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雨の漏る屋根ぞなつかし秋黴雨 あめのもるやねぞなつかしあきついり ♪ あめ~ふれ~、あめ~ふれ~、 あめふりゃ、おけやがもうかるぞっ ♪僕の生まれた家は代々続く古い家で、雨が降るとよく雨漏りした。ある雨の降り続く日の夕刻。父がその雨漏りを直すと言って、屋根に大きなはしごをかけた。鎧のような雨合羽を着て、雨の中、瓦屋根に昇っていった。しばらくして、庭でドスンッという音がした。みな驚いて外に飛び出すと、父が屋根から落ちていた。それから父はしばらくの間、人の手助けがないと動けない体になった。いつも恐かった父が、この時ばかりは妙にやさしかった。トイレに行くにも、人の肩を借りて行く。その父の後ろを僕もついて歩いた。♪ あめ~ふれ~、あめ~ふれ~、 あめふりゃ、おけやがもうかるぞっ ♪このころ、動けない父がよく昔話をしてくれた。この「傘売りお花」の話の中では、あめふりゃ、傘屋がもうかるぞ、だったけれど、父はいつも桶屋に儲けさせていた。その父が元気になるまでは、我が家の雨漏りは直らず、座敷にはいつも雨受けの、丸い桶があちこちに置かれていた。
2015.09.03
上旬も中旬もなき秋思かな♪ 夕陽の丘の ふもと行く バスの車掌の 襟ぼくろ わかれた人に 生き写し なごりが辛い 旅ごころ ♪ 石原裕次郎&浅丘ルリ子 「夕陽の丘」昔のバスには車掌さんがいた。今のバスはほとんどがワンマンである。僕はバスの運転手を見ていた。バスの運転手も大変だ。ワンマンを補うかのようにたくさんのミラーが設置してある。数えてみると、十個ほどの鏡が運転席周辺にあり、二つしかない目で全てをチェックしなければならない。大きなバックミラーをはじめ、降車口のステップの上に三つ、センターミラーと、運転席側の外に大小のミラーが設けてある。料金のやりとり、行先の確認、自らもマイクに向かって何かを言う。そして何よりも人数分の乗客の命を預かってハンドルを握っている。「次、降ります」昔は車掌さんに声を掛けた。すると車掌は運転手にその旨を告げた。独特の言い回しで。今は降車ボタンがある。降車ボタンも吊革の所や、壁という壁、手すりのあちこちに、これでもかというほど設置してある。少しでも乗客が動かなくても済むように、至る所にあり、降りる人がどこかのボタンを押すと、全ての降車ボタンが赤く点灯する。そこまで必要なのかと思うほど数が多くて、とてもとても数えてなどいられない。「次、降ります」と口で言ったって聞いてくれそうにない。行先不明の人生のバスにも、降車ボタンは数多く付いているのかもしれない。でも、それは自分では押せない。或る所のその人、その人の人生の終点でバスは止まる。母といっしょに散歩していた父も、ある地点の停留所で先に降りて行った。自分では押せないと思っていた降車ボタンを、近頃の社会情勢、自分で押してしまう人が多いらしい。夏休み明けの二学期の始まりに、降車ボタンを押す子供が近年、増加していると、今朝のニュースでも報じていた。人生のバスの降車ボタンを自分で押して、降車口のステップを踏む気持ちはどんなだろう。走って来た道をバックミラーに覗かせる。そういうマニュアルが運転手にもあれば、まだ助かるかもしれない。久方に乗ったバスにも、いろんな人生が乗っかっている。♪ この世の秋の あわれさを しみじみ胸に バスは行く ♪
2015.08.31
