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Chris Squire (Wikipedia)日本生まれの音楽ジャンルProgressive Rockプログレッシブ・ロックを聴いてみましょう!第17回【初級編】『ベースが目立つプログレ』さて今回も 暖かくなったと思ったら 寒さがぶり返すかのありがた迷惑 では無く 只々迷惑の メガ迷惑な 永遠の不人気企画コードネーム 『魚』 こと『プログレッシブ・ロック』特集【初級編】 第17回をお送りします今回はプログレの特徴的なサウンドを支える一要素の『ベース』 を取り上げて代表される楽曲をご紹介したいと思いますロック好きなリスナーが プログレを聴いた時にまず最初に印象に残るのは多彩な楽器音の中にあって 常に沈みがちな存在だった ベース が楽曲の中で縦横無尽にフレーズを動かし クッキリと輪郭を残したまるでクラビネットの様な高音を強調した音色で突出したプレイをしている所でしょう思うに一般的にイメージする音楽の姿とは建築に例えた建造物のような 地盤のしっかりとした構造を安定した状態と捉える所にあり常に音楽の根底にあって 山のように動かないイメージのあるベースが前面に押し出されて 突出したプレイを見せるプログレにおいてはそれら安定感が崩れた状態を思い起こされる所からとりわけプログレが 一般的においても世紀末的世界観のイメージが印象づけられるのもそれまでのロックが行って来た従来の音楽的アプローチとは異なった映像的な切り口からの創作にあるからと言えるでしょうそれでは、順番に聴いて行きましょう♪△▼ △▼ △▼YES - Roundabout (1971)イエス - ラウンドアバウトBass:クリス・スクワイアChris Squire (Wikipedia)『ロック界の鳩』 こと ボーカリストの ジョン・アンダーソン 率いる イエスにキーボーディストの リック・ウェイクマン が新加入し新体制にして最強布陣となった黄金期の世界的ヒット作からの イエスの代名詞となったナンバーです 最近ではTVアニメ 『ジョジョの奇妙な冒険』 のエンディング・テーマ曲 に使用された事でも話題になりましたそれまでのロックを大きく覆す 複雑な構成が特徴の曲ですがこの曲で 最も耳に残るのは クリス・スクワイア が弾く特徴的なベース音と そのフレーズですプログレのベースと言えば この音 という程それまでは音楽の低音を支える影の立役者というイメージが大きかったベースをクリスのトレードマークとなったリッケンバッカー製ベース奏でられるフレーズの一つ一つがはっきりと聴き取れる様な高音を強調しブーストした割れた個性的な音色で細かいフレーズで構成された印象に残る独創的なベースラインを楽曲のボトムから前面に押し出したプレイで楽曲の「ダイナミズム」から「グルーブ」果ては「イメージ」まで左右させる中心的存在となるスタイルを確立させロックに於けるベースの価値観を一新させましたそれによって底辺を支えどっしりとした「ピラミッド型」サウンドだったロックミュージックを「球形型」のボサノバサウンド的浮遊感で成り立たせ「プログレッシブロック」の様々な音楽を「融合」させるスタイルから「共存」させる姿勢に「進化」させて唯一無二な音楽を確立させますその一方で、「イエス」のサウンドが同じカテゴリーの様々なバンドが取り込んで消化できる程に構造的にシステム化された「洗練」されたもので出来ている事から「イエス」がプログレの「代表格」でプログレサウンドの「発信者」でもある側面を持った存在である事を意味していると言えます同時に、誰も真似ができない程のあらゆる音楽を吸収する柔軟な姿勢を持った巨大な「器」を持ちその膨大な音楽的情報を仕分けする詳細な「目利き」の能力を持つそんなメンバーが集まり演奏する事で自然と「イエス」になるその様な唯一無二の独創的な音楽性が「イエス」であるのでそれがロック界に多大な影響を与える存在となった所以の様に思いました△▼ △▼ △▼Rush - Freewill (1980)ラッシュ - 自由意志Bass、Vocals:ゲディー・リーGeddy Lee (Wikipedia)来日を果たしていない最後の大物と言われる カナダのロックバンドラッシュのプログレッシブ・ロックのアプローチをしていた時期のヒット作からの代表曲ですベースの ゲディー・リー はボーカリストでもありギター、ベース、ドラムのトリオ編成で キーボードの演奏までライブで再現する1人3役をこなす 超技巧派として名の通ったミュージシャンです本曲でのギターソロパートでは殆どベースソロの様なプレイをしておりそこにドラムのニール・パートも参戦して火花を散らしながらの三つ巴のソロバトルと化した演奏が堪能できもはやZ世代と言えど、ソロ飛ばし不能なパートとなっておりますw「ラッシュ」のその時代時代の音楽を吸収しながらバンドサウンドを返還させ「ジャンル」すら変化させてきた姿勢はともすれば節操が無いと捉えられるかもしれませんが根底にある ラッシュ ならではの独特な 音楽性はデビュー以来変化しておらず何かを表現するために 音楽を演るだけではなく音楽を演るための表現者として 自分の興味には貪欲である姿勢がラッシュ がロック界でも 極めてユニークな唯一無二の存在と言える理由なのだと言えます△▼ △▼ △▼Emerson Lake & Palmer - The Endless Enigma Part1 (1972)エマーソン、レイク&パーマー - 永遠の謎 パート1Bass、Vocals:グレッグ・レイクGreg Lake (Wikipedia)ロック界最強トリオの呼び声高い 日本でも人気の高いキーボーディストのキース・エマーソン率いる EL&P こと エマーソン・レイク・アンド・パーマーのジャズ、クラシックを前面に押し出した問題作からの オープニングナンバーです同時期に存在したブルースベースの多くのロックバンドとは完全に一線を画したEL&P ならではの 全編に張り詰めた緊張感と 圧倒的な深みで演奏される壮大な楽曲作りは 多方面に影響を与えましたボーカルの グレッグ・レイク は ベース、ギターをこなす才人でEL&P 特有のサウンドの深みはレイクの持つ フォークの叙情性に寄る所が大きい様に思われます従って本曲での「ベース」が目立つ存在感とは高度なプレイにあるのでは無く音を聞いただけで演奏者が分かる程のグレッグ・レイクの存在そのものが具現化した演奏そのものにあると言えます本曲でも レイクのもう一つの持ち味である 攻撃的なベースプレイが楽曲にナイフの様な鋭さを持たせる殺気に満ちた緊張感をもたらしています△▼ △▼ △▼Asia - Only Time Will Tell (1982)エイジア - 時へのロマンBass、Vocals:ジョン・ウェットンJohn Wetton (Wikipedia)80年代には ツインギターで装いも新たに新生キング・クリムゾンが復活し最新のサウンドに身を包み 全米ヒットを獲得した イエスが再登場し新たなPを加えた最強布陣で現れた エマーソン・レイク&パウエル など大物プログレバンドの再結成が目立ちましたがこれらビッグバンドに所属していた メンバーだったベース・ボーカルに『キング・クリムゾン』 の ジョン・ウェットンギターに『イエス』 の スティーブ・ハウドラムに『エマーソン・レイク&パーマー』 の カール・パーマキーボードに『イエス』 の ジェフ・ダウンズら、錚々たる面々が一同に介し奇跡のデビューを果たした 超話題作からの 全米大ヒットナンバーですバンドがライブで演奏する所を流すのが定番のPVもメンバーがブラウン管の向こうに居る 遠い存在を強調したバンド結成が既に レジェンド と言わんばかりのスペシャル感満載な演出がなされており壮大な楽曲をバックに 床運動をする女性アスリートをイメージしたスローモーションの映像を加えてそれまでの土臭いイメージのあったロックとは全く違う洗練性をアピールしたのが成功して全米大ヒットの大成功を迎えたデビューとなりました日本でもバンドのデビュー時は全てが話題性に溢れセンセーショナルな印象がありましたが特に音楽ファンが注目したのは舞台セット後方高台の全面を覆うほどに据えられた膨大なキーボード郡を操り右に左に移動しながらアクティブに演奏するジェフリー・ダウンズの勇姿と当時としては先進的なDTMシステムとして開発され実際の音をサンプリングしたものを波形合成するためのモニターを有し正に「未知の音」を構築できる画期的なシンセサイザーとして登場した総額で1千万円もの価格を誇る高額なキーボードシステム「フェアライトCMI」の楽器を超えたまるでコンピューターの様なビジュアルにありましたどちらもこれまでのロックミュージックには無いという意味ではコンピューターに人間が管理され取り込まれる恐怖の未来が「テクノミュージック」に表れていた事とは異なった懐かし目のポップなメロディーを最新のテクノロジーで演奏してコンピューターとロックの共存を感じさせた「未知の未来」を思わせる壮大でハイブリッドなSFファンタジー的サウンドが「エイジア」の成功に繋がった様に思われましたFairlight CMI(画像参照: wikimedia)ボーカル、ベースの ジョン・ウェットン はキング・クリムゾン在籍時から ベースにファズをかけ歪ませた巨大音で楽曲を 縦横無尽に駆け巡るテクニカルなプレイが様々なアーティストに影響を与えた人物でソングライターとしても優秀でポップなメロディーラインと骨太ないぶし銀ロックサウンドを持ち味とした日本でも絶大な人気のあるアーティストでした△▼ △▼ △▼というわけで いかがでしたでしょうか。菜の花が咲く 爽やかな春先に 不釣り合いなプログレなど何で出すか という空気が ヒシヒシと伝わって来る確信犯的な執筆となりました(爆)さて 次回は一体 何が 更新されるでしょうか ごきげんよう。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■【電子書籍】どうしてプログレを好きになってしまったんだろう[ 市川哲史 ]価格:1980円 (2023/2/13時点)【書籍】いとしの21馬鹿たちどうしてプログレを好きになってしまったんだろう第二番 [ 市川哲史 ]価格:1980円(税込、送料無料) (2023/2/13時点)【電子書籍】プログレッシヴ・ロックの名盤100[ 立川芳雄 ]価格:1650円 (2023/2/13時点)【CD】こわれもの[イエス]【スティーヴン・ウィルソン・リミックス】価格:2472円(税込、送料無料) (2023/2/13時点)【輸入盤CD】Rush / Permanent Waves(40th Anniversary) 価格:3190円(税込、送料別) (2023/2/13時点)【輸入盤CD】Emerson, Lake & Palmer - Trilogy 価格:3374円(税込、送料無料) (2023/2/13時点)【CD】詠時感(エイジア)~時へのロマン~ +1 [ エイジア ]価格:2850円(税込、送料無料) (2023/2/13時点)
2014年03月05日
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■マックは死ぬ前なぜウインクしたの?■生命体はなぜイリーナを殺したの?祝!金ロー新吹き替え版「村井国男」復帰☆吹き替え映画の魅力を解説 インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skullアメリカ(2017年8月11日公開)133分■ 監督 スティーブン・スピルバーグ■ 出演者 ハリソン・フォード/ ケイト・ブランシェット/ カレン・アレン/ シャイア・ラブーフイゴール・ジジキン/ レイ・ウィンストン/ ジョン・ハート/ ジム・ブロードベント■さて今更ですがw6月30日公開のインディージョーンズシリーズの最新作『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』公開を記念して2008年に制作されたインディージョーンズの実に19年ぶりのまさかの公開となりました4作目となる『インディー・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』が金曜ロードショーで放送されるのですが今回の放送では吹替版が新たに録音された新録版での放送となり本作のみ諸事情で別の声優の方が演じてきたハリソン・フォードの吹き替えに俳優の村井國夫が復帰した完全版となっての放送となります☆まあ、ただこれが言いたいだけの記事公開というWというわけで、今回は「吹き替え映画の魅力を解説」と題しまして吹き替えに纏わるお話と前作からまさかの19年ぶりの公開となった『インディー・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』のウチ流の面白く観るポイントを解説しようと思います☆---------------------------------------------------------------------------------------------------■■■もくじ■■■STORY吹き替え映画の魅力解説編■吹き替え映画の魅力「村井國夫」編■声優交代劇の舞台裏■パラマウントが日本で展開しない理由■吹替版が字幕版より格下?『クリスタル・スカルの王国』ウチ流解説編■本作を◯倍面白く観るポイントを解説■米国の悪政「赤狩り」って何?■どうして米国は共産主義を敵視したの?■移住した順番で階層化した移民問題■本作が「1941」のリベンジである理由とは?★2024年8月追加★■インディがシルエットで出てくる意味★2024年8月追加★■マックがウインクして大丈夫だと言ったのは?★2024年8月追加★■神殿の生命体はなぜイリーナを殺したの?■SFはインディ映画らしくない理由とは?▲目次へ▲---------------------------------------------------------------------------------------------------- STORY ----------------------------------------------------------------------------------------------------時代は赤狩りがはびこる1957年のアメリカ、ネバダ州にあるアメリカ軍の施設エリア51では軍人に成り済ましたソ連のKGBに拉致連行されたインディーがその施設で謎のオーパーツ「クリスタル・スカル」を探す様に強要される---------------------------------------------------------------------------------------------------- 解説 ----------------------------------------------------------------------------------------------------▲目次へ▲■吹き替え映画の魅力「村井國夫」編■■さて映画の解説は後で少しだけするとして・・・w今回は「吹き替え映画の魅力」と題し今やTVの洋画放送では当たり前となった日本語吹替版洋画の裏話的トリビアとして今回は声優としても知られる俳優村井國夫にスポットを当て「インディージョーンズ4」での話題を中心にウチ流の映画の「見どころ」を語って行きたいと思います■現在ハリソン・フォードの吹き替えは俳優兼声優の磯部勉が担当してスターウォーズのソフト版、最新作の吹き替えも彼が担当しておりますが元々ハリソン・フォードの吹き替えは俳優の村井國夫が当たり役として長年担当して来ました村井國夫と言えば、ドラマ映画で重要な役所を担当する大物俳優として知られる人物で私が知る所では「浅見光彦シリーズ」の浅見陽一郎役や懐かしい所で三谷幸喜の名作『王様のレストラン』第七話「笑わない客」で千石さんが「淀み切っております」と言っていた日本代表の政治家役などの組織のトップや政治家役などで良く起用される日本を代表する俳優の一人でもありますそういう大物俳優は往々にして、津嘉山正種や本田博太郎の様に「悪役専門」という立ち位置だったりしますがどちらかと言えば主人公側の「正義」のポジションを数多く演じている方でダンディながらも軽妙でどこか「女たらし」な持ち味があり企業の部長で20代の頃の浅野ゆう子辺りの若い美女を愛人に持つ・・・みたいな役所を演じると光るという日本を代表するバイプレイヤーとしても知られる俳優でもあります村井國夫は1966年に俳優座養成所卒業後俳優としてデビュー東映からの誘いを蹴って俳優座の舞台に立ち舞台俳優としてのキャリアを重ねていきますが食えないという理由で4年で脱退多分に漏れずTVドラマの「悪役」を演じながらも時代劇では悪役にいじめられる側を演じたりする多才ぶりを発揮しますその後TVドラマ界特有のローテンションを消化する様な制作体質に疑問を感じて再び舞台役者として芝居の世界に身を投じますが収入を度外視した一念発起だったので結婚相手の人気女優 音無美紀子とは色々な意味での「格差婚」となった様でその為かこの時期は本人の言う所の「仕事は何でもやった」という事から声優の仕事も受ける様になったという経緯があった様ですルーカス作品では85年の「レイダース」の金ローの放送と次の週に放送した「スターウォーズ」2度めの金ローの放送で「伝説の黄金の吹き替え」となったルーク・スカイウォーカー:水島裕レイヤ姫:島本須美 (風の谷のナウシカ:ナウシカ役)で、初めてハリソン・フォードの吹き替えを担当しました「スターウォーズ」でのハリソン・フォードの吹き替えは日本テレビ開局30周年記念を祝う1983年の悪名高い日本初放送では松崎しげるが担当しましたが本編が始まるまでのタモリ研ナオコのオープニング的前振り番組が大不評でさっさと始めろという苦情の電話が殺到したという30周年の大型目玉企画として大金をはたいて獲得した超大作映画放送の前座として勿体つけたイベントを施し高視聴率獲得間違いなしに鼻息荒くするテレビ局側とタダで大人気SF映画が見られるという前評判から見逃すまいと当日ブラウン管にかじり付くお茶の間との天と地ほどの温度差を感じる世知辛いお話はどーでも良いとして・・・Wフォードの声には堀勝之祐や田中亮一、石丸博也、仲木隆司千葉繁、内田直哉 他様々な声優が当ててどれもしっくりこないと言われる中ダンディーで軽妙な演技が持ち味の村井國夫が演じた事で以降(97)「デビル」 (97)「エアフォースワン」(99)「ランダム・ハーツ」(02)「K-19」などのフォード作品の担当声優として定着しますその後ディズニーランドのアトラクション「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー:クリスタルスカルの魔宮」もディズニー公認声優として村井國夫が担当し本作のインディーの吹き替えも当然村井國夫が演じるものと誰もが思っていた矢先・・・『スタートレックエンタープライズ』の機関部長トリップ役やアンディー・ガルシアなどの吹き替えで知られる声優の内田直哉が担当し、吹き替え映画ファンを落胆させます▲目次へ▲■声優交代劇の舞台裏■この声優変更劇はWikipediaによるとまずオーディションが行われたという事、演出担当責任者が「日本語が分からない」日本人では無い「業界で著名なアジア人責任者」という事前作から19年のブランクが生じた事で村井國夫がこれまでハリソンやインディーの吹き替えをやって来た実績がリセットされあくまでもハリウッドスタイルを重視して選んだ結果となった事村井國夫はこの件に付いて最近のニュースのコメントで「若い俳優に取られてしまった。外された」と表現している事からそのオーディションに受からなかった、あるいは受けられなかったという経緯が感じられる事今回の声優交代劇にはウィキの解説でいう所の収録には「業界で著名なアジア人責任者」が立ち会っている事からその人物がオーディションでも最高責任者だったと考えられますが「日本語が分からないことから通訳を通じて演出や監修をした」「声優や日本側の演出家が苦労する一幕もあった」とも書かれている事から感じられるのは「英語が話せない人種は頭が悪い」と捉える悪しき白人至上主義的ハリウッドスタイルが背景にある匂いが漂って来る様なこれらの背景からある種の尊大で 嫌な空気感 がある事を察し取れますジョン・ハート演じるオックスを吹き替えた「スタートレックボイジャー」でドクターを演じた事でも知られる中博史が吹替版収録の様子を語っていてオーディションで合格したのに実際のレコーディングでは何度演じてもOKがもらえず困ったそうです実は録音ディレクターもOKを出さない責任者の態度に困っていた様で通訳を通して直接責任者から理由を聞くと「あなたは若いから、ジョン・ハートのような雰囲気を感じ取れない」とはっきりと言われたそうです年齢を越えた所で演技をするのが俳優であるにも関わらず声から受ける印象では無く「見た目」で判断し英語を話さない人種の演る事をハナから認めない様な横柄と無知ぶりに中博史は遂にブチギレて「あの教授のあの恰好、あの表情、あの世界観を考えると自然とこんな話し方になる」と説明した後「僕が若いからどうのっていうのはあなたの考え方が固まりすぎている嫌なら降ろしてもらってもいい」と通訳を通してはっきりと抗議したら「OK、GO!」と納得したという一幕があったそうですこの一件を見て思うに可能性として考えられる事は・・・日本語が分からない担当者は、ある種「テクニック」として出来の是非を声優自身に任せて渾身の演技だった時にダメ出しされたら切れるだろうと判断し切れるなら演技にも自信がある事になり任せられるだろうと切れたらOKを出して口出ししないと考えて中博史が何か言ってくるまで泳がせたという捉え方もありますが一見、演劇界における言葉を越えた所の判断の一つかの様に思えても何度もNGを出す羽目になったのは中博史のせいでは無くこんなやり方をするしかない日本語を知らない担当者だけのせいになるので人を弄ぶにも程がある事になりますそうでなくても抗議したら考え直す様な「ブレた」所も含めてこの責任者の事を口を揃えて「業界で著名なアジア人責任者」と表現する所もその人物の日本文化や日本人に対して理解に乏しい恐らく日本人が演る演技に付いても表層的な所しか分かっていない無知無理解ぶりに辟易している皮肉の現れの様でもありこの人物に対しての日本の声優業界の困惑する様子が見て取れるものがありましたインディーの吹き替えの件で揉めた話は他にも有り2010年ごろにWOWOWを中心とした村井國夫を再起用した新録をする企画があった時権利元のルーカスフィルムが後に旧3作を新録した内田直哉バージョンで完結したものとして「現在のテイクがベスト」と頑として受付けず権利元もパラマウントも全く日本の事情を頑ななまでに理解しようとしないという事で仕方なく断念するという事がありました日本でのインディーの吹き替えはこれまで村井國夫で上手く行っていた実績がありながらあくまでハリウッドの「オーディション制」を重要視し日本の事情を汲まないで権利側の判断だけで決定した事を押し付けるというのはまるで日本での展開に過度な期待を持っていない様な印象がありハリウッドシステムの重視はともかくとして日本の吹き替えファンが納得しないという日本独自の問題があっても決定事項に外部のクチを挟ませない聞く耳を持たない、理解を感じさせないのは悪い慣習としてのハリウッドスタイルを感じさせるものがありますハリソンが憑依した様な吹き替えでハマリ役となり長年日本でのインディーの声を熱演してきた村井國夫に対しても日本語も分からない様な責任者を派遣する事に対しても日本の演劇に対しても何も理解するつもりがないリスペクトのかけらも感じられない現れとしか取る事が出来ない一見「手続き」の重要性を主張し「道理」としては正しい行いをしている様に見えながら海外展開に於ける想定内な異例として譲歩する素振りもない欧米側のまるで日本を見下しているとしか思えないこれらの態度には怒りすら覚えるものがあります▲目次へ▲■パラマウントが日本で展開しない理由■■パラマウント映画 がことさら日本人に「尊大」なのかどうか、インディー声優から村井國夫を外したパラマントに長年個人的に怒っていてこんな記事を書いているのかどうかの真意はともかくとして・・・wインディージョーンズシリーズ、ミッションインポッシブルシリーズスタートレックシリーズを始めとする人気映画シリーズ、TVシリーズを制作する世界有数の映画会社パラマウント・ピクチャーズが日本に対して感じている印象は良くないというイメージがありました例えばドル箱コンテンツの「スタートレック」ですが映画以外のTVシリーズを欧米では全作DVDレンタルしている事に対して日本ではソフトのレンタルをしておらず又、最近パラマウントは他サイトへの配信公開を取り止めてパラマウント制作の作品は自社の配信サイト「Paramount+」でのみ鑑賞できる様に一本化をしたばかりですがそのパラマウント作品が鑑賞できる「Paramount+」も2023年12月からWOWOWオンデマンドで一部公開することにはなっても未だ日本では完全な形での展開はしておりません現在パラマウント制作のTVシリーズは日本で於いてのみNetflixやAmazonプライムで鑑賞出来る様ですが今後はどうなるかも分かりませんこの背景には欧米に於いても日本が不正ダウンロードに対して実際にはあって無い様な法律しかしない「コピー王国」だというイメージが定着している事に起因したパラマウントが自社のコンテンツが日本のユーザーの違法ダウンロードの対象となり海賊版化される防止策として、レンタルも配信も行わない方針を取っている可能性が高く日本をマーケットにするにはリスクがあり警戒が必要だと捉えている印象があります「MovieNEX」という形で「コピー前提」でソフトを販売する「ディズニー」の現実的思考とは異なりパラマウントに取って日本は自社のコンテンツが侵される防ぐ手立ての無い潜在的な被害だけでも甚大なものになる有数の海賊版輩出国家だとブラックリスト入りしているとも考えられソフトレンタルも配信も日本のマーケットに於いてのみ消極的なのはパラマウントが日本のマーケット展開を警戒している現れだと言えるものがあります「仮」にそうだとして、その様に「権利」を何よりも重要視し「訴訟王国」とまで呼ばれる欧米から見れば「有効な法整備も出来ない遅れた国家」としか映らない可能性を考えると「文化」の遅れた「野蛮」な国という扱いで「絵画演劇音楽芸術にも遅れている」という「偏見」が根ざしている可能性が浮かび上がってきますこれらはあくまで私の「私見」で欧米人の全てがそうでは無くても日本人の役者に対して「無知前提」で接している「アジア人責任者」による一連の態度の「理由」にはなっているかと思えますともあれ・・・今回 その封印が解けて最新作と前作の新録で村井國夫復帰となったのは正に先程の「ディズニー」がルーカスフィルムを買収し「スターウォーズ」「インディージョーンズ」の権利を持つ事になったのが理由となった訳ですこれは、「アナ雪」の「Let it go」というサビを「ありのままの~」と超訳した日本文化を深く理解するディズニーあっての村井國夫復活となった動かざること山の如しのパラマウントの山が動いたではなく崩れた・・・w日本中の吹き替え映画ファン歓喜の出来事となった訳でした。これを受けて前作「クリスタル・スカルの王国」でインディーを演じた内田直哉と村井國夫は和解し(?)Twitterでツーショットを公開しました、めでたしめでたしwインディージョーンズ村井国夫さんと2ショット! pic.twitter.com/XjNELcyY9M— 内田直哉 (@Nao1953Naoya) June 8, 2023▲目次へ▲■吹替版が字幕版より格下?■■さて、日本では海外作品は「字幕」がデフォルトで吹き替えは字幕映画よりも「格下」というなんとも権威主義的偏見が映画業界でまかり通っていた様ですが・・・では、だからと言って「字幕映画」が格上かと言いますと例えば翻訳界、映画字幕の大家、戸田奈津子が担当した映画は誤訳が多い事でも知られておりますのでとてもそうとは思えません例を上げますと「スタートレック」では「遮蔽装置」を「隠蔽装置」と訳したり「スターウォーズ」でも「ローカル(地元)」を 「ローカルの星人」「義勇軍」を「ボランティア」と訳したりとした事で批判された話は有名で特に「ロード・オブ・ザ・リング」では原作と異なる「ワード」を多様した翻訳に激怒した著書のファンから字幕差し替えの訴えが出る騒動にも発展しました映画評論家の町山智浩は戸田奈津子の誤訳の多さについて「製作側による英語の注釈が(翻訳用台本には)ついている。これが通常。戸田さんはこの注釈を読んでないとしか思えない」と批判しこれは映画ファンが「字幕版映画」に対して映画への「敬意」とそれに伴う「クオリティー」を求める事に対して配給側が「まず大ヒット」を求めて大半の予算を「宣伝」に掛けて「字幕制作」に割く時間的成約と予算を掛け無いというその中でベストを尽くしているという翻訳の労苦とは別に配給側の「字幕はあれば良い」程度の認識で委託される翻訳家に丸投げな現状を物語るものでもありそれが「映画警察」的存在の町山智浩にはとても感受できない違反行為に映るわけです対して戸田奈津子を養護する意見も多くある事も事実で戸田奈津子の字幕作業は映画鑑賞で字を読む行為が加わる洋画で原作がある場合の「正確性」にとらわれる余り画面で字幕を追う事ばかりに気を取られて演技を見る暇がなく「集中できない」ケースがある事を踏まえて読む「テンポ」が重要だと考えて字幕を作っている所に大きな特徴があります結果「表現が不十分」「原作に無い表現」「世界観を削ぐ」事態を招く事になるとしてもそれは、一回で目に入るだけの文字数を考慮した一般鑑賞者の理解範囲を越えない現実的配慮で翻訳作業をしている現れだと言えます例えば、一般人にとって意味不明なSF映画の専門用語などが羅列される時などの「ダイリチウムを核融合したインパルスドライブのソヴェリン級戦艦」「クリンゴンの侵攻ルートに存在した惑星オルガニアに住む高次生命体」という様なあっても無くてもストーリー上差し支えのない「要らない情報」は削ぎ落とし・・・w「高エネルギで航行する巨大戦艦」「危険地帯に居るエイリアン」の様に少ない文字数で内容を伝える事は一部ファンの不評を買うというリスクはあってもそれは効率的な翻訳を目指した結果だと言えます・・・w元々英語圏を考慮してセリフが作られた洋画であって無い様な専門用語を早口で捲し立てられる場面などは作品世界を知らない人に取っては目で字幕を追うだけで疲れる「地獄」の様な「何の時間?」でしかないので英語がネイティブでは無い日本向けに制作される字幕で「補助」しながら鑑賞する「日本語字幕映画」では作品ファンの満足を目的にしたその他の鑑賞者を淘汰する様な意味不明なワードは極力排除して多くの鑑賞者の為の映画が鑑賞しやすい環境作りを第一に考えるのが翻訳の仕事だと言えます戸田奈津子字幕の仕様の骨頂とも言える画面の「白い範囲」に「黒文字」又は「黒い範囲」に「白文字」で収まるだけの一目で入る文字数での字幕表示はパッと読める、テンポの良い字幕作りを心がけた誰もが同じ様に映画を愉しめて誰もが鑑賞しやすい映画を観る人への「心遣い」が感じられますたとえ作品のファンには不評でも、多くの人から戸田奈津子の字幕は読みやすいとの高評価を得ているというのも頷けるものがあります因みに世界的には・・・米国的にはですが・・・w海外作品は「吹き替え」がデフォルトですこれはコレで「米国に来て英語を話さない奴は頭が悪い奴」という先程も語った英語を世界のデフォルトとする白人至上主義的偏見が背景の一つと言えます・・・w(※の様に欧米を語る偏見もあるかもですが・・・w)吹替版は俳優本人の声では無い難点はあるものの字幕を読む必要が無い為画面に集中して鑑賞出来るという利点があります又問題の「ロード・オブ・ザ・リング」にしても吹替版で使われたワードは 割りと正しい表現だったと評価も良く「スタートレック」に至っては、カーク船長をTVと同じ矢島正明が演じ「新スタートレック」映画にしても ピカード艦長を麦人が演じ新旧船長が共演する「スタートレックジェネレーションズ」では吹き替えも矢島正明と麦人が共演する豪華版で吹き替えマニア感涙の共演となっております☆それが「パラマウント」の都合で「スタートレック4 故郷への長い旅」「スタートレック5新たなる未知へ」「スタートレック6未知の世界」の「4」「6」のカーク船長の吹替が「新スタートレック」でライカー副長を演じた 大塚明夫 だったり「5」のカークが 筈見純 というマニアックな人が当てたりという謎の起用なのは序の口で・・・「スタートレック6」に至ってはもうカオスでwカーク船長がライカー副長の 大塚明夫敵役のチャン将軍が「4」のカーク船長の 筈見純スポックが「新スタートレック」で初代ピカード艦長役の 吉水慶クリンゴン宰相が 現在のピカード艦長役の 麦人 という新旧スタートレック映画声優総出演となったコレはコレで吹替ファン必見の謎の豪華共演となるといった配給の都合なのか予算の関係なのかスケジュールが合わなかったのか作品の担当声優が当てられ無い場合が多く多くは収録日に開いている、吹替制作社と提携するプロダクションの所属声優に限られるチョイスとなるのが常でドル箱映画の「スタートレック」と言えどもカオスな吹替となってしまう訳です(※後に可能な限りのオリジナル・キャストで新録されました)・・・話をもどしますがwYouTubeでもゼミ系の配信動画に欧米対策で英語吹き替えを導入するユーザーが居るのは欧米が「英語字幕」では無く「英語吹替がデフォルト」の為です日本の若者の国語力低下が危惧される今日では洋画の字幕となる「文字」を読んで理解しながら物語となる映像を鑑賞する事がある程度の能力が必要となり、多くは意味を取りこぼす可能性を捉えると吹き替えが海外作品を鑑賞する日本のデフォルトとなるのも近いと言えるのかもしれません。■▲目次へ▲「クリスタル・スカルの王国」ウチ流解説編■本作を◯倍面白く観るポイントを解説■■さてここで「クリスタル・スカルの王国」も解説しておきましょう・・・wとは言っても解説サイトが星の数ほどある本作ですので本作がより興味深く観る事が出来る様にウチ流の「本作を◯倍面白く観る」ポイントを解説する事にしましょう☆■ジョージ・ルーカスは「インディー・ジョーンズ・シリーズ」を元々5作作る契約を映画会社と交わしていましたがルーカスもスピルバーグも「大物」となりある程度の「口出し」が出来る立場になると冷戦の世の中となり潜在的な脅威が日常に潜む中で暮らす現代に「ナチドイツ」を悪役に仕立てて悪人たちの野望を阻止する勧善懲悪な物語には世の中を吸引する力は無くなっていると考えてシリーズ第3作「最後の聖戦」ではこれまで「ヒーロー」として描いてきたインディー・ジョーンズを人としては「何者」なのか今ひとつ良く分からなかったという事で少年時代のインディーの活躍を描くOPで幕を上げ父親役としてショーン・コネリーを招いて物語に絡めた親子のやり取りの中で人間インディー・ジョーンズを描きそれを持って「3部作」としてシリーズを完結させようとしました実際に存在する「バランスロック」(画像参照: wikimedia)コロラド州の砂漠と高知に広がる絶景の岩場に目を奪われるOPから巨大な岩があり得ない高所の場所にそびえ立つ「バランスロック」のたもとを進むボーイスカウト一行との対比で自然の脅威で生まれた「未知」の存在を感じさせるミステリアスな冒険が始まる予感を感じさせながら広大なアーチ状の岩場からカメラは洞穴へと進んで行きその洞穴の奥で「盗掘」を行う一味の中のひときわ目立つ「フェードラ帽」の見覚えある後ろ姿にここでインディの登場かと誰もが思いながら一味が掘り出した目的の十字架の装飾物を手に取り光が当たったその顔は明らかにインディーとは違う別人で穴の上から一味の行為を見張っていた少年が呼ばれた名前がインディーだったというちょっとした仕掛けを通してスッと インディーの少年時代にタイムスリップさせながらそうして一味から取り返したはずの十字架は金持ちのコレクターに蹂躙された保安官に奪われ骨があるじゃないかと、一味のボスの男がインディー少年にかぶせて画面いっぱいになった「フェードラ帽」を上げた顔が今まさに大ピンチの中で今の事を思い出しピンチの状況すら楽しむ様に笑っている現在のインディーの殴られる直前の顔に繋がるという当時、最後のインディー映画として制作された本作に映画人としての全てが注ぎ込まれた様な画面から片時とも目が離せない映画的な流れる様な展開はインディー映画のラストを飾るにふさわしい冒頭から手に汗握る大冒険をさらりと繰り出すスピルバーグ、本当に上手いな~と思いますそれから1991年のWOWOWの開局のCMでハリソンのインディーっぽいビジュアルを観て以来「インディー」の映像化はもう無いと思われた2008年19年ぶりにまさかの最新作「クリスタル・スカルの王国」が公開されますこれは異世界人の遺産となった「クリスタルスカル」と呼ばれるオーパーツをソ連のKGBと争奪する冷戦時代のお話でケイト・ブランシェット演じる超能力を持つ悪役イリーナ・スパルコはソ連の領土時代のウクライナ出身のKGBの将校という役どころのロシア人で無い事から何倍もの忠誠を誓わなければならない身の上故に出世を狙う将校なら誰もが避ける諜報活動という「汚れ役」を自発的に行いおびただしい数の成果を上げて今の地位を得た人物で逆に言えば高い地位を得る為には誰もがやらない仕事をやるしかないという当時のウクライナの「損」な役回りを負う立ち位置を伺わせる現在のウクライナ情勢を知るには実にタイムリーな内容でしたこの映画は旧3部作とは明らかに異なったトーンで作られてましてそれは本作を監督したスピルバーグが当時61歳という年齢で歳を重ねたという事が作品に影を落としているという事もあるかもしれませんが「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」「ミュンヘン」と重くリアルな映画を撮っていた反動で楽しく観ることのできる映画を目指した映画化でした映画冒頭、地面からいきなりCGのモグラが出てきますが実写のアクション映画には似つかわしくない違和感があってまるで昭和のテレビまんがみたいなチープさがありますがアレは「さあ、マンガみたいな愉しい映画の始まりだ!」という「宣言」の意味があった訳で本来核兵器の破壊力や放射能を鉛製の冷蔵庫に入っただけでかわせる訳が無いのにインディーが無傷で出てきたりその足元から冒頭のモグラが出てくる事でこの辺りには核の影響は無い事を示しながら伏線回収するのですがw他にもどう考えてもあの様な高い「滝」から3回落ちれば死ぬ所を助かったカレン・アレンにハンドルだけ持たせてミッキーマウスディズニーアニメ的お笑いにしているとかジャングルでロシア兵に扮するイゴール・ジジキンと戦う場面でインディーのパンチにのされた後軍隊アリに巣まで運ばれて絶命するといういくらなんでもあり得ない演出をしたりするのもそもそも本作はマンガみたいな演出をしたかったスピルバーグのお笑い満載なハラハラドキドキのディズニー的愉しい映画を目指した所に企画の理由があった訳ですしかし一方で「シンドラーのリスト」ではナチの党員でありながらユダヤ人を救った人物を描き「プライベート・ライアン」では「戦争」の実態と人間性を描いた事で「ナチ」を素直に「悪」と描くことが出来なくなった弊害と「最後の聖戦」の時の様に「戦争」をネタに笑いが描けない「レイダース」の時の様に中身を考えない映画を撮れなくなりそれで闘う相手をソ連のKGBにしたり敵を「ソ連」にしたというよりは共産主義を敵視する「赤刈り」なども含めた「思想」そのものという潜在的な敵になりうる全ての状況が今回の真の敵として描いている所に旧3部の時にあった映画的カタルシスが薄くなり映画で描く枠取りが増えて多義に渡っている分トーンが変わったと言えます例えばインディがKGBに拉致され脅迫されて行った行動が当局に共産主義に寝返った行為に取られて見に覚えのない「赤狩り」の対象にされる所などは「勧善懲悪」なインディー・ジョーンズ・シリーズを逸脱したものすら感じさせます▲目次へ▲■米国の悪政「赤狩り」って何?■この映画をもっと理解する為に「赤狩り」に付いて少しだけ触れたいと思います「赤狩り」は「マッカーシズム」とも呼ばれる1948年頃より1950年代前半に政府によって行われてきた当時世界的に台頭していた「共産主義」を国内から排除する行為と一環を指す言葉ですが当初は国内の共産党員や支持者を政府が弾劾追放していた事がやがて共産党員では無い家族や友人までもが追求される様になりいつしか「あの人物は赤っぽい」という様な「イメージ」だけで処断される様になって行き偏見がまかり通り人が人を信じられなくなる様な国民が疑心暗鬼に囚われて国内に不穏な空気が浸透していた一連の風潮を指す言葉でもありますヲタク評論家の岡田斗司夫はコノ当時の「赤狩り」の風潮を「不倫したら炎上するよりも酷いやつ」と表現してましたがwこの「赤」とはソ連の国旗の色であり共産主義を象徴するカラーとして共産党とその支持者を指した言葉で当時は「赤っぽい」と思われただけで当局に逮捕されたといいますのでしばしば歴史に於いて戦争に勝利した国が陥る次は何が敵になるのかで国内が「スケープゴート」探しで騒乱する人権を無視した悪政が戦後の米国にまかり通っていた事を伺えるものがあります■背景としては、戦後に共産主義の大国のソ連が力を拡大しつつある事に警戒してきた米国がアジアや中東、中米の国々が急速に共産主義国化して行く事に対して世界から民主主義が消えてしまうのでは無いかと恐怖心を抱いた事がきっかけで猜疑心が芽生えた所にありそれを受けて共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員が率先して「赤狩り」を進めた事で本来共産主義とは何ら関わりの無い代議士や著名人、作家までもが「赤」を思わせる発言やその様な著書を出版しただけで連行されという様なその実態は現政権の潜在的な敵と認知された人々が弾劾される「共産主義者の排除」を大義名分とした体の良い政敵の排除を目的とする謀計と言えましたこれによって偽の「共産主義者リスト」作成による事実の歪曲や偽証が横行しマッカーシーのその様な冷徹で強引なやり口は批判を込めて「マッカーシズム」と呼ばれる様になりますやがて「赤狩り」の思想は世界的に波及しイギリスやカナダ、日本までも影響を受け西側諸国全体に行き渡る程に「共産主義」への脅威は「形の無い恐怖」となり戦後の世界を席巻して行ったのでしたしかしその様なマッカーシズムの横行に対してマスコミが立ち上がり1954年3月9日 ジャーナリストのエドワード・R・マローがマッカーシーが行ってきた数々の違法行為と偽証工作を自身の番組で取り上げ批判した所番組の反響は凄まじく全国でマッカーシー批判が広がりこの一件以降、赤狩り一色だった風潮は転じてマッカーシズム糾弾へと向かいます12月には政府はマッカーシーに不信任を突きつけこうして憑き物が落ちるように米国における赤狩りは終焉を迎える事になるのでした▲目次へ▲■どうして米国は共産主義を敵視したの?■米国の共産主義、社会主義に対する嫌悪は社会主義ベースの民主主義を世界で唯一成し遂げたとも評価される日本では理解出来ない民主主義以外を「異端」と見なす極端な資本主義的思想に起因しているものと捉える事が出来ます例えばオリバー・ストーン監督の大ヒット作「ウォール街」の続編2010年公開の「ウォール・ストリート」ではリーマンショックで世界金融危機に陥った米国で政府が銀行の金融システムに関与する状況になって行く事に対して銀行業界のトップ達があたふたとうろたえて「社会主義が始まる!民主主義はもうおしまいだ!」と取り乱す場面がありこれを観る限りでも米国人は国が関与する事を極端なまでに嫌い国が主導する事を端的に「社会主義」と捉える傾向がある事が分かりますオバマ政権の時に国民社会保険の導入を検討し政府に棄却される事がありましたが日本人にとってはとても良い制度でも「自由主義と民主主義」が基本の米国ではフランシス・フォード・コッポラ監督の名作「レインメーカー」の中で訴えられる極悪保険企業の様な金儲け目的で病人から搾取をする様な血も涙もない企業があったとしても法律に抵触しなければ何をしても「自由」であり例え人道的に正しい行いをするとしてもそれに国が関与する様な事は「自由が侵害される」=「社会主義」=「悪」なのであり民間の保険が高額であろうとそれが「保険」という制度であり加入するもしないも「自己責任」なのが「民主主義」であると高額保険が「極悪」なら 誰にも選ばれない事で社会的に自然と「抹殺」されるべきであるというあくまで「自由」に基づいた「一人ひとりの意思」を尊重している事が分かります又、資本主義的民主主義な考えでは金儲けに成功する事は正しい行為であり「正義」の現れで「富裕層」は正しい生き方をする正しい行いをする人達であり「貧困層」は間違った生き方しか出来ない悪い行いをする人種であるという極端な思想がはびこるのもお金持ちになるのも貧乏になるのも全ては「自己責任」でありどららの立場を選ぶのも「自由意思」である「自由」とは良い面ばかりでは無く悪い面だってあるというそれが「自由」の本質でもあると捉えているからだと言えますこれは「良い」面しかない都合の良いものなど存在しないし「悪い」面があるからと言って放り出したりせず受け入れるその様な「自由」の元に社会を作って生きるのが人間らしい姿でありそれが唯一叶うのが「民主主義」である、の様に「自由」である事は「誤ち」が起こるのが「当たり前」である事を前提にして皆が望んだ事で犯した「誤ち」が起これば真摯に受け入れて変えて行くその様に価値観を常に変化させる「現実的思考」が根付いている現れでありその様な、唯一無二の人間らしい社会を作っている「誇り」が米国人を支えている事が伺えますつまり米国はその様な多種多様な考えで国が成り立ちそれによって特定の考えが多数を占めて国がそちら側へと傾いた時も正しい行いである事を信じて行動し続ける限りたとえ過ちを犯したとしても世の中が自然と正しい方向へと導くのが「民主主義」であると捉えている事が分かります故に、国が唯一の考えで統一され国民に選ばれていない世襲によって権力が受け継がれる一部の特権階級によって成り立つ様な全体主義的国家や国の運営を一部の「プロ政治家」に委託して国民は政治に無関心となり世の中が乱れたら国のせいにし自分の子供が公園で怪我をしたら行政のせいにするそれで世の中が良くなる訳でも何でも無いのに赤の他人の不倫を「悪」認定して世の中から抹殺するまずは社会があって人が居て自分があると考えて周りの事を考え災害が起これば整然と行動できる事を世界の称賛を浴びながらコロナになってマスクが品薄になると奪い合う様に購入して店舗の商品棚を空にしたり善意の配布にも何百もの人間が群がる様に押し寄せて行き渡らなかった最後尾で怒りで暴れ出した人間が逮捕される様な浅ましい裏の顔を持つそんな どこかの社会主義的民主国家ではなし得ないという事を信じている現れだと言えるのでその様な「異端」な思想が世界を席巻した時は「人間的な社会」が侵され「誇り」が失われた末に人としての拠り所となる「アイデンティティ」まで失われる恐怖心の余り我を忘れてしまうという事なのかもしれません。