さを言えば、やはりこのNHK音楽祭で、もう随分前ですが、第九をやったことがあって、その時の第3楽章冒頭、木管から弦へとフレーズを受け渡す、その響きの同質性が、いつどこで受け継いだのか分からないくらい、というのがありまして。それ以降は尚更チェコ・フィル推しなのですよ、私は。 で、この日はNHK音楽祭での公演。正直、あまり行く気はなかったのですが、チェコ大使館だったかから、割引チケットの案内がちょっと前にやってきまして。まぁ、そういうことなら、枯れ木も山の賑わいということで行ってみました。実際、演目も、「我が祖国より」だしね。 とはいえ、正直、我が祖国より、って、そんなに聞きたい曲かと言われると、そうでもないんですよね。どうせなら、もっと弦が生きる曲の方がいい。ドヴォルザークの交響曲、特に7番以降はやっぱりいいと思うんだけど...... 場所はNHKホールの3階とは言いながら、いつもと違って下段の方の右端の方。バランスは、まぁ、良くないんでしょうけれどもね。でも、やっぱりこういうところで聞くと、それなりに聞けるもののようで。いや、実はこの数日後に聞いたブロムシュテットのN響、相当端の方で聞いて、やはりどうなのという感じではあったので。何を今更という話ではあるけれど、やはり安い席でもちゃんと聞けるし、とはいうものの、場所は選んだ方がいいよね、という........ それはそれとして。まぁ、いい演奏でしたよ。やはり弦の響きがいい。こういうのはまぁ、日本のオケとかではやっぱり無理なんだよなぁと。その辺の話は、後日聞いた別の公演の話で....
2025年11月15日
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サントリーホール 19:00〜 ピット席 バーンスタイン:ウェストサイド物語 シンフォニック・ダンス ガーシュイン:ラプソディー・イン・ブルー <独奏アンコール> 小曽根真:Asian dream プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」op.64より <アンコール> バーンスタイン:ウェストサイド物語 〜マンボ ピアノ:小曽根真 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:チョン・ミュンフン というわけでもう1ヶ月前になりますが、東フィルの定期演奏会という名の洋行壮行演奏会。言い方が古いか。 この日はピットから見てましたので、チョン・ミュンフンが表情までよく見えました。 なんかね、今回は、指揮台に座り込んではいなかったけどね。まぁ、それなりに楽しんでるようではありました。いつ、どこでどう来るんだ?みたいな緊張感はありましたけれども。 演奏も、勿論、いいんだけど、緊張感がやっぱり。それもまたいいんですけどね。 この日はオケもアンコールあり。それがまた「マンボ」なんだから。ねぇ。好きねぇ。やっぱり、チョン・ミュンフン、これ好きなんですかね。とはいえ、やっぱり、見れば見るほど不思議なプログラムだと思うんですよねぇ。 欧州公演は無事終わったようで、まずは重畳というところでしょう。でもなぁ、やっぱり、もうちょっとこう......まぁ、いいか。とりあえず来年のバッティストーニを楽しみにしようっと。
2025年11月15日
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オーチャードホール 15:00〜 3階正面 バーンスタイン:ウェストサイド物語 シンフォニック・ダンス ガーシュイン:ラプソディー・イン・ブルー <独奏アンコール> 小曽根真:オベレク プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」op.64より ピアノ:小曽根真 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:チョン・ミュンフン 今月の東フィル定期は年内最終となります。というのも、今月から来月にかけて東フィルは欧州へ演奏遠征に行くので。率いるのはチョン・ミュンフン。今回の定期演奏会はいわばその前座というかリハーサルというか事前壮行会とでもいうのか、なんというか......