縄文の土より出でし稲穂かな この頃は、めったにバスに乗ることもないのだけれど、先日、仕事で京都に行った時に、久しぶりにバスに乗った。ほぼ満員のバスの、運転席のすぐうしろの吊革に僕はつかまった。走り出してしばらくして、少しくたびれたスーツに身を包んだ、営業マン風の若い男性が、運転手の所にやってきた。一万円札しか持ち合わせがないのですけれど、と申し訳なさそうな顔で、ハンドルを握る運転手に言った。運転手は困るな、というような無愛想な顔をして、お客さんに訊いてみますか、と言った。顔の横に付けている小さなマイクに向かって、「お客様の中に、一万円札のくずれる方おられませんか?」と車内放送した。車内にはそれらしき人はいないようだった。僕もあいにく持ち合わせはなかった。すると、うしろにいた中年の男性が、もう使わないからと、バスの回数券を一枚差し出した。またもう一人の初老の女性も席を立って小銭を用意した。困ったときはお互いさまだと言いながら。結局、回数券の方をお借りしますと言って、住所を、と言いかけた時に、差し出した男性は、いいからいいからと、どうせ使わないものだから遠慮せんどいてと言った。何度も何度も礼を述べてその若い男性は、いくつ目かの停留所で降りていった。こういう場合の対応が、このバス会社のマニュアルなのか、運転手の采配なのかはわからないけれど・・・。
2015.08.30
念仏を燃えたぎらせて秋の蝉晩年、父と母はふたりいっしょによく散歩していた。自宅からコースを決めて、2時間くらいかけてゆっくりと歩いた。昔の人間である。おそらく公然と人前で腕を取り合って歩くことなど、初めてだったのではなかろうか。ある日、その散歩の途中で急に父の気分が悪くなった。近くのバス停からバスに乗って帰ることにしたらしい。ところが、乗り込んでからサイフを忘れているのに気付いた。仕方なく降りる時にバスの運転手に事情を説明した。運転手は、それでしたら今度、どのバスでもいいので、支払っておいてくださったら結構です、と言った。父と母はその運転手に深々と頭を下げてバスを見送った。数日後、元気になった父とまた散歩に出た母は、途中のバス停でバスを待ち、先日の運賃を支払った。もちろんあの時の運転手ではない。それでしたら運賃箱に入れておきますと言って、母からお金を受け取った。たいした金額ではないのだけれど、その話を聞いて、人と人との、思いやりとやさしさのつながりというものを感じた。それがこのバス会社のマニュアルなのか、運転手の采配なのかはわからないけれど・・・。
2015.08.30
朝顔の種子あたためし植木鉢人間、時には打ちのめされるものに、出会いたいもんだ。部屋にこもって、駄句作りや、good企画の浮かばない仕事ばかりせず、そんなものはクソッたれにして放り出し、樹齢幾千年もの杉の大木を見上げたり、人智の及ばぬ宇宙に思いを馳せたり、天才の描く宗教画の前に、ただ茫然と立ち尽くしてみたいものだ。グリーンカーテンの朝顔も、その役目を終えたように葉を落とし、各節々に種を膨らませている。今朝も妻が水をやる。それは植木鉢の土に静かに浸み込み、鉢の底の方からそのまま垂れ流されているようにも見える。そこでしか生きられないものの、枯れかかった根っこに、土はいくらかの水分を含ませる。毎朝のように咲いてみせた花びらは、いつしか尊い命の塊になり大地に落ちてゆく。秋は、リングの中央で、立っていられないKO寸前の所まで、私を打ちのめしてゆく。 ワン、ツー、スリー・・・。
2015.08.29
線と線交わりて天高き空高校野球が始まった頃の、ある夏の夜。駅に娘を迎えに行った。約束の時間より早めに出て、駅前のベンチで涼みがてら待つことにした。昔からあった駅前の広場を整備して、小さな公園のように桜の木が植えられ、ベンチもいくつか置いてある。前には川が流れていて夏には涼しいので、いつもここに座って待つことにしている。座っていると、時々、酔っ払いがきて座ることがある。近くに2,3件の居酒屋があるが、そこで飲んで来るわけではない。そんな金はもったいないということで、自動販売機やコンビニで酒を買って、こういう所で飲んでいる。そういう自分も家から持ってきた缶ビールを握っている。「兄ちゃん、ここええか?」あんたに兄ちゃんと呼ばれる覚えはないわいと、言いたくなりそうなおっさんが横にきて座った。