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歯の矯正を始めた頃、私の母親が「なんで今さら矯正なんかするの???!!!」と会うたびに聞いた。私は母親と全く同じ歯並びをしていて、小学生の頃から母親と同じく強烈な肩こりもち。どうして肩がこるのか、40年も経ってやっとわかったのだ。く・い・し・ば・り。寝てる間、何時間も歯をくいしばっていたのだ。そりゃあ肩もこるよ。母親に全部説明しても、「へぇ~。もうお嫁に行くわけじゃなし。」とあまり納得していない。「じゃあ、私のひどい肩こりも、この歯並びのせい???」とは考えない母。
2016.10.13
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昨年の7月に右上3番(八重歯)と左下3番と4番にゴムをひっかける治療をしましたが、またまた1ヶ月前からゴムの治療が始まりました。今度は右上2番と3番、左下3番と4番に四角くゴムをひっかける治療です。初めてゴムをかけられる右上2番。その日の夜は、これまでの治療の中で、最も痛い夜となりましたこんな小さなゴム一本で、夜中に痛みで目覚めるとは。その分効果は絶大です。パッカリと開いていた右上2,3番のかみ合わせが、3週間もすると狭まってきました。1ヶ月を過ぎた今、右上3番はしっかりと下の歯に当たり、2番ももう少しで完全に頭を垂れます。八重歯が下の歯とかみ合ったのは生まれて初めて。まだ完全にかみ合わせが合っていないとは言え、食事の時にカミカミカミカミとしっかり右上3番が働いていることを感じて、一人喜びに浸っています。矯正始めてここに至るまで、全部の歯を使って食べてなかったのねぇ
2016.03.02
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先月の調整の時に「これからまだ長くかかります。」と言われてガックシきてしまった私。だけどだけど、今回レントゲンを撮ってみると、根っこの吸収が進んでいて、「長々と力を加え続けるわけにはいかないあなぁ。」という診断になりました。そして、急遽(?)方向転換なのか、調整済みだったワイヤーをまたはずして、スピードアップ型の調整が施された模様。ほぼ並んでいる下の歯にもさらに大きな力が加わっている感触です。上の歯はいよいよクライマックス。左上5番の抜歯した隙間を埋めるべく、左上一番奥の歯にブラケットを装着(右奥にはなし)。今度の調整では、左奥歯の助けを借りて、クィーーーーッとワイヤーで引っ張る予感です。今は右側のほぼすべてと左側の1~2本以外、かみ合わせが合っていないので、食事がひと苦労です。噛めないので、とにかく食事に時間がかかる。年末年始の食い気が勝るこの時期、食べ過ぎないようにするには、なかなか効果的なかみ合わせであります。(ポジティブシンキング)
2015.12.19
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イギリスへ旅行に行くと、何度も目にするKEEP CALM AND CARRY ONの文字。どこを歩いていても、目にしない日などないほどイギリス中で見かける。土産ものにもよく使われていて、キーホルダーやTシャツにもなっている。これは第二次世界大戦中に国が国民に向けて作った文句なのだ、とケンケンから聞いていた。言葉がシンプルすぎて、あんまり深く気持ちの中へ入ってきたことがなかったけれど(赤字に白い文字が並んでいるというデザイン的なインパクトの方が強かった。だからお土産にも最適なんだと思う)、パリのテロが起きてから、私はこの言葉を朝な夕なに自分のために発している。世界はますます矛盾だらけになってるけれど、本当に大切なことはきっと変わらないし、それはこれからも静かに私たちの中にあり続ける。今こそ落ち着いて日々の生活を全うしたい。世界に向けて大きな声をあげるほどの勇気はないけれど、私は自分のために、これからも小さな声で言い続けていきたい。KEEP CALM AND CARRY ON落ち着いて行動しましょう
2015.11.21
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10月初旬、大学の後輩のお母さん(以下おばちゃん)と長崎へ行ってきましたwith オット。「旅は一人で」といつも強く望んでいるので、これまでたびたびおばちゃんから「一緒に旅行してよ~。」と誘われても、さりげなく無視してまいりました。ところが、おばちゃんは今年に入ってから頻繁に「長崎へ連れて行って~」と言うのでありました。ここ1年ほどで、おばちゃんの足腰が目に見えて弱ってきており、ある日何かに打たれたかのように、「行くなら今しかない!」と思い込んだ私。その日から10日も経たぬうちに、私たち3人は旅に出たのであります。27年前に後輩をバイクの事故で亡くして以来、おばちゃんはいつも泣いていました。たくさんの後悔と深い悲しみに打ちのめされて、「二度と笑うことはできない。」と会うたびに声を詰まらせていました。美しく知的で、てきぱきと家業をこなしつつ、眉間にいつも愁いを漂わせていたおばちゃん。そんなおばちゃんも、いつの間にかずっとずっと手をつないでいなくては歩くのも危なっかしいおばあちゃんになっていました。出発前に「どこ行く???何する???」と急遽ガイドブックとにらめっこしたけれど、(そもそもなんで長崎???という疑問が。)お互い煮詰める間もなく旅立ったのです。おばちゃんは、訪れる先々の名所に興味を持っている風でもなく、「名物をガッツリ食べるで。」という意気込みもなかった。ただただ、私たちと一緒にいることを楽しんでくれていることだけが伝わってきました。帰りの飛行機の中で、「『奈良からそんな遠い大学へ行かせたからや。』ってゆーた人もおったけどな。私はええねん。あの子が喜んで、自分で決めて行ったんやから満足やねん。」と力強く語っていたおばちゃん。「私のこの気持ちは、主人にも兄弟にさえもわかってはもらわれへんけど。それでもええねん。私がそう思てんねんから。」とも。もしかしたら、おばちゃんはこの気持ちを伝えたいがために、どうしても私たちと旅行したかったのかもしれないなぁ~と思ったのでした。27年の時を経て、後輩の人生を丸ごと受け入れ、すべてを肯定しているおばちゃん。一緒に話をするたびいつも一緒になって泣いていた私ですが、今回は二人ともカラッと後輩のことを語ることができました。旅の後も後味抜群の旅だったよ。たまには誰かと旅をするのもいいね。「なんで長崎?」については、おばちゃんが福山雅治の大ファンであることが判明。観光タクシーの運転手さんに「実家見に行きます?」と聞かれて、かなり興奮気味に「行く!連れていって!!!」とお願いしていたことから合点がいきましたよ。(今回の旅の中で、一番おばちゃんが反応したところ)
2015.11.15
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今日は調整の日だった。ここ2週間ほどで左上の抜歯した隙間がドンドン縮まり、「ついにカウントダウンだな。」と思っていたのだ。が。先生は治療台を倒しながら「ここまで順調に進んできましたが、これからまだ長くかかります。」とおっしゃったのである。。。「むががががががががががぁ~?」軽いショック的何かが私の体内を駆け抜けたけれど、「まぁそういうことなら仕方がない。」と直ちに思うことにした。私は2年前の夏から矯正治療を開始したので(装置をつけたのは11月だったけれど)割と長くかかることよのぅ~とちょっと思ったのだけれど、「大人の矯正はできるだけゆっくりと動かすこと。」という主治医の言葉を思い出して、納得もしたのである。早く動かすと、歯の根っこが吸収されてしまう、というアレである。ちなみに、私はまだ前歯を思い切り出して笑うことができない。精神的なものではなく、肉体的なものだ。昔から、写真に写る自分を見ては、「どうしていつももっとスカッと笑えないのだろう。」と思っていたけれど、それは右上3番の歯が絶妙に唇にひっかかって、上唇の動きを抑えていたためだ、ということが矯正治療を始めてからわかった。そして、右上3番の歯はもう数ヶ月前に引っ込んだのだけれど、やっぱり唇が上がらない。ブラケットの厚みに負けて、笑っても前歯はちょこっとしか見えない。前歯はほぼ上唇に覆われたままだ。40年以上、唇を上げずにもそもそと笑っていたために、笑顔を作るための鼻の下や頬の筋肉が十分に鍛えられてないんじゃないのか?と思っている。そういえば、中華で蓮華を使うことができないし、大きなスプーンもニガテだ。。。密かに筋トレを開始したいと思う。
2015.10.28
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タイトルを書いただけで、胸がつまります。まだ。でも、どんなに悲しいことだったのか、忘れたくない気持ちが強いので、書いてみたいと思います。6月に8歳になったばかりのバスティとのお別れは、思っていた以上に早くやってきました。8月6日にワンコ仲間のみなさんとのランチから帰宅すると、バスティはかつてないほど喜びました。飛んで跳ねて、ふざけるように身を沈ませたり、「今日はやけに喜ぶのだねぇ~」って不思議なくらい。しばらくして落ち着くと、いつも通りの時間が流れました。散歩へ行って、ごはんを食べて、お風呂に入って(私が入浴していると、毎晩ドアをノックして一緒にお風呂に入りたがるのです)就寝。いつもと少し違ったのは、洗面所へ行ったオットが、お風呂へ入った後のバスティを見て、「バスティが死んだように寝ている。」って言ったこと。振り返れば、この日に天国への扉は開いたんだろうな、と思います。翌朝、バスティの息がやけにあがっていることに気がつきました。左足も痛そうにあげたままです。ただ、猛暑日が続いていたので、その時は深刻に考えませんでした。左足は1歳の時に3mの高さの塀から落ちた後遺症か、ここ1年ほどときどき痛そうにしていたので、これも深刻さを現しているものだとは思いませんでした。でも、1時間ほど経つと「これはただ暑いだけではないな。」と、すぐに感じました。キュンキュン言って、寝場所をあちこち変えるのです。犬は具合が悪いと、「これは場所が悪いんじゃないの?」と考えて、普段いかないような場所で過ごそうとします。耳を触ると熱い。我が家のエアコンは、このコのために夜でも22℃で設定してあるので、熱中症ではないはず。とすれば、何か病気になって熱を出しているのです。すぐに冷蔵庫の中の保冷剤やアイスノン総出で冷やしはじめました。水は自分で飲むことができているので、大丈夫。ところが、午前10時頃、庭で2度下痢をしたのです。弱っているシニアワンコの下痢は、不吉なサインです。これまで見送ってきたワンコたちのうち、何頭かは、亡くなる前に大量の下痢をしました。旅立つ前、まずはここから具合が悪くなるコが多いのです。汚れた後ろ足とお尻の周辺を、「大丈夫よ。きれいにしようね。」と玄関先でシャワーで流しながら、頭の中で今何をすべきか考え続けていました。この状態で獣医さんに診せに行くのは、バスティにとって大きな負担。下痢をしたことから、もしかしたらお別れは近いのかもしれない。それなら、苦痛を取り去ってやることが最優先。そして、この超甘えん坊のワンコのそばにできる限りいてやろう。淡々としているようですが、もちろんお別れが来るなんて実感はないのです。ただ、たくさんのワンコを見送ってきたからか、まずこう考えて自分に言い聞かせるクセがついているのではないかと思います。「その時」には冷静でいられなくなるものだから。体をきれいにしてやった後、玄関で寝そべったバスティは、それきり起き上がることはありませんでした。夜、点滴をしてやり、お尻に解熱剤を入れて、熱が下がることを祈りつつ、私はバスティのそばで眠ることにしました。