な演奏会ということになります。実際には、このプログラムだけじゃなくてマキシム・ヴェンゲーロフを擁してチャイコフスキーをやったりもするのですがね。 しかし、チョン・ミュンフンはともかくとして、欧州遠征でこのプログラムとは.......とは思います。いや、得意なんだろうし、実際悪くないし、なんですけれどもね。でも、バーンスタインとガーシュインとプロコフィエフって、どうなんだろう.......行くのはハンガリー以外は西欧ですからね。一曲くらいドイツ・オーストリアかフランスを入れた方が良かったんじゃないかと。というのも、このプログラムには、構造を持った曲というのがないんですよね。考え方はいろいろでしょうが、やはりクラシック音楽というのは単に音や響きだけじゃなくて、構造というものも要素としてあるわけで。そういう楽曲がないのはどうなんだろうなぁと。たとえばプロコフィエフなら交響曲とかね。ウケはするのかも知れないけれど... まぁ、それはともかく、演奏。やはりこのプログラムだと、小曽根真のラプソディー・イン・ブルーが聞き物になるわけです。バーンスタインもプロコフィエフもいいんだけどね... で、ラプソディー・イン・ブルー。小曽根真の、となると、当然一筋縄ではいかないわけですが、しかし、なにしろ相手は言うてもチョン・ミュンフン。次期スカラ座音楽監督ですからね。小曽根真とやるのは初めてなんじゃないでしょうか。これがまぁ、なんというか、緊張感溢れるというか....ま、なにしろ3階から見てるから本当のところはわかんないんですけどね。 例によって小曽根は独自のフレーズとハーモニーで即興的に演奏する訳ですが、しかし、これがカデンツァ的な部分に入るまでは、妙にこう、硬いというか、緊張した感じで、割と大人し目。で、カデンツァに入ると、指揮台の端に座り込んでしまうチョン・ミュンフン。うん。気持ちは分かる。立って待ってるのかったるいもんね。いつ終わるか分からないし。とはいえ、指揮者が座り込んじゃうのは、やはりあまりないですよね。 果たしてチョン・ミュンフンは気に入らなかったのかどうなのか。少なくとも、ここまで言う事聞かない独奏者とやるというのは、チョン・ミュンフンとしては、あまりないんじゃないでしょうか。昔はともかく、ミラノのシェフに就任が決まってるほどですからね。バスティーユの音楽監督から30年、その間も決して韓国・アジアローカルの指揮者ではなかったわけで。一方の小曽根は、あくまで「クラシックの曲を弾くとはいえジャズミュージシャンとしてのアイデンティティは固持する」というスタイルですからね。もっとも、この日の小曽根の演奏は、いつもながらといえばいつもながらの、ジャズとはいえどもいわゆる「ジャズ」からは遠く離れた、ジャズの境界域のエッジを歩くような演奏。まぁ、いつものことではあるけれど、硬さを感じられたのも合わせてかなり独特なもの。 そういえば、最近の小曽根真は、ラプソディー・イン・ブルーを弾く際は、他にドラムスやベースなど、他のジャズミュージシャンとやったりすることも多かったと思うので、そういうものがない、オケとピアノ、というスタイルは久し振りだったかも知れません。まぁ、実際に欧州ではそういうフォーマットになるからなんだと思うんですけれどもね。 ともあれ、面白いには面白かった。小曽根真もチョン・ミュンフンも独特の緊張感であってました。これ、1週間以上経って今週またやるんだけど、どうなるんだろうな。 アンコールに自作の曲。これもまぁいつも通り。 前半最初はバーンスタインのウェストサイドのシンフォニックダンス。後半はプロコフィエフ。まぁ、悪くなかったと思いますよ。ただ、やっぱり、実際聞いてみても、これは欧州遠征のプログラムとしては、どうなんだろうなぁ。もうちょっと独墺伊仏の音楽を入れても良かったんじゃ......とは思います。
2025年10月16日