▲目次へ▲■移住した順番で階層化した移民問題?■■さて、「クリスタル・スカルの王国」の話に戻りますが大学を停職になり国から「赤狩り」の対象にされる失望で国外に出るインディーをハーレーで追いかけてくる元カノの息子と米国の定食屋にあたる「ダイナー」に入りKGBの追手を巻く為に始めた騒動でスカジャン一派と革ジャン一派が真っ二つになって揉める場面では後にスピルバーグが映画化する「ウエストサイドストーリー」やコッポラ監督の名作「アウトサイダー」でも描かれた米国が人種のるつぼである事での「移民問題」を背景にした当時の白人と有色人種による対立を「漫画的」的に描写して根底にある「人種差別問題」を「コメディー」に変換して笑い飛ばす社会性のあるキレの良いコントとなりましたスカジャンが大学生の白人富裕層で革ジャンリーゼントが学歴の無い移民労働層でこの2つの層が事あるごとに反目し合いぶつかり合う貧富の差が「階層社会」を生み社会問題となる当時の世相が良く描かれていてこの場面はその様な世相をエンタメ化する為にダイナーの場面をリアルにでは無く「風刺画」的に描写して当時の世相と米国社会に反発しながら行き場のない怒りに非行や暴力という形で世の中にぶつけるしかない当時の激昂する若者を象徴する様なリーゼント、革ジャンにバイクという元カノの息子と「赤狩り」の風潮で失墜した米国に嫌気が差していたインディがそういう因縁で行動を共にする様に描かれていますここで描かれる移民問題も日本では良く理解できないのでこの場面をもう少しだけ深く捉える事が出来る様に掻い摘んで説明します米国の移民の歴史は欧州人によるもので1620年のメイフラワー号での新天地を求めた新教徒が相次いで入植したのが米国の始まりなのでカトリックの教えを強要される欧州から逃れたという理由からして自由な社会を求める米国の精神とは「宗教」からの自由がルーツでありここから芽生えた精神だと言う事が分かりますただ、「メイフラワー号」というワードから始めると「インディアン戦争」やら米英不干渉までの歴史「モンロー宣言」とかとんでもなく壮大な米国の歴史を語らなければならないのでゴッソリと端折りますが・・・w南北戦争やら色々騒乱や変革や戦争を経験して国としての礎が徐々に盤石なものとなって行きますそんな頃、19世紀の後半には欧州の飢饉の影響で食糧難が発生し米国の豊かな土地を求めてアイルランド系の移民が入植して来ますやがてイタリア系、ロシア系、ポーランド系の移民も入植して来て人種のるつぼ米国が形成されて行きます後期には北米戦争が起きてスペインが敗北した関係でスペイン領だったプエルトリコが米国の植民地となりますがこのプエルトリコは1950年に独立運動が激化し武力蜂起が起こり国が乱れた事でアメリカはプエルトリコの安定の為に「コモンウェルス」と呼ばれる自治領化を認めて経済的独立を推進し自国で国内生産をまかなえる様に資本を誘致して工業化を進めるのですが雇用にあぶれた人々が結果として次々と米国に移民する事になりますこれがプエルトリコ移民です■この様に移民として入ってきた様々な国の人々の多くが学も技術も無く未熟練労働者として働いたためその様な低所得層がスラム化して都市中心部で移民によるスラム街が形成される様になりますこの様な移民が元から居た欧州系米国人の職を奪っていく事に不満を感じた事が「移民差別」の「核」となって行きますそうして先輩移民から差別を受けてきたアイルランド系移民の後に入ってきたイタリア系移民が次の「差別」の対象となり次に入ってきたロシア系、ポーランド系、やがて中国系移民もその次、その又次、その又又次の「差別」の対象となって行きます最初の後輩移民だったアイルランド系移民は既に米国での地位を獲得していた為と後から入ってきた後輩移民の先輩となった事で「差別」の対象から外れ次に入って来た後輩移民のイタリア系移民が先輩のアイルランド系移民の「差別」の対象になって行きますそうして今度はイタリア系移民が米国内で地位を獲得し「差別」の対象から外れると次に入ってきたポーランド系移民が後輩となり・・・といったこれらの移民が米国での入植してきた順番に地位を獲得して行くに連れて差別からの「一抜け」をしながら次に入植してきた後輩移民を差別する「差別の連鎖」によって「移民の階層化」が形成されて行きますそうして1950年代に移民してきた最下級生後輩となったプエルトリコ系移民は既に差別の連鎖から「一抜け」したアイルランド系、イタリア系、ポーランド系などの上級生移民から一斉に差別を受ける様になり自由である筈の国で受ける、いわれのない差別と「自由の国」とは名ばかりの、かけ離れた階級社会の枠組みに激昂する事になる訳ですハリウッド映画を見てもアイルランド系は検事や弁護士などの知的な職に就く高学歴層として描かれ主演のシルベスター・スタローンのサクセスストーリーとリンクした「ロッキー」でも、イタリア系移民の米国に於ける若干の地位が見て取れる様に「インディー4」での1957年という時代にリーゼントに革ジャンにバイクで低所得層のスラム街で激昂するダイナーで富裕層と衝突して怒れる若者となるのはつまりはそれら移民の最後に入植してきたプエルトリコ系の移民だと言う事が分かる訳です▲目次へ▲■本作が「1941」のリベンジである理由とは?■■インディが息子の運転するハーレに同乗する事で私達は彼らの目線で当時の米国の姿を垣間見て発展する街並みの影で虐げられる人々が居る事を物ともしない理不尽の象徴の様な「当局」と一戦交えながら図書館に乱入した時に「書には真実はない街へ出ろ」と「レイダース」では大学で講義した時とは真逆の事をインディが叫ぶ場面があるのですがコレは純粋に「レイダース」をネタにしたパロディーである事以外に何か「違和感」の様なものを感じた訳ですこのセリフは言い換えると真の問題とは映画の外で起こっている事であると示唆しているのでこれはスピルバーグがスクリーンを通して「1941」のリベンジが叶った事を声明したそんな特別な場面だったのでは無いかと思った訳ですこれはどういう事かと言いますとこれは私の・・・「私見」で、根拠はありませんが1975年公開『ジョーズ』で世に出たスピルバーグは1977年公開『未知との遭遇』に続く大作として1979年に真珠湾攻撃前夜の米国の小さな海辺の街を舞台にしたコメディー『1941』を公開します当時関係者の誰もが企画に難色を示し出演予定だった大物俳優のチャールトン・ヘストンやジョン・ウェインが相次いで病気を理由に出演を拒否し「非愛国的」とまで言われながら成功を信じて疑わないスピルバーグは撮影を決行し映画は公開されます結果、世界的には大ヒットとなりますがスピルバーグの思惑とは裏腹に映画は全米の半分の層に批判され内容的にも叩かれて国内では制作費にも僅かに満たない有り体に言えば興行的失敗で幕を閉じますこの映画が失敗した要因は笑いがスベっていてダメ映画になっている事が失敗の原因だとしても真珠湾攻撃からまだ38年しか経っていない当時の米国でそれをネタにコメディーにした映画化であった事自体がタブーでありこれは2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件に対して「911」というタイトルでコメディー映画を撮る様なものだと思えば「タブー」の意味が理解できると思われそれが最大の失敗の原因だとされて若くして成功し思い上がっていたスピルバーグがこの件で学び後にそういう心情も汲める様に謙虚さを覚えたという話でしたが「1941」の失敗の原因の一つだった「お笑いが苦手」という点は「レイダース」の成功で克服したので、それは置いておき・・・もう一つの原因の「企画そのものが米国ではタブーだった」という点に付いてはおそらくスピルバーグは「1941」ではやり方を間違ったとは思っていてもタブーネタを笑いにする事は間違っていなかったと心の底でズット思いながら、間違ってもそれは絶対クチにはしない様にしてこれまで歴史を知る当事者が事実を突きつけられる事への「心情」を考慮しながら米国の黒歴史やタブーを取り上げたシリアスな映画を撮り続けて来たと思うので人は「真実」によって心が揺さぶられるという映画のセオリーが「シリアス」にも「お笑い」にも通じるという事を何度もこの目で十分すぎる位確認してきた所で今回「お笑い」の場面に米国の黒歴史である「移民問題」を取り入れインディが元カノ息子にスカジャンの若者を殴らせた事が着火剤となりダイナーでスカジャンと革ジャンの層が真っ二つに分かれて移民問題が爆発するという乱闘場面へと発展する様が「1941」での兵隊同士の乱闘場面を思わせるものがあった事からも「移民問題」という普通なら笑えない様なデリケートな社会問題をネタにしてそれを笑いに転嫁させエンタメ化する事に成功させた事になるのでスピルバーグ的には「1941」への満を持したリベンジを行ったのでは無いかという印象を持った訳です根拠としてはスピバーグは過去何度も米国の「汚点」とも言える題材を作品として取り上げてきましたがその切り口は常に「これをどう乗り越えるのか」という問いかけが「核」になっていたと言えますつまりスピルバーグはこれらの問題は常に「乗り越えられる」と思って映画を撮っているのでありそれは「1941」の時に若きスピルバーグが米国はどんな痛みも必ず乗り越えて笑い飛ばせる位の力強さがあると信じて周りの反対を押し切り映画化した時のその思いそのものでもあると言えますそういう「自由の国米国」の「自由」に生きられない「生きにくい」世の中の時代を舞台にした本作に「自由の国」と言いながら「タブー」がありそれを「自由」に語れなかった「生きにくかった」「1941」制作時の若きスピルバーグが叩かれた世の中を投影させて問題は隠さず外に出す事で乗り越えられるという持論を若い息子の運転するバイクの後ろにまたがる年を取ったインディーのセリフに乗せて長年の鬱憤を晴らす様にスクリーンを通して訴えたと言う事だったのかもしれません▲目次へ▲■インディがシルエットで出てくる意味■ペルーのオレリャーナの墓でKGBに拉致されたインディーがアマゾンのジャングルまで連行されテントの中で尋問される場面でKGBが盗み出したロズウェルの遺体からクリスタルスカルを抜き出す所で椅子に縛り付けられたインディーが薄いカーテン越しからそれを観ている時インディー越しに巨大なインディーのシルエットが重なって映し出されるというシーンがありましたこのインディーのシルエットは第一作『レイダース失われたアーク』での序盤マリオンが経営する酒場でも見られ閉店した店内に訪れるインディーのシルエットがマリオン越しに映し出されるというのがありましたこのインディーのシルエットが何を意味しているのか ですがこれは インディー・ジョーンズの群像 を意味したもので眼の前に居る「人間インディ」では無くて考古学者で冒険家で腕っぷしの強いハンサムで男らしい「ヒーローインディ」の姿を表したものだと言えますレイダースでマリオンの後ろに映る巨大な影となったインディーの場合はマリオンが10年前の無垢だった頃に 好きだったハンサムで男らしくて頭も切れるヒーローインディーが今もマリオンの中に巨大な影の様に居続けて心を蝕んでいるという事を表現したもので実際に映るインディは締まりの無いニヤけた笑いで登場しシルエットとなった格好良いインディとは随分な「ギャップ」を感じる事からも眼の前の、中年になったインディーから感じる10年という月日に対してもマリオンの怒りは収まっていない、今も現在進行中である事を表現してる事が分かりその後インディーが求めるアイテムを所有している事に対してマリオンが尊大な態度でイニシアチブを取るのも帰り際のインディが 影で黒ずんだ中、眼にだけ光が当たるのも大学の教授としての人間インディーでは無くヒーローインディーにスイッチが入ってマリオンの前に現れた現在のインディーとマリオンの中で巨大な影となったインディーが重なって「同化」しているという昔のインディも今現れたインディーもマリオンにはどちらも憎悪の対象という意味といくらニヤニヤ笑いながら登場してごまかしそうとしてもインディーの師でマリオンの父親のレイブンウッド教授と仲違いした事が去った理由だったとしても教授はその後ネパールで亡くなり父親と同行し一人そこで取り残されここを去る費用も無く留まるしか無くなったマリオンを長年苦しませ続けた過去からは逃れられないインディーにのしかかる「罪」という意味がある訳ですインディーの光が当たった「眼」は新たな発見を求めて探求を続ける旅の影で常に誰かが犠牲になっているヒーローインディーの中の人間インディーが感じている昔も今もインディーを憎悪し続けるマリオンへ向けた「贖罪」の現れを表しているものだと言えますそして『クリスタル・スカルの王国』でのロズウェルの遺体を観るインディーに重なった巨大な影は今や年を取った人間インディすらも持て余す程巨大なレジェンドとなったヒーローインディーの姿であり「失われたアーク」や「キリストの聖杯」などのアイテムを価値ある歴史的遺物として追ってきたのは「人間」も「ヒーロー」も同じインディー・ジョーンズであっても寄る年波には勝てなくなり昔は父親ヘンリーを乗せて運転したバイクも今は逆に息子が運転するバイクの後ろに乗せてもらう身となり理解できない事は無理に理解に努めず何かと折り合いを付ける様になった年を取った現在のインディーと理解できない事でも真実にたどり着く為に正面から立ち向かって時には力技で突き破って来たヒーローインディーとの対比を表した場面だと言えますもう一つは・・・「レイダース」の冒頭で当局の職員と学者がアーク探索を依頼する場面があるのですがとある重要な無線を傍受したと語る蝶ネクタイの職員と余計な情報を言わない様に時折口をはさみ噛み砕いて説明するスーツの職員という細かい心理のやり取りで場面に緊張感を漂わせてながらインディーの口から「アーク」というワードが出て本作の柱となる重要なアイテムの解説に話が移る時これを追っているんだとばかりに目を輝かせ身を乗り出しオカルト好きなあのヒトラーが追う程のアイテムだから絶対に価値のあるものに違いないと語るスーツ男が一概には信じられないという口調の蝶ネクタイの男を「それ見ろ、やっぱりあるだろ」という顔で見たりそうは言ってもそんな雲を掴む様な話で調査を依頼するのは問題があるのではという顔で一瞬当局の男の顔を見る蝶ネクタイの男という見えない心理を演じる二人の役者のやり取りの芝居が中々良いのは・・・置いておきwそんな二人の温度差とは別にアーク捜索には前向きで物凄い歴史的価値を見出していてもアークの奇跡の力を半笑いに語るインディーは単に価値ある遺物の発掘の旅に出られる事を喜んでいるだけでオカルトとか奇跡の力とか宇宙人とか全く信じていない事がこれで分かりますつまり、もう一つの事というのはそんなインディーが、毎回これらのアイテムが引き起こす奇跡の力を目撃して来て今回も宇宙人の死体を目の当たりにしてアイデンティーが揺さぶられてそんな訳無いとあくまで事実を否定する人間インディーとこれまでも今回もアイデンティティーが揺さぶられ続けているヒーローインディーとの巨大な葛藤を巨大なシルエットによって表現しているものだと言えますこの様な心理を表現する為には通常はセリフにして芝居の中に落とし込むのが基本なのですがその心理状態が複雑であればある程表現するセリフも場面も複雑になりとうてい子供がついて行ける様なものにはならないので子供も鑑賞できる痛快アクション映画には不向きとなってしまいますしかしそういう場面をカットすればカットしたで今度は子供だましな映画に成り下がるジレンマが起こる訳ですこれを中途半端にやるとどうなるかと言いますと2000年に公開された織田裕二主演のアクション映画『ホワイトアウト』の様に中村嘉葎雄演じる警察所長の洞察力が名探偵コナンよりも鋭すぎて映画では全編置いてきぼりにされますダムを決壊しようと企てるテロリストの目的を一人感知して大事な捜査資料の地図に良く分かる様にばーっとお茶をこぼして説明する余計なパフォーマンスをしてみせるこの名探偵所長の暴走ぶりはまだ序の口で・・・wそれはクライマックスを過ぎたかつて仲間の石黒賢を救出出来なかった負い目を抱えて山岳救助隊を続ける織田裕二が石黒賢のフィアンセ役 松嶋菜々子の巨体を背負いながら下山して生還するラストの場面でもう自分が背負って救おうとしているのが松島なのか過去に遡って救えなかった、石黒賢の方なのか意識が混乱して分からなくなる位、瀕死で意識を朦朧とさせて皆に見える位に山の稜線を越えて下山する頃にはすっかり石黒賢を背負っている気持ちになっていてそんな必死に助け出そうとする織田裕二の姿を見て中村嘉葎雄は全てを超能力の様に察知して感極まり「彼は間に合ったっつ!!!(泣)」ともう誰もこのコナン所長を止める者は無く一人で場面を持っていきフィアンセを置き去りにした事をずっと恨んでいた松嶋菜々子も号泣し と斜め上の感動を力技で降臨させるというTV出身の監督若松節朗の執念の演出が炸裂しますが・・・まあ気持ちは分かりますが、色々端折ってません?・・・という感じでwこれまでの日本映画には無い日本人が抱く「ヒーロー像」を描きミッション・インポッシブル・シリーズの様な激しいアクションを主役にした映画を目指しながらラストの締めが短い間に盛り込み過ぎで描き足りなくて観ている方が色々脳内で補完して観なきゃいけないという余りに映画ファンの善意に甘えた演出過ぎて・・・ハナから「ポカ~ン」する子供は無視するという日本が変にアニメの鑑賞年齢層が高い弊害からなのかこういう事が邦画に良くあるのは良くないなあと思いながらまあ結構好きな映画ですしまあ大ヒットしましたし・・・wそういう中途半端が無いハリウッドは年齢層を下げる場合は徹底的に脚本を見直して子供がついて行けない場面は全カットするので大金で制作されたアクション映画に駄作が多いのは年齢層を高い収益が見込まれる10代まで下げて内容を薄くしている為だと言えますスピルバーグはこれらを本編の中でセリフの芝居で扱うのでは無くてこの様な光と影を使った演出で場面の中に「漂わせる」事で目に見えないものを浮かび上がらせながらエモーショナルな場面として奥深い印象を与えるというスピルバーグの演出の妙を見る思いがありました■▲目次へ▲■マックがウインクして大丈夫だと言ったのは?異次元へのゲートが開いた映画のクライマックスで異世界人が作った遺跡が動き出して何もかもが異次元ゲートへ吸い込まれ始めた時何度もインディーを裏切ってきた元相棒のマックは未だ宝物に執着してかき集ていたのですがその場所が異次元に吸い込まれはじめてマックは足を取られうつ伏せのままとなり動けなくなってしまいますインディーがムチを投げて掴ませて救い出そうとしますがその時なぜかマックはウインクして「大丈夫だ」といい笑顔を見せます周りはどんどんゲートに吸い込まれてインディーは必死でマックを救おうとしますが宙に浮いた状態となったマックは掴まっていたムチから手をパッと離し異次元に吸い込まれて行ってしまうのでしたという初めて観た時、なぜウインクして「大丈夫だ」と言ってムチから離した手も、たまらず離したというよりは自らの意思で手を離して異次元に吸い込まれた様に見えたのでどうしてそんな自殺行為をしたのか意味が分からなくてずっと頭の中に残っていました映画を観る限りからしても自業自得というギャンブルで莫大な借金を抱えた末返済の為親友を裏切り次から次と宿主を変えては自分の利益を求めてきた日和見主義な人物の末路と言えますのでその借金に付いて『マジでヤバいんだ』と言っていたのでかなり怖い筋から借用した莫大な額であれば無事帰還した所で返す金が無ければ命は無い事は分かっての「自害」という意味があったとしてもこのやり取りって何の時間?と意味不明で、それだけに頭に残るスピールバーグ作品にしては珍しくミスリードさせる奇妙な場面と言えましたというわけで 改めて検証した所・・・日本語字幕・吹替では分からなかった英語のセリフに真意がある事が分かりましたので順番に解説したいと思います■行動から理由を「仮定」■簡単に言えば「覚悟の自決」なのですが事の真相はそう単純ではありません実はスピルバーグはその様な込み入った事情を少ないセリフと演技とエモい演出で全てを汲んであの短い場面で見せていたのでチョッと長くなりますが飛ばして読むと分からなくなるので順番に読んで行ってください・・・wさて、まずこの場面の「状況」から見てみますとゲートの影響がマックの居る所まで及ぶと衝撃でマックは足を取られて床に仰向けに倒れますこれはゲートが周りのものを「吸い込んでいる」からではありませんこれはゲートからの何らかの力が「重力」として神殿の中に及ぼしてその影響が地球の重力を越えて強くなった事で重力値が大きく変わりそれまで「床」に向かって「下」に働いていた重力の向きがゲートからの力が発している「クリスタルスカルの間(ま)」がある方向に変わってしまいマックはおろか、その場にある壁も床も柱も宝物も何もかもその方向に向かって 落下している のでありそれが「吸い込まれている様に見える」訳でなぜマックが立てないのかインディーが『立て!』では無く『足を使え!』と言っている理由もこれで分かりますという事でまずこの場面のマックの「行動」はこのままではすぐにインディーも周りもろともゲートに向かって落下する事になってしまうので直前で『ジョーンジー』と親友だった時の呼び方でインディーに呼びかけ直前でウインクして「今は親友のマックだ」と合図をして親友のインディーを巻き込まない意思を伝えて一人犠牲になる事を選んだ のではと状況的にそういう流れだろうと「仮定」して次にその「根拠」を見つける為に問題の「セリフ」を検証してみます■英語のセリフの中にあった行動の「真意」■ここでのセリフですが字幕ではインディーがマックにムチを投げて『つかまれ!』ムチをつかんだマックに向かって『踏ん張るんだ!』となっていますするとマックはインディーを親しげに『ジョーンジー』と言った後ウインクして『大丈夫だ』と告げるとムチから手を離してゲートに吸い込まれるというのが字幕での流れでしたちなみに吹替はもう少し突っ込んだ表現をしていて『足を使え!俺一人では無理だ!』と叫ぶインディーに『ジョーンジー』と告げて・・・この後のセリフですが・・・落ち着いた口調で『俺なら大丈夫だ』と言いゲートに吸い込まれていくという字幕では感じられなかった意味ありげな口調が加わっているので見方によっては、何かの影響で頭がおかしくなっている様にも取れる場面になっていてそれがますます意味不明に感じる訳です従ってここから考えられる事はこの場面のセリフの真意が「英語」だから伝わる事だったとしたらそれを「日本語」のセリフで何とか説明したくてあの様な意味不明な状態になった・・・そんな印象がありますそこでこの場面を「英語」で見てみますまず最初マックにムチを投げたインディーの英語のセリフは『Grab it !』で字幕は『つかめ!』なので、意味は同じだと分かりますその次の『Use Your Legs, Mac. I can't do it alone !』ですが吹替では『足を使え!俺一人では無理だ!』で完全な翻訳になっていましたが字幕の『踏ん張るんだ!』では先程「■吹替版が字幕版より格下?■」の所で語った観客が画面を観ながら一目で読める様にする余りいろいろ端折っているのが分かりますそして問題の日本語字幕『ジョーンジー・・・大丈夫だ』ですが英語のセリフは『Jonesey! I'm going to be all right.』となっており通常『大丈夫だ』と訳される『I'm all right.』とはかなりニュアンスが異なっている事が分かりますつまりここで注目すべきは『going to be』で・・・ああこれは『will be』という形にも置き換えられると学校で散々習った 未来形 というやつだ・・・とここで遥か遠き忘却の彼方にある学生時代を思い出す訳ですw正にこの「置き換えられる」と習った昭和の日本の文部省が制定した「ゆとり教育」よりもタチが悪い「ザックリ英語教育」のセイで大学を出ても英語が話せず、アメリカのマクドナルドでも『Potato Please』と注文して『Why?』と言われたという人間を続出させたという「罪」があると思っているのですが・・・wそれはさておきそもそも『will be』と『going to be』は言葉が違うのですから意味も違うのは明白なわけです学校では『will』は「~するつもり、~だろう」と習いましたがこの訳では意味が「やる気半分」位か「するつもり~www」という全くやる気が感じられない言葉としか受け取れませんそもそも「will」本来の意味は 強い意思の「即決」で確実にそれをやる意思を「今」見せている時に使うので語っているのは「未来」の事かもしれませんがそれで「未来形」などという「フワッつwww」とした要素は、実はどこにもありません『going to be』の方はもっと熾烈で既に「過去」に決断しているというニュアンスがある時に使う言葉になりむしろ「未来形」の要素とは程遠いものがあります昭和の英語の勉強では、同じ「医者になる」を「I will become a Doctor.」から「I'm going to become a Doctor.」に言い換えられるみたいに習いましたがI will は「今、医者になると決断した」事に対してgoing to は「ずっと前から医者になると決めていた」事になるのでこれらは全く違う意味の言葉なのですしかも厳密には「未来形」は無いので「I will を going to be に言い換えよ~w」などという昭和の英語教育はとんでも無い話だった訳です・・・という、当時の文部省に色々言いたい気持ちはとりあえず置いておき・・・wこれらの英語がネイティブでは無い日本人には理解が難しい「英語の言葉の意味のコア」に焦点を当てて改めてここでのセリフを検証してみるとこの場面のマックのセリフですが『I will be all right.』であれば、今の状態に対して言っている事になるので字幕通り『俺は大丈夫だ』になりますしかし『I'm going to be all right.』だとずっと前から大丈夫だった事になるのでこの場合の『大丈夫』とは何を指しているのかが重要になって来る事が分かりますつまり『大丈夫』なのは「この後起こる事」に対してでありこの後自分の身に何が起ころうと『大丈夫だ』とマックは言っている事になります更にはそれを「今」思ったのでは無くてそれを「ずっと前」から思っていた訳なので『いつかこんな目に遭うという事はずっと前から分かっていた』という意味がある事が分かりますつまり、重複しますが先程「行動から理由を仮定」した所でも語った様にギャンブルで莫大な借金を抱えた末返済の為親友を裏切り次から次と宿主を変えては自分の利益を求めてきた日和見主義な行動を取り続けて来る所まで来ながら 自分をどうする事も出来ないマックが心の奥ではどんな末路を取るのかずっと前から自覚していた事が分かりその借金に付いて『マジでヤバいんだ』とも言っていたのでかなり怖い筋から借用した莫大な額で無事帰還した所で返す金が無ければ「命は無い」事も分かっていていた状況にあった事も分かりますだから同じ「死ぬ」でもこのままでは自分を救おうとして決してムチの手を離さない親友を巻き込んでしまうので「親友を巻き込まない」という死であるなら意味があると考えて覚悟の「犠牲」を選んだという事であればこの言葉の意味が理解できますそしてこれにもっとピッタリとハマる言葉に意訳すると『これでいいんだよ』となりインディーを親友だった時の呼び方の『ジョーンジー』と呼んだのもウインクして『俺は大丈夫だ』と言った意味もムチをつかんでいた手をパッと離した意味も説明出来長年モヤモヤしてきた事にもこれで納得が得られます只そうなりますと「もう一つの可能性」が出てきましてw同じスピルバーグの映画に未知の力に招かれて「デビルズタワー」に訪れた主人公がETとの遭遇を果たして宇宙に旅立って行く壮大なSFファンタジー作品の『未知との遭遇』というのがあったのですがこの場面もひょっとしたら同じ意味があったのかもしれないと思った訳ですつまり、この時のマックが異世界人の放つ何かを受けて『未知との遭遇』の主人公の様に「異世界が俺を呼んでいる」とクリスタルスカルの異世界人が自分を招いている事を感じて「おれは大丈夫だ」と言ってどうせ生還しても反社会の連中に殺されるのを待つだけならとムチを掴んだ手を離して「死ぬ」のでは無く異世界人に招かれるままに異世界に向かって旅立って行ったという事ならオックスが言っていた「とても大きな贈り物」が「異世界人の世界へ地球人を招く事」だとして図らずもマックが選ばれてああして旅立って行ったという事かもしれませんそうして『2001年宇宙の旅』で 四次元宇宙に旅立って行ったボウマンの様に、「神」となって再びこの宇宙に戻ってくるかどうかはわかりませんがwそうなりますと「イリーナ」は不合格で焼け死に「マック」は合格となり「当局の軍人」はダメで「詐欺師のスパイ」はOKという異世界人の判断基準はどうなっているのか良く分からないものがありますこれに付いては「東京ディズニーランド」のアトラクション『クリスタルスカルの魔宮』でのクリスタルスカル異世界人の設定が話題になった事があってそれによりますと異世界人が怒った時のセリフが「無礼者」「愚か者」「消え失せろ」「不届き者」と4パターンあるそうでその怒る理由というのが「(アトラクション中)水で身を清めなかったから」「(アトラクションの)車のエンジン音で静寂を破ったから」だそうでwこれが映画に当てはまるかどうかは又別の話としてともあれ実は「かなりの良い場面」だった事が分かります因みにこの後ですが「ロード・オブ・ザ・リング」でエルフ族の高貴な人物ガラドリエル役を演じた事でも知られるケイト・ブランシェット演じるKGBの大佐イリーナが異世界人の事を知りたくて心にリンクして異世界人の心を読み始めた時一人の人間の記憶には収まり切れない膨大な情報と知りたく無かった驚愕の真実などがドッと押し寄せてきて頭が破裂しそうになった時イリーナは『もうやめて!』『お願い もう見ないで!』と叫び吹替では『もういい!』『消して もう消して!』と叫び字幕では『やめて!』『もうやめて!』吹替では『もういい!』『見たくない!』と言った後突然異世界人が「んだとーっつ!? お前が見せろって言ったんだろがー!!!」とガン付けてきてw異世界人の顔が画面いっぱいにUPになるとイリーナの目から炎が上がり、燃えて無くなってしまうという壮絶な最後を遂げるのですがこれにしても言語では『No more!』『Cover it. Cover it.』『Enough!』『Enough!』なので『No more!』が『もういい!』は 良いとして『Cover it. Cover it.』は「それを覆って」と自分の意識に入って来ない様に その記憶は隠してくれ私に見えない様にカバーしてくれ私には見せないでくれと言っている訳なので吹替の『もうやめて!』は、意訳過ぎで字幕の『お願い もう見ないで!』だと、意味が逆になります最後の『Enough!』『Enough!』は「(もう)十分だ」という意味に対して字幕は『もういい!』『消して もう消して!』と『Cover it. Cover it.』を補完するような意訳になっていますが話している言葉としての整合性に欠けます対して吹替の『もういい!』『見たくない!』も同じ様に 補完する様な意訳になっていて『Enough!』というセリフが「拒否」の意思に対する「十分だ」という「理由」を言っている事に対して『見たくない』という、本編に無いセリフで「具体的」に述べて肝心の「理由」を述べてない所に翻訳に問題ありという印象がありますこの様なチグハグで意味不明な翻訳になる理由は「セリフを勝手にいじれない」縛りにあると思われますが特に吹替翻訳のチグハグさの原因は吹替脚本家の翻訳にある、というよりは先程の『■声優交代劇の舞台裏■』の所で語ったまた例の「業界で著名なアジア人責任者」の責任なのだとしたなら長年インディーの吹き替えを担当してきた村井國夫をクビにしただけでは飽き足らずここでも日本語を蔑ろにする様な日本語版制作をしていたのが本当ならイリーナみたいに目から火を吹きだして怒りが再燃する思いがします・・・wしかしその真意は正に『もう見ないで』という字幕のセリフの意訳に意味がある訳なのでしたそれは 次で説明します■▲目次へ▲■神殿の生命体はなぜイリーナを殺したの?■クリスタルスカル異世界人の骸骨が祀られているアケトーの神殿の間(ま)でクリスタルスカルの生命体が蘇りこの後このイリーナは この生命体に睨まれて内側から燃えて消えて無くなるのですがなぜ生命体はイリーナを殺したのかが映画では明確に描写がされていなくて分かりづらくなっていますまあ「悪人」だからなんですが・・・wという訳で、クリスタルスカルの生命体はどうしてイリーナを焼き殺したのかを理由を探ってみますまず、あの神殿は映画では 遺跡 としてインディー達が来るまで何も機能していませんでしたが元々はクリスタルスカルの骸骨が祀られた神殿だった訳です遺跡の中には宝物が沢山ありましたインディは異世界人の宝物を見て「コレクターか、彼らは考古学者だ」と良いますがおそらく当時の人々が「献上品」として置いて行ったものだと思いますそして献上する理由は当時の人間達が彼らを「神」として崇めていたからだと言えますあの様な宝物を献上するのは「奇跡」を起こしてくれた「御礼」なのか未知の力に対する「畏怖」からか映画では7000年前ウーガ族が巨大な黄金都市を建設し道路は舗装され、水道が引かれるなどギリシャ時代に確立された技術を5千年前に先取りして取り入れ、これよって民族は繁栄し以降、スカルの異世界人は叡智をもたらした「神」として讃えられて来たという経緯があったとされていますそして16世紀にスペインの探検家オレリャーナがこの都市を求めて探検した時スカルと財宝を持ち去り途中探検隊全員が謎の死を遂げ原住民にスカルごと埋葬されたとありそのスカルをアケトーの神殿に戻すと「スカルのパワーが身に宿る」という伝説からイリーナ達とインディーとの争奪戦となったのが本作という訳ですそのスカルをオックスが見つけてアケトーの神殿にスカルを一旦は戻すのですが「スカルのパワー」が精神を破壊する武器として「超能力戦争」を夢見たスターリンの様な時の権力者達の手に渡り兵器として「悪用」される危機を感じてオックスは再びスカルをオレリャーナの墓に戻しスカルのパワーが人間の心を支配するパワーだと信じるイリーナ達がそれを知って オックスを追いオックスはイリーナ達に狙われている事を知ってスカルを隠した場所を記した暗号の手紙をマリオンに送りその手紙を解読して貰おうと息子がインディーと接触しイリーナ達はマリオンの息子がインディーと接触する所を狙って互いにスカルの在り処を求めて最終的に辿り付いたのがアマゾンの失われた都市の伝説のアケトーの神殿だったという訳ですあの異世界人の生命体は何体もの椅子に座ったクリスタルスカルの骸骨が合体して一体になったものでしたイリーナは「彼らは集合体だ、体は分かれているけれど同じ意識で繋がっている」と語り「意識が一つになれば強力なパワーとなる」と言っていましたので元はあの様な形で「分裂」して存在していた事になりますかつてロズウェルで見つかった宇宙人も「合体」を目的にアケトーの神殿を目指したのかクライマックスでスカル達が一つに合体して一つの肉体になるのは、そういう事なのですがではなぜ こんな風に「分裂」しているのでしょうかこれは「想像」というかいつもの「妄想」が混じったウチの「解釈」ですが多分この異世界人は「四次元」的多元宇宙に属する生命体で3次元のこの宇宙では そのままの姿で存在できない「全時間的存在」で、時間が過去から未来へ一方向に一定の速度でしか進まない時間が空間を司る3次元宇宙ではどの時間にも存在する多次元世界人は3次元宇宙では存在を時空の一点で「点在」させる必要がありあの様な分裂した姿で存在させたのかもしれませんそうして一つに合体した途端神殿が崩れて元いた世界に戻って行ったのもこの世界に点在する分身が一つとなる事がスカルの異世界人の目的だったのでしょうそしてこの生命体は「分身」しても存在出来る事からそれぞれの体がこの円形に時計的に配置された座席に座って中心に来た人間の話を聴き願いを叶え、聞き入れてもらえた人は御礼に宝物を献上するというシステムになっていたのでしょうかしかし宝物は倉庫化というか足元の受け皿に金貨が雑に入ったままだったりと種別に分けて置かれている様には見えないのでこの生命体は地球の宝に何の価値も見出していない事が分かりますなぜならもし価値ある宝と感じているならば自分達が居る部屋に飾ったり身体に身に付けたりする筈だからですむしろ 身体は何も纏っていない事からもおそらくこの生命体にとっての価値あるものとは人間の「記憶」そのものなのではないかと考えられるものがありますつまりこれら宝物が作られた歴史や経緯などの記録としての記憶を収集していたのかもしれませんイリーナが生命体とリンクして知識を得ていた事が証拠の一つと言えますではなぜ生命体はイリーナを殺したのか です先程も触れた東京ディズニーランドのアトラクション「クリスタルスカルの魔宮」の設定では体を清めないと怒りが下りやかましい車の騒音でも怒りが下りという設定があるらしいですwなので 何かしらの「無礼」をした事が「逆鱗」に触れた可能性が考えられますただオックスの様に 礼儀正しく接すれば「すばらしい贈り物」もしてくれる様でその「贈り物」にあたるのが膨大な知識やひらめきそのものだった訳です旧ソ連に異世界人の力を渡せない事はオックスもスカルの意思も同じだった事から自身の脳の「記憶」は 一旦 異世界人の「クラウド」へ保管してもらいスカルの意思の「器」となって行動した事で「礼」なのか「交換条件」なのかそれは3次元に居る我々には想像も出来ない様なインディー達にも精神が異常になった様にしか映らない無限の3次元が広がる異次元が垣間見える「特別なひらめき」をオックスは得ていたのかもしれませんイリーナはスカルが分裂していた状態ではスカルの異世界人の知識が入って来る事に狂喜乱舞していましたが合体を始めると苦しみ出しましたつまり、元々スカルは何体にも分裂して存在していた事からこの様な知識の譲渡は一人の人間にするのでは無くて何人もの人間に「分割」して与えてきた様な匂いがあります又、この神殿を良く見ると願いを叶えてくれる場所という見方以外にも何人もの審判に囲まれた被告が立つ裁判所の様にも見えるものがありますつまりあの場所は人類に叡智を与える場であると共にあの時のイリーナの様に審判の後、有罪が決まれば刑が執行される人が裁かれる場でもあったのかもしれませんそもそもアケトーの神殿を立てた民族は16世紀には既に存在して居なかった訳なので自滅したのかもしれませんが「逆鱗」に触れて滅ばされた様な匂いもありますあの時のイリーナは「分身」している生命体「単体」からそれぞれ「情報」を得ていましたが生命体が合体を始めた途端 膨大な情報で頭がパンクして止めてくれと苦しみ出しましたおおよそ一人の人間が受けるには耐えられない程の恐ろしい量の「情報」と巨大な重さを持つ「真実」とが心の中に濁流の様に押し寄せたのだと思いますそしてその中で時を越えて何千年、ヘタをすれば何万年も存在続けて知り得た宇宙の「真理」を見たのかもしれませんそうしてイリーナは同時に生まれては消えてを繰り返す、文明の営みや知識の「崇高」の極みや底しれない「邪悪」の根源まで全てにアクセスした末に「見たくない」状態になったのでしょうかそれは自分がこれまでやってきた「殺戮」や「悪業」の記憶に重ねられていっぺんに白日の元に晒された様な耐えられない衝撃だったのかもしれません一方、イリーナがスカルの生命体にリンク出来たのですから生命体だってイリーナにリンク出来る訳です生命体にアクセスして何万年分もの膨大な情報がドッと押し寄せて頭がパンクしたイリーナとは違い大量の情報を何体にも分けて分割保管出来それらを共有出来るスカルの生命体はイリーナの記憶から邪悪な権力者がパワーを悪用しようとしている事の他イリーナのこれまでの人生に一瞬でアクセスしイリーナのこれまでしてきた数々の殺戮や悪業を知った上で「お前、悪人か?」と顔を寄せてきたとしたらセリフの「Cover it」に対して字幕のセリフの『もう見ないで』とはチグハグな訳と思いましたが 実はそうでは無く自分も「見たくない」が、相手に対してもそう という異世界人の知識を見ていたら地球の文明に それも 戦争の歴史を見ている異世界人が入ってきて誰にも知られたくなかったそれこそ墓場まで持っていくつもりだった自分の「黒歴史」の記憶にまでリンクして全てを見られ知られてしまったイリーナの記憶を見ている異世界人に向かって放ったセリフだったのではと考える事が出来ます異世界人は 愚かな地球人の戦争の歴史を知ってさらにもっと忌むべき真実をイリーナが隠し持っている事を突き止めて俺達はお前に全てを見せたのに お前は 俺達に何を隠している 見せてみろ とイリーナの無礼に怒り異世界人がイリーナの脳内に 強固に侵入した事でイリーナの神経が焼けて燃えだしたという事なのかそんな悪人のイリーナが「すばらしい贈り物」となっている「異世界人の知識」を誰にも分けもせずに一人で得ようとした考えがバレたのか異世界人生命体の「逆鱗」に触れてアケトーの民族が滅んだ時の様に「死刑」が執行されたという事なのかもしれません▲目次へ▲■SFはインディ映画らしくない理由とは?■■今回の「異世界人」と「エリア51」が登場する設定は神秘ミステリーアドベンチャーな本シリーズ的には異色な展開でしたがこれはジョージ・ルーカスに「レイダース」では謎だらけで終わったラストの「市民ケーン」的倉庫を本作では「エリア51」の倉庫だったという事にしてそのまま「宇宙人」の遺産を巡る物語にするという構想があったからでこれに付いてはスピルバーグとハリソンがインディージョーンズらしくないとして反対し実現するまでには紆余曲折したという経緯があった様ですそれがなぜ通ったかと言うのは、「宇宙人」の設定に難色を示していたスピルバーグを何とか説得できないかと考えたルーカスが、ある日良い考えを思いついたとスピルバーグに連絡して来て「宇宙人では無く異世界人なら良いアイデアだろ~w」と嬉々として迫ったらしくそれで遂に根負けしたという事らしいですwなのでラストでグルグル回って帰って行った時に天空に開いたアレは異次元への扉で連中の乗り物は「宇宙船」では無く「空間移動船」で彼らも「宇宙人」では無く別次元に住む「異世界人」ですwこの「異世界人」というSF設定がインディージョーンズらしくないとして映画ファンに不評を買うのですがこれまで描かれてきた「神の力」や「神秘」はOKで「宇宙人」はNGというのは神秘とミステリーとアドベンチャーがインディー映画であってSFはそうでは無いという線引きがある事を意味しています実は映画の中でもインディーは「神秘の力」を「迷信」だと考えていてそれは「レイダース」でも「最後の聖戦」でもセリフとして言及しておりますそんなインディが毎回、神の奇跡の様な神秘を間近に見てきて今回も超能力を持つKGB士官と対峙して信念が揺れるインディが描かれて来ましたそうして一瞬でも「奇跡ってあるのかも」と思わせる外連味がインディ映画の醍醐味だったと言えますCG全盛となった今では「レイダース」のオプチカル合成による特撮場面はいささか古びた感は否めないものがありますが「レイダース」のクライマックスとなった「アーク」の奇跡の場面は劇場で鑑賞した当時は衝撃的で鑑賞後はショックで軽く怯えていた事を覚えていますこれはSF作品が常に全ての事が「空想」ではあっても「科学」で説明が付く「理屈」で成り立っている事に「安堵」して捉える事が出来る性質とは異なり神秘ミステリーアドベンチャーがこの世に存在する「不思議」をベースにした「理屈抜き」で成り立ち、信念が揺らぐ「恐れ」に醍醐味がある「未知への探求」だからだと言えますつまりSF作品の持つ「驚異の科学」が「想像力」で成り立ちそれが如何に「実存感」に繋がるかという所に醍醐味があっても神秘ミステリーアドベンチャーが持つ「未知」の物に対する「恐怖」と「憧れ」が冒険活劇の「核」でもある所に冒険物語のインディージョーンズシリーズには「神秘ミステリー」が似合う理由があるのだと言えるのでしょう☆---------------------------------------------------------------------------------------------------インディー・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull■監督:スティーヴン・スピルバーグ■脚本:デヴィッド・コープ■原案:ジョージ・ルーカス/ ジェフ・ナサンソン■原作:キャラクター創造:ジョージ・ルーカス/ フィリップ・カウフマン■製作:フランク・マーシャル■製作総指揮:ジョージ・ルーカス/ キャスリーン・ケネディ■出演者:ハリソン・フォード/ ケイト・ブランシェット/ カレン・アレン/ シャイア・ラブーフイゴール・ジジキン/ レイ・ウィンストン/ ジョン・ハート/ ジム・ブロードベント■音楽:ジョン・ウィリアムズ■撮影:ヤヌス・カミンスキー■編集:マイケル・カーン■製作会社 :パラマウント映画/ ルーカスフィルム/ ザ・ケネディ/ マーシャル・カンパニー■配給:パラマウント映画■公開:アメリカ 2008年5月22日/ 日本 2008年6月21日■上映時間:122分『新作はルーカスの居ない最初で最後のインディ映画となったケドスピルバーグが単独プロデュースしたTVドラマってほとんどが打ち切りになっているんだよなあ・・・』【Blu-ray】インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国[ ハリソン・フォード ]価格:1,650円(税込、送料無料) (2023/6/27時点)■【Blu-ray】ウエスト・サイド・ストーリーブルーレイ+DVDセット [ アンセル・エルゴート ]価格:3,960円(税込、送料無料) (2023/6/30時点)■【Blu-ray】1941 [ ダン・エイクロイド ]価格:1,650円(税込、送料無料) (2023/6/30時点)■【予約商品】 INDIANA JONES インディジョーンズ(2023年6月新作公開 ) - Indiana Jones 6-inch Action Figureフィギュア・人形 【公式 / オフィシャル】価格:5,480円(税込、送料別) (2023/6/30時点)■ドーフマンパシフィック IJ555 Indiana Jones Felt Hatインディージョーンズ モデル ウエスタンハットブラウンオリーブ DORFMAN PACIFIC DPC <LAST CRUSADE>Brown Olive (タグはBRN)価格:14,520円(税込、送料無料) 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2023年06月30日