私は気になって2度ほど目覚めたけれど、様子を見に行くと、ぐっすりと眠っていたようでした。具合が悪くなって2日目。昨夜の解熱剤の効果で、朝のうちは熱が下がっていましたが、10時過ぎからまた上がり始めました。左足は痛みからかプルプル震えています。傷みや熱を取ってやるために、獣医さんに往診をお願いしました。獣医さんの診断は「熱中症では?」ということでした。ワンコは話すことができないので、獣医さんは血液検査の結果からしかワンコの状態を推測することしかできません。もし話ができたら「実は1週間前から頭が痛くて、、、」とか「足が我慢できないほど痛む。」とか診断につながるような、適切な治療ができるようなきっかけを与えてくれるんだろうけれど、ワンコは何にも言えません。だから、ワンコの治療は、飼い主が主導権を持って決めてやるしかない。獣医さんよりもはるかにワンコのことをわかっているのだし、どう生かせてやりたいか、また逝かせてやりたいかを決めるのも飼い主にしかできない。足に炎症が起きていることは間違いなさそうなので、消炎剤。そして、熱が出ているので抗生物質と解熱剤を注射。朝から水を飲むのも大変そうになってきたので、点滴を1.5リットルしていただきました。我が家のワンコがずっとお世話になってきた大好きな獣医さんが、大きな病気をされて診療所を閉じられ、この日お願いしたのは、そこに新しくご自分の診療所を開かれた若い獣医さんでした。バスティは昏睡と言っていいほど昨夜からずっと寝ていました。3日目。朝、「バスティ、おはよう。」と声をかけると嬉しそうに3回尻尾を振りました。私の気配を感じたのか、上半身を起こして待っていたようです。「もしかしたら、また起き上がれるようになるかもしれない。」とささやかな望みを持ちました。今思い出しても、この最期の数日間の中で、一番胸がいっぱいになるバスティの姿です。私が1階で寝ていることを知らなかったのか、ひょいと現れた私に驚いて、弱った体で精一杯の喜びを表してくれたバスティ。でも、体が起こせたのもこれが最後でした。この後、すぐにバスティの具合は、どんどんと悪くなっていきました。私がトイレに立っても、すぐに「キュン」と言うので、私は身の回りの物をすべて玄関に置いて、バスティと過ごすことにしました。この日は点滴を朝晩合わせて2リットル。何も食べられないので、栄養分の入った点滴です。薬が切れれば熱が上がります。私はこの日から玄関で寝ることにしました。夜、何度か「キュン」と呼ぶので、「ママはここにいるよ~」と声をかけてなでてやりました。4日目。苦しさからか痛みからか、息もあがって、暴れるようになりました。暴れるといっても、起き上がることはできないので、もがいているような感じです。たまりません。ワンコは人の気持ちをよく察する生き物なので、極力明るくヘラヘラと看病してきたけれど、1日中涙があふれ始めました。寝込んでしまってから、おしっこもウンチも出ていないので、お腹をゆっくりとマッサージしてやっていたら、夜ウンチが吹き出ました。玄関中に飛び散ったウンチにバスティが落ち込まないよう、「ウンチが出てよかったねぇ。」となでてやると、しばらく眠っていました。点滴を2リットル。熱がようやく下がりました。5日目。朝からずっと苦しんでいるバスティをなでながら、先に旅立ったワンコたちに「どうか早くバスティを迎えに来てやって。」と願っていました。呼吸を見ていると、すぐに旅立ってもいいほど苦しそうなのに、また持ち直すのです。これでは拷問です。昨日から水を飲ませても吐いてしまうようになっていたけれど、水を飲んでいる間だけは、苦しみを忘れるようなので、アロマディフューザーの計量カップで口に少しずつ入れてやることにしました。(無印のがちょうどよかったです)おいしそうに飲むので、私もこの時は悲しみから逃れられました。少しずつ100CCほど口に入れてやってから(ほとんどこぼれてる感じだけど)「まだお水飲む?」と聞くと、チロッと計量カップに目を動かします。「じゃあ、もう少し飲もうね。」とあと50CCほどゆっくりと口に入れてやる。30分置きに水を飲ませて(ほとんどこぼれてるんだけど)だいたい3回飲むと1度吐く。吐く前にカッポカッポと言い始めたら「ヨッシャ!上手に受けるで!」とバスタオルを用意してキャッチする。(受けてやらないと、バスティの体が濡れてしまうのでね)苦しんで、水を飲んで、撫でてやって。この繰り返し。点滴で皮下に入った液体を、体が吸収しなくなってきました。量を減らして1.5リットルに。6日目。朝から、動かない体が移動してしまうほど苦しんでいました。呼吸が苦しいので暴れようとするから、余計に苦しくなる。その繰り返しで見ていられないほど。少しでも呼吸がしやすいように、私の膝の上に上半身をのせてやったりするのだけれど、どんな姿勢でも苦しいのか、すぐに暴れてズリ落ちてしまう。先に逝ったワンコたちに「早く連れて行ってやって!」と天国へのお迎えを願い続けていました。これまで何頭ものワンコを見送って来たけれど、「早く逝かせてやりたい。」と願ったのは、今回が初めてでした。これ以上生かせることは残酷だと、わかりすぎるほどわかりました。バスティの頭と心臓がシャキシャキなのが酷なのです。痛みと呼吸の苦しみから一瞬も逃れられないのだから。最初にお願いした獣医さんとは別の、バーニーズマウンテンドッグ、ニューファンドランドの最後の治療を託すことになった獣医さんに事情を説明して、鎮静剤と鎮痛剤を打ってもらえないかとお願いしました。持っても数時間のように見えるけれど、その数時間、というより1分でも早くこの苦しみから救ってやりたい。この獣医さんは、バーニーズのはなちゃんがリンパ腫になった時に、主治医だった獣医さんがご自分の入院と重なったために紹介してくださった先生です。「時間外でも電話してください!」と先生の携帯電話番号まで教えてくれるいい先生です。先生はバスティの様子を診て、これまでの経過を聞いてくださった後、「Oさんだからわかっていただけると思って言いますが、これは安楽死を考えられた方がいいですよ。」とおっしゃいました。私はこれまで安楽死については疑問を持っていました。どんな生き物も、飼うと決めたらそのコの最期の命の滴が尽きるまで、責任を持って看てやるのが人間じゃねえの?と思ってきました。けれども、この状態のままでは、生かす方が無責任だと思い始めていました。自分が見るのが辛いから、というのとは違うのです。自然界なら、この状態ならすぐに大きな動物の餌食になるでしょう。こんなに苦しみながら、それでも生きていなければならないのは、人間に飼われて手厚い看病を受けてしまったから、とも言えるのです。それでも、家族の一員を安楽死させることは、一人で決められることではありません。先生もそのことはよくわかってくださいました。私は、バスティがもう長く持ちそうにはとても見えないこと、安楽死については、一晩だけ夫と考えてから答えを出したいことなど話し、先生は超大型犬がどんなに強靭な肉体を持っているか、特に手をかけて育てられたコほど簡単には逝けないこと、この先もこの状態が続けば、すぐに床ずれができて悲惨なことになってしまうことなど、動物を愛する者同士の信頼があるからこそできる話を交わしました。鎮静剤と鎮痛剤が効く前に、これまでどんなに楽しかったか、どれほど私が幸せだったか、バスティにお礼を言いました。そして、どうかまた今度生まれ変わっても、私の所に来てほしい、とお願いしました。もう、バスティが二度と目覚めないことは、わかっていたのです。お別れは胸が破れてしまうほど悲しかったけれど、最期の数時間だけでも苦しみから救ってやることができて、よかったと思っています。また会おうね、バスティ。
2015.09.26
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昨日はタイトルに「ゴムの治療」と書いておきながら、ゴムの治療の話に一切触れていなかったことに、夜ベッドに入ってから気づきました(-_-)ここ数年、お脳の老化が激しく、言ってることとやってることが全く一致しないことが多いです。ごめんなさい。気を取り直して。ゴムの治療っていうのは、歯の並びを横に整える治療ではなくて、垂直方向に整える治療だそうです。右上の八重歯(右上3番)、右下3番、右下4番の歯に針金でフックをつけて、ゴムを三角形になるよう、このフックにひっかけます。なんだかとっても原始的な感じの治療だけど、その威力はすさまじい。外にパカッと出ていた八重歯でしたが、みるみる歯の先が内側に入ってきました。2か月もすると、八重歯の片鱗も見られぬようになったではないか。食事と歯磨きの時以外、寝てる時も起きてる時もゴムはつけっぱなしです。慣れてくると、食事の時もゴムをつけたまま食事をしてしまい、ゴムをパチッ!と切ってしまったりします。
2015.07.30
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毎月、喜々として最短コースで通ってる矯正治療。んが。今回、都合が悪くて治療が1週間先になってしまった~ちっ。伸びた1週間も、この1週間の間も、歯はきちんと動いているんだろうか。それとも、ゆるんだワイヤーは、交換されずに歯を引っ張るのをやめてるんだろうか。。。気になる。とっても気になるところだ。3月に左上5番を抜歯して、今はこの隙間がなくなるのを待っています。それにしても、矯正治療が始まった時に「ワイヤーの違和感には、すぐに慣れますから。」って言われたんだけど、これはたぶん慣れませんな。相変わらず話しにくく、思い切り笑うと上唇の裏側を切り、もともと悪い滑舌は一層悪いまんまです。来週が治療日。来週は月に1度のカレーの日だぁ~(カレーを食べると、ブラケットについてるゴムがカレー色に黄色く染まるから)
2015.07.29
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ついについに11月から上の歯に装置がつきました「右上4番だけ抜歯してくるように。右だけですよ!!」と先生から指示があったのが10月中旬。即行抜歯。そして、11月から待ちに待った上の歯の矯正が始まったのです。上の歯が生えている骨というのは、下と比べてずいぶん柔らかいらしく、歯が動きやすいそうです。たしかにたしかに。毎日歯の様子が変わっています。それにしても。。。。。。上の歯の八重歯についている装置が、口の内側を擦るするスル、、、ズリズリと。物をかむたび笑うたび、ズリズリ擦るので、痛くて数日は笑えませんでしたの。でも、数日経つと、もう後ろへ向かって動き始めて、痛みも気にならなくなりました。装置装着から1カ月半ほど経った今、八重歯はコーナーを曲がった正面を向いていた八重歯は、もう横を向いているのです早い。ウワサどおり早い上の歯の移動。この調子でどんどん動いてちょうだい。
2014.12.25
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クラスメイトには「あっという間だったね!!!」なんて言いましたが、本当に長かったです、この1年。小麦粉にかぶれて顔も手もカユカユに。私、パン屋さんはムリですね。卒業試験、無事に終わりました~なんという解放感!!!もう学校に通わなくてもよい!!!でも。このままでは、きっと少しずつ忘れていくので、今度は辻の通信教育でパンの勉強を続けることにしました~私はきっとMなのね。
2014.10.18
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左下は、5番の歯を抜歯した私。いつの間にか抜歯後の隙間がなくなっています!順調です。ぐんぐん動いています。それでも、まだ上の歯は手つかず。主治医によると、上の歯は下の歯よりもうーんと動きやすいそうで。焦らなくてもよいのかなぁ~すごーく大人の歯列矯正は、とにかくゆっくりと動かすのがよいそうで、私の下の歯も相当ゆっくり動かしているようなのですが、もうほぼ並ぶよ~~~!!!