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オーチャードホール 15:00〜 3階正面 ピツェッティ:夏の協奏曲 R.シュトラウス:アルプス交響曲 op.64 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:アンドレア・バッティストーニ なんかこう物凄く久しぶりな気はします。いや実際なんやかんやで、夏の旅行から帰ってきてから何も聞きに行ってなかったので。ほぼ1ヶ月ですね。旅行の前もさっぱりだったので、確かに久しぶり。少なくともエントリー上は東フィルは4月以来。いや確か7月のは半分聞いたはずなんだけどな。 とかいう話を途中まで書いて忘れてたんですよね......3週間経って次の定期演奏会になって気が付いて、今更慌てて続きを書いている次第... さて、バッティストーニです。とはいえ忙しさもあって聞くのは今回はこれ一回。今日は昼には公開リハーサルだったのだけど、結局それもパス。まぁ、いいんだけどね。 しかし、どうなのこのプログラム。いや、悪いとは言わないんですが、しかし、ピツェッティはバッティストーニの肝入りだろうからいいとして、アルプス交響曲ねぇ........どうせなら、オペラとまでは言わずとも、もうちょっとこう.......まぁ、バッティストーニだって、嫌なものを無理やりやらされてるわけではないだろうけれども...........うーん........ ピツェッティ。よく知らない人です。ただ、バッティストーニ、イタリアのよく知らない作曲家を取り上げることがあるのだけれど、まぁ、少なくともそこで演奏を聞く限りでは、なんでこんなの持ってきたの、なんて思うことはなくて、わざわざやるだけのことはあるかなと相応に思わせるくらいのものは選ばれていると思います。 この曲も悪くない。佳曲と言っていいと思います。夏の協奏曲、とありますが、独奏楽器のない合奏協奏曲のスタイル、と言っていいのでしょうか。夏、の方は......そうですねぇ。演奏会は9/14。まだ猛暑日だったりするような陽気でしたが、確かに夏を思わせる感じではありました。日本の夏。但し、今の夏ではなくて、30年くらい前ですかね、確かに暑いけれど、生命の危険を感じさせるような夏ではなくて、照っていても、午後にはちゃんと陽が翳って、夕立がサッと降って打ち水のようで、日暮れ時にはどことなく涼しい風が吹き抜ける、そんな感じの懐かしい夏。そういう感想は、ちょっとノスタルジックに過ぎますかね。 で、アルプス交響曲。 いや、いい演奏だったと思いますよ。後半には久しぶりにアンディが跳ねてるの見たし。面白いと言えば面白い。ただ.......そうねぇ.......リヒャルト・シュトラウスねぇ..........いっそサロメとかさ...........ま、いいんだけどね。 これは曲の話なのですがね。 アルプス交響曲、私、あんまり聞かないんですが、たまにこうやって聞くことになるのだけど、なんていうか、最後、「自然に敗退して下山する」ってことになってるんですが、私はヴォーン=ウィリアムズの南極交響曲を思い出すんですよね。というかあれと一緒じゃないの?という。あれは、スコット探検隊が遭難して全滅した話を、確か映画化した時の音楽を基に書いたんじゃなかったっけか。いずれにせよ、あちらは自然の暴力の前に敗退=遭難全滅するわけですが、あれなんですかねぇ。やっぱり、アルプス程度じゃ、風に吹かれたら敗退してくりゃいいんだよ、てな感じなんですかね。個人的には、ヴォーン=ウィリアムスの方が、自然というものをわかっているというか、アルプスなんてそんなもん、というか.......いや、アルプスだってちゃんと危ないんですよ?でも、曲を聞いてるとなぁ...... 何年か前に、第二次大戦前のドイツのアルピニストがアイガーに挑んで敗退して死ぬ話を描いた映画がありましたっけ。そのアルピニストの幼馴染の女性写真家が、国家プロジェクトとしてそれを映像に収めるスタッフとして関わって、結果見殺しにする形になって......てな話で。 ドイツってさ、高い山って、国内だとブロッケン山とかあの辺だけで、一番高いのはオーストリアとの国境沿いにあるツークシュピッツェだっけな、そうなっちゃうんですよね。あれはそれこそガルミッシュ=パルテンキルヒェンに近いのではあるけれど。あれなのかねぇ、ドイツ人って、山って分かってるようで実は分かってないのかなぁ。そんなこともないのだろうとは思うのだけれども。
2025年10月06日