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洋楽特集 第5回ご覧くださいPVが映画の様な音楽をどうぞ・・・この記事は2021年6月22日に大幅な 加筆修正 をして、ほぼ 新作 となったものを「Ver.2.0」 として コチラ>> で公開しております。という訳で、ver2.0 の記事の方を是非ご参照下さい。Voyager6434時代と共にPVの価値観も大きく変わりLIVEを撮影して済ませたり港へ出かけてポーズを取ってチャッチャと撮影を済ませたりバックでダンサーを脈絡も無く踊らせたりの様なものは消滅しお金を掛けてアーティスト・イメージに合った映像作品を創作する大掛かりなものへと 移行して行きます今回は映画のシーンを切り出した様なストーリー性のあるPVをいくつかご紹介しますそれではスタート!完全版レビューは>> コチラ△▼ △▼ △▼Michael Jackson - Bad (1987)M・ジャクソン - バッド収録アルバム『バッド』(コチラは日本語字幕付き)マーティン・スコセッシ監督作品の本作は18分もの大作でほとんど映画の様な見応えのある出来。本編にはデビュー間もないウェズリー・スナイパーの他母親の声の役でロバータ・フラックが出演している本PVの内容に意味不明な所がある様に見える方の為に解説すると最初のシーンで「君はよくやった」とバツが悪そうに話しかける生徒は恐らく金持ちのエリートで、これまでスラム街出身のマイケルを軽視して来た経緯を感じる人物というイメージが有るここは学内トップになった(※多分)マイケルに、潔く負けを認めるアメリカ的和解の場面 だと思われる地下鉄で話しかける「男」とのやりとりは一見意味不明だが当初からこの人物のマイケルを見る目線は胡散臭いと言うよりは目を細めて暖かげであったり最初乗り合わせた列車の車内で学童達がふざけている時も、この人物は書類を片手に見て笑って いたりする。地下鉄では下車の時突然話し掛ける様に見えるが よく見てみるとマイケルと「男」は随分と和んだ雰囲気で座っていて実はそれまでずっと話し込んでいたのが見て取れるこれらの点に付いては最近TVでPVを観る機会があり大画面で鑑賞した所冒頭で 学校の校門からマイケル達生徒に混ざってこの「男」が一緒に出てくる所が確認できたつまりこの「男」は マイケルの学校の先生 だった訳だスコセッシは人物の背景が分かる様な ディテイル を演出に施しその上で多くを描かない語り口で撮り上げる手法を好んで使うその為演出意図が観客に 曲解 して伝わる事が少なくない恐らくスコセッシは 人の行動とは傍から見ているだけでは分からないものだという自論から 曲解を受ける様な演出の手法を敢えて取るのだと思う△▼ △▼ △▼Cyndi Lauper - Time After Time (1984)C・ローパー - タイム・アフター・タイム収録アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』その秀逸なメロディーに惹かれてマイルス・デイヴィスやタック&パティの様なジャズ畑のアーティストなど 様々なジャンルでカバーされる バラードの名曲本作で恋人役を演じる人物は、シンディーの当時のマネージャーでPVの制作費を浮かせる目的の為と思われるが他のPVでもこのように身内を起用して 普段からスタッフを家族のように扱うシンディの人柄が見て取れる人に元気を与える様な明るい性格の持ち主である一方で 感受性の強い 側面を持ち一時期はスターである事に悩むあまり大勢に囲まれながらも孤独に苛まれ自分のパーティーでもホテルの自室に引きこもり出席しなかった事もあったという△▼ △▼ △▼Mike&the Mechanics - Silent Running (1985)マイク&ザ・メカニクス - サイレント・ランニング収録アルバム『マイク&ザ・メカニックス』GENESISのギタリスト マイク・ラザフォード によるソロ・プロジェクトで全米大ヒットした曲である本曲でボーカルを取っているのはマイクではなく ポール・キャラックでトニー・バンクス のソロでもボーカルを取っているGENESISゆかりの人物本PVはスピルバーグ作品を彷彿するようなSFドラマ仕立てで曲に意図的にセリフを被せるなど、まるで 映画の主題曲 のPVを観る様なコンセプトで製作されている△▼ △▼ △▼Mick Jagger - Just Another Night (1985)M・ジャガー - ジャスト・アナザー・ナイト収録アルバム『シーズ・ザ・ボス』ローリング・ストーンズのボーカルミック・ジャーガーのソロ・プロジェクトで本曲は、映画のPVの様なコンセプトで撮られたものの様に見えるが本作は実際の映画で原題は『Running Out of Luck』というプロモ用映画作品のラスト・シーンである日本ではTV放送の時 『ミック・ジャガーのおかしな逃避行』という邦題で放送され知る限りではDVD化されておらず、現在視聴は不可能な作品である内容はうろ覚えだが リオにPVを撮影に来たミックが街でカモられ身ぐるみを剥がされ知らない場所に放り出され受難の旅をする中、知り合った女性が数々の幸運を呼ぶと言ったB級作品だったと思うPVを撮影する監督役で デニス・ホッパー が出演していた△▼ △▼ △▼TOTO - Stranger In Town (1984)TOTO - ストレンジャー・イン・タウン収録アルバム『アイソレーション』ボーカルの デビッド・キンボール が脱退しそれまでのTOTOの作品から一転して「ダーク」な色合いを持ちアラン・パーソンズ・プロジェクトの様なエモーショナルな作風を持つ異色作となっている。PVもドラマ性を持ち『エクソシスト3』『エイリアン4』『ロード・オブ・ザ・リング』に出演した個性派俳優ブラッド・ドゥーリフ 起用し ミステリアスな作品に仕上がっている△▼ △▼ △▼Madonna - Papa Don't Preach (1986)マドンナ - パパ・ドント・プリーチ収録アルバム『トゥルー・ブルー』『ライク・ア・ヴァージン』『マテリアル・ガール』のイメージを大きく変え「未成年の出産」という現実的な社会問題を一般的な父子家庭を舞台に女性の等身大の視点で描いた マドンナの全米1位の大ヒット曲であるファッション・リーダーとして全米女性の憧れの的であったマドンナが女性の代表として社会問題に挑むのは当然の流れで以降ビジュアルにメッセージ性を取り入れて社会現象を視野に置いた世界的な展開を目指すようになる△▼ △▼ △▼Billy Joel - Allentown (1982)ビリー・ジョエル - アレンタウン収録アルバム『ナイロン・カーテン』本アルバム制作中交通事故を起こし「ピアノ・マンはピアノが弾けなくなるかも」というニュースが世界中を駆け巡った事を皮切りに、ビリーにとって不運の年の始まりとなった『素顔のままで』で唄われた夫人との離婚が影響してか『ナイロン・カーテン』は本曲を含み 今までに無い社会的問題を扱った異色作となったマドンナがスターダムに上ると共に作品が自然と社会性を帯びて世界的な支持がヒットに繋がり今日に到るケースとは違いジャクソン・ブラウンの例と同様に、個人的な状況が影響して作品に社会性を取らせる様な場合は ヒットが大きければ大きい程その後のアーティストの低迷が大きくなる場合が多い△▼ △▼ △▼Prince - Purple Rain (1984)プリンス - パープル・レイン収録アルバム『パープル・レイン』本作も先程のM・ジャガー同様 PVに映画のラスト・シーンを使用したプリンスが最も油が乗っていたころの作品で、本曲はアカデミー主題歌賞 を受賞した映画は 自伝的作品 と謳っているが、主人公と不仲な父が自殺未遂をし戸棚からかつては音楽家を目指したという父の古い譜面が見つかりそれを期に仲間とも和解しステージに立つと言った非常にベタな内容△▼ △▼ △▼Phil Collins - I Wish It Would Rain Down (1990)フィル・コリンズ - 雨にお願い収録アルバム『バット・シリアスリー』50年代風ハリウッド・ムービーの雰囲気で エリック・クラプトン をゲストに出す曲全てヒットする 飛ぶ鳥を落とす勢いの頃 フィル・コリンズ のヒット曲初っ端からクラプトンのギターがむせび泣くバラードの名作である音楽はゴスペル風アレンジの大掛かりで壮大な演奏になっていくPVも映画のワンシーンの様な大掛かりなものだが、曲中のマルタの鷹やマリリン・モンローなどの、名作映画のパロディが楽しい。△▼ △▼ △▼Kate Bush - Cloudbusting (1985) ケイト・ブッシュ - クラウドバスティング収録アルバム『愛のかたち』早くからダンスや演劇風のパフォーマンスをライブに導入し個性的な仕上がりの傑作PVを数多く残している孤高のアーティスト本作は、実在の学者 ヴルヘイルム・ライヒ のオルゴン放射器をモチーフにし父と子の絆を描いた感動的な作品に仕上がっている。ライヒを演じるのはオスカー俳優の ドナルド・サザーランド で『24』ジャック・バウアー役 キーファー・サザーランド の実の父親ケイトはこの役の為に長い髪を短く切り 父親の研究を手伝う健気な息子役を好演している当局に連れ去られる車内の父と 山頂でマシンを操る息子が離れた場所で同じ成功を噛み締める 強い絆を描いたラストが秀逸△▼ △▼ △▼Paul McCartney - Pipes Of Peace (1983)ポール・マッカートニー - パイプス・オブ・ピース第一次世界大戦中のイギリス・ドイツ間のクリスマス休暇を題材にした作品反戦歌として通っているが 実に呑気な戦争の風景がポールらしい楽観的な作風にマッチして 暖かい気持ちに癒されるようなPVとなっているラストで居眠りを始めるポールの姿に 戦争に参加しない選択肢の示唆を感じスピルバーグのオスカー受賞作『シンドラーのリスト』にも通じる戦時中最も勇気ある行為とは「普通の人の感覚」を持ち続ける事であるという至極当たり前なメッセージを唄ったものに思える△▼ △▼ △▼それでは今回はここまでです。お疲れ様でした。
2012年03月19日
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五社協定の枠を超え制作された 日本映画幻の巨編黒部の太陽1968年 日本 196分■監督 熊井啓■出演 三船敏郎/ 石原裕次郎/ 辰巳柳太郎樫山文枝/ 宇野重吉石原裕次郎生誕80年記念の一環で 2014年3月8日 BS日テレにて日本初ノーカット放送され録画した後 ゆっくり観ようと思っていた 本作だったのですが裕次郎が出てくるまでの間位は 放送を観てみようとして結局 ラストまで観てしまうというw巨匠 熊井啓監督の気迫に満ちた演出で 世紀の難工事と言われた黒部ダム建設の トンネル工事を描き日本映画界にとっても、他社の作品に俳優を出さないという映画業界全体を守る業界挙げての取り決め五社協定 の枠を超えて 大スター同士の共演が叶った 超大作で長年 石原裕次郎の遺志でこれまで ソフト化もテレビ放映もされず幻の作品となっていた 『黒部の太陽』 を ご紹介します- STORY -富山県黒部川上流に関西電力が建設する第四発電所。現場責任者には北川(三船敏郎)が任命され資材運搬用のトンネル掘削は熊谷組が担当することになった。熊谷組の岩岡源三(辰巳柳太郎)の息子である剛(石原裕次郎)は父の強硬なやり方に反発し設計技師となっていた。現場に赴いた剛はそこで体力が衰えてしまった父と、熱心に工事に打ち込む北川の姿を見て、工事に参加することにする。やがて工事現場では山崩れが起こり大量の水が流れ込んだ。北川は自分の娘が白血病に冒されたことを知るが、工事現場を離れることができなかった。- 解説 -本作は世紀の難工事と言われた 黒部ダム建設の資材運搬用のトンネル工事を描いた作品で主に 『破砕帯』と呼ばれる岩層が脆く地下水が吹き出す危険地帯を突破するまでの苦難がクライマックスとして描かれております電力会社や建設会社を実名で出し 映画の主役はトンネル工事そのものというNHKの 『プロジェクトX』 の様なタイプの作品ですが「5社協定」と呼ばれる当時の映画会社専属俳優の引き抜きを認めないという成約を越え東宝 日活の2大スターが共演が実現した未曾有の群像劇で描かれる ヒューマニズム巨編です本作で最も印象に残るのは島田正吾とともに 新国劇を支えた 名優 辰巳柳太郎演じる現場下請け業者社長で 裕次郎演じる 剛の 父親 岩岡源三 でした有り体に言えば『巨人の星』の星一徹を見る様な頑固おやじですが息子役の石原裕次郎との言い合いの場面ではそれこそちゃぶ台やそこら中にある物を投げつける様なすぐ激昂する猛獣の様な男で戦後日本には良く居たタイプの人間だと言えます作品中で 源三は、 工事中に破砕帯にぶち当たり地下水が濁流となって作業員達を正に飲み込もうという その時まで逃げようとする作業員達を 狂った様に棒で追い立てて殴り付け現場へ引き戻そうと常軌を逸する行動を行い三船敏郎演じる現場主任に殴られ気絶するまでその行いを 止めないという工事に取り憑かれた様は 狂気に満ちていました現代では確実に犯罪行為となる様なこれらの行動も戦前戦後の昭和の混乱期にはおおよそ工事とは呼べない様な命がけの工事が当たり前の様に横行した事からその様な土木作業を成し遂げるにはこれ程の荒々しい気性の持ち主で無ければ 通用しない程末端の作業員は 毎回 命がけの工事を強いられる様な時代だった事を物語っていると言えますその様な工事現場に集められる 荒々しい作業員達を取りまとめるには正に鬼の様な人格が 必要不可欠だったと言う事なのでしょう■熊井 啓 監督は 毎回 末端の立場にある人間を取り上げた映画の企画を立て決して美化すること無く、エネルギッシュに 気迫に満ちた演出で人間性 を描いて来た 社会派の映像作家です作品の舞台となった60年代の日本は正に高度成長期にあたり安定した電力の供給が 不可欠な状況にありそこで火力主体の電力の不足分を柔軟にカバー出来る水力発電の巨大ダム建設は必要な事 というダム建設反対が主流の世相の現在とは異なった価値観の中で土木建設とその困難な作業に関わった全ての人達を称える様な映画化でしたが(73)『朝やけの詩』 では一転して村人を丸め込み 村を潰して強行に観光施設建設をする大企業の環境破壊問題を取り上げ田中政権下で土木工事が全盛となった時代の弊害と批判を描いており全く真逆の立場でも映画を撮る多様性のある映画監督と言えますがそのどちらも困難に立ち向かう人達の姿をエネルギッシュに描いているという点に於いては同じ見地で描いていると言えます本作では冒頭で三船敏郎演じる北川が 登山者しか足を踏み入れない立山を調査隊一行とともに登頂し 対岸の谷からアプローチした別働隊の一人が足を滑らせて落下する所を為す術も無くただただ見ている場面がありラストシーンでは様々な登場人物が様々な想いで 完成したダムに訪れる場面がありますが巨大な自然の脅威に人間が挑むのは勝ち負けの無い戦いに挑む人の生き様を見る様でもあるという巨大な困難に対しての「無力感」とそれを成し遂げて達成した時の「無の境地」を異なる視点で描いたものと言えるので異なる事の様に見える状況も 根底には同じ背景がある事が分かるヒューマニズムを描く監督だからこそ描ける多様性だと言う事だと思います△▼△▼△▼△トンネル工事を描いた映画に 高倉健主演作(82)『海峡』という作品がありましたがこちらは作業員達が非常にキレイで優等生に描かれていた為過去を持ったキャラクター達の 泥臭さとは 分離された状態で物語は進むので『日本沈没』『八甲田山』の名匠 森谷司郎監督の テーマは大事業の達成を 高らかに描く所にあった様に感じそういう意味では 本作とは真逆の描き方をした作品と言えるのでしょう- 5社協定の壁に男泣きした裕次郎 -当時の邦画界の取り決めだった 専属俳優の引き抜きを固く禁じた『5社協定』 の壁の為に、キャスティングが決まらず裕次郎は 映画界とは無縁の 演劇界の重鎮で 劇団民藝の主宰者だった宇野重吉に協力を仰ぎます裕次郎の熱意に動かされた宇野重吉は全面的協力を約束すると次々にキャスティングが決まり厚い壁となっていた『5社協定』も 嘘の様に緩まり三船敏郎との共演も実現したと言います。当時33歳の若き裕次郎は絶望から 人知れず泣いたと言いますが『あの涙は何だったのだろうという位に 全てがうまく言った』と当時を振り返ってまき子夫人はインタビューで そう語っておりました- 420トンの水に押し流される事故 -狂った様に作業員を追い立てて 作業場に押し戻そうとする 辰巳柳太郎 を三船敏郎 が殴り付けて気絶させ 裕次郎と共に退避する背後から巨大な濁流が 材木もろとも凄い勢いで押し寄せて裕次郎達もろとも押し流す所でストップモーションをかけるという場面がありますがこれは 想定よりも2倍の圧力で押し流された水に俳優たちが 本当に押し流された場面でストップモーションになったのも ここから先が本当の事故となった為これ以上は映せないという事情があった為だった様ですそれもそのはずでこの場面では 裕次郎をはじめ 数名の負傷者を出し必死に走る三船敏郎達の姿も 演技では無かったとの事でした後に裕次郎夫人の 石原まき子(北原三枝)さんはインタビューで怪我をしたのが 裕次郎以外いなかった事にホッとしてとっさに『良かったわねー』と口に出した事を ずっと根に持たれたと笑いながら話していました。その まき子夫人は本作を 『敗戦の焼け野原から、国土の復興と文明を築いていく日本人達の勇気の記録』 と説明し東日本大震災復興支援を目的に本作のチャリティー上映会を行なったのが 2012年の事同年3月には NHK-BSプレミアムで 短縮版の本邦初のハイビジョン放送が行われ『大きなスクリーンで観て欲しい』という 裕次郎の遺志が尊重されこれまでソフト化はされませんでしたが石原プロモーション創立50周年の一環として40年以上もの時間を経て 遂にソフト化がされました『ファンの人もお年を召したので 家でユックリ拝見して貰いたい 天国の祐さんもヒョットしたら許してくれる』と まき子夫人は語っていましたが若き裕次郎が制作に没頭した 正に裕次郎の一部とも言える本作を自宅で観賞出来る様になった事はようやく夫 裕次郎が帰宅した様な そんな想いで話されていたのかもしれません。Y.I『めでたくDVD Blu-ray化されたのは良いケド増税前に買うべきかなあ・・・』【Blu-ray】黒部の太陽 【特別版】 [ 三船敏郎 ]価格:4840円(税込、送料無料) (2022/10/2時点)
2014年03月13日
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生存を左右させる極限下での選択と人間性を描くポセイドン・アドベンチャーThe Poseidon Adventure1973年3月 アメリカ 117分■ 監督 ロナルド・ニーム■ 出演 ジーン・ハックマン / アーネスト・ボーグナインレッド・バトンズ / キャロル・リンレーロディ・マクドウォール(※2025年3月15日 全文章書き直し更新)..........................................................................................................前回ご紹介した 「タワーリング・インフェルノ」 のミスター・パニック・ムービー アーウィン・アレンが製作した大ヒットパニック・映画ですアーウィン・アレンは60年代から70年代にかけてTV、映画で様々なヒット作を手掛けたプロデューサーで『宇宙家族ロビンソン』『原子力潜水艦シュービュー号』『巨人の惑星』『タイムトンネル』などのTVシリーズや『失われた世界』の様なSF映画に『タワーリング・インフェルノ』の様な豪華出演陣が一同に集うスペクタクル映画を世に送り出し一斉を風靡した人物ですアーウィン・アレンが制作する作品に共通するのは『生きる』事の飽くなき追求で『宇宙家族ロビンソン』『巨人の惑星』の様な宇宙で遭難する困難も『タワーリング・インフェルノ』の様な生存を左右する苦境に追い込まれてもそれを乗り越え生存しようとする人間の力強さを称える所にあります歴史大作に巨費を注ぎ込んで来た『スペクタクル映画』の流れを変え「パニック映画」という新たなジャンルを築き上げ人間の行動力の素晴らしさを称える「ヒューマニズム」に焦点を当てたリスペクトの声の耐えない本作を御紹介します- STORY -新年を祝う多くの客を乗せた豪華客船ポセイドン号は航海の最中巨大津波に遭遇し転覆する。船底を上に向けた状態となり 生き残った乗客達がパニックに陥る中でスコット牧師が生き残りを掛けて、水面を向いている船尾シャフトで救助を待つ提案をする多くがパーサーの支持に従い残留する中スコット牧師は数人の同行者を連れて脱出への道を探る- 解説 -Actors on the set of The Poseidon Adventure celebrating their Oscar wins(画像参照: wikimedia)本作は(1997)『タイタニック』の様なスペクタクル作品や(96)『デイライト』 や (98)『キューブ』 の様な密室脱出劇の先駆けとしても後世の様々な作品に影響を与え危機的状況下に於いてどの意見、情報を信じるべきなのかどんな判断を下すべきなのかという「決断」が描かれた玉石混交となった現代のネット社会の在り方にも通じる作品で時代を越えて「生きる」とは何かを問いかける歴史的名作です■巨大津波で転覆した豪華客船内に取り残された乗客が転覆した影響で上下が逆さまとなり破損していつ崩れるか分からない船内を浸水で今にも海水が押し寄せようとする中で何度も襲いかかる危機的状況下で決断を下しながら脱出する道を探る物語で転覆してからのサバイバルを主軸としたその時その時の状況下での「決断」がどの様な結末を迎えるのかを描いた映画です主人公は聖職者としては堕落したと謗られる様な宗教的「運命」や「宿命」よりも人間が生きる為の「生命力」を信じる71年に『フレンチ・コネクションで』アカデミー主演男優賞を受賞した名優ジーン・ハックマン演じる型破りな牧師 スコットで転覆した後巨大なホールに取り残された生存者たちの多くが「救助隊が来るまでここに待機する」と説くプロの船員の言葉を信じて海水がなだれ込んだらひとたまりも無いと訴えるスコット牧師の意見を素人判断として無視した事で大半の生存者が映画前半で命を失う様が描かれますこの時スコット牧師の仲間も多くの生存者を見捨てられないという聖職者の「義務」から残存しスコットの訴えに従わなかった事で覚悟の死を遂げるのですが生存に執着しない尊さよりも、どんなに無様に映っても生きる道を選ぶ現実思考のスコット牧師をリーダーに据えて10名の生存者が脱出を目指し苦境と苦難に立ち向かって行きますこの場面で描かれる「プロだと思われる意見だから」「信頼に値する人物の言う事だから」「多くの人が思う事だから」という「認知バイアス」と呼ばれるものは判断基準にするべきでは無い 何の根拠も無い事と同じであるとして災害が多発する日本では良く知られる事項でもありますそれは既存のやり方が通用しなくなり新たな価値観が必要となった当時の社会情勢を投影したものでありながらネット社会となった現代でも「どの情報を信じるのか」「何が語られているのか」を目利きする力を養い更には周りに向けて「どう発信するべきなのか」という「自分を信じる術」を学ぶ重要性を考えさせられるものがあり本作が時代を超えてリスペクトされ続ける所以だと言えます本作は半世紀前の作品なので今の感覚で見ると古臭く感じるだけなので初見の方はまず当時の世相と時代背景を考慮されてから鑑賞しますと実に興味深く観る事が出来ると思います■「パニック映画」の特徴は災害シーンで崩壊するスペクタクルを描きつつ実は 人間関係の崩壊 を描いた所にあります離婚寸前の夫婦、人間関係に疲れて生きづらい者、孤立した偏屈者、生きがいを見つけられない者、型破り故に誤解を受ける者 など崩壊しかけた人生をおくる人々が目の前の危機的状況と対峙し乗り越える事で内なる力強さと本当の自分を見つめ直すという喪失と再生の物語でもあります本作が多くの映画作品から リスペクト される理由はパニック映画の特徴の範疇では語れない極限下のヒューマニズム を描いた点にあると言えます本作で何よりも惹かれる点はスペクタクルシーンや特撮シーンではなくジーン・ハックマン演じる主人公のスコット牧師をリーダーとする一行が苦境に立った時に見せる決断や行動で様々な危機を乗り越えて生き抜こうとする姿で周りに惑わされる事無く自分達の運命を自分達で切り開いて行くその力強さが鑑賞する者を 勇気付け 魅了し 続けてきたのだと言えます■作中印象に残ったのはいつも体型を気にして 家事以外は取り柄が無いと感じていたシェリー・ウィンタース 演じる普通の主婦の中年女性ベル・ローゼンが一念発起し溺れるスコット牧師を救うため優秀な水泳選手だった若い頃の自分を思い出し輝きを取り戻して自分の命を顧みず黒く渦巻く水流の中に果敢に飛び込んで行く場面でこの場面のベルの行動から自分の人生を生きる事とはいったい何なのか諦めたままでは自分の人生を生きているとは言えないのではないか生きる事とは決して諦めない事だと教えられる様な忘れられない場面となりました演じる S・ウィンタースは実際に水泳が得意で潜水の場面をスタント無しで 本人が体当たりで演じたと言います彼女はこの演技で ゴールデングローブ助演女優賞 に輝きました■ジーン・ハックマン 演じる主人公スコットは聖人としての在り方より 現代人としての生き方を選択し聖職者の資格を剥奪された牧師を演じており運命を信じ人道を説き、ともすれば自己犠牲も厭わない尊さを持ち続ける事を貫いて、運命を力尽くでも切り開こうとする現代人の貪欲さを否定する聖人のあり方に疑問を持つ人物を演じておりますキリスト教信者で占めるアメリカにおいてこの様な人物を主人公に描いた事は当時としては 衝撃的な事件 であったと同時にベトナム戦争での敗戦で正義であったはずのアメリカが没落し既存の価値観が通用しなくなった当時の社会情勢に於いて時代の変化に呼応したキャスティングだった様に 思われます当時のアメリカはベトナム戦争の敗戦を経験するに留まらず現大統領が犯罪行為に加担したウォーターゲート事件を始めとする様々な衝撃的事件を目撃しこれまで国民が抱いて来た『強いアメリカ』を信じて来た信念が揺らいでいた時期でこの作品の様な 昨日まで正しいと思っていた事が通用しなくなるという中既存の価値観に囚われない 作品が生み出されるのもハリウッドが世の中に影響を与える立場にある事を常に意識しながら強い責任感と使命感を持ち 世界に作品を送り出す自負と自問自答の意味を込めて「正しく在りたい」という世の中の声に耳を傾けた現れだと言えますそうして誤った選択をして生存を逃す多くの乗客の姿からは既存の価値観に捉われ通用しなくなったルールについ固執してしまういつの時代にも存在する 変わる事の無い変化について行けない 現代人のありがちな姿 が重なって見えて映画の持つ時代を越えた説得力に粛然とする気持ちにさせられるものがあります■さてアカデミー主題歌賞 に輝いた主題歌『モーニング・アフター』ですがカーペンターズ・タイプの古き良き時代を感じさせるゴージャスなバラード曲でハリウッド黄金時代を象徴する不朽の名作と言っても良い楽曲となっています(1975)『タワーリング・インフェルノ』 の主題歌と曲調が似ておりますがそれもそのはずで、同じ作詞、作曲、歌手による楽曲という事でこの同じチームで 再びアカデミーに輝くミラクルを見せる事になります『モーニング・アフター』とは「明けない夜なんてない」という意味なのですが実は『二日酔い』というダブルミーニングでもあるそうで『二日酔いになるに違いない』にも取れるという洒落のきいた歌詞でもあります聞く所によりますと本国アメリカではアルコール依存症から立ち直る応援歌としても有名だそうで未だに『モーニング・アフター』が米国のラジオ局で流れるのもこの為なのだとか☆アカデミー主題歌賞受賞曲「モーニング・アフター」唄:モウリーン・マクガヴァンThe Poseidon Adventure(1972) Maureen McGovern - The Morning After ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■G.H『いいかっ10Kgと言ったらすげー重いぞっ!!! だから絶対玄関まで運んでもらえっつ!!!』【DVD】ポセイドン・アドベンチャー [ ジーン・ハックマン ]価格:1,320円(税込、送料無料) (2025/3/14時点)■愛媛産 ご家庭用 農家さんもぐもぐ 外なり訳ありきよみ 10kg(+約0.5kg多め)【送料無料(一部地域除く)】清見タンゴール(清見オレンジ) 不揃い 傷 愛媛県産価格:3,750円(税込、送料別) (2025/3/14時点)
2012年02月05日
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Roland TR 808 (画像引用:Wikimedia)洋楽特集 第28回軽やかな季節にリズム・マシンの音楽をどうぞ・・・桜の季節を過ぎた4月も後半に入り 春の陽気が高まる中次の関心は GWを迎える5月へと進みつつ今日この頃をいかがお過ごしでしょうかさて70年~90年代を中心に、子供の頃、若かりし頃、耳にして来た音楽をご紹介する洋楽特集 『~どうぞ』 シリーズ その第28回今回は 軽やかなリズムが 春先の陽気にもマッチする様なリズム・マシンを使った楽曲を何曲かご紹介しますリズム・ボックスと呼ばれた60年代から存在し電子音で構成される事からも、電子音楽の括りで捉えられる機器として生演奏に拘る演奏家からの反発もあり冨田勲の様な巨匠が登場するまでは実験音楽としての様相が高い楽器でもありました一方で 一人で演奏が出来る手軽さからエレクトーンのリズム部として組み込まれた事を経た後テクノ・ブームが後押しして新しいパーカッションとしてスポットが当てられるまで異なる発展を遂げた楽器でもありましたそれではスタート!△▼△▼△▼Phil Collins - One More Night (1985)フィル・コリンズ - ワン・モア・ナイト収録アルバム 『フィル・コリンズIII/ No Jacket Required』Phil Collins (画像引用:Wikimedia)ピーター・ガブリエル の脱退後の ジェネシス で、ドラマーだった フィル・コリンズ がフロントマンへ昇格した事を機に初めたソロ活動が軌道に乗りジェネシスの世界的ブレイクに繋がった事でも知られる大ヒット ソロ・アルバムからの 大ヒット・シングル曲ですスリリングで奇抜な躍動感溢れるドラミングが魅力のアーティストでしたがピアノを弾き語りバラード曲を唄うという 正統派ミュージシャンでもあり本曲はフィル・コリンズのサウンドの代名詞でもあるRoland TR-808 が作り出すリズムの揺蕩う様な世界観が心地よい極上のバラード曲に仕上がっております本曲のPVはシングル曲『ススーディオ』との連作になっており華やかなポップチューンで弾けた後の、祭りの後の様な後味を残す切なく大人の雰囲気漂う演出がマッチした作品となりました☆△▼△▼△▼Paul McCartney - Bluebird (1973)ポール・マッカトニー - ブルー・バード収録アルバム 『バンド・オン・ザ・ラン』Paul McCartney (画像引用:Wikimedia)歴史的バンド ビートルズ のメンバーで音楽史の レジェンド としても語られポップス史上最も成功した人物として現在も現役として活躍する世界屈指のマルチ・アーティスト、ポール・マッカートニー のビートルズ解散後発表した作品の中で商業的にも音楽的評価においても 始めて成功したアルバムとなった「バンド・オン・ザ・ラン」の中からのシングルヒット曲ですアコースティック・ギターによるシンプルなバラード曲ながらパーカッションに リズム・マシンを導入し「文明の利器とは恐ろしいものだ」というポールの言及にもある様に自動演奏に難色を示す古い風潮が残る 当時の音楽情勢では実験的に近い試みでありイギリスの伝統的フォークのメロディーと 最新テクノロジーを共存させるポールなりの解釈となった 興味深い作品となりましたこの曲にリズムマシンが導入された経緯とは本アルバムのレコーディング前に起こった メンバーの脱退劇からバンドが事実上 元 ムーディー・ブルース のギタリストデニー・レイン とのユニットとなった事でデニー・レインのパート以外の楽器をポール 一人が演奏し録音した所に理由がある様で本曲の画期的なアレンジもこうした経緯から考案された 苦肉の策だったとも考えられ逆境を利点に変えるポールのマルチアーティストの側面を発揮した作品でもある様です△▼△▼△▼Daryl Hall & John Oates - I Can't Go For That (1981)ダリル・ホール&ジョン・オーツ - アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット収録アルバム 『プライベート・アイズ』Daryl Hall & John Oates (画像引用:Wikimedia)80年代に一世を風靡したブルー&ソウルのユニットでプラチナ・アルバムを獲得した大ヒット作からの全米No1 ヒット曲です本作はこれまで白人系R&Bの旗手としてポップミュージック界のメロディーメイカーとしてブラック・ミュージックをベースにした作品作りをして来たホール&オーツがMTV全盛時代に制作したエレクトリックで実験的サウンドを取り込んだ意欲作でリズムマシーンに呼応して楽器音が重なって行き一定のパターンが繰り返されるタイプの テクノの要素が含まれた新たなバップの形としてのエレクトリックな「ミニマル」音楽の秀作としても楽器のルーム系の残響音に ほぼデッドなボーカルの当時の今風な空間系処理など多分に時代の背景を感じる楽曲の様に思いました△▼△▼△▼Marvin Gaye - Sexual Healing (1982)マービン・ゲイ - セクシャル・ヒーリング収録アルバム 『ミッドナイト・ラヴ』Marvin Gaye (画像引用:Wikimedia)モータウンサウンドを代表するカリスマ・アーティストでソウル、R&B ブラック・ミュージック界の大スターであり自身の波乱な人生が投影された様な黒人音楽を越えた独創的な作品作りをして来た事でも知られコンセプトアルバムなどの革新的な試みの作品を数多く制作し音楽史においても 多大な影響を与えたクリエイターでもある マービン・ゲイの84年に衝撃的な死を遂げ 図らずも遺作となったアルバムからの大ヒットシングルで一時期の音楽的低迷を乗り越えて 奇しくも「復活」と謳われたリリースでもありました作品作りには 当時としては革新的なコンピューター・ミュージックを取り入れるなど意欲的な取り組みが行われRoland TR-808 が作り出す機械的な繰り返しが甘美な世界へ誘うリズムの様相を呈し離婚や家族との確執などの問題を抱え音楽的にも低迷していたこの時期のマービン・ゲイの男女の秘め事すら ありのままに語る様な開放感に満ちた 印象に残る楽曲でした△▼△▼△▼YMO - Kimi ni, mune kyun. (A holiday affair)(1983)イエロー・マジック・オーケストラ - 君に、胸キュン。収録アルバム『浮気なぼくら』坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣 (画像引用:Wikimedia)坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣 が在籍するユニットでテクノ・ミュージックの先駆的存在の一つで世界的バンドの YMOがジャンルとしてのテクノ・ミュージックが飽和状態となりメンバーも音楽的にも行き詰まりを感じていた時期にテクノ歌謡として大きく路線を変更して話題となり賛否両論を巻き起こしたアルバムからの シングル・ヒット曲です本曲はアナログ仕様のローランドTR-808 から大きく進化したドラムの実音をデジタル・サンプリングしたドラム・マシンLinn Drumを使用しておりTV番組出演では ギターを抱えた高橋幸宏がドラムは一切演奏せずにドラム・マシンのスタート・スイッチを入れ楽曲が始まるパフォーマンスが話題を呼びましたLinn LM-1 Drum Computer (画像引用:Wikimedia)アイドルをパロディー化した様な作りのPVも話題となりましたがそれに付いて坂本龍一は当時を振り返り息が詰まる様な状況で 無理にでも遊びを入れた とコメントしており先程のマービン・ゲイの様に多くの場合 創作上の行き詰まりと人間関係の悪化がアーティスト達の音楽制作を開放的表現へと向かわせる要因となる様に思いました△▼△▼△▼という所で今回は終了ですそれでは本日も 素敵な一日をお過ごし下さい。
2015年04月17日