かなり酔っている。コップ酒とピーナツ袋を握って、時々、ピーナツ豆をぽりぽりやりながら、グビッと。こちらから話しかけることはあまりないけれど、話しかけられると相手にはなる。こういう場合、たいてい野球の話題から入る。そして家はどの辺で、仕事はどうで、となる。そしてこの日は、家族の話にもなった 。家におってもおもろないと言う。自分で言うのもなんだけど、僕は、話すより聞き上手だと思っている。奥さんのグチを聞き、仕事のグチを聞き、苦労話を聞く。ピーナツを僕にも分けてくれて、二人でポリポリやりながら、酒を飲む。酒が切れた所で、じゃ帰るわ、と言って腰を上げた。よくも見ず知らずの者に、半泣きになりながら身内のことを話せるもんだと、あきれてうしろ姿を見送った。時計を見る。今日は娘が遅い。缶ビールも切れて携帯をのぞく。この頃の人は、手持ち無沙汰になると必ずといっていいほど携帯をのぞいている。「ここ、かまへん?」今度は僕と同じ年くらいの女性が座った。スーツっぽい服に薄いカバンを提げている。「あたし、木の下はきらいやねん、虫がおるから」と言う。見渡せばベンチはここ以外に四つあり、四つとも桜の木の下にある。他のベンチが空いているのに、なぜここに座ったかの弁解を、彼女はまず僕にしたわけである。あたしの好みのタイプだから、ということにしてくれてもいいのだけれど・・・。「今日、天理すごかったネ、15点よ」これも自分で言うのもなんだけど、なれなれしく話しかけられると、それに合わせてこちらもなれなれしくなる。ハンドバックから煙草を取り出しながら彼女は言う。その日の高校野球の結果は知らなかったので、15点で天理が勝ったのか負けたのか知らない。そう言うと、天理が勝ったのだと少し目尻にシワを寄せて言う。話を聞いていると、どうやら高校野球のファンらしい。その素晴らしさをいくつか掲げて僕に同意を求める。彼女は別に僕のことは何も訊いてこない。そういう時はこちらも先方のことは尋ねない。ただ彼女は自分の好きな高校野球の素晴らしさを、僕に押し付けるようなくちぶりで話す。彼女はどこかの会社で人を使う仕事をしているのかも知れない。煙草が一本なくなると、彼女はハンドバックから携帯用の灰皿を取り出し、そこでもみ消しながら、ありがとう、言った。帰って寝るわ、と言って腰を上げた。その去って行くうしろ姿に、家に帰っても誰も待つ人はいないような気がした。娘から一時間ほど遅くなる、のメール。僕は立ち上がってコンビニにビールを買いに行った。 ある夏の夜の出来事。
2015.08.25
エプロンの結び目ひとつ地蔵盆思い出を持っているということは、有難くて嬉しくて楽しいことだ。年老いた母が、昔、家族で遊びに出かけた思い出を、そうやったかねえと、今では記憶も曖昧になって思い出せないでいる。顔は笑っているけれど、なんだか胸がきゅーっとして、いっしょに大事にしてきたものを失くした気分になる。子供を産んで育てて年月が経過すると、思い出も愛情といっしょに親から子に引き継がれていくのだろう。歳をとると、遠ざかるものばかりが増えて、何を見ても懐かしむことばかり多かりき。胸がいっぱいになるのは、自分の思い出の引き出しを何かがいっせいに開け放つ時だ。祭りでも、金魚すくいでも、運動会でも、過ぎた昔の親不孝でも・・・。思い出せなくても、テレビドラマを見て泣く、涙もろい母の胸には、誰よりもたくさんの引き出しがあることを僕たちは知っている。それは古い水屋の奥に伏せたコップの中に、ひっそりと隠しておいた母のへそくりの幸せだったりする。思い出せないからといって、本人はちっとも悲しむどころか、カラカラと笑っている。それだけで、十分だ。
2015.08.23