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9月だけどね。まだ暑いですからね。残暑。うん。間違ってはいないと思う訳ですよ。 2ヶ月のご無沙汰でした。まぁ、その間も何某か聞いていた…というわけでもないかな、今年は。 買ってあったけど結局行かなかったというのが少なからず。とにかく暑かったです。この夏は。まだ暑いけど。結局、東フィルの7月定期行ったくらいだったけども、それも暑いので途中で退散。チャイコフスキー聞きたいと思わなかったので。フェスタサマーミューザとかも行かず仕舞い。 夏の旅行は行きました。暑かったけどねぇ…ザルツブルクとバイロイト。その時は親の仇みたいに散々行きましたけどねぇ。まぁ、それだけの甲斐はあったという感じで、結構いいのがあったかなと。それで帰ってきて、呆然と2週間経ったらもう9月… もうしばらくはあんまり聞きに行く気は起きないかなぁ。ま、ぼちぼちで。
2025年09月03日
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文京シビックホール 18:00〜 1階右手 Gotta Be Happy (Makoto Ozone) Tiger March (Shutaro Matsui) Tropical Song (Kento Tsubosaka) Ital Park (Makoto Ozone) Pasja (Shimpei Ogawa) Park Hopper (Makoto Ozone) Peace (Horace Silver) Three Wishes (Makoto Ozone) <アンコール> Hymn To Freedom (Oscar Peterson) ピアノ、ハモンドオルガン:小曽根 真 トランペット:松井秀太郎 ピアノ:壷阪健登 ベース:小川晋平 ドラムス:きたいくにと サックス:佐々木梨子 実は直前に手術していて、それどころじゃないって話だったんですけどね。まぁ、水曜日に遊びに行って木曜日に予定通り手術して、行くつもりはだからあまりなかったんだけれども、譲るにも譲れずじまいで、まぁ調子悪くないし、行くか、てなもんです。 一応タイトルは「小曽根 真スペシャルライブ From OZONE till Dawn」ってことで、最近よくやってる若手とのセッション。サックスの佐々木梨子は今バークレー在学中だそうで、夏休みで日本に帰ってきてるのを呼び出したんだとかなんとか。 なかなか良かったです。基本はトランペットの1ホーンカルテット+1、ってことになるんでしょうが、サックスが入るだけで座りが良くなりますね。カルテットで全然いいんだけど、ミニマルな編成だったらホーン要らないし、入れるんだったら2本の方がやっぱり色彩豊かになりますからね。それと、やっぱりジャズには金管より木管の方が質感が合うかなぁ、とも思ったり。この辺はあくまで個人の好みの問題なので、いい悪いではなくて趣味の問題。 till Dawnのスタイルはこの3,4年ですが、その数年の中でも、若手の面々の成長は著しい、とか言ってみたりするのですが、そこにまたフレッシュなメンバーと言っていいのか、佐々木梨子が入ってきて、といったところ。自由自在というよりは一所懸命、という感じですが、なんでしょうね、ぎこちなくとかそういう感じではなく、持ってるものを全部出してやれ、みたいなとこなんでしょうか。好感は持てます。でも、日本に帰ってくるのかな。年齢的には高校出てそのままバークレーに行ってるくらいらしいですし。帰ってこないなら、それはそれでいいんじゃないかな。 前後半で全9曲。こうしてみるとやっぱり新しい曲が多いですね。昔の曲も聞きたい気持ちはあるけれど、こうやっていつも新しい曲に更新していけるのは見事だと思うし、聞いてるこちらも新鮮に聞けるのは楽しいものではあります。
2025年07月05日