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PART2【完全ネタバレ解説篇】※ご注意※このページは 映画『プレステージ』を鑑賞済みの方向けの 解説記事となっております映画未見の方は本記事を読まずに前のページに更新された通常の映画レビューコチラ≫ PART1【映画解説編】を御覧くださいPART2【ネタバレ解説編】「衝撃的ラストの意味と本作の種明かし」プレステージTHE PRESTIGE2007年6月9日公開 アメリカ 128分■監督 クリストファー・ノーラン■出演 ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベイル、マイケル・ケイン スカーレット・ヨハンソン、アンディー・サーキス、デビッド・ボウイ■ もくじ ■[※前回の更新]PART1【映画解説編】『巧みな布石と衝撃のラストが見物の怪奇幻想ミステリー』- コラム -「日本の脱出マジックブーム」STORY 1. 日本のイリュージョンのパイオニア 2. マジックの三段階 3. 突然の種明かしと脱出ブームの終焉- STORY -- 解説 19世紀の奇術界を舞台にした怪奇幻想ミステリー 1. はじめに 2. 衝撃のラスト5分 3. 19世紀世界を実現した芸術的映像 4. 映画そのものが壮大な「マジック」 デヴィッド・ボウイ演じる実在の発明家ニコラ・テスラ 「レディオヘッド」トム・ヨークの主題曲PART2【ネタバレ解説篇】『衝撃的ラストの意味と本作の種明かし』 1. はじめに 2. アンジャーの転送マジックの秘密と狂気の理由 ●舞台下の水槽は何? ■テスラの装置と転送マジックの謎とラストの意味■ ■真相を明かさないのはなぜ?■ ■アンジャーの心の闇■ 3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみる 4. 時系列で見るボーデンの入れ替わり ■今日はウソと言うサラの言葉の謎 ■複製装置か転送装置か ■拉致されるファロンはどちらのボーデンか ■時代劇である事に秘められた巧妙なトリック ■「アイツの事は放っておこう」の真意 ■アンジャーがボーデンの娘ジェスを引き取る理由 ■永遠の別れと最後の瞬間移動 5. ボーデンも複製か? 6. どちらが本物でどちらが複製か■ 衝撃的ラストの意味と本作の種あかし▲目次へ▲1. はじめにさて、念を押しますが・・・wココからは映画『プレステージ』を鑑賞済みの方向けのネタバレ謎解き解説となります映画をまだ観ていないのに検索からコチラへ来てしまった方やこの映画に興味があり内容を知りたくてレビューをお探しの方はココからネタバレ無しの PART1解説編 へ移動して下さい又は、むしろ何の情報も得無いままで映画を鑑賞して鑑賞後モヤモヤする事をオススメしますWそして、映画を観覧済みで色々モヤモヤしている方はこのままお進みくださいw■前回PART1 冒頭では「種明かしなど無粋の極み」と一刀両断しておきながらその舌の根も乾かぬうちに種明かし記事をこうして更新しておそらく、原作となったクリストファー・プリーストの1995年の小説『奇術師』を読めば一発で分かる謎もあろうかと思われる所を敢えて読まずに 映画の内容のみを頼りに解釈を試みたりと傍若無人ぶりにも程がある更新となりましたがwコレに付いては、原作そのものが二人の奇術師の秘密を後の子孫が解明するという内容の関係上解明を描いた小説を脚色した映画の解明をする為小説で描かれた解明を解明して映画を解明するという・・・「メガ解明状態」となる為 と、そもそも 「映画作品」として原作本を脚色して映像化した時点で映画は原作本とは別モノになっている という理由と、2001年に公開されたカルト映画として名高いリチャード・ケリー監督のリバースムービー『ドニー・ダーコ』の様な一度観ただけでは分からない、2度、3度観ても尚更分からないホームページに掲載された、劇中に出てくる本の解説書を読んでみて初めて真相に辿り着く、という様な映画本編を読み解くだけでは「何を描いたのか」分からないタイプの映画はミステリー作品としては「アリ」でも、当サイトとしては「フェアではない」と捉えている方針から映画の解明の為に原作本を紐解くという手品の解明をする為に知的推理を試みるより前に種明かしを知ろうという様なマネは「戦略的攻略(ストラテジー)」と称して林先生辺りの話を丸暗記して試験に挑む位に無粋な行為という理由からという、前回の「コラム」とは正にこの事の 「布石」だったわけですwここからは 楽天ブログの文字数の限界まで使用し本作を鑑賞した方のみを対象として本作のカラクリを出来る限り細かく紐解き映画全編に張り巡らされた布石と伏線を確認しながら私個人の見解が多分に入りながらも本作に隠された様々な謎を、紐解いて行きたいと思います☆▲目次へ▲2. アンジャーの転送マジックの秘密と狂気の理由Hugh Jackman (参照:Wikimediaより)さて、ここからは、映画本編をご覧になられて衝撃的結末に対し 未だ納得出来なかったりモヤモヤされたままなどな方向けに多少なりとも解消のお手伝いになればと私なりに解析し一年以上かけて纏めたものを楽天の文字数の限界まで使って解説した完全ネタバレ種明かし記事となりますしたがって「ボーデンは双子」「テスラの装置」などの本作鑑賞者でなければ分からないプロットを周知の事実として説明抜きで解説を進めて行きますので『映画』『プレステージ』『ネタバレ』で検索して来られた方にとってはクドい大量な文章に 更にモヤモヤし、本ページの注意書きを無視してこの記事を読まれた方にとってはクドい大量な文章に 思わず吐きそうになる、かもしれませんが・・・w暫しお付き合いください☆■さて、まずラストの意味を説明する前に本作のヒュー·ジャックマン演じる「偉大なるダントン」ことロバート·アンジャーの瞬間移動転送マジックに使われた「テスラの装置」の解説をします。▲目次へ▲■テスラの装置と転送マジックの謎とラストの意味■アンジャーの瞬間移動マジックで登場しド派手な稲妻を発生させたマジックを演出をする為のギミック装置 かに見えたテスラの装置とは一体何だったのか ですがこれはスター·トレックなどのSF映画でおなじみの物体や人を瞬間的に別の場所へ移動させる「物質転送装置」 が 正体ですなのでこの装置を使って実際にアンジャーは本当に瞬間移動していた訳でありマジックとしての種など無かったというのがアンジャーの転送マジックだった訳です「それがなぜ分かるの?」 ・・・は後ほど説明します「どういう事?18世紀に転送装置?仕掛けは?」 ・・・まあ映画ですからw何らかの電気の伝送技術と物質の再生技術のモニョモニョで作られたかどうか分かりませんが 要するにこれはテスラという人物が 18世紀の実在の発明家でというのは 引掛け でその実在する リアル テスラの方 ではなくて日本で言う所の 平賀源内 的な『アイアンマン』のロバート・ダウニー・Jr が演じたシャーロック・ホームズ シリーズ的な「バイオハザード」のミラ・ジョヴォヴィッチが出た『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』的なリュック・ベッソン監督作のダメ映・・・ファンタジー作品『アデル/ファラオと復活の秘薬』的な終わる終わると言いながらJUMP本誌で完結せず別冊で連載を移行してもそれでも終わらずアプリソフトを使ってようやく完結したSF時代劇コメディー『銀魂』的なサイバーパンク と呼ばれるSFテイストの時代劇作品でマッドサイエンティスト として登場する想像上の キャラクターとなって描かれて来た バーチャル テスラ の方が映画に登場して SF的発明をする作品だったという訳ですある意味、真相を聞かされた所で呆気にとられるばかりで、1900年代が舞台のリアルな設定のダークなサスペンス作品とばかりに思って見ていたら実はSFファンタジー映画だったという『ズルい禁じ手』を いけしゃあしゃあ と「種」に使った実にケシカラン映画とも取れるわけですが・・・wこの映画自体が巨大なマジックの演目だったと捉えれば我々観客は製作者に見事に一杯食わされた実にあっぱれな映画だったという捉え方もある訳ですwともあれ瞬間移動マジックの「種」とはテスラの装置による「科学」にあった訳でありアンジャーの「マジックでは無く科学だ」と言った言葉は本当だった という事になります。●●◯舞台下の水槽は?テスラ自身がアンジャーに忠告した場面がありましたがこの装置には深刻なバグがありましたそれは、この装置を使用する度 転送元に(或いは転送先に?)「複製」を生むというものでしたなぜそれが分かるのか は次で説明します がつまり人間にテスラの装置を使うと転送された方と、ステージ上と2人の人間が生まれるという訳ですアンジャーはその問題を承知の上でテスラの装置をマジックに使いその度 自分の複製を生み出していた 事になります。故に、増えるのはまずい という事で転送されたアンジャーはマジックを続けてステージ上のアンジャーを舞台の落とし戸から舞台下に設置した水槽に落として水死させて処理していた というのがアノ舞台下の水槽の正体という訳ですそしてアンジャーの水死体が入った水槽はラストにも出てくる、廃墟の劇場地下に夜な夜な運んで真相を知られない様に見られない様に盲目の作業員を雇い人知れず纏めて安置していた というのが瞬間移動転送マジックのからくり なのでした●●●ラストの意味ラストでフレーム・インして来るアンジャーの水死体が入った水槽の意味ですが「なぜボーデンは撃ち殺したアンジャーを水槽に入れたの?」と思ったアナタは、・・・とても良いお客様ですWという訳でもう薄々気がついている方も多いとは思いますがあのアンジャーの水死体が入った水槽はボーデンに撃ち殺されたアンジャーが入ったものでは無くまして、これまでアンジャーの替え玉を演じて来た「替え玉役のルート氏」が入ったものでも無く複製されたアンジャーの水死体を安置した100体の水槽のひとつですそれではここでなぜテスラの装置が「転送装置」だと分かるのか「複製」するバグがあるのがなぜ分かるのか を説明します■テスラの屋敷での実験の場面で、帽子を使って実験したら 失敗した様な空気となり、黒猫で実験したら やはり同じ空気になった後激怒して帰ろうとしたアンジャーが屋敷から離れた場所で二匹の猫が喧嘩しているのが気になって猫の鳴き声を追って林の中に入って行くと、全く同じ2匹の黒猫の姿と 沢山の帽子が転がっているのが眼に入り「成功していたのか」となったシーンがありましたド派手な稲妻が出た他は一見して何の実験を行い何が失敗して何が成功したのかよく分からない場面でしたがアノ沢山の帽子が散乱した場面は映画冒頭にも出てくる本作のキービジュアルの一つでもありましたそこで映画をラストまで観た時ラストの沢山の水槽と、水槽に入ったアンジャーの水死体とアンジャーの回想の中で自分が自分を撃つ場面とボーデンが双子だったという事実と転送マジックが映画の柱になっている事とこれらとの関連を考えてみますとアノ山に転がっていた大量の帽子はテスラの装置の実験で何度も転送されたもの というテスラの装置が転送装置であるひとつの証拠としての場面だったと捉える事が出来ます更にこの装置は実験後も 装置側に帽子がある事から・・・どちらが複製でどちらがオリジナルか は 後ほど触れるとして・・・ココは便宜上「複製」で統一しますが・・・転送先か 装置側かに 同じものが「複製」されるということが分かります猫の実験でも、林の中に居た黒猫が実験室から放された黒猫と首輪を含めて瓜二つだった事がそれを示しています又ラストの場面でのアンジャーの回想の中でテスラの装置をテストした後 もうひとりの自分を銃で撃つという場面の意味も撃たれたのは 替え玉役のルート氏 では無く屋敷から離れた所に転送された帽子や黒猫の様にテスラの装置で離れた場所に転送された自分を装置側に居た自分がこの事を予想して用意していた拳銃を手に取り転送されたもうひとりの自分を撃ち殺したというテストで生まれた複製を処理した場面 と分かります故にラストの意味とは、ラストでアンジャーの水死体が入った水槽を見せて、これはアンジャーの替え玉ルート氏の水死体でもましてボーデンに銃殺されたアンジャーでも無い、沢山の水槽の中に見えた人影と同様に転送マジックで生み出されたアンジャーの複製達が水死して処理された姿の一つが映ったものだ・・・という事を伝えていたのであり転送マジックの公演は100回行われたといいますのであの地下室には100体の水死体が水槽に安置されている「怖っつ!!!」という事実がwラストの本当の意味となります。ラストでボーデンが「スゲ~」という眼をして眺めていた水槽はなんと、100体の水死体が入った棺桶だったというその事実に気付いた時が、映画が本当のラストシーンを迎える、正に衝撃のラストだったという訳です。▲目次へ▲■真相を明かさないのはなぜ?■映画は最後まで 真相を語らないまま終わりますがこれは映画が終わってもしばらく真相が分からずモヤモヤさせるという製作者の狙いがあっての事だと考えられますそもそも始めから製作者は本作に登場する発明家ニコラ・テスラが実在するリアル・テスラ ではなくサイバーパンク系やSF作品でしばしば「マッド・サイエンティスト」として登場し転送装置もレーザー光線も宇宙船も作ってしまう想像上のキャラ・テスラの方だと言う事がバレ無い様にと本作の世界観を当時の空気感まで伝わって来る様なリアルな1900年代のイギリスを再現し「歴史コスチューム(時代劇)映画」に見える様にして実はダークSFファンタジー映画だった事を隠しています他にも、映画を解明する「種」の存在を覆い隠す意図的な「仕掛け」が全編に渡って潜んでいるのですがそれでいていい感じの「違和感」が布石の様に頭に残る感じで映画本編が作られておりますつまりは鑑賞後に検証できる程の緻密な造りになっている所に真相を語らないまま映画を終わらせた理由があるのだと言えますつまりアンジャーの転送マジックの「種」を覆い隠して謎が明かされないまま映画が終わり鑑賞後に本編を振り返ってアレコレ考えてみないと種や真相が分からない様に脚色された本作の本当の狙いとは、近年流行している参加型推理イベント同様にミステリーマニアが後に検証できる様にという鑑賞後のお愉しみという理由の他に、転送マジックを行う度生まれる複製の対策としてステージに残った方を水槽に落として水死させ処分するというおおよそ人間の行いとは言い難いこの様な行為を100回も繰り返す様な芸に取り憑かれた人物達の狂気に満ちた心の「深い闇」を映画の真相が分かるに連れてジワジワと浮かび上がってくる造りになっている所に本意があるのでは無いかと思います例えばラストに出てくる沢山の水槽はよく見ると何かが入っている様に映っていましたが本編ではアンジャー1人の水死体のみが映っただけでしたので理解できていない鑑賞者が「ルート」の水死体と沢山の水槽がいったい何を意味するのかとなった時に映画が終わってアレコレ考えた後真相にたどり着いた時に衝撃を受ける様に作られた最大の仕掛けだったと捉える事が出来ますこの様に、一度観ただけでは分からない様な造りにして尚且ラストで真相を明かさないのはまるで種の分からないマジックを観た後のモヤモヤする鑑賞後感を味わいながら後に「仕掛け」を解く鍵となる大量の「布石」の存在に気付くという製作者の狙いがあり本作自体が マジックの演目 そのものとして造られているからだと思うのでした ▲目次へ▲■アンジャーの心の闇■この映画が、これほどダークで凄惨な内容になったのも妻の死を乗り越えられず 私怨に固執した男の深い闇を抱えた悪魔の様な執念を描いた所に一つの理由があると思われます洗面台の水を張った洗面器に顔を沈めたヒュー・ジャックマン演じるアンジャーが息が続かなくなり洗面器から顔を上げ部屋で泣き崩れるという場面がありますがこれは妻が溺れる映像がフラッシュバックで入る所からも妻と同じ苦しみを味わおうとしたアンジャーが水死した妻の苦しみが見えて 余りの無念と哀れさに泣き崩れたという事を意味したものであれば、この時が ボーデンにも同じ苦しみを味合わせ様とした動機が生まれた瞬間だと捉える事ができます同時に、後追い自殺をしようとして死にきれなかった様にも見える所からこの時からアンジャーの「自殺願望」にも似た死に対して不遜でいる性質が際立ち始めて躊躇いなく人の一線を何度も越えて銃弾マジックの場でボーデンを撃ち殺そうとしたりファロンを生き埋めにしたり果てはテスラの装置を使った様な狂気のマジックで何度も自分を水死させるまでになったと捉える所でもある様にも思えますボーデンへの 確執 のそもそもの「核」となったのは出会って間もない頃、 まだ組んでやっていた時期にマジックとは安全な舞台芸であるべきとするアンジャーに対してマジックの真髄は「種」にあると豪語するボーデンとでしばしば対立してマイケル・ケイン演じるカッターに「若い」と たしなめられていた時期に徐々に芽生え始めた「対抗意識」にあると考えられますが階級社会だった当時の英国という社会背景も加わりある意味、コールドロウ卿として既に富も名誉も地位もありその気になれば どんなものでも手に入れられる貴族階級出身のアンジャーが名誉も金もない 労働階級のボーデンにマジックの真髄において決定的な差を見せ付けられるという現実がボーデンに固執する理由を生み果ては妻の死によってダークで凄惨な復讐劇へと発展する悪魔のような執念が生まれたと捉えることが出来ます。アンジャーが「新・瞬間移動」マジックで狂気に満ちたパフォーマンスを実行し続けたのは一つは、毎回のマジックで生み出される「自分の複製の処分の為」 ともう一つは ボーデンのプライドに目を付け種を知ろうと必ず舞台下に現れる事を見込んで毎回人知れず複製した自分を水死させ転送した自分はボーデンが現れたタイミングで雲隠れをし水死の罪をなすり付けて死刑に追い込むという「ボーデンへの罠」が理由だった訳ですがもう一つの理由として、まるで死ぬ意思があるかどうか確かめるかの様に窒息寸前まで水の張った洗面器に顔を入れる様な自殺願望に駆られ妻の死を乗り越えられないアンジャーがマジックを行う度毎回妻と同じ死を迎える自分が居るという事実によってある種の 心の救い を得て癒やされていたとも捉える事が出来ますしかし、この狂気のイリュージョンを演じ続けて大喝采を浴びる度に 捉え様の無い程の犠牲を払い演じて得た代償として例え様のない悦びの境地に達してアンジャーの中の何かが弾けて人生をマジックに捧げたボーデンの生き様にもリンクしボーデンへの恨みもいつの間にかどうでも良いものへと心境が変化して行く所に「芸に取り憑かれた者達の心の深い闇」という本作のテーマが浮かび上がってくるものを感じる所でもあります。同じ「心の闇」によって芸に取り憑かれた二人でしたが二人のボーデンが共にボーデンとしての人生を分かち合い共に生きようとしていた事に対して妻の死を乗り越えられずに、「死」に向かい合う本当の意味を理解出来なかったアンジャーは死には死を持って償わせる発想しか起こらず演目を重ね人跡未踏の偉業を成し遂げてボーデンへの恨みの念も とうに意味消失した後も死に不遜な性質が極まり人間を複製しては水死させるという人としての一線を何度も超える所業を繰り返しながらいつしか心が麻痺し死に対しての尊厳の念も恐らく死んだ妻を愛していた事すら忘れて欲と名声に取り憑かれる 「怪物」 と化した事がテスラの装置を使った狂気のマジックで複製した自分を生み出しては捨てる様な非道な真似を繰り返し行える要因となっていったと言うことなのかもしれません☆【Blu-ray】グレイテスト・ショーマン[ ヒュー・ジャックマン ]価格:1650円(税込、送料無料) (2019/11/14時点)▲目次へ▲3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみるさて、ラストでボーデンは二人居たという衝撃の展開を取った本作でしたがココで二人のボーデンを一旦この様に表示してみますChristian Bale (参照:Wikimediaより)A ボーデン1号(赤鬼)Christian Bale (参照:Wikimediaより)B ボーデン2号(青鬼)人物を1号2号とか AとかBで分けてもピンと来ないですし「ジキルとハイド」ではおかしいので赤鬼 青鬼 と 日本昔話にちなんだ 日本人には馴染みの深い名称を使って分かり安く分けて考証してみましょう。所でこの 赤鬼 青鬼 をどこでどう判断するかについてですが本編で人物にそれぞれ若干の性質の差異が付いている様に確認出来ますのでこれらを「個々のボーデン」を判断する「鍵」と前提して意図的に脚色された演出上の「布石」として踏まえ場面ごとに (赤鬼) (青鬼) にそれぞれ分離しながら二人の性格性質を書き出してみますと、以下の様に上げられると思います。 (参照:Wikimediaより)ボーデン1号(赤鬼)妻サラを愛する夫で、娘ジェスの本当の父親の方(青鬼)の所業に罪悪感を感じながら自分の欲の顛末を噛みしめて愛に生きる家庭人となり慎み深く、温和な性格となる危険の無い技術を求めて研究に没頭したと思われおそらく ファロン として大半を過ごしファロンとして初登場したのはコッチラストでアンジャーを射殺して(青鬼)の仇を取り 娘と共に街を去る (参照:Wikimediaより)ボーデン2号(青鬼)スカヨハ演じるオリヴィアを愛した方「水槽脱出」で事故を起こし人を死なせた罪悪感に苛まれるが「バットマン」のブルースの様に罪悪感を怒りに変えて乗り越えたので表面上は喜々として芸に打ち込むがその分「ダークナイト」並に心に闇を抱えやられたらやり返す攻撃的性格となるおそらくボーデンとして大半を過ごし最後はアンジャーの罠にハマり死刑になる【Blu-ray】ダークナイト[ クリスチャン・ベール ]価格:1650円(税込、送料無料) (2019/11/14時点)▲目次へ▲4. 時系列で見るボーデンの入れ替わりまず映画のオープニングシーンで見られるテスラの研究施設の庭に散乱する山高帽はテスラの装置で複製されたアンジャーの帽子だと分かります。そして映画の最初の場面となる『アンジャーの瞬間移動マジックの場面』ではステージで装置の確認をするボーデン。ステージ裏で水槽のアンジャーを目撃するボーデン。は状況的にボーデン2号(青鬼)という事になります。(理由は後ほど)次に、アンジャーとボーデンが組んでいた頃に話が戻りますが、この時点では二人のボーデンを振り分けるはっきりとした要素が(※映画で見る限り)見当たらない為後で検証するとして ココは一端スルーします・・・そして時系列ではボーデンが二人いる事をはっきりと指し示す最初の場面となるのが『水槽マジックでの事故の場面』という事になります。----------------------【■Chapter6 ジュリアの死 - 23分16秒辺■]----------------------『水槽マジックでの事故の場面』アンジャーの妻を事故死させる原因となった「二重結び」をしたボーデン。ボーデン2号(青鬼)----------------------【■Chapter6 ジュリアの死 - 26分20秒辺■]----------------------『水槽マジックでの事故の場面』葬式に参列し、二重結びに付いてアンジャーに問いつめられた時「分からない」と答えたボーデン。ボーデン1号(赤鬼)(※Chapter記述は 販売用Blu-rayのものを使用しております。)プレステージ【Blu-ray】 [ ヒュー・ジャックマン ]価格:1,620円(税込、送料込)葬式で「分からない」と答えた (赤鬼)ボーデンの話は事実となり最初の辻褄が合います。という訳で、状況を踏まえながら二人のボーデンをそれぞれの場面に割り当てて行きましょう------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter5 偉大なダントン - 18分25秒辺り■】『鳩殺しのマジックの助手の場面』ステージから サラ をガン見するボーデン(赤鬼)サラと初めて会ったステージで、サラの甥が言った「鳥を殺した」というセリフは何気に アンジャーの「狂気の瞬間移動」の事を暗示し「この鳥の兄弟は?」という言葉は、何気に ボーデンが二人居る事を暗示したセリフだったと捉える事が出来ます。------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter5 偉大なダントン - 20分40秒辺り■】『サラの部屋の前での場面』サラに「大家さんに見つかるとうるさいから」と言われ帰るボーデン(青鬼)サラが部屋に入ると「お茶に砂糖は?」と言いシレッと部屋に居たボーデン(赤鬼)この時 何気に行った「瞬間移動」はボーデンコンビのチームワークだった事が分かります。今にしてみれば、赤鬼の恋路を青鬼が協力したホッコリするシーンでした・・・w------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter7 今日はウソ - 29分50秒辺り■】『銃弾掴みの種明かしの場面』ファロン初登場の場面で「赤ちゃんが出来た」と告げるサラに「ファロンに言おう」と言ってから 言い直す様に「やった 赤ちゃんだ」と喜んで見せるボーデンはファロンが本当の夫(赤鬼)だと言っている様なものになるので(青鬼)です銃弾掴みの種を教えた後「君を心から愛してる」と言った事に対して妻サラが「今日はウソ」と答えている事からもこの時点でサラの本当の夫は現在ファロンを演じている(赤鬼)である事が分かりますのでこれはその時々で (赤鬼) と (青鬼) がボーデン と ファロン で入れ替わって演じていた事を示す重要な「布石」の一つであった事が分かります。又、「ずっと考えていた大仕掛なマジック?」「ソレはまだだ」という会話は「瞬間移動マジック」の事を言っている事が分かります▲目次へ▲■今日はウソと言うサラの言葉の謎Rebecca Hall (参照:Wikimediaより)『アイアンマン3』で植物学者マヤ・ハンセンを演じ、ノーラン監督制作『トランセンデンス』でジョニー・デップの妻を演じた事でも知られるレベッカ・ホール 演じる ボーデンの妻 サラ は二人で一人を演じるボーデンとの結婚生活で精神を破綻しマジックに全てを捧げたボーデンの犠牲になった人物です特に「今日はウソ」というセリフはマジックに没頭したまま上の空でいる夫に対して「女の勘」を働かせつつ普通の愛情を求める女性の悲哀を表現した脚色としても悲劇に繋がるきっかけとしても印象に残るものがありましたがこれは女性の悲哀とは何の関係もない知らない間に夫である (赤鬼) の他に夫では無い (青鬼) とも夫婦生活をさせられその事実に気付いて精神が破綻したという二人のボーデンの「芸」の為の犠牲になった自殺の本当の理由が浮かび上がり一見本筋と関係が無いと思われたこれらの私生活の場面がラストシーンで一本の線となって繋がるという全てが覆される衝撃の事実が明らかとなる仕掛けが集約されていて居たのがこのセリフだった事が分かります。(※いきなりリンク先から飛んで来て 赤鬼 青鬼 の意味が分からない という方は▼▼▼コチラ▼▼▼3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみるをお読み下さいw)【Blu-ray】アイアンマン3 MovieNEX(期間限定仕様 アウターケース付き) [ ロバート・ダウニーJr. ]価格:3636円(税込、送料無料) (2019/11/14時点)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter8 銃弾つかみ - 30分30秒辺り■】『ボーデンの銃弾掴みの場面』「銃弾つかみ」マジックに乱入したアンジャーに指を撃たれたのは「分からない」と答えた事で (赤鬼) の方だったと分かります------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter8 銃弾つかみ - 33分19秒辺り■】『部屋で再び出血するボーデン』怪我をした指から再び出血したのは(赤鬼) と同様に指を詰めた (青鬼) だったと分かります。------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter10 鳥殺し - 38分40秒辺り■】『アンジャーの鳩のマジックの場面』アンジャーの「世界初ハトが死なないマジック」を妨害したのは(赤鬼) の指を撃ったアンジャーへの(青鬼) の意趣返しだった事が分かります------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter12 二つの矛盾した心 - 46分30秒辺り■】『通りでボーデン夫婦を目撃するアンジャーの場面』「サラ愛してる」「今日は本当の日」という会話からこの場面のボーデンは(赤鬼)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter12 二つの矛盾した心 - 47分20秒辺り■】『娘ジェスが刑務所へ面会に来た場面』ファロンが娘ジェスを連れて ボーデンの面会に来た時の場面でボーデンは娘が持っている人形を見て「人形の名は?」と聞くと「サラかな」と母親の名前を答えるのでこの時ボーデンは一瞬ファロンを見ます。死の意味が良く分からない娘の幼気さに感極まり父親が思わず身内に目をやってしまう・・・という様な観ている者の胸を締め付ける場面だった のですが、 (赤鬼) の妻を死に追いやった (青鬼) が母親を亡くした娘の姿に打ちのめされ深い罪の意識におののきながら娘の本当の父親を見上げた加害者としての反応だったという全く真逆の景色が見えて来ます。------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter14 二人のボーデン - 47分00秒辺り■】『買った家を家族に見せるボーデンの場面』家を買った時「でも先週は 家は要らないって」と尋ねるサラに「機嫌が悪かった 気が変わった」と答えるボーデン(赤鬼)ここで先週機嫌が悪かったというのはおそらく前のシーンで演じていた「瞬間移動」の舞台が思う様にウケなかった事に対して (青鬼) が苛ついていたという事だと分かります------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter16 テスラの実験 - 1時間04分16秒辺り■】Scarlett Johansson (参照:Wikimediaより)『ボーデンの仕事部屋に訪れるオリビアの場面』アンジャーの言い付けでスパイとなってボーデンの部屋に訪れたスカヨハ扮するオリビアが言い付け通りに寝返る振りをする芝居を 半笑いで看破するボーデン。(青鬼)この時 疑いの眼を向ける策士に見えた表情には、オリビアに一目惚れした (青鬼) の鼻の下を伸ばした締りのない顔が含まれていた事になるわけですw【Blu-ray】LUCY/ルーシー[ スカーレット・ヨハンソン ]価格:1100円(税込、送料無料) (2019/11/14時点)▲目次へ▲■転送装置なのか複製装置なのかこのチャプターの冒頭の テスラの装置の最初の実験が行われる場面で放電の後 デビッド・ボウイ演じるテスラが放電を浴びた帽子を見つめて立ち尽くすのですが単に実験が失敗して固まっているにしては深刻度が高く 違和感があるので、これは、後の場面で たくさんの帽子が林の中で見つかる事からも既に実験は何度も行われ、帽子は転送される事は分かっていて尚且つここにも残る結果となった事の意味する所を考えて転送する度 複製を生む 事態に戦慄を覚えていた と言うことなのだと思います。只、転送そのものは成功している事は分かっていたとなるとなぜ、帽子が一箇所に纏めて転送されていた様な状況で帽子がどこに転送されたのかも分からなかった様子のテスラがこの時点でどうやって転送が成功している事を確認できたのだろう かという疑問が残りますこの辺りに、テスラが以前にも転送装置を誰かに作った事があるという事を匂わせるものを感じさせる所でもあります因みにこの装置ですが映画を見る限りでは アンジャーがテスラに何を発注したのか分からないのでこれは「複製装置」なのか「転送装置」の副産物なのかで意見が別れる所ですが常識的に考えれば 「瞬間移動」の舞台で使うのであれば「転送装置」を依頼する所でしょう又、「複製」を目的にしていたのであれば実験後、複製されたものは何処にある と、アチコチ見回して 探し回るのが普通の反応なのでこの場合は、実験後全員が「転送される筈のものがまだここにある」とばかりに装置に置いた帽子を 只見つめていた所からも「転送装置」の実験だったと捉えるのが自然であり実験の前からテスラの表情がやたら深刻過ぎで・・・デビッド・ボウイの演技が思いの外 大き過ぎた・・・わけでないのであれば...w実験後に テスラがあれ程固まっていたのはやはり、「転送」目的で作った装置が「複製」を作る副作用を起こした事に 愕然としたという場面だった様に感じました------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter16 テスラの実験 - 1時間06分40秒辺り■】『酒場でアンジャーの替え玉に入れ知恵する場面』アンジャーの替え玉 ジェラルド・ルート に支配権云々を入れ知恵しアンジャーの「新瞬間移動」を台無しにして足に大怪我を与えるボーデン(青鬼)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter17 オリビアが見たもの - 1時間12分40秒辺り■】『ボーデンの部屋が荒らされた場面』ボーデンのノートを持ち出したオリビアに疑いの目が行かない様にボーデンの部屋を荒らしに行き自分がやった様に見せかけたアンジャーに対して「奴め遂に」と挑戦的に語るボーデンはこの後アンジャーがアメリカのホテルでボーデンのノートを解読する場面で描かれるノートを持ち出す様に仕向けた云々・・・という記述を記したのが(青鬼) だとすれば「奴め遂に(罠にハマったかw ザマミロ~www)」という意味になるという事で(青鬼)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter17 オリビアが見たもの - 1時間13分30秒辺り■】『ファロンが拉致される場面』パルテノン劇場で華やかな「瞬間移動」マジックを行いスカヨハ扮する助手オリビアの手にキスしたボーデンはアンジャーを打ち負かした大成功に良い気分になり「今日は歩いて帰る奴が来てもいい」とファロンに告げている事で(青鬼) (※多分)だと思われますその後ボーデンを尾行するアンジャーを追ってマイケル・ケイン演じるカッターに拉致され銃で応戦するファロン は(赤鬼) (※多分)▲目次へ▲■拉致されるファロンはどちらのボーデンかこのセクションはオリビアの手にキスをしているという理由から、このボーデンは (青鬼) であろうという程度のしっかり仕分けが出来る様なハッキリとした布石がされて無い為作品中最も (赤鬼)(青鬼) の判断が付きにくい場面だったりします。(※いきなりリンク先から飛んで来て 赤鬼 青鬼 の意味が分からない という方は▼▼▼コチラ▼▼▼3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみるをお読み下さいw)この場面でボーデンが「奴(アンジャー)が来てもいい」と言ったのはもはやアンジャーを打ち負かしただけで無く自分達が事実上英国マジック界の頂点に立った事でもういつ死んでも悔いは無いと考えた完全勝利に酔う (青鬼) のセリフの様でもありますが拉致に銃で応戦するファロンの方が好戦的性格の (青鬼) の様な印象もありますし、或いは自分を撃ち殺そうとした時のアンジャーの殺気を警戒した (赤鬼) がいざという時の (青鬼) の援護の為護身用 に銃を携帯していた様でもあり と仕分けしづらい所です・・・最も、ラストでアンジャーを撃ち殺すのは (赤鬼) だと言う事からむしろ (青鬼) は「銃弾掴み」マジックの舞台にアンジャーの乱入を許し(赤鬼) の指を失わせた負い目から拳銃にトラウマ を感じている可能性がありそれらを考慮するとやはり拉致されたのは (赤鬼) の方だと考えるのが自然の様な感じがあります加えて、この後ファロンを救いに来たボーデンがアンジャーの要求に対して「テスラ」のキーワードをワナの材料として使った事からこの時のボーデンは (青鬼) と言う事になるのでここでのファロンはやはり (赤鬼) では無いかと思われます(※理由に付いては後述 ■5. ボーデンも複製か?■ の所で)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter18 キーワード - 1時間15分00秒辺り■】『墓地に呼び出される場面』人質になって生き埋めになった ファロン を助ける為アンジャーの呼び出しに応じて「テスラ」というキーワードを教えるボーデンは上記の理由が正しいなら(青鬼)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter19 秘密が人生 - 1時間17分40秒辺り■】『サラとのディナーで荒れる場面』ファロンを助け出した後のディナーのボーデンは明らかにサラの夫らしからぬ (青鬼) の様な行動を取ります。ここでのボーデンがどちらなのかを特定する証拠と言えば、ボーデンが「自分を生き埋めにして・・・」と言った後「・・・誰かに掘り出してもらう」の所でワインを指差す直前、自分自身を指差しているという見落としてしまう様な一瞬の動き と夫婦水入らずのディナーの席になぜファロンを同席させたのかという若干違和感を感じる位のものしかありません。では、ここでのボーデンは (青鬼) か と言われると「今日はひどい目に遭った」と語っている事から今のボーデンは 生き埋めにあった方の(赤鬼) という可能性の方が大きくなりココで荒れているのも、これまで(青鬼) の煽りを喰らい続けて来た (赤鬼) のストレスが今回の一連の事件によって遂に爆発したと捉えれば納得ができるものはあります逆に、今日が夫婦水入らずのディナーの日なのにも関わらず今のボーデンが (赤鬼) で無い理由は何かを考えると生き埋めに遭い弱っている上に午後の舞台をこなして披露の際にいる (赤鬼) が (青鬼) へ代役を頼み最近ボーデンの態度を疑い始めたサラの前で演技じみた態度を取って 疑惑の眼をそらしたと捉える事も出来ますまた、生き埋めにあっていたファロンが(青鬼)だったのであればひどい目にあった労いの意味からボーデンとして(青鬼)がディナーに出してもらっている可能性も考えられます。後は、この場面の最後で妻のサラが「アルフレッド おかしいわ お芝居はやめて」と言っている事を今、眼の前にいるのが紛れもない自分の本当の夫だと認識している「妻の勘」がそう言わせている場面と取るのであればこのボーデンは (赤鬼) だという事になりますつまり、この場面は今ボーデンになっている (赤鬼) が今ファロンになっている(青鬼) にブチ切れた様を描いている となり生き埋めになって死ぬ所だった (赤鬼) がこれまでこんな風に(青鬼)の煽りを食らい続けてどれほど耐えてきたのか という事に加えて2人でひとりを演じ続けて英国マジック界の頂点にまで登り詰めたにも関わらず今、一蓮托生となった自分達のどちらかが欠けたらマジックに人生を捧げるという「大事なモノ」を一瞬にして全てを失うという事を、もっと重く捉えろ とアンジャーの事はもとより、危機管理能力に欠けている (青鬼) への不満だけでなく贅沢癖があり、面倒な助手のオリビアの件や事情を話したくても話せない妻へのもどかしさなどの、今まで抑えてきた全ての「感情」を含めて家族とファロン (青鬼) とスカヨハ演じるオリビア共々関係者全員を同席させた所でなりふり構わずストレスの限りにぶちまけたというふだん温厚な人間が本気で切れたら手がつけられないという場面だったと、言うことになりおそらくそういう事だと思います。一方で、この場面のボーデンが (青鬼) だった場合本当は何に切れていたのかを 考えてみますと元々アンジャーの仇は(青鬼)でありマジシャンとして英国の頂点を極めて「もうアンジャーに殺されたとしても悔いはない」という気持ちになり「やつ(アンジャー)が来てもよい」とファロン(赤鬼)に告げて自ら標的となり悪縁を終わらせるのもひとつだと思っていた所相変わらず (青鬼) の煽りを食うかの様に援護に入って罠にハマり妻と娘を残して死んでいたかもしれない (赤鬼) に対し迂闊すぎる と 恫喝したとも取れ、何よりもその様な状況を作っている (青鬼) 自身が自分に切れた という場面だったのかもしれません------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter21 実験の成果 - 1時間23分15秒辺り■】『黒猫での実験』▲目次へ▲■時代劇である事に秘められた巧妙なトリックテスラの資金難の解消に良いように利用され金を騙し取られたと思ったアンジャーがテスラの研究施設に怒鳴り込む場面でテスラは黒猫を使った実験を行います結局成果は無く失念して立ち去ろうとしたアンジャーは林の中に放された黒猫の鳴き声が2匹に変わった事で異変に気付き林の中に大量の帽子が散乱しているのを見ると態度が一変します■この時のアンジャーの「成功していたのか」という台詞は装置の転送が成功していた事を意味し同時にこの場面は装置に複製を生み出す致命的な欠陥がある事が描かれた重要な伏線だった事が分かります。又、放電実験の後 装置に残った黒猫は助手のアリーに首輪を外されてから林に向かったので林の中の2匹の黒猫の内、首輪をしている黒猫がテスラの装置で転送された方だと分かる事からアンジャーはその事に気付いて装置の成功を知ったという事になります。■■この場面は 本作のキービジュアルとも言える「林の中の大量の帽子」が登場する重要なシーンでこの「大量の帽子」が後にアンジャーの瞬間移動マジックはこの帽子同様に人間を複製する所に種があったと判明した時不気味な鍵となる存在となり観る者を言い様の無い深い闇の中へ叩き込まれた様に戦慄させる本作のダークな側面を担う衝撃のラストへと繋がる重要な布石となっていきます。同時に、この「テスラの装置」が全身に稲妻を浴びても平気という19世紀当時の最先端の技術を使った単なるド派手な演出を行う舞台装置を作っている様に見せかけ林の中の「大量の帽子」は黒猫達がイタズラでくわえて持って行ったものだろうと思わせて鑑賞者にそのままラストまで正体を悟られない様演出する本作最大の「見せ場と悟られてはならない見せ場」となる場面でもありますテスラ初登場のシーンやボーデンの瞬間移動マジックのシーンで稲妻発生装置が使われたのも「テスラの装置」が単なる舞台装置に見える様に「種」を悟られ無い様に意図的に別の方へ気をそらせる「誘導」だった訳ですこれは、「あの大量の帽子は一体何だったのか」という謎に対してモヤモヤした違和感のみを残させる様に作品の時代を「19世紀のロンドン」に設定してその時代の空気感すら伝わってくる様な時代考証を細かい所に至るまで精密に行ったリアルな時代劇作品にする事でロバート・ダウニー・Jr主演の『シャーロック・ホームズ』の様なSF時代劇サイバーパンク系ファンタジー作品と呼ばれるCG全盛の何でもアリなハリウッド作品と混同され無い様にして映画の中で人が転送されれば「物質転送装置が使われた」と思い付く発想そのものを観客に微塵も起こさせない様にした所に本作の最大級の巧妙な「トリック」があった訳です【Blu-ray】シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム[ ロバート・ダウニーJr. ]価格:1100円(税込、送料無料) (2019/11/14時点)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter22 ウソの日 本当の日 - 1時間26分20秒辺り■】『ボーデン家での家族との場面』娘ジェスに動物園へ連れて行くと約束し、昼間から酒を飲むサラに「今日は本当の日」と言われ 遊園地のメリーゴーランドで ファロンと密会し「サラが気付いている」と告げた後スカヨハ扮するオリビアに逢い気乗りしないボーデンにシラケるオリビアに「ファロンを信じろ」と言うボーデン(赤鬼)メリーゴーランドでの密談はボーデンの謎に繋がる映画の柱となる最重要場面だった事が分かりますしオリビアがキスしようとするとボーデンが軽く拒むなど、終始気の無いボーデンにオリビアがシラケる事でここでのボーデンが(赤鬼) だと分かりますがこれらの重要な布石を浮気が原因に見せかけている脚色が巧妙です。------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter24 秘密を持たないで - 1時間32分40秒辺り■】『ボーデンとサラの激しい言い争い』サラに「もう隠していられない」と激しく言い寄られ「愛していない、今日は」と答えるボーデン(青鬼)この場面で 娘ジェスをソッと廊下から連れ出す ファロン。(赤鬼)このファロンはジェスの本当の父親だったから夫婦の言い争いを聞かせない様に連れ出したという事なのですが結局この時ボーデンがサラに告げた「愛していない、今日は」というセリフが決定打となりこの後サラはボーデンの仕事部屋で首を吊って自殺をしてしまいますこのボーデンのセリフの意味をサラがどう取ったのかは次のシーンが 鍵となります------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter25 ダントンの復活 - 1時間38分11秒辺り■】『ボーデン、オリビアとの別れ』スカヨハ 演じるオリビアが 去る場面で「サラを一度も愛したことは無い」と告げるボーデン(青鬼)この場面で、サラが自殺の前日にオリビアに会ってボーデンの秘密を打ち明けようとしたという非常に重要な事実が サラリ と語られ状況的に 不倫 の話にしか見えない所が脚色の妙なのですがこれはボーデンが双子であるというカラクリにサラが気付いていた事と自分でも知らないうちに夫婦生活の半分を夫で無い人間と暮らし二人で一人を演じるというボーデンの芸の犠牲になったというサラの自殺の真相が浮かび上がる重要な布石となる場面でもあります------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter26 人間は想像を超えた - 1時間43分20秒辺り■】『種が分からず動揺する場面』▲目次へ▲■「アイツの事は放っておこう」の真意テスラの装置を使った「新・瞬間移動」マジックの種が分からずにボーデンに 怒鳴りつけられるファロン(赤鬼)その後ファロンは廃墟の劇場に何かを運んでいる事を突き止めアンジャーの「瞬間移動」マジックに感服して「アイツの事は放っておこう」と語るボーデン(赤鬼)死刑執行前に「お前は放っておこうと言ったのに」という (青鬼) のセリフからこの場面のボーデンは (赤鬼) で間違いないのですが廃墟の劇場を突き止めたファロンは流れから(赤鬼) だな という感じでそのままファロンは廃墟の劇場に侵入してアンジャーの水死体が入った大量の水槽を見たであろうと 匂わせるものはあるのですが映画では描いていない為 不明です■この場面での ボーデンのセリフはテスラの装置の事を知っているのかどうかを判断する上でもかなり重要なのですが字幕で「舞台の下には何がある」と訳されたセリフは原語は「What is going on under that stage ?」なのでどちらかと言うと「舞台の下で何が起こっている」という感じで「種」よりも 何が起こっているのかを気にしている様にも取れるセリフに思います又、字幕で「公演のあと、あれを運んでいる」と意訳された様なセリフも原語は「they do this every night, after each Performance.」 と「公演後、連中は毎晩 (仕事を)やる・・・」という程度の意味でそれに対して肩をすくめるのも何も分からずお手上げの様でもあるのですが全てのカラクリを分かっていてそこまでやるかと戦慄して震えた様でもあるのでこの場面のボーデンは廃墟の劇場で水槽を見て全てのカラクリに気付いてアンジャーのやり方は自分達の信念とは異なる狂気に満ちたもので、気に留める必要なしと決断した(赤鬼) なのだと思います只、どちらにでも取れる、かなりモヤモヤしたセリフになっている様で困りものですw------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter27 見てはいけない真実 - 1時間45分00秒辺り■】『変装して舞台に上がる場面』アンジャーの「瞬間移動」マジックの舞台に上がって装置を眺めて舞台下まで行き 水槽に落ちるアンジャーを目撃する ボーデン(青鬼)これで、刑務所に入り死刑になるのは(赤鬼) が制したのにアンジャーのマジックを観に行った(青鬼) の方だと分かります------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter27 見てはいけない真実 - 1時間49分10秒辺り■】『コールドロウ卿と対面する場面』▲目次へ▲■アンジャーがボーデンの娘ジェスを引き取る理由「瞬間移動」の種を教える代わりに娘に会わせる条件を呑み面会にやって来た 富豪の収集家 コールドロウ卿は水槽で水死したはずのアンジャーだった事で事態は急変しますそもそも映画は当初から水槽に落ちたのが替え玉を演じた ルート の可能性を故意にチラつかせながらこうして肩すかしな程に コールドロウ卿 として生還 させる展開を迎えるのでこれらが鑑賞者にも想像が付く様な不自然な程に「想定の範囲内」程度の展開だったのもとどのつまりは驚愕の真相をラストで明らかにする為の、伏線だった事が分かります。■所で、一部ネットでもこの場面のやりとりが、ボーデンが『娘は巻き込むな』と言った事に対し『大事な者を奪われる辛さは知っている、君が連れて行けまい』と言ったアンジャーに ボーデンが顔色を変えた事に付いて「アンジャーがボーデンの娘ジェスを殺すつもりでいる」という多くの意見が見られ物議を醸しましたがそれが原作の内容に起因した論議であればともあれ本記事の冒頭でも書いた通り当サイトでは本作に関して「原作本」を脚色した独立した別作品として原作とは切り離して検証しているという記事の性質をまずはご理解いただきたく、これは2つの意味で まず無い と思われます。