2014.10.18
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すごーく大人になってから歯列矯正をすると、歯肉が下がって歯が長く見える「歯肉退縮」が進むことが多い。「歯の根っこが見える!」状態である。私は、長年の喰いしばりで、矯正前からこの歯肉退縮が進んでいた。冷たいものに歯がしみたり、虫歯になりやすくなったりと良くないこともあるらしいけれど、今のところ困ってはいないし、私は笑った時に歯があまり見えないタイプなので、審美上もまったく問題がない。前回の調整の時に、矯正の先生から「上の歯に装置をつける前に、犬歯の根っこに歯肉の移植をされた方がいいと思います。」と提案があった。前顎あたりから肉(?)を取ってきて、犬歯の根っこへくっつけるそうな。「それって、しなきゃいけませんかぁ~?」と明るく尋ねてみたら、先生はわりと強くすすめてる感じだった。。そんなにたいそうなことはイヤだなぁぁぁ~~~と思い、歯の主治医に尋ねたところ、「まったく必要なし!!!」とのことだった。ほっ。歯肉移植という治療も確かにあるが、移植した歯肉など歯にくっつくわけでなし、移植した部分が歯周ポケットになる、というのである。切って貼って、わざわざ歯周病の原因を作る治療など、ナンセンス!!!女優でもあるまいし!!!ということであった。(※もちろん、矯正以外の治療のために歯肉移植が必要なケースもあります)矯正歯科医は「美しさ」も追及する。患者の側が「矯正治療は100%美しさのためなのです!」ということであれば、審美的な治療を受ければ良いのだけれど、一般人は、歯の健康を損なう可能性のある治療は、よーーーく考えて選択していかなきゃいけないんだよね。
2014.08.28
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手ごわいな、犬歯この一言に尽きる今日この頃。さすが固い食べ物も噛み切ることができる歯だけあって、根が深いのね。下の犬歯は、動かす歯の中でも最も頑丈な歯です。ただいま奥歯から、犬歯にだけワイヤーをつけています。(前歯たちは移動休憩中)「うんこらしょ、どっこいしょ。それでも犬歯は動きません。」おおきなかぶ状態です。実際には少しずつ動いてるんだけど。次回は、一番奥の歯につけたブラケット(前回の治療時に装着)からもワイヤーをつける予定です。
2014.08.12
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式典の後は寮へ戻って、卒業生とその保護者、寮長さんご夫妻と一緒にランチパーティーが開かれました。住み慣れた思い出いっぱいの寮。ケンケン、ズボンの丈が短くなってますね。保護者のみなさんとは、初対面。でも、みなさん私たちを見れば、すぐに「ケンケンのご両親ですね。」とわかってくださいます。学年にたった一人の日本人だったのですから。ケンケンのイギリスへの留学に際して、学校選びにおいて私たちが何よりも重視したのが、「日本人がいないこと」でした。日本人は、良いにつけ、悪いにつけ、日本人同士で集まりがちです。日本人がいれば、留学当初の寂しさは紛らわされたかもしれません。でも、異国で味わう孤独を乗り越えたからこそ得られた自信は、今後の人生において貴重ではないかと思います。そんなチャレンジャーなケンケンを、先生方と共に保護者のみなさんもあたたかく見守ってくださっていたのだなぁ、と感じました。寮では「スチューデント・オブ・ザ・ハウス」の賞もいただき、感無量です。が。このあと、「その賞、返すべきでは?」な事態が発覚しました。この部屋はなんじゃぁぁぁ~~~!!!何なのでしょう。「今日、寮を出ていかなければならない。」という日に、これはどういうことなのでしょう。オットも私も、式典の感激やランチパーティーのあたたかさが一気にふっ飛びました。感慨にふける間もなく、一家総出で必死のパッキング開始。ここまでに、ランチパーティーから6時間経過。。。きれいにできてよかった。ありがとうね。寮の部屋。「部屋を引き払うには、思っている以上に時間がかかる。」という勉強になったわけですね。なったのか?なったんだろうな???夫婦でヘトヘトになって(ケンケンはケロリン。なぜ???)ホテルにたどり着き、家族で夕飯を取っていると、隣のテーブルにつかれたふた家族に、声をかけていただきました。ケンケンの同級生の女の子のご両親たちで、式典の時に私たち夫婦の前の席につかれていたのです。あの広いテントの下で、なんという偶然でしょう!!!小さな町にあるこのホテル、前日とこの日だけは満室だったのですが、こうしてイギリスはもちろん、世界のあちこちから卒業生の保護者がやってきて部屋を取るのですから(私たちもです!)早くから予約が一杯になるはずです。イギリスの小さな田舎町で、息子がこの地の学校を卒業し、同級生の両親たちとあたたかな時間を共有する。ケンケンが生まれた時には、想像もしなかった未来に立っている幸福に、私たちは包まれていました。
2014.06.30
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ケンケンがイギリスでの留学生活を終えてちょうど1年が経ちました。帰国してから、日本でのあわただしい生活に調子を合わせていくことにひと苦労。ちょうど大学受験の時期と重なったこともあって、なかなか大変な日々だっただろうと思います。最近やっと日本での生活が軌道に乗ってきたようです。(予備校にてまたまた寮生活enjoy(?)中)1年前、ケンケンはお世話になった学校を旅立ちました。その日は、私たち夫婦にとっても、人生の中の宝物のような1日。まぁ、オチもついていましたが。。。(笑)イギリスではcommemoration dayと呼ばれる、日本での修了式のような卒業式のような式典。(日本では卒業生だけが出席しますが、こちらでは他の学年の修了式も兼ねています。ただ、やっぱり主役は卒業生でしたね) 「キダムのテントみたいな所でやるから~。」と聞いていましたが、なるほど。式が始まるまで時間があったので、グラウンドを歩いていたら、「Oさんですか?」とケンケンの友だちのジョージに声をかけられました。「ケンケンととっても似てるから、すぐにわかりました。」だそうで(笑)前日にチャペルであったLeaver's Service(leaverは卒業していく生徒たちのこと)の時にも、何人かの生徒、先生方、校長先生、寮長さんから声をかけていただきました。あたたかい先生方、あたたかい友人たち。校長先生からは「ケンケンのことを誇りに思うべきだ。」とおっしゃっていただきました。たしか、インターナショナルの修了式の時にも、先生方から同じお言葉をいただいた、と記憶しています。私たちが思っている以上に、いえ、私たちが想像できないほど、彼はがんばったのでしょう。この学校で息子が過ごすことができた幸運に、感謝せずにはいられませんでした。式場への入り口で、このリーフレットを渡されました。今年、表彰される生徒の名前が印刷されています。ケンケンも3つの賞をいただきました。プレゼンターは毎年、外部から有名人をお呼びするそうです。式の中でのスピーチがとてもおもしろく、会場は笑いに包まれ、生徒たちには旅立ちにふさわしいメッセージがしっかりと届くという素晴らしい内容でした。誇らしそうなケンケン。私たちももちろんWe're proud of you!です。式が終わった後、なごやかな雰囲気があふれるテントの外。友だち、先生方と写真を撮ったり談笑したり。この後、長い間過ごした寮でのランチパーティーが開かれます。
2014.06.28
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大型犬がやってくると、毎朝起きるたびに大きくなっていて、すごーーーく驚くのだけれど、最近、歯が毎日動いていて、同じようにすごーーーく驚く。そして歌う。ぼくらはみんな生きているー生きているから動くんだーすごいですね。人間の体って。いくつになっても、手をかければ一生懸命変わろうとしてくれる。さて。この前は、下の左右3番の歯(犬歯です)を、ゴムで引っ張るという処置をしてもらいました。輪っかの横についている部分から、犬歯についているブラケットにゴムをつけて、引っ張るのです。「強い力が加わりましたから、違和感が出ると思いますよ。」と先生がおっしゃいましたが、帰りにデパートでひとりカフェでダラリ~と過ごしていました。(矯正歯科医院のすぐ近くに大きなデパートがあって、帰りにそこへ寄るのが楽しみになってる甘くみていました。ジワジワと大きな足音をたててやってきました、痛み。すぐさまポーチからバファリンを出して飲みました。(常備)大人になってからの歯列矯正というのは、おもしろいものです。これが子どもの時だったら、痛みは不快で辛いものでしかなかったはず。でも、この時の私は、痛みに比例して押し寄せてくる快感にも似た喜びに、笑みさえこぼれてしまったのです。動いてる!!!と。痛みは2日ほど続きました。結構な痛み。でも、喜びとともにこの日は、もうひとつ、嬉しいことをしてもらいました。ワイヤーを白いワイヤーにしてもらったのです。(要追加代金)シルバーのワイヤーだと、必ず人と話している時にその人の目がワイヤーへ注がれる。その「間」が面倒になったのです。。先生は「白いワイヤーにしても、矯正してるのはわかりますよ。」「治療期間が長くなる場合がありますよ。」とおっしゃったんだけど、まぁ、気分の問題?結果。人に会うと、矯正装置を見せびらかすまでに(笑)やっぱりワイヤーがマット色になるだけで、印象がうーーーんと違うのです。
2014.05.24
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バラの季節ですね~我が家の庭が、1年で1番華やぐ季節です。さて、そんないい季節に。我が家のセント・バーナードが1週間ほど元気がありませんでした。セント・バーナードの平均寿命は6年だと聞いてるし、早くも重い病気を患ってしまったのかなぁーと心配しておりました毎日吐き、お腹をこわし、夜もぐっすりとは眠れていない模様。一昨年亡くなったニューファンドランド犬も、亡くなる前は毎日のようにもどしておりましたが。病気ではなかったのですある夜、いつものように カッポー カッポー カッポーと吐き気を催し、吐いたものは、、、タオル!!!タオルと言ってもハンドタオルですが、しっかりとした生地の大きめのものカーキ色に染まったタオルが、バスティの口からドサッと音を立てて床に落ちたのでありました。タオルを食べるか。。。恐らく肉か魚のお汁でもついていたものと思われ・・・まったく油断なりませんそれにしても出てきてくれてよかったぁぁぁ~~~と。ホッとした翌々日。外出先から帰宅した私が点呼を取ったところ、我が家の生後7か月のコーギー犬アニーさんの所在が不明。家中、庭中、名前を呼びながら探すも、所在がわからず恐る恐る我が家にある、小さな小さな池をのぞいたら、池の淵に必死でつかまり、半ばドザエモンになりかかったアニーを発見即行、救助。でも、雨の日、少し寒い日、アニーさんはつめたーくなっておりました。水もかなり飲んだのか、お腹パンパン。救出後もケッポー ケッポーと吐き気に悩まされております。自力で立つこともできぬほどヘロンヘロン。すぐさまお風呂で、熱めのシャワーをかけ続けること20分。なんとか私の手をペロペロと舐めはじめて、ひと安心。恐らく池の魚にオットがエサをやった後、そのエサを食べに行って池に落ちたと思われるので、7時間くらい水の中に浸かっていたことに5月でよかったぁぁぁ~~~翌日にはすっかり回復して、走り回っておりました。ワンコは強いのぅ。そんなこんなの大騒ぎな1週間ちょっと。私はアニー救出と中腰シャワー20分で、筋肉痛だわ。「もう気分はサイコー。」
2014.05.15
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GWですね。野菜の苗の植え時です(笑)次回のワイヤー交換まであと1週間。今回はカレーを食べていないのに、チューブがズズ黄色い。やっぱり富澤商店の「カレーカシューナッツ」がいけなかったのか(食べてるじゃないかっ!)装置装着にかなり慣れ親しみ、今では装置が何もついていない一番奥の歯を使って、ナッツを噛み砕くスキルを習得。だって、だって、豆およびナッツが大好きなのですものさて。1ヵ月に0.3ミリと聞いていた歯の移動ですが、見たところもっともっと高速移動しているような気がします。ずっと噛み合わせが悪くて使われていなかった犬歯や、ワイヤーが通っていない「はみゴ」の左下2番の歯は、生まれたての永久歯のように先がギザギザしたままでしたが、最近上の歯と触れ合うことができるようになって、人並みにスリ減りそうな気配です。グングン移動していることが感じられるから、歯磨き大変でも、話しにくくても、やる気に満ち満ちているすごーく大人の歯列矯正、煩わしさよりも楽しみの方がはるかに上回っているのです。
2014.05.01