風死すも緑に息を吹き込みぬ外に立つと、日中はとてもとても、秋の季語など思い浮かばない。ビデオの静止ボタンを押したように、風はピタッと動かず、天から日の光がむんずと、身動きできぬように、みんなの肩を抑え込んでいる。人は汗をかき体温を調節している。人間にもっとも近い猿などには、そういう機能はないらしい。猿は暑い時には木陰でじっとして動き回らない。人より賢明だ。風はなくとも、元気に稔る青田の緑に、そこはかとなく喜びが波打つ。農耕民族の長い歴史が、現代人の眼底にもそう映し出すのだろう。収穫の秋の気配。風なくば、自然の息吹きを風の形にして見る、人類の知恵。
2015.08.16
ポマードの父の匂ひや盆の路 ♪ うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川 ♪ 小さい頃、 この「かの川」は自分たちの地元の川のことを歌っているとばかり思っていた。 神川と書いて地元では「かんの川」とよんでいた。 その神川小学校にいた頃、弟と二人で「かんの川」に遊びに行った。 小さな棒っきれの先に糸と針をつけて釣りをすることになった。 餌は近くの河原の石をひっくり返すと出てくるミミズ。 釣針は針金を曲げて作った。 こぶながよく釣れた。 もちろんウキなどない脈釣りだ。腕にククッと伝わる感触がたまらなかった。 日が暮れるまでに帰らなければと思いつつも、 川の上手に餌を放り込み、流れにまかせて流し、 岩の間の少し流れのゆるんだところで必ず食いついてくることを発見してからは、 二人とも時のたつのも忘れて夢中になっていた。 バケツに入りきらないほど釣れた。 その釣果に父や母の驚く顔が目に浮かんだ。 気がつくと辺りはうす暗くなっていて、 家に帰り着いた頃には、もうとっぷりと日が暮れていた。 怒られるだろうなあ、と思いつつ家に入ると、母は晩飯の支度をしていた。 が、父の姿がない。 だいぶ前に僕たちを捜しに自転車で出て行ったと言う。 この自転車、よくチェーンのはずれる古い自転車だった。 しばらくして、父が自転車で帰ってきた。 そして僕たちの顔を見るやいなや、鬼のような顔をしてバケツの魚を全部、 すぐ横の溝川に放り捨てた。 僕たちはどつかれると思い一目散に外に走って逃げた。 帰ろうにも帰れず、弟と近くの神社の石段に座っていた。 松の木の間から夜空いっぱいの星が見えた。 「腹へった」 と弟が言った。 帰るか、と思ったそのとき、下駄の音が鳥居の影から入ってきた。父だった。 「こんな所におったんかっ、めしやっ!」 少し酒の匂いのする、機嫌の直った父の背中をついて帰った。 後年、思ったことだけど、 あの時、日暮れの道、父は自転車のはずれたチェーンを直しては、 ますます子供の安否を気遣い、最悪を否定しつつ捜しまわったのだろう。 子を持つ親になって思い知ったことである。
2015.08.13
遠ざかるものばかり見て秋の蝉 冬山の遭難ではないけれど、眠るな、眠るなと起こし続けるのも、なんだか情がない。揺り動かした何度目かに、前脚で空をつかんだままそれっきり動かなくなった。 もう起こさんでくれと、大きな欠伸をしたように見える。生まれ来し土に眠る蝉は、あるいは、 よろこんでいるのかも知れない。 彼女は僕の鳴くビブラートの声にぞっこんだった。 松の木にも柿の木にもクヌギの木にも、 彼女はついてきた。 そしていつも横で僕の鳴く声をうっとりと聴いていた。 ある日、 ふたりで隣の森まで冒険をした。 その帰りのゲリラ雨。 激しく降る雨に打たれながら、 古い農家の軒先に飛び込んだ。 そこには人間の子供がいて、 入口に虫取り網が立てかけてある。 僕はジジとも言わずに、濡れた彼女の肩を抱き、 声を押し殺して軒先の陰に隠れた。 はげしくたたく屋根の雨音がその存在をうすめてくれる。 彼女の手はふるえていたけれど妙に熱かった。 体も熱かった。 ほてった何本かの脚をからませて、 僕たちは長い夜を過ごした。 次の朝、 夜が明けるやいなや僕たちは飛び立った。 