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K-Arena横浜 2階左手 アンフィシアターの夜 家に帰ろう マージービートで歌わせて Forever Friends 歌を贈ろう 五線紙 リンダ ブルー・ホライズン 象牙海岸 元気を出して 告白 静かな伝説 カムフラージュ 幸せの物差し J-BOY プラスティック・ラヴ 人生の扉 駅 <アンコール> All I have to do is Dream September 不思議なピーチパイ いのちの歌 いやねぇ、普段ポップスのコンサートなんて行かないんですよね。でも、たまさか竹内まりやのCD買ったら応募券が付いてたのであまり深く考えずに抽選に申し込んだら当たっちゃってねぇ......それに、ほら、竹内まりや聞きに行くともれなく山下達郎もついてくるわけで。ここで聞いておかないと、多分もう聞くことないだろうなと思って。 本当はタイミング的には行ってる場合じゃなかったんだけど、勢いで行ってしまいましたです。 面白かったですよ。なんだかんだ言うても、同時代ですしね、一応。子供の頃から聞かされてる、に近いかな。不思議なピーチパイが盛んに世の中で流れてた頃ですね。Septemberも知ってるし、元気を出しては薬師丸ひろ子大先生の歌で知っている。更に、薬師丸ひろ子大先生の一番の歌声は、竹内まりやがアルバムで入れた録音でのバックコーラスでの伸びやかで綺麗な声だと思っているので、勿論よく知っている............... ええ、まぁ、そんな感じです。もったいないっちゃもったいないんでしょうけれども。でも、面白かったのは確かだからね。実際、聞いてて、知らないなぁ、って曲もあるけれど、それも含めて楽しめました。とはいえ、70でこのパフォーマンスは流石にすごいですね。山下達郎も歳の割にすごいなとは思うけれども。
2025年07月02日
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ミューザ川崎シンフォニーホール 14:00〜 4階左手 <6/7> モーツァルト:交響曲第25番 ト短調 K.183 ロッシーニ:スターバト・マーテル ソプラノ:ハスミック・トロシャン メゾソプラノ:ダニエラ・バルチェッローナ テノール:マキシム・ミロノフ バスバリトン:マルコ・ミミカ 東響コーラス 東京交響楽団 指揮:ミケーレ・マリオッティ <6/14> チャイコフスキー:幻想的序曲「ロメオとジュリエット」 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35 <独奏アンコール> コリリアーノ:レッド・ヴァイオリン・カプリース プロコフィエフ:バレエ組曲 「ロメオとジュリエット」 モンターギュ家とキャピュレット家 / 少女ジュリエット / マドリガル / メヌエット / 仮面 / ロメオとジュリエット / タイボルトの死 ヴァイオリン:ティモシー・チューイ 東京交響楽団 指揮:ミケーレ・マリオッティ 最後のエントリーから3週間ほど......正直あまり聞いてないのは事実ではあります。まぁ、このくらいでも普通より多いんだろうとは思いますが。 東響、というよりはミケーレ・マリオッティ祭りという感じです。そもそもは気まぐれでスタバト・マーテルをやるというので聞きにいったら、思いの外良かったので、翌週も聞きにいったというところ。 結果的にどちらもあまりいい席で聞いてはいなかったのですが.... まずは7日のスタバト・マーテル。実は誰が歌うかちゃんと見てなかったのだけど、バルチェローナだったのですね。そうと分かっていれば、もうちょっといい席買ったのに........まぁ、本来、このタイミングで行くのか、という状況だったので、仕方ないんですけどね。 まぁ、歌唱的には悪くなかったのだと思います。ただ......そうねぇ.......合唱は東響コーラスなので、アマチュアベースなのですが、だからあまり悪くいう気も本来ないんだけど、ちょっとこう.....ラテン語に聞こえなかったかなぁと。日本語だよね.....という。ラテン語とかイタリア語って日本語の発音に近いとか言うんですけどね。でも、やっぱり、音韻というかイントネーションというものがあるのであって。そういう意味では、悪いとは言わないけれど、ちょっと日本語に聞こえるというか.......まぁ、ラテン語じゃないなぁと。 具体的に何処がどうで、どうすれば改善出来るんだ、言ってみろ、って言われると難しいんですけれどもね。