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もう桜には葉っぱが目立ち始めました。いよいよ春本番ですね~さて、昨日はワイヤーの交換に行ってまいりました。先月ワイヤーが入ってから、早4週間。今回は、反省点が2点。新しいワイヤーと透明のチューブになると、やっぱりキレイ「カレーは着色します。」と言われていたにもかかわらず、この4週間で2度も食した私。「そのうち取れるだろう。」と思っていたけれど、ターメリック恐るべし。1度着色すると、交換してもらうまで、チューブがズズ黄色いまんまでしたやっぱりカレーは、ワイヤー交換の前日にだけ食べることにしよう、と決意。そして、もうひとつ。いつも神経質なまでに歯磨きを行っていたのに、(1本磨きハブラシ→山型2列ハブラシ→ソニケア(音波で磨く電動歯ブラシ)→クリアクリーンでブクブク)ワイヤーをはずした後に、「うがいをしてくださ~い。」と歯科衛生士さんに言われてしてみたらば、、、、、ネギっぽいものが出てきた前の夜も、この朝も、すみずみまで磨いたつもりだったのに手ごわいわ、矯正装置。思っているよりうーんと複雑なつくりなのね。下の歯にズラリと装置が入って1ヵ月を過ごして、1番不便に感じることは「発音」でしょうか。。。小さな小さなブラケットが歯についているだけなのに、結構口が動かしにくいのであります。お店で何か尋ねる時、ホテルでチェックインする時。日本人なのに、日本語が不明瞭で伝わらぬ悲しさよ。。。3月末からイギリスへ行っていたのですが、英語はさらに困難。。。Vの発音が超難易度高くなっているのです。下唇に上の前歯で触れようとするんだけど、、、、、下唇が遠い!!!!!Fの発音も下唇が必要なんだけど、こちらは唇のもう少し手前に触れて(苦戦)息を漏らすだけでも通じて、まだマシでした。。。それでも、最近コツをつかんできたような気がします!口を前よりも少し大きく動かして発音すると、どうやら発音が良くなるみたい。演劇部みたいに、発音練習しようかなぁ~
2014.04.12
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3月14日に下の歯にズラッとブラケットが並んで、ワイヤーが入りました今の診療所にお世話になる前に、下の歯の一部に、2ヶ月弱ほど装置が入っていたことがあったので、ブラケット&ワイヤーがついた違和感は、今のところさほど感じていません。ただ、装着した夜だけは、痛くてバファリン服用(笑)歯は早速動こうとし始めているので、食事の時も「これまでと何にも変わらん!」というわけにはいきません。私は大の豆&ナッツ好きだけど、これらは固いのでボリボリ食べると装置が歯から取れてしまいます晴れて装置がはずれるまでは我慢した方が賢明。どうしても食べたい場合は、診療所へ行く前日に堪能したほうがいいでしょう(笑)(前回、矯正装置を装着している時に、ボリボリと富澤商店の「竹炭豆」を食べて、いつのまにやらブラケットも食べていた前科アリ)それにしても、矯正装置がつくと、いかに自分の歯がガタガタしているか、よーくわかりますね。右の6番の歯から左の6番の歯まで、ズラッとブラケットは並んでいるのですが、左の2番の歯には、ワイヤーが通っていませんその歯が内に入っているので、まずは、その歯が収まることができるスペースを作って、それから前に出すようです。みんな仲良く手をつないで並んでいるのに、そのコだけ「はみゴ」状態で切ないでも、まさにココが、最も私が気にしていた場所のひとつなので、すんなりいかないのも致し方ないのであります。早くこのコにもワイヤーが通りますように~~~
2014.03.21
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良い矯正歯科医院では、たいてい治療前にしっかりとコミュニケーションを取ってくれます。(あくまで私見)私が相談した診療所も、レントゲン撮影も含めてしっかりと説明&話し合いをしてくれました。私は「歯がきれいに並べばそれで良い。」と思っていたのだけど、どうやら歯の矯正を行うにあたっては、「噛み合わせ」も同じくらい、か、それ以上に大切なものらしい。だって、「歯はきれいに並んだものの、ちっとも噛むことができません。」ということになったら、食べることができないのだもの。現にそんなケースは「いくらでもある」のだとかうっかり。うっかりしていましたよ。「歯の並びが変わる」ということは「噛み合わせが変わる」ということでもあったのですね。あぁ。うっかり。だから、「装置を長くつけるのはイヤ~~~!」なんて思わずに、特に私のような「すごーく大人の歯列矯正」の場合は、慎重に歯を動かす必要があるようです。外に出ている歯を内に入れることはたやすいけど、内に入った歯を外に出すことは難しいのですから。ただ、私の歯の下の骨が、動かされてもタフだ!ということがわかったら、普通のスピードで動かすことができる。ヘタレだったら、ゆっくりと進めて、「これ以上動かすことは危険」という段階で「かぶせもの」をしてすき間を埋めるしかないかもしれない。なんせ20代ではありませんから、骨の状態は「非常に個人差がある」ということらしいです。こればかりは、矯正治療がスタートしてみないと、誰にもわからないことなのですね~若くないから様々なリスクもありますよ、という説明の後で、嬉しいことを教えてくれました先生は、レントゲンを撮って判明した私の顏の骨格の図を見せてくれました。そこに、「アジア人の理想的な骨格」(要は「美人とされている人の骨格」)を重ねてくれているのですが、私の骨格とは、全く、全く、まったく、マッタク、違いましたえぇ、わかっていましたけどね。これが、矯正後にどのように変わるか、という線も描き入れてくれているのですが、私の骨格が(もちろん口元だけですが)美人に近づいているわけです「上の歯が少し内に入ることによって、鼻は高く見えることになり、下の歯も内に入ることにより、少し顎がハッキリするようになる。頬の肉は噛み合わせの変化により落ち、スッキリとした顔立ちになる。」と~~~きゃぁぁぁぁぁ~~~この年齢になって、美人になれるの~~~そういえば、あの作家の林真理子さんも30代で歯の矯正をしたら、会う人会う人に「痩せた?」とか「整形した?」って聞かれるようになった、とエッセイで書いてらした~~~もうこの高まる胸の鼓動を押さえることはできませぬ。これからの厳しい(と予想される)道のり、「絶対がんばれる~~~!」と思ったのでした。
2014.03.05
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タイトル変えてみました(笑)だって47歳だから。さて。3日間、歯のすき間をあけるために奥歯3本の間に2本のゴムと金属を入れていたら、ちゃんと3日後、歯にすき間ができていました。すごいですね。たった3日で歯は移動するんですね。3月1日、下の歯の、前から数えて6番目の左右に、無事金属の輪っかが入りました。輪っかには、すでにワイヤーをひっかける部品がついています。うん。これは強そう!輪っかが入った下の歯の型取りをしていただいて、14日には、下の歯にズラッと装置がつきます!輪っかを入れてから、約2週間で装置が入る、ってことですねところで。矯正の相談に行った時に、アンケートに答えたのですが、その中に「頬杖をつくクセがありますか?」って項目がありました。頬杖?つかないです。お行儀悪いもの!!!と、自信をもって×をつけたのですが。私、気をつけてると、四六時中頬杖ついてることが発覚。パソコンやってる時、テレビを見てる時、本を読む時、携帯でメールを打ってる時・・・・・・・・・・・自分の体の前に、机など頬杖をつく場所がない時には、組んだ足に肘を乗せてましたぁぁぁ~~~!!!ビックリだぜなんでもワイヤーで歯を動かす力は100g~170gくらいとのこと。頬杖をついたら、歯に3キロ以上の力がかかるそうで。。。そうしたらば、いくら装置で引っ張っても、歯はなかなか動いてくれないそうです装置がつく前にわかってよかった~。ホッ。頬杖封印生活始めました。
2014.03.03
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先週の精密検査を経て、水曜日からいよいよ治療が始まりました。といっても、今回は「セパレーション」という治療。矯正は、頑丈な奥歯たちで前の歯を引っ張るため、奥歯に強い力がかかります。そのため、装置がはずれやすい。だから、奥歯(6番の歯)には金属のバンドをはめて、装置をはずれにくくするのです。奥歯3本の間にすき間をあけるために、小さなゴムを入れます。ゴムが縮もうとする力を使って、スペースを作るのです。先生によると、「このセパレーションが矯正治療のあらゆる治療の中で、一番痛い治療です。」とのこと。んが。私は、ゴムが入る時は、なーんにも感じませんでした(^_^;)先生によると、「だいたい夜の9時ごろから痛み出して(私が入れたのは午後3時ごろ)10時に痛かったら我慢。11時に痛くても我慢。12時に痛かったら痛み止めの薬を飲んで、1時にも痛かったら、取ってください。」とのこと。ちなみに、私は歯が混み合いすぎていて、ひとつはゴムが入りましたが、あとは金属になりました。歯のすき間にゴムが入っているので、ついつい「何かはさまっている。」と舌でモニョモニョしたくなりますが、「これはゴムです。」と脳も認識しているのか、すぐに忘れてしまいました。今日でセパレーションの治療から、2日経ちますが、私は全く痛くならず。大人だから???たぶん、前に少し矯正治療を進めていたので、すでに2本抜歯されているからだと思います。抜歯後のスペースが空いたままなので、力の逃げ場があるのでは?セパレーションからは、必ず3日から最長でも1週間で金属のバンドを入れる治療を受けなければいけません。いよいよ明日、金属のバンドが入ります~(まだ装置の装着じゃないよ)
2014.02.28
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昨夜は観ずにはいられませんでした。ソチ五輪フィギュアスケート女子フリー。毎日早寝早起きしている人々も、昨日だけは寝るわけにはいかなかったのでは?と思います。マスコミがメダル、メダルとオリンピック前から騒ぎ立てるので、私たちも日本選手たちのメダルを期待しつつオリンピック観戦をしているもの、と思ってきたけれど、違いますねぇ。今回のオリンピックではっきりとわかりました。気づき始めたのは、高梨沙羅ちゃんがメダルを取れなかった時からでしょうか。「いつも着地が決まらないほど遠くへ飛んでしまうことが悩み」の沙羅ちゃん。天才少女と注目を浴び続けてきました。あらゆる大会で優勝(直前のW杯でも優勝)する彼女を見続けていた私たちは、沙羅ちゃんが当然メダルを取るのだ、と信じていました。ところが、彼女はオリンピックの舞台で4位だった。その時私たちは、ガッカリしなかったのです。もちろん勝ってほしかったし、金メダルを取ったらテレビの前で拍手したはず。でも、「これが人生なのだ。」と思った。そして、「絶対金メダルだろう。」と思われていた少女が、4位という結果になったことに胸を揺さぶられたのです。続いて「これこそ人生なのだ。」と思わせてくれたのがスキージャンプの葛西紀明選手でした。彼の顏を見ると、「たぶん勝てないだろう。」と日本人の多くが条件反射的に期待を捨ててしまうほど、彼には弱いイメージがありました。(ごめんなさい!!!)リレハンメル五輪では、「金メダル確実!」と言われたラージヒル団体で、あの原田選手のあまりに有名な失敗ジャンプで茫然の銀メダル。長野五輪ジャンプ団体ではケガでメンバーをはずれ、その団体が金メダルを獲得したことで、葛西選手には悲運のジャンパーのイメージもありました。相次ぐルールの変更についていけず、日本ジャンプ陣は、ほぼ「卓球男子」並みの扱いとなった時期が長かったように思います。それが。葛西選手は、まだ飛んでいたのです。前回のバンクーバーでも、たいがい驚いたのに。私たちが葛西選手のメダルを取った姿に涙してしまうのは、葛西選手が長く飛んでいるからだけではありません。その「山あり谷あり」な人生を知っているから。あの日本中が興奮した長野五輪の時の最後のジャンパー船木に対して、日本でただ一人(たぶん)「落ちろ、金メダルを取るな。」(本人談と新聞に掲載)と願っていたことを知っているからではないでしょうか。黒い葛西。このメダリストにもそんなヤらしい思いを持っていたことがあって、「クソー!クソー!」と生き続けてここへつながっていたのだ、ということが、どんなドラマよりも映画よりもドラマティックで、私たちの心を打つのです。筋書き通りにはいかないのが人生。人生はままならぬことだらけだということを、私たちは知っています。神様は、とことん意地悪に私たちに試練を与え続けるのです。そして、ふてくされずに試練を受け入れた者へ、必ず何らかのプレゼントを与える。葛西選手に。真央ちゃんに。そして、きっと沙羅ちゃんにもいつか。SNSでは、これでもか!と「私って幸せそうでしょ。」という写真があふれかえっています。これら「私の人生はきわめて順調である。」とアピールする人々に私たちは最近食傷気味だった。むしろ、「もしや、すごーく幸せではないのでは?」と思わせ、重い気持ちにさえさせていた。人生とは泥クサいものだし、そこにこそ美しさがあるのだ、と今回のオリンピックは気づかせてくれたのでは?と思います。真央ちゃんのフリーの関西の最高瞬間視聴率は20.0%。ままならぬ人生の美しさに酔いしれた今日は眠いみなさん、今晩はお互い早く寝ましょうね~!