なんだか脱皮した時以来の体の軽さを感じた。 そしてそれから、 愉しい夢のような時が過ぎた。 でも、それは長くは続かなかった。 彼女の方に先にお迎えが来た。 彼女は土に寝ころがると、 最後の力をふりしぼって僕の方に手を伸ばし、 もう一度、もう一度だけ、 私のために鳴いてくれと言った。 僕は鳴いた。一生懸命に鳴いた。 実はそういう僕の方にもお迎えが来ていて、 今にも枝から落ちそうな体を必死で支えながら鳴いた。 彼女が動かなくなるのを見届けると、 急に力が抜けてきて、僕は地面に落下した。 反射的に何回か羽ばたいたおかげで軟着陸し、 彼女の近くに横たわることができた。 もう鳴く力もない。 心地よい眠りの世界がやってくる。 僕は彼女との短い夏の思い出をたどりながら、 深い、深~い懐かしの土中に沈もうとしていた。 なのに、 誰かいまだに、 起きろ、起きろと揺り動かす奴がいる。 「もう起こさんでくれ」 、懇願する。 「なに言うてんのよ!日が暮れるよ」横に妻が立っていた。蝉のころがる木陰のベンチで、僕はうたた寝をしていた。
2015.08.12
八月を蹴ればギシギシ股関節 今からおよそ400万年ほど昔、変な猿が直立二足歩行を始めたという。人類の起源らしい。二足歩行によって何ができたか。両手が使えるようになった。獲物を細かく食べやすく裂いたり、相手を威嚇するのに木の棒を振り回したり。やがて道具を使いこなすようになる。サッカーはその類まれなる高等生物の機能を封印するスポーツだ。サッカーにとって、GK以外の選手の手は、相手を突き飛ばしたり、ユニフォームを引っ張ったり、審判に両手を広げて抗議するためにあるらしい。ワールドカップの試合などにも、様々のドラマがある。本命視されながら初戦で敗退していく代表チーム。破れて大地に四つん這いになり泣き崩れる選手。仰向けのまましばらく動けない者。悲嘆にくれる時、人は、400万年前に戻るのかも知れない。 公園で少年たちがサッカーボールを蹴っていた。ちょっと仲間に入れてもらう。久しぶりにボールを思いっきり蹴った。気分がスカッとした。大空に飛んでいったのはボールだけではなかった。調子にのっていると、腰の辺りにピリピリッと激痛。変な猿、がもたらしたものはいいことばかりではなかった。人類特有の腰痛や膝の痛み。足はボールを蹴るためだけではない。重い上半身を一身に受けとめている。もはや、四足(よつあし)の生活には戻れない。
2015.08.11
たはむれて母の吐く息しゃぼん玉 あれだけ満面の花を、空に向けていたひまわりが、明日の希望をなくした難民のように、首をうなだれて立ちつくしていた。 「かわいそうなもんですね」 近くで草刈りをしていたおじさんに言う。するとおじさんは少しむっとした顔で、「そんなことはない。花の種がいっぱいなってよろこんでいる」と言う。そばに行って下からのぞくと、種が埋まり、あとは大地に落ちて行くのを待つだけの、秋の収穫をよろこぶ農夫のような満面の笑みがあった。しょぼくれているのではなかった。遠い昔、僕を背中に負うて、畑仕事に精を出す、汗と土にまみれた、化粧気のない、若い頃の母の笑顔を見たような気がした。たわむれに、近所の子らにしゃぼん玉を吹いて見せる、母の笑顔にも似て・・・。
2015.08.10
跣の子靴の置き場所忘れけり 海の日という祝日があるけれど、 ドラマなどで、 若き頃の伊達政宗や織田信長が、生まれて初めて海を見るシーンがある。それが彼らの海の日であり、 海を見ることがなければ、歴史もまた変わっていたかも知れない。自分の海の日ってあったかな?生まれた時から家の前に海があり、潮騒を聞いて育った。その海に、蛸のような生き物が棲息していることの方が驚きだった。昔は海どころか、あの山の向こうに何があるかさえ知らずに、一生を終える人がいたかもしれない。。生まれた時から身の回りに、テレビや電話や冷蔵庫、パソコンが当たり前のようにある時代、何があっても不思議ではない、可能性の氾濫する時代。その分、夢や驚きの少なくなった時代。いや、むしろ今の子供たちには、つい二、三十年ほど前には携帯のなかったことの方が驚きか?そういえばこの頃、蛸も何も言わなくなったような・・・。