理由の一つとして、これは正に娘が殺されようとしている様に見える様にして実はボーデンは双子で、ここでのボーデンはジェスの父親の方では無く現在ファロンになっているのがジェスの本当の父親で自分が死刑になった後、父親の方のボーデンがジェスを引き取れなくなる事に焦ったという真相から観客の注意をそらせる演出の一環である 事と、もう一つは、「ガラパゴス化」と揶揄される程諸外国とは全く異なる文化的背景を持ち大ヒットアニメや漫画で当たり前の様に見られる「少年少女」の「ある種」の描写にも世界的にも寛容な 日本とは事情が全く異なり児童虐待が深刻な社会問題化している欧米諸国の場合は必然性のある社会派作品や敢えて社会に切り込む大家作品或いは、敵国に当たる人種の所業という設定であればともかくとしてアンジャーを演じたヒュー・ジャックマンの出世作でもある『X-MEN』の シリーズ6作目の様にロシア人に子供が殺される一方で、米国の学園の生徒は全員爆破から逃れるという分かりやすい極端な例もある位に近年「児童虐待」をイメージするプロットは社会性を考慮し極力避けるハリウッドの傾向からもいくらダークな作品とはいえこの様な大金をかけた大作であっても無くても、セリフ上で終わる程度な事だとしても「子供を殺す」という様な集客に確実に影響を与える様なマイナス因子のプロットを敢えて入れるという事はとても考えにくいという米国内の社会通念上の配慮が、理由として上げられます問題となる場面でもマイケル・ケイン演じるカッターがアンジャーと思わぬ再会を果たし罠にかかり死刑になるボーデンの件で激怒しながら娘までもどうするつもりかと問い詰めた事に対してアンジャーは心外だという眼をして「面倒を見ている」とハッキリと答えております又、本当に娘を殺す気であれば激怒するカッターに何を言っても仕方がないので話をそらせる筈ですし何よりも、娘が生きているという事はボーデンへの復讐はまだ終わっていない事になるのでこの時点で全てが終わったかの様にカッターにテスラの装置を封印する様に持ちかけるのは不自然であり演出上ぼやける事にも繋がるのでこれらの理由からもあり得ないと考えますこれは、ボーデンに、全てを奪われる事の辛さを味合わせてこれまでの確執を終わらせようと考えたアンジャーが名誉を奪う為にマジックで打ち勝ち、命を奪う為に罠に陥れ、最後は家族を奪う為、娘を養女にしたという金と権力にモノを言わせてボーデンから全てを奪い取り完全勝利を確信して前に進もうとしている場面と捉えるのが自然なのでここは単に(赤鬼) が実の娘を引き取れなくなる事に(青鬼) が焦った場面と取るべきなのでしょう尚、アンジャーがボーデンの娘ジェスを引き取った本当の理由は後程■6. どちらが本物でどちらが複製か■の所で解説します。(※いきなりリンク先から飛んで来て 赤鬼 青鬼 の意味が分からない という方は▼▼▼コチラ▼▼▼3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみるをお読み下さいw)【Blu-ray】X-MEN:アポカリプス[ ジェームズ・マカヴォイ ]価格:1100円(税込、送料無料) (2019/11/14時点)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter28 永遠の別れ - 1時間53分30秒辺り■】『ボーデンとファロンの別れの場面』▲目次へ▲■永遠の別れと最後の瞬間移動死刑の直前に面会に来た ファロン に向かって「お前はアイツに構うなと言ったのに、サラの事は傷つけるつもりはなかった」と語ったボーデンは 間違いなく (青鬼) で「色々済まなかった」と語った真意は二人で一人を演じる 事を提案したのが (赤鬼) で(※コレに付いては後ほど・・・)その真意を汲むことが出来なかった事とアンジャーの妻を事故死させた罪やアンジャーとの確執で 煽りを喰わせた事や愛する妻を自殺に追い込んだ事などのそれら全てが含まれた(赤鬼) への 謝罪の念 の現れであり、看守の挑発に乗って 足かせを外してみせる場面を見る限りその気になれば 脱走も不可能では無かった中で刑に甘んじたのも、納得の上での事の様にも取れ、ここで「瞬間移動」マジックの初演で用いたボールをファロンに渡したのも、仇を取ってもらう事の意味と言うよりはもう半分のボーデンを委ねたという最後の「瞬間移動」を意味しそんな (青鬼) の本意に 泣いた(赤鬼) という訳でした。【絵本】泣いた赤鬼 [作:浜田 廣介/画:浦沢直樹 ]価格:1540円(税込、送料無料) (2019/11/14時点)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter28 永遠の別れ - 1時間57分50秒辺り■】『刑が執行される場面』この場面ではアンジャー達がテスラの装置を封印する映像をリンクさせながらボーデンの刑が執行されますが刑が執行される直前に(青鬼)が呟いた「アブダカダブラ」で(赤鬼) がボーデンとして現れるという奇しくもここでも、アンジャー同様の命がけの「瞬間移動」マジックが行われた事を暗示したものだという事が分かります又、二人で一人のボーデンを演じながら「ボクがサラを愛し・・・」と言っている事からサラの夫も娘の父親も (赤鬼) で間違いないという事になります■ここでアンジャーが自業自得で自滅するのであればともかく(86)『プラトーン』のチャーリー・シーン演じるテイラーがトム・ベレンジャー演じるバーンズに下した結末同様に主人公たる立場の人物が 因縁の相手を銃殺して自ら手を汚した後何事も無く娘と共に新生活を迎える展開に今ひとつ感情移入が出来ず違和感を感じる方もおられるかもしれません。アンジャーがこの様な顛末を迎えるのもひとえに途中から私怨を大きく逸脱した悪行に対しての代償であると捉える事が出来ますがそれ以前に、映画を見る限りでもアンジャーの妻ジュリアは危険な「二重結び」に前向きで、マジシャンとして極め様という気概がありましたし「二重結び」をした後のボーデンの相槌にも応えていた様でしたので納得尽くの事の様にも捉えられジュリアの事故死の責任の一端がボーデンにあったとしてもマイケル・ケイン演じるカッターの言う所の若さ故の過ちから起こった 不幸な事故だったのでありその後のアンジャーの犯した一連の報復行為には正当性も正義も存在し無い単なる私怨に過ぎない事が見て取れます。まして悪辣な罠で人の命を奪い、それで幕引きしたつもりでいる所業に天網恢恢疎にして漏らさずとばかりに制裁が下ったという事になるのでしょう。結局アンジャーは、自分が撃たれた事よりもボーデンのマジックを看破できなかった事に無念さを抱き複製に複製を重ねて今居る自分は何者なんだと神をも恐れぬ所業を繰り返した罪に苛まれながら誰よりも手を汚し尽くした末、喝采を浴びる事の歓喜の充実感を知りお前なら分かる筈だと ボーデンに訴えながら巨大な闇を抱えて死んでいくのでした。あるいは、アンジャーの「瞬間移動」のからくりを気付いていたかもしれない (赤鬼) が、アンジャーを射殺をしたのはアンジャーの自己満足の為に生み出されては狂気のマジックの犠牲となって水死させられた知られざる哀れな100人もの「複製されたアンジャー達」へ向けての手向けの意味も、あったのかもしれません・・・【Blu-ray】プラトーン [ 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肯定もしておりません。そもそも瞬間移動の鍵としてデヴィッド・ボウイ演じる「テスラ」の存在をアンジャーに告げたのはボーデンであり物語の中でもテスラは以前にアンジャーの同業者に装置を作ったという様な言及もありました。又、テスラが語った 「特異な人間に特異な装置を作る」というのがボーデンの事を指している様でもありこれらは全てボーデンが以前に「瞬間移動装置」を使い自分自身を複製をした事があるという事への伏線とも捉える事が出来る疑惑でもあります。完成品が渡された時の手紙の文章にも「この装置は悲劇をもたらす」と記載されていた事から察するとそれがボーデンの事かどうかは さて置いても過去にもテスラが人を複製した事実を匂わせる事の様にも感じられるものがあります。そこで、ボーデンは双子という事で特に支障のない本作のプロットに最終的に白黒ハッキリさせない様な果たして伏線だったのかどうかも定かでないモヤモヤした脚色で「ボーデンも複製 かも」という可能性を匂わせて整合性が崩れかねない伏線をなぜ張る必要があるのかと いう理由を汲みながら考えてみますと、これに付いては近年『シン・ゴジラ』でもそうでしたが鑑賞後も観客を思考の迷宮に突き落とすという、独特の世界観を印象付ける演出の一環という理由がまず思い付きます。ボーデンが複製人間だったとして★ ボーデンがテスラ製の装置を使っているアンジャーを見て「瞬間移動」の種が分からずに劇場の舞台裏まで忍び込む理由が成立しなくなる事と★ 本作の柱となる「アンジャーが仕掛けたボーデンへの罠」が成立しなくなるという映画の整合性に関わる問題が発生しそして、双子だった場合ボーデンとテスラの接点が時系列通り本編45分過ぎのシーンアルバート・ホールでの実演を観ていたのが最初という事になり(※Blu-ray - Chapter11「テクノロジー」) 放電装置を見たボーデンがスカーレット・ヨハンソンを助手にして演じる「瞬間移動」マジックをより良く見せる演出に使えると考えてテスラにマジック用の「放電装置」の制作を依頼したという一連の流れが生まれボーデンは「瞬間移動装置」とは何の関係もないという整合性が成り立つのですが◯現実問題「双子」では速攻で身内にバレるだろう。◯「今日はウソの日」程度の違和感では済まされない。◯そもそも「双子」ではトリックがお粗末過ぎる。●昔、デビッド・カッパーフィールドもそんな噂が立ったがこれはそのオマージュか?wなどの苦言が発生する事になりどちらも論理的着地点を見出だせ無いないまま有耶無耶に終わるという事が言えると思います他にも、ボーデンが「テスラ」の名前を暗号日記を解読するキーワードとして使っていた件では、「テスラ」というキーワードを使った暗号日記の記入がアンジャーと出会う前後辺りから行われている 事からボーデンは少なくとも日記を付ける直前にはどういう形であれ「テスラ」を知っていた事になり「テスラ」と会って 装置を使い自分を複製したという可能性は消えていない事になります一方で、この暗号日記がアンジャーを嵌める為だけの目的で書かれたものと捉えますとこれは単に文章が日記仕立てに書かれたダケの偽日記となりテスラとの関係性の証明には使えず複製説の証拠では無くなる と言った取り様によってどの様にも取る事が出来る様々な布石が配置されている事が曖昧な伏線を曖昧なりに成立させている一番の理由という印象があります■では仮に、ボーデンも複製だったとしたら どういう事になるのかかなり妄想も入ってますが敢えて想像してみますと・・・特別な人間に特別な装置を作るとの噂を聞いたか どうか分かりませんがwとにかくボーデンは自分が実験台になりテスラの装置を試します。しかしアンジャーの帽子を使った実験の時と同様の結果となり実験は失敗したと思い込んだボーデンは失望して帰宅します一方、人知れず離れた場所に転送されたもう一人のボーデンは実験が成功したと思いきや、実験室に自分がもう一人居る事を知り装置が生み出す恐ろしい弊害と 自分の置かれた状況を理解して実験は失敗した事にした方が良いと判断し誰かに気付かれる前に雲隠れします或いは、ボーデンが帰った後に入れ替わる様に離れた場所に転送されたもう一人のボーデンが実験室に入って来てそれを見たテスラは転送装置の実験は成功したが複製を造るバグがある事に気付きこの装置は人を不幸にするとして転送されたもうひとりのボーデンにこの事実を口外しない様に説得した・・・とも取ることが出来ます。後日、もう一人のボーデンは自分は双子の兄弟の隠し子とか、家は貧乏だったから里子に出されていたとか自分も最近その事実を知ってお前がマジシャンで活躍している事に驚いて会う事にしたとか何とか・・・もっともらしい理由を付けてボーデンの前に現れテスラの装置の真相は墓場まで持って行く事にした・・・・・・という事であるならば少なくとも二人の内一人は装置の真価は知らない事となりテスラの装置は失敗作だと思い込んでいる方のボーデンが良い散財になると睨んでテスラのキーワードをアンジャーに教えて装置を作らせる様に仕向けたりアンジャーの瞬間移動の種が分からずファロンを責め立てて荒れ好奇心に勝てず自らアンジャーの罠にはまるという本作の柱となるプロットの整合性は保たれます。更には、二人のボーデンの仕分けも元々のボーデンが転送装置の様な得体の知れないものに自ら実験台になる様な恐れ知らずの好奇心旺盛な人物だと考えられる所から装置の実験は失敗したと思い込んでいる方のボーデンはこの経験で何か衝撃を受けたとか人生観がガラリと変わったとか性格にも影響が出る様なトラウマになったとかそんな訳は無いので性格はそのままという事でコチラは (青鬼) という事になり転送されたもう一人のボーデンの方は、人間が複製されるという事の重大さに恐れを抱き自分の好戦的な性格が招いた事としてこれまでの態度を改めて思慮深くなり恐らくファロンとして大半を過ごしたと想像できる事からコチラは (赤鬼) という風に分けられます(※いきなりリンク先から飛んで来て 赤鬼 青鬼 の意味が分からない という方は▼▼▼コチラ▼▼▼3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみるをお読み下さいw)そうして、本作を改めて観直してみますとラストのボーデンのセリフの「難しかった 2人で一つの人生を生きるなんて」という言葉の真意が見て取れたりカッター達に拉致されたファロンもどんなに脅されても頑なに口を閉ざし「種」を明さなかったのは明かさなかったのでは無くて人間を複製するという恐ろしい事実を明かせなかった と分かります又、復活したアンジャーのステージを観覧し脱出マジックの水槽を見て 心を痛めながらもテスラの装置を使った転送マジックを観た衝撃と危機感から思わず席を立ったボーデンが水槽を傍で見ていた記憶がある事から 青鬼 だったとしてその後、アンジャーの転送マジックの種がなぜ分からないとボーデンに責められ落とし戸のカラクリを描いた所で固まっているファロンも「ステージの後毎晩あれを運んでいる」の「あれ」とは複製されたアンジャーの水死体が入った水槽だと看破した様に身震いしたボーデンもこれらはテスラの装置の恐ろしさを唯一知り更にはアンジャーの転送マジックの狂気のカラクリを知っていた(赤鬼) の方だったと考える事が出来ます又、アンンジャーと組んでいた頃カッターのはからいで金魚鉢のマジックを見に行った時に帰り道でアンジャーとマジックの種について互いに意見しあっていた中で、マジックの種を看破して「芸の為なら人生も犠牲にする」という一節を口にした後何かに確信を得たかの様な表情をして、コレは使えるというばかりにガッツポーズを決める様に柱に向けてゲンコツを立てた事も、ここでは、マジックの種を見事に看破している事からこの場面のボーデンはファロン的なのでこの後ファロンとして大半を過ごす 赤鬼 が自分達のどちらかがテスラの装置によって意図せず造られた複製人間であるという境遇を考慮して(又はチャンスと考えて)いつの日か行う「瞬間移動マジック」の為に双子の事実は 世間に伏せて(青鬼) と共に「二人で一人」を日々演じる事を思い付いて手応えを感じた場面に取る事が出来ます。又、テスラの放電の実演を眺めていたボーデンもマジックの演出に使えないかと考えながら観ていたというよりは自分達の運命の始まりを回顧する様な眼で眺めていた所からテスラの創る装置の真価を知っている(赤鬼) の方だと分かります。加えてこの後に、瞬間移動マジックの演出用に放電装置の発注をする為に再びテスラに会い自分達が複製された事実を話したとも考えられそれが、アンジャーに対してテスラが取った一連の態度の現れの理由だったとすれば 筋が通ります更に、アンジャーの転送マジックの後運ばれる水槽を追って廃墟の劇場に辿り付き、恐らく中で水死体が入った大量の水槽を目撃したであろうファロンも「アイツの事は放おっておこう」と言ったボーデンも装置のカラクリを知っていた (赤鬼) と捉えますと、全ての謎が繋がりますし双子となった真相を (赤鬼) から知らされていなかった (青鬼) が留置場でアンジャーと再会した後 全てを察知し、或いは脱走も可能だったかもしれない状況でもう半分のボーデンの人生を (赤鬼) に全てを託して刑に準じたという(青鬼) の真意も見えて来て辻褄も合う事になります。加えて、ラストでアンジャーの水死体が入った100体もの水槽を見ても驚きもせずにまるで全てを知っているかの様な眼で眺めていたのもテスラの装置の真意を知った上で「よくぞ、ここまでやったな」と感慨深さと戦慄が混じった気持ちでいたという事が分かります。次に、ボーデンが複製された時期の特定ですが、これは特定が難しいながらもカッターの下でアンジャーと組み始めた時マジシャンの小道具係をやっていたボーデンがカッターの所にやって来た理由が二人になって食い扶持が増えた為であれば納得できますし又、中国人マジシャンの金魚鉢マジックを看破した時日々を犠牲にする精神に対して何かの手応えを感じて 静かにガッツポーズを取ったのも瞬間移動マジックを演じる為に日頃から一人のボーデンを入れ替わり演じる事を思い付いた様な印象があります何よりも、ミルトンの水槽マジックの後の楽屋の場面での会話でカッターが「君は何か(新しいマジックが)あるんだろ」と言った後ボーデンが「もちろん」と返しカッターが「売ってくれ」と言った後ボーデンが「僕にしか出来ない」と言った真意が複製になった自分達だから出来る事という意味が含まれていると捉えるならばアンジャーと組む前から既に複製だったと捉えるのが自然だと思われます。■これらは演出上「双子」でも「複製」でもどちらでも取れる様 に観客の判断に委ねた作りとも取れますが70年代のおおらかな時代の映画であれば ともかくとして目の越えた観客が多い現代において、あちらを立てればこちらが立たずという様な伏線と言うには曖昧な「怪しい」脚色が盛り込まれたまるで人を喰ったような「解けないミステリー」が残ったままのモヤモヤした幕切れをする作品は全ての伏線が一本の線で繋がり謎が解き明かされるカタルシスにミステリーの醍醐味を感じる映画ファンにとっては受け入れがたい造りでありこのあたりに本作がノーラン作品でありながら地味な評価に繋がった理由があるように感じられました。一方で、この様な「怪しい」伏線を張った真意はまるで超能力の様にも、単純な仕掛けがある様にも幾重にも取れる何が本当で何が嘘なのか観ていて混乱する全く種が分からない「マジック」を観た後の外連味ある人を喰った様な後味を再現するという映画をひとつのマジックの演目に見立てた演出上の狙いからかと、思われるものがありました。或いは、娘と共に新たな人生を送る悦びを噛みしめながら笑顔で去って行くラストのボーデンを印象付ける為何かに取り憑かれた様にマジックに没頭してきたこれまでの人生との訣別を意味する様に「種の分からないマジック」の様な深い闇の中にあった人生を象徴する「仕事部屋」を新たな人生の旅立ちを意味する様に立ち去る事で明るい未来が待っている事を印象付ける為に解けないミステリーを残して行く様に映画を終わらせたという製作者の意図があったのかもしれません☆▲目次へ▲6. どちらが本物でどちらが複製かアンジャーはラストで今の自分は本物なのか複製なのかと ボーデンに問いかけましたが「非道を重ねてもはや人間では無くなった」という脚色上の比喩とは別にテスラの装置で複製された方は転送された方なのか、その場に残った方なのかそして、オリジナルはどちらなのかという疑問が残りますこれに付いては、黒猫を使った実験の場面で装置の稲妻を浴びている間 威嚇する様に鳴いていた黒猫が装置が停止した途端、嘘の様に静まった事に対して林の中に転送された方は相変わらず威嚇する様に鳴いていた事から転送された方は転送前と同じ動作をしていたという事を理由として転送された方 が オリジナル で残った方 が 複製と 仮定する事が出来ますアンジャーの場合はラストの回想で、転送された自分を銃で撃つ場面があるので「複製」が「オリジナル」を殺した事になりそれ以降のアンジャーは全て「複製人間」だったという事になりますつまり愛する妻を失い喪失感にくれボーデンに固執し続けたオリジナルのアンジャーは既にこの世に無く、奇しくも「複製」の方が、妻の死を乗り越え私念を捨て「複製」の自分を更に複製して水死させ続けながら狂気のイリュージョンを続ける「怪物」と化して行ったという衝撃の結末に言い様のない「深い闇」を感じる所でもありますこれは、演目の為に人も自分も自分の妻さえも犠牲にして来たボーデンと「同類」となりもはや妻の死の責任を責められない程 犠牲を重ね演目の為に演目の数だけ人間を複製しては殺し続ける非道を行い芸に取り憑かれた「魔物」と化したと悟ったアンジャーがオリジナルを撃ち殺した「複製」の方だったというのが実に興味深く、心の底で 自分は実は「複製」の方だと薄々気付いている様な演目で毎回水死しているのは、複製した「コピー」で生き残っているのは自分をコピーし続ける「複製」だと 分かっている様な演目の度、「複製」をコピーした「複製」を生み・・・水死しているのはどうせ自分の「コピー」なんだと納得し、100回も「複製」に「複製」を重ねてそれを水死させ続けて存在している自分はもはや「人」だと言えるのかどうか、定かでは無くだから、100回もの回数の水死体を出す狂気の演目を続けても平気でいられた様な映画から、そんな匂いを感じさせるものがある所からも故に、自分は何者で、何者でもない何も無い「空」だと ラストでボーデンに指摘される様な、自殺願望に駆られた自分を演目で何度も水死させ「複製」の自分がそれを外から眺めるかの狂気のイリュージョンを続けて「コピー」を重ねた書類や「ダビング」を重ねたアナログビデオがどんどん鮮明さを失って行く様に「複製」を続けて行く度 人としての何かを失い、狂気のイリュージョンを100回も続けられる程に人の姿をした「怪物」と化した所から全てが終わった後は、ジェスから父親を奪った事への罪滅ぼしの意味の他に人としての何かを失ない「空」となった自分が人の子供を育てる事を通して少しでも「空」を埋めて癒やされようと思いボーデンの娘ジェスを引き取って養女にして育てようとしたのかもしれませんラストでボーデンがアンジャーを射殺するのも(青鬼) の仇を取ったとも、哀れな100体のアンジャー達の手向けとも取ることができますがオリジナルのアンジャーは目の前の複製されたアンジャーに殺されてすでにこの世に無い事を知っているボーデンが自分は本物では無く狂気のマジックで生み出された副産物のコピーに次ぐコピーに過ぎない・・・と分かっている目の前のアンジャーの意を汲むかのように射殺して葬り去り全てを終わらせたという事なのかも しれません・・・(※いきなりリンク先から飛んで来て 赤鬼 青鬼 の意味が分からない という方は▼▼▼コチラ▼▼▼3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみるをお読み下さいw)■一方、ボーデンも複製だったと仮定すると転送された (赤鬼) の方がオリジナル のボーデンとなりそれを踏まえて振り返ってみますと或いは脱走できたかも知れない状況で(青鬼) が刑に甘んじたのも(赤鬼) への謝罪の念の他にどこかの時点で自分は複製だと気付き赤鬼 がこれまで通り ボーデン として生きて行ける様自分 は消える事を望んだという風に捉える事が出来ます又(赤鬼) と (青鬼) の 性格の差が生まれたのも特に、双子となった理由を唯一知る 赤鬼 の方がこれまで 自分 が取ってきた行動を 青鬼 を通して見続けてきて過激で挑戦的だったこれまでの自分を改め一歩引いて外から眺める「視点」を生み出したかどうかの違いからだと分かりますそして、ラストでボーデンが娘と共に第二の人生を歩むハッピーエンドを迎える事が出来たのもアンジャーとの悪縁が切れたからという事では無く己自身を見つめ改め自分自身を変えて来た事によるものという 本当の理由も見えてきます。■本作は数多くの布石と伏線が巧妙に張られたダークで凄惨なサスペンスミステリー系作品として語られる作品ですが舞台となった19世紀の世の中においても常識もルールも常に変化し混沌とした現代社会においても「人は変わる事が出来る」という誰もが理解できる ごくごく当たり前な人の生き方の道理を説いたヒューマニズムを描いた所に真のテーマがある作品なのではと思うのでした☆
2017年04月02日
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屋久島の森 (画像参照:Wikimedia)日本生まれの音楽ジャンルProgressive Rockプログレッシブ・ロックを聴いてみましょう!【初級編】第7回 『日本のプログレ』Ver.2.0■お久しぶりですVoyager6434です☆さて、数カ月ぶりの更新となりました今回は又々楽天ブログ最大級となる、本文で7万文字、画像、アフィリエイトを加えて9万文字もの文章を駆使し約8年(!)前の 2012年12月12日に更新した『プログレッシブ・ロック』特集【初級編】第7回の大幅な改定と増量した文章によりwほぼ新作となったヴァージョンアップ版をお送りします。なぜ、今この記事なのか? というのは、特に理由はなくW平素からアクセスの多い過去記事のリンク切れを修正し読み返すのも苦痛な拙い文章を人知れず修正し更新し続ける中で、こんな時代に「おうち時間」を使って修正している内に当時のサクッと書いてパパッと上げていた頃のお手頃仕様の更新が現在の大量文章を嫌がらせの様にお見舞いする出版仕様で執筆してしまい特に「美狂乱」のパートが、楽曲の紹介というよりも「美狂乱」を通して見た、「音楽と地域の関係性に於ける表現としてのロックのあり方」というお茶を飲みながらせんべいをサクッと食べようとして北京ダックが出てきたかの読んでいて吐きそうになる大量の文字数を駆使した評論まがいの文章となりそれ以前に、INTROパートの「ブルース」の説明が本記事の約半分を有する大量文章となり、果たしてメインの記事に辿り着けるのかという近所の無料スポットのイルミネーションを眺めながら今年をしめやかに振り返るつもりがペルーのウルバンバ渓谷に沿った山の尾根にあり世界一の標高チチカカ湖を見下ろす空中都市の異名を持つ世界遺産「マチュピチュ」で15世紀のインカ帝国の繁栄と衰退に壮大な思いを馳せる事になる様なmailで商談する情報をTwitterで収集してるとInstagramに上げた写真がLINEで炎上してTikTokがカオスになるこんな時代だからおうち時間を使って観たAmaz◯n Primeビデオで今頃「逃げ恥」のダンスにハマる様なライザップでコミットしてサンバするマツケンの筋力に人生100年時代を見る様な時代に逆行(テネット)するブログの大量文章に疲弊するある種の達成感に浸る日常が健全に見えてくる様な一生聴き続けたいマニアにとっては「永遠に鑑賞するまでがテーマ」となる一生聴く事のない一般人にとっては「鑑賞するまでが永遠のテーマ」となるそんなプログレッシブ・ロックを紹介する今回はプログレカテゴリー発祥の地「日本」のプログレ に再度スポットを当ててみようと思いますそれではスタート☆-----------------------------------------------------------------------------------■ もくじ ■- INTRO 前枠解説 -■「形から入る」形で認知された日本のロック■1.「不良の代名詞だったROCK」2.「オーセンティックでは無い日本独自のビジュアル系ROCK」3.「ブルースの影響と欧米音楽の変移」4.「ブルース黎明期の多様性と統合への近代化」5.「ブルースが停滞した大恐慌」6.「エレキ時代に埋もれゆくブルース」7.「逆輸入で再評価されるブルース」8.「社会に影響を与えるブルース」9.「原点回帰を促すブルース」10.「ブルース体験と正統派ROCKとの関係」11.「日本に上陸したブルースと定着しなかった要因」12.「日本のROCKの特異な発展とその脆弱性」13.「サブカル化するROCKと見限られる邦楽界」- 楽曲解説 -M1(1984)NOVELA『調べの森』M2(1985)難波弘之『ブルジョワジーの密かな愉しみ』M3(1982) 美狂乱『二重人格』1.「レコード会社の事情に振り回された当時のバンド事情」2.「音楽的個性の根付きと偏狭性との関連」3.「地方型音楽を形成する音楽的地盤」M4(1974) 四人囃子『おまつり』M5(1986) PRISM『TAKE OFF』M6(1982) 高崎晃『逃亡 ~STEAL AWAY~』M7(1983) TAO『Hello Vifam』- OUTORO 後枠解説 -■新世代音楽の個人化とコラボとの関連性■1.「バンド形態が廃れた欧米事情」2.「誰も語らない、Tic Toc以外の『香水』のヒットの背景」■楽天市場■▲目次へ▲------------------------------------------------------------------------------------ INTRO - ■「形から入る」形で認知された日本のロック■-----------------------------------------------------------------------------------The Spiders (画像参照: wikimedia)それでは まず、「日本のロック」に付いていつもの偏狭な視点で、時にはお得意の「妄想」を交えて少しばかり紐解いてみたいと思いますロック黎明期の60年代の日本はカントリー&ウェスタン、JAZZなどが開いた洋楽の扉をその後ロカビリーブームを経由した「ベンチャーズ」人気がGSブームへと押し広げる中にありましたが、これらの音楽はライターが楽曲を書き歌手が唄う「洋楽ポップ」の様式をベースとした「芸能人」による音楽中心の時代でした。それが64年のビートルズの登場によりシンガー・ソングライターによるオリジナルの音楽に世の中の興味が移行するとブリティッシュ・インヴェンション(英国音楽の侵攻)の波が米国にまでとどろきビーチボーイズの様なサーフミュージックバンドが刺激を受けて変貌し「ペット・サウンズ」の様なコンセプト作品をリリースするまでに影響を与えたのに対して日本でも米国同様にビートルズに刺激を受けながらも、GSが歌謡曲化した時期の日本の歌謡界で「ロック・ミュージック」にオリジナル性をもたせるという様な世間の期待に応えるだけの楽曲を輩出する音楽的基盤は無くGSブームも終焉して行きます。という訳で今回は、音楽的基盤の無い日本のロックという話を中心に如何にブルースがロックの基盤となり得たのか、ブルースの歴史と共に、日本のロックの今の姿をお話しして行きます。曲紹介を挟んだ後後半では、今やボーダーレスとなった音楽業界で流行りつつあるものと廃れつつあるもの更には、誰も語らない「香水」のヒットとネット新世代との関係を紐解いて行きたいと思います。さてやがてこの期待は「フォーク・ブーム」の方にスライドして行くのですが60年代後期にはこの「フォーク・ミュージック」を一つの切り口として68年に 加藤和彦率いるフォーク・クルセダーズが放った『帰ってきた酔っぱらい』の様なフォークの造りで「楽曲の存在」に「ロック」を感じる作品が登場する事でようやく日本の音楽に「ロック」の精神が根付き始めて行きます。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------1.「不良の代名詞だったROCK」-----------------------------------------------------------------------------------Kanda Quartier latin1968/06/21 (画像参照: wikimedia)折しも「ベトナム戦争」反対運動を通して、「学生運動」が再び盛んになってきた時期でもあり「ロック」と言えば激しいサウンドというイメージからその様な運動に熱狂する若者達が共鳴するカルチャーとして怒れる若者達が好む音楽が「ロック・ミュージック」という形で世間一般の知る所になって行きますしかし学園闘争が過激さを増し、暴力や死傷事件へと発展するとこれまでこれらの運動に共感してきた世論からの求心力を失いそれと同時に「ロック」も、「ロックは反抗」「ロックは暴力」「ロックは不良」という反社会的イメージが定着する様になり70年代に登場したハードロックも ヘビメタも プログレも音楽ジャンルとして一般的に 認知されない一部の愛好者が聴く マニアックなものとなり欧米に比べてロックが定着しづらい土壌が作られます。当時の日本のミュージシャンの中でもロック支持派のミュージシャン達は、ロックが定着しない当時の音楽業界で創作意欲の表現先を求めてネットはおろか Youtubeも無かった時代に何とか国内にロックを発信する為に、楽曲を聴きやすく妥協した形に変えてリリースするか歌謡曲に許容範囲内でハードなアレンジを施すか様々な要素が渾然一体となった流行歌の素材の一部とするか、或いは、ハナから売れない事を承知で本格ロックを演り、食べる為の職は他に持つか「ロック」はその様に「異端」なもの扱いを受けながらそれを甘受する中で作られて行きます結果、そうしたロック的な音楽によって徐々に「ロック」が浸透し受け入れられる土壌が作られて行くのでした。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------2.「オーセンティックでは無い日本独自のビジュアル系ROCK」-----------------------------------------------------------------------------------BOØWY 1984 (画像参照: wikimedia)80年代に入りますと BOØWY のブレイクもありロックは徐々に一般層の認識に至るまでになりますが音楽性よりも「ファッション性」の方が大きな話題として取り上げられX JAPAN の登場後の「J-Pop」全盛期に入りますと日本独自のサブカルチャー文化を背景とした「ビジュアル系」と呼ばれるスタイルのバンドが多数登場しいわゆる見た目から入る形で日本のロック黄金期の到来となり欧米には無い独自のビジュアルとサウンドは「異なる肌触り」がするエキセントリックで魅力的な音楽として欧米からも注目される様になりいきなりジャンルとしての到達点に達します。一方で、この「ビジュアル系」ロックは欧米の音楽シーンでのムーブメントで、70年代後半にチャートを賑わせた「商業ロック」に対する反発として「ブルース」から派生した 正統派なロック への回帰を目指して登場した「オルタナティブ」などのジャンルとは異なり「ブルースから派生した正統派ロックに影響を受けたバンド」を輸入盤で聴いて影響を受けるという、コピーしたものをファックスして受け取る様な形で「ロック」に触れた日本のロックの歴史が投影された様な、「ロック」から「ブルース」が・・・では無く「ロック」から「ブルース体験」が 抜け落ちたオーセンティック(正統派) なものとは言えないものでもありました。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------3.「ブルースの影響と欧米音楽の変移」-----------------------------------------------------------------------------------Eric Clapton & Roger Waters (画像参照: wikimedia)「ブルース」では無く、なぜ「ブルース体験」が抜け落ちると「正統派」とは言えなくなるのか・・・を語る前にここで「ブルース」の歴史を少しばかり紐解いてみたいと思いますw「ブルース」はエリック・クラプトンなどのブルースギタリストが中心となって演奏するバンドで演奏するスタイルが有名ですが、元はアフリカが起源の、17世紀から19世紀中期にかけての時代に農業が盛んな米国南部地区で、大規模農園での奴隷として従属を強いられ奴隷解放後も人種差別などの迫害を受けてきた黒人達の為す術も無く苦境に立たされて来た受難をベースにした憂鬱でふさぎ込んだ気持ちを歌にして癒やしとする「黒人霊歌」「労働歌」などが発展した、ギター1本で弾き語る黒人のローカルな伝承音楽で地方によって異なるスタイルで発展したものや時代と供に変化したもの現在のバンドスタイルとなったものなど、これら全てを含めた総称を「ブルース」と呼んでいます。ブルースの音楽的な特徴は西洋音楽の音階から外れた「ブルーノート」と呼ばれる音階を加えた5音階の「ブルーノートスケール」で構成される「ブルース形式」と呼ばれる独特の反復されるコード進行と「シャッフル」と呼ばれる跳ねるリズムに乗せた独特の節回しのフレーズで構成された演奏に、奴隷解放が成立した後も準奴隷システム「黒人取締法」「ジム・クロウ法」などの悪政が続いた当時の米国南部で暮らす黒人達の、いわれのない罪で投獄された監獄で過ごす理不尽さや作物の被害を受けた自然災害に遭う成すすべもない苦難や「♪俺はお前の奴隷さ」の様に男女の関係を「奴隷」の立場に置き換えて迫害への抗議の念を唱える、二面性の意味を持たせたものなど、白人と黒人を平等に扱わず階層社会の底辺に封じ込め様とする当時の米国社会への反発を原動力とした「ブルース」ならではの表現を使った自傷的な歌詞に乗せてレイドバックした雰囲気で唄うのが様式で、ミシシッピ・デルタ地帯で発生したアコースティックギターの伴奏で唄う「デルタブルース」やシカゴで流行したピアノの伴奏で唄う「ブギウギ」形式のものなど、地方によって様々なスタイルを持った多様なものが知られています。この様な、黒人のローカル音楽の「ブルース」が普及したのは米国の場合は、50年代以前メインストリームのラジオから流れる事すら無かったブルースがその後「アフリカ系アメリカ人公民権運動」をきっかけに50年代中盤以降からチャック・ベリーなどの黒人スターのブレイクを通して根付いて行き、英国の場合は、第2次世界大戦中 英国に駐屯した米軍兵からブルースが渡りやはり50年代からブルースが根付いて行ったという歴史があります。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------4.「ブルース黎明期の多様性と統合への近代化」-----------------------------------------------------------------------------------W. C. Handy - The "St. Louis Blues" - First page (画像参照: wikimedia)さて、「ブルース」の歴史ですが、いつ、どこで、誰が、どうやって、ブルースを誕生させたのかは定かでは無いそうですが1900年代初頭、「ブルースの父」と呼ばれるW・C・ハンディという人が米国南部を旅して耳にした地元に根付いた音楽を譜面(シート・ミュージック)にして広めたものが「ブルース」の始まりと言われております。そうして広まった「ブルース」が南部各地で根付いて行き米国南部のミシシッピ州デルタ地帯やテネシー州メンフィスなどで発生したギター弾き語り哀歌が1920年代以降、チャーリー・パットンやロバート・ジョンソンの登場で黒人の間で人気の高いジャンルとなり「デルタ・ブルース」として世に広まったとされてます。加えて、「ミシシッピ・デルタ・ブルース」「メンフィス・ブルース」「ジョージア・ブルース」「テキサス・ブルース」の様な地域によって違うスタイルのブルースもレコードの普及によって地域を越えて広く知られて行く様になりレコードを通して各地のミュージシャン達も異なるスタイルのブルースに影響を受ける様になって行きます。又、大都市では、レコード普及より前から先行する形で、様々な地方から都市へと集まって来た各地のブルースミュージシャン同士がお互いのスタイルに影響を受け合いギター、ピアノなどの異なる楽器、スタイルのコラボが流行した「シティー・ブルース」と呼ばれるムーブメントが発生しシカゴの様な都市で徐々にブルースが、洗練されたものになって行きます。一方で、南部での迫害を逃れて北部へ移住しそれぞれの地域で活躍するブルースミュージシャン達がこぞって都市へと進出したり、レコードを通したりして異なる地域のブルースに影響を受ける事でそれまで地域ごとに異なるスタイルとして存在していた地域性が失われて行き様々なスタイルが混在した地域性に於いて多様性の無いものになって行きます。それと引き換えに「ブルース」は全国のミュージシャン同士の切磋琢磨によってより洗練されたものへ進化する事になったと言えます。やがて「ブルース」が全国的に知られて行く様になりますと、人の心の闇を赤裸々に語る内容や歌詞の中に良く出てくる「呪い」のワードなどブルース特有の表現に反応して敬虔なキリスト教徒などの中で嫌悪感を抱く人々が現れたり元説教師のブルースマン、サン・ハウスの様に宗教とブルースの間で葛藤しながら活動を続ける者が現れる事でブルースは「悪魔の音楽」や「スピチュアル」といった神秘性を帯びたものとして語られる様になります。これは、当時の米国内でブルースへの関心が高くなった風潮に対し白人社会に黒人が進出する事を憂慮する白人達が偏見故に歪んた形で拡めた現れとも言えるものがありますが、1929年10月に発生した「大恐慌」によりレコード業界が大打撃を受けブルースは30年代の前半に停滞の憂き目を見ます。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------5.「ブルースが停滞した大恐慌」-----------------------------------------------------------------------------------Crowd gathering on Wall Street after the 1929 crash (画像参照: wikimedia)・・・ちなみに「大恐慌」の原因は ざっくり言いますと第一次世界大戦中の戦争景気で大きな利益を上げた1920年代の米国は大都市にはビルが立ち、自動車が普及し、大量消費時代に入り世はバブル経済景気にありました。そんな当時の米国の企業も消費者も世の中の好景気に熱病の様に浮かれて、消費者側は、散財はステイタスとばかりに、消費に明け暮れて、企業側は、巨大な利益は巨大な投資とばかりに、過剰な設備投資と過剰な生産をし続けていました。やがて消費と供給の均衡は崩れて供給が消費を上回ると世の中に物が溢れて売れ残り、結果、物価が急激に下がり始めます。折しも企業への投資がブームだった事もありこれまで企業へ過剰に投資して来た投資家達は世の中がデフレ傾向にある事に過剰に反応し、投資が回収出来なくなる危機感から一斉に企業株を手放した事により株価が暴落し恐慌を引き起こしたと 言われていますが、元々この時代の好景気は、かつて大農園や工業の企業主が多くの黒人労働者達を奴隷同然の低賃金で雇った事による、黒人側から見れば、白人達によって搾取された理不尽な利益によって支えられた経済でもたらされたものでありその経済がバブル景気にほだされる様に高コスト化に陥って社会に還元出来ない程の高価格商品で溢れてしまった事による実物資産の収益率が低下した事で引き起こされた価格低下による結果であるので当時の理不尽なシステムの中で米国経済を支えた黒人労働者達の、働けども報われないこの様な資本主義的理不尽さも、ブルースの原動力の一つとなった訳です。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------6.「エレキ時代に埋もれゆくブルース」-----------------------------------------------------------------------------------Gibson L-5 (1928), Maybelle Carter, CMHF (画像参照: wikimedia)さて、時代は「エレキ」の時代に入りまして・・・・・・所で、ここまで読んでくださった方の中で、「ブルースへの脱線が過ぎるのでは?」と思ってる方がおられると思いますが、これがこの先ちゃんと「プログレ」に繋がって行きますのでwなのでここでブルースとロックの関係をある程度掘り下げておかないと理解に繋がらない という事でどうかもう暫くお付き合い頂ければと思いますwww・・・・・・ともあれw、1930年に登場したエレキギターによりギタリストはバンドや楽団の中でも埋もれない大音量を獲得しそれまで楽団の主役だったサックスやトランペットなどの管楽器と並びギターはソロ楽器として楽団の前面に出る様になります40年代に入りますと、第二次大戦後米国北部のシカゴやデトロイトで南部の「ブルース」をバンド形式へ発展させてエレキギターを導入した「シカゴブルース」が登場しマディ・ウォーターズ などのスタープレイヤーを輩出して行きます同時期に、北部、西部、東部で「ブルース」「ブギウギ」から発展し「ゴスペル」「JAZZ」を加えた都市型ブルース「R&B (リズム&ブルース)」が誕生し、これらのムーブメントが南部のクラシック・スタイルなブルースマン達にも影響を与えて行きます。エレキギターの登場は「JAZZ」や「ブルース」でのギタリストの役割を前面に押し出したばかりでは無く、新たなサウンドを求める動きにも好都合のアイテムとなりました。