2014.02.21
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昨年の夏に歯の矯正のための治療を開始して以来、なんだかんだとあって、2つ目の矯正歯科医院に通院中です。ひとつめの診療所では、「矯正は1年半くらいで終わります。長くても2年でしょう。上の歯は裏側からの装置でできますよ。表側につける装置と治療期間や効果が違うかって?同じです。」と、カンタンそうな話だった~んが。ただいま通っている診療所の先生は、「喰いしばりがきついので、歯の根っこが出ているところがあります。このようなケースは裏側からの矯正はおすすめしません。また、喰いしばりのある人は、たいてい治療期間が平均よりも長くなります。」とおっしゃった。ツイてるぜ。ひとつめの診療所に通い続けていたら、治療が終わった後、「歯はたしかに綺麗に並んでいるが。。。」治療後に問題がいろいろと起きてしまったかもしれないどこでやっても大差ないだろう、と簡単に考えていた矯正治療だったけれど、やっぱり女優じゃなくても歯は命。何人かの先生に診てもらって正解だった~ひとつめの診療所で矯正装置をつけての治療が始まった途端、私は自分が寝ている間に、ものすごい力で食いしばっていることに気づいた。それはそれはものすごい力なのだ。目が覚めるくらいなのだから。ぶっとくて固い千枚漬けをかみ切ろうとしているような夢、というかマジそう思って目が覚める。ネットで調べてみると、それを「喰いしばり」と呼ぶらしい。肩こりや頭痛の原因になっているそうな。たしかに私は小学生の頃からひどい肩こりだ。寝ている間に、体がカチンコチンに緊張するほどのすごいエネルギーを使って喰いしばっているのだから、首やら肩が異常にこるはずだ。ずっと以前から知り合いの「噛み合わせ」が専門の歯医者さんに相談したところ、「これは、もう何十年も食いしばってきてるねぇ。」と感心されてしまった。喰いしばりすぎて、歯が削れてしまってるらしいまずは寝るときに口の中にマウスピースを入れることになった。歯型を取って、上の歯にピッタリとはまるマウスピースを作っていただく。マウスピースを入れることで、噛み合わせが少し開き、喰いしばろうとしても噛めないという仕組みだ。昔ムツゴロウさんが、「動物にかまれそうになったら、こぶしを動物の歯の所につっこめばいいのです。」と言っていたのを思い出す。今、マウスピースを入れ始めてちょうど1ヵ月くらいだけれど、肩こりが改善されたような気がするし、喰いしばって目が覚めることもなくなった。とは言っても、ただいま通っている矯正歯科医院でレントゲンを撮ったら、「何十年も喰いしばり続けて、首の骨が正常じゃなくなってる。」そうで。。。どれだけムダなエネルギーを寝ている間に使ってきたんだ、私。しかも何十年も私みたいに喰いしばりのクセがある人っていうのは、昼間でも知らないうちに喰いしばってることが多いらしい。昼間も意識して上下の奥歯をリラックスさせるように、とのことだった。くちびるから力を抜くように、とも指導された。くちびるに力を入れると、全身に力が入ってしまうらしい。今日の夕刊に、ソチオリンピックのノルディックスキー・ジャンプ男子団体の、4人の空中での写真がそれぞれアップで掲載されてたけど、みんな口を半開きにしている。体をリラックスさせるためのスキー・ジャンプの常識?とにかく、私はやっとこさ寝ている間にリラックスできるようだ。(長い間そのつもりだったけど)これまでもエネルギーは余り気味に生きてきたつもりだったけど、また余剰エナジーが生まれるのか!なんだか「深海でレアアースを発見!」みたいな気分だ~
2014.02.18
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続いたので、忘れないように記録しておきたい。・先週、梅田まで車で行き、桜橋駐車場へ車を入れてから、「あれ?今日は神戸で用事があるのに。」と気づいた。せめて、せめて湊町を過ぎたあたりで気づいてたら、湾岸線へ入ることができたのに~・You raise me upがずっとずっと好きで、なのに、最近ケルティック・ウーマンのYou raise me upばっかりCMで流れているものだから、「私はセリーヌ・デュオンのYou raise me upが好きなの!」と憤慨していたところ、いくら検索してもYou Tubeに「セリーヌのYou raise me up」はなく、「私は映画『アンカー・ウーマン』の頃から大好きなんだから!」と「アンカー・ウーマン」を検索したところ、セリーヌの歌ってた主題歌は「Because You Loved Me」だった。これはいったい、どこでどうなったのか。・ロンドンのナショナル・ギャラリーにオットの好きな絵がある。それは「ターナーの絵よ。」と、ずっとオットに教えてあげていた。先日、ひとりでナショナル・ギャラリーを訪れて、その絵を間近で観ながら、ふと作者を見ると、聞いたこともない人の名が刻まれていた。(いえ、たぶん有名な方だと思いますが。)どうして、どうして絵のことなど何もわからない私が、その絵を「ターナー作」と思っていたのか。神戸で開催中の「ターナー展」へ行った時に、オットに告白しようと思う。・フィンガー5の「恋のテレフォンナンバー6700」が好きで、家事をしながらよく歌う。前奏つきで歌ってたのだが、ヘーイヘイヘイ ヘーイヘイから、入ってた。私、シングル盤まで持ってたのに~~~~~
2014.01.12
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プリマスを後にした私たちが向かったのはブリストル。ここは昔からイギリスを代表する港町です。大きなショッピング街もあって、古さと新しさが混じりあった若者にも人気の街です。空に向かって尖塔が高く伸びているメアリー・レッドクリフ教会。到着した次の日、夫が楽しみにしていたグレート・ブリテン号を見に行ってきました~グレート・ブリテン号は、1843年にブルネルさんが製作した、史上初の鋼鉄製スクリュープロペラ付き外洋航行船。ここブリストルに展示されているのは、2番目のグレート・ブリテン号だそうです。こちらが船尾。これがウワサのスクリュー。おっきい!船内の様子も見ることができます。こちらは厨房。厨房で働くおっちゃん蝋人形。いそがしくてカリカリしてる感じがにじみ出ています。リンツァータルト。今も昔も変わらず。他にもいろんな種類のスイーツがあっておもしろいっ!せまい寝室で繕いものをしている青年。船底あたりには、家畜が入っていた模様。食用のニワトリなどもいたような気が、、、します。男の人って、飛行機や船など機械モノ(?)が好きですな。夫も大喜びで、食い入るように見ておりました。ここは、かなり印象に残った模様。「時間が足りなかったから、また来たい~!」(私には十分な時間でしたが)と何度も絶叫しておりました。どこへ旅に出かけても、すぐに忘れてしまう夫ですが、モン・サンミッシェルとグレート・ブリテン号だけは忘れない予感です(笑)翌日は、お宿のちょうど向かいにサイトシーングバスが停車することもあって、珍しくバスに乗車して街を周ってみることにしましたブリストルの見どころって、街中よりも少し離れたところにありました。丘の上に建つ瀟洒な住宅街は、ため息が出るほど素敵。ブリストルのシンボル、クリフトンのつり橋もグレート・ブリテン号と同じブルネルさんの設計。橋からの景色がパッとしないのは、川に水が流れてないから??そして、この後、想像だにしなかったことが起こるのであった。。。この旅を、より深く私たちに印象づけたこと。。。それは。サイトシーングバスに、30代(推定)くらいの男性が自分の車のドアを思い切りぶつけた停まっている車同士なら、たいしたことない出来事なんだけど、なんせおっきなサイトシーングバスが走行しているところへドアをぶつけたものだから、バリーーーン!(ガラスが割れる音)ガリガリガリガリリリリリーーーーー(ドアがバスのガラスを擦る音)と、ただならぬ音が響き渡る。道路脇に停まっていた車から、男性が出てこようとした時の出来事。人って、「やっちまったー!」って時には、ホントに両腕で自分の頭を抱え込むのですねぇ。男性、なかなか顔を上げることができませんでした。景色のいいエイヴォン渓谷を見下ろす場所でくつろぐ人々が、次々に集まってきます。人生長しといえども、滅多に出会えない光景。。。男性、お気の毒です。30秒後には警察官2名が聞き取り開始。というわけで、割とここに長くとどまることに(笑)ブリストルの旅、忘れ得ぬ旅。
2013.09.18
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プリマスはコーンウォール地方最大の港町(らしい)。1577年にドレーク船長が世界周遊に出航した街(らしい)。1588年にはイングランド海軍が、スペインの無敵艦隊をやっつけるために出航した(らしい)。1620年には、清教徒たちを乗せたメイフラワー号がアメリカ大陸に向けて船出したことで、有名。イタリアやフランスなどで港町に滞在すると、ヤンチャなムードが漂っていることが多い。このたびも港町ということで、ちょっとドキドキしていました。でも、ここプリマスは16~17世紀当時の旧市街が残っていて、風情のある落ち着いた街でした。期待していなかっただけに、感激倍増。海沿いは、カフェやレストラン、雑貨店などが軒を連ねていて、絶好の散策場所です。宮崎駿映画に出てきそうな建物を発見したり。海を一望できる「ホーの丘」でボーッとしてみたり。後ろに見えてる赤と白のスミートンズ・タワーはプリマスのランドマーク(らしい)。インフォーメーションセンターの上階には、プリマス・メイフラワーという博物館があり、メイフラワー号に関する展示があります。(これは特別な日の、船での食事だったような気が・・・)世界史の授業で英雄的ストーリーを聞いた身には、違和感を覚えるほど軽い扱い。ピルグリム・ファーザーズはイギリスでは非国民扱い?他にもメイフラワー号出航記念碑などもあったらしいのだけど、ボーーーッと散策しすぎてて、見忘れました有名な観光都市じゃないからか、のんびりした雰囲気で、人々もフレンドリー。丘からの景色が、ちょうど湾内のおだやかな海を眺められる格好となって、とっても居心地のいい、ゆっくりと滞在したい街でありました。
2013.09.18
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イギリスのほぼ西の果てまでやって来たのだから、「せっかくだし端っこまで行こう!」とLand's Endへ行くことにしました。タクシー乗り場で「ランズ・エンドへ行きたいでーす。」と告げると、すぐに気のいいおっちゃんがタクシーを出してくれます。「早く行けるコースと景色が超ラブリーなコースとどっちで行きたい?」と聞かれ、迷わずラブリーコースで。地元の人が毎日使っているような丘のクネクネ道を走ってくれました。右にはきれいな海の景色。やっほー。ラブリー到着。「中肉中背のあやしい中年アジア人」って感じやな、私。コーンウォール半島の先端。風が強くて息するのも大変。ゆっくり散策することは無理記念撮影も寒すぎて、「はよ撮って~!」と叫ぶが、風にかき消される。「火曜サスペンス劇場」で、犯人が膝から崩れ落ちる所みたい。断崖絶壁。ここは1年中強風が吹きつけているらしい。名のとおり「地の果て」感たっぷり。白い波が黒い岩壁に打ちつけられる様子は、浮かれた旅の途中でもなんだか物悲しい。人生に疲れ果てている時には、近づかない方がいいと思う。6月下旬だというのにあまりに寒いので、夫とホワイトソースたっぷりのアツアツ濃厚シチューをいただく。ガラス張りの温室みたいなレストランにてしっかりあったまったところで、外に出てアイスを食べてしまい、また冷える。おバカな夫婦。でも、ここのアイスはすごーーーくおいしかった。あちらの方はみんなトリプルで食べてたなぁ~日本人にはシングルでも十分な量帰りは、夫が「汽車で帰りたい!」とわがままなことを言うので、ペンザンスから帰ることに。んが。恐ろしく接続が悪かった汽車の時間まで、ペンザンス駅周辺の海沿いの道を散歩。このあたりの景色はとってもステキで、大勢の方が散歩やジョギングしたりしてました。ペンザンスからまずはここセント・アースまで。ここで1時間ちょっとの待ち時間後、セント・アイヴス行きに乗り換え。寒い~冬はみなさんどうやって待ち時間を過ごしてるんだ夏でも最低ダウンのベストくらいは必要な寒さだよ~セント・アイヴスに到着してから、またここの景色を見にやってきました。
2013.09.18
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ヴァージニア・ウルフ(1882-1941)が書いた有名な小説『灯台へ』(1927年)。この小説の舞台は、スコットランド北西のスカイ島ということになっているけれど、ウルフが14歳になるまで毎夏家族と共に過ごした、ここセント・アイヴスでの暮らしやゴドレヴィー島に立つ灯台をモデルにしている、というのが定説です。その灯台がお宿から見える!光を受けて立つ灯台。ウルフもこのあたりから見ていたのだね~一家の別荘だったタランド・ハウスも、当時の姿とは少しずつ姿を変えながらも、このお宿のすぐ近くにちゃーんとありました。ウルフの熱心なファンというわけじゃないけど、文章が美しいし、意識の底まで掘り下げてる独特の手法が好きで、特に映画「めぐりあう時間たち」(2002年)(ニコール・キッドマンがつけ鼻でアカデミー主演女優賞を取った映画~)で『ダロウェイ夫人』が取り上げられた頃から、また読み返すようになりました。心身共に健康な時限定ですけど~なんだか「意識の流れ」に軸を置いて書かれてあるからか、(意識が時間を)行ったり来たりの描かれ方に、読み終えたらいつも、船酔いしたみたいになるのです(>_