2015.08.09
しばらくは眺めていたし蝉の殻 魚を捕まえるのに、最初に糸を使って釣りあげることを考えたのは誰だろう。海辺の小さな片田舎にいた幼い頃、よく海に釣りに出かけた。竿なんて買えないので、裏山の竹を切り、糸に針金で作った釣針をくくりつけて、エサは浜にいくらでもいるフナムシを使った。よく釣れた。ウキなんてない。脈釣りだ。食いついた時のあの腕に伝わるククッとした感触。いまでもこの腕がよく覚えている。女が竿をまたぐと釣れない、というジンクスがあった。今なら、しばかれそうな話だが、当時、大人たちがよくそう言っていた。家の庭で釣りの準備をしていると、小さな妹がよく竿をまたいで通った。それでも、釣れるときもあれば、釣れない時もあった。ジンクスにも年令制限があったのかどうかはわからない。学校から帰って、友だちと水平線に大きな夕日が沈むまで遊んだ。あの磯のにおいは、今でもこの鼻腔の奥に、なつかしくこびりついている。
2015.08.07
ゆで卵塩をふくほど暑くてよ 子供が言葉を覚え出した頃、 テレビのことをテベリと言っていた。 何度、テ・レ・ビと教えても、テ・ベ・リと返ってきた。 分類学の発達で、 植物だけでも、驚くほどの分類種があり、 一口に花といっても、その数は、 天文学的な数字になる。 人類も昔、 これは食える物、これは食えない物で、 分類することが始まったのだろう。 食える物でも、うまいもの、まずいもの、 食えない物でも、命にかかわる物、そうでない物を経験的に、 覚えていったのかもしれない。 せっかく分類してくれているけれど、 僕はそれらの名前を覚えるのが非常に苦手である。 特に花や木の種類、魚類の名前、教えてもらっても、 なかなか次に思い出せない。 僕の頭の中では、 魚屋さん、八百屋さん、果物屋さん・・・と、 分類されているだけである。 それでも、スイカは果物屋、トマトは八百屋? 頭がややこしくなる。 テレビをテベリと言うように、 ペチュニアをペニチュアと言ったって、 いいじゃないか。 暑いんだから・・・。
2015.08.04
いたずらのスカートめくり青嵐古今東西、暗黙の了解の中でいたずらは許されてきた。エイプリルフールやハロウィン。ドッキリカメラ。子供の頃の教室の入口の黒板消し落とし。黒板への先生の顔の落書き。背中に張り紙。バナナの皮。登下校時の寄り道。落とし穴。いちご畑やぶどう畑のつまみ食い。 子供の成長する過程には、 力試しのような、タブー破りのような、 小さなかわいい試みがある。 怒られることはわかっている。 けれどもそこには最低限度のラインがあった。 まわりの者がそういうラインの線引きを教えながら、 いたずらを容認してきた。 異性が気になりだす頃、 スカートめくりしたり、わざとちょっかいかけたりした。 今はどうなのだろう。おそらく、 とんでもないことなのだろう・・・な。 柿畑の横の古い通学路。 懐かしい。 もう今は使われていない。 草がぼうぼうと生い茂り、 道にはみ出た青葉が風に吹かれて、めくり上がる。 きゃーっ、と言う声が聞こえてきそうな気がする。
2015.07.29