50年代には「R&B」に「カントリー」と「ブルース」を加えてエレキギターで演奏する「ロック&ロール」が誕生し、チャック・ベリー などの黒人のロックスターを生み10代の若者の間で人気を博す一方で、南部メンフィスでは「ロック&ロール」に先行する形で「ブルース」「カントリー」にアイリッシュの伝承音楽「ブルーグラス」などが加わった「ロカビリー」のムーブメントが発生し「ロックンロールの誕生」と呼ばれる『ロック・アラウンド・ザ・クロック』のビル·ヘイリーや歴史的大スター エルビス・プレスリー が登場し「ロック&ロール」人気を牽引して行きますが先程のチャック・ベリーを始めとした黒人のブルースベースのものを「ロック&ロール」プレスリーを中心とした白人のカントリーベースのものを「ロカビリー」とジャンル分けしながらもこれらは多義的に「ロック&ロール」と呼ばれ供に人気を博しながら次々と大ヒット曲を飛ばし、音楽界が活気づいて行きます。一方「ブルース」は、ロックンロール人気に押されながらも50年代に入りますとバディ・ガイなどの新鋭ギタリストがこれまで伴奏楽器だったギターをリード楽器として使う「ウェスト・サイド・サウンド」と呼ばれた、現在もバンドでブルース演奏をする際に良く聴かれるスタイルを確立させますが結局ロックンロール人気に潰される形で「ブルース」のムーブメントは活気を失って行き、1950年代半ばから黒人の権利と平等を求める「公民権運動」が盛んになりその動きに呼応した様に生まれた「ソウルミュージック」が流行り始めた頃には、厳しい差別のある南部を離れ北部へと移住した黒人達が生み出し「奴隷」だった時代の故郷でもある南部への想いを乗せた「ブルース」は記憶から消去してしまいたい屈辱に満ちた歴史を象徴するものとして米国内で自由と権利を主張する新たな時代を切り開いて行こうとする黒人達にとって過去の亡霊とも言うべき忌み嫌われるものとなって行きます。しかし、チャック・ベリーがインスピレーションの源と語るマディ・ウォーターズのブルースに影響を受けて音楽を始めた様に「R&B」に「ゴスペル」的要素を拡大させて、強力なリズムに乗せ人種問題を定義し解決の道を叫ぶメッセージ性の強い「ソウルミュージック」にしてもこれらの音楽を育んだのは「ブルース」の力があっての事でした。■ブルースが忘れられた音楽となった60年代初頭、ブルースマン達は海を渡って英国に上陸しマーティン・スコセッシ監督がプロデュースした2003年のドキュメンタリー『レッド、ホワイト&ブルース』でも描かれた1962年に行われた『アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティヴァル』に出演した事でブルースに転機が訪れます。この時、生のブルースに触れた英国や欧州の若者達が衝撃を受けそれがブルースのブームとなって英国や欧州へと拡がって行きそれが、折しも英国での新しいサウンドを求める動きにも合致した事でロックサウンドでブルースを演奏する「ブルース・ロック」が誕生しフリートウッド・マック、ローリング・ストーンズなどのブルースに影響を受けた多くのバンドを生み出します▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------7.「逆輸入で再評価されるブルース」-----------------------------------------------------------------------------------Fender Precision Basses / Fender Jaz Bass (画像参照: wikimedia)・・・ここで「ロック」に付いて少しだけ説明しますとw「ロック」は「ロックンロール」「ブルース」「カントリー」などから派生したジャンルですがラブソ・ング主体の歌を唄う「ロックンロール」「ロカビリー」や愛国心や故郷への想いを唄う「カントリー」とは異なり「激しい男女関係」「体制への反抗」「社会問題への憤り」など多義に渡るテーマを扱う所に大きな特徴がある非常に幅広いジャンルと言えますが最も大きな音楽的特徴としてはベースパートにアコースティック・ベース(ウッドベース)を使用していた「ロックンロール」「ロカビリー」「カントリー」の編成に対し、ベースには「エレキ・ベース」を導入してエフェクター、アンプ機材で楽器音を歪ませたエレキ・ギターに乗せたラウドなサウンドで演奏する3ピースバンドを主体とした編成に大きな違いがあると言えます。さて、ブルースに影響を受けた英国の音楽界が60年代中期辺りから ビートルズ の登場を皮切りに「ブリティッシュインヴェンション」と呼ばれる英国ロックの新たな潮流を世界に拡げて行く中で、今度は米国で、ビートルズ、ローリング・ストーンズの渡米をきっかけにこれら英国の音楽が実は米国で忘れられた「ブルース」に影響を受けて生まれたものだという事を英国人によって逆輸入の様な形で知らされますそれによって「ブルース」再評価の動きが全米に広がって行く事になります。これにより「三大キング」と呼ばれたB・B・キング、アルバート・キング、フレディ・キングを筆頭としたブルースの名手達が新たなマーケットとなった「ロック」のカテゴリー中で再びスポットを浴びる事になるのでした。忘れられた名手達にスポットが当てられる中で「ブリティッシュ・インヴェンション」の余波は米国の音楽界の図式を書き換え作詞家作曲家が書いた楽曲を歌手が唄う「芸能」から自作の楽曲を自ら唄い演奏する「創作」が主流となるアーティストが活躍する流れを生み出します。その様な波の中、ブルースに強い影響を受けエレキギターで短いパターンを繰り返す「リフ」を核としたヘビーサウンドを確立しこれまでのギターミュージックを覆すプレイで多くのミュージシャンに影響を与えたロック・ミュージックのパイオニアジミ・ヘンドリクス の登場と共に新たなサウンドを支えるエフェクター類、音楽器機の発展に加速がかかり、新しいサウンドを求める動きが活性化し60年代末にはレッド・ツェッペリン、ディープ・パープル を始めとする歪んだ巨大なギター音をフィーチャーしR&Bをフォークミュージックの文脈とラウドなロックの形態で演奏する「ハード・ロック」が登場します加えて、シンセサイザー、メロトロンなどの最新楽器を使用し「ロック」に「JAZZ」「クラシック」などの音楽様式を掛け合わせた実験的サウンドと文学的理念をエモーショナルに表現する高度で先進的な音楽を演奏する「プログレッシヴ・ロック」も同時期に登場し、ピンク・フロイドやキング・クリムゾン、ジェネシス、イエス、EL&Pなどのプロクレッシヴ・ロックを代表するバンドが次々と誕生して行きます。ここでようやくプログレが出て来ましたが、これがオチではありませんので、もう暫くお読み下さいw▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------8.「社会に影響を与えるブルース」-----------------------------------------------------------------------------------この様にロック時代を牽引した「ブルース」がある一方で、レイ・チャールズ、サム・クック、ジェイムズ・ブラウンアリサ・フランクリンを生み出した「ソウルミュージック」は「ブルース」から発展したR&Bが生み出したジャンルで白人社会にブラックミュージックの存在を認めさせた音楽でもありました70年代に入りますと「ニュー・ソウル・ムーヴメント」と呼ばれるソウルミュージックよりも更に社会問題へ言及する形でジャズやフォーク、民族音楽などの異なる要素の音楽を加え化学反応させた複雑で高度な音楽性を内包した楽曲を輩出する新世代ブラックミュージックが誕生しマーヴィン・ゲイ、スティーヴィ・ワンダー、カーティス・メイフィールド、ロバータ・フラック、ダニー・ハサウェイなどのアーティストの登場でブラックミュージックは全米音楽チャートを賑わせるメインストリームの音楽として米国の音楽界で揺るぎない地位を獲得する事になります。続いて、70年代中期から後期にかけてファンク、ソウルミュージックをベースに強力なダンスビートが加わった「ディスコミュージック」が一斉を風靡しスウェーデンのPOPグループ ABBA のブレイクや元はソフトロックデュオグループだった ビージーズ がディスコティックサウンドへ大胆な変身を遂げ音楽を担当したジョン・トラボルタ主演1977年の映画『サタデーナイトフィーバー』の大ヒットなどのきっかけで一大ブームが巻き起こります。ブルース界でもエリック・クラプトン、ジョニー・ウィンターなどの白人ブルースマンの登場など、ブラックミュージック界での白人ミュージシャンの進出が目立つ様になって行きます。これらは先程も出てきた「公民権運動」に呼応した動きと言えますがこれは当時の米国白人社会の中で黒人が地位を獲得した事を意味するだけでは無く白人社会の中に黒人が生み出した音楽が根付いた事を象徴する動きだと思われます・・・・・・かつて40年代、50年代の米国の音楽界では、黒人ミュージシャンによるR&Bのヒット曲を白人ミュージシャンがリメイクし黒人ミュージシャンのヒットを上書きする様なヒットを遂げて大ヒットした事実を白人のものへとスライドさせる、音楽界での黒人の台頭を許さないとばかりにあからさまなまでに功績を横取りしてきたという歴史がありました。現在でも人種問題で全米が分断される中、日本では「都会風」と訳される「アーバン」という言葉が白人音楽界の「ポップ」の対極にある差別的な言葉であるという問題が浮上しポリティカル・コレクトネスの見地から使用の是非が問われ米グラミー賞では「アーバン・コンテンポラリー」という名称を「プログレッシブR&B」に変更しようという名称問題が音楽ファンの間でも取り沙汰されましたが名称問題の是非はともかくとしてこの騒動の要は、現代の米国音楽界に人種問題のメスが入った所にあるのでは無く黒人アーティストの功績を軽視する傾向が40年代、50年代はおろか、80年経った現在に於いても未だ米国の音楽界に 根強く残っていた事を浮き彫りにした点にあると言えます・・・▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------9.「原点回帰を促すブルース」-----------------------------------------------------------------------------------80年代に入りますと、音楽器機がアナログからデジタルへ移行しアース・ウィンド&ファイアー の様なファンク・ソウル・バンドやアレサ・フランクリン、ティナ・ターナー などの大物ソウルシンガーがアナログ時代には存在しなかったクリアで綺羅びやかでゴージャスなデジタルシンセサウンドをバックにスタイリッシュなコンテンポラリー・ミュージックを唄うアーティストへとこぞって変貌を遂げ音楽配信TVサービス「MTV」人気やハリウッド作品の主題歌起用ラッシュによって景気低迷で停滞していた音楽界は再び活気を取り戻しますしかし90年代に入りますと、経済を立て直す経済再建策レーガノミクス疲れが出たのか「癒やし」を求める風潮が拡がり音楽界で新しいサウンドを求める動きが行き詰まり始めます一方で、媒体がアナログレコードから CDへ移行 した事を期にレコードで揃えた愛聴盤をCDに買い換える「リバイバルブーム」が起こり世の中のその様な動きに呼応する様に派生した「オルタナティブ」ムーブメントに代表される、原点に立ち帰る動きが音楽界の中で広がって行きます。ロック界でも「ヘビーメタル」ブームが収束した反動の様にアンプ機材を使用しない、アコースティック楽器のみで演奏する「アンプラグド」ブームが起こり、その流れから数多くのアーティスト達が自身のルーツとなる「ブルース」へ回帰 する作品をリリースしました。21世紀を迎えますと、インターネットの普及とCDパッケージ販売からダウンロード販売への移行で音楽業界は激変し大手レーベルの資金力と機動力を借りなくてもネットでのダウンロード販売とSNSによる拡散でプロダクションレベルでのリリースが可能となった事で音楽界はそれぞれのアーティスト力を糧とする業界の多様化が加速して行きます。■農業革命ではノーフォーク農法の普及で穀物生産を増大させ経営に資本主義的理念を導入し産業革命後は、手工業に替わる機械への移行とそれに伴う生産技術の革新と、それを支える石炭などのエネルギーの変革を起こし小品種大量消費が社会の主流の世の中となり、音楽業界もそれに倣い大衆が好むとされる音楽を大量消費させるやり方を推進させる資金力と機動力のある大手メジャーレーベル独占体制が続きましたしかし、20世紀の最後に登場したインターネットによる第三の波 情報革命によりかつて黒人を低賃金労働者として隷属させ「ブルース」を過去のものとしてきた歴史を持つ米国は大衆音楽をリリースし続ける大手メジャーレーベル主導の図式を崩壊させ21世紀に入り人種問題で国を分断させ個人の価値観が主導する時代へと変化した事で現在の様な大きな岐路に立たされる事になるのでした。そしてこの様に先の見えない世の中になった時は初心の気持ちで原点に立ち返り自分探しの旅を行ったり原点回帰からの再起を図るなどの行動を取ったりするものなのですが、ジャンルが行き詰まった時、自身の原点に回帰しようとするのは音楽も同様で、ロックアーティストの場合も 自身が影響を受けた音楽の中に全てのロックの源泉となる「ブルース」を見出してそれが、自身の音楽性を見つめ直して起死回生を目指したりあるいは本格的にブルースに取り組んだり新たなジャンルを生み出す「原動力」となったりする訳です。これは、「影響を受けた音楽」の中に「ブルース」を発見する作業、という文字通りの「源泉探求」の作業を指す他に「影響を受けた音楽」を通して自身のDNAの中に「ブルース」を体験していた自分を「発見」するという、元から自分が持っていたものを「再確認」する行動を指し、それにより自身の音楽的基盤が「正統派」なものであると捉える音楽的「指針」を見出す行為を指す事を意味し、これが、ジャンルが行き詰まった時に再起する為にリセットし原点回帰しようとする動きの原動力になるのだと言えます。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------10.「ブルース体験と正統派ROCKとの関係」-----------------------------------------------------------------------------------ここで「ブルース」では無くなぜ「ブルース体験」が抜け落ちると「ROCKの正統派」とは言えなくなるのかという最初の話に戻りますが、「ROCKの正統派」のベースに「ブルースを聴く体験」では無く「ブルース体験」があるのは欧米の人々が生活する中で蓄積されて行く知識、経験に基づいた「体験」の中に、「ブルース」の様に人々の営みから派生して根付いて行った音楽が生活をして行く中で自然と体の一部となる様な音楽体験が含まれているとするなら、同じ様に人々の営みの中から派生した「ROCK」も音楽体験という形でブルースとの繋がりがあるのでその様な音楽的基盤のある音楽から派生した「ROCK」は正統派な音楽だと言う事になります。つまり「ブルース体験」という形で「ROCK」は欧米人の体の一部となっているので「正統派」な「ROCK」のベースには「ブルース体験」があると、いう事になる訳です。それに対して日本の場合は戦後欧米の様に「ブルース」が体の一部となる「ブルース環境」が作られる様な音楽的地盤も機会も無かったので70年代に「ブルース・ブーム」が起こっても数年の短期的なブームで終焉し日本の音楽界にブルースが定着する事はありませんでした。その後、日本のROCKが大きく欧米に遅れを取る事になったのは正統派なブルースが日本の音楽に根付かなかった所に大きな要因があったのではないかと思われます。この「ブルース環境」とは何かという事ですが、コレを日本の音楽に置き換えると理解しやすくなると思います日本人が演歌のこぶしと「和」の手拍子の「間」を理解する事に何の理由も必要なく、DNAの中に演歌と「和」をいつの間にか体験していた自分を発見して音楽的基盤が正統派な邦楽にある事を自覚して「邦楽体験」を理解するのと同様に欧米人がブルースのノリとインテンポのリズムを理解する事に何の理由も必要なく、DNAの中にブルースを体験していた自分を発見して自覚して理解出来るのでその様な社会的な環境の中で音楽的基盤となるものが体の一部となり生活レベルでブルースが根付いた環境が「ブルース環境」という訳です故に日本人はROCKのインテンポ(リズムの裏)を取るのが苦手でブルース特有の歌いまわしが理解出来なくて欧米人は演歌や民謡の手拍子の「間」を取るのが苦手で演歌特有のコブシが理解できないという事になる訳なのでした。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------11.「日本に上陸したブルースと定着しなかった要因」-----------------------------------------------------------------------------------B.B. King (画像参照: wikimedia)さて、日本でブルースがブームになったのは欧米から遅れること10年1971年、B・B・キング初来日公演をきっかけに起こりました加えて1974年に開催されたブルースフェスティバルでB・B・キングを通して生のブルースに触れた当時の日本の音楽ファンやミュージシャンが正統派シカゴブルースを演奏するスリーピー・ジョン・エスティス&ハミー・ニクスンと、ロバート・ジュニア・ロックウッド&ジ・エイシズに衝撃を受け日本でブルースのアルバムのセールスが一気に伸び竹田和夫率いるブルース・クリエイションや憂歌団などのブルースバンドが人気を博す様になりますこのフェスティバルの模様は75年に発売されたライブ・アルバム『ブルース・ライヴ! ロバート・Jr.ロックウッド&ジ・エイシズ』で聴く事が出来ますがこのフェスティバルが翌年75年まで3回開催された後は日本のブルースブームは まるで潮が引く様に収束するのでした。これは、1930年代にロバート・ジョンソンの様な人物が存在していた米国や第2次世界大戦の米軍駐屯で米兵を通して拡がった英国の例の様に「ブルース」が浸透する音楽的地盤が 日本には無かった事や、欧米で「ブルース」が定着した50年代中期は日本では戦後からようやく復興した時期に当たり戦時中洋楽は敵性音楽として鑑賞禁止となり音楽的な鎖国状態が続いた後に戦後進駐軍を通してようやく洋楽体験をするという、欧米の音楽の潮流から大きく外れた事などが要因となりブルースが定着する基盤を作れなかった所に理由があったように思われます。これにより日本の音楽界は世界の潮流から10年遅れて日本にブルースが根付く土壌を作ることが出来ないまま今後もこの差が埋まる事がなかった所に日本のROCKが欧米に対して大きな差が付いた要因となったと言えます。加えて日本では、「ブルース」から派生した「R&B」から「ロックン・ロール」を経由して新しいサウンドを求める機運の中で「ビートルズ」が登場する という欧米が体感した順当な「音楽的体験」をしないまま、戦後入ってきた「白人音楽」で突然洋楽を体験した後に64年に「ビートルズ」を体験してから70年前半の「ブルースブーム」となっているので、欧米の場合「ビートルズ」を聴いた人々がビートルズを通した「ブルース体験」を体感しながら『ブルース、R&B から発展した新しいサウンド』という様にビートルズの「画期性」を理解して行った事に対して、当時の日本の音楽的状況ではビートルズを真の意味で理解できない状況だった事が分かります。それに加えて、例えば・・・欧米の音楽に触れながら洋楽に対しての「音楽的情緒」というものが形成されていく、「民族的成長因子」がというものがあるのだとしたら・・・この時点でビートルズを理解出来なかった事は「世界的音楽の潮流」から10年乗り遅れただけでは無く本来なら60年代前後の時期に「ブルース」を体験してその後にビートルズを体験して一様に衝撃を受けた後に欧米のロックに触れて、「ロック」の中に「ブルース」を発見する「正統派ロック」の因子が定着するというそれらの音楽的情緒が育っていく大事な時期に、「ブルース」を聴いた時に受けるべき衝撃を体験する前にいきなり「ビートルズ」という発展形に触れて日本中が衝撃を受けた事で日本民族から「ブルース」という因子がゴッソリ抜け落ち「ロック」から「ブルース」を感じられない状態が日本では「ロック」のデフォルトとして定着した事になります。後にブルースがブームになってもブルースへの関心が5年と保たなかったのも、「ブルース・クリエイション」の様な本格ブルースバンドが世界の潮流とは異なった日本の音楽界で居場所を模索しながら「ニュー・ミュージック」のムーブメントに押される形で81年に「クリエーション」と改名してサウンドをポップ化しシングル「ロンリー・ハート」で奇しくも自身最大のヒットを飛ばす事になったのも、昭和の歌謡界で「ブルース」と名の付いた楽曲が「ブルース」とはかけ離れたものだったりするのも、そもそも日本のロックが欧米のものとはサウンドも仕様も大きく異なるのも、日本人の音楽的情緒から「ブルース因子」が抜け落ちた所に理由があった様に思われます。■この様に原点回帰出来る様な歴史的音楽基盤の無いまま発展した日本の音楽は廃れたら消えて、新しいものが「根無し草」の状態で生まれて又廃れる、を繰り返す「体力のないジャンル」となり日本の音楽界の「10年の遅れ」はその後も埋まる事無く21世紀を迎える事になります。一方で、「ビートルズ」を体験した後に音楽をマニアックに学問的側面から捉える日本人ならではの「探究心」が昂じてピンク・フロイドやディープ・パープルやブラック・サバスの様などれも「ロック・バンド」ではあってもサウンドも演奏理念も全く異なるこれらのアーティスト達を全て「ROCK」というひとつのジャンルで括りレコード店の同じ棚に置いて販売していた当時の欧米の音楽業界とは異なり、「フォーク・ロック」「ソフト・ロック」「ハード・ロック」などの音楽用語で差別化し、レコード店でも細かくジャンル分けして販売管理する「音楽ジャンルの細分化」が行われる事に繋がりその様な中で後に世界的なカテゴライズとなる「プログレッシブ・ロック」という 日本独自のジャンルを生み出す事にも繋がるのでした☆これはいうなればブルース因子を持った欧米人には体感出来ない「ブルース体験」が無く「ブルースの因子」を持たない日本人だからこそロックミュージックの多様化に気付けたという事であり日本人だからこそ可能となった、ロックミュージックのカテゴライズの中で欧米では「ROCK」と一括りとされたピンク・フロイド、ジェネシス、EL&P、キング・クリムゾンなどがジャンル分けされプログレミュージックとして分離できたと言う事だといえます。という訳で、これでブルースの話がプログレに繋がりましたW▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------12.「日本のROCKの特異な発展とその脆弱性」-----------------------------------------------------------------------------------L'Arc en Ciel (画像参照: wikimedia)・・・さてここで再び80年代「ビジュアル系」の話に話を戻しますが・・・これまで話してきた「ブルース」とロックミュージックの関係から「ブルース」から派生したロックを「正統派」とするとして先程説明した様に日本の音楽界は「ビジュアル系ロック」の様なジャンルが、正統な道筋を通らずに派生した音楽的土壌があり欧米とは異なった特異な発展を遂げた事から日本のロックは近年欧米に注目される様になっても音楽的には「根無し草」に近い派生しても廃れたら消えてしまう体力の無い脆弱なジャンルとなったと語りました。これは思うに、ロックミュージックもポップスも同等に捉える欧米の音楽の評価とは異なりこれまで語ってきた70年代に「ロックは不良」90年代に「ビジュアル系」といった、本来の音楽性とは異なった「見た目から入る」捉え方が一般的な評価のあり方だった所にこの様なブルース体験が抜け落ちた国民性となった一つの大きな要因があったのかもしれません。■日本では、90年代にROCKが音楽ジャンルの一つとして世間に認知されましたが当時のバブル景気も相まって音楽界はこれをひとつのビジネスチャンスと捉え「ロック」でも何でも無い曲をラウドに演奏した「企画物」からロックをネタにした「ネタ物」に至るまで様々な音楽を「ロック」と称して量産しヒットを飛ばし話題となるのですがそれによって音楽市場は玉石混交の飽和状態となって行きます。やがてバブルが弾けると同時に、そうして世に出たバンドの多くは姿を消すか、タレント化して行く中で「ロック」はコアなジャンルとしてインディーズ化したり、ロックとも歌謡曲とも違うノンジャンル音楽へと姿を変えて存続して行きます。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------13.「サブカル化するROCKと見限られる邦楽界」-----------------------------------------------------------------------------------影山ヒロノブ (画像参照: wikimedia)そんな90年代後期、バブル期以前から存在したロックバンドのアーティスト達はバブル景気を経て態度を硬化した日本の音楽界の洗礼を受けながら、音楽界の中で生きる術を模索していた頃日本特有の発展を遂げてきたという点では日本のロック文化と酷似する日本のサブカルチャー文化を代表する「アニメ」文化から派生しすべてのジャンルの音楽を貪欲に吸収してきた「アニソン」が表現の可能性を求めるロックアーティストの受け口となって行きます。元々アニソンは作品の劇伴(BGM)「サウンドトラック」としての性質を持っている事もあり、「ヘビーメタル」の重厚感に「ハードロック」の攻撃性と「プログッシブロック」の先進性物語性などを兼ね備えたロックの楽曲はエモーショナルに作品の世界観を表現する楽曲が求められる「アニソン」との相性も良く日本のロックは新たなマーケットとして登場した「アニソン界」という巨大な渦の中に糾合されて行くことになります。アニメの大ヒットによりブレイクしたロックアーティスト達はアニソン界での成功を受けて今度は封印していた自身のバンドを再結成しアニメの劇伴制作を通して学んだグローバルな視点とクレバーな観点で日本の音楽界にこだわらない音楽活動を開始しロック・ミュージックのメッカとなるドイツでレコーディングをして欧州のロックシーンを見据えた海外での活動を展開して行きますこれは欧米ロックの「ブルース」への回帰とはいささか異なる動きではありますが、こうして日本のロックは日本のサブカルチャー文化を通して音楽活動の原点に立ち返り再びロック・ミュージックに回帰して行くのでした。■日本のロック元年となった60年代後期から数えて約半世紀が過ぎこれまで日本のリスナーや業界は偏狭な見立ての中、果ては「アニソン界」へと流れて行く様になるまで様々な形で「ロック」を冷遇してきましたが21世紀に入り「ネット社会」の誕生で表現場所を選ばない発信が可能となり米国は「POPS」欧州は「Hard ROCK、METAL」日本は「アニソン」といった世界的な「音楽シーンのエリア化」が進み全ての物事がより良い環境を求めて多様化が始まりますが、この様な新たな潮流の中豊かな文化があっても経済の目線でしか物事を捉えず、文化を推し量るフレームワークが成っていない 日本では訪日外国人によるインバウンドブームが過ぎて「観光公害」が叫ばれる事態に陥る事も予期できなかった様な、「会社を立て直す」名目で「技術」を売払い「金」の代わりに会社を「空」にしてしまう様な、「必要ない」という理由で過去の技術が次々と海外(主に中国)に流出させている様な、この様な日本の社会問題同様に日本のロックのこの動きは音楽を文化の一環と捉えて国策として推進してきた欧米諸国とは異なり日本が昔から音楽文化の発展に無関心だった事で、遂に「ロック」の方に見限られた 形で日本から「ロック」が離脱しつつある事を意味し本格的に音楽の「根無し草化」が加速している状況に陥っている証の様にも見えます。その様な形で「柱」となる音楽ジャンルが次々と空洞化し日本と欧米との音楽文化の遅れが「格差」として拡がっている現れとして、演技にもルックスにもそんなに特徴の無い俳優でもある歌手がドラマの最後にダンスする懐かし風の曲がなぜか大ヒットしたりメインストリームから外れた香水の曲がTikTokでバズリ突如話題になったりする予測不能の「異常気象化」がよく見られる様になっております。これは日本の音楽界の多様化が形骸化し将来メインストリーム不在の暗黒の時代 を迎える事になると言っても過言ではない状況にある現れなのかもしれません。・・・その真偽はさておき(※あくまで個人の偏狭な意見の妄想ですW)・・・その様な中でも「ロック」は 表現の場を求めて隙間を縫う様に形を変えながら生存し育って行く地に根の生えた木々の様に力強く、雑草にも勝る生命力で開花する「生きるカルチャー」だと思えるのでした。 それでは、順番に聴いて行きましょう♪▲目次へ▲------------------------------------------------------------------------------------ 楽曲解説 ------------------------------------------------------------------------------------△▼△▼△▼NOVELA - 調べの森 (1984)収録アルバム 『サンクチュアリ(聖域)』Forests in Yakushima (画像参照:Wikimedia)ギターの平山照継率いるプログレッシブロックバンド「NOVELA」のめくるめくダンジョンの世界に足を踏み入れたかのダークファンタジーを思わせるマジカルなナンバーですNOVELAは元祖ビジュアル系バンドとしても多田かおる の漫画 『愛してナイト』 のモデルとなった事としても有名なバンドで当時関西系ロックバンドの実力派『シェラザード』から平山照継(Gr) 五十嵐久勝(Vo) 永川敏郎(Key) 秋田鋭次郎(Dr)『山水館』から 高橋ヨシロウ(Vo/Bs) 山根基嗣(Gt)の2バンドが合体しデビューした選ばれた精鋭によって強化されたスターバンドでもありました。しかしそうなった背景にはプログレ というジャンルに難色を示したレコード会社が話題性をという付加価値を付け足した企画バンド としての結成という実情がありこの様に当事者達が望まない形で新人バンドがデビューするのは当時の音楽業界では珍しくない事でした。■ノヴェラのサウンドは、初期のジェネシスの様な寓話性に溢れた内容をツインギターによるハイレベルな演奏でドラマティックに表現するのが特徴でまだビジュアル系という言葉が無かった時代に少女コミックの主人公たちが画面から飛び出してきた様な美しいルックスのミュージシャン達がそれに相応しい美しく幻想的でドラマティックなロックを演奏する美形バンドとして話題となりイギリスのグラム系バンド GIRL の前座を演っていた時メインのGIRL を見ずに帰る客も居たという伝説を残している程の女性ファンからの支持の高かったバンドでもありました。3枚目のアルバム「PARADISE LOST」ではもうひとりの中心人物でボーカルも担当したベースの高橋ヨシロウの音楽性を全面に押し出した様なハードロック的なアプローチが際立つ内容となりこれまで以上にパワフルな楽曲作りは「ハードプログレ」と称される程の進化を遂げるのですが中心人物が二人いるバンドとしての限界点に達したのかこのアルバムでの成果が結果としてハードロックバンド「ACTION」結成の手応えへと繋がり高橋ヨシロウ(Bs) 山根基嗣(Gt) 秋田鋭次郎(Dr)の脱退劇を生み出す事になります■本曲はそうした山水館組の脱退後新たなメンバーとして 笹井りゅうじ(Bs) 西田竜一(Dr) 招き新体制となったNOVELAの、更なるプログレ色を強めたアルバムからの表題曲的ナンバーでテクニカルでエモーショナルな演奏のNOVELAらしい語り口で富野由悠季監督作『聖戦士ダンバイン』を思わせるジャパニメーションの映像が浮かぶ様なダーク・ファンタジー的な世界へ誘いつつある種の寓話的世界を現代へと投影させる世界観で自己啓発を誘う様な内容になっております。これまで比較的オリジナル色のある楽曲を排出してきたNOVELAが本曲では冒頭のドラムがGENESISの『Wot Gorilla?』そのままだったり別曲では『One For The Vine』を模した導入など「静寂の嵐」時の GENESIS を露骨なまでに模したアプローチが多数聴かれサウンド的には進化というよりはリーダー平山の音楽性が色濃く投影されたマニアックな内容になった様な印象の作品となりましたが元々少女コミックから抜け出した様なビジュアル系バンドという触れ込みの実力派バンドだった事もあってかファンタジーコミックをベースにした印象の現在の「アニソン」を思わせるサウンドに仕上がっている所に、日本特有の「アレンジ文化」の最たる姿が見て取れると共に現在の邦楽界の源流を感じさせるものがありそういう意味においても本作は非常に興味深い作品と言えると思います。▲目次へ▲△▼△▼△▼難波弘之 - ブルジョワジーの秘かな愉しみ (1985)収録アルバム『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』KORG Mono Poly (画像参照:Wikimedia)山下達郎のバックとしても、プログレ好きとしても知られる日本屈指のキーボーディスト難波弘之が、これまで関わってきた日本の歌謡曲、ポップスを自身の解釈でプログレミュージックで昇華させた作品集からの表題曲です。難波弘之は70年代後半からスタジオ・ミュージシャンとして活躍してきた人気キーボーディストでアカデミックで確かな音楽的背景と、クラシックからジャズ、ポップス、歌謡曲まで網羅する幅広い音楽性とキース・エマーソン率いるEL&Pを始めとする欧州ロックに傾倒する音楽的個性を兼ね備えたミュージシャンで山下達郎を始めとする様々なアーティストが絶大な信頼を寄せる事でも有名なミュージシャンです又、SF作家として小説を発表したりタレントとしても番組司会をする多才な人物でもありますソロでは自身のバンド『センス・オブ・ワンダー』での活動を数十年に渡って続けており大きな影響を受けたキース・エマーソン同様の3ピースバンドで今もプログレッシブ・ロックを演奏するこだわり様でセンス・オブ・ワンダーの25周年記念ライブではゲスト出演した山下達郎にムーディー・ブルースの「サテンの夜」を唄わせた程の徹底ぶりを見せ付けデビューから一貫したスタイルで演奏活動をし続ける数少ないミュージシャンの一人と言えます。■本曲はフランスの監督 ルイス・ブニュエル の代表作『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』を題材にしたイメージ曲でドラマティックな変拍子のイントロの後、トレブリーで重いベースサウンドでリフを奏でるインタープレイの無い構築されたアレンジで曲が進行し上流階級の精神的退廃と衰退を非現実的な視点で語る歌詞を難波の個性的な歌唱でリリカルに歌い上げながらハイライトとなるメカニカルで緊張感溢れるソロパートへと流れていくというミュージシャンとしてアレンジャーとしての音楽活動で培われ作家活動を通して身に付けた確かな構成力に支えられた多分に文学的でエモーショナルな楽曲として仕上がっており自身が傾倒するプログレッシブ・ロック・サウンドをベースにフランス象徴派の退廃的で耽美なモチーフを歌謡曲とロックに昇華した80年代中期までの活動に於いて、ある種の到達点に達した聞きやすくドラマティックでスリリングな音楽が堪能できる難波弘之の代表作的楽曲になっております。■本曲の作詞を担当した森雪之丞は、布袋寅泰作品、氷室京介作品などで知られる「ビジュアル系」と呼ばれる日本特有のロック・ミュージック生誕に関わり歌詞のスタイルを確立させた一人として日本ロック史に於いても重要な音楽家と言える人物で本曲では耽美主義的文学が持つ「退廃」さをスタイリッシュな形でロックに昇華させた「ビジュアル系」ロックの原型が伺える小説家でもある難波弘之が作る音楽の文学的側面を支える傑作に仕上がっております。難波弘之によると、森雪之丞が作詞する歌詞はアーティストや音楽プロデューサーが方向性のみを伝えて後は作詞家の作家性にお任せする、ありがちなやり方で作られたものとは違い作曲者やアーティストに楽曲にまつわる様々な事を「イメージ」として語ってもらい時には一見楽曲とは関係のない、脈絡の無い会話の中から必要なイメージをアーティスティックな形で引き出しその様にして受け取った様々な濃密なイメージからインスパイアされたものを再構築して楽曲へと転化させる、エモーショナルなものだと語り言わば、バンドに於いての「セッション」を重ねた末に生み出される様な極めて「音楽的」なものではないかと思います。▲目次へ▲△▼△▼△▼美狂乱 - 二重人格 (1982)収録アルバム『美狂乱』日本のお面 (画像参照:Wikimedia)リーダーでギタリストの 須磨邦彦 率いる「和製キング・クリムゾン」と呼ばれた 超個性派音楽ユニット美狂乱のデビュー・アルバムから東洋的神秘感漂う静寂さと英国ロックの躍動感を併せ持った息苦しい程の緊張感が全編を覆うオープニング・ナンバーです。このバンドは音楽性もそうですが、デビューに纏わる話が変わっており、先程の「NOVELA」のメンバーが、プロミュージシャンとして世に出る為に紆余曲折を経て「混成バンド」としてレコードデビューを果たした事に対してこの時代にプロ・ミュージシャンを目指したセミ、アマ・ミュージシャン達の最たる例を見る様な美狂乱のレコードデビューには「MOVELA」とは全く違った紆余曲折がありました。という訳で、美狂乱の紹介は楽曲に付いてはそこそこに・・・w主にバンドがデビューするにはそのバンドがどれだけ魅力があるのかという点よりもその様なバンドを排出する周囲の音楽環境と音楽的土壌がより重要になってくるという、人気バンドがレコードデビューに至るまでの音楽事情に目を向けてよりディープな見地から作品を捉えてみたいと思います☆▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------1.「レコード会社に振り回された当時のバンド事情」-----------------------------------------------------------------------------------美狂乱のレコードデビューは同レーベル所属で先行デビューしたNOVELAが一定のファンを持ちレコードセールスが順調だった事でクリムゾン・コピー・バンドとして名を馳せた「まどろみ」時代から音楽コンテストで高い評価を受けていた事から鳴り物入りで浮上するのですがこの時 美狂乱はレコーディングのリハーサルまで漕ぎ着けながらメンバーの離脱に遭い、残ったメンバーとでは、音楽で生計を立てるかどうかで悩み当時傾倒していたクリムゾン・フリークを貫きたいリーダー須磨はプロ活動を諦め、最期のメンバーも美狂乱から離脱美狂乱は事実上の解散状態となり、レコーディングは頓挫します。美狂乱はキングレコードのプログレ部門だったNexusレーベルから2枚のアルバムをリリースしていますが、それは唯一のメンバーとなった須磨がレコード担当者からの再打診を受諾し実姉がコーラスで参加した経緯から「トランザム」のチト河内をプロデューサーとして迎え、ドラムとベースは静岡時代の仲間に声を掛け 集めて、ゲストミュージシャンとしてチト河内の紹介で当時芸大の学生だったバイオリニストの 中西俊博 と「HeavyMetalArmy」 のキーボーディスト 中島優貴 の協力を得て解散したバンドのメンバーの一人が身内の力を借りて ソロアルバム を制作した様なレコードリリースでした。美狂乱もそうでしたが、当時のセミ、アマ ミュジシャンが 一様にプロを目指す中でライブバンドとして名を馳せながら、地方から都市進出を目指す途上でメンバー間との方向性の相違による脱退や、疲弊したメンバーのリタイヤなどに遭いながら失意の中で帰郷するというケースは多々有り、バンドブームと呼ばれた80年代後半に活躍した「十二単」や「ハリースキュアリー」の様な人気バンドがCDデビューが無くその後なぜかメンバーのソロアルバムだけがリリースされるという現象が見られたのはレコードデビューが決まり契約した直後に様々な理由でバンドが解散状態となりせっかくの契約を破棄したくない、又は契約不執行にならない様に 残ったメンバーでの代替えリリースとなったというのが主な理由ですがライブで名を馳せながらもプロとしての力量に欠けるバンドや人気の無くなった有名バンドの「解散」を一つの話題としてCD化させる、などの辛辣な理由も含めて、CD全盛のバブル時代には、好景気に日本中が浮かれていた事も相まって次々と立てた企画が直様通り、CD化が決まる様な状況にあり出せば売れる世の中だった事もあり、次から次へとCDが量産され音楽業界は玉石混交の飽和状態と化していました。その様な中でデビューしたバンドの多くはまともな販促も受けられ無いままCDをリリースされライブ活動をする予算もプロモーションも無いまま飼い殺し状態となり在庫のCDを抱えて全国をどさ回りに近いライブ活動を行い手売りでCDを捌いた挙げ句、疲弊したメンバーの相次ぐ脱退に遭い残ったメンバーは身内のミュージシャンやセッション・ミュージシャンで脱退の穴を補填しながら契約分のアルバムをリリースした後は解散しその後スタジオ・ミュージシャンになったり、リタイヤしたりするというのはバブル時代の音楽界では良くある話でした。美狂乱の場合も、レコーディングの為にメンバーを補填して契約分のレコーディングと数回のライブをこなした後は解散しているので表面上は良くあるバンドの顛末だったと言えますが殆どのミュージシャンがたとえ一人になってもアルバムリリースをチャンスと捉えてプロとしてアーティスト活動をして行く橋頭堡としてレコーディングに挑む事に対して、美狂乱の場合は、リーダーの須磨がこれまで積み上げてきた楽曲の披露とクリムゾン研究で費やした実験成果を記録するという個人的理由の目的でレコードリリースを承諾したらしく、音楽で身を立てる事を止めた一介の一般人ギタリストが純粋にアマチュア精神で取り組んだ音楽的成果を披露する為に商業音楽を利用したという、Youtube全盛の現在ならともかくバブル時代以前の厳格な音楽界に於いて、極めて珍しいケースと言えます。結果的に美狂乱の代表作となったこの2枚のアルバムは、リーダー須磨邦彦の個人的嗜好性が反映された「キング・クリムゾン」そのままのサウンドとなりコアなファンの間で話題となりました。80年代初頭は「真似」も再現度が高ければ評価されていた時代で再現は不可能と思われたクリムゾンが美狂乱で再現されたばかりで無く日本の音楽と融合したクリムゾン的な完成度の高いサウンドがより高い評価を得る事に繋がるのですがこれは「ロックギタリスト」を目指した当時のミュージシャン達が一様に判で押した様に「ブルース」に傾倒した後、やがて音楽性の不足感を感じて流行りの「フュージョン」にのめり込む定番の流れに対して、須磨自身はそうした当時の風潮を含めて忌み嫌い定番で人気の演奏を強いられる「プロ」の立場では不可能な、自己の表現の道を「アマ」の立場で見出して「ブルース」を徹底排除し独自の音楽を嗜好した一つの結果だったと言えます。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------2.「音楽的個性の根付きと偏狭性との関連」-----------------------------------------------------------------------------------ロックを演る上で「ブルース」とは言わばロックの基盤に当たる避けては通れない楽式なのですが、チョーキング(弦を指で引っ張り音程を変える奏法) すら否定する須磨のこだわりは尋常では無く60年代後半から殆どのセミ、アマミュージシャンが R&Bに傾倒し「魂」をウリ文句としながら「流行」としての「R&B」に陶酔する状況や70年代後半に「フュージョン」がブームになると日本中がのめり込んだ様を「堕落」に映ったと語る須磨の感性は、一見極端で偏狭なものに映りますが当時のバンド事情は現在の様に、アーティストがサウンドを求める事に何の縛りも、ジャンルにも捕らわれる事無く、何をするにも全てのジャンルにお手本となる名盤、名手が存在し奏法、手法が確立され、求めるままに自由に音楽を追求出来る情報溢れる21世紀の時代とは異なり登場したミュージシャンの作品が後世のジャンルとなり名盤となって行ったロック未開の日本の60年代後半から70年代初頭に至っては、ロックがブルースから派生した音楽である限りロックを志す者がブルースから入るのは当然の流れでありこの後「ハードロック」「プログレ」の様なロックから派生した音楽が登場する以前の世の中で音楽の入り口が皆一律同じになるのは当然で、それが当たり前な事なんだと、誰もが疑問に思わない世の中にありました。又、学生運動が収束する最期の時期と重なっていた事もあり商業音楽に手を染める事は堕落を意味するという一部 極端な風潮が根付いておりフォーク音楽の大御所、吉田拓郎が「結婚しようよ」を大ヒットさせた時フォーク歌手がメジャーな音楽を演ったという理由で世間に媚びた音楽としてコアなフォーク・ミュージック・ファンから怒りを買う様な世相の中にあり音楽を嗜好する事が思想の一部と捉える考えがまだ残っていた時代でもありました。