あれから10年ですね。私はあの時71歳でしたが、前年に仕事をリタイヤして、自良く言えば自分探し、悪く言えば漫然と過ごしいる頃です。
3時過ぎにテレビを見ていると、福島で大きな地震発生・・・それに引き続いて流れ始めた数日間のテレビの映像・・・。
もう信じられない、この世でこのようなことが起こるのだという驚き、恐怖。毎年3.11が近づくと流される映像を見て、決して忘れてはならない自然災害への恐れを感じます。

 それにしても、身近にいろいろなことを体験、見聞きされましたね。
当地にも福島から非難された人々がたくさんおられて、新聞・テレビで報道されます。未だに4万人の人が避難先でせいかつされているとのこと、原発事故がなければ、10年経ったらだいぶ良くなっていたのにと思います。 (2021年03月10日 14時45分41秒)

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2021年03月10日
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カテゴリ: カテゴリ未分類

3・11・・・あの日、東京も激しく揺れました。

私は外出して駅前のビルの地下街にいました。地下なのに、大きくゆさゆさ揺れる壁、
壁がきしむ音、ビル内に響く大きな警報音、走り回る警備員さん。 自宅にいる夫と
連絡を取ろうにも、携帯がすぐに使えなくなり、帰宅を急ぐバスの行列に並びました。 

不安がつのり、並ぶ見ず知らずの人とも「どこが震源かしら?」と話し込み、行列の
中から「○○町の通り沿いの家が潰れていたそうだ」等と大声の言葉に、とうとう
直下型地震!かと震え上がりました。 あとで知った事ですが、近くで潰れた家など
無く、一か所スーパーマーケットの非常階段が揺れで外れた個所があったという事
でした。まさしく流言飛語のたぐいが一瞬にして起こる事を知った時でもありました。

帰宅してみれば、「中へ入るな! 足元があぶないよ!」と、夫が掃除機をかけている
最中。 綺麗に飾り棚に収めていたロイヤルコペンの食器類、お気に入りの陶製の人形
など、皆落ちて壊れたようでした。バカラのグラスも、ベネッチアで手に入れた思い出
のワイングラス類もぜーんぶ。越して来たばかりだったマンションの5階は相当揺れた
ようで、観音開きの食器棚も飾り棚も全部扉が開き、バタバタ揺れたそうです。 
それを目撃して夫は「ちょっと、覚悟したよ」と神妙な顔をしていました。

あの時は壊れ物の片付けに夢中でしたが、その後息子たちフアミリーが来宅して10人
あまりの家族が揃った時初めて、グラスが足りない、あのお皿が無い、と気づきました。

「形あるものは必ず壊れる」・・・と、あれから、物への執着が無くなりました。


あの黒い津波が押し寄せた宮古がご実家の友人がいます。
中継映像にご実家の店舗が濁流に飲み込まれていくのを目撃して、とてもTVが観られなく
なったと聞きました。東京で物流関係のお仕事をなさっていたご主人は、救援物資を積んだ
大型トラックを、まず日本海側へ走らせて、遠回りしながら2日かけて宮古に向かって・・・
無事にご実家の皆様と再会できた!と連絡が入った時は、皆ほんとうにホッとしたものです。


あれから1週間後くらいに、銀行のロビーで町内の若い顔見知りとばったり。
小さい女の子と男の子が一緒だったので「お子さん?♪」と尋ねたら、なんとご兄弟が福島
原発事故からご一家あげて避難してきていて「この子達は甥と姪なの」と言われて、なんと
言葉をかけていいかわからなくなり、「大変ね。頑張ってね」というしかありませんでした。
本当に、身近かに感じられることが多々ありました。


そして数カ月後、 
ある日乗ったタクシーの運転士さんと「あの日」の話になりました。
その人は福島から上京して働いていて、福島の親戚は皆無事だったというので「それは良かった
ですね」と言ったあと、聞いた話に絶句。 実は、仙台に嫁いでいた娘さんと小さな赤ちゃんが
津波に飲み込まれ、赤ちゃんは見つかったけれど娘さんはその時まだ行方不明だという事でした。
私は目的の場所に着いても、かける言葉も無く、後部座席に固まってしまいました。
そんな私に、運転手さんは「いや~我々は我々で頑張りますから、今、毎日を楽しく暮らせる人は
その生活を楽しんで欲しいんです。それでいいんですよ」・・・と。 
何故か私の方が励まされたようで、思わずこぼれた涙と共に「どうぞお元気でいてください」と
言うのが精いっぱいで、タクシーを降りました。
あれから10年、あの運転手さんは今も東京のどこかを走っているのかしら・・・

本当に様々な事がありました。 
人生観、価値観、全てがガラッと変わる経験でした。


昨夜もドキュメンタリーを観ていました。両親を失い親戚の下で育った少年。 心のケアをして
くれたカウンセラーさんの話では当時の彼は、目がどこを見ているかわからなかった・・・と、
いうのです。 祭り太鼓を叩く幼い頃の少年、すっかり凛々しい青年になった彼が汗を滴らせ
ながら力強く太鼓を打つ今の姿・・・と、カメラはその少年を10年追い続けていました。