2013.09.17
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ペンザンスに降り立ったら、風が強くてとにかく寒い!6月20日過ぎとは、とても思えぬ寒さでした。あまりに寒くてタクシー待ちの列に立ってなどいられないので、風を遮るシャトルバス乗り場の待ち合い場所で寒さを凌ぐ。途中でスーツケースを広げ、カーディガンやらセーターやら引っ張り出し、コーディネート無視の重ね着作戦開始。のんびりした街だからか、ラッシュアワーだからか、タクシーがなかなか来ないため、どんどん着ぶくれていく。やっとこさやって来たタクシーの運転手さんに行き先を告げると、どうやら行ったことがない場所の模様。すぐ後に来た運ちゃん仲間と場所確認。最近はロンドンでタクシーに乗るとほとんどのタクシーにナビがついてます。でも、このタクシーはナビなし。そもそも、この車はどこのメーカーの車?(笑)見たことのない経費削減カーが田舎情緒たっぷり。悪くない。しかーーーーーし。やっぱりすんなりとは到着できなかったーーーーー。(笑)海沿いの道を行ったり来たーーーーーり。運ちゃんは、スケボー少年やら縄跳び少女にまで道を尋ねてみたりする。あげくの果てにダッシュボードから取り出したるは「タクシードライバーのための道路地図」。悪くなーーーーーい。人のいいオッチャンで、「ホントにごめんなさい。もうメーター止めちゃうから。迷った分の料金はいただきませんから。」と平謝り。タクシーを停めては道行く人々に道を尋ね、そのたびに丁寧に教えてくれる人たち。素晴らしい景色。あったかい人々。ペンザンスから結構走ったけど、ここはどこ?ペンザンスに宿を取ったつもりだったけど、到着したところはセント・アイブス(St.Ives)という美しい町でありました。別荘のようなアパートメントホテル。庭つきの素敵なお宿。
2013.09.02
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母校の試合は朝8時からの第一試合だというのに、7時過ぎに甲子園駅の改札を抜けてみたらば、すでにチケット売り場からの長蛇の列の最後尾看板が目に飛び込んできました。暑そうだし、一応「中央特別自由席」のチケットもゲットしておいて、暑さに耐えられなくなってきたら移動しよう、と思っていた私の目論見は、即消え。同期生みんなで応援しよう!と、この大会のために特設ツイッターまで開設してくれた男子を探すも、ものすごい大混雑の中「赤いTシャツにベージュの短パン」を見つけられず。お互いに少しずつ容貌が変わっていますからねぇ。私のBlackberryがおバカになっていて、時差ボケでツイートが入ってくるのもいけませんでした。。。同期生のアルプス席突入タイムを過ぎてしまっていることを確認したので、慌ててアルプス席へ向かったのですが、もうほぼ満員。係員も「本日、大変混み合っておりますので、お荷物は必ず膝の上にのせてくださいっ!」と叫びっぱなしです。チアガールの友M樹とは、メールをやり取りして、なんとかアルプス最上段にて再会。M樹の第一声は「甲子園ってコールドゲームあったっけ?」私たちは、かくまでも「コールドゲーム」の呪縛から解けないでいるのです(笑)甲子園には、点差によるコールドゲームはありません。(注:降雨などの天災によるコールドゲームのみが、7回終了時点を以て適用されている。)つまり、20点取られても、30点取られても、ゲームは9回まで続くのです。相手は強豪校。さぁ、長い試合となるのか?(注:相手との力差がありすぎると、相手の攻撃がやたらと長い試合となる場合が多い。ちなみに13年前のセンバツに母校が出場の際、相手が強豪校だったため、体感的に非常に長い試合となった。)んがががが。1回の相手の攻撃を0点に抑えたではないか。もうこの時点で、あまりの上出来に(って、まだ1回だけど)私は達成感に酔いしれてしまった。しかも2回も0点に抑えた~~~!その後は順調に(?)点を加えられ、7回までに7対0。でも、私は「7点しか取られてないなんて、超上出来!」とゴキゲン。こんな風に思うのは、私だけではなかった。近くにいたOBたちも「7回のうち4回も0点に抑えてる!」とゴキゲン。それになんというか、点差ほどの力差を感じないゲームなのだ。ほどよくこちらにも好機が訪れて、アルプスが大盛り上がりになる。この試合、一番盛り上がったのは、8回2死満塁の時。ここで唐突に代打O君が登場。近くのOBが「うどん屋のセガレや~!」と盛り上がる。さすが。どこにでもいる「うどん屋のセガレ」。アルプスは揺れんばかりの大声援となるも、O君は空振り三振となり、このチャンスを得点に繋げることはできず。OBたち、「あぁぁぁぁぁぁ!もう父親が気の毒でしばらくOのうどん屋へ行けんっっっ!」と落胆。そこかよ。。。最終回で1点を返し、完封を免れる。あぁ、上出来の試合内容となりました。結果は7対1。でも、試合時間は2時間ちょっとと、ワンサイドゲームのダラダラ試合にならず、素晴らしかったと思う。後の試合に迷惑をかけることなく、このチームが全国大会レベルだったということ。試合後、近くにいたオジサマOBより、応援グッズをたくさんいただき、小さな可愛いバッグひとつで来ていた私は、ジャラジャラとメガホンやらうちわやら、応援帽子を首からぶら下げたり、肩からかけたりして、奇妙なマダーム姿で甲子園を後にしました。家に着いて鏡を見たらば、シャツワンピの胸元がクッキリと真っ赤に日焼け。ネックレスをつけてたところが鮮やかに白抜きされてて、なかなかクール。この夏の思い出。この日焼け、消えなくてもいいや。
2013.08.15
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ロンドンに着いた翌日、私たちはペンザンスを目指しました。コーンウォール半島のほぼ端っこにある、ロンドンから西へ向かう汽車の終着駅です。ロンドンのパディントン駅からペンザンスまでは汽車で5時間半。でも、美しい田園風景を眺めながらなら、アッという間のはず!が。もうホントに長かったです。乗ってる時間も長かったけど、さらに私たちを疲れさせたのは、男性たちのおしゃべり!!!いつもイギリスで汽車に乗るたび思うのですが、あちらは携帯電話マナーに関しては無法地帯と言っていい。誰かの電話が絶えず鳴り、普段以上の声量では?と思うほど大きな声で会話を続ける。無駄だと知りつつも、それでもQuiet(静かな)車両を予約しておくのですが、「これでquietやったら、普通の車両はロック会場並み?」と思うくらいうるさい。携帯電話でそれなので、友だち同士で乗車しているグループがいくつかあると、旅に出る高揚感も手伝って、それはそれは阪神タイガース応援席のごとし。意外なことに、これまで女性のおしゃべりグループに長距離列車の中で遭遇したことは、イギリスではないのです。(イタリア人旅行者とかは別として)女性同士のグループで旅に出る、なんて文化が日本ほどないのかもしれません。そのかわり。こちらでは、若い男性グループの旅人が多い。そして、今回もそんな旅人と場を共にすることとなったのでした~ビールを飲みながらポテチを食べつつ、ずっとずっとおしゃべり。沈黙タイムなど全くありません。ポテチがなくなると、売店で1人が甘~~~いパンを人数分買ってきて、頬張りながら、またまたずっとずっとおしゃべり。私たちが駅で買ってきたお寿司を静かに食べ始めると、「わぉ~スシだっ!」などと言いながらも、果てしなくおしゃべり。彼らと共に過ごすこと4時間ほど。彼らが降りた後に訪れた静寂を感じながら、これはこれは何かと同じだ!と思っていましたが、これはこれは、大阪でランチの時におしゃべりオバチャングループの隣のテーブルだった後の、あの疲労困憊加減と同じではありませんか!そう、私たちは耳から疲れてしまったのであります。私たち昭和生まれは「男のおしゃべりはみっともない」とか「男は黙ってサッポロビール」なんて言って育てられた男子と長いこと過ごしてきてたんですね~。でも、男の人だって、ホントはおしゃべり好きなんですね~。男だって甘いもの食べて、エンドレスでおしゃべりしてたい!んですね~。またまたひとつ発見をしたのでした。そんな長い旅を終えてペンザンスに到着した私たちを迎えてくれたのは、親切であったかい人々だったのです。長かったぁぁぁ~!
2013.08.07
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ケンケンの卒業式の前に、夫婦で旅をすることとなった。オットと海外を旅するのは、結構疲れる。時と場所を選ばず「トイレ~」「喉かわいた~」「おなかすいた~」とおっしゃる。3歳児を連れてるような感じだから。彼はかつて、たしかリバプールのカフェでフォークが欲しくてカウンターまで行って、「フォーク」と何度言っても通じず、最後に「あぁ、フォークね。ははは。」と笑われて以来、外国では「フォーク」やら「トイレ」といった簡単な単語でも、絶対に発しようとはしなくなったのだ~ったく。ジェスチャーとかテレパシーとか使ってみればいいのにさ。男って生き物は、人に笑われるのが死ぬほどイヤな模様。どなたか、彼に成功体験を味わわせてやってください。そんな彼、J〇Lを降りるまでは強気です。行きの飛行機の中で、消灯になってからも窓を全開にして読書を楽しむ西洋人(オジイサン)がおられました。ちょうど私の真反対に座ってる方で、まぶしすぎて、さすがの私も就寝後3時間で起床。頭上の棚に光が反射して、超まぶしかったのでした~でも、3時間眠れれば、まっ、いいか。着いてから早めに寝ればいいんだし。と思ったんですが。隣でオットが客室乗務員にモノ申す!やってます。消灯後には窓を閉めなければならない、というルールがないために、客に注意することはできない、と客室乗務員も必死でオットに説明中。ただちに客室乗務員のみなさん、緊急会議。と、その時、そのオジイサンがトイレに立ちました。オット、緊急会議中の客室乗務員をかきわけ、自分でそのオジイサンの席の窓を閉めに行ってしまいました。強い。なんて強いんだ。J〇Lの中までは。挙句。客室乗務員のみなさんに、「会社に今回のことを持ち帰って、ルールを作ってください。あなた方はルールがないと何にもできないんでしょうから。」と提案まで。ヒースローに降り立った途端、猫のように私にくっついて一言も話さなくなるのに。と、今回は成田を発って早速、オットがらみで軽~く疲れたのでした。
2013.08.07
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昨日、梅田で買い物中に、M樹からメールが入ってた。タイトル:やったー!本文:甲子園行くでー!私も行くでー!やっほー!仕事中だから最短で喜びを表現したかったのか?母校が県大会で決勝に残ってるのは知ってましたよ。でも、昨年まで2年連続で決勝負けだったので、なぜか「今年もきっと負けるだろう。」と思ってしまってました。シード校じゃなかったし。メール読んだら瞬間沸騰して「私も行く!」と返事してしまったけど、大丈夫なのか?夏の甲子園アルプス席。体感温度45度くらい?実際42度くらい?もう私たちはネット裏の中央特別席がふさわしいお年頃ではないでしょうか。日焼けも熱中症も、マジ怖いやん~~~でも、私たち元チアガールだから。(背筋シャキーン)元キャプテンM樹が許さんだろう。私たちが踊っていた頃は、5回コールドとか7回コールド負けしてた野球部。9回分の応援を用意(表裏それぞれ別)して行くのに、披露することなく帰りのバスに乗る時のあの悲しさよ。それを忘れたのか?と。エールの交換をアルプスでしたくないのか?と。まぁ、言ったわけじゃないけど、そのくらい私たちにとっては遠い遠い甲子園だったんだから。はいはいはいはい。アルプスで応援しましょう。あの頃あれだけ紫外線浴びたんだから、今さら日焼けなど気にしても仕方ない気もする。(日焼けしすぎて、「私のむけた皮はこんなに大きいぜ自慢」してたっけ。こわっ!)熱中症対策には、毎回かちわり氷食べて冷やしてればいいか~昨日のうちに、同期の元チア全員が甲子園で集合することに決定。真夏の甲子園、楽しみなような、すごく恐ろしいような。。。
2013.07.27