当時は、「ギターはカッティングしか演らない」「ジミヘン以外は音楽じゃない」の様な偏屈な考えを持ったミュージシャンは数多く居ましたが80年代がマニュアル重視の 管理社会 となるのと同時に音楽界でも型にはまった「教則」「理論」「手法」が重視される様になり結果 無個性の時代 と呼ばれる様になって行った事とは逆の理由で、70年代に活躍したミュージシャン達のルール無用の極端な捉え方が音楽を通して影響を受ける際の ある種のフィルターとして機能して楽器音を聴いただけで誰が演奏している事が分かる程の独特の個性を持つ要因となって行ったとも考えられるものがあります。その様な60年代70年代の時期に、情緒が形成される少年期青年期にかけて音楽に触れ続けた事が少なからず須磨少年の独特な感性を決定付けた要因となって行ったのかもしれません。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------3.地方型音楽を形成する音楽的地盤-----------------------------------------------------------------------------------美狂乱のアルバムはリーダー須磨のソロ・アルバムと呼べる個人的嗜好性が収録されたものでしたが同時に、一般人ミュージシャンとなった須磨の音楽活動のベースとなった故郷 静岡の音楽シーンとそこで活躍していたプロ、アマ、含めたミュージシャン達の存在が反映された地方型音楽 という側面を持ったプロジェクトでもあった様に思われます。リーダー須磨は1970年の中学時代、地元静岡県沼津でギタリストとして頭角を表しスタジオ・ミュージシャン時代の「一風堂」土屋昌己の目に留まり、土屋昌巳がプロデュースするバンドのメンバーに抜擢された事をきっかけに静岡県に在住する凄腕ミュージシャン達との長年に渡る交流が始まりギタリストとしての音楽的な基盤が形成されて行きます。美狂乱の2枚のアルバムから感じる、クリムゾンとは違ったある種の懐かしさと突き放した様な疎外感が同居した様な美狂乱特有のサウンドが生まれたのは学生時代からギタリストとして活動して来た須磨が東京とも大阪とも違う、メインストリームから離れた地方特有の情報が偏りがちな音楽環境の中で知り合った才能ある様々な地元ミュージシャン達との交流とジミー・ペイジに傾倒しながらブルース・フィーリングが肌に合わずラテン系ミュージックやワールドミュージックに表現の糸口を求めて模索しロック・ギタリストとしては行き詰まっていた須磨がクリムゾンのギタリスト、ロバート・フリップとの出会いで活路が開かれクリムゾンの研究に明け暮れて来た「まどろみ」時代の1977年に折しも日本中のミュージシャンが夢中になっていたフュージョンブームの台頭でメンバーすら感化された事に失望した体験が背景となりその様に混沌とした静岡の音楽シーンが須磨の感性で切り出した様な所に美狂乱特有のサウンドへと繋がって行ったという印象があります。ある意味「美狂乱」とは 須磨に音楽的刺激を与えてきた静岡のミュージシャン達全てが関わってきた成果の呼称であり美狂乱がメインストリームで流行しているサウンドを嫌いあくまでアマチュア精神に固執するのも70年代当時に於いては、音楽の入り口を自ら狭めている業界の風潮を嫌い、21世紀の現在に於いては、音楽の間口が拡がり過ぎた事から売れる為には考えうる限りの全てを導入し結果中身の無いものを排出する業界の実態に迎合したく無い事に加えて、自ら求める音は可能な限り追求し最後は限られた時間内にどこまで完成度を高められるかで如何に折り合いを付けるのかという プロの世界で結果、商品価値の高いサウンドを輩出するのが「商業音楽」である事に対して、無制限の時間と、自らが求める音をとことん追求出来る環境の中で納得行くまで音作りが出来るのがアマチュア精神であり結果、プロでは出来ない採算度外視の究極のサウンドに到達するのが「嗜好の音楽」と言えるので、一般人ミュージシャン という立場に行き着いた所に大きな理由があると思います。「夢の様な環境」と語る音楽スタジオを自宅に持ち何時間も籠もって音楽に没頭するのは音楽を嗜好する「オタク」的な印象を受けますがその頂点にいるのは山下達郎というハイレベルな世界でもあります。山下達郎が商業音楽の世界に居るのは山下達郎が「商業音楽」が好きだからだそうですが山下達郎の音楽には自身が傾倒する「オールディーズ」への回顧する想いが反映されている所があります。対して美狂乱が一般人の立場で音楽を追求しているのは一見「キング・クリムゾンサウンド」の再現の為の様に見えますが、美狂乱の成り立ちが、これまで話してきた様な背景があるのならば須磨の音楽を育んだ かつての静岡の音楽シーンへの回顧する想いが投影されている様に思われます。故に美狂乱は、Youtube以前の時代から一般人ミュージシャンの立場で音楽を発信し80年代には2枚のアルバムをリリースし90年代には再結成し独自の環境で独自の音楽を追求し続けて2003年にはアニメ『魁!!クロマティ高校』の音楽に抜擢されるという日本の音楽界の中で一般人ミュージシャンの音楽が、商業音楽で起用される唯一無二のユニークな存在だと言えるのかもしれません☆▲目次へ▲△▼△▼△▼四人囃子 - おまつり (1974)収録アルバム『一触即発』日本のお祭り (画像参照:Wikimedia)ドラマーでリーダーの岡井大二と、初代「プリズム」ギタリスト 森園勝敏を中心とした日本屈指のプログレ系バンド「四人囃子」の気怠い耽美的幻想美とロックのダイナミズムがアングラ劇テイストな切り口で括られた70年代の日本のロックのみならず、当時の日本の世相を彷彿とさせるサウンドの響きを持っている点に於いても非常に重要でユニークな作品で占められているアルバムからの人気作となっております。■四人囃子はGSブームを経て世の中が「ビートルズ」の時代になって行った50年代60年代の音楽に触れてロックが現在の形へと進化して行くその空気を知るミュージシャンの集団で日本では数少ない、巨大な音でドラムをプレイする「ハード・ショット」正統派ロック・ドラマー岡井大二と、「ブルース」ブームにあった当時の日本の音楽界で十代の若さで頭角を表した天才ギタリスト森園勝敏のユニットとしてスタートし当時の洋楽ファンも納得する高い音楽性と演奏力、構成力を持つ日本のオリジナル・ロックを目指して一般には「和製ピンク・フロイド」と知られる単にプログレの枠組みでは語れない 多才な楽曲を発表し現在も活躍している音楽ユニットです。■本曲は「和製ピンク・フロイド」の名の通りの幻想的で揺蕩う様な気怠いサウンドが特徴の作品ですが演奏はブルースベースでありながら、欧米のものとは響きが異なりまだロックの黎明期にあった60年代後期から70年代初頭の日本の音楽界で「GS」ブームで登場した歌手、バンドを含めて「芸能人が唄う音楽」とは異なる「ビートルズ」が登場した以降の「オリジナル作品」を求めるムーブメントに呼応した現実と幻想が交差する様なシュールな世界感で日本の粛然とした伝統と、激しさを秘めた混沌が同居する極めて日本的な音世界をロックに昇華させた初期の日本のロックを代表する楽曲だと思います。■本曲の持つシュールさは60年代以降の学生運動が収束した後70年代の政治的に無関心となった当時の「しらけ世代」と呼ばれる若者文化を反映した様な「フラワームーブメント」「サイケデリック・ミュージック」「アングラ劇」テイストを感じる作詞の末松康生による歌詞に依る所が大きい様に思われます末松康生は四人囃子、森園勝敏作品ゆかりの作詞家で自身もアングラ劇経験がある事が当時の若者文化を肌で感じる様な、気怠さと狂気が入り乱れたこの時代特有の表現を持った作風へと繋がった様な印象があります。■四人囃子の中心人物のひとり、ギタリストの森園勝敏は四人囃子が「和製ピンク・フロイド」と呼ばれる事に対して異論は無くても、元々「ピンク・フロイド」には興味が無かったらしく、ドラマーの岡井大二に勧められるまで、その存在すら知らなかったと言いますむしろブルース・ロックに傾倒する見地から「オールマン・ブラザーズ」の様なサウンドを目指して「サンタナ」の様な仕上がりになったとの事で、ロックの音楽史に精通し曲作りに於いて必然性を重要視し、後に音楽プロデューサーとしても成功する岡井と何となく思って作った結果がたまたまイケる形となれば良しという感性を重んじる森園とのまるで水と油の様な取り合わせが、サウンドに絶妙な緊張と弛緩を与えて、本曲「おまつり」から感じる、気怠さの裏に潜む攻撃性と狂気を抱えた演奏に繋がったのかもしれません。それ故に、この奇跡のユニットは短命で終わり森園勝敏は脱退し、その後四人囃子はセカンドアルバムで加入したベーシストでBOØWY、ザ・ブルーハーツ、GLAY、JUDY AND MARY、エレファントカシマシ、くるりのプロデューサーとなる佐久間正英を中心人物に据えて活動を続け作品ごとに方向性を変え、企画力の高さを見せますがバンドとしては迷走していく事になります。脱退した森園勝敏は1976年に当時結成間近だったフュージョンバンド「プリズム」に合流するのですが 1978年には脱退していますので、これにしても理由は「何となく」だったのかもしれませんw▲目次へ▲△▼△▼△▼PRISM - TAKE OFF (1986)収録アルバム 『DREAMIN』Korean Air Airbus A380-800 with contrail (画像参照:Wikimedia)ギタリスト和田アキラとベーシスト渡辺健を中心とした音楽ユニットで過去に元 四人囃子の森園勝敏が在籍しツインギター、ツインキーボードのインストゥルメンタル・バンドとしてスタートし高い演奏力とジャンルにこだわらないロックベースのオリジナル曲が話題となりデビューライブでは最寄り駅から長蛇の列が出来るなどの伝説を残し森園勝敏 脱退後は 激しいメンバーチェンジを繰り返し「カシオペア」「T-SQUARE」の様なグループがポップ化して成功して行く中でその度にプログレッシブ・ロック色を増して行き唯一無二の音楽活動を続ける音楽集団 プリズム のサポートメンバーとしてドラムス木村万作、キーボード松浦義和ゲストにシンセ・ミュージックで名を馳せた 深町純という強力布陣となったTDKレコード移籍 第二弾アルバムで青空に飛行機雲が印象的な マイルドセブンのCM曲としても採用されシングル・カットされたこの時期のプリズムを代表するヒット・ナンバーです。■本アルバムはベースの渡辺健がボーカルも披露する意欲作でインストの本曲では 渡辺のハイレベルなスリリングで縦横無尽のベースプレイに圧倒されるナンバーとなっておりベースソロから始まるという珍しい構成で清々しい朝の光を表現する会心の演奏で幕を上げると同時に曲が一気に加速し、大空を飛行する様なスピード感溢れる演奏となり再び、大空に心を馳せる様なロマン溢れるベースソロへと繋がるというベースソロを取り、ハイテンションなリフをプレイし、ギターの様に和音でカッティングをするなどの7色のプレイでほぼベースの渡辺健の独壇場とも言えるフュージョン・ミュージックの枠内では語れないエモーショルな演奏が堪能できます■現在唯一のオリジナルメンバーとなったギターの和田アキラはグループサウンズで音楽に目覚め、ベンチャーズを経験した後 ブルースに傾倒しハード・ロックにのめり込んだ当時の典型的な「ギター小僧」の一人で高校には進学しないで音楽の世界に飛び込んだロックな人生を歩むロックギタリスト中のロックギタリストな人物でロックギタリストの代名詞の「速弾き」ギタリストとしても知られていますが只の「速弾き」ギタリストとは違いプリズムのメンバーだった森園勝敏によれば、和田アキラのギターの練習は尋常では無く毎日何時間も集中して練習し、その練習量はギターのフレットが変色する程のものだったそうでその様な凄まじい練習量に裏付けられた確かなプレイでアル・ディ・メオラの様な流麗で複雑なスケールを高速で演奏するおおよそロックギタリストの範疇では語れない多彩なテクニックと幅広い音楽性を持ったギタリストと言えます。そんなロックギタリストの和田アキラがフュージョンバンドの体でインストミュージックを始めた背景には60年代後半から70年代前半に掛けての日本の音楽界がGSブームからフォークブームにシフトした時期に当たり正統派本格ロックを排出する様な音楽的土壌が無かった事と、和田アキラが先程の美狂乱の須磨邦彦とは違って音楽ジャンルや楽式に対して拘りが無くどんなものにも興味を持つギターを弾く事そのものに拘る「ギター小僧」だった事が要因となりそれまで「インストミュージック」を形容する言葉が無かった時代に折しも世界的ギタリストでロックスターのジェフ・ベックが75年にリリースした「ブロウ・バイ・ブロウ」を大ヒットさせフュージョン系インストミュージックを認識させた事で日本でもインストミュージックが認知されヒットに繋がった事を受けて和田アキラが当時傾倒していたサンタナ、アル・ディ・メオラの様なラテン、ジャズミュージックの他「グランド・ファンク・レイルロード」や「レッド・ツェッペリン」の様なハードロックや当時登場し始めた「イエス」や「キング・クリムゾン」の様なプログレッシブ・ロックなどの異なる音楽性を持ったこれらの欧米音楽を日本人が理解できる形で受け入れる日本のお家芸でもある「アレンジ文化」の精神でフュージョンミュージックへと融合した「ハイブリッド」な音楽を追求した事で和田アキラの音楽性が爆発的に開花した事が大きな理由としてあった様に思います。その様な「ハイブリッド」な音楽を追求する精神は演奏する機器にも向けられ本作「ドリーミング」リリース当時、井上堯之が司会するFMラジオ番組にプリズムが出演した時スタジオに持ち込んだ機材は、同時期に活動していた他のフュージョン系バンドと比べてベース、ドラム、ギターの機材のに加え、二人のキーボーディストが所有する機材の量は尋常では無い多さだったそうで、この反動から数年後この大掛かりなユニットの解散後は、ベース、ドラム、ギターの3ピースのシンプルな構成に切り替わる事になるとして、wこの時期のプリズムの余りの機材の多さに泡を吹いた井上に『こんなに機材がなければ音楽が出来ないのか』 と言わしめた当時の日本が誇る最高のスタジオ・ミュージシャンの最先端のサウンドを聴く事が出来るという意味に於いても、本アルバムは非常に重要で興味深い作品と言えると思います。▲目次へ▲△▼△▼△▼高崎晃 - 逃亡 ~STEAL AWAY~ (1982)収録アルバム『ジャガーの牙』高崎 晃 (画像参照:Wikimedia)日本屈指のヘビーメタルバンド LOUDNESS のギタリスト高崎晃がLAZYの解散後、プログレ系ミュージシャン笹路正徳をプロデューサーに迎え制作したソロ・アルバムから、作曲の笹路正徳らしい変拍子を多用した非常にプログレ色の強い楽曲です。■このアルバムが制作されたのは、元々ソロアルバム制作の話が先にあって、アルバム制作を通して後の「LOUDNESS」結成へと繋がるという当時アイドルグループとして人気のあった「LAZY」解散後の活動の一環、という流れと、高崎自身が 元「LAZY」という肩書から逃れ、ロックギタリストとして本格的な活動を始めた、という現れと、高崎自身が 元「LAZY」という肩書があっての、自由な采配のソロアルバム制作となった、という相反する実情が背景にあったものと思われます。それらを物語る様に本アルバムは、日本で本格ロックギタリストを目指す高崎晃が志を同じにする若きミュージシャン達と共に制作したロックギタリストのアルバムであると共にマライア、ナスカの笹路正徳によるプログレッシブ・ロックを思わせる内容という同時期にリリースされた「BOWWOW」のギタリスト山本恭司のソロアルバム「Horizon」同様にコアなロックでは無く、サンタナ やエリック・クラプトン、ジェフ・ベック の様なロックギタリスト主体によるアルバムが音楽ファンに受け入れられ大ヒットした世の中の流れを汲んだ方向性で制作された様な印象がありロックギタリストのジェフ・ベック がフュージョン・ミュージックのカテゴリーでインストアルバムを制作しキーボーディストのヤン・ハマーに楽曲の作曲を依頼して自作にこだわらない新たなエレクトロニック・ミュージックの可能性を見出している所に共感する様な形で既に「LAZY」時代に楽曲を自作してきた高崎が敢えて全曲自作にしないで外部のライターとして笹路正徳に楽曲依頼をするなど、まだ海とも山とも言えないロック黎明期にあった日本の音楽界に於いて本格ロックを追求しようとする若きミュージシャン達が正に手探り状態でブリティッシュ・ロック、アメリカン・ロック更にはプログレッシブ・ロック、ラテン・ロック、加えて「LAZY」時代に培った「歌謡ロック」の方法論まで詰め込んで日本に於ける本格的なロックアルバムのあり方を模索する姿がそのままアルバムとなって生み出された様な造りになっている点に於いても非常に興味深いアルバムだと言えます。故に、本格ロックを期待したロックファンは詰め込まれた内容に肩透かしを食らったり全体的に笹路色の濃い内容になった事で『これはギターのソロ・アルバムでは無い。ギター・ソロのアルバムだ。』 と揶揄されるなど「LOUDNESS」誕生以前の日本の音楽シーンであらゆる意味で話題となった作品でもありました。■本曲は作曲 笹路正徳のペンによる変拍子が多用されたプログレッシブ・ロックな仕上がりとなった楽曲で笹路正徳のスリリングなオルガンプレイがフィーチャーされた作品に仕上がっています。過ぎ去った想い出を回顧する様なオルゴールから曲は始まり進撃するイメージと闇夜の疾走をイメージする2つのパートを終わりを予感する様なミステリアスなオルガンリフと何かの誕生を見る様な変拍子のセクションで繋いだ、曲名通り、繋ぎ止める何かから「逃亡」をする苦悩を描いたドラマティックなナンバーになっています。本曲は「ペテンの唄で未来が消えて行く」「名声は恥辱によって荒廃させる」と唄われる様にかつて本格ロックグループとして「Free」のポール・ロジャース描き下ろしによる楽曲でデビューを約束されながら、その約束を反故にされるばかりか当時日本でも人気のあった英国のバンド「ベイシティーローラーズ」の日本版としてアイドル活動を強いられた「レイジー」時代を回顧する様な内容になっており人気が出る程、演りたく無い音楽を強いられる事への不満とそれによって、演りたい音楽から遠のいて行く焦りと演りたく無い音楽が、実は高度な演奏力を必要とする事を思い知らされる力量不足の実感とそれが売れる事で、ロックバンドとして周りが認めてくれなくなる事への苦悩と売れなくなれば、苦悩の日々から救われる代わりに全てを失う事への恐れなどのストレートなロックでは表現出来ない様な、複雑に入り組んだ深くて巨大な感情をプログレッシブ・ロックが持つ欧州音楽の陰りとアカデミックなアレンジに裏打ちされたフュージョン・ミュージックの洗練さとロックが持つ破壊的な衝動を併せ持つハイブリッドな演奏をバックに表現したい全てをぶつけた様な 高崎晃のギターソロが圧巻でレイジー デビュー後リリースしたシングルが振るわず、3枚目が不振となれば契約解除となる中で、逆に考えれば 売れなければロックバンドに戻れると安堵していた矢先に「赤頭巾ちゃん御用心」の大ヒットで アイドル活動が決定的となった苦い経験を苛まれる悪夢から逃れようとする逃亡者として描いた様でもある点に於いても日本のヘビーメタル・ミュージックが開花する夜明け前にその中心となるギタリストの瑞々しいプレイが堪能できる日本のロック史に於いても非常に貴重な「名曲」と呼べる楽曲だと思います。■本曲のボーカルは二井原実が担当し、他の曲ではベースに山下昌良、ドラムにレイジーの樋口宗孝が参加するなどこのソロアルバム制作が後に日本のロックが1985年に『Thunder in the East』で初の「全米アルバムチャート」ランクインを果たす快挙を遂げる本格ヘビーメタルバンド「LOUDNESS」結成に繋がって行きますその「LOUDNESS」も、世界進出で全米チャートインを果たす代わりに「LOUDNESS」の代名詞だった複雑でコアなメタルサウンドを封印し米国のロックファン向けのシンプルなアメリカン・ロックサウンドを強要されるという「レイジー」時代の苦悩が再び繰り返されるという皮肉を経験する事になるのですが今回その苦悩は既に経験済みとして、高崎晃はメンバーと共に乗り越えて「LOUDNESS」は世界に羽ばたくバンドへと成長して行くでした。■本曲の冒頭の 『DANCE!』 という二井原実の出だしにドラムの辻野リューベンは 鳥肌が立ったという未確認の話が残っていますがwそのドラムのリューベンは テンポが変わった唄の出だしで笹路の変拍子アレンジに毒されて 頭が混乱したのかスネアの位置が裏返ります普通ならNGで録り直しの所ですが 全体の出来の良さに瑣末な事とされたのか黙認された様です実に大らかな時代でしたw▲目次へ▲△▼ △▼ △▼TAO - Hello Vifam (1983)タオ - ハロー・ヴァイファム収録アルバム『FAR EAST』NGC 4414 (NASA-med) (画像参照:wikipedia)オープニングは衝撃的でした・・・グローバルな活動を見据え結成され80年代にデビューしたギターボーカルのデビッドマン率いるロックグループTAOのアニメ『銀河漂流バイファム』の主題歌になった代表曲的ヒット曲です■TAOは日本のROCKバンドには珍しいヴァイオリンを導入した所にサウンドの特徴があるバンドでUKや中期キング・クリムゾンの編成を思わせるプログレッシブ・ロックを嗜好するロックサウンドをベースにギター・ボーカルのデヴィッド・マンによるポップなセンスを加えたユニークなサウンドを作り出す音楽集団でしたクラシカルで格調ある宇宙空間を進撃する壮大なイメージをバックにデヴィッド・マンのポップで少年性を帯びたボーカルが光る宇宙を漂浪する主人公達を描いたSFアニメーション作品にマッチした本曲やキューピーマヨネーズのCMソングとなった『アジュール』などの牧歌的で爽やかな印象が小気味よいコマーシャリズムな楽曲を制作する事に長けた音楽集団でもありました■このバンドはヴァイオリン&キーボードの関根安里を加えたリズム隊にデヴィッドマンを加えたユニットという色合いが濃くプログレッシブ・ロックを志向するバック3人とポップなサウンドを目指したデヴィッドマンという水と油の取り合わせで起こる化学反応によって個性的な楽曲を生み出していた所に音楽の特徴があり全曲英詩によるバンドとしてはゴダイゴの様な聴きやすいサウンドという側面を持ったバンドでもありました。ハイクオリティな音楽を高音質で鑑賞する事がブームとなる内需拡大路線に入る直前のJ-POPのムーブメント以前の音楽界に所属していた為純粋にクオリティーの高い音楽を提供する以前にバンドを存続させる為に来た仕事は何でもこなしTVCM曲やドラマの主題歌を担当し、売れる為の布石を惜しまないコマシャーリズムの枠組みの中で世に出てブレイクするタイプの商業バンドの一つでもありました。特に80年代前半はアニメブームの過渡期に当たる時期でもあった為にアニソンが新たな表現を求めてシティーポップ化した頃にあたり当時ハイクオリティな音楽を演奏する集団だった「トランザム」「TALIZMAN」「クリスタルキング」や「ゴダイゴ」実力派ボーカルとして活動していた「杏里」などが 主題歌で起用されその流れで当時ゴールデンタイムという非常に重要な枠で放送された「銀河漂流バイファム」の主題歌にTAOの起用が決まった様な印象がありました。現在の様にSNSはもとより、ネットが存在しなかった当時はTV、ラジオが音楽発信の場であり、特に楽曲がヘビーローテーションされるのはFMラジオの音楽番組よりもTVCMでの起用曲が有力だった時代にTAOの様に個性的な音楽性を持ったロックバンドが元々持っていた音楽性を変えてCM曲やTV主題歌を担当してブレイクを狙うのは当時の常套手段の一つでもありました。TAOの場合はキューピーマヨネーズのCMが好調ではあっても「ヴァイファム」の視聴率不振で (※裏番組はドラえもん) 番組そのものが途中で子供向け作品に制作方針を変更するなどの迷走があった為か杏里の「キャッツアイ」の様な社会現象を生むまでのブレイクには至らずにシングル数枚とAlbum1枚をリリースした後は元々の音楽性を追求しようとするプレグレ組3名が80年代中期の洋楽ブームが引き金となった空前のROCKブームに乗る形で新たなサウンドのロックバンド結成を目指してデヴィッドマンを残して脱退し、TAOは解散状態となりますその後プログレ組はギタリストとボーカリストを加えて「EUROX」結成し『ヴァイファム』と同じサンライズ作品の『機甲界ガリアン』の主題歌を担当し当時流行だった綺羅びやかでスタイリッシュなサウンドのバンドへと変身を遂げますがAlbum1枚をリリースした後は活動を停止しますJ-POP以前の日本の音楽界で全曲英詩でアルバムリリースをするのは当時としても珍しい事で「ゴダイゴ」の成功あってのものだった様に思われますがバンドが続かなかったのは、「デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ」に近いケルティックテイストな欧州ロック特有の陰りのあるプログレッシブ・ロックサウンドが当時全世界的に「デュラン・デュラン」を始めとするスタイリッシュなブリティッシュ・ニューウェーブ・サウンドに傾いていた事で大衆に受け入れられなかった事と離脱したプログレ組が「EUROX」でプログレサウンドをあっさりと捨ててニューウェーブサウンドに切り替えた所を見ますと、TAOサウンドを貫きたいデビッドマンと「方向性の違い」で仲違いした事が大きな理由だったのではないか と思われます。後日デビッドマンはメンバーを集めて「TAO」を復活させながらもメインストリームで活躍する事はありませんでしたが「David Mann」名義でコアなファン向けに活動を続けた様です。思うに「TAO」は、空前のROCKブームの最中、J-POP誕生以前の日本の歌謡界で自身の音楽性を持ちながらも需要があれば臨機応変にサウンドを供給する「商業音楽」の括りで誕生した最後に当たる音楽集団であり故に期間限定で短命に終わる事は約束された様な中で「ケルトティックなプログレサウンド」という通常なら音楽的にも共存出来ない様な個性的なサウンドを「商業音楽」として輩出出来たのだと思います☆△▼△▼△▼▲目次へ▲------------------------------------------------------------------------------------ OUTRO -■新世代音楽の個人化とコラボとの関連性■-----------------------------------------------------------------------------------Tina Turner and Eric Clapton at Wembley Arena, June 18, 1987 (画像参照: wikimedia)さて、INTRO 前書きでは ロックを中心に見た日本の音楽界のあり方を やや 偏狭な視点から(※シニアの視点とも言う)語ってみましたが次は やや閉鎖的な視点から(※若者の視点とも言う)語って見ますwと言うわけで後枠では、現在は世界的な傾向で異なるジャンルの個性派アーティスト同士が組んで画期的でエモーショナルなサウンドを排出するコラボレーションが音楽の主流で既に「バンド」という形態は廃れているというお話をします。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------1.「バンドが廃れた欧米事情」-----------------------------------------------------------------------------------バンドが廃れたと言っても、ボンジョビやメタリカの様なアーティストが人気が無くなった訳ではありませんが、w近年「バンド形態」にこだわらない現代の世代ならではの価値観が投影され新たなサウンドを追求する中で生み出されるJAZZの様式で生まれたヒップホップテイストのR&B作品などの新時代のコラボ作品に代表されたこれまでに無い肌触りの作品に人気が集まり同世代のリスナーもアーティストもロックバンドそのものに響くものが無くなってしまいジャンルとしての王道の「ロック」は追求しても「ロックバンド」は継承しなくなったというのが理由と言われています。どうしてこうなったのかと言いますと、現代の世代が生まれた時点で既に存在していた「ネット」に大きな要因がある様に思われます。90年代以前の時代、バンドの音楽を演るには演奏するメンバーを集めるしか無く個人でバンドの音楽を演るには高価な多重録音機材や全ての楽器を演奏する能力などが必要でしたがPCの普及でDTMが身近なものになりスタジオを借りてバンドで演奏するというスタイル以外の選択技が増えて一人で全てのパートをカバーして自宅のPCのみで帰結する個人での音楽活動が可能となり音楽をより身近なものに捉えて個人で活動するアーティストが増えた事で、意気投合した不動のメンバーで唯一無二のサウンドを生み出し息の長いバンド活動を続けるよりも異なる音楽性を持ったアーティスト同士が組んだ化学反応で流動的なサウンドを構築し続ける事に意義を感じる様な風潮が生まれます。又、ネットの普及によって離れた場所に居る人物と瞬時にコミュニケーションが取れる様になった事でこれまで「集団行動」でしか得られなかった事が個人レベルで行う事が可能となり若者の間で一人の時間を優先し個人行動に価値を見出す個人主義的傾向が現れる様になります。この様なネット新世代は、ネットでリアルタムに海外のメインストリームの音楽に触れて来た事で海外の音楽が輸入盤によるレコード鑑賞やエアチェックしたラジオ番組の音源から得るしか無かった昭和旧世代のシニアの洋楽ファンが抱く様な「圧倒的な距離感」から生じる、洋楽に対しての憧れの様なものやそれこそ、英語の授業で流暢な発音で教科書を読む級友に対して教室内が「何だコイツ」という空気になるようないわゆる「英語、洋楽コンプレックス」 という様な特別感は持っておらずネットでリアルタムに海外のメインストリームの音楽に触れて来た事で洋楽に関して物理的な距離感を感じる事もそれによる憧れもコンプレックスからの特別感も持つ事は無く音楽は常に身近にあるものとしてダイレクトに「個人」で世界と通じているという感覚を持っている所に昭和旧世代との大きな違いがあります。昭和の時代、旧世代アーティスト達は日本で通用する音楽が海外では響かない事を痛感して山下達郎の様な英語力に長けた洋楽通が世界進出はせずに日本の音楽家として日本に於けるPOPに拘る様な音楽的内需拡大路線へと流れて行った事に対して宇多田ヒカルが登場した2000年前後の時代に本場のR&B言語で音楽を演る日本人が現れたと感じてから約20年、現代の若い世代のアーティストがグローバルな展開を見据えると言う様な自負の念からでは無く何の衒いも無く、ごく当たり前の様に自然に、米国に居る様な感覚でいきなり米国のメインストリームのサウンドで音楽を演る様になったのも、身近な仲間でバンドを結成して世界を目指すよりもより身近に世界を感じる者同士で世界とか仲間とか関係なく意気投合した者同士で個人的な音楽をコラボする事に意義を感じている所にバンドが廃れていったと言わしめる大きな要因があった様に思います。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------2「.誰も語らないTik Tok以外の『香水』のヒットの背景」-----------------------------------------------------------------------------------BLOCK30, 旧居留地, 兵庫県神戸市 (画像参照: wikimedia)一方で、シニア世代のアーティストが90年代に世界に通用する日本の音楽を目指し躍起になって吸収しようとした「ゴージャスな洋楽テイスト」なサウンドが米国との「圧倒的な距離感」から来る憧れとコンプレックスの念から生まれたものだとしたら現代の若い世代のアーティストの特徴として挙げられる世界に繋がり孤立していない「個人」の現れを音にした様な「音数の少ないシンプル」なサウンドが世界と繋がっている意識を抱きながらも物理的に関わっておらず、独りで部屋に居続ける様な世の中との「圧倒的な閉鎖感」から来る孤独感と、その様な状況で溜まって行く負の意識を物理的に向ける先の無いやり場の無い「怒り」の念を訴える為に生み出している様な印象を受けます。その様な世代が、複数の仲間と集い時には衝突しながら共同作業の末に音楽を生み出して行く「ロックバンド」の音楽にリアルなものを感じられないのは、当然であり先の話題となったインディーズ出身のアーティスト 瑛人の『香水』がヒットした背景にあるのもギター1本の唄とバックダンサーという真似しやすい仕様にヒットの要素があった、とかSNSツール「Tic Toc」でのバズりで拡がり大ヒットに繋がったという良く言われる見解の他に、巨大なカリスマ性を持った 長渕剛 の様なアーティストが圧倒的存在感の音色を持った生ギターでの演奏による魂の弾き語りをする様な形では無く、閉鎖的な空間での孤独感を助長する様に響くスタイリッシュなスパニッシュ奏法でカッティングされる、生ギター感が希薄な「ループ的」ギター音をバックに唯一実存感を感じる歌声の感情的な歌唱でいつまでも癒えない心の傷が、かさぶたの様になってまとわり付く行き場のない「憤り」をさらけ出した所に現代の若者の心に刺さったのが、大ヒットした大きな要因だった様に思われ、王道の「バンドサウンド」で「反抗心」をたぎらせるのでは無く、シンプルな構成の音楽に「癒やし」を求めていた現れだと言えます。イントロの前書きでは「ロックの方から見切りを付けた」と書いた現在の日本の音楽界でしたが、ネットの世の中となり現在の若者が現在メインストリームとなる本場のR&Bをリアルタイムで体験する中で同じ様に「ロック」の核となる、日本のロックの歴史の中で失われた「ブルース」体験がなされたとしたなら王道の「ロックミュージック」への関心が高まり「バンド」人気復活へと繋がる日が近い将来、来るのかも知れません☆というわけで いかがでしたでしょうか。次回は一体 何が 更新されるでしょうか ごきげんよう☆▲目次へ▲■■■■■■■■■■■■■楽天市場■■■■■■■■■■■■■■■【CD】サンクチュアリ(聖域) [ NOVELA ]価格:1410円(税込、送料無料) (2020/7/30時点)■【CD】難波弘之 / ブルジョワジーの秘かな愉しみ価格:2200円(税込、送料別) (2020/7/30時点)■【CD】美狂乱 [ 美狂乱 ]価格:1430円(税込、送料無料) (2020/7/30時点)■【CD】一触即発(+2) [ 四人囃子 ]価格:1468円(税込、送料無料) (2020/7■【CD】DREAMIN' [ PRISM ]価格:2620円(税込、送料無料) (2020/7/30時点)■【CD】ジャガーの牙〜TUSK OF JAGUAR〜 [ 高崎晃 ]価格:1650円(税込、送料無料) (2020/7/30時点)■【CD】FAR EAST(紙ジャケット仕様) [ TAO ]『Hello Vifam(SE入りSingle Ver.)』『never give up』収録価格:2750円(税込、送料無料) 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2020年12月26日
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☆TOPページARCHIVE☆『Wikiの写真で一言』-第13回-「OKサインはOKではない?」■■■もくじ■■■■イントロ■■2023年7月掲載■『wikiの写真で7月の一言』■今回の話題■■「OK」のサインは 欧米 では「NG」?■■ハンドサインの日本と海外との違い■■ピース■ ■裏ピース■■サムズアップ■ ■サムズダウン■■小指を立てる■ ■中指を立てる■■STOP■ ■バイバイ■ ■手招き■■OK■ ■指ハート■ ■ガッツポーズ■■人差し指を重ねる■ ■ペンで書く真似■■キツネ■ ■電話■■親指と小指を立てて下げる■■何かを絞る■ ■人最指と中指を重ねる■■人差し指と中指を曲げる■ ■人差し指と中指で目を指す■■人を指差す■ ■人差し指を立てる■■自分を指差す■ ■二本指で指す■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■▲目次へ▲■イントロ■巷は夏休みシーズン真っ盛りとなり各自治体も夏休み行事を再開させ「4年ぶり」を強調して集客に繋げる様アピールする中これまで自治体と新聞社によって2つの花火大会が行われてきた「とある地域」では2つを統合した花火大会にリニューアルする事を発表しこれまで2大会を行う事で招いてきた集客の分散によって大会開催で見込める経済効果を下回る事が問題視されてきた事を打開する為景気低迷で採算が取れない事を見越した2大会の予算を一本化し一大会で豪華な花火大会に統合させ集客も一本化させようとする県民の為のイベントを大成功に収めたいプランそのものは良いとしてより強化されたイベントになる事を強調し期待を高めながらも本大会より導入された1000枠の「有料観覧席」設置から見える実態はコロナ禍が去った後、降って湧いた様に増殖する年間行事の復活にリモートワークで慣れきった引きこもり体質に鞭打ち対応に追われる行政とお役所体質たる行政の欺瞞を暴き「社会の公器」として国民の「知る権利」を守る「リベラル派」な立場でありながら近年は情報不足な「ネットの風聞」ともとれないかのすっかり牙を抜かれたマスコミも結局の所「金」の問題か と見透かされるという・・・今日この頃をいかがお過ごしでしょうかこんにちはVoyager6434です月に一度wikiの写真に一言添えてトップページを飾る『wikiの写真で一言』今回はコロナ禍以降際立ってきた話題です▲目次へ▲■2023年7月掲載■『wikiの写真で7月の一言』 An Indonesian girl preparing to cook rice in the morning using an anglo, a clay pot filled with coal. The picture was taken in Imogiri, Bantul, Yogyakarta.(画像参照:wikimedia)女『は?・・・別に・・・飯 炊いてるダケっつ!!! すケド爆発物?・・・別に・・・日本の米炊いてるだけっつ!!! すケド怪しい?・・・別に・・・自分陰キャなだけっつ!!! すケド偏見は止めて欲しいっつ!!! すケド炊き方?・・・別に・・・コツならばーちゃんに教わってっつ!!! すケドこんな感じっつ!!! すケド・・・初めチョロチョロ・・・中・・・ドッツカーーーンッツ!!!・・・す ケド』警官『やっぱりアンタチョット署まで来てもらえるかっつ!!!』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、インドネシアの女性とは一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■信楽焼 いっぺん食べとくれ4合炊き黒色 土鍋 ご飯鍋 ごはん鍋 炊飯土鍋 日本製 明山【ポイント5倍/送料無料】【p0706】『始めちょろちょろ中ぱっぱじゅうじゅうふいたら火を引いて 赤子泣いてもふたとるな』日本で古くから歌い継がれてきたかまどごはんを炊くときの火加減を歌った歌が有名ですが、このごはん鍋ではそんな火加減は必要ありません。いきなり強火でOKです。その秘密は陶器の持つ熱伝導のスピードと保温性にあります。(※商品説明文より)価格:14,300円(税込、送料無料) (2023/7/3時点)■▲目次へ▲■「OK」のサインは 欧米 では「NG」?■■もはや「一言」では無く「コント」でしたがwさて・・・見た目で人を判断する「ルッキズム」と呼ばれる風潮がコロナ禍を通して世の中が「清潔化」した事により際立ってきたと一部で言われる様になるなど21世紀を20年以上経つ世の中になっても未だ人を判断する基準が「見た目」が左右させるのは人の「心」を推し量るものが依然「態度」で見極めるしかない「目利き」を必要とする故だからなのでしょうその「態度」を推し量る「基準」が近年揺れに揺れているというそんなお話です■見た目で人を判断する社会が極まってきているという話は映画レビュー『竜とそばかすの姫』の所で詳しくしておりますのでそちらをご参照いただくとして・・・今回はボディーランゲージとして日常で多用している「ハンドサイン」を取り上げようと思いますハンドサインは「いいね」する時親指を立てたり「大丈夫」「わかった」という時人差し指と親指を曲げて残りの指を伸ばす「OK」サインなどがありますがこの「OK」サインが欧米でいつの頃からか「OK」では無くなったという私達日本人には困惑するような状況になっている様です■2007年に性被害に対して「私も被害者だった」を表明する「#MeToo」という運動があったのですが、この「#MeToo」が徐々に浸透して巨大なムーブメント化して2017年には大物映画プロデューサーだったハーヴェイ・ワインスタイン逮捕に繋がった事件から以降この運動は世界中へと波及して日本でも知られる様になった事は記憶に新しいと思いますこの運動は男性社会だった欧米での女性の権利を向上させたとして新たな時代の幕切れとなったと称賛されたのですがその一方でそうした告発者の9割が職を無くしてきた現状を告発するものへと変貌したり黒人女性が始めた運動を白人女性が手柄にしてセレブ化した事を批判したり弁明をさせず一方的に糾弾する私怨が絡んだ行き過ぎた断罪を問題視したり逆に、フェミニズム的ハラスメントの風潮になっている事を警告したりと、この様なムーブメントが起こった時には必ずその裏でこの機に乗じて個々の思惑を達成させようとする無数の想定外の動向が群がる様に増殖していくというこうした、女性の地位を向上させるという本楽の目的を逸脱した便乗行為がスケープゴートをあぶり出す「魔女狩り」の様な風潮を生み出して結果的に社会に「混沌」を招いたりもするわけですその様な風潮になるとそれまで何の問題も無かった「言動」や「動作」が思いも寄らない意味で使われる様になる事があり例えば忌まわしい「事件」の逮捕者や中心人物などが好んで多用してきた「ワード」や「ハンドサイン」があったとするとそれが事件を彷彿とさせるものとしてイメージが定着して「ヘイトのシンボル」となり一般人が使うことが「NG」となる事がある様です「OKサイン」がヘイトシンボルとなったのは左翼系やメディアの怒りをあおる目的でとある愉快犯が投稿したものがきっかけだと言われていますが後に議員時代のドナルド・トランプが大統領選の演説でこの「OKサイン」を多用した事が決定打となって白人至上主義のシンボルに捉えられる様になった事が経緯だと言われていますが、諸説あるようですこの様な「ヘイトシンボル」は欧米の人種問題が根底にあるので全米が分断されたきっかけとなる「トランプ政権」を挟んだ白人至上主義を弾圧する一環としてネット社会を媒介して拡散される「インターネットミーム」的なものでもあるようなのでそれまで普通に話して来たワードやハンドサインがある日知らない間に全く違った意味として広まってしまうのはそのためだと言えますその様な中でこれまで馴染んできたものがいつヘイト化するかもしれないとして疑心暗鬼が広がる風潮に疑問視する意見も多くあり米国のアンチ・ヘイトグループも「OKサイン」がこれまでの意味として大多数が使用している事を認めている事からも言わば「ヘイトシンボル」とはいつの日か一般の元へと取り戻さなければならないものとしていわれのない汚名を返上しなければならないものでもあるので今は使用を控えるのが賢明であるという程度に留めるのが妥当だという事でもあるようです■という訳で今回は実際に日本で使用されるハンドサインが欧米ではどの様な意味で使われるかという「差異」を知る為いくつか例を上げて見て行きたいと思います▲目次へ▲■ハンドサインの日本と海外との違い■ではハンドサインが日本と欧米とではどの様な違いがあるのかを見ていきましょうこれは「I LOVE YOU」のハンドサインで小指が「I」人差し指と親指で「L」親指と小指と手首で「Y」を表しDAIGO的に「I・L・Y」で「 I LOVE YOU」になるという元々は米国の手話です日本でもSNSで広まり使っている方もいる様ですがロックのコンサートで「行くぜ!」の時に使う「コルナ」にも似ていますしかしイタリアでは「弱い子羊」を表す侮辱のサインにも似ているので欧州では勘違いした人間とのトラブルの種となる恐れもありハンドサインには国と文化の違いによって捉え方が異なるものがあり国によっての違いを知る事はその国の文化を尊重しようとする姿勢に繋がる事でもあるので社会人としては知っておくべき事だと言えます・・・それは良いとして「このチビ奈乃似の3D画像は何?」