母のごと南瓜の花の萎れけり朝、庭に降りる。毎日眺める風景でも、その日によって目に付くものが異なる。今朝は庭の片隅の石蕗の葉に目がとまる。年中、そこにいるのにいつも目が素通りしていた。また、石蕗は冬の季語。だから僕の意識の中から、その存在が消えていたのかも知れない。そんな石蕗の葉にも、りっぱな思い出がある。子供の頃は、学校から帰って、牛の餌であるじゃがいもを細かく切るのが僕の仕事だった。大きなタライの中にじゃがいもを入れて、上から専用の刃物で切る。T字形の先にナタのような刃がついていて(ほうきの先に刃の付いたようなもの)、 それを立ったまま、上下に動かして、タライの中のじゃがいもを細かくなるまで切るのである。その日の夕方も、いつものように庭でじゃがいもを切っていた。そこへ母が牛車に乗って畑仕事から帰ってきた。そっちに気をとられ、刃をふりおろした瞬間、足の先に何かが当たったような感じがした。僕はしゃがみ込んで足の親指の先を触ってみた。親指の爪の半分くらいから先がパカッと割れて、指の中ごろまで切れていた。よそ見して、タライの外に刃を打ち降ろしていたのである。痛くはなかったのだけれど、僕は驚きと怖さで泣き出してしまった。母はすぐに傷口をふさぎ、庭からつわの葉をいっぱい取ってきて、火であぶってもんで傷口に貼ってくれた。結局、医者にも行かずそれで治ったのだけれど、今では信じられないような話だ。小学校の3、4年生くらいでそんなことをさせられる子供も子供なら、なんぼ貧乏とはいえ、医者にも連れていかない親の勇気にも恐れ入る。あの頃は、どこもそんな時代だったんだろうと、傷跡の残る親指を見て、そう思う。
2015.07.27
此処に在ること夢うつつ昼寝覚 この同じ空の下、悲しいニュースが起こる。どこそこで何月何日、何時何分ごろ・・・と。そういうニュースを耳にすると、いつも思う。ああ、何時何分ごろ自分は何をしていただろう。ちょうどあの頃、同じこの空の下のどこかで悲しい出来事があったんだと。胸の張り裂けそうな悲痛な叫びが、この大空にこだまし、戻らない魂が天に昇って行く。 時間を戻せるなら、取り戻せるなら・・・、喉の奥からふり絞った声。一番乾きにくい涙を流す人に、かける声も失い、ただ、天を仰ぎ見る。
2015.07.23
青梅雨が弾いているソロピアノ曲 明かりとりの窓が、うす明るくなって目が覚めた。 よく聞くと雨の音がする。 なんだかこんなに優しい雨音も久しぶりのような気がする。この辺りもじきに梅雨明け。暦の上では、もう来月早々、立秋。 過ぎてしまえば夏も短い。 短いわりに、半ズボンのポケットには、 たくさんの忘れ物が詰まっている。 少なくとも子供の頃はそうだった。 こぼれた思い出が、 洗濯機の中でカラカラと音を出す。夏休み。
2015.07.21
遠吠えの犬になりたし夏の月 夏祭り。夏の夜は開放的で、心までお祭り気分になる。特に満月の夜。 同級生の女の子が妙に大人びて見える。それまで、なんとも思っていなかったのに。浴衣着た彼女の笑顔が、目の裏あたりに貼り付いて離れない。彼女の方は、学校で話すように、気軽に話しかけてくる。なのに俺のこの胸のどっくんどっくんはなんだ。「綿菓子、おごってえー」 彼女の唇が、裸電球に艶めかしい。満月の夜。遠くで犬が吠える。俺も狼のように吠えたくなる。初恋。
2015.07.19
金のなる木を笑ひつつ如露の水 金のなる木、だと。 笑わせる。 妻が金のなる木をもらってきた。 これで我が家も安泰だ、とはいかない。 検索するとその名の由来も書かれているけれど、 あまり調べる気にもならない。 「一円玉でもいいんだけどなあ・・・」 俺が言う。 「夢のない話やねえ」 妻。 「一円玉やから?」 「百円玉やったら夢のある話やの?」 「夢のレベルがちがうわ」 夫婦で夢のある話をさせてくれる、金のなる木。 妻が水をやり、俺が写真。 花言葉は一攫千金だと。 笑わせる。
2015.07.14
好きになる女の唇紅の花 まゆはきを俤にして紅粉の花 芭蕉 以前、山形の知人からりんごを戴いた時に、この句が。松尾芭蕉が奥の細道で山形を訪れた際に詠んだものと、同封されたパンフレットに紹介されていた。 りんごの甘酸っぱさは、失恋の苦さより恋が成就する過程の、人を好きになる、胸の苦しさにあるような気がする。 今では山形の県花でもある紅花。芭蕉は、眉掃きを面影にして、紅花に、誰を想ったのだろう。