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今回のロンドンヒースローからの帰りのフライトで、初体験があった。初体験はいつもワクワク。もしかしたらたいていの人は怒っちゃうかもしれない。それはオーバーブッキング?たぶん。フライトの前日にエアラインから電話があり、「フライトが大変込み合っていまして、もしよろしければフランクフルト経由で成田まで戻っていただけないでしょうか。」ということでした。よく、上級会員だとオーバブッキングされないとか、もうチケットを購入済なら大丈夫だとか聞きますが、これはガセです(笑)私は正規料金で買って(しかも金曜発で普段の倍の値段よ~)もうシートナンバーも決まっておりました。でも、相手はとっても困っていそう。ヒースロー発にもすっかり慣れてしまったので、いいですよ。いいですよ。たまにはターミナル5から出国するのも新鮮でいいですよ。おそらくドイツ南部やチェコの大洪水で、日程を変更せざるを得ないツアー客は、帰国便をヒースロー発に変更したかったのでしょう。飛行機から見えたライン川は真っ茶茶でした。川のほとりの家々は気の毒なほど水没。フランクフルトでこれだから、もうすこし南部だとツアーどころではなかったはず。きっと大手旅行会社のお客さんでエアラインも無理を聞かないわけにいかないのでしょう。協力します!喜んで!ヒースローからフランクフルトは信じられないほど素晴らしいお天気で、フライト中ずっと、美しい景色をみながらフランクフルトに到着。時間は少しかかったけれど、なんだか興奮。人生には思いがけないことが舞い込んでくるね。それにしても、私はエアラインのみなさんから、時々お願いをされます。先日オーストラリアへ行ったときにも、「O様、和食を希望されるお客様が多くて困っています。助けていただけませんか。」と。大勢の乗客がいるのに、わき目もふらず一直線に私の席へやってきて、お願いされました。思うに、エアラインは乗客について、細かなメモを取っているのではないかと思うのです。(あくまで推測) 「丸顔」「楽天的」「ヒマそう」「細かなことには頓着しない」「飛行機の中で寝てるだけ」「お酒を1滴も飲まない。手がかからない!」みたいな私のリストがあって、「オーバーブッキング!」となれば「Ms.Oだ!間違いない!喜んで経由する!」的な (笑)やたら質問してくるから、「息子がイギリスのサマーセットに留学中」だとかウッカリ答える。「次のフライトは20日からですね」と、「個人情報流失ですやん~~~」ってなことを言われると、ちょっと引く。しかも他の客室乗務員も瞬時にこの私についての情報を共有していて、(驚)降機までに、いろんな乗務員から「息子さんが留学されていらっしゃるんですねぇ。」なんて声をかけられる(*_*)まぁ。それでも、私はイレギュラーなことが起こると、すごーくすごーくワクワクするよ。人生は、やっぱり予定通りにはいかないところに、喜びを見つける方が、うーんとうーんと楽しいのだ~
2013.06.06
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ロンドンのM&S で、無料のポリバッグ(買い物袋)があることを知らなかった、と数回前のブログにアップしましたが、今日ほぼ1か月ぶりにM&S に行って、精算をセルフマシーンでやってたら、なんと「大きな5ペンスのですか?無料の小さいのですか?」とポリバッグを選ぶことができる画面が登場していました! 先月来た時までは、「バッグ要りますか?」と「何枚ですか?」の画面しかなかったのに。 (よって、「バッグが要りますか?」画面でYes をタッチすると、必ず5ペンス以上支払うことになってた) これは、客からのクレームがあったってこと? ライバルスーパーとの買い物袋対決? エコバッグ、こちらでは持ってる人が多いけど、やっぱり全ての人々の意識改革にはほど遠いね。 特に観光客の多いロンドン。旅にまでエコバッグを持って来る人は、まだまだ少数派だよね。 どこの国でも買い物袋問題って、難しいんだなぁ~ よかったー。日本人の意識が際立て低いってワケじゃなくって。(笑)
2013.06.04
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のんびりとしたTaunton から汽車に乗って2時間。 昨日からにぎやかなロンドンで過ごしています。Taunton の駅で、汽車が遅れたために2時間近くホームで風に吹かれていたため、足の先から頭のてっぺんまで冷たくなりました。 イギリスでは、汽車が遅れるとか、地下鉄が止まったとか、 日常茶飯事で、だーれも慌てません。 時間が経つにつれ、ホームに次第に人が増え、あちこちで輪になってポテチパーティーの様相を呈してきます。 イギリスで初めてこのような場に居合わせた時、私たち家族は「信じられない!」を連発し、別の手段で移動しようと頭を使いまくり、無理だとわかると、なんとかその時間を有意義に使おうとあたふたしました。 「日本って、こういうことがないからいいよね~素晴らしいよね~」と自国を絶賛してみたり。 でも、今はこんなことが度々起こる、この国のユルい感じに、居心地の良さを感じています。 鉄道に限らず、ホテルのレストランで注文が忘れられていたり、郵便物がどこか遠い所へ行ってしまったり、あらゆる場所で感じるユルさ。 日本では時間通りの完璧なサービス、仕事が当たり前ですが、それはあらゆる立場の人が、ミスやイレギュラーな対応を許されない状態にあることでもあります。 もちろん命や安全に関わることがユルいのはいけませんが、あのヒースローでの入国審査の厳しさから、やるところはやってるんでしょう(推測) ここでいると、人生は予定通りじゃないことだらけなのさ~という、当たり前のことを感じられて、自分がユルくあることも許される気がするのです。 まぁ、誰かに「ゆるむな!」と言われるワケでもないんですけど。 日本でいるとキッチリカッチリが当たり前のように思えてしまうので。
2013.06.04
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5月20日、食事を摂らなくなってちょうど1ヶ月過ぎた日の朝にブラッキーは逝きました。 前日はけだるそうで、いつもは嫌がる点滴もおとなしく受けていたので、「あぁ、もうお別れだな。」と感じていました。ほぼ一睡もできず、うつらうつらしていた時に鳴き声が聞こえたような気がしたのですが、耳を澄ますと近所の犬が吠えているようで、1時間ほど布団の中でモゾモゾしてから1階に降りると、ブラッキーはもう冷たくなっていたのでした。 いつも寝ているワンコベッドで、眠りながら旅立ったことが救いです。 体の下に手を入れると、まだ温かさが残っていました。 私はワンワンと子どものように泣きました。(お隣の方々ごめんなさい) 1ヶ月も点滴で生かしてしまったこと、その週の金曜日にイギリスへ発たなきゃいけないから、それまでに見送りたいと思っていたこと、3日前にアジ天をニャンニャンして食べさせたら、目を真ん丸にして嬉しそうに食べたこと、元気な頃、毎朝、私が起きたらベッドに前足をかけて、「オハヨー」に聞こえる不思議な声を出したこと。いろんなことを抱きしめるように冷たくなったブラッキーを抱いて、撫でながら気の済むまで泣いて、それからオットを起こしにいきました。 犬との別れは、ひとりの時間が少しあるとありがたい。 思い切り声を上げて泣くというのは、そばに誰かいるとなかなか難しい。 庭仕事をしていると、いつもそばにいてくれたブラッキー。 ガーデニングの友がいなくなって、今年の薔薇の世話はさみしいぞ。
2013.06.03
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今回、ひょんなことから10日間の滞在をすることになったTaunton。 ここは、贔屓目抜きにしても「やっぱり素敵な街だ!」ということがわかりました。 何をもって「素敵」とするかは、人それぞれですが。 まず私の心をわしづかみにしたのは、「街にある店の半分以上が17時半に閉まり、18時にはほとんどの人がおうちへ帰っている。」ということ。 18時になって、「あっ!お醤油がない!」って思っても、もうお醤油が買える店は開いていません。 買い物は17時半までに終えていなければならず、これは不便どころか快適な生活を私たちに与えてくれるのです。 そう。日本人においてはお年寄り以外に見当たらない、早寝早起き健康生活です。 また、この街のお店の品揃えも快適な生活へと私たちを導いてくれます。 「欲しいと思うものが、滅多に見当たらない。」 お店のショーウィンドウには、昭和のファッションが並んでいます。 ワンピース、靴、バッグ、アクセサリーのほぼ全てが「中途半端なアンティーク」(ごめんなさい!)といった感じで、人々は物欲に支配されることもありません。 そして、この街の気さくで人情味溢れる人々! スーパーでも、ドラッグストアでも、お店の人たちは客たちとずっとおしゃべりしています。 私はBoots (イギリスで最も大きなドラッグストアチェーン店)で初めて、「Boots カードを持つべきよ!このポイントを絶対無駄にしないでぇ~」と熱く語られ、M&S(イギリスの大手スーパーチェーン店)で、無料のポリ買い物袋があることを知ったのです。(これまでは、エコバッグを忘れた時には5ペンスの袋を買ってた。レジのおばちゃん曰く、「無料のに分けて入れちゃいなよ、タダなんだから。フフ。」) 経営陣からすれば、「おいおい!」と思うだろうし、客も5ペンスくらい払うことは気にもしてないんだけど、日本ではほぼ体験することのなくなった「ザ•コミュニケーション」が街の至るところにあることを感じて、滞在が長くなるほど、安心感や居心地の良さに覆われてくるのです。 そしてそして、「イギリスの美味しいものは田舎にある」の言葉通り(そんな言葉、あるのかどうかわからんけど:(笑)、こんな街の飲食店は、例外なく美味しいのでした。 ケンケンと街を歩けば、必ず知り合いに出会う。 同じ学校の生徒たちに。学校の食堂のおっちゃんに。 おっきな笑顔で言葉を交わす彼らを見ていると、今更ながら、息子が良い街の中で育てられたことに、喜びと感謝を感じずにはいられません。 2日に1度は猛烈な飼料系および糞尿系臭気が香ってきますが、これもまた街を平和なムードに包むことにひと役買っています。
2013.06.03
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杉山清貴の歌みたいだけど。 18歳以上は大人、の国イギリスなので、前回のハーフタームホリデーは、一人でロンドンのホテルに滞在することができたケンケン。 だけど今回、直前になって「Tier 4(学生ビザっていうんでしょうか)の生徒は、年齢に関係なく大人と滞在しなければならない。」とのお達しが学校よりありました。 ぐぐぐぐぐ。 というわけで、急遽サマーセットに飛んできました。 混雑する金曜日発の飛行機に乗って、ヒースローから車で3時間。週末からの3連休で道路もあちこちで大渋滞。さすがに長い旅でありました。 ケンケンは、最後の試験に向けて勉強しながら、学校にオルガンを弾きに行ったり泳ぎに行ったり。 そんなケンケン、昨日学校付近で友だちの女子2名と遭遇した折りに、「いつもどおり」(ケンケン談)ひとりの女子がハグしてきた、と。それを見ていたもうひとりの女の子が"You steal my..."(あなたは私の...を盗む)と言った(あくまでケンケン談)と。 留学生活を頑張りすぎて、息子が幻覚&幻聴にさいなまれているのではないか、とマジ心配の母であります。 頑張り過ぎるな、息子。
2013.05.26
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若者ってすごい。どんどん上達するんですねぇ(゜o゜)義母が「習い事は1年でも早く。1日でも早く。私ももう少し早く習ってたら!(社交ダンスのこと)あぁぁぁルンバがぁぁぁぁぁぁぁ!!」と、いつもボヤいていますが、たしかに18歳8か月で始めたケンケン、前回よりずっと上手になった気がします。
2013.05.06
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カレンダーの5月のページには「すべての知識、すべての質問と答えは犬の中にある。」というカフカの言葉が載っていました。そのニューファンドランドのカレンダーには、犬にちなんだ有名人の言葉が、各月のページの左上に記されているのです。カフカも犬好きだったんでしょうか。風変りな文章を書く方にしては、シンプルなわかりやすい言葉です。私がイギリスでいる間に、我が家のブラッキーが調子を悪くして、「間に合わないかも」という状態だったのですが、いまだに生きています。4月20日から食べていない(正確には「食べてないことに気づいたのが20日だった」んだと思う)そうで、もう2週間になります。オットが気づいた時には、「半分かたくなってて、冷たくなってた」そうですが、病院で注射と点滴をしてもらって、少し持ち直しました。相変わらず何も食べず、点滴だけでもっています。少しずつ少しずつ弱ってる感じでしょうか。それでも、夜の散歩へは参加したがります。老人らしい頑固さで、こちらが体調を考慮してしようとするショートカットやUターンは断固拒否。いつものコースを3倍くらいの時間をかけてゆっくりと歩きます。やっぱり犬は、「人生とは、散歩してナンボや!」ということなのですな。私としては、ブラッキーの「食べない」という意思を尊重して、点滴も生理食塩水くらいにしておきたいのですが、オットが「高カロリー輸液」を希望。たしかに、それで体力が戻って食べられるようになるかもしれない。いつもいつも、ワンコとの別れが間近に迫ると、選択しなければならないことが続きます。オットの「命の最期の1滴まで使い果たさせてやりたい。」という思いは、理解できんこともないのですが、ここ数年で5匹のワンコを看取った私としては、「死ぬ時に体力が残ってないのは、なかなか過酷なのですぞ~。」という思いもある。自然に反しているようにも思う。点滴を何滴も体に注入し続けていたら、どこがブラッキーの最期の1滴かもわからんし。渡り鳥は飛びながら。犬は歩きながら。そうやって逝くのが、本望ではないか。人間だって、「ピンピンコロリ」を望んでるように。自然に反すると、たぶんしんどい。まぁ、ブラッキーもまだ散歩に参加できているので、そう深刻に考えないでもいいのかもしれませんが。それにしても、小さなワンコが弱っているのは、これまでとはまた違ったせつなさがあります。雛(ひいな)の調度。蓮(はちす)の浮き葉のいと小さきを、池より取り上げたる。葵のいと小さき。ブラッキー。何も何も小さきものはみなうつくし。(「枕草子 第百五十一段」よりパクる。)