正直、具体的にどの言葉の何処がどう、と指摘出来るわけではないんだけれども。でも、そう聞こえてしまうのは、そうなんですよ。 プロの合唱だって出来てないとこはいっぱいあるので、まして基本アマチュアベースだから、そう指弾するつもりもないんですけどね。 オーケストラ。実は7日に聞きに行った時は、翌週も来るつもりではなかったんですけどね。ただ、この日聞いたら、結構良かったのですね。正直、大体東響は音が硬くてフォルテになると一本調子の音になるよな、というのが基本の評価だったんだけれど、この日は割といい演奏。硬いっちゃ硬いけれど、まぁ、曲が曲ですから、あまり気にならない。それにはやはり指揮者の指導もあるでしょう。にしても、前半のモーツァルトも、ロッシーニも良かった。なんていうんでしょうね。モーツァルトがまずちゃんと外連味のない端正な演奏。で、ロッシーニも同じく。硬くならず、叫ばずに。こういうのがね、いいんですよ。 14日は、しかし、チャイコフスキーとプロコフィエフなんですよね。まぁ、チャイコフスキーはまだしも、プロコフィエフは流石にね.....とはいえ、昨今の東響からすれば、随分柔らかいなとは思いますが、とはいえ........ねぇ........... 演奏としては悪くなかったとは思います。やはり指揮者の薫陶が効いているのでしょう。 マリオッティ、記憶はないのですが、ボローニャで振っていて、ペーザロ出身らしいし、まぁ多分どっかで聞いてるんじゃないかとは思うんですが......覚えてないけれど、いい指揮者じゃないかと思います。
2025年06月21日
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https://www.bbc.com/news/articles/cjmmmrl4mz7ohttps://www.theguardian.com/music/2025/jun/17/celebrated-pianist-and-writer-alfred-brendel-dies-aged-94 アルフレート・ブレンデル、という表記だと思うのですが、d終わりなのでアルフレード、になってるんだと思います。ブレンデルがロンドンでなくなったそうです。享年94歳。2008年くらいに演奏の第一線から退いていて、そうか、もうそんな前に引退していたか、と思うのであります。 ブレンデルは時々聞く機会があった筈ですが、覚えてるのは、学生、まだ未成年の頃に来日公演で聞いたのと、引退する前にザルツブルクで聞いたのと。 学生の頃というのは、1980年代ですね。神奈川県民ホールで、確か母親が連れてけというので連れてった覚えが。最後がシューベルトのD.959のソナタだった記憶があって、生であの曲の演奏を聞いたのはあれが初めてだったかな。元々D.960の方が断然好きだったのだけれど、それ以外もいいじゃないか、と開眼したのがあの演奏だった。実は、その頃ブレンデルはシューベルトのソナタを2度目の全集で入れていて、しかし、個人的には、ブレンデルは繰り返しを結構省くので、本当はあまり好きではなかったんですけれども。ただ、演奏それ自体は良かった。今でも彼の録音はいいなぁと思います。 ザルツブルクは、2008年だったかと思うのですが、夏の音楽祭。たまたま追加販売みたいな感じでチケットが出たのを買ったのだったと思います。行ってみたら祝祭劇場の舞台上の席。時々、完売状態の人気公演で、そういう席セットするんですよね。ハイドンと、あとなんだったかな。実はあまり覚えてない。時差ボケてたし。思えばあれが最後だったのだと思います。 なんかね、こっちもいい歳になってきて、こういう、昔から好きだった人が亡くなって追悼記事が....みたいなのは増えちゃうんですよね。だから、あまり書くのもなぁ、とは思うんだけれど、ブレンデルはやっぱり書いてしまうかな。 今にして思うと、彼のようなタイプの網羅型と言いたくなるようなピアニストは、減っているのかなとも思わなくもないです。ピアノソナタならベートーヴェンとシューベルトは2度づつ全集を入れているし、モーツァルト、シューマンの演奏は定評があった。この辺を中心に、バッハ、ハイドン、リストあたりがレパートリーとして思い浮かぶ......という、ドイツ系の重鎮ピアニストだった......