2015.07.10
おはようの声さへ聞けば夏暁 朝、 計ったように、 定刻通りに聞こえる音がある。 世界的にも正確な日本の電車の話ではない。 隣家の雨戸の開く音。 朝一番に起きる妻の開ける、扉の音。 ガスコンロの点火の音。 水の音。 そしてトースターのチン。 パンが焼けた。 「おはよ」 皆が起き出してくる。 今日も一日が動き出す。 電車の時刻に勝るとも劣らない。 平凡でもいい、 毎日平穏にくり返すだけの幸せでいい。 そうやって、 今年も180日ほどの幸せが過ぎてゆく。
2015.07.07
川遊び裸足の裏の記憶かな 小さい頃、 母方の実家に、 母と二人だけで帰ったことがある。 母の里は、 山をひとつ越えた所にあり、 昔はみな歩いて峠を越えた。 今は、歩いている者など見かけない。 その峠を越えたあたりに、 一本の松の木があり、そこまで行くと、いつも一休みした。 誰かに撮ってもらったのだろう、 その時の白黒の写真が今も残っている。 着物姿の母と、帽子かぶって半ズボンのよそ行きの僕。 そこを少し下った所に、 湧水の小さな川があり、近くの木の葉を使って、水を飲んだ。 汗かきの母は、また汗になるので飲まなかった。 靴を脱いで足を水につけてみろと、母が言った。 裸足の裏から、ひんやりとした心地良さが伝わってきて、 身体の芯まで生き返ったような気がした。 母も子供の頃、そうしたのだと言った。 時々、兎やたぬきも目にした峠道。 里帰りする母は、 どこかうれしそうで、優しかった。 車の音はなく、 ただ、水のはじける音だけが響いていた。
2015.07.06
葉脈に山の滴る水の音 葉脈をたどるように森に入る。 来た道は足跡がなくても森がおしえてくれる。 人の命を奪うような樹海ではない。 歩く足を止めて仰ぎ見る。 見わたす限りの木々たちに葉のなる季節。 青葉、若葉、緑葉、結葉、茂り葉、病葉、落葉。 一枚の葉っぱにも様々の人生模様がある。
2015.07.04
早乙女の姿見たよな赤き帯 今日は風の強い一日だった。 娘に頼まれてレンタル屋まで運転手。 娘の用がすむまですることもないので、 店内のエレベーター横にあるベンチに腰掛けていた。 普段あまり気にもかけなかったけれど、結構小さな子供連れの親が多い。 若いお母さんに手を引かれて、ちっちゃな女の子がエレベーターを待つ。 ベンチに座っている私とちょうど目線が合う位置。 黒い瞳が大きくて可愛い。上の娘の小さい頃に似ている。 以前、目を合わせて愛想をしたら泣かれたことがあるので、 なるべく目を合わさないようにする。 彼女が目をそらした隙に、目線をもどすのだが、 すぐに彼女も私の顔を見る。また、すっと目をそらす。 そんなやりとりをしているうちにエレベーターに乗り込んでいった。 乗り込んでからも扉が閉まるまでじっとこちらを見ていた。 私は手を振った。 最後の最後に彼女は小さく手を振った、ような気がした。 この新しくできたレンタル屋の下には畑があった。 後方には病院もできた。宅地化もすすむ。 横にはまだ田んぼが残っている。 田植えされ、少なくとも収穫までは残るのだろう。 ちっちゃな苗が風に揺れていた。 さっきの女の子が手を振っているような気がした。
2015.07.01
無口なる家に降る雨男梅雨 雨の音は、いいな。何にでも限度というものがあるけれど、雨も火も風も日も、そこそこのものなら、人の心を癒やしてくれる。 庭の夾竹桃や薔薇の木の葉を打つ音もいいけれど、その昔、トタン屋根を打つ雨音ほどいいものはなかったな。皆が無口になっても、あったかく間をもたしてくれる、それはそれはやはらかき、家族を見守る音だった。
2015.06.30
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