と言う方の為にwこれは「EasyPoser」というアプリで主にイラスト制作で描くのが難しいポーズなどをプリセットされた3Dモデルの関節を自由に動かしてポージングしたものを下敷きに絵を描くなどの目的で使用する3Dでポージングしたアプリのモデルを出力した画像です今回の画像はドローソフトで若干加工しましたがアプリには男女、大人子ども、リアル、アニメ的、他キャラクターが揃っていてカツラや靴、帽子メガネなどのアイテムを装着して学生服やパンツ&Tシャツ姿のキャラクターもあり車、自転車、バイク、楽器を持ったポーズなども作る事が出来便利ですちなみに キャラクターがなぜお腹を出しているかはこれしか無いという事でwこんにちは!iOSとAndroidで970万ダウンロードを達成した3D人体ポーズアプリ「イージーポーザー」のPC版をついにリリースしました!お待たせしました!どうぞよろしくお願いします!Steam https://t.co/mtXVsSmyBPiOS https://t.co/FRghzSBmv7Android https://t.co/v9OemRzoET#拡散希望 #EasyPoser pic.twitter.com/hrOBz04mfY— Easy Pose / イージーポーザー (@EasyPoser) June 5, 2020使い方は簡単で、選んだキャラに基本となるポーズを選択して後は関節を自由に稼働させて欲しいポーズを作っていくという直感的にも使えるので便利ですスマホアプリで300円~1300円位 PCバージョンで1300円位の安価なアプリなので 成約があり手先はプリセットされた形から選ぶしかなく指一本ずつ関節が動かせる訳ではない所や顔の表情も付けられない所は残念ですがアップデートに期待したい所です☆又、腕の関節を曲げると「ねじれ」が出来て見栄えが良くなかったりして今回ドローソフトで頬紅を入れたり口元をいじったり腕のねじれを無くしたり色味を変えたりと地味に修正してますので実際には下記の様な画面の操作となるのであしからずw選んだキャラがほぼ「奈乃」なのが笑えますW因みに、三姉妹を再現するとこうなります割りといい線行っているのでは無いでしょうかW「三姉妹」が何なのかは「コチラ」か「記事」でご参照いただくとしてw異なるキャラクターが並んだ時の顔の大きさとか調整が必要ですし服の選択が無いので全員腹を出してるしw髪型も色も違うしフォルムが自作の絵と異なるのが気になる所ですが髪型とか目の形とか身体のフォルムにこだわるならそれこそポリゴンから作れる本格3D ソフトを購入するべきなのでこのクラスのアプリであるならこれが限界でしょうか▲目次へ▲■ピース■さてこの「ピース」は世界的に「平和」を意味する他勝利を意味する「Vサイン」「絶好調」「愉しい」という意味で使われるのは日本と同じです「Vサイン」の由来は諸説ありますが第二次世界大戦終盤での欧州戦線でドイツを陥落させる為の合言葉に欧州で使われた「V for Victry」キャンペーンに端を発したというのが最有力と言われています対して「平和」を表す「ピース」という意味でも知られるのはベトナム戦争が泥沼化した70年代に当時の大統領だったニクソンが勝利の印として好んで使っていた「Vサイン」が「戦争」を象徴するとしてベトナム戦争に反対する層や当時の「カウンターカルチャー(対抗文化)」と呼ばれる若者の間から戦争そのものを無くそうというムーブメントが起こった時にこの「Vサイン」を掲げながら平和を唱えた事から逆説的に「ピースサイン」として定着したという経緯がありました911事件以後の米国が中東で軍事行動をしていた頃は「Vサイン」は平和を唱える「ピースサイン」としてだけでは無く当時の米国に対して「軍事行動反対」を意味する米国に敵対する側の意思を表明するサインとして捉えられる風潮があり注意が必要だった時期がありましたそれはジョン・レノンの名曲「イマジン」が戦争反対を意味する曲としてラジオ局などでもNG曲として流さない程「戦争反対」という表現は当時の米国では絶対「タブー」だった事を意味するものでもありでしたそれに対してカナダの大物アーティストで様々なタイミングで政治的姿勢を表明する事でも知られるニール・ヤングがTV放送で「イマジン」をピアノで弾き語りをして全米に物議を呼び正義の為なら何をしても許されると捉えていた当時の風潮に警鐘を鳴らすのですがそれ程当時の米国は自国が攻撃された事に対して敵を許すまじという凄まじい怒りに捕らわれた中にあった事を物語るものがあった訳でした。■また、ギリシャの場合は「ピースサイン」は「くたばれ」という意味で使われていますのでこれも注意が必要です由来ですが、昔、犯罪者に向かって石などを投げ付けていた様な時代に石を掴むのが人差し指と中指だという事でそれが「相手を侮辱する」意味として定着したとの事です感覚的には相手に石を投げるも同然という「非常識な人物」に映るという感じで怪訝な顔をされる程度で済むかもしれませんがギリシャに行く際はお気をつけて・・・▲目次へ▲■裏ピース■「2個ちょうだい~」という時に使ったり顎に付けて小顔効果を狙ったりで使用するこの「裏ピース」と言われるハンドサインですがコレは日本以外で使うのは相当ヤバい代物です・・・wイギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、インド、パキスタンではほぼ「中指を立てる」のと同じだと考えて間違いないです由来ですが、15世紀にフランスで捕虜となったイギリス兵に対して弓を引けない様にと、人差し指と中指を切断し虐待して来た事でイギリス人がフランス人に対して「裏ピース」をして挑発行為をしてきたというのが始まりらしいのですが米国では知らない人も多く今月の7月16日放送の『世界の果てまでイッテQ!』の中で米国ルイジアナ州マンスラの「子豚祭り」のイベント「水風船キャッチ」で優勝した宮川大輔と一緒に写真に写った地元青年が「裏ピース」をしていたのを観たのでこの青年が生粋の「白人至上主義者」でそういう意味合いで大胆にも日本を相手に ぶち込んできたので無ければ・・・これは過去「フランス」に敵対してきた歴史のある国特有の「遺恨」から来たものなので歴史的にもフランスと同盟関係にあった米国は18世紀「ヨークタウンの戦い」で共にイギリス海軍を討ち取った仲でもあるので「される側」という事なのかもしれませんともあれオーストラリアなどで「ステーキ2つw」みたいな感じで決してやらないように▲目次へ▲■サムズアップ■YouTubeの「イイネ」などに使われている世界的にも「Good Job」という意味で通っているジェスチャーで日本でも1986年公開 映画『トップガン』の大ヒットで「準備OK」のハンドサインとして広まった事でも知られる欧米で誕生したハンドサインの中でも日本で最も浸透したものでもありますヲタク的にはトップガンよりも8年早い1978年放送 宮崎駿監督TVシリーズ『未来少年コナン』の第25話「インダストリアの最期」で巨大戦闘飛行艇ギガントの翼の上を走って飛行艇内部に侵入する時にいきなりコナンが使ったハンドサインとして記憶してますしかし先程のトム・クルーズも自身の大ヒットシリーズ2015年公開「MI5:ローグ・ネイション」で飛行機の翼の上を走っておりますので映画で飛行機の翼の上を走ったのは未来少年コナンの他はトム・クルーズだけという事になります話を戻しますが・・・これは「親指を上げる」というダケで「場」を取り繕える便利な動作という事で日本でも「トップガン世代」の初老の層が意外に多用しているハンドサインだったりしますが一方で昔から使われてきたどちらかと言えば下品な表現として「男」「彼氏」の意味を持っていたり欧米では「ヒッチハイク」の時に使うハンドサインとしても多用されている事で知られていますまた、コレにしてもアフガニスタン、イラン、イタリアの一部地方、ギリシャでは「くたばれ」という意味で通っているという話ですwikiによれば古代ローマの剣闘士競技で観客が使っていた「敗者を許せ」のジェスチャーが由来との事でそれが「くたばれ」の意味になるのはかつてローマ帝国にひどい目に遭ってきた国や民衆が当てつけで逆の意味で使用したのがルーツなのか定かではありませんがギリシャなどでこのジェスチャーをしてしまうと警察に通報されたり喧嘩になるそうなので気をつけましょう又、欧州、アジアの一部では「お前の肛門に突っ込んでやる」という何やら性的な意味がある様でこれも注意が必要です日本のコミケでは「男の娘本」のサインとして使われているとかでサムズアップが「男性自身」を意味する所がある事が文化によって異なって解釈されたという印象がありますちなみに「男の娘」の元祖は はるな愛 かと思いきや日本の古代史に遡って 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)がそうだそうで宴で女装して舞を踊りながら近づいたという九州のクマソを討つ有名な逸話がありますがそれは置いておき・・・wこれは危険性から言えば「非常識な人」位なので万が一使ってしまったとしても怪訝な顔をされるだけで済むかもしれませんが当然、使うべきではありません▲目次へ▲■サムズダウン■これは先程のとは逆で、立てた親指を下に向けて「くたばれ」と相手を挑発する時に使うサインでローマ時代に闘技場で負けた剣闘士に対して観客が「殺れ!」と合唱する時に使っていた事が由来とされていますメジャーリーグの観戦でも一部観客がこのサインを使いブーイングをして相手チームのファンと揉めたりするので欧米でも「その手」の人達が使う間違っても使ってはいけないサインなので肝に銘じましょうただ私も長い人生、日本で相手にこんな事をやる人を見た事は未だありませんがw▲目次へ▲■小指を立てる■「私はコレで、会社を辞めました」でピンと来るアナタは間違いなく還暦近い初老の中年ですw日本では「女」「恋人」を差すハンドサインで先程の「親指」の対を成すサインと言えますがこれもどちらかと言えば「下品」な感じの表現とも言えますので「ハラスメント」の対象にもなり得る可能性を考えますとそもそもが常識ある社会人が使うハンドサインでは無いのかもしれません他にも「指切りげんまん」の「約束」を意味する使い方もありますがどちらにせよ今のZ世代に対して小指を上げても「何?」と言われるダケと思いますwこれにしてもシンガポール、インドネシアでは「最低」「小さい」を表すものとして使うべきではありません特に中国は「小さい」の他「出来の悪い奴」「役立たず」という軽蔑の言葉となり逆に「親指を立てる」と「大きい」「立派な人」になる対になったハンドサインだったりしますので中国に行く際はお気をつけてw▲目次へ▲■中指を立てる■これは掲載するのも躊躇する問答無用の侮辱サインで警官にやれば逮捕される可能性すらあるトンデモ挑発サインなので危険度100%のハンドサインと言えます由来ですが真ん中の指と曲げた左右の指を「男性器」に見立て欧米の刑務所で使われたのが最初だと言われていますが中世の時代から認識されていたという話もあり諸説あるようですとにかく「性的な意味」=「侮辱」というのがこういったスラングの「コア」だと言うのが良く分かります▲目次へ▲■STOP■開いた手のひらを相手に見せる、「STOP」の意味で良く使われるハンドサインですが欧米では「それ以上話すな」という相手の話を制止する時に使われるので相手の気分を害する可能性があります又 例によってこれもギリシャですが・・・wこれにしても侮辱の意味で使われるそうで由来はコレ又ローマ帝国の国王が使っていたとかの当てつけなのか分かりませんが「顔に泥を塗るぞ」という嫌がらせの屈辱的な行為を意味するそうなので相手は怒ってくるとの事で使用してはいけません又、バイバイの様に手を振ることで「違います」「私ではありません」「要りません」のサインになりますがこれは日本でしか通用しないジェスチャーなので海外では手は使わずに首を左右に振る様にして下さい▲目次へ▲■バイバイ■この手のひらを胸元辺りで左右に振ると「さよなら~」「わたしだよ~」手を上げて左右に振れば「ここだよ~」というハンドサインとなる訳ですがこれは相手に対して自分はこの場所に居る事をアピールする相手との距離感をイメージさせるサインだと言えますしかしアジアでは「あなたとは関わり合いたくない」「面倒くさい」という時に使う手振りだそうで特に韓国の場合は犬に使う手振りという事なので処理水放出問題で再びこじれ出した日韓関係を更に悪化させるつもりは無いのでしたらお気をつけてw▲目次へ▲■手招き■さて、次にその手のひらを下に向けて上下に動かすと「コッチにおいで」「こっちこっち~」という相手を自分の所に呼ぶ時に使うサインとなりますしかしそれは日本での話で欧米では全く逆の「あっちへ行け」というハンドサインになってしまうので注意が必要です欧米では手のひらは上に向けて上下に動すのが「Come on」のポーズになります1999年公開のSFアクション映画『マトリックス』でキアヌがモーフィアスとの「カンフー」対決で前に突き出した手のひらを、ひっくり返して上に向け手首をクイッと曲げて「カモ~ン」とやる場面で使われた事が一番有名ですが元はかつてのカンフーの大スターブルース・リーが75年公開『ドラゴンへの道』の中でノラ・ミャオの店に嫌がらせをしに来たギャング達を一掃する場面のカンフーの構えに「カモーン」を加えたジェスチャーの方が映画ファン的には「マスト」と言えます▲目次へ▲■OK■「大丈夫」「了解」「バッチグ~☆(死語)」他にも「お金」を表す時に使われる親指と人差し指を丸めて残りの指を反らして使う「OK」のハンドサインですがアメリカでも同じ意味で使われてきましたしかし現在は白人至上主義の「WP(ホワイトパワー)」を表すハンドサインとして一般人が使ってはいけない「NG」サインになっているというのは先程も解説しました「UFJ」の本場フロリダ州 ユニバーサル・オーランド・リゾートで気ぐるみに入ったスタッフが黒人の少女と写真を撮るとき「OK」サインをして解雇されるという事件は有名で学校でも卒業アルバムで「OKサイン」をした生徒が写るものを廃棄して再撮影する程の社会現象となっている様です理由は、ネットジョークがきっかけで「OKサイン」に悪いイメージが付いた後元大統領のドナルド・トランプが選挙期間中に勝利が確実になるにつれてOKサインをやる様になってから「WP」を表すハンドサインとして定着した所に背景にある様ですがこれも先程から語っている様に何かの憎悪の対象が行った事が「ヘイトイメージ」として定着する近年の最たる例だと言えます一方、フランスでは指の輪がゼロを表すからなのか「無価値」を意味する侮辱のサインとなりブラジルでは「肛門」を表す事から性的な意味合いとして相手を侮辱するスラングとしても使用されている様ですこれらは英語のスラングに「ASSHOLE (いやな奴)」というのがあるのと同じでブラジルでは更に性的な意味が転じて「私は危険な奴だ」という脅しの意味でも使われるそうです。又、これを「お金」の意味で使うのは日本人くらいなので間違ってもフランスやブラジルでは使わないように▲目次へ▲■指ハート■これは「LOVE」を意味する指ハートのサインとして日本でも広まりましたが私はNetflixで『愛の不時着』の主人公が使っているのを見るまで何の事か知りませんでした~wこれを両手でやって指を擦る様に動かせば欧米で「お金」を意味するハンドサインに早変わりしますw日本人が硬貨を意味する指丸でお金を表す事に対して欧米は札束を数える指マネでお金を表すという「小銭」と「札束」というお金の捉えからからして日本人は小銭に笑うものは小銭に泣くという現実思考を持つ事に対して欧米人は金持ちになれる一足千金を夢見るというお金に対してのイメージが根本的に違う事がよく分かるハンドサインでもありますハリソン・フォードの当たり役のインディージョーンズシリーズの第一作『レイダース 失われたアーク』の冒頭の場面洞窟奥の部屋にある金の像を取り上げる時に同じ重さの袋とすり替えようとするインディーの後ろでスパイダーマン2でドクターオクトパスを演じた若き頃のアルフレッド・モリーナが指を擦る動作をしていましたがこれが 金の像をゲットして大金を掴むぞ というお金のハンドサイン という訳ですだからインディーから像を拝借してそのまま逃げようとしたら串刺しの刑に遭う訳でした・・・wというわけで「指ハート」ですが今やこのサインはもう古いらしく今では・・・LOVEはこの様な「顎下ハート」で表すらしいですとは言えこんなポーズが許されるのは10代までなので小顔効果があるからといって初老の方は控える様にしましょうwww▲目次へ▲■ガッツポーズ■勝利を表現したり何かを成し得た時に取る「ガッツポーズ」は日本ではボクサー現役時代に74年WBCライト級王座奪還で両手を挙げた勝利のポーズを取ったガッツ石松が広めたと良く言われていますが実際はボウリングが入ってきた60年代にストライクを取った時、挙げた片腕をグッと引くポーズを日本で「ガッツポーズ」と呼ぶ様になった事が最初で72年のボウリングブームの時に人気プロボウラーの中山律子などがストライクを取った時に好んで使用していた事で「ガッツポーズ」という言葉が一般に広まったと言われていますこの「ガッツポーズ」にしてもフランス、ブラジルでは中指を立てるのと同様に相手を侮辱するサインとの事で由来は分かりませんが、こういうものは往々にして中世の時代辺りで何処かと敵対する国の兵士や民衆が酷い事をした時に好んで使っていたポーズだったりするとそれをされた側が屈辱のポーズとして後世に伝えるというそんな歴史が想像付きますのでフランスと敵対関係にあるイギリスの兵士辺りがやっていたのではないか・・・という匂いがするポーズだったりします一方、スポーツの世界でおなじみという印象のある「ガッツポーズ」ですが実はこのポーズを使うのを好まない種目も存在します例えば「相撲」では2009年の初場所の優勝決定戦で白鵬に勝利した朝青龍が派手なガッツポーズを取った事が問題になり師匠の高砂親方が陳謝するという騒動になりましたこれに付いては各界の中でも賛否両論となる中当時の委員だった作家の内館牧子は「絶対にいけない。土俵の上には一種の武士道がある」と激しく批判した事でも話題になりました。その白鵬にしてみても自身の45度目の優勝が決まった2021年の名古屋場所で「ガッツポーズ」を取っており角界から「見苦しい」「大相撲が廃れる」と激しく批判されています「剣道」の場合はもっと厳しくて選手が試合で一本取った時に「ガッツポーズ」をすると反則を取られて一本が「無効」にされてしまうそうですこれは相撲の「しきたり」とは違い厳密な「ルール」で決められていて打突後に必要以上の余勢や有効を「誇示」した場合一本を取っても「取り消し」になるという事ですこれらの理由としては相撲にも剣道にも『礼にはじまり、礼に終わる』と言う言葉があって全日本剣道連盟の理念の中には「相手の人格を尊重し、心豊かな人間の育成のために礼法を重んずる指導に努める」というのがあり相撲界も、相撲は「神事」として扱い土俵上で取組前に礼をして、取組後、勝っても負けても相手の事を思い遣り、礼をすると教育されるとの事である種「武士道精神」と呼ばれる日本特有の「スポーツマンシップ」が「教育」の一環として礼節に則ったルールを採用している所に起因しているのが大きな理由だと言えます海外でも「テニス」で今年のハンガリアン選手権でハンガリーの選手トートが相手選手が途中棄権で勝利した事でガッツポーズをした事が批判され後に謝罪したことがニュースになっていますのでスポーツの世界に於ける「武士道精神」は世界共通だと言えますがWBCで大谷ジャパンに大差で敗退した韓国ナインを「強敵だった」と礼節に則ったコメントをした日本チーム対しては「バカにされた」と批判をし力を出し切って戦ったチームに「4年後はもっと強いチームになるだろう」と韓国の選手達をねぎらい将来に期待をかけたイ・ガンチョル監督とは違い「飛行機を使うな船で帰れ」となじるお隣の国の温度差に付いては例外もある、という事で・・・w因みに、「中山律子」という名前を聞いて『♪律子さん~♪律子さん~♪な か や ま りつこさん~♪』というCM曲が頭に流れた方は間違いなく還暦近い初老の中年です▲目次へ▲■人差し指を重ねる■私はやった事ありませんがw居酒屋などの飲食店で、離れた所に居る店員に「おあいそ」精算して欲しい時にするサインで女性でもベテラン社員になるとやる方がいますが巷ではコレをやるのは「中年親父」と「キャバ嬢」という一般的なイメージも強くこれをやった女性が後輩女性に異質な眼で見られたという証言や彼氏がコレをやった日には彼女が萎えたという話も良く聞くのでコレはコレで使用には注意が必要なハンドサインなのかもしれません所でなぜ「バツ」で「お会計」なのかというこのハンドサインの由来ですが会計を表す「お愛想」という言葉が「愛想尽かし」を省略した言葉である事から元々は江戸時代「遊郭」で使われた言葉がルーツという歴史がある様です「遊郭」って何?というZ世代な方には漫画「銀魂」で銀時の仲間「月詠」が住む「吉原」がそれですので現在の日本には存在しないサービス業なのであしからずw【電子書籍】銀魂 モノクロ版 25[ 空知英秋 ]価格:460円 (2023/7/27時点)そこでのホステスにあたる「女郎」に対して通っていた客が飽きて店に来なくなる状態を「愛想尽かし」と呼んでいた事が当時の流行語となって後に、飲食店でお金を払って精算して帰る事をストレートに言わないで「お愛想」と呼んで使う様になり「お愛想」が持つ「もう帰る」「これでおしまい」という意味合いから「バツ印」を作る様になったのではと考えられますキャバクラでは「お愛想」のサインは「客がもう帰る」合図になるので客に気を使い見えないようにして黒服(店員)にサインするとのことでまあ、よく分かりませんが・・・wなので「精算して」を「バツ印」で表す人は世界的に見ても日本人ダケなので海外の飲食店でコレをやっても「バツ印」は見たまま「バツ印」にしか受け取って貰えません訴訟大国と言われる欧米でコレを知らずにやると店側は何かNGなものを出してしまって客に訴えられると思い血相抱えてすっ飛んできて店内が大騒ぎになった後で逆に「営利営業妨害」でとっ捕まる可能性が出て来ますのでW間違っても海外の飲食店で「バツ印」は出さないように▲目次へ▲■ペンで書く真似■欧米の飲食店で「会計」のジェスチャーをしたいなら店員に対して空中に何かを書く様な素振りをします店員が精算する時の注文表にチェックする動作がその由来だそうですが無難に「Check, please.」と言った方が私は良いと思いますw▲目次へ▲■キツネ■日本では「キツネ」を表すこの手招ですが地中海に面したイタリア、スペイン、ポルトガルラテン語圏のアルゼンチン、ブラジル、コロンビアなどでは「お前の妻(夫)は浮気してる」あるいは「妻(夫)に騙されている」のサインとなり二本の立てた指が角を表して「弱い子羊」を意味し浮気された、騙された者に角が生えると言われる事から侮辱のサインになるとの事です日本では「きつねダンス」のブレイクで大人気となったジェスチャーですが日本でもキツネは「化かされた」「騙された」を象徴する時折会話の中で垣間見る事があるポピュラーなイメージを持つものの一つでもあります「狐稲荷」の様に古来神格化されてきたアイコンという側面も持っていますが日本ではこのハンドサインそのものを海外のように特定の意味で使用する事は無いので「影絵」的な「遊び」という文化的背景の中から生まれた「手招」の一つに留まったものだと言えますその「キツネサイン」が近年ヘビーメタルユーザーの間で使われているという話がありますご覧のハンドサインはプロレスやヘビーメタルで多用され「行くぜ!」を表すサインとして知られる「コルナ」「デヴィル・ホーン」「メリウィックサイン」と呼ばれるもので由来は、ギターレジェンド、リッチー・ブラックモア率いる伝説のヘビーメタルバンド「レインボー」の元ボーカル故 ロニー・ジェイムス・ディオが自身のバンド「DIO」で多用した事で世界的に広まったと言われるハンドサインです因みにこの「DIO」は「ジョジョの奇妙な冒険」の「ディオ」のネーミングの元ネタとなっている事でも知られていますGeezer Butler and Ronnie James Dio, bassist and singer of "Heaven and Hell", at the festival Gods of Metal in Milan, Italy (画像参照: wikimedia)しかし これ程までに影響力のあるサインとなった為か2017年に「KISS」のベーシスト、ジーン・シモンズがこのサインを商標登録しようと試みたらしくこれに対してロニー・ジェイムス・ディオの未亡人ウェンディが「これはパブリックドメインだ」と批判するという騒動がありましたこれが誰がルーツかという話であるならビートルズの1966年のシングル『Yellow Sabmarine/Eleanor Rigby』でジャケットのジョン・レノンがこのポーズを取っているので定かではありませんジーン・シモンズは11日後に申請を取り下げ後にこの一連の行動に付いてコメントをしておりますが真意は良く分からないものがありました要するに、ジーン・シモンズ流のものはジーン・シモンズのものという持論がある様でこれまでにも「$」や「Motion pictures」の様なパブリックドメインも自分がデザインしたものは商標登録して来た という経緯があった様で何と言われても構わない「後悔はない」という様子でしたがこういう時の「後悔はない」というコメントは何かの問題を起こした人間が謝罪をしない代わりに使う常套句なので少なくとも「間違っていた」とは感じているとは思いますつまり今回はこれまでと違い大勢のロックミュージシャン、ロックファンからの批判に晒されて余りにも反響が大きすぎた事で 断念したという印象がありますジーン・シモンズがなぜこの様な暴挙に出たのかは分かりませんが、思うに・・・ディオよりもKISSがオリジンの方がミュージシャン仲間もロックファンも世界もより納得してくれるだろう というある種、大スターとしての「影響力」を考慮した「使命感」からの「立候補」という行動だったとも とれますが資本主義的音楽業界にドップリと浸かった価値観のまま何も見えない状態でその様に突き動かされたものがあったのではと「誰もやらなくても俺様はやる」という事だったのかもしれません73年のデビュー以来「白塗り地獄メイク」を施した悪魔的世界観とハードでポップな音楽性というギャップで世界的ブレイクを果たした「KSS」の大スター、ジーン・シモンズが「デヴィルホーン」の商標を主張するのは自由である意味「資格」はあるとも言えなくもないですが今や世界的にもメタルの代名詞となったメロイックサインはそういうある種「資格」のある人物こそ誰もが自由に使えるものである事をロックファンに向かって宣言する「義務」があると思うのです日本でも「ゆっくり茶番劇商標登録騒動」という茶番劇がありましたがwロックファン的にも何とも残念な話だと思いました・・・話を戻しますが・・・このメロイックサインがなぜメタルサインになったかですが立てた指が悪魔の角を表す事から「魔除け」として使われて来たという経緯からディオの音楽の「悪魔」「中世時代ファンタジー」「ダンジョン」欧州怪奇幻想ファンタジーという世界観と合致して音世界へ誘うサインとして使用した事が80年代当時のメタルブームで追い風となりヘビーメタルのコンサートではファンとの一体感をもたらすハンドサインとして多用された事で世界的に広まったと考えられますという訳で今やこのハンドサインはロックファン必須のアイテムとなったわけですがそんな折2010年にデビューした日本の女性メタルダンスユニット「BABY METAL」のステージでの事サウンドはメタルではあっても元々アイドルグループ出身の企画ユニットでメンバーの3人が特に熱心なメタルファンという訳では無かったからなのかコンサートでファンが行ったこのハンドサインの意味が分からずメンバーは見様見真似で「キツネサイン」で返したというチョットした「事故」がありましたW何とも微笑ましい お話ですがwしかしこれが話題となりましてその後「BABY METAL」では「キツネサイン」が正式なハンドサインになるのでしたサブカルチャー王国日本らしい勘違いの産物となったお話でした確かにこのメロイックサインは「キツネサイン」に似てますので先程の「弱い子羊」と同じ様に取られる事もあるのではという話にもなりますがメロイックサインの方は立てた指以外を丸めており「弱い子羊」を表す地中海圏は「メロイックサイン」を出す欧州圏にひどい目にあってきた歴史があるのでそれとは差別化をして欧州文化を嫌悪する姿勢から生まれたサインというそんな経緯を感じる所からも似て非なるものだと言えますどちらかと言えばコント55号の坂上二郎の持ちネタの「飛行機」に似てるので今「飛びますっつ!とびますっつ!」というワードが頭に浮かんだアナタ今更「わ・・・ワンオクの森進一の息子がやってたサインだ!」と若ぶった所でONE OK ROCKの「Taka」の事を「森進一の息子だ」と言っている時点で「アウト」ですwそんなアナタは間違いなく昭和生まれの初老ですというか私ですW▲目次へ▲■電話■この「飛びますっつ!飛びますっつ!」のハンドサインを耳元で揺らすと「電話だよ」「電話してネ」のサインとなりますがこれは受話器付きの電話でのサインであってスマホ全盛の現在では通用しません20代後半のベテラン女性社員が後輩女性に「は?」という顔をされたという証言もある様で今どきの子は指を立てず手のひら全体を耳に当てるジェスチャーをするとの事ジェネレーションギャップを感じさせる消えゆくハンドサインでもある訳でした・・・▲目次へ▲■親指と小指を立てて下げる■先程の「電話」のハンドサインのまま手首を下げると溶けたアイスを交換するサインになりますこれは氷が入った容器「アイスペール」を持ち上げる仕草で主にキャバクラで使用されるキャバ嬢が黒服にするサインですこれを見てこの事がすぐに思い付いた方はキャバクラ通いが過ぎるので入れ込むのも程々にしましょうw▲目次へ▲■何かを絞る■今年3月6日に行われたWBCの前哨戦となった対阪神戦で本塁打を放ったチームの大黒柱大谷翔平選手が行ったこのハンドサインは「ペッパーグラインダー」と呼ばれ侍ジャパンを応援するサインとして一大ブームを呼びましたこれは侍ジャパン出場で話題のメジャーリーガヌートバー選手の所属チームカーディナルスで行われているパフォーマンスで両手を使ってコショウを引くジェスチャーが「身を粉にして働く」「粘り強くいく」という意味からチームの士気を高めるとされてメジャーリーグではよく使われるサインとの事ですそれをヌートバーでは無く大谷がもたらしたのはヌートバーからこのサインの事を聞いた大谷がまずエンジェルスで使用してその後、ヒットを打つたびに使用する様になった事がWBCでのパフォーマンスに繋がりやがて侍ジャパン大躍進のシンボルとなっていったという経緯があった訳ですちなみにこのサインは「キャバクラ」圏でも使用されておりWおしぼりを絞るポーズに見立てて温かいおしぼりにチャンジするサインとなっているそうですトイレに行く時にこのサインを出し使用済みおしぼりを三角にたたんでテーブルの角に置いておくと黒服店員が速やかに取り替えてくれるとの事ですまあ、知りませんがw▲目次へ▲■人最指と中指を重ねる■これは海外から来たアーティストが唄っている時にやったり海外ドラマ、洋画などでも見る事がある欧米のハンドサインで「フィンガークロスド」と呼ばれる「GOOD LUCK 幸運を祈ります」を表す事でよく使われるサインで人差し指と中指をクロスする行為が「十字架」を表し魔除けとし欧州で広まったポピュラーなものだそうですイギリスでは宗教的な意味は無く単に「I’ll keep my fingers crossed」という決め言葉として使われているとの事です又、ジョークを言った時に「嘘だよ〜」という様な使われ方もある様です■対してベトナムでは相手を侮辱する「卑わい系」な意味がある様で日本でも約束をした時の「指切り」の意味の他不潔、触りたくない時の「えんがちょ」という意味もありこれを欧米人にやられて怒る日本人がいるとしたら今どきのZ世代は「えんがちょ」そのものを知らないのでまあやっぱり、還暦近い初老の人位でしょうかねえ~W因みに「キャバ圏」でもWキャバ嬢が客に見えないように黒服にこんな「えんがちょ」サインをする事があるとの事でセクハラが酷い痛客やどうやっても機嫌の取れない苦手な客を付けられた時などキャバ嬢が 客をチェンジしたい 時という特殊なケースとして出すサインが「えんがちょ」だそうですという事になりますので、こんなサインを出されない様それを念頭に置かれて愉しくお遊びくださいW■因みに「ホステス」と「キャバ嬢」がどう違うのかですが「ママ」と呼ばれる統括者が居るクラブなどで働くナイトワーカーの女性を「ホステス」と呼び「ママ」と呼ばれる存在が無く代わりに先輩女性ナイトワーカーや黒服がサポートする店に務めるナイトワーカー女性を「キャバ嬢」とも「キャスト」とも呼ぶそうですではなぜキャバクラではキャバ嬢が「キャスト」と呼ばれるのかですがキャバクラの募集広告で「ホステス募集」と書くと高い接客技術を要求されそうで、厳しいイメージがあったらしく「タレント」の様な印象を与えて募集しやすくさせる実際に芸能界デビューもある事をアピールした業界の造語との事でこれを六本木などの一流クラブに務める一流のナイトワーカー女性に向かって「キャスト」と言ったら笑われますのでご注意くださいまあ、分かりませんがw▲目次へ▲■人差し指と中指を曲げる■海外ドラマやハリウッド映画を見ていると登場人物たちが会話中にこんなサインをする時がありますねこれは「エアークオーツサイン」と呼ばれるもので「引用」を表すサインです会話中このサインが出てきたら「今誰かの言葉を借りて話してるよ」と相手に知らせている事になります由来というか、この指の形はと言いますと例えば wiki などで引用箇所があると“軽蔑すべき者を敵として選ぶな。汝の敵について誇りを感じなければならない。- ニーチェ -”みたいな使われ方で[“ ”] [ダブルクオーテーションマーク] が使われますこれを 指マネ したものですただ、ドラマを見る限り、凄く為になる良い事を言っている人物の後ろでこの指マネをしながらニヤニヤしている奴が居るみたいな感じで使われるのをよく見るので多くは、このハンドサインは「コイツの言ってる事誰かの受け売り~W」みたいな感じで揚げ足取ってからかう時に多用されるサインでもあるようですなので、例えば私が「軽蔑出来る様な奴は敵とは言えない・・・本当の敵とは、尊敬出来る人物の中に居るっつ!!!」みたいな「ニーチェ」のパクリを真顔で言ったら後ろで[“ ”]WWWWとやれば良い訳ですW▲目次へ▲■人差し指と中指で目を指す■これは「I’m watching you!」ジェスチャーと言って洋画や海外ドラマの刑事もので良く出てくる欧米特有のハンドサインで「監視しているからな」「見ているぞ」をアピールする相手を威圧するタイプのサインになります日本では 2007年放送 岡田准一主演ドラマ『SP 警視庁警備部警護課第四係』で第一話(確かw)で 怪しい人物をマークした岡田准一扮するSP井上薫が仲間に「監視します」アピールで持ち場を離れるサインを送るという様な特に日本で一般人はまずやらないサインでもありますので海外に行って子供のお守りを任されたりした時 程度で子供に向かって「見てるぞ」サインを出してフリーズさせる様なそんな気軽なものではありませんのでお気をつけてw▲目次へ▲■人を指差す■どこか方向や場所を指すのでは無く欧米でも日本でも人を指差すのは失礼というのは世界共通の認識の様で「自分は指されても何とも感じない、なぜ人を指差すのは失礼なのか?」と言う、全てに於いて寛容な方も少なからずおりますが「君、人を指差すのは失礼だよ!」と言って人を指差すという自覚無くやってしまう天然な方は、置いておき・・・w英語で「Pointer」とか「Index finger」と呼ばれ「目印」という意味があったり日本でも親指の次の指を「人差し指」と言うからと言って人を指す時に使っても良いという理由にはならない訳ですこれは「指南」「指示」「指針」などの「指」で表される「方向性」をもたらす「コア」が主従関係を示唆する「上意下達」な関係性を含んでいる事と人を指を指す心理には自分を優位な立場に置き無理やり認めさせる「承認要求」があるとされています人間関係を円滑に進めるには人を名前で呼び合う事が有効で人間関係の距離を縮める事にも繋がる事からも「名前」には人のアイデンティティーと人格に密接に繋がるものがあり欧米では名前を呼ぶ事そのものが「挨拶」となる文化がある事に対して人を名指しで指差す行為には挑発と対立をもたらす人間関係の放棄を想起させるものがあり故に指差す先とは、人では無く物であるという現代人の感覚が道理と作法の両方で 失礼に当たると捉えている事が理由だと言えますそれでも「理解できない」という方は別に無理に理解しないで「そういもの」という事で納得すれば「変人」として認識される事も無く人間関係を円滑に進める事が出来ると思いますw▲目次へ▲■人差し指を立てる■「人を指差すのが失礼」を道理で理解できない方はその「証拠」というか立てた指を上に上げてみると「オレサマがいちばーんっつ!!!」という自己顕示を表すサインになる事が分かりますその「一番を宣言する指」で人を差している訳なのですから「お前は俺より下」という事になるという訳です指を向けると失礼と感じるのはそれを対外的に分かっている現れだと言えます■さてこの画は今日ではロックのステージで良く見られる「行くぜ」宣言ハンドサインですがこれを一番最初にパフォーマンスとしてやった元祖は恐らくディープ・パープル時代のロックギタリストリッチー・ブラックモアではないかと思われます私の記憶が確かなら このハンドサインは元々は「一番」を示して観客を煽るアジテートパフォーマンスなどでは無くギターソロを演る直前にミキサーに向かって「ボリュームを上げろ」を指示していたダケの単なるスタッフとのやり取りという話だったと思いますそれが昂じてそのままソレっぽく指を立てて挙げる様にしたらロックっぽいと評判が良かったから演る様になったのかそれを見たファンが勝手に「ナンバーワンッツ!!!」と勝手に解釈して雑誌にも指を立ててギターを弾く姿が付録のピンナップポスターにまでなってもはややらざるを得なくなったからなのかそうしてロックアイコンと化したのかもしれません■「必要は発明の母」と言いますが人を挑発する行為は失礼にあたるとしてそれが理解できない事は社会人としては由々しき事だとしてもロックのステージでは挑発する行為が求められ認められる随一の場所でもあると言えます従って逆に捉えれば失礼行為が理解できない感覚も又この様な動作が偶発的に生まれる源となりそれが重要なパフォーマンスとして必要とされる事もある「随一の感覚」という事になり得るのかもしれません▲目次へ▲■自分を指差す■名前を呼ばれた時など「私で~す」という感じで自分の顔を指さして示しますがこれは日本でしか通用しないハンドサインの様で欧米人はコレを見て「?」と思うらしいのです欧米ではこの様に「Me」という時は親指で自分の胸を差します洋画や海外ドラマでもこんなジェスチャーを何度も見ていると思いますこれは「顔」に主体性を持つのが日本特有の感覚で欧米では「心」に主体性を感じている現れだと言えますなので指を立てる場合も こんな感じで 胸辺りを差して「Me?」とやる訳です因みに「キャバ圏」ではW腕を下げてグーから人差し指を立てると「移動せずまだこの席に居ます」のサインになりますこれは黒服の「付け回し (キャバ嬢の付く席の指定)」で場内指名があった時に使いますが先程の「えんがちょ」とは違って笑顔で客に見える様に出せば客も悪い思いはしないという太客をキープする為のチョットした気づかいにもなるサインでもありますまあ、知りませんがw▲目次へ▲■二本指で指す■因みにディズニーランドではこの様にキャストが何かを指差すときには必ず二本指を使うらしいのですがこれは指差し行為が失礼に当たる事に対しての配慮という意味と創業者で喫煙の愛好家だったウォルト・ディズニーがタバコを挟んだ指でパーク内のアトラクションを指さしている光景が写真として記録に残っていた事で後に社会的影響を考えてその写真からタバコを消去した所写真のウォルトが二本指で何かを指さしている様に写った事からキャストが二本指で指差す仕様が生まれたという事です■今年1月に亡くなったギターレジェンドのジェフ・ベックが「次はお前のソロだ」と指差す時にゆっくりと「人差し指」を向けるのが印象に残っていますがこの場合「ソロをぶちかましてみろ!」とプレイヤーを挑発している訳なので一本指で指してもロック的には差し支えないと思うのですがジェフの場合は親指も一緒に上げているので厳密には一本指で差しているのでは無く一番最初に紹介した「LOVE」の「L」で差している事になり正に「ロック」と「配慮」の分水嶺なハンドサインだと言えます何しろ毎回ジェフのバックはジャズ、フュージョン界の超大物ミュージシャンで固めて時にはジェフよりも格上のプレイヤーをゲストとして呼んでいる手前尚更という事なのでしょうかジェフ・ベック - 悲しみの恋人達JEFF BECK -『Cause We've Ended As Lovers』という訳で、マナーとしても接客をする際にも人を指す時はこの様に「手のひら」を使うと手の動きによって与える印象が大きく変わりますしこの時「笑顔」で応対すれば相手も自然と笑顔が生まれて関係もきっと良好な状態へと導かれる事でしょう■人は「顔」の表情や「身なり」の印象には敏感ですがハンドサインにまで気を付けている人は少ないと思われますそれ程人が人を見る時の「心」を推し量る事は容易では無く頭の上から靴の先までトータルで見るしか方法が無いのが顔の表情や全体のイメージに加えて身に付けているバッグや財布などのアイテムの他果ては敬愛する人物が語る持論をそのまま真に受けてしまう情報過多な消化不足の曇った目利きのままその様な見立てに左右されがちになる要因だと言えます従って如何に自分をアピールするかは、「如何にエレガント足りうるか」や「どう自分らしく見せるか」という「見た目」が「印象」に直結する「仕草」を試行する事では無くて見た目が、話し方が、仕草が、ハンドサインがどうだろうとその人物の「器」が推し量れない程の「意外性」がある事も又イメージに左右される社会で自分らしくある為には必要な事の一つなのかもしれません☆という訳で良い一日を【ブログ更新】『Wikiの写真で一言』第13回「OKサインは欧米ではOKではない?」 - 楽天ブログ(Blog)バラエティを見てるとピースする外人が時々映ったりしますが最近は「これって本当にピースか?」と疑う自分がいて驚きます😶https://t.co/DUh2voHiYw #r_blog— Voyager6434 (@voyager6434) July 27, 2023 【楽天ブログ】TOPページ更新しました。https://t.co/GS88AIR3GF『wikiの写真で7月の一言』日本人が知らずにやってるNG行為では「OK」のハンドサインが有名ですがこういう「知らずにやってる情報」を知るたび自分らしく生きる事にますます「萎縮」してしまうんですよねぇ・・・😶 pic.twitter.com/QBXq0gUFUq— Voyager6434 (@voyager6434) July 2, 2023■7月のMarillion■Marillion (画像参照: wikimedia)Marillion - The Man from the Planet Marzipan (2008)マリリオン - ザ・マン・フロム・ザ・プラネット・マジパン 収録アルバム『HAPPINESS IS THE ROAD』■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■【輸入盤】Seasons End: Deluxe Edition(3CD+ブルーレイオーディオ) [ Marillion ]価格:13,763円(税込、送料無料) (2023/7/3時点)■【電子書籍】写真と動画で見るジェスチャー・ボディランゲージの英語表現[ ランサム はな ][動画アクセス+音声DL付]価格:1,958円 (2023/7/3時点)■【電子書籍】仕事のしぐさ図鑑「デキる人」「残念な人」を決める50のポイント[ 荒木シゲル ]価格:1,188円 (2023/7/2時点)■【書籍】言ってはいけない!やってはいけない!大人のNG(青春文庫) [ 話題の達人倶楽部 ]価格:825円(税込、送料無料) (2023/7/2時点)■【書籍】子どもを伸ばすママの言葉がけ言ってはいけない「NG」ワード55 一緒の時間がもっと楽しくなる上手な伝え方 (マミーズブック) [ 曽田照子 ]価格:1,430円(税込、送料無料) (2023/7/2時点)■お嬢様、「了解です」は上司にNGです。 [ 新井直之 ]価格:1,078円(税込、送料無料) (2023/7/2時点)■【CD】バビロンの城門 [ レインボー ]価格:1,844円(税込、送料無料) (2023/7/28時点)■【CD】BABYMETAL [ BABYMETAL ]価格:1,916円(税込、送料無料) (2023/7/28時点)■【輸入盤Blu-ray】Jeff Beck / Performing This WeekLive At Ronnie Scott's価格:3,190円(税込、送料別) (2023/7/28時点)■小説・コント55号改訂版 [ 山中伊知郎 ]価格:1,320円(税込、送料無料) (2023/7/28時点)■ゴールドオッケーステンレスピアス 1個販売ハンドサイン OK お金 マネーサイン価格:330円(税込、送料別) (2023/7/28時点)
2023年07月28日
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