と言いたいのだけれど、ちょっと重鎮って感じでもないんですよね。なにしろ70代で引退してしまったので。決して若いとは言えないんですが、現役でもオピッツとかシフとかいますしね。シフはまだ71歳とかなのか.....なるほどねぇ。 シフもですが、ブレンデルは歌曲伴奏もそこそこやっていて、ゲルネとの共演もあったかと思いますが、なんといってもフィッシャー=ディースカウとの冬の旅が忘れ難い。ディースカウの冬の旅の録音としては必ずしも高い評価を得ていない感はあるのですが、個人的にはディースカウの声がやや衰え始めているというのも含めて、冬の旅の1stチョイスだと思っています。 今は、こういう人は流行らないんでしょうね。でも、私がクラシックを聞き始めた頃は、こういう演奏家がそれぞれの分野にいて、外連味は無いし、時にはつまらないという声はあれど、安定した技術と解釈の演奏で、良くも悪くもそこから出発していろんなものを聞いていった、そういう基点の演奏家の一人だったと思います。youtubeとか基本タダで聞けるものをよく言えばスーパーフラットに聞ける環境というのは、それはそれでいいのかも知れないけれど、自分としては、いざとなればそこに戻ることで見直せる、そんな基点を持っていたことというのは、悪くない、むしろ幸せなことだったのかなと思ってはいて、その一人がブレンデルだったな、と、改めて思うのであります。R.I.P.
2025年06月18日
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ミューザ川崎シンフォニーホール 14:00〜 4階正面 ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 op.83 ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 op.68 「田園」 ピアノ:清水和音 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 指揮:沼尻竜典 神奈川フィル。正直積極的に聞きには行かないんですけどね。そこまで付き合ってられないというのはあります。時々、というより、本当にたまに聞くことはあるけれど、正直そんなにいい印象はないなぁ、という。凄くダメってわけではないけれど、なんだかなぁ.....みたいな感じで帰ってくることが多かったかなと。 それを聞きに行ったのは、まぁ、気まぐれです。今年始めたという「ミューザ川崎シリーズ」で、Beethoven Ringというのをやるそうで。なんだかわからないけど、ベートーヴェンメインらしいし.....ということで、聞いてみることに。 会場は8分は入っている感じ。ひょっとすると9割入ってるかも、というくらい。正直これはちょっと意外。最近は国内オケで完売というのはあまりないし、いくら音楽監督とはいえ沼尻竜典でこれだけ来たか、という感じです。まぁ、清水和音だし、田園だし、とはいえ...... 前半はブラームスのピアノ協奏曲。考えてみると、Beethoven Ringシリーズなのに、ブラームス。いいんですけど、皇帝とかじゃないんだよね....... この曲聞くのは久々かなと。特に好きな曲というわけではないのですが、久々に聞くと意外と面白かったり。まぁ、演奏も悪くなかったと思います。清水和音も最近は聞いていなかったと思いますが、まぁ、元々実力のある人なので、こういう重量級の曲でも難なくこなす。そうすると、なんというか、演奏に余裕が出てきて、いろいろ見えるものがあるんですよね。言われりゃ最初っからわかってる話なんだけど、第2楽章とかの魅力が際立つとかね。 後半は田園。これ、ブラームスも面白かったけれど、こちらは更に面白かった。 まず、編成。実は、前半と後半とで殆ど編成が変わらないんです。具体的には、弦五部が14-12-10-8-7。これでブラームスもベートーヴェンも、やる。これ、おかしくないといえばおかしくはありません。ブラームスをこの編成でやるのは、まぁ、変ではない。で、ベートーヴェンも、今時としては多いと思うけれど、そういうやり方もある。