2013.05.03
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昨日、Facebookにて衝撃の写真が公開されていました。私と友だち関係にある方が、とある人物の公開写真にタグづけされていたのですが、とある人物というのが、私の知り合いだったからです。もう大学時代の友人同士で、昨日はメールで大いに盛り上がりました。なぜなら。そのとある人物は、大学時代の女子の中で、世にもマレな「嫌われ者」だったからです(笑)「FacebookにM(呼び捨て)がいた!」と私がメールするや「ゲボッ!」「やっぱり絶対Facebookはしない!」「あいつだけとはかかわりたくない!」など、マダムなお年頃とは思えないやりとりが続きました。いえ。続いていません。「Mの話などもうやめよう。時間がもったいないから。」と早々に打ち切り(笑)それにしても。その友だちは、ここ楽天のブログサイトで知り合った方。(もうご本人はお気づきだと思いますが)その方とM(永遠に呼び捨て)にご縁があったなんて、つくづく世間は狭いものです。「友だちの友だちはみんな友だちだ!」なんてこと言ってましたけど、アレってあながち大げさなだけじゃないかもしれません。M。直接的な被害に遭ったわけではない私も、なぜか写真を見てしばらくは、食欲も失せるほど「キモい!」などとマダムなお年頃に似つかわしくない言葉をブツブツ連発しておりました。なぜに彼はこれほどまでに、嫌われているのでしょう。大学を卒業して以来20年以上も経つというのに。あらゆる学部の女子から総スカン(大げさかもしれませんが、そんな感じ)の、ある意味有名人。チャラ系ではない。ガテン系でもない。もちろんもちろんモテ系ではない。体育会に属する、いわばスポーツマンであったはず。名古屋出身で、少しセコいところがあったといえば、あった。どこにでも「イッチョカミ」するところがウザかったのか。実物大以上に自分を見せようとしているところがイタかったのか。あらゆる女子になれなれしすぎるところにイライラしていたのか。たぶんどれも。Facebook恐るべし。つながりたくない方ともウッカリつながってしまう可能性が大きく広がっているサイトですね。
2013.04.30
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少子化といっても、日本や韓国ほどではないイギリス。 女性の社会進出が当たり前の成熟した国になって、国の子育て応援制度が整ってくると、また出生率が上がってくるようです。 それでも、昔のような子だくさん時代には、もう私が生きてるうちは戻らないんだろうなぁ、と思います。 寿命が延びたからか、子どもがゆっくりと大きくなるようになった昨今、(もちろん精神的に)ひとりの子どもにかかる手間とお金は際限知らず。晩婚化が進んでるのに、その上ひとりの子どもに20年以上労力をかけていたら、親がボケる前に子育てが終わるかどうか、あやしいものねぇ。 そんなわけかどうか、「子どもは持てないけれど、ペットに愛情を注いでます。」という家庭が増えている模様。ここロンドンでも。 「ないものはない」(だったかどうかちょっとアヤフヤ)で有名なロンドンの某デパートでも、ペットのための売場がものすごい面積を占めています。売場の一番奥には、「ペットスパ」なるスペースもあります。シャンプー&カットだけじゃないんだろうか。いつも数匹の犬たちがカットしてもらったり、大きなドライヤーで大風に吹かれてブローしてもらってたり、と大繁盛です。 かくいう我が家も、子どもは一人しかいません。静かに増えてる「二人目不妊」というやつでした。 というわけで、余ってる愛を犬たちに注いでおります。 ロンドンに来ると、最近は必ずここに立ち寄り、リードや犬のオモチャなどを購入。 今回は、迷子になった時のための「ネームタグ」を探しに来ましたが、見当たりません。 日本でも売ってるのですが、手書きのものを入れるタイプは、雨などですぐに文字が読み取れなくなるし、オーダーメイドタイプは制約が多く、オシャレなものも少ないのです。 May I help you?と聞いてくれたので、尋ねてみると、「もちろんあります!さぁ、こちらへ。」 と、売場の奥へ。 にこやかに手提げ金庫のようなものをふたつ、目の前で開けてくれたら、そこにはスーパーキュートなタグタグタグ!がザックザク! なんとその場で、名前でも住所でもなんでも彫ってくれるというではありませんか! それぞれのワンコに合うタグを選んで、表に名前、裏に電話番号を彫ってもらいました。(専用機械で) これで三四郎君が訓練所から帰ってきても安心。 それにしても、なんとペットオーナーを大切に扱ってくれることよ。 ペットビジネスは、今や少子化社会での有力ビジネスなのですな。 そして、ホントに「ないものはない」ような気がしてきましたよ、このデパート。
2013.04.20
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今日は、朝からマーガレット•サッチャー元首相の葬儀と、それに関するニュースをテレビで見続けました。 「弱者切り捨て」という批判も受けた首相ではありましたが、私はサッチャーさんが好きです。 政治って、リーダーの手腕よりも、その時々の世界情勢や、バトンタッチされた時の国内事情など、政治家にとっては「運」の部分も大きい。 だから私にとっては、政治家がどんな政策を実行しようしたか、ということよりも、どれだけ強い意志で、多数に媚びず、国家のことを考えて行動しようとしたか、ということの方が、重要なのです。政策など、素人が聞いてもホントわからんし。 人は等しく死を迎える。鉄の女も、普通の女も。 サッチャーさんも同じ人間だった。 批判を受けて平然といられる人間なんかいない。国会でヤジられても穏やかに過ごせる人なんかいない。と思う。 葬儀への参列者も、テレビはいちいち捉えてアップにして流します。 葬儀の時のファッションセンスが問われます。現役の政治家たちは、こんな場でも、さりげなく何かをアピールしなければならない模様。 キャメロン現首相は、奥さまと手を繋いで登場です。 これらの様子はテレビカメラに捉えられるばかりではなく、今日の夕刊、明日の朝刊にデカデカと写真が掲載(きっとコメント入りで)されるのですから、皆さん気が抜けません。 しかし、今日恐らく一番国民の目を捉えたのは、サッチャーさんのお孫さんの、アマンダ•サッチャーさんではないでしょうか。 式の中で、聖書の一部を読み上げたのですが、その美貌と堂々とした振る舞いは、息を呑むほどだった。 さっきのニュースで、彼女がまだ19歳だと知って二度びっくり。 只者ではありません。 「鉄の女」の血が、ここに脈々と流れていることを見たのでした~
2013.04.18
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今日はカーディフを発ち、ロンドンへ入りました。 ケンケンと別れ、汽車で移動。汽車の中ではなぜか太宰治の『富嶽百景』を読む(笑)。 短い作品なので、ちょうど良かったのです。 高校生以来の『富嶽百景』。太宰治がゴキゲンな時期の作品なので、明るい気分にピッタリです。 友だちと「富士には、月見草がよく似合ふ。」をもじって、「マユミには、エビの天婦羅がよく似合ふ。」などとふざけあっていた頃を懐かしく思い出して、ひとりニヤける。 (全く風情のないもじりですな。) カーディフは、心に残る滞在となりました。 これまで滞在した場所の中では、一番地味な場所だったような気がするけれど、 人々が優しく親切で(駅前には、御多分に洩れずアヤシイ人がいますが)、雨のためか、心からリラックスでき、生きるためだけに生活する、という、大阪ではおよそ無理な暮らしを楽しむことができました。 その「雨」なのですが、ケンケンより指摘が。 「イギリスは雨ばっか」は、この辺りのことを言ってたのか~なんて納得してたのですが、なんと!年間降水量は東京1466.7mmに対して、カーディフ1061mm。(「旅行のともZenTech」より) 日本で一番雨が降らない香川県でも年間1082mm降っているのです。(「気温と雨量の統計」HPより) ひょえ~! こんなに雨の日が多いのにぃ~?と思った私の感覚は、しかし間違ってはいませんでした。 カーディフの3月降雨日数は16.5日。4月降雨日数は12.5日。(「旅行のともZen Tech」より) 日本でも天候が定まらないシーズンとはいえ、さすがに2日に1回は降りません。 イギリスは、降雨日数が多いのです。 そして、日本は梅雨と台風という「雨期」に降水量を稼いでいたのでした。 ケンケンは「イギリスの雨はパラパラ雨」と良く言います。 降ったとしても、すぐに止むことが多いし、長く降る日でも、必ずどこかに雨雲の切れ間がある、と。 そして風がよく吹くので、これだけ雨の日が多くてもカラッとしているというワケなのですな。 こんなにイギリスを訪れていて、やっと天候について少し理解が深まりました。
2013.04.17
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近くの教会でパイプオルガンコンサートがある、ということを知り、ケンケンと行ってきました。 パイプオルガンが教会での礼拝に使用されるようになったのは、10世紀からとか。 途中、宗教改革の後に、カルヴァン派では100年ほど礼拝に音楽が使われなくなっていたものの(ルター派では音楽OK)、今日に至るまで、祈りとともにいつもオルガンはあったのですな。 初めてオルガン演奏を生で聴いて、その意味がわかったような気がしました。 30分ほどの短いコンサートで、演奏された曲は4曲。 最初の曲は SINFONIA TO CANTATA No.29 J S Bach (1685-1750)arr.M Dupre (1886-1971) 魂を水でざっと素洗いされたような気分に。 2曲目は LARGHETTO (No.5 of 6 Pieces for a Chamber Organ ) S S Wesley(1810-1876) 魂の隅々まで、ヒダ(もしあるとすれば)のひとつひとつをも、そして奥深いところまで丁寧に洗われる。 3曲目は SONATA No.1 in D minor (Op42 ) 魂を優しく磨きあげられる、もしくはなでられる感じ。 そしてラストは Introduction &Allegro -Pastorale -Final 3曲目とともに Alexandre Guilmant (1837-1911) 今日の、そしてこれからの生活へのエネルギーを注入。 おそらく、文字を読むことができない人が多かった時代においても、教会でオルガン演奏を聴いた人々は、神様と会ったような気持ちになったのでは? 日々の楽ではない生活から、暫し解放され、励まされたような気持ちになったことと思います。 オルガン演奏には、セラピー効果あり。 機会があればぜひ。
2013.04.16
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「一度もウェールズに行ったことがないから。」というケンケンの希望で滞在することになったウェールズ。 ロンドンより雨が多く、気温が低く、風が強い。 日本で言うと「日本海側」って感じなのかな。 車のない生活だと、最初はこのなかでも「雨降り」が特にやっかいでした。 できれば品揃えがよく、オーガニックものを多く売っているスーパーで買い物がしたいところだけど、雨の合間に行くならば、近くの小さなスーパーへ行くしかない。傘をさすため、片手がふさがってしまうから、たくさんの買い物はできません。 雨の日でも、晴れ間や小降りを見つけて、ずっとこまめに買い物へ出かけていたけれど、ここ数日の雨続きで、さすがに面倒になってしまった。 それでも、なんとかなるものです。 少しの工夫と少しの手抜きで、雨の日も献立をひねり出す。 「雨のため買い物に出かけられなかった。」という言い訳は、イギリスでは、「はぁ~?」らしいけど、私、日本生まれの日本育ちなもので。 こうなると、これまで雨が多い地方=アンラッキー、と思っていた私の中での図式が覆されることに。 雨が降ると自分の時間が増えるのです。 晴れていたらやること(やらなきゃ!と思っていたこと)に費やしていた時間が、そのまま自由時間に。 というわけで、昨日は本を一気に一冊読み終え、今日また新たな一冊を読み始めました。 同じことが、きっと苦手としていた「寒い地方」にも言えるんだろうなぁ~ 結構長く生きてきたようで、まだまだわかってなかったことだらけです。
2013.04.14
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