その彼が高校を卒業し目標を見つけ、福祉関係の勉強をする為一人暮らしを始めた、と希望の
春を感じさせるものでした。

先日の夜、長い電話をした友人とのお喋りの中でも「私達の世代はダメだけれど、これからの
若い子達には期待できそうな気がするわね」という話にもなりました。

「私達の世代はダメ・・・」というところに、反論もあるかもしれませんが (^_-)-☆
経済成長真っただ中で青春を過ごしてしまった私は、甘く緩く生きてきてしまったなぁ~
と、まったくそんな気持ちなのです。







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最終更新日  2021年03月11日 13時35分48秒
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Re:あの日が迫り、思いだす事いろいろ・・・(03/10)  

Re:あの日が迫り、思いだす事いろいろ・・・(03/10)  
mamatam  さん
10年がたったのですね。
wakkoさんの日記を読みながら、ずいぶん色々なことを、忘れたわけではないけれど、思い出すことも少なくなっていたなあと反省しました。
10年前のあの時は仕事中で、夫とわたしのほかに息子の小学校の同級生のお母さんである友人と3人で仕事をしている頃でした。
3人で表の通りに飛び出して、揺れる地面によろけながら手を繋いで立て、電柱と電線がグラングランとすごい勢いで揺れるのを信じられない思いで眺めていました。
友人もわたしたちもマンション住まいで、自宅がどうなっているか心配しましたが、帰ってみるとエレベーターは止まっていて、8階の友人も9階のわたしたちも階段で登りました。でも、家の中は不思議と何事もなく、全く何の被害もありませんでした。
幸い知人で亡くなった方はいらっしゃいませんでしたが、被害を受けた方は何人もいらして、それ以来いまだに心身の不調が癒えない友人もいます。
こうして思い出すと本当に大変な災害だったと改めて思います。忘れてはいないなんて言っていてはいけませんね。
この間の大きな余震で、自分の防災意識もだいぶん緩んでいるなあって気づきましたし、もう一度心を引き締めないとですね。 (2021年03月10日 17時28分24秒)

Re:あの日が迫り、思いだす事いろいろ・・・(03/10)  
meron1104  さん
それぞれの3.11がありますね。
そちらもずいぶん被害があったんですね。
あの津波の映像、未だに忘れられません。
まだ体調の良くなかった私は、テレビの映像を見て具合が悪くなりました。
福島は、旦那の田舎です。
イロイロありましたが、おかげさまでみんな元気にしています。 (2021年03月10日 19時35分09秒)

Re:あの日が迫り、思いだす事いろいろ・・・(03/10)  
曲まめ子  さん
あの日以来、静岡県沿岸部は毎年津波避難訓練が始まりました。
それまでは9月と12月の防災訓練の2回でした。

海抜の低い地域は津波避難タワーができました。

あちこちの電柱に「海抜○○メートル」と大きく記載してあります。
我が家は海抜14メートル地域です。

浜岡原発からここは30キロほど。
何か起こればどうなるのか。

不安に思うことは数限りなくあります。 (2021年03月10日 20時29分24秒)

Re:あの日が迫り、思いだす事いろいろ・・・(03/10)  
10年前の3.11マンションの自宅は
かなり揺れて大切な食器類が
かなり破損して大変でしたね
我が家も棚が落ちて部屋が大変でした
それからタンスの上はすべて片付けて
つっぱり棒をしました
災害はいつ興るかわからないので
毎日の避難対策が大切ですね (2021年03月10日 21時42分00秒)

Re:あの日が迫り、思いだす事いろいろ・・・(03/10)  
maria-  さん
こんばんは。
思い出しますね。
うちは、娘が出張帰りで羽田空港のトイレにいて地震でした。
しばらくの間、トイレのドアを閉めてのトイレ無理でした~(^^;
トラウマになったようです。

(2021年03月10日 21時46分00秒)

Re:あの日が迫り、思いだす事いろいろ・・・(03/10)  
naomin0203  さん
その日、私は京都にいたので東京の揺れを知りません。
さぞや家の中がめちゃくちゃになっているだろうと覚悟して帰宅したのですが、幸い大した被害はありませんでした。

でも娘たちのところは、マンションの壁にひびが入ったり、食器がたくさん壊れたんです。

もう10年経つのね。

今日を無事に過ごせることに、感謝しながらの生活です。
(2021年03月11日 05時48分36秒)

Re:あの日が迫り、思いだす事いろいろ・・・(03/10)  
こんにちは
3.11に亡くなった息子が杉並の会社から
自宅迄三時間歩いて帰宅したのを思い出しました 息子と救援物資を都庁に届けました 地震中は外に避難していました
都庁や電信柱が揺れていました 部屋に戻ると本棚が割れて部屋の中が散乱して
大変でした 
今日は東日本大震災から10年経ちました
大災害はいつ起こるかわからないので
お互いにいつも災害対策をしておきましょう‼️
(2021年03月11日 17時54分04秒)

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