ただ、同じ演奏会で、プロオケで、ブラームスとベートーヴェンを同数の弦五部でやるというのは、実は珍しいのではないかと。そして、ミューザは典型的な風呂場ホールです。つまり響き過ぎ。正直言うと、ブラームスでも多いかな?と思うくらい。それでベートーヴェン....... これ、確かに最近の傾向に比して、というのはあります。最近のオーケストラ演奏でのベートーヴェンの扱いは、ピリオドアプローチの影響を、まぁ悪口言うと、安易に受けてしまって、よりタイトな編成でやる傾向というのはあります。今時は田園あたりなら10-8-6-4-3くらいでやるんじゃないでしょうか。或いは各1プルトづつ増やすとか。その場合はコントラバスは4本ですかね。第1ヴァイオリン14本というのは第九くらいじゃないでしょうか。あれは、合唱を大編成で乗っけるもんだから、拮抗出来なくなってしまうので、ってところだと思うんですが。 そしてコントラバス7本。これは重い。いいんですけどね。でも、重い。かなり低音がきます。東京文化会館ならまだしも、ミューザでこれはなかなか。実は、これ聞きながら、時々密かに失笑というか苦笑してました。昔、学生の頃、ムラヴィンスキーがレニングラード・フィル高を振った「田園」を愛聴してたのですが、まぁ重っ苦しいことと言ったら!でも、音楽としては決して重苦しくはなくて、いい演奏だったんですけどね。それをずっと思い出していました。 これだけ厚い陣容故、それが功を奏している面もあって、よくある弦の金切り声があまり聞かれなかった。正直、ブラームスでは多少その気はあったのですが、田園では余裕があるので弦が叫ばなくてもちゃんと聞こえる。風呂場ミューザですしね。だから、聞きやすい音で終始していました。余裕があるので、弾き飛ばす感じもなく、感じのいい演奏ではありました。 今時、こういう演奏はなかなかないと思います。一般的な傾向としては、編成を絞る方向で行くのが今の流行りでしょう。やはりピリオドスタイルの影響は間違いなくあると思います。ピリオド奏法が、というより、スタイルですね。ふた昔くらい前であれば、この編成でベートーヴェンをやるのは普通だったと思います。絞ることでアンサンブルをタイトにして、贅肉を削ぎ落とす、みたいなやり方。それは確かに考え方としてはありだと思いますが、一方で、現代オーケストラの良さを削いでしまっている面もあって、この辺は考え方はいろいろでしょうが、流行はよりタイトな編成を目指す。その真逆を行き、しかも低弦を厚くする。重量級の編成で、無理をさせない。絶妙と言っていいと思います。この辺は沼尻竜典の手腕ということなのでしょう。見事な選択、戦略です。特にブラームスと同じ編成で田園もそのまま行くというのは今時としては英断でしょう。しかも上手くいってるし。 正直、決してうまいオケだとは言えないと思います。特に管はトラウマ級のやらかしもあったし。田園だけでなく、ブラームスも難はあった。ただ、やはり、弦が聞ければまぁどうにかなるもんです。特にこの辺の曲は。で、弦がオタつかないから、管も乱れても復旧出来るんですね。 思いの外いい演奏に仕上がっていたと思います。本当に、期待以上。 敢えて苦言というかいちゃもんつけるなら、インテリヤクザみたいなコンサートマスター。別にいいですけどね。ただ、オーケストラの演奏で、コンサートマスターだけ足を投げ出して演奏するのは、まぁ、みっともないです。他の人がやってるならまだ大目に見るのかも知れないですが、私、この人嫌いなんですよね。ナントカ組とかいって、コワモテの風体でやってて、いや、当人の勝手っていや勝手ですよ?でも、コンサートマスター一人だけそんな風に弾いてるのは見た目も感心しない。椅子にも浅く腰掛けていて、それが弾きやすいんだというのかも知れないですが、一般的にはそういう格好はバランスが良くないので演奏は決して良くならないというもの。こういう人を私は信用しない。 ま、元々嫌いなコンサートマスターだからそうなるんですけどね。ファンを付けるのも結構。見た目重視も結構。外連味も結構。でも音楽家はまず音楽でしょ。決して悪くはない今日のオーケストラの演奏だったけれど、だからこそ、ちゃんとせいや、とね。
2025年05月20日
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